« 2016年3月の小出裕章ジャーナルなど。 | トップページ | 明日24日衆議院北海道5区補欠選挙の帰趨は、これからの全ての選挙・日本の政治に大きな影響を与える闘い! »

2016年4月18日 (月)

辺見庸 (日録)私事片々2016/03/25~から全保存 雑談日記Archive

 4月18日に削除状態。私事片々を今までと同様、アーカイブ保存しておきます。

 なお、辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで

 以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。写真が多いので、2エントリーずつアップします(表示順は元ブログと同じく上から降順です) 今回は1エントリーだけ。

 

2016年03月25日
日録2016/03/25~

私事片々
2016/03/25~
http://yo-hemmi.net/article/435736938.html

E58f8de5b084e8938b
反射蓋.jpg 2016年03月27日

・「日本ファシズムは、すくなくとも日本人と社会との底流に奥深く根を下ろしたものであり、その特質はこのような底流に鋭いメスを加えることなしには解明されえないのであり、そのような解明なしに未来を企図することも許されないであろう」(神島二郎『近代日本の精神構造』第一部「天皇制ファシズムと庶民意識の問題」1960年)。この本はS君に紹介された。かれに教わるまでこのクニに「桃太郎主義」というのがあったのを知らなかった。知っていたら『増補版 1★9★3★7』に書いていたのだが。過日、介護認定の検査があって要介護2から要介護1になった。からだはわるくなっているのに。感覚異常。エベレストにのぼらなかった。(2016/03/25)

E781af
灯.JPG 2016年03月27日

・夜、那須さんから大阪の写真展初日にいってきたと連絡あり。那須さん、赤阪さんたちのおかげだ。こちらは遠くで想像しているうちがハナ。今朝方か、インドネシアの木造の家にいた。3階建て。窓からみると、外の泥道を牛や犬があるいている。家畜の糞のにおいがただよってくる。わたしの家で見知っている男が見知らぬ女と寝ていて、男のほうがややバツがわるそうにおきてきた。わたしはとがめなかった。1階や3階に、現地の老人や子どもたちがなにするでもなくいたけれど、いたしかたのないことだとおもった。現地の女と寝ていたニッポンジンの男がだれだったかおもいだそうとしたが、終日わからずじまいだった。その3階の家でわたしはニッポンに電話しようとこころみたのだが、携帯電話の数字の突起(ゴツゴツしたボタン)を押しても突起がどうしてもおりず、電話は失敗した。0468……と押そうとしたのだが。あの3階の家をわたしはきらいではなかった。昨夜は安定剤だけで眠剤を飲むのをわすれた。エベレストにのぼらなかった。(2016/03/26)

E382a4e3838ce3838ee38395e382b0e383a
イヌノフグリ.jpg 2016年03月27日

・谷崎潤一郎のなんとかいう小説で「ぼくはあんたがきらいだ」という簡明なセリフがあって、なにかスッキリしていいなとおもった。谷崎ではなかったかもしれない。だれでもよい。ダフネにいった。サクッとJSFをしてもらう。エベレストにのぼった。麓に幼児、ベンチにその子の母親らしいバカ女がいて、わたしを不審者とみたか(そりゃそうだが)、あわてて幼児をエベレストからつれさっていった。気にせずエベレストにのぼる。犬ホテルの予約(2泊)をした。pacifismのつかいかたをかんがえる。いっぱんてきに、pacifism springs from the belief that nations do not matter, that "humanity is the great idea."とも言うけれど、オーウェルは“Pacifism is objectively pro-fascist. This is elementary common sense. If you hamper the war effort of one side, you automatically help out that of the other. Nor is there any real way of remaining outside such a war as the present one. In practice, 'he that is not with me is against me'.”と書いた。「pacifistが暴力を放棄できるのは、だれか他の者がかわりに暴力を行使してくれるからにすぎない」とも述べている。時代もある。オーウェルはリアルだ。Objectively the pacifist is pro-Naziとも記したことがある。pacifist = pro-Nazi!わたしはかつてそのことをあまり深くかんがえてはいなかった。いまにしておもえば、pacifistを自称するのは、あまりに安直で、敵前逃亡(のつごうのよい言い訳)に似るときがある。安倍でさえpacifismを騙ったりする。(2016/03/27)

E38280e38199e3818be3828a
ムスカリ.jpg 2016年03月28日

・肩痛。焼きごて。焼き火箸。ひきつり。ねじれ。感覚異常。ダフネ東口店に。途中ハナニラが咲いていた。さかゑさんが目玉の大きな、おかっぱの女児といた。さっそくJSFを提案されるも、おかっぱが目をくりくりとしてじっと見ているし、はげしい肩痛でそれどころではない。ので、おことわりし、かわりにといってはなんだけれど、ポラノンをすこひばかりわけてもらへなひか、ことさらにみじめったらしくたのむ。さかゑさん「あーらまあ、いま切らしてるのよ。犬用のポラリノンならあるけど。ははは。ドーベルマンとか大型犬用。どうせ基本はおんなじよ。むだ吠えしなくなるわよ。はは……」。目玉の大きなガキが暗がりでだまって見あげている。目が青くひかる。店内のだれかが、さもとくいげに「およそ、持っているひとはさらに与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていないひとは、持っているものまでも取りあげられるであろう」と言っている。なんだかいらいらする。「マタイ13:12よ」とさかゑさん。とても冷静だ。「JSFでじっちゃんのしわくちゃチンチン、無償アップグレードしなひ?」とひつこい。目玉のガキがわたひにむかい「バカ」と声をかけてくる。「マル、マル……」と、すかさずわたしの口が応じている。女の子はたしかにインドネシアのわたひの家(焦げ茶色の木造3階建て)にいた子だ。わたしのなした子かもしれなひのだ。肩と手が痛ひ。筋や皮膚がぴくぴくかってにひきつる。ポラリノンをもらう。さかゑさん、ありがたう!大型犬用の抗うつ薬でひとの視床痛がなおるもんだろうか。ひきつりが。ねじれが。ポラノンもポラリノンも基本はおんなじだという。犬のニセの多幸感とひとのニセの多幸感は、質的に同一か。だが、それをわかることが重要なのではない。痛みが消えるのが大事なのだ。鎮痛がニセでもニセでなくても。エベレストにのぼった。だれもいなかった。さらにテラスを反時計回りで10周。ヨーゼフ・ロートのあの小説は、岩波文庫の『聖なる酔っぱらいの伝説』(池内紀・訳、全5篇)の第一番目にかかげられている。ナチス台頭前夜をえがいた、じつにたぐいまれな傑作だ。1923年作。かつて舐めるやうにして読んだ。いま、すべてはドブ、コエダメ同然。2015も2016も、なくていい。(2016/03/28)

E79cbae38281e3828b
眺める.jpg 2016年03月29日

・ロンドンのハースト&ブラケット社が刊行したヒトラー著『わが闘争』(英国人エドガー・ダグデール訳 MY STRUGGLE)の再版本には、〈本書からの利潤はすべて赤十字に寄付する〉とうたった新しいカバーがつけられていたという。1930年代に同社から出版された『わが闘争』無削除版は、ジョージ・オーウェルによれば、ヒトラー擁護の立場で編集された。「訳者はその序文と注で、あきらかにこの本の残忍さを弱め、ヒットラーをできるかぎり好意のもてる人物に仕立てようとしている」(オーウェル「書評――アドルフ・ヒットラー著『わが闘争』1940年)。オーウェルはおどろくべき率直さで書いている。「わたし(オーウェル)は、自分が一度もヒットラーを嫌いになれなかったことを、はっきり言っておきたい」「……わたしは、もし手の届くところまで近づければぜったいに彼(ヒトラー)を殺すだろうが、それでも個人的な敵意を抱くことはできまいと考えてきた」。後知恵ではない。ナチスドイツによる「ザ・ブリッツ」(The Blitz、ロンドン大空襲、1940年9月~41年5月)のころの実時間にそう記している。そのことにおどろく。pacifist、pacifismをpro-Nazi、
pro-fascist呼ばわりしたオーウェルには、そう言うだけの骨があった。国会前で戦争法施行賛成のハナクソテモがあったらしい。えっ、安保法制反対?あれが?エベレストにのぼらせていただきました。(2016/03/29)

E3839ee383b3e382b5e382af
マンサク.jpg 2016年03月30日

・オーウェルのヒトラー描写の卓抜さといったらない。「それ(ヒトラーの顔)は憐れみをさそう犬のような顔というか、耐えがたい虐待に苦しんでいる男の顔である。やや男らしいところはあるものの、無数にある十字架上のキリストの絵の表情にそっくりなのだ。そしてヒットラー自身が、自分をそういう目で見ていることはまちがいない。……彼は殉教者であり、犠牲者なのだ。……われわれはナポレオンにたいする時のように何となく、彼は運命と闘っている、勝つことはできまいが勝ってもいいではないかといった気持ちになる。こういうポーズはきわめて魅力的なものだ。映画の主題の大半はこれなのである」(小野寺健・訳)。安倍だってときどき「憐れみをさそう犬のような顔」をし、ひどく傲岸な目つきをするかとおもえば、知的劣等感にさいなまれる者のもうひとつの顔、すなわち殉教者面をよそおう。じつのところ、多少見識のあるひとびとは、与党の大物から国会前のハナクソテモ(あれはデモとはいえまい。ニュースピーク的にいえば、せいぜいがtemo=temonstration)参加者まで、安倍を内心、見くだしていた。安倍はじぶんがひそかに見くだされていることをよく知りつつ恨みを燃やし、それをパッションとしてのしあがってきた。だが、報道の自由度世界61位という栄えある極東の弧状列島ジャパンには、安倍を「憐れみをさそう犬のような顔」「知的劣等感のかたまり」「貧相な下痢男」と書けるジャーナリム(とその自由、その発意、その創意)はない。かくして「人間は、すくなくとも時によると、闘争とか自己犠牲を望むものだし、太鼓とか旗とか観兵式などが好きなのは言うまでもない。経済理論としてはともかく、心理学的には、ファシズムとナチズムはいかなる快楽主義的人生観よりはるかに強固なのである。おそらくスターリンの軍国主義的社会主義についても同じことが言えよう」という、オーウェル1940年の言説は依然、一読にあたいすることとなる。われわれは当面、〝イチオクソウカツヤク〟(筋障害)社会で汚物をひりちらかして生きるほかはないのだ。安倍をみくびってはならない。共産党をみあやまってはならないように。おなじくオーウェルに「素面のときはコミュニストなのに、酔ったとなると熱烈な愛国主義者になる」男がでてくる(『パリ・ロンドン放浪記』)。しかも「手に負えない排他的な愛国主義者」だ。男たちはインターナショナルもラ・マルセイエーズも春歌もうたう。声たからかに。心をこめて。労働歌とキミガヨをおなじ口でうたうのとさしてかわらない。よひよひがはげしく、エベレストにのぼりはしなかったのであった。(2016/03/30)

E38186e38281e381a1e38283e38293
うめちゃん.jpg 2016年03月31日

・エベレストにのぼらず。(2016/03/31)

E382a6e382a9e383abe381a1e38283e3829
ウォルちゃん.jpg 2016年04月01日

・エベレストにのぼらなんだ。(2016/04/01)

E38389e382a4e38384e381aee58891e58b9
ドイツの刑務所.JPG 2016年04月08日

・どうしたわけか、The Dancer UpstairsのこととかBaader Meinhofのこととかを、タールの海でおぼれるようにして、しばらくぼんやりとかんがえていた。前者はSendero Luminosoの話だから、できごとと時空間をいっしょくたにはできないと言えば、たしかにそうだ。ただ、まったくことなる両者は、げんざいの描かれ方、イメージのされかたにおいて、ほぼおなじい。滑稽なほどに。凶暴、凶悪、冷血、短絡、無知、浅薄、無個性、無思考、思索ゼロ、そろいもそろってヘビースモーカー。ステレオタイプな世界観・人間観・国家観の、それらのおなじくステレオタイプな表裏のどちらかに、われわれは意味のない染み(番号)として張りついているようにしいられている。この間もっともよく学習したのはだれだろうか?おそらく国家(の暴力装置)と資本だろう。いつまでもいつまでもひとびとは代をついでアホになっている。「テロにも戦争にも反対!」と叫ぶのに脳みそは1ミリグラムもひつようではない。「政治は、かかわるわるすべての人間をパーにする」と言ったのはガレル(『自由、夜』)だったか。悪がどこまでも凡庸なように、善も悪と見まがうほどそらぞらしく反動的であり、つまり両者にはまったく境界がなくなった。人間はどこまでもどこまでも、いつまでもいつまでも、敗北と隷属の過程を、笑いながら(ときに誇らかに!)あゆんでいる。にしても、「ドイツの秋」(Deutscher Herbst)にせよ、伊の「鉛の時代」にせよ、この時間のどこかにまだそれらの痕跡がのこっていないわけがない。 いまだってYears of Lead の最中ではないか。つづくのだ。さらにさらにひきつづくのだ。leadの雨が降るだろう。鉛が降る。横なぐりに。斜交いに。そんなことを大阪で話したわけではない。だが、感じているらしいひとはたしかにいた。アントナン・アルトー『後期集成』はおもしろい。飽きない。不意にすくわれる。けふ、最悪の感覚異常のなか、エベレストにのぼった。(2016/04/08)

E382a4e38381e382b4
イチゴ.jpg 2016年04月09日

・エベレストにのぼらなかった。(2016/04/09)

E382ade382b8e38390e38388e381aee5b7a
キジバトの巣.jpg 2016年04月10日

・キジバトが踊り場の梁に巣をこしらえた。親鳥が抱卵中らしい。いつもどこかの子どもか管理人が巣をこわしてしまう。こわすことはない。ダフネの帰り、親鳥はまだいたのだが、携帯のシャッター音を聞きとがめて、飛んでいった。わるいことをした。巣は管理人や子どもがこわすのでなく、卵がかえらなかったり雛がそだたなかったりすると、親鳥がこわすこともあるらしい。そのとき親鳥はどのような(無)意識なのか、はかりがたい。ダフネの洗面所にはめずらしく「もろ肌脱ぎのルツ」がいてサービス中だったのである。ドアごしにただいまJSFですか、と問えば、モアブ人はみごとなヌッポン語で「ううん、このスケベオヤジいつもVLFなの。めっちゃひつこいのよ」。わたしは、そこにナオミもいるかきいたのだ。ルツはなにかくわえたままなのであらう、くぐもった声で「んんん、ナオミちゃん、いねよ。……オラ、(ナオミが何処か)シャネッチャ」と答えてくれた。しかたがない、JSFもVLFもなしでダフネをでて、エベレストにむかう。麓に私服がなんにんかいたが、べつにいいじゃないですか、かまわずのぼる。成功。ムスカリはほとんど枯れる。あるかたからつまらぬ質問があったので書いておく。日本共産党機関紙赤旗による(『1★9★3★7』にかんする)インタビュー要請・ドタキャン事件についてのわたしの態度はげんざいも0.01ミリも変わっていない。すこし変わったとすれば、この党に以前よりさらに失望したことぐらい。徹底的にダメなのは、この党が相も変わらず、党の内外からの都合のわるい質問、批判を無視、圧殺していることだ。それかあらぬか、君たち日共幹部は、脱いではいけないパンツまで脱いでみせて、みたくもない腐ったイチモツをさらけだしはじめた。選挙目あてのファッショ諸派との野合、天皇制にかんする重大な路線転換。わたしの質問には、公式にも非公式にも、なんの回答もなかった。その間、わたしはすこし学んだかもしれない。「あったこと」を「なかったこと」にしてしまう、「集団芸」の薄気味わるい巧みさと、暗黙のうちにみんなでそれをやりとげてしまう手法において、あんたがたはむかしから国家権力あるいはファシストと大差ないのだな、と。けだし情けないのは、みながそれを台本どおりやりぬいて、およそ例外ということがないことだ。『動物農場』の世界をまだはりつけているあなたがたに言うべきことばはない。そのようなことは万万一にもないだろうけれど、日共が政権をとったら、わたしはそれを(もちろんひとりで)転覆してみたい欲望をどうしても禁じえなくなるだろうし、あなたがたはそうした衝迫を「反革命」とよんでまちがいなく弾圧してくるだろう。赤旗のインタビュー要請ー理由をあかさぬドタキャンー沈黙ー無視のプロセスには、権力に目がくらんだパルタイの、どうにもならない知的荒廃がありありとみえる。したがってもう書くにもあたいしない。わたしの立場は0.001ミリも変わっていない。正義ぶるスターリニストは、バカな右翼より、よほど手がつけられない。『1★9★3★7』が、あの連中のあいだでは、事実上の「禁書」となっているらしいことを、わたしは光栄におもふ。ハネケのDVDを1本注文した。注:JSF=just short fuck/VLF=very long fuck(2016/04/10)

E38389e382a4e38384e381aee5a49c
ドイツの夜.jpg 2016年04月10日

・けふは非常階段の踊り場にもう1羽キジバトがきていた。べつの1羽は梁にこしらえた巣で卵を抱いている。踊り場のキジバトは手すりにとまり、巣と卵とパートナーをまもっているつもりらしい。どちらが雄か雌かわからない。踊り場のキジバトはわたしがすぐちかくをあるいても逃げない。こちらに害意がないのがわかるらしい。キジバトとわたしのあいだに、なんとなく〈たがいが存在すること〉にかんする暗黙の了解がうまれている気がする。2000年代初期に毎日新聞から刊行した『永遠の不服従のために』『いま、抗暴のときに』『抵抗論』の3部作(後に講談社文庫)が『永遠の不服従のために――辺見庸アンソロジー』として、鉄筆から今夏、再編出版されることになった。そのための書き下ろしにけふ着手するよていだったのが、かんがえごとをしていて延期。「世界」3月号の死刑問題特集を読む。かつて死刑執行命令をした千葉景子・元法相のインタビュー記事にあきれた。国家が人を殺すという「根底の悪」とそれへの自身の直接的かかわりへの視線があまりにも浅い。読んでいてこちらが恥ずかしくなるほどだ。千葉景子はかつてもいまも首尾いっかんしている。自他の人間存在(内心)への「おそるべき鈍感」でいっかんしている。disgusting!「国家は恐怖の上に持続的に身を持しており、何としてでもそれを維持しなければならない。というのも、国家は恐怖からその本質的機能と正統性を引き出しているからだ」(「法治国家から安全国家へ」西谷修=訳)と言ったアガンベンはとてもただしい。国家はじつのところ、テロルをひつようとしているのだ。それがないなら、密かにそれをつくるのである。ところでわたしはひとりのテロリストより、ひとりの千葉景子を厭う。エベレストにのぼった。ダフネにいかなかった。(2016/04/11)

E382ade382b8e38390e38388e5b7a3
キジバト巣.jpg 2016年04月12日

・昼前に見たら、非常階段の梁の巣にキジバトがいなかったのだ。手すりにもとまっていない。どうしたのだろう。気が沈む。動揺する。歩きがいっそうわるくなる。ダフネのB2で火曜聖書講話会。参加するとJSFが300円(身障者・自衛隊は350円)割引き。VLFは500円割引きの特典があるので地下へ。3度目だ。大木金太郎さん似の牧師がエゼキエル書をやっていた。37章「枯れた骨が生きかえる」。斜めまえの席にさかゑさんがいてウインクしてきた。やがてさかゑさんの字が書かれた紙片が手から手へとわたされてわたしのもとに。「×××に息を吹きつけよ(נָפַח)。さすれば×××はびんびん生きかえる(הָיָה)」「上でまってるわね」とある。誘いだ。×××とはなにか。わかっている。JSFをしながら、さかゑさんが、だるそうに言う。ヒロシマもずいぶんばかにされたもんよねえ。でっかいトイレ顔のケリーにますますでかい顔されちゃってさ。なによこの究極のアホ報道。「恐るべき終局がはじまった」(24章)のよ……。わたしは関心がなひ。心中ひたすら全員殲滅希望。着弾命中祈願。JSFさくっと済まし、350円割引きしてもらひダフネをでる。エベレストにのぼらせていただく。非常階段の梁の巣にキジバトがもどっていた。うれしい。卵かへりますやうに。(2016/04/12)

 

関連:去年行ってきました。2015年12月19日 辺見庸 横浜講演会のpodcast

 

関連記事:

特集ワイド
この国はどこへ行こうとしているのか 東日本大震災5年 作家・辺見庸さん
毎日新聞2016年2月26日 東京夕刊
http://mainichi.jp/articles/20160226/dde/012/040/002000c

20160226dd0phj000186000p9
作家の辺見庸さん=東京都内で2016年2月15日、竹内幹撮影

美談で隠す「戦争」体験 従順、調和重視…国民性利用する政府

 東京郊外にある料理店で待っていると、窓越しに作家、辺見庸さん(71)の姿が見えた。前回の取材から3年。脳出血によるまひで、右手をみぞおちのあたりに持ち上げたままの姿勢は変わっていないが、足元を見ながら歩くリズムは幾分遅くなったようだ。

 辺見さんとのやり取りは常に刺激に満ちている。だから、席に着くなり「震災から間もなく5年になりますが、それに絡めたお話を」とお願いした。

 辺見さんも余計な前置きはしない。「僕がずっと読み込んできた戦争の話と震災を短絡させるのは何なんだけど」と、すぐに語り始めた。

 「3・11を単なる自然災害と決めつけてしまうのはいけないんじゃないかな。東日本大震災は戦争経験に近いものだと思う。それまで、戦後の日常で露出してこなかったもの、むき出しになってはいけないものが、はしなくも出てきてしまった瞬間というのか。例えば、カメラマンがどう隠そうにも、フレームのはしばしに出てしまう死体の映像がそうだよね」

 5年前。大津波に襲われた直後の東北沿岸部は爆撃を受けたような状態だった。辺見さんは続ける。「米軍の支援活動や、アメリカの駐日大使や天皇が被災者を慰問している映像を見ていると、震災は戦時的なイメージととらえたほうが分かりやすい。まさに戦争状況なんです」

 辺見さんが生まれ育った宮城・石巻の町の風景も大津波が奪った。メディアは定点観測で時の流れを表そうとするが、辺見さんは上辺だけの表現を嫌う。「テレビのクルーも独創的な特集を作ろうなんて発想ないよ。何周年って言っては被災地に入って、定食屋の弁当みたいに同じ物を作っている」。そんな考えもあり、震災を軽々しく語ってこなかった。

 東京電力福島第1原発事故についても、こう見ている。

 「チャイナシンドローム(炉心溶融)、いや、核爆発のイメージだね。まさに戦時だと思うけど、政府はこうした空気をうまく利用している。安倍晋三政権が憲法9条の改正よりも先に、憲法に緊急事態条項が必要だと言い出したのは、“例外状態”を作り基本的人権を制限したいから。まさに3・11と今後起きるだろう巨大地震を、単なる災害ではなく戦争と同等にとらえ、言論統制を恒常化しようとしている。一方、民衆は強い指導者を求めようとする。現政権は大衆の移り気と大勢順応的メディアの習性を熟知している。戦後民主主義のメッキが剥がれて、またぞろ全体主義的な実相がむき出しになってきている。北朝鮮がもし日本にミサイルでもぶっ飛ばせば、愛国心が一気に強まり、日本の政治状況は今よりもっと翼賛化するでしょう」。政府は震災をテコに、あるいは利用して、この国を変えようとしていると言うのだろうか。

 話が一段落したころ、辺見さんはさりげない感じで切り出した。「僕もあと1、2年の命だと思うから……」

 2004年に脳出血で倒れ、05年には大腸がんが見つかり、外科手術や放射線治療を受けてきた。「これが最後だ」という思いから出た言葉なのか。

 病と闘いながら00年代から「ファシズム」という言葉を鍵に、日本の状況をあぶり出してきた。今月19日に亡くなったイタリアの作家、ウンベルト・エーコ氏らを引用しながら説く現代のファシズムを次のように短く要約してみた。

 第二次大戦で独伊の独裁者が突き動かした全体主義のようなあからさまな抑圧ではない。責任を負う中枢も本質もはっきりせず、市民一人一人の内面に癖(へき)や処世という形ではびこる。メディアの自粛や、権威や他者を異常に気にするそんたく、奇妙なムードづくりがその典型−−。

 辺見さんは震災後の日本にそれを感じている。

20160226dd0phj000197000p9
復興祈念公園の整備を計画している宮城県石巻市の南浜地区。大津波は沿岸部を破壊し尽くした=2015年12月20日、本社ヘリから佐々木順一撮影

 「みんなで『花は咲く』を歌って、なんとなくまとまる気持ち悪さ。この前、日本人をたたえるNHKの番組を見ていたら、『ニッポンすごい』もここまで来たかという感があったね。援助物資を受け取る時に列を乱さない日本人は美しいと言うけれど、僕は薄気味悪い。どうしてもっと言挙げしたり、怒ったり、嘆き悲しんだりしないのかって。遺体から指輪を持ち去った話なんてのは隠されて、美談ばかり並べて。日本人には大きな出来事の背景に聖なるものを感じてしまう癖があるんじゃないか。冗談を言ったり、場違いなことをしたりしてはいけない雰囲気がすごく嫌だね」

 「サムライ」や「なでしこ」といったイメージをかぶせ、正直で勤勉で調和を重んじる「美しい日本」を自らうたう社会。日本人の持ち味と言われる従順、恥の感覚をことさら強調するムードが、辺見さんは嫌いなのだ。

 「原発事故の責任をあやふやにしたまま、『花は咲く』で覆い隠すかのように原発も武器も輸出する。3・11の時に予感した以上のことが5年後にはっきり起きている。予感以上の進行速度で」。原子力行政の責任や罪が問われないまま、原発を再稼働させて先に進もうとする政治、社会を批判する。

「忘れたふりにたけている」

 「ヘイトスピーチなど排外的なムードもここ5年で急速に目立ち始めた。排外姿勢や原発輸出は安倍内閣だけでなく世論が許している。あえて短絡的に言えば、戦争を起こすのはたやすいと思う。戦争とは呼ばなくても、局地戦は簡単に起きるなあ、と」

 辺見さんは新刊「1★9★3★7」で、日本軍が南京大虐殺を起こした年に焦点を当て、日本人の内面に共存する「獣性と慈愛」を探ろうとした。「1937年7月、日本が中国侵略を本格化したあの時、誰も戦争だなんて思わず、国民はのんきに暮らしていた。震災5年の状況もどうしてもそこに重なってしまう」

 執筆には個人的な動機もあった。中国に出征し、戦後、母に言わせれば「お化け」のように人が変わった父の内面にわけ入り、自分をも含めた日本人を考えたかった。

 父は、訪ねてきたかつての上官に真剣な表情で敬礼してみせた。子供の空気銃でスズメを1発で撃ち落とした時の恐ろしい目。暇があればパチンコ台に向かい、抜け殻のようになっていた姿……。

 中国人を殺したのか。それを聞き出せないまま父は逝ったが、「長く、父親がしたことを自分の問題として考える意欲に欠けていた」。その思いが震災後に湧いてきた。

 「僕は中国で長年特派員をしていましたが、自分は父親とは何も関係なく、何も受け継がず、忘却する権利があると思っていた。ところが先が長くないと思い始め、今の世の中の状況を目にすると、やけに気になる。自分で『自らの記憶に決着をつけたい』という思いで、取りつかれたように本を書き始めたら、基本的な事実を知らないだけでなく、知ろうともしていなかった自分に、びっくりしたんです」

 <おずおずと父のいた過去を覗(のぞ)く。すると、かれの記憶の川が、知らず知らずに、まだ生きてある私の記憶の伏流にながれこんでくる気がしてくる>(「1★9★3★7」)

 多くの文献、資料に当たるうち、元兵士の証言から浮かぶ情景が辺見さんの頭から離れなくなる。「原野で兵士2人が、別々に中国人女性を犯しながら互いに手を振り合う。その様子を見ながら行軍している兵隊たちが小銃を振り上げ『がんばれ!』と言ってげらげら笑っている。でも、彼らに犯罪意識はなかった」。天皇制軍国主義がもたらした、すさまじい負のイメージを感じる。

 戦後の日本人は忘れっぽいとよく聞くが、辺見さんの見方は違う。「忘れたふりをして昔を残しておく。そのそぶりに非常にたけている。過去の過ちも責任もあいまいにして、忘れたふりをするには、鉛のような無神経さが必要。それが日本人の意識の底にずっとあると思う」

 震災で現れた「むき出しの日本」。原発事故で今も約10万人の避難者がいるのに、責任があいまいな状況を許すこの国の姿と、日中戦争での皇軍の姿が辺見さんの中でつながる。戦争被害者が被災者に重なるということではない。自らの行いを深く自問せず、さしたる葛藤もなくやり過ごすところが、今の日本人につながる、と。

 時空を超え、連綿と続く自分たち自身の危うさを知れ。辺見さんの語りには、そんな提言が込められているように思える。【藤原章生】

 ■人物略歴

へんみ・よう
 1944年宮城県石巻市生まれ。共同通信記者を経て52歳で独立。小説「自動起床装置」で芥川賞受賞。精力的に執筆活動を続け、小説、ノンフィクションの著書多数。最新刊は「増補版1★9★3★7(イクミナ)」(河出書房新社)。

始めに戻る


  

完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。


  

辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。 


  

辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。 


|

« 2016年3月の小出裕章ジャーナルなど。 | トップページ | 明日24日衆議院北海道5区補欠選挙の帰趨は、これからの全ての選挙・日本の政治に大きな影響を与える闘い! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/91038/63507050

この記事へのトラックバック一覧です: 辺見庸 (日録)私事片々2016/03/25~から全保存 雑談日記Archive:

« 2016年3月の小出裕章ジャーナルなど。 | トップページ | 明日24日衆議院北海道5区補欠選挙の帰趨は、これからの全ての選挙・日本の政治に大きな影響を与える闘い! »