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2014年8月25日 (月)

辺見庸 (日録21)私事片々 2014/06/12~と、(日録22) 雑談日記Archive

 辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで

 以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。写真が多いので、2エントリーずつアップします(表示順は元ブログと同じく上から降順です)。

 

 以下、日録の22と21。

2014年06月18日
日録22

私事片々
 
2014/06/19~2014/06/26昼 
http://yo-hemmi.net/article/399735608.html

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街.JPG

・おい、安倍晋三よ、以下をよく読め。衆院本会議での答弁。吉田茂首相戰爭抛棄に關する本案の規定は、直接には自衞權を否定はして居りませぬが、第九條第二項に於て一切の軍備と國の交戰權を認めない結果、自衞權の發動としての戰爭も、又交戰權も抛棄したものであります、從來近年の戰爭は多く自衞權の名に於て戰はれたのであります、滿洲事變然り、大東亜戰爭亦然りであります」「戰爭抛棄に關する憲法草案の條項に於きまして、國家正當防衞權に依る戰爭は正當なりとせらるるやうであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思ふのであります(拍手)」「近年の戰爭は多くは國家防衞權の名に於て行はれたることは顯著なる事實であります、故に正當防衞權を認むることが偶偶戰爭を誘發する所以であると思ふのであります、又交戰權抛棄に關する草案の條項の期する所は、國際平和團體の樹立にあるのであります、國際平和團體の樹立に依つて、凡ゆる侵略を目的とする戰爭を防止しようとするのであります、併しながら正當防衞に依る戰爭が若しありとするならば、其の前提に於て侵略を目的とする戰爭を目的とした國があることを前提としなければならぬのであります、故に正當防衞、國家の防衞權に依る戰爭を認むると云ふことは、偶々戰爭を誘發する有害な考へであるのみならず、若し平和團體が、國際團體が樹立された場合に於きましては、正當防衞權を認むると云ふことそれ自身が有害であると思ふのであります、御意見の如きは有害無益の議論と私は考へます(拍手)」(昭和21年=1946年6月 下線は引用者)。安倍、高村、石破よ、熟読玩味せよ。神道政治連盟国会議員懇談会名誉顧問・麻生太郎、お前のおじいちゃんの話だ、心して読め。なに?漢字がさっぱり読めません?嗚呼、已んぬる哉。「ぐうぐう」ではない。エテ公め、バナナでも食っておれ。「故に正當防衞權を認むることが偶偶戰爭を誘發する所以であると思ふのであります」。日本の戦後はこうして「偶々」はじまり、必然的に〈新しい戦前〉のいまがある。ミスド中央口店。エベレストにのぼらなかった。(2014/06/19)

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白いアジサイ.JPG

・ツィフィル ……とくに秩序が支配している国には、ぼくは住みたくない。窮屈だ。ぼくらの国でのように濫費が秩序と呼ばれるときもあるが、それは前にも言ったように、戦争のときくらいだ。しかしさしあたって、それは論外としよう。/カレ 何も、正しい場所にないなら、無秩序だ。正しい場所に、何もないなら、秩序だ。そう言っていいだろう。/ツィフィル こんにちではたいてい、何もないところに秩序がある。秩序は欠乏のあらわれだ。野村修訳。文學界送稿。R.D 21世紀の人間がどんな人間なのか、ぼくには見当もつかない。せいぜいぼくにわかるのは、それがどのような人間ではないか、それだけだ。/同感。「それがどのような人間ではないか」とは、すなわち、得体が知れない、ということだ。とても気味がわるい、ということだ。映像の支えがない概念は、死ぬのか。生きるとすれば、どのように生きのこることができるか。ダフネに行かなかった。ジョジョがハハハハハと笑った。エベレストにのぼらなかった。(2014/06/20)

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シジミチョウ.JPG

・ツィフィル ナチは「公共の利益は個人の利益に優先する」と言うね。こいつは共産主義だぜ、とぼくはかあさんに言ったもんだ。/カレ きみはまた、わざと浅薄にものを言っている。ぼくの反論を引きだしたいんだろう。問題のスローガンの意味するところは、国家は臣民に優先する、そして国家はナチである、というだけのことじゃないか。国家が公共を代表するしかたたるや、みんなに課税し、命令して引きまわし、みんなの交流をさまたげ、みんなを戦争に駆りたてる、といったぐあいだ。野村修訳。/「歴史の下部の歴史」=「目に見える歴史の底によこたわっている、あの不可視の歴史」。科学技術にテクノロジカルな後退はない、という。だろうか?政治には退行がしばしばある。現在は、いちじるしく退行した政治が、科学技術を政治的に支配している。LSV→オンブルヴェール。犬、コビト。ダフネに行かなかった。エベレストにのぼらなかった。(2014/06/21)

Station
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・エベレストにのぼったかどうか忘れた。どうでもよいことだ。アベとその一味にたいするセケン(the Seken)の全般的嫌悪と危惧はこのところいくぶんうすれてきているようにみえる。しかしアベ一味へのわたしの嫌悪はいっこうにうすまらない。どころか、吐き気がつのるばかりだ。一方で、アベ・ファシズムは悪性腫瘍のようにセケンに浸潤し、発育しつつある。マスメディアを内にふくむthe Seken(どうじに、the Sekenを心臓部に内包するマスメディア)を、わたしはますます嫌悪している。the Sekenは「社会」などという上等なものではない。the Sekenは、不思議なことに、ただただセケンでしかなく、アベのケツの穴のようにみみっちく、底暗く、夜郎自大である。ニッポンの戦争を下支えしてきたのはthe Sekenというしろものであった。(2014/06/22)

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ガクアジサイ.JPG

・サルスベリのつぼみがふくらんできた。歯医者。ダフネ2号店でアブサン。帰り、いつもは人通りのすくないマルホランドDR.にひとだかりがしていた。ひとがきをかきわけて見ると、巨大ドブネズミ父娘のエタラカとカルシが横倒しになって死んでおり、さぞや苦しんだのであろう、大きく開いた口から紫色に変色した舌を南国の肉厚の花のようにダラリとたらしていた。茶碗一杯分の殺鼠剤を食ったらしい……というヒソヒソ声が聞こえた。子どもが死んだカルシの腹を蹴っていたので、親に見えないようにおもいきり耳を抓りあげてやったら、ギャーッと泣きだした。ひとごみのなかにコビトRがいて薄笑いをうかべていた。コビトRが薬をもったのか。おもいたくはないけれど、疑いは消えない。なにも殺すことはないのに。松明寺にいってお賽銭をあげ、エタラカとカルシが成仏するよう合掌。「生活と自治」連載送稿。エベレストにのぼった。感覚障害、視床痛悪化。(2014/06/23)

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(by Kobbit)

・従軍慰安婦問題に関する河野談話を安倍政権は故意に貶めようとしている、という韓国政府の感じ方は、ほぼ正しい。安倍政権による歴史の「見直し」「再検討」の底意が那辺にあるか、とうに見すかされている。「識者」というやからが、いかにインチキな権力の太鼓もちか、だれもが知っていることだ。最近、つうか、ずっと前からだけど、わかいやつら(とくに記者ども)のペロリとした顔つきをみていると、即、ぶん殴りたくなる。反省。しなひ。ダフネ1号店に行ったら、さかゑさんがいたので、激・雷雨&激・肩痛なれども、ふたりでお国訛りでうたいながら、即、ジャストショートふあく、おこのう。ヤーレン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン ハイハイ おぎの鴎ぬ すおどぎ 問えばぁ わだしゃたづどり 波ぬ聞げ チョイ ヤサエ― エンヤンサーノ ドッコイショ アァ ドッコイショ ドッコイショと。終わり。エベレストにのぼった。(2014/06/24)

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キキョウ.JPG

・どうあっても不可逆的な科学技術の進展が、可逆的で退行し腐敗しつづける政治権力とむすびつくばあい、どんなてひどい暴発をひきおこすのか。ひきおこしてきたか。この点を吉本隆明さんと話しはしなかった。かれにはそうした観点がないようにおもわれた。「人間はじぶんでおもうような存在ではない」。自己認識と冷酷な「人間の事実」を混同してはならない。「『絶対感情』と『豹変』――暗がりの心性」(文學界8月号)校了。ダフネ1号店。厠にて速攻ジャストショートふあく1発かました後、雷鳴のなか、さかゑさん、ジョジョととともに松明寺へ。殺された巨大ドブネズミ父娘のエタラカとカルシの卒塔婆を立てるよう住職にお願いする。住職なかなかできた人物で、「ウーム、ドブネズミねえ……」としばし長考するも、「ようがす。人間もドブネズミも基本おなじでがす」と言ってのけ、ネズミ卒塔婆了承。住職によれば、エタラカもカルシもアイヌ語で、エタラカは「めちゃくちゃ」、カルシは「キノコ」の意味だという。なんだかジーンとする。卒塔婆の板に梵字でさらさらとなにごとか書いてもらい、墓地のすみに立てる。みんなで合掌。エベレストにのぼった。(2014/06/25)

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赤い花々.JPG

・雷光に、一刹那、照らされる顔が、おもわず悲鳴をあげたくなるほど狂気じみて見えることがある。メルヴィルの「避雷針売り」のように。ほんとうのことを言えば、これは「狂気じみて」いるのでなく、狂気そのものだ。狂気をみとめなければならない。吐き気とともに、狂気の蔓延、その事実をみとめなければならない。そもそもヤジの性質そのものの日常的蛮性、話しにもならぬ土賊的性格、天皇制のなかの根生いの女性差別、性にかわかわる禁中の秘密・病性・オカルティズム、ニッポンの政(まつりごと)と祭りがともにもちつづける歪んだ女性観と「性的無礼講」、ヤジの音声分析だか声紋鑑定だかをやる白衣の男たちのテクノロジカルでイカレた顔つき、それを得々として報じる、じつは社内外セクハラだらけのキチガ×・メディア、従軍慰安婦の歴史的事実を受けいれない政治権力の底にある、もっとも本質的な女性蔑視、居座りNHK会長(下品きわまりないこの男ひとり引きずり下ろせずに、改憲反対も女性差別反対もありゃしない)の蛮人発言、ヤジられた女性議員が所属するファシスト会派の本来的性格、アベ政権の騙る「女性尊重」のとんでもないまやかし……を、まったく不問にふしておいて、「美しい国ニッポン」が、あたかも「加害」と「被害」の関係が成立する正気のクニとでもおもいこんでいる、右や左のアホどもよ、偽善者たちよ、イカレポンチよ、まずじぶんたちの目から丸太をとりのぞけ。マロニエの根方をまえにして、ロカンタンは吐き気をおぼえた。その無意味さに、ただたんに在ることの猥雑さに。ニッポンとは、かく無意味で、けちくさく、チンケで、無自覚的に猥雑で、なぜか「みんなであとかたづけ」するのが大好きな、存在そのものにウンザリさせられる、あらかじめファッショ的な、醜(しこ)の小国にすぎない。ゲロゲロ。(2014/06/26)

 

2014年06月12日
日録21

私事片々
 
2014/06/12~ 
http://yo-hemmi.net/article/399281591.html

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ベランダにきたモスラ.JPG

・バカダ大学にて客員で授業をもっていたころの教え子(いま、五反田でカフェバーをやりながら、ときたまあまり上品ではない、ていふか、下品でまったく売れない小説を書いている)Sからメール。「ぼく最近3人、ひとを切りました。ひとりは、むかしからのムダな女友だちで、そのクソバカ女がブラジルのストをディスりやがったので、地獄の底まで叩き落とすような罵詈雑言をぶつけ、さようなら、ブス、と、切りました。もうふたりは、めんどくさい、エラそーな、ばかな、ケチな客。おれはあんたにパチキレとるぞ、とそのまま伝えました。自己変革なんて、できやしないと思ってたんですがね。いっしょうヘラヘラ生きていくのかと。ヘラヘラ生きてはいくんでしょうが、やはり、キレたり、切ったりは、実際いままであまりにしてこなかったのだな、とてもたいせつだな、と思いました。ぼくはまだ若すぎるみたいです。店は梅雨でヒマです。ひとり来てくれ、で、シャンパンあけてくれ、待ちです」。ふーむ。「ブラジルのストをディスりやがった」の「ディス」るというのがわからないが、ま、大意はとおる。Sはサッカーがらみの短篇を書いたことがあるくらいのサッカー好きなのだが、ここはキッチリ筋をとおしたといふことか。時期が時期である。なるべく巨視的でありたい、おおきくかまえたいとはおもふ。けれど、わたすぃもキレかかった。「シュプレヒコールもプラカードも党派性もない、明るく身軽なパレードをやりましょう」といふ呼びかけ。サンバカーニバルじゃあるまいし、アホかとおもうが、ここはぐっとこらえる。まあよひではないか。やったんさい。安倍政権にノーサンキューし、集団的自衛権行使にむけた解釈改憲に反対するために、ひとりびとりが悔いないようになにかしましょう、というのだ。ええことではないか。よかですたい。市民ひとりびとりが悔いないように自由に屁えこくなり、パレードするなりしてりゃいいのである。でも、内心いやだなあとかんじている。年甲斐もなくからみたくなる。〈シュプレヒコールもプラカードもアジ演説もメットもゲバ棒も火炎瓶も党派性もある、暗くて重苦しい首都大流血デモ〉じゃ、なして、なして、なじょして、どぼじで、あかんのか、われ。と言ひたくなるが、わたひ、ご老人、よう言わん。微笑む。にっと笑ふ。キレなひ。ひひひと笑ふ。吉本隆明が言った〈市民主義ファシズム〉というのをおもいだす。あのひとは〈市民主義ファシズム〉といふのを嫌った。どうかすると、天皇制ファシズムよりも、軍国主義よりも、GHQの占領政策よりも、何倍も〈市民主義ファシズム〉やスターリン主義を嫌った。ほとんど反動的なまでに毛嫌いした。それでいて、イトイ・シゲサトみたいなハナクソはOK牧場。いみ、わかんなひ。この期におよんで、野音あたりで、えっらそうに正義の味方ヅラする進歩的文化人とやらを吉本は終生軽蔑した。わたすぃは、でも、そんなに狭量ではなひ。なにもやらないことの正当化はしない。ええではないですか。円い縁の「文豪眼鏡」かけて、しみったれた自己主張みたく、スタンドカラーのワイシャツ着はって、たったあれっぽっちの徹頭徹尾スカスカの話をアドリブもようできんで、わざわざ手書きの原稿、読みあげるおっちゃん、えろ無害で、ええやんけ。なんせノーベル賞作家やで。ええにきまっとる。善人ヅラ、被害者ヅラ、市民の味方ヅラ、一般ジンミンになりかわって苦悩する知識人ヅラ、それらの全般的うそくささが、ナウいんやなひ?でもなあ、党派性なく、明るく、身軽なパレードって、とことんワヤやね。人間てのは、寝ぼけてても屁えこいてても×メ×してても、寝ぼけかた、屁のこきかた、オ×コのしかた、クソのひりかた、それらの無意識的方法に、われしらず、政治性も党派性もついにじませてしまうものなのだ。じっとじぶんのクソの形を見おろせ。ありゃ単純な形象に見えて、じつはそれぞれ他とは微妙にちがう、むしろ同一の本質を消しさる分身なのだ。おのれのクソを見よ。「シュプレヒコールもプラカードも党派性もない、明るく身軽なパレード」じたい、じつのところ、とてつもなく政治的、党派的で、無自覚に暗く、自他抑圧的で、不自由で、それゆえにかえって権力補完的なのである。わがクソを見つめよ。などと、わたひはもう言はない。犬とコビトとヘルマンリクガメに日々諭されている(お稽古もさせられている)とほり、身障老人らしく、気弱に、品よく、卑屈に、やや上目づかいに、哀れっぽく微笑むのだ。オホホホ…。しかしだ、ただ惨めに世界に存在させられているだけの、死にぞこないのジジババ、遺民と棄民にはいま、歴史的課題がつきつけられている。ことこうなったら、どのように暴力的にキレまくるか、怒りまくるか、だ。などとわしゃ言いませぬ。だいじゃうV、キレてみたところで、どうせ全員ニンチあつかいですものね。ヨーゼフ・ロートは初期フリッツ・ラングの映像をなにかしらみていたのではないか。アパートのベランダにきのふ、枯れ葉のやふなベージュ色のモスラ(たぶんクチバスズメ)がゐた。せんだって、非常階段にゐたモスラと同種だが、後者は焦げ茶だった。同一個体の擬態なのだろうか。うーむ、ちょこざいな。公安の手先か。中国国家安全部の、「蛾」に似せた精密監視機器か。今朝見たら消えていた。歯医者。コビトと東口ミスド。新商品ライスバーガー&コーヒー。flgwのオババが、飲み物を片手にLSV方向に悠然とあるいていった。ホッとする。エベレストにのぼらなかった。(2014/06/12)

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お魚さん.JPG

・役所でもらった「お助けカード」というのをはじめて首からさげてみた。ハートマークの下に〈私はみなさんの介助を求めています〉と書いてある。コビトと犬とカメが一目見るなり、ブフッとふきだす。コビト問う。「それつけて、電車の乗客ドツキまわす気?」。顔が凶悪だからマジ似合わない、「メリーに首ったけ」のニセ身障者みたいだ、という。似合う似合わないの話じゃない。ともかくも、「お助けカード」をぶらさげて、満員電車にのって遠くの病院へ。犬、カメ留守番、コビトつきそい。おからだのご不自由なかた用の席でマスクの婦人に席をゆずってもらう。カードのせいかコビトの声かけのせいか〈哀れさアピール〉レッスンの成果かしらねども、全般に順調。みなさま親切、ハートウォーミング・デイ。病院食堂でホットサンドイッチ&コーヒー。んめがった。タクシーの運転手、店員、看護師、ボランティアのひとたち、お医者さん…みんなみんな、かんじよかった。そうでない日もあるが、そんな日もある。だからといって、世の中がよくなった、もともとそれほどわるくない、ということではない。まったくちがう。つがいます。おばんです。おばんでした。相変わらず、じつにろくでもないクニの、じつにろくでもない大衆だ。「アモルファス(無定形)な、えたいのしれない集合」が、すべてに高をくくって、朝日を読み、テンセージンゴに感心し、NHKを見て、オオゴシごときアホに説教されて、唯々諾々と受信料はらって、サッカーで「オレ―オレ―オレ―!」とやって、いまを断乎としてささえている。まさに断、断、断乎としてささえている。国民投票法成立。オレーオレーオレー!エベレストにのぼらなかった。(2014/06/13)

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ガード下にて.JPG

・1934年夏、16歳のイングマール・ベルイマンは交換留学生としてドイツに行き、チューリンゲン地方の小さな村の牧師の家に6週間ほど滞在する。「私が牧師に、自分もみんなと同じように手をあげて『ハイル・ヒトラー』と言わなければいけないのかと訊くと、かれは『イングマールさん、それは礼儀作法のひとつと見なされているんです』と答えた。私は手をあげ、『ハイル・ヒトラー』と言ってみた。妙な感じだった。……日曜日には、家族は教会へ行った。牧師の説教は、福音書ではなく、『わが闘争』をもとにしていたのだった。礼拝のあと、教区集会所でコーヒーを飲んだ。多くの人は制服を着ていて、私は何回も手をあげ『ハイル・ヒトラー』と言った。……私たちは12時ごろワイマールに着いた。市内はすでにお祭りのような騒ぎでわきかえっていた。晴れ着や制服姿の人びとが通りにあふれ、いたるところでオーケストラが音楽をかなで、家は花と横断幕で飾られていた。カトリック教会と同様、陰気なプロテスタント教会も鐘を鳴らしていた。オペラ劇場には、ワグナーの『リエンツィ』を祝典に上演し、そのあとで夜は花火を打ちあげるという貼り紙があった。……あらゆる注意力と陶酔と歓喜がたったひとりの人物に集中されていた。……突然、静かになった。雨だけが舗石と演壇を打っていた。総統(フューラー)は口を開いた。それは短い演説だった。演説が終わると、全員が「ハイル」と叫び…オーケストラが音楽をはじめ……。これほど途方もない力の爆発に較べられるようなものを私は見たことがなかった。私もすべての人と同じように叫び、すべての人と同じように熱中した。私は誕生日にヒトラーの写真をプレゼントされた。……私はながいあいだヒトラーの味方で、彼の勝利を喜び、彼の敗北を悲しんでいた。/私の兄は、スウェーデン国家社会主義党の創立者の1人で、その幹部でもあった。私の父は何回も国家社会主義党に投票した。私たちの教師は『古きドイツ』に心酔していた。教区の牧師のなかには隠れたナチスも何人かいた」「強制収容所についてはじめて知ったとき、私の頭は、目に映るものをほとんど受けいれることができなかった。多くの人と同様、それはいつわりの宣伝用写真だと思った。ついに真実を認めざるをえなくなったとき、私は救いようのない絶望におそわれ、そうでなくてもすでに心の重荷となっていた自己軽蔑の気持は忍耐の限度をこえるほどふくらんだ。何はどうあれ自分はほとんど無実なのだと思うようになったのは、かなり後のことである。/私は、まだ免疫力のない無防備な交換留学生として、理想主義と英雄崇拝にひかり輝く世界のなかをおぼつかない足どりで歩いていた。そのうえ、自分自身のなかにひそむ攻撃性に身をまかせて、なすすべを知らなかった。外側の光に目がくらみ、暗き淵を見ることができなかった」(『ベルイマン自伝』)。〈多くのひとと同様…〉〈全員が…〉〈兄も父も…〉〈すべての人と同じように…〉という、実時間における絶対的多数者の共通感覚、ほとんど無意識の集団発声、唱和、共同行動、集団陶酔の記憶が、あのベルイマンにさえ、後々まで、恥の感覚とどうじに、存外に月並みな自己正当化と「言い訳」の気分を残しているのを、あっさりと見逃すべきではない。さほどに実時間は手ごわい。強力だ。そうじて恥じるということのなかったニッポン(ヌッポン)ではさらにむずかしい。もうなんども見た『恥』を、もういちど注意して見てみよう。ふしぎだ。ふすぎ。ダフネ2号店の帰り、シェパードほど大きな黒いドブネズミ一匹が、コビト村のほうにゴムのような尻尾をふりふりゆっくりとあるいていった。ペタペタ足音がした。臭かった。ふしぎだった。静かだった。エベレストにはだれもいなかった。ふしぎだなあとかんじつつ、エベレストにのぼった。ふりかえったが、だれもいない。(2014/06/14)

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・ふしぎだ。街にひとけがない。どうしたのだろう。空気がおもく、なにかいやなにおいが薄くただよっている。それがなにか、前にも嗅いだことがあるのだけれど、においを示す言葉がおもいだせない。肩が痛い。目がかすむ。痛い痛いとおもうと、ますます痛くなる傾向があるので、痛いとおもわないようにする。ほんとうは肩なんか痛くはないのだ。脳が、右肩が痛いという信号をおくっているだけだ。ニセの信号というけれども、あながちニセともいえないだろう。そこが痛いとかんじれば、根拠などなくても、そこが痛いのだ。ダフネ1号店のドアを開けたら、モワッと温泉のようなにおいがして、いつもいるはずの客がだれもいないのでびっくりした。さかゑさんもいない。いや、ひとりだけいた。昨日マルホランドDR.で見かけた巨大ドブネズミが窓際のソファーに、尊大な態度で座り、タバコをふかしグビグビと音たてて生ビールをのんでいる。いくらなんでもひどい。あきれて帰ろうとすると、そいつの娘だという眼鏡にエプロン姿のメスドブネズミが、まったくたのみもしていないのに、ビールとチーカマ3本をもってきて「父からです……」と言う。どうも合点がいかず、父ドブネズミの後ろ姿を見やると、顔はあちら向きにしたまま、黒灰色の毛だらけの片手をあげてみせ、そこだけ毛のはえていない桃色の手指でOKマークをこしらえている。気どって「ま、いいってことよ……」と言っているとでも解釈するしかない。父ドブネズミの尻尾の先がソファの背もたれからはみでて、クネクネとうごいているのが見える。とっさに〈さかゑさんは父ドブネズミに食われたのかもしれない〉とおもい、わたしはブルブルと震えた。こうなったら、もうジャストショートファクどころではない。ここで人食いネズミの一方的好意を無視でもしたら、わたしも食われかねないのだ。「あ、あ、ありがとうございます。ありがとうございました!」。父ドブネズミに聞こえるように礼を言ったら、また手指でOKマーク。食べ物を残しでもしたら機嫌をそこねると心配して、いやにぬるいビールをがぶ飲みし、すでに囓ったあとのある、ネズミ臭いチーカマを必死でほおばり、そこまでおもねる必要もあるまいと内心、情けなくおもいながらも、震え声で「ああ、おいしい!ああ、おいしいな!これらのものは、なんて、おいしいんだろう!」とつぶやいてみせ、大いにドブネズミたちにとりいった。さかゑさんはたぶん巨大ドブネズミたちにおもねるということをしなかった。とりいるのを潔しとしなかったのだろう。立派なひとだった。しかし、誇りをとおしたがために、結局は、頭からガリガリと食われてしまったのだ、とわたしは強いて想像し、じぶんの屈辱感を打ち消した。ふしぎなきことに、さかゑさんにたいする裏切りの感情はなかった。悼む感情だって正直とくにありはしなかった。皆無だった。ふしぎだ。世の中は誇りや尊厳、不正にたいする怒りの感情でなりたっているのではなく、それら以外の〈無感情〉や得体の知れぬ興奮で組成されているのだな、と大発見でもしたようにおもって、ひきつったように興奮した。その瞬間だけ右肩の痛みを忘れた。ビールとチーカマで、すぐにお腹がいっぱいになった。たてつづけにゲップがでる。チーカマを吐きそうになる。すると、父ドブネズミの声がした。バリトンである。大きいだけあって、野太く貫禄のある、よい声だ。どうやら携帯電話をかけているらしい。「なに?聞こえん。もういちど落ち着いて言いなさい。なに、なに、なにい、負けたって?ほんとうか?よっしゃー!ざまあみやがれ!クソッタレども、ざまーみそづけだあ!」。野太い声は、下卑た歓びの叫びに変わっていた。尻尾が狂ったシマヘビのようにバタバタと踊っている。なにかとてもよろこばしいことがあったらしい。ドブネズミが興奮したためであろうか、悪臭が濃くなった。そのとき、においの名前をおもいだした。おもいだしたってしかたがないのだが、これは硫化水素だ。わたしはゲップをしながら(ゲップも硫化水素のにおいがした)、なにがおきているのかわからないけれども、べつに知りたいともおもわずに、とにかく事態をまるくおさめようと、「ネズミさん、おめでとうございます!おめでとうございましたぁ!」と祝意を述べた。娘ドブネズミがうれしそうに目をパチクリとひからせ、ひげをピクピクとさせながら、ビールをもう1本と魚肉ソーセージを3本もってきて「父からです……」と言った。口から尖った真っ赤な舌の先がチロチロとのぞき、とてもかわいかった。帰り、飲みすぎでフラフラになって、やっとのことでエベレストにのぼった。ふしぎだ。街にはだれもいなかった。肩から右腕、右手ぜんたいが攣ったように痛んだ。目がかすんだ。左のポケットに土産にもらった魚肉ソーセージ1本を入れてアパートにもどった。犬とジョジョに消費期限切れのそれを食わせた。あの巨大ドブネズミにたいし、おもえば、わたしはなにも悪感情をいだいてはいない。なぜだろうか。(2014/06/15)

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鉄のロープとボルト.JPG

・午前中に、ドブネズミの娘と人間の友人のハルさんから、つづけて留守電があった。ネズミの娘は、視床痛にすごくきく薬(ツチクジラの脳の粉末)があるのでこれから1袋とどけたいのですが、よろしいですか、という連絡。ハルさんは、痛みはおさまりましたか、というお見舞い。ほんとうにありがたいことだ。まだ返事はしていない。さかゑさんからはいっこうにメールがない。やはり食われたのだろうか。昼前、コビトが大あわてで電話してきた。歯の根も合わない様子。念波がかんぜんに乱れていて意味がとれないので、犬に電話を聴いてもらう。犬の翻訳によると、巨大ドブネズミ父娘が今朝、コビト村に侵入し、子どものコビト2人を食い殺したという。父ドブネズミの名前はエタラカ、娘はカルシ。父娘2人でこれまでに合計8人のコビトを襲い、7人を完食し、1人に重傷をおわせているというのだ。大変なことになった。コビトというのはふだんはおとなしいが、怒らせたら、なにをするかわからない。わたしは困ったことになったものだ、とおもいつつも、本気で困っているかどうかとおのれに問えば、当面はそれほど困ってもいない気もする。いまは世界中でとてつもなくいやなことだらけである。巨大ドブネズミ父娘がコビトやさかゑさんを食うくらい、はっきりいって、大したことではないのではないか。巨大ドブネズミ父娘がコビトを食うという出来事は、たしかに、俗耳に入りやすい奇異なトピックではあっても、現下の世界の主要矛盾とは言えない。ウクライナ情勢をおもえ。イラク情勢をおもえ。中国情勢をかんがえろ。新疆ウイグルのひとびと、チベットのひとびとはどうなる。シリア、エジプト、リビア、パレスチナ、イラン、タイ、ブラジルをおもえ。日中関係はどうなる。集団的自衛権行使を可能にする解釈改憲、9条完全無効化、戦争参加はもうまちがいない。おい、どうするのだ。真に深刻な問題をかんがえるのを避けて、どうでもいい珍奇な話題に飛びつくのがアノミー世界のメディアの特徴だ。巨大ドブネズミ父娘の姿が目にうかぶ。臭いし怖いといえば怖い。ドブネズミという名前もいやらしい。ひどすぎる。ヒトを「ドブビト」と呼ぶようなものじゃないか。あらかじめの嫌悪と差別、排斥。だが、エタラカとカルシの顔をよく見てみろ。雲母のようにひかる目といい真っ白な門歯といい、まるでミッキーマウスだ。じつに愛嬌がある。それに感受性がつよく、愛情がゆたか。かれらには位階性やテリトリーがあるし、25~115 kHzの超音波をだしあってたがいに意思の疎通をはかっているというではないか。齧歯目・リス亜目・ネズミ科・クマネズミ属ドブネズミのエタラカとカルシ。コビト界対ドブネズミ界の戦争がはじまるのだろうか。しかし、冷静にかんがえてみると、それはヒト界の戦争の目くらましのためにしかけられている策謀のような気もしてくる。G党ならやりかねない。巨大ドブネズミ父娘を「悪の象徴」にしたてあげて、ひとびとの憎悪をドブネズミに集中させる。老人の万引き、生活保護費の詐取、オレオレ詐欺、猟奇的殺人を、あたかも諸悪の根源のようにさわぎたてる一方で悪政をすすめていく手口と似ていないか。コビト界対ドブネズミ界の戦争はやめるようにはたらきかけたほうがよい。エタラカとカルシ、わたしの家にでいりしているコビトにそう言わなくてはならない。面倒くさいとおもう。大儀だ。おっくうだ。でも、戦争はやめたほうがいい。けふはコビトの誕生日パーティ(中止)があるので、その席で言うことにしよう。エタラカとカルシには明日連絡すればいい。Sさんのことをハルさんが調べてくれた。前世紀だ、たしか。何年だったかなあ。暗い顔の若者。あのときのかれはSさんかもしれない。かれは暗い声で「主体的事情」と言った。それはとても大事だとおもうのです、といったようなことを。「それぞれ固有のわけ」とでも簡単に言えばよいのに。ひとを単純に類化し、なんでも等し並みにあつかってはならない、とでも言いたかったのか。「主体的事情」という言葉を、わたしはときどき記憶箱からとりだして、苦笑いしながら、それでも結構気に入って眺めていたよ。映研メンバーだったというのは憶えていない。なら、そう言ってくれれば、好みはちがうだろうけど、もっと話がはずんだはずなのに。「ジンパ」というのがなにかおしえてくれたね。実相寺昭雄が好きだなんて、かれ言ってたかなあ。実相寺昭雄を好きな学生が、わたしなんかに講演をしてくれなどというものだろうか。わからない。よく憶えていない。しかし、Sさんかもしれないかれは、ぶすぶすといつまでも燻っている生乾きの枝みたいに、生きるのが下手みたいで、わたしは妙に気になった。気に入っていたからだろう。ごちそうになったのはルイベかな。ワタミみたいなところなのに、おいしいものがたくさんあった。そのころからわたしは深く倒れるのが約束されていた。のに、ばかだから生きてしまった。失敗だ。見たくもないものを、しこたま見てしまったじゃないか。ツルツルヘラヘラしたくそがきども。若いのに二枚舌、三枚舌のやつらばかり。薄汚い臀部そのものの首相Aのバカヅラ。くっだらない新聞。もう10年以上読んでないよ。なにも困りゃしねえ。イシバ、スガ、オノデラ、アソウ……お前たちこそが正真正銘の「反社」=反社会的勢力=ドブビトなのだ。DJポリス。気色わるい。みんなはやくドブネズミに食われてしまえ。あ、ドブネズミも食わないやつらか。エベレストにのぼった。 (2014/06/16)

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・甘く見てはならない。高をくくってはならない。相手を見くびってはならない。前例はもうなにもあてにならない。これは、この機に自衛隊を「日本国軍隊」として、どうしても直接に戦争参加させたがっている、戦後史上もっとも狂信的で愚昧な国家主義政権およびそのコバンザメのような群小ファシスト諸派と、9条を守り、国軍化と戦争参加をなんとしてもはばみたいひとびととの、とても深刻なたたかいである。それぞれの居場所で、各人が各人の言葉で、各人が各人のそぶりで、意思表示すること。「日常」をねつ造するメディアに流されないこと。ことは集団的自衛権行使の「範囲」の問題ではない。そもそも集団的自衛権じたいに同意しない、うべなうことができないのだ。9条に踏みとどまること。ひとり沈思すること。にらみ返すこと。敵と味方を見誤らないこと。いまを凝視すること。静かにきっぱりと、反対を告げること。「これ以上ないくらい無邪気な装いで、原ファシズムがよみがえる可能性」をいま眼前にしている。それはよみがえったのだ。虚しくても空疎でも徒労でも面倒でも、たたかいつづけること。怒りをずっともちつづけること。安倍政権はうち倒されるためにのみ存在している。エベレストにのぼった。(2014/06/17)

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婦人.JPG

・ウォーモンガー(warmonger)とはなにか。戦争狂とは。かつてこのクニには大勢のウォーモンガーたちがいて、歴史の曲がり角で、悪鬼のように暗躍し、みずからは戦わず、皇族らとともにおいしいものを食い、よい暮らしを楽しみ、兵士たちを戦わせ、外国に大挙兵を派遣し、おびただしい数のひとびとを死にいたらしめた。9条はだからこそつくられたのだ。なんとかいう皇族の葬儀をきのふ、テレビで見た。まあ、ど派手なこと。楽隊つき。あらら、なんということでせう。すこしの遠慮も慎みもない。とつぜん、秩父宮雍仁をおもいだす。かれはナチスの第9回党大会(1937年9月、於ニュルンベルク)に来賓として堂々出席した。ハイル・ヒトラー!歴史というのは名状しがたい妖気にみちている。歴史はしかも似たような反復をくりかえし、ひとびとはおのれのかかわりをけろりと忘れる。ナチス党大会では、嘘かまことか、たぶんほんとうだろうな、無慮900人ものヒトラー・ユーゲント女子隊員が「優秀な血統維持のために」すすんで妊娠したという!ダフネ1号店に行った。巨大ドブネズミ父娘のエタラカとカルシはいなかった。さかゑさんもいなかった。なにかがおかしい。コビトが店の隅で薄笑いをうかべていた。なにかがおきている。いったい、なにがおきたのだろうか。エベレストにのぼった。(2014/06/18)

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完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)
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