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2011年3月11日 (金)

松本剛明外相の名前も。安直すぎないか、~民主党若手の共同提案~「1000万人移民受け入れ構想」、現在も松井議員HPにある。

 はなゆー情報に刺激され以下若干メモ。

 民主党は放っておくと何するか分からんね。その後、みんなの党に行った浅尾慶一郎氏と並んで、昨日、前原の後継で外務大臣になった松本剛明氏の名前もある。

 提言を読んだ感想ですが、まるで足りない部品を補充するような感じで、人的資源を招き入れる安直な発想、いかにも官僚上がり、偏差値の高いお利口さんの考えと思いました。

 日本ほど自然に恵まれた国はないとは良く言われる。四季の移ろい、豊富な水資源、海に囲まれていることで外敵の侵略も簡単には出来なかった。同時に海産資源に恵まれていたとも言える。中国の富裕層が喜んで買っていると言う美味しいお米。移民で来るのが容易になるなら大量に押し寄せるのは目に見えている。

 禄でもない自民党政治で散々国民を痛めつけた後で、今までの政治無策の弥縫として移民を大量に受け入れるなんてのは安易すぎてまともな政治家がする事ではない。

 しかし、そんな政治家を選んできたのも国民自身。また、その大本をたどれば、政治に無関心、投票にも行かないような痴呆状態の国民を大量に産み出してきたのは、マスゴミ・官僚連合軍の洗脳・情報操作のゆえだ。もし、移民が入って来ると一歩誤れば犯罪も増えるだろうし、デモや暴動も頻発する様になるかも知れない。そうなれば、マスゴミ・官僚連合軍は大量移民と国民を煽って対立させるような情報操作までするだろう。

 少なくとも、現在の菅が狂ったように前のめりになっているTPPをやれば関税自主権が奪われるだけでなく、正真正銘の米国植民地状態になる。現在お遊びのようにやっている英語教育も、正規の国語として教えられるようになるかも知れない。その方が、米国が直接日本人を洗脳する情報操作もやり易くなる。兵隊としてアゴで指示こき使うにも都合がいい。

 

C2a79af446dc46e6e0148de81c68762a←1000万人移民受け入れ構想 Voice September. 2003 142 (下の画像で紹介したように、現在も民主党松井孝治議員の所で紹介されている画像です。まさかリンクを切らないでしょうが、念のためにDLしてリンクをはりました。

浅尾慶一郎     (参議院議員)みんなの党
大塚耕平     (参議院議員) 無派閥
細野豪志     (衆議院議員) 代表選小沢支持
古川元久     (衆議院議員) 代表選菅支持
松井孝治     (参議院議員) 前原に近い?
松本剛明     (衆議院議員) 野田グループ


 

 ↑上の記事、松下幸之助のPHP出版Voiceの記事だけれど、
(↓クリックすると拡大)
Photo ←実は民主党松井孝治議員のHP(http://www.matsui21.com/ )で現在も紹介されています(2011/03/11 9:35現在)消すかな?

 

RIETI 独立行政法人 経済産業研究所 BBL議事録 (2011年3月11日)

フロンティア ジャパン -移民国家創生活力ある社会へ-
http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/11031101.html

スピーカー     坂中 英徳 ((社)移民政策研究所 所長)
モデレータ     小黒 一正 (RIETIコンサルティングフェロー/一橋大学経済研究所准教授)
ダウンロード/
関連リンク     レジュメ [PDF:127KB]http://www.rieti.go.jp/jp/events/bbl/11031101.pdf

人口減少社会の移民政策

11031101_sakanaka ←坂中 英徳

私は長年、法務省の入国管理局で外国人受け入れの問題に取り組んできました。外国人政策の立案やコンメンタールの執筆など、日本の主要な外国人政策にかかわってきました。

2005年に入国管理局を退職後、「外国人政策研究所(現・移民政策研究所)」を設立し、人口減少社会の移民政策について考えてきました。2007年には、50年間で1000万人の移民の受け入れ、特に人材育成型の教育重視の移民政策の必要性を提言してきました。本日は、日本の知識人に発想転換を迫るような話をできればと思っています。

人口危機と移民

人口は国家と経済と社会を構成する基本的な要素です。したがって、日本の人口が減少の一途をたどれば、経済や社会は衰退してしまいます。政府予測では、日本人口は50年後に4000万人も減少して9000万人台となり、100年後は4000万人台になるといわれています。

そうなれば、地域社会の多くが消滅してしまいます。経済では、多くの産業が失われ、縮小を余儀なくされます。このような世界の知識人にはわかりきった話を、日本人は直視しようとしません。たとえば昨年11月、英国のエコノミストに載った記事には、若者が国を支えきれずに苦しんでいる表紙とともに、「日本の未来を垣間見ようとすれば、夕張に行ってみればわかる」という書き出しで人口激減の日本の未来像が書かれていました。

夕張市の人口は、全盛期は約11万人に上りましたが、今では約1万3000人です。この夕張市のような現象が、日本では今後50年を待たずにどんどん出てくるという厳しい現実を正視してほしいと思います。しかし驚くことに、日銀関係者の話によると、日本の経済学者の7割は、人口が減っても1人当たりの所得は変わらないから大丈夫だと言っているそうです。

生産労働人口が50年間で半減し、所得の担い手が激減していく国において、なぜ1人当たりの所得が変わらないといえるのでしょうか。経済を支える基本要素である人口の問題を考慮せずに経済理論を立てるべきではありません。人間があっての経済であり、社会です。

一国の人口は「出生者」と「死亡者」と「移民」の3つの要因によって決まります。この定理も日本の知識人の多くは無視しています。日本の国勢調査でも、在日外国人を含めた人口統計をとっています。50年後、100年後の社会や経済のあり方を考える時に、移民という要素を入れなければ将来構想は立てられないのですが、残念ながらそこに思いが至らないのが、今の官僚、学者、政治家の実態です。

日本だけでなく韓国や中国も、近い将来、人口減少時代に入ることが予想されています。教育水準の向上、都市化や産業構造の変化、女性の地位向上、個人の生き方の多様化など、少子化は文明の発達とともにどの国も直面する問題となっています。

そこで、日本はどういうかたちで移民を受け入れて、よい国を目指すか。それを知識人が総がかりで考えていかなければなりません。日本は移民を受け入れる余地がないとか、日本人は外国人が嫌いだとか、そんなことを言っている場合ではありません。革命的な移民政策と根本的な産業構造改革を並行して推進し、日本が生き残るための方策を真剣に考えてほしい。それが私の願いです。

経済・財政と移民

今はまだ人口減少はわずかですが、日本は世界に冠たる長寿社会である一方で、14歳以下の子どもや30歳以下の若年人口は激減しています。そうした超少子・超高齢社会では、財政や年金をはじめとする社会保障制度が破たんすることは明らかです。政府の推測でも、50年後には1.3人で1人の高齢者を支えなければなりません。これは人類が経験したことのない地獄のような社会です。

出生率向上の取り組みは必要ですが、その効果が現れるまでにはかなりの時間を要します。また少子化は文明国の宿命のようなもので、出生率が実際に上がるかどうかも確かではありません。そこで即効性・確実性を考えると、人口危機に対処するには新しい国民の増加につながる移民政策を導入するしかないという結論に必然的に行きつきます。

日本型移民政策

日本人と外国人がよい関係を築くには、まず移民にとって魅力的な受け入れ政策を立案すること、国民にとって移民が入ってきてよかったと思える社会を構築することが大切です。

そこで私は「日本型移民政策」を提言しています。たとえば、少子化で定員割れとなる日本の高等教育機関や職業訓練機関を活用することによって、30万人近くの留学生を受け入れます。そこで技術・技能を身につけた外国人には農業や水産業、町工場などの安定した職場を提供する。大学を卒業した外国人には、日本人と一緒に就職競争に参加し、しかるべき職業に就いてもらう。

明治時代から日本人が築き上げてきた教育施設は充実したものです。そこに外国人を入れ、日本人の子どもと同じように教育を行えば、日本社会を支える外国人材が育ちます。日本人の子どもにとっても移民はよきライバルとなり、よい刺激を与えることでしょう。

こうした私の提言は世界から歓迎されています。昨年11月、世界経済フォーラム主催の「移民に関する世界有識者会議」がドバイで開催されました。私は世界中から招聘された11人の有識者に対し「日本型移民国家構想」を提案し、コメントを求めました。移民政策の世界的権威は高く評価してくれました。

最近、ドイツ、フランス、スウェーデン、オランダなどの国では、移民に対して自国語や文化の教育を徹底的に行うようになっています。しかし、日本はゼロから教育重視の移民政策を構築していけばよいという有利な立場にあります。今後、多くの定員余剰が見込まれる教育機関の再活用という面においても、「日本型移民政策」は理にかなっているといえます。

純種系民族から雑種系民族へ

日本はこれまで約1000年にわたって移民鎖国の状態にあったので、移民について馴染みがないということは事実です。しかし国の成り立ちとしては、アジア太平洋地域のいたるところから移住してきた人たちが日本民族を構成し、その後も日本人は世界の多様な文化を上手に取り入れてきました。

50年間で1000万人の移民を受け入れるとすると、国民の10人に1人が外国出身者ということになります。これは現在のフランス、ドイツ、英国並みの移民比率にあたります。日本のような均質性の高い単一民族型の国家は、世界の国々の状況とはかけ離れています。さらに、日本の在日外国人は中国人と韓国人が圧倒的に多いため、欧米人からは日本人ばかりの国に見えるようです。日本は多様な顔を持つ国民から成る多民族国家に変わる必要があると私は考えています。

まとまりのある国民ががんばって日本は世界第2位の経済大国に上りつめました。しかし、その後の国力がなかなか回復しないのは、グローバル化の時代に入り、単眼的に物事を見る日本人だけで政治・経済・社会を運営することに限界がきたのではないかと考えています。日本人は1000年ほどの間、いわば近い血縁者同士の関係だけで代々生きてきたわけですから、自然とひ弱な民族になってしまったのかもしれません。

昨日、在日歴が長いスタンフォード大学の名誉教授と話をしましたが、日本が1000万人の移民を受け入れれば、50年後は自動的に3カ国語を話せる国民が1000万人単位で誕生することが予想されます。一方、米国や英国は外国語を学ぶ必要性が低いので、将来は国民の知的レベルの低下が起きるのではないかということが話題になりました。言語に限らず、ものの考え方や発明その他あらゆる面において、多様性には大きな強みがあると思います。

私が最近言っていることは、日本民族は「純種系民族」から「雑種系民族」へ進化しなければならないということです。これは、オバマ大統領が就任した頃、飼っている犬の種類を問われ、「この犬は雑種です。私も同じ雑種です」と答えているのを聞いて、思いついたものです。移民2世で大統領になった人はフランスのサルコジ大統領も同じです。多様な民族が日本国民を形成することになれば、世界の国々と堂々と渡り合い、世界に負けないたくましい日本になるのではないでしょうか。

私が提言する移民政策には、2つの側面があります。1つは、人口危機への即効性ある対策として、とりわけ若い人材を移民として受け入れるというものです。もう1つは、国民の質を変えていくために、移民の受け入れによって多様性に富んだ力強さを取り入れるというものです。

 

質疑応答

Q:
    日本人の外国人嫌い、あるいは少数派をあまり受け入れない性質の根源的な理由については、どのように思われますか。

A:
    私は、日本人がそれほど排外的だとは思っていません。日本では縄文・弥生の時代から、原住民と外から新しく来た人々が共生していたようです。一方で、同じ島国である英国は、何度も異民族に征服された体験があるので、外国人に対する見方はやはりどこか日本とは違うと思います。日本人は、たとえば江戸時代の鎖国下にあっても、流れ着いた外国人の船員などに対して人道的な処遇をしていました。

    人類史をふり返りますと、民族や宗教の違いに起因する戦争の歴史の連続でした。一方、日本はそういうことにほとんど遭遇しなかったがゆえに、日本人は異なる民族に対して無垢で純粋なところがあるといえるのではないでしょうか。日本は、外から文化や宗教を比較的寛容に受け入れてきました。移民の受け入れに関しては、これからの課題ですが、私はうまくいくと思っています。

Q:
    2050年の東アジアの状況は、EUのようになるとお考えでしょうか。
A:
    私は、アジアはヨーロッパとは違うと思います。そもそもアジアという概念が成立するかどうかも、わかりません。東南アジアとかASEANとか言っていますが、はたしてそこに住む人々のあいだに一体感があるのかどうか。日本、中国、韓国の3国が本当に1つになれるのか。また、インドはアジアなのか、それともヨーロッパなのか。そのあたりも含めて、私はアジアの地域統合の実現性に関して甚だ疑問に思っています。

    一方で、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)を見ると、この地域には米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドと、世界の移民大国が名を連ねています。日本がこれから50年かけて1000万人の移民を受け入れる方向に進むとしたら、移民受け入れ国としての価値観を共有する国々が環太平洋地域に集まることになります。

Q:
    外国人労働者ではなく移民として受け入れることについて、もう少しお話を伺いたいと思います。
A:
    外国人の受け入れの歴史を見ると、どの国も最初は奴隷として、その後は国内の労働力不足を外国人労働者で補うかたちで外国人を入れてきました。今日では、外国人労働者ではなく、移民の受け入れが正しい外国人の受け入れとされています。

    移民として受け入れることによって初めて、移民の教育、社会統合や国民との共生、家族の結合の話が出てくるわけです。人口が加速度的に減っていく国が外国人を受け入れる方法はいろいろあります。奴隷として受け入れることは論外ですが、外国人労働者というのも基本的には低賃金労働者としてこき使うもので奴隷に近い扱いと世界から批判されます。人口を補う必要がある日本では、日本人と共生してもらい、新しく国民になってもらうため、地域社会の一員と位置づけて外国人を受け入れなければなりません。日本に永住する外国人すなわち移民は、税金を納め、年金・社会保障制度を支えてくれますし、将来は国民になってもらうことも期待できます。外国人労働者としてではなく移民として、つまり生活者あるいは消費者として、もちろん働き手として、移民の家族も一緒に、そのように受け入れるのが正しい外国人の受け入れのあり方であると私は確信しています。

 

「移民奨励で人口減に対応を」経団連会長が提言
J-CASTニュース1月22日(土)8時28分
http://news.biglobe.ne.jp/economy/0122/jc_110122_6357996424.html

  日本経団連の米倉弘昌会長は2011年1月21日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で講演し、今後、少子化で人口が減少し、活力の低下が懸念されてい ることについて、「移民の奨励が解決策だ」などと述べ、外国人の定住を促すための法整備を進めるべきだとの考えを示した。具体的には、他国から多くの移民 を受け入れているシンガポールなどがモデルケースになるとの見方を示した。

読売新聞 1月21日(金)22時26分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110121-00000863-yom-soci

 日本経団連の米倉弘昌会長は21日講演し、少子高齢化に伴う人口減に対応するためには、「移民の受け入れが解決策だ」と述べ、外国人の定住を促す法整備を進めるべきだと指摘した。

 具体的には、他国から労働者を受け入れている「シンガポールのケースが参考になる」と述べた。日本の少子高齢化が現在のペースで進めば、2050年代には、現役世代の1・3人が高齢者1人を支えることになる。米倉会長は「難しい事態になる」と危機感を表明した。

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 上記、民主党松井孝治議員のページを丸ごと資料として採録。

【2003年9月号 月刊Voice掲載】
http://www.matsui21.com/media/03/08_10voice.htm

1000万人移民受け入れ構想

日本を「憧れの国」にしたい。
〜民主党若手の共同提案〜

日本国は衰退する……のか

 近い未来の話をしよう。

 たとえば「人口問題」。少子化への対策も空しく、将来の人口減は避けられない事実について。はたして日本は、本当に人口数千万人の小国となってしまうのか。

 たとえば「老後の生活不安」。人口比で高齢者の占める割合が年々高まってゆく既定事実について。

財源の目途も乏しく、若者が働いても働いても収入のほとんどが高齢者の年金など福祉に吸い取られてしまう、そんな現実が起こりうるのだろうか。

 そして、産業。生産基地を海外に移転する一方で、国内ではこれといった目玉産業を生み出すこともできず、高い失業率も解消できないのか。

 そのほかにも、問題は山積している。教育の荒廃。環境破壊。都市機能の一極集中と官僚機構の肥大化。断末魔の様相さえ見せはじめた政党政治の疲労困憊と政治不信による投票率の低迷……。

 日本国は衰退する——前途に横たわる問題をざっと並べてみたとき、未来はこの一言に収斂されてしまうのだろうか。

 忌憚なくいえば、一般に日本人が描く未来像はけっして明るいものとはいえないだろう。それゆえ、日本人は「自民党をぶっ潰す」と公言する小泉総理を歓迎し、マイナーチェンジではなく病巣の根治をめざした大手術を望んだのではないだろうか。

 だが、いま目前で繰り広げられる政治は、あえて特徴づければ、「総論欠落」の「各論先行」の印象が強い。しかも、各論にも進捗はない。従来、漠として論点の見えづらかった政治に、郵政事業や道路公団の民営化という解りやすい題材を提供することで耳目を集め、あたかも状況打破に動きだしたかに見せた。しかし、この“改革”に日本人のめざすべき未来が欠落していることは明らかだ。

 重要なことは、近い将来、日本がどのような国家であるべきかを示すことではないか。すべての政策は、まず一つのモデルやビジョンを示し、そのうえで、掲げた目標へ至るための手段として論じられるべきなのではないか。

 本稿の目的は、対症療法的各論ではなく、中長期的スパンで日本がめざすべきビジョンや骨格を提言することにある。そして同時に、理想に向けてどんな具体的なアプローチを行なうのか、個々の政策についても言及していこう。
「内なる充実」による再生を 

 では将来、日本人は何を理想として生きていくのか。そして日本国の中心には何を据えようというのか。

 冷戦の終結により東西対立の枠が崩壊して以降、対テロ戦争を軸に国際社会の関係が再編されるなか、米国というスーパーパワーを一強とし、中国、欧州、ロシアという大国および地域の動向を抜きに世界は語れなくなっている。今後、日本を取り巻く世界では、これらの覇権国家が中心的役割を担うと予測されている。

 翻って日本を見ると、どうか。人口をはじめ面積、資源、または歴史的経緯からも、大国、あるいは覇権国家たらんとすることは少々困難であるといわざるをえない。つまり、競争優位の観点から日本を再度分析して、そこに活路を見出し、国民の求心力を維持しつつ経済的サバイバルを図っていかなければならない。結論をいえば、大国と同じ道を歩むことはできないということだ。

 しかし、日本の未来が現在よりもさらに国際社会のなかで輝き、アジアをはじめ多くの国々から尊敬され、世界の人々から目標とされ、憧れさえ抱かれる存在となる未来に異を唱える者はいないだろう。それには日本が“閉じた国”ではなく、むしろ開かれた国として強い発信力を備えた国となるべきであり、その結果、国際社会においてより大きな存在感も有することになるであろう。

 日本の歩むべき道は、外に「覇」を唱えるのではなく、内なる充実により世界から注目を集める国になること。これを言葉にすれば、現代の輝ける国、「ネオ・ジパング」——となるだろうか。

 かつて日本が黄金の国「ジパング」と呼ばれたのは、当時の日本がたんに物質的に豊かであったり、黄金が輝くように見えたからといった理由からではない。本当の理由は、むしろ物質ではなくそこで暮らす人々が精神的にも安定した生活を送っていたからこそ、日本人の満たされた生活が“憧れ”として西洋に伝えられたからだ。

 いま、わが国は再び「ジパング」として世界から羨望と尊敬を集める憧れの国となるべきではないのか。

 幸い、日本人にはいま自身がどん底にあるとの認識が強い。これは見ようによっては、かえって根本から日本の問題を見直そうとの気運を呼ぶ大きなチャンスでもある。部分修正や綻びを繕うのではなく、思い切った方向転換や体制の変革を行なうべき時期であると。
毎年六○万人の人口減少

 縦軸を見よう。

 戦後の六十年。日本は、大雑把にいえば成功の四十年と先送りの二十年であったと大別されよう。

 問題は先送りされた改革である。プラザ合意のなされた一九八五年、われわれはすでに改革の必然に直面していた。だが、バブル経済に代表される好景気により、そのチャンスは【潰/つい】え、改革は先延ばしにされつづけてきた。われわれが今後何かを作り上げるにしても、この未達成感を一度どこかで払拭しなければならないはずだ。

 いま求められている改革は、明確に時期を区切って、たとえば人口がピークを迎える二○○六年を目標年限としてはどうだろうか。これを境に、日本は有史以来初めて直面する人口減の局面に突入する。新たな時代のカントリーモデルを打ち立てるには絶好の年といえよう。

 それがわれわれの提案だ。

 世界から「ネオ・ジパング」と呼ばれる日本には、つねにチャンスが溢れ活気があり、その一方ではほどよい緊張と安らぎがなければならない。この国では、誰もが自己実現を果たすチャンスが与えられており、それによって人も資金も世界から日本をめざして自主的に集まってくる。

 ただし、耳ざわりのよい言葉だけの目標を掲げても、結局、机上の空論、絵空事に終わってしまっては元も子もない。

 以下、本稿ではいかに目標に至るのかを順次具体的に述べたいと思うが、まず理解してもらいたい前提として、目標そのものがきわめて高い理想に基づいたものであるために、それに至るプロセスもやはり安易な道ではないことを念頭に置いてほしいということだ。

 当然、なかにはアレルギー反応同様に、従来の日本人の感覚に照らすと強い違和感を覚えるような政策も含まれることになる。しかし、その場合にも、なぜわれわれがそうした提案をするに至ったか、その理由とプロセスを正しく理解してもらいたいのだ。

 では、第一の提言をしよう。

 われわれは「一○○○万人の移民受け入れ」を提案する。

 近い将来で、われわれが真っ先に取り組まなければならないのが、先に述べた人口減少の問題であろう。

 報道では、年金の財源がなくなるとか、若年サラリーマンの給与は膨らんだ老人たちを養うことにほとんど費やされてしまう、といった計算ばかりにやや偏り気味ではあるが、ほかにも、マーケットの縮小による購買力の低下や土地価格の下落、国際社会での存在感や発言力の薄れといった変化が予測されている。

 日本の人口は、二○○六年をピークに、そこからは毎年約六○万人ずつ減少していく。六○万人という数字を都市に置き換えると、だいたい新潟市一つ分、二年で仙台市一つ分ということができるだろう。つまり、二○○七年から日本は毎年、新潟市一つ分の人口がボコリボコリと抜け落ちていく計算である。われわれは人口の自然減に任せるべきか否か。選択の時を迎えているのだ。

 その一方で野放図に流入する外国人とのあいだには治安問題を含め摩擦が高まる可能性も高く、一定のルールづくりという点からも、一度きちんと指針を示すべき問題であることは間違いない。

 外国人大量受け入れと聞けば、即座に反発を覚える読者も多いかもしれない。少なくとも漠然とした不安を感じる読者がほとんどだろう。それはやはり外国人による犯罪の増加や「日本的」な風俗・習慣が失われることを想起するからなのだろう。

 だが、現在日本が抱えているさまざまな流入外国人による問題は、むしろ徹底した一つの方針や政策をもたず、建前としては厳しい入国管理政策を維持しながら、現実にはなし崩し的に不法な外国人の流入を容認してきたことに起因するのではないか。言い換えれば、これまで積極的にコミットしなかったがゆえの弊害とも考えられるのだ。

 門戸を大胆に開く一方で、従来とは画然と違う体制で出入国を管理し、不正な流入をいっさい排除する。ただし、正式なルートを通じて受け入れた外国人に対してはきちんとしたサポート体制を整える。つまり、曖昧で一貫性を欠いた従来の移民政策に、目に見えるメリハリをもたせることをその最低条件とすべきだと考えられる。
起爆剤としての外国人

 これまで日本をめざして密航を試みた外国人は、犯罪目的の者を除いて、そのほとんどが単純労働に従事していた。そして一般の日本人の意識のなかにも、町工場や飲食店で働く外国人のイメージが強い。しかし、われわれが提案する移民構想でターゲットとしている外国人は、人手不足や若者が嫌う仕事を外国人で補うといった発想からではない。求められるのは、日本経済の牽引車となりうる人材なのだ。

 その意味では、「高学歴者」や「専門性がある」といった漠たる基準ではなく、たとえば自動車産業のこの技術に関する人材とか、ゲームソフトのプログラマーや企業再建の手腕をもったスペシャリストというように、きわめて具体的かつ明確なビジョンに基づいて、戦略的な移民の受け入れを実施するべきだろう。

 一部では日本社会のホワイトカラーの生産性の低さが話題になっているが、日本のホワイトカラーを刺激して活性化させるという作用も、この移民受け入れ構想は期待しているのだ。また、日本人の弱点ともされる「起業」においても、外国人プレーヤーの参加は大きな起爆剤としての役割が期待できる。

 優秀な人材が海外から移り住み、日本で事業を起こして成功させる。そうなれば当然そこには雇用も生まれる。大切なことは、こうした移民起業家たちが、最終的に日本に定着してくれるのかどうかであろう。

 残念ながら、現在の日本に対する外国人の評価、とくに高い技術を身につけた外国人の評判はけっして芳しくない。その理由の大きなものの一つにこんな問題がある——「日本では平等にチャンスが与えられていない」。技術や努力がきちんと報われないという意味でもあり、本当の競争原理が働いていないという意味でもある。

 これまでも多くの留学生を受け入れているにもかかわらず、日本で話題になる外国人起業家もほとんどなく、概して留学生の評判も悪いのが日本の現状である。一方、アメリカなどでは、中国人やインド人を中心に多くのサクセスストーリーが生まれ、一般にアメリカでの定住を望む留学生が多い。この一事をもってしても、彼我の差は歴然であろう。
衆参二院制を破壊せよ

 じつはこのことは、外国人の不幸である以前に、日本人にとっての不幸であることに日本人が気づいていない。

 われわれは「ネオ・ジパング構想」を位置づけるにあたり、誰もが自己実現できる国という言葉を用いた。それは、風通しがよく、時代の移り変わりにも敏感に対応できる体制下でなければ実現困難な目標であることはいうまでもない。

 第二の提案は、ダイナミックな改革を可能とするための制度の改革である。

 ここで、一つ思い起こしてもらいたい。日本にもかつて大量の外国人を受け入れ、飛躍的な発展を遂げた時代があったということを。
 細かい説明はここでは省くが、弥生時代には朝鮮半島から亡命者を中心に大量の外国人が日本に流入し、その彼らがもたらした稲作などの技術により急速に発展を遂げたという歴史があるのだ。

 いまこそ、風通しをよくすることで外国から運ばれてくる人材や技術によって、金属疲労を起こしている日本の空気を一変させるべき時期なのだとわれわれは考えるのだ。

 さて、では改革の中身に移ろう。

 われわれは最初に、現在ある立法府の中身にメスを入れたいと考えている。具体的には、現在の政治システムの在り方を見直し、それぞれの役割を明確化する方向で政治家の役割を位置づけたいと思う。

 全体として国会議員の数を大幅に減らして、これまで与えられていた役目を画然と分けてしまうことが骨格である。道州制を中核とした抜本的な地域主権国家の形成が基本だが、ここでは中央政府、とくに議会の機能に論点を絞ろう。

 法律をつくる「立法院」と行政を監督する「監査院」に二分。もちろん現在の衆議院、参議院という二院制を壊して、まったく新しい制度を確立するのだ。とくに監査委員のほうは人数を最小限にして、ひたすら監査に専念させる。たとえば立法院委員三○○名、監査院委員一○○名程度。

 両者はまったく違う仕事に従事するので、人事的交流もむしろ遮断する。あるときには立法委員として法案づくりに携わり、あるときには政府の仕事を監督するという、矛盾し利益相反を生ずる二役をこなすこともなく、国民から付託された仕事がより明確になる利点がある。

 一方、立法委員はいまよりむしろ旗幟鮮明に政府と歩調を合わせて仕事をすることができる。世界でも稀な政府・与党の使い分けと曖昧な責任分担はこの際廃止し、政府与党を一元化することによって、議論百出して何も決まらないといった現在のような状況は打開できる。

 内外情勢が時々刻々激変し、技術やシステムも目まぐるしく変わり、社会や体制がそれに応じて機敏に反応しなければならない時代にあっては、阻害要因を早期に除去したり、新たに必要な措置や対策を講じたりしなければならない。それに順応できる体制づくりは必然であり急務だ。実際、イギリスではこの方式がスムーズに機能している。

 だが、その一方で歯止めとなるシステムも不可欠だ。ブレーキの役割は、監査委員が政府の行なう施策を徹底的に事後評価し、政策の効果を検証すること、政府の行き過ぎをチェックすることにより果たされる。
「ナショナルミニマム」の終焉

 リーダーシップの強化と国民によるチェックの強化を両立する制度としては「首相公選制」の採用も検討に値する。首相公選を実現するとともに、任期途中で選挙の洗礼を受けるような制度設計を導入すれば、トップはとりあえず自分がめざすべき政策をスピーディーに実現し、国民にはそれが鮮明に見える。少なくとも、掲げた目標が部会や国対で妥協を重ねた結果、骨抜きにされてしまうといった問題は、このシステムでは起こりにくいといえよう。

 首相はもちろん、大臣や次官・局長など官庁の重要ポストも、政治による任命で行なうべきだろう。その意味で首相公選は、首相個人だけでなく政権を担う人材がワンセットで問われることにもなる。こうした人事制度改革が行なわれてはじめて、鈴木宗男氏問題に見られるような権力の二重構造、官僚と族議員の結託のような現状が是正されるのである。

 また、このシステムは全国自治体にも同時に導入される。自治体の現状からすれば、国政にも増して思い切って議員の数を減らすこともできるだろう。そのうえで、監査委員の公選制も考慮すべきである。

 われわれの構想では、地方と中央は必ずしも同じように発展することを前提とはしていないのが一つの特徴だ。

 そこで第三の提案だが、それは、地方の「均衡ある発展」の終焉と呼ぶべき政策だ。地方は必ずしも中央のように発展する必要もなく、地方ならではの特色を全面に打ち出すべきだ。

 これからの時代は「ナショナルミニマム」から「ローカルオプティマム」に重点を移していくべきなのだ。これは中央官庁の肥大化による機能不全問題と考え合わせると、「分都」というアイデアと奇妙に符合する。

 現在、日本の都市は全国どこに行っても平均的で同じような景観となって、特徴に欠けている。

金太郎アメと揶揄される地方都市の無色化である。地方はいま、地方交付税という“援助”によって中央との平等感を共有しているが、この歪んだ平等意識こそが地方独自の発展をかえって阻害してしまっていることに、早く各自治体は気づくべきだろう。補助を当てにするあまり、独力で立つ機会を長期にわたり失ってしまったのだ。

 だが、ここにきて地方にも変革の萌芽が見えはじめている。とくに個人農業事業者のレベルから、都会で強く支持されるブランドが生まれている。自主性のなかで独自色を出した事業が認められはじめているのだ。

 この新しい動きをサポートするためにも、「ミルク補給」はきっぱり切る必要があるのは当然として、地方には都会とは一味違った、豊かで安らぎに包まれた生活を実現するためのサポートをするべきだろう。都会で働き、週末は地方のセカンドハウスで過ごしたり、老後には都会から地方に移りのんびりと暮らすといった二つの人生を設計する暮らしがあってもよいだろう。

 さらに「分都」により、地方色はより加速される。文部科学省を移転した都市には文教の香りが立ち、経済産業省が移転した都市には日本のエンジンとしての活気が生じる。

 一案だが、東京には金融市場がある関係から財務省、金融庁を置き、宮内庁と文科省は京都に置いてはどうか。また、経済産業省や公正取引委員会、特許庁などは「世界のトヨタ」がある名古屋に移転するなど、実現すればそれぞれに特色を生かした街づくりができるだろう。
「ネオ・ジパング」に向けて

 さて、最後にわれわれが提案するのは、産業である。今後数十年というスパンで日本の牽引車となってくれる幹をどこに置くのか。

 ズバリ、製造業ではロボット産業に期待を寄せたい。むろん生命科学分野やナノテク、新エネルギーなども重要な分野ではあるが、わが国の機械産業の集積、とくに中小企業を含めた厚みのある裾野産業の底力を活用したロボット産業にこそ次世代の「産業の四番打者」を期待したい。

 ロボットというと人型の機械が量産され出荷される場面を思い浮かべ、非現実的と思うかもしれない。だが、ここでいうロボットは自動化・無人化を含めた機械のことで、たとえば自動改札機などもこれに含まれる。

 自動改札機の普及など、日本は自動化では先進国中でも最も進んでいると位置づけられている。

 また、人型ロボットにしても、これは近い将来の輸出産業として非常に有力である。ロボットそのものがハイテク技術の固まりであり、鉄板一枚に至るまで非常に高度な技術の集積であることを考えれば、日本にとても適した産業といえるだろう。

 いま一つの期待分野は、ファッション・エンターテインメント分野である。

「失われた十年」にあって、じつはわが国の現代文化の発信力は驚くほど高まりつつあることを忘れてはならない。『千と千尋の神隠し』のアカデミー賞受賞に代表されるようなアニメーション文化の創造、日本の若者のファッション、日本古来の伝統文化と現代文化の融合などは、「ジャパニーズ・クール」の名のもとに世界的な注目を集めている。【俯/うつむ】きがちな日本人であるが、もっとわれわれは自らのつくりだす価値に胸を張るべきである。

 このことは産業論にとどまるものではない。ましてや、ファッションやエンターテインメント分野に限定されるものではない。都市のありようや景観に、農村の風景や人情に、日本人の生き方・生活様式に、さらにわれわれが日本的な「美」や「粋」を見出していく努力を行なえば、必ずやそれらは世界に日本的なる価値を発信するものとなるだろう。

「ネオ・ジパング」構想——それは、われわれが日本という国と国民が元来もっていた、精神的にも安定した生活様式や広義の文化を取り戻す構想といってもよいかもしれない。

 地球環境や資源の制約や、主権国家以外の存在が国際社会の安全の脅威となるような事態の現出のなかで、欧米を中心とした二十世紀型文明が問い直されている現在。日本と日本人が、自らの文化と生活様式を再確認したうえで、欧米近代文明の長所と課題を見極めて、新たなモデルを発信すべきときが来た。

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