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2007年11月14日 (水)

YouTube:無実の死刑囚・袴田巌さんの元裁判官熊本典道氏の異例の告白。またすぐ消されるかも。mp3でも保存。

 YouTubeのご紹介です。

41年間投獄されている無実の死刑囚・袴田巌さんの元裁判官が『当時、これは無罪にするしかなかった。』と異例の告白をした。

 この動画は、当のご本人熊本典道元裁判官がご自分のブログ中、2007年06月28日付け「私のした事。」でも紹介してます。

 

追記:↓この動画は消されましたが、約2ヶ月後に静岡朝日テレビが23分33秒の放送の中で以下YouTube部分を全て含めて放送しているのを見つけました

異例の告白 (←2007年2月26日放送/テレビ朝日報道ステーション)8分58秒
http://www.youtube.com/watch?v=yWJhCKC8xEo

 ↑が消された時に備え、mp3でもアップしインターネット放送しておきます。3個ほど画像キャプチャも。今までかなりひどい放送をしてきた古館と加藤千洋の罪滅ぼしのような放送ではあるけれど、。(Niftyが開くのが遅い場合はこちら⇒その1その2

(クリックすると拡大します)
32分33秒の所から:
連日長時間の取調べ。16時間20分のことも、。(朝7時からとして、丸一日回って夜中の11時過ぎまでと言うこと。)


3分35秒から:
元裁判官「手続きの進行で、ある段階で、僕は無罪だと思った。」

3分40秒から:
ナレーション「3人の合議制で進められたこの裁判、無罪を主張したのは熊本氏だけだったと言う。2対1で死刑判決を言い渡す事になり熊本氏がその意に反して判決文を書く事になった。熊本氏が29歳の時だ。」

熊本氏「そう言う取り決めだから書いてくれと言われました。突き詰める所、私熊本の説得力不足かな。」「恐らく44年の間にね、自分の子供のこと、自分の親のことを思い出さない日は一杯あっても、彼をね、彼のね、手錠を外されて被告人席に来た時の顔、あるいは判決言い渡しの日のガクンときて、これをね一日一回以上は絶対忘れてないね。」

5分28秒:
ナレーション「熊本氏は死刑の判決文を書いた事に悩み、この判決の7か月後、裁判官を辞職。」※

※ここの所は、法務官僚のヒエラルキー(階層制度)の中で、多数に従わない裁判官に懲罰的無理やり書かせたような感じも、。

5分50秒から:
ナレーション:「袴田死刑囚は刑が確定したのち、獄中から一人息子に手紙を送っている。」

必ず証明してあげよう。お前のちゃんは決して人を殺していないし、一番それを良く知っているのが警察であって、一番申し訳なく思っているのが裁判官であることを。

1告白 死刑確定の袴田事件
元裁判官「私も無罪だと」

袴田事件で死刑判決を書いた熊本典道元裁判官(69)

「泣いているしかないと思います」


6分17秒の所から:
記者:袴田死刑囚にいま会えるとしたらどんな言葉をかけたいですか。

熊本氏「、、、恐らくね、言葉はないと思う。15分なり15分、目の前で頭下げて泣いてるしかないと思う。本人の、、。」

2裁判官 石見勝四
裁判官 高井吉夫
裁判官 熊本典道

熊本氏以外、ほかの2人はすでに他界——


↑↓番組中、加藤千洋が「先週、鹿児島で無罪判決が出た選挙違反事件」と言っているのは「志布志踏み字冤罪事件」のこと。雑談日記の関連エントリ⇒志布志踏み字冤罪事件での官権の卑劣さを考えると、司法改革は裁判員制より取り調べの完全可視化の方が先でしょう。

追記:(2014/03/28)
袴田事件再審決定、「認定された衣類は捜査機関がねつ造した疑い」「これ以上勾留を続けることは耐えられないほど正義に反する」 

  

 上記放送の約2ヶ月後に静岡朝日テレビが23分33秒の放送の中で上記YouTube部分を全て含めて放送してます。以下動画です。

悔恨~袴田事件を裁いた男~ 2007年
http://www.dailymotion.com/video/x5hnplj

悔恨~袴田事件を裁いた男~ 2007年 投稿者 osanpodeonigiri
公開日: 04/09/2017
期間: 23:33

悔恨~袴田事件を裁いた男~ 2007年5月6日(日)深夜1時放送

最初から1分ほど音が小さくなってます

以下、その部分。
熊本典道元裁判官:ある手続きの段階に来た時に「これは無罪にするしかなかろうな」と。
ナレーション:熊本典道69歳、1968年の一審で袴田に死刑判決を書いた元裁判官。
熊本典道元裁判官:「主文、被告人を死刑に処す」と言った時に、彼の肩が落ちたのを…。それを見てからが、見る前から、僕もガックリ来て、そのあと聞いてないです。ズーッと彼のね、こうしてね、今でも覚えてますね。
ナレーション:袴田と同様、熊本も判決後40年近く暗く思い時間を過ごしている。

 

近代司法の原則:立証責任のある国家権力、つまり検察の挙証に疑わしい点がある場合には、被告人の利益に。※
※よくある勘違いについて⇒いわゆる「疑わしきは被告人の利益に」を「被告人が疑わしいだけの場合には被告人の利益になる様判断する」と単純に考える人がいます。しかし、肝腎なのは何が疑わしいかで、(以下、要旨)「(有罪を立証する責任のある←いわゆる挙証責任のある)検察官が、有罪を確信できると証明することが出来ない場合、要するに検察官の立証が疑わしい場合には、被告人の利益になるように判断する(やたらに犯罪人を作り上げ、無実の人を犯罪人にする冤罪を生んではならない)」、「被告人が疑わしいかではなく、検察官の立証が疑わしいかどうかが問題なのだ」(ビデオニュース・コムを参考にしました

フランス人権宣言(1789年制定)

第7条(適法手続きと身体の安全)
何人も、法律が定めた場合で、かつ、法律が定めた形式によらなければ、訴追され、逮捕され、または拘禁されない。

第8条(罪刑法定主義)
法律は、厳格かつ明白に必要な刑罰でなければ定めてはならない。何人も、犯行に先立って設定され、公布され、かつ、適法に適用された法律によらなければ処罰されない。

第9条(無罪の推定)
何人も、有罪と宣告されるまでは無罪と推定される。ゆえに、逮捕が不可欠と判断された場合でも、その身柄の確保にとって不必要に厳しい強制は、すべて、法律によって厳重に抑止されなければならない。

 

SOBA:「無実の死刑囚・袴田巌さんを救う会年表」によれば
↓この記事の後、『2007年3月9日「死刑廃止を推進する議員連盟」の院内集会で、元静岡地裁裁判官の熊本典道さんが、一審当時袴田巌さんは無罪だと主張したが、多数決で死刑に決まったと告白。世間に衝撃を与える。』とあります。

2007年3月3日
袴田事件:1審で判決文、元裁判官「無罪の心証」 死刑囚の姉に謝罪(毎日)
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070303ddm041040131000c.html
Internet Archive

 静岡県清水市(現静岡市清水区)で66年6月、みそ製造会社専務一家4人が殺害された「袴田事件」で、袴田巌死刑囚(70)の再審開始を求める支援団体は2日、68年に1審の静岡地裁で死刑判決を書いた元裁判官が「無罪の心証があった」と明らかにしたと発表した。元裁判官が自分のかかわった裁判について言及するのは極めて異例。

 同団体によると、元裁判官は1審で主任裁判官を務めた熊本典道氏(69)=九州在住。昨年1月中旬に本人から支援者に連絡があり「心ならずも信念に反する判決を出した」とする手紙が届いたという。手紙で熊本氏は自白を取った方法や信用性、また凶器とされるクリ小刀と袴田死刑囚との結びつきに疑問を呈し、合議体(3人)で行われた当時の審理で無罪を主張し、1対2で敗れたことを明らかにした。

 支援者らは1月下旬から3回、九州のレストランなどで面談。熊本氏は袴田死刑囚の姉秀子さん(74)の両手を取り「私の力が及ばなくて申し訳ありませんでした」と涙ながらに話し、地裁の公判中に石見勝四裁判長(故人)に「まるで私たちが裁かれている裁判ですね」と伝えたと振り返ったという。

 判決後も一日も事件のことを忘れた日はなかったといい、今年70歳になるのを機に明らかにすることを決めたという。裁判所法で漏らしてはならないと定められている「評議の秘密」を明らかにするのは守秘義務違反となる可能性もあるが、熊本氏は「承知している」と答えたという。

 弁護団長の西嶋勝彦弁護士は「元裁判官の証言は判決が間違っていたと分かる人が増えることにはつながるが、新証拠ではない。再審となっても証人申請するつもりはない」としている。

 熊本氏は死刑廃止を推進する議員連盟(代表・亀井静香衆院議員、74人)が9日午後1時から衆院第1議員会館で開く勉強会後に記者会見する。【稲生陽】

==============

 ■ことば

 ◇袴田事件

 66年6月に静岡県清水市(現静岡市清水区)でみそ製造会社専務一家4人が殺害された強盗殺人事件。静岡県警は同年8月、元プロボクサーで同社従業員の袴田巌死刑囚(70)を逮捕。公判で袴田死刑囚は否認を続けた。1審の静岡地裁は68年9月、45通の自白調書の44通を証拠から排除した上で死刑判決を言い渡した。80年に最高裁が上告を棄却し、死刑が確定。弁護側は81年に再審請求したが同地裁は94年に棄却。東京高裁への即時抗告も04年に退けられ、最高裁に特別抗告している。

毎日新聞 2007年3月3日 東京朝刊

 

袴田事件めぐり元裁判官が異例の証言
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3512105.html

 元裁判官が異例の証言です。41年前、静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」をめぐり、一審を担当した元裁判官が当時、死刑判決を言い渡した直後、「無罪だと思い、被告と面会して、控訴を勧めようとした」と語りました。

 「まさかね、私の声を聞いてもらえるとは思わなかった」(元裁判官 熊本典道さん)
 9日、死刑に反対する議員の集会で発言する元裁判官の熊本典道さん(69)。自らが死刑の判決文を書いたある裁判で、「無罪だと思っている」と衝撃の発言をしたのです。

 「少なくとも今まで出ている証拠で有罪にするのは無茶だと思ったんですよ」(元裁判官 熊本典道さん)

 事件があったのは41年前、静岡県の味噌製造会社の専務の自宅から出火し、焼け跡から刃物で刺された一家4人の遺体が見つかりました。当時、従業員だった元ボクサーの袴田巌死刑囚が逮捕されました。

 捜査段階では自白しましたが、裁判では、「強要された自白だった」などとして一貫して無実を主張。しかし、最高裁での死刑が確定し、弁護団は現在、最高裁に裁判のやり直し(=再審)を求めているのです。

 「神様、僕は犯人ではありません。ここ静岡の風にのって、世間の人の耳に届くことを、ただ、ひたすらに祈って、僕は叫ぶ」(袴田死刑囚が以前書いた手紙を読みあげる姉・秀子さん)

 熊本さんは、一審判決を担当した裁判官の1人。熊本さんによると、自らは当時、自白や証拠に「合理的な疑いが残る」として無罪を主張しましたが、他の裁判官2人が有罪と判断。一審の死刑判決となったといいます。

 「判決言い渡しの直後にね、僕は密かに面会して、是非控訴してくれっていうね、面会しようと思ったけどできなかったよ」(元裁判官 熊本典道さん)

 一審判決直後、被告に直接、控訴を勧めようと考えましたが断念したといいます。熊本さんは70歳になる今年、後悔の念の告白を決意。袴田死刑囚の姉・秀子さんに会って謝罪しました。

 「お姉さんの表情がね、袴田君の『私はやっておりません』というあの表情、その時の(袴田被告の表情に)非常に似ているんですよね」(元裁判官 熊本典道さん)

 袴田死刑囚は9日で71歳。秀子さんは9日、拘置所で袴田死刑囚に熊本さんが話した内容を伝えました。
 「熊本さんっていう人を知ってるかって言ったんだけど、『やっぱり思い出せない』ということで、熊本さんがこういうことを言ってくれてるよって言ったんだけど、(袴田死刑囚は)きょとんとしてましたね」(袴田死刑囚の姉・秀子さん)

 裁判での秘密を守ることが課せられる元裁判官の異例の告白。熊本さんは、「再審実現のため手助けしたい」と話しています。

 元裁判官の告白について最高裁は、「真偽不明であるが元裁判官が評議の秘密を漏らしたとすれば極めて遺憾である」とコメントしています。(09日18:06)

 

2007年3月2日
袴田事件、元判事「無罪の心証だった」(日刊スポーツ)
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070302-164272.html
Internet Archive

 静岡県で1966年に一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巌死刑囚(70)が再審を求めている「袴田事件」で、1968年の静岡地裁の1審で死刑判決を書いた当時の裁判官が「無罪の心証を持っていたが合議の多数決で敗れた」と告白していたことが分かった。袴田死刑囚の支援団体(静岡市)が2日、公表した。

 裁判官は合議体で行う裁判の議論内容などを漏らしてはならないという「評議の秘密」が裁判所法で規定されており、こうした告白は極めて異例。

 支援団体によると、元裁判官は九州在住の熊本典道さん(69)。66年の第2回公判から、合議の裁判官3人のうちの1人として主任裁判官を務めた。

 熊本さんは自白や証拠などに「合理的な疑いが残る」として合議の前に無罪の判決文を書いていたが、裁判長ら2人は有罪を主張。多数決で死刑判決が決まり、熊本さんが死刑判決を書いたという。

 昨年末、熊本さんからメールが団体に寄せられ、メンバーが3回にわたり面会。うち1回に同行した袴田死刑囚の姉秀子さん(74)に対し、熊本さんは「力が及ばず、申し訳なかった」と涙を流して謝罪した。

 熊本さんは「私と袴田君の年齢を考えると、この時期に述べておかなければならない」とし、支援活動への協力を申し出ている。

 袴田死刑囚は66年に静岡県清水市(現静岡市清水区)でみそ製造会社の専務一家4人を殺害したなどとして80年に最高裁で強盗殺人罪などで死刑が確定したが、冤罪(えんざい)を訴えて再審請求を続け、最高裁に特別抗告中。

[2007年3月2日22時40分]

 

袴田巌さんの無実を元裁判官が証言(保坂展人のどこどこ日記)
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/6e8c4de256c549db90b4ffd6d6084e88
ニュース / 2007年02月26日

たった今、衝撃的なニュースがテレビ朝日の報道ステーションで放映された。
40年間、冤罪無実を訴えながら獄中にいる袴田巌さんの一審判決(1968年静岡地裁)で、死刑を言い渡した裁判官だった熊本元裁判官(69歳)が、当時から無罪を確信していたと告白したのだ。公判中に彼は、3人の裁判官の中でそう主張していたが、「これはそういう取り決めになっている」と、すでに故人となった他のふたりの裁判官に押し切られて多数決の合議で「死刑判決」を出してしまった。29歳の時に出した袴田さんへの死刑判決を69歳となった今も、一日たりとも忘れられずに悔いているという。今、袴田さんに会うことになったら「言葉はなくただ頭を下げてお詫びしたい。判決が出た時の袴田さんの表情が忘れられない」と語る熊本さんは、すでに裁判官をやめているが、言葉に詰まりテレビカメラの前で嗚咽した。

東京拘置所で袴田巌死刑囚と面会した経験もある私は、2年前の東京高裁での再審開始を信じていたが、無念にも棄却されてしまった。その後も、議員連盟としての取り組みを続けて、3月9日午後1時から衆議院第一議員会館第一会議室で、救援に立ち上がったボクシング界の人々や姉の秀子さんを呼んで集会を開く準備をしている。「死刑」を議論することすらタブー化している状況を打ち破り、袴田さん無実・再審開始の声を盛り上げていきたい。

 

関連記事:pdfです。最初の記事は、袴田さんの再審支援委員会実行委員長新田渉世さんが15分の面会を実現した事が書かれてます。

対面15分「大きな一歩」 「死刑確定囚の面会拡大」1ヵ月 全国で十数人、新に実現 「交友」の認定当局次第 死刑囚の申請5人挙げても3人に 「被害者側が会う権利も必要」(2007年7月2日東京新聞 こちら特報部)

袴田死刑囚再審へ名誉ライセンス ボクシング界「元気づける」(2007年11月28日東京新聞 ニュースの追跡)

元刑務官が語る死刑の現場 「押せ」5人一斉執行ボタン 「職務…でも、なぜ自分が」 「受け止め役」辞退許されず 存廃より情報開示を 裁判員制度前にもっと議論必要 (2007年12月12日東京新聞 こちら特報部)

 

関連サイト:
2009年5月17日ザ・スクープスペシャル第27弾「私は間違えた…」袴田事件元裁判官贖罪の旅路(リンク先に動画あります)
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/update/toppage/090517_10.html

 

関連:「袴田巖さんの再審を求める会のブログ」の記事
2007/07/02
熊本元裁判官、袴田さんとの面会を求めるも不許可!秀子さん、新田さんらは面会!

2007/10/04
熊本典道さん、3度目の拘置所訪問も面会ならず!秀子さんの掲げる支援Tシャツに巌さんは関心を示す!

 

関連ブログの記事:長いこと支援活動をしてきた方の率直な言葉。
2007-02-27 01:22
ありがとう熊本典道さん(ブログ「真相解明」のマニュアル)
http://sinsoukaim.exblog.jp/5234273/

2007-04-23 17:40
「怒り!!」と「感謝」のパラドックス 1(ブログ「真相解明」のマニュアル)
http://sinsoukaim.exblog.jp/5556167/

 

元裁判官面会できず 袴田死刑囚「謝る必要ない」社会(TOKYO Web)
2007年7月2日 夕刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007070202029026.html

 一家四人が殺害された「袴田事件」で再審請求中の元プロボクサー袴田巌死刑囚(71)に、一審・静岡地裁で主任裁判官として死刑判決を書いた熊本典道元裁判官(69)が二日、面会を求めたが、東京拘置所に拒否された。

 熊本さんは支援者らと拘置所を訪れたが、面会を認められたのは袴田死刑囚の姉の秀子さん(74)らこれまで面会したことのある三人だけ。元裁判官と死刑囚による極めて異例な面会は実現しなかった。

 三人によると、袴田死刑囚は、熊本さんのことを問うと「そういう名前の人は覚えている。熊本さんはいい人だ。会ってもいい」と答えた。また「熊本さんが謝りに来ている」と告げると「袴田事件は紙に書いたもので、世の中にはない。熊本さんは謝る必要はない」と話したという。

 面会後、熊本さんは「会ってくれる可能性が出ただけ今日は良かった」と目頭を押さえ、今後は手紙を出す意向を示した。

 

2007年7月2日
袴田死刑囚と面会できず・「無罪」心証の元裁判官(日経)
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070702STXKB018902072007.html
Internet Archive

 強盗殺人罪などで死刑が確定した元プロボクサー袴田巌死刑囚(71)が冤罪を訴え、再審を求めている「袴田事件」で一審静岡地裁の死刑判決を書き、今年に入り「無罪の心証を持っていた」と明かした元裁判官熊本典道さん(69)が2日、東京都葛飾区の東京拘置所を訪れ、袴田死刑囚と面会を求めた。しかし拘置所側は許可しなかった。〔共同〕(14:01)

 

 以下、あとで時間のある時に探そうと思っている記事。

死刑存廃を問う前に 終身刑導入を考える 裁判員に幅広い選択を(東京新聞 こちら特報部)
2008年5月21日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2008052102013021.html

 終身刑の導入議論が高まっている。いま、なぜ終身刑が必要なのか。今月15日に発足し、死刑と無期懲役の中間刑を検討している議員連盟「量刑制度を考える超党派の会」の議論や識者の意見から、論点を整理した。 (岩岡千景)

 

死刑―存廃を問う前に 超党派の議員連盟「量刑制度を考える会」発足へ(東京新聞 こちら特報部)
2008年5月13日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2008051302010811.html

 目の前に死が待つ「死刑」と、法規定上は十年で仮釈放できる「無期懲役」-。その間に新たな量刑の選択肢をつくるため、超党派の議員連盟「量刑制度を考える会」が近く発足する。八日の準備会合には、死刑制度の存置派と廃止派が立場を超えて集結。一年後に始まる裁判員裁判を前に、議員立法で「中間刑」などを創設する動きが本格化してきた。 (岩岡千景)

 

死刑−存廃を問う前に 取り調べた死刑囚と交流 元検事語る(東京新聞 こちら特報部)
2008年5月2日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2008050202008211.html

 死刑廃止か、存続か−。その問いに対する答えは、想像の軸足を加害者と被害者、どちらに置くかで大きく異なる。検察官時代に取り調べた死刑囚と執行直前まで交流し、後に弁護士に転身。両者の立場を知る平田友三氏(81)は「現状では死刑廃止は疑問だが、恩赦でもっと、死刑囚が救済されていい」と話す。 (岩岡千景)

 

私のような者でも詠んでもいいですか… 獄中から届く短歌(東京新聞 こちら特報部)
2008年4月28日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2008042802007188.html

 今月十日に死刑執行された岡下香(おかしたかおる)元死刑囚(61)は、拘置所で短歌を詠み、執行直前まで、短歌誌「未来山脈」に投稿していた。作品には罪への悔恨や家族への思い、執行までの命を前向きに生きようとする心情などが詠まれている。同誌編集発行人の光本(みつもと)恵子さん(62)は「彼の作品から、死刑になる犯罪をした人も私たちと人間性に大きな隔たりはないと教えられた気がする」と話す。 (岩岡千景)

 

死刑-存廃を問う前に 秋田連続児童殺害事件、死刑か無期か『二者択一』迫られる裁判官(東京新聞 こちら特報部)
2008年4月17日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2008041702004220.html

 秋田県藤里町で起きた連続児童殺害事件で、秋田地裁は先月十九日、無職畠山鈴香被告(35)に無期懲役の判決を言い渡した。同時に、仮釈放は慎重にするよう異例の“注文”を付けた。死刑か無期懲役か-。判決には、二者択一を迫られた裁判官の苦渋がにじむ。判決を基に、中間刑として導入の動きが出ている「終身刑」の在り方を考えた。 (岩岡千景)

 

死刑-存廃を問う前に 冤罪やむなしなのか(東京新聞 こちら特報部)
2008年3月31日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2008033102099740.html
ググり採録

 一家4人が殺害された「袴田事件」で、犯行を否認してきた袴田巌死刑囚(72)の再審請求が今月、最高裁で棄却された。同様に犯行を否認しつつも、処刑された死刑囚がいた。1947年の「福岡事件」で主犯とされた西武雄さん(死刑執行時60歳)だ。遺族らは今も、無実を証明する再審を請求しており、弁護人は「冤罪(えんざい)死刑もやむを得ない、という社会でいいのか」と疑問を投げ掛ける。 (岩岡千景)

 「西君は無実。関係ないとです。本当のことだ」…。熊本県玉名市の病院。入院中の石井健治郎さん(91)は、ベッドの上で、声を絞り出すようにして語った。

 石井さんは、元死刑囚。終戦直後の61年前に福岡市で起きた「福岡事件」で2人を射殺し、最高裁で死刑が確定したが、恩赦で無期懲役に減刑。20年前に仮釈放された。同事件ではほかにも、主犯とされた西武雄さんに、死刑判決が下った。西さんは逮捕から一貫して「無実」を訴えたが75年、死刑執行された。

 西さんの無実を証明するため、遺族は事件から半世紀をへて2005年5月、福岡高裁に再審(裁判のやり直し)を請求。昨年、脳血栓で2回の手術を受けた石井さんも「西君の無実を裁判ではっきりさせる」と、闘病を続けている。

     ◇

 「福岡事件」は、1947年5月20日、福岡市博多区で起きた。終戦直後で、軍物資の闇取引が盛んだった時代。軍服の取引をしていた日本人と中国人の2人が射殺され、現金を奪われた。

 捜査当局は、軍服の取引を装った強盗殺人事件だとして、西さんと石井さんら7人を逮捕。公判で石井さんは2人の殺害を認めたが、「仲間のけんか相手だと勘違いした誤射」だとして強盗を否認。ほかの6人は無罪を主張したが、西さんは主犯と認定され、石井さんとともに1956年、最高裁で死刑が確定。残る5人のうち4人に、懲役刑が確定した。

 石井さんらの証言によると、西さんは、軍服の取引にかかわっていたものの、近くの食堂に待機。現場には居合わせなかった。だが、警察官に暴行を受け、白紙の供述調書に指印を押されたり、虚偽の調書に署名させられたりしたという。

 石井さんと西さんが福岡拘置所にいた当時、こうした2人の訴えに耳を傾けた教戒師がいた。熊本県玉名市の僧侶、古川泰龍さん(2000年、80歳で死去)だ。古川さんは、現地調査をし、証言を集めて「真相究明書」を作成。法務省にも出向いて冤罪を訴え、救援活動を展開した。

 西さんの死後も、古川さんは西さんの無実を訴える活動を続け、息子の僧侶、古川龍樹さん(48)が今も引き継ぐ。龍樹さんは「父は、がんで亡くなる直前、ふらふらになりつつも西さんの命日の法要を欠かさなかった。その姿に一人の命の重さを教えられた」と語る。

◆釈放願い出たのに処刑  「遺族のためやない」

 再審請求の弁護団長の八尋光秀弁護士は「福岡事件は、冤罪死刑をやむなしとするのかどうかが問われる象徴的な事件」と指摘。

 過去に死刑囚が再審無罪となったのは免田、財田川、松山、島田の4事件だが、「4事件以外に誤判死刑がなかったとはいえない。我々は冤罪死刑もやむを得ない社会を選択していることになるが、国民の多くは、本当はそれでいいとは思っていないのはないか」と問い掛ける。

     ◇

 西さんの死刑を、被害者遺族は、どう受け止めたのか。

 75年に西さんが処刑される前、殺害された中国人男性の遺族、福岡市の桐原武雄さん(71)の自宅を、法務省恩赦課の職員が訪ねていた。

 恩赦に対する意向を尋ねる職員に、桐原さんは「2、3日待ってほしい」と話して福岡拘置所に出向き、西さんに面会。救援活動を続け、出所も間近と思っていた西さんは「自分は主犯じゃない。出られたらまず行って、じっくり話しちゃるけん」と語ったという。

 その後、桐原さんは恩赦課の職員に「30年近くも入っとったら、無期懲役なら出るころ。もういいじゃないですか。それに、私のひと言で死刑になるのは嫌だ。2人とも出してください」と話したという。

 だが、結果は思いがけず、実行を認めた石井さんだけが恩赦で減刑され、否認してきた西さんには死刑が執行された。「今思えば、職員が来たのは手続きの1つにすぎなかったんでしょうね。遺族がするなと言ってもするのだから、死刑って遺族のためやないですね」。桐原さんは福岡市の自宅で振り返る。

 桐原さんは事件当時、小学五年生。11歳の少年だった。小学校の授業中に呼ばれ、九州大で司法解剖を受けた父親のもとに駆けつけた記憶は、今でも脳裏に焼きついている。真っ裸で寝かされた父親に近づこうとする桐原さんを、周囲の大人が「見たらいかん!むごい殺され方しとる」と制した。

 「後からこれを見て、実感がわいた」。桐原さんはそう言い、黄ばんで擦り切れた「死体検案書」を大事そうに取り出して見せた。直接死因は「失血死」。その原因として「心臓損傷」「両頚(けい)部刺創」と書かれている。料理人だった父親は、心臓を射抜かれた上、周囲にいた人間に、刃物で首を刺されてとどめをさされていたのだった。

 「家族を殺された者は、犯人を自分の手で殺してやりたいと、だれでも一度は思うんじゃないか」と桐原さん。「冤罪といわれても、半信半疑だ」ともいう。

 それでも2人の釈放を願い出たのは、じかに聞いた西さんの言葉が「自分には本当だと思えた」からだ。国籍取得して間もないうれしさも手伝い「人間、いつまでも人を恨んで生きていても、しょうがない」という気持ちもあったという。

 桐原さんは「西さんには同情する。こういう例があるから死刑はやめた方がいいという議論になるのもわかる」と言いつつ、今なお揺れる胸の内を語る。

 「ただそれなら、終身刑を導入すべきで、確たる物証もなく、否認していた西さんのような人は生かしておいた方がよかった。また無差別殺人など、一定の罪状にはやはり、死刑を残すべきだ。そうでないと、遺族は気持ちのやり場がないだろう」


<デスクメモ>

 死刑囚と被害者の遺族が心のどこかで共感してしまう話は、この企画の1回目(23日)にも登場した。人の心とは、それぐらい複雑多様で文学的だ。もとより法律で画一的に切り取ることに無理がある。「被害者感情」という言葉の裏側に「期待される被害者像」がないだろうか。それこそが危険。(充)」

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