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2015年5月17日 (日)

辺見庸 (日録1-7)私事片々 2015/02/10~と、(日録1―8) 雑談日記Archive

 私事片々を今までと同様、アーカイブ保存しておきます。

 なお、辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで

 以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。写真が多いので、2エントリーずつアップします(表示順は元ブログと同じく上から降順です)。

 

2015年02月12日
日録1―8

私事片々

2015/02/17~
http://yo-hemmi.net/article/414205262.html

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白いスミレ.jpg 2015年02月17日

・小雨。傘をささずダフネにむかう。アパートを引っ越さなければならない。ほぼ毎日、上階から脳天に五寸釘をうちこまれるような音と子どもが駆けまわる足音がする。仕事にならない。抗議はしたのだ。まるで効果なし。抗議やめた。脳天に五寸釘を刺されっぱなしで、くらすともなく、くらす。げんかいである。げんかいって、だが、なにが〈げんかいライン〉かわかりはしない。〈げんかいライン〉をどんどん上方修正している。見こしたように上階は騒音を激化する。ガツンガツン五寸釘。〈げんかいライン〉をまた上方修正。それに、引っ越すったって、どこへ?本質的に、死に場はあっても、逃げ場はない。ヘルパーさんをどうするか。犬の散歩をどうするか。アシスタントは?ミモザのつぼみはほとんどかわっていない。あるきながら、new normalということばがポンと浮かぶ。new normal?なんだったか。ノーマルでなく、ノウムルみたく発音してみる。気どって。気どってるばあいじゃない。ニュウ・ノウムル。ダフネにつく。さかゑさん「あらーっ、オズンツァン(おじいさん)、まあだ生きてだのお?生きてだんだらJSFやんなぎゃね。つかうもんつかわなぎゃ。タマみがかざれば光なす(し)、だべさ」。わたし「んだ…んだね」。トイレ直行。ドアに「南部慰安所規則」が貼ってある。〈一、発売時間 日本時間 正午より六時 二、価額 桜花部 一円五拾銭 但し軍票を用う 三、心得 各自望みの家屋に至り切符を交付し案内を待つ〉――。トイレから田村泰次郎みたいなオヤジがずりおちたズボンをあげながらでてくる。キモい。ムッとする。急きょJSFやめる。ココア飲みながら店内テレビみる。国会中継。さかゑさん「このしとだづ、みなアダマのおがすいしとだづだよ……」。なるほど。よっぽどアダマがおがすい。タガってる。代表質問をされている主が、質問をなにも聞かずに、答弁書にじっと目をおとし、すぐ目の前で質問のまっさいちゅうというのに、一心不乱に答弁書朗読の練習をしている。声までだして。さかゑさん「こいづら、みなキヅゲェだべさ……」。わたすぃ「これこれ、そったらスンヅレーなごどゆうんもんでねぇど。クヌをアイすぃなさひ……」。(などと、後刻PCを打ってたら、モニター画面にとつぜん「話し言葉〈北海道・東北モード〉にしますか?」とでる。ここもキヅゲェ!)。次、テレビニュース。天気予報でもつたえるように、まったく、まったくこともなげに、「自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法の制定につよい意欲」だと。キヅゲェどもめ。エベレストにのぼった。のぼっているとちゅうでおもいだす。new normalとは、米国のなんとかいう学者がほんとうはstagnationについて言った「新たなる常態」だった。んでもっしゃ、げんざいの世界全員狂人化だってnew normalなのだ。アパート。また、上からガツンガツン五寸釘。わたひ、天井を見あげ、やさひく微笑む。だうぞ、おすきなだけおやりなさひ……。これだってnew normal。しかしだ、「新たなる常態」化はいやだ。脱出したひ。脱出します。(2015/02/17)

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たわんだ夜.jpg 2015年02月18日

・きわめて重大なこと(辺野古の海の埋めたて、自衛隊海外派兵を随時可能にする恒久法制定工作)は報道しないか、できるだけ小さくつたえ、ゴミネタ(じいさんの万引き、NHK職員のチカン、オボチャンetc.)や猟奇的事件は、さも天下の一大事のように大々的に報じ、さわぎまくり、どこからどうみても手のつけられないドアホ(ex.A or the orang utan)を、いかにも正気でマトモな人物であるかのように記事化する、いわゆる〈報道ガイドライン〉が、いつかどこかで暗黙の裡にきまったらしい。このガイドラインに、みんなが、お上からまだなんのお達しもなひはずなのに、つきしたがっている。記者といふものは、昔もいまも、ファシズムの提灯もちである。そうでなかったためしがない。3Kだけじゃなひ。バカで不勉強で無関心で傲慢で卑怯で姑息で哀れなやつらだ。これはnew normal(「新たなる常態」)みたひだが、じつは、戦前、戦中からずっとおんなじ。といふか、このたぐいのnew normalは、むしろ戦前、戦中特有の現象である。いまはまちがひなく戦前であり、広義には、世界戦争のさなかである。「私たちは昭和史からきちんと学ぼうとせず、ずっと後世までひっぱっていくのではないだろうかと、若干、考えられます」(『昭和史1926-1945』)。と、半藤一利さんが書いたのは10年前。もう「若干」どころじゃないよ。てっきり「右」系の方かとばかりおもっていた半藤さんが、いまや「左」っぽくみえたりするんだから、足下の座標がすっかりかわったのだ。家永三郎『戦争責任』(岩波現代文庫)。読みながらイライラする。「ベッド・ディテクティブ」または「アームチェア・ディテクティブ」とは、澤地久枝さん、よく言ったものだ。「わたしの戦後の原点は、己が戦争中に身をおきかつ果たした役割の痛切な自覚にあるといえるかも知れない。しかし、『戦争責任』が女子供をふくめて広く広く問われているのに反して、昭和天皇の戦争責任についてはあまり力点がおかれていないと感じる」(澤地解説「これからの課題――家永三郎『戦争責任』の示唆するもの――」)。家永の身ぶり、口ぶり(の、あるしゅのいやらしさ)をふくむ「戦争責任」とその思考方法、そして、昭和天皇への「ご進講」を家永に可能ならしめた心性、内面の問題。「戦争責任」は、断絶も切れ目もなく、そのまま「戦後責任」に連続している。気がついたら、ほらみろ、このザマだ。エベレストにのぼらなかった。(2015/02/18)

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ナノハナ.jpg 2015年02月19日

・「私が終戦後の上海で、世界各国の人々の喜びの声に耳をふたがんばかりにして、滅亡について以上のように想いをめぐらしていたころの緊張は、今ではすっかり、ゆるみ、たるんでしまった。異常な心がわりもいつか、日常の用意にとってかわられた。原稿料のこと、牛肉のねだんのこと、私小説のこと、エゴイズムのことなどを、何の深さもなく、何の未来性もなく、ジャーナリズムの歩調だけの速さで、まちがいのない、手頃ななめらかさで、物憂くとりさばくようになってしまった。だが、これでいいのだろうか」「大きな慧知の出現するための第一の予告が滅亡であることは、滅亡の持っている大きなはたらき、大きな契機を示している」(1948年4月 泰淳)。だろうか?かれは出征前に獄中転向という自己内面のメツボウを経験し、出征後は中国で「不必要な殺人」(「審判」47年)を2度まで犯して再メツボウし、3度目は45年8月、上海で原爆投下を知ることにより、メツボウを追体験するも、いったい、だからといって、いかなる「慧知」の出現があったというのだ。泰淳は、ニッポンというたまらないクニでは、メツボウさえ安い売り物になり商品化されることをうすうす知っていたろう。いま、新しいメツボウの可能性は、旧いメツボウの記憶をヘラヘラとわらっている。新たなメツボウはつとに不気味な尻尾を無遠慮にみせはじめている。こんどこそヘマをしないことだ。メツボウは泰淳の言うとおり全的でなければならない。全的メツボウとは、「慧知」どころか、一切合切、なにものものこさないということだ。みるものも、みられるものも、なくなるということだ。エベレストにのぼった。(2015/02/19)

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マルホランドDR.の夜 2015年02月20日

・もういけない。坂道をころがっている。ものすごいスピードだ。目眩がする。もう止まることはあるまい。座視したり他人事のように論評している局面はもうすぎた。じぶんがどうするか、あなたはどうふるまうか、だ。歴史の大転換ってこんなものだ。一見無害そうな市民たちが、主観的な「善意」から、無作為に、何気なく、この怖ろしい墜落に加担してきた。かつてすきでもない丸山眞男をしばしば引用した。たとえば、[一九五六年の手帖より]「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる。テーマは改憲問題」。もうそれどころではない。国家規模の転向がすすんでいる。この画時代的転換のダイミズムと妖気。その由来がよくわかりかねる。ヤクザ者と〈正気の顔をした狂人たち〉が歴史をあやつっている。かれらは理解しない。せせらわらう。He who does not learn the past is doomed to repeat it.(Santayana) そしてそのとおり、目下くりかえしている。エベレストにのぼった。連載9回目難航。(2015/02/20)

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LSVの空.jpg 2015年02月21日

・なにか、喉もとまででかかっていて、ことばにならぬうちにサッと消えてしまうもの。なにか、とても大事な手がかり。資本と権力にとって、左翼運動など、じつのところ、コバエのように「小さな迷惑」以上のものではなく、とりわけ1936年以降は、おおむねコントロール可能なものであった、という。共産(社会)主義運動参画者は、権力の意のままに、ほとんど自動的に、法則的に、陸続として思想転向してくれたのだった。転向者らはニッポンの権力構造をヌエのように多重化し、〈無中心〉化した。軍部や国家主義者は、その野望を実現するために、大資本をひつようとした。おなじように、大資本は、資本のために、ただそれだけのために、国家主義、天皇制と天皇崇拝、軍国主義、すなわち「戦争」と狂人たちをひつようとした。われわれにはそういういう過去がある。げんざいは、つまり、そのくりかえしではないか。それでは、憲法9条とはなにか。9条はなんであったか。じゅうぶんに答ええたためしはあるか。昨夜おそく、自問した。憲法9条とは、わたしにとって、なにか。かんがえた。じゅうぶんに答ええた。憲法9条は、余人は知らず、わたしにとって、ぜったいに不可欠な思想である。「1★9★3★7」連載第9回送稿。LSVにいく。エベレストにのぼらなかった。(2015/02/21)

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街灯.jpg 2015年02月22日

・生活クラブ連合会の月刊誌『生活と自治』の連載エッセイ「新・反時代のパンセ」第15回送稿。1924(大正13)年発表の芥川の作品をつかう。コビトのヒント。大発見あり。芥川はほんとうにおもしろい。ダフネ。右上半身が攣る。エベレストにのぼった。(2015/02/22)

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歯車.jpg 2015年02月23日

・「1★9★3★7」連載第10回目着手。ひとしきり「生肉の徴発」についてかんがえる。これは石川達三の「創作」ではあるまい。じっさいに、にこにこしながら言われていたのだろう。語の発生の起源、伝播のぐあいはどうだったのか。恥は?『生きている兵隊』が内側から発しているのは、反戦でも反軍でも絶望でもない。じつに堪えがたいまでの、手のつけられない「もりあがり」である。「猿蟹合戦」読む。エベレストにのぼった。(2015/02/23)

 

2015年02月09日
日録1-7

私事片々

2015/02/10~
http://yo-hemmi.net/article/413778943.html

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悪夢.jpg 2015年02月09日

・じつに簡単なことだ。あの、世にもおぞましいヘイトスピーチを、表ではいかにも困ったふりをして、裏でしっかりとささえているのが自民党である。そのトップが毎日、ジュクジュクと分泌している毒液が社会の全域を腐食しているというのに、かれの支持率は50%以上だという。目下、全的崩落のただなか。もうとりかえしがつかないかもしれない。とりかえしがつかないだろう。けふの声、ことば、身ぶりをどうするか。by the way、佐野学は1929年6月、上海で検挙され、1932年、東京地裁で治安維持法違反で無期懲役の判決。1933年、鍋山とともに獄中から、かの有名な「共同被告同志に告ぐる書」と題する転向声明書を発表。官憲はそれをマス刷りして獄中の党員らにくばって読ませたというから、むかしから権力ってのは、よっぽど反権力の上手をいっていたのだ。緻密で周到、勤勉、陰湿かつ執拗。で、転向声明は、コミンテルンの指導を拒否、今後は天皇制を尊重した社会主義運動をすすめる、という、な、なんと申しませうか、超奇抜な内容。佐野はかくて、1934年5月、懲役15年に減刑され、控訴審判決確定、1943年10月に出獄。にしても、「共同被告同志に告ぐる書」には、いまさらたまげるほかない。曰く「労働階級の大衆は排外主義的に興奮しているのでない。彼らは不可避に迫る戦争には勝たざるべからずと決意し、之を必然に国内改革に結合せんと決意している。之を以って大衆の意識が遅れているからだと片付けるのは大衆を侮辱するのみならず、自ら天に唾するものだ」「我々をかかる自覚に導いた第一衝撃は、我々の民族が満州事変以来当面した国家的出来事である。それは我々の胸にあるーー日本人の誰の胸にもある、共産党員の誰にもあるーー日本人意識を目覚ました。……我々は日本民族が、独立不羈の大民族として人類の社会生活を充実的に発展させた過去の歴史的民族的誇りを感じ日本民族の優秀性について確信を獲得した」「我々は『君主制廃止』のスローガンの大誤謬であったことを認めて、きっぱり捨てる。皇室に対し我々の認識が著しく一面的なりし事、大衆が皇室に対し抱く社会的感情と全く背馳するものであったこと……を潔く承認する。民族的統一と社会的発展とを如実に表現した日本国家は、民族を形成する広汎な勤労大衆の下から力を基礎として築かれている特質が著しく階級と階級との露骨に闘い合う組織体でなかったし、外部に対し奴隷生活をしたことが一度も無い。皇室の連綿たる存続は日本民族が独立不羈に、しかも人類社会の発展段階を正常且つ典型的に発展し来った民族歴史を事物的に表現するものだ。皇室がかくも統一的な民族生活の組織体としての国家の中枢たることは極めて自然である」云々。これからまた、こうなるのでせうか。すでにそうなっているという説もある。前後左右裏表のわからない妖怪がたくさん横行している。野中君と打ち合わせランチ。エベレストにのぼらなかった。眠気。(2015/02/10)

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天井裏.jpg 2015年02月10日

・ああ、吐き気がする。「憲法改正の歌」という、それは、もうどうにもならない歌がある。けふまで知らなかった。知るひつようもなく、ずっと知らないでいるほうがよかった。ともおもうが、なんだか迂闊だったな、と感じないでもない。作詞はあのヤスヒロ・ナカソネ、作曲明本京静。1956(昭和31)年4月、東京宝塚劇場でその歌の発表会があったらしい。うたったのは、歌のおばさん、安西愛子。引用するのもケガラワシイけれど、1番はこんな感じ。「嗚呼 戦いに打ち破れ/敵の軍隊進駐す/平和民主の名の下に/占領憲法強制し/祖国の解体はかり(謀り?)たり/時は終戦六ヶ月」。2番「占領軍は命令す/若しこの憲法用いずば/天皇の地位請け合わず/涙をのんで国民は/国の前途を憂いつつ/マック憲法迎えたり」。3番省略。4番「国を愛する真心と/自ら立てて守るべき/自由と民主平和をば/我が憲法に刻むべし/原子時代におくれざる/国の理想も刻まばや」。ニッポンも核武装しようといふことか。5番「この憲法のある限り/無条件降伏続くなり/マック憲法護れとは/マ元帥の下僕なり/祖国の運命拓く者/興国の意気に/挙らばや」。マックはハンバーガーじゃでなくてマッカーサー。大勲位受章の御仁のニッポン語。なんたるお粗末。それもさることながら、「この憲法のある限り/無条件降伏続くなり/マック憲法護れとは/マ元帥の下僕なり……」の文言のひどさよ。対米永続無条件降伏&「下僕」状態は、憲法ではなく、あんたらが米国に平身低頭してつくったんだろうが。しかしだ、この歌を作詞した男が1982年、 第71代首相になるのだから、今日の惨状はむかしから約束されていたようなもの。そのときの外相はと言えば、現恐怖党党首Aの父。他人事ではなひ。敵のほうがジミチな努力をしてきたのだ。こんなバカげた歌をこしらえた男を首相にしたのはコクミンであり、いままさに恐怖党とその党首Aに平和憲法解体をゆるしているのもコクミンである。ヘイトスピーチをやりたいほうだいにさせているのも、心根の腐ったコクミンである。バカコクミンとマスメディアは、ひとりのこらず不作為犯なのである。エベレストにのぼった。(2015/02/11)

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浄夜.jpg 2015年02月12日

・昨日、大道寺将司さんの新作を読む。体力の衰えと抗がん剤のつらさのなかでみちびきだされた一句一句。その深みに息をのむ。目が洗われ、こころが静まった。獄中に景色があり、獄外にはない。獄中に思想の海原があり、獄外はもう涸れた。今春、なんとしても会いにいかないといけない。けふ、マヒ、視床痛。エベレストにのぼらなかった。(2015/02/12)

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赤化ツバキ.jpg 2015年02月13日

・ダフネ帰りに生け垣のツバキをみたら、花弁の朱が花粉を染め、葉っぱにも朱が映っているのでおどろいた。コビトは電線にオウムがとまっているのを見た。きのう『昭和戦争文学全集』別巻「知られざる記録」を読む。そのうち1939年に書かれた有名な旅団長(終戦時、陸軍中将)の手記に目をうばわれる。およそわるびれるところなし。「……したがって抵抗するもの、従順の態度を失するものは容赦なく殺戮した、終日各所に銃声がきこえた」。殺戮は他者の非道を非難する語感をおびているとおもっていた。「殺戮した」とじぶんから誇らしげに、かつ、事務的に述べた例をはじめてみた。「殺」はもともとバサッと斬首することであり、「戮」は手足など身体をバラバラにするという漢語。これをあわせて、むごたらしく多くの人を殺すこと、となり、大量殺戮はあっても少数殺戮はない。罪の意識は皆無だったのだ。恬として恥じていない。そうだったのだ。さんざっぱら殺しておいて「大元帥陛下万歳を三唱し奉る」だとさ。うむ、助詞がただしい。「大元帥陛下万歳を三唱し奉る」ではないのだ。おい、フクシュショーを名のるエテ公、知ってるか?いやさかいやさか。エベレストにのぼった。(2015/02/13)

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樹と青空.jpg 2015年02月14日

・葉むらのすきまに青空が透けて、青がこちらがわにとろっと洩れてきている。神経がだいぶやられている。いや、まだそこまでではないかとおもいなし、だが、夜半に、危ないな、これはそんなにもつまいなと感じ、感じても詮ないとあきらめて、しばらく「歯車」を読み、寝る。「1945年に終わったものとは何だったか。『終わったいくさ』とは何だったのかということについては、私は『帝国』だと。かつて『大日本帝国』と自称していた『帝国』というものが『終わった』と考えるべきだと思います。また同時にそれは45年に『終わった』はずであったのが、実は終わっていない」「……実際には『帝国』の権力ときわめて連続性の強い権力構造というものを温存し、存続させてきてしまった」(高橋哲哉・ブックレット『アジア侵略のルーツ――近代日本の歴史認識を問う――』=9条の会・さいたま編=から)。これは敗戦後60年のときの講演(2005年8月14日)で話された。帝国の「存続(と復活)」の予言は的中している。ニッポンは戦争に懲りておらず、もしくは、かつて懲りたことをケロリと忘れている。エベレストにのぼった。(2015/02/14)

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シェード.jpg 2015年02月15日

・家永三郎『太平洋戦争』(岩波現代文庫版)。「いわば十五年戦争は治安維持法の国際版であったと言えるのではあるまいか」。むむむ。エベレスト登頂2度失敗。3度目、左尾根(泥濘)からトライ、成功。右尾根(草地)よりおりる。昨夜、ラ・タベルナ・コビトで食事。(2015/02/15)

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瓦礫.jpg 2015年02月16日

・「みんなひどくぴりぴりしていました。世の中がひっくり返ろうとしているところへきて、なぜだか強く身に危険を感じて不安になる――あたりが、どこもかもが危なかったのです。夜をただわけもなく怖がる、そんな極端なときにしか感じないたぐいの〈危険〉です。思い出せば、道を歩くみなさん真っ青な浮かない顔で、何かの前触れだとか、これから先のこととかささやくのですが、どなたもわざわざ繰り返したり、聞いたことにうなずいたりはなさいませんでした。国中はこれからとんでもない罰を受けるかのようで。星空の奥の深い闇から吹き流れる冷ややかな風に、人は暗くうら寂しいところで震えていました。四つの季節がめぐるなか、悪魔のような異変が起こる――時は秋で、暑さがいつまでも引かず、誰もが胸に抱くのです。この世界、いえもしかするとこの宇宙は、もう暴走するだけではないのか。わたしたちの知る神さまも、神さまの天候を操る力も、あるいはあずかり知らぬ力も、もはや及ばないのでは……」(NYARLATHOTEP H.P.Lovecraft 大久保ゆう訳)。そんなときです、おちょぼ口のあの男が、一頭の老けたオランウータンをつれてやってきたのは。何者なのか、本音はなにか、だれにもわかりません。「我を失い、感じるままのひとつの影が、手ならぬ手のなかでもだえ苦しみ、真夜中をいくら過ぎても、何も見えずにただ回るだけ。あたりには腐りゆく生き物、死んだ世界の死体だらけの、かつて街であった傷跡、死者をおさめる風が青ざめた星空を吹きぬけ、星々がわずかに輝く。あらゆる世界を超えてきた、化け物じみた何かの、ぼんやりとした幻。けがれた寺院の半分だけ見える柱は、空間の下の名状しがたい岩を足場として、光と闇の全域を超えた、めくるめく何もない空に向かってそそり立っています。そしてこの宇宙のおぞましい墓場にこだまする、くぐもる狂おしい太鼓の音、高く単調にかすれゆくこの世ならぬ笛の音。その源は、時の彼方の、人知を超えた、光なき複数の部屋。やがて呪わしい太鼓と笛の音に合わせ、そこでゆるやかに、無様に、そして愚かしく踊るのは、つつやみの、巨大な究極の神々――目もなく声もなく、心もない怪物の塊、そいつが化けて現れたものこそ……」(同)ニャルラトホテプ、すなわち、わたしたちが造ったのに、造ったものにわたしたちがのっとられ、もうそれを消すこともできなくなった「狂気」なのです。ダフネ。「もう何年ももつまいな……」。歳とった父娘らしい男女の、男がどろっとつぶやき、女がうなずいていました。エベレストにのぼりました。(2015/02/16)

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完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。


  

辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。 


  

辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。 


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