作家の城山三郎さん逝去、11月19日日比谷公会堂の佐高信さんとの対談の録音をご案内しておきます。ご冥福を心よりお祈りします。
去年の11月19日です。当日集会に参加して録音しました。「ちょっと待った、緊急市民集会行ってきました。(旗ふるな、旗ふらすな、旗伏せよ、旗たため、限りある命のために)追加。(携帯版←こちらはかなり軽いです)」(インターネット放送、mp3で城山三郎さんの声を聴けます。)のエントリーにアップしてあります。飄々とした中に、なんとも言えぬユーモアのある語り口でした。
作家の城山三郎さん死去 経済小説の開拓者【朝日】
2007年03月22日18時49分
経済活動から日本人の姿を浮き彫りにする経済小説の開拓者で、「小説日本銀行」「落日燃ゆ」などで知られた作家城山三郎(しろやま・さぶろう、本名杉浦英一=すぎうら・えいいち)さんが、22日午前6時50分、間質性肺炎のため神奈川県茅ケ崎市内の病院で死去した。79歳だった。通夜・葬儀は近親者のみとし、後日「お別れの会」を開く。喪主は長男杉浦有一さん。
城山三郎さん
27年、名古屋市生まれ。東京商科大(現一橋大)卒業後に創作活動を始め、商社マンの悲哀を描いた「輸出」で57年の文学界新人賞を受賞。59年には「総会屋錦城」で直木賞を受賞した。
作品の題材は多彩で、実業家・渋沢栄一の姿を通して背後にある時代と国家の姿を描いた「雄気堂々」、足尾銅山の鉱害と闘う田中正造を主人公にした「辛酸」など、社会や組織と人間との関係をつきつめた。
ほかにも、流行語にもなった「毎日が日曜日」「男子の本懐」「粗にして野だが卑ではない」など多くの作品がある。本紙には85年に「秀吉と武吉」を連載した。96年に菊池寛賞、03年に朝日賞を受賞。
以上、転載終わり。
※雑談日記への連絡メールアドレス: メール送信
メールが多いので、見逃す場合があります。確実に連絡を取りたい場合にはコメントでの通知と併用してください。
| 固定リンク
« 三国人発言、シナ発言、ババア発言、フランス語は数を勘定できない発言⇒都民としてそんなあなたが恥ずかしい、もう沢山だ、うんざりだ。 | トップページ | 志位の「共産党と無党派が一緒になって」のフレーズにも笑ったが、「週刊金曜日」に激怒する共産党の滑稽。 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント