再建日本の出発 1947年5月日本国憲法の施行 国立公文書館春の特別展行って来ました。明日の5時半までです。
※(2010-12-31 17:35):写真などの写りが悪いので後で入れ替えます。この当時はカメラも、プリンタのスキャナも現在よりお粗末でした。今はプリンタはエプソン、カメラはニコン、PCはMacです(汗)。
10時半ころに到着し、資料を食い入るように見てきました。お昼を食べるのも忘れて結局見終わって出たのは3時過ぎでした。36頁にわたる良くまとまった展示資料のパンフレットをもらってきました。資料の写真がふんだんに載っていて、本当に心からサンクスと言った感じでした。立花隆さんが紹介していたのは、その通りだった。本当に無料とは信じられない充実した展示でした。
展示は憲法だけではなくて、関連する憲法に基づく経済再建の資料なども展示されていました。
なかでも経済再建――第1回経済白書「政府白書の必要性」のタイプうちの原稿が興味深かったです。
42、政府白書の必要性 昭和22年6月1日
外国には「鞭と人参」という諺がある。馬を欲する處へ引いてゆくには、鞭で打つか、人参を鼻の先でひらひらさせて歩かすかの二方法しかないというのだそうである。戦時中の我々国民は軍閥官僚とその手先の憲兵と警察という鞭で叩かれ、「勝つまでは」「勝ったならば」という人参でつられて敗戦まで引きずられて来た。
敗戦後、この鞭も見せかけの人参も消えうせたのは誠に結構なことであるが、その後の国民の足並みは、ばらばらとなって、自己およびその家族の生活の維持のためにのみ汲々としてゐる。このばらばらになった国民の足並みが再編という方向へ揃うための条件は民主日本において鞭の使用は許されず窮迫する現状から甘い人参もあり得ないとすれば、八千万国民の自発的総納得による協力以外にはない。国民の納得なくして、ヤミ取締りをやり抜こうとすれば国民一人について一人の経済警察を必要とするであらう。納得は何から生まれるか、実情の把握より生ずる。
戦時中およびその前の長い期間あらゆる「実態」は我々国民の眼から遮断されていた。従って戦後ぼつぼつ発表される「数字」についてもその意義を完全に把握するに慣れていない。しかし八千万の総納得は、例えば国民経済を我々の家計と同程度に明確に把握することから生ずる。従って私は政府が実態を我々国民が判り易くしかも正確に発表する努力をすべきだと考えるのである。それが計画経済の唯一の基盤となるであらう。
英国は戦前から政府白書を発表して国民に現下の重大問題を解説していた。例えば、戦時中の国民所得の配分についてはそれが経済的抗戦力の暴露であるにも拘らず、戦時中なるが故に益々国民の協力を必要とするからという理由で果敢に発表して来た。又本年初頭、国民に戦後経済の困難なことを報せるために発表せられた経済白書の冒頭において「いかに国家が難局にならうとも国民に復蔵(復はママ)なく事態を説明することは、民主主義的政府の義務である」と述べている。八千万総納得とそのための国民経済の自家の家計的把握、その前提として政府白書の継続的発表を促す所以である。
まさに、先の都知事選で浅野さんが「情報公開と言うのは資料をただ見せると言うことではない、大切なのは情報を伝えて問題意識を共有することなのです」と言っていた、そのさきがけとなるような資料で興味深かった。
※写真撮影禁止だったので、陳列ケースにへばりつきならが大学ノートにメモしました。本当に疲れました。復蔵は本来腹蔵でしょうが、間違ったまま記述しておきます。助詞の「が」が「か」になってましたのでそこのところは読みやすく直しました。それ以外の「するであらう」とかの旧仮名づかいは雰囲気を感じさせるためにそのままに残しました。Googleで検索しても、トピックスの話題として以外では出てこなかった。この資料のテキストは出てこなかったです。これからは、「第1回経済白書」とか「最初の経済白書」と検索するとこの雑談日記のテキストが元になった検索結果が出るようになるかもネ。
貴重な資料を眺めながら、「自分は正に現憲法の中で、いだかれる様にして今まで生きてきたのだな。それにしてはまだまだ憲法への感謝の気持ちが足りなかったな」と、思わずこみ上げてくる感情に涙ぐみそうになりました (^^;。
今回の特別展以外のパンフレットももらってきました。いずれも充実した内容です。すべて無料です。
右側は民間有識者(憲法研究会)でも憲法改正草案の作成が進められていて、その時の憲法草案要綱です。参加者は高野岩三郎、馬場恒吾、森戸辰男、杉森孝次郎、岩淵辰雄、室伏高信、鈴木安蔵です。大日本憲法になかった「主権在民や人権尊重などを掲げており後のマッカーサー憲法草案に影響を与えたといわれています」の説明があります。杉森孝次郎と鈴木安蔵の名刺が添付されていて杉森氏の方には内閣側面接者が書いたらしい12月26日の走り書きがあります。
左の写真には、16 日本国憲法公布式典において賜った勅語の説明があります。Google検索、Wiki Pediaの検索でこの勅語について出てきますが、写真は出てこないですね。この写真だとなんだか分からないのでスキャンしてPDFでアップしました。
現憲法の原本の写真です。
年表です。憲法について書くときかなり助かりそうです。
展示されている資料の一覧です。
コースの最後のところ右側の大きな展示ケースに現憲法の原本と大日本帝国憲法の原本が展示されています。通路の左側は現憲法の複製がすべて各ページを開いた状態で展示されています。下が旧憲法を改正して修正の朱の添削が書き加えられているもの。上の列が現憲法の複製です。左の写真は上記書いた大日本帝国憲法の原本の写真です。当日写真撮影は禁止(警備員がケースの横に一日中立ってます)だったのでWiki Pediaの検索で拾ったものです。
内閣総理大臣 伯爵 黒田 清隆
枢密院議長 伯爵 伊藤 博文
外務大臣 伯爵 大隈 重信
海軍大臣 伯爵 西郷 従道
農商務大臣 伯爵 井上 馨
司法大臣 伯爵 山田 顯義
大蔵大臣兼内務大臣兼内務大臣 伯爵 松方 正義
陸軍大臣 伯爵 大山 巌
文部大臣 子爵 森 有礼
逓信大臣 子爵 榎本 武揚
大臣の序列をどう決めたのかも興味がありますが、最後に榎本武揚の名が有るのにもあらためてちょっとビックリでした。維新の動乱の中で賊軍として五稜郭に立てこもって戦った方ですからね。能力の有るものはかつての敵でも登用したと言うことなのでしょうか。
追記:国立公文書館のHPの「経済再建、第1回経済白書」のところに、
拡充された経済安定本部が本格的に始動するのは、6月以降でした。最初の白書といわれる「経済実相報告書」は昭和22年7月4日に国会に提出されています。
とあって、「全文を見る」のリンクがあり最初の経済白書といわれる「経済実相報告書」を見ることができます。しかし、リンク先に行くとPDFではなくJPG画像で甚だ使いづらく見づらい。最後の結語の部分をいったんキャプチャし印刷、それを見ながら手入力してみました。下記です。
第三、結語
一、われわれは従来まで、ともすれば、現実を正視する勇気にかけていた。
今は過去となった悪夢のような戦争のさ中でも、望まぬ現実には眼をおゝい、望む方向には事実をまげようとする為政者のきようだな態度は、はかり知れぬほど国民にわざわいした。
こゝに述べてきたわが国経済の実状は決してなまやさしいものではない。
この報告書は已むをえぬ事情もてつだつて、全てをつくすことはできなかったが、事柄の容易ならぬものであることを、国民各位に伝えるのに不十分であったということはできないだろう。問題は、単に、人間の体にして見れば指を切ったとか足が折れたとかいう程度ではないのである。云わば、もつと生理学的な面、たとえば血液の中に毒がまわったとか、内分泌線の機能がそこなわれたとかいう種類の問題も、われわれをなやましている。正直者が馬鹿をみたり、まじめに働らくものが損をしたりする現実は、とりもなおさず、経済という有機体の生理学的な故障をものがたるものである。政府はこのような事実を率直に国民とわかちあって、国をあげての再建復興のためのいしづえにしたい。
二、近代社会の複雑な組立のなかでは、一人一人の勤労の成果がどのように生活改善にむすびついているかを見きわめることは、単純なことがらではない。ロビンソン・クルウソーが自らはたらいては自らの生活を豊かにしてゆく透明な関係とはちがうのである。しかし、経済が危機に立ったときには、われわれは否応なしに、ものごとを今までになく透明且つ直接的につかむことを余儀なくされもするし、またそうしなければならない。再生産の規模がだんだん狭まっていくような事態をぬけでて、希望にみちた復興再建の途上にのりだす過程は、当然のことではあるが、まじめにはたらくものどうしがもつともつと直接につながりあって自らの労働の成果を通じて生活を豊かにしてゆく過程、そしてそのためには一時的な耐乏も自らのためのものとして、自らが自らに課するところの過程でもなければならない。民主日本の門途とは、人民の、人民による、人民のための政府をつくりあげる関頭に立っていることを意味する。「人民のための政府」であるためには、「人民による政府」でなければならぬ。政府は、国民各位の積極的な支援とべんたつの上にのみ、その功をおさめるものと確信する。
「第三、結語」以下の部分の画像写真です。※(←※の注意については末尾画像の次に)
最初「一、われわれは従来まで、ともすれば、現実を正視する勇気にかけていた。」
「われわれをなやましている。正直者が馬鹿をみたり、まじめに働」まで。
「まじめにはたらくものどうしがもつともつと直接につながりあって」まで。
最後の「政府は、国民各位の積極的な支援とべんたつの上にのみ、その功をおさめるものと確信する。」まで。
※なお、「我々」を「われわれ」とか、「怯懦」を「きょうだ」とひらがな書きにしているところはそのままひらがな書きにした。
本来の読みは「いしずえ」だが、礎を「いしづえ」にしているところはそのままにした。
また門出(かどで)を門途としているところはそのままにした。
国を國とか、従来を從来とか、旧字体を使っている部分は新字体になおした。
促音、拗音の部分で「つ」「よ」となっている部分は雰囲気を出すためにいくつかはそのままにしました。
※それにしても上記「全文を見る」のリンク先では、JPEG画像配信サーバ と言うのを使っています。 「国会会議録検索システム」でも感じるのですが、見る人の立場に立って使いやすく見やすくする工夫が少し足りない気がします。
※「全文を見る」のリンク先の画像が使いづらいので上下半分ずつキャプチャしてはり合わせてみました。
関連投稿
「立花隆さんの講演会で紹介された「再建日本の出発-1947年5月 日本国憲法の施行」(国立公文書館)は5月22日までです。」
「立花隆さんの講演会に行ってきました。そして、その感想を元に憲法を取巻く情勢マッピング・マトリクスを修正してみました。」
「第1回経済白書「政府白書の必要性」『外国には「鞭と人参」という諺がある。馬を欲する處へ~』検索で雑談日記しか出てこないが、」
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