政治ブログ許可証なんてもんはない。生活し生きている限り政治を語る権利がある。思いのたけを言葉につむぐ権利がある。
本なんて読む必要もないし。(読まないより読んだ方が少しは良いかもしれないが、そう、「良いかもしれない」その程度のものだ(笑))
庶民派ブロガー礼賛!
「何のためにブログをやるのか」だと、笑わせるんじゃねえ、馬鹿野郎!!!いつでもバトルをやるならやってやるぜ。(笑)
※一つだけ言おうか『「野党共闘」というのは政治家が考えれば良いことで』だって?それこそ政治家お任せで、人々に思考することをやめろと言ってるようなものだろうよ。それでよくファシズム何たらと偉そうな御託を並べられるものだな。(笑)
つまり、この円グラフの勢力図を見て何を思うかだ。野党共闘なんたらとケチつけてる暇なんてないんだよ。前原一派に目配せしながら自民の加藤紘一その他自民に手を突っ込む位のことを考えなきゃならん時だろうに、。結構政治家と言うのは選挙民がどのように考えているか神経質になるくらいに気にしているものなのだよ。ブログで政治を動かせるなんてのは妄想になってしまうが、ブログが何の影響もなくやる甲斐がないなんてのもウソだ。(グラフは2007-06-20【時事】)
同じく考える際のヒントとして、。x軸から下のほうは「?」がついていない分強固ともいえる。どちらにマスゴミがついているか、政治宣伝戦の巧拙の問題もある。
その昔、ソクラテスは対話によって思索を深めたらしい。特に相手に問いを発したそうだ。時に相手の矛盾をつき、時に相手により深く思索させるために問うたと言う。お陰で、当時世にはびこり権勢をほしいままにしていた詭弁家=ソフィストは赤恥をかかされ、おとなしくなったと言う。ヒロソファー(哲学家)、ヒロソフィー(哲学=知を愛する)の始まりである。
そう、思索するためには「問うこと」、そして納得できるまで「問い続ける「しつこさ」、もう少し上品な言葉づかいなら「粘り強さ」、これさえあれば充分である。
例えばだ、「安倍も、福田も、民意の負託を受けていない(衆院選をやってない、しかも直近の参院選では国民の意思はノーだ)、それなのに国の行く末、国民生活を決定付けるようなことを何の権利があって決められるの?」この問いから出発し、あくまでもこの疑問にこだわり続ける。周りにも話し、そしてブログでも言い続ける、これで充分だろう。
そんなブログが仮にあと100万増えたら強力な情報発信力を持った民意の出現である。
しち面倒くさいことを言って、政治ブログの敷居を高くするな。さらに出でよおじさんブロガー、もっと出でよ井戸端おばさんブロガー。(笑)
ブログをやるようになると、少なくともTVを見る時間ががた減りになる。つまらんブログは読もうとも思わんが、それなりに時事問題のブログに親しむようになり、それなりに詳しくもなる。
※永田町徒然草(白川勝彦さんのBlog)の今日のエントリーにぶいっちゃんのエントリーが紹介されてますね。また一つブログつながりの輪が広がりました。
※ついでに今日のお勧め記事。「自由な国とは!?」
※このエントリーはエントリー3連作とこのエントリー関連です。
※以下、晴耕雨読さんのエントリー、参考資料として採録・再掲。
2007/10/12
『「バカの壁」なのかそれとも「利口の壁」なのか』 その他
養老孟司さんの「バカの壁」が日本出版史上最高の発行部数を記録したと報じられていますが、私も読んでおります。
人の認識の在り方について洞察に富んだ内容だと評価していますが、相互理解の不能性は「バカの壁」じゃなく「利口の壁」のせいだと思っています。
バカほど現実を見抜いていると考えています。
世界はこういうもんだとか、人とはこういうもんだという思念的枠組なんかに固執していないのですから、起きている事象を素直に感じ取り、クダランとか、あやしいとか、インチキだとか、ラッキーだとか、おいしいもんだと判断します。
し
かし、利口になれば、世界観だとか政治理論や経済理論を通じて現実を見るようになり、感じることは好き嫌いでしかないからと抑えるようになり、自分が信じ
ている世界観・価値観・政治理論・経済理論などで判断、それも、自分が信じているそれらの権威者の判断に沿ったもので判断するようになります。
(食べ物や嗜好分野にまでそのような情況が広がり、薀蓄や情報で「ここはおいしい」とか「この絵や音楽はすばらしい」と“感じる”風潮さえあります)
「バカの壁」なのかかそれとも「利口の壁」なのか 投稿者 あっしら 日時 2003 年 12 月 25 日
世界観や価値観が単一のものであれば「利口の壁」は生じないはずです。
しかし、現実には異なる世界観や価値観が存在します。
勉学に励めば励むほど、機構のなかで上昇志向を持てば持つほど世界観や価値観が確固たるものになり、「利口の壁」が高く頑強なものになると思っています。
真理なんかない自分の感性と思考力で一つ一つ判断するというバカな利口になれば、他の人の言説を含む現実の見え方が変わると思っています。
不要な「利口の壁」を築くことは、自負心をもった知的活動のために百害あって一利なしです。
>バカを利口と言い換えただけで、結局はバカという利口、あるいは利口というバカを小馬鹿にしているだけではなかろうでしょうか?
「バカの壁」は、人と話したり議論しているときにすれ違っても、「あ~あ、「バカの壁」だからしょうがないか」とあきらめたり、「あいつ「バカの壁」だからわかりゃあしないぜ」と相手を切って捨てたりできるネタになっていると思っています。
そ
う思っているだけではなく、これまでの経験から、理念や理論を身に付けている人ほど自分が信じている理念や理論から外れる考え方にまともな思考を経ること
なく拒絶反応を示すと思っているので、「バカの壁」ではなく、「利口の壁」のほうがふさわしいと考え採用した言葉です。
>>真理なんかない自分の感性と思考力で一つ一つ判断するというバカな利口になれば、
>「自分の感性と思考力で一つ一つ判断する」のがバカですか?
>いったいこのことのどこがバカなのか?
>ふむ、もちろん、すぐに乞う言い換えている。
>「バカの利口」。、
現在の社会では、物事を理路整然に見えるかたちで説明できる人が“利口”とされ、それは嫌いだとかあれはダメという説明で済ます人は“バカ”(そうずばりとは言いませんが)とされる傾向があるから、“利口”と“バカ”という二つの言葉を使っています。
「自分の感性と思考力で一つ一つ判断する」のは、それは嫌いだとかあれはダメという説明で済ます人は“バカ”と物事を理路整然に見えるかたちで説明できる“利口”が融合したもので、バカではありません。
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高僧が見た普賢菩薩の正体 からの抜粋です。
小泉八雲集に「常識」という作品がある。怪奇現象をモチーフにした仏教寓話なのだが、話の粗筋はつぎのようなものだ。
むかし京の近くの山中に、座禅と聖典研究にひたすら精進する博識の高僧が住んでいた。
信心深い村人たちが野菜や米を運んで高僧の暮らしを支えていた。あるとき、一人の猟師が米を持って寺へやってきた。
高僧は猟師に言った。
「不思議なことがおきておる。わしは長年座禅と読経を続けてきたが、その功徳かと思われるが、毎晩、普賢菩薩が白象に乗ってこの寺へお見えになる。今夜はここへ泊まるがよい。仏様を拝むことができよう」
猟師は泊まることになった。
しかしそんなことがあるかとと疑いはじめた。
そこで寺の小僧に訊いてみると、「もう六度も普賢菩薩のお姿を拝みました」という。猟師は小僧のこの言葉によってますます疑いを深めた。
真夜中過ぎ、東の方に星のような白い点があらわれ、近づくにつれ光は大きくなり山の斜面を照らした。やがて光は六本の牙のある雪のように真っ白い象に乗った普賢菩薩の姿となった。
僧と小僧はひれ伏したまま必死に経文を唱えはじめた。が、猟師は弓を取って二人の背後に立ち上がり、光り輝く菩薩めがけて長い矢を放った。
激しい雷鳴とともに白い光は消え、姿も見えなくなり、寺の前には暗闇がのこった。
僧は猟師に向かって「いったいどうしてくれる、どうしてくれるのだ!」と叫んだが、猟師は一向に平気で、静かに僧の非難を聞いていて、こう言った。
「和尚さま、あなたは座禅と読経の功徳によって普賢菩薩をおがむことができるとお考えになりました。
しかしそうであるなら、仏さまはあなたにだけあらわれるはずです。
私やこの小僧さんには見えるはずもありません。
私は無学の猟師で、殺生を生業としております。殺生は仏さまの嫌われるところです」
「あれは普賢菩薩ではなく、あなたを騙し、ひょっとすると殺そうとしている化けものにちがいありません。夜のあけるまで気をおしずめください。そうすればきっと、いま申したことの証拠をご覧に入れますから」
夜明けになり、猟師と僧が普賢菩薩の立っていたところを調べると血の痕があった。
そして数百歩離れたところまでたどると、その窪地には猟師の矢を突き立てた、大きな狸の死骸があった。
話は以上であるが、小泉八雲はつぎのように結んでいる。
僧は信心深い人であったが、狸に容易にだまされていた。
猟師は無学で信心のない男だったが、たしかな常識を備えていた。
そして、この生まれつきの知恵だけによって、ただちに幻影を見破り、それを打ち砕くことができたのである。
六本の牙のある雪のように真っ白い象に乗った普賢菩薩
↑以上転載終わり。
「自Endポスターバナー作戦」遂行中!
5作目、「2005・9・11小泉郵政詐術選挙の337議席、2代続けて負託(衆院選)なし、強行採決やりたい放題?公明党、池田大作の責任は大きい」バナーです。今、創価・公明党へのピンポイント攻撃が必要だと考えます。(笑)
※雑談日記SOBA制作と明示して頂けるとうれしいです。
命落とすな、自公を落とせ!
わんばらんすさん。
政権交代は、あらゆる改革につながる本丸
村野瀬玲奈の秘書課広報室さん。
「確かな野党」から「確かな連立」へ!
らんきーブログさん。
「新聞テレビは『95%の小さな真実』の報道で『5%の大嘘』を目くらましする」
喜八ログさんのオリジナル「新聞テレビは『95%の小さな真実』を報道し『5%の大嘘』を正当化する」の「正当化する」を「目くらましする」とし、リメークしました。この場合は、漢語での簡潔な表現より、大和言葉の方がスッと腑に落ちる気がしました。
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コメント
読んだ方が良いのは、以下の2冊だね。これを何回も読んでから他の本に手を出してごらんよ。どの本を読んだらいいかハッキリと分かるからさ。
『世界の闇を語る父と子の会話集』
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/propaganda_2saku.htm
『911自作自演テロとオウム事件の真相』
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/propaganda_daiissaku.htm
投稿: n | 2007年11月23日 (金) 19時53分
各方面のブログ様への投稿ご容赦下さい。
政治ブログ「熊川ビジョン」です。
現在、全国規模で勢力を拡大している霊感商法団体の情報を当ブログに掲載しました。
マスコミ等が全く報じていないだけに大きな問題だと考えます。
何卒、ご一読下さりご注意して下さい。
http://blue.ap.teacup.com/kumagawanaotaka/
投稿: くまがわ直貴 | 2007年11月23日 (金) 22時07分
こんにちは
>「野党共闘」というのは政治家が考えれば良いことで
「野党共闘」を止めさせたい工作員みたいな人がいるんですね。困ったもんです。
投稿: Kazuto | 2007年11月24日 (土) 03時46分
こんばんは!いつも気に留めて頂き感謝しています。
なかなか政治ブログの掟は厳しい(笑)ですが、新しい道を楽しみながら作っていけたらと思います。 そのうち・・というかブログを辞める日が来るまでには、誰も書かなかった「soba論」を書きますのでお楽しみに(笑)
投稿: ぶいっちゃん | 2007年11月24日 (土) 20時59分
いろいろ書かれるというのは、それだけぶいっちゃんのブログが気になる存在と言うことですよ。
肩の力を抜いてブログを楽しんでやっていきましょう。
今日、右サイドの歌のリンクを美空ひばりの「川の流れのように」に差し替えました。ぶいっちゃんに贈ります。(笑)
投稿: SOBA | 2007年11月24日 (土) 21時45分
中途半端でしたが、早速「誰も書かなかったSOBA論」ってタイトルで今日書いてみましたw
以上、ご報告です。
投稿: ぶいっちゃん | 2007年11月25日 (日) 18時57分
(^^;
なかなか鋭い観察にニヤリです。
マンションの理事長をどうにも逃げられなくて就任、今帰ってきたのだが、。(笑)リアル世界は気も使うが面白いよな。
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2007/11/post_d272.html
に若干の感想と、ぶいっちゃん評を書いておきました。
らんきーブログって癒し系だよね。なんだかとにかく気になるブログではある。(笑)
最後に、
>というかブログを辞める日が来るまでには
って、ちょっと気になったのだが、まさか辞めたい虫がウズウズしてんじゃないだろうね。まだ自公合体を蹴り倒していないうちにそれは許さんぞ。(笑)
投稿: SOBA | 2007年11月26日 (月) 13時04分