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2014年8月22日 (金)

辺見庸 私事片々(不稽日録)2013/07/16~07/31と(不稽日録)2013.8.1〜8.7全保存 雑談日記Archive

 私事片々を今までと同様、アーカイブ保存しておきます。

 なお、辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで

 以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。写真が多いので、2エントリーずつアップします(表示順は元ブログと同じく上から降順です)。

 

2013年08月01日
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私事片々(不稽日録)2013.8.1~8.7

・永山則夫の命日である。晴れ間をとらえエベレストに2度のぼった。麓にはけふも花々が咲きみだれている。芙蓉の花弁を水滴がコロコロ転がって遊んでいた。花々は夜にはどうなるのか。月光による花影というのを、目にしたことがあるのかもしれないが、憶えてはいない。しかし、まてよ、「花影や死は工(たく)まれて訪るる」(大道寺将司)である。永山の口調と訛りは、アフリカで飛行機事故のために亡くなった沼沢均にどことなく似ていた。死の位置は、その海の底の、闇の深間において、みな同じように見えて、ひとつびとつが微妙に異なるだろう。影の差しぐあい、闇の色あい、生の名残といれまざったようなひとりびとりの固有のにおい。永山の絞首刑は1997年8月1日朝。死亡時刻は午前10時39分だったという。公式記録。わたしが板柳町に行ったのは2003年の11月28日。正午前であった 。そのとき、AUの携帯電話をもっていた。写真もメールも散逸した。翌2004年春、脳出血に倒れたが、まことに間がわるく、死にぞこなってしまった。死にぞこないは回想にふけるしかない。エベレストにのぼるか、回想にふけるか、のたれ死にするしかない。回想はいまふたたびの想いでの改葬である。永山は1954年に網走から板柳に移ったのだった。わたしがそこに行ったとき、すでに廃屋になっていたオンボロアパートの1階に、永山も使ったであろう共同トイレがあったのだ。男女別ではなかった。大便所が4つか5つ並んでいた。薄闇とにおいが、とことわに流動しないもののように、物質という物質にへばりつき、音もなくとどこおっていた。そこに凝然と立ちつくした。すでに立ちさった時間のむこうにひそみいる気配をあなぐろうとして、こちらも薄闇にしばらく隠れたのだった。2メートルとおかず、だれか影の薄い者がじっと立っていた。あちらむきかこちらむきかわからなかった。なんら公式に記されていないもの。たどりようもない気配。影の薄い者は押し殺した声で言った。永山則夫の言葉だ。〈キケ人ヤ/貧シキ者トソノ子ラノ指先ノ/冷タキ血ヲ〉・・・。〈キケ人ヤ/心ノ弱者ノウッタエル叫ビヲ〉・・・。〈キケ人ヤ/忘レタ時ニ再ビヨミガエル/貧シキ者ノ怒リヲバ〉・・・。キケ人ヤ・・・。けふもエベレストをおりつつ想いだした。キケ人ヤ・・・。キケ人ヤ・・・。ボルサリーノの帽子を得意げにかぶったあのエテ公の与太話を。「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね」。永山よ、君の死後はこんなもんなんだよ。こんなエテ公どもに仕切られているのだよ。〈キケ人ヤ/武器ナキ者ガ/武器ヲ得タトキノ/命ト引キカエノ抵抗ヲ〉・・・。キケ人ヤ・・・。(2013/08/01)
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・けふはエベレストに2度アタックし、2度ともなんとか頂上をきわめたのであった。麓にセミの死骸が2つあった。1つは黒い腹部しかなく、もう1つは全身が残っていた。淡い青の花をもう閉じかげんにしている露草を見た。青紫の花の先から青紫の意識をポタリポタリとしたたらせているメドウセージも。生きのこるセミどもは恍惚として鳴きつづけている。樫の樹を見あげたら、カメムシが1匹、しきりに隠蔽的擬態をほどこして、まったくうごかずにはりついている。激写してやった。カメムシはいまや樫化しようと試みている。もしかすると、この樫はすでに何万というカメムシにたかりつかれて、カメムシ化しているのかもしれぬ。だからといって、カメムシの意識をわるく言ってはならない。もともと〈わるぐさい思想〉をおびているのはこちらのほうなのだから。あまたの意識はいま、樹上より燦爛とふりそそぎ、地上からも朦朧としてたちのぼり、宙いっぱいにたちこめている。わたしにかつてオコゼのコースをご馳走してくれた女性の亡夫は、むかしむかし、進化論に添うて、こんな趣旨のことを書いた。・・・つよいサルはサルにとどまり、非暴力的な奇形ザルは人間となった。このことは、現在の反省なき強者がやがてたどるであろう運命を暗示している・・・。つまり、人間にいったんは進化したかにみえたサルは、またヒトから枝分かれして、暴力的エテ公という古くて新しい種(species)をつくりつつある。それは形態的には他と連続的な特徴をもち、たがいに有効な有性生殖をなしうる個体群であり、しばしば政治権力をにぎったりする。いや、こんなユージェニックス的な言いぐさはやめたほうがいい。正義面もやめることだ。やつらだって、わたしらとおなじじつにさもしいヒトなのだ。かれらの〈わるぐさい思想〉は、わたしらの惰弱で、卑劣で、小狡く、いじましい日常生活が生成したものだ。すなわち、かくも長き「Tenno主義」(金子光晴の詩にでてくる用語)同様に、カメムシのようにしがみついてきた自己像を粉みじんに解体しつくすまで、〈わるぐさい思想〉は、わたしらの内面でもありつづけるだらう。わたしらは、エテ公どころか、カメムシ以下である可能性さへある。ああ、蒸し蒸しする。いま、「権力は果肉のように熟れゆきて・・・」(新城貞夫)である。(2013/08/02)
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・けふはエベレストにのぼらなかった。Mがきたので、犬をつれてグリーントンネルにゆき、オンブル・ヴェールをめざした。咲きのこったノアザミが一輪だけつよく発光していて、雪洞のような暈さえつけていた。メドウセージは青紫の舌を何枚も何枚も吐きほうだいであった。右脚の重さが1トンにも感じられた。いつまであるけるのか。右脚が100キロではなく、1トン。この数日、編集局で「どなりあい」はなかったか問うた。ない、あるわけもない、とMは答えた。「七月六日 金曜日 どの新聞を見ても、戦争終結を望む声一つだになし。」(渡辺一夫『敗戦日記』)と同じ時の河が、いまもとろとろと流れているのだ。どなる内容の如何ではなく、どなることじたいが、うたがいもなく負の価値になってしまった。そうMは補足した。オンブル・ヴェールは臨時休業していた。いきりたってものを主張することが、きょうびはいかにも奇異な風景なのであり、〈麻生太郎を即刻辞めさせろ〉などという声は編集局のどこにもないという。〈あのエテ公を辞めさせろ〉なんて、冗談にもならない。たぶん、ファシズムの「心的な体制」も、いまととのいつつあるのだろう。だれも、なにも、どこも、痛くはないのだ。だれも、なにも、どこも、感じないのか。わたしの右半身のように。ひとは欲望のおもむくままに生きているのであろうか。欲情をむきだしにしてうごめいているか。自己保存の欲動にせよ、生の欲動にせよ、怒る欲動にせよ、おしなべて起動機能が解除されてしまっている。あるのは、たまさかの発作と痙攣だけだ。うわべの塗りという塗りをぜんぶ剥ぎとり、衒いと忖度と世故のいっさいを殺した、そんなことがもしもできるとしたらの話だが、裸形になりつくしたギリギリの極限の個の哀しみを表現しえて、はじめて思想はかすかな思想らしきものとして芽生えうるものなのではないか。おい、せめてツユクサを踏むなよ。この社会はいま、ぜんたいとして自由と深い快楽ではなく、不自由と苦痛と、とりかえしのつかない罪責を、無意識に求めるともなく求めているのではないか。知とは自己内に棲まう他者ととことん妥協なく語りつくすことだ。そんなことをのろのろとおもったが、Mには言わなかった。帰りは右脚の重さが2トンにもなっていた。(2013/08/03)
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・話がときどきボツ切れになりながらも、Mはグリーントンネルでいろいろなことをしゃべった。かつてあたかも是正可能というニュアンスで語られた格差社会は、現在は改善のほとんどあたわない階級社会と化している。新しい貧困者たちがたえず生まれている。新しい貧困者らは「新しいゲットー」に追いこまれている。ベルナール・スティグレールによれば、新たなゲットーこそ消費社会の中心であり、収奪のターゲットでもあり、皮肉にも文明の中心になりつつある。Mはあるきながらスティグレールの言葉を引用した。わたしはヨイヨイあるきだから、Mと犬はこちらにあわせて、ふだんより2倍は遅く歩をすすめてくれている。わたしはスティグレールの引用をそのときはとてもいいとおもった。「今日われわれは戦争状態にあり、われわれは皆そのことを、政治的なものの外へ失墜し、堕落しようという瀬戸際で感じている。われわれはすでに新しいタイプの戦争という零落の状態にあり、そこでわれわれはあらゆる理由において人間であることを恥ずかしくおもってる…」。Mは記憶力がいい。そのことがしばしばMを苦しめている。どうおもうか、とわたしは問われた。わたしは曖昧に応じた。ヨイヨイあるきをするのが精一杯で、かんがえるどころではなかったから。「新しいゲットーにいるわれわれは、もちろん、あらゆる理由において人間であることを恥ずかしくおもうべきなのだが、だれも恥ずかしくおもわずにすむ仕組みがすでにできているので、だれもいま、恥ずかしいとはかんじていない」。ただ、そのまえに「われわれ」と「みんな」の像と輪郭とこれらの人称の真偽について、もっと深くかんがえないと・・・とわたしは言った。ムクゲの花びらを右足で踏んでしまった。うつむいてあるいていたために右足が花びらを踏みつけるのが見えたのだ。それで気がついたのであり、蹠(あしうら)がなにかをかんじたわけではない。「われわれ」や「みんな」という幻想への気遣いが、どれほど事態をわるくしていることか。人間であることを恥辱とおもえるのはあくまでも徹底した個である。ただし、恥も欲望も、商品社会による内面の規格化=商品化と無縁ではありえない。安倍晋三や麻生太郎は明らかにこの社会を操作可能なものと舐めてかかっている。しかし、それ以上にこの社会が安倍や麻生、橋下らを早晩自動的に失墜するものと舐めて見ている。そうだろうか。渡辺一夫ら真正の知識人といわれたインテリたちもかつて時代を楽観していた。舐めていたのだ。敗戦の年の3月になって日記に「知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本に知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない」と、いまさらのように書く。あまりに、あまりに遅すぎた。致命的に弱く卑劣な者たちの群れに、いわゆる良心的な知識人たちのほとんど全員がいた。かれらはほとんどといってよいほど闘わなかった。身体を賭してまでは抗わなかった。学徒出陣の教え子が多数死んでいたのに。反省はいま、なにも活かされていない。もともと反省も自責も恥も、痛烈かつ持久的なものとしてあったのかどうか疑わしい。わたしらはいまも事態を舐めてかかっている。「われわれ」はバラけなければならない・・・。ぶつぶつ言っているうちに息が切れた。葉陰でモンキチョウが尻と尻をあわせ交尾していた。まったくうごかず、震えもしない。静かだ。2匹なのに1匹に見える。羽のむこうに草原と森がひろがる。草原の細道を浴衣やロングドレスの女たちが1列になって踊りながらゆっくりと黒い森へと進んでいる。あれは死者の列かもしれない。声は聞こえない。死後の風景がいまに滑りこんでいる。モンキチョウはまだ交尾している。とても静かだ。エベレストには明日のぼるだろう。(2013/08/04)

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・殺人が「国家」の名のもとになされる場合が、たった2つだけある。戦争と死刑である。このように言うことが、ひとの胸にどれほどとどくのだろうか。どれほどとどかぬものなのか。今日どれほどとどかなくなってしまったか。2008年、ある男が言ってのけた。「わたくし麻生太郎、このたび、国権の最高機関による指名、かしこくも、御名御璽をいただき、第92代内閣総理大臣に就任いたしました。わたしの前に、58人の総理が列しておいでです。118年になんなんとする、憲政の大河があります。新総理の任命を、憲法上の手続きにのっとってつづけてきた、統治の伝統があり、日本人の、苦難と幸福、哀しみと喜び、あたかもあざなえる縄のごとき、連綿たる集積があるのであります。その末端に連なる今この時、わたしは、担わんとする責任の重さに、うたた厳粛たらざるを得ません。この言葉よ、届けと念じます。ともすれば、元気を失いがちなお年寄り、若者、いや全国民の皆さん方のもとに。申し上げます。日本は、強くあらねばなりません。強い日本とは、難局に臨んで動じず、むしろこれを好機として、一層の飛躍を成し遂げる国であります」。かしこくも、御名御璽をいただき・・・と、アホが臆面もなく演説のできる、いわゆる戦後憲政下の国権の最高機関とはいったいなんなのかを、だれも本気で論じようとはしなかった。で、見よ、いまこのざまだ。あたかもクーデターではないか。ジャン=クロード・カリエールが言った。バカとマヌケとアホという3種の愚か者のうち、アホがとくに厄介であると。なぜかは明確には論証されていない。論証されなくたって、わたしらじしんがじっとアホどもを見つめながら、なにがどう厄介かを論証すべきだろう。ウンベルト・エーコは言った。わたしたちは愚か者に学ばなければならない、と。教材には、己をふくめ、ことかかない。いまこそ、うたた厳粛に学ぼうではないか。けふはエベレストにのぼった。空しかった。(2013/08/05)
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・けふもエベレストにのぼった。麓に、疲れたタンポポがあった。タンポポはそこに在ることに疲れていた。それだから、半透明の冠毛を放射状に開き、いままさに種子を宙にまき散らして果てようとしている。綿毛をまうえから覗きこんだ。星雲がさかんに白い煙を噴いて爆発しているではないか。それらの現象は、おそらくなにかの化現のわざであるとおもわれた。木のベンチに白いワイシャツの死人がすわっていて、うなじを垂れてだれかに携帯電話をかけていた。とてもまじめそうな死人だ。死人は各所に配置されている。星雲が爆発した。綿毛が散った。(2013/08/06)
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・南口のグリーントンネルのノアザミは昼日中なぜああも光るのだろう。そばをとおるときはちょっと気にするが、真剣にかんがえたことなどありはしない。あれは何色だったか。シェルピンクではないな。サクラ貝の色にちかい。風がたつと、頭状花序が内側からポーッと発光する。光芒というほどでもないが光のほさきが風下にさわさわと流れていく。このところ、こちらがほとほと困憊しているものだから、ついそう見えてしまうだけなのか。それとも、みずからほんとうに発光しているのかしらん。グリーントンネルには出自来歴生死不詳の、とことわに名づけえぬ者らが、いつも両の手の甲を前かげんに垂れさげるようにして、よろよろといったりきたりしているから、光るノアザミについては、いちばん見ているはずのかれらに訊くにしくはない。もしもし・・・。訊いた。〈ネミの森の祭司〉を詐称してこの世を流離してはいるけれど、遠からず死ぬだろう老いた狂人に訊いた。ああ、あれはただのノアザミではなく、ノザレノアザミなのだよ。大地に跪かされ、「項(うなじ)撃ち」で射殺された者たちは、ああしてノザレノアザミになって首が光るのだよ。わたしはそれですべてを納得した。ただのノアザミではなく、ノザレノアザミだったのだ。万々一、右足がうごくようだったら、いつか月のない夜に犬をつれてノザレノアザミを見にいくべし。けふもエベレストにのぼった。山頂にアリがいた。アリは好きでない。アパートにもどったら、キジバトがきていた。きっとベランダで性交するためだ。ここはラブホテルではない。犬をけしかけてやめてもらった。そうそう、書きわすれたが、飯吉光夫さんから先日、『パウル・ツェランーーことばの光跡』(白水社)をご恵送いただいた。すばらしい本だ。毎日読んでいる。ツェランの母親はナチにより項撃ちで殺された。ウナジウチの名前はそれで憶えたのだ。拘置所にいく日どりが決まった。なにを話すかより、まず、セキュリティ・チェックのところからエレベーターまでの長い廊下をうまくあるききれるかどうかだ。あそこをあるききれなくなったら、それで終わりだ。アドルノというひとを、たぶん正しすぎるからだろう、手放しで好きにはなれない。苦手かもしれないな。しかし「連帯すべき相手は人類の苦悩である。人間の悦びのほうにほんの一歩でも歩みよることは、苦悩をつよめる結果にしかならない」と言われてしまえば、いまとなっては「連帯」「人類」「苦悩」という言葉たちの感触と訴求力をうじうじと怪しみはするけれども、わたしとしてはなんだかぐうの音もでない。ノザレノアザミは、それでは、苦悩なのか悦びなのか。どちらでもあり、どちらでもない。そうおもう。(2013/08/07)
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2013年07月30日
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私事片々(不稽日録)2013/07/16~07/31

・8月末になにかをやるというのなら、8月末までまず生きていなければならない。当然の話だ。それまでなんとか生きていられたとしても、夜にひとまえで2時間以上話すには相応の体力がいる。自宅から会場までは堀内君が車で運んでくれるにしても、駐車場から会場まで、そして会場内は、自力で歩かなくてはならない。体力、歩行能力ともに、このところめっきり落ちている。夜は感覚障害がこうじるので、とくにいけない。わたしからすすんで「やらせてくれないか」と言いだしたとき、フォーラム90のTさんが「マジすか?」と反問したのには、決心のほどだけでなく、身体はちゃんと機能するのか質したかったからだろう。それからは、嵐の日をのぞき、歩行練習を欠かしていない。といっても、アパートから200メートルも離れていないカフェまでよろよろ歩き、コーヒーを飲んで、またよろよろ帰ってくるだけの話だ。帰途、「エベレスト」にのぼるのを忘れない。ハナミズキのある角の広場の土盛りは高さ1メートルもないのだけれど、わたしにとっては断崖絶壁なので、エベレストと名づけた。よろけながら土盛りにのぼっていくわたしを、無宿者らしい男がベンチからぼうっと見ている。何回歩いても、のぼっても、おりても、ちっともうまくはならない。無効。この9年間でそれは実証ずみである。死んだ脳が、動作を数かぎりなく反復しても、憶えても慣れてもくれず、毎回、生まれてはじめて歩くような危うい感覚なのだから、いたしかたがない。しかし、この自主トレを5日もやめれば、歩くのもおりるのものぼるのも、大変に困難になるか、もしくはほぼ不可能になる。歩けなくなったら、8月末の約束は果たせない。だから歩く。意味はない。だから約束したのかもしれない。いつかヤマブキは咲きおわり、いまは白いサルスベリがこんもり雪をかぶったように満開である。風が吹くと白雪が散る。吹雪だ。花を浴びながら、前かがみに歩く。(2013/7/16)

SOBA:辺見さんがよく言う「エベレスト」を説明している部分。この部分を知らないで「エベレスト」と読むと「ん?」となる人もいるかも。赤文字表記は私SOBA。

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・8月31日は、ほとんど永遠の未来のように遠い。それまでにいったいなにがあるか、なにがないのか。いま、だれがわかるというのだ。明日さえわからなくなったというのに。また、こうも言える。「人が生きているときには、何も起こらない。舞台装置が変わり、人びとが出たり入ったりする。それだけだ。絶対に発端のあった試しはない。日々は何の理由もなく日々につけ加えられる」。有名な(かつて有名だった、か)この文に、わたしは、おそれながら、「明日か来週に、絞首刑があろうとなかろうと、だ」をつけ足してみる。そうしたら、「これは終わることのない単調な足し算だ」と言って笑って受けながすことができるかどうか。国家はたぶん、この選挙中にはあれをやるまい。選挙後にはやるだろう。そして、「日々は何の理由もなく日々につけ加えられる」であろう。もしもそうであるならば、国家とはなにか。国家とはだれによって演出され、だれによって、どのように幻想されるのか。アドルノの『プリズメンーー文化批判と社会』訳者解説を読む。「果てしなく進行する大衆の愚昧化と従順化、それと知りながらついうかうかと乗せられてしまう知識人の人の好さとだらしなさ…」。8月31日は、ほとんど永遠の未来のように遠い。それまでにいったいなにがあるか、なにがないのか。いま、だれがわかるというのだ。死刑執行は、しかし、選挙前にはなくとも、選挙後には必ずあるにちがいない。どうしてなのか? 日々は再び何の理由もなく日々につけ加えられるだろう。8月31日のテーマのひとつはそのことである。なぜそうなのか?(2013/07/17)
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・久しぶりにK君からメールをもらった。わたしよりおそらく40歳は若い友人(友人と、わたしはかってにおもっている)である。と言っても、数年前に1回しか会ったことはない。自宅でだ。ずいぶん遠いところから前置きなく私を訪ねてきたかれと、まずインターフォンで話し、なにも疑わず、部屋にきてもらった。なにを話したかはあまり憶えていない。いまもいっしょに暮らしている犬が、まだ子犬だったころである。K君は、華奢で色白でもの静かな青年というより、少年から青年になりかけの、人間がものごとにいちばん敏感で、頭が最も活発にはたらく時期にあって、だからこそ当然、いくぶん思い迷っているようにも見えた。そう見えるかれをわたしは好感した。かれは学生運動をしているようであった。わたしもなにせ半世紀ほど前のことだが、学生運動をしたことがある。K君はかつてわたしがいた党派とはちがうセクトで活動しているようであった。2つの党派(他の党派もだが)は過去に凄惨な殺し合いをしたことがある。それは、この国の学生運動だけでなく、政治、文化、思想の各面に、いまだに視えない死の影を投げている。わたしはそうおもっている。友人のひとりは脳漿が周囲に飛びちらかるほど鉄パイプで頭を打ち砕かれて死んだという。母親を亡くしたとき、母を悼む短歌を詠み、部屋中に短冊をはりだして慟哭しつづけた男であった。報復がまた報復を呼んだ。変革をめざすというひとつの政治的党派が、変革をめざすという他の党派の者の殺害または殺害を結果することになるかもしれない暴力と身体の破壊を容認するということ。これはどういうことなのか。それは究極的に死刑容認の思想とまったく、全的に無関係でいられるものなのだろうか。そのことをK君と話してはいない。話せば、かれはかれの言葉で、かれじしんのかんがえを話してくれるかもしれない。脇道にそれた。ほんとうはあまりそれていないが、一応、脇道にそれたと言っておく。
 K君のメールは、しばらく前にわたしが毎日新聞のインタビューに答え「…日本でもホモ・サケルに近い層、言わば人間以下として放置される人たちが増えている。80年代までは、そういう貧者が増えれば階級闘争が激しくなると思われていたけど、今は彼らがプロレタリアートとして組織化され立ち上がる予感は全くない。それどころか保守化してファシズムの担い手になっている。例えば橋下徹・大阪市長に拍手をし、近隣諸国との軍拡競争を支持する層の多くは非受益者、貧困者なんです」と話したことになっている箇所への反論であった。話したことになっている、などともってまわった書き方をしたのは、同紙の引用がわたしの言葉と多少のずれがあり、話の全体のコンテクストと必ずしも合わないからだが、わたしがおおむねこのような趣旨の話をしたことは事実である。K君はこれにたいしメールで「じつはこの箇所に引っかかりを感じていました。貧困者ほどファシズムに走っているというのは本当なのかと」と反論してきた。貧困者ほどファシズムに走っているというのは本当なのか? わたしは文字どおり「貧困者ほどファシズムに走っている」と言った憶えはないが、K君の「引っかかり」は、わたしの疑問そのものでもあるから俄然身をのりだした。
 勉強家のK君は、大阪市長選挙において、平均世帯年収と橋下市長に投票した割合の関連をさぐった客観的データやグラフなどを添付して、平均世帯年収が高い区ほど橋下に投票した割合が高かった事実を教えてくれた。さらに「富裕層が橋下市長を支持していると結論づけるのは早計だが、低所得者が支持層の中核という一般的なイメージと違うのは明らか。中流層のいっそうの分析が必要」とする研究者のコメントも紹介して、「生活に追われて政治的なことを考える余裕もない人たちよりも、新自由主義と右翼的な知識を身につけた中間層とその予備軍(学生)が、維新の会や安倍政権と潜在的に意識を共有している主体ではないか」と問題提起。「いまむしろ一番警戒すべきなのは、橋下市長の慰安婦発言や在特会のような『行き過ぎ』には眉をしかめ『ああいうのを支持する人間は低学歴の貧乏人』と距離を置きながら、それと本質的には変わらない安倍首相の外交姿勢や朝鮮学校の無償化排除を『正論』、『まとも』だと支持するような『普通の人たち』の動き、増大する一方の貧困層に対して、自分だけは堕ちたくないという意識から『自己責任論』を振りかざすような『普通の人たち』の動きであって、いまおこっていることは、貧困者ではなく没落の危機にひんした中間層が保守化・ファッショ化するという古典的な『ファシズム』と捉えるほうが適切なのではないでしょうか」ーーと疑義を呈してきた。
 わたしはK君に感謝する。そして「これ以上ないくらい無邪気な装いで、原ファシズムがよみがえる可能性は、いまでもある。わたしたちの義務は、その正体を暴き、毎日世界のいたるところで新たな形をとって現れてくる原ファシズムを一つひとつ指弾することだ」というエーコの言葉をおもいだす。原ファシズムはよみがえるのではなく、よみがえったのだ、とおもう。
 今日もエベレストにのぼった。右足の調子が昨日よりよくない。意思に従わず、どうしても前にでようとしない。大きく踏みだしてくれない。よろける。目眩がする。息があがる。が、もう慣れている。動作の不如意にではなく、この甲斐のなさには、とくと慣れている。山頂でふとクロイツベルクのことを想った。約20年前、ドイツのネオナチ勢力による外国人排斥が行動化したころ。北部のメルンやゾーリンゲンでトルコ人の家が次々に焼きうちに遇い、人びとが無残に殺された。わたしはそのころ『もの食う人びと』の旅の途次にあり、トルコ人たちが多く住むベルリンのクロイツベルク地区にいた。そこで知りあったトルコ人青年の言葉をいまでも忘れない。「ほんとうのネオナチって、貧しいスキンヘッズじゃなくて、ほら、立派な背広を着て、革のソファーに座っているような、上流のドイツ紳士の心のなかにもあるんじゃないかな」。外国人排斥などぜったいに口にはしない笑顔のドイツ紳士。現実に排斥運動が起きれば、眉をひそめ、首をふりながらも、心中ひそかに快哉を叫ぶ医者やジャーナリスト。「かれらのほうがよほど怖い」と青年は語った。約20年前、わたしはベルリンから原稿を送った。「ばかげた仮定かもしれない。しかし、ドイツで私はくりかえし自問した。日本にも、ドイツのように、650万人もの外国人が住んでいるとする。…景気は低迷、失業率も高いとする。それでもゾーリンゲンの放火殺人事件のような犯罪が絶対に起きないか。ネオナチに似た民族排外主義は高まらないか。あってはならぬという主観と、起きる可能性があるという客観は別物だ。可能性を、私は否定できない」。20年前、そう書いた。K君は『もの食う人びと』を読んでくれただろか。わたしは高さ1メートルもない土盛りのエベレストをそろそろとおりた。(2013/07/18)
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・J.Z「…マルクスが自らの背景にあるユダヤ=キリスト教的伝統の下に『終末論』と呼んだあの『歴史の下部の歴史』、言いかえれば、目に見える歴史の底に横たわっているあの不可視の歴史こそ、ぼくには決定的に重要なものに思われる…」
・R.D「…技術の進歩は不可逆だが、政治は可逆的なものだ。つまり、政治には進歩はないということだ…」

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 オコゼを食ったのだった。薄造りに肝にから揚げ。オコゼの味噌汁もついたかもしれぬ。オコゼの接待にわたしはややおどろき、心が散らかったまま整理がつかなかった。1973年ではなかったか。鎌倉は小町通りの店。高橋たか子さんはオコゼのコースを予約してくれていた。田村俊子賞受賞のせいかどうか、上機嫌で生き生きとして見えた。わたしが聞きたかった高橋和巳の話はほとんどなさらなかった。和巳が他界してまだ2年ほどだった。以来、オコゼを食べていない。いや、食ったかもしれないが憶えていない。オコゼと高橋たか子、すでに逝った高橋和巳の関係が、関係なんかないのだけれども、なんだかわからずじまいだった。などと話しながら、友と白いサルスベリの道をあるいた。白いサルスベリはむせるほどにおった。(2013/07/19)
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・「愚者たちの祝祭」と罵っておきながら、犬をつれて不在者投票に行った。投票所ちかくのハナミズキのあたりに犬をつないで、ひとりであるいているとき、不在者投票って面白い言葉だな、とおもった。そうおもったら、じぶんも不在者になった気がしてきて、からだがだんだん透きとおっていくのだった。鉛筆というものを何年ぶりかで握った。憲法の改悪と死刑、外国人排斥、原発に反対しそうなひとの名前を左手で書いた。死刑についてはだれも賛否を言っていないから、推測するしかない。「まったい無駄」だったか「まったき無駄」だったか。そんなようなことを高橋和巳は書いたことがあった。絶望的懐疑。選挙のことではなく、暗殺にかんする文のなかでだ。「精神はほんらい空虚をいとうものなのだ」とも。「まったき無駄」という言葉を心に舐り舐り、投票所をでたら、ハナミズキのむこうから白いものが吹雪いてきた。またサルスベリだ。いくら落花してもモクモクと新しい花が湧いてくる。幼児に呼びとめられた。通行人がすてたガムをわたしの犬がパクッと食べてしまったのだという。「わんちゃん死んじゃうよ…」。眠い。わたしは眠いのだ。いま、この顕わな時間には、視えないたくさんの伏流の時が流れているだろう。おびただしい死者たちが伏流の時を泳いでいるだろう。わたしもいつか視えない伏流を平泳ぎで泳ぐだろう。サルスベリが静かに吹雪いている。
(2013/07/20)
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・エベレストにけふは2度のぼった。2度目は4時ごろだった。山頂から眺めると、先日、無宿者とみられる男がいた木のベンチに、小太りの若い女がひとり前かがみにすわっていて、しきりに携帯電話をかけている。エベレストをおりて若い女にちかよっていった。アパートに戻るには、木のベンチの前をとおらなければならないからだ。女はことさら猫背にしてメモを掩いかくしながら、ヒソヒソ声で話しつづけている。通話内容はすべて数字ばかりである。ちょっとからかいたくなった。そうおもっただけで実際にはなにもしていないのに、小太りの女は横目でわたしをにらみ、さも重大機密でも隠すようにメモごと上体をひねって、わたしに背をむけた。失礼な女だ。ブラウスの背が汗でいくすじか黒っぽい畝になって濡れている。女は新聞社の腕章をしていた。近くに投票所があるから、出口調査の報告でもしていたのだろう。その、なんの罪もない汗かきの女に、いきなり覆いかぶさり、耳もとで「わっ!」と奇声をあげるじぶんをおもいえがきながら、わたしはベンチ前を黙ってとおりすぎた。
「…さあこれからはお前たちがつぐなう番だ。/戦(いくさ)をしろ、愚かな人間ども。/畑を荒らせ、街を荒らせ、/神殿を犯し、墓をあばけ、/そして負けた者を拷問しろ。/その果てに、お前たちは死に絶えるのだ、/一人残らず」(「トロイアの女たち」)。いよいよ明日から、土日祝祭日をのぞく平日の午前中、死刑執行の可能性が増すだろう。今日の明日だ、まさか明日はあるまいが…。(2013/07/21)

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・「死刑の廃止は…」とハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーが書いたのは1960年代前半であったろう。この主語には、述語の前に条件または仮定の節があって、「究極まで考えぬけば、」と言うのである。人間、究極までかんがえぬくほど困難なことはない。それはほとんど不可能といってよい。そのぶんだけ、若かったわたしはいたくうたれた。「死刑の廃止は、究極まで考えぬけば、国家の本性を変革することにもなろう」。この一文から、何十年もたったいまでも、わたしはまったく抜けだせないでいる。どころか、ときどきとりだしてはなでさするほど大事におもっている。結語はこうであった。「それは、まだぼくらからはるか遠くにある社会秩序を、先取りすることなのだ」。エンツェンスベルガーのこのかんがえは、「殺人と政治のあいだには、密接で暗い繋がりがある」という、深い直観の湖からわきあがってきている。政治は、それがいかなるかたちであれ、殺人をみちびく。そのことをわたしはすでにおもい知ったし、まだおもい知っていないひとは早晩おもい知るはずだ。究極までかんがえぬけば、法的には可能なはずの死刑執行を選挙期間中は避けたのも、いずれ殺人をみちびくだろう政治の手法だったのだ。票にならないからといって死刑反対を言わなかった政治党派は、やはり究極までかんがえぬけば、死刑制度の実質的支持者なのである。ほどなく、そのことも晒されるであろう。(2013/07/22)
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・けふもエベレストに2度のぼった。まったくはじめての登攀のようにドキドキ、ヨロヨロした。わたしが憶えているのは、わたしというからだが、エベレストにこれまで何度ものぼったことがある、という事実とその観念のみであって、のぼりかたやコツ、登頂の感覚などではない。遠くで雷が鳴っていた。中腹に、平たく踏みつぶされたアブラゼミの死骸が一体と緑色のドロップが一個落ちていた。アパートに帰って、書きかけのエッセイをしあげなければならない。わたしはあるひとの詩のなかに見つけた「おわいのおかし」と「おわいのなまがし」について書いていたのだ。owainookashi and owainonamagashiである。ふたつとも凶器ではない。メタファーか概念か表象であるので、とくに危険性はなひのです。なにか腸の腐爛したタヌキをおもわせる経団連の会長が、憲法改定について「国民投票が過半数の賛成なので、発議要件も議員の過半数がのぞましい」と言い、集団的自衛権については「平和維持の観点から正面から議論すべきだ」と、いかなる特権をもってしてか知らねども、えらそうに述べた、というニュースを見た。「おわいのおかし」と「おわいのなまがし」のうち、とくに後者のほうを、腐爛したタヌキの口と、政治家や財界人の排泄物をはいつくばってひろいあつめている記者どもの口に、たんと突っこんでやるべきではないでしょうか。そう犬に話しかけたが、犬はなにも返事せずに横倒しになって昼寝している。犬にまた問う。腸の腐爛したタヌキをおもわせるあの男は、貧乏人にたいする死刑執行システムの総元締めではないでせうか。犬は答えず、グーグー眠っている。(2013/07/23)
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・けふもエベレストにのぼった。先に幼稚園児たちがわいわいとのぼっていたので、みんなが帰るのを木のベンチでじっと待った。3回ほどまばたきしたら園児たちがひとりのこらず消えていた。昨日山腹にあったアブラゼミの死骸も、緑色のドロップも、もうなくなっていた。わたしの見まちがいだったのか、アリや鳥たちが運んだか、どちらかだろう。そうするうちにも、からだのきわを時間が音もなく流れていく。むこうからここへ、あちらからそちらへ、といった方向や境目はない。時間はいつも、いまでしかない。ひとというのは、ある宿命をみずからに仮構することによって、大半の可能性を流産させながら着実に老いてゆく。「自己にとっての自己」ではなく「他者に見られるがままの自己」を演じる(選ぶ)ことにより、(左右の)権力側の人間かよく服従する者になっていく。そんなようなことを以前なにかで読んで、当座はふふーんとおもっただけなのに、じつはまだずっと気になっている。 フュール-ジッヒ。向自とはあくまでも、己にとっての己を、どこまでも見すえることである。集団にとっての自己、組織にとっての自己、大衆にとっての自己、市民社会にとっての自己、読者にとっての自己ではない。徹して己にとっての己である。〈ひとを殺してはならない〉という意思は、いまより近代以前のほうが、基本的抑制としてよりつよくはたらいていたという説がある。端的に言えば、運搬手段をふくむ兵器による有効殺人距離が延長されればされるほど、〈殺すなかれ〉の抑制がよわまっていき、大量殺戮が可能になっていった。人体の破壊を目撃せずにすむこと。テクノロジカルな殺戮。クリック。delete。それがおびただしい人体の破壊のリアリティをどこまでも希釈し、存在物の消滅を抽象概念化した。死刑もそうである。わたしたちは被処刑者の救いない最後の抵抗、泣訴、号泣、叫び、苦悶、頸骨が破砕される音、ときにはからだからほとんど破断されてしまう首、飛びちる鼻血、脱糞、飛びだす眼球、流れる体液・・・を、見ず、聞かず、嗅がずにすむ。粛然たる向自の機会をじつはかんぜんにうばわれている。たとえ明日の朝、絞首刑の執行があっても、昼にはハンバーグとガーリックトーストをおいしく食べることができる。なんなら「えっ、死刑? いやですねえ・・・」と慨嘆してみせることだってできる。わたしたちはほとんど対自せず、己にとっての己をつきつめないで、そして、まさにそうしてこそ、抗わぬ良民を装うことができる。「自己にとっての自己」ではなく「他者に見られるがままの自己」を演じること。わたしではなく、わたしたちとして、日一日、刻一刻と老いおとろえてゆく。わたしはエベレストから、ちかくの計画緑地にむかった。むっとする草いきれ。下草がのび放題で、栄養をうばわれた樹々が、病んでいるのだろうか、みな黒く骨ばって、醜く老いさらばえていた。そこを〈魔女の森〉と命名することにした。ルリマツリがフェンスからはみでて咲いていた。(2013/07/24)

SOBA:文中の太字フォントは私SOBA。なお辺見さんが上記言及している「向自・対自(für sich)」の部分を考える上で↓参考になる関連記事

記事その1⇒こちら特報部20071212元刑務官が語る死刑の現場 「押せ」5人一斉執行ボタン 「職務…でも、なぜ自分が」 「受け止め役」辞退許されず 存廃より情報開示を 裁判員制度前にもっと議論必要(pdf)

記事その2⇒東京新聞ニュースの追跡20130609死刑制度とは 少年事件とは 永山元死刑囚 遺品が問う(pdf)

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・はて、どうしたものだろう。襟元や脇の下をなにかがスースーととおりすぎてゆくのだ。口から入り、頭蓋をへめぐって眼窩へと吹き抜けていく、芯のない音か空気のようなもの。真鍮の肉挽き機。に張りついた犬の肉のかけら。チューブに入った緑色のポマード。加虐性肛門性欲。同症候群。そして、腐った羽目板。はめにはった板。ハメマラ。鶏頭。赤チン。ジョロヤの板塀の湿気と黴。板塀の隙間からもれてくる、安いおしろいにまぶされた汗と垢のにおい。イチジク浣腸。ヒバリノ海岸にかならず落ちていた、イチジク形の、白濁したその容器。オキシフル。三ツ矢サイダー。よろずやのとんず。ベーゴマかっぱらってこい、とんず。東次。でぎらんぽ。アホ。テーノー。まぬげ。メヌゲ。マカオのオカマ。こんなんでいいのだろうか。こんなんしか浮かばない。うがばね。とんず、けすごむ、かっぱらってこい。床屋の女。タールくさい髪。夜の砂浜。黒い波。穴を掘って女埋めた。うめだ。いや、埋めていない。うめでね。エベレストにのぼった。頂上の樹を一本かくにんした。かぐぬん。ヤマモミジ。だからどうしたというのだ。とんず、三角定規かっぱらってこい。テーノー、セーハグ。こんなんしか浮かばなひ。どうするのだ。死刑は、社会と個人間にいきわたっている内心の不自由の排気弁であるとともに、不安と憎悪と罪責の吸気弁である。・・・と言ったところでどうなるというのだ。へっ、えらそうに。とんず、どこにいる?まだ生きているのか?明日、ミルキーかっぱらってこい!すずぎけんずはもう死んだど。ずさつ、自殺だ。(2013/07/25)
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・ドツキアイがもうはじまっている。暴力の時代がきている。永遠の世界戦争がはじまっている。わたしはそうおもう。歴史の転換に幕間はあるようで、ない。緞帳はおりず、幕があがることもなく、回り舞台がいままさに盛んに回っているようにも、常人には見えない。だが、狂者には変化が見える。かつてもそうだったし、現在もそうである。だから、狂人になろう。歴史は、はっとおもったときには、もう転換している。かつてもそうだったし、現在はとりわけてそうである。石破茂が言った。「憲法改正により軍事法廷を設置し、命令に背いた自衛隊員は極刑に処せるよう検討する必要がある」。肥大化した権力と際限なく退行するメディア、大衆社会が必然的にひらいた、人民主権が政治の陰謀に手もなく呑まれていく惨憺たるパノラマ。ニッポンという名の群落における集合的人格崩壊。それがいまではないのか。「例外状態」がついに常態化する、政治空間における暴力的位相変化。それが現在である。わたしたちは絵空事の平和な生活を、制度化された巨大な暴力機構の内部で日々おくることになる。ドツキアイがはじまっている。はじまるはずだ。いざこそ参加しよう。暴力の同心円の遠い外側にたって、いまさら利いたふうなことを言ってどうする。「そんなに上手に琴をひけることなど恥だとおもえ」ではないか。けふも一回だけエベレストにのぼった。白いサルスベリの並木のむかいに、道をへだてて、赤いサルスベリが一本咲いていた。いままでどうして気づかなかったのだろう。酸化した血のように、あまりに濃すぎる赤が、もくもくと湧き、炎天に噴きだしている。あまりに濃すぎる赤だから、かえって見おとしたのか。あれはもう花ではない、と。ありえない、嘘だと錯覚したのか。(2013/07/26)
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・赤熱の巨きな塊におそるおそるちかづいていったのである。と、交差点のわきの刃物屋の角から、アイスグリーンの日傘をさした女がでてきて、カッカッと靴音をならしてこちらにやってきた。赤いサルスベリまでわたしはじきちかくにあり、女はまだ相当遠いのだけれども、こちらは例のヨイヨイあるき、むこうは軽快な速足だから、たがいがすれちがう地点は、歩道までせりだした花の下になるとおもわれた。すべては、予め決められた偶然である。やはりそうなった。日傘にファイアレッドの時雨がぼとぼとと降りそそぐ。女の顔も赤く染まる。脳天が割れてぬらぬら血に濡れたようになった顔に、どうも見おぼえがある気がするのだが、とっさには想いだせない。ひょっとしたら、亡くなる2週間ほど前にせっかくお別れを言いにきてくれたのに、わたしが口実をつけて会わなかった米村さんではないか。そうおもったら、足下が細い吊り橋になってゆらゆら揺れた。米村さんは赤いサルスベリの真下でわたしにかるく黙礼して、死の岸のほうにあるいていく。末期で、顔が黒くなってしまったので、顔を隠していきますね。そんな手紙をちょうだいし、わたしは怖じ気づいたのだった。米村さんはもういない。サルスベリを見上げた。きのふあんなにも濃い緋色に見えたそれは、まぢかだと、意外に淡い緋縮緬で、鼻をよせてもいっこうににおうことがないのは、生と死の吊り橋上だったからだろうか。「人間そのものがひとつの過渡である・・・」(梅本克己)という言葉に、若かった日々、救われていた。いまは救われない。人間は過渡期の人間でしかない。いくらなぞっても救われはしない。「人間は・・・」「世界は・・・」「愛は・・・」「死刑は・・・」という大きな主語からはじまる語りのあらかたを、じぶんでもそう言いだしながらも、わたしは根っこから訝るようになった。なぜだろうか。米村さんの死は人間の死一般ではなく、米村さんだけの死であった。佐藤昭憲の自殺か他殺も、かれだけのあまりに、あまりに寂しい死であった。安田南の死も、彼女ひとりだけの、だれともともにしない、死ぬほど寂しい死であった。go away、 little boy・・・.殺害された服部多々夫の死も、かれだけの凄惨でどこまでも孤独な死であった。ひとりびとり、ひとつひとつに、それらの固有性と孤絶の深みに、どこまでもどこまでもこだわりつづけることだけが、嘘という不自由から逃れられるただひとつの方法なのだ。わたしはサルスベリの吊り橋を、米村さんと反対方向にわたり、けふもまたヨイヨイあるきでエベレストへむかった。(2013/07/27)
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・犬の糞をひろい、エベレストにのぼった。(2013/07/27)
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・エベレストにのぼり、犬の糞をひろった。(2013/07/28)
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・エベレストにのぼり、犬の糞を2度ひろい、パウル・ツェランを読んだ。(2013/07/29)
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・けふもエベレストに1回のぼった。頂上にずいぶん貧相なヤマボウシの樹があるのをかくにんした。ふもとの木のベンチにはだれもいなかった。アパートのベランダに石のようにかたくなった犬の糞を2個見つけた。トイレに流した。ファシズムというのは、全体として、ファシズムと反ファシズムによって構成され合成される。忘れまい。19世紀フランスではギロチンによる公開処刑を見世物=スペクタクルとして楽しんでいた。ギロチンのミニチュアが玩具として販売され、子どもたちが生きた鳥やネズミなど小動物の首を切り落として遊んだ。ドイツでも、ワイマール共和国およびナチス・ドイツをへて死刑制度が廃止されるまで、さかんにギロチンがおこなわれた。ギロチンはドイツ語である。ナチス・ドイツ時代の1933~1945年にかけては、16500人もの人びとがギロチンで処刑されたという説がある。被処刑者のなかには、白バラ抵抗運動のゾフィー・ショルやハンス・ショルら政治犯も多数ふくまれていた。そのむかし、ゲーテも自分の子供のためにギロチンの玩具を買ってくれるように母親に手紙を書きおくったことがある。ゲーテの母はこの願いを拒絶した。南ベトナムでも1975年まではギロチンがおこなわれていた。欧州を死刑廃止にみちびいたのは、少数者の努力であり、かならずしも、市民社会やキリスト教や世論ではなかった。マスメディアはつねにスペクタクルの見物人の味方であり、死刑存続を後押しした。ファシズムというのは、全体として、ファシズムと反ファシズムによってなりたつ。忘れまい。(2013/07/30)
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・けふもエベレストにのぼった。頂上でセミがジィ、ジィと2度鳴くのを聞いた。子どものころ、ヨイヨイあるきの老人の動作をまねて、すぐうしろをピョコタンピョコタンあるいてみせて友だちをげらげら笑わせた。老人を先頭にしてわたしら子どもらのヨイヨイあるきの長い列ができた。いまひょいとふりむいてみても、子らの列はない。わたしが、だれもいない列の先頭にいるだけ。あるきながら、はげしく回想する、はげしく。どうしてだろう、回想するばかりだ。そう、明日8月1日は永山則夫の命日だ。1949年6月27日、この世にひとつの生をうけた男は、1997年8月1日の午前に、全身を瘧のようにうちふるわせて監房からの連行に抵抗し、あらんかぎりの声でいくたびか絶叫したものの、刑務官たちに制圧され、東京拘置所の刑場で絞首刑に処された。しいて区切れば、たぶん、その日以来である。わたしがいわば穏和な死刑反対者からあまり穏和ではない死刑反対者になったのは。あるいはこう言ってもいい。死刑という徹底的に抽象概念化され、おそらく抽象概念と錯覚されることによってのみ長くなりたちえている最悪の国家的儀式を、より具象的、人間身体的にかんがえはじめたのは、会社を辞めた翌年の1997年8月1日からである。改築前の東京拘置所のまわりをいくどとなくうろついた。絶叫がまだ壁にしみついてはいないか、草木はそれを聞いていなかったか、頸骨や舌骨が砕ける残響をどこかにただよわせていないか、気配をうかがったものだ。あらゆる種類の死刑を抽象概念ではなく、肉感的に官能的にかんがえるようになった。永山が獄中ですぐれた作家になったから他の者と区別して想像したのではない。それはちがう。青森県北津軽郡の板柳町はいま、 気温21°C、風向は北西、風速は3 m/s、湿度は94%であるという。なんてこった!こんなことがいっぱつでわかるなんて。肝心なことはなにも、なにひとつわからないというのに。しかし、永山が母親たちと暮らしていたあのボロ長屋(いまはないであろう)のトイレの臭気は、わたしの惛い記憶箱のなかで、この湿気である、ますます濃くなるばかりなのだ。板柳町に行ったのは、病気に倒れ、ヨイヨイになる前のことだった。永山がいたボロ長屋のにおいは、変わらずにわたしの胸骨にしみついたままだ。2階中央のガラス窓の内側に永山がいて、殴られたりどなられたり、ぜったいに見てはならぬものを見てしまったり、ときには殴ってはならない者を殴ったりしていた。あの窓だ。あの窓の内側だ。(2013/07/31)
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完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。


 

辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。 


 

辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。 

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