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2010年12月 7日 (火)

バナー制作で気がついた。小泉、安倍、麻生は間抜けアホーマンスと悪役が一体だったが、菅・仙谷は役割分担してる感じだ。

 正直、作り辛かった。今まで自民党の時には総理を材料にすれば、間抜けアホーマンスと悪役を一人が体現しているので作りやすかったのだ。

 菅と仙谷は、間抜けキャラクターを菅、悪役を仙谷が分担しているように見えます。ただし、最終的な人事権は本来総理たる菅が握っているのだから、これからは遠慮せず菅をぶっ叩こうと思う。

イ イ

 以下、今までの総理と官房長官です。やはり仙谷は目立つという点では際だっているような気がします。

94代菅直人内閣:2010年(平成22年)6月8日から
官房長官
仙谷由人:2010年(平成22年)6月8日から

 

93代鳩山由起夫内閣:2009年(平成21年)9月16日から2010年(平成22年)6月8日まで。
官房長官
平野博文:2009年(平成21年)9月16日から2010年(平成22年)6月8日まで。

 

92代麻生太郎内閣:2008年(平成20年)9月24日から2009年(平成21年)9月16日まで。
官房長官
河村建夫:2008年(平成20年)9月24日から2009年(平成21年)9月16日まで。

 

91代福田康夫内閣:2007年(平成19年)9月26日から2008年(平成20年)9月24日まで。
官房長官
町村信孝:2007年(平成19年)9月26日から2008年(平成20年)9月24日まで。

 

90代安倍晋三内閣:2006年(平成18年)9月26日から2007年(平成19年)9月26日まで。
官房長官
塩崎恭久:2006年(平成18年)9月26日から→与謝野馨:2007年(平成19年)8月27日から同年9月26日まで。

 

87代88代89代小泉純一郎内閣:    2001年(平成13年)4月26日から2006年(平成18年)9月26日まで。
官房長官
福田康夫:2001年(平成13年)4月26日から→細田博之:2004年(平成16年)5月7日から→安倍晋三:2005年(平成17年)10月31日から2006年(平成18年)9月26日まで。

 

85代86代森喜朗内閣:2000年(平成12年)4月5日から2001年4月26日まで。
官房長官
青木幹雄:2000年(平成12年)4月5日から→中川秀直:2000年7月4日から→福田康夫:2000年10月27日から2001年4月26日まで。

↓クリックすると拡大します。(歌は、吉田拓郎のファイト、長渕剛のmyself
規制改革要望書司法改革と検察審査会議事録非公開糾弾バナーバナー


 以下、資料として採録。

【仙谷由人研究】(1・前編)窮地に立つ陰の総理 因果はめぐる (1/3ページ)
2010.12.4 00:10
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101204/plc1012040016000-n1.htm

Plc1012052303010p1 記者会見する仙谷由人官房長官=3日午後、首相官邸(酒巻俊介撮影)

 政権発足後半年にもかかわらず黄昏(たそがれ)を迎えている菅政権にあって、独り仁王立ちしてきた官房長官の仙谷由人が今、刀折れ矢尽きようとしているかのようだ。

 3日の記者会見で、官房長官の職責を解かれ、法相に専念する可能性もあると示唆した結果、与野党から仙谷と菅政権への批判と不満が噴出したのだ。

 「彼は弁護士、クロをシロにする名人だから。まあ、冗談の中に本音があることもあるけど、(彼は)冗談で言ったんだよ」

 国民新党代表の亀井静香は記者会見で「法相専念」発言の鎮火に努めた。仙谷自身も慌てて「すべては人事権者の意思だと一般論を言っただけだ」と強調したが、真意はともかく綸言(りんげん)汗のごとしだ。

 いったん口に出た言葉は当人の手を離れ、政治的な意味を持ち始める。ただでさえ参院で問責決議を受け、政権のブレーキともなっている仙谷に、民主党内の視線も冷たくなる。

 「一度問責を可決された閣僚にどのように対処すべきか、深刻に考える必要があろうかと思う」

 前首相の鳩山由紀夫は3日、記者団にこう語った。民主党三役経験者も「仙谷と(国土交通相の)馬淵澄夫は問責決議が可決されても辞めていない。(前法相の)柳田稔が辞めた意味はなかったね」と指摘した。

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 首相の菅直人と仙谷の「脱小沢」路線で、不遇をかこつ議員からは、来年の通常国会に向け、党人事・内閣改造による体制一新を求める声も強まっている。

 問責決議を可決した野党側は、当然のことながら仙谷続投は認めない姿勢だ。

 「仙谷残れば審議なし」(自民党参院政審会長の山本一太)

 「続投とか法相専念というのは、問責の意思を正しくとらえていない」(公明党代表の山口那津男)

 野党の強硬姿勢には、衆院で否決された不信任決議案は「官房長官・仙谷」の資質を問うたものだが、参院で可決された問責決議は「国務大臣・仙谷」を認めないとの意思を示したという背景がある。官房長官であろうと法相であろうと仙谷が出てくれば審議には応じられないというわけだ。

 自民党からは仙谷が官房長官のままでは、来年1月の通常国会の召集を決める「議院運営委員会の理事会も開けない」(国対委員長の逢沢一郎)との強硬論も出ている。

 今国会では、仙谷自身の外交上の迷走や国会での失言、暴言が審議の主要テーマとなった揚げ句、問責決議の可決となり、政策論議を妨げた。仙谷は3日の記者会見でその点を問われるとこう言い放った。

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 「あなたがそうお考えになるんだったら、甘んじて受けておきます、はい」

 問責決議には法的効力はない。だが、菅も平成10年に当時、防衛庁長官だった自民党の額賀福志郎が問責された際には「即刻罷免すべきだ」と主張していた。

 「もうちょっと自らの政権を客観化して判断なさると、あれだけ失言をし、理想を示さず、経済状態がこうであれば『しようがないな』と思いませんか」

 これは平成12年11月の衆院予算委員会で、仙谷が首相の森喜朗に退陣を迫った際のセリフだ。因果はめぐり、自らに戻ってくる。

 3日閉会した臨時国会の主役は菅でも民主党元代表の小沢一郎でもなく、紛れもなく仙谷だった。かつて全共闘運動に身を投じ、社会党から民主党へと転籍した仙谷は現実主義者なのか、社会主義の夢を引きずる左翼政治家なのか。「陰の首相」と呼ばれて権勢の絶頂に立ちながら、問責決議の可決で進退窮まった仙谷の幻影と実像を探った。=敬称略

 

【仙谷由人研究】(1・後編)ピンク色の官房長官 (1/3ページ)
2010.12.4 00:17
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101204/plc1012040022001-n1.htm

Plc1012040022001p1 予算編成閣僚委員会の会議に臨む仙谷由人官房長官=3日午後、首相官邸(酒巻俊介撮影)

 ■転向しちゃった

 菅政権を口八丁手八丁の政治手腕で支え、同時にそのアキレス腱(けん)ともなった官房長官の仙谷由人の「原点」はどこにあるのか。

 仙谷と東大のドイツ語の授業で机を並べた旧友であり、現在は内閣官房参与として外交ブレーンを務める松本健一は昭和50年代半ばのある夜、仙谷との会食中にこう打ち明けられた。

 「おれ、転向しちゃったよ」

 どういう意味かと松本が尋ねると、仙谷は「われわれの時代は(主流の作家は)大江健三郎だっただろう。司馬遼太郎に転向しちゃった」と答えた。

 松本によると、仙谷は30代半ばのこのころから、大学時代に愛読していた反国家的色彩のある大江だけでなく、日本社会の発展を肯定する保守主義的な司馬も認めるようになった。

 仙谷は全共闘(全学共闘会議)時代、「フロント」と呼ばれるセクトに足を突っ込んでいた。

 当時、全共闘運動は「日本社会主義青年同盟(社青同)」「革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)」−などのセクトが主流。フロントは「弱小で軟弱だった」(松本)とされる。

 仙谷は、ベトナム反戦デモには加わったが角材は握らず、1年留年した43年、5年生で司法試験に合格した。フロントは44年の東大・安田講堂攻防戦では講堂立てこもりには参加できず、司法修習生だった仙谷は食料の手配や下着の差し入れ、逮捕された学生の法廷闘争などを手伝った。

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 「全共闘の救援対策を担ったことは隠しも何もしない。若かった時代の考え方に、思い至らなかったこともあるが、誇りを持ち、その後の人生を生きてきた」

 仙谷は11月22日の参院予算委員会で、こう胸を張った。自衛隊を「暴力装置」と呼んだ思想背景について問われた場面でのことだ。

 「人間の頭は、20代ででき上がっちゃっている。それ以上は発達しない」

 松本は仙谷の柔軟性を指摘しつつもこう語った。

 ■豹変できない

 「資本主義と社会主義のどちらを選択するか。この問題は、ベルリンの壁の崩壊で一気に勝負がついた」

 仙谷は7月の日本外国特派員協会での講演でこう振り返った。仙谷は壁崩壊の翌年、平成2年の衆院選で社会党から初当選する。講演ではこう続けた。

 「そのときに考えたのは、絶対主義から相対主義というか、『主義者』にはならないことだ」

 「政治をやる以上は多数派形成をやる。『孤立を恐れて連帯を求める』というふうに変えないと政治家として意味がないだろう」

 社会主義の敗北を認め、「主義」と決別したのであれば、なぜ社会主義を標榜(ひょうぼう)する政党からの出馬なのか。昭和50年代、自民党衆院議員の秘書をしていた中学時代の同級生が「自民党福田派から出ないか」と誘ったところ、仙谷はこう断ったという。

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 「いきなり百八十度は豹変(ひょうへん)できないよ」

 仙谷は昨年夏の衆院選で民主党が政権を奪取した直後、それまで自分に長年仕えてきた政策秘書を他議員の秘書に転籍させた。その理由について、周囲にこう明言している。

 「彼は左翼だ。左翼の発想では政権運営、権力の維持はできない」

 だが、左翼的発想の限界に気付いていたはずの仙谷氏の実際はどうか。韓国に対する新たな戦後個人補償発言や日韓併合100年の首相談話、領土問題での相手国への過剰な配慮と自衛隊や海上保安庁への冷淡さなどで、雑誌では「赤い官房長官」と揶揄(やゆ)され、政権運営は行き詰まっている。

 60年安保闘争を評論家の西部邁らとともに指導した元全学連幹部で、仙谷と親交のある東大名誉教授、坂野潤治はこう喝破した。

 「仙谷はピンク色の道を選んだ。大衆闘争をやってもその先がないことは分かっていた。それで西部らは右に行ってしまったが、仙谷は『男たるもの踏みとどまりたい』とピンク色を探したのだろう」

 個人の思想・信条、生き方であればそれもいい。だが、国難の時代に、中途半端な「総括」しかできなかった「ピンク色の官房長官」が果たしてふさわしいのだろうか。(敬称略)

 

【仙谷由人研究】(2)権力闘争に魅入られた弁護士 (1/3ページ)
2010.12.4 22:07
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101204/plc1012042212020-n1.htm

 ■法へのこだわり

 官房長官の仙谷由人の言動を追うと弁護士であることへの自負がにじむ。ときに依頼人(首相の菅直人)の利益を守るためならば、論理のすり替え、詭弁(きべん)、恫喝(どうかつ)も厭(いと)わないのも弁護士の宿痾(しゅくあ)だといえよう。

 菅が副総理・国家戦略担当相当時に「沖縄独立論」を述べていたことが発覚した今年6月、仙谷は記者会見でこうはぐらかした。

 「若いときの職業柄だが、検証しようがない伝聞証拠は、刑事訴訟法で言えば証拠能力がない」

 仙谷はその後、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件でも刑訴法の引用を乱発したが、そのはったりともいえる手法はすでに見透かされている。同じく弁護士資格を持つ自民党参院議員の森雅子は「仙谷さんは、法律知識が豊富な相手にはケンカを売らないんですよ」と冷笑する。

 仙谷が弁護士登録したのは昭和46年、25歳の時だった。最初に担当したのは日立製作所の在日韓国人就職差別訴訟。この裁判で、仙谷は見事原告を勝訴に導いた。

 当時、在日韓国・朝鮮人差別反対運動に携わり、裁判で補佐人を務めた元現代コリア研究所所長、佐藤勝巳はこう振り返る。

 「仙谷は司法修習を終えたばかりで純真な人間だった。4人いた弁護士の中で一番勉強熱心だったな…」

 佐藤は、仙谷から「学生運動の活動家上がり」との印象は受けることはなかったというが、「ただ、日本の過去の植民地支配に対する贖罪(しょくざい)意識は非常に強かった。そこは旧社会党的だった」。

 法を操る“技術”への過信、そして贖罪意識こそが、政治家、仙谷の言動の根底にあるのではないか。

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 ■戦後補償と韓国

 最初に手がけた事件の影響からか、仙谷の韓国への思い入れはことのほか強い。日韓併合100年にあたり過去の植民地支配を謝罪する首相談話も主導したのは仙谷だった。

 平成2年に社会党から衆院初当選後まもなく、衆院議員会館の自室で東大時代の同級生の訪問を受けた。フィリピンや韓国での慰安婦補償請求などを主導し、「戦後補償の仕掛け人」として有名になる弁護士の高木健一だった。

 全共闘運動で正面からの左翼活動に挫折した仙谷は、日本の戦後責任追及に意欲を燃やした。高木とはその後、ロシアのサハリン残留韓国人の帰還事業で連携して日本政府を追及、実際は旧ソ連の責任が大きいことには目をつぶった。「香港軍票と戦後補償」という共著も残した。

 「法律的に正当性があると言って、それだけでいいのか。(日韓関係の)改善に向けて政治的な方針をつくり、判断をしなければならない案件もある」

 仙谷は官房長官就任後の今年7月、日本外国特派員協会で突如として韓国への新たな個人補償を検討する考えを表明した。

 日韓両国は昭和40年の日韓基本条約とそれに伴う協定で個人補償請求問題を「完全かつ最終的に」解決している。法律家である仙谷が知らぬはずはない。今年1月の衆院予算委で仙谷は「日韓基本条約反対のデモに参加した」ことを認め、著書では基本条約について「サハリン残留韓国人問題はこの対象外というのが法的にも素直な解釈だ」と記している。むしろ「誰よりも詳しい」との自負があるに違いない。

(3/3ページ)
 にもかかわらず、新たな個人補償に踏み込んだのは「日韓基本条約は無効だ」との思いがあったからではないだろうか。結局、仙谷は8月の参院予算委員会で「日韓間の請求権問題については最終的に解決済みだ」と訂正を迫られたが、心からそう思っているようには見えない。

 ■小沢弁護にも意欲

 新左翼活動家によるピース缶爆弾事件、社民党元衆院議員の保坂展人が原告となった内申書裁判−。仙谷は弁護士としてこれらの裁判に関わるとともに総評系の労働運動とも深くコネクトしてきた。現在も自治労の組織内議員である。

 「仙谷さんはつねに権力と向き合い、闘い、勝利することを目指してきた」

 徳島県立城南高校の後輩で仙谷の選対本部長を務める弁護士の木村清志は弁護士・仙谷像をこう語る。

 その仙谷が、政治家として目標とするのは元官房長官、故後藤田正晴だというが、後藤田の親族である自民党衆院議員、後藤田正純(徳島3区)はこう見る。

 「仙谷さんには謙虚さがない。権力批判をしてきた人は、権力の座に就くと権力に不真面目になる」

 別の四国選出の国会議員は「仙谷さんは権力闘争が目的化しすぎて、何をやりたいのかいつの間にか分からなくなってきたのではないか」と指摘する。

 仙谷は数年前周囲にこう漏らしている。「人生の最後の10年間は弁護士として活動したい」

 西松建設違法献金事件で民主党元代表の小沢一郎の秘書らが逮捕された昨年春。反小沢の急先鋒(せんぽう)のはずの仙谷は木村に真顔で語りかけた。

 「弁護士として手がけたらなかなかやりがいがある案件じゃないか」

 心は今も弁護士のままなのではないか。(敬称略)

 

【仙谷由人研究】(3)傲慢不遜か親分肌か (1/3ページ)
2010.12.5 23:00
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101205/plc1012052303010-n1.htm

Plc1012052303010p1 記者会見する仙谷由人官房長官=3日午後、首相官邸(酒巻俊介撮影)

 ■あだ名は傲慢

 ♪しのぶれど 答弁にいでにけり わが本音 恫喝(どうかつ)傲慢(ごうまん) 人の問ふまで

 自民党元幹事長、伊吹文明は10月21日の自派の総会で「詠み人は仙谷朝臣(あそん)弁多という人だ」とこんな歌を披露した。もちろん平兼盛の「しのぶれど 色にいでにけり わが恋は〜」のパロディーで、官房長官の仙谷由人を皮肉ったものだ。

 国会では、質問者に「耳をほじくって刮目(かつもく)して」聞くよう求め、「最も拙劣な質問だ」などと非難する。記者団の問いかけには「下種(げす)の勘繰り」と言い放つ。

 中国漁船衝突事件の映像流出では、学者や検察OBが新聞紙上で、流出を認めた海上保安官を守秘義務違反の罪に問えない可能性を指摘すると、「その人たちも『ちゃんとした論文に書け』と言ったらそんなこと書かない」と侮辱する…。

 仙谷ほど、その発言が物議を醸した官房長官はいない。いたずらに敵を増やすことに何のメリットもないはずなのに、どうして挑発的な言動を繰り返すのか。

 「仙谷はナイーブ(無邪気)でシャイ(恥ずかしがり屋)だ」

 東大の学友で内閣官房参与の松本健一はこう語る。仙谷は周囲に「オレは天(あま)の邪鬼(じゃく)だ」とも話しており、それゆえに悪ぶってみせたがるとの見立てもある。

 一方、同じ徳島選出の元社会党衆院議員で、仙谷をよく知る井上普方(ひろのり)は全く違う仙谷像を指摘した。

 「仙谷の中学、高校時代のあだ名は『傲慢』。人の裏をかくような、とにかく性悪な男だったなあ」

(2/3ページ)
 ■おごりたがり

 平成2〜3年、社会党1年生議員の集まり「ニューウェーブの会」で仙谷と行動をともにした元衆院議員で弁護士の松原脩雄(しゅうお)は、仙谷が同会の代表幹事になった経緯をこう回想する。

 「仙谷は『オレ様』ムードで、代表になりたいというオーラを醸し出していた。権力志向が強く、自分は他人よりも優れているという自負心も強かった」

 仙谷について松原が印象深いのは、「記念撮影ではいつも真ん中に座ること」と「初対面の相手にもやたらとおごりたがること」。

 徳島県立城南高校の同級生の一人も「仙谷は、昔から首相になることへの色気があるようだ」とみる。

 ただ、こうした仙谷の言動に関しては、体験した側の立場や見方によって相反する受け止めがある。

 「酒席などでは、(料金を)すべてもってくれる親分肌。飾り気がなく、権力におもねる人間が嫌いな情の人でもある」

 民主党衆院議員(徳島2区)の高井美穂はこう語る。仙谷は「鍋奉行」でもあり、野菜を入れる順番にこだわり、小皿への取り分けもやりたがるという。

 ピース缶爆弾事件で仙谷とともに弁護団に加わった弁護士の菊地幸夫も、「『社会勉強だ。連れていってやる』と銀座のバーに誘われた。面倒見がよく、親分肌だった」と振り返る。

(3/3ページ)
 ■本当は気が小さい

 「目線を絶えず低く据えて、まずは虚心坦懐(たんかい)に見てみることが、仕事の上で一番大事だ」

 仙谷は鳩山内閣発足2日後の昨年9月18日、行政刷新担当相として、約150人の内閣府職員にこう訓示した。仙谷が職員に配布した「CHANGEのための仙谷ウェイ(変革期のドクトリン)」と題する一枚紙にはこう記されていた。

 「間違いを認め、率直に謝ることから始めよう」

 「上から目線をやめて国民目線で語ろう」

 まるで、1年後の自分自身に対する皮肉か叱責のメッセージのようだ。

 官房長官となった仙谷氏は、女性の容姿を指す「柳腰」を「したたかで強い腰の入れ方だ」と言い張り、誤用を指摘されても謝罪どころか撤回もしない。参院での自身に対する問責決議可決にも反省は示さない。

 環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)は、民主党内の調整がつかなかったにもかかわらず、「日本人の精神のありようが鎖国状態になっている」からだと国民に責任転嫁した。

 「以前は同級生同士が会うと『仙谷は郷土の誇りだ』と必ず話題になったが、最近は話題に出なくなった。みんな、内心では漁船衝突事件への対応などおかしいと思っているのだろう」

 中学時代の同級生はこう残念がる。仙谷は今年6月9日、官房長官として内閣官房職員にあいさつした際にはこう語っていた。

 「(自分は)本当は気の小さな男だ。ただ、与えられた立場、役割を自覚して何とかやり遂げたい」

 理想と現実のはざまで、仙谷は呻吟(しんぎん)しているように見える。(敬称略)

 

【仙谷由人研究】(4)近親憎悪?小沢氏を意識 (1/5ページ)
2010.12.6 23:26
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101206/stt1012062329010-n1.htm

Stt1012062329010p1 記者会見に臨む仙谷由人官房長官=6日午前、首相官邸(酒巻俊介撮影)

 ■優越意識

 「昔、われわれが議員になる前に聞かされてきた話のような情景かな…。いかがなものか、という議論になってくる可能性はある」

 1日の記者会見。官房長官の仙谷由人は、民主党元代表の小沢一郎サイドが昨年7月、小沢系を中心とする衆院選候補者89人に計4億4千万円の現金を配っていたことについて、こうやんわり批判した。

 11月6日には、神奈川県知事の松沢成文に「日本で一番の有名人」と持ち上げられ、ポロッとこぼした。

 「いやあ。もう、小沢なき後の悪い…」

 仙谷はここで慌てて口をつぐんだ。とはいえ、「悪い政治家」と続けようとしたのは明らかだ。仙谷はこれまで、近く政治資金規正法違反で強制起訴される小沢を強く意識してきた。

 平成20年2月、仙谷は自民党元幹事長、加藤紘一や社民党衆院議員の辻元清美(現在は無所属)ら超党派国会議員グループの一員として韓国を訪問し、次期大統領の李明博と会談した。

(2/5ページ)
 参加者が帰国後、懇親会を開いた席での話だ。当時、民主党代表だった小沢をどう思うか聞かれた仙谷は、こう言い放った。

 「知ってますか。彼が落っこちた(昭和43年の)司法試験で、私は弁護士になったんです」

 鼻白む出席者をよそに、仙谷はさらに言い募った。

 「だから、私のほうがずっと上なんですよ」

 仙谷は東大在学中に司法試験に合格したが、小沢は東大受験に2度失敗して慶大に進学した。司法試験にも1度落ち、2度目の挑戦直前に父、佐重喜(さえき)が急逝したため後継者となった。

 仙谷は小沢が胸に秘めた2つのトラウマをさかなでした。話は永田町を駆けめぐったが、その後も仙谷からこの「自慢話」を聞いた議員は増え続けた。

 ■直言封印

 「日本人の悪い癖は面と向かってしゃべらないで、よそでしゃべったりする。文句あるならオレに面と向かって言えと。何であっちこっちで陰で言うんだ」

 11月3日、インターネットサイト「ニコニコ動画」の公開中継で小沢はこう語った。仙谷をはじめ党内の「反小沢」系議員が念頭にあったのは間違いない。

(3/5ページ)
 仙谷が、表舞台で小沢を直接攻撃したのは過去1回だけだ。それは19年11月、小沢が進めた自民党との大連立がつぶれた後の両院議員懇談会の場だった。

 懇談会は、小沢や当時の幹事長、鳩山由紀夫の入念な事前工作で、単なるセレモニーとなるはずだった。その「小沢の続投を全会一致で了承」という段取りをぶち壊したのが仙谷だ。

 「(党内の)内輪の熱気と、国民の感性は相当のギャップがある」

 仙谷の異議に対し、小沢は代表席で目を閉じ無反応だったが、気まずい空気が漂った。仙谷はその後、小沢への直言は封印する。

 それから3年余後の12月2日。仙谷は記者会見で、今年の新語・流行語大賞のトップ10に「脱小沢」が選ばれたことへの感想を聞かれると、そっけなく「何の感慨もない」と述べた。

 そして記者団の反応を見渡し、にやりとした。

 ■本物の政治家

 民主党の参院選大敗直後の7月下旬。9月の党代表選への小沢出馬が取り沙汰され始めたころのことだ。

(4/5ページ)
 「小沢が出るなら受けて立つ。党から小沢の影響力を排除するいい機会だ」

 仙谷は周囲に強調した。特に小沢の「カネの問題」と独裁体質を問題視していたという。また、以前からよくこうも話していた。

 「私は民主党の最初からかかわってきた。後から来たやつに党を変なふうにされるのはかなわん。選挙に強いかどうかしらんが、甘やかすなということだ」

 仙谷の小沢への敵愾(てきがい)心は隠せないが、それだけではない。法解釈へのこだわり、独裁体質、目的のために手段を選ばない政治手法など共通点も少なくない。

 特に平成5年に一度落選してからは「保守以上に保守的な手法」(四国選出の国会議員)で組織を固め、小沢流のどぶ板選挙も徹底した。地盤の官公労だけでなく民間建設業者や企業経営者団体も回り、「『民主党より仙谷党』と呼ばれる組織を作り上げた」(連合徳島会長の小松義明)。

 「仙谷さんってどういう人ですか。(工事受注を)頼んだらちゃんとやってくれた」

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 元社会党徳島県議の一人は仙谷の落選中、大手ゼネコンの徳島支店長からこう尋ねられたことがある。

 「仙谷は心の中では、小沢のことを『本物の政治家だ』とみているようだ」

 元社会党衆院議員で弁護士の松原脩雄(しゅうお)は指摘する。どこか似ているゆえの近親憎悪なのか。(敬称略)

 

【仙谷由人研究】(5)極秘訪中「頼まれてやった」 (1/4ページ)
2010.12.8 00:33
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101208/plc1012080036000-n1.htm

 ■原点と変節

 昨年9月、官房長官の仙谷由人の地元、徳島市のホテルで開かれた政権交代の祝勝会。徳島県立城南高校3年生の同級生で、仙谷のすぐ前の席に座っていた医師、桜井えつは胸が熱くなるのを覚えた。

 「命をかけて国を支えていく。本当に、命をかけて政治活動をしていきます」

 仙谷がこう誓うと、会場からは「よし、命懸けで頑張れ」と熱気あふれる声援が飛んだ。仙谷と民主党への期待が沸騰していた。

 それから1年3カ月しかたっていないのに、今や期待は失望と諦(てい)観(かん)に変わり、菅内閣の支持率は坂道を転げ落ちる。仙谷自身も傲岸不遜な発言や失策を連発したとして、不名誉な問責決議を突きつけられた。

 どこで道を誤ったのか。

 「僕は、何よりも“自由と民主主義”を愛するという自負を持っている」

 「人間の完全な自由・人権を闘いとるという性根があり、絶えず反権力の図式で生きてきた」

 仙谷は著書で、こう自身の「原点」を記した。ところが、権力の中枢である官房長官の座に就くと百八十度変節してしまった。

 中国漁船衝突事件では、詭弁(きべん)を弄して衝突場面を撮影した映像を国民の目から隠し続け、国民の知る権利をないがしろにした。

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 防衛省による民間人の政権批判封じ通達をめぐっては「民間人であろうとも自衛隊施設の中では、表現の自由は制限される」と主張し、言論・表現の自由を軽視する論陣を張った。

 仙谷自身の過去の言動を裏切る政権の保身体質、隠蔽(いんぺい)手法こそが国民の怒りを招いている。

 ■中国への対抗策?

 仙谷は11月14日に横浜市で開催された首相の菅直人と韓国大統領の李明博との首脳会談に異例の同席をするなど、韓国重視の姿勢を鮮明にしている。

 「中国に立ち向かうには韓国を戦略的パートナーにしなければならないと仙谷さんは考えている。日韓併合100年の首相談話もそうで、布石を打っている」

 内閣官房参与の前田匡史は解説する。自民党総裁の谷垣禎一も8月に、仙谷からこんな電話を受けた。

 「これは中国への対抗策だ。成長する中国に対抗するには米国、韓国と連携しなければいけない。オレもいつまでも左翼じゃない」

 首相談話発表や朝鮮半島由来の「朝鮮王室儀軌(ぎき)」などの韓国への引き渡しに協力を求める内容だった。

 仙谷と谷垣は東大の同期で、同じく弁護士だ。当初は仙谷の要請に理解を示した谷垣だったが、やがて仙谷や菅の不誠実な言動に態度を硬化させていく。

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 結局、仙谷への問責決議もあり、年内に儀軌を引き渡すという菅の対韓「公約」は果たせなかった。今月中旬で調整されていた李の来日も見送られた。

 一方、立ち向かうはずの中国にも、漁船衝突事件では腰をこごめ続けた。

 民主党衆院議員、細野豪志は今年9月に訪中し、中国の国務委員、戴秉国と事件の打開策を協議したが、この「密使」は、仙谷の依頼で実現した疑いが濃くなった。

 「仙谷氏とは学生運動時代からの知り合いで(訪中仲介を)頼まれたからやるべきことをやった」

 学生運動時代からの仙谷の友人で、中国要人にパイプを持つ民間コンサルタントの篠原令は6日夜、TBSの報道番組で証言した。

 「関知していない」

 7日の記者会見で仙谷は全面否定したが、篠原は産経新聞の取材に「戴氏は私の古くからの友人。仙谷氏の立場では、『関知しない』と言わざるを得ないのだろう」と語った。

 10月18日の参院決算委員会で、自民党参院議員の丸山和也は仙谷の発言を暴露した。「(日本の中国への)属国化は、今に始まったことじゃないよ」

 仙谷の外交戦略は空回りしている。

 ■問責の行方

 来年1月召集の通常国会では、野党側は問責決議を受けた仙谷や国土交通相の馬淵澄夫が辞任しない場合は、冒頭からの審議拒否も辞さない構えだ。

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 「期待以上の活躍、仕事をしていただいている」

 菅は6日の記者会見で仙谷を持ち上げ、改めて続投を強調した。だが仙谷が積み重ねた「自殺点」が足を引っ張り、通常国会の強行突破も成算は見えない。

 仙谷は7日の会見で、先の臨時国会が菅内閣が提唱する「熟議の国会」とならなかったことについて、人ごとのように語った。

 「やっぱり、民主主義も時間がかかるということじゃないか」(敬称略)=おわり

     ◇

 この連載は阿比留瑠比、佐々木美恵、坂井広志、村上智博、尾崎良樹、内藤慎二が担当しました。

 

仙谷氏、死刑制度は「イエスかノーかではいえない話」 前法相の執行には「感銘を受けた」
2010.12.3 13:22
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101203/plc1012031323011-n1.htm

 仙谷由人官房長官は3日午前の記者会見で、死刑制度のあり方について「イエスかノーかでいえる話ではない」と述べた上で、死刑制度のあり方について議論をさらに深めることが必要との考えを示唆した。

 仙谷氏は死刑について「裁判員裁判でも、普通の国民が死刑判断をする責務を負うとなれば、そう簡単には死刑を決断できないことが問題になっている」と指摘した。死刑廃止論者の千葉景子前法相が死刑を執行したことには「職責をまっとうするためにああいう格好でなさったのには感銘を受けた」と述べた。

 仙谷氏は死刑廃止論者。官房長官の職務に加え、死刑執行の命令書にサインする権限を持つ法相を兼任している。


 

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