読書ノートと言うのがありますが、以下僕自身の「丸激トーク」視聴ノートです。後で考えるヒントにしたりするときのデータなんで、人様にお見せするようなものではありません。読まないでください。って、いうのは冗談ですが。半分はマジ。(笑)
プレスクラブ (2006年09月27日)
安倍首相の歴史認識は甘い 立花隆氏講演(東京・外国特派員協会)
無料放送中
最後のところ、41分くらいから約8分の部分。
46分12秒あたりから近未来予測の部分。
マル激トーク・オン・ディマンド 第287回(2006年09月29日)
5金スペシャル(無料放送)
安倍内閣、支持率70%の中身を問う
ゲスト:山口二郎氏(北海道大学教授)
PART1(75分)
15分から、小泉が壊した自民党について。
(写真は安倍と稲村朋美:Googleイメージ検索から本内容とは直接関係はない)
19分5秒から、8月15日加藤議員の実家が放火された時、「立ち上がれ日本」の決起集会で福井県の稲田朋美衆議院議員が「加藤さんの家焼けちゃいましたね、アハハ」で、あろうことか会場が大爆笑。"自由"とか"民主"とか看板に偽りあり、極右政党に変質した自民党。全国紙は報道せず、北海道新聞だけが報道したらしい。
自民党は保守政党から右翼性党に変わりつつある。首相補佐官の山谷えり子は極右。
30分10秒から、敵基地攻撃論の幼稚性について。(関連資料)
35分30秒から、内閣府付補佐官について
41分30秒から、高市早苗、自分は旦那と別姓なのに夫婦別姓には反対。
44分15秒から、形容詞多用の文章は悪い文章、頭の悪い文章。大事なの名詞と動詞。
46分41秒から、Where's beef ?、形容詞じゃお腹は一杯にならない。
47分15秒から、リストラされている公立高。教育基本法。
50分24秒から、右も左も国家へのただ乗り。(なんとなく、華氏451度が頭に浮かんでしまう)
54分40秒から、台頭するナショナリズム、利用される政治的リソース。
57分25秒から、リベラル勢力がナショナリズムを遠ざけてしまうのは損、不利益。
58分25秒から、平和憲法はナショナリズムの核になりうる。
59分30秒から、安倍のどこがナショナリズムか、国粋主義、あるいはショービニズムだ。
1時間1分25秒から、山口:小沢への期待。小沢のCM。民主党は「再配分とマルチラテラル」を前面に出せば必ず勝てる。
1時間8分30秒から、アカデミズムと知的動員。
PART2(75分)
12分30秒から、炎上について。
19分30秒から、最近の飲酒摘発について、勧めたものも処罰は嵌めるときの道具としても使える。不法的不作為。
30分25秒から、食品添加物問題。
38分から、メディアリテラシーについて。
46分30秒から、徴兵の義務化について。
「敵基地攻撃論」の幼児性 小川和久さんインタビュー 聞き手/片岡伸行(週刊金曜日編集部)
過去十三年間で三回目。「北」のミサイルは軍事的ではなく「政治的な発射」だという。
それに対し即座に発動された日本の経済制裁措置。さらには「敵基地攻撃論」まで飛び出す……。
幼児性まるだしの議論に軍事アナリストが警鐘を鳴らす。
政治的に発射された古い兵器
――北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)はこれまで一九九三年五月にノドン、九八年八月にテポドン一号を発射。そして今回はテポドン二号とノドン、スカッドなど計七発。過去十三年間で三回目です。『ニューヨークタイムズ』が「テスト」と表現し、「国際法に違反していない」(五日付・社説)とした今回の発射実験の軍事的な位置づけをどのように見ますか。
まず、北朝鮮の発射実験の回数は他国よりかなり少ないですね。ノドンやスカッドミサイルのお得意さんであるパキスタンやイランで発射実験をやって開発を進めてきましたが、それを含めても少ない。とくに北朝鮮が自国から発射して見せるのは軍事的というより、政治的な発射実験だということです。ミサイルを外交交渉のカードとして使い、威嚇する。あるいは外貨獲等の手段とする。そうした姿勢が北朝鮮の国家的イメージを悪くし、他国から非難されている理由です。ルールの点で言えば、発射前に民間の船舶などへのアナウンスをやっていません。
金正日総書記はしたたかです。彼は軍部強硬派と改革開放派のバランスの上にいる。北朝鮮には権力闘争はなく、あるのは路線対立だと言われます。今回は軍部を前面に出してきたということでしょう。
――軍事的な発射ではなく「政治的な発射」だということですが、テポドンは約五〇〇キロしか飛ばず、米国と日本は「実験は失敗だった」と認定しました。そもそも北朝鮮のミサイルの性能、能カはどうなんでしょうか。
テポドン二号は開発途上のミサイルです。それも液体燃料型の、兵器としては古い、ダメなものですね。まあ、ハサミでも凶器になりますから、役に立たないということはない(笑)。先ほど言ったお得意さんもいますし。しかし、兵器として即応性に欠けることです。どういうことかと言いますと、液体燃料というのは非対称ジメチルヒドラジンに酸化剤を加えて作る。ジメチルヒドラジンというのは常温では気体で、冷却して保存しておかなければなりません。つまり、ミサイルの中に入れっぱなしにはできない。日本列島が標的と言われるノドンなどは通常、燃料が空の状態で移動式発射装置(トレーラー)に寝かして隠しておきます。その場所から出してきて、発射装置上で直立させてから液体燃料をマニュアルに沿ってゆっくり入れていく。そしてようやく発射。だからまったく即応性がないわけです。先進諸国はもうこんなものは使っていません。不便な液体ではなく、固体燃料が主流ですね。まだ液体燃料を使っているというのは技術的に低いレベルということで、今の北朝鮮に固体燃料を作る能力はありません。
経済制裁の最終段暗は
――なるほど。その低いレベルの兵器の政治的な発射実験に対して、日本政府は万景峰号の入港禁止、北朝鮮当局職員の入国禁止、航空チャーター便乗り入れ禁止など九項目の経済制裁措置を即座に講じました。この制裁措置のポイントと効果はどうなんでしょう。
経済制裁についての基礎的な知識のない政治家が多いですね。万景峰号の入港禁止ですべてだと思っている。経済制裁の最終段階は海上封鎖です。北朝鮮には東側に四、西側に二の計六カ所の主要港がありますが、人道的な使用を除いてそこに出入りする八割方の船舶を止めて検査を行なうわけです。検査となると当然、もめ事や衝突が発生します。したがって海上封鎖は経済制裁の最終段階であり、軍事制裁の最初の段階と言われています。もしここまでやるなら、北朝鮮は途中の送金停止などの段階で譲歩してくるでしょう。しかしこれをやるには米国と中国の協力が不可欠なんです。海上封鎖と船舶検査を米国が行ない、中国は北朝鮮にエネルギーと食料を入れない――。ポイントは中国ですね。
机上の空論 幼児の議論
――国連でも中国の動きがポイントになりましたが、小泉首相の靖国神社参拝で日中関係は最悪のままです。そうした中で、一部の閣僚から「座して自滅していいのか」という、いわゆる敵基地攻撃論も出てきた。要するに、何をするか分からない恐い国だから先にやっちゃえという宣戦布告のようなものでしょう。韓国ではとんでもない侵略の亡霊が蠢きだしたと強い批判が出ています。こうした事態をどのように見ますか。
いわゆる「敵基地攻撃論」というのは、机上の空論ですね。仮にそれをやるとしたら、二つのことを整理しなければなりません。一つは自衛隊に戦力投射能力を持たせること。もう一つは日米同盟を解消することです。まず、自衛隊からですが、いまの自衛隊は専守防衛を絵に描いたような戦力であって、外国を壊滅させる能力すなわち戦力投射能力はありません。具体的には陸・海軍含めて五〇万~一〇〇万人の兵士を他国に上陸させ制圧するといった能力がないわけです。これは西ドイツ(当時)とともに、日本が米国から「自立できない軍備」を求められているからです。日本やドイツが軍事的に自立しては、米国にとっては恐いわけですね。したがって、自立できる軍事力を整備するというのは、二つ目になりますが、日米同盟を解消するということになります。日米同盟解消ということになれば、膨大なリスクとコストが必要になります。
北朝鮮の軍事力の特徴は、通常の軍事力については資金不足で整備を断念しています。エアカバー(空軍の上空からの支援)能力も欠如していますね。ノドンの四、五発は核弾頭搭載の可能性もあります。全体としては安上がりで効果的な軍事力を模索しているわけです。また、先ほど述べたようにミサイルを政治的兵器として使う。特に見過ごしてならないのは、世界最大と言われる特殊部隊の存在ですね。八万五〇〇〇人から十二万五〇〇〇人と言われる特殊部隊が潜入、暗殺、破壊などの活動に出るでしょう。
そもそも先制攻撃であろうと反撃であろうと戦争の引き金を引く、戦争を始めるということです。自立できる軍事力と反撃を許さない能力がない限り、仮に戦争を始めることはできても終わりのシナリオは描けません。戦争を始めたけど終わり方を知らない。敵基地攻撃論というのは、まさに幼児の議論なんですね。
――それでも右寄りの論調の中にはノドン二〇〇発が列島に向いているといった不安を煽り、戦争ムードを盛り上げようという意図が見え隠れします。
木を見て森を見ずの議論ですね。米軍は横須賀にいるイージス艦七隻に、一三〇〇キロの射程距離がある巡航ミサイル・トマホークを計二〇〇発以上標準装備し、北朝鮮全域に向けていますよ。日本の安全を確かなものにする車の両輪は、軍事システムとしてのミサイル防衛などと、政治システムとしての日米同盟です。この二つが現在、私たちの税金で維持されているシステムです。ミサイル防衛はこれからですが、在日米軍経費だけで基地対策費を含めて総額六〇〇〇億円(二〇〇六年度)出しているんですからね。北朝鮮が日本に手を出せばただちに米軍が攻撃に出る。それについて日本側が心もとないというのなら米国ときちんと詰めるべきです。その結呆、米軍が対処できないというのなら同盟をやめるべきですね。
私の立場は、憲法前文の精神にふさわしい「日米安保の平和化」が必要というものです。日米同盟を進化させ世界平和へのロードマップを作るべきです。七発の発射実験でおたおたして、幼稚な「敵基地攻撃」論を振りかざすのはみっともないし、そのほうがよっぽど平和を脅かすことになるかもしれません。
写真撮影/佐藤類
おがわかずひさ/軍事アナリスト
第7期自衛隊生徒。同航空学校修了、同志社大学神学部中退。地方紙記者、週刊誌記者を経て1984年に独立。危機管理総合研究所代表取締役研究所長。外交・安全保障・危機管理に至るさまざまなレベルの分析に定評がある。
2006.09.09
『安倍氏ブレーン』どんな人? 靖国、拉致、教育問題…
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060909/mng_____tokuho__000.shtml
→Internet Archive
自民党総裁選が8日告示されたが、安倍晋三官房長官の当選は確実な情勢。その安倍氏を側面から支えるブレーンは「5人組」と呼ばれる保守系の論客たちだといわれる。どんな人物なのか。彼らの思想と経歴を検証すると、安倍氏が上梓(じょうし)したベストセラー本「美しい国へ」(文芸春秋)の原型が、くっきりと見えてくる。 (竹内洋一、山川剛史)
六月三十日。都内のホテルの一室に、安倍氏側近の一人、下村博文衆院議員を囲み、四人の学者・有識者が集まった。メンバーは、伊藤哲夫・日本政策研究センター所長、東京基督教大の西岡力教授、福井県立大の島田洋一教授、高崎経済大の八木秀次教授。ここに京都大の中西輝政教授を加え、安倍氏のブレーン「五人組」と称される。
この日は、靖国神社参拝問題などを議論し、「安倍氏は参拝に行くとも行かないとも明言しない」とする基本スタンスが確認された。出席者の一人は「以前から話し合っていたことで、その場で対処方針を決めたわけではない。この段階で安倍さんが四月に靖国神社に参拝していたことも知らなかったし、話題にのぼらなかった」と話す。
当の安倍氏は、四月の参拝が八月に明らかになった際に、参拝したとも、しなかったとも認めなかった。ブレーンの考え方を踏まえた対応のようにも映る。
■思いっきり保守5人組
関係者によれば、この五人のメンバーは今春からこの日までに三回程度、一堂に会し、「安倍政権」の課題について議論してきた。安倍氏本人にも政策的な助言をしてきたという。五人のブレーンたちは、どんな考え方を持ち、どんな活動をしてきた人物なのか。
伊藤氏は一九八四年に発足した保守系シンクタンクの所長。月刊誌「明日への選択」を発行し、憲法、歴史、教育、外交・安全保障など幅広い問題に保守の立場から提言を続けている。伊藤氏に「安倍政権」への期待を聞くと、「私は有識者でもないし、取材には一切応じないことにしています」とだけ話した。
伊藤氏は同誌一昨年五月号で「『個』と『自由』なるものは、家族や社会や国家という『共同体』の中でこそその内実を得るのであり、その意味でもまず最も基本的な存在である『家族』の意義に目覚めなければならない」と主張。安倍氏も近著「美しい国へ」の中で同様に家族の価値を強調している。
安倍氏を支持する民間団体「『立ち上がれ!日本』ネットワーク」の呼び掛け人の一人でもある。呼び掛け人には、中西氏、西岡氏、八木氏も名を連ね、「草の根」保守の結集を目指すとしている。八月末には都内で「新政権に何を期待するか?」と題したシンポジウムを開き、三百五十人を集めた。
西岡氏は、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)」の常任副会長として、安倍氏と共同歩調を取ってきた。ただし、「安倍さんとは救う会の副会長として会うことはあるが、直接ものを聞かれたこともないし、助言をしたこともない。下村議員や伊藤さんを介した関係で、決してブレーンではない」と話す。
島田氏も「救う会」の副会長で、「安倍首相」にはこう求める。
「北朝鮮への国際的な圧力を高めることが大事だ。弾道ミサイルを発射した北朝鮮に対し、国連安保理の非難決議が採択されたのは、日本がリーダーシップを発揮したからで、外交面で安倍さんの実力が証明された。米国も日本が動かなければ、中東問題を優先しがちだ。安倍さんには、同盟国・米国を引っ張って北朝鮮への制裁決議を実現してほしい」
さらに、いわゆる「従軍慰安婦」の強制連行を認めた河野談話を修正すべきだとして、「安倍さんにも直接、何度も言っている」と話す。「北朝鮮は、日本は拉致被害者より多くの従軍慰安婦を連行したと主張する。これに対し、日本政府は『人数が過大だ。すでに謝罪している』と反論しているが、これでは相手の主張を認めているようなもので、反論として最悪だ」
自身を含むメンバーが「ブレーン」と呼ばれることについては「安倍さんは常に自分の考えを自分の言葉で表現している。ブレーンというのは大げさ」と控えめだ。同時に「安倍さんは助言に対してビビッドで早い反応を示す。慰安婦問題でどこまで修正に踏み込むか、重要なポイントだと思う」と期待も寄せる。
八木氏は憲法や政治思想が専門で、「新しい歴史教科書をつくる会」の会長も務めた。主な著書には「人権」にまつわる日本の現状を批判した「反『人権』宣言」(筑摩書房)などがある。
学者や教育関連団体、議員、俳優などを発起人に十月に正式発足する「日本教育再生機構」の準備室代表でもある。同機構はすでに「安倍政権の教育再生政策に期待し、全面的に協力」する立場を表明している。
同機構準備室は(1)伝統文化の継承と世界への発信(2)心を重視する道徳教育の充実(3)男女の違いを尊重し、家族を再興−など五つを基本方針に掲げている。
■皇位継承問題『女帝』に慎重
皇位継承問題では昨年五月、有識者会議で意見を求められ、「女帝」容認論を「天皇制廃絶論者の深謀遠慮」と批判。「初代の染色体は男系男子でなければ継承できない。(歴代の天皇は)一度の例外もなく男系継承されてきた。事実の重みがある」と主張した。
ちなみに、安倍氏も「女帝」には慎重な立場だ。
一方、国際政治が専門の中西氏も、「現在の日本は歴史的衰退期にある」との危機感から、健全なナショナリズムに基づいた教育改革ひいては国家観の形成が必要だと説き続けている。
著書「日本の『敵』」(文芸春秋)では、日本の新しい国家目標に「歴史と伝統を重んじ、自立する日本」を挙げており、「精神面での誇りと自立意識の回復なしに、国際社会において責任感を伴った本当の協調と共存も不可能だ」と主張している。
安倍氏も日本の将来像として「自立する国家」「自信と誇りのもてる日本」を掲げており、重なる部分が多い。
国家観の形成とは切り離せない教育についても、中西氏は積極的に発言。三年前、中央教育審議会基本問題部会で意見を求められ、「教育基本法は、国民が国や社会の安全や危機管理に義務を負うことが前提になっておらず、日本のアキレスけんになる」と批判した。
最近まで「つくる会」の理事を務め、八木氏を中心とする日本教育再生機構にも代表発起人として名前を連ねている。
<デスクメモ> 総裁候補の三人は、いずれも涼しげな面立ちで、アクがない。毛並みのいいサラブレッドばかりだからか。一昔前の脂ぎった大物政治家たちはいまや希少種なのだ。政治家の家系出身でない総理を探すと、実に四代前の村山富市首相までさかのぼる。「格差社会」をつくったのが、どんな人たちかよくわかる。 (充)
2006.09.15
60年安保闘士の『岸信介』評
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060915/mng_____tokuho__000.shtml
→Internet Archive
各種調査で、次期首相に最も近いとされる安倍晋三氏。著書「美しい国へ」(文芸春秋)では祖父、故岸信介首相への敬愛と政治姿勢の継承を説いている。岸氏といえば「六〇年安保」だが、「安保後」生まれが社会の主流である現在、印象は薄い。安倍氏は幼かった当時の思いを記しているが、彼とは対極の位置で「反岸」に奔走した元学生指導者らはいま、岸氏をどう評するのか。
「美しい国へ」の第一章「わたしの原点」で、安倍氏は自らの政治信念の根底に、自らが六歳だった一九六〇年の日米安保条約改定への賛意と、それを成し遂げた祖父への尊敬の念があることを描いている。
■片務的条約対等にした
「祖父はこのとき、この片務的な条約を対等にちかい条約にして、まず独立国家の要件を満たそうとしていたのである。いまから思えば、日米関係を強化しながら、日本の自立を実現するという(中略)きわめて現実的な対応であった」
「祖父は(中略)国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真摯(しんし)な政治家としか映っていない。(中略)世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった」
安倍氏は自らの信念について、祖父の座右の銘でもあった「千万人といえども吾(われ)ゆかん(自分が間違っていないと確信すれば、断固として進む)」を引用しつつ、「確たる信念をもち、たじろがず、批判を覚悟で臨む」と結んでいる。
安倍氏が「どこかうさんくさい」と表現した当時の学生運動指導者らもすでに七十歳前後だ。彼らは四十六年前の安保改定、さらに岸氏個人をどうみるのか。
当時、東大教養学部自治会委員長で、全日本学生自治会総連合(全学連)中央執行委員だった評論家の西部邁氏(67)は闘争の指針は誤りだったと振り返る。
「そもそも安保条約の改定案なんか、ろくに読まなかった。私たちは『復活する日本帝国主義に痛打を浴びせる』と説いた。だが、対米関係で相対的に位置が高まる安保改定とそれとは別物。無理筋の話だが、心意気を守るのに暴れた。ただ、岸さんが自衛隊を治安出動させようとしたと聞いて、権力とは憶病なものだと驚いた記憶はある」
ただ、岸信介という政治家については、現在も違和感が残っているという。
■政界に復帰 感じる疑問
「彼は戦時中、満州国のリーダーだった人物だ。戦犯うんぬんを問わずとも、その後の戦争に関与した。その戦争で何百万もの日本人、アジア人が死んだ。それを考えたとき、よほどの理由がない限り、政界に戻るべきではない。人格に疑念を感じざるを得ない」
西部氏は、その点から「昭和の妖怪」と称された岸信介像をこう推察する。
「彼という人間には私的な人生がなかったのかもしれない。国家にかかわる自分の地位、政策にしか自分を見いだせない『巨大なロボット』。さほどの妖怪ではなかったのではないか」
関西(京大)で当時、学生運動を指導し、現在「9条改憲阻止の会」代表の桃山学院大名誉教授、小川登氏(70)は「(安保改定は)たしかに片務的な条約を双務的にした。ただ、それを日本の独立と呼んでも、戦前的な帝国主義に向かっての独立。さらに岸は安保改定と併せ、小選挙区制の導入、憲法改正も推し進めようとしていた。それへの闘いは現在から考えても正しかった」と総括する。
小川氏は六〇年安保闘争が未曾有の大衆動員を果たした理由として、敗戦から十五年という時期と、岸氏に対して人々が抱いていたイメージの二つを挙げる。
「私も戦時中は父が海軍だったせいか、海軍大将にあこがれた疎開世代。人々にはまだ、戦争や戦後直後も続いた飢餓の感覚が生々しかった。独立うんぬんより、戦時中に逆戻りしかねないという恐怖が大きく、民主主義を無視する岸の手法にそれは重なっていた」
■彼だからこそ 闘争が起きた
「あの闘争は岸が首相じゃなかったら、起きなかったと思う。彼はどんな手法を駆使してでも、自分の意見を通す。何をやるか分からない。それは戦時中に東条内閣をつぶしたときもそうだった。そんな強引な彼の性格を人々は危険視しており、闘争が拡大した」
小川氏はことし六月、数十年ぶりに六〇年安保当時の仲間など約二百人と「改憲阻止」を訴えて、国会周辺をデモした。「六〇年当時は人々に権力への警戒感があった。いまは学生に政治の話をしても『先生、そんな難しいこと、言わんといてくれ』という時代。昔よりも危うさを感じる」
同様に危機感を抱いているのが、政治評論家の森田実氏(73)だ。森田氏は現在は保守の立場だが、当時は激しい学生運動の屋台骨を築いた“先駆者”だった。
森田氏も安保改定は独立どころか「(米国への)永遠の従属条約。戦後最大の失敗だった」と酷評する。
「旧安保条約は事実上、占領下で(米国に)脅されて結ばされた条約。それは独立とともに破棄、解消するというのが国際的な常識だ。そうであるのに、安保条約の無効を訴えず、改定という事実上の継続で、米軍基地を今日に至るまではびこらせてしまった」
岸氏に対する評価は一段と厳しい。戦後の岸氏への戦犯不起訴という処分は日本を「反共の防波堤」にするという米国の対日政策の転換によるとされる。
だが、森田氏は「彼は満州で得た巨大な資産と人脈を駆使し、連合国軍総司令部(GHQ)に特別に厚遇された」と裏面を語る。
指導者の条件として、同氏は倫理と知性を挙げる。「岸の知性は抜群だ。超エリートの道を学生時代から歩んだ。しかし、倫理はひどいもんだ。首相時代に政権に協力させるため、(大物保守政治家だった)大野伴睦に次期総裁指名の念書を送り、ほごにした。政治家は目的のためならうそをついてもかまわない、と開き直った。デモ隊に自衛隊の銃口を突きつけようとしたのも、彼の根底にある選民意識、権力に固執する冷酷な精神を象徴している」
自衛隊出動は側近たちが首を縦に振らず、止まったが、晋三氏の現在は「猟官運動」が横行している。
森田氏は権力者は神を恐れるべきだと説く。
「だが、岸は神を恐れぬ人物だった。その岸をあがめる孫(晋三氏)も、それをまねるのだろう」
<デスクメモ>
安倍晋三氏は「私は政治のDNAは安倍晋太郎より岸信介から受け継いだ」と語る。ふと北朝鮮で客死した田宮高麿・よど号犯の話を思い出した。彼は晋太郎氏の急死に、我が身の悲運をのろったという。「これで帰国の道は途絶えた」と。十五年後、北朝鮮拉致事件追及で晋三氏は脚光を浴び、総理になる。
きし・のぶすけ 1896年11月、山口県生まれ。「秀才」の誉れが高く、東大卒業後は農商務省に入省。36年10月、満州国国務院総務司長に就任した。41年10月に東条内閣に商工相として入閣。44年、現職閣僚だった当時、辞任を拒んだことで東条内閣は総辞職した。敗戦後、A級戦犯容疑者として逮捕されたが、米の反共政策への転換で48年に不起訴、保釈。自由、民主両党の保守合同を導き、56年、石橋湛山内閣に外相として入閣。2カ月後、石橋首相が病に倒れ、後継首相となった。79年に政界を引退、87年に90歳で死去した。
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