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2009年2月22日 (日)

今、目の前に小泉・竹中がいたら殴りたい、「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」「すまんな」「こっちに来い」「康晴はわしの子や、、」

≪介護のはなし≫(認知症の母親殺害事件)
http://www.youtube.com/watch?v=QLjXRMoM7Ec

 以下、Webから拾いました。

http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1235208623/
996 :これが小泉構造改革の結果!土曜の夜に泣け!:2009/02/22(日) 00:10:46 ID:bK8oNBIF0
 京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
 認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
 事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
 片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
 片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
 母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
 片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
 生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
 介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
 06年1月31日に心中を決意した。
 【最後の親孝行に】
 片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
 「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
 「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
 「すまんな」と謝ると、母は
 「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
 「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
 この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
 自分も包丁で首を切って自殺を図った。
 冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
 眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
 裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
 殺害時の2人のやりとりや、
 「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
 目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

 

京都・伏見区の母子無理心中:地裁が泣いた 介護疲れ54歳に「情状冒陳」--初公判
http://www.mainichi-msn.co.jp/kansai/archive/news/2006/04/20/20060420ddn041040006000c.html

    ◇もう生きられへん。ここで終わりやで そうか。一緒やで。わしの子や

 認知症の母親(86)の介護で生活苦に陥り、相談の上で殺害したとして承諾殺人などの罪に問われた京都市伏見区の無職、片桐康晴被告(54)の初公判が19日、京都地裁=東尾龍一裁判官(54)=であった。片桐被告が起訴事実を認めた後、検察側が片桐被告が献身的に介護しながら失職などを経て追いつめられていく過程を詳述。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。

 事件は今年2月1日朝、京都市伏見区の桂川河川敷で、車椅子の高齢女性と片桐被告が倒れているのを通行人が発見。女性は当時86歳だった母で死亡。片桐被告は首から血を流していたが、一命を取りとめた。

 検察側の冒頭陳述によると、片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。そのころから、母に認知症の症状が出始め、1人で介護した。母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊(はいかい)で警察に保護されるなど症状が進行した。片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。

 介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。

 「最後の親孝行に」。片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区の桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。ここで終わりやで」などと言うと、母は「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が「すまんな」と謝ると、母は「こっちに来い」と呼び、片桐被告が額を母の額にくっつけると、母は「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。

 この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺害し、自分も包丁で首を切って自殺を図った。

 冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。

 自宅近くの理容店経営、松村和彦さん(44)は「(片桐被告は)母親と手をつないでよく散歩し、疲れて座り込むとおぶっていた。(事件を聞いて)行政で何とかできないものかと思った」と語る。【太田裕之、石川勝義】

 ◆フォローが必要

 ◇津村智恵子・大阪市立大医学部看護学科教授(地域看護、高齢者虐待)の話

 介護心中の典型的ケース。高齢者虐待の中でも最も悲惨な結末。4月1日から全国の市町村に「地域包括支援センター」が設置されており、追い詰められる前に相談してほしい。被告人が社会復帰しても、孤立すれば自殺の恐れもある。フォローとケアが必要だ。

 ◆被告の努力示す

 ◇弁護を担当している池上哲朗弁護士の話

 (検察側の被告人に有利ともとれる冒頭陳述などについて)非常に珍しい。それほど悲しい事件ということ。警察官に対する調書も涙なしには読めず、心に触れたのではないか。公判でも被告人がいかに一生懸命頑張ってきたかを示したい。

毎日新聞 2006年4月20日 大阪朝刊

 

(取材ノートから)
伏見・認知症の母親殺害事件 介護者SOS見逃さないで社会報道部・山本旭洋
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/rensai/syuzainote/2006/060301.html

 京都市伏見区の桂川河川敷で2月1日、近くの無職片桐康晴被告(54)=承諾殺人罪で起訴=が、認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件で、介護の心労をつづった数枚のメモが見つかった。最後に書き残した言葉は「土に返りたい」。介護保険制度や相談窓口を利用していたが、追いつめられた心境は誰にも気付かれなかった。

 雨が降りしきる早朝。河川敷の木の下で、車いすに座ったまま死亡している母親が見つかった。毛布がかかった遺体のそばに、刃物で自分の首を傷つけた片桐被告も倒れていた。

060301 片桐被告が母親と無理心中を図ろうとした河川敷(2月1日午前10時40分、京都市伏見区)

不安、苦しみのメモ
 かばんに残されていたメモには、父親の死後約10年間、相談相手がいない不安感や疲れ、経済的苦しみが記されていた。また▽市販のおにぎりの包み紙も食べる▽深夜、15分ごとに起きてはいかいする-など、母親の深刻な症状も説明してあった。

 関係者によると、片桐被告は昨夏に仕事をやめた。週2回ほど、特別養護老人ホームのデイサービスを利用しながら自宅で介護に専念した。生活保護を受けようと区役所へ2度申請したが、失業給付金の受給などを理由に基準を満たさず断られた。そして昨年末、母の体調不良を伝え、ホームにも顔を出さなくなった。

 心配した担当のケアマネジャーが訪問したのは皮肉にも事件前日だったという。玄関前に雨でぬれた傘が立ててあったが返事はなかった。ホームの施設長は「面会を拒否されれば、どうしようもない。個人情報の関係で無理に本音も聞き出せない。閉じこもってしまった本当の理由はわからないまま」と漏らす。

実態の把握難しく
 ケアマネジャーに頼りがちな行政にとって、制度のはざまで暮らす人たちの実態把握は難しい。自分から助けを求められない介護者にも目が行き届かないのが現状だ。

 京都市上京区の「呆け老人をかかえる家族の会」京都支部の荒綱清和代表も認知症の母を介護した。言うことを聞かない母に憎しみを込めて尻をたたいたことがある。その後、排せつ物の世話のたび、尻に浮かぶピンク色の手形を見て自分を責めた。「むなしさで涙がこぼれた。こういう悩みは他人には話せない」。

親身に耳を傾けて
 2000年4月に介護保険制度が始まり、従来の措置制から契約制に変わった。利用者に選択の自由がある一方、公的責任は後退していないだろうか。制度開始後も「介護殺人」は絶えず、日本福祉大の加藤悦子講師によると、1998年からの6年間で200件近くあるという。

 人を殺すことは許されない。ただ、今回の事件は、誰かが親身に耳を傾けていれば命を救えたと思えて仕方ない。周囲が受け身のままでは悩みを抱え込む介護者のSOSを見逃してしまう。心を閉ざす前に変化を読み取り、積極的に救いの手を差し伸べる必要がある。
[京都新聞 2006年3月1日掲載]

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追記(2016/01/30):片桐被告のその後

介護家族
認知症の母殺害、再起誓ったが 8年の孤独、抱え自殺
毎日新聞2016年1月5日 大阪朝刊
http://mainichi.jp/articles/20160105/ddn/041/040/006000c

 介護殺人事件の加害者が事件から時間を経て自殺したり、体調を悪化させたりするケースが後を絶たない。介護疲れによってうつ状態だった人も少なくないとされており、社会復帰に向けた加害者の心のケアが課題として浮かび上がる。【「介護家族」取材班】

 ■温情判決

 2006年に京都市伏見区で起きた認知症の母殺害事件。承諾殺人罪に問われ、有罪判決を受けた長男(62)が14年8月、大津市の琵琶湖で命を落とした。親族によると、自殺とみられる。

 確定判決によると、長男は06年2月、伏見区の桂川河川敷で車いすに座る認知症の母親(当時86歳)の首を絞めて殺害した。自らも刃物で首を切り自殺を図ったが、助かった。

 長男は母親の介護のために会社を辞めて収入が途絶え、デイケアなどの介護費や約3万円のアパートの家賃も払えなくなった。役所に生活保護の相談もしたが断られていた。「もう生きられへん、ここで終わりや」と言う長男に「あかんか。一緒やで」と答える母親。長男の裁判で、検察側は犯行直前の2人のやり取りを明らかにした。被告の心情に寄り添うような検察側の姿勢もあり、事件は大きく報道された。

 京都地裁は06年7月、長男に懲役2年6月、執行猶予3年(求刑・懲役3年)を言い渡した。裁判官は「裁かれているのは日本の介護制度や行政だ」と長男に同情した。長男も法廷で「母の分まで生きたい」と約束した。

 それから約8年。長男はどう生活していたのか。親族らによると、長男は裁判の後、滋賀県草津市の家賃約2万2000円のアパートで1人暮らしを始め、木材会社で働いた。

 ■所持金数百円

 部屋には母親と事件前に病死した父親の位牌(いはい)を安置する仏壇を置いたが、事件のことを口にすることはなかった。勤務先の同僚は「真面目に黙々と仕事をこなした」。近所の男性は「誰かが訪れるのを見たことがない。孤独だったのでは」と話した。

 13年2月、「会社をクビになった」と親族に伝えたのを最後に、連絡が取れなくなった。

 親族が警察に行方不明者届を出したが、14年8月1日に遺体で見つかった。その日の朝、長男とみられる男性が琵琶湖大橋から湖に飛び降りるのを目撃した人がいたという。

 「彼は最後まで孤独から抜け出せなかった」。親族の男性は毎日新聞の取材に無念さをにじませた。男性によると、長男が亡くなる際に身に着けていたカバンには、自分と母親のへその緒、そして「一緒に焼いて欲しい」というメモ書きが入っていた。所持金は数百円で預金はなかった。「誰も頼ることもなく逝ってしまった。彼にとって何が必要だったのか分からなかった」。男性は唇をかんだ。

 病気の妻を殺害した大阪府の男性(70)も昨年、事件から約3年半後に自殺した。家族によると、男性は事件を引きずった様子で、家でぼんやり過ごすことが多かったが、カウンセリングなどを受けたことはなかった。14年に寝たきりの母親を殺害した大阪府の女性も保釈された後、睡眠薬を飲んで自殺を図ったが一命を取りとめた。精神鑑定では「うつ病」と診断された。

心身不調で裁判中断

 一方、心身の不調で裁判が中断したケースもある。昨年12月16日、大阪地裁の法廷に車いすで出廷した被告の女性(81)は裁判長の呼びかけに何も反応せず、ただ、ぼーっと前を見つめていた。

 大阪市旭区の女性は昨年3月に知的障害の長男(当時54歳)を殺害したとして殺人罪に問われている。検察側は介護疲れで将来を悲観したとみているが、事件の経緯を見つめようと、傍聴席には多くの人が詰めかけていた。

 しかし、裁判長は「被告の訴訟能力に疑いがある」として審理を打ち切った。今後、精神鑑定で訴訟能力が否定されると、公訴棄却となり、事件の審理がなくなって、法廷で詳細が明らかにされないままとなる。

 

「そうか、あかんか」認知症母殺人心中未遂 息子「後追い自殺」報道にネット「心が痛い」と衝撃
2016年1月7日 16時55分
J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2016/01/07254998.html?p=all

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男性が飛び降りたとされる琵琶湖大橋

「お母さんのためにも幸せに生きて」と裁判官

 事件は2006年2月1日に起こった。京都市伏見区で、10年近く前から認知症を患う母親(当時86歳)を1人で介護していた男性(当時54歳)が、母の首を絞めて殺害。自分も包丁で首を切り、自殺を図った。

 事件の背景にあったのは、セーフティーネットからの「脱落」だ。男性は母の症状が進行して退職せざるを得なくなった時、介護と両立できる仕事は見つからなかった。親族に援助を求められず、失業保険の給付も止まった。デイケア費や家賃の支払いが不可能となり、ついに心中を決意した。

 同年7月の京都地裁判決で男性は、市内の福祉事務所へ生活保護の相談に3回訪れたにもかかわらず失業保険を理由に認められず、助言も得られなかったと告白。当時の裁判官はその過酷な境遇に共感したのか、「恨みなどを抱かず、厳罰も望んでいないと推察される。自力で更生し、母親の冥福を祈らせることが相当」として懲役2年6か月、執行猶予3年(求刑懲役3年)という異例の「温情判決」を下した。さらに、「お母さんのためにも幸せに生きていくよう努力して」と声をかけた。

 そんな男性の悲劇的な「その後」が報じられたのは、事件からおよそ10年を迎えようとしていた2016年1月5日。同日付け毎日新聞によると、14年8月、滋賀県大津市の琵琶湖周辺で投身自殺したというのだ。裁判後、男性は同県草津市の家賃約2万2000円のアパートに1人で暮らしながら、木材会社で働いていた。しかし13年2月、「会社をクビになった」と親族に伝えたのを最後に、音信不通となった。

亡くなる際に持っていたのは、数百円の所持金と「へその緒」

 毎日によると、親族が警察に行方不明者届を出したが、結局、14年8月1日に滋賀県内で遺体で見つかった。その日の朝、男性とみられる人物が琵琶湖大橋から湖へ飛び降りるのを目撃した人がいたという。亡くなる際に身に着けていたカバンには、数百円の所持金とともに自分と母親のへその緒、「一緒に焼いて欲しい」と書かれたメモが入っていた。

 こうした後日談が報じられると、ツイッターには

  「マジかよ悲しすぎるだろ...」
  「やるせなさすぎる」
  「心が痛い」

と悲しみの声が相次いで寄せられた。

 男性は本当に自ら命を絶ったのか。2006年の事件を担当した弁護士に取材したところ、続けていた手紙のやりとりが途絶えており、消息は分からないと語った。また、京都府警や滋賀県警、草津市役所にも問い合わせたが、いずれも「こちらでは自殺かどうか把握していない」との回答だった。

 ここまで大きな反響がネットに集まる理由は、06年4月の初公判の冒頭陳述で検察側が語ったエピソードにある。男性は心中を決意した同年1月31日、「最後の親孝行」として車椅子の母と京都市内を観光。そして、翌2月1日早朝、桂川河川敷の遊歩道で「もう生きられへん。ここで終わりやで」と母に告げた。母が「そうか、あかんか。一緒やで」と返すと、男性は「すまんな」と謝り、額を母の額にくっつけた。その後、「わしの子や。わしがやったる」という母の言葉を合図に男性は母の殺害に踏み切った、という。

 この冒頭陳述のやり取りが「コピペ」されて、事件以後もSNSや掲示板サイト、まとめサイトなどに貼られ続けた結果、男性の身の上がネット上で強い印象を残すことになっていた。

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