あの日と同じ「6・15国会周辺」憲法9条を守れ! 元全学連46年ぶりデモ【東京新聞 Webになかったので紙から】
諸先輩を激励すべく、blogospherの影響力を使って広報活動してさしあげようと思います。
若い世代からの連帯の気持ちを込めた押しかけ参加と言うのも良いのではないかと、勝手に思っています。この日ばかりは、じっちゃんばっちゃん達が先導する後ろにズラ~~~ッと若い世代が敬意を表して静かにつき従うなんて光景、想像しただけで素敵でゾクッとしませんか。(微笑)
※当時の総理大臣岸 信介の孫が、安倍晋三現内閣官房長官です。安倍はカルト宗教統一教会とのつながりや安晋会をとおして暴力団とのつながりが言われているようですね。
※いつもはOCR処理で起こすのですが、文も短いのでタイピングしました。最初何箇所かあった誤変換や入力漏れの所をすぐ気がついたので訂正しました。
あの日と同じ「6・15国会周辺」憲法9条を守れ! 元全学連46年ぶりデモ【東京新聞 Webになかったので紙から】
60年安保を闘った学生運動組織・全学連(全日本学生自治会総連合)の元メンバーたちが15日憲法9条の改正反対(※SOBA注:改悪反対でしょう、ったく、東京新聞が)を訴え、、国会周辺でデモを行う計画を進めている。1960年6月15日、日米安保条約改定に反対する学生、市民約10万人が国会を取り囲んだ大衆デモから46年、平均年齢70歳近い元学生たちは「若さは失ったが、平和への思いは変わらない」と意気軒昂だ。
桃山学院大名誉教授の小川登さん(70)=大阪、著述業蔵田計成さん(71)=東京=ら33人が世話人・呼びかけ人となり企画した。みな当時の全学連の役員・主要メンバーだった人たちだ。
デモは15日午後4時、東京・日比谷公園を出発。46年前の「6・15デモ」で警官隊との衝突の際亡くなった女子学生樺美智子さん=写真=の遺影を掲げ、約1時間かけて霞ヶ関から国会周辺を行進する。樺さんが死亡した南通用門で献花を行う。今回は"国会突入"のない順法デモだ。
きっかけは、今年1月、小川さんに届いた教え子からの年賀状だった。「憲法改正の動きに、先生はどうなさるのか注目しております」と添え書きがあった。60年代の「政治の季節」が終わった後、政治運動から距離を置いていた小川さんは「今こそ動かなければ」と心を揺さぶられた。「遺言状を書くつもりでの再出発だった」
署名運動や国会傍聴など小川さんの動きを知った全学連時代の知人たちの輪が広がり、「6・15デモ」再現に行き着いた。軍国主義と飢えの時代を知り戦後民主主義の洗礼を受けた世代に、平和憲法は特別な輝きがある。「9条改正は見逃せない問題」と世話人の蔵田さん。「ここに至るまでもっと何かできなかったのか、責任を果たしてこなかったという悔いがある。無念さを抱いて人生を終わりたくない」
蔵田さんらは5月下旬、全国の元全学連関係者ら約千人にデモ参加を呼び掛ける手紙を送った。
約千通のうち、既に亡くなったり住所不明だったりで戻ってきた手紙も少なくない。「賛同できない」と返事してきた人たちもいる。蔵田さんは言う。「いったい何人が再結集するのか、それもまた楽しみです」
※樺美智子さん遺稿集『人しれず微笑まん』より
『最後に』
誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ
1956年 美智子作 「人しれず微笑まん」より
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コメント
TBできないのでコメントします。私も紹介させていただきました。
http://henrryd6.blog24.fc2.com/blog-date-20060611.html
投稿: ヘンリー・オーツ | 2006年6月11日 (日) 13時14分
ごめん下さい。
再三TBを試みますが成功しないので、コメントします。
面白い記事を紹介して頂いてありがとうございました。
投稿: MNG | 2006年6月12日 (月) 23時36分