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2011年6月22日 (水)

3月11日〜3月28日のNYT写真集を全採録。直視し忘れないことが犠牲者への弔い。事実を伝えない日本のマスゴミは糞。

 小沢さんへの検察審査会政治弾圧と、マスコミの偏向報道を見ていて、日本にはジャーナリズムなんてないと思っていました。普段は気がつかないけれど、何か大きな事が起こると、この国の報道機関は大本営発表状態に平気でなります。

 事実をねじ曲げる、あるいは隠す、無視して伝えない。ハッキリ言って日本のマスコミは糞です。マスコミではなくマスゴミと言うのが正しい。

 地震発生後、日本の報道だけでは何が起きているか分からないと、徹底的に海外の記事や写真映像、動画などをパソコンに集めました。まだ雑談日記でアップしていないのが沢山あります。

 なお地震発生後10日目に東京を脱出し、名古屋・大阪・広島を経て最終的には九州の長崎に長いこと逗留しました。広島の平和記念資料館でも感じたし、長崎の平和資料館でも感じたことは(長崎の平和資料館には、最初に長崎に行った日と、最後東京に帰る前日の2回訪れました。二度とも永井隆博士の如己堂を参観してから行きました)悲惨な写真でした。しかしもしなければ資料館の価値がないと思わせる写真です。

 そんな僕にとって、今回の国内の震災報道を見ていてすぐに感じた違和感がありました。沢山の人が犠牲になったのに遺体を写す写真や映像がないと言う事です。「東日本 震災 遺体」のキーワードで探しました。また英語や、フランス語でも「Japan Earthquake corpse」「Japon Tremblement de terre corps」で検索しました。結局、ニューヨーク・タイムズの写真集に行き着きました。

 NYTについては震災当初3日ほど集中的に採録していたのですが、その後しばらく見ていませんでした。今回写真集で再度見てさすがだなと思いました。昔、ベトナム戦争の頃、写真報道のLIFEを購読していたことがあります。ピューリッツァー賞を取った写真なども何回か載りました。その後まずいと思ったのか、イラク戦争の時などは、米軍はエンベッドと行って、従軍で優待扱いする代わりに御用報道へ誘導するようなやり方に変えたようです。しかし、伝統というかピューリッツァー賞に見られたようなジャーナリズムとしての精神は脈々と受け継がれているように感じます。今回のNYTの写真集を見てそう感じました。

ピューリッツァー賞(Pulitzer Prize):ピューリッツァー賞(ピューリッツァーしょう、Pulitzer Prize)は、新聞等の印刷報道、文学、作曲に与えられる米国で最も権威ある賞である。コロンビア大学ジャーナリズム大学院が、同賞の運営を行っている。

 

 写真集の前にYouTubeを3本です。(その他の動画は末尾で)(他の防災関連エントリーリンク紹介は末尾

Japan Tsunami, 14th March 2011 日本では放送されない被災地映像 1/2 2分29秒
kikurin1966
https://youtu.be/yE9h74wb5eE

37秒の所から、くずれた家屋の瓦礫から靴下をはいた足が見えます。

44秒の所から、左の消防隊員が車を覗き込むシーンの足元アップ部分、46秒47秒の所で消防隊員が伸ばした手の下に車の窓から出た手が見えます。

 

Japan Tsunami, Natori, 14th March 2011 日本では放送されない被災地映像 2/2 2分29秒
https://youtu.be/z_xFYkEawE0

8秒の所で、道路の真ん中でゴザをかぶせられて手前から足が見える遺体。

 

↓以下で紹介されている写真のほとんどは今回ご紹介するNYTの写真集に出て来ます。

日本では放送できない 報道できない 震災の裏側、7分55秒
shinsaiganbarou
http://www.youtube.com/watch?v=zrJje5pTZ0A
Internet Archive

公開日:2011年4月1日
概要:
テレビでは報道しない、テレビで放送できない
被災地の様子。
この事をみなさんに分かってほしい
東日本大震災のみなさん頑張ってください!
是非何か見て感じたら、多くの人に広めてください。
写真は海外のニュースサイトからお借りしております。

↑↓が消されたので(音楽が変えられてますが同じのです。元音楽は続きのこちらで聞けます

日本では放送できない 報道できない 震災の裏側 earth quake japan 7分55秒
sato mikan
https://youtu.be/O3xDL71tTdI

念の為mpg、念の為mp4

追記(2015/04/05):画面と音楽がセットのオリジナル版を見つけました。オリジナル版動画をmp4保存(&消えぬ保存)。曲は「人間失格」で、歌・作詞・作曲はMetis、歌詞はこちら
なお、画面最後に流れるメッセージは下記です。

これを見て頂いたみなさん

今回の震災で日本が問われています

この事を10年、20年も決して忘れてはいけない

そして親、友達、恋人がいるだけで幸せだと言う事をもう一度考えてほしい
小さな事でも出来る事からこの動画を見て、何か思った人は被災地のみなさんにエールを送ってください

最後まで見てくれてありがとうございます

※写真はNEW YORK TIMESからお借りしました

 

関連:
3月26日、3月25日のNYT震災写真集。
3月24日、3月23日のNYT震災写真集。
3月22日、3月21日のNYT震災写真集。
3月20日、3月19日のNYT震災写真集。
3月18日、3月17日のNYT震災写真集。
3月16日、3月15日のNYT震災写真集。
3月14日のNYT震災写真集。
3月13日のNYT震災写真集。
3月12日のNYT震災写真集。
3月11日のNYT震災写真集。

 以下、NYTの写真集です。エントリーを何回かに分けてアップします。3月13日、14日、20日、22日()の写真映像に何枚か遺体の写真が出てきます。3月28日へと写真集が最後に近づくにつれ集団埋葬の写真などが見られるようになります。遺体の出て来る写真は、写真集全体から見れば枚数的には少ないですが、今回の震災の悲惨さをリアリティを持って実感し、忘れないためにはなくてはならない写真と思います。

3月13日は#193で瓦礫から自衛隊員に発見されたばかりの上半身裸の後ろ姿の遺体。もう一枚は#194で瓦礫が散乱する自宅の階段脇に眠るような横顔で毛布の下に横たわる女性の遺体。3月14日は#170で瓦礫の中から出ている土に汚れた手だけが見える遺体。もう一枚は#173で自衛隊員の足元で横たわる毛布の下から土にまみれた足先がアップで見える遺体。3月20日は#90で小型トラックの荷台に載せられた靴の裏がアップで見える青色シートにくるまれた遺体。もう一枚は#99で体育館にずらーっと並ぶ遺体。3月22日は#72で自衛隊員が遺体に認識票をつけているところ。

追記:2011年4月24日に作家・辺見庸さんの「こころの時代 瓦礫の中から言葉を」が放送されました(←podcastです。再放送したのを後で雑談日記でも採録しました)。その39分38秒の所からを、下記メモしておきます。

 今流されているテレビのニュースの言葉、あそこに事態の本質に迫る、本質に近づこうとする言葉はあるでしょうか。今表現されている新聞の言葉の中に、この巨大な悲劇の深みに入っていこうとする言葉があるだろうか。

  物化(ものか)された人間、つまり人が一体としての身体の形を留めおかないものが多数あったわけだけれども、部位としての人間しかなかったわけだけれど も、それを無いことのように写してしまう。それは私は、人を救っているようで、どうなんだろう、というふうに思うんです。それはひょっとしたら違うんでは ないか、というふうにも思うんです。人は、ある日突然まったく縁なく(ゆくりなく)物化(ものか)してしまう、という哲理をメディアは無視する。それは僕 は逆に畏れ多いことではないか。死者に対する敬意が逆に無いのではないか、とさえ思うんです。

 

以下、3月28日と27日(すべてクリックすると拡大します)
http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#1
20110328_japanslideu6kmjumbo 20110328_Japan-slide-U6KM-jumbo.jpg(スクロールで

Dai Kurokawa/European Pressphoto Agency

Unidentified tsunami victims were buried in a mass grave in the coastal city of Ishinomaki.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#2
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Paula Bronstein/Getty Images

Japanese earthquake and tsunami victims received food and clothing distributed by the Japanese Self Defense Force in Ishinomaki, Miyagi Prefecture, Japan.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#3
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Vincent Yu/Associated Press

A survivor of the earthquake and tsunami cut firewood used for heat at a shelter for those who lost their homes in Yamamoto, Miyagi Prefecture.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#4
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Everett Kennedy Brown/European Pressphoto Agency

Despite the fear that radiation from the Fukushima Daiichi nuclear power plant is pouring into waters off the west coast of Japan, a fisherman collected seaweed near Katsuura, Chiba Prefecture, south of Fukushima.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#5
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Lee Jin-Man/Associated Press

Ryota Sasaki, 10, checked his haircut in a mirror after a trim at an evacuation center in Saitama, near Tokyo. Ryoto was evacuated from Minamisoma, near the troubled Fukushima Daiichi nuclear power plant.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#6
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Yomiuri Shimbun via Reuters

Police officers in protective suits searched for victims of the Japanese earthquake and tsunami in Minamisoma City, Fukushima Prefecture.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#7
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David Guttenfelder/Associated Press

Reiko Kikuta, right, and her husband, Takeshi Kikuta, watched workers attempting to attach ropes to pull their home ashore on Oshima Island in Miyagi Prefecture.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#8
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Yuriko Nakao/Reuters

A group of women examined an article found near Okawa Elementary School in Ishinomaki, Miyagi Prefecture, where roughly 80 percent of the students and teachers were killed or are missing after the earthquake and tsunami.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#9
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Yasuyoshi Chiba/Agence France-Presse — Getty Images

Family members retrieved photographs that belonged to their missing grandparents from debris in Minamisanriku, Miyagi Prefecture.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#10
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Vincent Yu/Associated Press

A survivor at a shelter in Yamamoto was resting during the day.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#11
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Prakash Mathema/Agence France-Presse — Getty Images

A woman prayed for Japanese earthquake and tsunami victims at Bouddhanath Stupa in Katmandu, Nepal.


 

以下3月27日
http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#12

http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#13
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Paula Bronstein/Getty Images

Family members prayed over the coffin of Masami Takahashi at a temporary burial site in Kesennuma, Japan, on Sunday.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#14
20110327_japanslided0gbjumbo 20110327_JAPAN-slide-D0GB-jumbo.jpg(スクロールで

Damir Sagolj/Reuters

Cremation of the dead is traditional in Japanese Buddhist practice, but crematoriums are overwhelmed and fuel for the process is scarce. Local municipalities are burying the tsunami victims in mass graves as a temporary solution.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#15
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Masanobu Nakatsukasa/Yomiuri Shimbun, via Associated Press

Evacuees from Fukushima, where the troubled Fukushima Daiichi nuclear power plant is located, received dinner at an evacuation center in Saitama on Sunday.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#16
20110327_japanslideen96jumbo 20110327_JAPAN-slide-EN96-jumbo.jpg(スクロールで

Eugene Hoshiko/Associated Press

A child and his mother rested on the floor of a gymnasium that serves as an evacuation center in Yamagata.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#17
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Yasuyoshi Chiba/Agence France-Presse — Getty Images

Hiro Ono, 70, collected salvagable items in the tsunami-devastated village of Noda, Iwate Prefecture. Winter weather continued to hamper recovery efforts in the north of Japan.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#18
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Yasuyoshi Chiba/Agence France-Presse — Getty Images

Yukiko Umehara, center, reacted with delight after finding her cousin's childhood diary in the ruins of her house in Tanohata, Iwate Prefecture.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#19
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Carlos Barria/Reuters

A store mannequin was perched among the debris in the town of Yamada.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#20
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Agence France-Presse — Getty Images

A dairy farmer emptied raw milk onto his pasture in the city of Nihonmatsu, Fukushima Prefecture. Radiation above the legal limit has been detected in raw milk in the area close to the stricken Fukushima Daiichi nuclear power plant.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#21
20110327_japanslidelu4fjumbo 20110327_JAPAN-slide-LU4F-jumbo.jpg(スクロールで

Toru Hanai/Reuters

Protesters marched in an anti-nuclear rally in Tokyo on Sunday. The sign on the left reads, “Change energy policy.” The sign on the right reads, “Do not sprinkle radioactive material.”


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#22
20110327_japanslide1dwhjumbo 20110327_JAPAN-slide-1DWH-jumbo.jpg(スクロールで

TEPCO/Kyodo, via Reuters

Technicians in the control room of reactor No. 2 at the Fukushima Daiichi nuclear power plant on Saturday, in this photo released by the Tokyo Electric Power Co.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#23
20110327_japanslideblkyjumbo 20110327_JAPAN-slide-BLKY-jumbo.jpg(スクロールで

Japan Ground Self-Defense Force/Kyodo News, via Associated Press

This video image released by the Japan Ground Self-Defense Force via Kyodo News shows the inside of Unit 4 at the Fukushima Daiichi nuclear power plant on Sunday. A series of explosions destroyed the outer portion of the building in the days after the earthquake and tsunami struck two weeks ago.


http://www.nytimes.com/interactive/2011/03/12/world/asia/20110312_japan.html#24
20110327_japanslidesa9ejumbo 20110327_JAPAN-slide-SA9E-jumbo.jpg(スクロールで

Japan Ground Self-Defense Force/Kyodo News, via Associated Press

A second video image looking inside Unit 4 at Fukushima Daiichi.


始めに戻る


 以下、最初に紹介した動画の続きと、それ以外震災・津波に関係する動画です。

日本では放送できない 報道できない 震災の裏側 2 7分47秒
shinsaiganbarou
http://www.youtube.com/watch?v=MVKWtxXtZ3E

↑↓消されたので同じのをデーリーモーションで探しました。

日本では放送できない 報道できない 震災の裏側 2 earth quake japan. mirrored from shinsaiganbarou and BUG 7分47秒
http://www.dailymotion.com/video/xofebe_there-but-for-the-grace-of-god-go-we-

There but for the Grace of God go we... 投稿者 clayman2012

 念の為mpg、念の為mp4

 

日本では放送できない 震災の裏側 生きる,希望Ver
http://www.youtube.com/watch?v=OnfQL2G-44s
shinsaiganbarou

Sサーバーにアップ 

 最後に流れるメッセージは下記、

笑顔を忘れぬように

この動画を見ているみなさんが
笑顔を届けなければいけない

被災地の子供たちは
笑顔の奥には大きな悲しみを
抱えているはず

亡くなったみなさんの分も
私達は生きる事を選びましょう

そしてもう一度笑顔が溢れることをめざして

♪Metis 生きる事選びました

↑↓以下は似た動画。

【東日本大震災】頑張ろう日本!被災地の希望【JAPAN Touhoku Tsunami】6分25秒
Ry0UkuN
http://youtu.be/uLtka8UHlws

アップロード日: 2011/03/16

念の為mpg、念の為mp4

 

 以下、津波に関係する動画です(コメントは僕、SOBA)。

 気仙沼の様子を3本(それぞれ、、)

2011.3.11 まだTVでは放送されてない大津波動画 5分46秒
wailochow3
http://www.youtube.com/watch?v=VXZs4mos6ow

 

現地の人が撮った気仙沼の大津波 7分46秒
wailochow3
http://www.youtube.com/watch?v=-BAOGqfHCsU

20131027_205030←3分20秒の所の道路の映像と、6分12秒、6分26秒、6分28秒の所の家の映像、

20131027_205840 スクロールして見るなら

←それにグーグルのストリートビューを対照させ撮影場所を特定できました。ホテル望洋の出入口から南へ40mの路上と、そのあと3分20秒からの撮影は、


20131027_205847スクロールして見るなら


20131027_205943スクロールして見るなら


20131027_210107

スクロールして見るなら

空き地の後ろ木の柵のある少し高くなった所からです。位置情報は(緯度経度 +38 54 28.171",+141 34 44.281")です。緯度経度の数字データをグーグルアースやグーグルのWeb地図にコピペしてEnterすると緯度経度の位置に飛びます。


20131027_210657 スクロールして見るなら

←少し後ろに引いてホテル望洋を望む。左手にある白い木の柵のある少し高くなった所からが3分20秒からの撮影場所。


 

Tsunami in Japan [HD] 3.11 first person FULL raw footage 6分22秒
Kanpaifr
http://www.youtube.com/watch?v=GpuLlIrUYsI

0618 ←↑動画最後、6分18秒の所、倒壊家屋の上で茫然とする人影が5人。


 

現地の方が決死の思いで撮影した津波が来る瞬間の映像 【岩手・大船渡】7分11秒
yasagurya
http://www.youtube.com/watch?v=i6H7yMfUQeA

 

【地震】巨大津波の脅威 街が消えた・・・ 映像リポ(11/03/13)8分2秒
ANNnewsCH
http://www.youtube.com/watch?v=fgkXj-2p7jM

ANNニュースの塩釜と南三陸町志津川と東松島市と宮古市と岩沼市と大船渡市と気仙沼市、発災3日目の3月14日までの記録。

SOBA:日本三景のひとつ、景勝地松島は、松島湾前面に並ぶ小島が防波堤になり、津波被害は比較的少なかったようです。しかしその東に位置する東松島市はかなり津波にやれてます。上記動画、1分55秒からの映像に映っています。

 

Japan Earthquake: Helicopter aerial view video of giant tsunami waves 2分44秒
RT
http://www.youtube.com/watch?v=w3AdFjklR50

名取市沿岸と陸前高田市と仙台若林区。

 

津波 カメラがとらえた奇跡の生還 (女性の乗った車が津波に飲みこまれる寸前の映像も) 6分20秒
funkyfunky780
http://youtu.be/iXASMpGhwpA

3月11日、岩手県塩釜市。

 

目の前で走っていた車が大津波に飲み込まれてしまう 2分4秒
wailochow3
http://www.youtube.com/watch?v=rdGR6Cypw1E

最初のところで志波彦神社御神輿御座船「龍鳳丸」(左)、鹽竈神社御神輿御座船「鳳凰丸」(右)が見えるので塩釜だと思います。48秒の“あっ、降りてよかった”の声。

追記:撮影場所ほぼ特定。イオンタウン塩釜ショッピングセンターの屋上駐車場東端からです(緯度経度が+38 19 8.310",+141 01 31.820")。なお、サンデュエル本塩釜駅前ビル(緯度経度が+38 19 6.800",+141 1 24.440")から撮影の参考動画、最初の所で上記動画撮影箇所(屋上駐車場東端)と御座船「龍鳳丸」と「鳳凰丸」が映っています→2011年3月11日 15時54分〜 塩釜港の津波

 

[JAPAN TSUNAMI] NEW FILM! 2011 Japan Earthquake Trzęsienie ziemi w Japonii 7分9秒
SGvatrasII
http://www.youtube.com/watch?v=wnbcogq8HhM

 

東日本大震災津波動画 2011/3/11 tsunami
mao754
http://youtu.be/gluWVySBVOU

2011/04/25 に公開

0434もの凄い津波の濁流がややゆるくなってから、。

4分5秒あたりから聞こえる悲鳴。動画キャプチャは4分34秒。その後ときおり聞こえる、言葉にならない助けを求める男性の悲鳴。映るのは5分5秒〜10秒、5分50秒〜55秒、6分38秒〜53秒(←ここは左端で)。


07087分8秒のキャプチャ(〜19秒)、7分50秒〜8分3秒。防災用のために普段からロープに慣れ親しんでおく事は必須


概要:(以下、撮影投稿者のコメント)
3月11日に私が自宅ベランダで撮影
流されて電線に掴まっている人は私が救助しました 
[コンテナに乗っていた人]
場所は石巻の渡波中学校の辺りです

↑↓渡波(わたのは)中学校の被災1ヶ月後の様子。

渡波中学校の 被災校舎と海岸線の様子
yutaka shigetomi
http://youtu.be/gdAg7qQbwOg

2013/03/18 に公開

SOBA:1分50秒の所で、「ああ、一月経っても(津波で流されたボラがいる)」と言っているので、公開は2013/03/18なれど、発災1ヶ月後の4月中旬頃撮影と思われる。石巻市立渡波中学校(わたのはちゅうがっこう)の被災時の住所は宮城県石巻市渡波字浜曽根山1(わたのはあざはまそねやま)で、西側にあった石巻市立女子商業高等学校に隣接していた。

(↓クリックすると拡大します)スクロールして見るなら 
20140822_75112←発災前年、6月25日の衛星写真。左が石巻市立女子商業高等学校、右が渡波中学校。(境界線に赤線追加)

2011/3/11 tsunamiの撮影場所はこの近辺と思われる。


 

SOBA:以下動画は普通の車道に津波がゆったりと来たケースです。これはこれで自然の力に圧倒され何と表現してよいか言葉がありません。発災後から夜半までたんたんと記録しています。車の屋根に乗った人が流されるところや、9分47秒の所からでは津波であふれた車道を泳いで逃げる人の姿が映っています。歩道橋に残された人々が助けが来るまで疲れて眠る女児を見守る姿なども記録されています。

japan tsunami in sendai.m4v 14分15秒
FrdTBO
http://youtu.be/qOlL2kbKGFQ

アップロード日: 2011/10/08

 上記動画は、「地盤基礎の地震被害と対策」を研究されている京都大学澤田純男氏(防災研究所/地震災害研究部門/教授)撮影のようです。なお、3・11発災直後から3月15日までのレポートを日本語と英語で出されています。ライフラインに関すること、その他実際に経験した者でなければ気がつかないような事の報告が多々あり参考になります。⇒「地震の報告」「Report of THE EARTHQUAKE experience」←リンク先の「二日目 3月12日 6時40分頃目が覚めた。かなりの人がいます。」の所の最初の写真に写っているドイツ人親子3人連れの関連動画です⇒津波から生還したドイツ人

データ等:撮影場所は多賀城駅前交差点歩道橋で緯度経度は(+38 17 23.593",+141 0 32.645")

040←動画40秒、歩道橋からの撮影。北東に延びる仙塩街道(45号線)左に見えるのは「ん寿司」多賀城店 宮城県多賀城市八幡3-5-30(022-367-1787)


115←1分15秒、40秒の写真の歩道橋反対側方向。南西に延びる仙塩街道(45号線)左に「とんかつかつ庄」宮城県多賀城市八幡4-1-21(022-361-4411)、右に「杜の都信用金庫多賀城支店」多賀城市八幡三丁目14番17号TEL:022-364-4646


2分50秒、上記写真方向のズームアウト。
250_2

1055←左に「日章堂」多賀城店 多賀城市八幡4丁目3-40(022-362-9622)。その後更地に、。


20140821_203136←日章堂の位置。


20140821_203401←日章堂と多賀城駅前交差点歩道橋の位置をズームアウト。左上に多賀城駅、駅手前に砂押川。


 

↓以下動画も凄まじいです。2分15秒あたりから、津波が最初はゆっくり、そしてアッと言う間に圧倒的な量の水になって襲ってくる様子がまるで意思を持つ生き物のようで不気味。4分14秒の所から、津波が襲ってくるのも知らず防波堤脇を走る車と10mの防波堤を超える津波です。

東日本大震災 津波映像 釜石市両石町(1_4).flv
bousailabo
https://youtu.be/PmdDhq7S77E

2011/10/09 にアップロード

概要:
3月11日 岩手県 釜石市 両石町

SOBA:なお箱崎半島を挟み、この両国湾北隣の大槌湾に面するのが鵜住居です。同じく津波にやられましたが、「古人の教え、津波てんでこ」を守り、釜石東中学校と鵜住居小学校の生徒は高所避難場所に逃げ全員が助かりました

 

 以下を追加。

ニコ生ノンフィクション論 『遺体番号236――気仙沼に消えた姉を追って』
2011/12/19(月) 19:50開場  20:00開演
http://live.nicovideo.jp/watch/lv74118593?po=news&ref=news

埋め込みタグがないのでpodcastしておきます。←動画47秒からの録音。なお、動画49分50秒から11秒間音が中断し(録音では49分3秒から11秒間音が中断)、動画読み込み中表示になります。

【出演】
生島淳(ノンフィクションライター)
石井光太(作家)
藤井誠二(司会・ノンフィクションライター)

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00328 左が生島淳さん、右が石井光太さん。


 

左から、司会の藤井誠二さん、生島淳さん、石井光太さん。
01434_2


生島淳さんの『 気仙沼に消えた姉を追って 単行本 – 2011/11 生島 淳 (著)』と
石井光太さんの『 遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫) 文庫 – 2014/2/28』です。

生島淳さんの
石井光太さんの

 

参考(避難所生活関連です):1頁2頁 

 

防災関連エントリー:
東日本大震災の記録 大津波悲劇の中の救い、防災の備えが命を救った、英字紙記事も。 

3・11東日本大震災「学校最多の犠牲者、石巻市立大川小」検証のために関連記事採録。 

3・11:東日本大震災 宮城・山元町の自動車学校、送迎手間取り25人死亡 

検証・大震災:3家族の3.11、陸前高田・河野さん、名取・佐藤さん、石巻・木村さん。 

災害:巨大地震や原発被災、「毎日小学生新聞」が画像表示などあり分かりやすいので資料保存。

 

 「防災必需品+体験談」←グーグル検索です。普段からの備えが大事、参考にして下さい。以下、僕自身が用意している基本グッズのAMAZONリンクをはっておきます。

 ※をつけたグッズは、小さな子は別にして家族全員個人装備でも良いと思います。特にヘッドライトは明かりの欲しい作業の時などに使って重宝しています。夜、自転車の前照灯が球切れした時にも使い助かりました。雨具は傘以外に、即行で着脱できて両手が使えるポンチョもお勧めします。

ホイッスル 笛 ※(救出要請SOS、その他)

ヘッドライト ※

LED懐中電灯 ※

SONYポケットラジオ ※

SONY防災ラジオ ←スマホ手回し充電可能タイプの

LEDランタン 

・火を熾すもの(チャッカマン西洋火打ち石

卓上カセットコンロ 

VICTORINOX多機能ナイフ ※

ポンチョ(アウトドア雨具) (←お勧め)※

 ロープは万能道具、普段から慣れておくことが大事。

決定版 ひもとロープの結び方 便利手帳 

使えるロープワーク―必ず役立つ「結び」の完璧テクニック (OUT DOOR)←アウトドア好きの方が書いた本。

アウトドア用のロープ ←リンクをはりましたが、一番良いのは登山用品店に行って説明を聞き、自分でも手にとって選ぶ事です(太さの感じが分かります)。通常、メジャーを使って1m単位で量り売りしてくれます。僕自身は、径3.5㎜と4.5㎜のでそれぞれ2m、3m、5mのを適宜本数組み合わせて普段からザックの隅に入れてます。また車にはそれに加え径8㎜で10mのを2本積んでます。細いロープは長いのだとうまく使えません。短いのを準備して使うのがロープに慣れるコツ。長さが足りなければつないで使えばよいのです。

 着るものを含め、防災グッズはアウトドアグッズを転用出来るわけですが、ザッグを例に取ると、防災用と比べアウトドア用のザッグは作りも頑丈ですし、使い勝手もはるかに良いです。

リュックサック ※

ザック ※

 意外と忘れるのがマスクとゴーグル。特にマスクは瓦礫の粉じん対策として必需品(特に肺がんを引き起こす石綿:アスベストに要注意)、避難場所での風邪の集団感染予防にもなります。またゴーグルは震災での粉じん対策だけでなく富士山が噴火した場合、大量の降灰に対する備えとしても必要。マスクとゴーグルは花粉症対策としても使え、何もしないよりは放射能降灰への備えとしても有用と思います。

山本光学のN95マスク  ※

山本光学の浮遊粉塵用セーフティゴーグル ※

 薬や救急用品など。これは個人それぞれ違うはず。以下は僕が用意しているもの。消毒用ジェルは避難所で用意しているはずですが、万一に備え感染症防御でこまめな手洗い用。スキンクリームはウォシュレットが使えない避難所で拭く時に使う切れ痔予防。裏技用途で、ジェルやワセリンはたき火が必要な時に火口(ほくち)に少し使うと火を熾しやすくできます。手ぬぐいはバンダナ代わりや鉢巻きにも使え、いざという時には包帯にもなる必需品。

消毒用ジェル救急絆創膏テーピング用テープけが等の軟膏ワセリンスキンクリームソンバーユなら)、とげ抜き手ぬぐい

始めに戻る


 以下追記、資料として採録。

阪神・淡路復旧作業石綿禍 東日本被災地にも暗い影
http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/18/201208/0005483567.shtml
魚拓 

B_05483568 重機で解体される被災ビル。粉じんが舞う=1995年2月、神戸市兵庫区

 発生から17年半となる阪神・淡路大震災の被災地で、建物の復旧作業に伴うアスベスト(石綿)被害が新たに確認された。牙をむき始めた大震災の石綿禍。しかし、当時の環境庁(現・環境省)などによる石綿の飛散調査は「おおむね問題なし」との結果だった。時をへて相次ぐ中皮腫の発症は、実態把握の不十分さを浮き彫りにするとともに、東日本大震災の被災地にも暗い影を落としている。

 家屋全壊約10万棟、半壊約14万棟。阪神・淡路大震災の被災地では、倒壊した建物からすさまじい量の粉じんが発生した。日本では石綿消費量の約8割が建材に使われてきた。吹き付け材、屋根材、内装材、吸音材、外装材、耐火被覆材(たいかひふくざい)などだ。震災で崩れた建物のがれきには、命を脅かす「死の棘(とげ)」が含まれていた。

 当時の環境庁の調査によると、解体現場周辺で空気1リットル中の石綿繊維量は平均3~5・4本、大気汚染防止法の基準(10本)を下回った。一方、民間研究機関「環境監視研究所」(大阪市)の測定では、解体現場周辺で1リットル中160~250本が検出された。基準値をはるかに上回る。

 官民でデータに隔たりがあるが、中皮腫が増えているのは「飛散防止に有効な手を打てなかったことを示している」(専門医)とみる人は多い。

 解体が急ピッチで進む中、行政が現場に本格的な粉じん対策を指示したのは、発生から1カ月あまりたってからだ。復旧工事が急がれる中、石綿対策が後手に回ったことがうかがえる。

 発生から間もなく1年半になる東日本大震災の被災地でも、石綿の飛散に不安が高まっている。

 環境省の飛散調査では、約350地点のうち95・4%で「問題なし」との結果だった。しかし、現地調査をした森裕之・立命館大教授(公共政策)は「極めて不十分」と疑問を投げ掛ける。「建材は解体作業で細かく砕かれており、風向きによって測定値が大きく異なる。東北の被災範囲は広大で、阪神・淡路の教訓を踏まえて丁寧に測定すべきだ」と話す。

 被災地ではがれきの集積場が点在している。原発事故に伴う放射能汚染に目を奪われがちだが、宮城県石巻市の石巻赤十字病院の矢内勝・呼吸器内科部長は「がれきが身近にある以上、石綿の吸引を避けるために万全を尽くす必要がある」としている。(加藤正文)

【発症時期迎え被害拡大か】
 中皮腫で亡くなった宝塚市の男性=当時(65)=が阪神・淡路の復旧作業に携わったのは、わずか2カ月だった。震災アスベストの危険性を訴えてきたNPO法人ひょうご労働安全衛生センターは「十分な飛散対策がないまま、復旧解体が街中で繰り広げられた。労働者だけでなく、住民やボランティアへの被害も懸念される」と指摘する。

 石綿が肺の中に入り、中皮腫や肺がんといった石綿疾患を引き起こすまでの潜伏期間は、十数年から40年とされる。阪神・淡路大震災から17年半、同センターの西山和宏事務局長(50)は「発症時期に入ったのではないか」と警戒感を強める。

 近年、復旧に携わった労働者の石綿疾患が相次ぐ。2008年、解体にかかわった兵庫県内の男性の中皮腫発症が判明。その後、解体作業の現場監督を務めた芦屋市の男性、がれきを収集した明石市職員の発症が確認された。

 しかし、いずれも発症と震災時の石綿飛散との明確な因果関係は証明されておらず、兵庫県の井戸敏三知事は「原因が阪神・淡路大震災だとはなかなかなりにくいのではないか」などと繰り返し発言している。

 これに対し、今回の宝塚市の男性のケースでは、石綿に触れる機会が震災後の復旧作業に限定される。男性の妻(67)は「夫と同じような作業をしていた人は多いはず」との思いで、夫の病状の公表を決心した。

 被害拡大や不安解消に向け、行政の速やかな対応が求められる。(中部 剛)

2012/8/24

 

論壇
アスベスト禍の衝撃 史上最悪の産業災害
命に突き刺さる棘、震災復興でも深刻な被害が

http://gendainoriron.jp/vol.03/rostrum/ro03.php
魚拓 
Internet Archive 

神戸新聞編集委員 加藤 正文


国賠勝訴 
複合型ストック災害 
クボタショック 
震災アスベストの脅威 
相次ぐ発症 
異常事態の中で 
繰り返される過ち 
課題を示す窓 


 原発事故とアスベスト(石綿)禍には被害の構図が共通している。過去に地震や津波が繰り返し発生した地に原発を起き、研究者が再三、その危険性を警告していたにもかかわらず、虚構の「安全神話」の中で稼働を続けた。一方、石綿も戦前から有害だと分かっていながらも、その有用性、経済性から「管理して使えば安全」と国は十分な規制を行わず、約1千万トンを消費した。使用禁止は北欧に遅れること20年、ヨーロッパ諸国に遅れること10年以上たった実に2006年だ。

 原発事故は「史上最大・最悪の公害」(宮本憲一・大阪市立大名誉教授)であり、石綿禍もまた「史上最大の産業災害」(同)である。筆者は2005年6月末、兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場内外で深刻な被害が発覚した、いわゆる「クボタショック」以降、各地で取材を重ねてきた。その成果を『死の棘・アスベスト』(中央公論新社、2014年)として刊行した。石綿はその使用状況の広がりを反映して、被害状況も多様だ。本稿では、①石綿産業の原点としての大阪・泉南②アジア最悪の被害を出した兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場③今後、深刻な被害が懸念される震災アスベスト-の3点で被害と不作為の構図を描いていく。


国賠勝訴

 「勝訴」「最高裁、国を断罪」。原告側の弁護士の旗が出ると、最高裁前に詰めかけた被害者らから拍手がわいた。2014年10月9日、石綿を吸って肺がんや中皮腫などを患った大阪・泉南地域の元工場労働者らによる国家賠償請求訴訟で、最高裁は国の賠償責任を初めて認める判決を言い渡した。

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知られざる地場産業だった大阪・泉南の石綿紡織産業。100年の時をへて最高裁が国の不作為を認定した(大阪アスベスト弁護団提供)

 「労働環境を整備し、生命、身体に対する危害を防止するために、国は技術の進歩や医学知識に合うように適時適切に規制権限を行使すべきだ」。この「適時適切」という理念を盛り込んだ判決が確定するまでに、どれほどの苦難があったことだろう。病気に斃れた無数の声なき声が、100年もの長い時を超えて重い扉をこじあけたのだ。

 関西空港の対岸、大阪府泉南市、阪南市を中心とする泉南地区は、日本の石綿紡織産業の原点の地だ。中小零細の工場が集積し、戦前は軍需産業、戦後は自動車や船舶、機械などの基幹産業を支えた。最盛期には約200社が稼働し、約2千人が就労したという。戦前から石綿紡織工場の全国一の集積地として発展した。

 主な製品は、石綿を主原料に綿花などを混紡した糸、そして、この糸を布状やひも状に加工したものだ。耐熱性、絶縁性にすぐれ、各種パッキング、蒸気機関車などの防熱ふとん、自動車の摩擦材などに幅広く使われた。「小はランプの芯から、大は重化学工業の発熱部を覆う断熱材として欠かせなかった」(柚岡一禎・泉南地域の石綿被害と市民の会代表)。あちこちに工場が点在し、「街全体が石綿工場のようだった」といわれるが、今の街並みからは想像もつかない。高度成長期をピークに生産は次第に先細り、産地は消えた。長年、数多く労働者や住民が石綿による肺の病気で苦しんできたが、2006年、石綿対策の不備について国の責任を問う集団訴訟が提起されるまで知る人は少なかった。「国は石綿の危険性を知っていた、対策を取ることもできた、でも、やらなかった」。長い間、隠されてきた被害が表に出た瞬間だった。

 戦前の調査がある。国は1937(昭和12)年、泉南地区の被害をつかんでいた。旧内務省保険院の調査で、労働者の石綿肺罹患率が12・3%に上ることが判明した。担当医師らの「有害工業に属し法規的取り締まりを要する」との警告が残る。だが、国はこれに対して不十分な症例調査にすぎないとの立場をとった。その後も罹患率は10%を下回らず、労働基準監督署が調査を重ねた。しかし、「被害は深刻ではなかった」という見解を譲らなかった。 クボタのような大企業と違い、泉南はほとんどが零細企業で対策も不十分だ。「だからこそ国に被害拡大を防ぐ責任があった」。石綿問題に詳しい立命館大の森裕之教授(公共政策論)は国の不作為を指摘する。

 訴訟は2陣あり、1陣の地裁、高裁、2陣の地裁、高裁。そして今回の最高裁、過去5回の判決が投げ掛けるのは、一体、何のために労働関係の法規はあるのか、という根本的な命題だ。いくつもの曲折があったが、最高裁判決は、人間の命と健康を守るため、という基本原則を明確に示した。

 不断の努力で最新の知見に合わせて健康被害を予防する。被害が発生しているのならば、根絶まで対策を取る。これは法律や規則以前の行政の当然の責務だが、縦割りの官僚機構の中でその意識はかなり薄れている。あえてこの原則を厳しく指摘したところにこの判決の最大の意義がある。


複合型ストック災害

 手元にアスベスト(石綿)の原石がある。白く毛羽だった繊維のついた蛇紋岩。カナダ・ケベック州の鉱山都市セッドフォード・マインズの取材時にもらったものだ。

 壮大な露天掘りの鉱山に立ったとき、上流から下流へ流れる川のように、採掘された石綿が輸出され、港から工場に運ばれ、加工され製品となり、最後に瓦礫として廃棄される様子がまざまざと脳裏に浮かんだ。 熱や引っ張りに強く、燃えない。そして何より安い。産業革命とともに本格利用が始まり、各国の経済成長を支えた。その用途は建材、水道管、パッキング、シール材、ブレーキ材など実に3千種類に及んだ。

 かつては「奇跡の素材」と喧伝され、有害な「悪魔の素材」にもかかわらず、大量に使われた。日本は1千万㌧を消費した。1970年代にWHO(世界保健機関)やILO(国際労働機関)が発がん性を指摘したのに、日本が使用禁止にしたのは前述のとおり2006年。建物など社会のあちこちに蓄積(ストック)された石綿。髪の毛の5千分の1の微細な繊維は吸引すると長い潜伏期間をへて中皮腫や石綿肺などの病気を引き起こす。「生産・流通・消費・廃棄の経済活動の全局面で複合的に影響を与えるストック災害」(宮本・大阪市大名誉教授)とされる。近代化の初期に大量使用され、経済成長が一段落するころに「死の棘」の本性をみせる。これが複合型ストック災害の恐怖だ。

 日本で中皮腫による死者は2006年から毎年千人を超え、10年は1209人、11年1258人、12年は1400人、13年は1410人と増加。兵庫、大阪、東京、神奈川で多い。石綿を扱う工場などで働いたことがないのに病気になった人の数は中皮腫と肺がんで8千人を超え、その半数が亡くなっている。

 一方、労働災害として認定される人の数は毎年千人を超えている。高度成長期に起きた四大公害事件よりも被害者が多くなるのは間違いない。規制の決定的に遅れを踏まえると、被害のピークは2030年と予測される。


クボタショック

 アスベスト問題が労災を超えた公害であることを明確に示したのは、2005年6月に起きた「クボタショック」である。ショックたるゆえんは、工場の元従業員のみならず周辺住民の間で中皮腫が多発していることが発覚したからだ。中皮腫は石綿に起因する極めて予後の悪い特異性疾患だ。それが工場の周辺に広がっていた。発症状況を地図に落とすと、この特異な病気が工場の半径4キロにわたって広がっている状況が浮き彫りになる。

 2014年9月末時点で周辺住民と元従業員の死者は435人となり、アジア最悪の被害となっている。住民の被害者は263人で、元従業員(172人)を上回る。「俺、何か悪いことしたか」「1億円もらったってこんな病気、嫌」「クボタによる陰湿な殺人」「健康な体を返してほしい」―。不条理に命を奪われた患者たちの言葉はあまりに重い。

 クボタの社長は道義的責任から謝罪し、原則半径1キロの発症については救済金を支払ってきたが、肝心の因果関係についてはいまだに認めようとしない。「お見舞い金の延長」(首脳)という見解にとどまる。


震災アスベストの脅威

 重機がうなりをあげて建物を壊していく。むき出しの鉄筋、破砕された建材、積み上がる膨大ながれき、舞い上がる粉じん…。東日本大震災の被災地で続いた光景は、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災の状況と重なる。当時、全国から駆けつけた労働者たちは、復旧復興のためにひたすら解体作業に打ち込んだ。すぐそばではごく当たり前の日常生活が営まれていた。あたりを舞う粉じんに潜む「死の棘」の存在を、気に留めることはほとんどなかった。

 来年1月で丸20年となる。神戸の街に震災のつめあとは感じられなくなった。順調に「復興」したかのように見えるこの街で、肺の奥に突き刺さった微細な繊維、アスベスト(石綿)が牙をむき始めている。がれき処理に関わった人が相次いで、石綿に起因するがん、中皮腫を発症しているのだ。吸引後、10数年から40年たって発症するのが石綿のリスクだ。

 「チュウヒシュ? 俺が?」。2012年5月、兵庫県明石市にある県立がんセンターで思わず問い返した。医師の診断は「腹膜中皮腫」。高濃度のアスベスト(石綿)暴露で起きる病気だ。明石市環境部の男性=当時(48)=の仕事はゴミの収集業務だが、石綿との関連を考えるうちに、1995年の阪神・淡路大震災時に思い至った。

 男性は当時、がれきの処理業務に奔走した。ブロックやスレート、木材など震災で全半壊した住宅のがれきをパッカー車に積んで、処分場に運んだ。波形スレートは半分に割って車に押し込んだ。2、3トン積みの車だったが、可燃であろうが、不燃であろうがお構いなしだったので「5、6トンは載せていた」。

 処分場にがれきを投入する。荷重が重すぎて油圧で荷台が上がらないのでパッカー車の中に入ってがれきをかきだした。狭いパッカーの中はすさまじい粉じんだった。「使い捨ての紙マスクを2重にして使っていたけど、鼻の中まで真っ黒になった」。当時、焼却場は壊れていたのですべてのゴミを埋め立て処分場へ。破砕してブルドーザーでならした。舞い上がる粉じんとともにがれきはうずたかく積み上がった。

 時は流れ、2011年暮れ、下腹部にできたしこりに気づいた。それが見る間に大きくなった。「当時、俺よりもたくさんアスベストを吸い込んだ人がいた。神戸に来ていたボランティアの人もそうだ。俺が病気になるというとは、これからもっと多くの人が発症するということ。入念な検査をみんなにしてほしい」。男性の病状は悪化し、2013年10月に亡くなった。


■ 相次ぐ発症

 時がたち、阪神・淡路大震災の生々しい記憶が遠ざかる中で、石綿関連疾患の発症が相次いでいる。2008年3月、震災時の解体作業で石綿を吸ったため、がんの一種、中皮腫になったと訴えた兵庫県内の30代の男性を、姫路労働基準監督署が労災認定した。震災時作業による労災認定は初のケースだった。石綿の被害は潜伏期間が十数年~40年とされる。「震災による石綿疾患はいずれ爆発的に発生する」と、かねて懸念されてきただけに、いよいよ来たのか、という覚悟を迫る発症の報告だった。

 2009年5月、芦屋市の男性=当時(80)=が労災認定された。中皮腫と診断されたのは2007年。元建設会社の営業マンで、震災後の95年10~11月、人手が足りず、解体作業で現場監督を務めた。重機の巨大なハサミが建物をつかむと、左右に10メートルほど粉じんが広がった。労災を申請すると、労働基準監督署は建設会社に勤務していた77~98年の約22年間に石綿に触れたと判断した。しかし、渾大防さんは「営業マン時代、建設現場に出ることはほとんどなかった。石綿を吸い込んだのは、震災時の現場監督時代しか思い当たらない」と話す。13年暮れ、男性は死去した。

 2012年8月には、宝塚市内の男性(11年に65歳で死去)も労災認定された。この男性は衣料品販売をしていたが、震災で仕事ができなくなり、1995年2月、作業服に着替えてアルバイトとして工務店で勤務した。民家からずり落ちた瓦を集め、屋根にブルーシートをかけた。マンションの改修工事にも立ち会った。マンションの室内では職人が壁や天井をはがしたり、電動のこぎりで建材を加工したりしたため、相当量の粉塵が部屋にたちこめた。妻(67)は今、夫のかぶっていた野球帽にほこりがたくさんついていたことを思い出す。工務店のアルバイトはわずか2カ月。この間に石綿を吸い込んだ。16年後に中皮腫を発症し、2011年10月に死去した。妻は悲しみを口にした。「がれきの中のアスベスト(石綿)のことなんて考えもしなかった。お父さんは悔しかったと思う。同じ哀しみを東北の被災地で決して繰り返さないでほしい」

 同じ月、兵庫県内に住む別の70歳代男性も神戸東労働基準監督署から労災認定されたことも判明。3年近く瓦礫処理作業に携わったという。労災認定などで表面化する被害だけで5人。その背後で、解体、瓦礫収集、運搬、処理などの復旧・復興に関わった数多くの労働者が次々と石綿禍に倒れている。これが阪神・淡路大震災の被災地の現実なのだ。


異常事態の中で

 死者6434人、家屋全壊約10万棟、半壊約14万棟。現場は異常事態であり、緊急事態だった。

 「最悪の労働環境だった」。解体や瓦礫処理に携わった労働者たちの証言だ。神戸市兵庫区で工務店を経営する男性(81)は振り返った。「マスクどころか、タオルもまかずに仕事した。石綿が危ないなんて考える余裕はなかった」「防護シートを張らずに解体した。飛散を防ぐために水をまこうにも、水道管が壊れて水は出なかった」

 発生約1カ月後から一斉解体が始まった。無数の業者が被災地に集まり、神戸だけでも100件、兵庫県内で200~300件の解体が同時に進行したという。住民への情報開示、飛散対策が積み残されたまま、混乱の中、大量解体が進んだ。一体、どれだけの粉じんが街中を舞ったのだろう。当時、がれきの街を取材で回りながら、のどがいつもいがらっぽく、目が痛かった記憶が残る。

 都市では高度成長期以降、郊外型の開発に力が注がれ、インナーシティーと呼ばれる中心部の再開発は遅れてきた。ニュータウン開発に力を入れた神戸では、とりわけインナーシティー問題は課題となっていた。そこには石綿を含む老朽建築物が数多く取り残されており、災害対策としても石綿に十分注意が払われてこなかった。震災時の兵庫県地域防災計画には環境保全の記述はなく、10年後の復興10年委員会の「総括検証・提言報告」にもアスベストの文字は一カ所もない。

 「これは単なるアスベスト対策の欠陥ではなく、日本の都市政策、災害対策、復興政策の欠陥と関連している」(宮本、森永、石原編『終わりなきアスベスト災害』岩波書店、2011)。この指摘が重くのしかかる。

 しかし、自治体の対応は鈍いといわざるを得ない。東日本大震災の起きる1年前の10年5~8月に掛けて立命館大は全国の自治体に地域防災計画に震災時アスベスト対策を盛り込んでいるかどうかを調査した。結果、72・5%が「現在、盛り込んでおらず、特に盛り込む予定はない」と回答。そのうち、環境省が07年に策定した災害時の石綿飛散防止マニュアルについても、「認識していない」「確認していない」としたのは5割超。

 これが日本の石綿対策の実情である。そこに東日本大震災が起きたのだ。


繰り返される過ち

 東北の被災地に点在する瓦礫の集積場で遊ぶ子どもたち。倒壊した建物の前で、マスクをつけずに普通に歩く中高生…。「目に見えないアスベストが飛散しているから、できるだけマスクを」。そんな思いが募る。阪神・淡路大震災の被災地であまりに無防備だったからだ。

Kato_asbestos2 積みあがる震災がれき。微細な石綿繊維の飛散が懸念された。阪神・淡路大震災の教訓は生かされたのだろうか=2012年、宮城県石巻市

 津波に根こそぎ奪われた東北の町は、当初は声を失う惨状だったが、その後、がれきの様子が気になった。宮城県石巻市。2012年秋に県立石巻商業高校(約580人)の隣に広がるがれきの集積場には驚いた。高い囲いが巡らされ、白い袋詰めされた膨大ながれきが積み上がっている。搬入された後、生徒から「喉が痛い」「目がかゆい」などの声が寄せられたため取られた措置だった。

 がれきは、撤去、運搬、仮置き、処分の全過程で粉じんが発生する。倒壊家屋や破損した船舶には、ふきつけられたり、練り込まれたりした石綿がたくさん含まれている。当初、環境省の担当者は「津波で塩水にぬれ、石綿の飛散が抑制されている」としたが、乾燥が進み、破砕や運搬作業が進む中で、当然、飛散する。

 がれきの総量は東日本2300万㌧、阪神・淡路2千万㌧だ。東日本大震災に特徴的なのは、沿岸には製紙業をはじめ、さまざまな工場があることだ。長期間、排水を流したことで、海底にはさまざまな物質が蓄積している。「津波は、海底に沈殿していたものを一気に陸に揚げた。産業廃棄物を含むヘドロは普通の泥ではない」と石巻赤十字病院の矢(や)内(ない)勝・呼吸器内科部長が警告する。発生2カ月後に訪れた際、海底にたい積したヘドロが津波で打ち上げられていた。臨海部にそびえる日本製紙石巻工場の周りを歩いていると、雨が降り出した。それまで白っぽかった泥が、雨にぬれると、どす黒く変色した。石綿、砒素、鉛…。危険物質は数多くある。

 東日本で阪神・淡路とは決定的に異なる点がある。犠牲者の9割が建物倒壊による「圧死」が阪神・淡路なのに対し、東日本では死因の9割が津波による「溺死」だ。これはそのまま石綿被害にもあてはまる。破損した建物が津波で流され、そして有害なヘドロが沿岸部に拡散している状況を踏まえると、粉じんの飛散に伴う健康被害は、阪神・淡路大震災よりもはるかに広域になる危険性がある。

 環境省は東北の被災地で11次にわたってモニタリング調査を行った。結果、1713地点のうち99・6%で問題がなかったという結果だった。「おおむね問題なし」と環境省の大気課長(当時)はいう。ここでも20年前の阪神・淡路大震災の当時と似ている。

 しかし、「調査はきわめて不十分」と森裕之・立命館大教授(公共政策)は言う。被災地ではがれきの量を減らすために成形板を破砕しているケースがあるといい、「破砕物は風向きで測定値が大きく異なる。被災のエリアは400㌔にわたる広大な地域だ。もっと丁寧な測定が要る」と話す。


課題を示す窓

 大震災の発生でどれだけの石綿が飛散したのか、完全な把握は難しい。とはいえ、できることはある。まず、アスベストを含んでいた建物の倒壊した地区を中心に、当時の住民や解体・撤去にかかわった労働者らを登録し、健康診断を継続しなければならない。土木工事に他府県から多くの労働者が神戸・阪神間にやってきた。これはボランティアも同じだ。アスベストに暴露したというリスクを本人に周知させ、健康診断を受けなければならない。

 もう一つ必要なのは、私たちの住む街にいったいどれぐらいの石綿が蓄積しているのか。神戸市は固定資産税台帳によって建物の建築年次を調べ、アスベストの飛散可能性のあるものをチェックしている。これは公表していないが、地図に落とし込んでいるので、アスベストマップとしても活用できる。

 「大震災の発生時、ふだんは見えない社会の課題を示す窓が開く。その窓はごく短い期間に閉じてしまう」。阪神・淡路大震災のちょうど1年前の1994年1月17日、米カリフォルニア州ロサンゼルス市ノースリッジで起きた大震災の報告書にはこんなフレーズがある。窓が開いているうちに、根本的な対策がとれるか。神戸で生かせなかった阪神・淡路の教訓を、東日本で生かさなければならない。これは石綿問題にとどまらず、私たちの社会の未来にかかわる問題である。

主要参考・引用文献

(1)中部剛、加藤正文『忍び寄る震災アスベスト 阪神・淡路と東日本』、かもがわ出版、2014年

(2)加藤正文『死の棘・アスベスト 作家はなぜ死んだのか』、中央公論新社、2014年

(3)立命館大学政策科学会編『別冊政策科学 アスベスト問題特集号』、2008、11、12年

※新聞、雑誌、インターネットサイトの記事、各種訴訟の訴状、判決文などを参考にした。


かとう・まさふみ

1964年西宮市生まれ。大阪市立大学卒。89年神戸新聞入社。経済部、北摂総局、阪神総局、論説委員などを経て、現在、経済部次長兼編集委員。著書に『工場を歩く-ものづくり再発見』(神戸新聞総合出版センター)、『工場は生きている-ものづくり探訪』(かもがわ出版)、『忍び寄る震災アスベスト 阪神・淡路と東日本』(共著、かもがわ出版)、『死の棘・アスベスト 作家はなぜ死んだのか』(中央公論新社)など。


   「いのちに突き刺さる」アスベストの悲惨―――
真正面から立ち向かった著者渾身の
「怒りと告発」の書に戦慄する。
――内橋克人氏(評論家)

これは“影の日本経済史”であり
世界的スケールで“白い肺の恐怖”を
描いた力作である。
――黒木亮氏(作家)

『死の棘・アスベスト』
加藤 正文著 中央公論新社 定価1700円(税別)

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