ポルポト関係の記事が【時事】に出ていたので、AFPからいくつかの記事を拾ってみました。
ポルポト関係の記事が【時事】に出ていたので、AFPからいくつかの記事を拾ってみました。
* 2007年11月19日 15:47 発信地:プノンペン/カンボジア
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殴りかかられ応急処置を受けた旧ポル・ポト(Pol Pot)政権のキュー・サムファン(Khieu Samphan)幹部会議長(1991年11月27日撮影)。(c)AFP/STEFAN ELLIS
【11月19日 AFP】カンボジアの旧ポル・ポト(Pol Pot)政権時代の大量虐殺を裁くカンボジア特別法廷(Extraordinary Chambers in the Courts of Cambodia、ECCC)は19日、キュー・サムファン(Khieu Samphan)元国家幹部会議長(76)を逮捕したと発表した。容疑は明らかにしていない。
同元幹部会議長は前週14日から、首都プノンペン(Phnom Penh)の病院に入院していたが、目撃情報によると19日朝、治安部隊30人ほどが同議長の身柄を拘束し、警察車両に乗せて移送したという。(c)AFP
* 2007年09月19日 20:03 発信地:プノンペン/カンボジア
カンボジア特別法廷(Extraordinary Chambers in the Courts of Cambodia、ECCC)で裁かれる旧ポル・ポト政権幹部。キュー・サムファン(Khieu Samphan)元幹部会議長(上段左)、ヌオン・チア(Nuon Chea)元人民代表議会議長(上段右)、ドッチ(Duch、本名カン・ケク・イウ、Kang Kek Ieu)元政治犯収容所長(下段左)、イエン・サリ(Ieng Sary)元副首相(下段右)。2007年9月19日、カンボジア当局提供。(c)AFP
【9月19日 AFP】カンボジアの旧ポル・ポト(Pol Pot)政権崩壊から約30年を経て、生存している幹部の中では最も高齢のヌオン・チア(Nuon Chea)元カンボジア人民代表議会議長(82)が当局に身柄を拘束された。
ポル・ポト時代の大量虐殺を裁くカンボジア特別法廷(Extraordinary Chambers in the Courts of Cambodia、ECCC)は同元議長に先立ち、カン・ケク・イウ(Kang Kek Ieu)政治犯収容所元所長を7月、身柄拘束している。
カンボジア政府と国連が共同運営する特別法廷で、被告として裁かれる見通しの旧ポル・ポト政権主要幹部は以下の通り。
■ ヌオン・チア(82)
1975年から79年のポル・ポト政権下でポル・ポト元首相の右腕を務めた。「クメールルージュ(Khmer Rouge)」の「ブラザー・ナンバー2(Brother Number Two)」の異名を持つ。元首相の死亡などによる同勢力の弱体化に伴い、1998年、新生カンボジア政権に投降。フン・セン(Hun Sen)首相の恩赦を受けて釈放され、北西部パイリン(Pailin)近郊の自宅で自由に暮らしていた。
高齢に加えて健康悪化説も出ているが、ポル・ポト政権下で行われた大量虐殺では中心的役割を果たしたとされ、法廷で事実を明らかにする意向を示している。
■ カン・ケク・イウ(65)
通称ドッチ = Duch。プノンペンにある悪名高いTuol Sleng政治犯収容所の元所長。同収容所では少なくとも1万6000人が拷問を受けた後、殺害された。ポル・ポト派に加わる以前は数学教師だった。
特別法廷設置前の1999年から軍刑務所に収監されていたが、7月に同法廷の拘置施設に移送された。逮捕前の取材では、収容所で行われた虐待行為などに対する監督責任を認めており、進んで裁判を受ける意向だといわれる。
特別法廷で裁かれる見通しの被告・容疑者の中では、比較的年齢は若く健康状態も良好とされる。キリスト教に改宗した。
■ イエン・サリ(Ieng Sary、78)
ポル・ポト政権下の副首相。ポル・ポト元首相の義理の兄弟で、「ブラザー・ナンバー3(Brother Number Three)」と呼ばれた。
1996年にポル・ポト派を離脱して新生カンボジア政権に投降、シアヌーク国王の恩赦を受けた。以後、首都にプノンペン在住。心臓疾患を抱えており、治療のため隣国タイのバンコク(Bangkok)を頻繁に訪れる。
■ キュー・サムファン(Khieu Samphan、76)
ポル・ポト政権下の幹部会議長。フランスで教育を受けた急進派。ポル・ポト政権では外交も担当した。1998年、ヌオン・チア元人民代表議会議長とともに新生カンボジア政権に投降した。
2004年、著書『Cambodia’s Recent History and the Reasons Behind the Decisions I Made(カンボジア現代史の裏で下したわたしの決断)』を執筆。この中で自身を「知識人的愛国者」と呼び、ポル・ポト政権下で行われた惨劇については何も知らなかったと弁明した。これまでに行われたインタビューでも、大量虐殺への関与を一貫して否定している。
現在はパイリンに在住。健康状態も良好とされる。(c)AFP
* 2007年11月16日 07:01 発信地:プノンペン/カンボジア
Parlin で行われたポル・ポト(Pol Pot)元首相の最初の妻の葬儀に参列したイエン・サリ(Ieng Sary)元副首相(左)と妻のイエン・チリト(Ieng Thirith)元社会問題相(右、2003年7月3日撮影)。(c)AFP/Khem Sovannara
【11月16日 AFP】旧ポル・ポト(Pol Pot)政権時代の大量虐殺を裁くカンボジア特別法廷(Extraordinary Chambers in the Courts of Cambodia、ECCC)が15日発表した文書によると、12日逮捕されたかつて同政権ナンバー3のイエン・サリ(Ieng Sary)元副首相(78)と妻のイエン・チリト(Ieng Thirith)元社会問題相(75)は容疑を否認し、逆に証拠を示すよう要求したという。
1975-79年のポル・ポト政権時代に犯した戦争犯罪や「人道に対する罪」などの容疑で逮捕された同夫妻は14日、2008年半ばに予定されている公判を前に2人を拘置する十分な証拠があるかどうかを決定するための審問に立ち会うため初出廷した。
同夫妻は大量虐殺や強制労働を初めとする20世紀最悪の残虐行為に大きく関与したとされるポル・ポト政権幹部5人に含まれている。
発表された文書によると、イエン・チリト元社会問題相は「検察側の主張は100%誤り」であると非難し、病院の補修や医薬品の生産に携わっていただけだと主張しているという。
またポル・ポト政権で外相を務めた夫のイエン・サリ元副首相も、「訴追内容は受け入れがたい」として、証拠を示すよう求めたという。(c)AFP
「クメール・ルージュ」ナンバー2のヌオン・チア元議長 身柄拘束される
* 2007年09月19日 12:33 発信地:プノンペン/カンボジア
2007 年7月20日、タイ国境に近いカンボジアのPailinでインタビューに応じるカンボジア特別法廷(Extraordinary Chambers in the Courts of Cambodia、ECCC)の被告で旧政権「クメール・ルージュ(Khmer Rouge )」のナンバー2のヌオン・チア(Nuon Chea)元人民代表議会議長(82)。(c)AFP/TANG CHHIN SOTHY
【9月19日 AFP】(記事更新)カンボジアの旧ポル・ポト(Pol Pot)政権時代の大量虐殺を裁くカンボジア特別法廷(Extraordinary Chambers in the Courts of Cambodia、ECCC)から人道に対する罪に問われているヌオン・チア(Nuon Chea)元カンボジア人民代表議会議長(82)が19日、警察および同法廷係官らにより身柄を拘束された。AFP記者が目撃した。
移送に先立ち同日早朝、地元警察は特別法廷係官らの到着に備えて同国北西部パイリン(Pailin)のヌオン・チア元議長の自宅に通じる道路を封鎖。係官らが午前6時ごろ同元議長の自宅に到着し、同元議長は自動車で連れ出されヘリコプターでカンボジア特別法廷のある首都プノンペン( Phnom Penh)に移送された。
ヌオン・チア元議長の親族がAFP記者に語ったところによると、係官らは元議長の自宅内を捜索し書類や手紙類などを押収したという。
また元議長に近い筋情報によると、ヌオン・チア元議長は令状を提示されたがその具体的な内容は不明だという。
1975年から79年の旧政権下でポル・ポト元首相の右腕を務めクメールルージュ(Khmer Rouge)の「ブラザー・ナンバー2」(Brother Number Two)と呼ばれたヌオン・チア元議長は、大量虐殺の最重要人物とみられている。
しかし AFPが7月にヌオン・チア元議長の自宅で行ったインタビューで、同元議長は虐殺への関与を否定している。
このほか同事件ではポル・ポト政権元幹部4人が訴追を予定されている。氏名は公表されていないが、キュー・サムファン(Khieu Samphan)元幹部会議長、イエン・サリ(Ieng Sary)元副首相らが含まれているとみられる。
カンボジア人と外国人判事の合議制による特別法廷は、2008年開廷の予定。被告・容疑者全員が高齢なため、同法廷が旧ポル・ポト政権の罪を裁く最後の機会となるとみられている。(c)AFP/Suy Se
* 2007年09月19日 17:57 発信地:プノンペン/カンボジア
2007 年9月19日、カンボジアのPailinでカンボジア特別法廷(Extraordinary Chambers in the Courts of Cambodia、ECCC)の被告ヌオン・チア(Nuon Chea)元人民代表議会議長の自宅に通じる道路を閉鎖する警察。(c)AFP
【9月19日 AFP】カンボジアの旧ポル・ポト(Pol Pot)政権時代の大量虐殺を裁くカンボジア特別法廷(Extraordinary Chambers in the Courts of Cambodia、ECCC)の捜査判事は19日、ヌオン・チア(Nuon Chea)元カンボジア人民代表議会議長(82)を人道に対する罪で身柄拘束した。
1925年、カンボジア北西部バタンバン(Battambang)州Long Bunruotで裕福な華僑一家の下に生まれたヌオン・チア議長は、タイのバンコク(Bangkok)で法律を学んだ後、1950年、タイ共産党に入党した。
その1年後、フランス植民地下のベトナムで結成されたインドシナ共産党(Indochinese Communist Party)に移籍した後、カンボジアでの反仏活動を通じて党内ランクを駆け上がった。
1975年、ポル・ポトを党首とする「クメール・ルージュ(Khmer Rouge)」が、親米ロン・ノル政権を倒しカンボジアの実権を掌握すると、ポル・ポト首相の右腕を務めた。
1975年から79年の同政権下での4年間、最大200万人のカンボジア国民が強制労働、処刑、飢饉(ききん)、疾病などで命を落とした。実際にクメール・ルージュによって殺害された犠牲者の正確な人数は不明なままだ。
カンボジア現代史の研究者の間では、ポル・ポト政権は「国家の敵」の排除を目的に組織的に処刑を行っていたとみられ、その中心人物はヌオン・チア元議長だったとの見方が強い。
虐殺の当事者としては、カン・ケク・イウ(Kang Kek Ieu)元政治犯収容所長(通称ドッチ=Duch)が7月、起訴されている。
ドッチ元所長は1999年に、虐殺を直接指示したのはポル・ポトではなくヌオン・チア元議長だったと記者らに証言しており、同議長の審問が開始されれば、虐殺の実態が明らかにされると期待される。
一方、ヌオン・チア元議長は1998年のポル・ポト派の投降後、ポル・ポト政権下で虐殺が行われた事実は認めたが自身が虐殺を指示する立場にあったことは否定している。(c)AFP/Seth Meixner
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