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2014年8月23日 (土)

辺見庸 (日録3)私事片々 2013/11/05〜と、(日録4) 雑談日記Archive

 辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで

 以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。写真が多いので、2エントリーずつアップします(表示順は元ブログと同じく上から降順です)。

 

 以下、日録の4と3。

2013年11月15日
(日録4)

私事片々 
2013/11/15〜2013/11/21  
http://yo-hemmi.net/article/380296971.html

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・けふはエベレストにのぼらなひことにした。くぉれからはアネクメネが否応なしに増えていくだらう。全空間が一刻も早くさうなればよひのだ。ひとは貧富のわけへだてなく一瞬にして死にたへませう。熱砂の大地を鬼灯色の満月が鬼灯色に照らせばよひ。コビトと犬が楽しそうに入浴している。脱衣所に犬の黒い着ぐるみが尻尾ごと無造作に脱ぎすててある。あっ、ガガは犬ではなかったのか?といふことは、ガガもコビトなのか。目の錯覚だらうくぁー。(2013/11/15)
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・バッハの無伴奏チェロ組曲に神の発現を感じるひとはいくらでもいるだろうけれど、そうではなく、どこまでも堕落し凋落していく者が、下降(スピン)と腐爛の最中だからこそただよわせる妖光とエロティシズムを見るひとは、きっと少なかろう。ジャン=ギアン・ケラスのチェロリサイタルを聴いて、わたしは後者に属することがわかった。2階席の端に着飾ったコビトがいた。音楽にかんけいするすべては記憶のなかに溶けいっている。けふもエベレストにのぼらなかった。(2013/11/16)
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・だからどうしたと言ふのだ。けふもエベレストにのぼらなかった。責任はわたしにしかなひ。「苦痛にこそ発言権をあたえるべきであるという衝迫」は、アドルノを知る以前からだが、わたしにだってある。その観点から遠のいたことは、病の後先を問わず、ない。コビトのクララにけふお願いした。1日5行以内の約束はなしにしてもらえないか、と。なぜコビトなんかにおうかがいをたてなければならないのだ。われながらそう訝りつつ、おうかがいをたててしまった。昨夜のチェロリサイタルにコビトが口紅をつけ、派手に着飾ってきていたかどうか、2階席の端にいたかどうかは、問わないほうがいいという雰囲気だったので、訊きはしなかった。コビトはわたしのベッドに犬のガガの腹を枕にしてゆったりと横たわっていた。クララは目をとじたまま、物憂げに言った。そんな約束あったかしら・・・と。「ああ、あれね、だあれも読んでいないものでしょ。5行以上書こうと書くまいと、お好きにだうぞ。目的も評価も報酬も期待できるはずもないことをするのは、かならずしもわるくはないんじゃないかしら」。コビトはつづけて「だれも望んでいない、無駄な情熱・・・」と言いかけて、やはり目をとじたまま、小さく含み笑いをした。「サツイ」という単語が脳裡にポカンと浮かんだが、コビトのつよい念波によって簡単に消去されてしまったぁ。蕭颯たる寂寞のなかにわたしはポツンととりのこされた。〈クララはん、この際、も少し人間らしひもの言ひがでけんもんどすやろか?〉と言いだしかけたが、をかしな気がして言ふのをやめにした。コビトは唖者なので、わたしとも犬ともいはゆる念波で話している。〈人間らしひもの言ひ〉は、だから、適切ではないし、コビトを怒らせかねない。コビトの怒りはハンパなひ。わたしはすごすごとベッドをはなれ、クローゼットの闇に入っていくしかなかった。ベッドはコビトたちに占拠され、わたしは豆麩のかけらが散らかるせまいクローゼットで寝ていた。腸がしぼられるよふにさびしかった。コビトとほんたうは昨夜のチェロリサイタルの話がしたかったのに、言ひだせない空気があった。クララだって昨夜の余韻に浸っているはずであった。なのに、わたしとおもひをかさねやうとしなひわけは、わたしの了見に賛成していなひくゎらであらう。昨夜のチェロリサイタルはいくつかの好条件がかさなり、とても満足できるものであった、といふより、感動的と言ってよひほどの時間がなぐゎれたのだったぁ。しかしながら、だくゎらといって、わたしが〈無惨な世界〉〈狂気の世界〉といふ世界感覚を多少なりとも修正したわけではなひぃ。じつは、そのこともコビトと静かに話したかったのだが・・・。無伴奏チェロリサイタルのプログラムにわたしはひっかかりをかんじていた。口中の小骨のやうなこと。わざと見すごすこともできることだし、この世の99.9999パーセントの人民大衆は問題にもしていなひのだ。クララも〈言わずもがな〉てふかんがへなのかもしれなひ。大したことではないひ、といへばさうかもしれぬが、わたしはだうもそうなれなひ。こういふことだ。プログラムの裏表紙に谷川俊太郎先生の例の「詩」が載っていた。「愛する人のために」。「保険にはダイヤモンドの輝きもなければ、/パソコンの便利さもありません。/けれど目に見えぬこの商品には、/人間の血が通っています。/人間の未来への切ない望みが/こめられています」。わたしはクローゼットの闇に横たわっている。世界は正常だ。ジャン=ギアン・ケラスはイケメンだ。無伴奏チェロ組曲全曲は絶品だ。わるひのはわたしだ。そのとほりだ!保険には人間の血が通ってるぅ!Oh、yes! 人間の未来への切なひ望みがこめられてるぅ!すばらしい詩どぇす!ほんま、涙でます。「お金に愛情をこめることはできます」やて。そのとほりどぇす!わたひがわるひ。わたひの根性がわるひさかい、谷川さん、おまはん、なんぼもろたんや、なんて下品なこつ、つひつひ言うてまうんや。すんまへん!センセ、えろすんまへんな!勘弁してつかぁさい!でも、保険に人間の血がかよってるというのであれば、貧者と病者と弱者を合法的にいびり殺す現在のシステムのすべてに、あたたかなひとの血がかよっているということである。つまり、おい谷川、現代のホモサケルはみんなぶち殺してよい、といふことだな。保険にも入れないホームレスは死ね、ってことか。わたひの根性がわるひさかい、おいクソッタレジジイ、おまはん、なんぼもろたんや?て、つひつひ言うてまうんや。すんまへん!そうしたわたしの下劣な品性をコビトは見ぬいている。だから、シカトするのであらう。クローゼットの闇でわたしの顔は赤らむ。(2013/11/17)
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・歯医者にいくまへに、エベレストに2度のぼった。帰ったらリビングのソファにいたコビトが豆麩を食べながら物憂げに言った。「ジャン=ギアン・ケラスの演奏はわるくないけど、深みはまだまだよね」。コビトのクララはやはり一昨日のリサイタルに行っていたのだ。「ケラスはたぶん映画の『サラバンド』を見てないとおもうわ」。クララは唐突に断じた。「ハンサムはハンサムなんだけど、あれは内面の深い顔じゃないわよね。それとあの、立派な楽器をうらぎる軽薄なしゃがれ声・・・。いくらアンコールといっても、ウケねらいで下手な日本語なんかしゃべってほしくなかったわ」。コビトはどこまでも辛辣だった。「チェロの演奏のあとは、ひとは声をだすべきじゃない。そうおもわない?」。ま、そうである。コビトが言うには、バッハの無伴奏チェロは、映画『サラバンド』をじっくり見てこそ凄みをます。父娘相姦、父と息子の果てない憎しみ、石壁のごとき無理解、軽蔑、狂気、老いと死、残照のような愛・・・をおもいだしながら、クララは無伴奏チェロ組曲全曲リサイタルを聴いたのだそうだ。「ところで・・・」とおかっぱのコビトはなんだか急に老け顔になってわたしに問うた。クララは気ままだ。幼児にも老婆にもなる。「映画『サラバンド』で流れたサラバンドは、チェロ組曲の何番のサラバンドだったかしら?」。わたしは忘れたとそっちょくにみとめた。さいしょから知らなかったかもしれない。コビトは目を細め記憶をたぐりよせながらつぶやいた。「たしか第5番ハ短調だったとおもうのだけれど・・・」。わたしはそこで、あの日のプログラムの裏表紙のことについて言いかけた。「あれはないとおもうのだけれど・・・」と。クララは「ああ、fucking Shunntaro Tanigawaのことね」と無表情で受けながし、念波で「a piece of shit・・・」と言いすてた。それ以下ではありうるけれども、それ以上ではぜったいにない、とコビトは語を補い、「はい、おわり」と告げた。これはファッキン・タニガワごときのことで言いつのったわたしへの批判でもあるのだらう。だが、いま、piece of shitたちとどうつきあうか。これはひどく困難な問題だ。無伴奏チェロの世界に閉じこもりたくても、プログラムに谷川俊太郎といふa piece of shitがでてきて、気分を台なしにする。「piece of shitに腹をたてるのは、わたしたちもpiece of shitだからなのよ〜」とクララはうたうように言う。いつの間にか犬のガガも居間にきて、クララの脇で腹ばいになった。艶のある毛はとても着ぐるみには見えない。「世界って、もしも世界なんてものがあるにしても、piece of shitの無限のつらなりじゃないかしらね」。コビトはつぶやく。「63歳のマリアンが齢80をこえた元夫ヨーハンに30年ぶりに会いにいって、訊くわけよね。あなたにとってはどんな人生だったのかって。ヨーハンはなんて答えたとおもう?」。わたしは失念している。コビトは言う。「世界がよしんばpiece of shitの無限のつらなりにしたって、『サラバンド』のヨーハンの答えについてしばらく吟味することは、ファッキン・タニガワとかいふアホ詩人に腹をたてるよりも、ちょっとは意味があるんじゃないかしら?」。それを頼むから教えてほしい、とわたしはクララに懇願した。コビトをまへにすると、わたしはなぜだか卑屈になってしまふ。クララはカフェ・オンブル・ヴェールのレアチーズケーキをいますぐ買ってきてくれるなら、ヨーハンの答えを教えてあげてもいいと勿体をつけて応じ、「毎日豆麩ばかりじゃ、なんぼなんでも飽きるじゃない?」と言うのだった。つらい話だ。オンブル・ヴェールは暗い林のむこうだし、近くはなひ。わたしがヨイヨイ歩きであることをコビトはよく知っているはずだ。理不尽である。なにか傲慢である。だが、わたしはヨーハンの答えをおもいだせない。クララから教えてもらふしかなひ。わたしは右足を引きずりながらアパートをでて、オンブル・ヴェールにむかった。背中にコビトの嘲るやうな、引きつったやうな笑い声を聞いた。63歳のマリアンが齢80をこえた元夫ヨーハンに30年ぶりに会いにいって、訊く。〈あなたにとってどんな人生だったの?〉ヨーハンはなんて答えたか。わたしは知りたかった。それはファッキン・タニガワが保険会社にしこたまカネもろて〈保険には人間の血が通ってます〉といふ、ろくでもなひ「詩」を書いた→人民大衆は怒りもしなひ→わたひファッキン・タニガワにもジンミンタイシュウにもあきれる→ ファッキン・タニガワ&ジンミンタイシュウは痛くも痒くもなひ→ヘラヘラ笑うてはる→ファッキン・アベと集団的自衛権、秘密保護法、改憲とマスメディア、ジンミンタイシュウのかんけいも上におなじ→ファッキン・アベのやることなすこと、集団的自衛権、秘密保護法、改憲にも〈人間の血が通ってます。人間の未来への切ない望みがこめられてます〉てか。どうどうめぐりをしながらヨヒヨヒ歩きをし、わたしは林に入り、いちどハイイロオオカミに襲われ左脚を深く噛まれ、血だらけになりがらも、なんとかオンブル・ヴェールにたどりつき、コビトのためにレアチーズケーキを買ったのであったぁ。かへり道。わたひはかんがへた。ファッキン・タニガワやファッキン・アベにつひてなにかおもふことはエネルギーの浪費→∴もうおもはなひ→ヨーハンはマリアンになんて答えたかをかんがえる→無伴奏チェロ組曲全曲(とくに第5番のサラバンド)を聴きなおすに如くはなひ。でも、ほんたふにそれでよひのくぁ? わたしは昏倒寸前でアパートに着き、レアチーズケーキをコビトにさしだして問うた。「おい、クララ言ってくれ。ヨーハンはなんて答えたんだ?」。クララはわたしの負傷と困憊ぶりに目をまるくして言った。「冗談で言っただけなのに、アランたら、ほんたうに行ったのね!ばっかみたひ!」。「うるさひ、コビトめ。言え、早く言へ!ヨーハンはなんて答えたんだ?」。レアチーズケーキのにほひでガガが飛んできた。コビトと犬とクヮタワンのわたひ。夕陽。3者がそこにいた。コビトと犬はただただレアチーズケーキを食うことのみをかんがへていた。クヮタワンのわたひは眼前の憎たらしいコビトと犬を夜、エベレストの土盛りに生き埋めにする光景を空想せざるをえないのだった。クララが口を開き念波で言った。「ヨーハンはマリアンにそっけなく答えたわ。アラン、つまらなひことよ。『まったく意味のない人生だった』って・・・」。さうだった。そふだった。ヨーハンは80年以上を生きて、吐くやうに言ったのだ。まったく意味のない人生だった・・・。醜悪で滑稽でおぞましく悲しく空しく、刹那、なにか美しくも見えてしまう生と老いと死への残りの時。無残な時。さうおもふ。さうおもった、そのうえで、あらためて無伴奏チェロ組曲に聴きいる。ファッキン・タニガワやファッキン・アベを脳裡からしめだす。それは現実逃避ではない。∵脳裡でやつらを殺すのだから。∵脳裡でやつらの言語と声を殺すのだから。∵ジンミンタイシュウの幻影を殺すのだから。∵神の腐爛屍体に馬乗りになって、無伴奏チェロを聴き、世界に無言の罵声を浴びせるのだから。気がつくとコビトと犬がレアチーズケーキに顔を突っこんでムシャムシャ貪っているのだった。ふとおもった。12月までにまた死刑の執行があるのではないか。(2013/11/18)
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・けふエベレストに2度のぼった。山頂にシダレヤナギとヤマモミジの小枝が3本落ちていた。特定秘密保護法案をめぐり、自民、公明が日本維新の会と「修正協議」をした。いかなる「修正」がほどこされようとも、わたくしは特定秘密保護法案をみとめない。これをとおす国会の「議会制民主主義」とマスメディアの存在価値を、根本から、はげしく疑う。わたくしは特定秘密保護法案を絶対に受けいれない。問え。10年後、いや5年後の未来図、活画図を、いまたれが描きえているのか?議会とメディアと民衆は、ひたすらディストピアにむかって集団行進をしている。(2013/11/19)
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・午前中にエベレストにのぼった。2階家の屋根にまでたっしようとしている樹の枝に、ピンク色の大輪の花が咲いているのを見た。あれはなんだろう?カフェ・ダフネで新聞を見た。アンジュングン(安重根)は「犯罪者」という菅義偉官房長官発言を各紙がどう伝えたか知りたかったから。呆れた。どれほど大きく報じていることかと息をつめて紙面を繰ったら、あれだけの重大発言と韓国の抗議が、たったの2、3段。菅官房長官が19日の記者会見で「わが国は、安重根は犯罪者であると韓国政府にこれまでも伝えている」と、こともなげに語ったことが、しかし、朴槿恵(パククネ)政権支持者と反対派を問わず、どれほど韓国民衆の内面を傷つけたか、想像にかたくない。そもそも、「ポムチェジャ」(범죄자、犯罪者)という言葉が韓国語でどれほどおもいひびきがあるのか、これにアンジュングンの名前をかさねたら、いったいどのように相乗して侮辱的、屈辱的な語音となるか、与野党の政治家、官僚だけではなく、いまのジャーナリズムも、じつに恥ずかしいことに、かんがえたことがないのではないか。日本という国の悲惨さは、いちじるしく知性を欠く政治家とマスメディアに支配されているにとどまるのでなく、みずからの近現代史の実相と、その朝鮮半島、中国とのかかわりの深層を、あまりにも、じつにあまりにも知らず、謙虚に知ろうともしていないことである。この国は、せいぜいよくても、司馬遼太郎ていどの近代史観しかもたない首相と政治家を、過去にも現在も、何人もいただいてきたことだ。そして日本の〈征韓論〉の歴史と淵源をまったく知らないマスコミ。そのツケがいまきている。大久保利通、江藤新平、榎本武揚、福沢諭吉、板垣退助、大井憲太郎、樽井籐吉、陸奥宗光、勝海舟、山県有朋、与謝野鉄幹、井上馨、三浦梧楼、伊藤博文、大隈重信、徳富蘇峰、宇垣一成、南次郎、小磯国昭・・・らが、アジアと朝鮮半島にかんし、なにを語り、なにをしてきたかを、日本人はとっくに忘れたか、もともと知らず、朝鮮半島や中国に住まうひとびとのほうが代々、憶えているということは、これはまたどういうことなのか。「ポムチェジャ」とはだれのことだ?三浦梧楼はおどろくべき범죄자ではないのか。伊藤博文とはなにをなした人物か。なぜそれを調べてみようとしないのか。在日コリアンへのいわれない迫害、韓国・北朝鮮蔑視のみなもとは、安倍政権の病的感性とその先達らの脈々たる倨傲の歴史観にあることが、このたびの菅官房長官談話ではっきりした。朝日新聞も毎日新聞もNHKも、いまさら言ってもまことに詮ないが、恥を知れ! しかしだ、たったこれだけのことを書くのに、なぜこんなにも気をつかわなければならないのか。慄然とし貧寒とする。言説を暴力で統制しようという権力とその内通者たち。他者の言説を盾にし、みずからは盾の陰にかくれる、体制批判者をよそおう卑劣漢。どこまでも病みすさんだマスメディア。大小のファシストたちの狂乱、乱舞。いつの間にこんなことになってしまったのか。ふむ、ずっと昔からか・・・。けふ、秘密保護法に反対する自称「ジャーナリスト」たちの会見があったらしい。片腹痛い。「安倍ちゃん、安倍ちゃん」と、あのきわめつきの小人物をさんざもちあげて、図にのらせ、今日の荒廃を誘導したのは、どこのだれだ?ほかでもない貴兄ら「ジャーナリスト」ではないか。今朝見たピンク色の大輪の花は「皇帝ダリア」だとコビトのクララがおしえてくれた。「他人をさんざけなすくせして、ごじぶんはなんにも知らないのね」。また嫌みを言われた。わたしは今夜もクローゼットで寝なければならない。(2013/11/20)
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・ガガ留守番、コビト不明→わたひ病院→MR画像→面倒くさひ→診察台にあおむく→眠ひ→コビトのクララが看護師の格好をして、さっと視界をかすめていく→病院の食堂→天ぷらうどん→ミスド、コーヒー、若くはなひ、ガッチリした顔の女店員、とってつけたよふではなく親切、笑ひなし→なにか、ひとといふものの威厳をかんじたり、救われた気になってみたり、かんじすぎをかへって疑る→突如、クソタレ・ファッキン・タハラの胴間声と下卑た腐れ顔をおもひだし、床にゲロゲロと大量のヘド吐き散らかす→ああ、ちょっとスッキリ→んなことでちょっとスッキリしてどないすんねん?→〈おはりやよ、アラン、もほ、おはりやよ!ろくでもなひ法律ぜーんぶ、とほるのよ!〉〈おい、偽善者どもめ、笑かすんやなひ。はよ死んでまへ!→〉気がつけば、バナメイエビおよびうどん(細麺)の断片とコロモなどそこたらじゅうに散乱→におひ芬々→女店員予期していたかのやふに、無言、無表情で、平然として吐瀉物を清掃す→わたひ吐瀉物上に土下座、さらには、かたどほり五体投地して、はげしく、はげしく詫びる→「死にます、死ぬまし、死にまふ、死ぬます」→女店員「いくらでもゲロしたってよひのよ、おじいさん。だってニンゲンだもの・・・」→女店員、わたひの背中さすりつつ、うたふ「はぁあ、どっこいさ、ほぉれ、どっこいさ・・・」→われ感涙滂沱たり→ドーナツ2個買ふ→ミスドの制服を着たコビトがカウンターの陰からわたひを冷ややかに見ている→吐瀉物まみれであるく→わたひありく→公衆トイレで小用す→防犯カメラ作動→またありくる→エベレストに1回のぼる→アパートにもどる→クララとガガ、わたしのベッドで昼寝している→ドーナツ発見さる→即、没収さる。以上。(2013/11/21)

 

2013年11月05日
(日録3)

私事片々 
2013/11/05〜2013/11/14 
http://yo-hemmi.net/article/379448340.html

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・けふもエベレストに1回のぼった。いつエベレストにのぼりはじめたか、もう忘れた。いつはじまり、いつ終わったか。何回のぼったか。それらは肝心なことではない。エベレストにかんするかぎり、大事なことなどなにもない。カフェ・ダフネで老人たちが大腸内視鏡検査の話をしていた。「見つかればめっけもんだよ・・・」。声の輪郭が、故障したレコーダーで再生されたように、のびたりにじんだりし、口のうごきにあっていないようだ。わたしは聞いていないのに、聞こえてくる。わたしたちはみなそれぞれ大腸の襞のなかにくるまっている気がしてくる。だから声がくぐもるのだ。大腸と言えばわかりやすい。それぞれは、だが、じっさいには全体化するのが不可能な断片的領域にしか棲むことができず、ピエロの衣装のような雑ぱくな話しかできない。〈真実〉は言葉として掬われることなく、ことごとく指と指のあいだから洩れていく。わたしたちは〈結末〉を知っているのだが、〈結末〉を知らぬふりをして、未知の〈結末〉が待っているかのように話しつづけ、聞くともなく聞きつづける。すべては既知のことがらであり、精神の伏流には錯乱があることさえ、あれらの老人たちもわたしも、すくなくとも瞬間的には気づいたりしている。いま嘘偽りなく言えることは「ああ、なんということだろう!」という慨嘆だけなのだ。未知の〈結末〉などありはしない。だって、〈結末〉はたえず〈死〉でしかないのだから。エベレストのかへり、女の子たちの話し声を背中に聞いた。小学生だろう。子どもたちがわたしを追いこした。ランドセルの中身の音がした。追いこした3人のうち、ひとりがふりかえり、そのような目つきをどこで教わったのか、さも蔑むような、怪しむような目でわたしを見た。うすく怯えつつ、まったくどうじに、うすく笑っていた。むろん、おもいすごしかもしれぬ。わたしは見返した。〈わたしは不審者ではないよ〉というつくろい顔ではなく、こうすれば残忍な顔になるとひそかに長年イメージトレーニングしている〈残忍な顔〉で笑い返してやった。せつな、子どもが凍りついた。きっと親に報告するだろう。La Jetéeをみて、クララが反応した。こぼさないように帰る、と言った。状況の話を状況として言おうとすると、言葉がどうしてこんなにも低俗になってしまうのだろう。状況が自己の内面にみあい低俗だからだ。状況には低俗な諸力がみなぎっている。諸力はかならずわたしの内部にまで侵入してくる。しきりに状況をなげく者たちの言葉も、状況とつりあい、じつにそらぞらしい。廃墟を廃墟として、錯乱を錯乱として、殺意を殺意としてあかさないからだ。(2013/11/05)
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・モンキチョウがひらひらと飛んでいた。エベレストはけふ2回、わたしによってのぼられた。山頂で、シジュウカラかゴジュウカラだろう、小鳥がとても澄んだ声でさえずっていた。シダレヤナギが昔の中国の鳥かごのように、わたしをゆるく囲んだ。そこからでようとすると、枝が顔を鞭うってくるので、立ちつくしていたら、「そこでなにをしていますか?」と下から声がかかった。老いた穏やかな声である。咎めているのではなさそうだ。わたしはちょっと不思議におもった。質問のおもむきそのものではなく、文法を、なにかいぶかしくかんじた。〈そこでなにをしていますか?〉はまちがいではないが、日常会話の疑問文としては平板にすぎ、〈ひとは一般にそこでなにをしているか?〉といった文脈ならふさわしいのである。〈なにをしているのですか?〉のほうがちゃんと質す気分がつたわる。声の主は日本語の達者な中国人かもしれない。しかし、〈あなたは何国人か?〉という質問をわたしは好まない。というか、ほとんどじぶんに禁じている。わたしはシダレヤナギの枝ごしに下手な中国語で「ワタシハココニオリマスル。ワタシハ、ソンザイ、シマス。ゲンザイ、ココニ、ヒトリデ、マサニ、コノ、コウチ(高地)ニ、タッテイル、ノデアリマス」と声を返した。下からわたしに問うた男は、さも愉快そうにワハハハ・・・と笑って補聴器屋の方向にたちさった。わたしはザイジエン!と言った。男はチャオ!と言ったようだ。そのような和やかなひとときだったからといって、わたしはきのふの〈残忍な顔〉事件を忘れていたわけではなひ。じつのところ、わたしはあの一件をずっと気にしていた。友人に電話で話しもした。まるで懺悔するやうに。わたしは極度に〈残忍な顔〉をしてやった、と告げたのだったが、友人はそれについてなぞったさい〈憎しみの顔〉と言ったので、わたしはややいらだって「いやそうじゃなくて、〈残忍な顔〉だよ。〈憎しみの顔〉と〈残忍な顔〉では、イトミミズとアナコンダほどちがうよ」としつこく訂正をせまった。友人は「いわば白昼の女児殺人事件・・・」といったんは口走り、そう言おうとしたことに、とつじょ自己嫌悪したらしく口をつぐみ、わたしたちはすこし気まずくなって、犬の話にきりかえたのであった。友人は電話を切るまえ、総括的に言った。「あなたはいまだかつてひとりの人間にもであったことがない。〈猿の影〉につまずいただけだ・・・さ」。なにかの引用であることをわたしは知っている。しかし連想というのは制御不可能なアナキズムである。あのクソガキの報告をうけた母親か教師は〈白昼の女児殺人・死体遺棄事件〉を反射的にイメージしただろうし、わたしはわたしで、エベレストを墳墓にみたてたり、〈ここに子どもの遺体が何体か埋められている。だからわたしは毎日エベレストにのぼるのだ〉とおもってみたりしたものだ。〈猿の影〉と書いた御仁は「世界にくみするものはすべからく下品である・・・世界において、恩寵は灰のように見えるが——彼岸では、虚無でさえ恩寵のように見える」とも言っていた。これにちなみ(でもないか)「陛下の御宸襟を悩ませることになってしまった」と、いたく反省したひとがいた。 宸襟とは「天子のお心」という意味であり、言ったとたんに、一個のたんに生物学的な人間ではなくして、「天子」なる非人間的存在とその制度および遺制をみとめることとなる。どうせ書けも読めもしなかっただろうに、だれに知恵をつけられたか、「御宸襟」などと口が裂けても言ってはならなかったはずである。イヤハヤ、イヤハヤ、イヤサカ、イヤサカ、〈猿の影〉! (2013/11/06)
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・まだ雨がふっている。雨があがったらエベレストに行こう。けふは特別の日だ。肌膚(きふ)の粟を生ずるを覚えなければならない日だ。まさに慴然とすべき日である。マジ、そうおもふ。このところずっと毎日が「特別の日」だ。新聞とテレビと、可視空間のすみずみまではりめぐらされた大小あらゆる種類のメディアは、「特別の歴史」という観念を総がかりで消しつぶしにかかってくる。けふもけふとて、幼児虐待、いじめ自殺、死体遺棄、育児放棄、食品偽装、あなたにおすすめの商品、「オバマ大統領とツィ—トしませんか」、「痔」切らずに直る!、口臭・加齢臭消えたあ!、1週間で10キロやせたあ!、競馬・競輪・競艇・パチンコ・宝くじ、1%富裕層への道、UPGRADE TO PREMIUM!  No more commercials!・・・のジョーホーであふれかえり、「特別の歴史」は手もなくかき消される。ハンナ・アーレントの母マルタが、幼いハンナにむかって叫んだという「よく注意しなさい、これは歴史的瞬間です!」という「悟性の声」は、いま耳を澄ましてもどこにもない。日本版NSC(国家安全保障会議)の設置法案の修正案が、6日の衆議院特別委員会で、与党と民主党などの賛成多数で可決され、けふ、衆議院を通過した。特定秘密保護法案もけふの衆院本会議で審議入りした。沖縄・宮古島に、陸上自衛隊の88式地対艦誘導弾がはじめて上陸した。陸海空自衛隊による戦争演習のいっかんで、射程百数十kmの88式地対艦誘導弾は沖縄本島にも展開する。今回の演習は、隊員3万4,000人、艦艇6隻、航空機およそ380機が参加して、離島防衛が主な目的なそうな。「月々スマホ990円特割!」の広告といっしょに「歴史的瞬間」が藻屑のように流されてゆく。(雨があがった。アランはいまエベレスト登攀から無事もどってまいりました! 幼稚園生とその親たちから不審者かテロリストのようにジロジロ見られました。だって、目つきはわるひし、昼日中ホームレスのやうなかっこうをしてビッコひきひき通学路をあるき、自民公明を反動の巨大巣窟、民主党を裏切り者と偽善者と低脳だらけのニセガネ政党となじり、共産党までイカサマ呼ばわりするんですもの、アラン、当然じゃありませんこと? あなたこそ正真正銘のフシンシャよ!)。ふふふ・・・そうか。20世紀の全体主義は20世紀大衆社会の病理を発生源としたのだとしたら、21世紀現在のこの大激変はなにを発生源とし、なにが未来に予定されているのだろうか。近代以降、みずからを堂々「侵略者」と名のり戦争を発動した国家などない。ニッポン軍国主義、ナチス・ドイツさえもが「祖国防衛」を口実に侵略戦争を展開し、まつろわぬ自国民(ニッポンは当時から大部分のひとびととメディアが権力にまつらふ一方であったが・・・)を徹底的に弾圧したのだった。J-NSCは今後、まちがいなく「戦争」と「監視」と「謀略」の司令塔として拡大、発展するだらう。メディアと人民大衆がそれを支えるであらう。J-NSC構想は第一次安倍政権時代の「チーム安倍ちゃん」による事実上のクーデター計画であった。問題は、これが第一次安倍政権が瓦解したあとも、ニセガネ民主党の菅・野田政権によりしっかり継承され、衆院選で政権交代するよりもまへに、J-NSCの設置がすでにして事実上きまっていたこと。そして、秘密保護法の法制化も陰に陽にすすめられてきた事実だ。自公の反動はおのずと明らかである。しかし、民主党とは、おい、菅よ、辻本よ、枝野よ、千葉景子よ、あなたがたはいったいなんだったのだ。死刑もやります。憲法も破壊します。戦時体制もつくります。自公に反対するふりもします、すなわち、「ファシズムの露払い」だったにすぎないではないか。「わたしたちはいまだかつてひとりの人間にもであったことがない。権力亡者の〈猿の影〉につまずいただけだ」ったか。新旧のファシズムはその内部にニセの〈反ファシズム〉を包含してきたし、今後もそうであろう。そして、きのふも、けふも、明日も、「歴史的瞬間」がうちつづき、サムライ・ニッポンはいとど勇ましくなっていく。わたしはJ-NSCに反対する。(2013/11/07)
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・わたしのマルホランドDR.からは、かりにエベレストの頂上にのぼったにせよ、大事なことはなにも見わたせない。視界に白か薄緑の霞がかかっている。わたしたちはみんな記憶をうしなっているか、うしないかけている。わたしがだれかに、だれかがわたしに入れかわっても、気づかれもしない。なりすまそうが、本人だろうが、おなじことだ。屍体も生体もさほどに大きなちがいはない。みんな、犬までぼんやりしている。わたしのマルホランドDR.には〈世界〉も〈此岸〉も〈昇華〉もない。せやさかい、たまにここをでんと頭がボケてまう。犬に朝ご飯を食わす。10秒で食いおわる。早すぎる。舌なめずりをしている。糞をしない。待っていてもしてくれない。糞をしてくれなひ。こちらはいつまでも待てはしなひ。相手のあることだ、つうか、彼女のおなかの都合だ。しかたがなひ。こうなったら、でたとこ勝負や。とっておきの馬のアキレス腱(国産、無添加、乾燥タイプ、Sサイズ)を1本あげる。犬よろこぶ。ひたすらよろこぶ。すべてを忘れる。時間を忘れる。悲しみを忘れる。不安がなくなる。優先順がなくなる。彼女のウムヴェルト=環世界が融ける。そのすきにわたしはでかける。マルホランドDR.をでて、電車に乗り、新宿にいく。いまごろ彼女はわたしのベッドに腹ばい、馬のアキレス腱をしゃぶっている。夢中でしゃぶっているはずだ。噛み、ねぶり、舐め、息をつき、またねぶっているだろう。気持ちを集中し、両の前肢でアキレス腱を挟んで立てて、唾液をたっぷりとたらして、腱をやわらかくしてから、クチャクチャとしゃぶっていることだろう。食いおわるのに30分はかかるだろう。その間、なにをおもうか、なにもおもわないか、第三者はいかんとも断じることができない。新宿駅の改札。ヨイヨイ歩きでとおろうとすると若い女がすっと割りこんできて、改札をぬけて小走りで駆けていきひとの群れにかくれた。うまいものだ。無賃乗車だ。ヨヒヨヒ歩きのわたしが目をつけられ割りこまれたわけである。改札の扉がパタンと閉まり、ひとの列がとどこおり、みんながわたしを無言で睨む。「人間を含めてすべての動物は自分だけの主観の泡に閉じ込められて生きており、それぞれ世界を見る見方はまったく違う」(アレクサンドラ・ホロウィッツ著『犬から見た世界』訳者=竹内和世=のあとがき)。わたしは、群衆から無賃乗車犯と見られているらしいことに気づき大いにあわてる。犬のことを忘れる。逃げた若い女をすこし恨む。また、女をすこし憎み、「自分だけの主観の泡に閉じ込められ」て、つくづくいやな世の中だとおもう。駅員がくる。わたしは反射的に、重い身体障害者であることを(「メリーに首ったけ」の男みたいに!)ことさらに強調すべく改札口でおもいきりよろけてみせ、口をあわあわさせて、左手で女が逃げた方向を指して「あっち、あっち、逃げた・・・アワアワ・・・」と言う。つまり、わたしは〈被害者兼障害者兼善良な市民〉なのであり、冗談じゃない、無賃乗車犯なんかといっしょにしないでくれ、と無賃乗車犯への最大限の軽蔑をこめて訴えたのであった。犬が見てたら、腹をかかえて笑ったろうな。若い駅員は2度あくびをした。失礼なやつだ。こういう手あいが衆人(狂人)環視下で「土下座」させられるんだろな、といっしゅん想像したりする。なにか緑青のやうなにおいがする。鉄の焼けるにおひも。駅構内をでたら、ああ、新宿は見わたすかぎりの焼け野原なのであった。廃墟だった。
 かへりの電車で、諜報機関による盗聴行為にかんするある新聞(電子版)のコラムを読んだ。「国際政治はパワーゲームであり、正義が勝つとは限りません。スパイ行為は重要なツールです。さりとて他国との相互信頼なしに生き抜いていくのも容易ではありません。そのバランスをどう取るか。電子版読者の約8割は日本も外国首脳を盗聴すべきだとの考えでした」。また「米国がドイツのメルケル首相の携帯電話を盗聴していたことに『驚いた』と答えた読者と、日本は盗聴を『すべきでない』を選んだ読者の比率はほぼ同じでした。つまり2割程度の読者は盗聴そのものを好ましくないと考えていることになります」。「クイックvote」なるものに答えて盗聴を肯定した大多数の読者と「スパイ行為は重要なツールです」と、いけしゃあしゃあと書く、カネモチ系新聞のアホ編集委員。この男、いったいなにが言いたいのか。家でかあちゃんとどんな××××(4字伏せ字)をしているのだろう。「2割程度の読者は盗聴そのものを好ましくないと考えていることになります」だと? おどろきも嘆きも怒りもない、神経細胞をぬきとられた、クソタレのこのもの言ひは、犬以下のウムヴェルトからの視界にほかならない。新聞社もあらかじめの焼け野原。廃墟だ。マルホランドDR.にもどり、わたしはエベレストにのぼった。帰宅したら、〈あなた、なにかあったの?〉と犬に聞かれた。〈なにもなひ・・・〉とわたしは答えた。犬トイレに糞が1本あった。(2013/11/08)
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・曇天下、けふもエベレストにのぼった。ただ息をするように、ほとんど無意識にのぼり、おりた。エベレスト登頂には、もうこだわりも、目標も、じぶんへの衒いもなひ。習慣か惰性と化したのかもしれないが、正体をわざわざつきつめることもない。麓でおばさんがひとりしゃがんで青光りする鎌でしきりになにかを切っていた。「もしもし、もしも—し、あなたは、ここでなにをしてはるのですか?なにをお切りになっているとですか?」と肩ごしに声をかけたが、なかなか返事をしてくれない。おばさんはやっとふりむいて言った。「うるさいわね。これよ、キチガイナスビよ!」。おばさんはひどく大きな漏斗状の白い花と長い茎を左手にもってわたしに突きだしてみせた。湿った土と青ぐさいにおいが鼻をうってきた。おどろいたのは「キチガイナスビ」といわれたその花の大きさだけではない。それよりもはるかに大きな、野球のバットほどまで最大限に××(2字伏せ字)した馬の×××(3字伏せ字)でも楽々スッポリおさめられそうな、おばさんの口であった。あっ、とわたしは口のなかで叫んだ。「口のおばさん」はだれかにとても似ていたのだ。だが、喉もとまでわくのだが、それがだれかがなかなかおもひだせない。この街ではすべてがはっきりしないのだ。記憶はなんでもあいまいになってしまう。「口のおばさん」に似たひと、いや、この「口のおばさん」が似ている元祖「口のおばさん」はどなたであったか、わたしはぼんやりかんがえた。わたしのマルホランドDR.では、だれもかんがえるなどという上等なことをしないので、漠然と心に浮かべやうとしたとでも言ったほうがより正確だらう。そうするうちにも口のおばさんは憎々しげに語るのである。「キチガイナスビはね、チョウセンアサガオ、マンダラゲとも言ってね、厚生労働省でも注意をよびかけているのよ。あんた知らないの?」。口おばさんによると、キチガイナスビ=チョウセンアサガオには、ヒオスチアミン、スコポラミンなどのトロパンアルカロイドといふ毒性成分があって、誤ってたべると幻覚・沈鬱症状をきたし、遺伝的にもニッポン人の優生エレメンツをそこなふおそれがあるのだといふ。特にゴボウとまちがえチョウセンアサガオの根を食べて中毒症状をきたしたケースが複数例あり、最近ではトリップしたさにチョウセンアサガオを口にするバカな若者もいるのだそうだ。「こういふバカが天皇陛下に直訴状をおわたしして、ごキンシン、もとひ、ごシンキンをおやなませ、いや、お悩ませしたり、テロリストになったりしかねなひのよ!」と口おばさんは堂々と言いきった。わたしは「そうでっかぁ。だからチョウセンアサガオを駆除してらっしゃるのですね?」と訊き、口女は「そうよ!だからあたしたちはニッポン国の未来のためにキチガイナスビ=チョウセンアサガオを根こそぎ退治しているわけなのよ」と大口をバフバフとあけしめしながら言ふのだった。わたしは元祖デカ口女のことをおもいだしかけたが、確証のなひまま、「でも、『根こそぎ』言わはるんやったら、根っこごと抜かんとあかんのんとちゃいますか?あんたはんは花と茎しか駆除してないですやろ」とたずねてみた。口女は大口をバカッとあけてグフグフ笑いながら、「グ—ッドクエスチョン!」とわたしをほめておいて「チョウセンアサガオを駆除するためには、一定のチョウセンアサガオが存在しないと駆除できないでしょ?」と言ってウインクするのだった。さすがや!かつて第1次安倍内閣の閣僚として8月15日の終戦記念日に唯一靖国神社に参拝したおかたが脳裡にちらついた。元祖口デカは満州事変と日中戦争を「自衛のための戦争だった」「セキュリティーの戦争だった」とも言ったことがあったのではなかったか。地下式原子力発電所政策推進議員連盟のおかただった気がする。バイオレンス映画やホラー映画のDVDソフト販売を国レベルで規制することを検討せよと発言したり、漫画・アニメ・ゲーム・映画を規制する青少年健全育成基本法案を国会に提出したりしたひと。ああ、やばい。だれやったっけ?肝心の名前がでてきいひん。でっかい口しかおもいだせへん。枝野いうても、巨大な耳しか浮かばんのとおんなじや。にしても、わたしのマルホランドDR.でキチガイナスビ=チョウセンアサガオ狩りをやってるのが、元祖巨大口女と同一ないしそれに酷似した女性だったとは、な、なんということであろうか。わたしは首をふりふり、カフェ・ダフネにいった。ナポリタンを注文したら、若い女の店員がイナバウアーのかっこうで完璧にそりかえり、ナポリタンをもってきた。オマタセ—ッ!(2013/11/09)
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・強風のなか、けふもエベレストにのぼった。ざわざわと胸騒ぎがした。昨夜、めずらしくおかっぱのコビトがクローゼットからでてきて、わたしに文句をつけた。「こんなことあまり言いたくはないんだけど、あなたの書くことが最近、なんて言うか、すこし品位にかけてきてるとおもうの・・・」。コビトは愛子ちゃんにちょっと似た暗く寂しい目をしていて、クララという名前だ。犬がかけよってきて「そうだ、そうだ!」とおかっぱのコビトのかたをもった。また豆麩をもらったにちがいない。「品位とはなにか、なんてあたしにはよくわからないけど・・・」とコビトはつづけ、「あれを読んだら女性差別的とかんじるひともいるんじゃないかしら。不快におもったひとはすくなくないはずよ」と言い、犬はまた「そや、そや!」と調子にのってはやしたてた。なにを言われているか、わたしはわかっている。「『口女』とあなたが書いた女性は、はっきり言って、サナエ・タカイチのことでしょう?」とコビトは静かな口調ながらどんどんたたみかけてくる。わたしは黙っていた。コビトの話を聞いているふりをして、チョン・キョンファのバイオリン(「G線上のアリア」)を聴いていた。気持ちがじょじょに濾過され、こわばった皮膚が鞣されていく。おかっぱのコビトはじつは鬱傾向のいわゆる引きこもりであった。ふだんは寝室の暗いクローゼットの片隅にしゃがんで仙台の豆麩をポソポソと食べている。犬のガガはときどきコビトに豆麩をあたえられ、手なずけられているようだ。しかし、その高級豆麩はわたしがわざわざ仙台からとりよせて、コビトにあたえたものなのだ。なにか釈然としない。犬のガガは背にコビトを乗せて居間や人目につかないベランダの死角をゆっくりと歩いていたりする。かれらいうところの「お散歩」である。コビトはまるで馬上の貴婦人のように片手にコビト用の日傘をさして、しゃなりしゃなりと気どって揺られている。白いフリルのついたあの日傘だって、いちいち言いたくはないが、わたしがAmazonでさんざさがして買いあたえたものだ。コビトはもともと「コッビット・ストリップショー」をやらされていた池袋の見世物小屋から、大地震のドサクサにまぎれて逃げてきたのを、わたしが助けたのだ。見世物小屋の入れ墨男(いわゆる「ハンシャ」=反社会的勢力)は大事な商売道具だったコビトをいまでも血眼でさがしている。見つかったらコビトもわたしも犬のガガも半殺しにされるだろう。わたしたちはハンシャの脅威もあって結束していたのだ。いままでは・・・。チョン・キョンファの「G線上のアリア」が終わった。森の奥の湖のような沈黙がしばらくつづいた。わたしたちはかつてはもっともっと仲がよかった。たがいに抱きあうようにして暮らしていたものだ。だいたいクララはもっと無口だったし、わたしの書くものを読むことはおろか、それに文句をつけるなんて、とてもではないがかんがえられもしなかった。わたしたちのかんけいは、しかし、最近、なにか変わった気がしてならない。ガガにはもともと定見などないといえばそうなのだけれども、コビトとの親密ぶりをわたしにわざと見せつけるようにするあの態度はどうだ。コビトのクララはどこか尊大というのか態度が以前より大きくなり、ずいぶん理屈っぽくなったようにも見える。わたしの気のせいにすぎないのだろうか。「G線上のアリア」が終わるのを待ち、クララがけっして力むのではなく、ごく涼しげに言った。「ひとの身体的なケッカン・・・じゃないわよね、そう、特徴を執拗かつ露骨にあげつらうって、どうかしらね、いけないことじゃないかしら。口にせよ耳にせよ××××(4字伏せ字)にせよ」。ガガが尻尾をさかんにふりながら叫んだ。「そや、そや!」「対了(トゥイラ)、対了!」。クララが右手で犬に静まるように制し、はるかに年長のわたしを諭すかのように言った。それは最初から答えを期待しない問いであった。「『いかに現在の世論が反対しようと、差別は社会的領域の構成要因なのであり、それは平等が政治的領域の構成要因であるのと同様である』って、もちろん、だれが、どんな女性が書いたか、あなた、知ってるわよね?」。わたしはやや動揺し「し、知りません・・・」と答えた。〈いやなコビト女め!〉と声にせず腹で罵ってやった。クララは平然として「重要なことは・・・」と語をつないだ。「『あらゆるひとびとが社会のなかでじぶんがなんであるか——自分がだれであるかとは性質の異なるものとして——自分の役割と自分の職分とはなんであるかという問いに答えなければならない』ということなのよ。でしょ?」。クララの顔はソファに座るわたしの膝のあたりにあった。わたしは前屈みになって話を聴いた。コビトの唇がうねうねとうごいた。奇妙な気分だ。唇が赤唐辛子のように毒々しく赤かった。ルージュをぬっていたのだ。おどろいた。どうしたことだろう。その顔はチョウセンアサガオを切りたおしていた大口女にも元祖大口女にも似てきたのだ!唇にルージュをぬるのに1回で1本まるごと消費しなければならないほど口が大きくなっていたのだ。口が耳まで裂けたガガまでなんだか元祖大口女に似てきたように見えるではないか!クララはため息をひとつついて、〈社会の共同性〉をそもそも根本から否定するかのようなわたしの表現は、「まるで全世界からの『追放』をじぶんから願いでているかのようだわ」と言ってのけ、わたしはギクリとしつつ、「『世界』という名の口実」という言葉を深いあきらめのなかでおもいだしていた。コビトに裏切られた、という感情もしょうじきなくはなかった。結局わたしはすべてクララに言いくるめられて、まったく不本意ながら、いくつかの約束をさせられてしまったのだった。�一部不適切な表現を伏せ字とする�明日から当分のあいだブログの記述を自粛し、最長でも1日5行までに制限する�コンプライアンスを遵守し、ひととしての品位をたもつ——ことを書面で誓約させられたのである。「世間をお騒がせして、まことに申し訳ございませんでした・・・」とわたしはコビトの顔のあたりまで深々と頭を下げた。にもかかわらず、犬のガガはわたしの目の前でビールマンスピンのかっこうをし、こともあらうに、じぶんの陰部や肛門をペチャペチャとなめているのであった。なにかが変わった。変わりつつあった。クララもガガもわたしに無遠慮になった。この家はコビトにのっとられたのではないだらうか。わたしはもう事実上の下男にすぎない。クララの背後で口女の秘密組織がうごいているのかもしれない。朔の夜に、クララはガガの背に乗って、非常階段をつかってアパートをぬけだし、エベレストに行ったりするようになった。組織と連絡をとりあっているのだらうか。たしかになにかが変わった。これからもっと変わるやうな気がしてならなひ。(2013/11/10)
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・けふエベレストにのぼりながらおもった。救いがたい老人のなすべきことは、さらに深く落伍の暗がりへとこの身を沈めること。それ以外にはありえない。帰宅したら、コビトも犬もよそよそしかった。ふたりで鼻つきあわせポソポソ豆麩を食べていた。わたしと目をあわせなかった。(2013/11/11)
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・ダフネに借金取りと催促されている男たちがいた。債務者は頬に絆創膏をはり、息子とみられる太ったダウン症の男とすわっていた。借金取りは影のようにしゃべらず、絆創膏男だけが興奮し、まくしたてている。猫、年金、タスケテ、年末、ドリョク、株、餌、タスケテ、300万、タスケテ・・・。デブ男がペコペコおじぎしている。影、無言。絆創膏男がとつぜんトイレにたった。首を吊る気だ。わたしは店をでてエベレストにむかった。のぼった。(2013/11/12)
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・けふもエベレストにのぼった。風がつよくシダレヤナギが水平に舞って視界をさえぎった。枝葉は風にこすれ、潮騒のようにうたった。だれもいなひ。いや、ふと気がつくと、麓のベンチにおかっぱのコビトと犬がならんで座って豆麩を食べていた。胸が熱くなり近よると、いかにも知らぬふりをして、コビトは犬の背に乗って黙って立ちさった。見慣れたものはいま、瞬きすると、おしなべて見慣れぬものばかりだ。(2013/11/13)
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・枯れ葉がこやみなくカサコソ話している。青空には大皿を伏せた形に砂漠が浮かんでいる。けふもエベレストにのぼる。オババはタバコをくゆらせて死を待っている。泰然としてみえるが震えているのかもしれない。帰ったら、コビトのクララに提案される。「あたしとかわってあなたがクローゼットで寝ることにしない?立場をかえてみるって、賢いことだとおもうの。ね、検討してみて」。言葉もない。なにかが起きている。(2013/11/14)

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完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。


  

辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。 


  

辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。 


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