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2013年5月 3日 (金)

2013年5月3日憲法記念日、地方新聞の社説やコラムを全国から採録。&硬性憲法関連で社説に大嘘を書くゴミ売新聞。

 憲法記念日当日の地方新聞の社説とコラムです。なお、例えば東京新聞などは5月1日2日3日と連続3日憲法関連の記事を書いていますが、それも採録しておきました。読んで頂くと分かりますが、地方新聞はしっかり「立憲主義」(国民が対象である普通の法律に対して、権力の暴走や横暴に縛りをかける目的を持つのが本来の憲法であると言う考え方)や「硬性憲法」(やたらに改憲出来ないようにしてある憲法のこと、これが世界標準)について書いているのが多いです。なお、コラムについては必ずしも憲法について書いていないのも若干ありますが、憲法記念日にどんなことを書いているのかと言う事で、参考資料として採録しておきます。

 一応参考として大手マスコミの社説とコラムなども後ろで採録しておきました。大手の中には特に読売のように「日本の憲法は世界でも改正難度の高い硬性憲法と言えるだろう」と、な、なんと社説でウソを書くデタラメ新聞もありますが、資料として採録し晒しておきます(※)。

(↓クリックすると拡大します)
Aica534_jconst_g_20130424125404(※)←この画像を見て頂ければ読売がウソを書いているのが分かります。WSJ(ウォールストリート・ジャーナル)の記事が使っていた改憲要件の画像です。世界的に見るなら、改憲要件が2/3と言うのは最低限、普通の要件です。アメリカなどはもっとハードルが高いです。

 以下、上記画像のテキスト部分です。

Changing a Charter
Prime Minister Shinzo Abe's push to amend Japan's pacifist constitution has a chance of succeeding. Requirements for revising a country's constitution:

JAPAN
◆A two-thirds majority vote in both houses followed by approval by a simple majority in a national referendum
◆Never revised since 1947

U.S.
◆A two-thirds majority vote in both chambers of Congress, followed by ratification by legislatures of three quarters of the states
◆Amended 27 times since 1787

GERMANY
◆A two-thirds majority vote in both houses
◆Revised 58 times since 1949

SOUTH KOREA
◆A two-thirds majority vote in the houses followed by an approval by the majority by national referendum
◆Revised nine times since 1948.

 

(↓クリックすると拡大します)
20130421__ (※)2013.04.21 (赤旗日曜版)各国の憲法改定手続き。


20130428kobayasisetu_ (※)同じく参考で、赤旗日曜版2013.4.28です(スクロールして見るなら)。左記画像は1頁だけですが、続きの4頁も含めてpdfにしましたのでご覧ください。

改憲論者も怒った 姑息な思惑に広がる反発
96条改定は憲法破壊 !!

 初めにお断りをしておきます。ぼくは自衛戦争を認める立場で、憲法改正論者です。しかし、今問題になっている96条改正は、それ以前の問題―憲法を憲法でなくしてしまう問題なんです。

 憲法改正の国会の発議を、各議員の「3分の2」以上の賛成から「過半数」にしようという96条改正は、憲法を一般の法律のようにしてしまう。

 憲法は権力者たちを縛るものです。変えるには、法律よりも厳格な手続きが必要だからこそ、憲法なんです。その時々の政治の多数派によってクルクル変えさせてはいけない。一般の法律以上に改正ハードルが高いのは当たり前なのです。

 権力者たちが、憲法の拘束へのいらだちから、憲法を憲法でなくし、法律のように変えようというのは、ぼくの言葉でいえば「邪道」です。大学で言うと「裏口入学」。憲法改正のルール以前の悪事ですよ。「憲法改正」ではなくて「憲法破壊」。論外です。

 憲法を基本に国を統治していくという立憲主義の否定だと、ぼくは驚き、怒っているのです。

 世界は「3分の2」が普通です

 日本の憲法だけが「改憲のハードルが異常にきびしい」などというのも間違いです。

 たとえばアメリカは、上下両院それぞれの3分の2以上の賛成(ここは日本と同じ)に加えて、50州の4分の3から各州別に同意をとりつけて初めて改正が可能になります。日本以上の厳しさです。それでも30数回弱、憲法改正が行われています。世界では「3分の2」の条件が普通です

 諸外国で改憲要件を変えるための憲法改正が行われたという例は聞いたことがありません。

 先日、日本商工会議所で憲法問題に関する研究会があって、私も学識委員として出席しました。司会が「96条問題は単なる手続きの問題なので…ハイ次」といったので、ぼくは「ちょっと待ってください」と論争を始めました。話をすると、半分くらいの方は、“ああ、これはさわるべきじゃないな”と理解してくれたように感じました。

 権力者を縛る唯一の仕組み

 憲法というのは、日本の法体系の中で唯一、国民が権力者を縛ることができる仕組みです。権力者が判断を誤って暴走することがないよう、国民がブレーキをかけるためのものです。だから96条で天皇や閣僚、国会議員、公務員に憲法尊重擁護義務を課しているのです。

 これが立憲主義ということです。ここの理解がないから、改憲ハードルだけ下げよという考えが出てくる。憲法が何なのか分かっていない人たちが、憲法の拘束を逃れたくて、憲法との位置関係を破壊しようとしているのです。破壊的改憲論はアウトですよ。

 自民改憲案のアナクロニズム

 自民党が憲法を変えたいというなら、正々堂々と国会の「3分の2」の多数で改憲をめざすべきです。それをしないで、まずは改憲要件の緩和からやろうというのは、自分たちの改憲案が国民を説得できないからです。

 ぼくは日本の改憲派の改憲案にも大きな問題があると思っています。

 かつて第1次安倍内閣のときの自民党改憲案には「愛国の責務」が盛り込まれていました。ぼくが「国を愛してほしかったら、良い政治をすればいいだけの話だ。そうすればこの国に暮らして良かったと思う。それが愛国心だ」といったら、自民党の幹部が「発言を控えてくれ」などと電話してきました。

 今回の自民党改憲案には、「愛国心」はなくなったが、「家族は互いに助け合え」とか、道徳に触れたりしている。やたら、「上から目線」で本当に大きなお世話です。一般国民までふくめて、憲法尊重擁護義務を負わしている。まるで明治憲法にもどるかのようなアナクロニズム(時代錯誤)です。

 共産党宣伝カーに感激した訳

 先日、東京・町田市で日本共産党の宣伝カーに出会うと、「憲法を守らせるぞ」と書いてあった。ぼくはすごく感激しました。その通りで、憲法は国民が「守る」ものではなく、権力者に「守らせる」ものなのです。共産党にも、ここはがんばってほしい。

 この話は国民大衆が選挙でけりをつけなくてはいけない。真の護憲派に投票しなくてはいけない。

 安倍首相の支持率は高いが、96条問題が命取りになる可能性もある。私と同じことをいう人が増えてきました。これから常識の大反撃を受け、ボディーブローのように効いてくると思います。

 ぼくはあるインタビューで96条改憲に「体を張って」反対といいました。いろいろな政治問題ではっきりした発言をすると、無言電話や警察から警備の打診とかが来ます。しかし、学者として、真実を発言するのに、社会的リスクや身辺の危険で屈してはいけないという思いなのです。

 

 以下、地方新聞の社説とコラムです。地方新聞はしっかり「立憲主義」(国民が対象である普通の法律に対して、権力の暴走や横暴に縛りをかける目的を持つのが本来の憲法であると言う考え方)や「硬性憲法」(やたらに改憲出来ないようにしてある憲法のこと、これが世界標準)について書いているのが多いです。

 

憲法を考える 歴史がつなぐ知恵の鎖(東京新聞)
2013年5月3日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013050302000147.html
魚拓

 憲法改正を叫ぶ勢力の最大目的は、九条を変えることでしょう。国防軍創設の必要性がどこにあるのでしょうか。平和憲法を守る方が現実的です。

 選挙で第一党になる、これは民主的な手法です。多数決で法律をつくる、これも民主的です。権力が憲法の制約から自由になる法律をつくったら…。

 ワイマール憲法当時のドイツで実際に起きたことです。国民主権を採用し、民主主義的な制度を広範に導入した近代憲法でした。ヒトラーは国民投票という手段も乱発して、反対勢力を壊滅させ、独裁者になりました。憲法は破壊されたのです。

◆熱狂を縛る立憲主義

 日本国憲法の役目は、むろん「権力を縛る鎖」です。立憲主義と呼ばれます。大日本帝国憲法でも、伊藤博文が「君権を制限し、臣民の権利を保障すること」と述べたことは有名です。

 たとえ国民が選んだ国家権力であれ、その力を濫用する恐れがあるので、鎖で縛ってあるのです。また、日本国民の過去の経験が、現在の国民をつなぎ留める“鎖”でもあるでしょう。

 憲法学者の樋口陽一東大名誉教授は「確かに国民が自分で自分の手をあらかじめ縛っているのです。それが今日の立憲主義の知恵なのです」と語ります。

 人間とはある政治勢力の熱狂に浮かれたり、しらけた状態で世の中に流されたりします。そんな移ろいやすさゆえに、過去の人々が憲法で、われわれの内なる愚かさを拘束しているのです。

 民主主義は本来、多数者の意思も少数者の意思もくみ取る装置ですが、多数決を制すれば物事は決まります。今日の人民は明日の人民を拘束できません。今日と明日の民意が異なったりするからです。それに対し、立憲主義の原理は、正反対の働きをします。

◆9条改正の必要はない

 「国民主権といえども、服さねばならない何かがある、それが憲法の中核です。例えば一三条の『個人の尊重』などは人類普遍の原理です。近代デモクラシーでは、立憲主義を用い、単純多数決では変えられない約束事をいくつも定めているのです」(樋口さん)

 自民党の憲法改正草案は、専門家から「非立憲主義的だ」と批判が上がっています。国民の権利に後ろ向きで、国民の義務が大幅に拡大しているからです。前文では抽象的な表現ながら、国を守ることを国民の義務とし、九条で国防軍の保持を明記しています。

 しかし、元防衛官僚の柳沢協二さんは「九条改正も集団的自衛権を認める必要性も、現在の日本には存在しません」と語ります。旧防衛庁の官房長や防衛研究所所長、内閣官房の副長官補として、安全保障を担当した人です。

 「情勢の変化といえば、北朝鮮のミサイルと中国の海洋進出でしょう。いずれも個別的自衛権の問題で、たとえ尖閣諸島で摩擦が起きても、外交努力によって解決すべき事柄です。九条の改正は、中国や韓国はもちろん、アジア諸国も希望していないのは明らかです。米国も波風立てないでほしいと思っているでしょう」

 九条を変えないと国が守れないという現実自体がないのです。米国の最大の経済相手国は、中国です。日中間の戦争など望むはずがありません。

 「米国は武力が主な手段ではなくなっている時代だと認識しています。冷戦時代は『脅威と抑止』論でしたが、今は『共存』と『摩擦』がテーマの時代です。必要なのは勇ましい議論ではなく、むしろブレーキです」

 柳沢さんは「防衛官僚のプライドとは、今の憲法の中で国を守ることだ」とも明言しました。

 国防軍が実現したら、どんなことが起きるのでしょうか。樋口さんは「自衛隊は国外での戦闘行為は許されていませんが、その枠がはずれてしまう」と語ります。

 「反戦的な言論や市民運動が自由に行われるのは、九条が歯止めになっているからです。国防軍ができれば、その足を引っ張る言論は封殺されかねません。軍事的な価値を強調するように、学校教育も変えようとするでしょう」

 安倍晋三首相の祖父・岸信介氏は「日本国憲法こそ戦後の諸悪の根源」のごとく批判しました。でも、憲法施行から六十六年も平和だった歴史は、「悪」でしょうか。改憲論は長く国民の意思によって阻まれてきたのです。

◆“悪魔”を阻むハードル

 首相は九六条の改憲規定に手を付けます。発議要件を議員の三分の二から過半数へ緩和する案です。しかし、どの先進国でも単純多数決という“悪魔”を防ぐため、高い改憲ハードルを設けているのです。九六条がまず、いけにえになれば、多数派は憲法の中核精神すら破壊しかねません。

「硬性憲法が世界標準」についてのWSJ画像、最初に戻る

 

筆洗
2013年5月3日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013050302000146.html

 集団自決の場で何人もの子どもを手にかけながら、自らは死に切れなかった人がいる。約四百人の孤児を引率して命からがら引き揚げてきた人がいる。百人の子どもが途中で亡くなった。先月二十四日、長野県阿智村に開館した満蒙(まんもう)開拓平和記念館には、国策で満州に渡った人たちが味わった地獄が刻まれている▼二十七万人の満蒙開拓団のうち、全国最多の三万二千九百九十二人を送り出したのは長野県だった。帰国できたのは一万六千九百四十九人。千百三人が残留孤児や残留婦人になった▼阿智村のある下伊那・飯田地方からは県内でも最も多い八千三百八十九人が渡満した。この地に平和記念館を建設することは、地域の引き揚げ者たちの悲願だった▼関東軍に見捨てられた開拓団は、日ソ中立条約を一方的に破棄して侵攻してきたソ連軍に襲われた。集団自決の悲劇もあった。栄養失調や伝染病でさらに多くの犠牲者を出した。移民ではなく、棄民だった▼きょうは憲法記念日。改憲が具体的な政治日程に上がってきたのは、戦争のおびただしい犠牲者の上に立つ憲法から「血の色」があせてきたことと無縁ではない▼政治や外交の機能不全の責任を憲法に押しつける戦後世代のリーダーがいる。戦争の記憶を伝えようと、戦後七十年近くなって記念館を建てる人たちがいる。政治家が歴史に学ばない国は危うい。

 

憲法を考える 日本版PKOがお手本に
2013年5月2日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013050202000124.html

 日本は憲法の制約から自衛隊を国連平和維持活動(PKO)に派遣しても人道支援に徹してきました。気が付けば、他国のお手本になっていたのです。

 今年三月、ベトナムから六人の陸軍将校団が来日しました。目的は自衛隊のPKO参加のあり方を学ぶこと。ベトナム軍といえば、米軍との間で血で血を洗う激しい戦闘を繰り広げたベトナム戦争を思い起こします。中国人民解放軍と戦った中越戦争もありました。

 米国、中国という二つの大国と戦った国が日本に学ぶ、意外な感じがします。

◆ベトナム軍が研修

 壮絶な戦争を経験したせいか、ベトナムは軍隊の海外派遣に消極的でした。太平洋戦争で三百万人以上が亡くなり、二度と戦争はしないと誓った日本と似ています。近年、日本のPKO協力法に相当する法律をつくり、PKO参加のための準備を始めたのです。

 四日間かけて防衛省や陸上自衛隊で研修しました。その実績からPKO大国と呼ばれる北欧諸国やカナダでなく、なぜ日本なのでしょうか。団長のベトナム国防省軍医局長、ビン少将は本紙の質問にこう答えました。

 「PKOとは何か、実態を知りたかった。日本は武力を使わない国際貢献を積み上げ、PKOでは人道支援に徹しています。日本が定めているPKO参加五原則に強い印象を受けました。いずれもベトナムの国情に合うものです」

 冷戦後、国際貢献のためのPKOに乗り出すうえで、憲法九条との整合性をとるために生み出された五原則。停戦の合意があること、武器使用は必要最小限とすることなどを派遣条件としています。この制約があるから自衛隊は道路や橋の補修といった人道支援に限定して参加してきたのです。

◆九条強調した元防衛相

 海外で一人も傷つけることなく、「まじめで礼儀正しい」「技術力がある」と評価を高めてきた自衛隊。派遣を命じる政治家にも慎重さが求められました。

 北沢俊美元防衛相は今年二月、所属する民主党の勉強会でこう述べています。

 「二年間防衛相をやって、一番心強かったのは憲法九条。中国の動きが激しくなる、米国にもどう対応すればいいのかというはざまで、憲法九条があるから『そこのところまで』となる。憲法九条が最大のシビリアンコントロールだったとしみじみ感じるのです」

 日本防衛の指針である「防衛計画の大綱」を改定したり、是非は別として武器輸出三原則を緩和したりした実力派の防衛相がそういうのです。真意を知ろうとご本人に会いに行きました。

 長野県出身の北沢氏は太平洋戦争当時、小学生。近所の家々から戦死者が出たそうです。「働き手を失った民が困窮し、国が没落した。この歴史は二度と繰り返してはいけない」。そんな思いで政治家を続けてきたというのです。

 防衛相として八回、米国のゲーツ国防長官(当時)と会談しました。「ゲーツ氏が国防長官を辞めるとき『イラクで若い兵士が死んでいくのは耐えがたい思いだ』、そう話したと聞いた。彼も同じように現実の政治の中で悩んでいたのだな、と思った…」

 日本もイラクに自衛隊を派遣しました。米軍との違いは武装勢力と戦うのではなく、非戦闘地域での施設復旧、給水などの人道支援に限定して活動したことです。五千五百人が派遣され、一人の戦死者もいませんでした。北沢氏のいう通り、憲法九条が最後の防波堤になったのです。

 日本は一九七七年、福田赳夫首相が東南アジア歴訪で表明した「軍事大国にならず、世界の平和と繁栄に貢献する」との福田ドクトリン通りに歩んできたのです。

 安倍晋三首相の目指すところは違います。第一次安倍内閣では「戦後レジームからの脱却」を掲げ、保守政権が築いてきた戦後体制を全面的に否定、今では憲法改正を公言しています。憲法解釈を変更して、集団的自衛権行使を容認すべきだとも主張しています。

◆地金見せる安倍首相

 「米国から集団的自衛権行使の解禁を求められたことは一度もなかった。安倍政権のかじ取りは危なっかしくて仕方がない」と北沢氏。タカ派色を抑えてきた安倍首相は「侵略という定義は定まっていない」と国会で答弁するなど地金を見せ始めました。

 ベトナムから視察団が来たことから分かる通り、憲法九条にもとづく戦後体制が築いた平和な日本こそ、世界に誇れる国ではないでしょうか。安倍首相のいう「美しい国」とはどんな国でしょうか。具体的な国家像を示さず、改憲手続きを先行させるようなやり方は間違いだ、とはっきり指摘しておきます。

 

憲法を考える 沖縄が日本であるために
2013年5月1日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013050102000131.html

 日本国民は憲法の下、基本的人権が等しく保障されなければなりません。しかし、国内にはそう言い切れない現実を抱える地域もあります。沖縄県です。

 四月二十八日、国会近くの憲政記念館で、政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開かれました。六十一年前、サンフランシスコ講和条約が発効して、日本が敗戦後の占領体制から再び独立を果たした日です。

 同時に、沖縄県、奄美群島、小笠原諸島は日本から切り離されました。沖縄県民には一九七二年五月十五日の本土復帰まで続く、苛烈な米軍統治の始まりでした。

◇生命は虫けらのごとく

 式典に沖縄県の仲井真弘多知事の姿はなく、高良倉吉副知事の代理出席です。同時刻、米軍普天間飛行場のある宜野湾市では式典への抗議大会が開かれていました。

 この日を境に強いられた苦難を考えれば、沖縄が「記念」する気持ちになれないのは当然です。

 安倍晋三首相は式辞で「沖縄が経てきた辛苦に深く思いを寄せる努力をなすべきだ」と訴えました。

 自民党の衆院選公約では主権回復を「祝う」式典が、沖縄の苦難をすべての日本国民が考える契機となるのなら-。式典に意義を見いだせますし、そうすべきです。

 激烈な地上戦の戦場となった沖縄では、本土復帰まで米軍統治が続きます。人命や人権が全く守られない強権的な軍政や治外法権、米軍基地を造るための「銃剣とブルドーザー」による土地の強制収用、脆弱(ぜいじゃく)な経済基盤による貧困。

 後に沖縄県知事となった故西銘順治氏は衆院議員当時、復帰前の国会でこう訴えます。

 「日本の憲法の適用もない。米国統治下に置かれながら米国の憲法で規定された人権は何ら擁護されていない。沖縄人の生命は虫けらのごとく扱われている」

◇9条掛け軸に助けられ

 沖縄の人々にとって本土復帰は国民主権、基本的人権の尊重、戦争放棄を三大原則とする日本国憲法への復帰になるはずでした。

 かつて読谷村長、沖縄県出納長を務めた山内徳信さんは、村長時代から執務室に、憲法九条の全文を毛筆でしたためた掛け軸を掲げています。参院議員の今もです。

 山内さんは村長当時、読谷補助飛行場などの米軍基地の返還を粘り強い交渉で成し遂げました。

 山内さんはこう振り返ります。

 「ものを言わない憲法の掛け軸がどれほど私を助けてくれたことか。日本政府や米政府、米軍と交渉するときの理論武装の柱が、憲法の平和主義、人権尊重だった」

 その山内さんは、沖縄が今なお「憲法の埒外(らちがい)、憲法番外地に置かれている」と指摘します。

 在日米軍基地の約74%が沖縄に集中する不公平、在日米軍の軍人・軍属に特権的な法的立場を認める日米地位協定を指してです。

 普天間飛行場の名護市辺野古への県内移設などの形で沖縄になお米軍基地負担を押し付ける、地位協定は運用改善止まりで、改定を求める沖縄の求めは無視される。

 そうした現状を変えるには、もはや沖縄県が日本から独立する、「琉球独立」しかないという訴えも、沖縄では出始めました。

 石垣島生まれの松島泰勝龍谷大教授は「琉球、沖縄の人々の誇りを傷つける状況が続いている。独立という言葉が少数派だけではなく、一般の人も語る状況になってきた」と話します。

 歴史をさかのぼれば沖縄は琉球国という日本とは別の国家でした。一六〇九年の薩摩藩侵攻、一八七九年の琉球処分を経て日本の一部になったのです。

 沖縄は琉球国として再び独立することができるのか。松島さんは「日本の中で議論すると多勢に無勢だが、国連という大きな世界的な力学を使えば、いろんな状況は変えられる」と言います。

 国連には「脱植民地化特別委員会」があります。独立はその「非自治地域」リストへの登録を求める決議を、沖縄県議会が採択できるかどうかが出発点となります。

 現時点では、独立を求める県民が多数とは言えません。地元紙、琉球新報が二〇一二年五月、本土復帰四十年を機に行った世論調査によると、復帰してよかったと答えた県民は80%に上ります。

 だからこそ、日本政府、国民が、沖縄県民の忍耐に甘え、米軍基地の過重な負担を押し付けたままでいいはずがありません。

◇国全体をよくする力に

 山内さんは「基地や原発を地方に押し付ける発想を封じ、どこに住んでも人間扱いされる国をつくる必要がある」と訴えます。

 沖縄が日本であり続けるには、法の下の平等や基本的人権の尊重など、憲法の理念が完全に実現する状況をつくり出さねばなりません。それが沖縄のみならず、日本全体をよくする力となるはずです。

 

憲法記念日 沖縄にも3原則適用を 要件緩和先行は姑息だ(琉球新報)
2013年5月3日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-206145-storytopic-11.html

 戦後、憲法「改正」がこれほど間近に迫ったときはない。安倍晋三首相は夏の参院選で憲法改正に必要な「3分の2」の勢力確保を目指す考えを明言した。改憲賛成派は衆院で3分の2を上回るだけに、改憲は目前の現実だ。
 自民党はます96条を改定し、改憲の要件を緩和すると主張する。その上で「本丸」の9条改変に手を付けようというのだろうが、姑息(こそく)にすぎる。作家の保阪正康氏が指摘するように、「勝てないから野球のルールを変えようというのは論外」だ。首相は、自民党の憲法草案が是か非か、変えようとするすべての条項を正面に掲げ、堂々と審判を仰ぐべきだ。

邪道

 96条改定先行論については、改憲論者として鳴らす小林節・慶応大教授も「立憲主義を無視した邪道だ」と批判している。
 他の法律が国民を縛るものであるのに対し、憲法は「国民が権力者を縛るための道具」(小林氏)だ。だからこそ時の権力者の意向で安易に変えられないようになっている。「それが立憲主義、近代国家の原則」(同)だ。その改変は立憲主義の根本的否定であろう。
 自民党は「世界的に見ても改正しにくい憲法」と主張するが、本当か。例えば米国は上下両院の3分の2の賛成と、全50州のうち4分の3以上の州議会での承認が必要と定める。日本より厳格だ。
 憲法は改正しにくいという点で「硬性憲法」と呼ばれるが、憲法はそもそも「硬性」が普通で、他の法律と同じ「軟性」である方がむしろ、ニュージーランドなどごくわずかなのである。
 そもそも国会議員の多数決で選ぶ首相が国会で過半数の賛同を得るのは普通のことだ。「両院と国民投票の過半数」でよしとする自民の改定案だと、支持率が50%を超える内閣は軒並み改憲できる。国の基本法規がこれほど不安定でよいのか。
 自民の改憲草案は他の条文にも疑問がわく。9条1項を残し、平和主義は継承すると主張するが、「永久にこれを放棄する」対象から「国権の発動としての戦争」は残すが、「武力による威嚇」と「武力行使」は外した。19世紀型の全面戦争は避けるが、地域紛争的な「小さな戦争」は可能、という意味ではないのか。
 9条2項の「陸海空その他の戦力は、これを保持しない」は「国防軍を保持する」へと変わる。1項のような規定は多くの憲法にもあるから、現憲法の平和主義たるゆえんは1項よりむしろ2項にある。それを撤廃して「平和主義継承」とは言えないはずだ。

徴兵制も可能か

 18条も大きな問題をはらむ。「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」が撤廃され、「社会的又は経済的関係」で「拘束されない」に変わった。「社会・経済的」以外の、例えば政治的拘束は認めるとも読める。徴兵制を可能にしたのではないか。
 自民は18条2項の「意に反する苦役に服させられない」は残すから徴兵制容認ではないと主張するが、これは9条2項と相まって初めて徴兵禁止の意味を持つ、と説く学者もいる。となれば自民の主張は説得力を失う。
 ほかにも結社の自由に制限を加えたり、日の丸・君が代を強要したりと、草案は総じて「権力者を縛る」より国民を縛ることを志向しており、とても容認できない。
 戦後68年、日本は戦争で外国の人を一人も殺さず、日本の戦死者も皆無だった。9条が歯止めになったのは明らかだろう。その意義をかみしめたい。
 改憲派は「押し付け憲法」を批判するが、それなら占領軍の権利を事実上残した日米地位協定を抜本改定するのが先であろう。沖縄は全首長が反対してもオスプレイを押し付けられた。平和主義はもちろん「国民主権」も「基本的人権の尊重」も適用されていない。まずは現憲法の3原則を沖縄にもきちんと適用してもらいたい。

 

<金口木舌>救急車はワーウーと鳴る
2013年5月3日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-206146-storytopic-12.html

 救急車のサイレンは「ピーポー」ではないと知って驚いた。「昔(んかし)人(んちゅ)には『ワーウー、ワーウー』と聞こえる」。沖縄語普及協議会会長の宮里朝光さんが話していた
 ▼赤ちゃんの泣き声もオギャーではなく「ンガー」、ウグイスは「フーチョイ」、鶏は「コッコローウー」と。母語であるうちなーぐちの味わい深い響きが消えたのを宮里さんは嘆く。先人は固有の擬音語を培ってきた
 ▼先日の4・28沖縄大会では、うちなーぐちが随所に登場した。稲嶺進名護市長は「ならんしぇーならん」(できないことはできない)、東條渥子県生協連会長は「あんし恥ちらー」(どれほど恥知らずか)と母語で憤った
 ▼会場が一体となった「がってぃんならん」五唱も、しまんちゅのアイデンティティーに根差した等身大の言葉。「頑張ろう」よりもしっくりきた
 ▼琉球の言語は、日本に併合されて以来、同化政策として迫害され、自らも否定してきた負の歴史がある。しまくとぅば普及へ向け、県は10年間の推進計画を立てる。6月には県民意識調査も始める。琉球語再生への一歩だ
 ▼今、しまくとぅばを聞けて話せる人は45%、特に40代以下で激減した(琉球新報調査)。背景には、学校でも家庭でも話す機会を減らしてしまった「失われた数十年」がある。「生(ん)まりジマぬ言葉(くとぅば)忘(わし)ーねー、国ん忘ゆん」。主権も言葉もワッタームンとして取り戻したい。

 

社説[憲法記念日に]96条改正は本末転倒だ(沖縄タイムス)
2013年5月3日 10時03分
(9時間30分前に更新)
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-03_48806

 憲法のどこをどう改正するのか肝心な中身の議論を後回しにして発議要件だけを先に緩和するという手法は、本末転倒と言わざるを得ない。

 安倍晋三首相は7月の参院選で、憲法改正の発議要件を緩和するため96条の先行改正を争点化する考えだ。参院選の自民党公約にも明記する。

 96条は憲法の改正手続きを定めている。衆参両院とも総議員の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票で過半数の賛成が得られれば承認されるという二段構えだ。

 自民党が目指す改正は、発議要件を3分の2から過半数に緩和する内容である。

 近代憲法の精神は権力の乱用を防ぐため国民が国家権力に縛りをかける立憲主義にある。時々の政権が恣意(しい)的に変更できないよう通常の法律と比べ、高いハードルを課しているのはこのためだ。「硬性憲法」と呼ばれる。

 改憲派の憲法学者の間からも、縛られる権力が都合のいいようにルールを変えるのは邪道だ、と異論が出ている。

 自民党の「日本国憲法改正草案Q&A」は、現行憲法は世界的に見ても改正しにくいと解説。欧米の主要国が戦後、憲法を改正した回数を列挙し「日本は一度として改正していない」と強調する。これは誤解を招く言い方だ。

 米合衆国憲法は連邦議会で上下両院の出席議員の3分の2以上が賛成し、その上で全米50州議会のうち4分の3に当たる38州以上の賛成を必要とする。ドイツでは連邦議会(下院)と連邦参議院(上院)で、それぞれ総数の3分の2以上が同意しなければならない。

 憲法を改正した国も手続きの要件を緩和したわけではない。発議要件を緩和した上で、その次の9条などの本丸を改正しようとする手法は非常に危うい。

    ■    ■

 96条先行改正の問題はこれだけにとどまらない。

 自民党は野党時代の昨年4月、「日本国憲法改正草案」を決定し、発表した。

 草案は多くの問題をはらむ。9条を改正して「国防軍」を保持することを明記。交戦権の否認条項が削除され、集団的自衛権の行使を前提に「自衛権の発動を妨げない」と規定している。戦争のできる国への大転換である。

 国民の自由や権利が後退し、逆に義務が拡大しているのも特徴だ。現行憲法の12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」と明記し「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」としている。

 これに対し草案では「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と変更され、「責任及び義務」や「公の秩序」などの文言が新たに挿入された。「公の秩序」とは何を意味するのだろうか。これに反するかどうかを判断するのは誰なのだろうか。時の政府の恣意的な運用を許しかねない。

 草案には日の丸・君が代の尊重義務や、家族は互いに助け合わなければならないとの条文もある。思想・良心の自由や家族のあるべき姿に国家が介入し、憲法で規定すべきものなのだろうか。

 仮に96条が先行改正されれば、これらの問題が十分に議論されないまま、国会発議の俎上(そじょう)に載せられかねない。

    ■    ■

 憲法記念日が、沖縄で初めて祝日となったのは米軍統治下の1965年である。当時の立法院が新たに住民の祝祭日とする法改正をした。

 松岡政保主席は「一日も早く日本国憲法が沖縄にも適用されることを願う全住民の願望の現れである」との談話を発表している。

 だが、日本国憲法が適用されるようになった復帰後も米軍基地の極端な集中は変わらず、憲法の平和主義を実感する機会が乏しい。沖縄では「憲法・国内法」の法体系は、「安保・地位協定」によって大きな制約を受けているのが現実だ。

 このような基地の過重負担を放置したまま集団的自衛権が行使されるようになったらいったい、沖縄の将来はどうなるのだろうか。憲法論議には十分な時間と未来を見据えた深い視点が必要だ。

 

[大弦小弦]「ちゃんぐとーる(どんなに)理由ぬあてぃん...
2013年5月3日 09時56分
(9時間42分前に更新)
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-05-03_48800

 「ちゃんぐとーる(どんなに)理由ぬあてぃん何時ぬ世ーまでぃん、戦ーさびらんでぃ言いる事、約束さびーん」。戦争放棄をうたった憲法9条1項をシマクトゥバ(首里の言葉)で読むとこんなふうになる

▼難解なイメージの憲法も、身近な言葉にすると親しみを覚える。少なくとも「国権の発動たる戦争…」より分かりやすい

▼青森、大阪など全国九つの言葉で憲法を表現した「おくにことばで憲法を」が発刊されて9年になる。当時、小泉純一郎首相は米ブッシュ政権に追随して自衛隊をイラクに派遣。改憲論議が高まっていたが、今ほどの切迫感はなかった

▼民主党政権で防衛相を務めた北沢俊美氏が最近、憲法に関し、興味深い発言をしている。「2年間、防衛大臣をやって一番心強かったのは憲法9条だった。安倍(晋三)さんみたいな人が国防軍だとか集団的自衛権だとか激しいことを言っている。今ものすごく不安に思っている」

▼こんな時だからこそ、憲法を読み返してみたい。そこで本当に変える必要があるのかじっくり考えてはどうだろう

▼本を監修した大原穣子さんはあとがきでこう記している。「思い切りご自分のことば『方言』で『戦争は嫌です!』の気持ちをこめて、憲法九条を読んでください」。憲法改正の足音はすぐそこまで迫っている。(平良武)

 ↑上記「大弦小弦」のコラム中で紹介されている「おくにことばで憲法を 大原 穣子」です。

 

憲法記念日に  立憲主義の根幹壊してよいか(京都新聞)
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20130503_3.html

 憲法記念日のきょう、思い起こしたい人物がいる。
 植木枝盛(えもり)。明治期の自由民権運動家で、この時代に数多く生まれた憲法私案の中でも、最も民主的で急進的といわれる「日本国国憲案」の起草者だ。
 「政府国憲ニ違背スルトキハ日本人民ハ之(これ)ニ従ハザルコトヲ得」
 「政府官吏圧制ヲ為ストキハ日本人民ハ之ヲ排斥スルヲ得」
 これらの条文を読むと、憲法によって政府の暴走に歯止めをかける必要性が、すでにこの時代から自覚されていたことがわかる。立憲主義の考え方である。
 後に国憲案を発掘した憲法学者の鈴木安蔵は、終戦後、民間の有識者で結成された憲法研究会に参加し、「憲法草案要綱」に生かす。この要綱はGHQ(連合国軍総司令部)による日本国憲法草案に影響を与えたともいわれている。だとすれば、憲法には自由民権運動で日本人自身が培った最も民主的な部分が流入していることになる。
 その憲法が揺れている。
 安倍晋三首相は1日、外遊先のサウジアラビアで、夏の参院選で憲法改正に必要な「3分の2」の勢力確保を目指す考えを明言した。併せて自民党公約に発議要件を緩和するための96条改正を掲げる方針も表明した。

 国家権力を縛る役割

 96条は、改憲について衆参両院で総議員の3分の2以上の賛成を得て国会が発議し、国民投票で過半数の賛成を得ることが必要と定めている。その発議要件を過半数に緩め、憲法を改正しやすくしようというのが自民の主張だ。
 自民は衆院で改憲推進派の日本維新の会などと合わせ、既に3分の2の勢力を確保している。安倍首相の発言は、参院でも維新などと連携することを念頭に置いているとみられ、参院選が96条改正の是非をめぐる国民投票的な色彩を帯びるのは確実だ。
 だが、発議要件の緩和は立憲主義の根幹にかかわり「国のかたち」を大きく変えることになる。私たちにとって憲法とは何か、原点に立ち戻って考えてみることが必要だ。
 憲法は国家の権力乱用を抑制し、国民の権利・自由を守るためにある。それが立憲主義の考え方だ。いわば権力が暴れ出さないよう檻(おり)の役割を果たすのが憲法である。それゆえ改正要件を厳しくしている。
 安倍首相はハードルを下げる理由について「国民の60%、70%が変えようと思っても、国会議員の3分の1を少し超える人が反対したら指1本触れられないのはおかしい」と述べている。
 しかし、日本の憲法が各国と比べ、改正要件が格別に厳しいわけでは決してない。
 例えば戦後6回の修正をしてきた米国では、上下両院の出席議員の3分の2以上の賛成で発議し、全50州のうち4分の3以上の州議会の承認が必要だ。
 フランスも戦後27回改正しているが、両院の過半数に加え、両院合同会議の5分の3以上の賛成が要る。さらに国民投票で有効投票の過半数が必要な場合もある。
 戦後58回の改正をしているドイツでさえ、連邦議会、連邦参議院の投票総数の3分の2以上の賛成が必要だ。しかも人権規定と国民主権の条項の改正はできない。

 ハードルを下げるな

 いずれも高いハードルを乗り越えて改正してきたのである。それには議論を尽くし、相当なエネルギーを費やしたはずである。発議要件の緩和は、その最も大事な熟議をないがしろにしかねない。
 また、現在の小選挙区制では大量の死票が出るため、昨年の衆院選のように、自民が約4割の得票率で約8割の議席を占めることが起きる。そんな状態で、過半数の賛成だけで改憲の発議ができるようになれば、民意とかけ離れた形での発議になる恐れがある。
 自主憲法制定を党是とする自民党は昨年4月、天皇の元首化や9条を改正して「国防軍」を持つことなどを盛り込んだ「日本国憲法改正草案」を発表した。これらの露払いのために、改憲のハードルを下げようとしているのは明らかだろう。
 「戦後レジーム(体制)からの脱却」をめざす安倍首相が改憲に前のめりになる背景には、昨年の衆院選で改憲派が勢力を大きく伸ばしたことや、高い支持率を維持していることがある。千載一遇のチャンス、という思いもあるのだろう。

 じっくり国民議論を

 だが、改憲手続きを定めた国民投票法も最低投票率の規定などはいまだに手がつけられていない状態だ。国民レベルの議論が熟さないまま、政治だけが突っ走ることを私たちは懸念する。
 自民の憲法改正草案には、国民に新たな義務や責務を求める規定も目立つ。国民が国家を縛るのではなく、国家が国民を縛る転倒した改憲論になっていないか、しっかり見極める必要がある。
 多大な犠牲を生んだ戦争の反省から出発し、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という三つの原理に支えられて戦後の「日本のかたち」は作られてきた。その歩みをいま一度かみしめ、憲法が持つ意義をみつめ直したい。
 変えてはならないものは何か、変える必要があるとすれば、それは何か。結論を急がず、議論をじっくりと深めたい。

[京都新聞 2013年05月03日掲載]

 

凡語
子どもに伝える憲法
http://www.kyoto-np.co.jp/info/bongo/20130503_2.html

 3年前に亡くなった作家の井上ひさしさんは、出っ歯が恥ずかしかったので、歯医者に普通の入れ歯を頼んだら「歯型を変えると、あなたはあなたでなくなる」と言われたそうだ▼「憲法も同じです」と子どもたちに話している。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義は「私の歯のように、憲法の個性」であって、「この三つをかんたんにかえてはいけないということをわかっていてください」(「子どもにつたえる日本国憲法」講談社)▼きょうは憲法の誕生日なのに、お祝いどころか、憲法を変えようという声が聞こえる。しかも政権の中からだ▼憲法改正の発議要件を緩め、衆参両院の賛成を「3分の2」から「2分の1」にする。まずは関門の鍵を解きやすくしておいて、次の狙いは自民党がめざす「国防軍の保持」だろう▼これまで憲法改正できなかったのは、諸外国に比べて要件が厳しかったから。そんな理屈だが、実際はそんなに違わないようだ。要件が厳しいのは憲法の重みゆえであり、一部を改正するにも時間をかけ熟議を重ねるためだ▼選挙制度改革をみても議論を深める国会になっていない。要件を緩めれば、「決められる政治」が暴走しかねない。憲法は政府の好き勝手を許さない-井上さんが子どもたちに伝えたことばが重みを増す。

[京都新聞 2013年05月03日掲載]

 

社説
震災と憲法/被災住民に響かぬ改憲論(河北新報、宮城県)
http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2013/05/20130503s01.htm

 復興途上の被災地に歓迎する雰囲気は乏しい。むしろ、戸惑いを隠せないでいる住民が多いのではないか。
 活発化している憲法改正をめぐる動きについてだ。安倍晋三首相が積極発言を繰り返し、今年夏の参院選で争点に浮上する可能性もある。
 東日本大震災から2年余り。憲法を改めることが、思うに任せない復興を加速させるてこになるわけではなく、論戦が激しさを増し焦点化すればするほど、被災地再生への関心がかすんでしまうことを懸念する。
 地元にはそれでなくても風化が進むことへの焦り、いら立ちがある。「震災復興を前に進めるのが先だ」。心の内はこんな形に集約できるだろう。
 復興庁が発表した避難者(転居者を含む)は4月4日現在、約31万人。今なお、仮設住宅などで先の見えない不自由な生活を強いられている。
 避難先は全国47都道府県の1200市区町村に及び、県外避難者は岩手、宮城、福島の被災3県で約6万5000人。とりわけ、福島第1原発事故の収束が見通せない福島県は5万人を超えている。
 災害公営住宅への入居が一部で始まったばかり。地域づくりも雇用など住民の生活再建もやっと緒に就いた状況だ。
 憲法は基本的人権の要、13条で個人の「幸福追求権」尊重をうたい、25条に「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と「生存権」を明記する。
 被災地の現状は憲法に掲げるそうした権利実現の理念と隔たってはいないか。憲法順守の義務を負う国は震災復興を最大の責務と受け止めるべきだ。
 昨年末に施行された復興特区法で、高台移転を進めるための土地利用規制が緩和されるなどした。その際、被災自治体の条例に法律の規制撤廃を可能にする「上書き権」は見送られた。
 現憲法の「制約」と説明されるが、法律の書き込みは基本的事項にとどめ、具体のことは条例で定めるよう工夫すれば解決する。生存権確保に必要な場合は上書き権を認めてもいい、と指摘する憲法学者もいる。
 憲法を体現し政治は機敏に国は柔軟に、被災地の意向を受け入れて、復興の足かせとなる縦割りや上意下達の弊害を取り除き対処する。大震災など緊急時には特に必要な構えだ。
 財政力、マンパワーなどに弱さを抱える被災地をいかに支え復興を後押しするか。国は被災住民の目線で「わがこと」として対応に努めてほしい。
 自民党の憲法改正草案は幸福追求の権利行使に関し「公共の福祉」を「公益及び秩序」に反しない限りに改めるなどした。人権尊重の精神が揺らぎ、国への縛りを緩和した格好だ。被災者はどう受け止めるだろうか。
 今は憲法の理念に沿って政策決定や取り組みの迅速化を図ることこそ肝要だ。本格的な改正論議は復興が軌道に乗り、住民が平穏な暮らしを取り戻してからでも遅くはあるまい。

2013年05月03日金曜日

 

河北春秋
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20130503_01.htm

 東日本大震災から2年以上たった今、まだ30万を超す人々が自宅を離れて、仮設住宅などでの暮らしを強いられている。避難しているのは人間だけではない▼久慈市の地下水族科学館「もぐらんぴあ」のアオウミガメ「カメ吉」は、施設が津波で全壊したため、2011年4月から八戸市水産科学館「マリエント」に仮住まいをしている

 ▼もぐらんぴあでは魚や貝約3000匹が犠牲になったが、カメ吉など20匹が生き残った。一時預かりを打診されたマリエントはウミガメの飼育経験がない。決断は簡単ではなかったはずだが、快諾した▼4カ月後、久慈市には空き店舗を活用した水族館の代替施設ができて、カメ吉以外は戻った。ただ、体重が当時でさえ約30キロあったカメ吉は、泳げる水槽がないため残った

 ▼来た当初は元気がなく、好物のイカの切り身も5日間、口にしなかったという。今では一回り大きくなり、本来のやんちゃぶりを発揮し館の人気者だ。昨年秋には八戸沖で捕獲されたアオウミガメ3匹も仲間に加わった▼もぐらんぴあは14年度に再建され、カメ吉の長い避難生活も終わる。見守ってきた飼育担当の山本綾香さん(21)は「別れは寂しいけれど、元気でお返しできる日までしっかり飼育したい」と話す。

2013年05月03日金曜日

 

社説
きょう憲法記念日 平和国家が問われている(5月3日)(北海道新聞)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/462890.html

 日本国憲法はいま、施行以来、最大の危機を迎えている。

 安倍晋三首相は、昨年の衆院選勝利の余勢を駆って、96条の改正要件を緩和する憲法改正を主導し、今夏の参院選の争点に据える構えだ。

 首相はかねて「戦後レジーム(体制)からの脱却」を唱えている。

 目指すところは、96条改正を突破口に、戦争放棄をうたう9条を改正し、現在の自衛隊に替わる国防軍の創設と、海外での武力行使を可能にする国づくりにほかならない。

 わが国は多大な犠牲をもたらした戦争を心から反省し、自由と平和の下で戦後の繁栄を築き上げてきた。

 首相の方針はこの歩みを真っ向から否定するものだ。

 9条をはじめとする憲法の理念を守り、世界に向けて広げていく行動が何にも増して求められる。

*立憲主義への無理解

 憲法96条が定める改正の発議要件は、衆参両院でそれぞれ総議員の3分の2以上の賛成を必要とする。

 首相はこの「3分の2」を「過半数」に改めるよう主張している。

 理由について首相は、国会答弁で「国民の6、7割が憲法を変えたいと思っても、3分の1を少し超える議員が反対すれば指一本触れられないのはおかしい」と述べている。

 しかし、おかしいのは憲法の規定ではなく、首相の認識の方だ。

 96条は単なる改正の手続き規定ではない。「立憲主義」の原理を示す重要な条文である。

 立憲主義とは、憲法は権力者を縛るための規範であるとの考え方だ。民主的な選挙を通じて選ばれた国会議員も、「暴走」する可能性はある。そこで憲法には簡単に変えられないよう歯止めがかけられている。

 これが96条の「3分の2」の意味であり、憲法学者の多くは、96条改正は立憲主義を揺るがすものとして反対している。

 過去18回にわたり憲法修正(改正)が行われた米国をはじめ、ほとんどの国で憲法改正に高いハードルが設けられている。

 各国とも幅広い合意形成ができた条文で改憲が行われてきた。日本国憲法が改正されないままなのは、国民の多くが改憲の必要性を認めてこなかったからにすぎない。

 自らの意に沿う形に憲法を変えたい。96条改正には首相のそんな思惑が込められている。

 憲法の根本原理である立憲主義への無理解を示している。

*緊張を高める恐れも

 憲法、とりわけ9条に対する批判は、一段とエスカレートしている。

 首相は著書「新しい国へ」の中で、北朝鮮による横田めぐみさんの拉致事件について「日本国憲法に象徴される、日本の戦後体制は十三歳の少女の人生を守ることができなかった」と記している。

 日本維新の会の綱領は「日本を孤立と軽蔑の対象に貶(おとし)め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶」と非難する。

 理屈にならない戦後体制批判であり、あからさまな憲法敵視だ。

 自民党の憲法改正草案から透けて見えるのは、創設された国防軍が海外において米国の同盟軍として軍事行動に参加する姿である。

 北朝鮮の核・ミサイル開発や、尖閣諸島周辺での中国艦船による挑発的行動など、わが国を取り巻く国際情勢は不確実性を増している。

 だが平和主義の理念を捨て去ることが国益にかなうとは思えない。

 首相はおととい、訪問先のサウジアラビアで、改憲について中国、韓国への事前説明は必要ないとの認識を示した。周辺国との協調に無頓着ともいえる姿勢だ。

 こうした危うい国際感覚と併せ、改憲は東アジアの緊張を高めかねない。「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め」る結果を招く恐れさえある。

*行方左右する参院選

 高い支持率を誇る首相だが、こと改憲については、国民の理解を得ているとは言えない。

 共同通信が4月に行った世論調査では、96条改正に対する賛成は42・7%、反対は46・3%に上った。

 ただ未来を担う若い層に改憲支持が広がっていることが気掛かりだ。

 「失われた20年」といわれる日本経済の停滞は若者の雇用を不安定化し生活を直撃している。閉塞(へいそく)感が社会への不満を生み、憲法否定の論理に共鳴する空気が醸成されている。

 だが経済の低迷は、自民党など歴代政権の失政によるものだ。首相をはじめ改憲派は、自らの失政の責任を憲法に転嫁している。

 衆院では改憲を主張する自民、維新、みんなの党の3党で4分の3を超える。参院選の結果次第では改憲の動きが加速する見通しだ。

 憲法論議の活性化は望ましい。

 地方分権や参院のあり方などを見直すべきだとの意見もある。じっくり検討すべきテーマにはなり得る。

 ただし平和、自由、人権など人類が長い歴史の中で築いた英知は継承・発展させる方向であるべきだ。

 平和に生きる「国のかたち」を後ろ向きに変えてはならない。

 

卓上四季
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/462891.html

縛られ地蔵

茗荷谷(みょうがだに)の林泉寺門前にある石地蔵は、江戸名所を記した「切絵図」に載るほど庶民の信仰を集めていたという。願かけをする者は、お地蔵さんを縄で縛り、願いがかなうと、その縄を解いた▼霊験あらたかとの評判が評判を呼び、石像はどんどんすり減る。気の毒に思った住職が門前から境内に移すと、お地蔵さんは、その夜のうちに夢枕に立ち、言ったそうだ。「門外で往来の人と結縁(けちえん)していたのに境内に移されるのは本懐ではない」▼岸井良衛著「江戸街談」(毎日新聞社)にある「縛られ地蔵」説話。政治家に、地蔵尊の奥深い慈愛など求めない。いや求めるのは筋違いだろう▼が、統治権を制約し、為政者の暴走をくい止める役割を担う憲法の“縛り”を、縛られている側から「緩めてくれ」と言い出すとは。聞かされている方が恥ずかしさで赤面する▼ましてや、その先には、「武器を手にして海外で同盟国と一緒に戦い、国家が市民に『ああせい』『こうせい』と口を出しやすくしたい」という下心がありあり。縛っていた側が、いつの間にやら縛られる。そんな芸当は奇術の舞台だけで十分だろう▼あの戦争を経験し、一人一人の人権を大切にして世界とともに平和に暮らしたい―と憲法に込めた願いは施行66年のいまも成就の途上にある。「日本を取り戻す」との言葉に幻惑され、連れ戻されるわけにはいかない。2013・5・3

 

論説
【憲法と被災地】まず自由、権利の回復を(5月3日)(福島民報)
http://www.minpo.jp/news/detail/201305038201

 きょう3日は「憲法記念日」だ。施行から66年となる日本国憲法は、改正に向けた動きが加速している。安倍晋三首相は夏の参院選公約に、発議要件を緩和するための96条改正を掲げる方針を示した。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の発生以来、住民の自由や権利が脅かされる状況が依然として続く。25条に掲げられた〈健康で文化的な最低限度の生活〉を、まず回復し、しっかり保証していくのが国や政治の役目ではないか。
 県内では、震災から2年以上過ぎても15万人以上が避難生活を強いられる。このうち、約5万5000人が県外で暮らす。農家は住居だけでなく、仕事の場となる田畑さえも使えない。第22条〈公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する〉を奪われた形だ。
 不自由な毎日や先の見えない不安から心身の健康を損ねて命を落とす震災・原発事故関連死が止まらない。岩手、宮城両県と比べ、本県での増加が際立つ。財物の賠償も思うように進んでいない。生存・財産権すら揺らぐ。いわれのない偏見や差別に苦しむ県人は少なくない。
 自民党は新たな憲法改正案を昨春決めた。発議要件緩和は、実現へのハードルを引き下げるのが狙いだ。与野党ともに異論や反対がある。参院選の大きな争点となろう。ただ、被災者の苦しみをそっちのけした論議では困る。
 憲法は、強大な権限を持つ国や王が勝手な振る舞いをしないよう、国民が求めた「約束」とされる。行政の効率や一部の利益だけを求めれば、力の弱い個人や特定の地域が押しつぶされかねない。各条に盛り込まれた人権は「公権力が犯してはいけない」項目でもある。多様な考えや営みを憲法に基づいた話し合いで調整し、政策として実現する仕組みが立憲政治だ。
 99条は、大臣や国会議員、裁判官、他の公務員に憲法を尊重し擁護する義務を負わせている。歴史を振り返れば、国民の自由を奪ったり、権利を無視したりしたのは政治家や役人だった。国民が常に目を光らせ、声を上げていくことが不可欠となる。
 〈立憲の妙、自治の美を完[まったし]からしめ、以[もっ]て国家の康福を計画し、人民の福利を企図するに在り-〉。創刊120年を昨年迎えた本紙「発刊の旨趣」の一節だ。明治前期に自由民権運動に立ち上がり、弾圧を耐え抜いた人々の決意といえる。現在、享受している自由や権利は、先人が苦難の末に手にしたことを忘れてはなるまい。(鈴木 久)

( 2013/05/03 09:46 カテゴリー:論説 )

 

あぶくま抄(5月3日)
http://www.minpo.jp/news/detail/201305038200

 リカちゃんは昭和42(1967)年のきょう生まれた。小学5年生で、赤いバラの花とお菓子作りが大好き。着せ替え人形のトップを走り続けて46年になる。親子二代、三代と愛される。
 リカちゃんは明るくてちょっぴり慌てん坊。三つ子の赤ちゃん、双子の妹を含む8人の大家族で、おばあちゃんもいる。パパは音楽家、ママはデザイナーという。髪形、洋服、アクセサリー、家具や家などを自由自在に組み合わせる。お店やさんごっこやお姫さまごっこで、女の子と一緒に遊ぶ。楽しみながら社会性も身に付く。
 誕生日のきょう小野町の町民になる。町が特別住民票をファミリー全員に贈る。開業20周年を記念して新装した町内のリカちゃんキャッスルで手渡す。長年、「町おこしプリンセス」として活躍し、原発事故の風評被害の中でも地元の魅力を発信し続ける姿に感謝する。特別住民票は5日まで毎日、来場の先着300人にも無料で配る。
 昭和40年代のグループサウンズから、平成5年のJリーグ開幕やチアリーダーまで、世相を映してきた四代のリカちゃんが、夢のお城で出迎える。大型連休後半、親子で懐かしい「時間旅行」はいかが。

( 2013/05/03 09:45 カテゴリー:あぶくま抄 )

 

【 5 月 3 日付社説】里帰り出産/故郷愛する心受け止めたい(10:50)(福島民友新聞)
http://www.minyu-net.com/shasetsu/syasetu/130503s.html

(憲法への言及はなし)

 

論説 5月3日(金)
岐路に立つ憲法 今こそ議論を深めたい(岩手日報)
http://www.iwate-np.co.jp/ronsetu/y2013/m05/r0503.htm

 今日は憲法記念日。現行憲法は敗戦の翌1946年11月3日に公布され、47年5月3日に施行された。以来66年、改正は一度もない。

 昨年12月の衆院選で自民党が大勝し、国会は改憲派が勢力を増している。安倍晋三首相は、今夏の参院選で改憲に必要な「3分の2」の勢力確保を目指すと明言。自民党公約に、発議要件を「過半数」に緩和するための96条改正を掲げる方針も表明した。

 対抗勢力の活動も活発化しているが、高支持率を保つ自民党に一部野党も賛同するなど、現状は改憲派の勢いが際立つ。憲法は重大な岐路に立たされている。それは日本の「戦後」の総決算に通じる。今日の日を、各人が憲法と向き合う契機にしたい。

 戦後憲法は連合国の占領下で制定された。中でも米国が主導したのは歴史的事実だ。52年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効。沖縄県など一部を残して占領体制が解かれると同時に、改憲は保守陣営の悲願となった。

 こうした動きに、左右両派に分裂していた社会党が改憲阻止へ再統一。保守勢力も自民党としてまとまり、保守、革新の二大勢力による55年体制がスタートした。改憲機運は、この前後が一つのピークだったと言えるだろう。

 しかし55年2月の衆院選も翌56年7月の参院選も、改憲勢力は議席の3分の2をわずかに下回った。以後、国民の関心は経済成長に傾き、憲法問題は脇に置かれ続けた。

 改憲派にとって、護憲勢力が減退する今は絶好機に違いない。憲法問題の焦点は戦争放棄と戦力不保持をうたう9条。自民党は、96条改正に連動して9条改正を目指す。

 先鋭化する北朝鮮、領土をめぐる近隣国とのあつれき、世界に拡散するテロの脅威など、客観情勢は保守勢力が発言力を増す状況にある。しかし他にも、今回の改憲論には多々重要な論点がある。

 安倍首相は「3分の1の反対で改憲できないのはおかしい」と言うが、過半数にした場合、約半数が反対する憲法が成立する可能性こそおかしい。96条改正に9条改正を忍ばせるのもフェアではない。

 自民党改正草案は「公益と公の秩序」を強調し、家族単位を重んじる。国家権力の制約を旨とし、個人の権利を尊重する現行憲法とは性格を異にしている。改憲論議の本質は、国の体質を変えるかどうかが問われるに等しい。

 憲法問題は、その重要性とは裏腹に、政局の渦に巻き込まれて議論が深まらないまま今日に至っている。護憲派も「反対」で凝り固まらず、相応の理論で国民への問題提起に努めるべきだろう。改憲派が勢いを増すからこそ、事を急(せ)いて後悔したくない。

(2013.5.3)

 

5月3日(金)
風土計
2013.5.3
http://www.iwate-np.co.jp/fudokei/y2013/m05/fudo130503.htm

 憲法記念日が巡ってくるたびに朝日新聞阪神支局襲撃事件で凶弾に倒れた小尻知博記者の思い出が浮かんでくる

▼1987年5月3日夜、目出し帽をかぶり、水平二連式散弾銃を持った犯人が支局に現れ、無言のまま2人の記者を殺傷した。亡くなった小尻記者は29歳だった。卑劣な犯行に今も怒りがこみ上げる

▼広島県呉市出身の小尻記者の初任地は盛岡支局だった。「朝日新聞はその年の試験で一番だった者が時の首相の出身地に赴任することになっとるんや。今の首相の鈴木善幸さんは岩手やろ。それで僕が行くことになった」

▼遠い地での仕事を心配した母親を気遣った優しいウソだった。事件後、朝日ジャーナルの伊藤正孝編集長は「人の不幸を扱っている以上、記事は誰かを傷つけていると思う。その限りにおいて、記者には受忍の義務がある。だが、殺すな」と書いた

▼決して悪口を言わず、相手の話を辛抱強く聞く記者だった。盛岡支局時代は農業の現状を知りたいと農家に住み込み、小さな学校にも足を運んだ。存命なら55歳。きっと部下に慕われる先輩記者になっていただろう

▼「小さなお尻と書いて小尻です」。ちゃめっ気たっぷりな自己紹介の声が耳に残り、無念さが突き上げてくる。言論と表現の自由は民主主義の根幹をなす。時効の闇に消えた犯人を許せない。

 

社説:憲法記念日 国民議論、今こそ高めよ(秋田魁新報)
http://www.sakigake.jp/p/editorial/news.jsp?kc=20130503az

 日本国憲法はきょう、施行から66年を迎えた。憲法改正に強い意欲を示す安倍晋三首相は、改憲の国会発議要件を緩和するため96条改正を目指すと明言、今夏の参院選で争点とする考えだ。改憲が現実味を帯びてきた今、その是非についてあらためて国民的な議論を高めていくことが求められる。

 96条改正により、「衆参3分の2以上」の発議要件を「過半数」に緩和することを目指す。日本維新の会など改憲に前向きな政党と連携し、参院で改憲勢力を3分の2確保すれば実現も視野に入ってくる。発議のハードルを下げた後に改憲を実現しようという狙いだろう。

 「決められない政治を打破」「憲法を国民に取り戻す」など威勢の良い言葉が躍る。しかし憲法をどう変えるのかという肝心の議論があまり聞かれない。これでは参院選の争点といわれても有権者は戸惑うばかりだ。

 そもそも96条で改正のハードルが高く設定されている意味を考えたい。一般の法律よりも厳格な改正手続きを定めた憲法は「硬性憲法」と呼ばれ、日本を含め世界の主流だ。権力側の改憲を容易にすれば、国民の権利が損なわれかねない。

 自民党は昨年4月に憲法改正草案を発表している。自衛権行使を容認し、自衛隊を「国防軍」化するほか、「公益および公の秩序」による国民の権利の制限など重要な改正案が盛り込まれている。

 もしこの草案に沿って改憲されれば、国の在り方や針路、国民の生活に大きな影響が及ぶのは確実だ。草案を軸に改正を目指すのであれば、そうした影響について十分説明し、議論を尽くすことが求められる。

 与党の公明党は恒久平和、基本的人権の尊重、国民主権の3原則を守るという立場。96条改正については慎重姿勢を崩していない。

 一方、超党派の議員連盟が設立され、96条改正に反対を唱えようという動きもある。しかし野党も護憲、改憲とさまざまで足並みはそろわない。中には民主党のように党内での意思統一が難しい政党もある。政党レベルでも十分な議論が行われていないというのが現状だ。

 安倍首相は高い内閣支持率を背景に改憲を進めようとしている。しかし期待される経済政策は緒に就いたばかり。東日本大震災からの復興と原発事故の収束、懸念される将来の震災への備えなど早急に取り組むべき課題は多い。

 ミサイル発射の構えを見せる北朝鮮、領土問題などをめぐってぎくしゃくする中国、韓国。対岸各国との間に火種を抱えながら、国内外へ十分な説明を欠いて改憲に向かうのは、前のめり過ぎないだろうか。

 改憲にせよ、護憲にせよ、まず国民を巻き込んだ議論を盛り上げることが必要だ。与野党が主張をしっかり訴え、議論の成熟に努めてもらいたい。
(2013/05/03 付)

 

北斗星(5月3日付)
http://www.sakigake.jp/p/column/hokuto.jsp?kc=20130503ax

 英国情報部員ジェームズ・ボンドが仕事で出掛ける先は、決まって高級リゾート地。高そうな服を着こなしハイテク武器で派手に敵と戦う。美女とのロマンもお約束

▼これはあくまで映画007シリーズの話だ。現実の情報部員がそんなふうだったら英国民も黙ってはいないだろう。しかし職業柄、不透明な金はつきものらしい。英国情報部は資金の出所を隠すためタックスヘイブンを利用していると、岩波新書「タックス・ヘイブン」にある

▼日本語に訳すと「租税回避地」。ケイマン諸島が有名だが、世界各地に存在する。富裕層や大企業の税金逃れ、さらに麻薬密売など犯罪絡みの金やテロ資金の隠匿・移送に利用される。投機マネーは租税回避地を介して飛び回り、各地で繰り返し金融危機を引き起こしているともいわれる

▼こんな悪者は国際的な協力で「退治」しようというのが同書の主張。一部の税金逃れや、危機に陥った金融機関への公的資金投入のツケは、まじめに働いて税金を払っている国民に回されるからだ。秋田に暮らしているからといって無関係とはいかない

▼「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」と憲法30条にはある。税金は安い方がうれしいのは人情。それでも皆が公平に税を負担することが民主主義国家を支える

▼きょうは憲法記念日。改憲論議がにぎやかだが、少し違う角度から憲法のことを考えてみるのもいい。頭が疲れたら007のDVDでも見ようか。
(2013/05/03 付)

 

Photo ←千葉日報は、な、なんと、ゴールデンウィーク期間、4月30日から5月6日までの社説がなくてとんでます。

(5月3日時点で、千葉日報社説の最新は「流行鎮静化へ積極活用を 県、風しん予防接種に助成 2013/04/29 14:39」でした。コラムは憲法当日のがあり、以下。)
2013年05月03日 09:59
忙人寸語
http://www.chibanippo.co.jp/c/boujin/135180

▼日本国憲法が施行された記念日に、最近の改憲論議を考える。夏の参院選の争点になりそうゆえ、予習が必要だ

▼安倍晋三首相は、憲法改正手続きを定めた96条の見直し方針を掲げる。発議に必要な両院の「3分の2以上」を「過半数」の賛成に緩和したい意向だが、憲法学者の意見が百出する

▼<権力への大本を緩める>と権力乱用を懸念する慎重派の一方、96条の「憲法改正には国民投票の過半数の賛成が必要」の規定を示し、<最終的には国民投票。前段の「3分の2以上」のハードルを高くする必要がない>の見解が衝突する

▼96条先行改正の後ろに、戦争放棄の9条が見え隠れする。上杉隆さんの著書に「9条の改正を実現することは、安倍の悲願」とある。日米関係の基礎を形作った祖父・岸信介超えが夢だそう

▼首相は自著『美しい国へ』(文藝春秋)に「現在の憲法解釈では(中略)日本は集団的自衛権を行使できない」と書く。北朝鮮のミサイル発射を鑑みて、朝鮮半島有事の備えをあおる論ではある

▼少し頭が疲れた。毎年、新緑の季節、山梨の山頂露天風呂に出掛ける。世界文化遺産登録が見込まれる富士山を対面に眺望するのだ。その「美しい国」を思う時、世界で唯一、原爆を投下された日本が国際社会で果たす使命は、戦争の大罪をいく万回でも訴えることではないのか。外交下手の代償を9条で払うのは愚かしい。

 

2013年5月3日(金)
憲法記念日 多数決ではない立憲主義(茨城新聞)
http://ibarakinews.jp/news/column.php?elem=ronsetu

日本国憲法施行から66年の記念日を迎えた。

このところ、少数者の権利が気にかかる。「主権回復の日」では、サンフランシスコ講和条約調印で切り捨てられた沖縄から強い抗議の声が上がった。もっともだ。

主権回復の歴史を祝うより、復興完了の日に向けて、もっと力を注いでほしい。そんな声が東北地方から聞こえる。ここでも、少数者の声が忘れられていないか。

東日本大震災の避難者30万人がまだ全国に散らばったままだ。東京電力福島第1原発事故処理と補償も先は長い。憲法25条ですべての国民に保障された「健康で文化的な最低限度の生活」をしっかり思い起こしたい。

少数者の権利が忘れられ、多数者の横暴がまかり通るのは、憲政の本来の趣旨ではあるまい。

思想・信仰・言論の自由や生命身体の安全など基本的人権は多数決によって奪われることはない。奪ってはならない。それが立憲主義の核心だ。

近代憲法の先駆けとなった米国憲法の本文自体には、基本的人権の具体的定めがほとんどない。奪われることのない当然の権利であるから書き込む必要はない。書き込むことによって、権力が逆に権利の制限に走るのではないかという懸念を起草時に持ったからだ。

日本国憲法の起草にあたって当時の占領軍当局は当初、改正手続きを定める条項(現96条)に、基本的人権についての改正を禁ずると書き入れようとした形跡がある。

安倍晋三首相は、その96条の改正を今夏の参院選の争点に掲げる構えだ。96条では、憲法改正には衆参両院で各総議員数3分の2以上の賛成を得て、国民投票に提案、過半数の承認が必要だ。これを議員の過半数の賛成で、国民投票にかけられるようにしたいという。

まず改正をやりやすくしてから9条改正などの本丸へ、という意図は明らかだ。なぜ裏口を抜けるような手を使うのか、ふに落ちない気持ちでいる人も多いだろう。

憲法草案をつくった米占領軍が日本人を信用せず、改正手続きを厳しくして、憲法を変えにくくしたのだ、という説を言う人もいる。

果たして、そうだろうか。残された資料によれば、当初は国会の3分の2以上の賛成で提案し、国会の4分の3の承認、さらに条項によっては国民投票で3分の2の承認も得なければならないとされていた。

それが、最終的には現行96条のように「緩和」されたのは、日本人自身が自由に制度を発展させることができるようにするためだったという。

たしかに米国憲法の改正には連邦議会両院の3分の2以上、さらに4分の3以上の州議会の承認が必要などとなっており日本国憲法より厳しい。

憲法制定のための帝国議会の審議でも、96条はほとんど問題にされていない。この程度のハードルは当然とみたのだろう。

安倍首相は3分の1超の国会議員の反対で国民に改正を問えないのはおかしいというが、果たしてそうだろうか。この程度厳しいのは普通のことではないか。改正手続き規定の改正は許されないとする説が有力だという指摘もある。

単純に多数決で決めていいことの限界はどこにあるかという点を問う意味で、96条問題は「主権回復の日」や復興問題とつながる。じっくり考えてみよう。(2013・5・3)

 

いばらき春秋
2013年5月3日(金)
http://ibarakinews.jp/news/column.php?elem=syunju

米国滞在中の野口英世に宛てた、母シカの手紙がある。「おまイのしせ(出世)にわ。みなたまげました。こころぼそくありまする。ドかはやく。きてくだされ。はやくきてくだされ(4回繰り返す)。いしょ(一生)のたのみて。ありまする」
▼息子に会いたい。農作業で荒れた手で筆を握り、いろりの灰に書いて覚えた、たどたどしい字で思いの丈をつづる。ありのままの母の心が胸を打つ。女親の愛は深い
▼父親は-。思い出す。3月、北海道を襲った暴風雪で9歳の娘夏音(なつね)ちゃんを抱きながら亡くなっていた漁師の岡田幹男さん(当時53)を
▼後で分かったことがある。2人とも上半身は雪で覆われていたが、夏音ちゃんが窒息しないよう小さな穴が掘られていた。地吹雪の中、幹男さんは夏音ちゃんの頭に雪が積もらないよう、穴がふさがらないよう必死で雪を振り払っていた
▼「死ぬのかな」。ウトウトする夏音ちゃんの耳に聞き慣れたメロディーが。「なっちゃんはね、なつねっていうんだホントはね」。凍える声で娘を励ます幹男さんの替え歌だった
▼自分のジャンパーを着せ、猛烈な風を背に娘を抱きしめ続けた10時間。打算も理屈もない、男親の愛に心揺さぶられる。(庄)

 

憲法記念日に(神奈川新聞)
2013年5月3日
http://news.kanaloco.jp/editorial/article/1305030001/

立憲主義の堅持は不変
 日本国憲法は施行から66年を迎えた。安倍晋三首相(自民党総裁)は、憲法改正のための発議要件を緩和する96条改正への意欲を繰り返し表明している。今夏の参院選の主要な争点の一つになるのは確実な情勢である。

 憲法論議の活発化そのものは肯定的に捉えたい。主権者である国民にとって、改正が必要か否かをじっくり吟味する意義は深い。

 ただし論議において、立憲主義の基本は堅持されなければならない。憲法は政治の恣意(しい)的な支配に対抗し、その権力を制限するために制定された。政治権力が都合のいい方向へ憲法を変えようとする意図に、国民は目を光らせる必要がある。

 96条は憲法改正の発議には各議院の総議員の3分の2以上の賛成が必要としている。自民党が昨年4月にまとめた憲法改正草案では、過半数の賛成で発議を可能とする。同党は、現行憲法は主要国に比べ改正しにくく、国会での手続きがあまりに厳格であると、国民の意思を反映できなくなると主張する。

 しかし、96条は権力を縛るために安易に改定できないよう厳しい条件を付けているのである。96条を改正することで、戦争放棄をうたう9条をはじめとする改憲の突破口にする戦略と指摘し、危機感を強める憲法学者もいる。

 草案には他にも精査すべき点がある。天皇を「日本国の元首」と明記した場合、国政に関する権能を天皇に与えることになり、政治的利用につながる心配が生じる。

 党内論議では国民の「国を守る義務」を規定すべきだとする意見が多かった。その先に透けて見えるのは徴兵制ではないのか。

 「ねじれ国会」で問題になっている衆参両院の関係で、一院制の採用を求める声が多く出たという。草案の段階で踏み込んでいない理由について、説明を尽くすべきだ。

 改正発議のハードルが下げられた場合、自民党の憲法改定の動きが草案の範囲を超えて加速する懸念が拭えない。改憲の考え方を小出しにすることなく、全容を明確に提示してもらいたい。

 日本維新の会は参院選の争点に憲法改正を据えることを決めた。みんなの党も改憲に前向きである。公明党は96条改正について、「慎重に」との姿勢にとどめている。民主党は改憲、護憲の両派を抱える。

 一方、改憲への論議が高まる中で、護憲を掲げる政党は守勢に回った格好である。施行から60年余りを経て、なぜ今も改正の必要がないのかを説明し、理解を得る姿勢が求められよう。

 国民が参院選での選択を含め検討する材料として、各党は憲法に関する見解を明示してほしい。

 

5月3日付け照明灯
2013年5月3日
http://news.kanaloco.jp/lamp/article/1305030001/

 「あなたは小選挙区制を知っていますか」。25年ほど前、横浜で日本国憲法をテーマとした市民劇の稽古を取材中のことだ。主役級の男性から逆質問された。「憲法が直面する危機とは」との筆者の問い掛けに対してである
 
 ▼各国の選挙制度を学んだ経験から「1選挙区の当選者が1人という仕組み」と何とか答えられた。「その通り。選挙区が狭くなる意味ではない」と応じた男性は「立候補者が多いと死票が増す。当選者の票より死票が多くなる。民意が反映されずに憲法が改悪される」と危機感をにじませた
 
 ▼当時の衆院選は1選挙区から複数の当選者が出る中選挙区制。同制度が「派閥政治を助長している」として見直し論がちらほら出始めてはいた。小選挙区制はほとんど語られていない時期にあって、問題点を見逃さない洞察力に驚かされる
 
 ▼男性の名は坂本堤さんという。オウム真理教をめぐる事件で帰らぬ人となった。「敏腕」なる枕ことばだけでは評価し尽くせない弁護士だった
 
 ▼昨今の衆院は過半数に達しない得票でも3分の2の議席に手が届く。この上、2分の1で改憲発議が可能となれば民意とのねじれは深刻だ。「小選挙区制導入の果ては強引な改憲」。あの日の坂本さんの言葉が現実となりつつある。

 

改正の要件 2/3の重さを考えよ 05月03日(金)(信濃毎日)
http://www.shinmai.co.jp/news/20130503/KT130501ETI090002000.php

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 選挙権を返してほしい―。茨城県牛久市の名児耶(なごや)匠さんが国を相手に裁判を起こしたのは、2011年2月のことだ。

 ダウン症で知的障害がある。だまされたりしないようにと、父親が財産管理などを助ける「成年後見人」になった。すると、それまで来ていた選挙はがきが届かなくなった。公選法の定めで、後見人が付くと選挙権を失うことになっているからだ。

 訴えたかいはあった。東京地裁はことし3月、ひとくくりに選挙権を奪う公選法の規定は憲法違反―との判決を言い渡している。

   <ハードルが高い理由>

 憲法は、国民の自由や権利を守るため、権力を行使する側に縛りをかけるものだ。名児耶さんの裁判を見ると、そのことがよく分かる。判決を受けて公選法の規定は削られる方向になっている。憲法をよりどころに、権利を取り戻す流れを勝ち取った。

 多くの人は日頃、憲法を意識しない。それは、名児耶さんのような立場に置かれていないからだろう。権利を奪われれば、向き合わないわけにはいかない。

 憲法は少数者のためにある、ともいえる。多数決で民主的に決めたとしても、憲法に反する法律は認められない。

 その憲法が、国政の担い手や多数派に都合よく、たやすく変えられるようだと、個人や少数派の権利が脅かされかねない。だからこそ、憲法は他の法律よりも改めにくい仕組みになっている。

 96条は、憲法改正の手続きとして二つのハードルを設ける。まず衆参両院で総議員の3分の2以上の賛成がないと提案できない。加えて、国民投票で過半数の賛成を必要としている。

   <議論を尽くしてこそ>

 自民党は最初のハードルである提案の要件を「3分の2以上」から「過半数」に緩める考えだ。日本維新の会、みんなの党のほか、民主党にも同調する議員がいる。

 憲法の重さを考えると、96条の緩和には賛成できない。

 自民党は、日本の憲法が「世界的に見ても、改正しにくい憲法になっている」と説明する。

 これは違う。各国の憲法に詳しい明治大学法科大学院教授の辻村みよ子さんによると、やり方はさまざまながら、ほとんどの国がハードルを高くしている。日本が飛び抜けて厳しいわけではない。

 国の基本原則を定めた最高法規を改めるには、それだけ慎重な議論が求められる。3分の2以上の議員に賛同してもらうには、提案する側が相当の説得力を持たなくてはならない。丁寧に説明し、幅広い合意をつくる努力が必要だ。

 国会でのやりとりは、国民投票に向けて一人一人が改憲のポイントをつかみ、是非を考えるための材料にもなる。その意味でも、まずは国会議員がしっかりと議論することが欠かせない。

 過半数でいいとなれば、ハードルは格段に下がる。議論が尽くされないまま、提案される心配がある。政権党が代わるたびに改憲案が出されるといったことにもなりかねない。

 最後は国民投票で主権者が決めるのだから、提案の要件は緩めて構わないという考え方もある。安倍晋三首相は「国民の60%、70%が変えようと思っても、国会議員の3分の1を少し超える人が反対したら指一本触れられないのはおかしい」と主張する。

 そう単純に片付けられない。辻村さんによると、国民投票を重ねている国では投票率の低下も見られる。提案のしやすさは、国民投票の結果にも関わってくる。

   <堂々と今の規定で>

 安倍首相は国会で「党派ごとに異なる意見があるため、まずは多くの党派が主張している96条の改正に取り組む」と述べた。中身を後回しにして一致しやすいところから、というやり方は安易だ。

 自民党の石破茂幹事長は、9条を視野に入れた対応だとの認識を示している。96条が国民投票にかけられた場合に「国民は(9条改正を)念頭に置いて投票していただきたい」とテレビ番組で話した。それなら、9条の議論を尽くさないと判断のしようがない。

 日本と同じように3分の2以上の賛成を必要とする国でも憲法は改正されている。要件があるから改められないわけではない。改憲が必要だというなら、その条項について、正々堂々と今のルールで理解を得るべきだ。

 

斜面 05月03日(金)
http://www.shinmai.co.jp/news/20130503/KT130501ETI090007000.php

1865年1月、米下院議会。傍聴席は立錐(りっすい)の余地なく埋まり、奴隷制を廃止する合衆国憲法修正法案の採決が始まった。「賛成票119、反対票56」。議長報告に議場は一瞬の静寂を経て大歓声に包まれた

   ◆

映画「リンカーン」で法案が可決される場面だ。見どころは採決に至る舞台裏にある。憲法修正は3分の2以上の賛成が要る。与党共和党では足りず、大統領自ら多数派工作に乗り出す。説得、公職の約束などのアメ…。苦闘しつつ執念が票を積み上げる

   ◆

「自由を母胎として、全ての人間は平等に創造されている」。この信念が奴隷解放宣言を生み、憲法の修正で法的にも裏付けられた。リンカーンは採決から3カ月後の4月14日、凶弾に倒れた。憲法修正は年末までに4分の3以上の州議会が承認、発効した

   ◆

ロシアの文豪トルストイはリンカーンを「地球本体のように広くて大きい人道主義者」「数世紀後の世代はわれわれ以上に彼を高く評価するだろう」とたたえた。映画の原作にもなった同名の評伝に詳しい

   ◆

今日の憲法記念日は改憲の合唱の中で迎えた。96条改正で発議要件を「3分の2」から「2分の1」に緩和せよ、という。リンカーンは3分の2のハードルを越え崇高な理念を具体化した。米国のルールは今も変わらない。自民党がルールを変えてまで目指す改憲は時を超えて世界に誇りうるのか。吟味したい。

 

社説
憲法記念日 平和の理念を見詰めよう(新潟日報)
http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/editorial/20130503040715.html

 憲法改正の論議が熱を帯びる中で、66回目の憲法記念日を迎えた。
 施行以来、憲法は一度も改正されていない。憲法とは何か-。私たち一人一人が、これをまず問い直すことが必要だ。
 昨年12月の衆院選を経て、自民党が政権に復帰した。安倍晋三首相は憲法改正を掲げている。
 改憲に向けて安倍首相は、国会の発議要件を緩めるための96条改正を、夏の参院選の自民党公約に掲げる方針を明言している。

◆参院選の主要争点に

 96条改正には野党の日本維新の会は賛成しており、みんなの党も改正に前向きだ。連立与党の公明党は慎重な姿勢を見せている。
 参院選の主要な争点になるだろう。選挙の結果次第では、憲法改正へ加速することも考えられる。
 自民党は結党以来、党是として憲法改正を主張している。日本国憲法が米国に押しつけられたものであり、さらには時代に合わなくなっているというのが主張の柱だ。
 施行から66年たち、国際情勢や社会を取り巻く状況も大きく変わった。憲法を見直す必要があるのか、議論することに意味はあろう。
 しかし、なぜこれまで一度も改正されることがなかったのか。その背景を考えてみたい。
 そこには、この憲法を持つに至った重い歴史と、それに基づく平和国家としての理念があることを押さえておく必要がある。
 先の大戦で、300万人を超える日本国民が犠牲になった。日本はアジア諸国にも犠牲を強いて、広島と長崎には原爆が投下された。
 日本国憲法は、これに対する痛切な反省から誕生したといえる。

◆自民草案に「国防軍」

 国民主権、基本的人権の尊重とともに、恒久平和を誓い9条に戦争放棄をうたっている。
 幾度も改正が論議されてきた9条が堅持されてきたのは、平和国家としての不戦の誓いに多くの国民が共鳴してきたからではないか。
 自民党は昨年、改正草案を決定した。草案では現在の自衛隊を「国防軍」に改める。
 自衛隊は海外では軍隊と見られており、独立国家として軍隊を持つのは常識であるといった理由を挙げているのである。
 また草案では、9条1項の「戦争放棄」は基本的に維持しているものの、2項の「戦力不保持」と「交戦権否定」は削除された。
 集団的自衛権行使へ道を開くものにほかならない。集団的自衛権の行使ができるようになれば、国防軍は米国の戦略に従って海外派兵する可能性もある。
 イラク戦争では陸上自衛隊が派遣された。9条の理念は解釈を変えながら、なし崩し的にその力をそがれてきたともいえよう。
 この改正草案だと、世界に不戦を誓い、国際的にも信頼を得てきた9条の精神が大きく変容するのではないかと、危惧される。
 政府はことし、4月28日を「主権回復の日」と定め、政府主催の式典を開いた。
 1952年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、連合国の占領下に置かれていた日本が主権を回復したと位置付けている。
 しかし式典には、沖縄の人々が強く反発し沖縄県知事も出席しなかった。当然だろう。
 講和条約発行後も、奄美群島は53年12月、小笠原諸島は68年6月、沖縄は75年5月まで、それぞれ米施政下に置かれたからだ。
 沖縄の人々が「屈辱の日」と位置付ける日に主権回復の日の式典を開いたことには、今の憲法が主権回復前の「押しつけ」であることを強調しようという意図が見え隠れする。

◆中身の論議こそ先だ

 96条は、憲法改正は衆参両院ともに総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、承認には国民投票で過半数の賛成が必要と定めている。
 そこには、憲法に従って政治を行う立憲主義の理念があるはずだ。
 たとえ民主的に選ばれた政府であったとしても、権力を乱用する恐れがある。時々の政権が都合よく憲法を変えないように改正しにくくしてあるのだ。
 憲法は国民を縛るために義務を課すのではなく、国民の権利を侵さないように国家を縛るのが目的であるともいえる。
 にもかかわらず、自民の改正案は国民の責任や義務を前面に出し、基本的人権は永久の権利であると定めた97条が削除されている。
 中身の濃い論議が十分に尽くされたとは言えない。それなのに、なぜ憲法改正を急ぐのか。
 中身より先に、手続きでハードルを下げるという手法に理解が得られるだろうか。
 現行憲法の理念や精神を見詰めながら、国民的な議論を広げることこそが優先されるべきである。
【社説】

2013/05/03 09:48

 

日報抄
5月3日
http://www.niigata-nippo.co.jp/opinion/nipposho/20130503040717.html

 先日、憲法改正に関するテレビの街頭インタビューに、こう答える人がいた。同盟国が攻撃を受けたら日本も戦わなければならない。自衛隊が武力行使できるように改正したらいい

▼主張に対しては賛否さまざまあるだろう。気になるのは、主語が「日本」だった点である。天下国家を論じるとき、「私」はとかく「お国」の陰になる。戦場で引き金に指をかけるのも、飛び交う銃弾にさらされるのも、顔の見えぬ「わが国」などではなく、生身の人間なのだ

▼自身の戦争体験をもとに名作を生んだ大岡昇平さんは、作品「野火」の中で「戦争を知らない人間は、半分は子供である」と書いた。作家の半藤一利さんはこれを受け、次のような論旨で日本を憂えている

▼-憲法9条の理想を地球全体に訴えるべきだと思うのに、そうは思わぬ勇ましい人、大岡のいう「半分子供」が多くなった。直接の戦争体験の有無ではなく、戦争や軍事に対する深い洞察と想像力の欠如している子供が多くなった-(岩波ブックレット「憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言」)

▼新憲法を目指す国会議員らの発言を聞くと「立派な日本」「独立主権国家」「国の独立」といった言葉が並ぶ。国を暴走させず国民を守るのが憲法だが、勇ましい人々の頭にあるのはまず「国」ということか

▼きょうは「憲法記念日」。法律では「施行を記念し、国の成長を期する」とある。戦争を繰り返さないことが成長した国と国民のあるべき姿だ。それを確認する日としたい。
【日報抄】

2013/05/03 09:49

 

きょうの社説 2013年5月3日
◎憲法96条先行改正 改憲手続きの理解深めたい(北國新聞)
http://www.hokkoku.co.jp/_syasetu/syasetu.htm

 憲法改正がようやく現実感をもって論じられるようになった。安倍晋三首相が改憲の発 議要件を緩和する96条改正を今夏の参院選の争点にする方針を明確にし、日本維新の会なども同調しているからである。有権者も改憲手続きの在り方について理解を深め、主権者、憲法制定権者として重い判断を下さなければならないことを自覚したい。

 最高法規の成文憲法は日本に限らず大概、通常の法律より改正手続きが厳重に作られて おり、「硬性憲法」と呼ばれる。憲法は国民の自由や基本的人権がむやみに侵害されることがないよう、国家権力を縛る役割を担っており、時の権力者の都合で簡単に変えられるようでは困るからである。

 改憲の発議要件を、衆参各院の「3分の2以上」の賛成から「過半数」に緩和する自民 党の96条改正案は、憲法で国家権力を制限する立憲主義に反するとして、反対論が根強い。無論、憲法は簡単に変えることのできない高度な安定性が不可欠であるが、社会の変化に適合するよう国民の意思で変えられることも必須の条件であり、そのバランスが重要である。

 米国憲法も改正発議に「上下両院の3分の2以上」の賛成を必要とし、「全州議会の4 分の3の承認」で改正される。この要件の下で、これまで18回も改憲されている。国益や国家の危機に際しては二大政党の与野党が対立を乗り越え、国論がまとまりやすい米国の国柄や国民性を映しているようでもある。

 しかし、多党分立が続く日本では「3分の2以上」のハードルを越えるのは至難であり 、事実上改憲の道を閉ざし、より良い憲法を望む多くの国民から改憲という主権行使の機会を奪ってきたとも言えるのではないか。

 国会の憲法論議も、実際には改憲が困難なことを見越し、どこか空疎で責任感も乏しか ったように思われる。このところの改憲論議が真剣味を帯びてきたのは、96条の先行改正が現実の政治日程に上る可能性が出てきたからであろう。改憲の是非の最終決定者である国民も、国会の議論を傍観するだけでなく、主権者として真正面から憲法に向き合いたい

 

きょうのコラム「時鐘」 2013年5月3日
http://www.hokkoku.co.jp/jisyoh/hjisyoh.htm

 百年一日(ひゃくねんいちじつ)の如(ごと)し。それが祭りだ。進歩がないのではない。神の降臨(こうりん)を祈る日本の祭りの本質(ほんしつ)である

だが、現実は工夫をし斬新(ざんしん)さを取り入れて年ごと活力(かつりょく)を増している。例えば七尾の青柏祭(せいはくさい)。毎年題材(だいざい)は変えるのだが、江戸期の歌舞伎(かぶき)を題材にした物が多かった。ことしのでか山には明治と平成の新作(しんさく)が登場する

一つは19世紀の記者・成島柳北(なりしまりゅうほく)が創作した「関原誉凱歌(せきがはらほまれのかちどき)夫婦(みょうと)別離(わかれ)の場(ば)」。前田利家の娘・豪姫(ごうひめ)と関ケ原で敗れて八丈島(はちじょうじま)に流された夫の宇喜多秀家(うきたひでいえ)の物語だ。もう一つは作家・安部龍太郎(あべりゅうたろう)さん作「等伯(とうはく)」の名場面を描いた「等伯上洛戦乱転機乃時(とうはくじょうらくせんらんてんきのとき)」

柳北は新装なった東京銀座の歌舞伎座の創始者(そうししゃ)で知られた自由民権期(じゆうみんけんき)の記者であり劇作家(げきさっか)だ。一方、安部さんの「等伯」は長谷川等伯の生涯(しょうがい)を描いて直木賞(なおきしょう)をとった小説。ともにことし話題の新素材(しんそざい)である。何百年と続く祭りは新風(しんぷう)を吹き込みながら再生(さいせい)して行くのが分かる

大型連休も後半入り。北陸の祭りがピークを迎える。百年変わらぬように見えて必ず創意工夫(そういくふう)がある。古さを装(よそお)い未来に向かうエネルギーを見ておきたい

 

社説
2013年 5月 3日(金)
憲法記念日 立憲主義、多数決ではない(岐阜新聞)
http://www.gifu-np.co.jp/column/syasetsu/sya20130503.shtml

 日本国憲法施行から66年の記念日を迎えた。

 このところ、少数者の権利が気にかかる。「主権回復の日」では、サンフランシスコ講和条約調印で切り捨てられた沖縄から強い抗議の声が上がった。もっともだ。

 主権回復の歴史を祝うより、復興完了の日に向けて、もっと力を注いでほしい。そんな声が東北地方から聞こえる。ここでも、少数者の声が忘れられていないか。

 東日本大震災の避難者30万人がまだ全国に散らばったままだ。東京電力福島第1原発事故処理と補償も先は長い。憲法25条ですべての国民に保障された「健康で文化的な最低限度の生活」をしっかり思い起こしたい。

 少数者の権利が忘れられ、多数者の横暴がまかり通るのは、憲政の本来の趣旨ではあるまい。思想・信仰・言論の自由や生命身体の安全など基本的人権は多数決によって奪われることはない。奪ってはならない。それが立憲主義の核心だ。

 近代憲法の先駆けとなった米国憲法の本文自体には、基本的人権の具体的定めがほとんどない。奪われることのない当然の権利であるから書き込む必要はない。書き込むことによって、権力が逆に権利の制限に走るのではないかという懸念を起草時に持ったからだ。

 日本国憲法の起草にあたって当時の占領軍当局は当初、改正手続きを定める条項(現96条)に、基本的人権についての改正を禁ずると書き入れようとした形跡がある。

 安倍晋三首相は、その96条の改正を今夏の参院選の争点に掲げる構えだ。96条では、憲法改正には衆参両院で各総議員数3分の2以上の賛成を得て、国民投票に提案、過半数の承認が必要だ。これを議員の過半数の賛成で、国民投票にかけられるようにしたいという。

 まず改正をやりやすくしてから9条改正などの本丸へ、という意図は明らかだ。なぜ裏口を抜けるような手を使うのか、ふに落ちない気持ちでいる人も多いだろう。

 憲法草案をつくった米占領軍が日本人を信用せず、改正手続きを厳しくして、憲法を変えにくくしたのだ、という説を言う人もいる。

 はたして、そうだろうか。残された資料によれば、当初は国会の3分の2以上の賛成で提案し、国会の4分の3の承認、さらに条項によっては国民投票で3分の2の承認も得なければならないとされていた。

 それが、最終的には現行96条のように「緩和」されたのは、日本人自身が自由に制度を発展させることができるようにするためだったという。

 たしかに米国憲法の改正には連邦議会両院の3分の2以上、さらに4分の3以上の州議会の承認が必要などとなっており日本国憲法より厳しい。

 憲法制定のための帝国議会の審議でも、96条はほとんど問題にされていない。この程度のハードルは当然とみたのだろう。

 安倍首相は3分の1超の国会議員の反対で国民に改正を問えないのはおかしいというが、果たしてそうだろうか。この程度厳しいのは普通のことではないか。改正手続き規定の改正は許されないとする説が有力だという指摘もある。

 単純に多数決で決めていいことの限界はどこにあるかという点を問う意味で、96条問題は「主権回復の日」や復興問題とつながる。じっくり考えてみよう。

 

分水嶺
2013年 5月 3日(金)
http://www.gifu-np.co.jp/column/yoki/

 井上ひさしさんの長編「吉里吉里人」の舞台となる吉里吉里国は、永久に戦争を放棄するため陸海空軍その他の戦力は保持しない。同国憲法第9条でうたう。

▼東北地方の一村落が日本からの分離独立を宣言。鎮圧されるまでの1日半を描くユートピア小説。村のリーダー格の長老は9条を、美しく、子守歌のように優しく、まるで太陽。公明正大で、そして雄々しい―と自画自賛する。

▼どこかで見聞きした条文だ。それもそのはず、日本国憲法第9条に「惚(ほ)れで惚れで、惚れ抜いで、そんでそっくり掻(か)っ払って来たんだっちゃ」と長老は明かす。

▼生前、井上さんは吉里吉里人執筆の動機について「日本人はどうしてコメや憲法のことをちゃんと考えないのか、という疑問があったから」と話している。そして今、日本は環太平洋連携協定(TPP)交渉に向けて走り出し、改憲論議が熱を帯びてきた。

▼安倍政権は、まず憲法改正の発議要件を定めた96条の改正に照準を定めている。改憲のハードルを下げておいて、9条に手をつけようというのか。参院選の公約に盛り込む方針だ。野党の中にも賛成する党もある。

▼なぜ正面切って、9条改正を問わないのか。その方が国民に分かりやすく潔い。憲法記念日に思う。

 

論説
憲法記念日 入り口の議論より中身だ(福井新聞)
(2013年5月3日午前7時26分)
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/editorial/42229.html

 日本国憲法は、1947年5月3日の施行から66年の記念日を迎えた。われわれは長く平和の下で、憲法の上にあぐらをかいてきたと言えないか。改憲議論が高まりつつある。真正面から見据えることは権利であり、義務でもある。「空気」に流されず、日本人にとって憲法とは何か、じっくり考えたい。

 戦後レジーム(体制)からの脱却に執念を燃やす安倍晋三首相の主眼は憲法の改正にある。政権の座にある自民党は結党以来、自主憲法制定を党是としてきた。「連合国軍の占領体制下、日本国の主権が制限された中で制定された憲法は、国民の自由な意思が反映されていない」と考えるからだ。

 戦争放棄をうたった第9条は「自衛権の否定ともとらえかねない」と批判の矛先を向ける。昨年4月28日、主権回復の日として発表した憲法改正草案では自衛隊を「国防軍」と位置づけ、集団的自衛権の行使も容認した。さらに天皇を「日本国の象徴」から「元首」に、「国家・国旗」も明文化。まさに「主権国家としてふさわしい国に」という理念が端的に表れている。

 対する共産党や社民党は集団的自衛権の行使を可能とする憲法解釈の変更などに強く反発、改憲論を「時代錯誤」(共産党)と厳しく糾弾する。

 これまで柔軟で多様な議論がなされてきた自民党は、一気に改憲へ動き始めた。衆院選で圧勝し、高い支持率を背景に参院選で改憲勢力の3分の2確保を目指す。安倍首相は改憲志向を全開させ、改正要件として立ちふさがる第96条をクリアすべく、世論に強気の姿勢で訴える。参院選の争点にする構えだ。

 憲法改正には衆参両院で各総議員数の3分の2以上の賛成を得る必要がある。これを議員の過半数の賛成で、国民投票にかけられるようにしたいという。

 まず96条改正ありきの意図が明白だ。議論の分かれる項目を避け、維新の会も賛同する96条さえクリアすれば、9条改正など本丸へはハードルが低くなるのは事実。しかし、憲法原理に基づいて国家を統治し、権威ある憲法規定の逸脱を監視する「立憲主義」に立てば、簡単には憲法改正はできない。

 もし憲法を改正するなら、よほど合理的な理由と説得力が必要だ。しかし、これまでの安倍首相の発言は自主憲法をつくるという信念が先行、国会議論も表層的である。

 憲法草案をつくった米占領軍が改正手続きを厳しくしたとする説もある。当初は、国会の3分の2以上の賛成で提案し、国会の4分の3の承認、さらに条項によっては国民投票で3分の2の承認も得なければならないとされていた。これが最終的に現行に「緩和」されたのは、むしろ日本人自身の手で制度を発展させる道を開いたという。

 現行条項は米国憲法の要件より緩やかだ。安倍首相は他国の改正回数の多さを指摘するが、例に挙げる米国は改正ではなく「修正」しかできない。

 9条解釈でも国会で何十年も議論が積み重ねられてきた。領土をめぐる中国との摩擦や北朝鮮の核・ミサイルの脅威などを論拠に改憲を勢いづかせる安倍政権。その議論は重要だが、憲法が保障する生存権や基本的人権が損なわれたままの現実もある。東日本大震災と福島原発事故の災禍に遭った住民、米軍基地の危険性にさらされる沖縄県民は、声高な改憲論議の陰になってはいないか。「国民合意」への道はまだ遠い。

 

越山若水
裏山で収穫したタケノコが食卓を飾っている…
(2013年5月3日午前7時20分)
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/column/42228.html

 裏山で収穫したタケノコが食卓を飾っている。タケノコご飯から煮物、みそ汁の具まで利用範囲は広い。何と言っても今が旬。シャリッとした歯応えがたまらない▼ところで歳時記に「竹の秋」という言葉がある。秋とは言いながら春の季語である。地中のタケノコを育てるためにこの時期、親竹の葉が黄色くなり落葉する▼それが秋の紅葉に似ているところから「竹の秋」と呼んでいる。旧暦3月を「竹秋」ともいうらしい。ちなみに「竹の春」とは、竹の勢いが盛んな秋の季語である▼タケノコは1日で数十センチも伸びる。すくすく育つ子どもを横目に、親竹は養分を取られ枯れかかっている。言語学者の金田一秀穂さんは「子どもにすねをかじられている親の苦労」に例えている▼子ども1人を大学に通わせると年間200万円ほどかかる。さらに卒業しても就職できない場合も多いと、金田一さんは親に同情を寄せる(「オツな日本語」日本文芸社)▼わが子を大学へ送り出した親にすれば、景気低迷でやせ細った自分のすねが恨めしい。今をときめく「アベノミクス」に一縷(いちる)の望みを託したいところ▼しかし安倍晋三首相が自負するほどに、賃金アップや雇用改善の効果は実感できない。このまま円安や消費増税で物価が上がり生活費がかさむようでは、親のすねはますます細くなる。悲惨な「竹の秋」である。

 

(日本海新聞)大阪日日新聞でも同文掲載。
社説の最新が最新掲載日 2013年04月28日
一刀両断 -小林 節-     最新掲載日 2013年04月30日
http://www.nnn.co.jp/rondan/ryoudan/index.html

「古い憲法観」と言われる驚き
2013/4/30の紙面より

小林 節
 4月26日(金)に、ある大手新聞社が、1年余の議論の成果として、「国民の憲法」要綱なるものを発表した。

 一読して、賛成の点も反対な点もあるが、それらは今後の論争の中で生産的に昇華して行けば良い。

 ただし、一点だけ、今、看過できないことがある。それは「憲法観」(つまり憲法の「定義」)である。

 標準的な理解によれば、まず通常の「法律」は国家(国民代表の国会)の意思として国民(大衆)の行動を縛るものであるのに対して、「憲法」は、主権者国民の意思として権力者(政治家他の公務員)が権力を濫(乱)用しないように縛るものである。

 ところが、今回のその新聞社の憲法要綱は、この標準的な憲法の定義(常識)を「絶対王制からの解放を目指した初期立憲主義の古い憲法観だ」と切り捨ててしまっている。そして、要するに、(国家と国民を対立関係として捉えるのではなく)国家と国民は、より良き国家づくりを目標に、ともに力を合わせて行動する協働関係にあると見るべきだ…という前提に立っている。

 これは、議論に際して、議論の前提を動かしてしまう暴挙で、何よりも、もっと丁寧な説明が必要でなかろうか。

 近代市民革命で「確認」された憲法観は、(古今東西に共通する)権力(ひいては人間)の本質に着目してのものである。つまり、「絶対的な権力は絶対に堕落する」と言われるように、個人としての自然の能力を超えた権力を託された者は、常に、それを乱用する危険性をはらんでいる。そしてそれは、それが絶対王制だからではない。つまり、それは人間の本性(本来的不完全性)に由来するものである。

 例えば、借りたお金は返さなければいけない…などという当たり前なことでも守れない者がいるから、古今東西どこにでも民法は存在したし存在する。また、カッとなって他者を傷付けてはいけない…などという当たり前なことでも守れない者がいるから、古今東西どこにでも刑法は存在したし存在する。

 このように、私たち人間の本質が不変である以上、急に、今、「もう近代ではなく現代なのだから」権力の本質に対する警戒を緩めよ…と権力者の側が大衆(非権力者)に対して法的に要求出来る制度を唐突に提案されても、素直にうなずけるものではあるまい。

 (慶大教授・弁護士)

 

海潮音
http://www.nnn.co.jp/column/kaityouon/

5月3日
 きょうは日本国憲法施行から66年の記念日。憲法改正の論議が急速に高まっており、鳥取県内でも護憲派、改憲派の動きが活発だ。7月の参院選は憲法改正の手続きを定めた96条改正の是非が争点の一つとなりそうだ。国民の一人として重大な関心を寄せたい◆本紙4月30日付2面のコラム「一刀両断」で、憲法学者の小林節・慶応大教授が「憲法観(憲法の定義)」について、明確に論じている。「法律は国家が国民の行動を縛るもの。憲法は国民が権力者の権力乱用を縛るもの」。この憲法観はしっかりと肝に銘じたい◆安倍晋三首相が改正を目指している憲法96条をあらためて読んでみた。「憲法改正は各議院(衆議院と参議院)の総議員の3分の2以上の賛成で国会が発議し、国民の過半数の賛成を必要とする」。「国会議員の3分の2はハードルが高過ぎる。過半数に」が96条改正派の主張である◆一方、護憲派は「権力乱用を防ぐためにハードルは高くしておくべきだ」と反発する。問題は改正手続きを緩和して、日本国憲法をなぜ改正するのか、何を改正するのか。当然、戦争放棄を定めた9条が俎上(そじょう)にのぼる◆国民の憲法観が試される時期が近づいている。

 

[社説]憲法記念日 「最高法規」の重みを問う(山陽新聞)
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013050309000174/

 日本国憲法はきょう、施行から66年を迎えた。この間、一度も変わっていない憲法を改正する動きが、自民党を中心に活発になっている。安倍晋三首相は、改正のハードルを下げるための96条見直しを夏の参院選で党公約とすることを表明した。国の最高法規の在り方が問われる中での憲法記念日である。

 憲法の改正は、衆参両院とも総議員の3分の2以上の賛成で発議し、国民投票の過半数の賛成で承認される。自民党は「3分の1を少し超える議員が反対すれば憲法に指一本触れられないのはおかしい」とし、発議要件を両院とも過半数に緩和するよう主張している。

 安倍首相が“本丸”と位置付ける9条改正に向けて、まずは国民の抵抗感がより小さそうなルール改定から入ろうという思惑のようだ。

 だが、96条の見直しには疑問が多い。99条では、天皇、国務大臣、国会議員らが憲法を尊重し、擁護する義務をうたっている。国民の権利や自由を守るために国家などの権力を縛る立憲主義の考えに基づいている。改正に当たり、国会議員の発議の段階で、一般の法律より厳格な手続きが求められるのは当然だろう。

 入り口のハードルを安易に下げれば、その時々の政治状況次第で改憲が繰り返し発議されかねない。憲法で保障された国民の権利が制限される事態も起こりうる。改憲の必要性や中身が十分に議論されておらず、その機運も高まっていないのに、手続きの是非だけを先行して問うのも国民にとって分かりづらいのではないか。

 日本のように、一般の法律よりも厳しい改正手続きを定めた憲法は「硬性憲法」と呼ばれる。改憲派は、何度も憲法を変えてきた欧米と日本を比べ、96条が改憲の妨げになっていると主張する。

 しかし、戦後6回改正した米国、59回改正したドイツなども、両院の総数や出席議員の3分の2以上の賛成を条件にしている。日本で主に9条が議論になりながらも改憲が行われなかったのは、先の戦争で惨禍を体験した国民が、平和を強く願ってきたからにほかならないはずだ。

 自民党は昨年、憲法改正草案を発表した。9条に自衛隊を改めた「国防軍」を明記し、憲法上許されないとされている集団的自衛権の行使も前提とする内容である。

 尖閣諸島をめぐる問題や核開発などで中国、北朝鮮など近隣国の脅威が増す中、自衛力の在り方や運用をどう考えるかは極めて重いテーマであり、議論を深めていくべきだろう。ただ、その前提として、今の平和国家を築く土台となった9条の理念は十分に尊重されなければならない。

 国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という基本原則を踏まえながら、憲法のどこを守り、何を論議していけばよいのか。記念日を機にあらためて考えたい。

(2013/5/3 9:00)

 

[滴一滴]
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2013050308575619/

 文庫本の新刊を、楽しみにしている。有名だが長く絶版だった本、気になっていた作家や学者の文章を新たに編集した本などが文庫になると憧れた異性に再会したような喜びがある

 解説に新鮮な視点があれば、理解も深まる。中谷宇吉郎博士(1900〜62年)の随筆集「科学以前の心」(河出文庫)は、そんな1冊だ。世界初の人工雪生成に成功したこの物理学者は、「雪は天からの手紙」という有名な言葉を残した。編者で生物学者の福岡伸一さんが解説ですてきな解釈を示している

 「雪は、読もうとするとその端から消えていくような、はかなくも淡い手紙のようなもの」。シンプル、軽妙な文体にある科学の目と詩情という中谷随筆の神髄にふれている

 中谷博士より7歳年下で福島県会津坂下町出身の版画家、故斎藤清も天からの手紙を読もうとした一人ではないだろうか。岡山市の県立美術館で開催中の「斎藤清のあゆみ」展で代表作「会津の冬」シリーズを見てそう感じた

 「住んでいる人には大変だが、雪が余分なものを消して絵を作ってくれる」と通った雪景色である。シンプルな構図、木版の素朴さが温かい人の営みを伝え、心に染みる

 今、福島の人々は…と見る者の思いを誘う。「福島県民の誇り」と言われる画伯からの手紙でもある。

(2013/5/3 8:57)

 

社説
2013/05/03
改憲論議/立憲主義を危うくする96条改正(神戸新聞)
http://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201305/0005952928.shtml

 憲法施行から66年を迎えた。

 しばらく下火になっていた改憲論議が、第2次安倍政権発足後、にわかに高まってきた。安倍晋三首相は、改正の国会発議要件の緩和に意欲を示す。その是非が夏の参院選の争点として浮上し、改憲が現実味を帯びている。

 国のあり方の基本である憲法に強い逆風が吹いている。

   ◇

 暮らしの中で憲法を意識することは少ないかもしれない。だが、その存在の重さを実感させてくれるときがある。社会の土台として日常のさまざまな局面で個人の自由や権利を守る。その役割が発揮されるのはこんなケースだ。

 東京地裁は3月、知的障害や認知症などで成年後見人が付くと選挙権を失う公選法の規定は「違憲で無効」とする判断を示した。

 父親が後見人になったことで選挙権を失った知的障害のある女性が起こした訴訟だ。以前は投票に行っていたが、法律でその権利を奪われた。

 判決は基本的人権を重視した明快な内容だった。「憲法の趣旨に鑑みれば、選挙権やその行使を制限することは許されない」「やむを得ない事情がないのに選挙権を制限することは、立法裁量の限界を超えて違憲だ」

 少数者の利益、権利を保障する。それは政府によっても侵害されてはならないというのが立憲主義の精神だ。多数意見を代表して作られた法律に対しても、人権を守るためには歯止めをかける。

 個人の自由が危うくなったときこそ憲法の出番である。

 保守色強い自民草案

 自民党は昨年4月、憲法改正草案を発表した。2005年に改憲草案を作った際には見送られた「天皇の元首化」「国防軍の保持」が明記された。

 与党時代の05年は公明党への配慮もあったが、野党時代の昨春に作った草案には解散・総選挙をにらみ、民主党との違いを鮮明にして政権奪還をアピールする意図があったとされる。自民党内の慎重論を押し切り、安倍首相をはじめとするタカ派の意向が反映された。

 9条では、2項の戦力不保持と交戦権否定のくだりを削除して「自衛権の発動を妨げない」と記した。

 基本的人権でも変更は顕著だ。条項に「自由と権利には責任と義務が伴うことを自覚」の文言を加えた。「生命・自由・幸福追求権」では現行の「公共の福祉に反しない限り」を「公益及び公の秩序に反しない限り」と変えた。

 草案の解説資料は「個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは当然のこと」とし、「西欧の天賦人権説に基づいた規定は改める必要がある」とも説明する。

 国民の責任や義務を強調しており、個人の自由や権利を守る近代立憲主義憲法の流れから離れるものといえる。

 「実現性より独自色重視」といわれた野党時代の案だが、昨年12月の衆院選で自民党は圧勝し、衆院での改正賛成派は3分の2を超える。参院選の結果によっては改憲が一挙に進む可能性がある。

 高いハードルが主流

 安倍首相は発議要件を定めた96条の改正を参院選の中心的な公約に掲げ、争点化する意向を表明している。

 衆参両院で総議員の3分の2以上の賛成が必要な改正の発議要件を、両院とも過半数に緩和すべきだと主張する。

 「3分の1を少し超える議員が反対すれば指一本触れられないのはおかしい」と首相は述べる。

 だが、合意に時間のかかる中身の改正を後回しにし、まずハードルを下げるやり方は乱暴というしかない。

 「世界的に見ても改正しにくい憲法」と自民党は緩和の理由を説明している。しかし、法律に比べて改正に厳しい条件を付ける「硬性憲法」は世界の主流だ。日本が特に厳しいわけではない。

 米国は上下両院の出席議員の3分の2以上の賛成が必要な上、全50州のうち4分の3以上の州議会の賛成を得なければならない。ドイツも連邦議会と連邦参議院でそれぞれ総数の3分の2以上の同意が要る。ドイツは58回の改正をしているが、憲法に法律のような細かい規定を盛り込んでいるからで、基本原理の改正は許さないとしている。

 最高法規である憲法は、簡単に変えてはならない原則を定める。選挙権や表現の自由などの基本的な権利が、その時々に多数派を占める政治権力によって揺るがされてはならない。そのために多数決要件のハードルは高くなっている。

 発議要件の緩和は、権力を法で縛るという立憲主義に反し、憲法の精神を危うくするルール変更だ。

 自民党のほかに日本維新の会やみんなの党などが賛成し、96条の先行改正が熱を帯びるが、冷静に判断したい。

 安倍首相が主張するように「憲法を国民の手に取り戻す」のであれば、憲法の基本原則である平和主義や基本的人権の尊重が暮らしにどう生かされているかを見つめ直すことが先決ではないか。

 その上で戦後日本の歩みを振り返り、幅広い視点から目指すべき社会を考えていくべきだろう。

 

正平調
2013/05/03
http://www.kobe-np.co.jp/column/seihei/201305/0005952927.shtml

「題名のない音楽会」という番組で、司会役の佐渡裕さんが東北の小学校の校歌を紹介していた。番組のタイトルにならえば、それは「校名の出てこない校歌」だった◆1番から3番まである中で3番の歌詞を紹介する。「しっかりつかむ/しっかりつかむ/まことの知恵をしっかりつかむ/困ったときは手を出して/ともだちの手をしっかりつかむ/手と手をつないでしっかり生きる」◆東日本大震災の大津波で児童が自分の判断で避難し、一人の犠牲者も出なかった釜石小学校の校歌だ。歌詞に「釜石」はまったく登場せず、子どもたちにこのことを伝えたい、こんな大人になってほしいという思いがあふれる。「言葉の力」のすごみを感じる◆作詞は井上ひさしさん、作曲は宇野誠一郎さん。ご存じ「ひょっこりひょうたん島」のコンビだ。きょうは憲法記念日。憲法について考えることは、言葉の力について考えることにつながる。国民の側が政治権力を縛る。そのための言葉の束が憲法だ◆なのに、今の憲法論議に耳を傾けると、政治が国民を縛ろうとしている。個人のことばかり考えずに、もっと公益を、国全体のことを考えなさい。その延長に、第9条を変えようという主張がくっきり浮かぶ◆こんな国民になってほしいと政治が言う。古い憲法を変えやすくしようと言う。そして、数の力でにじり寄る。次はこちらが、言葉の力で押し返す番だ。2013・5・3

 

論説 :  憲法記念日/少数者の権利守る政治を(山陽中央新報)
http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=538664033&from=top

 日本国憲法施行から66年の記念日を迎えた。東日本大震災の被災地からは、復興完了の日に向けて、もっと力を注いでほしいという声が聞こえる。憲政本来の趣旨に立ち返り、被災者など少数者の権利を守る政治に期待したい。

 東日本大震災の避難者30万人は、まだ全国に散らばったままだ。東京電力福島第1原発事故処理と補償も先は長い。憲法25条ですべての国民に保障された「健康で文化的な最低限度の生活」を、しっかり思い起こさなければならない。

 思想・信仰・言論の自由や生命身体の安全などの基本的人権は、多数決によって奪われることがあってはならない。それが立憲主義の核心だ。

 近代憲法の先駆けとなった米国憲法の本文自体には、基本的人権の具体的定めがほとんどない。奪われることのない当然の権利であるから書き込む必要はないという思想に基づく。書き込むことによって、権力が逆に権利の制限に走るのではないかという懸念を、起草時に持ったからだ。

 日本国憲法の起草にあたって当時の占領軍当局は当初、改正手続きを定める条項(現96条)に、基本的人権についての改正を禁ずると書き入れようとした形跡がある。

 安倍晋三首相は、その96条の改正を今夏の参院選の争点に掲げる構えだ。96条では、憲法改正には衆参両院で各総議員数3分の2以上の賛成が必要。その後、国民投票を実施して過半数の承認が必要だ。これを議員の過半数の賛成があれば、国民投票にかけられるようにしたいという。

 まず改正の手続きから着手し、9条改正など改正につなげるという意図が見えるが、なぜ手続き論から入るのか。正面から9条の議論を行わないか、ふに落ちない気持ちでいる人も多いだろう。

 憲法草案をつくった米占領軍が日本人を信用せず、改正手続きを厳しくして、憲法を変えにくくしたのだ、という説を言う人もいる。

 果たして、そうだろうか。残された資料によれば、当初は国会の3分の2以上の賛成で提案し、国会の4分の3の承認、さらに条項によっては国民投票で3分の2の承認も得なければならないとされていた。

 それが最終的には現行96条のように「緩和」されたのは、日本人自身が自由に制度を発展させることができるようにするためだったのではないか。

 確かに、米国憲法の改正には連邦議会両院の3分の2以上、さらに4分の3以上の州議会の承認が必要などとなっており、日本国憲法の規定より厳しい。憲法制定のための帝国議会の審議でも、96条はほとんど問題にされなかった。当時、この程度のハードルは当然とみたのだろう。

 安倍首相は3分の1超の国会議員の反対で国民に改正を問えないのはおかしいというが、果たしてそうだろうか。この程度厳しいのは普通ではないか。改正手続きの改正には、慎重になるべきだという主張もある。

 多数決の限界はどこにあるかという点を問う意味で、96条問題は「主権回復の日」や復興問題とつながる。じっくり考えてみよう。

 

明窓 :  通用語と憲法記念日
http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=538663034

 島根県出身の文部官僚で、戦前の国語教科書(通称サクラ読本)を編集した井上赳(たけし)は、日本国憲法の文案作成に参加した人でもあった。義務教育に関する26条に、井上の提言が生きている▼すべての国民が(自分の子どもに)教育を受けさせる義務を負う、という部分で、childrenを「子女」と翻訳。新時代に合う言葉を選ぶバランス感覚が見える。とはいえGHQ起草の憲法には、全体として無機質な直訳による、たどたどしさも残った▼地方ごとに方言があり、明治の国家建設は「標準語」を定めるところから始まったこの国では、日常の通用語も「30年たつと一変する。若者が使う流行語が変えていくのである」(司馬遼太郎)。常に新しい言葉が時代を支えた▼その主役たる若者。テレビ番組で憲法について聞かれ「分からない」「変えてはならない」「時代遅れ」と答えていた。決して「興味なし」ではない、「分からない」の中にも「本当は分かった方が良いんだけど」の距離感がにじむ▼安倍晋三首相が「自主憲法制定」に意欲を燃やし、夏の参院選では主要な争点になるだろう。現行憲法は何を守っているのか、改憲すれば何が変わるのか、一気に議論が解き放たれ、現代人の感覚と通用語で論じられることになる▼明快な自国語で書くべきだという立場があり、内容を重視し言葉もそのままに手を触れないという立場もある。どちらの立場にあっても、未来を見通した、鋭いバランス感覚が試される。今日は「憲法記念日」。(裕)

 

'13/5/3
憲法の平和主義 たがを外してはならぬ(中國新聞)
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh201305030088.html

 戦後日本が国内外に示してきた平和主義の一大転機になりかねない。それでいいのか。

 政権が憲法9条の改正に向けた布石を打ち始めた。安倍晋三首相は、改正要件のハードルを下げる96条の改正を参院選の争点にすると意欲を見せている。

 憲法は前文で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言する。9条は1項で戦争放棄を、2項で戦力の不保持を定める。

 これに対し自民党は、野党だった昨春、改憲草案を新たに公表した。前文は全面書き換えした。9条では自衛隊を「国防軍」と改め、「自衛権の発動を妨げない」と規定する。自衛権は、現状では憲法違反とされる集団的自衛権を含むという。

 現実となれば、国のかたちが変わるといっていい。これだけの重要課題である。国会だけでなく国民の間でもしっかり議論することが不可欠だろう。

 確かに、自衛隊と日米安保体制の現状が憲法の文言と食い違っているのは、疑いようがない事実である。

 いまや日本は予算規模で世界5位の「軍事大国」だ。米国の軍事戦略を担うに等しい形で、自衛隊は海外派遣を重ねる。インド洋での米軍艦船などへの給油支援が、違憲と批判を浴びた。イラクでの空輸支援に至っては、名古屋高裁で違憲と判断された。

 「国を防衛するための必要最小限度の範囲」を超えなければいい、という政府の条文解釈は苦しい。自衛隊の位置付けを憲法ではっきりさせ、活動の実態にもそぐう文言に書き直そう―。改憲論のよりどころとなる考えだろう。

 とはいえ、憲法を生かした平和外交の積み重ねは重い。安易に変えるべきではない。

 国の最高法規として、憲法が目指すべき普遍的な理想を掲げていること自体は当然でもある。文言と現実が一致しないのは9条だけでない。

 それでも改正するというのなら、憲法がもたらしてきた「効用」をまずよく見つめ直すべきだ。空気のようで意識しにくいからといって、無視していいはずはない。

 日米同盟に傾斜しながらも、日本は独自の平和主義路線を歩み、国際的にも支持されてきた。9条という「たが」があってこそだろう。

 米軍と一緒になって海外で市民に銃口を向けたことはない。これまで、日本の対外的な信頼の源泉となってきたことは間違いない。米国や英国と違って国際テロ組織の標的とはなってこなかったことも、独自の平和憲法という「たが」の存在と無関係ではないはずだ。

 集団的自衛権に対する制約を取り除き、国防軍に改組すれば、同じようにはいくまい。

 軍拡に突き進む中国や北朝鮮に挑発行為を思いとどまらせるためだ、という議論もある。本当に外交努力に勝る決め手となるのか。そう簡単ではない。さらなる挑発の口実を与えるばかりだろう。

 憲法改正は基本的に、日本の国内問題ではある。ただ及ぼす影響は、その枠を超えて大きい。国際社会でどんな位置を占めたいのか。何が結果的に平和と安全に資するのか。落ち着いて議論を重ねるべきである。

 

天風録
'13/5/3
ほんそご
http://www.chugoku-np.co.jp/Tenpu/Te201305030087.html

「ほんそご」という出雲弁がある。世話を焼くのに駆けずり回るのが苦にならぬほど、かわいい子。奔走の子、から転じたらしい。産声が遠のいた昨今なら「子は宝」と地域挙げて見守る所もあろう▲将棋界の「出雲のイナズマ」、里見香奈さんが女流6冠すべての制覇まであと一つと迫った。地元の宝と、後援会の面々はテレビカメラに向かって褒めちぎる。「ほんそご」の出世を手放しで喜ぶ気分が伝わってくる▲出雲ではこのところ、20代の若者が相次いで頭角を現している。里見さんは21歳、23歳の男子テニスプレーヤー錦織圭選手は世界のつわものに伍(ご)する。とかく、ゆとり世代に付きまとう見方さえ塗り替えそうな勢いが、何とも頼もしい▲「どうしよう うちの子は天才児だ」。誰しもそんなふうに思ったはずが何年か後には変わる。「産んだのは確かに天使だったはず」。島根県が毎年募る家族の一言コンテスト「ことのは大賞」は、思い当たる節に満ちている▲子どもからは返り討ちの一矢も飛んでいる。「怒らんでよ、僕は宝物なんでしょ?」。はや連休も後半へ。家族サービスにいそしめば、わが子がまた再び「ほんそご」に見えてくる、かも。

 

【憲法の改正】時間をかけて考えたい(高知新聞)
2013年05月03日07時53分
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=302019&nwIW=1&nwVt=knd

 日本国憲法の施行から、きょう3日で66年になる。
 この1年で、憲法をめぐる環境は様変わりした。昨年4月に憲法改正草案を決めた自民党が政権に返り咲き、日本維新の会などを含め、改憲に前向きな勢力が議席を伸ばしたからだ。
 世論調査を見る限り、憲法改正を優先課題と考えている国民は少数にとどまる。だが、夏の参院選の結果によっては、改憲へと大きく踏み出す可能性がある。
 戦後日本を形づくってきた現行憲法は岐路に差し掛かっているといってよい。自民党草案について、平和主義、基本的人権の尊重などの基本原則を中心に考えてみたい。
 憲法前文に掲げた平和主義を具体化する9条について、自民党草案は自衛隊を「国防軍」と改め、集団的自衛権が行使できるようにする。「今の憲法解釈では集団的安全保障に参加できない」(中谷元・党憲法改正推進本部事務局長)との考えからだ。
 さらに草案Q&Aでは、「国防軍」による「国際平和活動」に関し、「集団安全保障における制裁行動でも武力行使は可能」とする。これまで歯止めがかかってきた「海外での武力行使」に道を開くことにつながる。
 9条改正によって、平和主義の変質は避けられない。改正論議をするのであれば、別途法律で定めるとしている「自衛権行使の要件」などをまず明確にすることが前提となるはずだ。
 基本的人権の尊重も変質する可能性がある。一例を挙げると、草案は集会や結社、言論、出版など表現の自由を保障するとしながらも、「公益、公の秩序を害することを目的とした活動と結社」を禁じている。
 一見もっともらしく映るが、「公益と公の秩序」の範囲ははっきりせず、誰が「害する」と判断するのかも分からない。国の政策に反対する活動などが規制の対象になる恐れがないとは言い切れまい。

権力の歯止め
 こうした人権への向き合い方の背景には、自民党が憲法という存在をどう捉えているのかがあるようだ。
 近代憲法の本質は「立憲主義」にある。憲法は国家の権力を制限して国民の自由や権利を保障するためにある、というものだ。「法律は国民を縛り、憲法は権力を縛る」ともいわれる。
 だが、自民党草案には「国家は人権に先立つ」とでもいえそうな考え方がにじみ出ている。「国民の義務」の強調も同様の発想からだろう。明治憲法は近代立憲主義という点では極めて不十分だったが、制定会議で伊藤博文は次のように述べている。
 「憲法創設の精神は第一に君権を制限し、第二に臣民の権利を保護することにある。臣民の権利を列記せず責任のみを記載するのであれば、憲法を設ける必要はない」
 国家の権力は乱用される恐れが常にある。憲法はその歯止めとなる重要な役割を担っていることを、国民一人一人が自覚する必要があるだろう。
 安倍首相は、国会が憲法改正を国民に提案する際の要件を緩和する96条改正を先行させることを、繰り返し表明している。まず改憲のハードルを下げた上で、9条改正などに取り組む狙いだろう。
 憲法は「不磨の大典」ではないが、自民党の改正草案は基本原則に深く関わる。時間をかけて考え、論議していかなければならない。

 

小社会
2013年05月03日07時48分
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=302018&nwIW=1&nwVt=knd

〈マッチ擦(す)るつかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや〉。青森県出身で俳人、歌人、劇作家、映画監督など、さまざまな顔を持っていた寺山修司の短歌の代表作だ。あす4日は寺山が47歳の若さで没して30年。

冒頭の歌は日本が戦後復興から経済成長に踏み出した1950年代後半、作者は20歳前後だ。もはや死語のようになっていた〈身捨つるほどの祖国〉という言葉に衝撃を受けた人は多い。宗教学者の山折哲雄さんもその一人だと、本紙の「灯(ひ)点(ともし)」で語っていた。

この自分にも身を捨てるほどの祖国はあるのか。その問いが一気に押し寄せ、「とっさに否定することも、確信をもって肯定することもできない自分が、そこにはいた」という。祖国、国とどう向き合うかは確かに難問だろう。

きょう3日は憲法記念日。憲法は国家や権力を縛り、個人の基本的人権を保障する。この国の主権者が国民だからだ。しかし最近の憲法改正議論では、「家族の尊重義務」など、逆に国家が国民の手足を縛るかのような案も出たりして首をかしげることも多い。

寺山の父は戦争末期に南洋で死んだ。歌には、国家のためと信じて身を捨てていった世代への思いがあろう。個人から国家への強烈な問い掛けともいえる。

きのうの本紙に、安倍首相の改憲志向が全開だとあった。国家と個人の関係―。難問で即答できずとも、じっくり考えてみる必要がありそうだ。

 

愛媛新聞は2本。5月1日の社説で立憲主義について書いている。
特集社説2013年05月03日(金)
道州制推進基本法案 あるべき地方分権論議が先だ(愛媛新聞)
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201305038399.html

 自民党は公明党と、道州制の導入手続きを定める道州制推進基本法案をまとめ、今国会への提出を目指している。
 道州制は都道府県を廃止し、全国を10程度の道や州に再編する構想。地方活性化に向け国の統治の仕組みを根本から変えるもので、地方分権の究極の姿とも言われる。だが、まだ詳細な形が見通せず、地方は国主導の「道州制導入ありき」の動きに反発している。国民も十分理解しているとは言い難い。
 拙速を避け、国と地方の役割をどう見直し、どんな国の形にしていくのか、導入の是非を含めた議論を尽くすことが必要だ。
 憲法92条には「地方自治体の組織および運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」とある。そもそも、この「本旨」とは何かを明確に示さなければ、国の都合のいいように法律をいじられかねない。
 自民党は昨年の衆院選公約に基本法制定後、5年以内の道州制導入を明記。法案骨子では、外交・防衛などを除く国の事務を道州に移し、基礎自治体に従来の都道府県と市町村の権限を併せ持たせるとしている。
 最も大事なのは、住民生活に直接関わる地域特有の行政需要に対し、地域の自治体が独自の裁量できめ細かい行政サービスを提供できる仕組みにすることだ。外交や防衛は国が担当し、内政は各自治体が行えるよう権限を適正に振り分けなければならない。
 道や州が国の出先機関と、行政の「中二階」とやゆされる都道府県とを単に統合する組織なら、自治権が制約される中央集権体制の温存であり、二重行政も残る。かえって非効率といえよう。全国知事会などが中央省庁の権益を維持したままでの論議進展に警戒感を強めるのは当然だ。
 2000年の地方分権一括法の施行で、自治体の裁量幅が広がった。とはいえ、財源は国からの補助金や地方交付税に依存しなければならない「三割自治」のままだ。財政格差の調整の仕組みや、さらなる強制合併への市町村の不安はぬぐえまい。
 効率化名目の「平成の大合併」で、愛媛県は70市町村から20市町に集約された。10年を経て国からの普通交付税は全体で20%減る見通し。行政サービス低下の危機に直面しているのが地方の実態だ。
 見逃せないのは憲法改正の発議要件を緩和する96条改正と絡めた動きだ。自民党は、「道州制改憲」を主張する日本維新の会などと、96条改正での連携を視野に入れる。道州制のあるべき姿の議論を先行させるのが筋だろう。
 地方自治に真の国民主権を具現化できるかどうか。これからの国と地方のありようを真剣に考えたい。

 

特集社説2013年05月01日(水)
96条改正 立憲主義の精神を捨てるな
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201305018350.html

 自民党の安倍晋三総裁が、憲法改正の国会発議要件を緩和する「96条の改正」を、参院選で争点化する意向を表明した。改憲政党の歴代総裁の中でも、憲法改正に強いこだわりを持つ安倍総裁の意志が前面に出た格好だ。
 夏の政治決戦で、潜在傾向にあった憲法改正問題が浮上することになる。すべての有権者が、この際「最高法規」の在り方について議論を深めることに異論はない。重く受け止めねばならない。
 ただ、改憲要件の議論を先行させることについては、違和感がぬぐえない。
 憲法の内容自体を議論する以前に、改憲のハードルを下げる手続きの是非を国民に問うのは本末転倒だ。改憲論者からも、96条改正には異論が続出している。姑息(こそく)な戦略と言わざるを得ない。
 国防軍創設を主張する安倍政権にとって9条改正は悲願であろう。天皇制の見直しなども視野に入れている。ならば参院選でも、9条を含めた改正案を堂々と最前線に押し出し、正面から国民の審判を仰ぐのが筋ではないか。
 現憲法の改正要件は「各議院の総議員の3分の2以上の賛成で国会がこれを発議」。対して自民党の改正草案では「衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が発議」となっている。
 「世界的に見ても改正しにくい憲法」が緩和の理由だ。
 しかし各国とも日本に比べ要件が緩いわけではない。米国は「両院の3分の2以上」「全州の4分の3の承認」、ドイツは「連邦議会・連邦参議院の投票総数の3分の2の同意」など。むしろ日本よりハードルは高いといえる。
 米国は6回、ドイツは58回の改正をしているが例えば米国では「大統領の3選禁止」などの「修正」だ。加えて、要件を緩和した改正ではないことも指摘しておきたい。
 言うまでもなく、立憲主義下での憲法は、個人の権利を保障するため国家権力を規制する最高法規だ。ゆえに国に数々の義務を課している。
 戦後レジーム(体制)からの脱却を目指す安倍総裁にとって、憲法は自らを縛る存在なのであろう。草案では「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と定める規定を追加した。
 憲法を尊重する義務を国民に課すこと自体、立憲主義からも憲法の理念からも遠ざかっているのではないか。時の政権の思惑によって簡単に改正できるようでは、もはや憲法とは呼べまい。
 国民が国家を監視するための法律であるからこそ、憲法には権力の安易な介入を防ぐための装置があるのだ。その意義を再認識したい。
 96条の改正は、憲法の精神の危機でもある。

 

特集 地軸2013年05月03日(金)
当たり前の幸福
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/chijiku/ren018201305038400.html

 東日本大震災の被災地に移り住み、被災者の痛みに寄り添う27歳の女性。尼崎JR脱線事故に遭い、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだ。「自分の経験が役立つならうれしい」▲
兵庫県出身で阪神大震災も経験した。休みの日には仮設住宅を訪ね、会話に花を咲かせる。「笑っていても、きっと落ち込むこともある。そんな時そばにいたい」。彼女が願うは心の復興▲
目に見える復興は歩みの遅さが歯がゆい。岩手県が今週発表した県民意識調査でも、実に72%が「遅れている」と回答。震災から2年以上たってなお、30万人以上が避難生活を強いられる。古里を遠く離れて暮らす人も少なくない▲
公営住宅を避難者に無償提供し、家賃を国が支払う応急仮設住宅。入居期間を3年までとする国の通知にもかかわらず、広島県の2市が途中で打ち切った。市民とのバランスを考えたという。痛みに寄り添おうとしない機械的対応を憂う▲
経済的不安や近隣への気兼ね…。避難者は複雑な思いを抱える。福島県から愛媛に避難した女性も、肩身の狭い思いをしている人の存在を明かす。「避難者かどうかの枠を超え、手を取り合って生きやすい場づくりを」。訴えが心に響く▲
被災者が明るい未来を描ける社会、ひいては、誰もが「当たり前の幸福」を希求できる社会へ。あらためて考えたい。きょう憲法記念日。

 

論説
「憲法記念日」国の姿を考える機会に(佐賀新聞)
http://www.saga-s.co.jp/news/ronsetu.0.2447046.article.html

 きょうは憲法記念日。1947(昭和22)年に新憲法が施行して66回目になる。昨年末に政権に返り咲いた自民党は憲法改正を掲げ、自衛隊の「国防軍」化などを唱えている。野党も改憲に積極的な勢力が増え、憲法をめぐる政治状況は転換点を迎えた。

 安倍晋三首相は夏の参議院選挙で争点にする方針で、まず憲法改正の手続きを示した96条改正を提唱している。現行の条文では、衆参両院とも議員の3分の2以上の賛成で発議し、その後の国民投票で過半数の賛成を得れば承認される。

 それを一般の法律と同様の過半数にする。首相は「国民の6、7割が変えたいと思っても、3分の1を少し超える議員が反対すれば指一本触れられないのはおかしい」と述べている。発議のハードルを下げ、最終判断は国民投票に委ねようとの考えだ。

 日本世論調査会が4月に実施した面接調査によると、憲法改正に賛成する議員が衆参両院でそれぞれ3分の2以上を占めて、改憲の発議が可能になるように望む回答が65%に達した。護憲か改憲かで激しく対立したころに比べ、世の中は柔軟になったと言えそうだ。

 憲法は国民主権と平和主義、基本的人権の尊重が柱になっている。議会制民主主義が社会に根付き、個人として幸福を追求する生き方が保障されるようになったのは、憲法がもたらした成果だろう。戦後67年がたって、自衛隊に対する理解が広まり、国際貢献活動も可能になった。

 これまでに拡大した現実とのずれを修正し、新たな社会的課題を盛り込んだ憲法にしようというのは、一定の理解を得ると思われる。1990年代から各種世論調査で改憲支持が多数派になったのも、そうした社会の安定を受けての変化ではないだろうか。

 自民党は昨年4月に憲法改正案を発表している。主な改正点では、天皇を「日本国の元首」とし、自衛隊を「国防軍」にした。9条は「戦争放棄」の条項を残すものの、「自衛権の発動を妨げるものではない」と、集団的自衛権行使に道を開いている。

 首相は96条改正を先行させる方針だが、党案の実現が狙いだろう。昨年末の衆院選で自民党は安定多数を握った。保守系野党の協力があれば、3分の2を超えることができる。現在は経済政策を優先させているものの、参院選で基盤を固めて、次の課題に上らせるのは確実だ。

 日本維新の会は公約で自主憲法制定を明記、首相公選制や参院廃止などを掲げている。自民党とは改憲条項の違いがあるものの、96条改正も主張しており、参院選の結果によっては、発議の要件を満たす政治状況が生まれる可能性が強まる。

 改憲をめぐる論点は幅広い。新たに環境権やプライバシー権、道州制をうたうべきとの主張もある。占領軍の押しつけとして直訳調の文章を問題視する議論も続いている。ただ、現状では政党の動きに比べて国民的な議論は不足している。

 憲法は国のあり方を規定している。国民主権など3原則はもはや揺るがないと思われるものの、アジアには軍事優先で国民を窮迫させ、言論の自由などを奪っている国がある。日本がどういう社会を目指すのか、憲法記念日を機に考えたい。(宇都宮忠)
2013年05月03日更新

 

有明抄
憲法記念日
http://www.saga-s.co.jp/news/ariakesyou.0.2447047.article.html

 「日本の読者は智恵と言葉を基調とする笑いを誠実に希求し、(中略)悩みを解決する手段として永久にこれを保持する。前項の目的を達するため、立ち読みはこれを認めない」◆この文体にピンとくる人は多いはずだ。いうまでもなく憲法9条のもじりで、清水義範さんの『騙(だま)し絵日本国憲法』(集英社文庫)の惹句(じゃっく)である。本編には「21種のバージョンによる前文」など、パスティーシュ(パロディー)の名手による憲法を素材にした傑作が並ぶ◆ただ、笑いの域にとどまってはいない。多彩な技法を駆使した柔らかな考察が憲法の本質や矛盾を浮かび上がらせる。取り付きにくい話も、身近なところに引き寄せることで見えてくるものがある。教育問題などに提言も多い作者の、それが主眼だろう◆きょうは憲法記念日。現行憲法の施行から66年目の今年は、憲法をめぐる情勢がこれまでとは異なるなかで迎えた。安倍首相は国会での改憲案の発議要件を緩和する96条改正を主張し、自民党や野党の一部から憲法改正の是非を夏の参院選の争点にという発言が相次いでいる。そんな動きに抗し、今こそ護憲をと訴える声も強い◆それぞれの憲法観を尊重するが、憲法論議をタブー視することはない。国の規範はどうあるべきか-。国民が身近なテーマとして考えることが「論憲」の前提だ。(善)
2013年05月03日更新

 

社説
5月3日付  憲法施行66年 上   立憲主義の意義考えよう  (徳島新聞)
http://www.topics.or.jp/editorial/news/2013/05/news_13675437553517.html

 6、7割の国民が変えたいと思っても、国会議員の3分の1を少し超える人が反対したら指1本触れられないのはおかしい-。安倍晋三首相はそう語り、憲法改正の国会発議要件を緩和する96条改正を夏の参院選の争点にする意向を表明した。

 国の在り方を定めた最高法規である憲法が選挙で真正面から問われることになりそうだ。有権者が憲法を考えることは重要である。

 自民党は、現行の憲法が連合国軍総司令部(GHQ)の草案を基に作られ、改正が必要なのに世界的にみても変えにくいとして、改正手続きを定めた96条の改正案を今国会に提出することを模索している。

 96条は、衆参両院とも総議員の3分の2以上の賛成で発議し、その後の国民投票で過半数の賛成を得れば承認されるとしている。自民党案は発議要件を両院とも過半数に緩和する。発議のハードルを下げ、憲法9条などの改正につなげたい考えだ。

 冒頭の首相の発言には疑問を感じざるを得ない。国会議員は国民の代表なのに3分の1がそれほど重みのない数字なのか。これまで憲法が変えられなかったのは、国民の強い要求がなかったからではないのか。

 日本の憲法がとりわけ変えにくいかというと、そうではない。

 米国では上下両院の出席議員の3分の2以上の賛成で発議し、50州のうちの4分の3以上の州議会で承認される必要がある。韓国では国会の3分の2以上の賛成で、国民投票の過半数の賛成が必要。ドイツは連邦議会、連邦参議院のそれぞれ3分の2以上の承認がいる。

 日本をはじめ多くの国の憲法は、権力から国民の権利を守るためにあるとした立憲主義に基づく。96条の改憲要件が一般の法より厳しいのは、時の権力によって都合良く変えられないようにするためだ。それ故、改憲のハードルを下げることに自民党や公明党の中にも反対や疑問の声があるのは当然だろう。

 憲法のどこをどう変えようというのか。選挙で改憲要件を問うなら、内容も問うのが筋ではないか。

 憲法で最大の論点となってきたのが9条だ。改憲派は軍備を持てるように明記したり、自衛隊を条文に位置づけたりすることを求めている。自民党は「国防軍」とする方針で、石破茂幹事長は徳島市でも必要性を訴えた。

 政府は、国家固有の権利である自衛権を行使する程度の「最小限度の実力」保持は憲法で許されるとの解釈に立っている。一方、同盟国に武力攻撃があった場合、自国が直接攻撃を受けていなくても実力で阻止する集団的自衛権は「最小限度の範囲を超える」としている。

 この集団的自衛権を憲法上、どう位置づけるかも焦点だ。自民党の改正草案では集団的自衛権の行使を前提としている。これに対し、護憲派は「戦争を繰り返してはならない」などとして改正に反対している。

 自民党の草案は国民の責任や義務を前面に出しているのも特徴だ。野党にも憲法の各所の改正を求める議員は多い。96条改正に続いて今後、次々と提案される可能性もある。

 憲法が施行されてきょうで66年を迎えた。あらためて立憲主義と憲法の意義を考えたい。

 

鳴潮
5月3日付
http://www.topics.or.jp/meityo/news/2013/05/13675437736378.html

 身近過ぎて気が付かない。空気のような存在とは、あって当たり前、普段ありがたみを感じないけれど、ないと困るといったものだろう。山や川、祭りや風習の良さも外から来た人に教えられて分かることが多い

 施行から66年もたてば、憲法も空気のようになっているのかもしれない。「身近ではないよ」と言われそうだが、それは六法全書の中だけにあるのではない

 自由に物が言えるのも、住む所や仕事を自由に選べるのも、選挙で投票できるのも憲法のおかげ。難しい言葉で言えば「人間の権利・自由をあらゆる国家権力から不可侵のものとして保障する規範」(芦部信喜著「憲法」岩波書店)というわけだ

 その憲法を改正しようという声がまた大きくなってきた。国民のものだから大いに議論して決めればいい。ただ変えやすくするため、まず96条の発議要件を緩めるというのはいかがなものか

 空気のようであっても、憲法が守っているさまざまな人権は自然にできたわけではない。次の97条は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」とし「過去幾多の試練に堪え」てきた「侵すことのできない永久の権利」だと宣言している

 しかし私たちがそれを手にするには、先の大戦で300万人以上もの尊い命が奪われなければならなかった。その犠牲の上に憲法がある。記念日のきょう、あらためて深く胸に刻みたいことだ。

 

社説
憲法記念日 96条の前に語ることがある 2013年05月03日(熊本日日新聞)
http://kumanichi.com/syasetsu/kiji/20130503001.shtml

 きょうは憲法記念日。日本の憲法は施行から66年を迎えた。その間、内容は一度も変更されず平和国家の礎となってきたが、ここにきて憲法改正の国会発議要件を定めた96条緩和の論議が高まっている。安倍晋三首相が今夏の参院選で96条改正を争点にする意向を表明したためだ。

 96条の要件を緩和すれば、憲法は変えやすくなる。安倍首相に、発議のハードルをまずは下げ、「国防軍の保持」などを盛り込んだ自民党憲法改正草案の実現につなげようとの考えがあるのは明らかだろう。憲法の一条文を問題にしているように見えて、事実上、国の「最高法規」の在り方を問う選挙となろう。

■「数の力」と民意

 安倍首相は「6、7割の国民が憲法を変えたいと思っても、3分の1を少し超える議員が反対すれば指一本触れられないのはおかしい」と、96条改正を目指す理由を述べる。現状は衆参両院とも総議員の「3分の2以上」の賛成が国会発議には必要だが、自民党は両院とも「過半数」に緩和すべきだとの主張だ。

 発議要件緩和には自民党と日本維新の会、みんなの党などが賛成しているため、参院選で3分の2以上の議席を取れば96条改正は実現に近づく。だが、その議席数がイコール、「96条改正に賛成」の民意となるのか。最終判断は国民投票だが、そこに至る過程でも民意を踏まえた議論が求められる。国の根幹を成す憲法の改正である。国会の「数の力」だけで押し切っていいものではない。

 こんな数字がある。共同通信が4月20、21日に実施した世論調査によると、96条の要件緩和について「賛成」は42・7%で「反対」の46・3%を下回った。同じ調査で安倍内閣の支持率は72・1%。高い“安倍人気”とは別に、96条改正には慎重な姿勢がうかがわれる。

■問題の矮小化

 96条改正で足並みをそろえる3党だが、その先に目指すものはバラバラだ。自民党は自衛隊の国防軍化などが主眼にある。維新の会は「道州制改憲」を掲げ、みんなの党は「一院制」や「首相公選制」。それぞれ方向性が異なるのに、96条改正の一点では一致していることに違和感を覚える人も多いだろう。

 そもそも、日本の憲法改正要件はそんなに厳しいのか。米国は連邦議会両院の3分の2以上の賛成が必要で、その上で4分の3の州議会の承認が要る。ドイツも両院の3分の2以上の賛成を要件としている。日本が特別というわけではない。

 ところが、米独両国は何度も憲法を改正してきた。彼我の違いは何だろうと考えれば、ひとえに、憲法改正の必要性に国民が納得するか否かにあるだろう。そこには膨大な政治的エネルギーを必要とする。その努力をせずに、96条改正に“活路”を見いだそうとするのは、憲法問題を矮小[わいしょう]化するものではないか。

 憲法改正をめぐる論議でよく聞かれるのは「押しつけ」との批判や、「時代に合わなくなった」との指摘だ。現憲法は占領下で制定され、連合国軍総司令部(GHQ)の草案が下敷きになった。そこから押しつけとの見方が出てくるが、肝心なのはその中身だ。憲法は定着して長い年月を経ている。制定の過程をことさら問題視する考え方は、国民の多くに共有されているだろうか。

 では「時代に合わなくなった」と言えるのか。そうした見解の背景には、北朝鮮の威嚇的行動や沖縄県・尖閣諸島での緊張の高まりがある。安全保障の面から現憲法の問題点を指摘する声は以前から脈々とあったが、波乱含みの東アジア情勢が改憲論者の声を大きくしている。憲法を「新しい時代に合わせる」という主張の照準は主に、平和条項を盛り込んだ9条に当てられている。

 現憲法は戦争放棄と戦力不保持、交戦権の否定をうたう。一方、自民党憲法改正草案は戦争放棄の文言は残しながらも「国防軍の保持」を明記。「自衛権の発動を妨げない」と記述した。この自衛権には「集団的自衛権を含む」との解釈だ。

■平和主義の原則

 自衛隊は「最小限度の実力」保持という9条の拡大解釈に位置付けられ、集団的自衛権は「最小限度の範囲を超える」との解釈から禁じられてきた。そんな安全保障の基本的枠組みが憲法解釈で定義されているということは、解釈次第で変更できるということでもある。平和主義の基本原則の中、今のままがいいのか。きちんと憲法に盛り込むべきか。自衛隊か国防軍か。集団的自衛権は認めるべきか。そうした骨太の議論こそが96条の前に語られるべきだ。

 安倍首相が主導する96条改正は、背後に国家像を変えるほど大きな問題をはらんでいる。そのことだけは肝に銘じておきたい。

 

新生面
5月3日付 2013年05月03日
http://kumanichi.com/sinseimen/201305/20130503001.shtml

 黄色いカバーのランドセルが前を駆けていく。朝の通学路。「おはよう」とあいさつを交わす。それぞれ進級した子どもたちは、ひとまわり大きくなった。若葉にも負けない成長ぶりに目を見張る▼「みなさん、あたらしい憲法ができました」と、1947年に刊行された文部省の教科書は書き出す。「じぶんの身にかかわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです」。誕生したばかりの憲法を、当時の子どもたちはどう受け止めたのだろう▼最近は「時代遅れ」だとか、「日本をだめにした元凶」などと批判される。平和を守る盾として頼りにされた時代もあったが、寄る年波には勝てないのだろうか▼戦後生まれの団塊世代と同年齢。「最高法規」として、背筋をぴんと伸ばしてきた。過半数で決まる法律と違い、96条で定めるように改正手続きのハードルは高い。これを真っ先に骨抜きにしたら、国の箍[たが]も外れてしまわないか▼次の狙いは「戦争の放棄」を明記した9条だろうか。「専守防衛」の自衛隊を国防軍に改め集団的自衛権の行使を、と勇ましい声も。国内外で多くの命が犠牲になった反省を忘却の海に沈めてしまってはいけない▼高度成長、冷戦終結、イラク戦争と、寄せては引くように改憲論議も浮き沈みしてきた。今回は隣国との軋轢[あつれき]もあって波頭は高い。自分に関係ない、では済まされない。きょうは「憲法記念日」。次の時代を担う子どもたちを真ん中に置いて考えたい。

 

社説
憲法記念日 ご都合主義的改正は許されぬ(西日本新聞)
2013年5月3日 10:35 カテゴリー:コラム > 社説
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/361692

 すべての法律は必要に応じて改正できる。これは最高法規である憲法も同じだ。日本国憲法96条には、その改正要件が明示されている。

 手続きにのっとり、国民多数の意思を正確に反映する形ならば、自由に改正できるのは法治国家の理でもある。

 もちろん、前提となるのは条文の中身をめぐる徹底した国民的議論だ。

 今、自民党を中心に9条など個別条文の議論に先行し、憲法改正手続きを示す96条の改正案が浮上している。改憲発議に必要な衆参総議員の「3分の2以上の賛成」を「過半数の賛成」に変え、改正を容易にするのが狙いだ。

 「多くの国家が何度も改正をしている」「一度もしていない日本はおかしい」といった理由でハードルを下げようというのだが、本末転倒ではないか。スポーツに例えれば、確実に勝つためにまずルールを自らに有利にしよう-というご都合主義的発想にも映る。

 憲法改正が必要というなら、手続きではなく、日本の国のあり方に関わる当該条文を正面から掲げ、堂々と国民的議論の俎上(そじょう)に載せるべきである。

 よほど改正手続きが不合理なら別だが、諸外国(米国=上下院の3分の2以上の賛成、ドイツ=連邦議会、連邦参議院の3分の2以上の賛成)と同程度の関門にすぎない。逆に憲法改正がそれだけ重いことの証左でもある。

 政治の場でかつてないほど憲法をめぐる発言が飛び交う状況で迎えた、今年の憲法記念日。私たちは、まず96条から改正すべきだとの主張には、反対する姿勢を明確にしておきたい。

■国家優位の発想が

 自民党は憲法改正を綱領に掲げ、前の安倍晋三政権時代に改正に向けた国民投票法を成立させた経緯がある。経済政策が注目される安倍政権の究極目標は、憲法改正にあると言っていい。

 自民党は野党時代の昨年4月、96条改正を盛り込んだ「日本国憲法改正草案」を発表した。今後、安倍政権は参院選の結果をにらみ、草案を軸に改正に向けた動きを強めるとみられる。

 草案は、憲法9条に新たに「国防軍保持」を明記。これにより集団的自衛権の発動を可能にしている。

 同時に「天皇の元首化(天皇を戴(いただ)く国家)」「国旗・国歌の明文規定化」「家族の役割の明記」など「伝統」の強調のほか、人権が制限される例外規定として「公共の福祉」に代えて「公の秩序」を置き、同時に「国民の権利」に加え「義務」を明記した。

 おおむね、「米国に押し付けられた」現憲法を改正し(1)自衛隊を「軍」として位置付け直す(2)現憲法で弱められた天皇や国、社会単位としての家族の役割を強化する(3)「行き過ぎた」人権重視の考え方からの転換を図る-というのが草案の骨子、精神ではないか。

 安易に「国家主義的」「復古調」と決め付けるつもりはない。しかし、明らかに人権に対し現憲法より抑制的であり、個人に対し国家の優位性をより幅広く是認する発想がうかがえる。

■民主主義の価値

 私たちは、憲法9条について、自衛隊の存在と「軍備不保持」の条文が矛盾するのは認める。だが9条がもたらした軍産複合体出現の抑制、アジアを中心とする諸外国に与えてきた「平和国家」のイメージなどのプラス面と突き合わせながら、改正に関しては慎重に扱うべきだと考える。

 また現行の象徴天皇制は国民に根付いていると判断する。さらに「家族の助け合い」明文化について、家族の絆が大切であることに異論はないが、背景に家父長制をたたえる考えがあるなら、多様な家族のあり方を認める社会の流れに逆行しかねないと危惧する。

 「公共の福祉」の文言を、治安維持を大義にして「公の秩序」に安易に置き換える考えには反対する。「公」は時として「国家」にすり替えられ、民主主義の根幹を成す「言論の自由」の制限にもつながりかねないことは、過去の歴史が証明するところだ。

 環境権、子どもの権利の明記など、国民の基本的人権を伸長、深化させる方向での見直し論議は当然だが、戦勝国・米国の力が働いたとはいえ、日本国民が大きな犠牲の末に得た民主主義の価値を否定する方向での改憲論には、私たちは決してくみしない。

 自民党憲法改正推進本部側による憲法草案の説明資料には「失われた20年」と呼ばれる日本の経済停滞の原因が現行憲法にある-といった記述まで見受けられる。中央集権や官僚制度など統治機構の検証を欠いた一面的な改憲論は、粗雑のそしりを免れない。

 同草案をめぐる自民党内の論議では、ベテラン議員から96条について、改正の発議要件を「過半数ではなく5分の3に」という慎重意見も出たが、他党との連携をにおわす強硬派に結局押し切られた形になったともいう。

 各条文にわたる憲法改正を、96条改正を突破口に一気にやってしまおうという発想が自民党側にあるとすれば、あまりにも乱暴過ぎはしないか。

 憲法は法律の源であり、国のあり方の根幹を成す。時の政権党の勢力枠にとどまらない幅広い国会議員の支持を求め、3分の2以上の賛成を改正発議要件とした96条は極めて合理的だ。

 安倍首相と自民党には後世に禍根を残さぬよう慎重な対応を求めたい。

=2013/05/03付 西日本新聞朝刊=

 

「もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう・・・
2013年5月3日 10:35 カテゴリー:コラム > 春秋
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/361693

「もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまち倒れてしまうでしょう。国を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です」

▼現行憲法が施行された1947年に文部省が作った「あたらしい憲法のはなし」の一節だ。中学1年の社会科教科書に使われた。21世紀最初の年の2001年、出版社の童話屋が文庫本サイズで復刊した

▼柱ということでいえば、柱が堅固な家は外観が古くなっても家は傾かない。憲法という柱が堅固な国はどんな困難に遭っても国としての構えは傾かない。憲法には、国の仕事をする政治家や役人は憲法を守る義務がある、と書いてある

▼安倍首相は柱の造り替えを検討中。憲法改正の発議に必要な「衆参両院の各3分の2以上の賛成」(96条)を、「過半数」でいいようにまず改正しよう、と夏の参院選で国民に訴える方針

▼驚いた人には改憲派も含まれる。自民党改憲派の指南役だった小林節慶大教授もその一人。複数のメディアに登場して「改憲は憲法に従って正々堂々とやるべきだ」。憲法に縛られるべき当事者が改正要件を緩めるのは「まるで裏口入学のよう」とも

▼改正について「あたらしい憲法のはなし」は生徒にこう教えていた。「憲法はいちばん大事なものですから、これを変える手つづきは、げんじゅうにしておかなければなりません」。今の子どもたちにはどう教えたらいいのだろう。

=2013/05/03付 西日本新聞朝刊=

 

憲法記念日(宮崎日日新聞)
2013年05月03日
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?blogid=5&catid=15

少数意見と96条を考えよう

 夏の参院選を前に憲法改正論議がかまびすしい。安倍晋三首相は、改正に必要な衆参両院で各総議員数3分の2以上の勢力確保を目指し、同時に発議要件を緩和するため96条の改正を争点に掲げる方針を明らかにした。

 なぜ、96条改正の必要があるのだろうか。国会議員の3分の1を超える反対で国民に改正を問えないのはおかしいと安倍首相は主張するが、少数者の権利についてあらためて考えてみたい。

■憲政の趣旨忘れるな■

 4月28日の「主権回復の日」は、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し第2次世界大戦後の連合国による日本の占領統治が終わったことを記念して、政府が式典を開催した。ところが講和条約調印で切り捨てられ、米国政権下に置かれ続けた沖縄はこの日を「屈辱の日」と呼び、強い抗議の声を上げた。

 同じく少数者の声は東北地方からも聞こえてくる。東日本大震災の避難者30万人は今も全国に散らばったままだ。東京電力福島第1原発事故処理と補償もなかなか先が見えない。そんな人たちの声を忘れていいはずがない。

 政府は復興が終わる日に向け、もっと力を注ぐべきだ。憲法25条ですべての国民に保障された「健康で文化的な最低限度の生活」をしっかりと思い起こしたい。

 少数者の権利が忘れられ、多数者の声だけがまかり通るのは、憲政の本来の趣旨ではあるまい。

 思想・信仰・言論の自由や生命身体の安全など基本的人権は多数決によって奪われることはない。奪ってはならない。それが立憲主義の核心だ。

■9条の改正は明らか■

 安倍首相が唱える96条改正は、議員の過半数の賛成で憲法改正を国民投票にかけられるようにするというものだ。まず改正をやりやすくして、9条改正などの本丸へという意図は明らかである。

 憲法草案をつくった米占領軍が日本人を信用せず、改正手続きを厳しくして憲法を変えにくくしたのだ、という説を言う人もいる。

 だが残された資料によると、当初は国会の3分の2以上の賛成で提案、国会の4分の3の承認、さらに条項によっては国民投票で3分の2の承認も得なければならないとされていた。

 それが、最終的には現行の96条のように「緩和」されたのは、日本人自身が自由に制度を発展させることができるようにするためだったという。

 現行の96条は果たして厳しいのか。日本国憲法制定のための帝国議会の審議では、96条はほとんど問題にされていない。この程度のハードルは当然とみたのだろう。改正手続き規定の改正は許されないとする説が有力だという指摘もあるほどだ。

 単純に多数決で決めていいことの限界はどこにあるかという点を問う意味で、96条問題は「主権回復の日」や復興問題とつながる。

 

くろしお
青い山脈と憲法記念日
2013年05月03日
http://www.the-miyanichi.co.jp/contents/index.php?blogid=5&catid=14

 「ああ、恋しい恋しい」と書くところを間違って「ああ、変しい変しい」とした偽ラブレター。珍妙な逸話が有名な小説「青い山脈」(石坂洋次郎著)を久しぶりに読み直した。

 ヒロインの教師・島崎に対して学校医の沼田が熱弁をふるう場面がある。「新しい憲法も新しい法律もできて、日本の国も一応新しくなったようなものですが、しかし、それらの精神が日常の生活の中にしみこむためには、五十年も百年もかかると思うんです」。

 きょうほど、改憲と護憲の波間でたゆたう状況の中、迎えた憲法記念日は過去なかっただろう。仕掛け人は安倍首相。わが国のトップリーダーである。「昭和憲法は占領軍が作った。私たち自身(国民)の手で新憲法を作る」と意気込む。

 一方の護憲派も、ここにきて動きを活発化させている。社民、共産といった護憲を党方針の根幹とする野党以外からも改憲の発議要件を定める96条の堅持を決定するところが出てきた。内部で意見の割れる民主だが、海江田代表は96条を緩和することには慎重だ。

 彫刻家への断りなく第三者が、その作品を削ったり、付け足したりすることはあり得ない。だが、憲法は世代を超えて、受け継がれる国民のためのルールだ。形を変えるか、変えないか。まずは議論の俎上(そじょう)に載せて、熟慮に熟慮を重ねたい。

 作家・石坂が登場人物の学校医に語らせた言葉通りだ。施行から66年。憲法は今に至っても浸透していない。偽ラブレターには「悩んで」を「脳んで」と間違う箇所もある。大きな岐路。国民みんなが脳を働かせ、悩み抜くべき局面である。

 

社説
許すな96条改正(八重山毎日新聞)これが5月3日の最新。
2013年5月1日
http://www.y-mainichi.co.jp/news/22371/

加速する改憲の動きに歯止めを

■参院選の争点に
 ゴールデンウイークが始まり、各行楽地は子どもたちの歓声でにぎわっている。後半スタートの3日は66回目の憲法記念日だ。その今年の憲法記念日は、例年以上に護憲派が危機感を募らせている。それは改憲派の安倍晋三首相の再登場で憲法改正の動きが加速しているからだ。

 先日の参院予算委員会で安倍首相は以前から主張している憲法改正の発議要件を緩和する96条改正を、7月の参院選で自民党の政権公約に掲げて堂々と戦う姿勢を改めて表明した。 
 96条は「憲法を改正するには衆参でそれぞれ3分の2以上の議員の賛成が必要」とうたっており、安倍自民党政権はこれを過半数の2分の1に改め、武力放棄の9条など改憲のハードルを大きく下げようとするものだ。
 これには維新の会、みんなの党も同調しており、衆院では昨年12月の総選挙の結果、既にこの3党で発議要件を満たす3分の2以上の360議席余を確保、自民単独でも約6割の294議席を確保している。
 連立与党の公明は「参院選の争点になるほど論議は熟していない」と96条改正に慎重姿勢だが、参院選の結果によっては制定後初めて改憲が具体的な日程に上る可能性は高い。

■安易な緩和で暴走
 しかも戦争を知らない政治家が大多数を占め、右傾化が加速する中で改憲の可能性は決して低くない。危機感を感じずにいられない。
 しかしなぜこうも改憲に突っ走るのか、非常に違和感を覚える。それは東日本大震災や福島第一原発事故からの復旧・復興をはじめ尖閣や竹島の領土問題や靖国参拝などをめぐって悪化する日中・日韓関係の改善、景気回復などその以前に政治が力を入れるべき課題が山積しているからだ。
 安倍政権としては、今が民主の一部を加え改憲勢力結集のチャンスととらえているのだろう。しかも民主政権の反動で高支持率を維持、勢いづいている。逆に言えばそれだけ暴走が怖い。

 96条改正に対しては日弁連も反対の意見書を提出した。それは憲法が国家権力の乱用や暴走を制御する国の基本法であり、だからこそ改正には96条で3分の2以上賛成の厳しい縛りをかけている。それが安易に緩和され、時の権力によって簡単に次々と憲法改正となれば国家は戦争へと暴走し、気づいた時には国民がひどい目に遭っていたということになりかねないからだ。

■怒りに包まれた4・28
 ゴールデンウイークの4月28日、沖縄は激しい怒りに包まれた。それは沖縄が「屈辱の日」とするサンフランシスコ講和条約発行のこの日、政府主催の「主権回復式典」が沖縄の強い反対を無視して強行されたからだ。
 沖縄は日本で唯一、凄惨(せいさん)な地上戦の戦場となり、戦後は米軍の施政権下で苦しみ、72年に日本国憲法のもとに復帰したものの、戦後70年近くも一貫して広大な米軍基地を押し付けられるなど差別的な扱いを受け、憲法の恩恵を十分に享受していない。それだけに平和や憲法への思いはなおさら強い。
 それが普天間の県外移設、オスプレイ配備反対の県民の声を全く無視したまま突然、主権回復式典を強行したのだから怒りは当然だろう。
 しかも同式典は憲法改正への地ならしが狙いとされ、安倍政権は北朝鮮や中国脅威論を大義名分に着々布石を打っている。ゴールデンウイークも平和あってこそだ。憲法記念日を前に96条の持つ意味と改正の脅威を考えたい。

 

不連続線
地域の象徴の一つに「旗頭」がある。各地域に…
2013年5月3日
qhttp://www.y-mainichi.co.jp/news/22384/

 地域の象徴の一つに「旗頭」がある。各地域に数々の伝統的な旗頭があり、豊年祭の中心を飾っている▼先日、竹富町古見の旗頭が約50年ぶりに復元された。以前の旗頭は過去の大型台風で保管していた公民館ごと壊れ、残っていたのは公民館名と紋章が入った旗のみ。それを地域の長老・仲本芳雄さん(88)の記憶を頼りに復元したという▼復元したのは、古見出身の新盛一雄さん(58)、和枝さん(63)、基代さん(61)の3兄弟。一雄さんの「古見にも昔は旗頭が在った」という幼少期の思い出と「父が作った旗頭を復元したい」という強い思いが復元を思い立たせた▼長老の仲本さんの記憶を頼りに他の旗頭を見たり、インターネットで調べたり、試行錯誤の末の復元だったようだが「自分なりに昔の旗頭に似せてできたと思う」と一雄さん。地域住民に披露し、約50年ぶりに地域で立てられた旗頭に「感無量」の喜び▼古見では10月の「十五夜祭り」で旗頭の奉納と綱引きを行うのが古くからの伝統。旗頭の復元で公民館では、十五夜祭りの伝統も復活させ、地域の結束を図るという▼太陽をあしらった旗頭に「五風十雨」の旗文字と公民館の紋章がたなびく旗頭。新しい地域の象徴として永く引き継がれ、古見集落の伝統を背負っていくことだろう。(下野宏一)。

 

社説
[憲法記念日] 「改憲ありき」で先走ってはならない(南日本新聞社)
( 5/3 付 )
http://373news.com/_column/syasetu.php?ym=201305&storyid=48214

 今年の憲法記念日は、安倍晋三首相が改憲の旗を振るなかで迎えた。

 「日本国憲法は占領時代にできた」「自衛隊を国防軍に位置づける」。首相発言の数々に危うさを感じる人は少なくあるまい。

 首相は6年前の参院選で大敗した。再登板の今度は7月の参院選まで「安全運転」に徹し、衆参の「ねじれ国会」を解消してから改憲にかじを切る。

 そんな予想に反して早くもアクセルを踏み込んだ。高い支持率に自信を深めたのだろう。野党分断の思惑も指摘されている。いずれにしろ、真意を隠したまま国民の審判を仰ぐよりはいい。

 憲法は66年前のきょう施行されてから、一字一句変えていない。見直すところ、守り抜くところ、さまざまな意見が出てくるのはもっともである。

 大切なことは、何をどう変え、変えたらどうなるかを、主権者である国民が十分に理解しておくことだ。国民的な議論をなおざりにして、「改憲ありき」で先走ってはならない。

 南日本新聞社が先月実施した県民世論調査で、憲法を変える必要があるとの回答は6割を超えた。ただ、憲法9条改正は賛成、反対とも過半数に届かなかった。

 改憲で最も影響を受けるのは国民自身である。一人一人があらためて憲法の役割を考えたい。

 ■本末転倒の96条改正

 北朝鮮の核とミサイル開発や、尖閣諸島周辺で激化する中国の挑発に直面するなか、9条改正で基本的に一致するのが自民党と日本維新の会、みんなの党だ。

 しかし、自民と連立を組む公明党は慎重で、民主党と生活の党は態度がはっきりしない。共産党、社民党は護憲を訴える。

 衆参両院の憲法審査会は3月から審議を再開したが、9条に限らず個別の改憲項目になると、途端に各党の隔たりは大きい。

 二院制は民主、公明、共産が評価し、日本維新、みんなは一院制を主張、自民には両論がある。与野党の枠を超え、議論は入り乱れているのが現状だ。

 具体論が生煮えのなか、首相は憲法改正の発議を定めた96条改正を参院選の公約に掲げる方針だ。日本維新とみんなも同調する。

 96条は発議要件を「両院の3分の2以上の賛成」と定める。首相は「国会議員の3分の1を少し超える人が反対したら、指一本触れられないのはおかしい」と、批判を繰り返す。そうだろうか。

 第2次大戦後、一度も改憲しない日本に対し米国は6回、ドイツにいたっては60回近く修正した。米独とも発議要件は「両院の3分の2」だ。日本だけ特別なのではない。

 先進国の憲法が一般の法律より厳しいルールを設けているのは、国家権力を制約して、国民の権利を守るのが憲法の役割だからだ。権力がルール変更を主導するのは本末転倒である。

 改憲のハードルを下げ、次に何を目指すのか。集団的自衛権行使の容認に前のめりの首相だ。9条を考えているのは確かだろう。

 9条が容認するのは個別的自衛権だけで、集団的自衛権は国際法上は有するが「必要最小限度」の範囲を超えるため行使できない。これが従来の政府見解である。

 自衛隊が専守防衛から変質しても、9条は米国の戦争に巻き込まれない歯止めになった。

 オバマ米政権は中国と対話路線を探っており、首相が望む集団的自衛権の行使には「中国を刺激する」と難色を示した。今は日中の争いに巻き込まれないよう米国が警戒している。

 ■「白紙委任」は乱暴だ

 国際社会への配慮が欠け、内向きすぎないか。政界の改憲熱にはそんな憂慮を禁じ得ない。

 憲法の平和主義をほごにしたら中国や韓国はどう受け止めるか。東アジアの平和と安定は落ち着いて考えるべきだ。

 自民党が野党時代の昨年4月に発表した憲法改正草案も、世界に背を向けている。

 草案は基本的人権について「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」とした97条を削除し、日本の歴史、文化、伝統を踏まえたものとするよう主張した。

 西欧の天賦人権説に基づく規定は改めなければ、との理由だ。西欧的な価値観に基づく人権の押しつけは確かに問題がある。

 しかし、世界人権宣言を持ち出すまでもなく、基本的人権は人類普遍の原則だ。「国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め」と現行憲法の勅語にあるように、戦後日本が求めた世界でもあった。

 現行憲法が定めた「人権」は国民に定着している。そうでなければ、「押しつけ憲法」と政治が問題にせずとも、国民運動がとうに起きていたはずだ。

 東日本大震災からの復興と原発再稼働、経済の再生、環太平洋連携協定(TPP)交渉参加など、日本の課題は山積している。

 憲法を変えたら閉塞(へいそく)状況が打開できるわけではあるまい。1票の格差を放置した「違憲国会」が、憲法をいじれるのかも疑問だ。

 それでも改憲を参院選の争点にするなら、各党は国の将来像を分かりやすく有権者に示すべきだ。憲法は国民を守るものだ。「白紙委任」を迫るのは乱暴すぎる。

 

南風録
( 5/3 付 )
http://373news.com/_column/nanp.php?ym=201305&storyid=48213

 「げたと焼きみそ」ということわざがある。刻みネギなどを交ぜたみそを板に付けて焼く焼きみそとげたのように、形は似ていても異なることを指す。

 公開中の米映画「リンカーン」を見ながら、「これか」と思った。似て非なるものとは、リンカーンが取り組んだ奴隷解放のための合衆国憲法修正と、安倍晋三首相が意欲を見せる憲法改正である。

 合衆国憲法には当初、奴隷制を禁じる条項がなく、奴隷解放派と維持派による南北戦争を招いた。リンカーンは戦争後も奴隷制禁止を恒久化するため、反対派を憲法で抑えようと議会に挑む。映画は連邦議会下院のやりとりにスポットを当てて見応えある攻防を展開する。

 一方の安倍首相は、憲法改正の手続きを厳しく定めた96条に手を付けたいという。自民党の憲法改正草案には、国民の権利を一部制限するものもあり、大統領が求めた「国を縛るための憲法」という視点が見えない。

 映画を撮ったスピルバーグ監督はインタビューで、リンカーンが今に通じる大切なことを提唱した、と述べている。一つが「政府はすべての人に幸福をもたらす組織になれること」だ。人権派監督ならではである。

 さてわが国の政府はどんな幸せをもたらしてくれるのか。きょうは憲法記念日。映画を見ながらでも焼きみそをつまみに酒を飲みながらでもいい、政治に思いを巡らせる過ごし方もある。

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 以下、資料として採録。

憲法を考える―変えていいこと、ならぬこと(朝日)
http://digital.asahi.com/articles/TKY201305020411.html

 憲法には、決して変えてはならないことがある。

 近代の歴史が築いた国民主権や基本的人権の尊重、平和主義などがそうだ。時代の要請に合わせて改めてもいい条項はあるにせよ、こうした普遍の原理は守り続けねばならない。

 安倍首相が憲法改正を主張している。まずは96条の改正手続きを改め、個々の条項を変えやすくする。それを、夏の参院選の争点にするという。

 だがその結果、大切にすべきものが削られたり、ゆがめられたりするおそれはないのか。

 いまを生きる私たちだけでなく、子や孫の世代にもかかわる問題だ。

■権力を縛る最高法規

 そもそも、憲法とは何か。

 憲法学のイロハで言えば、権力に勝手なことをさせないよう縛りをかける最高法規だ。この「立憲主義」こそ、近代憲法の本質である。

 明治の伊藤博文は、天皇主権の大日本帝国憲法の制定にあたってでさえ、「憲法を設くる趣旨は第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」と喝破している。

 こうした考え方は、もちろん今日(こんにち)にも引き継がれている。

 憲法99条にはこうある。「天皇又(また)は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」。「国民」とは書かれていないのだ。

 立憲主義は、国王から市民が権利を勝ち取ってきた近代の西欧社会が築いた原理だ。これを守るため、各国はさまざまなやり方で憲法改正に高いハードルを設けている。

 米国では、両院の3分の2以上の賛成と4分の3以上の州議会の承認がいる。デンマークでは国会の過半数の賛成だが、総選挙をはさんで2度の議決と国民投票の承認を求めている。

 日本では、両院の総議員の3分の2以上の賛成と、国民投票での過半数の承認が必要だ。

 自民党などの改正論は、この「3分の2」を「過半数」に引き下げようというものだ。

■歴史の教訓を刻む

 だが、これでは一般の法改正とほぼ同じように発議でき、権力の歯止めの用をなさない。戦争放棄をうたった9条改正以上に、憲法の根本的な性格を一変させるおそれがある。

 私たちが、96条改正に反対するのはそのためである。

 日本と同様、敗戦後に新しい憲法(基本法)をつくったドイツは、59回の改正を重ねた。一方で、触れてはならないと憲法に明記されている条文がある。

 「人間の尊厳の不可侵」や「すべての国家権力は国民に由来する」などの原則だ。

 ナチスが合法的に独裁権力を握り、侵略やユダヤ人虐殺につながったことへの反省からだ。

 日本国憲法は、97条で基本的人権を「永久の権利」と記している。これに国民主権と平和主義を加えた「三つの原理」の根幹は、改正手続きによっても変えられないというのが学界の多数説だ。

 かつての天皇制のもとで軍国主義が招いた惨禍の教訓が、その背景にある。

 特に9条は、二度と過ちを繰り返さないという国際社会への約束という性格もある。国民の多くは、それを大切なことだとして重んじてきた。

 自民党が96条改正の先に見すえるのは、9条だけではない。改憲草案では、国民の権利への制約を強めかねない条項もある。立憲主義とは逆方向だ。

■政治の自己改革こそ

 首相は「国民の手に憲法を取り戻す」という。改正のハードルが高すぎて、国民から投票の権利を奪っているというのだ。

 これは論理のすり替えだ。各国が高い壁を乗り越え、何度も憲法を改めていることを見ても、それは明らかだろう。

 改めるべき条項があれば、国民にその必要性を十分説く。国会で議論を尽くし、党派を超えて大多数の合意を得る。

 そうした努力もせぬまま、ルールを易(やす)きに変えるというのは責任の放棄ではないか。

 憲法に指一本触れてはならないというのではない。

 例えば、国会の仕組みである。衆院と参院は同じような権限を持つ。このため多数派が異なる「ねじれ」となると、国政の停滞を招いてきた。

 いずれ憲法の規定を改め、衆参両院の役割分担を明確にするなどの手直しが必要になるかもしれない。

 もっとも、いまの国会の怠慢は度し難い。

 ねじれによる政治の停滞を嘆くなら、なぜ衆参両院の議決が異なった時に話し合う両院協議会の運用を見直さないのか。

 最高裁に違憲状態とされた一票の格差問題では、司法が口出しするのはおかしいといわんばかりの議論が横行している。これでは、憲法を語る資格などはない。

 まずなすべきは、そんな政治の自己改革にほかならない。

 

「天声人語」(5/3)
http://digital.asahi.com/articles/TKY201305020410.html

 「美しい国」というのは、何も安倍晋三首相の一手専売ではない。戦時の記憶も生々しい1948(昭和23)年、「美しい国」という詩集を世に出したのは、今も静かな人気のある詩人永瀬清子だった。本のタイトルにもなった詩をこう書き出す▼〈はばかることなくよい思念(おもい)を 私らは語ってよいのですって。 美しいものを美しいと 私らはほめてよいのですって。 失ったものへの悲しみを 心のままに涙ながしてよいのですって。……〉。そして、〈私らは語りましょう語りましょう手をとりあって〉と詩は続く▼永瀬はこの年42歳。夫は2度応召し、幸い帰還していた。口を縛り、思いを封じてきた時代。その天井が開(あ)き、青空を仰いだような高揚が言葉にこもる。前の年に、新憲法を戴(いただ)く「戦後」は始まった▼以来66年、焦土から立ち上がって、日本は繁栄を築きあげてきた。背骨には平和憲法があった。読み直してみて、前文に古さは感じない。世界がこれに追いついてほしいと、むしろ思う▼きのうの紙面に、「女性の61%が9条維持」という世論調査結果が載っていた。逆に「変える」は男性の50、60代で高かった。万一戦争になっても、もう行くトシではない――からか。政権内の人も多くは同じ世代である▼安倍さんは改憲手続きを定めた96条を緩めたがる。だがそうなれば、もののはずみや時代の気分で大切なものを失いかねない。誰にとって、どう「美しい」国なのか、守り伝えるべきものは何か、考えたい。

 

 ↓「世界でも改正難度の高い硬性憲法と言えるだろう」と、平気で嘘を書くデタラメな読売イエロー新聞

憲法記念日 改正論議の高まり生かしたい(5月3日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130502-OYT1T01473.htm

 ◆各党は参院選へ具体策を競え◆

 安倍政権下の国会では憲法改正を巡る論議がいつになく活発だ。

 夏の参院選の結果次第で、安倍首相が公約に掲げる憲法改正がいよいよ現実味を帯びてくるだろう。

 きょうは、日本国憲法が施行されてから67年目の憲法記念日。日本の内外情勢は激変したにもかかわらず、憲法はまだ一度も改正されていない。そんな憲法の在りようを考える機会としたい。

 ◆まずは発議要件緩和を◆

 憲法改正論議の根底にあるのは安倍首相が指摘するように、「日本人は自身の手で憲法を作ったことがない」という事実である。

 戦前の大日本帝国憲法は天皇の定めた欽定(きんてい)憲法だ。現行憲法は占領下、連合国軍総司令部(GHQ)の草案を基に制定された。

 国民自ら国の基本を論じ、時代に合うよう憲法を改正するという考え方は、至極もっともだ。読売新聞の世論調査でも1993年以降、ほぼ一貫して憲法改正賛成派が反対派を上回っている。

 憲法改正の核心は、やはり9条である。

 第2項の「陸海空軍その他の戦力は保持しない」は、現実と乖離(かいり)している。「自衛隊は軍隊ではない」という虚構を解消するため、自衛隊を憲法に明確に位置付けるべきだ。

 憲法の改正要件を定めた96条も主要な論点に浮上してきた。

 自民党だけでなく、日本維新の会やみんなの党も96条の改正を公約している。参院選後の連携を図る動きとしても注目される。この機を逃してはなるまい。

 96条は、憲法改正について衆参各院の総議員の「3分の2以上」の賛成で国会が発議し、国民投票で過半数の賛成を得なければならないと定めている。

 世界でも改正難度の高い硬性憲法と言えるだろう
。GHQは、日本で民主主義が確立するには時間がかかると考えたようだ。

 自民党の憲法改正草案は、96条の「3分の2以上」という要件を「過半数」と改めている

 国会が改正案の発議をしやすくなるだけで、最終的にその是非を決めるのは国民投票であることに変わりはない。

 民主党は改正手続きよりも、どの条項を改めるかという内容の議論が先だと言う。だが、自民党などは既に具体的な改正方針を国民に示している。民主党こそ憲法改正について論議を尽くし、党としての見解を明らかにすべきだ。

 ◆必要な衆参の役割分担◆

 衆院と参院の役割を見直すことも、喫緊の課題である。

 衆参ねじれ国会の下で、「強すぎる参院」の存在がどれほど国政を停滞させてきたか、与野党とも痛感しているはずだ。

 解決策の一つが、59条2項の改正だ。参院が衆院と異なる議決をした法案は、再び衆院で「3分の2以上」の多数で可決すれば成立する、という現行の規定を「過半数」に改めればよい。再議決による法案成立が容易になり、衆院の優位性もより明確になる。

 自民党の憲法改正草案がこれに言及していないのは疑問だ。

 2000年に参院議長の私的諮問機関が、衆院での再議決要件緩和のほか、参院の首相指名権の廃止など憲法改正も伴う改革案をまとめた。

 参院の権限を縮小し、政権から距離を置く。今でも十分、検討に値する。

 「1票の格差」是正のための選挙制度改革も、衆参の制度を同時に見直すべきだろう。

 衆院と参院がどういう機能を分担すればよいか。望ましい政権を形成するためには、どう民意を集約するか。そうした観点から選挙制度を検討する必要がある。

 今年の憲法記念日は、先の衆院選での「1票の格差」を巡る訴訟で高裁による「違憲」判決が相次いだ直後に迎えることになった。秋にも最高裁が判断を示す。

 ここに至った以上、立法府として最低限、0増5減の区割り法案を成立させるのが筋である。

 ◆定数削減競争は避けよ◆

 民主党など各党は国会議員も「身を切る改革」が必要だと主張し、定数削減を競っている。これは改革を装ったポピュリズム(大衆迎合)と言うほかない。

 日本は、人口当たりの国会議員数では国際比較でも決して多くはない。国会議員の人件費を減らしても財政削減効果は限定的だ。かえって立法機能が低下しよう。身を切るなら、歳費や政党助成金をカットすればよいではないか。

 憲法に関しては、緊急事態対処や環境権などを規定すべきだとの主張もある。重要な視点だ。

 参院選に向け、各党とも積極的に論戦を展開してもらいたい。
(2013年5月3日01時05分  読売新聞)

読売の嘘を証明する「硬性憲法が世界標準」のWSJ画像、最初に戻る

 

5月3日 編集手帳
http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20130503-118-OYTPT00080/list_EDITORIAL%255fNOTE

 採用面接を受ける人の参考になるかどうかは分からない。面接官と受験者の会話がある◆なぜ、新聞記者を? 「性格がどちらかというと内向的ですし、考え方も観念的なので、欠点を変えたいと思っているのです」。ずいぶん虫のいい話だな。すると、読売新聞は
君の性格改造を手伝うために給料を払うことになるんだよ。「そう言えば、 そうなりますが・・・」。丸山一郎青年は合格した。60年前のことである。やがて推理作家「佐野洋」になる◆筆名には「社の用」(本業)も怠らない気持ちをこめたと回想にある。面接でのやりとりといい、不器用なまでの誠実さがその人の真骨頂だろう◆公平にして厳格な筆で、ミステリー批評『推理日記』を39年間にわたって月刊誌に連載した。“推理小説界の 大久保彦左“として集めた厚い信望も、持ち前の誠実さが咲かせた花に違いない。短編の名手としても知られた佐野さんが84歳で死去した◆電車のつり革につかまって窓の景色を眺めているとき、しばしばトリックがひらめいた。ならばと、自宅につり革だけ取り付けたこともある。愛された人柄がしのばれる。(編集手帳 讀賣新聞5/3)

 

社説:憲法と改憲手続き 96条の改正に反対する
毎日新聞 2013年05月03日 02時30分(最終更新 05月03日 16時17分)
http://mainichi.jp/opinion/news/20130503k0000m070110000c.html

 上映中の映画「リンカーン」は、米国史上最も偉大な大統領といわれるリンカーンが南北戦争のさなか、奴隷解放をうたう憲法修正13条の下院可決に文字通り政治生命を懸けた物語だ。彼の前に立ちはだかったのは、可決に必要な「3分の2」以上の多数という壁だった。

 反対する議員に会って「自らの心に問え」と迫るリンカーン。自由と平等、公正さへの揺るぎない信念と根気強い説得で、憲法修正13条の賛同者はついに3分の2を超える。憲法とは何か、憲法を変えるとはどういうことか。映画は150年前の米国を描きつつ、今の私たちにも多くのことを考えさせる。
 ◇「権力者をしばる鎖」

 安倍晋三首相と自民党は、この夏にある参院選の公約に憲法96条の改正を掲げるとしている。かつてない改憲論議の高まりの中で迎えた、66回目の憲法記念日である。

 96条は憲法改正の入り口、改憲の手続き条項だ。改憲は衆参各院の総議員の「3分の2」以上の賛成で発議し、国民投票で過半数を得ることが必要と規定されている。この「3分の2」を「過半数」にして発議の条件を緩和し、改憲しやすくするのが96条改正案である。

 憲法には、次に掲げるような基本理念が盛り込まれている。

 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」(97条)

 「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(98条1項)

 その時の多数派が一時的な勢いで変えてはならない普遍の原理を定めたのが憲法なのであり、改憲には厳格な要件が必要だ。ゆえに私たちは、96条改正に反対する。

 確かに、過半数で結論を出すのが民主主義の通常のルールである。しかし、憲法は基本的人権を保障し、それに反する法律は認めないという「法の中の法」だ。その憲法からチェックを受けるべき一般の法律と憲法を同列に扱うのは、本末転倒と言うべきだろう。

 米独立宣言の起草者で大統領にもなったジェファーソンの言葉に「自由な政治は信頼ではなく警戒心によって作られる。権力は憲法の鎖でしばっておこう」というのがある。健全な民主主義は、権力者が「多数の暴政」(フランス人思想家トクビル)に陥りがちな危険を常に意識することで成り立つ。改憲にあたって、国論を分裂させかねない「51対49」ではなく、あえて「3分の2」以上の多数が発議の条件となっている重みを、改めてかみしめたい。

 

憂楽帳:9条
毎日新聞 2013年05月02日 12時21分
http://mainichi.jp/opinion/news/20130502k0000e070198000c.html

 3日は憲法記念日。改憲へのハードルを下げる96条改正が夏の参院選の争点に浮上するなど、このところ憲法を巡る論議が活発だ。突き詰めれば、その中心は9条。この条文には、ずっと素朴な思いを持ち続けてきた。

 第二次世界大戦末期、南太平洋に赴いた祖父が8人の子供に宛てた手紙を見たのは小学生の頃。「母の力になりなさい」といった簡潔なものだった。祖父は洋上で戦病死した。日本に戻ったのは、1個の骨片だけだった。

 こうした光景が至る所にあったのだろうと思うと、「戦争放棄」をうたう憲法9条は、無念の死を遂げた人々の魂が、のこされた人々のために作らせたものに思えた。幼い日の感慨は、30年以上たった今も、心から消えない。

 本紙の昨年12月の世論調査では、9条の改正に「反対」が52%、「賛成」が36%。このところの隣国との不安な情勢は、この数字を変えることもあるだろう。素朴な思いを見つめ直し、しっかりした意見を持つべき時かもしれない。久々に「勉強しよう」という気持ちになっている。【藤倉聡子】

 

改憲論議で忘れてはならないもの
2013/5/3付
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO54651540T00C13A5EA1000/

 日本国憲法が施行されて3日で66年を迎えた。今年は7月の参院選の争点に憲法改正が浮上している。自民党が中心になって改憲の発議要件を緩和する96条改正を突破口にしようと旗を振り、民主党などがこれに対峙するかたちで反対論を展開している。

 入り口として96条改正を打ち出すのは、改憲へのハードルを下げるねらいからだが、その先の具体的な改憲の道筋を明らかにし、どんな国にするのかの国家像の議論が必要なのは言うまでもない。

96条改正の先の明示を

 忘れてならないのは、改憲手続きをへて条文を改める明文改憲だけでなく、その前の段階で、国家がきちんと機能するよう法改正により対応が可能な立法改革もしっかり進めることだ。

 焦点となっている96条の改正条項の改正は、各院の総議員の3分の2以上の賛成による発議を2分の1以上にしようとするものだ。

 日本維新の会も賛成で、連立与党の公明党は慎重な態度をとっている。改憲は安倍晋三首相の最大の政治目標であり、参院選後をにらみ、維新やみんなの党を引き寄せる思惑がある。96条改正への賛成論を抱える民主党内の分断策にもなっている。

 こうした政治の駆け引きとは別に、96条改正によって改憲しやすくしたあとに、何をテーマにどんな段取りで進めていくのかを示さなければならない。

 自民党は憲法改正草案をまとめ、具体的なメニューを提示しているとはいえ、焦点の9条についてどんな手順を想定しているのかがはっきり見えない。入り口が96条で出口が9条なら、もっと堂々と改憲論議を挑むべきだろう。

 維新やみんなが主張している地方分権の推進や統治機構の変革のために道州制や首相公選制、一院制を導入しようとすれば、それは国のかたちの議論に発展する。その先の日本の見取り図を示し、全体像を明らかにしたうえでの改憲論議でなければなるまい。

 民主党は2005年にまとめた改憲の方向性を示す「憲法提言」を踏まえ、条文のかたちで改憲案を示す必要がある。単なる政治的なぶつかり合いに終わらせず、憲法論議を深めるためにも民主党の早急な意見集約が求められる。

 かりに改正条項の改正を発議しようとしても、国民投票法で定めた投票年齢の18歳への引き下げに伴う公職選挙法との調整など、国民投票の実施に向けた手続きを整えるには、なお時間がかかる。

 民主党が同調せず公明党抜きなら、こんどの参院選後に改憲勢力が3分の2をしめるのは、そう簡単ではないという現実もある。

 明文改憲だけで国家がうまく回るわけではない。制度の運用で大事なのは立法改革である。

 日本周辺を見回した場合、とくに北朝鮮の出方など、急いで対応を検討しておいた方がいいものがある。行使を禁じていると解釈している集団的自衛権がそうだ。

 すでに自民党がまとめている国家安全保障基本法で集団的自衛権の一部行使を可能にするのは現実的な対応だ。9条改正までの時間的な余裕がないとすれば、同法の早期成立が望まれる。

 もうひとつは「決められない政治」の原因となってきた衆参ねじれの解消策だ。

立法改革も同時並行で

 衆参両院の議決が異なった場合の衆院の再議決の要件を3分の2以上から緩和するよう憲法の規定を改めるべきだが、それが既成政党から出てこないのなら、まず立法措置で対応する方法がある。

 国会法では、衆参両院の議決が異なったとき、両院の代表者各10人からなる両院協議会で協議し、3分の2の賛成で議決することになっている。これを2分の1に改め、同時に議席数に応じて各党の代表者を出すようにすれば、機能不全の両院協議会が動くようになるはずだ。

 そのうえで、確認したいのが憲法とは何かという基本的なとらえ方だ。日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)が「憲法は特定の価値を国民に押しつけるものではない。国家権力をしばる法規範だ」というのは、その通りだ。

 教科書をみても「近代立憲主義憲法は、個人の権利・自由を確保するために国家権力を制限することを目的とする」(芦部信喜著『憲法』)とある。家族のあり方を規定しようとしたりするのは近代憲法とはちょっと違った発想だ。

 憲法のそもそも論をいま一度確認し、立法改革と明文改憲による道筋を示して、新しい日本につなげていくことが改憲論議の基本でなければならない。

 

春秋
2013/5/3付
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO54654480T00C13A5MM8000/

 それは、野球で「球をよく見る」という類いのことである。基本中の基本だからだろうか、かえっておろそかになる。ところが、口酸っぱく繰り返すべきコーチ役の法学者やメディアはつとめを十分果たしてこなかった。自戒し、そして橋下徹大阪市長に感謝している。

▼憲法とはそもそも何かについて、橋下さんは「特定の価値を国民に押しつけるものでなく、国家権力を縛ってその乱用を防ぐものだ」と説いたという。いいことを言ってくれた。いかに王や皇帝の身勝手、横暴を防ぎ、市民の権利を守るか。そうした役割を、近代ヨーロッパに生まれた憲法はまさに今に引き継ぐのだから。

▼伊藤博文が明治憲法をつくる趣旨を、「第一に君権の制限、第二に臣民の権利の保全」と語ったことが知られている。天皇主権をさだめ、「天皇は神聖にして侵すべからず」とうたった明治憲法が、伊藤のいう趣旨にかなっていたとは思えない。それでも、近代憲法の基本中の基本は120年前に承知していたことになる。

▼改正が現実味を帯びて迎える憲法記念日である。ここは打者がボールの縫い目に目を凝らすように、基本に立ち返りたい。権力を縛る力はあるか。国民の権利は守られ特定の価値を押しつけられていないか。そんな2本の座標軸を立てるだけで、ずっと考えやすくならないか。変えるも変えぬも、出発点はそこにしかない。

 

【主張】
統治機構と憲法 間接選挙で参院再生を 「地域主権」は国の統一そぐ
2013.5.3 03:10 (1/3ページ)[憲法・法律]
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130503/plc13050303110002-n1.htm

 憲法施行66年を迎えた。ようやく日本人自らの手で憲法を改正できる状況がみえてきた。

 自民党や日本維新の会などが、改憲の発議要件を衆参両院の「3分の2以上」から「過半数」に緩和する憲法96条改正を打ち出し、今夏の参院選の主要な争点になるからだ。

 改憲が現実の政治日程にのぼり、国民投票が行われる。そのとき、羅針盤になるのが現行憲法の問題点を摘出し、新たな国家像として「独立自存の道義国家」を打ち出した本紙の「国民の憲法」要綱である。

 ≪知事による推薦も検討≫

 要綱は、国会や内閣など国家の統治機構に対しても抜本的な見直しを提起した。

 とりわけ衆参両院のねじれ現象の下で重要法案の成立が阻まれるなどの「決められない政治」を打破することを主眼に二院制のあり方にメスを入れたのが特徴だ。

 具体的には第60条で「参議院は、直接選挙および間接選挙によって選出される議員で組織する」と、参院に間接選挙を導入することを明示した。

 間接選挙とは、有権者が議員を直接、選ぶのではなく、まず選挙人を選び、選挙人が議員を選挙する仕組みだ。

 参院創設時にも間接選挙や衆院や地方議会が参院議員を選ぶ「複選制」、職能団体による「推薦制」などが検討されたが「公選」や「平等」などに反する疑いがあるとして採用されなかった。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130503/plc13050303110002-n2.htm
 参院は結局、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」という現行憲法43条が立ちはだかった結果、「良識の府」とされた独自色は失われ、党派がはびこり、衆院の「カーボンコピー」と揶揄(やゆ)される存在になってしまった。

 間接選挙は、ここに大きな風穴をあける。中長期的な政策判断ができ、専門的分野に詳しい人材を参院に集めることができる。間接選挙制をとるドイツの連邦参議院は各州政府の代表者で構成される。代表者とは州議会から選ばれた州の首相や閣僚だ。

 今回、国民の憲法起草委員会からは、知事が間接選挙の候補者を推薦する案や、地方議員らが投票で選出するなどの考えが示された。英知を集めた制度を構築していきたい。直接選挙も、各県から2人ずつ選ぶなどの案が出た。衆参ともに選挙区と比例代表という似通った仕組みを変えなければならない。

 参院の独自性も明確にした。行政監視院の設置や国会同意人事を参院で先に審議するなどだ。

 一方で衆院の優越も強めた。衆院可決後、参院で否決された法案を衆院で再議決する際のハードルを、現行の3分の2から過半数に下げた。「決める政治」の確立に役立つ。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130503/plc13050303110002-n3.htm
≪政策本位の会期原則に≫

 国会改革では、会期をめぐるルールを転換させた。衆院議員の任期を「立法期」とし、「立法期中に議決に至らなかった案件は、次の立法期に継続しない」(第65条)ことを打ち出した。

 国会法には「会期不継続の原則」があり、重要法案を廃案に追い込みたい野党は国会ごとに引き延ばし戦術を展開する。政策本位とはかけ離れた政治の機能不全を断ち切ることにした。

 地方自治では、地方自治体に対して「国の統一性の保持に努め、国と協力しなければならない」(第107条)ことを求めた。地方に主権の一部を与えれば国家の統一性は失われる。民主党などが使い出した「地域主権」という考え方を否定した。与野党が推進しようとしている道州制については、市町村を基礎としたうえで「これを包摂する広域地方自治体」(第106条)を認めることで対処することにした。

 最高裁判事を罷免するかどうかを示す国民審査制度は形骸化しているため廃止する。それに伴い、現実離れした司法判断や検察の暴走などの事態を防ぐため、国民の司法参画の機会を保障する規定を置いた(第52条)。

 「軍」を保持することに伴う軍事裁判所の設置(第90条)は、文民統制の確保や軍の規律維持、軍事機密の保護などが目的だ。

 現行憲法は特別裁判所を認めておらず、自衛官は一般の裁判所で裁かれる。軍人を律する軍刑法も課題だ。いびつな国のかたちの解消は急務である。

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知事抹殺 つくられた福島県汚職事件 佐藤 栄佐久 (著)

原子炉時限爆弾 広瀬 隆 (著)

隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ 小出 裕章 (著)

 

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1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2013/06/29(土) 21:27:31.19 ID:YGE2gIsW0 ?BRZ(11232)憲法草案に道徳は書き込まざるを得なかったインタビュー:船田元氏(衆議院議員・自民党憲法改正...... [続きを読む]

受信: 2013年6月30日 (日) 00時02分

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