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2014年12月26日 (金)

辺見庸 (日録1ー9)私事片々 2014/11/18~と、(日録1―10) 雑談日記Archive

 「(日録1―1)私事片々 2014/08/30~」を、今までと同様アーカイブ保存しておきます。

 なお、辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで

 以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。写真が多いので、2エントリーずつアップします(表示順は元ブログと同じく上から降順です)。

 

2014年11月25日
日録1―10

 

私事片々
2014/11/25~
http://yo-hemmi.net/article/409541112.html

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公園のキノコ.jpg 2014年11月25日

・いったい、いつからニッポンは「いまのように」なってしまったのですか?友人Hさんに訊かれた。「いまのように」というのは、憲法を無視し、9条をまったく歯牙にもかけず、歴史修正どころか、歴史の完全塗りかえ路線になったことを指すらしい。即答できなかった。喉もとには「ニッポンには歴史がないのだよ」という、捨てばちみたいなことばが浮かんだが、言わなかった。日本書紀伝承による神武天皇即位の日を「紀元のはじまり」とした「紀元節」(2月11日)が、天皇制維持のためのフィクションであること、1872 (明治 5)年にそれが国民の祝日とされ、その後、延々と「紀元節」が祝われ、とりわけ1940(昭和15)年には宮城前広場で内閣主催の「紀元二千六百年式典」が盛大に開催されたこと、ここに「神国ニッポン」の祝賀ムードが全国で最高潮にたっし、学校では「皇紀2600年奉祝曲」がうたわれたこと……は、ニッポン近現代史が、検証に検証をかさねられた客観的史実ではなく、「天皇制と戦争」によってゆがめられ、〈真実を無化された時間〉であることを証している。敗戦後の1948 年(昭和 23)に「紀元節」は廃止されたのだが、これとて、民衆の主体的意思と抵抗で廃止したのではない。GHQによってやめさせられたのだった。しかし、権力者だけでなく、かなり多数の民衆も、「紀元節」の情念にこだわり、「建国をしのび、国を愛する心をやしなう」とかいう趣旨で、1967 年(昭和 42)から旧「紀元節」を「建国記念日」として復活させてしまった。黒い魂の国家権力だけでなく、多数の人民も大メディアも、「神国ニッポン」のフィクショナルな心性にそまった「紀元節」からいまだにはなれることができないでいる。少なからぬ国会議員がげんざいでも西暦ではなく、「皇紀」(元年は西暦紀元前 660 年にあたるらしい!)で年をかぞえているのだ。「サムライジャパン」に「なでしこジャパン」。そんな国にそもそも歴史なんてしゃれたものがあるのかい?そうHさんに言いたかったけれど、若いひとたちの責任ではない。〈無歴史状態〉の責任は先達にある。堀田善衛「……満州事変なんていっても、いったい、いまの若い人たちが、それについてなにかを知りたいと思ってもちゃんとした歴史の本があるのかしら。きちんとした、日中戦争史さえないんじゃないでしょうか」。武田泰淳「あまりないですね」(『私はもう中国を語らない』73年、朝日新聞刊)。そのとおり。テクストはないのだ。じぶんでさがすしかない。戦後史ならいくつかある。そのひとつは、ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて――第二次世界大戦後の日本人』(Embracing Defeat:Japan in the Wake of World War II )。ピュリッツァー賞受賞のこの本を、首相Aは読んでいまい。「たしかに多くの日本人がほとんど一夜のうちに、あたふたとアメリカ人を礼賛するようになり、『平和』と『民主主義』の使徒となったかのような有様をみると、そこには笑うべきこと嘆くべきことが山のようにあった」。「平和」と「民主主義」は、似たようななにかがあるにせよ、戦ってかちえたものではない。じつはなにもかちえていないのだ。ふしぎな身ぶりとたちまわり(変わり身)の方法のほかは。だからこそ、ニッポンの「平和」と「民主主義」はいまだにインチキである。「たとえば原爆が投下された長崎においてさえ、住民は最初に到着したアメリカ人に贈り物を準備し……またすぐ後にも住民たちは、駐留するアメリカ占領軍軍人とともに『ミス原爆美人コンテスト』を開催したのである」。こうした歴史の大事な細部を、ロードアイランド州生まれの米国人の著書で知っておどろく、ということそのものが、わたしたちが〈自画像〉を欠く(あるいは鏡の奥をみたがらない)習性のもちぬしであることをしめしている。勉強家のHさんは、すでに目を皿のようにして読んだにちがいない。「終戦に至るまでに日本人は――日本の男たちのほとんどは、ほぼ確実に――帝国軍隊による破壊と残虐行為についてなんらかの知識を得ていた。何百万人もが海外に出ていたから、必ずしもみずから残虐行為に及ばなくても、そのような犯罪を目撃したり、噂に聞いたりはしていた」。こんなことを外国人の学者に言われるまで気づかないか気づかぬふりをするほど、ひとびととその政治的指導者は「集団的痴呆症」(ダワー)だったのか。いまもそうなのではないか。Hさんはこの本の「下」第16章の注(3)をお読みになっただろうか。それはこうです。「ドイツのユダヤ人とちがって、日本人が犠牲の対象にした人々――朝鮮人、中国人の労働者や「慰安婦」のような日本人が身近な関係をもった人々も含めて――は、日本社会の一員として受けいれられたことはなかった。『汎アジア』なるものは、ほんのわずかの例外を除いて、まったくの宣伝文句にすぎなかった」(436頁上段)。「日本人以外の死者には顔がないままだった」(289頁)のだ。首相Aのだいすきな「御英霊」とは、顔をはぎとったおびただしい他者の屍体の群れから、ゆらゆらとくゆりたつ戦中、戦前の幻である。ジョン・ダワーは東条英機を「巨大な愚者の船の船長」と形容した。おなじことばを安倍晋三氏に冠するのが妥当か妥当でないか。学生とかたりあうのも一興かもしれない。歴史をほんきで論じるとしたら、わたしたちがいまも血みどろの戦場にいるというイメージからはなれることはできない。教員だろうが記者だろうが学者だろうが、わたしのようなただのグウタラだろうが。雨。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/25)

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バンブー.jpg 2014年11月26日

・「戦後」というものをみまちがえて、ここまできたのだな。このところ、そんなおもいがつよい。悔恨というのとも痛恨とも似ているが、ことなる。ずいぶんマヌケだったなあ……という虚脱感にちかい。『時間』も「審判」も再読した。『方丈記私記』も『上海にて』も『滅亡について』も。まるではじめてのように、おどろきつつ読んだ。読書というのは、おもしろい。時代と場で読後感は変わる。さいしょにそれらを読んだとき、ケツメドAはいなかった。集団的自衛権行使容認の閣議決定などかんがえられもしなかった。「恵庭事件」というのがあった。1962(昭和 37)年北海道恵庭町の陸上自衛隊島松演習場そばの牧場のオーナーらが、演習の騒音に怒って、通信連絡線を切断し、罪に問われた事件。裁判で「自衛隊の合憲・違憲」があらそわれたのだが、67年、無罪判決!東京のバカダ大学というところであそんでいたわたしは、「法学概論」の若い講師が、顔を紅潮させ目をうるませながら、無罪判決を評価する講義をしたのを聴いて、ひととしてなにかマトモで正常なものを感じたものだ。札幌地裁判決は無罪を言いわたしたが、「自衛隊の合憲・違憲」判断につては、被告人の行為が無罪である以上、憲法判断をおこなう必要はないとして、回避したのだった。ヘリクツというのか、ものは言いようだが、裁判官もかなりマトモで正常だった。検察は上訴をせず、無罪が確定。新聞は「肩すかし判決」と批判もしたが、自衛隊違憲の論調が主流か過半をしめていたのだ。自衛隊が違憲かどうか議論していたのだから、集団的自衛権行使などもってのほかだったのだ。新聞社にもまだマシな記者がいた。ケツメドAは13歳かそこらの、たぶん、あどけないお坊ちゃまで、ケツメドなどという理不尽なことをいわれなかったころである。もちろん、秘密保護法なんてとんでもないシロモノもなかった。そのころ、武田泰淳も堀田善衛も梅崎春生も中野重治も埴谷雄高も大江健三郎も、読んだ。安心して耽読した。感心した。いま、あどけないお坊ちゃまが手のつけられないケツメドになり、また『時間』や「審判」を繰りなおし、初読のようにおどろきはしたが、なんていえばよいのだろうか、えっ、こんなもんだろうか、こんな書き方で済むのか、お気楽じゃないのか、というきもちが抜けないのだ。比較は不可能だが、フランクルやレーヴィの深度と重さが、期待するほうがおかしいのだろうけれど、ない。「人間存在の根源的無責任さ」と堀田は『方丈記私記』に書いたが、そういうことで戦争を全般的に総括し、その手法で、じぶんという「個」や天皇ら他の「個」の無責任を全的に救済し、ガンバレニッポンというどくとくの「戦後」をこしらえたのだろう。短篇「審判」へのおもいは『時間』より深い。武田という人物と自称リパブリカンの堀田さんという人間の、人間観、宇宙観、疵のちがいからか。「審判」に、分隊長が「おりしけ!」と兵隊に命じるシーンがある。「おりしけ!」。なんだか耳の奥に聞きおぼえがあるような、ないような。怖い。また父をおもう。空気銃でスズメを撃った。わたしはあたったためしがなかった。父はひとがかわったようにおしだまり、痩身を鈍色の空気に溶けこませ、まったくの無表情になって銃をかまえ、スズメが気の毒になるほど弾をすべて命中させた。かれは「プロ」だったのだ。あたるとスズメはにこ毛を宙にパッと散らし、口を半開きにして瓦の屋根をコロコロと転がってくる。赤い舌がちろっとみえた気がするが、そうおもっただけかもしれない。「審判」に再三でてくる「鉛のような無神経」は、あれとつながっていないだろうか。若いころに感じなかったことを、いまはビリビリと骨に感じる。復員後、父はあの無表情でパチンコばかりやっていた。スズメを撃つときとおなじあの目で。ひとりで。前後するが、少尉になったとき、軍刀をじまえで調達する必要があったという。歯科医の伯母がお金をだして買った立派な軍刀を「佩用」していたらしい。よく斬れる刀だったろうな。なにを斬ったのか、なにも斬らなかったのか。伯母は立派なひとだった。勤勉で、不正をにくみ、貧者からは治療費をとらない、山を愛する女医だった。伯母は立派な姉として父を戦地におくりだした。父の写真。そうおもいたくなくても、眼鏡なども、東条英機にどこか似ていた。戦後、父は記者にもどった。けれども、堀田や武田のように達者に書きはしなかった。書けはしなかった。「人間存在の根源的無責任さ」なんて、書きも、言いもしなかった。黙ってパチンコをしていた。それでなんだかたすかったともおもう。もしも、父が、堀田のように「人間存在の根源的無責任さ」などと大層なことを書き、わたしが読んだりしたら、こっ恥ずかしくて、生きてはこれなかっただろう。わたしは戦後70年をみまちがえて、70年を生きてきた。敗戦後の70年という時間は、想像をはるかにこえて、ものごとをほとんどすべて腐爛させてきたのだ。それがあまり読めなかった。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/26)

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歩道の紅葉.jpg 2014年11月27日

・「京都学連事件」というのをごぞんじだろうか。「治安維持法」と「普通選挙法」は、ジャパンでは、じつはおなじ年(1925 年=大正14)にできた(!)のだが、そのころの話。日本の「内地」では最初の治安維持法適用事件として、むかしはとても有名だった。「内地」ではなく「外地」とよばれ、ヌッポンの植民地支配下にあった朝鮮などでは、治安関連法適用ないし無理無法逮捕拘禁拷問虐殺処刑事件はいくらでもあったから、治安維持法正式適用は「内地」では最初というわけだ。ケツメドorケツメドグループ(KMG)よ、しっかり読んどけよ(ところで、げんざい勢力拡張中のKMGによくよく注意せよ!)。1925年12月、京都府警察部特高課は京都帝大、同志社大ほかの社会科学研究会(社研)会員の自宅、下宿などを急襲、家宅捜索して学生ら多数を拘束した。しかし、京大寄宿舎で立会人なしの捜索をおこなったのは許せないと大学当局が猛抗議、府知事は謝罪して学生たち全員が釈放された。このあたり、なんといいますか、いまよりよほどマシ。だが、特高がこれでひきさがるわけはない。翌年1月には東京検事局が指揮をとり、新聞報道をさしとめたうえで、各警察特高課を動員して全国的な社研会員の一斉検挙がおこなわれた。そのさい、京大の河上肇、同大の山本宣治、関学の河上丈太郎ら教員についても家宅捜索。検挙された学生のうち約40人が治安維持法および出版法違反、不敬罪で起訴された。まえおきがえろ長うなってしもて、すんまへん!このとき、林房雄(東大)も検挙、起訴され、禁固10か月の判決がくだされている。著名なるジャパンの作家、バリバリの右翼文芸評論家だった林房雄は、つまり、若き日、左翼だったのだ。林は、東大中退後、プロレタリア文学の作家として出発するも、1930年にまたも治安維持法違反で逮捕され、豊多摩刑務所にぶちこまれて、1932年 、ごたぶんにもれず、「左」→「右」へと思想「転向」して出所する。ほんでもって、1936年には、ぬけぬけと「プロレタリア作家廃業宣言」を発表。これまた、サムライジャパンのまことにもってサムライらしからぬ、恥ずかしいといいましょうか、みっともないところなのだが、ヨミウリのナベツネなる老人もチンケな転向組だし、むかしの政・財界人、作家連中には元共産党員の転向者がすくなからずいたことは、ヌッポンチャチャチャの思想史の、世界にあまり例をみない、「かくもかろきナゾ」として、若き学生諸君には(やらんだろうけど)いっそう研究にはげんでいただきたい。おっと、また脱線。言ひたいのは、林房雄のこと。1963年には『中央公論』に、あんれまあ、『大東亜戦争肯定論』を発表、大いに物議をかもした。ヌッポンとは安倍晋三氏がなんと言おうとも、戦犯が平気で首相になったり、「ペン部隊」の一員として戦争賛美詩を書きまくった詩人(佐藤春夫)が戦後、恥ずかしげもなく文化勲章(やるほうもやるほう、もらうほうももらうほう!)をもろたり、美しくもなんでもない、思想もなにもあったもんじゃない、ただただハチャメチャな「神国」なのであります。ところがだ、林房雄はただの右翼じゃなひ。漢字もろくに読めない、いまの右翼や新聞記者やサルなみの大臣(アソー)どもとちがい、なにしろ、それなりに筆がたつ。「武装せる天皇制――未解決の宿題」なんかは、わちきも夢中で読んだものだ。てわけで、ケツメドが蛇蝎のごとくきらう(ケツメドよ、そんなにきらわなくたって、朝日は創刊以来いっかんして権力と皇室の味方なんだぜ)朝日新聞が月一回の『文芸時評』を、こともあろうにだ、『大東亜戦争肯定論』の林房雄に担当させるわけである(63~65年)。ふう……。ああ、疲れた。で、右翼の林が朝日の『文芸時評』で、南京大虐殺をテーマにした榛葉英治の小説『城壁』を「絶賛」するというから、歴史ってまさにあざなえる縄のごとくに、複雑といいますか、意想外といいますか。『城壁』は1964年、河出書房新社から箱入りの立派な単行本(装幀・朝倉摂)として刊行される。そのオビ(裏)にはこうある。「林房雄氏絶賛―――――朝日新聞『文芸時評』より(改行)『南京大虐殺事件』は『黒いナゾ』として永久に残った形になっている。これはいけないことだ。日本民族の自信を喪失させ、未来への前進の可能性をはばむ暗雲は日本人自身の手によってはらいのけるべきだ。悪は悪、罪は罪として認めなければならぬ。作者は可能なかぎりの調査と集めうるかぎりの資料のうえに、この小説を組みたてている。勇気を要する仕事によって、国民は次第に事件の『真相』に近づいて行く」。オビ(表)には「世界の歴史は戦争の裏面にあるこの真実をつたえていない(改行)『粛正せよ』の命令が意味するものは何か?捕虜の処置をめぐる人間性のすさまじい葛藤のなかに戦争の本質を鋭く抉った力作……『文芸』一挙掲載分に加筆600枚の大長編!」。南京大虐殺という巨大な風景はじつに奥が深い。堀田、武田らを読んだあとでは、ついてゆくのにいささか忍耐のいる文章ではあるが、というわけで、『城壁』をいま読んでいます。エベレストに2度のぼった。下の店でコビト、犬とパスタ食う。ピロリ菌退治後のbig fat shit(長さ約35センチ)を、コビト目視にて確認。賛嘆。通夜の客に自慢するらしい。あっ、撮影し忘れた。(2014/11/27)

SOBA:上記辺見さんが言及している「全国的な社研会員の一斉検挙」「京大の河上肇、同大の山本宣治、関学の河上丈太郎ら教員についても家宅捜索」など、治安維持法下の社会で翻弄され殺された山本宣治を描く映画、山本薩夫監督の「武器なき斗い」 ←を「辺見庸 私事片々 番外編」で紹介

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ギンモクセイ.jpg 2014年11月28日

・「噴飯物」ということばがあった。「自明」ということばもあった。よくつかった。林房雄は噴飯物で、平和や民主主義みたいなものは、それらの中身をよく吟味しなくたって自明であると、なんとなくそうおもっていたのだった。南京大虐殺、万人坑、慰安婦、強制連行……はいまさら論じるまでもない、自明の歴史的事実であり、平和や民主主義みたいなものは、空気のようにここにおのずからあるものであって、エキセントリックな噴飯物たちは衆人の嘲笑のうちに消えてゆくものとばかりおもっていた。人間においてはなにひとつたしかなものはない――と、アラゴンの言った意味をよくわかってはいなかったのだ。安倍晋三氏のような現象とそこからくる社会的浸透圧のつよさをあまり想定したことはなかった。群衆や民衆やマスメディアはずいぶん愚かだなものだ。そう、ときどき感じてはいても、ほんとうにここまで「個の魂」を失うとまでは想像していなかった。人間がここまで徹底的に、完璧に、通信機器の端末と化し、資本の奴隷になるとは、そして、そうなっても毫も堕落を自覚しないとは、本では読んだけれども、予測はしていなかった。じぶんは戦後をみあやまってきたな、という慚愧の念は、こうしたところからもきている。林房雄を読んだのは勉強のためではなく、たしか、あざ笑うためではなかったか。ところが、読んでいてヒヤリとした箇所がいくつかあって、笑うどころか唇が凍えたことが忘れられない。それは、「武装せる天皇制」ということばだった。転向右翼・林房雄は「天皇制が日本人の土俗の深層から発生して、その中に深く根をおろしつつ存続しているものであるかぎり、その本質を常に平和的なものだと規定することはできない。/祭司も神官も民族の危機においては武装する。戦争が発生すれば、その総指揮官となり、終れば再び平和な祭司神官にかえる」と述べ、「明治維新から昭和敗戦に至る三代の天皇制は明らかに武装していた」と書いた。南京攻略の戦争宣伝記録映画をみていて、戦慄し、この文をおもいだした。帝国軍隊は大虐殺の現場に神官や坊主をつれていっていた。将兵と神官らは血なまぐさい虐殺現場で神事をとりおこない、南京攻略成功をだれよりも大元帥陛下=天皇に、「遙拝」という形で報告していたのだった。林は書いた。「天皇制がもし解消され消滅する時があるとすれば、それは日本国民が天皇とともに地球国家の中に完全に解消するときであろう。/その時期がいつであるか、どれほど長い、または短い時間の後であるかは、神のみぞ知る」。地球国家のなかに解消する、とはどういうことか。わからない。バカめ、なにいってやがる。若いころはそうおもった。が、この一行にすぐにつづくセンテンスには心底ゾッとした。「そこ(天皇制解消)に到る前に日本国民が再び天皇制を武装しなければならぬ不幸な事態がおこらないことを、私は心から望んでいる」。まんざら〈天皇制の再武装〉を望んでいないわけでもない口吻が気になってしかたがなかった。転向右翼・林は、火野葦平や尾崎士郎らとともに、戦争協力により、文筆家として公職追放された人物である。そのために戦後しばらく仕事をほされていた林房雄を、朝日新聞は63年から65年まで文芸時評担当に起用する。「戦後の変質と劣化」は、政治、思想、文化がもたらしただけでなく、それいじょうに、かつて戦争をあおりにあおったマスコミが誘導していたのだった。朝日によって「市民権」をえた林房雄が執筆した『城壁』にかんする文芸時評(64年7月28日)をあらためて読んでみた。バカヤロウ、なにいってやがる、とおもった。やはり噴飯ものだ、こいつは。ジャパンの戦後はかほどにイカサマだった。ヌッポンチャチャチャという国の人間たちは、天皇から役人、民草まで、わがこととして戦争や虐殺を痛烈に恥じ、死ぬほど恥じいり、他でもない、わがこととして反省したことは戦後ついぞなかったのだ。だからこそ天皇制はしたたかに残り、ニッポン再武装は戦後最高水準にたっし、ケツメドどもがいま跳梁跋扈しているわけである。エベレストにのぼった。(2014/11/28)

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スキャン.jpg 2014年12月01日

・gaga病院。コビト。血液検査、X線、心電図、エコー。カフェ・緑の陰。雨でLSVあるけず。『城壁』もう食傷気味だが続行。レッドパージ。朝鮮戦争。下からの全体主義化。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/29)

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ボケ.jpg 2014年12月01日

・『生きている兵隊』の「伏字復元版」はグッドアイディアだ。集英社の「昭和戦争文学全集」で読んだときと作品のおもむきがすっかり変わった。伏字を復元するだけでなく、その箇所に傍線をほどこすことで、検閲者の視線と意図がすかしみえてくる。隠蔽――は、戦時だけではない、そして権力だけではない、天皇制国家の人間がもってうまれ、いまもひきついでいる隠微で卑怯な生理だ。隠蔽は暴力をせおっている。「生命とはこの戦場にあってはごみ屑のようなものである」。伏字だった傍線箇所の裂罅の闇に、なにをみるか。はるばる来訪したMさんとミスドでこんだん。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/30)

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枯れ葉の原.jpg 2014年12月01日

・武田「・・・・・・・日本人の場合は無間地獄に堕すんだな。キリスト教がないということ。仏教というのは、かなり慈悲の心があるはずなんですけれども、仏教では殺人を止めることが、ついにできなかった。これは宗教の問題として、とっても大きいと思うんだ。じっさいに中国の民衆を守ったのは、中国人自身のほかはキリスト教の牧師だね、民衆を保護したよ」 堀田「村の人ぜんぶを教会に収容したら、その教会に日本軍は火をつけちゃった」 武田「うん、そういうことがある。それは文化の問題ですね。そういう面を、現実的な視野において日本を考えた場合には、現在まだ直っているかどうかということは、わからないな」(73年『私はもう中国を語らない』)。かつてじっさいにあったことを「あった」と主張すること。かつてじっさいにはなかったことを「あった」といいはること。かつて歴然としてあったことを「なかった」としらばくれること。歴史はこうしていま、おおむね3つの虚実の光の波にもまれている。不可視の〈内面の内戦〉といえるほど、それは深刻な闘争である。かつてあったことを「なかった」こととして〈公的に裏づける〉、すなわちニセの歴史を生かされるのが、存外に容易であることには、おどろかざるをえない。Aの問題とはそういう問題でもある。エベレストにのぼらなかった。(2014/12/01)

 

2014年11月18日
日録1-9

 

私事片々
2014/11/18~
http://yo-hemmi.net/article/409099823.html

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FLGW の青空11月17日.jpg 2014年11月18日

・けふもルーペと赤鉛筆と『時間』をポケットにいれてダフネ1号店へ。じぶんはどうしてこうまで『時間』にこだわるのか。それはもうわかっている。あらましわかってはいるのだけれども、どこかに見おとしはないか、歳月になんとか堪え、かすれ、消えかかった小さな活字を一字一字ルーペでたどる。『時間』が文学的に、とくにニッポン文学的に、どれほどすぐれた作品か否かなどにはまったく関心がない。天皇の名において戦った15年戦争の心的、思想的堕落、あきれるほど中途半端な反省ないし無反省と、それゆえ引きずってきた70年におよぶ「戦間期」文化の空洞と腐食。それらを徹底的に対象化し、食らいついたものなど、文学にせよ思想にせよ、読むべきテクストは唖然とするほどすくないのだ。『時間』もむろん、ベストのテクストとはとうてい言いがたい。それを承知で精読したわけは、〈南京大虐殺とニッポン知識人〉の関係がどうであったかを知りたかったからであった。殺人・掠奪・強姦の3語(それのみ、あるいは加うるに、暴行、放火)がおおいつくす 1937 年(昭和 12)12 月から翌年 1 月にかけての出来事が、その後のニッポンの思想文化にどのような影響をあたえたか――これはなんとしても逃れることのできない主題でなければなかったはずである。アドルノふうに言えば、南京大虐殺後に「詩」はあってはならなかったのだ。『時間』は、この国ではそれさえじつにまれなことなのだが、その事実をそっちょくにみとめてはいる。殺・掠・姦・賊・酒・狂酔・逼淫――おびただしく、おぞましいその事実をみとめたら、つぎの思念の作業は、理のとうぜん、あれらの事件を可能ならしめたニッポン(またはニッポン人)とはなにか、天皇とはなにか、〈すめらみくに〉とはなにか、皇国史観とはなにか、〈ますらお〉とはなにか……の諸テーマにうつるべきはずのものであった。堀田善衛のいう「記すに堪えないからこそ記しておかねばならぬ」「嗜虐症的な征服支配の時代の病例」が、皇国ニッポンとニッポン人による南京大虐殺だったのだ。歴史も文学も報道もまさに「記すに堪えないからこそ記しておかねばならぬ」ものなのだ。だがしかし、堀田の『時間』は、堀田じしんの持論を見事にうらぎる。ここにはあるしゅの詐術がある。偽計といってもよいかもしれない。主人公をニッポン人ではなく外国渡航歴もある中国人インテリにしたのは、まあよい。だが惨劇を日々目にし妻子を日本兵に犯され殺されたこの主人公は、ふしぎなことに、淫獣と化した日本兵の餌食になる中国人についてはあれこれ論じつつも、「記すに堪えないからこそ記しておかねばならぬ」はずのニッポン兵の淫縦のよってきたるゆえん、かれらが負うた精神、すなわちニッポン論をはぶくのである。わずかに中国(人)にたいする「烈しい憎悪、軽蔑、それに、異常なまでの劣等優越両様のコンプレックスが渦巻いている」日本人将校の内面が表現されてはいるものの、まったくふじゅうぶんだ。ニッポンは国家と人民のために戦争をしたことはなかった。天皇のために、天皇の名のもとに「聖戦」を戦い、悪鬼もおどろく惨劇をくりひろげたのだった。ならば、皇軍兵士とはなにか。その精神の根はなにか。陛下の赤子とはなにか。堀田はそれらに答えるという危険水域にはいることを、まちがいなく、意識的に避けている。その意味では『時間』は奇妙にトリッキーである。敗戦後の知識人にあって比較的にまともといわれた堀田でさえ、国体=エンペラーを精神の不可視の根にしたニッポン(人)を対象化することが、眼力にうらづけられた技量としてできなかったのでなく、ニッポンどくとくの危険水域として回避したのだ。「某所では日兵が娘を輪姦した。娘は、顔に糞便を塗り、局部には鶏血を注いで難を逃れるべく用意をしていた。けれども、日兵たちも、もはや欺かれはしなかった。彼等は娘に縄をつけてクリークに投げ込み、水中で彼女がもがくのを喜び眺めた」。枚挙にいとまのないこうした悪夢がなぜ現実になったか。この小説の末尾は「……人生は何度でも発見される」である。失笑。わたしは敗戦後70年の、過去になにも学ばなかった空虚とその因をこの末尾にもみてしまう。けふもS君のメールとかれがひとりでつくり、ひとりで撒いたビラを読んだ。匿名的であり、非人称的であることをかれは拒み、そこからの安全な告発をはっきりと拒んでいる。じぶんがじぶんだけに固有である事実をひきうけている。そうすることで危険水域に一歩一歩入っている。ただあるだけの世界とただ存在するだけの自己は、そうすることでひらき、生き生きと活きてきている。エベレストにのぼった。(2014/11/18)

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アカカタバミ.jpg 2014年11月19日

SOBA:以下、辺見さんが言及しているケツメドAと、その略称KMAはピッタリ過ぎ、けれど笑えませんw。

・のっけからビロウなはなしで恐縮である。ケツメドA(以下、あまりにもバッチイのでKMAと略称)が記者会見をするというので、昨晩、犬とともにテレビのまえに座った。ケツメドが会見するとはこれはまた怪異なことではある。だが、この国では古来、政界と禁中とを問わず、異聞奇譚だらけなのであり、ケツメドといふ人体開口部が、それにたかりついてクソのかけらをなめさせてもらっては悦んでいる各報道機関政治部の男女クソバエ記者どもをまえに、なにやらグニョグニョと口のようなものをうごかして発声発語したとしても、しごく不快ではあるけれども、とくにふしぎではない。ふしぎなのはむしろ、テレビに大うつしにされたただのケツメドを、人間の顔のいちぶであると、クソバエ記者どもがうたぐりもなく納得しているらしいことなのである。サタンの肛門に接吻した魔女たちがその〈わけ〉を詰問する審問官にたいし、〈そこにも顔があるからよ〉と答えたという逸話を、クソバエ記者らはむろんしるよしもない。とまれ、KMAはなにか早口でしゃべくりはじめた。これがまんいち顔であるとしたらのはなしだが、それはしばらくみないまに、ずいぶん険阻になっていた。まぎれもない凶相である。賭けてもよい。こいつは大災厄をもたらすだろう。ジョルジョ・アガンベンの〈顔論〉をおもいだす。「真理、顔、露出、これらは今日、惑星規模の内戦の対象である。その戦場は社会生活全体であり、その突撃隊はメディアであり、その犠牲者は、この地上のすべての人民である」。アガンベンの文意は詩的直観なしには理解しがたい。だがしかし、KMAのはなしは、いうまでもなく、何人であれもっているだろう詩的直観を排泄物で窒息死させるようなものである。したがって、KMAがいったいなにをしゃべったのかを、わたしは言語としてはついに解することができなかったのだった。かろうじてひとつだけわかったのは、ケツメドがどうやら辞めるのではないらしいということだけ。わたしはケツメドがケツメドを閉じる、つまり退陣することだけを期待していた。ところが選挙だという。このままでは自公インチキ政権が勝つだろう。KMAは選挙後、集団的自衛権行使の違憲立法も、秘密保護法の強行採決も、原発再稼働も、労働者派遣法の改悪も、労働法制の規制緩和も、すべてあらためて国民の信任をえた、として胸をはって爆走していく気だろう。ただそのためのみの選挙なのだ。そうさせてよいのか。KMAは、消費税増税について、民主主義なので信を問うべきだといってのけた。ケツメドがミンシュシュギをかたるとは、わらわせるじゃないか。だいいち、集団的自衛権行使の閣議決定という重大な政策変更について、KMAはいちどでも民意を問うたか。信を問うたか。クソバエ記者どもはそのことを徹底追及したか。会見で問うたか。問いつめてはいないだろう。やはりクソバエ記者どもはAのケツメドをペロペロなめるしか能がないのである。法人税をひき下げ、消費税を上げ、社会保険料をひき上げ、社会保障をきりすて、介護保険を改悪し、生活保護費をひき下げ、非正規雇用をふやして、貧者をどこまでもしいたげ、富者をよろこばせ、格差をますます拡大し、軍備を増強し、兵器を外国に輸出する――ケツメド政策をだんじてゆるすわけにはいかない。いや、アジビラ調はやめよう。「真理、顔、露出、これらは今日、惑星規模の内戦の対象である。その戦場は社会生活全体であり、その突撃隊はメディアであり、その犠牲者は、この地上のすべての人民である」。この含意をひとりしずかに直観しよう。ケツメドの世界が、〈わたし〉とはなんのかかわりもなく、政治として平気で存在しつづけている――状態を、〈わたし〉への堪えがたい冒瀆、侮辱として怒ろう。悲しもう。いまやるべきは、Aのケツメドに、ぶっとい棍棒をぶすっとぶちこんで、息の根をとめること以外にあるだろうか。ふとかたわらの犬をみたら、もうテレビなどみておらず、ビールマンスピンのかっこうをして、片脚をぴんとあげ、アルマジロよろしく顔をふせてインブかコーモンをなめているのだった。正しい態度かもしれない。けふ、エベレストにのぼった。(2014/11/19)

SOBA:上記、辺見さんが言及しているケツメドA、その略称KMAにピッタリの顔もどきを動画キャプチャで観察(長崎平和祈念式典中継動画)

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ヤツデ.JPG 2014年11月20日

・「生活と自治」誌の連載「新・反時代のパンセ」を執筆。いつのまにか12回、つまり、もう1年がたったということだ。第12回のタイトルは「民主主義の落とし穴」。総選挙批判。むろん、Aをケツメドとは書かなかった。ほんとうはケツメドなのだけれども。週刊金曜日刊の対談『絶望という抵抗』は、装幀のおくれで、来月8日の発売にきまった。風邪気味。犬も元気なし。武田泰淳と堀田善衛の対談『私はもう中国を語らない』(1973年、朝日新聞)は、さいしょつまらないとおもったが、昨夜、落ち着いて読んだら、なかなかおもしろかった。武田は多くを話さないのだが、視線がやはり深い。疑問はあるけれども。南京大虐殺についてもわずかながら触れている。「南京大虐殺」のことばも、ためらいなくもちいられている。それが巨大な事実であったことに、長く重い中国経験者たちがなにも異をとなえていない――これこそ事実の傍証であろう。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/20)

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サザンカ2014年11月21日.jpg 2014年11月21日

・コビトから連絡あり。「新潮文庫の中古本『時間』が21日げんざい、Amazonで8000円になっている。ブログにしょっちゅう『時間』のことを書いたあなたが値をひきあげたのよ。アマゾン資本主義の活性化にひとやくかったわけよ!」となじる。唖然。ぼろぼろになったわたしの新潮文庫『時間』15刷はたったの140円。それを古本屋で300円ほどで買ったのだった。それが8000円とは理解できない。Amazonでたしかめると、たしかに8000円。出品者によると「多分初版かと思われます」というので高値がつけられたのかもしれないが、おなじく堀田善衛の集英社文庫『上海にて』の中古が「56円より」となっているのをみると、8000円はいくらなんでも法外な気がする。よいにつけわるいにつけ、出来事、事件、事故、イシュー、論議、非常事態、新現象がおきると、たちまちにしてはたらきだすのが市場原理である。市場原理は内面の刺激=活性化をテコにし、それをバネにし、培養基として、内面を深化するのではなく、じつは資本の運動を活発化していく。歓びも悲嘆も憤怒も感動も、資本の運動に吸収されていくほかない。人間のあらゆる意識(のうごき)は、ハイパーインダストリアルな21世紀資本主義の収奪と活性化のための対象でしかない。無限にカネモウケだけをしたがる、魂なき魂。それが資本の魂であり命である。ひとびとは無意識に資本の魂に従わされ、資本の運動を支えさせられている。社会の主体はもはやプロレタリアートではなく、ファシストやケツメドAでもない。社会の主体は、人間ではなく、いまや資本なのであり、ひととその意識(のうごき)は資本の自己増殖の手段でしかない。と、ここまで、おもいつめるのは、正直せつない。身も蓋もない。だが、冷厳な事実は排除できない。万象を支配している理法すなわち摂理があるとしたら、それは人倫に発するのではなく、銀河系の運動をべつとすれば、資本の法則なのだ。それでは物語にならないので、ひとは資本の〈顔〉をみまいとする。資本の運動と無縁の、うつくしいひとの物語を夢みる。が、それさえ資本の運動の賦活剤だ。あらゆる種類のエモーションは、正しいかどうかでなく、ビジネスチャンスととらえられる。嫌韓嫌中本は売れるからつくられるのであり、つくるべきだからつくられているのではない。新潮文庫の古本『時間』が8000円になったことは、南京大虐殺を背景とした堀田の『時間』の小説的、歴史的価値がみとめられたからではなく、需要に反応して商品価値が一時的にあがり、それに応じて投機的うごきがでたということにすぎまい。Amazonには、どんな美辞麗句をつらねようとも、市場原理と資本の運動(カネモウケ)以外のなにものもない。そのAmazonとどうようにやっかいなのは、Wikipediaというシロモノだ。最近の新聞記者や編集者は足をつかう取材はさっぱりで、のべつGoogleとWikipediaと首っ引きというからおはなしにならない。これもコビト情報で、わたしは不快だからまだみてもいないが、Wikipediaにはわたしにかんする項目もあり、「日本の小説家、左翼運動家、ジャーナリスト、詩人」という肩書きになっているらしい。このうち「左翼運動家」というのは何者かが最近になって、おそらくなんらかの悪意をもってくわえた、新しい「身分」であり、まことに迷惑である。わたしはブログで首相Aを「ケツメド」と書いた作家であり、その事実をかくす気もない。変人といわれようが奇人とよばれようがかまいはしないが、「左翼運動家」ではない。首相Aを「ケツメド」とののしるからには「左翼運動家」にちがいないと断じたのだとしたら、「左翼運動家」の定義(definition)も知らない者の仕業か、例によって例のごとしのネット荒らしだろう。管見では、「左翼運動家」というのは、一国の首相をつかまえて「ケツメド」などと下品に侮蔑するのはマルクス・レーニン主義に反すると自己批判をせまるような、ごくつまらない心的機制のもちぬし(ゆえに、アナザー「ケツメド」)なのである。だいたい、わたしは略歴その他をWikipediaに載せてほしいと依頼したことも、載せてもよいかとWikipediaから問われたこともないのだ。出版社からの年譜の作成依頼さえことわっているわたしがネットに自己紹介をするわけもない。だいいち、Wikipedia所載のわたしの略歴その他はまちがいだらけであり、とてもではないが引用にたえるものではない。全文削除してほしい。けれど、どうすれば削除できるか、調べるのもわずらわしい。まちがいだらけの略歴を載せたのはわたしではないのに、修正、削除のために時間をさくのもばからしい。武田泰淳「……まあ、ぼくら南京大虐殺には、直接参加してませんけれども、つまり兵隊が銃をもつという問題があるんですね。武器をもつと、ふつうの心理とは、まったくちがったものになってしまうことですよ。ふつうの市民として生活してるときは、善良でよき父である百姓や商人が、いったん銃を・・・・・・・」 堀田善衛「銃をもっていると、銃をもっていない人間は、自分たちの仲間じゃない、という感じで相対する、ということになるんじゃないか」 武田泰淳「そう、そう、それは日本人がことにひどいと思うんだ。というのはね、日本人というのは、いつでも外国人を恐れていて、おびえているんだな。そのおびえが反対に軽蔑するような態度で現れてね、恐ろしいからやっつけるんですよ」(1973年『私はもう中国を語らない』)。ヘイトスピーチの源流をおもう。1938年に陸軍省が撮らせた南京の資料映像がとどいた。午後、鉄筆から連絡。『霧の犬 a dog in the fog』がけふ、取次に搬入され、書店に到着しだい、順次発売となる。都心の一部書店では今夜から新刊が店頭にならぶ。関東地域は明日には発売、北海道や九州は、週明け月か火曜日になるという。鉄筆の渡辺氏夫妻が文字どおり孤軍奮闘している。エベレストにのぼった。(2014/11/21)

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ヒル、ダフネに行く途中.jpg 2014年11月22日

・心臓が水をふくんだ荒縄のようなものでつよくしめつけられた。呼吸がみだれ、視界が涙でくもる。なんの涙かはわからないのだ。怒りか羞恥か恐怖か。なんてことだ!わたしたちのいまは、この過去からすこしも途絶えずに今日までつづいているのだ。21日深夜、旧帝国陸軍省と海軍省の「指導」で、国策映画会社「日映」カメラマンが1937年から翌年にかけて従軍撮影、製作した南京攻略・占領の記録映像(56分)を、あえぎながらみた。犬がなぜか映像にむかってはげしく吠えた。屍体はすべて異様なほどきれいさっぱりとかくされているのだから、「残虐な映像」ではないといえばそうなのかもしれないが、それがかえって怖い。わたしはこれ以上に残忍さ、陰惨さをおのずからただよわせてしまっている実録映像をかつてみたことがない。屍体はかくせても、空気はかくせない。日本軍将兵は、南京武力制圧とその後うちつづいたであろう血なまぐさい住民殺戮のさなかにも、南京の戦場から皇居にむかって一斉に深々と礼をするいわゆる「遙拝」をし、「天皇陛下万歳!」と三唱し「君が代」をうたっていたのである。天皇はしばしば「大元帥陛下」とよばれ、ことあるたびに万歳が三唱された。国家神道のしきたりにのっとって、従軍してきた宮司がのりとをあげ、松井石根陸軍大将(戦犯で死刑)や当時陸軍中将だった皇族、朝香宮鳩彦王(戦後は、豪邸に住みゴルフざんまい)らが玉串を奉奠する。殺した無数の中国人の霊にではもちろんない。靖国とおなじく、戦死した「皇軍」将兵の「英霊」に、である。玉串は榊(サカキ)ないしその代用とみられる木の枝に「四手」(しで、「紙垂」とも書く)といわれる細長い和紙をつけたもので、それがおりからの強風にあおられ、各所でたなびき、びょうびょうとうなるのが、名状できないほどの恐怖をさそう。このシーンはなぜか長回し。儀式はことごとに「天皇陛下」「大元帥陛下」の名のもとにとりおこなわれる。破壊されつくした南京の廃墟は、まえにも映像でみたことがあるが、あらためて息をのむ。ワルシャワの廃墟もすごかったが、南京の廃墟とはなにかがちがう。もう午前1時半。眠らなければならない。ヒトラーの軍隊ともムッソリーニの軍隊とも、天皇の軍隊はあきらかにことなる。なにがか?なにがちがうのだ。もの凄い殺気と妖気、胆汁質の痴れたなにか。そのなにかが、わかるようでよくわからない。画面にうつる兵隊たちの多くか、すくなくとも、なんにんかは、『時間』にでてくる〈殺〉〈掠〉〈姦〉にかかわったはずだ。『時間』にはそう書いてあるのに、醜悪なにおいが抽象化されていて、うすい。この映像は〈殺〉〈掠〉〈姦〉を周到にかくしているにもかかわらず、吐き気をもよおさせる野蛮なにおいが濃厚である。昭和天皇はこの映画をみたのだろうか。平成の天皇はみたか。NHKはなぜこれを全篇放送しないのか。ワルシャワ蜂起ではなく、鬼気せまる南京の記憶をなぜひとびとにみせないのか。ああ、眠らなくては。この映像56分をみたら、もしもつうじょうの神経ならばだが、「君が代」にすぐさま耳をふさぐはずだ。日の丸に目を掩うはずだ。憲法9条がなぜできたのか、憲法9条を壊すのが天人ともにゆるしがたい犯罪であることが、骨身にしみてわかるはずだ。天皇制がつづいていること、靖国が現存することが、いまさら不可解になるはずである。まともな神経の持ち主ならば。この映像は堀田の『時間』と基本的に矛盾するところがない。むしろ、『時間』の描写の足らざるを、沈黙のうちに補強してくれる。また、国策映像がかくした空白を、『時間』が補完している。中国映画『南京!南京!』とも大きな乖離がない。なんと、この国策映画、戦争宣伝映画の方が、『南京!南京!』よりも、よほどリアルで残忍な感じなのだ。侵略者「皇軍」の底知れぬ不気味を、かくしたくてもかくせていないでいるのには、ほんとうにおどろきいる。みずからの不気味を不気味とはわかっていなかったのだ。なんたる過去か!なんたるいまか!動悸がまだつづいている。2時半をすぎた。眠らなければならない。DVDの箱には『南京ー戦線後方記録映画-』とある。冒頭、「我々の同胞が一つになって闘った数々の光輝ある歴史の中でも南京入城は燦然たる一頁として世界の歴史に残るだらう。その日の記録としてこの映画を我々の子孫に贈る」の手書きの字幕。酔い痴れている。「数々の光輝ある歴史の中でも南京入城は燦然たる一頁として世界の歴史に残るだらう。その日の記録としてこの映画を我々の子孫に贈る」。悪意も羞恥心もむろん皮肉もない。天真爛漫に得意になり誇ってさえいる。ニッポンという、とんでもない主観。皇国、皇軍、神国、神州不滅という、度しがたい倒錯。いまものこる母斑。武田泰淳「ぼくは兵隊にとられて、貨物船に乗せられてね、上海のそばの呉淞(ウースン)港に上陸したわけだ。……そこに上陸してさいしょに会った中国人は、生きた中国人じゃなかった。死骸になった中国人だった。そうしてそれからズッと、まあ、半年くらいは毎日死骸を見た。食事もとるときも、寝るときも、井戸の中にも、丘の上にも、あるものはぜんぶ死骸ですからね、いやでも、その間を縫って歩かなきゃならなかったわけですよ。どこへ行っても死臭がただよっている」(『私はもう中国を語らない』)。ましてや、あのときの南京に死骸がないわけがなかった。『南京ー戦線後方記録映画ー』は死骸をかくした。しかし、恐怖にひきつった民衆の顔まで修正するほど芸は巧みではない。撮り手はニッポンというとんでもない主観と倒錯のがわから、命の危機におびえる中国民衆を、たいして意ももちずに傲然と撮影している。エベレストにのぼらなかった。(2014/11/22)

(↓クリックすると拡大します。)
107 辺見庸さんが言及していた『南京ー戦線後方記録映画ー』1分7秒の所をキャプチャ。

SOBA:この映像を末尾にアップしておきました


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けふのサザンカ.jpg 2014年11月23日

・戦争宣伝映画『南京―戦線後方記録映画―』をみた嫌悪感がオリになって体内に沈殿し、まだときどき喉もとにわきあがってくる。わたしがもっとも怖気をふるったシーンは、戦場でも廃墟でもない。南京の戦場(というより大量殺戮現場)から、東京の皇居にむかってなされていた「遙拝」であり、戦場で「奏上」されたのりとのひびき、玉串の奉奠(ほうてん)であり、榊(サカキ)にむすばれた「四手」(しで、「紙垂」)という紙のたなびき、そのうなり声、万歳三唱の蛮声であった。「遙拝」とは、遠くはなれれた場所から神様(天皇)をはるかに、深々とおがむこと。「奏上」とはなんだ?ほかでもない、天皇に申し上げることである。この国はかつて自国民だけでなく中国や朝鮮半島のひとびとにまで「遙拝」を強いた。『中国の赤い星』を著したエドガー・スノーはニッポンの侵略と殺戮を徹底的に憎んだ。終生ニッポンを軽蔑したといってもよいだろう。日本軍を「首刈り族」とまでののしった。スノーにはニッポンにたいする生理的嫌悪さえある。そのわけは、直接には、侵略と大量殺戮にあるのはいうまでもないが、血でそめた外国の大地で、平気で神道にもとづく「神事」をとりおこなう無神経、不気味さにもあったろう、とわたしは察する。大内兵衛はかつて「天皇は開戦・敗戦の政治責任をまぬかれうるか」と設問し、否と答えた。第二に、「天皇は国民への道義的責任をまぬかれうるか」と問い、これにも、否と答えた。第三に、「アジアの民衆にたいする虐殺、捕虜虐待にかんする責任をまぬかれうるか」と問い、三たび否と答えている(「天皇の戦争責任」『中央公論』1956年6月号)。いま、どんな新聞・雑誌が「天皇の戦争責任」を問う特集を組むだろうか。組む者はだれもいないし、そのような特集を組むことは100パーセント不可能である。なぜか。たいへん危険だからだ。極右と「影の組織」がまちがいなくうごく。編集局が襲われる。ひとが殺されるかもしれない。かもしれないではない。その公算きわめて大である。1956年には堂々とできたことが、2014年にはできない。そんな社会になったのだ。敗戦後70年で、言論はいちじるしく閉じ、未来にすすんでいるのではなく、戦前、戦中にもどっているといってもよい。大内兵衛は南京大虐殺についてこう書いている。「この大虐殺が、日本軍のいかなる命令中枢から発せられたか、あるいは『軍紀の弛緩』によるものかは、今日なお疑問の部分もあるが、事実としてまったく放恣な略奪、強姦、虐殺の祝宴が大規模にくりひろげられたことは、疑いない」(集英社刊『昭和戦争文学全集』3「果てしなき中国戦線」の解説)。「まったく放恣な略奪、強姦、虐殺の祝宴が大規模にくりひろげられた」とは、もの凄い表現ではないか。スノーは「近世においては匹敵するもののない強姦、虐殺、略奪……」(『アジアの戦争』)と記した。わたしが安倍政権をこれまでのどの政権よりもかくだんに厭い、絶対的に危険視するのは、こうした歴史をまるごと否定、修正、または過小評価して、みずからは天皇の「醜(しこ)の御楯」を気どり、(南京虐殺実行部隊どうように)玉串奉奠などの「神事」をおこない、めいっぱい平成の天皇を利用し、民心とメディアをたんに権力保持のための道具とし、ウソをつきまくり、群衆をすきなだけもてあそんでいるからである。ウソの歴史につなげられる未来がまっとうであるわけがない。武田泰淳「それからね、中国全土ではない、という問題ね。点によって、あるいは細い線によって、日本軍が進んでいったわけで、全体的に殺人をやったわけではない、というけどね、その点と線との間においては、やったことなんだな」(『私はもう中国を語らない』)。武田泰淳の短篇「審判」再読。ふるえる。わたしは若いころなにもわかっていなかった。あまりに不勉強であった。エベレストにのぼった。(2014/11/23)

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11月24日撮影.jpg 2014年11月24日

・父の書棚にあったもので、はっきりと記憶している本は多くはない。坂口安吾の『堕落論』があった。泰淳の『蝮のすゑ』『森と湖のまつり』『史記の世界』『風媒花』『ひかりごけ』『快楽』などがあったのは、高校時代に父に無断で読んだので、しけった紙のにおいとともに憶えている。だが、1947年4月発表の「審判」が書架のどこかにあったのかどうか、記憶にない。「審判」は1948年に思索社が刊行した『蝮のすゑ』所収ということを知ったのは最近のことで、父がもっていた『蝮のすゑ』が思索社のものだったかは、本が散逸したので不分明だ。だが、父も「審判」を読んでいたのではないか。昨夜、集英社の『昭和戦争文学全集3』所収の「審判」をめくりながら、鈍器で頭をうたれるように、そうおもった。武田は父より早く二等兵で華中にいき、父は泰淳の後に下級将校でやはり華中にいっている。泰淳の「出征」(おもえば、これもひどいことばだな)は南京大虐殺のあった1937年で、父は40年代前半であった。謎があった。父はすっかり変わって帰ってきた。わたしは父の出征中に産まれたので、かれがなにからなににどう変わったか知らない。温厚だったひとが〈化け物〉のようになって…母はそんなふうなことを言った。泰淳も〈戦争経験〉で変貌した。そのことは川西政明著『武田泰淳伝』に詳しいが、それよりなにより、「審判」が文学作品という領域をこえて、告解というか告白というか自己告発というか、おのれへの終わりない譴責をしていること、それがあまりにも生々しいことに、わたしは、バカげたことに、この歳になって「審判」を再読してやっと気がついたのである。作中の「私」は「私」であって、泰淳ではない。「二郎」は「二郎」ではなく、じつはほぼ武田泰淳そのひとである。「審判」はあらかた実話である。そんなことにいまごろになって気がついてどうするのだ!あの武田泰淳が、中国文学専門家で、北大助教授もした泰淳が、中国でまったく罪のないひとびと、非武装の老人らを、おそらくは複数人、ガマガエルでも殺すように、ほんとうに銃で撃ち殺していたのだ。初読ではそうはおもわなかった。若いころ、わたしは戦争という異常な条件が「二郎」をそうさせたのだと、一般化してうけとって、「二郎」にムルソーをかさねてみたりはしたが、「審判」にさほどの感銘はうけなかったのだった。日給500円のラーメン屋のバイトをしていたころ。「二郎」の手紙。「故郷では妻子もあり立派に暮らしているはずなのに、戦場では自分をみちびいてゆく倫理道徳をまったく持っていない人々が多かったのです。住民を侮辱し、殴打し、物を盗み、女を姦し、家を焼き、畠を荒らす。それらが自然になんのこだわりもなく行なわれました。私には住民を殴打したり、女を姦したりすることはできませんでした。しかし豚や鶏を無だんで持ってきたりしたことは何度もあります。無用の殺人の現場も何回となく見ました」。その「二郎」の脳裡をとつぜん「人を殺すことがなぜいけないのか」という「思想」がかすめ、「もう人情も道徳もなにもない、真空の状態のような、鉛のように無神経な」感情のなかで、村民を殺す。目が見えず、耳の聞こえない老夫婦も殺した。「二郎」の手紙。「私は自分を残忍な人間だとは思いませんでした」。「人間が殺人について、または生物を殺すことについて、まじめに考えるのは殺す瞬間だけなのかもしれません」。「二郎」は殺人の事実をしばらく忘れる。ひとは殺人をしても忘れるものだという。「この行為(殺人)のただ一つの痕跡、手がかり、この行為から犯罪事件を構成すべき唯一の条件は、私が生きているということだけです。問題は私の中にだけあるのです」。バイト代はラーメンの出前を終えて帰るときに手わたしでもらった。「頂好(テンホー)」という店。100円札5枚。東京オリンピックのころ。バイトが終わるとデモにいった。空に自衛隊のジェット機がえがいた5輪が浮かんでいた。「鉛のように無神経な」感情を、戦争という特殊条件下の特別なそれとして単純化するだけで、ドロのように重く鈍い質感まではわかってはいなかった。深めようともしていなかった。「二郎」をまさか武田泰淳とはおもわなかった。まして、〈化け物〉のようになって帰ってきたという父と泰淳や「二郎」をかさねることまではしなかった。あまかった。昨夜、読後の衝撃のなかで、なにかが一気に氷解した気がした。ああ、父もこれをやったのか。ひとを殺し、殺した記憶を個人的にかかえこんでいたのか。そうかもしれぬ。そうでないかもしれない。わたしはうたがったことがあるが、怖ろしくて父に問いはしなかった。数えきれないほどたくさんの日本兵が、他国でむぞうさにひとを殺し、殴打し、女性を犯し、略奪し、戦後そのことについてみんなで沈黙し、口をつぐんでいるうちに、みんなでじぶんの行為を忘れた。加害者か被害者かすらみんなで忘れ、あの戦争から〈個人〉を消して一般化することで、ニッポンのみんなが戦争の〈被害者〉であるかのような錯覚におちいっていった。そして、いまや、「大東亜戦争」開戦時の東條英機内閣の重要閣僚にして極東国際軍事裁判においてA級戦犯被疑者とされた「鉛のように無神経な」岸信介の孫=おなじく「鉛のように無神経な」安倍晋三を、さらにおなじく「鉛のように無神経な」ニッポン国民がかつぎあげているのだ。「審判」は戦後の武田の全作品の原点である。エベレストにのぼった。(2014/11/24)

 

 辺見さんが2014/11/22で言及していた映像です。

戦線後方記録映画「南京」 1938年東宝文化映画部作品.avi
辻守
https://www.youtube.com/watch?v=nos2prviBq8

2012/10/16 に公開

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完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。


 

辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。 


 

辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。 

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