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2005年5月17日 (火)

JR西日本、ブレーキなき組織の暴走体質【日経BP】→読みごたえあり、待ってたこんな記事。

 こういう記事を待っていた。鋭い切り口。やはりJR西日本幹部の責任は大きい。

 それにしてもTVはNHKのニュースまでもがボーリングがどうのこうのとワイドショー化で救いようがなかった。同じ取上げるにしても、下記の記事のような切り口でならネット世論もそんなに非難の声をあげなかっただろう。TVが三流週刊誌のマネをするくらいならうるさいから黙ってろ、って感じ。

 NHKはもっと掘り下げた番組を作れ。できなければ公共放送の看板をおろすべし。


JR西日本、ブレーキなき組織の暴走体質【日経BP】
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/biz/374801

2005年05月17日 00時00分

そのカーブが近づくと、ベテランの運転士ですら緊張感が高まるという。

「魔のカーブ」それは100人超の死者を出したJR西日本の尼崎脱線事故現場ではない。大阪府の南端、同社の阪和線にあった。

大阪の天王寺駅を出発した特急「オーシャンアロー」は、阪和線の終点、和歌山駅を目指して61kmをノンストップで走り抜けていく。そして直線を時速 120kmで飛ばして和歌山県との県境に近づいたところで、列車は急ブレーキをかける。大きく左に旋回し、カーブの途中にある和泉鳥取駅に突っ込むように通過していく。

「ノロノロ運転で走る時代の路線だよね」。運転士は苦笑する。

特急が走る路線に、これほどの急カーブが存在することには訳がある。

阪和線が開通したのは1930(昭和5)年のこと。大阪の中心から南へと延びるローカル線は、そもそも時速120kmもの高速で走ることを考えて敷設されていない。「103系」という40年前に開発された列車が、今でも現役で走っているほどだ。

ところが、時代が変わって「鈍行列車」と同じ線路の上を、特急や快速が走り抜けていく。特に、94年から関西国際空港へのアクセス鉄道となると、特急や快速の本数は急増した。18年前の民営化時に平日124本だった快速列車は、今では倍の数に上る。過密ダイヤ、長い直線の後の急カーブ、そして新型自動列車停止装置(ATS-P)の未整備区間…。和泉鳥取駅は、尼崎脱線事故の状況と酷似している。

危険なカーブ――。JR西日本の運転士や車掌たちは、京阪神路線網「アーバンネットワーク」に、こうした地点が複数あると証言する。

大阪の中心部から東に延びる大和路線(関西本線)。ここにも、脱線現場とよく似た場所がある。奈良駅を出発して郡山駅方面に走り出すと、約3kmの直線がある。ここで一気に加速すると時速120kmに達するが、直後に曲線半径400mの左カーブが出現する。その手前で急ブレーキをかけて85kmまで減速しなければならない。ここも運転士が恐れるカーブの1つだ。

「F1で田舎道を走る」

「日本中の危険なカーブを探すと、JR西日本のアーバンネットワークに集中している。このことは決して偶然ではない」

ある鉄道関係者は、そう言ってはばからない。それも、大阪周辺にあるかつてのローカル線に集中しているという。福知山線も、86年までディーゼル機関車が走っていた路線だ。旧国鉄時代、快速列車は1本も走っていなかった。

民営化を境にして、状況が一変する。89年に快速が走り始め、その後、高速化が進む。97年に大阪・梅田地区を通るJR東西線が開業すると、そこから学研都市線にもつながり、「通勤大動脈」へと変貌を遂げた。そして、高速化と増便を繰り返して、乗客を増やしていく。阪和線や大和路線も、同じような経緯をたどって、貧弱なローカル線から、主要路線へと脱皮してきた。

ところが、その過程で生まれた歪みが、今、JR西日本を大きく揺さぶり始めている。

「下の部分(線路や路盤)が改良されていないのに、上の部分(車両)だけが高速化されてしまった」(元JR鉄道総合技術研究所主任研究員の芳賀繁・立教大学教授)

急カーブが多くても、さほどスピードが出ない旧型列車が走っている分には、あまり問題にならない。だが、最高時速120~130kmという新型車両を投入するとなると話は別だ。

「極端に言えば、F1マシンで田舎道を走るようなもの。高い性能を発揮すると危険な状態に陥る」(鉄道関係者)

にもかかわらず、JR西日本は、ローカル線時代の貧弱なインフラに大きく手をつけず、高速化と増便を推し進めてきた。この転換なくして、事故は避けられない結末だった。

ディーゼル路線がドル箱に

判断が狂った原点をたどると、18年前の旧国鉄分割民営化に行き着く。兄弟会社のJR東海には東海道新幹線、JR東日本には山手線を中心とした首都圏路線が割り与えられた。

ところが、巨額債務を負った割に、JR西日本の収益源は、ぱっとしなかった。強いて挙げれば山陽新幹線と大阪周辺の鉄道網だが、その山陽新幹線の輸送量は、東海道新幹線の半分にすぎない。目につくのは、路線の半分を占める赤字ローカル線と、膨れ上がった5万人もの職員だった。

「ハンディキャップを抱えながらも、他の2社に引き離されたくなかったんでしょう。本来ならば、国鉄時代末期には東京地区の路線と新幹線を除けば投資不足で、鉄道施設が老朽化した。まず設備を更新して、時代に対応できる安全の基盤を作るべきだった。だが、JR西日本は巨額の投資をインフラ整備に充てなかった。カネが調達できなかったわけじゃないが、胆力がなかった」(証券アナリスト)

JR西日本は全く逆の策に打って出た。ローカル線をフル活用して、増収を図る。その方法が、大阪環状線や東海道本線といった基幹路線との接続パイプを太く滑らかにすることだった。ローカル線の乗客を大阪の中心部まで一気に運び込む鉄道網にする。あとは高速化と増便を進めていけば、乗客は私鉄から流れてくると読んだ。お荷物のローカル線を、さして投資をせずに高収益路線に転換させるわけだ。

当初、この目論見は見事に当たった。

その典型的な成功例が福知山線だった。路線の中間地点にある兵庫県三田市がポイントとなる。人口4万人強だったこの地で、ちょうどJR西日本が発足した87年からニュータウンの分譲が開始される。その後、10年連続で人口増加率日本一を記録すると、貧弱なローカル線が、高速化と増便を繰り返して乗客を増やしていく。

煽りを食ったのは阪急電鉄だった。

「80 年代初め頃まで、三田市民は福知山線を宝塚駅で降り、うち(阪急宝塚線)に乗り換えて梅田に出ていた」(阪急電鉄社員)。ところが、民営化3年目の89年にJR西日本は福知山線に快速列車を走らせる。その数は年々増加し、最近では1日200本を超えていた。また、普通列車も民営化後の18年間で93本から 167本へと増強。高速化も図られ、JR新三田駅から快速に乗れば、41分で大阪駅に到着する。一方、宝塚駅で降りて阪急宝塚線の急行で大阪(梅田駅)に出ると、乗り換え時間も含めて1時間ほどかかってしまう。料金もJRの方が安く済む。

私鉄から乗客を奪う――。

それは、福知山線ばかりではない。大阪周辺のローカル線で、同じ戦略が展開された。

「学研都市線は、今でこそ梅田地区まで直通で入ってくる通勤路線になったが、民営化前は私鉄より利便性が劣っていた」(私鉄役員)。ここも、88年に快速運転を始める。91年には、尼崎脱線事故を起こした高速車両「207系」を投入している。阪和線も91年に大阪環状線への直通運転を始め、94年には関空特急を走らせている。

大阪の中心から放射状に走るJRの旧ローカル線が、高速通勤路線に生まれ変わる。私鉄優位だった京阪神地区の鉄道の勢力図はガラリと変わった。徐々に乗客がJRに取り込まれ、形勢が逆転していく。87年時点に比べて、在阪5私鉄(近鉄、南海、京阪、阪急、阪神)の輸送人員は2割も落ち込んだ。逆に、その間のJR西日本の乗客は2割増で、「独り勝ち」となった。

だが、有利な戦いの武器となった高速化は、限界点に近づいていた。それは、現場の職員ほど敏感に感じ取る。運転士が「危険なカーブ」の場所を次々と指摘できるのは、インフラと最新車両の「ハードのミスマッチ」が危険水域に達していることを物語る。

飲み会出席で評価アップ

なのに、JRは高速化の旗印を最後まで降ろさなかった。ハードによる高速化と増便が限界に達した路線では、ソフト(運用)で壁に挑戦した。

こんな逸話がある。2001年オープンしたユニバーサル・スタジオ・ジャパン。この時、JR西日本は大阪駅からユニバーサルシティ駅への直通列車を計画し、「10分運行」を目指して試運転するが、どうしても12分かかってしまう。そこで、途中駅の停車時間を、規定の20秒から15秒に短縮したり、「ドアが閉まります」というアナウンスの前のブザー音を省略するなど、「時短」のための様々な試行錯誤を繰り返したという。そうした結果、やっとのことで11分を切って10分台の運行時間を達成したというのだ。

そんな限界への挑戦の最後の砦は、人の技量に頼ることだった。

「時速120kmで走っていって、短時間に50kmも速度を落とす。そんな離れ業は、ベテラン運転士ならともかく、経験11カ月の若手にできるはずがない」。ある私鉄の鉄道事業本部長は、事故の報道を聞き、驚愕したという。

それでも、人員削減の煽りで、20歳そこそこの若手を運転席に座らせざるを得なかった。経験の浅い分は、徹底した管理によって埋めようとする。分厚いマニュアルを作成し、運転士の一挙手一投足を厳しく監視した。違反すれば、「日勤教育」が待っている。

だが、「JR西日本はマニュアル管理を強化しすぎて、想像力の働かない組織になってしまった」と検事でもある郷原信郎・桐蔭横浜大学法科大学院教授は指摘する。

事件後に「非常識」と非難された社員のゴルフコンペや宴会への参加。実は、驚くべきことに、行動マニュアルとして明文化されている。

それは、ある部署が作成した、人事評価の資料にあった(写真参照)。評価項目で、こんな行動を求めている。

「各種イベント等の積極的推進による職場活性化への貢献」

そして、自己申告シートでは、部署の主催旅行や社内行事に参加するかどうか明記する。つまり、ボウリング大会や飲み会に出席すれば、人事評価が上がるというわけだ。

こうして作られた「想像力欠乏組織」は、もう止まることができなかった。経営陣は高速化と増便という戦術を押し通し、現場もひたすら予定ダイヤの順守に努めた。その結末は決まっていたに違いない。現場の誰かが操作ミスをするまで、暴走は止まらなかった。

関係者は、荒療治を促す。

「創業的な出直しをしないとダメ。過密ダイヤの是正だって、国鉄時代に戻すくらいの大胆な決断が必要ではないか。すべて間違っていたと認めるくらいでないと、誰も変化したと信じてくれない」(金田 信一郎、中野 貴司)

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 JR西日本における災害についての報道ももはや一段落したかのような風潮がある。い [続きを読む]

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