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2014年8月23日 (土)

辺見庸 (日録9)私事片々 2014/03/13~と、(日録10) 雑談日記Archive

 辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで

 以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。写真が多いので、2エントリーずつアップします(表示順は元ブログと同じく上から降順です)。

 

 以下、日録の10と9。

2014年03月20日
日録10

私事片々
 
2014/03/20~2014/03/26 
http://yo-hemmi.net/article/392023575.html

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ハナニラ.JPG

・昨日も一昨日もエベレストにのぼらなかった。けふものぼらないだらう。やはりのぼらなかった。歯医者。「カラスアゲハ」ゲラ手入れ。疲れた。(2014/03/20)

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・エベレストにのぼった。それだけ。一日中眠く、だるい。なにもできず。視床痛。いててて…。よく生きてるもんだよ。(2014/03/21)

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咲きおえた花.JPG

・ダフネにいったら、なかの電灯はついてるのに、シャッターが閉まっていた。OK。西口のミスドにいく。ヴィガースハウスのアドルノ論読む。少しだけ。コーヒーくそまずい。コビトに電話。ガキどもがうるさいのでLSVへ。イスノキが葉っぱをつけていた。世界から「質」をうばい、主体から「主体性」を消したもの、「夢のなかのようなさきどり」――をおもふ。真っ赤なストックで長身のからだをささえながら、散歩道を白髪の女性があるいている。ヨイヨイのわたしよりおそい。追いこすとき、ちらりと顔が見えた。東欧か北欧の老女の顔。苦悩のあまりか、表情がセメントみたいにかたまり、灰色の目はうつろだった。憂愁なんてもんじゃない。死ぬほどの孤絶。かのじょの頭のうえで、ほぼ咲きおえた赤い花がいまにもこぼれかかっている。「カラスアゲハ」を書きおえて、よかったなとおもった。ギブアップしないでよかった。あれは書かなければならなかったものだ。書かせない敵はわたしのなかにいた。帰途エベレストにのぼった。安倍首相が核安全保障サミットで、原発の大規模再稼働を前提として、「核燃料サイクル」の推進を勝手に表明するらしい。これは民意にかんぜんに反する。なんということだ。マスコミは安倍のバラエティー番組出演を報じるばかりで、「核燃料サイクル」の危険性にさっぱり触れない。官邸のメディア対策により、ほとんど全マスコミが権力への追従とおべんちゃらだらけである。恥を恥ともかんじていない。(2014/03/22)

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ヒュウガミズキ.JPG

・犬、コビトとオンブル・ヴェールへ。ユキヤナギ、ヒュウガミズキ、コブシ、ハナモモが咲きはじめていた。ハナニラはとっくに咲き群れている。去年の3月17日からもう1年以上がすぎているのに、たったの1週間ほどにしかかんじられない。なぜだろう。マテバシイの緑にとくだんの変化はない。カフェからの眺めには、どんなに猜疑心をつのらせたとしても、怯えるべきなにものもない。「つまり、言い換えれば自我のさまざまな機能を行使することが不可能か余計なものとなる状況が生じた場合、自我は消滅したも同然である」。ということか。エベレストにのぼらなかった。(2014/03/23)

Yukiyanagi
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・ダフネでナポリタン。おいしくなかった。エベレストにのぼった。天から垂れるように、シダレヤナギの花が咲いていた。はじめてではないはずなのに、はじめて見た気がする。そのようなことをふだんまず口にしないひとが、けふ、少し声音を変えて、わたしに問うた。「戦争はじまるんでしょうか?」。言わないひとがとつぜんそう言ったのにたじろぎ、わたしは即答できなかった。シェーンベルク「浄められた夜」。これもはじめて聴いたかのように、おどろくほど新鮮だった。「カラスアゲハ」(「文學界」5月号)がけふ校了。大道寺さんに手紙書く。いや、左手でキーボードを打ったのだ。(2014/03/24)

Mado
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・エベレストにのぼった。麓にシダレヤナギやカシワがあるのは知っていたが、ヤマモモにはけふはじめて気がついた。花期は3~4月、雌雄異株で、数珠つなぎに小さな桃色のあまり目立たない花をつける、と図鑑にはあるが、わたしの見たのがオスだったかメスだったか、あまり目立たない桃色の花がさいていたか、もう憶えてはいない。物事にはなぜ名前がいるのだろう。ヤマモモの実を去年、そうとは知らず、わたしは気味わるがった。なんとなく、毒のような気がしていた。ヤマモモは、さらに、チョウセンヤマモモ、ヘノゴヤマモモ、ニセヤマモモ、スケベヤマモモ、フグリヤマモモ、ママンコヤマモモ、ボボヤマモモ……といった命名により、近寄られなくなったりする。意味のない言葉たち。すべてはすでにかんぜんに消滅していても、いっこうにかまわなかったのだ。その後には、たれひとり語る者とてなく、語られるものもなく、語る言葉とてない。としたら、みなさま、いまよりはよほどマシではないか。といった気分がわたしには濃くあり、「カラスアゲハ」にも、ひっきょう、その気分はにじんでいるとおもう。(朝と昼の時間たちがそれぞれの場でワルツを踊り、回転し、たがいに歩みより、反身になり、差し向かいでおじぎする。後ろにいるパートナーの男たちが腕をあげてアーチを作り、手をおろし、相手方の肩にふれ、上にあげる。)……そんなものだ。どうでもよい。すべてはすでにかんぜんに消滅していたとしても、いっこうにかまわなかったのだ。一概に非在を悲しみ存在をよろこぶいわれはない。(2014/03/25)

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葉あい.JPG

・「すべての絶えいるものをいとおしむ……」ことは、言葉としては、金時鐘(キム・シジョン)訳(名訳!)の尹東柱(ユン・ドンジュ)詩集で知ったのにほかならないのだけれども、それいぜんから、そのような心根か仕草にこそ、なにか、ここからでて、あちらへとゆくひとすじの小径があるようにおもえてならなかったのだ。「葉あいにおきる風にさえ/私は思い煩った。」とは、なんという美しい朝鮮語/日本語訳であろうか。夕、新宿にいった。夜、コビトとビルの53階にいた。エレベーターのなかでわたしは自嘲して言った。屍体は夜、あるくべきではない、と。右半身がコンクリートのようにかたまり、昏倒寸前になった。エベレストにのぼらなかった。(2014/03/26)

 

2014年03月13日
日録9

私事片々
 
2014/03/13~ 
http://yo-hemmi.net/article/391339359.html

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フェンス.JPG

・ミスド。雨模様なので、犬おいていくと言ったら、犬ブーイング。でも、犬おいていく。ドーナツ2個、肉ソバ、コーヒー2杯。木の芽を見に外にでてまもなく、ナニをもよおし、事態いとただごとにはあらざりけるにや、あわててまたミスドへ。障害者用トイレに直行。大泄小泄・同時・一気敢行に成功す。すっきり。ドーナツ2個、肉ソバ、コーヒー2杯、なんのことはない、ぜーんぶ店にバックしたことになる。ケツ・シャワーのボタンがあるので押すも、シャワーいっこうにでず、ボタンはダミーとわかり、激怒。「ダミーのボタンとは呆れるぜ、ここは刑場か、東京都公認身障2級を差別しとんのかぁ、われぇ!」とわめきけるほどに、「お客さん、お客はん、便所でなんばさわいでけつかるんどすかぁ?」の声。あれ、コビトではないか。「便所は、たれるとこ。さわぐとこじゃなかとですよ。お客はん、よろすぃかったら、おまはんのまっこときったなひおいど拭くの手伝いまひょか?」。は、はい、わかりまひた。トイレでて、コビトとコーヒー。『永続敗戦論』のことをちょこっと話す。「身体」「生身」「主体の立脚点」「徹底的パシフィズム(pacifism)」「まったくもってとるにたりないもの」「根生いのもの」「個の責任」…などについて、ぶちぶち詮ないことをつぶやく。最後に『永続敗戦論』はとても参考になったけれど、じぶんの骨身にしみるものではないな、と言ったら、コビトは「やっぱり」という目でわたすぃを見あげた。「カラスアゲハ」を書いてよかったとおもった。帰り、エベレストにのぼった。(2014/03/13)

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・10年前のけふ午後、わたしは新潟で脳出血にたおれるも、死にぞこなった。あのとき一発でいっておけば、見たくもないことどもを見ずにすんだのだ。その後もがんになったけれども、みなさんすみません、また死にぞこなって、本日、2014年3月14日も、まだいじましく生きさらばい、見たくもない景色を見るはめになっておりますことは、まことにもってわたしの不徳のいたすところであります。しかしである、生きていて多少はよかったこともないではない。第一、わたしはけふ、尹東柱(ユン・ドンジュ、1917年~1945年)の詩集『空と風と星と詩』(金時鐘=キム・シジョン編訳、岩波文庫)を開き、薄汚れ黄ばんだ目をまたも清々しく洗われたではないか。「すべての絶え入るものをいとおしまねば」の1行が、わたしにとりどれほど大事な1行であることか。「すべての絶え入るものをいとおしまねば」。尹東柱によって朝鮮語で書かれ、金時鐘により日本語に訳されたこの1行が、どれほど清冽であることか。おい、ニッポンジン、在日コリアンたちよ。もしも、すべての絶え入るものをいとおしまなければ、この世のすべてはほんとうにだめになるのだ。「すべての絶え入るものをいとおしむ」ことがいま、基本中の基本である。おい、若いニッポンジン、若い在日コリアンたちよ。尹東柱が1945年2月、どこで死んだか、ぶち殺されたか、知っているか。治安維持法違反で投獄されていたニッポン国・福岡刑務所で、である。おい、若いニッポンジン、若い在日コリアンたちよ。日本当局が尹東柱死去を親族に知らせた電報の文面を知っているか。もしも知らなかったら、どうかどうか、忘れずに憶えておいてほしい。「一六ニチトウチュウ シボウ シタイトリニ コイ」。金時鐘は書いた。「まるで物か、そこらで野垂れ死にした犬ころ扱いです」。そのとおりだ。シタイトリニ コイ。「すべての絶え入るものをいとおしまねば」と書いた若き詩人を、ニッポンジンはモノか犬ころあつかいした。忘れてはならない。わたしの父と父の戦友たちは、慰安所のまえにズボンのベルトをはずして並んだ。じぶんの番を足踏みして待った。1人で1日何十人もの兵士のからだを受けいれざるをえなかった韓国の婦人たちの話をわたしはじかに聴いた。忘れない。歴史には外交文書だけではなく、生々しい身体と痛みの記憶およびそれらのディテールがかかわっていることを、おい、若いニッポンジン、若い在日コリアンたちよ、忘れないようにしよう。「死にぞこない10周年」を勝手に記念して、わたしはけふ、友人、朝鮮新報の朴日粉記者のインタビューをうけることを決め、そのむねを記者に連絡した。すべての絶え入るものをいとおしむために、なにかをしなければならない。エベレストにのぼった。(2014/03/14)

SOBA:辺見さんが「10年前のけふ午後、わたしは新潟で脳出血にたおれるも」と言及している10年前、2004年3月14日付けの記事を末尾で採録

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・ファシストはいくつもの口をもち、幾種類もの顔と声をもつ。口、顔、声をときどきにつかいわける。米国にとりいるためなら、どんなみっともない踊りでも平気で踊り、前言をいくらでもひるがえし、ひとびとを裏切り、いかに恥ずべき遁辞でもあえてろうし、あらゆる種類の嘘をつきまくる。なんというやつらか。みずからの権力維持、ただこの一点のために、かれらは天皇を利用し、生きのびる。「歴史に対してわれわれは謙虚でなければならないとかんがえている」。ワハハハハ。いま歴史を全面的にくつがえしている当の本人が、用意された紙を見ながら、そう言うのだから、笑うほかない。君はかつて「日本の歴史がひとつのタペストリー(つづれ織り)だとすると、その中心に一本通っている糸はやはり天皇だと思うのです」とかたり、「自衛のための必要最小限度をこえない実力を保持するのは憲法によって禁止されていない。そのような限度にとどまるものであるかぎり、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは憲法の禁ずるところではない」と、核武装肯定を揚言したではないか。君は「大東亜会議」と大東亜共同宣言(1943年)をいまでも賛美する「日本会議」ときわめて緊密な関係をもつ、れっきとしたファシストの頭目ではないか。エベレストにのぼった。ミスドにいった。(2014/03/15)

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・うらうらと死なむずるなと思ひとけば心のやがてさぞとこたふる んなこた、あんた、「嘸」もなにも、あたりマ×コのちぢれっ×だろ。みなさんうらうらとかんたんに死ねなひさかい、えろ困ってるんだよ。諸行無常、是生滅法、生滅滅巳、寂滅為楽…これみなニッポン・ファシズムの原理じゃあーりませんか。わが世たれそ常ならむ、などとほざくところからはじまって、低脳政治、低脳マスコミ、低脳人民――の3本の矢、いやさ、三位一体が、ここにつつがなく完成いたすぃたのだ。こふなったら、ガンガンわめきちらすぃ、どつきまわすぃ、すぃばきたおすぃ、のたうちまわってなにがわるひ!?と、甲斐なくおもうていたところ(ほんたうはおもふてなんかなひです。時間のむだ。バルトーク聴いてたのさ)、ピンポーン。えっ?梅川さん!とつぜんの来訪!ビックリ。やれうれすぃや。あいかわらず、色白ポッチャリ、眠たげな目、無口。初対面なのに、犬ぜーんぜん吠えず。梅川さん、あの日のオクラホマミキサーのときめき、指の感触まで、すべて記憶すぃていた。わたすぃたち、すぃずかにいろんなことを話すぃ、ハグすぃあい、なにか予感どほりに、高齢者推奨簡便型69(後述)など、いろんなことをすぃたのどぇす。年寄りじゃけー、なかだすぃOK。偈。マジえがった!犬吠えず、ただただ呆れて黙認す。エベレストに2回のぼった。梅川さんと、あのあと、ダフネにいった。ふたりすぃてカイチュウナポリタン食う。すぃはわせ!日刊ウンコ新聞のエッセイ寄稿依頼ことわる。ああ、スッキリ。(2014/03/16)

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・備忘。明日、「週刊金曜日」主催の対談で、話すかもしれないこと、話すべきこと…。ナチスのグノーシス主義(善悪2元論)は、伝統主義と混合主義とオカルティズムによってはぐくまれた。靖国参拝はこのうちオカルティズムに類するだろう。天皇利用主義もしかり。ここに、知の発展はどうしてもありえない。ファシズムにはこれといった定型、定義はない。あるとしたら論理的、哲学的には「蝶番のはずれた」、本質的に情動的な原型だけである。ファシズムはだから民衆にもてはやされるのだ。ファシスト安倍の内面の闇は、ネット右翼の内面の闇にかさなり、交差し、齟齬なく融けいる。「差異の恐怖」「よそ者排斥」「知的コンプレクス」にかんけいする情緒が、闇の底にただよい、うずまき、これら諸要素が意識的にせよ無意識的にせよ、人種差別をみちびいている。安倍には縒れて湿気った被害者意識がある。「日本会議」「日本会議国会議員懇談会」をどうかんがえるか。日本ファシズムの微細な神経細胞について。異様な風景をどう感じるか。籾井、長谷川、百田、小松らの狂気と正気。言論、報道の異常収縮=「内側からの死滅」をどうみるか。「新しい多数派=新中間層」をどうみるか。戦後レジーム脱却反対論と戦後民主主義勢力の没主体性と過誤、それらゆえの致命的弱さについて。戦後レジームからの脱却路線にどう対応すべきか。なにを対置すべきか。徹底的非武装・反戦論は不可能か。安倍ファシズムはどこまで暴走するか。抵抗は可能か。社民はなぜ瓦解したのか。共産党に希望はあるか。いま、なにが予感可能なのか。近未来になにが見えるか。今日的暴力の意味。国家テロの予感。プーチンとスターリン主義。「人間の侮辱」ということ。原発と戦後民主主義。「良心的知識人」とはなにか。かれらに危機感はあるか。戦後民主主義と大江健三郎。日中戦争はあるか。日本核武装はありうるか。ありうべし。次はなにか?(2014/03/17)

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・全体に、よかどすきん。めぞどすけなことは基本的にかなってん。対談は3時間をこえた。ぶつかるということはになも、あにゃ、かなってん。前回、対談したのは16年まえという。16年。世の中は大きく変わった。変わっていない、といえば、変わっていない。お話ししたい。うかがいたい、とおもっていたことの半分くらいは自然に、まちりらのものめね、ほじゃけん、よかどすきいね。になか、みした。れそはなにどすけ、とまい自問れすば、なんだらう、魯迅、エスペラント、アナキズム、ひとというものの「どうしようもなさ」、たしわもちき無責任、いま首に突きつけられた匕首をどうするか(しわたが言うた)…などのこと。野中君が往き帰り同道してくれた。すばらしい若者。向井君にも久しぶりに会えた。バルトークのピアノコンチェルトをもってきてくれた。「撤退戦」ということばがあるのかどうか。聞きちがいか。ガチでひとりでやるか。ようするに、さんざ撃たれても、それでもひとりで突っこんでいくかどうか。はい、突っこんでいきます。いみたひなとこひ、いい年寄りがそぼそぼすぃりますぃどすきん。あにゃよか時間どすきん。夕刻、ふぃずぃまりふるる
肉茎ズマキズキ、やりはコビト登場!コーヒー異常高すぎ。許すまじうら。(2014/03/18)

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・ミスドで落合さんとお会いする。遠路ご足労恐縮至極。感謝。大道寺さん新句集につき正式にお願いした。1年後刊行目処。この先1年、いったいなにが起きるのか。どうしてもそういう話になる。文學界から「カラスアゲハ」の初校ゲラくる。きのうとどいていたのだが、疲れてPC開けず、けふ気づく。明日戻す予定。小澤征爾指揮、シカゴフィルのバルトーク、シェーンベルク・ピアノコンチェルト到着。右肩痛。コビト&犬LSV→ミスド。往路、犬、横断歩道中央でとつじょたちどまり、しゃがみこんで大排泄1回敢行。帰途、コビトとともにチェックしてみると、犬shit、横断歩道に平たくハート型に練りこまれていた。あにゃ、どうぇすどうぇす。(2014/03/19)

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完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。


 

辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。 


 

辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。 



 辺見さんが、私事片々(2014/03/14)で言及している倒れた時の記事を採録。

 

辺見庸さんが脳出血で入院 新潟で講演中、手足にまひ (共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040314-00000094-kyodo-ent
Internet Archive 

 14日午後3時ごろ、新潟市一番堀通町の新潟市民芸術文化会館で、作家の辺見庸さん(59)が講演中に体調不良を訴え、新潟市民病院に搬送されて検査を受けた。
 講演会の主催者によると、辺見さんは脳出血で、意識はあるが右手足がまひしている状態。1週間の入院が必要で、回復にはさらに1カ月程度かかる見通しという。
 辺見さんは14日、市民団体主催の講演会に招かれ、午後2時すぎから「いま私たちにできること−どこまでも戦争の論理を拒むために」と題して講演。約30分後、体調が悪くなって降壇した。
 辺見さんは1970年、共同通信に入社し、北京特派員、ハノイ支局長などを経て96年に退社。91年には「自動起床装置」で芥川賞を受賞している。(共同通信)
[3月14日20時7分更新]

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