毎日毎日見ていてどうしようもなく大きくなってしまった違和感。「国思う者を救うのは今(植草先生は無罪)」は無実とすべきだ。
右サイドエリアでずっと長いことご紹介していた以下のリンクのことです。「 必読「国思う者を救うのは今(植草先生は無罪)」←この表題本来は無実とすべきと思う。
中国で紅衛兵の嵐が吹き荒れた頃、ニュースで聞いたフレーズがある。「造反有利、革命無罪」あるいは「造反有利、愛国無罪」である。
革命の名目のためなら人道に反するような無茶なことも許される、愛国のためなら人道に反するような無茶なことも許されると言うことで、実際そのような事例があったことがその後多く知られることになった。
僕は、植草さんが「国を思っているから(たとえ実際に痴漢をやっていたとしても)無罪だ」と考えているわけではない。植草さんが「新自由主義・弱肉強食のネオリベ、ネオコン経済路線に対峙しているから(たとえ実際に痴漢をやっていたとしても)無罪だ」と考えているわけではない。
実際やってもいないのに、国策逮捕で無実の罪を着せられて罪におとされようとしているから、そんな国策逮捕を糾弾し応援しようと考えているのである。
リンク先に行き読めば、神州の泉のHIROさんも同じように考えているのだろうとは思います。ただ、毎日毎日自分のブログの右サイドエリアの表示を見ていて、言語表現の感覚として違和感が大きくなってしまったということです。(言論表現、つまり表現活動する者の端くれとして我慢できないくらい大きくなりましたのでリンクはサイドエリアからはずしました。リンクを見るたびに紹介している自分が恥ずかしくなったと言ってもいい。「無実」と直されたら戻します。)
俺は、たとえ来る10月16日の判決で植草さんがクソ裁判官に有罪とされようとも無実であると固く固く信じます。132日の拘束がその証拠だ。(笑)
※こう言えば分かるだろうか、「無罪、有罪」と言うのは所詮は国家権力が判断する土俵上の言葉だ。それより以前に「無実か、そうでないか」がある。国家権力でも手を出せない真実の世界である。俺は植草さんは無実だと考えているし、その俺の信念を国家権力ごときが揺るがすことなどできない。正に周防監督の「それでも僕はやってない」の地点からの出撃であり、当面の目標として10月16日に無罪を勝ち取らなければならないと考えているのは言うまでもないことである。
※むじつ【無実】1 証拠だてる事実が無い(のに、罪を犯したとされる)こと。(明解国語辞典)
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