普通の日常にひそむファシズム、日本はもうかなり茶色に染まってるのかも。辺見庸さんの講演会が今月末にありますね。
辺見庸さんの詩集「眼の海」を先日読みました。出来たら、月末、四谷区民センターでの辺見さんの講演(約2時間)「辺見庸講演会 死刑と新しいファシズム 戦後最大の危機に抗して」に行こうと思ってます。後ろで、辺見さんの『花は咲く』を例にしてのファシズム論考記事(毎日)を採録。永山則夫をモデルにした『裸の十九歳』などの関連映画を採録。
(↓クリックすると拡大します)スクロールして見るなら。
8.31講演
◎辺見庸講演会(→Internet Archive)
8月31日(土)
主催 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90
場所 四谷区民ホール・地下鉄丸ノ内線 新宿御苑前 2番出口より徒歩5分
開場 18時15分
開演 18時45分
入場料 1500円(前売り/当日共)
前売り予約
fax 03-3585-2330
メール stop-shikei@jca.apc.org
追記:
辺見庸 死刑と新しいファシズム 戦後最大の危機に抗して(2013年8月31日講演記録 前半)
辺見庸 死刑と新しいファシズム 戦後最大の危機に抗して(2013年8月31日講演記録 後半)
お勧め↓:
辺見庸さんの、2011年4月22日放送「こころの時代 瓦礫の中から言葉を」が4日真夜中再放送されたのでpodcastします。
辺見庸 (日録1)私事片々 2013/10/21〜と、(日録2)から全保存 雑談日記Archive
「私事片々(不稽日録)辺見庸ブログ」
memo3 2013.8.8~(←頁内ジャンプ、以下同じ)
「辺見庸 私事片々(不稽日録)」memo1〜4 をArchive保存しておきました。
辺見庸 私事片々(不稽日録)2013/07/16~07/31と(不稽日録)2013.8.1〜8.7全保存 雑談日記Archive
辺見庸 私事片々(不稽日録)2013.8.8~8.14と私事片々(不稽日録)2013.8.15~全保存 雑談日記Archive
SOBAメモ:辺見さんの文中出て来る「エベレスト」と言うのは、辺見さんが脳出血で倒れてからリハビリでやっている散歩途中に上る小さな盛り土のこと。(説明している部分)←「エベレストと名づけた」の赤文字は私SOBA。(不稽日録Archiveで説明している部分はこちら)
SOBAメモ2:辺見さんがmemo中で書いている「向自・対自(für sich)」の部分を考える上で↓参考になる関連記事。(不稽日録Archiveで書いている部分はこちら)
記事その1⇒こちら特報部20071212元刑務官が語る死刑の現場 「押せ」5人一斉執行ボタン 「職務…でも、なぜ自分が」 「受け止め役」辞退許されず 存廃より情報開示を 裁判員制度前にもっと議論必要(pdf)
記事その2⇒東京新聞ニュースの追跡20130609死刑制度とは 少年事件とは 永山元死刑囚 遺品が問う(pdf)
死刑囚 永山則夫〜獄中28年間の対話
http://video.fc2.com/ja/content/20130706Kz97bKDe/
↑パソコンでは見られます。ipadの人は「動画を取得できませんでした」で見られないので(その後ipad側で対処したのか見られる様になってます)
90分1秒 Sサーバーにアップ ←MediaFireに保存。MediaFireはPCでは使い辛くなったのでipadを推奨。ipadで左記リンクをタップするとSafariの別頁が開き「Download(…MB)」の表示が出るのでタップする。黒い画面に変わり20秒から40秒待つと再生開始(時間帯、夜間は回線が混むので駄目)
ipad ←ipadの他、カバー等も AMAZON
外付けHDD ←関連の AMAZON
↑上記動画11分27秒の所で紹介されている↓新藤兼人監督の『裸の十九歳』。↑上記14分12秒から出てくる民生委員が飢えに取り残された則夫ら兄弟を訪ねるシーンは↓下記映画の1時間1分41秒の所から。
Live Today, Die Tomorrow (1970)(邦題『裸の十九歳』)
Luvias
https://www.youtube.com/watch?v=ACaecjElEIQ
2015/11/26 に公開
Sサーバーにアップ ←MediaFireに保存。
使い勝手の良さ、映像の見やすさを求める方は⇒DVD『裸の十九歳
』
参考:ETV特集(2009/10/11(日)放送)
死刑囚 永山則夫 ~獄中28年間の対話~
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2009/1011.html
→魚拓
「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」 1/2 2012.10.14
Nrev2
http://www.dailymotion.com/video/xuc9mv
「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」 1/2 2012.10... by Nrev2
Publication date : 10/15/2012
Duration : 41:25
Sサーバーにアップ ←MediaFireに保存。
SOBA:挿入CM(広告)の所で中断でなく映像が進んでしまった場合、元に戻せばその部分を再生出来ます。一定の時間間隔で挿入されているだけだからです。細かく戻せるので全画面で見る方がその点便利。なお、元動画のCM部分をノーカット編集のが時々ありますが、そうでないdailymotionなど動画会社の挿入CMだけなら一番良いのは自分のパソコンにダウンロードして見ることです。僕は、「これは」と思う動画は『外付けHDD』にダウンロードするようにしています。
「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」 2/2 2012.10.14
http://www.dailymotion.com/video/xuc9xg
「永山則夫 100時間の告白~封印された精神鑑定の真実~」 2/2 2012.10... by Nrev2
Publication date : 10/15/2012
Duration : 47:18
Sサーバーにアップ ←MediaFireに保存。
39分53秒の所、獄中で永山則夫が書いた著作。
主な著作(発行年順)。小説で、
『木橋』
『ソオ連の旅芸人
』
『捨て子ごっこ
』
『なぜか、海
』
『異水
』
『華
』。
手記で、『無知の涙
』
『人民をわすれたカナリアたち
』
『愛か-無か
』
『動揺記1
』
『反-寺山修司論
』
『永山則夫の獄中読書日記-死刑確定前後
』
『日本 遺稿集
』
『文章学ノート
』
『死刑確定直前獄中日記
』。 その他⇒ 『永山則夫 封印された鑑定記録
』。
参考:ETV特集(2012/10/14(日)放送)
「永山則夫 100時間の告白」
~封印された精神鑑定の真実~
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2012/1014.html
→魚拓
→Internet Archive
Masao Adachi 足立正生 | A.K.A. Serial Killer 略称・連続射殺魔 (1969)
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https://www.youtube.com/watch?v=swRSsBmUVKQ
2012/10/21 に公開
Sサーバーにアップ ←MediaFireに保存。
製作:足立正生、松田政男、佐々木守他による「風景論」の手法で撮られたドキュメンタリー。
2分8秒から、永山則夫の生家。
7分48秒から、青森県板柳の借家と長屋風景。
「私事片々(不稽日録)辺見庸ブログ」
memo3 2013.8.8~
・この炎熱!きょうも貧しくてからだの弱いひとびとから順番に、ポッポッと命の火種を消していくことだろう。3年前の夏にも、たくさんの貧しいひとびとが亡くなった。そのとき「ツユクサの想い出」というエッセイを書いた。じぶんで書きながら、石を呑んだような衝撃を受けたのでまだ憶えている。いま反芻し、ふたたび予感している。3年前の夏、76歳の老人が熱中症で死んだという“よくあるできごと”について調べていておどろいた。なににおどろいたかというと、「フツウ」にであった。あるいはどこにでもよくあるだろう日常というものの、そのじつ、 尋常ではない惛がりと灼熱と孤独に、絶句した。老人には月額7万円ほどの年金があった。妻をなくし、腰痛ではたらけない息子と家賃5万5千円のアパートでくらしていた。不幸ではあるが、この不幸せはきわめて例外的とまでは言えない。大別するならば、極貧にちかいけれども、他にもあるフツウの貧しさだろう。老人は役所に生活保護を申請し、あっさり断られた。これもよくあるケース。生一本の老人は節約のため、みずから電気、ガス停止の手つづきをした。したがって、エアコンがあっても冷房はできない。電球があっても真っ暗。懐中電灯とカセット・コンロだけの穴居生活みたいなくらしが、死ぬまで10年ほどつづいた。2013年8月8日のいま現在も、そのようなひとびとが暑熱のなかで息もたえだえになっているだろう。「てきせつにエアコンを使用してください」といわれても、そうできないひとびとがいくらでもいる。あの76歳の老人は、死後1時間以上が経過していたのに、検死時、直腸内の温度が39度もあったという。わたしは書いた。「この死はとうてい尋常ではない。まったく同時に、この死には私たちの居場所と地つづきのツユクサのようなふつうさが見える。異様とふつうが、ほの暗い同一空間にふたつながら平然となりたっている。それが怖い。たぶんこの国の日常とはそういうものだ。ふつうが反転して、ある日とつぜん悪鬼の顔になる」(『水の透視画法』)。あれから3年。大震災、原発炉心溶融、政権交代・・・。どうだろう、悪鬼の顔は、いまはっきりと見えているだろうか。貧しい者はフツウによりいちだんと貧しくなり、いっときあれほど反省された原発がフツウに再稼働に道筋をつけ、極右政権の夜郎自大はますますフツウにとどまるところがない。すべてをフツウに見せているなにか。とてつもない異常を、ごくフツウと見てしまう目、目、目・・・。わたしはけふもエベレストにのぼった。ツユクサが3年前とおなじく花びらを閉じて合掌していた。わるい予感がする。
(2013/08/08)
(2013.8.9~8.11略)
memo2 2013.8.1~8.7
・永山則夫の命日である。晴れ間をとらえエベレストに2度のぼった。麓にはけふも花々が咲きみだれている。芙蓉の花弁を水滴がコロコロ転がって遊んでいた。花々は夜にはどうなるのか。月光による花影というのを、目にしたことがあるのかもしれないが、憶えてはいない。しかし、まてよ、「花影や死は工(たく)まれて訪るる」(大道寺将司)である。永山の口調と訛りは、アフリカで飛行機事故のために亡くなった沼沢均にどことなく似ていた。死の位置は、その海の底の、闇の深間において、みな同じように見えて、ひとつびとつが微妙に異なるだろう。影の差しぐあい、闇の色あい、生の名残といれまざったようなひとりびとりの固有のにおい。永山の絞首刑は1997年8月1日朝。死亡時刻は午前10時39分だったという。公式記録。わたしが板柳町に行ったのは2003年の11月28日。正午前であった 。そのとき、AUの携帯電話をもっていた。写真もメールも散逸した。翌2004年春、脳出血に倒れたが、まことに間がわるく、死にぞこなってしまった。死にぞこないは回想にふけるしかない。エベレストにのぼるか、回想にふけるか、のたれ死にするしかない。回想はいまふたたびの想いでの改葬である。永山は1954年に網走から板柳に移ったのだった。わたしがそこに行ったとき、すでに廃屋になっていたオンボロアパートの1階に、永山も使ったであろう共同トイレがあったのだ。男女別ではなかった。大便所が4つか5つ並んでいた。薄闇とにおいが、とことわに流動しないもののように、物質という物質にへばりつき、音もなくとどこおっていた。そこに凝然と立ちつくした。すでに立ちさった時間のむこうにひそみいる気配をあなぐろうとして、こちらも薄闇にしばらく隠れたのだった。2メートルとおかず、だれか影の薄い者がじっと立っていた。あちらむきかこちらむきかわからなかった。なんら公式に記されていないもの。たどりようもない気配。影の薄い者は押し殺した声で言った。永山則夫の言葉だ。〈キケ人ヤ/貧シキ者トソノ子ラノ指先ノ/冷タキ血ヲ〉・・・。〈キケ人ヤ/心ノ弱者ノウッタエル叫ビヲ〉・・・。〈キケ人ヤ/忘レタ時ニ再ビヨミガエル/貧シキ者ノ怒リヲバ〉・・・。キケ人ヤ・・・。けふもエベレストをおりつつ想いだした。キケ人ヤ・・・。キケ人ヤ・・・。ボルサリーノの帽子を得意げにかぶったあのエテ公の与太話を。「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」。永山よ、君の死後はこんなもんなんだよ。こんなエテ公どもに仕切られているのだよ。〈キケ人ヤ/武器ナキ者ガ/武器ヲ得タトキノ/命ト引キカエノ抵抗ヲ〉・・・。キケ人ヤ・・・。(2013/08/01)
(2013.8.2略)
・けふはエベレストにのぼらなかった。Mがきたので、犬をつれてグリーントンネルにゆき、オンブル・ヴェールをめざした。咲きのこったノアザミが一輪だけつよく発光していて、雪洞のような暈さえつけていた。メドウセージは青紫の舌を何枚も何枚も吐きほうだいであった。右脚の重さが1トンにも感じられた。いつまであるけるのか。右脚が100キロではなく、1トン。この数日、編集局で「どなりあい」はなかったか問うた。ない、あるわけもない、とMは答えた。「七月六日 金曜日 どの新聞を見ても、戦争終結を望む声一つだになし。」(渡辺一夫『敗戦日記』)と同じ時の河が、いまもとろとろと流れているのだ。どなる内容の如何ではなく、どなることじたいが、うたがいもなく負の価値になってしまった。そうMは補足した。オンブル・ヴェールは臨時休業していた。いきりたってものを主張することが、きょうびはいかにも奇異な風景なのであり、〈麻生太郎を即刻辞めさせろ〉などという声は編集局のどこにもないという。〈あのエテ公を辞めさせろ〉なんて、冗談にもならない。たぶん、ファシズムの「心的な体制」も、いまととのいつつあるのだろう。だれも、なにも、どこも、痛くはないのだ。だれも、なにも、どこも、感じないのか。わたしの右半身のように。ひとは欲望のおもむくままに生きているのであろうか。欲情をむきだしにしてうごめいているか。自己保存の欲動にせよ、生の欲動にせよ、怒る欲動にせよ、おしなべて起動機能が解除されてしまっている。あるのは、たまさかの発作と痙攣だけだ。うわべの塗りという塗りをぜんぶ剥ぎとり、衒いと忖度と世故のいっさいを殺した、そんなことがもしもできるとしたらの話だが、裸形になりつくしたギリギリの極限の個の哀しみを表現しえて、はじめて思想はかすかな思想らしきものとして芽生えうるものなのではないか。おい、せめてツユクサを踏むなよ。この社会はいま、ぜんたいとして自由と深い快楽ではなく、不自由と苦痛と、とりかえしのつかない罪責を、無意識に求めるともなく求めているのではないか。知とは自己内に棲まう他者ととことん妥協なく語りつくすことだ。そんなことをのろのろとおもったが、Mには言わなかった。帰りは右脚の重さが2トンにもなっていた。(2013/08/03)
・話がときどきボツ切れになりながらも、Mはグリーントンネルでいろいろなことをしゃべった。かつてあたかも是正可能というニュアンスで語られた格差社会は、現在は改善のほとんどあたわない階級社会と化している。新しい貧困者たちがたえず生まれている。新しい貧困者らは「新しいゲットー」に追いこまれている。ベルナール・スティグレールによれば、新たなゲットーこそ消費社会の中心であり、収奪のターゲットでもあり、皮肉にも文明の中心になりつつある。Mはあるきながらスティグレールの言葉を引用した。わたしはヨイヨイあるきだから、Mと犬はこちらにあわせて、ふだんより2倍は遅く歩をすすめてくれている。わたしはスティグレールの引用をそのときはとてもいいとおもった。「今日われわれは戦争状態にあり、われわれは皆そのことを、政治的なものの外へ失墜し、堕落しようという瀬戸際で感じている。われわれはすでに新しいタイプの戦争という零落の状態にあり、そこでわれわれはあらゆる理由において人間であることを恥ずかしくおもってる…」。Mは記憶力がいい。そのことがしばしばMを苦しめている。どうおもうか、とわたしは問われた。わたしは曖昧に応じた。ヨイヨイあるきをするのが精一杯で、かんがえるどころではなかったから。「新しいゲットーにいるわれわれは、もちろん、あらゆる理由において人間であることを恥ずかしくおもうべきなのだが、だれも恥ずかしくおもわずにすむ仕組みがすでにできているので、だれもいま、恥ずかしいとはかんじていない」。ただ、そのまえに「われわれ」と「みんな」の像と輪郭とこれらの人称の真偽について、もっと深くかんがえないと・・・とわたしは言った。ムクゲの花びらを右足で踏んでしまった。うつむいてあるいていたために右足が花びらを踏みつけるのが見えたのだ。それで気がついたのであり、蹠(あしうら)がなにかをかんじたわけではない。「われわれ」や「みんな」という幻想への気遣いが、どれほど事態をわるくしていることか。人間であることを恥辱とおもえるのはあくまでも徹底した個である。ただし、恥も欲望も、商品社会による内面の規格化=商品化と無縁ではありえない。安倍晋三や麻生太郎は明らかにこの社会を操作可能なものと舐めてかかっている。しかし、それ以上にこの社会が安倍や麻生、橋下らを早晩自動的に失墜するものと舐めて見ている。そうだろうか。渡辺一夫ら真正の知識人といわれたインテリたちもかつて時代を楽観していた。舐めていたのだ。敗戦の年の3月になって日記に「知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本に知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない」と、いまさらのように書く。あまりに、あまりに遅すぎた。致命的に弱く卑劣な者たちの群れに、いわゆる良心的な知識人たちのほとんど全員がいた。かれらはほとんどといってよいほど闘わなかった。身体を賭してまでは抗わなかった。学徒出陣の教え子が多数死んでいたのに。反省はいま、なにも活かされていない。もともと反省も自責も恥も、痛烈かつ持久的なものとしてあったのかどうか疑わしい。わたしらはいまも事態を舐めてかかっている。「われわれ」はバラけなければならない・・・。ぶつぶつ言っているうちに息が切れた。葉陰でモンキチョウが尻と尻をあわせ交尾していた。まったくうごかず、震えもしない。静かだ。2匹なのに1匹に見える。羽のむこうに草原と森がひろがる。草原の細道を浴衣やロングドレスの女たちが1列になって踊りながらゆっくりと黒い森へと進んでいる。あれは死者の列かもしれない。声は聞こえない。死後の風景がいまに滑りこんでいる。モンキチョウはまだ交尾している。とても静かだ。エベレストには明日のぼるだろう。(2013/08/04)
・殺人が「国家」の名のもとになされる場合が、たった2つだけある。戦争と死刑である。このように言うことが、ひとの胸にどれほどとどくのだろうか。どれほどとどかぬものなのか。今日どれほどとどかなくなってしまったか。2008年、ある男が言ってのけた。「わたくし麻生太郎、このたび、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました。わたしの前に、58人の総理が列しておいでです。118年になんなんとする、憲政の大河があります。新総理の任命を、憲法上の手続きにのっとってつづけてきた、統治の伝統があり、日本人の、苦難と幸福、哀しみと喜び、あたかもあざなえる縄のごとき、連綿たる集積があるのであります。その末端に連なる今この時、わたしは、担わんとする責任の重さに、うたた厳粛たらざるを得ません。この言葉よ、届けと念じます。ともすれば、元気を失いがちなお年寄り、若者、いや全国民の皆さん方のもとに。申し上げます。日本は、強くあらねばなりません。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国であります」。かしこくも、御名御璽をいただき・・・と、アホが臆面もなく演説のできる、いわゆる戦後憲政下の国権の最高機関とはいったいなんなのかを、だれも本気で論じようとはしなかった。で、見よ、いまこのざまだ。あたかもクーデターではないか。ジャン=クロード・カリエールが言った。バカとマヌケとアホという3種の愚か者のうち、アホがとくに厄介であると。なぜかは明確には論証されていない。論証されなくたって、わたしらじしんがじっとアホどもを見つめながら、なにがどう厄介かを論証すべきだろう。ウンベルト・エーコは言った。わたしたちは愚か者に学ばなければならない、と。教材には、己をふくめ、ことかかない。いまこそ、うたた厳粛に学ぼうではないか。けふはエベレストにのぼった。空しかった。(2013/08/05)
(2013.8.6~8.7略)
memo1 2013.7.16~7.31
・8月末になにかをやるというのなら、8月末までまず生きていなければならない。当然の話だ。それまでなんとか生きていられたとしても、夜にひとまえで2時間以上話すには相応の体力がいる。自宅から会場までは堀内君が車で運んでくれるにしても、駐車場から会場まで、そして会場内は、自力で歩かなくてはならない。体力、歩行能力ともに、このところめっきり落ちている。夜は感覚障害がこうじるので、とくにいけない。わたしからすすんで「やらせてくれないか」と言いだしたとき、フォーラム90のTさんが「マジすか?」と反問したのには、決心のほどだけでなく、身体はちゃんと機能するのか質したかったからだろう。それからは、嵐の日をのぞき、歩行練習を欠かしていない。といっても、アパートから200メートルも離れていないカフェまでよろよろ歩き、コーヒーを飲んで、またよろよろ帰ってくるだけの話だ。帰途、「エベレスト」にのぼるのを忘れない。ハナミズキのある角の広場の土盛りは高さ1メートルもないのだけれど、わたしにとっては断崖絶壁なので、エベレストと名づけた。よろけながら土盛りにのぼっていくわたしを、無宿者らしい男がベンチからぼうっと見ている。何回歩いても、のぼっても、おりても、ちっともうまくはならない。無効。この9年間でそれは実証ずみである。死んだ脳が、動作を数かぎりなく反復しても、憶えても慣れてもくれず、毎回、生まれてはじめて歩くような危うい感覚なのだから、いたしかたがない。しかし、この自主トレを5日もやめれば、歩くのもおりるのものぼるのも、大変に困難になるか、もしくはほぼ不可能になる。歩けなくなったら、8月末の約束は果たせない。だから歩く。意味はない。だから約束したのかもしれない。いつかヤマブキは咲きおわり、いまは白いサルスベリがこんもり雪をかぶったように満開である。風が吹くと白雪が散る。吹雪だ。花を浴びながら、前かがみに歩く。(2013/7/16)
(2013.7.17略)
・久しぶりにK君からメールをもらった。わたしよりおそらく40歳は若い友人(友人と、わたしはかってにおもっている)である。と言っても、数年前に1回しか会ったことはない。自宅でだ。ずいぶん遠いところから前置きなく私を訪ねてきたかれと、まずインターフォンで話し、なにも疑わず、部屋にきてもらった。なにを話したかはあまり憶えていない。いまもいっしょに暮らしている犬が、まだ子犬だったころである。K君は、華奢で色白でもの静かな青年というより、少年から青年になりかけの、人間がものごとにいちばん敏感で、頭が最も活発にはたらく時期にあって、だからこそ当然、いくぶん思い迷っているようにも見えた。そう見えるかれをわたしは好感した。かれは学生運動をしているようであった。わたしもなにせ半世紀ほど前のことだが、学生運動をしたことがある。K君はかつてわたしがいた党派とはちがうセクトで活動しているようであった。2つの党派(他の党派もだが)は過去に凄惨な殺し合いをしたことがある。それは、この国の学生運動だけでなく、政治、文化、思想の各面に、いまだに視えない死の影を投げている。わたしはそうおもっている。友人のひとりは脳漿が周囲に飛びちらかるほど鉄パイプで頭を打ち砕かれて死んだという。母親を亡くしたとき、母を悼む短歌を詠み、部屋中に短冊をはりだして慟哭しつづけた男であった。報復がまた報復を呼んだ。変革をめざすというひとつの政治的党派が、変革をめざすという他の党派の者の殺害または殺害を結果することになるかもしれない暴力と身体の破壊を容認するということ。これはどういうことなのか。それは究極的に死刑容認の思想とまったく、全的に無関係でいられるものなのだろうか。そのことをK君と話してはいない。話せば、かれはかれの言葉で、かれじしんのかんがえを話してくれるかもしれない。脇道にそれた。ほんとうはあまりそれていないが、一応、脇道にそれたと言っておく。
K君のメールは、しばらく前にわたしが毎日新聞のインタビューに答え「…日本でもホモ・サケルに近い層、言わば人間以下として放置される人たちが増えている。80年代までは、そういう貧者が増えれば階級闘争が激しくなると思われていたけど、今は彼らがプロレタリアートとして組織化され立ち上がる予感は全くない。それどころか保守化してファシズムの担い手になっている。例えば橋下徹・大阪市長に拍手をし、近隣諸国との軍拡競争を支持する層の多くは非受益者、貧困者なんです」と話したことになっている箇所への反論であった。話したことになっている、などともってまわった書き方をしたのは、同紙の引用がわたしの言葉と多少のずれがあり、話の全体のコンテクストと必ずしも合わないからだが、わたしがおおむねこのような趣旨の話をしたことは事実である。K君はこれにたいしメールで「じつはこの箇所に引っかかりを感じていました。貧困者ほどファシズムに走っているというのは本当なのかと」と反論してきた。貧困者ほどファシズムに走っているというのは本当なのか? わたしは文字どおり「貧困者ほどファシズムに走っている」と言った憶えはないが、K君の「引っかかり」は、わたしの疑問そのものでもあるから俄然身をのりだした。
勉強家のK君は、大阪市長選挙において、平均世帯年収と橋下市長に投票した割合の関連をさぐった客観的データやグラフなどを添付して、平均世帯年収が高い区ほど橋下に投票した割合が高かった事実を教えてくれた。さらに「富裕層が橋下市長を支持していると結論づけるのは早計だが、低所得者が支持層の中核という一般的なイメージと違うのは明らか。中流層のいっそうの分析が必要」とする研究者のコメントも紹介して、「生活に追われて政治的なことを考える余裕もない人たちよりも、新自由主義と右翼的な知識を身につけた中間層とその予備軍(学生)が、維新の会や安倍政権と潜在的に意識を共有している主体ではないか」と問題提起。「いまむしろ一番警戒すべきなのは、橋下市長の慰安婦発言や在特会のような『行き過ぎ』には眉をしかめ『ああいうのを支持する人間は低学歴の貧乏人』と距離を置きながら、それと本質的には変わらない安倍首相の外交姿勢や朝鮮学校の無償化排除を『正論』、『まとも』だと支持するような『普通の人たち』の動き、増大する一方の貧困層に対して、自分だけは堕ちたくないという意識から『自己責任論』を振りかざすような『普通の人たち』の動きであって、いまおこっていることは、貧困者ではなく没落の危機にひんした中間層が保守化・ファッショ化するという古典的な『ファシズム』と捉えるほうが適切なのではないでしょうか」ーーと疑義を呈してきた。
わたしはK君に感謝する。そして「これ以上ないくらい無邪気な装いで、原ファシズムがよみがえる可能性は、いまでもある。わたしたちの義務は、その正体を暴き、毎日世界のいたるところで新たな形をとって現れてくる原ファシズムを一つひとつ指弾することだ」というエーコの言葉をおもいだす。原ファシズムはよみがえるのではなく、よみがえったのだ、とおもう。
今日もエベレストにのぼった。右足の調子が昨日よりよくない。意思に従わず、どうしても前にでようとしない。大きく踏みだしてくれない。よろける。目眩がする。息があがる。が、もう慣れている。動作の不如意にではなく、この甲斐のなさには、とくと慣れている。山頂でふとクロイツベルクのことを想った。約20年前、ドイツのネオナチ勢力による外国人排斥が行動化したころ。北部のメルンやゾーリンゲンでトルコ人の家が次々に焼きうちに遇い、人びとが無残に殺された。わたしはそのころ『もの食う人びと』の旅の途次にあり、トルコ人たちが多く住むベルリンのクロイツベルク地区にいた。そこで知りあったトルコ人青年の言葉をいまでも忘れない。「ほんとうのネオナチって、貧しいスキンヘッズじゃなくて、ほら、立派な背広を着て、革のソファーに座っているような、上流のドイツ紳士の心のなかにもあるんじゃないかな」。外国人排斥などぜったいに口にはしない笑顔のドイツ紳士。現実に排斥運動が起きれば、眉をひそめ、首をふりながらも、心中ひそかに快哉を叫ぶ医者やジャーナリスト。「かれらのほうがよほど怖い」と青年は語った。約20年前、わたしはベルリンから原稿を送った。「ばかげた仮定かもしれない。しかし、ドイツで私はくりかえし自問した。日本にも、ドイツのように、650万人もの外国人が住んでいるとする。…景気は低迷、失業率も高いとする。それでもゾーリンゲンの放火殺人事件のような犯罪が絶対に起きないか。ネオナチに似た民族排外主義は高まらないか。あってはならぬという主観と、起きる可能性があるという客観は別物だ。可能性を、私は否定できない」。20年前、そう書いた。K君は『もの食う人びと』を読んでくれただろか。わたしは高さ1メートルもない土盛りのエベレストをそろそろとおりた。(2013/07/18)
(2013.7.19~7.23略)
・けふもエベレストにのぼった。先に幼稚園児たちがわいわいとのぼっていたので、みんなが帰るのを木のベンチでじっと待った。3回ほどまばたきしたら園児たちがひとりのこらず消えていた。昨日山腹にあったアブラゼミの死骸も、緑色のドロップも、もうなくなっていた。わたしの見まちがいだったのか、アリや鳥たちが運んだか、どちらかだろう。そうするうちにも、からだのきわを時間が音もなく流れていく。むこうからここへ、あちらからそちらへ、といった方向や境目はない。時間はいつも、いまでしかない。ひとというのは、ある宿命をみずからに仮構することによって、大半の可能性を流産させながら着実に老いてゆく。「自己にとっての自己」ではなく「他者に見られるがままの自己」を演じる(選ぶ)ことにより、(左右の)権力側の人間かよく服従する者になっていく。そんなようなことを以前なにかで読んで、当座はふふーんとおもっただけなのに、じつはまだずっと気になっている。 フュール-ジッヒ。向自とはあくまでも、己にとっての己を、どこまでも見すえることである。集団にとっての自己、組織にとっての自己、大衆にとっての自己、市民社会にとっての自己、読者にとっての自己ではない。徹して己にとっての己である。〈ひとを殺してはならない〉という意思は、いまより近代以前のほうが、基本的抑制としてよりつよくはたらいていたという説がある。端的に言えば、運搬手段をふくむ兵器による有効殺人距離が延長されればされるほど、〈殺すなかれ〉の抑制がよわまっていき、大量殺戮が可能になっていった。人体の破壊を目撃せずにすむこと。テクノロジカルな殺戮。クリック。delete。それがおびただしい人体の破壊のリアリティをどこまでも希釈し、存在物の消滅を抽象概念化した。死刑もそうである。わたしたちは被処刑者の救いない最後の抵抗、泣訴、号泣、叫び、苦悶、頸骨が破砕される音、ときにはからだからほとんど破断されてしまう首、飛びちる鼻血、脱糞、飛びだす眼球、流れる体液・・・を、見ず、聞かず、嗅がずにすむ。粛然たる向自の機会をじつはかんぜんにうばわれている。たとえ明日の朝、絞首刑の執行があっても、昼にはハンバーグとガーリックトーストをおいしく食べることができる。なんなら「えっ、死刑? いやですねえ・・・」と慨嘆してみせることだってできる。わたしたちはほとんど対自せず、己にとっての己をつきつめないで、そして、まさにそうしてこそ、抗わぬ良民を装うことができる。「自己にとっての自己」ではなく「他者に見られるがままの自己」を演じること。わたしではなく、わたしたちとして、日一日、刻一刻と老いおとろえてゆく。わたしはエベレストから、ちかくの計画緑地にむかった。むっとする草いきれ。下草がのび放題で、栄養をうばわれた樹々が、病んでいるのだろうか、みな黒く骨ばって、醜く老いさらばえていた。そこを〈魔女の森〉と命名することにした。ルリマツリがフェンスからはみでて咲いていた。(2013/07/24)
SOBA:↑「向自・対自(für sich)」について辺見さんが言及している部分です。太字フォントは私SOBA。
(2013.7.25略)
・ドツキアイがもうはじまっている。暴力の時代がきている。永遠の世界戦争がはじまっている。わたしはそうおもう。歴史の転換に幕間はあるようで、ない。緞帳はおりず、幕があがることもなく、回り舞台がいままさに盛んに回っているようにも、常人には見えない。だが、狂者には変化が見える。かつてもそうだったし、現在もそうである。だから、狂人になろう。歴史は、はっとおもったときには、もう転換している。かつてもそうだったし、現在はとりわけてそうである。石破茂が言った。「憲法改正により軍事法廷を設置し、命令に背いた自衛隊員は極刑に処せるよう検討する必要がある」。肥大化した権力と際限なく退行するメディア、大衆社会が必然的にひらいた、人民主権が政治の陰謀に手もなく呑まれていく惨憺たるパノラマ。ニッポンという名の群落における集合的人格崩壊。それがいまではないのか。「例外状態」がついに常態化する、政治空間における暴力的位相変化。それが現在である。わたしたちは絵空事の平和な生活を、制度化された巨大な暴力機構の内部で日々おくることになる。ドツキアイがはじまっている。はじまるはずだ。いざこそ参加しよう。暴力の同心円の遠い外側にたって、いまさら利いたふうなことを言ってどうする。「そんなに上手に琴をひけることなど恥だとおもえ」ではないか。けふも一回だけエベレストにのぼった。白いサルスベリの並木のむかいに、道をへだてて、赤いサルスベリが一本咲いていた。いままでどうして気づかなかったのだろう。酸化した血のように、あまりに濃すぎる赤が、もくもくと湧き、炎天に噴きだしている。あまりに濃すぎる赤だから、かえって見おとしたのか。あれはもう花ではない、と。ありえない、嘘だと錯覚したのか。(2013/07/26)
(2013.7.27~7.30略)
・けふもエベレストにのぼった。頂上でセミがジィ、ジィと2度鳴くのを聞いた。子どものころ、ヨイヨイあるきの老人の動作をまねて、すぐうしろをピョコタンピョコタンあるいてみせて友だちをげらげら笑わせた。老人を先頭にしてわたしら子どもらのヨイヨイあるきの長い列ができた。いまひょいとふりむいてみても、子らの列はない。わたしが、だれもいない列の先頭にいるだけ。あるきながら、はげしく回想する、はげしく。どうしてだろう、回想するばかりだ。そう、明日8月1日は永山則夫の命日だ。1949年6月27日、この世にひとつの生をうけた男は、1997年8月1日の午前に、全身を瘧のようにうちふるわせて監房からの連行に抵抗し、あらんかぎりの声でいくたびか絶叫したものの、刑務官たちに制圧され、東京拘置所の刑場で絞首刑に処された。しいて区切れば、たぶん、その日以来である。わたしがいわば穏和な死刑反対者からあまり穏和ではない死刑反対者になったのは。あるいはこう言ってもいい。死刑という徹底的に抽象概念化され、おそらく抽象概念と錯覚されることによってのみ長くなりたちえている最悪の国家的儀式を、より具象的、人間身体的にかんがえはじめたのは、会社を辞めた翌年の1997年8月1日からである。改築前の東京拘置所のまわりをいくどとなくうろついた。絶叫がまだ壁にしみついてはいないか、草木はそれを聞いていなかったか、頸骨や舌骨が砕ける残響をどこかにただよわせていないか、気配をうかがったものだ。あらゆる種類の死刑を抽象概念ではなく、肉感的に官能的にかんがえるようになった。永山が獄中ですぐれた作家になったから他の者と区別して想像したのではない。それはちがう。青森県北津軽郡の板柳町はいま、 気温21°C、風向は北西、風速は3 m/s、湿度は94%であるという。なんてこった!こんなことがいっぱつでわかるなんて。肝心なことはなにも、なにひとつわからないというのに。しかし、永山が母親たちと暮らしていたあのボロ長屋(いまはないであろう)のトイレの臭気は、わたしの惛い記憶箱のなかで、この湿気である、ますます濃くなるばかりなのだ。板柳町に行ったのは、病気に倒れ、ヨイヨイになる前のことだった。永山がいたボロ長屋のにおいは、変わらずにわたしの胸骨にしみついたままだ。2階中央のガラス窓の内側に永山がいて、殴られたりどなられたり、ぜったいに見てはならぬものを見てしまったり、ときには殴ってはならない者を殴ったりしていた。あの窓だ。あの窓の内側だ。(2013/07/31)
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特集ワイド:息苦しさ漂う社会の「空気」 辺見庸さんに聞く
毎日新聞 2013年05月09日 東京夕刊
http://mainichi.jp/feature/news/20130509dde012040020000c.html
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現代という状況を語る辺見さん=東京都内のホテルで、竹内幹撮影
◇今の日本は自己規制、ファシズムの国
高い支持率を誇る安倍晋三政権。膨らむ経済再生への期待。なのに、この息苦しさは何だろう。浮足立つ政治家や財界人の言葉が深慮に欠け粗くなる傍ら、彼らへの批判を自主規制しようとする奇妙な「空気」が漂っていないか。何が起きているのか。作家の辺見庸さん(68)に聞いた。【藤原章生】
「イタリアの作家、ウンベルト・エーコはファシズムについて『いかなる精髄も、単独の本質さえもない』と言っている。エーコ的に言えば、今の日本はファシズムの国だよ」。「ファシズム」とは大衆運動や個人の行動がコラージュのように積み重なったもの。独裁者の言葉に突き動かされるのではなく、そんたくや自己規制、自粛といった日本人の“得意”な振る舞いによって静かに広がっていくということだ。
ファシズムと聞くと全体主義、ムソリーニ独裁やヒトラーのナチスが浮かぶ。「そういう、銃剣持ってざくざく行進というんじゃない。ファシズムはむしろ普通の職場、ルーティンワーク(日々の作業)の中にある。誰に指示されたわけでもないのに、自分の考えのない人びとが、どこからか文句が来るのが嫌だと、個人の表現や動きをしばりにかかるんです」
辺見さんは自らの体験を語った。月刊誌「すばる」2月号に発表した小説「青い花」を大幅加筆し、近く単行本として出版する。だが、雑誌での編集作業は言葉遣いを巡って大いにもめた。「頭のおかしくなった主人公のセリフで朕(ちん)をチンチンにするとか、政治家をからかうのは問題ないのに、例の『花は咲く』を揶揄(やゆ)したら、それだけはどうしてもダメだって言うんだ」
「花は花は花は咲く」とNHKがよく流すせいで、嫌でも耳にするあの歌のことだ。「俺はあれが気持ち悪い。だってあの歌って(戦時中に隣組制度を啓発するために歌われた)『とんとんとんからりんと隣組』と一緒だよね。そう思って書いた部分を、編集者が『書き換えてほしい』って言う。文芸誌で何を書こうがいいじゃないか、なぜ遠慮しなくちゃならないのかって言うと、『あれはみんながノーギャラでやってて、辺見さんも自作をちゃかされたら嫌でしょ』と。もう目をぱちくりするしかないよね」
それに絡み、生まれ育った宮城県石巻市の話になった。
http://mainichi.jp/feature/news/20130509dde012040020000c2.html
→Internet Archive
「芸能タレントとテレビキャスターと政治家が我も我もと来て、撮影用に酒なんか飲んだりしてね。人々は涙を流して肩を組み、助け合ってます、復興してます、と。うそだよ。酒におぼれ、パチンコ行って、心がすさんで、何も信用できなくなってる人だって多い。PTSD(心的外傷後ストレス障害)ね。福島だって『花は咲く』どころじゃないんだよ。非人間的実相を歌で美化してごまかしている。被災者は耐え難い状況を耐えられると思わされてる」
辺見さんは地中海人的だ。「何を唐突に」と思われるかもしれない。だが、著書「瓦礫(がれき)の中から言葉を」の中にある<根はとてつもなく明るいけれども、世界観と未来観についてはひどいペシミスト(悲観主義者)>や<あの荒れ狂う海が世界への入り口だったから、いつか、どんなことをしてもあの海のむこうに行くんだと決めていた>といった自己描写は、「南の思想」を著したイタリアの社会学者、フランコ・カッサーノの言う地中海人の定義にぴたっと収まる。
カッサーノによれば、地中海人は強大な国家に虐げられた歴史から政府や多数派が求めるものを疑ってかかり、海の向こうに自由を求める。辺見さんも同じだ。引用するのはエーコや哲学者のジョルジョ・アガンベンらイタリア人が目立つ。感性の波がうまく共鳴するのだろう。
「昔は気持ち悪いものは気持ち悪いと言えたんですよ。ところが今は『花は咲く』を毛嫌いするような人物は反社会性人格障害や敵性思想傾向を疑われ、それとなく所属組織や社会から監視されてしまうようなムードがあるんじゃないの? 政府、当局が押しつける政策や東京スカイツリー、六本木ヒルズ10周年といったお祭り騒ぎを疑う声だって、ほとんど出てこない。それが今のファシズムの特徴です。盾突く、いさかうという情念が社会から失われる一方、NHKの『八重の桜』や『坂の上の雲』のように、権力の命令がないのに日本人を賛美しようとする。皆で助け合って頑張ろう、ニッポンチャチャチャでやろうよと」
安倍首相は靖国問題で「国のために尊い命を落としたご英霊に対して尊崇の念を表するのは当たり前のこと」と言い、「どんな脅かしにも屈しない自由を確保していく」と中国や韓国に反論した。
「英霊でいいのに、ご英霊と言う。一言増えてきた」と注意を向けたうえで、辺見さんはこう語る。「安倍首相の言葉や閣僚の参拝に対し、国会でやじさえ飛ばない。野党にその感性がない。末期症状です。新聞の論調も中国、韓国が騒ぐから行くべきでないと言うばかりで、靖国参拝とはなんぞや、中国が日本にどんな恐怖感を持っているかという根本の議論がない」
http://mainichi.jp/feature/news/20130509dde012040020000c3.html
→Internet Archive
この空気を支えるものは何か。キーワードとして辺見さんは、哲学者アガンベンが多用する「ホモ・サケル」を挙げた。「古代ローマの囚人で政治的、社会的権利をはぎ取られ、ただ生きているだけの『むき出しの生』という意味です。日本でもホモ・サケルに近い層、言わば人間以下として放置される人たちが増えている。80年代までは、そういう貧者が増えれば階級闘争が激しくなると思われていたけど、今は彼らがプロレタリアートとして組織化され立ち上がる予感は全くない。それどころか保守化してファシズムの担い手になっている。例えば橋下徹・大阪市長に拍手をし、近隣諸国との軍拡競争を支持する層の多くは非受益者、貧困者なんです」
政治を野放しにするとどうなるのか。「安倍首相は官房副長官時代、官邸に制服組をどんどん入れ、02年の早稲田大の講演で『現憲法下でも戦術核を持てる』と語った。その考えは今も変わらないと思う。今の政権の勢いだと、いずれ戦術核の議論までいくんじゃないですかね。マスコミの批判は出にくいしね」
言語空間の息苦しさを打ち破れるかは「集合的なセンチメント(感情)に流されず、個人が直感、洞察力をどれだけ鍛えられるかにかかっている。集団としてどうこうではないと思うね」と辺見さん。まずは自分の周り、所属する組織の空気を疑えということか。
きわめて地中海人的な態度と言える。
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◇「特集ワイド」へご意見、ご感想を
t.yukan@mainichi.co.jp
ファクス03・3212・0279
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■人物略歴
◇へんみ・よう
1970年に共同通信入社。北京特派員、ハノイ支局長、編集委員などを務める。78年、中国報道で新聞協会賞。91年「自動起床装置」で芥川賞、94年「もの食う人びと」で講談社ノンフィクション賞を受賞し、96年退社。2011年、詩文集「生首」で中原中也賞。12年、詩集「眼の海」で高見順賞。近著に「国家、人間あるいは狂気についてのノート」。
SOBA:↑↓記事中言及の、いわゆる“震災復興支援ソング”『花は咲く』と、『とんとんとんからりんと隣組』。
【二部合唱】花は咲く【歌詞付き】
raihuu2001
https://www.youtube.com/watch?v=qa6pU8D9dRM
公開日: 2012/11/18
概要:震災復興支援ソング。児童合唱団の歌声に癒されます。
花は咲く * 布施明 錦織健 川井郁子 幸田浩子
https://www.youtube.com/watch?v=hGNEIPOCllE
公開日: 2013/01/27
概要:説明はありません。
鈴木梨央 / 親と子の「花は咲く」
avexnetwork
https://www.youtube.com/watch?v=aE_f5cGw8SA
公開日: 2013/03/21
概要:「花は咲く」はNHK東日本大震災復興支援ソングです。売上の一部、また著作権料が義捐金として被災地に届けられます。親と子の「花は咲く」を歌うのは、NHK大河ドラマ「八重の桜」(日曜午後8時)で綾瀬はるかが演じるヒロイン八重の幼少期を演じた、鈴木梨央(8)。合唱は、福島県双葉郡大熊町立大野小学校合唱部の皆さん。
とんとんとんからりんと隣組
koananmi
https://www.youtube.com/watch?v=rBh4wUrjltM
アップロード日: 2006/10/16
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完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)と
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。
辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。
辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。
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