社会的弱者の「弱者」を使っていながらよく浅野さんを罵倒できるね。文系頭が政治に口を出すと碌なことはない。石原にも言えるが、。
「浅野史郎、参議院選挙に出馬か!」で浅野史郎さんの選挙公報の公約中、「生きる力がもっとも弱い人が、地域の中で安心して暮らせる東京」のところを、
>「社会的弱者」に対する侮辱であり
と糾弾し、
>潜在意識にある差別意識の表れである、と看做せる。
とまで言っている。なんだかなあである。
浅野さんが「生きる力がもっとも弱い人」と言っているのは、言葉を変えるなら「弱者」「ハンデキャップ」のある人の意味で言っているのじゃないの。
この筆者が例に挙げている身体障害者などは「弱者」に間違いないでしょう。それとも「強者」とでも言うのだろうか。
そもそも、政治と言うのは「動詞と目的語」の世界である。安倍は「美しい国」と形容詞を使いまくって嫌われた。文学をやっているのじゃあるまいし、政治と言うのは客観的な基準に基づく対象に対して、具体的な施策をやるのが役目だ。
文学的言葉の世界の人のようだが、「推定」するならまだしも「看做す」とはどういう神経をしているのか。(笑)
※本当は、安易に文系、理系と分けたくないのですけれどね。「いわゆる」と言うことで使わせていただきました。文系、理系に関してのエントリーは「阿部 謹也先生を悼む。」を参照願います。
ざっと表題をご紹介すると、
明治の近代化から生まれた学問の「文系・理系」の区別
――「文系・理系」という分類の弊害をあちこちで説いていらっしゃいます。学問本来の重要な役割が日本ではなおざりにされている
――制度としての大学・学問のあり方に聞題があるわけですね。文系・理系の分類にとらわれない学問のおもしろさを教えたい
――先生が望んでいらっしゃるのはどのような学問のあり方なのでしょうか。「世間」に無自覚・無批判なのが日本の学問の最大の問題点
――日本にはまだ本当の学問が根付いていないということでしょうか。
です。なかなか示唆に富むインタビューです。
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