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2010年12月18日 (土)

コザ暴動(1970年12月20日)満40年の3日前に沖縄に説得に行った菅の鈍感(悪意)に、一斗缶打ち鳴らし猛烈抗議。

 後ろで、コザ騒動40年について沖縄地方紙の社説その他記事を採録。

「デモに打楽器、カネ太鼓を使おう」と雑談日記が呼びかけ、キャンペーンを始めたのが11月26日。効果が出てきたかも、。

管首相県庁到着~反対の怒号~.avi
http://www.youtube.com/watch?v=xeTXUKdGlgE

ID:uematoru1221 さん
http://www.youtube.com/user/uematoru1221
12月17日、管首相が來県。沖縄県知事と普天間移設問題で会談。
首相は日米合意にも基づき辺野古移設が現実的でベターな選択だと要請した。これに対し­知事は「県内移設は無理で県外移設を強く要請した。会談後の記者会見で「首相は勘違い­している!・・・新基地建設は沖縄にとっては『バッド』だ・・・」と不快感を示した。­両者の見解には大きな隔たりがあり、会談は平行線、物別れに終わった。
県庁周辺では、県内移設に反対する平和団体、市民グループが集まり、『撤退せよ』のプ­ラカードを掲げ、空き缶(管)を叩き、『管首相は帰れ!』と首相の来沖に激しい怒号を­浴びせた。

 

県民怒号の“菅迎” 寒風裂く「帰れ」「地元で生の声聞いて」【琉球新報】
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-171320-storytopic-1.html
2010年12月18日

20101217img4d0c0a4c7ef77 持参した一斗缶などを打ち鳴らし、菅直人首相に日米合意の撤回を求める県民ら=17日午後0時42分ごろ、那覇市泉崎の県庁前

※SOBA:後ろで一斗缶を叩いているのが分かります。

 17日来県した菅直人首相に、県庁周辺に結集した市民や労組員は「帰れ」と怒りをぶつけ、街の県民からも「政府に期待できない」などと冷ややかな声が聞かれた。仲井真弘多知事との会談は抗議行動の人々が一斗缶などを「カンカン」鳴らす音と怒号が響く中で行われ、約20分で終了。大部分は首相の「思い」や、普天間基地の辺野古移設に理解を求める時間に費やされ、結局は平行線。県民の民意が理解されていない印象を与えた来県初日、訪問先を外された名護市や宜野湾市の住民は「地元に足を運び、生の声を聞いて」と反発した。

 強風が吹き付ける寒空の下、県庁周辺は17日朝から菅直人首相を待ち構える人が押し寄せ、朝から夕方までに延べ千人が集まった。集まった県民は黄色の紙に赤字で「撤回せよ」と書かれたプラカードを頭上に掲げ、首相に「日米合意撤回」を迫った。「菅」と「缶」を掛けてそれぞれ一斗缶やクッキー缶を手にし、「缶(菅)をたたけー」のシュプレヒコールに合わせ、空き缶を打ち鳴らす音が響き渡った

 沿道には警備の警察官約200人が立ち並び、県庁上空には警護のヘリが旋回。黒塗りの車に乗った菅首相が到着すると「帰れ」コールが一段と熱を帯び、菅首相は県民の怒りの洗礼を受けた。

 名護市から来た渡具知武清さん(54)、妻智佳子さん(49)は「首相の来県は辺野古移設ノーを訴えるチャンス。なのになぜ辺野古に来ないのか。反対運動を軽視している」と駆け足の来県を批判した。

 上里勲さん(73)=那覇市=は「菅首相も市民運動をしていた自分の青年時代を思い出せば、われわれの気持ちが分かるのでは」と述べ、日米合意撤回を訴えた。

 東京から4年前に移住した小野美智子さん(66)=那覇市=はかつて安保闘争に参加した経験があり「あの時本土の基地が沖縄に移設するのを止められなかった責任を感じる」と述べ「県外の人にも沖縄が、また日本全体が踏みにじられていることを知ってほしい」と話した。


 以下、資料として採録。

コザ騒動40年 民衆蜂起の歴史から学べ【琉球新報、社説】
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-171407-storytopic-11.html
2010年12月21日

 基地の島・OKINAWAの現実はどれだけ変わっただろうか。「アメリカ世」の中で繰り返された米兵による人権侵害に対する、沖縄人の怒りが爆発したコザ騒動から満40年がたった。
 騒動の内実をさまざまな角度から検証し、今の沖縄に重ね合わせて意義を見詰め直す市民レベルの多彩な取り組みがなされ、深みを増している。沖縄戦後史で、米軍の圧政に対して実力を行使した唯一の大規模な民衆蜂起の意義は色あせず、今も多くのことを問い掛けている。
 なぜだろうか。
 沖縄の民意が軽んじられ、民主主義国家であるはずの日本の政治に反映されない状況が全くと言っていいほど、変わらないからだ。
 今年、沖縄の基地問題は激動した。9万人が結集して、普天間飛行場の国外・県外移設を求めた県民大会が開かれたにもかかわらず、民主党政権は一顧だにせず、名護市辺野古崎への移設に回帰し、日米で合意した。その後、県民に充満した思いは「悲憤」と「沖縄差別への告発」であった。
 4カ月後、夏の甲子園で、興南高校が春夏連覇を成し遂げた時、多くの県民が歓喜し、「シタイヒャー(よくやった)」と叫んだ。
 コザ騒動の現場でも発せられた言葉である。県勢の初快挙を通し、あくまで沖縄に基地を押し付けようとする日本政府と傍観している本土の人々に対する情念を交錯させた県民も多かっただろう。
 沖縄の基地重圧は、米軍統治下の人権侵害の歴史を縦糸に、爆音や米兵事件など、今も拡大再生産されている被害を横糸にした重層的構造になっている。
 40年前に米軍の圧政に向けられた怒りは、構造的な沖縄差別を温存する日本全体に矛先を変えつつあり、血脈のように息づく。政府はそれを見過ごしてはなるまい。
 騒動のきっかけとなった威嚇発砲をした米陸軍の元憲兵のブルース・リーバーさんは、過重な基地負担が解消されない状況を目の当たりにし、「なぜ第2のコザ騒動を起こさないのか」と語っている。
 日米合意の後の県民世論調査で、日米安保を「維持すべきだ」との回答はわずか7%に落ちた。沖縄の民意はいつ発火してもおかしくない。安保の名の下に一地域に犠牲を強いる悪循環を断ち、民意を反映した政治に立ち返ること。それが歴史が残した教訓だ。

 

[コザ騒動40年]今も続く理不尽な状況【沖縄タイムズ、社説】
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-12-20_12990/
2010年12月20日 08時59分

 「ひんがさんきよぉー」

 殺気だった群衆の中から逃がすなと鋭い声が飛んだ。「憲兵に車を渡すな。糸満の二の舞いになるぞ」

 異常事態発生の情報は、瞬く間に飲み屋に広がり、午前2時を過ぎているというのに事故現場には500人余の人だかりができた。「アメリカーたーんかい、うせーらってぃないみ」(アメリカーにばかにされてたまるか)。「たっくるしぇー」

 群衆の中から投石が始まると、中の町派出所近くに集結していた応援のMP(米憲兵)が一斉に威嚇(いかく)発砲した。

 興奮した群衆は黄色のナンバープレートをつけた外国人車両を次々にひっくり返し、車体に火を放った。一団は胡屋十字路近くの事故現場から諸見、島袋方向に進み、別の一団は嘉手納基地の第二ゲートに向かった。

 黄色ナンバーの車だけを選んで引っ張り出し、次々にガソリンをぶっかけた。

 「したい。ゆーせーさ」。燃え上がる炎を見てカチャーシーを踊り出す人もいた。群衆の一部は第二ゲートを突破して米人学校に火をつけた。

 被害に遭った黄色ナンバーの車両は70台を超える。米軍は高等弁務官の許可を得て暴動鎮圧用の催涙ガスを使い、鎮圧に乗り出した。

 1970年12月20日。日米両政府を震撼(しんかん)させたコザ騒動から、今日でちょうど40年になる。

 米軍基地をめぐる理不尽な状況は、解消されるどころか、深まる一方である。コザ騒動は決して過ぎ去った過去の出来事ではない。

 当時、米兵がらみの事件・事故は日常茶飯事だった。米兵がらみの事故はすべてMPが処理するため、交通事故の被害に遭っても泣き寝入りすることが多かった。

 糸満市で酒によって主婦をひき殺した米兵に無罪判決が言い渡されたことで、住民感情は極度に悪化していた。

 コザ騒動が起きたのは、そんなころだ。米軍兵士の乗用車が道路横断中の軍雇用員をはね、頭にけがを負わせたことがきっかけだった。

 「騒動」という言葉を使いながら、どこか引っかかりを感じるのは、混乱の中に、ある種の秩序があり、暴力性の中に、抑圧からの解放を求める民衆の希求が感じられるからだ。

 人はプライドや尊厳が傷つけられたときに、敏感に反応する。コザ騒動は、多くのウチナーンチュの心を激しく揺さぶった。多くの県民がその記憶を反すうしながら、普天間問題に向き合っている。

 復帰によって米軍は「基地の自由使用」の権利を確保すると同時に、基地運用によって生じる住民との摩擦の処理を日本政府にゆだねた。

 日本政府には、しかし、国内法に基づいて問題を処理する十全の権利が与えられているわけではない。地位協定によって主権行使に大きな制約を受けており、その結果、住民が著しく不利益を被っているのが現実だ。その上、普天間問題である。

 この理不尽な状況を日米両政府は一体、いつまで放置し続けるつもりなのか。

 

 以下、やまとんちゅーの記事を2本紹介し、そのうしろで沖縄の地元紙の記事や社説を採録。

辺野古はベター~菅首相が沖縄で知事と会談【日テレ】
http://www.news24.jp/articles/2010/12/17/04172600.html
< 2010年12月17日 20:53 >

 アメリカ軍普天間基地(沖縄・宜野湾市)の移設問題をめぐり、菅首相は17日、沖縄を訪れて沖縄・仲井真県知事と会談し、「辺野古(沖縄・名護市)への移設はベストではないが、ベターな選択肢ではないか」として、5月の日米合意への理解を求めた。

 仲井真知事「私は5月28日の日米共同発表の見直しをぜひお願いしたい。県外へというのが私の公約になっているので、ぜひ政府も真っ正面から受けていただいて、県民の思いを実現できるよう、お力添えをお願いしたい」

 菅首相「選挙では、当時の鳩山代表をはじめ、民主党として県外・国外と申し上げました。その後、鳩山内閣誕生からかなりその方向を模索して鳩山前首相も努力したが、結果としてそうした形が実現せず、あらためて辺野古への移転という形での日米合意を5月28日に結ぶことになりました。こうした経緯について、民主党の代表として沖縄の皆さんに大変申し訳なく思っています。ベストは確かに県外・国外かもしれないが、色々な過去からの経緯を考え、国際情勢を考えたとき、ベターな選択として、私は辺野古移転をもう一度皆さんに考えていただけないか」

 菅首相は、普天間基地の移設先の方針をめぐり、民主党政権が約束した県外移設を果たせずに迷走したことを陳謝した上で、普天間基地の危険性除去の必要性や実現の可能性に触れ、あらためて移設先を辺野古とした日米合意に理解を求めた。

 これに対し、会談を終えた仲井真知事は「ベターというのは勘違い。沖縄にとっては、県内移設は全てバッドの分類だ」と厳しい口調で語るなど、両者の言い分は平行線をたどった。

 菅首相は、来年度から実施する地方への一括交付金について沖縄県に優遇措置を取る方針や、来年度で期限を迎える沖縄振興法の代替となる新法制定に向けて努力する考えを示すなど、沖縄振興への意欲をアピールしたが、沖縄県側の理解を得られる見通しは全く立っていない。県民からは「何のために来たのかわからない」との厳しい声も上がっている。

 

菅首相:普天間移設で沖縄知事に陳謝 理解は得られず【毎日】
http://mainichi.jp/photo/archive/news/2010/12/17/20101218k0000m010095000c.html
沖縄県を訪問し、仲井真弘多知事(右)との会談の冒頭一礼する菅直人首相=沖縄県庁で2010年12月17日、武市公孝撮影

 菅直人首相は17日、11月の沖縄県知事選後初めて同県を訪問し、再選された仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事と那覇市の県庁で約20分間会談した。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について、09年衆院選の際に「県外・国外移設」を公約しながら、同県名護市辺野古に回帰した鳩山前政権の迷走について、首相は「民主党の代表という立場も含め、大変申し訳なく思っている」と陳謝。その上で、辺野古への移設について「沖縄の皆さんにとってベストは県外・国外かもしれないが、ベターな選択としてもう一度考えてもらえないか」と改めて理解を求めた。

 首相の沖縄訪問は就任直後の今年6月に続き2回目。知事選で仲井真知事は普天間飛行場の「県外移設」を訴えて再選を果たしており、首相との会談でも「『県外』が私の公約なので、政府にも真正面から受け止めてほしい」と、辺野古移設を決めた5月の日米合意の見直しを迫った。

 仲井真知事は会談後、首相の「ベターな選択」発言に対し「勘違いだ。県内はグッド、ベター、ベストという分類に入らない。すべてバッドの系列というのが沖縄の感覚」と強い不快感を表明。一方、首相は17日夜、沖縄県うるま市で「普天間が今の形のまま残ることは何としても避けたい。意見の隔たりはあるが、誠心誠意、話し合っていきたい」と記者団に語り、双方の認識の違いが改めて鮮明になった。

 首相は17日の会談で、11年度予算編成で沖縄県が求めている独自の一括交付金制度の創設にふれ、「(全国と)別建てのものを考えている」と受け入れの意向を示した。同日夜には仲井真知事と会食し、沖縄県への配分額について「250億円を下回らない額としたい」と述べ、具体的な金額にまで言及。首相はこのほか、11年度末で期限が切れる沖縄振興特別措置法に代わる新法制定や、基地返還後の跡地利用に関する法整備にも前向きな考えを示した。【井本義親、横田愛】

毎日新聞 2010年12月17日 21時21分(最終更新 12月17日 23時01分)

 

 以下、沖縄地元紙の記事と、社説など。

菅首相—仲井真知事会談やりとり(要旨)【琉球新報】
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-171325-storytopic-3.html
2010年12月18日

 仲井真知事 先日2期目をスタートした。公約の実現には政府の力がどうしても必要だ。あと1年半で日本に復帰して満40年を迎える。沖縄振興関係の法律も終わる。新しい沖縄振興について政府の力添えをいただきたい。軍用地の跡利用促進で使い勝手のいい法律を作ってほしい。総理が推進する一括交付金は沖縄にぴったりで、次の沖縄振興にこの制度を入れてほしい。
 普天間基地の移設について、5月28日の日米共同発表の見直しをぜひお願いしたい。1月の名護市長選挙を契機に、県内は非常に難しくなっている。したがって県外を求めていくということが私の公約になっている。ぜひ政府でも真正面から受けてもらい、県民の思いを実現できるように力添えをお願いする。
 菅首相 知事選が終わって初めて訪問した。総理としての沖縄に対する考え方を県民にも伝えたい。今日においても全国の米軍基地の75%近くが沖縄にある現状に、日本人として申し訳なく、また政治家としても慚愧(ざんき)に堪えない。
 普天間移設について、県外にという要請を知事から受けた。この問題について考え方を申し上げる。昨年の政権交代を迎え、当時の鳩山(由紀夫)代表をはじめ、民主党として県外・国外ということを申し上げた。かなりその方向を模索したが、結果として実現できず、あらためて辺野古への移転という形の日米合意を結ぶことになった。民主党代表という立場も含め、大変沖縄の皆さんに申し訳なく思っている。
 私が日米合意を踏まえてという言い方をするのは、普天間の危険性除去を考えた時に、沖縄の皆さんにとっては辺野古はベストな選択でないかもしれないが、実現可能性も含めるとベターの選択ではないか。人口密集地帯から移るとかなり危険性が削減される。移設に伴い沖縄海兵隊の約4割がグアムに移転する。嘉手納より南の活用度の高い地域が返ってくるプラスもある。ベストは確かに県外・国外かもしれないが、過去からの経緯、あるいは国際情勢を考えた中で、ベターな選択として辺野古移転をもう一度皆さんにも考えていただけないか。決して強引に物事を進めるつもりはない。誠意を持って話し合う中でご理解をいただくという姿勢で今後も臨む。
 知事から話があった沖縄振興のための新しい法律の制定に向け、一緒に努力したい。全国一般の一括交付金の上乗せ等、沖縄振興のための別建てのものを考えている。ヤマ場の予算編成の中である程度の規模を用意したい。駐留軍用地の利活用も必要な法整備等に取り組む。沖縄の思いを大事にしながら、政府として精いっぱいできることに取り組む。

 

県内は「全部バッド」 仲井真知事、県外公約堅持を強調【琉球新報】
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-171323-storytopic-3.html
2010年12月18日

 仲井真弘多知事は17日午後、菅直人首相との会談後、記者会見し、菅首相が米軍普天間飛行場の名護市辺野古崎移設について「ベストではないがベターな選択だ」と述べたことについて「勘違いだ。県内(移設)はグッド、ベター、ベストの分類ではなく、全部バッドの系列だ。意味がよく理解できない」と強い不快感を示した。
 普天間飛行場は「県外へ」とした自身の公約について「現時点で変えることもあるか」との質問には「あり得るわけがない。当選はつい2週間前だ」とした上で、「県内は事実上無理だ。グアムへの米海兵隊移転や嘉手納飛行場より南の米軍施設の返還と普天間移設を切り離さなければいけない。政府に求めたい」と述べた。
 首相が一括交付金について来年度から沖縄を「別建て」として実施する意向を示したことについては、「基本的には一致している」としながらも「中身は話しておらず、分かりにくい」と述べるにとどめた。
 菅首相が県民へのメッセージとして、辺野古への移設理由を話したことについて「納得いく説明だったか」という記者の質問については「正直、もう一つ分からない。県民の評価を聞いてみる必要があるが、『なるほど』となるかというとどうか」と述べた。

 

首相・知事会談 説得すべきは米国だ【琉球新報、社説】
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-171304-storytopic-11.html
2010年12月18日

 「普天間基地は県外に」という仲井真弘多知事に、菅直人首相は辺野古移設容認を迫った。
 会談が平行線のまま終わったのは当然だ。民意に背を向け聞く耳を持たない政治とは何だろうか。
 会談が行われた県庁の前には「(日米合意を)撤回せよ」と書いたプラカードを持った人が大勢集まり「帰れコール」を繰り返した。多くの県民も同じ気持ちだろう。
 米軍と一口に言っても、陸、海、空、海兵隊と4軍ある。その全てを県外にと要望しているのではない。4軍の一つ海兵隊の危険な普天間基地を県外に、と言っているだけなのだ。沖縄には在日米軍基地の74%が集中している。普天間基地が県外移転したとしても、集中度が72%に下がるだけだ。
 米兵による犯罪も後を絶たない。戦闘機による騒音も日常だ。嘉手納基地近くの嘉手納中学校から、エンジン調整に伴う騒音と悪臭被害の軽減を求める陳情書が町議会に提出され、全会一致で採択されたばかりだ。日米共同統合演習では、PAC3を載せた軍用トラックが通告のないまま公道を走った。基地がもたらす被害について、仲井真知事は、もっと言いたかっただろうが、普天間の県外と地位協定の改定に絞って要請した。
 菅首相は、地位協定改定には触れず「県外、国外が結果として実現できず、申し訳なく思う」と謝罪した。しかし、米国と話し合いはしたのか、沖縄以外の自治体にどう働き掛けたのか、県外移転へどこまで本気で取り組んだのか示さず「辺野古移設がベターな選択」と日米合意の推進をあらためて表明した。
 仲井真知事が不快感を示したように県内移設はベターではなくバッドだ。新しい基地を造ってしまえば、簡単には撤去できない。半永久的に海兵隊の基地を置くということだ。「(基地負担を)日本全体として受け止めなければならない」と菅首相は言うが、県内移設が決まった後に、日本全体でどう受け止めるのか。嘉手納基地やほかの基地を引き受けるのか。
 普天間移設について菅首相は「強引に進めるつもりはない。しっかり誠意を持って話し合う」と強調したが、時間がたてば、容認に変わると思っているとしたら大間違いだ。沖縄を説得する誠意とエネルギーは、米国に向けて使うべきだ。

 

菅首相来県 安保の矛盾と“差別”直視を【琉球新報、社説】
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-171266-storytopic-11.html
2010年12月17日

 菅直人首相が今日、来県する。
 これほど来県を歓迎されない首相も珍しい。おそらく、前任の鳩山由紀夫首相より不評度は高い。
 答えは、はっきりしている。県民の総意、民意に背く施策を押し付けるための来県だからである。
 それでも、せっかくの来県だ。在日米軍専用施設の74%が集中し、被害を多発させる在沖米軍基地の実態を体感し、県民の犠牲の上にある「日米安保」の矛盾をしっかりと直視してほしい。
 その上で、首相自ら率先し促進する移設に名を借りた「辺野古新基地建設」が、県民に新たな基地被害と負担を強いる「沖縄差別」であることを認識してもらいたい。
 来県する首相に、問いたい質問が山ほどある。米軍普天間飛行場はなぜ「返還」が合意されたのか。なぜ「移設条件」が付き、なぜ移設先は「辺野古沖」なのか。
 新基地建設で、なぜ嘉手納基地より南の基地が返還されるのか。
 普天間移設と海兵隊のグアム移転は、なぜセットなのか。
 在沖米海兵隊の現在の兵員数は何人で、グアムに移転する海兵隊員数はなぜ8千人で、家族数は、なぜ9千人で、沖縄には何人の海兵隊員が残るのか。
 「沖縄の負担軽減」を強調しながら、なぜ墜落事故を多発する欠陥機・垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの普天間配備を許すのか。
 いずれも当初の目的が忘れられ、根拠のない数字が闊歩(かっぽ)し、矛盾と危険性が再三指摘される内容だ。
 県内では普天間問題は「内閣が代わる」か「政権交代」しない限り解決できないとの見方が大勢だ。
 問題解決に命を懸ける政治家の不在、普天間を本気で動かせる県知事や国会議員の不在、米国政府や米軍内に普天間を動かす本気度の欠落、移設に必要な新基地建設のアセスなど手続きの手詰まりなど政治の無策ぶりが、その理由だ。
 民主党政権の普天間問題をめぐる一連の「迷走」で、県内の新基地建設に対する反対運動は激化し、全国が移設を拒否する中での「辺野古回帰」に「沖縄差別」の批判も噴き出している。
 県民の民主党政権への不信感は根深い。その解消策もないまま、民意無視の来県である。安保の重要性を認める本土各県が、なぜ海兵隊の受け入れを拒むのか。せめてその答えぐらいは持参してほしい。

 

[菅首相来県]辺野古推進の地固めか【沖縄タイムズ、社説】
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-12-19_12975/
2010年12月19日 09時30分

 菅直人首相は沖縄を離れる前の記者会見で、総理としての考えを沖縄の人々に伝えることが大きな目的だった、と言い残して東京に戻った。沖縄の人の声に耳を傾けることはなかった。

 米軍基地問題と振興策をリンクさせる形で「一括交付金」の沖縄枠を公表したのは不誠実だ。首相は「政府としてそれぞれしっかりやる」とリンク論を否定しているが、米軍普天間飛行場を名護市辺野古へ移転する政策を変えない方針を繰り返し表明した以上、基地・振興の分離論は方便にしか聞こえない。

 17日午後、首相が県庁で仲井真弘多知事と面談していたちょうどそのころ、FA18戦闘機が爆音を吐きながら米軍普天間飛行場に着陸した。住民は日々、そのような基地被害にさらされている。

 そのとき、首相は仲井真知事に「県外・国外がベストかもしれないが、辺野古移転がベターな選択としてもう一度考えてもらえないか」と求めた。そして持ち出したのが、「別枠で沖縄振興のための一括交付金を考えている」というカネの話だ。

 基地と振興はリンクさせない―と言うならば、仲井真知事の「安保の負担は全国民の課題だ」との問いかけにちゃんと向き合うのが筋だ。

 さらに一括交付金化は民主党が進めている地域主権改革のひとつだ。全国一律に人口や面積などで算定されると離島県の沖縄は不利なため、それを是正する算定指標を県は求めている。特別な優遇策ではなく、適正化措置だ。

 普天間問題と交付金を並べて語る菅首相の見識を疑う。

 沖縄の基地過重負担について、菅首相は会見で「政治に携わる者として慚愧(ざんき)に堪えない」と語った。

 それは本心と信じたいのだが、「県外・国外がベスト」と前置きしながら、普天間の危険性除去のため「辺野古移設がベターだ」と語る首相は別人ではと疑う。

 日米間ですでに合意した辺野古案が手っ取り早く、普天間問題を終わらすことができる、という発想なのだろうか。問題解決への理念や展望を語ることなく、「慚愧の念」を口にするようでは政治家の矜持(きょうじ)が問われる。

 普天間を使う米海兵隊は機動展開能力に優れ、沖縄に駐留する必然性はないのだが、本土へ部隊を移転すると反基地が各地に飛び火する。だから基地問題はなんとしても沖縄に押しとどめる、というのが従来の沖縄基地政策だ。

 海兵隊撤退論者だった菅首相もその構図を変えきれない。この国の力の限界だろう。

 沖縄を知るために読んだという作家・大城立裕氏の「小説琉球処分」から首相は何を学んだのか。明治維新で薩摩支配の終わりに期待した当時と現在が重なって見える。

 政権交代への期待が裏切られた県民は「県外移設」を主張した仲井真知事を再選させた。それでも民主党は最近まで県内移設容認派だった知事との交渉継続に期待をつなぐ奇妙な関係が続く。

 菅首相が県民の声を聞かずに帰ったのが気がかりだ。処分へのアリバイづくりか。

 

[拝啓 菅直人様]もっとあなたらしさを【沖縄タイムズ、社説】
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-12-17_12889/
2010年12月17日 08時55分

 市民運動出身で庶民派を自称する首相にはくだけた呼び名がふさわしいと思い、親しみを込めて「菅さん」と呼ばせていただきます。

 菅さん。年の瀬も押し詰まったきょう17日、来県されるそうですね。沖縄では古来、島の外から訪れる客人を「マレビト(来訪神)」と称し、手厚く歓待する習わしがあります。

 でも、今回は目的が今ひとつはっきりせず、島の人たちはみんな、不安を募らせています。「なんでね」という感じなのです。

 「普天間飛行場について先の衆院選で県外、国外と言ったにもかかわらず、できなかった。県民に謝るべきところは謝り、辺野古移設が少なくとも今の普天間より危険性が少なくなることを説明したい」

 菅さんが外務・防衛の優秀な官僚や「安保マフィア」と呼ばれるその道の専門家から日々、いろんな話を聞いているだろうことは想像にかたくありませんが、ちょっと待ってください。

 国土面積の0・6%しかない沖縄県に半世紀以上も米軍基地の負担を負わせ続け、さらに今後も半永久的に犠牲を強いるようなことが許されるのでしょうか。

 1996年、薬害エイズ事件の全容解明に立ち向かった時のことを思い起こしてください。事件を隠そうと抵抗する厚生省の官僚をしかり飛ばして資料を提出させ、患者たちに謝罪し、救済の道を開いた時のことを。あの時、菅さんが示した正義感と行動力を私たちは今でも鮮明に覚えています。

 米軍基地を受け入れるのは誰でも嫌です。仙谷由人官房長官も「私の(出身の)徳島県を含め自分のところで引き受けようという議論は国民的に出ていない」と本音を明かしました。普天間をどこへ持って行こうかという議論はそもそも無理な話だったのでしょう。

 過去14年も県内移設を追求した自民県連、公明県本のいずれもいまは考えを変え、沖縄で移転先を求めることをやめました。

 16日付朝日新聞朝刊に掲載された世論調査の記事はお読みになったと思います。

 日米合意について「見直して米国と再交渉する」が59%、「そのまま進める」は30%でした。沖縄県内だけでなく、全国の世論が確実に変わりつつあるのです。

 そろそろ、発想の転換が必要ではないでしょうか。

 そのような状況で日米合意の実現を目指すならば、前任の鳩山由紀夫氏と同じように迷路から抜け出せなくなります。

 手土産論も出ていますが、基地と振興策をリンクさせ、「どうか(基地を)甘受していただきたい」と語るのだけは、どうかやめてください。

 東アジアに目を向けると、中国、台湾の経済交流は不可逆的に拡大し、アセアンを含め新たなフロンティアが広がっています。たった一つの基地問題に翻弄(ほんろう)される総理ではなく、21世紀にふさわしい将来ビジョンを私たちは待ち望んでいます。

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