防衛庁⇒防衛省昇格法は野党を分断し民主党を右に追いやり取り込むためのかく乱法案だろう。敵が矢継ぎ早にパンチ(防衛省昇格、教基法、共謀罪)を繰り出している今、民主党をたたいたところで、何の益もない。おだて、励まし、ある時は尻をたたき脅して仕事をさせるしかない。(笑)
片や教基法は、安倍たちにとって、最短でも10年のスパンで最終的な効果を見込んでいる長期戦略だ。
現場の先生方にとっては厳しい締め付けが待っているだろうが、現在の小学一年生の頭の中身がリセットで創価色や統一色に急に染め上げられる訳でもない。一瞬ケロンパッで二十歳の青年になる訳でもない。
防衛省昇格法も、教育基本法も言論の自由さえあればまた戻すことも可能だ。以前、「一度通ったらもう元に戻せない」とか何とか書いている馬鹿がいた。馬鹿と言って悪ければ、敵の回し者だろう。もし万が一、教基法が国会を通ってしまった後の脱力感を増幅させるための工作者だ。
最近思うのだが、はっきり分かるネットウヨとかはぜんぜん大したことない。気をつけなければならないのは味方ヅラした敵の工作者だ。
あちこちのブログのコメントなどでもチラホラ見る。公平な第三者の客観コメントを装いながら最終的には運動を貶める書き込みをする奴もそれだ。(笑)
それにしても、急速に嫌な雰囲気の社会になりつつある。こういう時はナンセンスな事は徹底的に笑殺するしかない。
「冬来たりなば春遠からじ」「朝の来ない夜はない」「歴史は二度繰り返す。一度目は悲劇で二度目は喜劇(茶番劇)」、みんな、これだ!
敵はわれわれが脱力してあきらめるのを待っている。
とらちゃん、デカルトさん、その他のみんなヘコタレルな、絶対に勝つぞ!!!
嫌な時代だけれど、こんな時にはこの歌でも聴こう。(最後の方の盛り上げ部分はなし、全部を聴きたい人は下記のアフィリエイトバナーをクリックして購入してください。)
時代
作詞・作曲:中島みゆき/編曲:瀬尾一三
今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
もう二度と笑顔にはなれそうもないけど
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ時代は回る
喜び悲しみくり返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わってめぐり逢うよ
旅を続ける人々は
いつか故郷に出逢う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく
冷たい雨が降っていても
めぐるめぐるよ時代は巡る
別れと出逢いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
まわるまわるよ時代は回る
別れと出逢いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
参考:
良心的「日の丸・君が代」拒否教育現場での強制・大量処分と抗命義務
前書きなど
序 この国の地金を変えていく一歩(抜粋) 高橋哲哉
いま日本の政府は、グローバル化の中でアメリカと一体化して軍事戦略が展開できる方向に法律を改定し、それを支える「国民精神」なるものを作ろうとしています。
戦後の民主主義と平和主義が最終的に捨て去られる方向に向かっているといわざるを得ません。私はこのことをこの国の地金が出てきたと言ってみたいと思います。この数年間、その地金がむき出しになりつつあるのです。言い換えると、戦後の民主主義・平和主義というものがもしかしたらメッキにすぎなかったのではないか、という疑問を禁じ得ないということです。
このまま行けば、為政者たちが望むように憲法の平和主義が変えられ、天皇が元首化されたり、国民に国家防衛義務が課されたりするかもしれません。それどころか、憲法の政教分離原則の見直し案すらも自民党の中から出てきています。
この国の地金は明治国家以降、敗戦までの歴史でつくられたもので、侵略戦争を繰り返し、植民地帝国をつくり、その中で民族、階級、ジェンダーの差異による差別を作って帝国を維持してきました。戦争と差別のシステムといっていいでしょう。
敗戦によって民主主義と平和主義の国家になったのは、新しい憲法と教育基本法がそのような国家を規定したからです。果たして一九四五年の敗戦、破局によって、かつての日本の国の地金が本当に解体されたのか。今、それが非常に疑問です。実際、歴史的にいえば、日本はドイツとちがって天皇の戦争責任を追及しないとアメリカが決めていて、オーストラリア、中国、ソ連などをおさえて免責してしまいました。占領軍は象徴天皇制というかたちで昭和天皇を延命させたわけです。同時に東京裁判でA級戦犯として裁いた旧権力者についても冷戦激化のなかで結局責任追及は中途半端に終わってしまい、かつて権力の中枢にいた人たちが復権してしまいました。その象徴が岸信介首相です。それは政界だけでなく、官界も産業界も財界もマスメディアも司法界も大学・教育界もそうです。そういう意味で、戦前・戦中と戦後の連続性が、私にはドイツに比べてきわめて強いと見えるのです。
それでも、かつては戦争の記憶を持つ国民感情の中で、憲法や教育基本法を変えられると昔に戻るのでそれは嫌だという意識があった。あるいは七〇年代から八〇年代の経済成長の結果として消費社会が爛熟し、中曽根首相が国家主義の旗を振っても「いや楽しいからいいです」といってそれは受け入れられなかった。しかしこの間、そういった条件が次々となくなっていきました。つまり世代交代と歴史教育の不在、公教育での現代史教育の弱さによって戦争の記憶が失われかけてきている。同時に経済成長という条件ももはやなくなってしまった。そういう中で為政者側は、ついにかつての地金を復活させるチャンスが到来したと思ったのではないでしょうか。
そこに分かりやすく現われたものが、この「日の丸・君が代」問題です。これもまた敗戦によってなくならなかった。ただ抵抗勢力があるうちは実施が困難だっただけです。しかし、今まさに完全復活を遂げようとしている。
私は日本の民主主義・平和主義というものに未来があるとすれば、この地金そのものを変える、民主主義と平和主義を地金の中に組み込む努力なしにはだめだと思います。メッキなんてとんでもない、民主主義と平和主義の運動はずっとあったというのは本当ですが、その運動が果たしてこの国の地金を変えられたのかというと、そうではなかったからこそ今日の状態に至っているのではないでしょうか。
そうすると先が暗いように見えますが、しかし、いま「日の丸・君が代」にこれだけの人が抵抗した。それが地金を変えていく一歩です。憲法や教育基本法改悪に今、抵抗する。改悪を阻止する運動そのものが地金を変えるための一歩です。この流れでいくと最悪の場合、憲法も教育基本法も改悪されてしまうかもしれない。しかしそうなったとしても、最終的に私たちの民主主義・平和主義の根拠は憲法でも教育基本法でもない。仮に改悪されてもそれで終わりではなく、むしろそのときから地金を変えるためのねばり強い運動が始まらなければいけない。そのときの貴重な一歩が、この「日の丸・君が代」強制に対する闘いだと思います。思想・良心の自由がどんなに重要なものなのか、私たちが経験の中から確信するまで私たちのなかに根づくことはないからです。
(東京大学教員)
参考記事で、これにはこのバナーとこのアフィリエイト。(笑)
「[安倍晋三]安倍晋三内閣不支持87%、支持率11%」
「内閣支持率40%の低下…て元が高過ぎただけでは?」
女性・若者ターゲットの安倍ヨイショTV映像(ここまでするかマスゴミ)
で次はこれ。そうとうビビッている模様。(笑)
「美しい国の首相は、今は国民の審判を仰ぎたくないらしい」
参考記事:
2006-11-13 福島知事選・自民敗退に見る本格的な「ロングテール時代」の予感
■[希望のトポス]福島知事選・自民敗退に見る本格的な「ロングテール時代」の予感
(略)
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