中国の格言“求大同,存小異”(小異を残して大同につく)を最初に「小異を捨てて」と誤訳・誤用した奴は現代なら、(笑)
悪徳ペンタゴンに間違いなく表彰されると思っています(笑)
中国の格言の日本語訳、「小異を捨てて大同につく」は明らかな誤訳です。元々の中国語の格言では“求大同,存小異”、あるいは“求同,存異”(小異を残して大同につく)と言います。
中国人の知恵の結晶とも言える格言で、日本帝国主義の侵略を目の当たりにして国共合作(国民党と中国共産党が抗日のために手を結んだ事)がなったのもこう言う考え方が元々中国人庶民の間にあったからこそと思っています。「存」(cun、二声)には「捨てる」という意味はない。「残す、預けておく」の様な意味ならあります。小異を決して無理して捨ててはいない、ちょっと置いておく様な感じでしょうか。彼等にとっては、大同を前にしてお互い相手に小異を捨てる事を求めたりするなんて言う発想自体浮かばないようです。
参考:いや〜ビックリしました。「小異を残して大同につく」でググったら、トップ頁の2番目に植草さんのが出てきました。植草さんがココログで継続的に発信し始めてから1ヶ月経った時のエントリーです(植草さんのスタートは2008年4月16日 (水) 本日の控訴審判決について )
2008年6月26日 (木)
小異を残して大同につくことの大切さ
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_8046.html
追記:さらにビックリ。上記の翌日の今日25日検索して発見。もちろん1頁目には植草さんのが出て来るのですが、「約 19,900 件中 5 ページ目 (0.07 秒) 」で5頁目に僕のが出てきました(汗)日付は2008年6月6日のエントリーです。自分でも忘れていました。植草さんは僕のを読んでくれた可能性がありますね。
2008年6月6日 (金)
HIRO同志へ、植草氏の呼びかけに応え「小異を残し大同につく」を実行しようと思う。矛を収めカナダdeにもエールを送るつもりです。
http://soba.txt-nifty.com/zatudan/2008/06/hirode_1c37.html
←2010/11/25 6:38「小異を残して大同につく」で検索。
以下、寺子屋BBSへの投稿を採録。
Re: 大同小異で団結できれば・・・ (No.2398 への返信) - 一かゼロか
http://www3.rocketbbs.com/731/bbs.cgi?id=terakoya&mode=res&no=2399
↑関連です↓採録にあたり分かりやすくするために若干変えました。
Re:言葉を知らずに書く奴はアホ。「小異を残して大同につく」は正確には“求大同,存小異”、あるいは“求同,存異” (No.2450 への返信) - SOBA [No.2454] 2010/11/10(Wed) 21:40:10
http://www3.rocketbbs.com/731/bbs.cgi?id=terakoya&mode=res&no=2454
※それにしても、管理人さんが出ていなかったのに、心配の書き込みが少ない何てのは、ここはどうなってるの(笑)
「大同小異」だと、日本語でねれている使い方は「似たりよったり」だろう。
昔、私塾で中国語を習っていた時に、“求大同,存小异”、あるいは“求同,存异”、簡体字表記を日本の漢字にするなら、“求大同,存小異”、あるいは“求同,存異”(小異を残して大同につく)、と中国人の先生から習った時には新鮮な驚きでした。
捨てると思っていた小異でしたが、実は捨てない。そうではなく、中国人は取り敢えず残しておいてでも大事な大同についてしまう。お互い相手に小異を捨てる事を求めない強制しない。なるほど、先生いわく(要旨)「実は無理に小異を捨てようとするから軋轢が生じる、無理して捨てないでそのお互いの小異を残しておいてでも大事な大同についてしまう。お互い小異を残している事は知っている。お互いの小異を知り意識しているからこそ大同につくことがひび割れたりせず、却って長持ちする」先生の仰った事は要旨その様な内容だった。目から鱗でした。
(以下転載始め)
小異を残して大同につく
http://www.j-cfa.com/news/focus/2008/08-3-25.html
海江田万里 前衆議院議員、経済評論家(←肩書きが前となってますが元頁のままにしておきます)
日本と中国は共通の漢字を使いますから、お互いに言葉が喋れなくても筆談というコミュニケーションをとることができます。ところが同じ漢字であっても、その意味が日中で異なることがあり、これが思わぬ誤解を生むことになります。
よく例に出されるのが、中国人の友人ができた日本人が「手紙」と書いて、「今度、手紙を出すからね」と伝えたつもりが、それを見た中国人は「トイレットペーパーなら中国にもあるから…」と怪訝そうな顔をしていたという話です。
この程度なら笑い話で済みますが、笑えないのが、日本の大手自動車メーカーが中国にクルマを輸出して、その名前を日本名と発音の似た「覇道」にしたときの
ことです。「覇」の文字は日本語では「覇気がある」などと用いて、前向きで積極的な姿勢を表しますが、中国語では「横柄で理不尽な態度」となり、「覇道」
ブランドのクルマに乗ると「他人を押しのけて横柄に道を行く」ことを宣言することになってしまいます。
かつて、瀋陽の日本領事館に助けを
求めた脱北者の家族を、中国の「武装警察」が阻止した事件がありました。当時私は、民主党調査団の団長として現地を調査し、様々な事実が判明しましたが、
問題解決を複雑にしたのは、日本の新聞やTVが小さな子どもを領事館から引きずり出そうとする「武装警察」の姿を何度も流して、その映像が日本人の脳裏に
強く焼き付けられてしまったためです。その写真や、画像には必ず「武装警察」の説明が付きます。一般の日本人は「武装」という文字を見るだけで拒否反応を
起こし、「中国の凶暴な警官が子どもに暴力をふるっている」との印象になります。
中国では街のお巡りさんは、拳銃を携帯しません。ロンドンや香港の警察と同じ丸腰です。ところが、大使館や政府施設を警護する警官は拳銃やカービン銃を持つので「武装警察」と呼ばれます。ですから中国人から見れば拳銃を携帯している日本の警官はみんな「武装警察」ということになるのです。
私は日本と中国の相互理解に不可欠なのは、最初に違いをはっき
りさせることだと思っています。同じ文字を使うし、顔形も髪の毛の色も同じだ、と共通する面を強調して付き合いを始めると、途中で違いが出てきたときに
「こんなはずではなかった」と失望や裏切られた思いに変わってしまうのです。日本は「小異を捨てて大同につく」ですが、中国では「求同存異」(小異を残して大同につく)ですから、ここにも日本と中国の違いがあります。
(以上転載終り)
(以下転載始め)
○私の実践中国語(11) 日中成語・ことわざ
http://www.toho-shoten.co.jp/business/gakushu/jissen/jissen11.html
藤本 恒(京都文教大学講師)
原載:『日中経協ジャーナル』(財団法人日中経済協会)
昨年四月以来連載してきた、「私の実践中国語」もこの三月で年度末が到来し一応の区切りとなった。年度代わりの今回は有終(=有醜)の美を飾りたく思い、日本と中国の「成語・ことわざ」を選んでみた。
この「成語・ことわざ」の文例部分(鏡部分と分けて、私はこの部分をデータ部分と呼んでいる)を参考文献にあたりながら収集している過程で、今回も日中間
の文化交流の悠久さとその間口の広さをいやと言うほど感じさせられた。今はやりの中国語単語の表現形態を使うなら、さしずめそれは“深度之深”“广度之
广”“涉及的方方面面”などという言葉を頻発することになるだろうか。
それだけにこの一年間の寄稿文を読み返してみて感じることは、そ
れが自ら意識してその方向を選んだことではあるけれども、日中共通の成語やことわざの多さもさることながら、その中の一部にみられる「創造者」と「活用
者」の間の微妙な意志疎通の食い違いや、時代を経てそれぞれがその風土にはぐくまれて言葉の「相」が変化してきている部分の意外に多かったことである。
既にどこかで書いてご披露したと思うが、たとえば日本語で言う「緒につく」という言葉は、「スタート・ラインに並ぶ」、「始まったばかり」という意味であ
るが、中国語の“就绪”は「軌道に乗る、用意ができる」の意味であり“准备就绪”といえば「準備完了、用意は整った」ということになる。取引の場で日本側
がまだ何の心積もりもしていないのに、その場の雰囲気からつい「本プロジェクトに対する当社の準備は緒についたところであります。」と口走り、これを通訳
が“对这一项目我公司已经准备就绪。”と言ったとしたら中国側の受け止め方はどうだろうか。
意味の違いは“就绪”ほど大きくはないが “求大同,存小异”も同様で「大同にはつくが、決して小異を捨ててはいない」のが中国である。お互いにそれぞれの持っているものを尊重しながら現在の双方に
とって最善の道を選択し、平和に共存していこうとする歴史の経験に裏打ちされた中国風人生哲学をこのような言葉や格言の中からも読みとることができると思
う。
用語一つ一つのこれらのミクロ・レベルの差異が“积少成多”(塵もつもれば……)で結果的に「近い中国」を
「遠い中国」にしている原因の一つだとすれば、私たち中国語の学習や普及を心がけるものの負うべき責任は重大である。三十数年前の六十年代の初頭、香港経
由で生まれて初めて中国を訪問した時、中国は日本から遠く離れた国だと心底感じた。しかし一方中国人との接触を深める中で精神的には気持ちが通い合えるな
との親近感を持ったものだった。その後十年余、国交が回復した。航空路が開けた。通信手段も多様化した。物理的に近くなった日中両国であるのに、精神的・
文化的には遠心力が求心力より強まっているように感じるのは私の加齢のせいだろうか。
ぼやいていても始まらない。日本は素晴らしい生産
加工技術の持ち主である。この技術の神髄は素材・部品の精度とデザイン力・組立技術とによって成り立っている。理工系のこの優れた能力をわれわれ文系の学
習者はどうして活用しなかったのだろうか。部品や素材は言語に当てはめれば「単語」であり、デザイン・組立技術はというと、これは「表現方法」・「文法」
となる。「表現方法」・「文法」が悪ければ聞く耳持たぬで聞いてももらえないし、意味も通じない。日本の研究者のこの面での研究はほぼ満足できるものだと
思うが、「単語」=部品精度については歴史的経緯からか、同一表記文字の関係からか、研究も進んでいないように思う。今後は従来「同文」なる誤解の下にな
おざりにされてきた中国語素材面の精度をミクロ・レベルにまで追究し高めることに注力すべきではないか。そのためには文書データの蓄積と、その文書データ
中に使用されている部品としての単語の意味・位置づけ・相などを統計的に解析するという気の遠くなるような膨大な作業が必要になる。同好の士とともに少し
ずつでもこのような作業に取りかかろうと考えている。ことわざの“千里之行始于足下”という言葉を脳裏に置きながら。
なお、今回の「ことわざデータ」は中国で入手した《汉日成语谚语对译》その他を参考にした。
日中成語・ことわざ対訳
(以上転載終り)
(↓クリックすると拡大)
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