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2014年12月25日 (木)

辺見庸 (日録1-7)私事片々 2014/11/04~と、(日録1―8) 雑談日記Archive

 「(日録1―1)私事片々 2014/08/30~」を、今までと同様アーカイブ保存しておきます。

 なお、辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで

 以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。写真が多いので、2エントリーずつアップします(表示順は元ブログと同じく上から降順です)。

 

2014年11月11日
日録1―8

私事片々
2014/11/11~
http://yo-hemmi.net/article/408726983.html

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小さな白い花.jpg 2014年11月11日

・なんという下品な光景であろうか。レッドカーペットを模した派手な照明、花火、そろいのシルクの伝統衣装。バカげている。あれは解放前の中国の金 貸しが着ていたのとおなじ上衣じゃないか。金もちの強欲「老爷」(ラオイエ)=旦那。下品だ。傲然たる習近平。金もちに群がる貧乏人。老爷、给我点儿钱 吧!(旦那、ちょっとお金をめぐんでおくんなせえ!)。北京のAPEC首脳会議。これでもかこれでもか。オリンピックのときとどうよう成金趣味のど派手な 演出。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」。日本のことわざではない。これは「論語」だろうが。習近平と首相Aの臭い三文芝居。金権中華帝国の頭目と頭蓋の なかに軍隊行進曲「抜刀隊」をなりひびかせたニッポン帝国主義の亡霊Aの対決!ジャジャーン。「あるもの、ある人間の、ある国の滅亡が、その全的滅亡の寸 前に、その滅亡なくしてはありえなかった、まったく新しい価値、まったく新しいものを生みえなかったとしたら、滅亡に何の価値があろう。わが中国の歴史 は、特に近代史は滅亡の歴史である。そのときどきに新しい価値を生んできたのだ」と、堀田善衛は『時間』の主人公の中国人に言わせた。この部分、武田泰淳 の「滅亡について」(1948年)をつよく意識し、反発もした文にちがいない。武田の滅亡論にはほとんどすくいがない。徹底している。掘田の「滅亡」は、 新しい価値を生むためのそれである。「滅亡の意味は、それが全的滅亡であることにある」と記した武田の滅亡は「新しい価値」なるものを措定しない。「日本 の国土にアトム弾がただ二発だけしか落とされなかったこと、そのために生き残っていること」を不徹底な滅亡として残念がっているふしさえある。そのことに かえって惹かれる。掘田は、南京の「死と酒に酔い痴れた」日本兵が、1937年の闇夜に「殺と姦とをもとめて手に手に懐中電灯をもって彷徨する」地獄図絵 を、あえて中国人がわから描いた。和式獣性。「わたし」の妻子はすでに兵士らに集団でレイプされ殺されている。掘田は、それでも、「全的徹底的滅亡の寸 前」に生じる新しい価値をうんぬんする。わたしはそこに、戦後民主主義によりそった、いかにも掘田らしい、うしろむきなようで奇妙にマエムキな、お気楽な ひびきをかんじてしまう。日本は敗戦。その後、中国は第二次国共内戦―新中国成立―大躍進(2000万人の餓死者)―文化大革命(死者無数)―改革開放― 堕落した共産党主導下の成金大国化……。ニッポンはいま憲法9条を事実上放棄し、集団的自衛権を行使できる富国強兵路線。南京大虐殺も強制連行も慰安婦の 歴史もあったものではない。習近平と首相Aは、おびただしい死者たちの霊を代表し、諸矛盾を揚棄して「新しい価値」をつくることができるか。とんでもな い。こいつらは歴史をさらに全的滅亡へとむかわせる不吉な老爷がたである。エベレストにのぼった。右コース失敗。左コース、かろうじて成功。 (2014/11/11)

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10月の蝶々.jpg 2014年11月12日

・自民党がどうしたの首相Aがどうしたの、といった話はしたくないのだ。やつらがことばのもっともわるい意味あいで卑しい存在であることについて は、とっくのむかしに言いあきた。〈おまえたちは卑しい!〉と何千万回さけんだところで、事態はすこしもかわらない。わたしたちは、大別して、〈ひどく卑 しいもの〉と〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉の2種類しかない世界にある。おおかたは〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉の安全な地平から、もち ろんすこしも命がけではなく、たいした損害も被らずに、〈ひどく卑しいもの〉を難じ、そうすることで、みずからが卑しい圏内にいないかのように錯覚したり している。しかし、われわれはせいぜいよくても〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉以上ではありえないし、なにはともあれ、〈卑しい圏内〉から脱するこ とはできない。〈ひどく卑しいもの〉と〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉の2種類しかないのだとしたら、ふつうにナニゲに後者を選んでしまうのが人情 なのかもしれぬ。だが、そういう無意識の〈グレーゾーン選択〉こそが、じつはかえってなによりも卑しいのではないか。〈ひどく卑しいもの〉を主観的な善や 皆とおなじ〈ふつうにナニゲにすこし卑しいもの〉の市民的安全圏からではなく、いっそ〈ひどく卑しいもの〉の視線で、睨みたおせ。睨み殺せ!夜更けに卒然 としてそうおもうことがある。ただたんに在るだけの現実世界に、人間がただたんに在るだけというのは、おもえば、バカげている。ただたんに在るだけという のは、じつは酷薄なのである。ただたんに在るだけの現実世界には、仔細にみれば、なにか危ういものが刻々闌けてきている。それにたいし、ただ無害であるだ けの(そう主観的におもいこんでいる)人間存在というのは、むしろ酷薄で冷酷であり、ほんとうはすこしも無害ではありえないのだ。ただたんに在るだけの民 は、けっして無辜ではない。だんじて。無害で善なる民は、存在として、酷薄で冷酷なのだ。〈ひどく卑しいもの〉にこそ、みいだすべき自己存在のヒントがあ る。唐突だが、この点で、わたしは宮崎駿をいとう。その延長線上で、『時間』の「わたし」=堀田善衛のありようをしばしばいぶかる。〈悪〉の、〈善〉とみ まがう多重構造が描ききれていないか、描くのを避けているかのようだ。結果、ニッポンはすくわれる。かれらは善の顔をした〈ふつうにナニゲにすこし卑しい もの〉であり、存在論的には〈ひどく卑しいもの〉よりも、より卑しいのではないか。妻子が日本兵に強姦され惨殺されたというのに、血の復讐ではなく、さか しげに「新しい価値」をかたり、マタイ受難曲を想う中国人の「わたし」というインテリは、たんに被害者をじにんする者または〈ふつうにナニゲにすこし卑し いもの〉であるがゆえに、〈ひどく卑しいもの〉なのであって、〈知的〉善面がだんだん鼻もちならなくなる。北海道議会の最大会派「自民党・道民会議」の議 員が道議会決算特別委員会で、「アイヌが先住民族かどうかには非常に疑念がある。グレーのまま政策がすすんでいることに危機感をもっている」「われわれの 祖先は無謀なことをアイヌの人にやってきてはいない。自虐的な歴史を植えつけるのはいかがなものか」などと述べた、という。ただたんに在るだけの現実世界 に、人間がただたんに在るだけであるとすれば、〈だからどうしたの?〉ということである。しかし、わたしはこの発言は犯罪的というより、めいかくな犯罪だ とおもう。慰安婦、強制連行、南京大虐殺……の史実ぬりかえにつらなる卑しい犯罪だ。「われわれの祖先は無謀なことをアイヌの人にやってきてはいない。自 虐的な歴史を植えつけるのはいかがなものか」というロジックは、いま闌けてきているもっとも卑しく酷薄な気流と同質のものである。ただたんに在るだけの現 実世界に、人間はただたんに在るだけでよいのか。宮崎駿ていどの口あたりのよい〈正義〉で、闌けてくるこの卑しさと戦えるか。できはしない。戦うからに は、市民的安全圏をも戦線にするくらいの覚悟がなくてなにができるというのか。戦うからにはこちらも相応に傷つくしかない。このクニの卑しさはそうまで闌 けてきている。どんどん悪擦れしてきている。エベレストにのぼった。峻険な右コースは心理的にも身体的にも無理になった。左コースをえらぶ。悔しい。 (2014/11/12)

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flgwの空11月13日.jpg 2014年11月13日

・にもかかわらず、『時間』は貴重なテクストである。わたしのテクスト『時間』はいま手もとに2種類ある。ひとつは新潮文庫(昭和32=1957年 発行、昭和48=1973年15刷)。そして集英社の昭和戦争文学全集第11回配本(第3巻)「果てしなき中国戦線」(1965年)所収の「時間」。箱入 りの後者(350円)には、「時間」のほか、「生きている兵隊」(石川達三)や「審判」(武田泰淳)などが収載されているのに、オビには田村泰次郎の「春 婦傳」のみが紹介されている。オビ文(惹句)は「日本兵達の欲情に泥まみれとなりながらも、朝鮮娘・春美は恋を知り、悩み、もだえた!」というのだから、 まるで売らんかなのポルノ映画の宣伝文句みたいだ。担当編集者の見識がうかがえるとともに、時代であろう、なにかしら無防備な観がある。オビ文は通常、編 集者が書く。他方、新潮文庫『時間』の裏表紙(表4)には、内容紹介とコピーを兼ねた短文が記してある。掘田さんはこれに目をとおしたかどうか知らない。 わたしは考察にあたいする一文とおもうのだ。「日中戦争の初期、日本軍占領下の南京を舞台に、一人の中国人インテリが、権力の重圧のもと、血なまぐさい大 虐殺を目撃しながら、ひたすら詩と真実を求めて苦悶する姿を、その手記の形でえがく。人間の運命が異常酷烈な試練をうけ、営みのいっさいが日常的な安定を 失った戦時における人間存在の根本問題を鋭く追究して、戦後文学の潮流を象徴する力作長編小説」。おもしろい。文の綾がどうのというまえに、きょうびこれ だけの表4 を書ける編集者はまずいまい。まじめで、過不足なくまとまっていて、品がよい。それが一点。しかし、万々一、今日、新潮文庫の表4にこれが書けたとして も、採用されるかどうか。それが第二点。まちがいなく「血なまぐさい大虐殺を目撃」がひっかかる。ニッポンでは朝野あげていま、南京で「血なまぐさい大虐 殺」などなかったことにされていて、大手出版社がわれもわれもと嫌韓嫌中本刊行に大わらわなのである。南京大虐殺も慰安婦もきゃつらのデッチアゲで、わが ほうの一部自虐史観との合作とされているのだから、この新潮文庫『時間』が新たに重版されるとしたら、それじたいが出版界にとってちょっとした内面的「事 件」なのであり、もし重版されたにしても、表4は差し替えられるはずである。第3点目。新潮文庫『時間』の表4は、古き佳き時代の新潮文庫らしく、香りた かく、文としても目だった瑕疵はない。のだが、どうだろう、妙に抑制がききすぎてはいないか。なんだか、他人事のようなのである。「血なまぐさい大虐殺を 目撃しながら、ひたすら詩と真実を求めて苦悶する姿」は、掘田がフィクショナルにつくりあげた中国人インテリなのであって、それが掘田じしんの内面につな がると了解できるにせよ、南京大虐殺と「わたし」という、ほんらいもたれるべき当事者性が、やはり他人事のようにうすまっているのだ。身もふたもなく言え ば、もともと加害者側として内省すべき者が、あれあれ、いつのまにか被害者側になって南京大虐殺をかたってるよ、ということだ。それが意識的になされたか 無意識の巧知のせいだったかはよくわからない。言えるのは、戦争犯罪を戦争犯罪一般として他人事のように表現する、いかにも無責任な〈ニッポン的語り口〉 は、現在のおおっぴらな歴史修正主義以前に、早くも1950年代からあったのだということだ。とうに退職されただろう新潮社の編集者たちをなつかしくおも いだす。仕事はさっぱりしなかったが、お世話になった。フーコーを送っていただいた。むかし、かのじょら、かれらと村上春樹について話題にしたことはあっ ても、『時間』について話したことはなかった。けふも『時間』を一頁一頁なめる。「素朴な――しかしわたしは都市の労働者よりも誰よりも、彼等(農民)の 方がずっと残忍であるということも知っている」。農村出身の日本兵のほうが南京でだれより残酷だったというのだ。うーん、それはそうかもしれないが、掘田 さん、そんなにしれーっとかんたんに言わないでくださいよ。とおもう。戦争にながくいっていた古山高麗雄さんに訊いたことがある。学歴のある兵士と学歴の ない農民兵とでは、どちらが残忍でしたか?古山さんはそくざに、堀田善衛とまったくおなじことを答えた。ひそかに逆の答えを期待したのに。わたしは心のへ んなところにへんな傷をこしらえてしまった。エベレストにのぼった。右コース。やっと。(2014/11/13)

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コスモス大手町.jpg 2014年11月14日

・東大ポポロ事件というのがあった。東大の学生団体「ポポロ劇団」が1952年、本郷の学内で松川事件をあつかったた演劇『何時の日にか』の上演を おこなったさい、観客のなかに私服警官4名がいるのを学生が発見し、警官を拘束して警察手帳をうばい謝罪文を書かせた。それを口実に学生が逮捕、起訴され る。これにより、憲法第23条が保障する「学問の自由」とそれを基本理念とする「大学の自治」が、この国ではじめて本格的に議論された。一審の東京地裁は 「大学はがんらい、学問の研究および教育の場であって、学問の自由は、思想言論集会などの自由とともに、憲法上保障されている。これらの自由が保障される のは、それらが外部からの干渉を排除して自由であることによってのみ、真理の探究が可能となり、学問に委せられた諸種の課題の正しい解明の道がひらかれる のである」「大学はそれじたい、一つの自治の団体であって、学長、教員の選任について充分に自治の精神がいかされ、大学の組織においても学長の大学管理権 を頂点として自治の実態に沿うような構成がつくられている。これにくわえ、学生も教育の必要上、学校当局によって自治組織をもつことを認められ、一定の規 則に従って自治運動を為すことが許されている」として学生らを無罪とした。いまからすれば、まるで夢のような名判決である。二審も一審を支持したため (!)、検察が上告。最高裁判所大法廷は、しかし、1963年(昭和38年)5月、原審を破棄し、東京地方裁判所に差し戻した。その理由は「本件集会は、 真に学問的な研究と発表のためのものでなく……本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」からという。これに全 国の大学が怒り、学生も教員もデモをした。わたしは19歳で、ポポロ判決抗議のデモ中に公安条例違反で逮捕された。まだ血で血を洗う内ゲバも連合赤軍事件 もないころである。1963年にはケネディが暗殺され、堀田善衛が『審判』を、大江健三郎が『性的人間』を上梓した。最近の京大キャンパスでのできごとと 学生寮強制捜査で、そのポポロ事件をおもいだした。ただ、ポポロ判決のころは、大学の自治だけではなく、言論・思想の自由を蹂躙した旧治安維持法の再来と いう危機感が大学にも学生にもメディアにもあった。最高裁の判断にしても、大学の自治じたいは肯定していたのである。いまはどうか。言論・思想の自由がう ばわれるという危機感はほとんどない。このたびの京大での事件を、秘密保護法とのかんけいで深刻視するむきはまことにすくない。しかし、ことはいわゆる 〈過激派〉の問題ではなく、権力がいま、秘密保護法適用の予行演習をしている、ということである。「特定秘密」の対象になる情報は、「防衛」「外交」「特 定有害活動の防止」「テロリズムの防止」などとされている。これら分野における政府方針に反対するうごきにも官憲の調査権がおよぶ。つまり範囲などはなに もない。わたしをテロリスト教唆とみなせば、いつだってしょっぴける。なんのことはない、治安維持法の再演である。「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認 スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」という治安維持法が、条文の範囲をむげんに拡大し、ひ とびとを苦しめ、密告者を増殖し、思想をいかにゆがめたか。ポポロ判決のころはまだその記憶がのこっていたのだった。社会に嫌悪感があった。いまはどう だ。大学で高度の自治意識をもつところは皆無かきわめてすくなく、学生運動を暴力団とおなじ〈反社会勢力〉ときめつけて警察と積極協力してキャンパスから しめだすうごきばかりではないか。教員からも学生からも反権力、反権威の気概がすっかりなくなった。端的にいって、そういう社会はクソである。エベレスト にのぼった。(2014/11/14)

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見本.jpg 2014年11月15日

・『霧の犬 a dog in the fog』(鉄筆)の見本でき。スケジュールどおり。渡辺氏夫妻がレンタカーで待ち合わせ場所にもってきてくれる。当然ながら、写真やPCデータより実物の ほうがよほどいい。この黒は名久井さんでなければつくれない独自の黒だ。50冊左手でサイン。むかし湖南省長沙で彫ってもらった印で落款した。夫妻が自宅 まで送ってくれた。S君から久しぶりにメール。「ひとは存在するのではない。ひとはみずからを存在する」。わたしはみずからの存在を負わなくてはならな い。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/15)

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つぼみ.jpg 2014年11月16日

・NHKBS「ワルシャワ蜂起 70年目の“タイムw”」。正直、ひどくがっかりした。つまらなかった。まるでオコチャマ番組。悲しかった。テレビ には大きな誤解がある。モノクロ映像を彩色したからといって歴史認識がふかまるというものではないのだ。かえって逆だ。映像から陰翳が消え、ふかみがなく なる。これでは重層的な歴史の平板化、単純化だ。あるしゅの「歴史修正」ともいえる、作り手の視線の浅さにおどろく。歴史観の浅さは人間観の浅さだ。なん だかむかっぱら腹がたつ。この連中が南京大虐殺事件のドキュメンタリーをつくったらどんなことになるのか。寝るまえにおもう。歴史が痩せ細ってきている。 エベレストにのぼった。(2014/11/16)

SOBA:辺見さんが上記言及している「ワルシャワ蜂起」関連でアンジェイ・ワイダ監督の『世代』『地下水道』『灰とダイヤモンド』。また『カティンの森』も末尾にアップ

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ネリネ 水の妖精.jpg 2014年11月17日

・昨夜NHKBS「ワルシャワ蜂起 70年目の“タイムW”」をみた空しさ、腹だたしさがけふも尾をひいている。なによりもまず、作り手にワルシャ ワ蜂起の知識とそれへのおもいいれが、まったくないか、きわめてうすいこと。ネット上のNHK番宣では「ことし、ポーランドで第二次世界大戦中に撮影され たモノクロ映像が、カラーでよみがえった。映るのは、ナチス占領下で祖国を取り戻そうと立ち上がったワルシャワの人たち。20万人が犠牲になったとされる 〈ワルシャワ蜂起〉の様子が克明に記録されている。戦後、蜂起を無謀な作戦と非難するソ連の影響下で、長らく封印されてきたこの記憶。自由を求める長く厳 しい闘いの軌跡を、カラー映像と生き残った人たちの証言でたどる」。ほう、そうだろうか。〈ワルシャワ蜂起〉の様子が克明に、だと?うそつけ。ソ連軍は ポーランド国内軍とレジスタンスを捨て石にし、もともと抵抗運動を敵視していたのではなかったか。ソ連赤軍は自軍の損害をすくなくしようとポーランド国内 のレジスタンス組織を利用、赤軍のワルシャワ進攻にあわせ武装蜂起せよと指示。決起予定日は1944年8月1日だったが、しかし、前日の7月31日からド イツ軍内に増援部隊が配備され、赤軍に被害がではじめる。それを口実に、ソ連軍はヴィスワ川東岸で進軍を停止。つまりレジスタンスへの背信。壮大な見殺し である。ワルシャワはドイツ軍の猛烈な「懲罰的攻撃」にさらされ、市民ら22万人以上が殺された。ソ連軍は翌年1月になってようやく進撃を再開し、かんぜ んな廃墟となったワルシャワに入城。そして、あろうことかレジスタンス活動家らを逮捕しはじめ、醜いスターリン主義の本質をさらす。生きのこった活動家ら はしかたなく地下水道などにかくれ、裏切ったソ連共産党とその協力者らへのテロで抵抗をつづける。『地下水道』、『灰とダイヤモンド』などポーランド映画 “抵抗3部作”はこうした史実なしにはありえなかった。NHKの番組には、コラブもマーチェク・ヘウミツキも、もちろんだが、でてこない。かれらの雰囲気 のかけらもなし。若い番組制作者はだいいち、『地下水道』、『灰とダイヤモンド』もみていないのかもしれないな。『地下水道』、『灰とダイヤモンド』は フィクションだし、モノクロ映画だけれど、彩色されたテレビ番組より1000倍もリアルで風景がふかい。テレビ番組では、ドイツ降伏後、ロンドン亡命政府 系パルチザンとソ連共産党支配下のポーランド労働者党(ポーランド統一労働者党)との内訌がどれほど複雑で、熾烈だったかもさっぱりにおってこない。ワル シャワ蜂起70年後の今日、ポーランドはこんなにすばらしくなりました、とでも言いたいのか。コラブやマーチェクの怒り、悲しみ、思想的蹉跌を、番組制作 者は想像しない。レジスタンスが、結局、ナチスとスターリニズムという「二重の敵」とたたかわざるをえなかったことの絶望的苦闘の痕跡も、番組では消えて いる。ユダヤ人も消えている。史実が漂白されている。作り手に苦悶がない。これではだめなのだ。ワルシャワ蜂起 は、NHKのすきな安手の感動物語ではありえない。ファシズムとスターリニズムによる挟撃という酷烈非情の歴史の象徴でもあったのだ。くわえて、ファシズ ムとスターリニズムへの協力者、内通者、二重スパイ……。いくえもの黒い影。あの時代が暗くて、いまは明るいとでもいうのか。ばかな。ところで、籾井、百 田、長谷川某ら極右nutsどもは、まだいけずうずうしくNHK権力の座にいすわっているのだろうか。そのことと番組の質の劣化はかんけいがないのか、あ るのか。NHK職員は首相Aがおくりこんだ極右nutsどもに腹がたたないのか。みずからなすべき抵抗を放棄した者どもにワルシャワ蜂起の悲劇がえがける わけもない。エベレストにのぼった。(2014/11/17)※

※SOBA:アンジェイ・ワイダ監督の『地下水道』『灰とダイヤモンド』『カティンの森』、そして『ETV特集 アンジェイ・ワイダ=祖国ポーランドを撮り続けた男』を末尾にアップ(←クリックで頁内ジャンプ)。なお、辺見さんがNHKBS「ワルシャワ蜂起 70年目の“タイムw”」と書いているのは2014年11月16日放送のBS1スペシャル「ワルシャワ蜂起 葬られた真実~カラーでよみがえる自由への闘い」。「“タイムw”」と言うのは1944年8月1日5pmを期して決起した「ワルシャワ蜂起」のこと。——現在でも毎年8月1日の同時刻にワルシャワではサイレンが鳴り渡り、市民がその場で動きを止め、各自で1分間の黙祷を捧げるのが恒例行事となっている。——とのことです

 

2014年11月04日
日録1-7

私事片々
2014/11/04~
http://yo-hemmi.net/article/408313201.html

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名前不詳の終わりかけの花.jpg 2014年11月04日

・『時間』を上着のポケットにいれて歯医者へ。犬はトリミングにいっている。晴天。なにごともない。なにごともなさそうだ。なにごともなさそうにみ える。ハナミズキの葉むらから小鳥たちの、ひとをはばかるということのない、鋭いさえずりが聞こえる。あれはヒヨドリではない。なんだろう。待合室。2か 月前にきたときと空気がいれかわっていない。「……数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を黒い眼差しで見てはならない。また、これほどの人間 の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ。死んだのは、そしてこれからまだまだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が 死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差があ る……」。黒い眼差し。どういうことだろう。一人一人の死と何万人もの死。むずかしいアナロジーではない。「これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段 となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ」。それはそうである。わかりきったことだ。「戦争によって、日本人の運命と人間の運命が非情にためされ、 人間のいとなみの一切が日常的な安定を失って問題化したとき、まともに、誠実にこの問題に対決しようという作家は、いやでも観念的にならざるをえなかっ た」と、堀田善衛の生前に、佐々木基一は文庫で『時間』を解説した。くだらない。じつにくだらない。掘田さんはおおようなひとだったのだろう。凡百の物書 きが自著をあれこれ評するのをとくにこばみはしなかった。「問題化」「この問題」とはなんだ。「戦争によって、日本人の運命と人間の運命が非情にためさ れ、人間のいとなみの一切が日常的な安定を失って問題化したとき……」とは、よくもまあ、いけしゃあしゃあと言えたものだ。南京大虐殺とはそういう「問 題」か。観念的にならざるをえなかった、だと? ばかな。政治家、教育者だけでなく文芸家までもがこのていどの認識だったから、みろ、いまや南京大虐殺な どなかった、中国のでっちあげだ、という言説が堂々とまかりとおるようになったのだ。佐々木は南京大虐殺を戦争一般の「問題」とし、「日本人の運命と人間 の運命が非情にためされ」たテーマとして、大虐殺のあまりにもリアルな事実をそっくり生き埋めにして、ものごとをエセ文芸的に処理しようとした。佐々木は その意味であざとく、政治的だった。『時間』は、じつのところ、すこしも観念的ではないのだ。掘田は酸鼻をきわめた事実から逃げてはいない。事実に分け入 り、立場を入れ替え、思考の錘鉛を闇に深くおろしたのだった。逃げたのは評者らである。「……数は観念を消してしまうのかもしれない。この事実を黒い眼差 しで見てはならない。また、これほどの人間の死を必要とし不可避的な手段となしうべき目的が存在しうると考えてはならぬ。死んだのは、そしてこれからまだ まだ死ぬのは、何万人ではない、一人一人が死んだのだ。一人一人の死が、何万にのぼったのだ。何万と一人一人。この二つの数え方のあいだには、戦争と平和 ほどの差異が、新聞記事と文学ほどの差がある……」。これは簡明でうごかざる真理ではないか。この簡明にして不動の真理を、敗戦後の社会が、天皇個人をふ くめ、どれほど「わがこと」としてとらえたか、どれほど彼我の傷をわが手でなぞったか、記憶をどれほど必死で反芻したか、外形の傷を内面の生傷として、ど れほど永く深い受傷として、感じつづけ、痛みつづけ、悼みつづけ、傷を傷としてもちつづけたのか、これらすべてを、どれほど切実に後代に語りついだのか。 否。否だ。まったく否だ。名前をよばれた。診療室にはいる。まえかけをつけられる。口をアーンとあける。なにごともない。なにごともなさそうだ。なにごと もなさそうにみえる。幼稚園児たちがいたのでエベレストにのぼらなかった。(2014/11/04)

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シラハギ.jpg 2014年11月05日

・『霧の犬 a dog in the fog』の装幀、昨日校了。鉄筆からデータがとどく。長谷川潔のエッチングが闇の奥によりくっきりとみえている。執筆時のイメージもだいたいこんなような ものだった。ブログの写真を差し替える。堀田善衛の『時間』にまだこだわっている。昨夜もおそくまでかんがえこんでいた。どうしてか。じぶんでもよくわか らない。文庫がボロボロになってきた。すっかり黄変していた本が、左手だけで不器用に、しょっちゅう繰られるものだから、頁がたまらず、はずれかかってい る。この小さな紙の束が、解体し崩壊しかかりながら、なお記憶の古層の肝心なところにまとわりつき、わたしをひどくゆさぶる。記憶の総括のやりなおしをせ まってくる。1973年当時、たったの120円だった本。たいしたものだ!紙魚、黄変、湿気ったにおい。印字のうすれ。それらすべてが大事な記憶にかかわ る。ニッポンとは、かつて、「イスラム国」だったのだ。のようなものだった。じつはもっと酷かったのだ。「シャー・リュエ・ジエン」。発音を聞くだけでド キドキする。顔が赤くなる。shā・lǜe・jiān。殺・掠・姦。中国侵略日本軍は、日本では「皇軍」、中国では、べつに南京にかぎらず、「シャー・ リュエ・ジエン」の「鬼」とみなされていた。「何万人、何十万人の不幸には、堪える方法がない、だから結局は堪えることが出来るということになる。小さな 不幸には堪えることが出来ず、大きな不幸には堪える法がない」と、掘田は小説『時間』で書いた。そして、すぐにつづけて「人間は幸福か。」という疑問形を クエスチョンマークをつけずに配した。改行。「あれはたしか、去年、三七年の十二月十三日の午後だった。城の内外ともに集団的戦闘が終止したのは」。また 改行。堀田善衛は書きつつ、ここでいったん息をとめたはずである。パラグラフの最後。「それから約三週間にわたる、殺、掠、姦――」。殺人、略奪、強姦。 1行アケ。「シャー・リュエ・ジエン」。その音がどれほど内臓深くにつきささってくるものかをわたしは知っている。「シャー・リュエ・ジエン」の日本鬼 子。知っていて、このわたしでさえ、忘れかけていた。なににわたしはこだわっているのか。あったかどうか。どれほどあったか。それもある。が、それより も、記憶の根を断たれること。記憶の根を断たれたげんざいに平気で生きることの無意味にいらだつ。エベレスト登頂1回目失敗、2回目なんとか成功。登れな くなったら、それで終わり。(2014/11/05)

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小さなピンクの花一輪.jpg 2014年11月06日

・ひきつづき『時間』にうちのめされている。どうしてこうもゆりうごかされるのか、わからない。かんがえこむ。『時間』は小説である。フィクション だ。学術論文でも、歴史書でもない。だが、そんな分類が、いったいなんになるだろう。ここまで言ってもよいのものか、とわれながらとまどいもしつつ、あえ て言いたくなる。だれにたいして、というのではない。若いひとたちとか後代のためにとか、口はばったいことをかたるべきでもない。わたしはたぶん、自身に むかって言っている。じぶんに抗議している。おまえは怠惰だったと。なにをしてきたのだ、と。世の中などもうどうでもよい。皆がこれを読んだほうがよい、 読むべきだとはおもうが、そんなことはまたべつの話だ。歴史は、などと大上段にかまえるつもりもない。そうだ、こう言ったほうがいいかもしれない。歴史は 万人のものではない。歴史は、あくまで〈わたし〉とのかかわりあいのなかで、記憶のかなたにたちあがる、究極的には普遍的風景ではなく〈わたしの風景〉で ある。フィクションかノンフィクションか、などたいした問題ではないのだ。不思議なことではある。細部。細部。どこまでも細部。ディテール。陰翳。にお い。声。うめき。闇。風。それらのない漂白され脱臭され血抜きされた歴史など歴史じゃない。南京大虐殺にかんする本をこれまでずいぶん読んだ。映画もみ た。数十年後の現場いったいをあるきまわり、ひとびとの話も聴いた。南京大虐殺の事実そのものを、せせらわらいながら、まるごと否定する者らの本も読み、 言い分を聴きもした。事実を肯定し、紋切り型の正義をかたる者らの話も聴いた。死んだわたしの父の記憶が背負う南京がどんなものか、想像したこともある。 だがしかし、あえて言う。けっきょく『時間』の風景が、わたしには既視感の確認のように、もっとも自然に体内にはいってきたのだ。「皇軍」の兵士がほしい ままに殺戮をし、レイプをし、略奪をしたのは、中国を10年も勉強した者なら、だれでも知っている〈常識〉である。しかし、『時間』の〈画角〉をほんきで かえりみることは、なぜか、すくなかった。避けてきたのだろう。〈「皇軍」の兵士がほしいままに殺戮をしレイプをし略奪をした事実〉。これらの文言にディ テールはない。ディテールのない歴史は歴史ではない。年表だ。カチンの森事件だってそうではないか。死者のみぞ知る、か。ちがう。カチンの森事件では、し かし、南京大虐殺にくらべれば、第三者機関をふくめた検証がなんどかなされた。カチンの森事件は〈幻〉ではないことがみとめられている。南京大虐殺はいま やリーベンでは〈幻〉あつかいである。殺、掠、姦。シャー・リュエ・ジエン。殺戮、掠奪、強姦。それはそうだ。あったのだ。『時間』によれば、あるときそ れらは、じつに奇妙な動作の後におこなわれた。日軍(リージュン)の兵士らは、民家におしいり、目もあてられない狼藉をするまえに、ズボンをさげ、絨毯の うえに大便をした、というのだ。部屋にたちこめるものすごい異臭。そとには鎌のような月。やがて哀痛の声。銃声。あるいは日本刀が肉を斬る音。「一刀、饒 命(じょうめい)の叫び、二刀、叫び声はようやく微かに、三刀、寂然として声なし」。ディテール。細部。細部。細部。細部……。こういうことをかたる者 を、この国は「国賊」と言いはじめている。それならわたしはコクゾクになろう。エベレストにのぼらなかった。犬、コビトと東口ミスド。(2014/11 /06)※

※SOBA:映像『カティンの森』(カチンの森)を末尾にアップしておきました。中国映画『南京!南京!』はこちらで

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サザンカ2014年11月.JPG 2014年11月07日

・「日本兵は、彼ら相互の間においてもそうだが、どうしてああも頭部及び特に顔を殴ることが好きなのか」。『時間』で描写された他の、おびただしく むごたらしい所業にくらべれば、ちょっとしたフェイントのようにもおもえるこの〈さりげない疑問形〉が、ずっと生々しく尾をひいている。わたしにはわかる ようでいて、容易には答えられない。答えられないのだけれど、風景にはむかしからなじみがある。その風景はまちがいなく、わけのわからぬ湿土ニッポンどく とくのそれだった。いわゆるビンタ。ビンタとは抵抗のできない者、あるいは抵抗を禁じられた者への、一方的暴力である。富士正晴の文章にもビンタがよくで てくる。富士は「ビンタをとる」と書いた。五味川純平、古山高麗雄らのものにもしばしば登場した。その動作は「ビンタをとる」とも「ビンタを張る」とも言 われた。だが、内村剛介や石原吉郎がシベリアのラーゲリでロシア人にビンタを張られていたとは、あまり聞かない。V. E. フランクルやP.レーヴィの著作にビンタはあったっけ。わたしが知らないだけかもしれないな。あったにせよ、けっして頻繁ではなかったはずである。ニッポ ンでは、まるで呼吸のように、しょっちゅうあった。その動作はひとつの〈日本的様式〉でさえあった。通常、被殴打者は直立不動でたたされる。直立不動のさ きには不可視の天皇がいた。おもいきりビンタを張られ、倒れたり、からだがゆらいだりすると、再び直立不動を命じられ、またまた顔を殴られる。被殴打者に よる反撃は、どうやら、かんがえられもしなかったらしい。顔をなぐられて「ありがとうございます!」と言ったりする。言わされる。あれはニッポン様式であ りニッポン的秩序でもあった。それがニッポンの思想の根にあった。ニッポン人はニッポン語で「バカヤロウ!」と罵り、ニッポン人だけでなく、中国人、朝鮮 人の顔を、朝夕のあいさつのようになぐった。手だけでなくスリッパでなぐりもした。わたしの父も中国でやったらしい。しかし、「どうしてああも頭部及び特 に顔を殴ることが好きなのか」と、ビンタというどくとくの暴力様式をとりあげて、ニッポン人が真剣に自問したことはひじょうにすくないかほとんどなかった だろう。だからわたしはギクリとしたのだ。ビンタという日本的暴力様式は、この社会が戦後もながくひきずってきた、一方的暴力による陰湿な秩序の形式でも あった。どこか胆汁質の天皇制ファシズム。教育現場をはじめひとが集合する場、スポーツ合宿あるいは家庭でさえ、ビンタは〈ふつうの動作〉であった。そ の、みなれた風景に、いまさらハッとする。ハッとしてしばらくぼーっとかんがえこむ。ビンタはいま、なにに変容しているのだろう。昨夜、歯を磨きながらテ レビをつけた。むかし八百長プロレスの実況でオーバーなしゃべりをしていた、とても貧相な顔をした男が、あいかわらずそらぞらしく流ちょうになにやら話を している。プロレスの実況とおなじ調子で、ヘラヘラとニュースをつたえている。ひとは変わらぬものだ。天皇主催の園遊会のニュース。プロレス実況男が、天 皇夫妻はほんとうにご立派だ、としきりに感動している。女性のキャスターがなんどもうなずく。ふいにおもいだす。戦犯の絞首刑は、1948年(昭和21 年)12月23日に執行された。すなわち、いまテレビにうつっている今上天皇の誕生日に。そして、東京裁判における戦犯の起訴は1946年4月29日、つ まり昭和天皇の誕生日にかさなる。なぜか。なぜ解明しないのだ。なぜいま、かたられないのだ。なぜですか。なぜなのだ。日本人はなぜ顔をなぐるのがすきな のか。すきだったのか。なぜか。なして。おしえてたもれ。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/07)

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レッドフラワー.jpg 2014年11月08日

・コビトがよそゆきのかっこうをしてきた。銀色のドレスで。これからイタリア語のスピーチ発表会でおおぜいのコビトたちのまえでイタリア語を話すのだという。伊大使館後援とか。唖者がどうやって、と訊きかけたが、コビトについてはなにからなにまでウソと謎だらけなので問わずじまい。コビト、イタリア 語のスピーチ草稿と楽譜をもっていた。みんなでうたうのだという。Bella Ciaoを。Una mattina mi son svegliato O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao Una mattina mi son svegliato Eo ho trovato l'invasor O partigiano porta mi via O bella ciao, bella ciao, bella ciao ciao ciao……と、コビトが念波でうたう。ああ、そうか、第2次大戦のイタリア・パルチザンの歌だ。ニッポンではそのむかし、「さらば恋人よ」というタイト ルで、よく歌声喫茶や民青の集会などでうたわれていたな。わたしはうたわなかった。すきではなかった。わたしはよく「ワルシャワ労働歌」をうたった。で も、なぜだか、Bella Ciaoの日本語の歌詞はだいたいおぼえている。〈ある朝目ざめて さらばさらば恋人よ 目ざめてわれは見る 攻めいる敵を……われをもつれゆけ さらば さらば恋人よ つれゆけパルチザンよ やがて死す身を……いくさに果てなば さらばさらば恋人よ いくさに果てなば 山に埋めてよ……埋めてやかの山に  さらばさらば恋人よ 埋めてやかの山に 花咲く下に……道ゆく人びと さらばさらば恋人よ 道ゆく人びと その花めでん〉。いまおもえば、相当の歌詞では ないか。イヴ・モンタンのBella Ciaoはかっこうよかったよ。中国でも70年代にBella Ciaoを聞いたことがある。北朝鮮でも聞いたな。最近の香港でもデモ隊にうたわれたらしいね。コビトが問う。日本には日本のパルチザンの歌がないの?な い、と言下にわたし。パルチザンがなかったから、パルチザンの歌もない。どうしてパルチザンがなかったの?戦争に反対しなかったの?コビトは知っていて意 地わるく訊く。「海行かば」がだいすきだからさ。おおきみのへがすきだからさ。わたしは胸のとおくに聞く。海ゆかば 水漬くかばね 山ゆかば 草生すかばね 大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ(長閑には死なじ)……。ああ、なんという歌であろうか。かばねとは「屍」だ。気をつけ!バカヤロウ。もとい。満目累々と 屍なのだ。恋人だのヘチマだのと言うな、バカヤロウ。いいか、大君の辺にこそ死なめ、だ。気をつけえ!右むけ右い!いいか、かへりみはせじ、だ。バカヤロ ウ。のどには死なじ、だ。それだけ。理屈もヘチマもない。文句あっか。コビト笑う。犬の背にのって、しゃなりしゃなりとでかけた。O bella ciao, balla ciao, bella ciao ciao ciaoと、うたいながら。掘田さんもBella Ciaoをうたったことがあるだろう。フランス語で。「海行かば」は、かつてうたったかどうか知らぬが、その凄絶といいますか、ドスというか、凄みは、は らわたでかんじていただろう。『時間』は1950年代に書かれた。これはくだらぬ疑問だけれど、もしも2014年にかれが生きていたとしたら、『時間』を 書いただろうか。書けたか。かりに書いたとして、書けたとして、はたして、つつがなく出版できただろうか。『時間』は1950年代という時代の流れと浸透 圧のなかで書かれたのではないか。赤報隊は、なぜ手がかりがないといわれているのだろう。『時間』はロシア語訳があるそうだ。だが、中国語訳があるのか知 らない。エベレストにのぼった。内科。薬。ダフネ。(2014/11/08)

SOBA:辺見さんが上記言及している『Bella Ciao』を末尾でアップ

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中庭のツバキ.jpg 2014年11月09日

・「テンペスト」を習ったことがある。川田先生の特別授業で。夜に川田先生の下宿に習いたい生徒がいくのだ。むずかしくてさっぱりわからなかった。 川田先生は東北大の大学院でシェークスピアとサッカーをやって、わたしのいた高校に英語教師としてやってきた。無口でハンサムな先生だった。60年安保闘 争後、1、2年しかたっていなかった。えらいものだ。授業後にじぶんの下宿で生徒にただでシェークスピアをおしえるのだから。ある夜、わたしと石田君が志 望大学をきかれた。わたしが答え、つぎに石田君が答えた。とたんに、川田先生が顔色をかえて、裂帛の気合いで「やめた。でていけ!」と怒鳴った。レッド カード1発退場。わたしの「テンペスト」はそれでおわった。寒い夜道を石田君は泣いてあるいた。先生はわけを諄々と説くということをしなかった。あのころ は〈諄々と〉ということをあまりしなかった。「やめた。でていけ!」。理不尽だなと、かんじた。理由をまったくわからないでもなかったけれども、先生の怒 りのはげしさは、わたしの想定する理由とどうにもつりあわなかった。石田君はただ防衛大学校にいきたいと言っただけだったのだ。そのことをずっとおぼえて いる。きのう、大学でおしえている友人が、「保護者会」で学生の両親と面談し、つかれたとメールしてきた。いまどきは大学にも保護者会があるのか。おどろ く。日本軍は南京攻略後に威風堂々の入城行進をした。軍楽隊が行進曲を演奏した。どんな行進曲を演奏したのか、しらべている。だいたい見当はつくのだが、 確証はない。なんとなくあの夜の川田先生と石田君をおもいだす。最近の防衛大では、徒歩行進曲として旧大日本帝国陸軍分列行進曲「抜刀隊」を平気で演奏す るらしい。平気の平左。知らないこちらがマヌケ。「抜刀隊」は1943年、東条英機が観閲した雨の明治神宮外苑競技場での学徒出陣壮行会でも演奏された、 侵略と玉砕戦争のシンボルであり、自衛隊・防衛大ではそれをおもんぱかり、いちじ不使用だったらしいが、いまはまったく問題なし。首相Aが観閲した去年の 自衛隊観閲式でも「抜刀隊」(それに軍艦マーチなど)が演奏された。防衛大生が儀礼刀を顔面にかかげ、宙を薙ぎおろす動作も、曲と同様、戦前戦中からのも のだ。歌詞がすごい。〈敵の亡ぶるそれまでは 進めや進めもろともに 玉ちる劔(つるぎ)拔きつれて 死ぬる覚悟で進むべし……〉。玉ちる剣を抜きつれ て、とはどういう意味か。なんという日本語か。でたらめ。死ぬる覚悟で進むべし、とはいくらなんでもあんまりではないか。めちゃくちゃである。ああ、川田 先生の激怒のもとはこれか。「抜刀隊」は警視庁機動隊の行進曲でもある。いまはもうだれも遠慮しない。「抜刀隊」がながれるなか自衛隊・防衛大生らが行進 すると市民がねつれつに拍手する。キャーッ、ステキ!1937年、南京入城のときの行進曲も「抜刀隊」ではなかったか。きっとそうだ。ところで、防衛大に も保護者会があるのだろうか。みんな顔が中学生のようにあどけなくなった。あどけない顔で、たぶん戦争の意味も知らずに、「抜刀隊」行進をしている。戦前 ――戦中――戦後――戦前……のながれにはまるで途切れがない。いまもおなじ黒い川がながれている。「戦争は宿命論的な感情をもっとも深く満足させる。平 和とは、戦争がないという消極的な事柄であるよりも、むしろ、奴隷的な宿命論や、破滅的な人生観に屈従せぬということなのだ」(『時間』)。掘田は中国人 の「わたし」にこう述懐させることで、堀田善衛じしんの(1950年代の)戦後観をかたったのだとおもわれる。そのとき、掘田はニッポンのいまをかけらほ ども予期しえなかったにちがいない。エベレストにのぼった。南京大虐殺のときに「抜刀隊」は演奏されただろう。すごい歴史だ。ニッポンはその血のどこかに 「宿命論的感情や、破滅的な人生観」を、そうとはまったく自覚せずに、もちつづけているのではないか。川田先生は、福島大学の教授時代にいちどお目にか かったが、その後どうしていらっしゃるか。石田君は元気だろうか。(2014/11/09)

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黄色の花2014年11月.jpg 2014年11月10日

・天皇は首相Aをひどくきらっているらしい。新聞記者たちが、わけしり顔でそう言う。中曽根政権のときもそうだった。中曽根がテレビに映ると、テレ ビを消しなさい、と侍従に命じたらしい。記者らは、まるでみてきたかのようにそう言う。前者は平成の天皇、後者は昭和天皇。ざんねんなことに確証はない。 新聞記者がそう言うなら、ウラをとって記事にすればよいようなものだ。が、記事はひとつもない。ウラはとられたためしがない。新聞記者くらいうわさ話がす きな連中はいない。けれども、記者は命がけでウラをとる気もない。首相Aも中曽根も記者たちも、藤田省三のタームで言えば、このクニに蔓延する典型的な 「天皇制的俗物」なのである。すなわち、たてまえは天皇の神聖をみとめながら、じっさいはそれを利用してみずからの個人的意思(野心)をつらぬくやから、 ないし、そうしたニッポン根生いのいじましく卑怯な精神構造のもちぬしなのである。したがって、実在する天皇そして天皇制は、かれらの〈価値の究極目的〉 ではさらさらなく、言説や感情・精神を権威づけるための、いわば培養基である。ヤクザ・ゴロツキ同然の与野党の政治屋にとってそうであるだけでなく、反権 力をちらつかせるジャーナリズム、学芸、教育、文化界にとっても、げんざいますます神聖不可侵とされつつある〈象徴天皇制〉は、さりげない、しかし、異論 をみごとに封じる、ニッポン的〈理想と正義〉の培地であるわけだ。はじめにもどれば、首相Aを厭う小心翼々たるサラリーマン記者たちが、みずからの口では そうは言えずに、じつは天皇が首相Aをきらっているらしいという流言を小声でかたってはいっとき溜飲をさげ、他方、じぶんらが所属する新聞は大々的に天皇 傘寿記念特集記事をくみ、首相Aの反動的諸政策にも反対しない、というしかけなのである。天皇制利用のこれがヌエ的本質であり、便利なところでもある。わ たしはなぜこんなことを書くのか。なにをかくそう、わたしは1937年冬に南京でおきたこと(いや、自然災害ではないのだから、「皇軍」がひきおこした酸 鼻の大犯罪とはっきり言おう)は、天皇または天皇制あるいはその心性となにもかんけいがないのか、あるのか、あるとすればどの点であるのか、ないとするな らどの点でないのか……に少なからぬかんしんがある。堀田善衛もかんしんがあったにちがいない。わたしはそう確信する。しかし、『時間』に天皇は書かれて いない。天皇ではなく、わずかに朝香宮が3字のみ記されているだけだ。おそまつきわまる佐々木基一の解説も、もちろん触れてはいない。なぜか。天皇と天皇 制が南京の惨劇といかなるかかわりもないからなのか。中国をよく知る掘田はそうかんがえたか。ありえない。だんじてありえない。掘田は『方丈記私記』のと きも、肝心要の天皇のスケッチをしておきながら、あきらかに描写の強度をおさえ、天皇にかんする掘田の思念、本音の吐露を手びかえている。そう、読みよう によっては〈周到に〉〈過剰にならぬように〉手びかえた、筆をおさえたのだ。なぜか。なぜか。なぜか。南京アトロシティーズ(atrocoties)や東 京大空襲と天皇・天皇制・それらの心性は、いかなる面でも縁がないからか。冗談ではない。天皇はかつて政治的主権者として万能の「君権」を意味し、天皇レ ジームは政治外的領野を基礎とした「神国」とされ、天皇家はかつてもいまもニッポンという「家族国家」の核であり範とされているのだ。ならば、南京の「皇 軍」はその例外だったと言えるだろうか。南京侵攻日軍は「皇軍兵士」にあらず、「天皇陛下の股肱の臣」にあらず、と言えるか。掘田は知りすぎるくらい知っ ていた。「『東亜百年戦争』は昭和二十年八月十五日に終わった。……天皇は大元帥の軍服だけでなく、戦争イデオロギーとしての『神格化』と『優越民族観 念』を脱ぎ捨てた。ともに戦争が終われば不用なものであったからだ」(『大東亜戦争肯定論』)と書いた林房雄は、よかれあしかれ、率直だった。戦争に負け るまでは神国ニッポンは上から下まで「優越民族観念」を保持していました、ということである。「優越民族観念」はまたぞろ息を吹きかえしつつある。掘田は 日軍の「獣性」をひるまず書きはした。然り。だが、それは、しばしば、〈ひとと戦争〉というものにあって不可避的な死――生――性の一般的文脈で表現され すぎた。個別ニッポンの侵略軍があらわにした、とうてい名状不可能なまでの獣性の下地に、あまり類をみないどくとくの「優越民族観念」(まったくどうじに 他民族蔑視)があったことには、言わずもがなとでも言いたげに、くわしくはふれていない。ここだ。天皇制の底流にある「優越民族観念」とその湿った襞には りついているであろう和式の獣性について掘田は詳述はしなかった。佐々木基一の解説などまったく論外である。鈍感なのか。掘田も佐々木も「近代文学」も戦 後民主主義もわれわれも、感覚が鈍いのか。そうかもしれないな。ニッポンというクニはかなり鈍感である。だがしかし、われわれは、こと天皇と天皇制につい ては異様に敏感である。過敏である。ほとんど神経症である。これ以上書きこんだら、みえないテロがあるにちがいない、ということに。掘田はそれを知ってい ただろう。推測。掘田は右翼テロを怖れた。だから、ヒノマルのことを「白地に赤玉の旗」とちゃかすていどでおさえたのかもしれないな。にしても、『時間』 にはなにか尋常ではないエネルギーがつまっている。そのエネルギーをとてもなつかしくかんじる。なつかしく。ことばは、あのころ、まだしも在ったのだ。エ ベレストにのぼった。(2014/11/10)

 

 辺見さんが私事片々(2014/11/16)と、(2014/11/17で言及しているワルシャワ蜂起関連でアンジェイ・ワイダ監督の抵抗三部作、1954年の『世代=POKOLENIE』、1956年の『地下水道(日本語字幕)』、1958年の『灰とダイヤモンド(英語字幕)』を以下アップ。なお、『カティンの森』(英語字幕、2分割)も採録 。ETV特集『アンジェイ・ワイダ=祖国ポーランドを撮り続けた男』も後ろでアップしておきます。

A Generation 1955 Full Movie
Xavi Mormont
https://www.youtube.com/watch?v=zt7K3ecsfbo

2017/06/18 に公開

↑Youtubeのリンク先を開いて見るならば英語字幕を選べる

Sサーバーにアップ ←MediaFireに保存。波蘭(ポーランド)語。英語の字幕で見ることができるが、埋込ではなく字幕は別ファイルなので、1 MediaFireで動画をダウンロードし、2 下記この映画の英語字幕ファイルをダウンロードして見る。

英語字幕ファイル ←の使い方(パソコンでダウンロードして見る場合
1.VLCをインストールしておく。
2.アップされている動画ファイルと英語字幕ファイル(拡張子「.srt」)をダウンロードしパソコンに保存する(なおDL後、動画ファイルと字幕ファイルのファイル名が同じなことを一応確認しておく:拡張子の前の部分。ここが少しでも違っていると字幕が表示されない)
3.ダウンロードした英語字幕ファイルをダブルクリックするとVLCがプレイリストに字幕ファイルを表示した状態で立ち上がる。
4.ダウンロードした動画ファイルを3のプレイリストにドラッグ&ドロップする。
5.動画ファイルの方を選択し再生ボタンを押下すれば字幕と共に再生が始まる。

 

映画=地下水道(ワイダ監督)日本語字幕
Kempou
http://video.fc2.com/content/201401206pUxPtFJ/

↑↓を見られない人は以下で
Sサーバーにアップ ←MediaFireに保存。MediaFireはPCでは使い辛くなったのでipadを推奨。ipadで左記リンクをタップするとSafariの別頁が開き「Download(…MB)」の表示が出るのでタップする。黒い画面に変わり20秒から40秒待つと再生開始(時間帯、夜間は回線が混むので駄目

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 『灰とダイヤモンド』(英語字幕、2分割)

Ashes And Diamonds (1958) pt. 1
karimberdi
http://www.dailymotion.com/video/x104ivl_

Ashes And Diamonds (1958) pt. 1 投稿者 karimberdi
公開日: 2013年05月23日
期間: 59:01

2分割のを一つにしSサーバーにアップ (英語字幕)←MediaFireに保存。MediaFireはPCでは使い辛くなったのでipadを推奨。ipadで左記リンクをタップするとSafariの別頁が開き「Download(…MB)」の表示が出るのでタップする。黒い画面に変わり20秒から40秒待つと再生開始(時間帯、夜間は回線が混むので駄目

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Ashes And Diamonds (1958) pt. 2
karimberdi
http://www.dailymotion.com/video/x104otz_

Ashes And Diamonds (1958) pt. 2 投稿者 karimberdi
公開日: 2013年05月23日
期間: 43:40

 

 『カティンの森』(英語字幕、2分割)
2分割のを一つにしSサーバーにアップ ←MediaFireに保存。MediaFireはPCでは使い辛くなったのでipadを推奨。ipadで左記リンクをタップするとSafariの別頁が開き「Download(…MB)」の表示が出るのでタップする。黒い画面に変わり20秒から40秒待つと再生開始(時間帯、夜間は回線が混むので駄目

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Katyn (2007) Part I English subs
Milentije Kindlovski
http://www.dailymotion.com/video/x138ofn_

Katyn (2007) Part I English subs 投稿者 MilenkoBL
公開日: 2013年08月17日
期間: 58:28

 

Katyn (2007) Part II - English subs
Milentije Kindlovski
http://www.dailymotion.com/video/x1398oq_

Katyn (2007) Part II - English subs 投稿者 MilenkoBL
公開日: 2013年08月17日
期間: 58:28

 

ETV特集
アンジェイ・ワイダ=祖国ポーランドを撮り続けた男
Kempou
http://video.fc2.com/content/20140120bLGc6xNN/

Sサーバーにアップ ←MediaFireに保存。MediaFireはPCでは使い辛くなったのでipadを推奨。ipadで左記リンクをタップするとSafariの別頁が開き「Download(…MB)」の表示が出るのでタップする。黒い画面に変わり20秒から40秒待つと再生開始(時間帯、夜間は回線が混むので駄目

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タグ:アンジェイ・ワイダ監督(Andrzej Wajda)、世代(Pokolenie、GENERATION)、地下水道(Kanał、KANAL、THEY LOVED LIFE、ILS AIMAIENT LA VIE)、灰とダイヤモンド(Popiół i diament、Popiot I Diament、Ashes and Diamonds)、カティンの森、カチンの森(Katyń、Katyn)

 

 辺見さんが私事片々(2014/11/08)で言及している第2次大戦のイタリア・パルチザンの歌『Bella Ciao』。イヴ・モンタンのBella Ciaoと原曲の2曲。

Yves Montand - Bella Ciao (1963)
LeIntrovabili4
https://youtu.be/dalKo3WCoDk

2011/03/09 にアップロード

 

Bella Ciao - ORIGINALE
Battle For Telenuovo
https://youtu.be/4CI3lhyNKfo

2010/11/27 にアップロード

Una mattina mi sono svegliato,
o bella, ciao! bella, ciao! bella, ciao, ciao, ciao!
Una mattina mi sono svegliato,
e ho trovato l'invasor.

O partigiano, portami via,
o bella, ciao! bella, ciao! bella, ciao, ciao, ciao!
O partigiano, portami via,
ché mi sento di morir.

E se io muoio da partigiano,
o bella, ciao! bella, ciao! bella, ciao, ciao, ciao!
E se io muoio da partigiano,
tu mi devi seppellir.

E seppellire lassù in montagna,
o bella, ciao! bella, ciao! bella, ciao, ciao, ciao!
E seppellire lassù in montagna,
sotto l'ombra di un bel fior.

Tutte le genti che passeranno,
o bella, ciao! bella, ciao! bella, ciao, ciao, ciao!
Tutte le genti che passeranno,
Mi diranno «Che bel fior!»
«È questo il fiore del partigiano»,
o bella, ciao! bella, ciao! bella, ciao, ciao, ciao!
«È questo il fiore del partigiano, morto per la libertà!»

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 パソコンにとってはデータが命、データがなくなればPCはただの箱。パソコンのトラブルに備えデータバックアップするのは常識であり、外付けハードディスクは必須。昔、1996年暮れに購入したタワー型・NEC VALUESTAR PC-9821 V20(OSはWindows95)の内蔵HDDは4GBだった。確か30万円以上で買った記憶がある。容量の大きさに感激したものだ。ところが現在は普及タイプの外付けHDDが3TB(3000GB)で値段が1万円前後。IT機器の進歩のスピードには驚くばかり。

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完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。


 

辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。 


 

辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。 


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