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2016年11月30日 (水)

2016年11月の小出裕章ジャーナルなど&自由なラジオ Light UP!

 毎月、月末に表示するようにしておきます。

前月のは⇒2016年10月の小出裕章ジャーナルなど。 

 

20161128 報道するラジオ 「“トランプノミクス”を徹底分析」
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https://www.youtube.com/watch?v=xUw3L8iRuiA

2016/11/28 に公開

概要:
■2016年11月28日【月】 「トランプノミクス」を徹底分析

きょうは、トランプ次期大統領の経済政策=トランプノミクスに
スポットをあてます。
選挙期間中、トランプ氏の暴言はよく伝えられてきましたが、
経済政策の中身はあまり知られていません。
それでも、株価は上がり、市場の期待が見てとれます。
TPP離脱など保護主義、法人税や所得税の減税、
インフラ整備など大規模財政出動が言われていますが、
具体的にはどんな政策が行われることになるのでしょうか。
それは世界にどんな影響があるのか、そして実現可能なのか、
徹底分析します。
ゲストは、経済ジャーナリストの町田徹さんと、
国際ジャーナリストの堤未果さんです。
お二人へのご意見・質問を、メール・FAXでお寄せください。

報道するラジオホームページ
http://www.mbs1179.com/hou/ 

 

20161125 自由なラジオ #35「小出裕章ライトアップジャーナル」
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https://www.youtube.com/watch?v=B45hKFetesw

2016/11/25 に公開

概要:
福島県双葉町現地ルポ
いまにしのりゆき
大沼勇治さん
小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所)

寄付・カンパは、
城南信用金庫 店番:大井支店 003 口座番号:普通 862014 ジユウナラジオ
郵便振替 00920-0-309110 口座名 自由なラジオ
ゆうちょ銀行四〇八店 普通6855587 シャ)自由なラジオまで

自由なラジオ Light Up!【公式】
http://jiyunaradio.jp/ 

Twitter【公式】
https://twitter.com/jiyunaradio 

 

20161121 報道するラジオ 「変わる自衛隊の役割」
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https://www.youtube.com/watch?v=YB2dcflVrI8

2016/11/21 に公開

概要:
■2016年11月21日【月】 変わる自衛隊の役割

南スーダンの国連平和維持活動(PKO)で、
「駆けつけ警護」などの新任務を付与された陸上自衛隊の部隊が、
きのう、青森空港を出発しました。
駆けつけ警護は、去年成立した安全保障関連法にもとづき、
武装勢力に襲われた国連やNGOの職員を、
PKOに参加している自衛隊員が助けに向かう任務ですが、
政府は、限定的な運用であることを強調しています。
今夜の報ラジは、
先日シリアで身柄を拘束されたジャーナリストの常岡浩介さんを
スタジオに招き、
軍事ジャーナリストの前田哲男さんに電話をつなぎます。
新任務で、自衛隊員が命を落としたり、市民の命を奪うようなことにはならないのか、
駆けつけ警護の対象となる民間人はそれを望んでいるのか、
トランプ大統領は自衛隊にどんな役割を求めてくるかなど、
気になる点を2人にお聞きします。
質問のある方は、メール・FAXでお寄せください。
報ラジの前、よる7時からは、
報ラジに去年出演いただいた元海軍兵の語り部・瀧本邦慶さん(94歳)を追った
報道ドキュメンタリー「語り部をやめたい?94歳の夏」を放送します。
こちらもあわせて、お聞きください。

報道するラジオホームページ
http://www.mbs1179.com/hou/ 

 

20161121 報道するラジオ特番 「語り部をやめたい~94歳の夏」
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https://www.youtube.com/watch?v=mEQU8N8XdBI

2016/11/21 に公開

概要:
■2016年11月21日【月】 平成28年度 文化庁芸術祭参加作品 語り部をやめたい~94歳の夏

報ラジにも出演いただいた元海軍兵の語り部・瀧本邦慶さん(94)を追ったドキュメンタリー放送。
瀧本さんは真珠湾攻撃やミッドウェー海戦に参加し、学校などで戦争体験を語っています。
今年「語り部をやめたい」と初めて話した思いに迫る「語り部をやめたい~94歳の夏」

前回放送
20150724 報道するラジオ「戦後70年~敗北の始まり“ミッドウェー海戦”の真実」
https://youtu.be/MFX5ZgPKjOA

 

20161119 自由なラジオ #34「ライトアップジャーナル▽今中哲二」
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https://www.youtube.com/watch?v=azvkw9WQgZo

2016/11/18 に公開

概要:
こんなにも地震が多いのに、原発再稼働していいの?

寄付・カンパは、
城南信用金庫 店番:大井支店 003 口座番号:普通 862014 ジユウナラジオ
郵便振替 00920-0-309110 口座名 自由なラジオ
ゆうちょ銀行四〇八店 普通6855587 シャ)自由なラジオまで

自由なラジオ Light Up!【公式】
http://jiyunaradio.jp/ 

Twitter【公式】
https://twitter.com/jiyunaradio 

 

20161114 報道するラジオ 「新大統領トランプの舵取り」
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https://www.youtube.com/watch?v=AlKHlXqBrYk

2016/11/14 に公開

概要:
■2016年11月14日【月】 新大統領トランプの舵取り

年明けにはトランプ大統領がアメリカの指揮をとります。
まさかの出来事に、日本の安倍総理だけでなく世界の首脳がトランプ氏とのパイプ作りを急いでいます。
それだけ、トランプ新大統領がどんな行動にでるかわからないからでもあります。

日本に大きな影響を及ぼす「TPP」や「在日米軍」などの問題、
世界に波及する「移民」「イスラム諸国」「ロシア、中国との関係」などの問題、
トランプ新大統領がどのような舵取りをするのか、
大胆に分析します。

スタジオにはトランプ氏の勝利を見通し、トランプ氏の政策を細かく見ている
国際ジャーナリストの堤未果さんと
クリントン氏の勝利を信じて疑わなかった
パトリック・ハーラン(パックン)さんに来てもらいます。

お二人への質問をお待ちしています。

報道するラジオホームページ
http://www.mbs1179.com/hou/

 

20161107 報道するラジオ 「最期の迎え方」
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https://www.youtube.com/watch?v=3OYpJzYPi9U

2016/11/07 に公開

概要:
■2016年11月 7日【月】 最期の迎え方

11月11日は介護の日です。
親や家族の介護のあと、人生の最後をどのように看取るのか、
また自分の最期をどのように迎えるのかー。
人は最期を自宅で迎えたいと思いながらも、8割の方が病院で亡くなっているようです。
延命治療が進んでいる日本では、老衰の末期であっても何か医療を施さなければという時代。
2000年代に入って、口から食べられなくなったら人工的に栄養補給として胃ろうを造ることが急増しましたが、
近年、自然の摂理に沿って最期を迎えるという考え方もでてきました。
きょうはたくさんの方の最期を見届けてきた特別養護老人ホーム「芦花ホーム」常勤医の石飛幸三さんにお越しいただき、
誰にでも必ずくる人生の終わりをどう受け止め、
見送る側も見送られる側も”納得のいく最期とは”についてじっくりとお話を伺っていきます。
リスナーの皆さんからは親や家族の介護や最期の迎え方についての悩みなどメール・FAXでお寄せください。

報道するラジオホームページ
http://www.mbs1179.com/hou/ 


 

雑談日記は良質な情報への中継点
と、に参戦中。

 

※原発関連で3冊:

知事抹殺 つくられた福島県汚職事件 佐藤 栄佐久

隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ 小出 裕章

原子炉時限爆弾 広瀬 隆


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2016年11月 6日 (日)

辺見庸 (09/07)日録 私事片々 2016/09/07~と、(10/31)日録から全保存 雑談日記Archive

 2016年(09/07)日録と(10/31)日録がアップ後削除されたので、私事片々を今までと同様、アーカイブ保存しておきます。

 なお、辺見庸さんの(日録)私事片々の雑談日記Archiveを始めようと思ったメモなどはこちらで。辺見さんがよく言う「エベレスト」についてはこちらで

 以下、辺見庸ブログの(日録)私事片々をすべてアーカイブ保存しておきます。今回は2エントリー(表示順は元ブログと同じく上から降順です)。(09/07)日録は写真が1枚だけでアップ後削除まで1カ月近く更新なし。(10/31)日録は11月1日にアップ後、削除が5日後の今日でした。

 

2016年10月31日
日録
http://yo-hemmi.net/article/443282221.html

私事片々
2016/10/31~

昨日はカバーの色校(現物!三校)を、ためつすがめつして日が暮れた。なんて贅沢!色校をみるなんて何年ぶりだろう。きょうびはなんでもよくはしょる。はしょられる。原稿のやりとりはメールでチョチョイのチョイ。色校がでても著者はスルー。ゲラを平気で読みとばす編集者。念校もろくにチェックしない。ウィキペディアごときで事項を「参照」する校正者。まるで排泄でもするように本をだす。誤植、脱字、誤表記……あるのがあたりまえ。平気の平左だ。

こんかいはちがった。編集者も校正者も、原稿にしがみつき、ゲラをねぶるようにして読んでいた。国会図書館にかよってくれた。やっと終わった。ほんとうにやっとだ。やっと。これで解放されるかどうかはべつにして、やっとケリをつけた。1★9★3★7(イクミナ)。初版→(版元が変わり)増補版→重版をへて、修正・改稿・加筆(120枚以上)して、先週金曜夕、角川文庫版が校了。新章(「毛沢東と三島由紀夫と父とわたし」)を左手だけで書き下ろした。1★9★3★7は生まれかわる。こまかな加筆分をふくめると130枚をかるくこえるだろう。上下巻に分冊した。疲れた。

どのみちただではすまない本だ。これまでもいろいろあった。これからもあるだろう。呪われた日本近現代史の禁忌に手をつけるというのは、こちらもなにがしか、だれからか、呪われるということだ。無傷でやるのは虫がよすぎる。いたしかたのないことだ。けっきょくは炙りだされる。向こう傷はさけられない。不勉強。不見識。ものの見方の深浅。覚悟の有無。政治党派とメディアの体質。宿痾。無意識のファシズムと気づかざるスターリニズム。いきつくさきは、やるかやられるか、だ。やられるまえに、やる。やられたらやりかえす。

カバーの原画は山下清の貼り絵「観兵式」。なんと1937年の作品!これを発見したのはDさん。さすがの眼力だ。上下巻を左右にならべると、中央で(だれかを挟むかっこうで)ヒノマルが交差し、軍事パレードがうごきだし、群衆が万歳をし、ぜんいんで歓呼する昔日の光景が展開する。鈴木成一さんの傑作デザイン。帯をはずして全景に見入ってしまう。この原画が加筆のバネになった。ニッポン式ファシズムのとぎれない連続性。加筆作業中、視床痛なんどか。激痛が執筆をたびたび弾圧。

1★9★3★7の呪縛にあった今春に、母が逝った。さんざあしざまに書かれた父はもういない。マヒがすすみ、あまりあるけなくなった。墓参もしていない。ただ、文庫版の加筆・編集を終えて、ほんのすこしだけホッとしている。『1★9★3★7』は2016年11月下旬、生まれかわる。やるかやられるか、だ。エベレストにのぼらなかった。(2016/10/31)

SOBA:辺見さんが上記言及している山下清の貼り絵「観兵式」関連の最近の記事『(01/31)文庫イクミナ』を採録。また、山下清関連の動画や関連画像も採録

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ムシIMG_1060.JPG 2016年11月01日

本日エベレストにのぼった。ふらついたが、ほぼ成功。倒れそうだが、まだかんぜんには倒れていない。文庫版『1★9★3★7』の店頭ポップ用コピーを書く。こういうのは、やるかやらないか、だ。やる。やった。締め切りがすぎていたエッセイ1本。「明るい話題を」「クスクス笑えるようなテーマを」という注文だったけれども、おもえばずいぶん奇抜で不気味なリクエストだ。

「最近の辺見さんは厭世的になって絶望しているようで、聞いていると叱られているようで、息苦しくなる……」そうだ。そっか。じゃあ、息つまって(つめて)、はやく死になよ。文庫版『1★9★3★7』の加筆はしんどかった。歳だね。もうボロボロ。脳血管が何本か切れた気がする。でも、やるっきゃなかった。だからやった。やるか、やめるか。やった。やらないよりやったほうがよかった。

犬に深夜、顔をじいっとみつめられる。穴の開くほど。犬、なにかに呆れたみたい。心底おどろいたみたい。How come? おれ、もうあの世ゆきかね?犬、目をそらせてごまかす。本音をいわない。旧知の人間がNHKの番組審査副委員長だかなんだかになったらしい。やはり旧知の人間が民心大便党の代表になったり。会社の後輩が国家公安委員になったり。How come? やってらんない。やるかやらないか。ぶん殴るかぶん殴らないか。ぶん殴ったほうがいいにきまってる。

文庫版『1★9★3★7』では1964年の東京五輪のことも加筆した。そのときじぶんはなにをしていたか。三島由紀夫はなにを書いたか。小林秀雄はどれほどくだらなかったか。中国初の核実験のこと。共産党のバカ議員が、社会主義国の核保有は平和のためだとかなんとか愚劣発言をしたこと。あと、毛沢東のこと。おバカの佐々木更三のこと。ニッポンでカクメイがおきるだって? 2016年のいまだってなんにも、1ミリも進歩していないこと。どころか、目下劇的に退歩中。

げんざいという、はなはだしい屈辱と侮辱。イナダとかいうファンタスティックなダイジンに、日々オクニのためにクンニさせられてるようなもんだね。やるかやらないか。やりたいやつはやれよ。そうそう、文庫版『1★9★3★7』ではジャン・グルニエの『存在の不幸』についても書いたよ。「二度と死なずに済むように、二度と生まれてこないよう努力」することについて。(2016/11/01)

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夜の街.jpg 2015年01月25日

ね。生きている存在はすべて、開いているもののなかにあり、現れのなかにみずからを表明し輝いている……っていうじゃないですか。「輝いている」てのは、へえ、そうかなあ?くすんでいるんじゃないの。おれの犬は、開けを我有化しようとせず、おのれの現れを捉えようとなんかしてはいないし、おれもそんなことをしちゃいない。でも、顔とか声が、共同性の唯一の「場」、「可能なただひとつの都市」てのは、そのとおりだね。

犬はそんなこたあ、どうでもいい。その、どうでもええってとこは、大した高踏的態度だと感心させられる。で、「オクニのためのクンニ」問題なんだが、開けの我有化の観点からしても、「あからさまであることを捉えようとする」ひとの営みからしても、あるしゅの闘争なんだな、けっきょく。四つん這いになって、イナダのビラビラをオクニのためになめさせられるか、かけつけファックさせられるか、アイコクの至誠をもってなめぬき、ハメぬけるか---そこだね。

おれのすきな一行にこんなのがある。「サバト(狂宴)の折りにサタンの肛門に接吻をしたと審問官に訴えられた魔女たちは、そこにも顔がある、と応えた」。みごとな応答じゃないですか!レスポンシビリティとはこのこと。つまりこういう、つつがなき上意下達なのですね。シンゾーをフェラるイナダをコクミンみんなで這いつくばってクンニする一億総活躍社会。ゲロゲロ。でも、やるか、やられるか、なんだな。

恥ってもんがあるだろう、恥ってもんが、と言ってもせんない。世界中から恥がかききえて久しい。アーノルド・ルーゲは「革命は恥によってはなされない」と喝破した。然り。これにたいしマルクスは「恥はすでにひとつの革命である」と反論し、「じぶんへの激怒」と恥を定義した。「オクニのためのクンニ」問題は、まさにルーゲとマルクスの応酬を下地に検討されるべきじゃなかろうか。

コッカイは極端な変態どものあつまりである。真性のドロボーどもの集会である。この世でもっとも下劣なサバトである。これをテレビでもっともらしく論評してみせる共同通信出身コトー・ケンジは自民党議員のケツなめ男である。あの顔をみよ!あれが顔だろうか。「現れのなかにみずからを表明し輝いている」か。あれは、しかしながら、それでも顔なのだ。脱肛したケツとみわけがつかなくとも、ひとつの顔なのだ。おまえに沖縄のはなしをする資格はない。

エベレストに行かなかった。(2016/11/02)

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ヤモリ.jpg 2016年11月03日

ヤモリがでた。トイレの壁。わるいかんじはしなかった。歓迎!いい目をしていた。みていたら、ふっと消えた。タクシーで公園。バッタ、カメムシをみた。子どもがカナヘビをたくさんとっていた。マヒ、史上最悪。ほとんど歩けず。肩激痛。エベレストにのぼらなかった。ヤモリが鳴くのを待つ。鳴くのはオスだけだったか。
(2016/11/03)

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バラフライ.JPG 2016年11月04日

病院。歩行困難つづく。ヤモリを庭に放す。沖縄タイムス掲載の目取真俊さんの文を読む(別掲)。「石を食う」きもちで。やるかやられるかだ。やらないとやられる。やってもやられる。むざむざとやられていいのか。ホンド・メディアからはそのリアリティがまるでつたわらない。故意につたえず、ひたすら皇室報道に執心する。ホンド・メディアには無意識の「國体の本義」の底流がある。じつはそこで沖縄は対象化されていない。怖ろしいことだ。「ドジン」「シナジン」は、國体の沼が発音させている。

ハンギョレ新聞が『1★9★3★7』を紹介したと連絡あり。徐京植さんが寄稿したらしい。まだ読んでいない。エベレストにのぼらなかった。
(2016/11/04)

SOBA:上記辺見庸さんが言及している目取真俊さんの寄稿記事を採録。徐京植さんの『[寄稿]1★9★3★7』を採録

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バッタ.JPG 2016年11月05日

なべちゃんがくる。尾行なし。パスタ食う。電子書籍化の話。それと『霧の犬a dog in the fog』(鉄筆)のこと。肩痛、歩行困難。目がかすむ。『霧の犬』はなにかの音楽を聴きながら書いた。プレリュード(ハ長調 BWV846)だったか。ちがったかもしれない。水…洪水…津波…核爆発…のあとの静寂。『霧の犬』。おもいだす。水…洪水…津波…核爆発…またくるだろう。

「薨去」だと。ろくに読めもせず、書けもしないくせに、平然と報じる。ありがたがる。ひとつの生物個体が、ひとびとの税金によっておどろくほどたくさん生きて、死んだのだ。ならば、なぜ「死去」ではないのか。逝去ではいけないのか。薨=親王または「三位以上」の人が死ぬこと。ほう、このクニはいま、律令制なのかね?

「宮内庁楽部による雅楽「竹林楽(チクリンラク)」の演奏が流れるなか、真榊や供花が並ぶ葬場にゆっくりと進み、ナントカ・カントカさまが車いすで続かれた」……のだとさ。なんて文章!「続かれた」ってナニゴだよ? おれっちの父ちゃんが死んでも、母ちゃんが死んでも、コーキョじゃない。ただ、おっちんだのだ。ころっと死んだ。「三位以下」のものとして。

沖縄の反基地デモ隊員にたいし、「ドジン」「シナジン」とののしり、警察官が殴る蹴るの暴力をふるう。みてみぬふりをきめこむ骨の髄まで腐りきったホンドのクソメディア。喝采をおくる(関西方面を中心とする)自治体首長および元首長をふくむ、ホンドの広範なレイシストたち。その心根にチクリンラクがながれている。まちがいない。屁はウンコによって、しめやかに「続かれた」のであり、こんごもさらに、にぎやかに「続かれる」のである。

ヘイトスピーチの心底に真榊がありチクリンラクがある。「朝鮮人は息するな!」。おぞましいさけびのみなもとに、真榊がありチクリンラクがある。「性前ラーゲ」さわぎがある。チンチクリンラクが。やるか、やられるか。やらなければやられる。やってもやられる。かならずやられる。終わったとおもったものは、すこしも終わっていなかったのだ。

目取真俊さんの寄稿に共感するということはどういうことだろうか?「共感」ではすまない、ということだ。こちらも、じまえのものをもちだす。やるか、やられるかを肉感する。ボコボコにぶん殴られる。蹴られる。有り体に。「おまわりさん、お疲れさま!」。昨年夏。国会前の、じつは(党と権力とメディアによってあらかじめ)仕組まれたさっかく。幻想。尻馬にのり「続かれた」、老いたる、さもしいウンコたち。美しいおもひで……。忘れたふり。

エベレストにのぼらなかった。(2016/11/05)

SOBA:上記辺見庸さんが言及している目取真俊さんの寄稿記事を採録

 

2016年09月07日
日録
http://yo-hemmi.net/article/441713889.html

私事片々
2016/09/07~

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サルスベリ20160907.jpg 2016年09月07日

東口ダフネス。ジャムパン。サルスベリの花、だいぶ散ったが、根方のは風がこないからか、まだずいぶん咲きのこっている。非常に小さなひとたちにけふもあえず。転居したか。山下清の「東京の焼けたとこ」。黒こげのひとびと。電線のない電柱。
(2016/09/07)

SOBA:辺見さんが上記言及している『山下清の「東京の焼けたとこ」』の画像を採録

2016年12月5日辺見庸 東京講演テキスト起こしとpodcastをしておきました。

  

 以下、辺見さんが私事片々(2016/10/31)で言及している『(01/31)文庫イクミナ』で紹介の山下清1937年作『観兵式』。辺見さんが「色校(現物!三校)」と書いているとおり、色合いがあざやか(色校とは、色校正のこと)。

 

2017年01月31日
文庫イクミナ
http://yo-hemmi.net/article/443359751.html

◎角川文庫『完全版1★9★3★7』上・下巻同時刊行と辺見庸講演会について

角川文庫『完全版1★9★3★7(イクミナ)』上・下巻は、いずれも2016年11月25日に、全国書店で発売を開始しました。完全版は『増補版1★9★3★7』にさらに120枚以上を加筆し、「毛沢東と三島由紀夫と父とわたし」と題する新章をもうけたほか、上・下巻の各所を修正、補充しました。特別解説(「ひとつの応答ー魯迅を補助線として」)は徐京植(ソ・キョンシク)さんが執筆。上・下巻とも【註】を増やし関連年表をつけました。

角川文庫『完全版1★9★3★7(イクミナ)』上・下巻同時刊行にあわせてた辺見庸講演会が2017年1月30日夕に、新宿の紀伊國屋ホールでおこなわれます。参加方法など詳しくは別掲案内をご覧ください。

以下は文庫書影です。原画:山下清(貼り絵)「観兵式 かんぺいしき」(1937年)。装幀:鈴木成一さん。文庫上・下巻を左右にならべると、ヒノマルが交叉する閲兵台上の「人物」を中心とする全景があきらかになります。著者はこの風景の淵源について、いまもかんがえこんでおります。

①帯なし上巻(クリックで拡大)スクロールして見るなら

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文庫カバー1.jpg 2016年11月02日

②帯つき上巻 スクロールして見るなら

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文庫カバー帯付き.jpg 2016年11月02日

③帯なし下巻 スクロールして見るなら

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文庫カバー下帯なし.jpg 2016年11月02日

④帯つき下巻 スクロールして見るなら

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文庫カバー下帯つき.jpg 2016年11月02日

⑤上下巻連結 スクロールして見るなら

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上下巻連結.jpg 2016年11月02日

 

参考:以下リンク先頁に出ていた画像。
晴れの国 岡山(岡山デジタルミュージアム:裸の大将 山下清展?/心の風景 放浪時代の清)
http://4travel.jp/travelogue/10530909

 スクロールして見るなら
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 ◆放浪へと導いた戦争◆

 観兵式 貼絵 1937年

 

紀元二千六百年記念観兵式
MARUMEGANENOOYAJI
https://www.youtube.com/watch?v=tq0AhrK4POc

2013/08/25 に公開

  

 以下、辺見さんが私事片々(2016/09/07)で言及している山下清1949年(昭和24年)作「東京の焼けたとこ」(Twitterで紹介されていた「東京の焼けたとこ」の部分画像)。

https://twitter.com/araikotobuki/status/575299967415271424
ツワぶきヲ
‏@araikotobuki

山下清が描く東京大空襲。昭和24年制作「東京が焼けたとこ」真っ青な空に黒焦げの瓦礫と死体。焼け跡を片付ける被災者達。空襲から4年経って作られた作品なのに写真のように生々しい。
23:19 - 2015年3月10日

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 以下、山下清の『長岡の花火』(1950年、28歳の作)と、『東京の焼けたとこ』(1949年、27歳)を紹介している文章。

第四十三回 天と地の間
http://www.topart.co.jp/blog/bi-ing/20130701_742.php

(↑リンク先頁では、ここに『長岡の花火』の画像)

 漆黒の夜空と群衆が上下に分かれる大胆な構図。その二つの世界をつなぐ、色とりどりの花火が、限りなく美しい。放浪の画家・山下清の最高傑作とされる『長岡の花火』(1950年、28歳の作)である。信濃川河川敷での花火大会の様子を描いたもの。その貼り絵は、群衆のどよめきや、ヒューッと花火がはぜる音まで聞こえてきそうである。

 テレビドラマなどで描かれる山下清は、放浪先の町々でスケッチに没頭している。しかし実際は、旅先では絵筆を取らず、何か月か何年か後に、かつて見た風景を、思い起こして描いたという。彼の絵の不思議な魅力は、記憶を時間で洗い流して純化させたものを絵として再現することにあるのではないか。

 山下清は、知的障害児の学校である八幡学園で貼絵を学んだ。以降、この学校を脱走して放浪の旅に出る。兵役からも「逃亡」した。知的障害として兵役検査が免除になったのだが、彼はそれを心から喜んだ。戦争を嫌ったのは、主義主張からでなく、暴力に対する本能的な怯えからだという。子供の頃にあったいじめも影響していると資料にある。

 だから、彼は大好きな花火を描いてよく言った。「みんなが爆弾なんてつくらないで 花火ばっかりつくっていたら きっと戦争なんて起きなかったんだな」と。「私も同じ思いなんです」と、『長岡の花火』の原画を、借金して大枚はたいて買ったのは、その花火を夜空に打ち上げた花火師だった。

 一方で、「裸の大将」の画家は、戦争の無残も克明に描いた。『東京の焼けたとこ』(1949年、27歳)である。東京大空襲後の焼野原を、戦後4年を経て貼絵にした。花火の絵と同じく、空と大地が二分された画面だ。抜けるような青空と、焦げた遺体が転がる黒と茶の大地。二つの世界をつなぐのは、焼けただれた無線の電信柱の列である。まるで茫然と立ち尽くす戦死者のようだ。

 その一年後に描かれた『長岡の花火』の花火の華は、天と地の間をさまよう死者の魂のようであり、今を生き飛翔する命の火のようにも見える。ただし、山下清は、絵にメッセージを託す画家ではない。彼にとってかけがえのないものを、あったままに、無心に再現したまでにすぎない。それゆえ、山下清の絵を見る者は、各々自分の中のかけがえのない「原風景」を発見することができる。

(文責:旅人)

  

 動画を何本かと、関連画像

日本のゴッホ・・・山下 清
kenji yamakawa
https://www.youtube.com/watch?v=t8dO4h_itfY

2014/05/25 に公開

2分28秒〜、自分の顔、放浪中のリュック。

2分49秒〜、1945年「東京大空襲」。2分54秒〜、1949年東京の焼けたとこ。2分59秒の所(東京の焼けたとこの左下部分のアップ)と3分の所(←3分49秒「山の景色」1950年作道路の左側で中ほど部分のアップ)。

4分〜、1949年(昭和24年)に行った1950年「長岡の花火」関連。4分15秒の花火師嘉瀬誠次さんは上記『第四十三回 天と地の間』で紹介されていた花火師さん。

だから、彼は大好きな花火を描いてよく言った。「みんなが爆弾なんてつくらないで 花火ばっかりつくっていたら きっと戦争なんて起きなかったんだな」と。「私も同じ思いなんです」と、『長岡の花火』の原画を、借金して大枚はたいて買ったのは、その花火を夜空に打ち上げた花火師だった。

4分30秒〜の写真は鹿児島で放浪中を見つかり子供たちに囲まれている山下清。放浪の旅は終わった。

SOBA:流れている歌は、ダ・カーポの「野に咲く花のように」と「宗谷岬」。

 

SOBA:オカリナと絵の画像紹介が心地よいです(絵は山下清最後の遺作となった東海道五十三次のスケッチ)

60.山下 清
mnssmmt
https://www.youtube.com/watch?v=cUBjONabNww

2013/07/21 に公開

概要:
猛暑の中、水分補給されていますか。このたび滋賀県へ行って来ました。
「山下 清が描く東海道五十三次」ご来館も暑い中大変ですので、チャンネル仲間代表で、私の拙い写真を投稿します。ピンボケも有りますがクーラーの効いた涼しい中で見て下さい。入場料は無料にさせて頂きます。

 

SOBA:以下2本も必見。要所要所で入る絵画修復家岩井希久子さんの説明が参考になります。茨城大学人文学部教授藤原貞朗さんのコメントも、。

「山下清 『長崎風景』」
再投稿
お散歩
https://www.dailymotion.com/video/x5kduc0

山下清 『長崎風景』 投稿者 osanpodeonigiri
公開日: 05/01/2017
期間: 25:09

 

「山下清 『ロンドンのタワーブリッジ』」
再投稿
お散歩
https://www.dailymotion.com/video/x5kduk6

山下清 『ロンドンのタワーブリッジ』 投稿者 osanpodeonigiri
公開日: 05/01/2017
期間: 24:41

 

放浪の画家 福島へ
parisnokodomo
https://www.youtube.com/watch?v=8mWR38lVmSk

2009/06/27 にアップロード

 

山下清 肉声
徳川ビデ康
https://www.youtube.com/watch?v=kACq9XXwNxM

2014/01/21 に公開

Sサーバーにアップ ←4sharedに保存。

 

【1971年7月12日】放浪の画家・山下清さん死去 その生涯
cityemini1000
https://www.youtube.com/watch?v=OpLRVtH1H2c

2014/03/22 に公開

2分25秒〜、(小林桂樹氏)彼が亡くなった時、一瞬自分が死んだって言うのかね、自分が死んだって言うのもおかしいけれども、僕はもっと放浪したかったんじゃないかと思います。それは山下清を演じた者として彼の気持ちは分かります。籠の鳥にしたってことは、この展覧会のうたい文句は「永遠の自然児」ってことを言ってますけれどね、やっぱり彼を自然児にしなかったような気がするんです。

↑↓以下記事は<あのころ>と過去の振り返り記事。山下清は1922年(大正11年)3月10日生まれなので、清が丁度満36歳になった時の記事。

<あのころ>山下清さんまた家出 放浪癖直らず大阪で保護
2016年03月11日 08時00分
http://www.saga-s.co.jp/news/national/10212/287816

Sag2016022601001620_id1_20160311080  1958(昭和33)年3月11日、放浪の天才画家、山下清さんを大阪駅で保護。有名になって何不自由なく暮らしていたが放浪癖は直らなかった。無一文で家を飛び出し、九州に行くため絵を描いては電車賃を稼いでいた。母親の捜索願で鉄道公安員が列車内で見つけると「僕は自由になりたいんだ」と、てこずらせた。


 

 最初に、八幡学園ホームページの『心に響く感動の世界 山下清とその仲間たちの作品展』頁で紹介されていた写真から。
(貼絵制作に励む山下清。八幡学園にて。)
Img1028h1333_1

 

SOBA:以下、去年2015年6月13日(土)~8月30日(日)に開催された『描くことが生きること―山下清とその仲間たちの作品展』より抜粋して転載。

描くことが生きること―山下清とその仲間たちの作品展
http://www.city.ichikawa.lg.jp/cul06/1111000238.html

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SOBA:参考で、案内のチラシ(PDFファイル)

山下清

000207041
1922-1971(享年49)
東京浅草に生まれる。1934年(12歳)千葉県市川市にある知的発達障害児入園施設「八幡学園」に入園。
ここで貼絵に出会い、園児にやさしい環境のなかで制作に熱中する。
6年半後(1940年)八幡学園を出奔。以後15年半に及ぶ放浪を続ける。
1956年(34歳)放浪生活に終止符。学園生活の思い出や、放浪から学園に戻って思い出して描いた作品の展覧会を東京で開催。
1971年 脳溢血が原因で49歳の生涯を終える。


山下清の仲間たち

*下記3人の紹介は、早稲田大学心理学教室教授 戸川行男(1903-1992)「八幡学園の子供たちの作品を見て」より引用。

Ishikawakenji
石川謙二「江戸川でボート遊び」クレパス1939年

クレパス画の異才 石川謙二1926-1952(享年26)
 11歳のとき入園してきました。右目はほとんど見えず、18歳頃には左目も視力減退。謙二君は虚弱体質で、入園までは浮浪生活を送っています。言葉は無く、数概念は皆無の重度知的障害児でした。
しかし、入園して2年目(13歳)の春頃から、大判の画用紙に猛然とクレパス画を描き始め、かつて自分が住んでいた浅草の情景を再現していきました。思いをそこにめぐらせば、まざまざと紙上に浮かび出てくるものらしい。
浅草公園の子であり街頭の浮浪児であった謙二君の絵は常に人物が描き込まれる人臭い表現です。


Numayuuiti
沼祐一「どうぶつ」貼絵1941年

原始芸術の風格 沼祐一 1925-1943(享年18)
 10歳のとき、重度知的障害で対応に困るとのことで他の施設より入園してきました。衣服を裂いたり、ボタンを引きちぎったり、時には爆発的に憤怒し、無意味な語を連発したり、人を呼び何か執拗に要請します。
入園当時、この祐一君に絵が描けるなどとは誰も想像しませんでした。その野性ぶりは依然変化しないが、クレヨンや色紙をちぎって絵を描くのです。なかなかどうして面白いもので、祐一君の絵には原始芸術の風格があり、ある意味では清君以上の、その何倍かも不可思議であり、奇跡的でもあります。


Nodashigehiro
野田重博「潮干狩」クレパス1938年

幼くして絵画的天分の持ち主 野田重博 1925-1945(享年20)
 11歳のとき、救護法該当児として入園してきました。ほとんど読み書き不能で、わずかに氏名を記入し、見よう見まねで日付を書く程度です。小学校には1年級に在籍したことがあります。重い障害を受けていながら、重博君はなかなかに競争心が強く、絵画に剣道に、並々ならぬ進境を見せています。
クレヨン・クレパス・色紙と何でも使って描きます。彼の多くの絵は健康的な印象を与えます。知能の障害は一層激しいにもかかわらず、作品の多くに写実性を感じることは今後の作品に大きな期待を寄せてもよいと思います。

(以上、『描くことが生きること―山下清とその仲間たちの作品展』より抜粋して転載終わり)

  

 以下、辺見さんが私事片々(2016/11/04)と(2016/11/05)で言及している目取真 俊(めどるま しゅん)氏の寄稿記事。

差別発言の機動隊員は私を殴り蹴った 「土人」と言われた芥川賞作家の寄稿
2016年11月3日 05:00
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/69392

Img_d7e117e75614ac2819e8d03bbd69007 目取真 俊(めどるま しゅん)
作家

1960年沖縄県今帰仁村生まれ。琉球大学法文学部卒。97年「水滴」で芥川賞受賞。沖縄の基地強化に反対し運動している。著書に「沖縄『戦後』ゼロ年」「眼の奥の森」など。


<寄稿>高江「土人」発言を考える 目取真 俊

Img_44e7aae4d4fe3ac52267286101e8352
目取真俊さん(左端)を4人がかりで押さえ込む警察官=18日、東村高江・米軍北部訓練場N1地区表側出入り口

 10月18日の午前9時45分頃、ヘリパッド建設が進められている東村のN1地区ゲート付近で抗議行動を行っている際に、大阪府警の機動隊員から「どこつかんどるんじゃ、こら、土人が」という言葉を投げつけられた。

 現場では10人ほどの市民が、砂利を搬入するダンプカーに対し、金網のフェンス越しに抗議の声を上げていた。この機動隊員はその市民に「ボケ」「クソ」という言葉を連発し、言葉遣いがひどいのでカメラを向けているところだった。本人も撮影されているのは承知の上で「土人が」と言い放った。

 それだけではない。その後、別の場所で砂利を積んだダンプカーに抗議していて、3人の機動隊員に抑え込まれた。「土人が」と発言した機動隊員は、離れた場所からわざわざやってきて、私の頭を叩(たた)いて帽子を落とすと、脇腹を殴ってきた。

 近くに新聞記者がいたので、写真を撮るように訴えた。機動隊員は記者から見えにくい位置に回り、抑え込んでいる仲間の後ろから、私の足を3回蹴った。ビデオ撮影されたときは、フェンスがあって手を出せなかったので、暴力をふるうチャンスと思ったのだろう。

 その前には大阪府警の別の機動隊員が、ゲート前で抗議している市民に「黙れ、こら、シナ人」という暴言を吐いていた。

 この機動隊員もゲート前に並んだ時から態度が横柄で、自分の親や祖父母の世代の市民を見下し、排除の時も暴力的な言動が目立っていた。そのため、注意してカメラを向けている際に出た差別発言だった。

 高江には現在、東京警視庁、千葉県警、神奈川県警、愛知県警、大阪府警、福岡県警から500人と言われる機動隊が派遣されている。沖縄県警の機動隊を含めて、沖縄島北部の限られた地域にこれだけの機動隊が集中し、長期にわたって市民弾圧に乗り出している。こういう事例が過去にあっただろうか。

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http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/69392?page=2
 7月22日にN1ゲートの車両が強制撤去され、ヘリパッド建設工事が本格的に始まって以来、高江の現場は戒厳令が敷かれたかのような異常事態が続いている。そのような中で「土人」「シナ人」という差別発言が発せられた。それはヘリパッド建設を強行するため、抗議する市民を暴力で抑え込むことを正当化しようとするものだ。

 南の島に住む、遅れた「土人」たちは、理性的に物事を判断することができない。だから政府がやる正しいことに反対しているのであり、こういう輩は力で抑え込んで当たり前だ。あるいは、反対する連中は中国(シナ)から金をもらってやっている工作員であり、暴力をふるって叩きのめしてもかまわない。そうやって自らの暴力を正当化している。

 インターネット上には、この種の沖縄に対する差別意識丸出しの書き込みが氾濫している。まだ20代の若い機動隊員の口から「土人」「シナ人」という言葉が出てくるのは唐突なようだが、ネット右翼が拡散するデマから知識を得ているのだろう。きちんと琉球・沖縄の歴史を学ぶこともせず、理解しようともしていない。歴史的にある沖縄への差別と在沖米軍・自衛隊の強化、中国脅威論が結びつき、新たな差別意識が生み出されている。

 これは機動隊員個人の資質の問題ではない。安倍晋三首相がヘリパッドの年内完成を公言し、それが現場に圧力をかけて、市民への弾圧の強化を促していることが前提にある。さらに、基地建設を推進しようとする者たちによって、中国脅威論とからめて沖縄県民への差別意識をあおるデマが、意図的に拡散されていることが背景にある。

 警察官は市民が持たない権力を持っている。本来はヘイトスピーチを取り締まる立場にある彼らが、ネット右翼レベルの知識、認識しか持たず、沖縄県民に差別発言を行っているのは恐ろしいことだ。このことが徹底して批判され、是正されなければ、沖縄差別はさらに広がっていく。ヤマトゥに住むウチナンチューに実害が及びかねない。そういう危機感を持つ。

 かつて就職・進学で沖縄からヤマトゥにわたった若者たちが、沖縄に対する差別と偏見に悩み、苦しんだという話が数多くあった。1980年代後半から沖縄の音楽、芸能がもてはやされ、観光業が伸びていくのと合わせて「沖縄ブーム」が生まれた。沖縄への理解が進み、差別・偏見も改善されたように見えた。

 しかし、「明るく、楽しく、優しい沖縄」イメージがもてはやされる一方で「基地の島・沖縄」という実態は負のイメージとして隠蔽(いんぺい)され、米軍基地の負担は変わらないばかりか、自衛隊の強化が進められた。しょせん「沖縄ブーム」はヤマトゥに都合のいいものでしかなかった。

 そういう二重構造は差別意識にも反映している。ウチナンチューがヤマトゥの望むように行動すれば評価されるが、意に反して自己主張すればはねつけられ、言うことを聞かなければ力ずくで抑え込まれる。高江や辺野古はそれが露骨に現れる場所だ。だから隠れていた差別意識も噴き出す。そもそもヘリパッド建設強行自体が差別そのものなのだ。(作家)

  

 以下、辺見さんが私事片々(2016/11/04)で言及している徐京植氏の寄稿記事。

[寄稿]1★9★3★7
登録 : 2016.11.04 05:33
http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/25578.html

 今回は書物を紹介してみたい。現代日本の小説家・辺見庸の『1★9★3★7』である。すでに昨年、初版を読んでいたのだが、近々刊行される文庫版に「解説」を書くよう依頼されたため、あらためて精読したのである。

 辺見庸は一言でいって、日本社会の異端児であり、反抗者である。1944年、宮城県石巻市生まれ。1970年、共同通信社に入り北京特派員、ハノイ支局長などを歴任した。1991年に『自動起床装置』で芥川賞を受賞。1994年には『もの食う人びと』を刊行している。その彼が、1937年という時に焦点を当てて、歴史的時間を往還しながら、「日本と日本人」を徹底的に解剖したのが本書である。その解剖のメスは、小林秀雄、梯明秀(かけはし・あきひで)、丸山眞男、小津安二郎ら戦後日本を代表する知識人たちから、自らの父や自分自身にまで容赦なく及ぶ。

 私は解放(日本敗戦)6年後の1951年、日本の京都市にうまれ、いわゆる「戦後民主主義教育」を受けて育った。日本で生まれて65年余りになるが、ここ数年、自分は「日本と日本人」がわかっていなかったという思いが強い。安保法制の強行採決、沖縄の辺野古基地移転や原発再稼働の強行等、暗然とするほかない出来事が続いた昨年(2015年)は、日韓両政府合作による「慰安婦問題最終解決合意」劇で幕を閉じた。もちろん、これが真の「最終解決」になどなりうるはずもない。「恨(ハン)」は今後も層々と堆積するばかりであろう。私たちがかつて書物で学んだ「政治的反動」は、かつて学んだとおりの姿で目の前にやってきた。反動に対する無策や無気力もまた忠実に反復されている。反知性主義が勝ち誇るそのような中、私が目にしたわずかな書物のなかで、他の人に推薦したい1冊がこの『1★9★3★7』である。

 本書に次のくだりがある。<「この驚くべき事態」はじつは、なんとなくそうなってしまったのではない。(中略)それはこんにちこのようになってしまったのではなく、わたし(たち)がずるずるとこんにちを「つくった」というべきではないのか。>

 著者のこの問いかけに対し、それに匹敵しうる重みで応答する声は聞こえてこないか?それがついに聞かれないままであれば、日本社会は今日の「反動」に抗するすべもないままに、またしても破局へと押し流されるほかないであろう。だが本書初版刊行からおよそ1年、私はまだその「応答する声」を聞くことができないでいる。

 1937年は日本の中国侵略戦争が本格的に始まった年であり、日本の本土では人々は戦勝気分に浮かれていたが、その年12月には「南京大虐殺」が繰り広げられた。辺見庸はこの「記憶」が集団的に消去される日本の危機的現状に果敢な抵抗を試みている。その重要な手がかりとなったのは、いまはほとんど忘れられようとしている「戦後文学」の代表的作家、堀田善衞(ほった・よしえ)の小説『時間』と、武田泰淳(たけだ・たいじゅん)の『汝の母を!』である。1955年に発表された堀田の作品は、主人公を中国人知識人に設定し、いわば他者である被害者側の視線から日本の侵略と虐殺を描いたものだ。主人公の見た「惨憺たるもの」は、たとえば次のように描写されている。

 〈断首。断手。断肢。/野犬が裸の屍を食らうときには、必ず睾丸を先に食らい、それから腹部に及ぶ。人間もまた裸の屍をつつく場合には、まず性器を、ついで腹を切り裂く。/犬や猫は、食っての後に、行くべき道を知っている。けれども人間は、殺しての後に行くべき道を知らぬ。もしあるとすれば再び殺すみちを行くのみ。〉

 武田の作品は堀田の「時間」より1年遅れて公表された。中国戦線で日本軍兵士たちが、捕えた中国人の母と息子に性行為を強要して見物して嘲笑した挙句、最後には二人とも焼き殺すという話である。武田自身の戦場体験が投影された作品である。辺見庸は将校として中国戦線に従軍した自らの父も、このような行為に手を染めたのではないかと疑っている。いや、ほとんどそのことを確信しているのである。

〈このひと(辺見の父)はなにをしてきたのだ。なにをみてきたのか。それらの疑問はけっきょく問いたださなかったわたしにも、不問に付すことで受傷を避ける狡いおもわくがどこかにあったのであり、ついに語ることのなかった父と、ついにじかには質さなかったわたしとは、おそらくは同罪なのだ。訊かないこと――かたらないこと。多くの場合、そこに戦後精神の怪しげな均衡が保たれていた。〉

 そうだ。「かたらないこと」「質さないこと」によって日本の「戦後精神の怪しげな均衡」は保たれてきたのだ。あえて語ろうとするもの、質そうとするものは「スルー」(through)され孤立させられる。それが日本社会を成り立たせてきた。辺見庸は父の肖像を描くことによって、薄笑いの表皮に隠された戦後日本人の素顔を描いた。

 大虐殺の余燼がくすぶり、血の匂いが消えやらぬ中で堀田や武田の文学が切り開こうとしたのは、他者の目で自己を見つめ、自律的な倫理的更生を目指す道であった。その道を歩もうと志した人々は、戦後の一時期、少数ながらたしかに存在していた。いまは雑草に覆われ地図からも消されようとしているこの道を、辺見庸という作家が辿ろうとしている。

 〈いつだったか、まだ子どものころ、酔った父がとつじょ言ったことがある。静かな告白ではない。懺悔でもなかった。野蛮な怒気をふくんだ、かくしようもない、かくす気もない言述である。この記憶はまだ鮮やかだ。「朝鮮人はダメだ。あいつらは手でぶんなぐってもダメだ。スリッパで殴らないとダメなんだ……」。耳をうたぐった。発狂したのかと思った。…〉

 「朝鮮人」である私には、平静な心でこのくだりを読むことが、できない。私自身が殴られたわけでもないのに、神経がこすり上げられたような痛みと嫌悪を感じる。韓国国内のみなさんはどうだろうか? 職場の同僚や近隣の住民、温厚で理性的にしかみえない人々の心の奥底にこの心理が巣くっていて、時ならず噴き出すのではないか。その予感に私はいつも身構えている。それが植民地支配ということであり、「朝鮮人」であるということなのだ。ここでの「朝鮮人」を「黒人」「インディアン」あるいは「女」などに置き換えてみれば、全世界的に拡散し、いまも克服されていない植民地主義の心性がよく見える。

 考えてみれば、辺見庸の父が少数の例外であったはずはない。それは日本人と朝鮮人の間で日常化していた行為であった。日本は「文明化」をかかげて朝鮮を「併合」した後も、朝鮮において非文明的な刑罰である笞刑を残し、それを朝鮮人にだけ適用した(金東仁「笞刑」参照)。笞の一振りごとに、激痛と屈辱が朝鮮人の身体に文字どおり叩き込まれた。同時に、笞を振るう官憲やそれを傍観していた日本人植民者は、一振りごとに奴隷主の心性をおのれに叩き込んだのである。

 「発狂したのか」というのなら、突然にではなく、「琉球処分」に始まり、日清・日露戦争を経て、アジア・太平洋戦争に至る近代史の始発点から「発狂」していたのだ。笞刑はその一例に過ぎない。しかも、戦後の日本人にはその歴史を骨身に沁みて省察し、「正気」に返る機会はあったのに、ことごとくその機会を「スルー」してきた。昨今の日本社会はますます「発狂」の度を深めている。すでに「在特会」など日本の排外主義者たちはそのことを意識的に実践しており、先日の都知事選では11万人以上の日本市民が彼らに投票した。その人々は「スリッパ」で私と私の同胞たちを殴っているのだ。

144265948135_20150919 徐京植・東京経済大学教授 //ハンギョレ新聞社

 そんな中で、たとえたった一人でも、日本人作家のこのような作品に接することができたことは僥倖であった。まだ「正気」を保とうとしている人が辛うじて生き残っているしるしであるからだ。奴隷が叩き込まれた奴隷根性を克服することが困難なように、奴隷主が苦痛に満ちた自省の過程を経ずしてその心性を捨て去ることはきわめて困難であろう。日本社会に、そのような自省の必要を認識し、努力を惜しまない人々が存在することを私は知っている。しかし、その数は少なく、きわめて微力である。私はこの小文を、辺見庸という作家を韓国の人々に知ってもらいたくて書いた。それは「日本と日本人」がいかに救い難いかを嘆くためではない。辺見庸の作品に「希望」を見て自らを慰めるためではない。私たち朝鮮人が自らに叩き込まれた「奴隷根性」を自覚し、それを克服して植民地主義と闘い続けるためである。

徐京植(ソギョンシク)東京経済大学教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2016-11-03 18:23
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/768705.html

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完全版 1★9★3★7 イクミナ (上) (角川文庫)
完全版 1★9★3★7 イクミナ (下) (角川文庫)です。


 

辺見庸さんの『増補版1★9★3★7』と、
堀田善衛さんの『時間』(岩波現代文庫)です。 


 

辺見さんの『1★9★3★7』(イクミナ)です。 


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