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2017年1月 8日 (日)

日本ニュース 戦争証言アーカイブス 第21号(1940年10月)〜第40号(1941年3月)

 特に戦前の日本ニュースは、大本営発表で検閲済み国策映像。ただし、それはそれで当時の空気を想像・実感するのに役立つ貴重な資料映像です。すべてリンクと再生テキストを資料保存しておきました。なおリンク先ではすべて映像を見ることができます

 

日本ニュース 戦争証言アーカイブス
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi

日本ニュース一覧
「日本ニュース」は、太平洋戦争を間近に控えた1940年(昭和15年)から終戦をはさみ、1951年(昭和26年)まで制作されたニュース映画です。制作したのは、「日本映画社」(※)で、1940年にそれまで4つに分かれていた新聞社や通信社のニュース映画部門を国策により統合したものです。
戦時中の「日本ニュース」は、日本軍や内務省の検閲を受けた後、毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。テレビがない時代、国民は「日本ニュース」が伝える真珠湾攻撃や特攻隊出撃、学徒出陣の様子を映画館で目にしたのです。
「日本ニュース」は、戦争完遂を目的にした国策映画ですが、太平洋戦争中の映像記録として大変貴重なものです。「戦争証言アーカイブス」では、1940年(昭和15年)の第1号から、戦後も含め、1948年末までのものを公開しています。

※(1941年5月までの会社名は「日本ニュース映画社」)
※日本ニュース戦後編の再生テキストは、国立歴史民俗博物館の協力で作成しています。

 

日本ニュース 第21号(1940年10月)10分23秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300406_00000

集ふ興亜若人五万神宮体育大会開く     02:41
経済交渉期待裡に 松宮使節ハノイ入り   01:01
軍用保護馬継走大騎乗大会<週間手帳>   01:49
パラオコロール島住民南洋神社で勤労奉仕<週間手帳> 00:54
南京の慰問大相撲<週間手帳>       00:56
牛込の子供隣組<週間手帳>        00:52
敵最後の輸血路 海鷲昆明猛爆       02:06

集ふ興亜若人五万神宮体育大会開く     02:41
一億体育の華開く秋のスポーツ祭典、紀元2600年奉祝第11回明治神宮国民体育大会は、秋空豊かに澄む10月27日、聖恩の旗のもとに輝く開会式を挙行。三笠宮殿下の台臨(たいりん)を仰いで、真摯敢闘(しんしかんとう)を誓う興亜の若人5万2000。初めて参加した満洲国を加え、歩武堂々と行進。厳粛華麗な開会式典を展開しました。

(開会式の様子)

かしこくも秩父総裁宮殿下より賜った叡旨(えいし)を金光会長が奉読申し上げ、選手代表は立って力強く宣誓。
近衛総理大臣、有馬宮司の祝辞朗読が終わったその時、センターポールの背後より朝鮮・台湾両総督、北海道庁官、各府県知事の奉祝文をかざして奉祝継走団が、颯爽(さっそう)として入場しました。かくて真摯敢闘(しんしかんとう)の命燃ゆる若人が、あふれる感激に挑む24部の絢爛(けんらん)たる陸の争覇。11月3日まで8日間の闘う青春絵巻を一斉に開き、早くも開始された体操に、競技に、若き血潮は高鳴りました。

経済交渉期待裡に 松宮使節ハノイ入り   01:01
仏印に遣いする松宮大使、加藤顧問ら、我が経済使節団の一行は10月19日、アリゾナ丸でハイフォンに入港、重き使命に決意も固く、上陸第一歩を印し、埠頭に整列する仏印軍を閲兵しました。
かくて首都ハノイに着いた松宮大使は、22日、総督官邸にドクー総督を訪問しましたが、先に我が軍の平和的進駐を迎えて好意的態度を見せた仏印は、今我が経済使節団一行を迎え、友好的に交渉を開始すべく、その前途に多大の期待を寄せています。

軍用保護馬継走大騎乗大会<週間手帳>   01:49
紀元2600年を奉祝し、全国民が馬事報国の赤誠を最高度に発揚する馬政局指導の全日本軍用(音声中断)馬継走大騎乗は10月7日、南北一斉に出発。そのうち南下班は北海道旭川、護国神社を出発。函館から海峡を渡り、一路南下しました。
かくて24日、橿原神宮に到着。恭(うやうや)しく神旗奉献の重任を全う(まっとう)しました。
一方、北上班は聖地宮崎神宮を出発。山を越え、川を渡り、神旗を継走して堂々4500kmを踏破。かくて24日、輝く帝都入りをして市内を行進。明治神宮に向かいました。ここに北上班も無事、神旗を奉献。約二旬(じゅん)に渡る神旗継走大騎乗を完了しました。

パラオコロール島住民南洋神社で勤労奉仕<週間手帳> 00:54
第一線開拓者たちの魂の本拠となるべき、尊き官幣大社南洋神社が天照大神を御祭神に、今パラオのコロール島に造営されました。内苑・外苑あわせて7万余坪の神域は、海岸近くの山懐に抱かれ、熱帯の緑に囲まれた幽邃の地で近藤南洋長官をはじめ、全島民は11月1日の鎮座祭を前に、草取り、運搬など神域に汗の奉仕を続けています。

南京の慰問大相撲<週間手帳>       00:56
皇軍勇士慰問のため、大陸に渡った双葉山、男女ノ川(みなのがわ)をはじめ、東京大相撲の一行は10月22日から3日間、南京日本人小学校の臨時国技館で勇士を慰問いたしました。
その2日目、特別席には西尾司令官以下、各幕僚や国民政府宣伝部長、林柏生(りんはくせい)氏らの姿も見え、双葉山、男女ノ川の豪壮な土俵入りを熱心に見物しました。
さらにこの日、結びの一番。双葉山と男女ノ川の熱戦は観覧席いっぱいにあふれた我が勇士たちの血を沸かせました。

牛込の子供隣組<週間手帳>        00:52
新体制のもと、隣組の働きは誠に目覚しいものがありますが、今度、帝都の一角、牛込の矢来にかわいい子どもの隣組が生まれました。お父さんやお母さんに負けないで、僕たち私たちもみんなで仲よく、少しでもお国のために尽くしましょうと、ある日曜日お風呂屋さんを会場に発会式をあげ、銃後子どものけなげにも頼もしい情景を描き出しました。

敵最後の輸血路 海鷲昆明猛爆       02:06
仏印に平和的進駐を了し、西南支那をその鵬翼(ほうよく)のもとに収めた我が海の荒鷲は、仏印トンキン地方を襲った台風のようやくやんだ10月17日、第3次昆明爆撃を敢行しました。
この日、昆明上空は雲低く垂れ込め、絶好の爆撃日和とは言えませんが、これら悪条件を突破して郊外にある飛行機工場2棟を爆砕。猛火災を起こさせるとともに、また他の一隊は昆明市内の軍事施設を木っ端微塵(こっぱみじん)に粉砕しました。かくてビルマ援蒋ルートは、我が海の荒鷲の鵬翼(ほうよく)のもとに制圧され、なんら用をなさず、殊勲の爆撃部隊は全機凱歌(がいか)をあげて帰還の途につきました。


(最後)

紀元二千六百年奉祝記念
貯蓄債券
只今賣出中

(日本ニュース 終)

 

1940年11月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=194011

日本ニュース 第22号(1940年11月)10分33秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300407_00000

教育勅語渙発五十周年記念式典  02:34
日独伊三国同盟歴史的調印式   01:10
援蒋路遮断成り皇軍堂々南寧撤退 01:04
太行山脈討伐戦         01:08
敵要衝壊滅を期す海鷲の連爆   04:35

教育勅語渙発五十周年記念式典  02:34
教育勅語渙発50年記念式典は、かしこくも天皇陛下の御名代として閑院宮殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ奉り、全国内外地、教育関係者1万2000名参列の上、10月30日、憲法記念館で厳粛盛大に挙行されました。

(一同、君が代斉唱)

橋田文部大臣の式辞朗読。

《橋田大臣》
「本日、ここに天皇陛下御名代、閑院宮載仁(ことひと)親王殿下台臨(たいりん)のもとに、教育に関する勅語渙発五十年記念式典を挙行いたしますことは、誠に恐懼(きょうく)感激の極みでございます。」

(一同、礼)

閑院宮殿下には、かしこくも天皇陛下より賜りたる優渥(ゆうあく)なる勅語を奉読あらせられました。

(一同、万歳三唱)

日独伊三国同盟歴史的調印式   01:10

世界の外交に一新紀元を画する日独伊三国同盟調印式に参列のチアノ・イタリア外相は、9月27日、リッベントロップ・ドイツ外相の出迎えを受け、ヴィルヘルム・シュトラーセの総統官邸に入りました。かくてベルリン時間午後1時、歴史的調印式は開始され、独伊両国外相と我が日本側からは来栖大使が出席。次に入口の大扉を排してヒトラー総統はつかつかと入場し、チアノ外相と握手。さらに我が来栖大使の手を固く握って感激の握手を交わしました。
各代表は枢軸国の提携強化を祝う挨拶を交換した後、真っ赤な羊皮に包まれた原本3通に、それぞれ歴史的署名を行い、ここに世界新秩序の建設を担う光輝ある調印式を滞りなく終了いたしました。

援蒋路遮断成り皇軍堂々南寧撤退 01:04
昨年11月、西南ルートの第一拠点、南寧を占領してからここに1年。我が軍は仏印進駐により戦略的に無価値となった同地を捨て、堂々撤退することになりました。かくて皇軍仏印進駐により、南支援蒋ルートは完全に切断され、我が軍は南寧駐屯の必要を認めずという皇軍撤退の布告は復興成った南寧の町々に貼られ、さらに撤退に先立って我が軍は市内の清掃を行い、塵ひとつとどめず、立つ鳥跡を濁さずのゆかしさを示し、名残を惜しむ支那良民の目を引きました。いよいよ撤退の朝。トラックに分乗した我が部隊は、全軍自主的撤退の、隊形も整然と城門を出発。この日、黄塵の舞う並木の上に南支の空は曇り、我が快速部隊は金寧行路をうずめて延々と続きました。

太行山脈討伐戦         01:08
晋察冀辺区、大行山脈の峨々(がが)たる峻険(しゅんけん)を巣窟(そうくつ)として蠢動(しゅんどう)を続ける残敵を討伐すべく、我が精鋭は去る10月13日早朝、一斉に行動を開始しました。大行山脈北部の峻険(しゅんけん)を登攀(とうはん)進撃する諸部隊と呼応し、東より進撃する吉井、荒井、山村、サクライの各部隊は10月下旬、いよいよその包囲圏を圧縮、付近にある敵の軍事各施設を破壊し、全軍、緊密な連絡を保ちつつ、さらに前進。反撃する敵を片っ端から掃討。逃げ惑う敵を捕捉、殲滅(せんめつ)して、ますますその包囲網を縮め、多大の戦果を収めました。

敵要衝壊滅を期す海鷲の連爆   04:35
仏印進駐の我が海の荒鷲部隊は、西南支那の空を圧して縦横に飛び、昆明、成都の空襲や、功果橋、恵通橋、軍事施設の爆砕と、連日、付近の爆撃を続け、その赫々(かくかく)たる戦果は、我が航空史上に輝くページを記録していきます。駐支艦隊報道部○○基地、10月26日午後7時発表。本日、長谷川部隊の戦闘機隊は飯田大尉指揮のもとに、単独長駆成都を空襲。新津飛行場上空において敵機10機と遭遇。空中戦闘の結果、全機を撃墜せり。戦闘機単独長躯襲撃の記録的戦果を収めた誉れの荒鷲は、戦い終わった26日夕刻、全機、銀翼を連ねて基地に帰還しました。地上に待ちこがれた戦友は、飯田部隊長らの愛機に殺到。歓呼の声を上げて、輝く殊勲を称え、迎える者、迎えられる者、深紅の夕陽燃えさかるうちに、ただ感激の劇的シーンを展開しました。かくて夕闇ようやくせまる航空基地に無事報告を終えた我が誉れの八勇士は、また明日の爆撃攻を誓うのであります。

さらに援蒋ルート襲撃の我が海軍航空部隊は、ビルマ国境に近い敵の飛行機工場爆撃の壮途に着きました。このあたりは南支特有の山岳地帯で、重畳と続く峻険(しゅんけん)な連山は、その尖峰を雲海上に屹立(きつりつ)。我が海の荒鷲は堂々の編隊を組んで、驀進(ばくしん)を続けました。

かくてビルマ・南坎(ナンカン)の対岸にある敵の飛行機工場を発見した我が部隊は、付属飛行場に爆弾の雨を降らせ、敵機6機を粉砕、工場に大火災を起こさせ、ここに敵空軍再建の企図を完全に打ち砕きました。

また10月29日、我が爆撃部隊は折からの快晴を利して雲海上を快捷。ビルマルートの国境に近い恵通橋攻撃に向かいました。雲南の山は高く、谷は深い。その山に登り、谷に下り、延々と続く白い自動車道路がビルマ援蒋ルートであります。このルートの要所、メコン川に架せられた高架橋は、去る25日の爆撃で完全に切断され、今また道路上の要衝、恵通橋に向かう我が荒鷲の意気はまさに天に沖(ちゅう)するものがあります。やがて我が部隊は、谷底に黄色くうねり流れるサルウィン川を発見。恵通橋めがけて巨弾の雨を降らせました。さすが堅牢を誇る同橋梁も直撃弾を受けて完全に切断。かくてビルマ領最大の橋梁は、2つながら完全に破壊され、重慶最後の生命線ビルマ援蒋ルートは決定的にその機能を喪失するに至りました。

 

日本ニュース 第23号(1940年11月)19分28秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300408_00000

紀元二千六百年輝く世紀の祝典 09:30
御世を寿ぐ大奉祝会      08:44
帝都は慶祝一色        01:17

紀元二千六百年輝く世紀の祝典 09:30
《字幕》
「此号は紀元二千六百年式典を謹寫、謹輯したものであります
謹んで皆様と共に奉祝致します
社団法人 日本ニュース映画社」

昭和15年11月10日、国を挙げて待望の紀元2600年式典の佳き日、一億国民、歓喜のうちに輝く紀元を寿ぎまつる日は来ました。
悠久誠に2600年。昭和の御代(みよ)に生を受けた我ら一億が、あふれるばかりの感激もて迎えたこのよき年、よき日。紀元2600年式典はかしこくも天皇・皇后両陛下の行幸啓を仰ぎ奉り、爽涼たる秋晴れのもと、旭日(きょくじつ)、燦(さん)として輝き、瑞気(ずいき)大内山に満ちあふれるこの日、宮城外苑広場にしつらえられた式典場において、いとも荘重、厳粛に行われ、かしこくも天皇陛下には、優渥(ゆうあく)なる勅語を賜いました。この日、光栄の参列者5万5000は威儀を正し、隊列を整えて朝8時より式典場各受付口より入場。
次いで、昇殿を差し許された重臣顕官ならびに外国使臣らは、それぞれ婦人同伴、式殿に参入いたしました。
かくて午前10時半、5万5000の全参列者、すでに所定の位置に整列を終わり、大内山の緑に浮かぶ式場は寂(せき)として声なく、ただ打ち震える感激のうちに天皇・皇后両陛下の臨御御待ち申し上げたのであります。天皇・皇后両陛下には、御同乗の略式自動車鹵簿(ろぼ)にて午前10時48分、宮城を御出門。二重橋正門から式場に着御あそばされ、天皇陛下には、近衛総理大臣の御先導にて式殿玉座に着かせ賜い、皇后陛下にも御座に着御あらせられました。このとき近衛総理大臣は開会の旨奏上のため、式殿正面南階段をくだり、玉砂利を踏みしめて式殿正面中央階(きざはし)前にしずしずと参進いたしました。

《近衛総理大臣》
「これより、紀元2600年祝典を開始いたします。」
<放送>
「最敬礼」

(一同、天皇・皇后両陛下に向かい、最敬礼)
(君が代斉唱)

次いで近衛総理大臣は、恭(うやうや)しく陛下の御前に参進。一億の民草を代表して、紀元2600年の寿詞(よごと)を奏上申し上げました。

《近衛総理大臣》
「臣文麿、謹みて申す。伏して惟(おもん)みるに、皇祖国を肇(はじ)め統を垂れ、皇孫をして八洲に君臨せしめ、たもうに神勅(しんちょく)をもってし、授くるに神器をもってしたもう。宝祚(ほうそ)の隆(さかえ)、天壌と窮(きわま)りなく、もって神武天皇の聖世に及ぶ。すなわち天業を恢弘(かいこう)して皇都を橿原(かしわら)に定め、宸極(しんきょく)に光登して、徳化を六合(りくごう)に敷き賜ひ。歴朝相承(う)けて、ますます天基を鞏(かた)くし、洪猷(こうゆう)を壮(さかん)にし、一系連綿、正に紀元2600年を迎ふ、国體(こくたい)の尊厳(そんごん)、万邦固(もと)より比類なし。皇謨(こうぼ)の宏遠、四海豈(あ)に匹儔(ひっちゅう)あらんや。」

(紀元2600年頌歌斉唱)
遠すめろぎのかしこくも
はじめ賜いしおお大和
天つ日嗣(ひつぎ)のつぎつぎに
御代(みよ)しろしめすとうとさよ
仰げば遠し皇国の
紀元は二千六百年

かくて11時25分、天にも届けと天皇陛下の万歳を奉唱しました。

「天皇陛下、万歳」
「万歳」「万歳」
(一同、最敬礼)
「これにて式典を終了いたします。」

御世を寿ぐ大奉祝会      08:44
《字幕》
「此号は紀元二千六百年式典を謹寫、謹輯したものであります
謹んで皆様と共に奉祝致します
社団法人 日本ニュース映画社」

【御代を寿ぐ大奉祝会】

昭和の聖代を彩る紀元2600年奉祝会は、歴史の一夜が開けた11月11日、再び天皇・皇后両陛下の臨御を仰ぎ奉り、宮城外苑、所も同じ大会場に盛大に挙行されました。簡素な参列席の卓上には、記念品と食饌(しょくせん)が、また式殿前中央には絢爛な舞台がしつらえられ、式場周囲の紅白のまん幕、秋の陽に映えて、奉祝気分はまさに絶頂であります。かくて一億の民草が、大歓喜に浸るこの日も大空は澄みわたり、感激の参加者5万5000は午後1時、会場に入場を終わる。かしこくも天皇・皇后両陛下には、前日と御同様、略式自動車鹵簿(ろぼ)にて午後1時48分、宮城を御出門。二重橋より式場に着御。高松宮殿下の御先導にて式殿に出御あらせられました。

(君が代斉唱)

参列の諸員、高らかに君が代を唱和し奉れば、総裁御代理・高松宮殿下には、奉祝詞を奏上あそばされる御為、玉座御前に御参進あそばされました。

《高松宮殿下》
「紀元2600年奉祝会総裁代理、臣宣仁、謹みて申す。伏して惟(おもん)みるに神武天皇皇祖の神勅(しんちょく)を奉じ、天壌無窮(てんじょうむきゅう)の宝祚(ほうそ)を践み賜いしより、列聖相承(あいう)けて、陛下の御宇(ぎょう)におよび、今年恰(あたか)も、紀元2600年に当れり。陛下その盛時に際し、特に宮中における紀元節の祭典を重くし、明詔(めいしょう)を発して、臣民率由の大道を示し、恩赦の令を下して遍(あまね)く仁沢(じんたく)を布き、また神宮山陵を親拝して、孝敬(こうけい)をのべ、陸海の軍容を親閲して士気を励まし給へり。聖慮深厚(せいりょしんこう)まことに惶懼(こうく)にたえず、臣等ここに令辰を卜(ぼく)し、恭しく天皇陛下、皇后陛下の臨御(りんぎょ)を仰ぎ、紀元2600年奉祝の会を行う。瑞雲靄靄(ずいうんあいあい)として宸闕(しんけつ)の上を繞(めぐ)り、和気洋洋として禁苑の外にあふる普天率土(ふてんそっと)手を額にし声を同じうして、この盛事を謳歌(おうか)せざるなし、顧みれば世界は今曠古(こうこ)の変局に臨めり、陛下武を異域に用いて東亜永遠の安定を冀図(きと)し、トルツメ盟を友邦に結びて宇内(うだい)恒久の平和に寄与し給わんとす。聖謨(せいぼ)宏遠、洵(まこと)に感激にたえず、臣等和衷協同 皇猷(こうゆう)を賛襄(さんじょう)し、時艱(じかん)を匡済(しょうさい)し、もって天恩の万一に報い奉らんことを期す。臣等生を昭代にうけてこの昌期に遭(あ)い、歓天喜地の至りに勝うるなし、恭しく表を奉り、賀をのべもって聞(ぶん)す。臣宣仁謹みて申す。」

高松宮殿下の奉祝詞の御後、グルー・アメリカ大使の奉祝詞奏上に続いて祝宴は開かれ、奈良朝の昔もゆかしき舞人楽人が演じ奉る奉祝舞楽、悠久。

(奉祝舞楽の演じる様子)

高松宮殿下には、海軍御軍装も御凛々(りり)しく、舞楽台上に立たせ賜い、御力強くも天皇陛下の万歳を奉唱あそばされました。

《高松宮殿下》
「天皇陛下、万歳、万歳、万歳」
「万歳」「万歳」「万歳」
(最敬礼)

かくて10日、11日の2日間に渡る曠古(こうこ)の大聖典は、一億民草歓喜のうちにここに滞りなく終了。全参列諸員はこの聖代に生を受けた感激を強く胸に記して式場を退出。弥栄(いやさか)の式は燦爛(さんらん)として、緑濃き大内山に照り映えました。

帝都は慶祝一色        01:17
元気に、朗らかに、一億の歓喜に爆発した奉祝の夜、宮城外苑のかがり火は悠久を思わせて消ゆることなく、大奉祝灯のもと、赤々と燃えるかがり火を慕い奉りて、奉祝の市民は幾万、幾十万。夜の帝都は提灯行列に、花電車に、ただ慶祝のひと色に塗りつぶされました。

 

日本ニュース 第24号(1940年11月)10分48秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300409_00000

天皇皇后両陛下 明治神宮御直拝       01:24
南進邦人待望の南洋神社鎮座祭        01:23
東京市奉祝会<紀元二千六百年前線銃後の奉祝> 01:23
名古屋市音楽大行進<紀元二千六百年前線銃後の奉祝> 00:43
上海の行進<紀元二千六百年前線銃後の奉祝> 01:28
南京の奉祝<紀元二千六百年前線銃後の奉祝> 00:21
北京の分列行進<紀元二千六百年前線銃後の奉祝> 00:40
広東の祝賀会<紀元二千六百年前線銃後の奉祝> 00:38
海鷲翼を連ね勇躍江南急襲          02:47

天皇皇后両陛下 明治神宮御直拝       01:24
天皇・皇后両陛下には、紀元2600年のよき年に迎えた明治神宮鎮座20周年に際し、明治天皇ならびに昭憲皇太后の御神霊に親しく御拝礼の御為、秋深き11月15日、御同列の略式自動車鹵簿(ろぼ)にて宮城を御出門。御道筋に堵列(とれつ)する市民の奉拝を受けさせられつつ、晩秋の季濃き代々木の森に鎮座まします明治神宮に行幸啓あそばされ、天皇陛下には百武侍従長より奉る御玉串を御手にとらせ賜い、恭しく御拝あらせられ、皇后陛下にも広幡大夫より奉る御玉串を御手に御拝礼あそばされました。

南進邦人待望の南洋神社鎮座祭        01:23
南洋群島13万在住民はもちろん、外南洋に居住する1万余在住邦人が、待ちに待った官幣大社南洋神社に奉安し参らす天照大神の御神霊は、伊藤勅使に奉戴(ほうたい)されて10月27日、かしこくもはるばる海を渡り、パラオ島コロールに到着しました。
11月1日、鎮座祭のよき日。パラオの空は帝国南進の雄雄(おお)しい姿を象徴するかのごとく晴れ渡り、近藤南洋庁長官をはじめ、官民代表約500名参列のもとに天照大神、神鎮まりたもう鎮座祭の御儀は、森厳厳粛のうちに執り行われました。
かくて11時、在住民、感激のうちに式は滞りなく終了し、午後1時半よりは一般の参拝が許されました。

東京市奉祝会<紀元二千六百年前線銃後の奉祝> 01:23
紀元2600年の東京市奉祝会は、かしこくも賀陽宮同妃両殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ、この聖代に生を受けた700万市民のあふれる歓喜と感激をこめて、11月13日、明治神宮外苑競技場で盛大に挙行されました。開会劈頭(へきとう)、橿原神宮からお迎えした御神火は、芝生席中央、国旗掲揚塔下のかがり火に遷火されました。
かくて大久保市長は、紀元節に賜った詔書を奉読。白衣の勇士をまじえた観覧席は、10万の市民各層の代表に埋め尽くされ、奉祝の気分はいよいよ高く、聖寿の万歳を奉唱しました。

(一同、万歳三唱)

さらに式典が終わると、2600羽ずつの鳩が場内3カ所から一斉に放たれ、ここに真摯(しんし)敢闘を誓う700万市民の、力の祭典は開始され、両殿下の御前に頼もしい体育絵巻を繰り広げました。

名古屋市音楽大行進<紀元二千六百年前線銃後の奉祝> 00:43
また、名古屋においても曠古(こうこ)の聖典を寿ぐ市中音楽行進が挙行され、全市民こぞって心からこの佳き年を慶祝しました。

「天皇陛下、万歳、万歳、万歳」
(一同、万歳三唱)

上海の行進<紀元二千六百年前線銃後の奉祝> 01:28
外地においても11月10日、一斉に聖寿の万歳を寿ぐ喜びの慶祝風景を描き出しました。まず、8万の在留民を擁する上海では、海の兵(つわもの)陸戦隊の堂々たる市中行進によって慶祝の幕を開きました。
市中行進を終えた陸戦隊は、隊伍(たいご)堂々、上海神社に参拝。護国の悠久と繁栄を祈願いたしました。さらに在留民は朝早く遙拝(ようはい)式を行った後、久方ぶりに神輿(みこし)をかついで故国をしのぶ奉祝の一日を送りました。
午後からはまた黄浦江(こうほこう)上に海の精鋭を動員。嶋田大将、査閲のもとに閲兵式を挙行。

南京の奉祝<紀元二千六百年前線銃後の奉祝> 00:21
南京においては、各部隊ごとにそれぞれ奉祝式を挙行しましたが、支那派遣軍総司令部では、西尾総司令官以下が参集し、11時25分を期して声高らかに万歳を三唱。聖寿の無窮(むきゅう)を寿ぎ奉りました。

北京の分列行進<紀元二千六百年前線銃後の奉祝> 00:40
北京在留の日本人約7万は、この日午前10時、東単広場に集合して祝典を挙行。万歳を三唱した後、多田最高指揮官閲兵のもとに鼓舞堂々、分列式を行い、今ぞ燃え上がる東亜民族の意気を高らかに示しました。

広東の祝賀会<紀元二千六百年前線銃後の奉祝> 00:38
南支那の広東では、官民合同の祝賀式を開いた後、約1万の在留民は行列を組んで司令部に至り、後宮(うしろく)中将の前に万歳を三唱。
さらに陸戦隊は堂々たる街頭行進を展開。かくてこのよき年の慶(よろこ)びの日、日本人のいるところ全東亜各地に元気で朗らかな奉祝風景が描き出されました。

海鷲翼を連ね勇躍江南急襲          02:47
大陸の空を縦横に飛んで、北に南に敵の残存勢力に壊滅的打撃を与えつつある、我が荒鷲の戦果は、日一日と上がり、ここにまた中支海軍航空隊の輝く成果が記録されました。11月初旬、我が海軍航空隊水上機隊の一部は秋冷の水面を蹴って勇躍、基地を出発。安徽省の山間に盤踞(ばんきょ)する残敵、爆撃の壮途につきました。
一路、江南の山野を快翔、安徽省の敵重要拠点たる沙村上空に達した我が水上機隊は、逃げまどう敵に急降下の必中弾を加え、これをまったく壊滅させました。
さらに機首を立て直した我が部隊は、風光明媚な廬山(ろざん)のふもと、ハヨウ湖畔の景徳鎮を急襲。付近に新築した敵兵舎めがけて、またまた急降下の猛襲を繰り返しました。
かくして敵の新築兵舎も、我が矢継ぎ早の攻撃にまったく破壊し去り、その成果を確認した殊勲の部隊は、全機悠々、帰還の途につきました。


(最後)

支那事変 貯蓄債券 報國債券 賣出し

十二月十日より三十一日まで
一枚十円と五円

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第25号(1940年11月)10分27秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300410_00000

元老西園寺公 薨去           02:09
地方進出第一声大政翼賛運動       01:41
愛馬愛国の報国二重奏               01:06
前線の食料自給自足と華中診療列車<大陸通信> 01:30
野戦自動車修理工場<大陸通信>     00:57
ハンガリー国軍市中行進<枢軸同盟の凱歌洪、羅、ス三国参加> 00:37
ルーマニアの閲兵<枢軸同盟の凱歌洪、羅、ス三国参加   00:22
スロバキア首相官邸<枢軸同盟の凱歌洪、羅、ス三国参加> 02:00

元老西園寺公 薨去           02:09
波静かなる清見潟のほとり、興津町坐漁荘に悠々自適の生活を送る西園寺公は、去る11月10日の夜、かりそめの風邪(ふうじゃ)に病臥(びょうが)して、ここに2週間、24日より疲労いよいよ加わり、興津の町は深き憂色に閉ざされました。この日、松平宮内大臣は憂いの色も濃く、坐漁荘の門をくぐり、続いて、かしこきあたりより御差遣の勅使、百武侍従長はありがたきおぼし召しを奉じて、老公を病床に見舞い、さらに続いて公私とも関係の深かった近衛総理大臣が暗然として坐漁荘に入りました。かくて公爵は勅使ならびに御使いに感泣いたしましたが、病勢はさらに改まり、同日午後9時54分、静かにその偉大なる生涯を終わりました。顧みれば長かりし92年。孝明、明治、大正、昭和の四朝に仕え奉り、日本の発展を記(しる)す老公の在りし日の姿。明治維新前、17、8歳頃。明治3年、22歳。文相時代、46歳。晩年の老公。
犬養内閣成立にあたって、駿河台の自邸から参内する西園寺公。その後、興津の別荘に俗人を避け、政変の度ごとに上京、御下問に奉答。昭和11年3月、未曽有の大事件に88歳の老躯(ろうく)をおして上京。これが帝都訪問、最後の姿であります。

地方進出第一声大政翼賛運動       01:41
全国的に活発な活動を始めた大政翼賛会では、11月20日の夜、大阪中央公会堂にその第一声をあげました。この夜、あいにくの雨にもかかわらず、新体制への激しい熱意を示す国民は、開場とともに場内をうずめ、しかもなお入場できぬ1000余の人々が場外に取り付けた拡声器に耳を傾けました。
この空前の盛況のうちに定刻、会は開かれ、星野顧問、有馬事務総長らこもごも立って熱弁をふるい、さらに中野常任総務も明治天皇の御言葉を引いて、臣道実践の烈々の弁をはきました。

≪中野常任総務≫
「一人も其所を得ざるものあれば、朕が罪なりと仰せられる。これ故に、朕自ら心身を労す。心骨を労す。体と骨を労し、心志(しんし)を苦しめ、心、志を苦しめ、自ら艱難(かんなん)の先に立つと仰せられた。(音声中断)です。臣道を実践せんとすれば、この大御心をよく味わわなければならぬ。億兆のうち一人の、所を得ざるものあれば、朕が罪だと仰せられたならば、日本国の政治を預かり、一人の失業者が増すときには、政治家の責任なりと考えることが臣道実践であると申す。」

愛馬愛国の報国二重奏               01:06
古くから名馬の産地として知られた青森県の三本木町。この町を中心とする近郷近在8カ町村では、8500頭におよぶ馬を飼育し、大陸の戦線に幾多忠良なる無言の戦士を送り出し、愛馬報国の念に燃え立っています。
これは毎年秋に開かれる2歳馬の大競り市です。陸軍省、農林省などの係官も混じり、全国からおよそ1000人の買い入れ人が集まります。

(競り)

そして今年は、さらに売上代金の1割を債券で受け取り、この赤誠は積もり積もって20万円。銃後に開く愛馬愛国の二重奏であります。

前線の食料自給自足と華中診療列車<大陸通信> 01:30
前線から少し離れて、兵隊さんがお菓子屋さんを開業しました。まず、上手な手つきでパン粉をのばす。それから型をとり、釜にいれて焼きます。本職もはだしのみごとな手際をご覧ください。
おいしそうに焼き上がったパンやお菓子は、すぐ前線の戦友のもとへ送られるのですが、不公平のないよう、いちいちはかりにかけてから袋に入れます。
その隣はうどん屋さんです。材料はもちろん現地のものばかり。こうして内地に負けないくらい、一生懸命に自給自足に努めています。

大陸を驀進(ばくしん)する列車の響き。これは新しい建設に協力する華中鉄道の診療列車で、世界でも有名なくらい病気の多い支那の農村を巡り歩いて無料で診療を行っています。この温かい博愛の手は、至る所で大歓迎を受け、クーニャンの看護婦さんも新しい支那の建設を目指してかいがいしく立ち働いております。

野戦自動車修理工場<大陸通信>     00:57
前線で負傷したり、壊れたりした自動車がタンクに引かれて帰ってきます。どれも皆、大陸の山河を縦横に走り回って立派な働きをしたものばかりです。この野戦自動車修理工場では、大抵の故障は兵隊さんたちの手で完全に元通りに修繕されます。車輪の取り換え、エンジンの故障修理、車体の点検と兵隊さんたちはハンマーを握り、旋盤にかじりついて大活躍であります。
破損したタイヤも取り外して穴をふさいだり、修繕機にかけたりして、みごとに更生します。
こうしてすべてが生まれ変わったように、立派にできあがりました。さあ、明日からはまた前線へ。

ハンガリー国軍市中行進<枢軸同盟の凱歌洪、羅、ス三国参加> 00:37
高らかに鳴り渡る日独伊同盟の凱歌(がいか)。11月20日、ハンガリーの同盟参加に続いて、23日ルーマニア、翌24日スロバキアの参加調印を終わりました。
率先して同盟陣営に参加したハンガリアは、鉄血ホルティ摂政に率いられて早くよりナチスドイツと歩調を合わせ、前大戦に失ったルテニア、トランシルバニア等の旧領土を回復。全国民一致して国力の拡充に努め、世界正義の大道を驀進(ばくしん)する新鋭国家であります。

ルーマニアの閲兵<枢軸同盟の凱歌洪、羅、ス三国参加   00:22
これに遅れること3日、バルカンの宝庫ルーマニアも三国同盟の列に加わる。由来、この国は久しく親英派によって国政を支配されてきましたが、世界情勢の変転とともに危急存亡の断崖に臨み、アントネスコ首相は断固国論を統一して三国同盟の大理想実現に協力を誓いました。

スロバキア首相官邸<枢軸同盟の凱歌洪、羅、ス三国参加> 02:00
さらに翌日、枢軸同盟はバルカンの新興国家スロバキアを迎えて、英米はじめ旧体制国家群に大衝動を与えました。昨年3月、チェコスロバキア解体とともに独立国家として成立したスロバキアは、ツカ首相以下、全国民をあげて盟邦ドイツと協調、順調な発展を遂げつつあります。かくてスロバキアを加え、同盟国家じつに6カ国。世紀を圧する大進軍は開始されました。
この喜びに東京麻布のルーマニア公使館では、ソロンドール代理公使、ランドレスコ大佐らがヨーロッパ地図を前にして、はるかに祖国に思いを馳せました。
同じ東京麹町のハンガリー公使館は、激励と祝電の山にうずまり、会員一同、はち切れんばかりの喜び方で杯をあげて、新しき時代を担う盟友各国の将来を祝福しました。なお、ギガ公使は包みきれぬ感激に興奮しながら、三国同盟参加の喜びを語り、日本とより緊密なる親善関係を結んでアジアならびにヨーロッパの新しき秩序建設に協力し、世界平和のより速やかなる確立に誠心誠意邁進(まいしん)すべきことを力強く宣言しました。

(ギガ公使演説)

 

1940年12月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=194012

日本ニュース 第26号(1940年12月)9分22秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300411_00000&seg_number=001

天皇陛下行幸 帝国議会五十年記念式典 02:04
高松宮殿下台臨八紘の基柱竣工     00:50
新秩序の礎石成る日支、日満支調印式  02:07
盟邦各国将兵へ美しい人形慰問     00:59
依然緊張の仏印支那国境        01:15
戦火を後に邦人総引揚げ(ロンドン)  01:16
空襲下の敵首都重慶          00:48

天皇陛下行幸 帝国議会五十年記念式典 02:04
(音声中断、映像のみ)

(会談風景)
「そう、長い間議員におりまするけれど、何といって尽くしたことはなく、ただ慙愧(ざんき)の至り。それで今、偶然浮かんだのは、議会前にも10年余り私は立憲政治のために尽くしておったものですから、もう(聞き取り困難)憲政のために尽くしきて、我が身を恨む力無き身を、と、31文字に並べた。それが、全部の感想じゃ。」

高松宮殿下台臨八紘の基柱竣工     00:50
(音声中断、映像のみ)

新秩序の礎石成る日支、日満支調印式  02:07
(音声中断、一部音声あり、映像のみ)

(音声中断)「本日、この式場において、東亜の歴史上、画期的の重要意義を有す日満華共同宣言の署名を証しましたことは、御列席の各位とともに、衷心(ちゅうしん)より欣快とするところでございます。」(音声中断)

盟邦各国将兵へ美しい人形慰問     00:59
(音声中断、映像のみ)

依然緊張の仏印支那国境        01:15
(音声中断、映像のみ)

戦火を後に邦人総引揚げ(ロンドン)  01:16
(音声中断、一部英語で音声あり、映像のみ)

空襲下の敵首都重慶          00:48
(音声中断、一部爆撃音、ドイツ語で音声あり、映像のみ)

 

日本ニュース 第27号(1940年12月)10分41秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300412_00000&seg_number=003

皇后陛下女子高等師範行啓      01:34
元老西園寺公国葬          01:35
米国大統領ルーズベルト氏三選    01:17
友邦四ケ国よりの奉祝大演奏会    02:00
朝鮮、台湾軍優勝宮崎一畝傍駅伝競争 01:34
早明ラグビー熱戦明大三連覇成る   01:26
晋察冀辺殱滅戦           01:13

皇后陛下女子高等師範行啓      01:34
皇后陛下にはかしこくも女子教育に寄せたもうありがたきおぼし召しから、12月3日、略式自動車鹵簿(ろぼ)にて東京女子高等師範学校に行啓あそばされました。
この日、陛下には校内幼稚園に御歩みを運ばせたもう御途中、その父をこの国の礎と捧(ささ)げ参らした勇士の幼子たちに御目を注がせ賜い、御慈愛深き御会釈を賜りました。
さらに陛下には聖戦に夫を捧(ささ)げ、やがて教壇に更生せんとする勇士未亡人らの奉迎のうちに、校内特設の中等教員養成所棟にならせられ、これらけなげな人々の授業を御覧あそばされました。

元老西園寺公国葬          01:35
去る11月24日、興津坐漁荘において薨去(こうぎょ)した故西園寺公望公爵の御霊(みたま)は28日、町民あげて哀悼のうちに興津駅に到着。特別列車にて一路、帝都へと向かいました。
12月5日、一世の巨人、西園寺公の偉大なる終焉(しゅうえん)を飾る国葬の儀は、日比谷葬場において厳粛に執り行われました。かしこくも三陛下よりの大真榊(おおまさかき)をはじめ、各宮殿下、満洲国皇帝陛下よりの真榊(まさかき)、花輪に、公の余栄はここに極まり。梨本宮殿下をはじめ奉り、内外朝野の顕官参列のうちに荘重の式は進められました。
この日特にかしこきあたりより牧野侍従の御差遣あり。公の霊前に拝礼せしめられました。また、喪主・八郎氏は恭しく祭殿に参進。今は亡き父の御霊(みたま)に最後の決別を告げました。
かくて新興日本の発展とともに生きた元老西園寺公の英魂は、全国民をあげての哀惜のうちに永久(とこしえ)に天に還りました。

米国大統領ルーズベルト氏三選    01:17
ルーズベルトかウイルキーか、全世界の注目を集めたアメリカ大統領選挙戦の大詰め。ルーズベルト氏は、5000万人の有権者に混じってハイドパークの投票場に現れ、自らその1票を入れました。
一方、相手のウイルキー氏も必勝の意気も高く、ニューヨークのある投票場に現れました。
あらゆる通信網は総動員されて、刻々の状勢を伝え、全アメリカをあげて興奮のるつぼの中に投げ込みました。ルーズベルトかウイルキーか。厳粛なる国民の審判は今まさにくだされようとしている。
ルーズベルト勝つ。11月6日。ルーズベルト氏は三度大統領に選ばれ、かつて何人も作り得なかった輝かしい記録をアメリカの歴史に記入しました。
民衆は熱狂して、彼らの英雄の上に割れかえるような喝采(かっさい)を送りました。

友邦四ケ国よりの奉祝大演奏会    02:00
友邦4ヶ国から送られた奉祝曲発表会は12月7日、8日、東京歌舞伎座に挙行。まずフランスのイベールを山田耕作氏、ハンガリーのベレッシュを橋本国彦氏、イタリアのピツェッティをガエターノ・コメリー氏、最後にドイツの巨匠シュトラウスをヘルムート・フェルマー氏が指揮。満場の大喝采(かっさい)を浴びました。

(演奏会の様子)

朝鮮、台湾軍優勝宮崎一畝傍駅伝競争 01:34
紀元2600年奉祝第11回明治神宮国民体育大会、宮崎・畝傍(うねび)間1000kmの大駅伝競走は、日本、満洲8地区の精鋭によって去る11月27日から競走の火蓋(ひぶた)を切りました。
各チームとも郷土の名誉を双肩に担って、必勝の誓いも固く、至る所に追いつ追われつの白熱戦を演じました。
第8日目、中国・四国軍は俄然(がぜん)奮起して、姫路到着点のテープを切りました。
かくて12月6日、最後のコースに入るや、各選手とも有終の美を飾るべく、力走を続けましたが、満洲軍のがんばり、みごとに功を奏して瀬口君、まず橿原(かしはら)のゴールに飛び込みました。しかし、10日間の総計成績、第5位。続いて東北チーム、総計成績、第6位。40秒遅れて朝鮮・台湾軍、総計成績、55時間2分32秒で堂々と優勝。期待された関東軍は後半意外に振るわず、この日も7番目にゴールインし、第2位に落ちました。

早明ラグビー熱戦明大三連覇成る   01:26
関東ラグビー戦の覇権をかけた早大対明治の一戦は、8日、神宮競技場で挙行。3年連続制覇を目指す明大と、シーズン後半好調の波に乗る早大の挑戦に多大の期待をもって開始されましたが、明大は強力無比のフォワード大いに振るい、前半21対0と断然引き離して後半に入りました。後半12分、早大陣の身に(?)25ヤードタイトから明治、球をとって大谷君にパス、大谷君、よく左に独走してトライしました。
さらに16分、早大陣、右のルーズから明治、球をとって大きくパス。高島君、よく前進。これをとって独走。ゴール右側にトライしました。
38分、中央から早大ルーズを割って突進しましたが、30ヤードで潰される。さらに早大、球をとってゴール下に驀進(ばくしん)。早稲田ようやく3度目のトライ。ゴール、みごとに成功。
しかし結局、明治は52対13をもって早大を破り、3年連続制覇の偉業は完成しました。

晋察冀辺殱滅戦           01:13
先に共産八路軍の牙城(がじょう)、北平(ほくへい)を陥れた、マツヤマ、スズキ両部隊の精鋭は、敗走する敵の大部隊を一挙に殲滅すべく、山西省境の山岳地帯に猛進撃を敢行しました。
かくして凍る霜を踏み、峻険(しゅんけん)を突破して、次第にその包囲陣を縮め、ここに壮烈なる一大殲滅(せんめつ)戦を展開。
機を逸せず、気負い立った我が精鋭は、一斉に敵陣に突入。2万の頑敵を完全に覆滅して輝く戦果を収めました。

 

日本ニュース 第28号(1940年12月)9分43秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300413_00000&seg_number=001

大政翼賛会中央協力会議      02:27
大陸に闘う海の精鋭部隊      02:12
漢口のグライダー<大陸通信>   00:51
移動演劇隊遼東劇団<大陸通信>  01:05
広東珠江の水上生活者<大陸通信> 00:33
軍用犬訓練<大陸通信>      00:52
上海の正月<大陸通信>      00:18
急襲!陂頭掃蕩戦         01:19

大政翼賛会中央協力会議      02:27
大政翼賛運動に画期的意義を加える臨時中央協力会議は、153の各地代表を一堂に集め、12月16日厳粛に開会式を行いました。まず岩井代表の誓いの朗読。

(会議)
≪岩井代表≫
「誓い 我等(われら)はかしこみて、大御心を奉体し、和衷協力、もって大政翼賛の臣道を全うせんことを誓い奉る。」

続いて、近衛総裁、末次議長の力強い挨拶。

<近衛総裁>
「我々臣民は、この不動の目標に向かって、真に一億一心となり、これが障害となるべき一切の旧体制を破棄し、万民翼賛の新体制を確立せねばならないのであります。」

≪末次議長≫
「報国にあっては一切が上御一人に出で、一切が上御一人に帰する忠心帰一の全体主義でありまして、権利義務の関係における全体主義ではないということを知らねばなりません。翼賛会がよく、昭和維新への中核的勢力を結成する先導組織となるか、はた維新には縁遠い現状維持勢力の支柱となり終わるか、実にこの会議の成否如何(いかん)にかかっておると信ずるのであります。」

大陸に闘う海の精鋭部隊      02:12
大陸の空も狭しと縦横の活躍を続ける海の荒鷲がある基地へと帰ってきました。待ち受けていた地上整備員たちは、まず乗組員の労苦をねぎらい、我がことのように全機の無事を喜び合います。それからさらに明日の出陣に備えて、寝る間も惜しんでの大活動を始めるのであります。無敵荒鷲の活躍の背後に、見えざる努力を重ねる、これは地上勤務員の労苦の姿であります。
砲艦乗り組み隊員の手で作られた神社に、各自の武運長久を祈って、勇躍基地を出発します。
長江を中心とする封鎖線の寒風には人に知られない苦痛と困難があります。
時に浮遊機雷を発見。その処置に万全を期し、その航行の安全を保ち、大砲を撃ち、機関銃を撃つばかりが彼ら砲艇隊の任務ではありません。
方向遮断、経済封鎖に、その広漠たる流域を絶えず警戒する、隠れたるこの任務の遂行は、時に敵前上陸をしのぐ、精神的労苦のあることを私たちは忘れることはできません。
出動、命令一下、隼(はやぶさ)のように軍用車の列を連ねて警備につく、上海陸戦隊の猛訓練。
複雑なる国際都市、上海と、その周辺に忍びよる重慶テロ団に備え、近代的に機械化された我が警備隊は、厳重なる警戒の網を張り、寸刻の休むいとまもありません。

漢口のグライダー<大陸通信>   00:51
制空の第一歩は、まずグライダーから。漢口の青年学生航空連盟では、このほどグライダー2台を手に入れ、12月初め競馬場跡の広場で、盛大な命名式を挙行。各方面からの激励と祝辞を受けて、直ちに猛訓練を開始することになりました。
これら若き青年男女はこの頃の寒さもものかは、大空への憧れを胸いっぱいにものすごく張り切っています。

移動演劇隊遼東劇団<大陸通信>  01:05
中支、大民会(たいみんかい)では、慰安の少ない鄙(ひな)農村をまわり、舞台から宣撫(せんぶ)と娯楽の楽しい笑いをまき散らして歩く、トラック移動劇団を組織し、すばらしい人気を集めています。その名を遠東(えんとう)劇団と言い、いずれも非常に熱心で、専門家はだしの妙演技を示します。
こうしてレビューに漫才に芝居に、民衆は笑いながら和平建国を理解し、日支提携の理想を植えつけられ、更生支那の建設に協力するようにと育てられてゆきます。

広東珠江の水上生活者<大陸通信> 00:33
南支経済の中心、広東は以前にも増して重要性を加え、珠江(しゅこう)は広東名物のサンパンで、身動きもできないくらいにうずまっています。
櫓(ろ)をこいでいるのはほとんど全部が女で、これら水上生活者は蛋民(たんみん)と呼ばれて、普通の広東人と区別されています。日用品や食べ物の取引は、一切小舟と小舟との間で行われ、さながら川の上の小都会であります。

軍用犬訓練<大陸通信>      00:52
至るところの戦線で、非常な働きを示した無言の戦士・軍用犬は、やはり兵隊さんと同じように、厳格な規律のもとでたゆまざる訓練を受けています。弾丸のもとをくぐっての伝令訓練や突撃訓練、団体訓練も見事にやってのけます。
激しい戦闘演習の後には、嬉しいお休みの時間が待っています。現地で生まれた子犬に、お乳をやる母犬もあり、兵隊さんに戯れるものもあり、見るからに楽しそうではありませんか。

上海の正月<大陸通信>      00:18
上海では水兵さんたちがつきたてのお餅でお鏡を作りました。さっそく新しき年の武運を祈って、神棚へお供えすることになりました。

急襲!陂頭掃蕩戦         01:19
12月12日、突如、敵の虚をついて、壮烈なる一大奇襲戦の幕が切って落とされました。すなわち南支、陂頭付近の敗敵に対し、行動を開始した我がウエダ部隊は、砂塵(さじん)を蹴って雪崩のごとく敵陣に殺到しました。
不意を襲われた敵軍は、たちまち混乱、算を乱して潰走しましたが、我が軍はこれを次々と狙い撃ちして完全掃討の輝く戦果を収めました。


(最後)

支那事変 貯蓄債券 報國債券

只今賣出中

一枚十円と五円

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第29号(1940年12月)10分16秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300414_00000&seg_number=001

輝く紀元二千六百年を送る 10:16

輝く紀元二千六百年を送る 10:16
2600年、一億国民の愛国の情熱は、この佳き年にあたって、いやが上にも高揚し、怒濤(どとう)逆巻く世界的混乱の中に、神国日本の聖業完遂を深く心に銘記したのであります。

「天皇陛下、万歳。」
(一同、万歳三唱)

嗚呼、感激の2600年。この佳き年に巡り会う千載一遇の国民(くにたみ)の幸。何をもってか、これに代えん。
1月14日、阿部内閣は4ヶ月の短命を米内海軍大将に譲り、新内閣は15日、その組閣を完了しました。新東亜建設の聖業完遂のために、2月22日、帝国議会は103億の膨大予算を可決。非常時国家経済はついに100億突破の新記録を作りました。
一方、支那を救うべく、敢然立った汪精衞(おうせいえい)氏は、王克敏(おうこくびん)氏、梁鴻志(りょうこうし)氏を枕頭に招き、1月24日、新しき支那の統一政権確立についての意見を交換。
かくて3月、南京に中央政治会議を開き、和平の実現、憲政の実施について重要決議を成すとともに、南京を更生支那の新首都と決定。30日、盛大なる還都式典を行い、ここに新国民政府は支那における唯一の政党政府として正式に成立しました。
超えて4月26日、国民政府還都典礼を挙行。帝国政府代表、阿部大使は祝辞を朗読。ここに日支提携の契りは固く結ばれ、善隣友好の永遠の誓いを交わしました。
この新政府運動に平行して、大陸各地の治安は次第に回復し、まず上海においては2月15日、率先してガーデンブリッジ、四川の橋の検問、通行制限の解除を断行。
続いて4月20日、広東港の開港を宣言。この広東港の開港こそ、南支貿易の中枢、珠江(しゅこう)解放の前提にして南支の復興建設を実証するものというべく、その後、この港は新政府治下の重要貿易港として日に日に繁栄を加えつつあります。
これに遅れること2ヶ月、6月20日、天津英仏租界の隔絶また解除さる。英仏側の頑迷に憤然その迷妄を覚ますべく、租界隔絶の鉄槌を降してより、実に370余日。皇軍の威武、全支に厳然たり。
内外情勢の変転に従い、7月16日、米内内閣は総辞職を決行。替わって近衛文麿公は新体制を確立すべき強力内閣を組織。
この頃から我が大陸作戦は新しい展開を示し、まず香港援蒋ルートの徹底的覆滅を図って、7月27日、香港東方60マイルの汕尾(さんび)付近に敵前上陸を敢行。またまた戦史に不朽の記録を残しました。
欧州の戦果におののき、日本の積極的攻勢に怯えるイギリスは8月13日、ついに支那駐屯軍引き揚げを断行。伝わるところによれば、これをシンガポールに送って防備拡充に充てるものという。相次いで動く極東の新体制にアメリカも支那各地から米人の引き揚げを命令。
援蒋ルート遮断に好意を示した仏印当局は、我が国との間に軍事協定を締結。支那事変完遂に協力すべきことを誓いました。ここにおいて我が皇軍の精鋭は、9月23日、堂々国境を越えて仏印に進駐。嗚呼、遠く大陸の南端、インドシナの一画に日章旗燦(さん)たり。かくてアジアの天地に黎明(れいめい)は近づき、攻勢の息吹は大地を包む。小林商工大臣は遠くバタビアに使いし、9月12日から約1ヶ月に渡って蘭印当局と経済交渉を開始。
帝国はさらに一歩を進めて、世界新秩序運動に積極的協力をなし、世界平和の将来を目指して、盟邦ドイツの首都ベルリンに日独伊三国同盟の調印を行い、全世界を驚倒せしむ。ときに9月27日午後1時、まさに外交電撃戦というべく、英米旧勢力、愕然(がくぜん)として声なし。
西南支那に残る唯一の援蒋ルートたるビルマ公路も一時、我が厳重なる抗議によって閉鎖されましたが、10月17日、イギリスはこれが再開を決行、援蒋態度をいよいよ明らかにしました。ここにおいて我は断固、実力をもって応えるべく、我が荒鷲部隊は勇躍援蒋ルート爆撃の壮途に着く。
これら英米旧勢力の事実上の退却に焦慮するイギリスは、極東の前進基地、香港、シンガポールの防備強化に狂奔し、アメリカ海軍との共同防衛案を樹立。落日の悲運これによって、果たしてその回復を見ることができるか。
一方、我が大陸作戦は着々と進行し、今なお抗戦の迷夢にふける蒋政権に徹底的打撃を加えるべく、8月初めから精鋭海の荒鷲は、重慶を数十度に渡って爆撃し、軍事都市としての機能をまったく粉砕しました。
眼(まなこ)を欧州に転ずれば、抗戦3ヶ月にしてフィンランドついにソビエトに屈す。ドイツはイギリス海軍の封鎖陣を破ってノルウェーに軍を進め、デンマークを掌中に収め、北海の海上圏を確保しました。さらにドイツはベルギー、オランダに電撃作戦を敢行。英仏の狼狽(ろうばい)その極に達し。
続いてマリノの堅陣、脆くも破れて、フランスはレイノー首相以下、奇跡の出現を祈るのみ。しかも100万の英仏連合軍は、フランダースの決戦に一敗地にまみれて、雪崩のごとく英仏海峡に潰走。ダンケルクから英本国へ、死の脱出かろうじてなる。
ここにイタリアもまた、ついに蹶起(けっき)して英仏に挑戦。欧州新秩序建設に驀進(ばくしん)することになりました。
独軍はさらに矛(ほこ)を転じて、パリーへパリーへ。6月14日、堂々とパリーに入城。先の大戦に悲嘆の涙に暮れた思い出、今いずこ。
かくてパリー入城に遅れること正に1週間、6月21日、独仏休戦条約は成立し、かつてドイツが屈辱的講和を強要されたコンピエーニュの森に歴史的調印を行いました。人変わり、星は移って、勝敗所を変えるも、所は同じコンピエーニュの、しかも同じ列車のうちにゲルマンの復讐はみごとに達成。しかも欧州の動向を決するヒトラー、ムッソリーニ両巨頭の再度に渡るブレンネル国境会談は進行。両巨頭、相会するごとにヨーロッパの歴史はその進展の速度を速め、新事態へと突入していく。
かくて欧州大戦は、ドイツの英本土上陸作戦を前に、熾烈(しれつ)なる空襲戦に転じ、イギリスの孤影、悄然(しょうぜん)として凋落(ちょうらく)の色、ようやく覆い難し。
アメリカはこれを救うべく、駆逐艦50隻をイギリスに送りました。このアメリカ国民は11月6日、ルーズベルトを三度、大統領に選び、ルーズベルトは対英積極援助を明白にしました。
ヨーロッパの新しき進展に呼応するかのごとく、11月30日、南京において日支新条約ならびに日満支三国共同宣言が調印されました。思えば日支、戦いを交えてより4星霜。聖戦に幾多の英霊を捧(ささ)げ、一億心を一にしての苦闘むなしからず、東亜新秩序の礎、ついに成る。厳然たるこの事実の前に、重慶の苦悩覆い難く、英米旧勢力の焦燥また思うべし。
かく、外において、めざましき発展を示しつつ、内には大政翼賛の新体制運動はいよいよ進展、画期的成果を収めつつあります。

(臨時中央協力会議場での宣誓文朗読)
「我々は、かしこみて大御心を奉体(ほうたい)し、和衷協力、もって大政翼賛の臣道を全うせんことを誓いまつる。」

かくて来るべき2601年こそ、未曽有の非常時局を克服し、飛躍的発展の新階段に登るべき希望の年として期待されるに至りました。

 

日本ニュース 第30号(1940年12月)9分28秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300415_00000&seg_number=003

謹みて皆様と共に紀元二千六百一年の輝く新春を寿ぎます 02:30
東條陸相中支視察      00:54
威海衛砲艇隊歴史的譲渡式  00:46
出雲艦上の新年<大陸通信> 02:04
北支戦線の勇士<大陸通信> 00:41
仏印の駐屯部隊<大陸通信> 00:50
凱歌南支を圧す陸鷲暁の出動 01:40

謹みて皆様と共に紀元二千六百一年の輝く新春を寿ぎます 02:30
≪字幕≫
謹みて皆様と共に紀元二千六百一年の輝く新春を壽ぎます
社団法人 日本ニュース映画社

(合唱)
年のはじめのためしとて
終わりなき世のめでたさを
松竹(まつたけ)たてて門(かど)ごとに
祝う今日こそ楽しけれ

初日の光差し出でて
四方(よも)に輝く今朝の空
君が御影(みかげ)にたぐえつつ
仰ぎ見るこそ尊けれ

東條陸相中支視察      00:54
現地派遣軍将兵を激励し、あわせて国民政府要人と懇談を遂げるため、大陸に渡った東條陸軍大臣は12月21日南京より上海に到着。直ちに大場鎮彰忠塔に参拝。江南の野に花と散った母国の英霊に心からなる黙祷(もくとう)を捧(ささ)げました。
さらに東條陸相はこの日午後、事変以来、砲煙弾雨のうちに赫々たる武勲を立てた軍艦・出雲を訪問し、嶋田支那方面艦隊司令長官と艦上において、事変処理に関して、隔意なき会談を遂げました。

威海衛砲艇隊歴史的譲渡式  00:46
我が海軍が育てあげた北支特別砲艇隊、並びに砲艦・永翔を国民政府海軍部に引き渡す譲渡式は、清水北支海軍最高指揮官参列の上、12月13日威海衛劉公島(いかいえいりゅうこうとう)において行われ、中国旗は我が軍艦旗に代わってするすると掲げられ、同時に北支特別砲艇隊本部の門札は、威海衛海軍要港部と替えられました。
かくてここに、新中国海軍生誕の基礎は支那民衆、喜びのうちに固く築かれたのであります。

出雲艦上の新年<大陸通信> 02:04
遠く北はソ満国境から南は常夏の仏印まで、民族の合唱が大陸の師走を奏で、吹雪く前線に、また椰子の葉陰に銃持つ勇士たちの顔は明るい。輝ける世紀の朝明けが東亜共栄圏にやって来る。輝ける2601年の春がやって来るのだ。大陸に四度目の春待つ準備は、まず軍艦・出雲の迎春飾り付けに始まります。
中支前線でも残敵を前にして春を迎える準備に忙しい。
こんなにたくさんお餅や松をもらってはすまんと思う。俺たちのお正月はまさしく豪華版だ。敵が長期戦を叫ぶなら、俺たちは何回でも大陸でお正月を迎えてやるぞと、笑いながらの餅つきであります。
お雑煮の準備もできました。今年も立派にご奉公ができたが、来たるべき新しい年にも、それ以上に立派な働きを無事長らえて努めようと、感謝と希望に満ちた嬉しい年越しのうどん。
転戦また転戦で、寸暇も無かった勇士たちも、春を控えての身だしなみであります。小春の日を浴びて朗らかな笑顔が並んでいます。

北支戦線の勇士<大陸通信> 00:41
朔風吹きすさぶ北支戦線には、しのびよる春の足音をよそに、白皚皚(はくがいがい)たる雪を踏んで、夜も昼も厳重な警戒の目が張られています。
歩哨の合間、わずかに許された団らんのひと時、勇士たちの開く慰問袋からは内地の香りも高い羽子板。手に取る勇士の厳(いか)めしい顔も、近づく春の気配に、思わずほころびるのでありました。

仏印の駐屯部隊<大陸通信> 00:50
椰子の葉茂る常夏の国・仏印に、天幕を連ねて駐屯する航空部隊の勇士たちも、輝ける世紀の黎明(れいめい)を控えて、晴れの装いに余念がありません。
かつて北も南も大陸に、我が勇士たちの行くところ、大東亜建設を寿ぐ民族協和の合唱は奏でられ、銃持つ兵(つわもの)たちの顔はお正月を控えて、明るく輝くのでありました。

凱歌南支を圧す陸鷲暁の出動 01:40
大陸の野に戦いは続けられています。蒋介石軍が抗日を続ける限り、戦場には師走もなければ、正月もありません。我が丸田部隊の荒鷲は今日もまた暁闇を衝いて勇躍出動。大陸の空を縦横に飛んで、聖戦完遂に邁進(まいしん)するのであります。

 

1941年1月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19411

日本ニュース 第31号(1941年1月)9分40秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300416_00000

日仏印東京会議          01:30
独機英国最大の軍需都市爆砕    01:24
蒙疆の皇軍<共栄圏迎春譜>    00:35
北支陣中風景<共栄圏迎春譜>   01:04
中支の正月<共栄圏迎春譜>    01:12
広東の兵と支那娘<共栄圏迎春譜> 01:41
海南島の親善<共栄圏迎春譜>   01:06
仏印の相撲大会<共栄圏迎春譜>  00:59

日仏印東京会議          01:30
東亜新秩序の確立に重要意義を持つ、日本仏印東京会談は準備全く完了し、旧臘(きゅうろう)28日、松岡外務大臣は官邸に盛大なる歓迎の午餐会を開きました。フランス側から主席代表、アンリー駐日大使、ロバン、クーザン政府使節団長ら10名、日本側から松岡外相をはじめ、松宮大使、白鳥顧問、大橋次官ら列席。
席上、松岡外相は世界全人類の共存共栄を目指す、我が国の立場を明らかにし、仏印当局がこの趣旨を理解して、東亜の安定と繁栄に協力せんことを期待するとの、歓迎の挨拶を述べました。

独機英国最大の軍需都市爆砕    01:24
イギリス本土爆撃に積極的に乗り出したドイツ空軍は、おそらく1000キロ以上と想像される強力大型爆弾を続々と製作。かつてヒトラー総統がイギリス海峡を越えて、(音声中断、聞き取り困難)10tの爆弾をロンドンの空に運んでみせるとの豪語をそのままに、この大爆弾を持って敵の本土を徹底的に爆砕し、さすがのイギリスをして、顔色無からしめております。
この日の爆撃目標は、中部イギリスの軍需工場都市、コヴェントリー、威風堂々、鵬翼(ほうよく)を張って海峡の空をおし渡る。
かくてイギリス最大の飛行機発動機工場は、一日にして見る影も無く破壊され、致命的大損害を被りました。

蒙疆の皇軍<共栄圏迎春譜>    00:35
東亜民族の歴史の朝明け、紀元2601年は、ほのぼのと明けました。八絋一宇の大光に照らし出された東亜共栄圏の春。吹雪に明け、吹雪に暮れる蒙彊(もうきょう)高原に、元旦の遥拝式を済ませた我が勇士たちは、パオを中心に迎春の宴を開き、零下34度、大地の割れる音が聞こえる酷寒の雪を踏んで、ヨーヨーに追羽根に民族協和の楽しき春を寿ぎました。

北支陣中風景<共栄圏迎春譜>   01:04
戦雲漂い、砲声なお絶えぬ北支前線では、休みなき戦の合間、叉銃の陰に形ばかりの慌ただしい初春を祝いました。
これは我が勇士を助けて、第一線に活躍する、もの言わぬ戦士たちのお正月。春待たで、戦場の花と散った戦友の彰忠塔にまず参拝。それから身に春の装いを凝らして、いつになく陽気な勇士たちと、うららかに晴れた日のもとに喜々とたわむれ、興亜の春を寿ぐのでありました。

中支の正月<共栄圏迎春譜>    01:12
中支戦線においても、各部隊いずれも明け行く東天をふし拝み、一死奉公を誓った後、部隊長を中心に、内地から贈られた心づくしのお雑煮に、故郷をしのぶ、和気あいあいたるお正月。
さてこれはお正月の余興の傑作。ひょうきんな戦友が、太夫才蔵にふんして、三河万歳のご回礼、明るい鼓の響くところ、朗らかな笑いが爆発します。

広東の兵と支那娘<共栄圏迎春譜> 01:41
南支、広東のお正月。今日ばかりは兵隊さんもすっかり子どもになって、クーニャンたちと楽しい羽根つき合戦に大はしゃぎ。文字通り、美しい日支親善風景が至るところに見られます。広東クーニャンは、仲良しになったお礼に、足で羽をつく支那特有の遊技で、兵隊さんを喜ばせています。
これは竹馬に乗った兵隊さん。支那の子どもたちを大勢引き連れて、年始の回礼に出動であります。
やあ、おめでとう、おめでとう。挨拶の後で、焼いたお餅で内地の楽しいお正月をしのびます。部下の子ども兵卒が、恥ずかしがって遠慮するのもご愛嬌です。
それから子ども相撲大会。みんな汗を流して、一生懸命です。
一方、遠く前線の塹壕のうちに迎えるお正月。寸刻の油断も無く、銃を取り、剣を握って、敵陣と対峙(たいじ)する将兵の元へ、後方からお祝いのお餅が届けられました。あちらの塹壕、こちらの塹壕と駆けずり回って、弾丸ならぬお餅を配って歩く配給部隊の顔も、なんとなくうれしそうです。

海南島の親善<共栄圏迎春譜>   01:06
南海の果て、旭日燦(さん)として雲を破れば、海軍陸戦隊の精鋭、銃剣を捧(ささ)げて、遥かに祖国、日本の隆昌と国運の発展を祈る。
翻る軍艦旗のもと、我が警備厳たるうちに、島内は至るところ、春の喜びにあふれ、新しき年の初めの希望に沸き立っております。
ここでも兵隊さんと子どもたちは、仲良く椰子の葉陰に新年を迎え、少年たちは大好きな兵隊さんへの贈り物に、椰子の木へするすると上手に登り、実を取って、心づくしのお礼とします。
兵隊さんたちも慰問袋から出てきた紙風船で、島の子どもらを相手に、大騒ぎをして楽しみます。

仏印の相撲大会<共栄圏迎春譜>  00:59
日本をあとに幾千里、初めて迎える異郷、仏印の元旦。ソンコイの大鉄橋の彼方、大日輪は今ぞ上る。我が務めは重く、祖国日本の行く手また多難なり。将兵等しく決死報国の誓いを新たにする。
続いて、焼けつく太陽のもとに、早くも幕を開いた兵隊さんの春場所大相撲。
さて、ご褒美は熱帯特有のおいしい果物ばかり。こうして西に東に、南に北に、たくましい興亜日本の新年は迎えられたのであります。

 

日本ニュース 第32号(1941年1月)9分40秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300417_00000&seg_number=006

戦禍の欧州から伏見丸帰る       02:50
海の誇りを胸に海兵団入団       01:54
一千年前の驚異アンコールワットの遺跡 01:19
青島海洋少年団の査閲式<週間話題>  00:31
銃後国民の銅鉄献納<週間話題>    00:23
軍拡に狂奔する米国          00:39
壮烈爆撃行              01:59

戦禍の欧州から伏見丸帰る       02:50
戦禍におののくロンドンから、最後の引き揚げ邦人158名を乗せた郵船伏見丸は、爆撃と魚雷の魔の大西洋を突破、1月8日無事横浜に入港。出迎え人の盛んな歓迎を受けましたが、恐怖と緊張から解放された喜びのうちに、ロンドン内山総領事をはじめ、イノウエ、コデラ両氏らはこもごもパリ、ロンドンの生々しい戦時風景を語りました。

≪内山総領事≫
「私は、内山総領事であります。ロンドンを引き揚げまして、多くの避難民と一緒に本日ここに帰って参りました。」

<イノウエ氏もしくはコデラ氏>
「最近のドイツのロンドン空襲は、実に想像もつかないほど猛烈なものでありまして、ドイツの狙っておりますところはおそらく、国民の士気阻喪を狙ったものでありまして、いわゆる国内戦線の崩壊を目標とした爆撃なんであります。この爆撃をさらに継続し、さらに海上からの封鎖を行うことが、ドイツの英国を打ちのめす唯一の方法じゃないかと思うんであります。もし、海上の封鎖が完全にできないと、封鎖のみによって英国を参らすということができないという見通しがつけば、その時には思い切った上陸作戦をやるだろうと思われます。」

≪コデラ氏もしくはイノウエ氏≫
「フランスが今後生きるかどうかということは、ドイツが抱いている欧州の新秩序というものの内容がいまだ判然といたしませんので、誰にも予想できないと思います。パリの模様を申し上げますと、パリの皆さんが、パリを知ってる方がパリを愛する理由であったところの、パリの雰囲気というものは既にすっかり無くなってしまいましたので、もはや昔のパリではない。昔のパリを知っていて、今日のパリは想像できないのであります。」

海の誇りを胸に海兵団入団       01:54
聖戦下第5年目の横須賀海兵団の入団風景。世はまさに太平洋時代。興亜の意気に燃え、新しき日本建設の固き覚悟を秘めた壮丁たちは、いずれもはちきれるような元気で1月10日の朝、海兵団の門をくぐりました。

(点呼、体格検査の様子)

体格検査も優秀な成績で合格し、その後で服や帽子の被り方を教わります。

(服や帽子の被り方を教わっている様子)

付き添いの親兄弟も、我が子我が弟の見違えるような水兵さんぶりに、すっかり満足し、兄や先輩に負けないようにと激励の言葉を送りました。

一千年前の驚異アンコールワットの遺跡 01:19
このほど澄田委員長以下の我が監視団員は、仏印南部カンボジアの有名なアンコールワットを訪ねました。ここは世界三大遺跡の一に数えられ、11世紀頃全盛を極めたクマ(クメール)王国の首都で今から80年ほど前、密林の下から掘り起こされたものであります。1000年も前にこうした立派な文化が存在したことは、世界の驚異と言うべく、建築様式の壮大豪壮、石像や彫刻の壮麗優雅さは、ギリシャ文明にも匹敵するものがあります。
興亡浮沈一千年、これを作り上げたクマ(クメール)民族今は亡き、この地方にはモイの原始民族が奇妙な生活を営んでいるのが見られます。

青島海洋少年団の査閲式<週間話題>  00:31
海の民なら男ならと海国日本の将来を担う、青島海洋少年団員は去る1月4日、清水艦隊司令長官の査閲を受けました。遠く内地を離れて元気いっぱい、未来の大提督を夢見る少年たちは、大人にも負けぬ見事な分列行進を行い、事変下少年団員の溌剌(はつらつ)たる意気を示しました。

銃後国民の銅鉄献納<週間話題>    00:23
国家総力戦の声に応じて、全国から集められた銅や鉄類の献納品は、国民の赤誠をそのままにおよそ1000tに達しました。集められた金物は、真ちゅうの蚊帳の釣り手300tを筆頭に、お寺の釣り鐘、洗面器、折れくぎに至るまで色とりどり。銃後国民の赤誠に関係当局を感激せしめました。

軍拡に狂奔する米国          00:39
アメリカは今、極度の軍拡熱にうかされ、軍備拡張に狂奔しております。これはフィラデルフィア入営兵士の街頭示威行進で、市民は訳もなく熱狂して騒ぎ立っています。ルーズベルトは民主主義擁護のために、アメリカはその兵器工場たらんと叫び、イギリス援助を大胆に表明。500億の大軍事予算を計上して、枢軸国家への挑戦的態度を明確にしたアメリカ。こうしてこの国は刻々戦争への道を急ぎつつあります。

壮烈爆撃行              01:59
陸の荒鷲に出動命令下る。1月4日、命を受けた我が主導部隊の精鋭は、勇躍機上の人となり、凍る大地を蹴って、壮烈爆撃の壮途につきました。
目指すは太原東北方100kmの山岳地帯に盤踞(ばんきょ)する、敵の本営。我が荒鷲は、地上掃射に爆撃に縦横の大活躍を成し、これを徹底的に粉砕。新春初の出動に目覚ましい戦果を収めました。

 

日本ニュース 第33号(1941年1月)9分45秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300418_00000

舟山列島掃蕩戦             01:26
大島駐独大使国民壮行会         01:04
青島の陸戦隊観兵式<週間話題>     00:48
大日本青年団結成式<週間話題>     01:04
全市八十警防団演習<週間話題>     00:39
四日市石原産業の世界一の煙突<週間話題> 00:33
大政翼賛会指導者の官邸訪問<週間話題> 01:14
北京の白衣の勇士たち<週間話題>    01:00
酷寒を衝いて雪中猛演習         01:52

舟山列島掃蕩戦             01:26
舟山(しゅうざん)群島の暁の寒風に翻る大軍艦旗。我が海軍陸戦隊・ミヤタ部隊の精鋭は1月8日、突如舟山島の敵匪賊(ひぞく)に向かって行動を開始。海岸に連なる岩礁を踏んで、意気軒昂(けんこう)、機を見て一斉に敵陣に突入。次々にこれを攻略して、壮烈なる追撃戦を展開しました。
かくて島内に出没して、治安の撹乱を図る残敵は、徹底的に粉砕され、画期的戦果を収めました。
一方、水上部隊は湾内各所において、しらみ潰しに船舶の検問陣を張り、潜入する遊撃隊を完全に撲滅しました。

大島駐独大使国民壮行会         01:04
世界情勢緊迫の折から国民の輿望(よぼう)を双肩に、盟邦ドイツに遣いする大島大使の壮行会は、1月15日、日比谷公会堂に開催。松岡外相、末次大将、頭山満氏、徳富蘇峰氏、オットー・ドイツ大使らこもごも立って、大使を激励。これに対し大島大使は誓って国民の熱誠に報いんと覚悟を披瀝(ひれき)し、満場破れるばかりの拍手を浴びました。なお別室における松岡外相と大島大使の挨拶。

≪大島大使≫
「いろいろ内外の情勢は困難なものがございますが、一身を賭(と)して使命を遂行したいと思っておりますから、またご指導をお願い致します。どうも大臣閣下もお体をご注意なさいまして、非常に僕も思いっきり(聞き取り困難)希望しております。」

<松岡外相>
「では急いで行ってらっしゃい。さよなら、どうぞよろしく。」

青島の陸戦隊観兵式<週間話題>     00:48
太平洋の波いよいよ高く、帝国海軍の任務ますます重大ならんとするときにあたり、大陸警備の第一線に立つ我が青島陸戦隊の将兵は、この程堂々の海軍始観兵式を挙行。
続いて武勲の軍艦旗を翻し、威風あたりを払っての市中行進を行い、聖戦第5年無敵海軍の威容を高らかに中外に宣揚しました。

大日本青年団結成式<週間話題>     01:04
我が国青少年運動に一新紀元を画し、全国の若人500万をうって一丸とする、大日本青少年団結成式は16日、日本青年館に全国の関係者1000名を集めて挙行。新団長・橋田文部大臣は、力強く500万進軍の挨拶を述べました。

≪橋田文部大臣≫
「そもそも大日本青少年団を結成致しますゆえんのものは、我が国青少年の少国民としての実力を一層強固にし、かつこれを高度に発揮せんがために、青少年の団体的生活体制に向かって、機構と内容とを整備せんとするものであります。」

「天皇陛下、万歳、万歳、万歳」(万歳三唱)

全市八十警防団演習<週間話題>     00:39
事変下、帝都の消防に鉄壁の陣を敷く、全市80警防団の検閲式は、15日快晴の代々木原頭に団員約1万名を動員して、華々しく挙行。機械化精鋭部隊の分列行進の後、消防演習に移り、敵機の襲来に2カ所の高楼は黒煙を吐いて燃え上がり、はしご自動車の活躍、救命袋の救助作業と、近代、機械化消防の妙技を展開。数万の観衆の手に汗を握らせました。

四日市石原産業の世界一の煙突<週間話題> 00:33
躍進産業日本を象徴する世界一の大煙突竣工。石原産業四日市工場では15日、溶鉱炉の晴れの火入れ式を行いました。これによって今まで世界一を誇ったアメリカセルビー精錬所の大煙突を尻目に総工費100万円、高さ610尺の世界一の大煙突は、遠く太平洋の荒波を脚下に、世紀の白煙を吐いて聖戦日本のたくましい威力を内外に誇示しました。

大政翼賛会指導者の官邸訪問<週間話題> 01:14
挺身(ていしん)、未曽有の国難打開にあたらんとする大政翼賛会第一回指導者訓練修了者200余名は烈々たる気迫を眉宇(びう)に去る20日、靖国神社に参拝。臣道実践の大使命達成を誓いました。
この日、近衛首相は一同の門出を祝し、時艱(じかん)克服の成否はかかって諸君の双肩にありとの激励の言葉を贈りました。

≪近衛首相≫
「東亜の新秩序建設を通して、さらに世界の新秩序の建設に寄与するという、この大事業を遂行するためには、これは政府だけの力では到底背負いきれない。一億の国民各々が皆それぞれの肩の上に、この国家を背負って立つという心持ちのもとに、勇往邁進(まいしん)しなければならんと思う。」

北京の白衣の勇士たち<週間話題>    01:00
零下10何度、凍る北京の冬に白衣に身を包む兵隊さんのスケート。おっと危ない、みごとにひっくり返り戦友の手にすがるご愛きょう。鉄砲を持っては100万の敵も恐れぬ兵隊さんが慣れないスケートを履いては1年生。全く思うようにはならないようです。
一方では雪を固めての手榴弾合戦。実戦で鍛えた腕前も大分勝手が違って大混戦です。内地の皆様ご安心ください。こうして皆元気を回復し、また戦線へ立つ日を待っていますと、頼もしいこれは大陸からのお便りです。

酷寒を衝いて雪中猛演習         01:52
降りしきる吹雪を衝いて展開された壮烈なる雪中の猛演習。スキー兵団の名誉に輝く我が北海道旭川部隊の将兵は折からの酷寒もものかは、壮烈果敢なる戦闘訓練を決行。
遠く北支・満蒙の戦野をしのんで将兵の意気、天に沖するものあり。峻険(しゅんけん)を突破し、積雪を踏みしめ、雪の先兵は白雪をけたてて疾風のごとく進撃。
砲兵隊、また我遅れじと一斉に砲門を開けば、殷々(いんいん)たる砲声、山野を圧して壮絶いわんかたなし。
戦機いよいよ熟して壮烈無双、肉弾突入の白兵戦を演じ、北海健児の勇武を遺憾なく発揮しました。


(最後)
一億一心 交通道徳實踐
——どこでも一列励行——

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第34号(1941年1月)9分31秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300419_00000&seg_number=004

全日本学生スキー選手権大会      01:32
農村へ慰安を移動文化隊活躍      01:46
敗戦祖国の再建誓う老元帥(仏)    01:22
仏印の陸戦隊街頭行進<週間話題>   00:37
独大使館で直上飛行機の説明<週間話題> 00:26
米空母ホーネット進水式<週間話題>  00:28
米に向う野村特命全権大使<週間話題> 00:32
中支の飛行機整備員<週間話題>    00:44
珠江沿岸掃蕩戦            01:53

全日本学生スキー選手権大会      01:32
北海道小樽毛無山に銃後若人の溌剌(はつらつ)たる意気と力を争う第14回全日本学生スキー選手権大会の4日目、いよいよ耐久競技に移り、覇権を賭けての熱戦を展開。戦いは予想に反して早大組意外に振るわず、48番明大選手、最初からすばらしいピッチで力走。3時間16分52秒の好記録で優勝。

かくて、最終日を飾る飛躍競技に入り、早大は果敢なる反撃ぶりを示し、西選手は第1回49m5、第2回50mを飛んで、明大の新鋭、森選手を抑えて優勝。万丈の気を吐きましたが時すでに遅く、結局総得点62点を上げて明大堂々たる3年連続制覇の偉業を完成しました。

農村へ慰安を移動文化隊活躍      01:46
美しく雪を頂いた赤石山脈のふもと、ささやかな伊那の農村へ見慣れぬ一団がやって来ました。これは国民文化再建に乗り出した演劇運動の1つ、東宝移動文化隊の活動ぶりであります。長期戦下、営々としてそれぞれの仕事にいそしむ農村や漁村へ朗らかな笑いを持ち込み、健全な娯楽を送り込んで、明日の活動力を養おうという意図のもとに、21日のこの伊那村を皮切りに、各町村を巡り歩いてお百姓さんたちを喜ばせています。これは一番人気を集めた腹話術。

(腹話術の様子)

敗戦祖国の再建誓う老元帥(仏)    01:22
フランス敗れたり。混乱と絶望の祖国を救うべく敢然立ったペタン元帥は84歳の老躯(ろうく)を下げてヴィシーに新政府を組織。ラヴァル、アンチジェイ氏らとともに連日連夜国難打開に当たっています。フランスはどこへ行く。ぼう然たる国民を指導してドイツと協力。祖国再建に骨を削り、肉をそぎ、内にドゴールの叛軍と戦い、外にはイギリスに宣戦。旧臘(きゅうろう)国民の士気を鼓舞すべく久しくマルセイユを訪問。

(民衆の風景)

マルセイユ市民歓呼して老将軍を迎う。しかしながら三色旗の栄誉、既に地に落ちてその前途知るによしなく。わずかにこの人の上にその運命を託して活路を求めんとする。民衆の熱狂はペタン元帥に捧(ささ)げる信頼を示すもの。敗戦から再建へ、全国民の情熱は今、新フランス建設の希望に燃え立ち、この人と共に進軍する。

仏印の陸戦隊街頭行進<週間話題>   00:37
仏印進駐以来、皇軍の威武全土を圧する折から、我が海軍陸戦隊は、この程初めてハイフォンの街頭行進を行い、市内の大通りを始め、支那人街まで隊伍堂々軍艦マーチを吹奏しつつ行進。フランス人・安南人市民を驚嘆せしめ、帝国海軍の威容を示しました。

独大使館で直上飛行機の説明<週間話題> 00:26
一無名青年が、研究発明した、振子(しんし)直上飛行機の模型が18日ドイツ大使館へ持ち込まれ、クロナウ空軍武官を喜ばせました。これは近く赴任する、大島大使がお土産としてドイツへ持って行くことになっている物で、将来空中要塞として、威力を発揮することにならないものでもありません。

米空母ホーネット進水式<週間話題>  00:28
戦争一歩手前、ようやく理性を失い始めたアメリカは軍拡に次ぐ軍拡に狂奔し、軍艦は12日間に1隻ずつ進水。ごく最近も、新鋭航空母艦ホーネット号が、ニューポートニュース造船所で進水しました。この船の総工費4千万ドル、正確なトン数は分かりませんが、海軍当局はアメリカの目指す、両洋制覇大艦隊の新威力であると豪語しています。

米に向う野村特命全権大使<週間話題> 00:32
そのアメリカへ一億国民の真意と覚悟とを伝えるべく、太平洋の荒波を蹴(け)って鹿島立つ特命全権大使、野村吉三郎大将は、1月23日東京駅発、晴れの壮途に尽きました。駅頭には松岡外相、及川大将をはじめ、阿部、杉山、本庄、高橋、永野、吉田の陸海の将星、グルーアメリカ大使ら朝野の名士多数の見送りあり。全権万歳の声に送られて一路横浜港へと向かいました。

中支の飛行機整備員<週間話題>    00:44
1機、2機、3機。全機無事帰還の喜びに浸るのもつかの間、地上勤務員たちは爆撃行に参加した武勲の飛行機の整備点検に血眼(ちまなこ)です。
エンジンの手入れはもとより、1本のねじにも1滴の油にも心を遣い、我が愛児をいたわるように血のにじむ労苦を重ねます。明日の爆撃に備える整備員のこの隠れたる努力あってこそ、我が荒鷲の縦横の活躍は達成されるのです。中支戦線、天狼部隊のある一日です。

珠江沿岸掃蕩戦            01:53
南支の朝風をついて、堂々珠江侵攻を開始した我が海軍部隊。これに対して敵は不遜(ふそん)にも両岸から砲弾の雨を注ぎ、前進を阻止せんとしましたが、我が軍はこれに目もくれず、艦艇の列を連ねて敵の本拠、ジッコ島に驀進(ばくしん)。
かくて1月16日朝、鉄血陸戦隊の精鋭は蓮花山山麓に果敢なる奇襲上陸を敢行。
この地方特有の湿地帯を征服するとともに、鎧袖一触(がいしゅういっしょく)頑敵の抵抗を見事に排除して、強襲また強襲。一挙に敵の本陣に突入して、ここに壮烈なる殲滅(せんめつ)戦を展開。徹底的にこれを覆滅して輝く戦果を収めました。


(日本ニュース 終と出たあと)

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1941年2月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19412

日本ニュース 第35号(1941年2月)9分32秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300420_00000

泰・仏印紛争停戦協定成立      01:12
厳寒の江底に電線敷設成功      01:33
大島大使ドイツへ<週間話題>    00:41
高級体操実演会<週間話題>     00:43
江戸川べりの学生開墾隊<週間話題> 00:46
上海の支那人街<週間話題>     00:56
伊那の凍り豆腐作り<週間話題>   01:02
東亜児童大会<週間話題>      00:58
枢軸の勝利近し ヒ総統獅子吼    01:29

泰・仏印紛争停戦協定成立      01:12
南海の果てに翻る日章旗のもと、大東亜建設の新しきページ開く。3か月に渡る泰・仏印国境紛争事件の停戦交渉会議は、1月29日からサイゴンの帝国軍艦艦上で行われ、まず我が澄田少将をはじめ、各代表の乗り込みあり。
続いて仏印側ゴーティエー師ら緊張の色を浮かべて乗艦。最後に泰国側ルアン、サンドン大佐らの各員到着。双方とも我が公正なる態度と東亜の和平を熱望する盟主日本の真意を理解し、3日目の31日午後6時調印を終わり、一切は東京の講和会議に移されることになりました。

厳寒の江底に電線敷設成功      01:33
中支戦線、極寒零下5度の江上に流水と戦い寒風をついて、電話線敷設の難工事が行われました。その線1本で、両岸との連絡をはじめ、各方面とも快速に通信を交わすことができ、作戦上にも重大な役割を持つもので、敷設部隊の勇士は全身を凍る流れに浸し、両足を泥濘(でいねい)に埋めて、あらゆる辛苦を重ね、画期的な工事を完成しました。
まず、最も困難な水底敷設を終わり、対岸の陸上線とつなぎ合わされます。
続いてこちら側の陸上線との接合にも成功。
かくて、数百km離れた本部との間に工事完成の報告と祝辞が交わされました。

大島大使ドイツへ<週間話題>    00:41
世界情勢いよいよ緊迫の折から、再び盟邦ドイツに使いする新駐独大使、大島浩中将は1月29日東京駅から鹿島立ちましたが、駅頭には松岡外相をはじめ、朝野の名士オットー、ドイツ大使ら数百名が歓送。大島大使は固き決意を眉宇(びう)に、見送りの一堂と挨拶を交わし、午後1時、大島大使万歳の嵐の内を、戦雲渦巻くヨーロッパへと一億国民の輿望(よぼう)を担って晴れの壮途に着きました。

高級体操実演会<週間話題>     00:43
たくましい筋骨美を発揮して、高級体操の精髄を公開する器械体操実演会は2月1日夜、東京に開催。一流選手が各種の妙技を示しました。これは棍棒(こんぼう)体操。次にはしご体操。

(体操の様子)

江戸川べりの学生開墾隊<週間話題> 00:46
学生も生産戦線へ。重大危局に奮起した生徒の各大学高等専門学校の学生300名は、去る1月26日から江戸川べりの湿地開墾に出動。肉体の鍛錬と食料増産に真摯(しんし)な努力を続けています。葦(あし)もひき枯れ、凍る大地も掘り返され、200mの排水溝ができあがりました。
春になればこの50町歩の河原が馬鈴薯畑となり、10万貫の収穫があるはずで、学生開墾部隊は今後も日曜ごとに近郷に鋤鍬(すきくわ)を振るい、試験中も中絶しないという盛んな意気込みです。

上海の支那人街<週間話題>     00:56
新政権成立後、初めて迎える支那のお正月風景。去る1月27日は旧暦の元旦に当たり、上海の支那町では老幼男女、幾年振りかで心から楽しいお正月を祝いました。古くから伝わるしきたりに従い、家内うちそろってお参りをし、爆竹を鳴らし、一年の幸せを祈ります。こうして喜びは町々にあふれかえり、和平建国達成近しと思わせるものがあります。

伊那の凍り豆腐作り<週間話題>   01:02
信州伊那地方の名産、凍(こお)り豆腐の製造。まず大豆をゆでて、これを潰し、絹ごしにかけて上等の豆腐を作ります。農閑期のこととて一家総動員。ひと冬に4万俵の大豆が使用されます。
その豆腐を適当の大きさに切って、戸外で自然に凍らせるのでありますが、12月中ごろから2月中旬までのおよそ75日間に、この地方から生産される凍り豆腐約6万箱、金額にして160万円にもおよんでいます。そして、関西地方を主として全国各地はもちろん遠く大陸へも送られて行きます。

東亜児童大会<週間話題>      00:58
みんな仲良く手を組んでと、共栄圏の理想に小さい胸を躍らせる東亜児童大会が2月1日日比谷公会堂に行われ、日本・支那・満洲・泰・蒙古の子どもたち、およそ2800名が楽しい一日を送りました。これはかわいい合奏、歌の玉手箱と児童劇「虹の出帆」。

(劇の様子)
「天皇陛下、万歳、万歳、万歳。」

枢軸の勝利近し ヒ総統獅子吼    01:29
欧州の新秩序建設に驀進(ばくしん)する世紀の英雄ヒトラー総統は旧臘(きゅうろう)ベルリン市内のある軍需工場において、労働大衆の前に前後40分に渡る大演説を行い、その士気を鼓舞、激励しました。総統はまずイギリスの領土的貪欲(どんよく)、並びに自由主義国家の虚偽を痛撃。これが崩壊せぬ限り世界人類の幸福は約束されず、枢軸国家はこの崇高なる理想のために、断固攻撃の手を緩めずと叫び、さらにヨーロッパ大陸にイギリス勢力の一片たりとも残る限りこれと抗争せざるべからず。とき至れば我々は最後の攻撃を敢行するであろうと、イギリス本土上陸の決意を明らかにし、最後に余の辞書には屈服なる言葉無し、余は戦争を恐れる者にあらず。余の生命の続く限り抗争し続けるであろうと結んで、破れんばかりの大喝采(かっさい)を受けました。


(日本ニュース 終と出たあと)

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(大きな字で)賣出し迫る

二月二十一日より

 

日本ニュース 第36号(1941年2月)9分54秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300421_00000

奉祝二千六百一年紀元節         00:46
泰・仏印調停東京会談開始        02:11
明治神宮体育大会 白熱の冬季競技    01:41
荒鷲協力鉄牛部隊の猛進         01:09
初代の駐日中国大使着任<週間話題>   00:58
西貢の無名戦士碑を弔う陸戦隊<週間話題> 00:41
下田高女生徒の海浜体操<週間話題>   00:39
米大統領三選就任式           01:40

奉祝二千六百一年紀元節         00:46
謹んで紀元節の佳節を寿ぎ奉る。高千穂の聖業、万古に揺るがず、悠久二千六百有一年、皇威今、糸綸(しりん)にあまねく。聖戦ここに五星霜(ごせいそう)、国威燦(さん)として陸海にふるう。ここに我ら民一億、粉骨砕身、聖恩の有難きに応え奉らんことを誓いまつる。

泰・仏印調停東京会談開始        02:11
母国の運命を賭して、泰・仏印和平会議に出席する泰国主席全権委員プリンス・ヴァンヴァヂヤ氏一行は2月5日いそかぜ号で羽田飛行場に一番乗りをしました。翌6日仏印から派遣されたゴーティエー氏ら5名も元気で到着、宿舎に向かいました。かくて、英米の策謀を一蹴(いっしゅう)して東亜共栄圏における帝国の指導的地位を名実ともに確立する、両国紛争調停の歴史的会議は2月7日首相官邸に開幕。日仏泰各代表の挨拶。

≪日本代表≫
「私は大東亜共栄圏の確立ということは皇国の方針と言うにとどまらず、また世界史上実に歴史的必然性を有するものと信ずるものであります。而(しこう)して大東亜共栄圏内の諸邦が各々(おのおの)そのところを得て、共存共栄を成すことは東亜のため、引いて世界平和のために貢献するゆえんと考えるものであります。」

≪仏代表≫

「仏国代表は閣下と同様に、衝平と正義に基づく和平協定が、速かに成立して関係諸国に幸福を齎(もたら)し恒久的平和が、出来る事を熱望しその為に全力を挙げて努力します。」

≪泰代表≫
「日本政府は今般の仏印に、於ける泰仏紛争調停に当り、東亜の盟主たる地位に鑑(かんが)み、極東全般の永久的平和と秩序維持を達成すべく、眞劔(しんけん)な熱意を示し且つ又、極めて崇高なる責任感をこゝに、立証せられました。」

明治神宮体育大会 白熱の冬季競技    01:41
銃後若人が腕を競い、技を争う、第11回明治神宮国民体育大会冬季大会は聖恩の旗を遠く札幌の会場に迎え奉って、2月4日まず入場式を挙行。全国各地より参加の選手団およそ2000名。若人の頬(ほほ)、紅と燃えて真摯(しんし)敢闘、体育翼賛の誠を誓いました。かくていよいよ豪華なる雪の祭典の火蓋(ひぶた)は切って落とされ、第2日呼び物の軍隊競技に移れば、陸海軍59チームの勇士ははるかに大陸の戦野をしのんで、勇猛果敢、雪の進撃を開始。斥候(せっこう)部隊は白雪を蹴(け)って山野を縦走。
難関、渡河地点においては5名の一団相協力して次々とこれを突破。
重々しい軍装に身を固めつつも26kmの長距離を見事に征服。結局、陸軍では北部63部隊が2時間58分34秒をもって制覇。
海軍は大湊要港部第一班が3時間1分29秒の好記録をもって決勝点に入り、それぞれ優勝の名誉を担いました。

荒鷲協力鉄牛部隊の猛進         01:09
向かうところ、常に頑敵を粉砕して常勝の武勲に輝く我が南支軍鉄牛部隊の将兵は、士気いよいよ旺盛(おうせい)を極め、敵陣をにらんで余裕綽々(しゃくしゃく)。実戦にも比すべき猛訓練を重ねつつあります。命令一下、行動を開始した鋼鉄部隊は猛進また猛進、阻むものはこれを撃ち、遮るものはこれを払い、全員火と燃えて怒濤(どとう)のごとく敵陣に迫ります。空陸一体、見事なるこの協力こそ、無敵皇軍の精華にして侵攻作戦の神髄と言うべく、かくて仇敵(きゅうてき)粉砕の日に備えています。

初代の駐日中国大使着任<週間話題>   00:58
日支提携親善の重任を担う、新生国民政府の最初の駐日大使チョ民誼氏は2月5日東京着、中華民国大使館に入りました。3年ぶりに開く大使館の内外はうれしい興奮に沸き返り、華僑代表や留学生たちも心から大使を歓迎。続いて大使は次のごとく着任の挨拶を述べました。

≪新生国民政府チョ民誼駐日大使≫
「本日の盛大なる御歓迎に、私は心から感謝致します、日支両大民族が互ひに良く、了解し合ひ、親善関係を増進する為に、是非皆様の御協力を御願ひ致します」

西貢の無名戦士碑を弔う陸戦隊<週間話題> 00:41
泰・仏印停戦協定の会場となった帝国軍艦乗組の海軍陸戦隊将兵は、2月4日軍艦旗を翻して、歩武堂々とサイゴン市中を行進。沿道市民の喝采(かっさい)を浴びつつ、先の大戦に倒れた仏印無名戦士の碑前に整列。
仏印、海軍陸戦隊堵列(とれつ)のもとにハラ部隊長は花輪を捧(ささ)げてその霊を弔い、並みいる市民の感激を集めました。

下田高女生徒の海浜体操<週間話題>   00:39
身を切る寒風に興亜乙女の息も高く、静岡県立下田高等女学校の生徒たちが心身の鍛錬に努めています。多々戸の浜の波打ち際、真冬の日の光をいっぱいに浴びて、毎週1回全校生徒400名が描き出す、たくましくも麗しき海浜体操風景です。

米大統領三選就任式           01:40
アメリカの久しい伝統を破って、三度選ばれたルーズベルト大統領の就任式は、1月20日首都ワシントンに行われました。この日の警戒、ことのほか物々しく戦争近しの感、いよいよ深きものがあります。裁判長ヒューズ氏による宣誓式。

(宣誓式)
≪ルーズベルト氏≫
「我、フランクリン・ドナルド・ルーズベルトは 北米合衆国の大統領の職責を忠実に遂行し、且つ余の全能力を以って、合衆国の憲法を守護すべき事を厳粛に誓ふ。」

≪裁判長ヒューズ氏≫
「神、汝を助けん。」

≪ルーズベルト氏≫
「神、我を助け給へ。」

次いで、ウェストポイント陸軍士官学校とアナポリス海軍兵学校生徒による分列行進が、彼の世界制覇の野望をかき立てるかのごとくに繰り広げられ、アメリカの悪夢は今その絶頂に達したかの感を示しました。


(日本ニュース 終と出たあと)

(支那事変、國債のタスキをした娘を背負う母のイラスト前の字幕)
一人残らず 國債を買って

(戦車を支え持つ手のイラストと「求めよ國債 銃後の力」)
國債を買って

事変処理の完遂に協力しませう

 

日本ニュース 第37号(1941年2月)9分42秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300422_00000

バイアス湾再度上陸 香韶ルート遮断  01:26
新黄河一帯制圧輝く太和入城      01:31
故大角大将以下の殉職の英霊帰還    00:57
停戦成立後の泰・仏印紛争地区     01:29
蒙古連合自治政府首席来日<週間話題> 00:47
堀切駐伊大使着任<週間話題>     00:25
第三回ボブスレー大会<週間話題>   00:38
八戸で日本氷上剣道大会<週間話題>  00:42
ヒトラー総統 第一線視察激励     01:37

バイアス湾再度上陸 香韶ルート遮断  01:26
皇軍、再びバイアス湾に急襲上陸を敢行。2月4日、南支の朝もやを突いて、我が精鋭大兵団は堂々舟艇の列を連ね、バイアス湾内深く突入。先の奇襲上陸戦以来、すでに三星霜(せいそう)。戦史に燦(さん)たる戦陣の武功を胸にたたんで、意気いよいよ軒昂(けんこう)、たちまち敵を制圧して全部隊の上陸に成功しました。かくて息つく暇(いとま)もなく、疾風のごとく猛進を続け、同日早くも英支国境の沙頭(さとう)を陥れ、淡水を治め、翌5日、沙魚涌(さしよう)に殺到。香港、韶関(しょうかん)を通ずる敵の軍事輸送路を完全に中断して多数の援蒋資材を鹵獲(ろかく)。敵に致命的損害を与えました。

新黄河一帯制圧輝く太和入城      01:31
一方、北支の寒風を突いて、密かに行動を開始した皇軍の精鋭は、敵の虚(きょ)を突いて快速進撃を続け、新黄河を中心とする河南・安徽(あんき)の両平原にみごとなる包囲陣を敷き、2月初め、壮烈なる大殲滅戦(だいせんめつせん)の火蓋(ひぶた)を切って落としました。
地上各部隊の協力作戦と徹底的撃滅戦に何柱国軍の大兵は狼狽(ろうばい)、その極に達して、四分五裂(しぶんごれつ)。完全に再起の希望を断たれました。
かくして作戦開始以来、わずかに1週間。敵、最後の拠点・太和も、ついに皇軍の手中に帰し、2月4日、我が主力部隊は武勲の軍旗を奉じて、堂々の入城式を挙行。初めて見る無敵皇軍の威容に感嘆する住民は日章旗を打ち振ってこれを迎え、早くも新建設への新しい熱意を示しています。

故大角大将以下の殉職の英霊帰還    00:57
支那方面視察中、去る2月5日、南支に遭難殉職した大角海軍大将以下、10柱の遺骨は17日午後、羽田の東京飛行場に到着。帰還第一歩を印しました。遺骨は場内の大格納庫の祭壇に安置され、遺族との悲しみの対面に参列者一同の涙をそそりました。
続いて及川海相、永野、寺内、畑大将らの陸海の将星の拝礼を受けました。
なお、殉職英霊の偉勲をしのんで、3日後の20日、盛大なる合同海軍葬儀が執行されることになりました。

停戦成立後の泰・仏印紛争地区     01:29
泰・仏印国境紛争の最激戦地シソフォン付近。両軍の空襲と砲撃を被って、家は焼かれ、樹木は枝葉を失い、惨澹(さんたん)たる戦火のありさまを示しています。
我が澄田少将の一行は、戦争停止状況を監視するため、2月5日、この地方を久しく巡視し、ここに両軍の前線司令官を招集して、相互に10km後退すべし、との協定遂行に関する打ち合わせを行いました。
両軍は50mから100mを隔てて相対峙(たいじ)し、今なお極度に緊張し、厳重な警戒を続けています。
住民は停戦成立直後とて、いまだ姿を見せず、無人の荒野に南国の太陽が強烈な光を投げかけております。これは泰空軍の25kg爆弾による大穴。なお一行は、日章旗を翻して泰国第一線将兵の閲兵を行いました。
かくて戦雲乱れとんだカンボジアの国境に、初めて平和の光が訪れ、事件解決への歩調を早めております。

蒙古連合自治政府首席来日<週間話題> 00:47
東亜共栄圏の一翼として力強い歩みを続ける蒙古連合自治政府主席・徳王は、李守信(りしゅしん)将軍以下、随員16名を従え、2月15日、東京駅着、晴れの帝都入りをしました。駅頭には大橋外務次官、チョ民誼中華民国大使、岡部・酒井両中将ら、将星、官民多数の出迎えあり。徳王は3年ぶりに訪れる日本の温かい友情に感激しつつ、日蒙両国旗の波をくぐって、駅前から自動車で宮城前広場へと向かいました。

堀切駐伊大使着任<週間話題>     00:25
盟邦イタリアに新任の我が堀切大使は、このほどローマに到着。

≪堀切大使≫
「必ずや一致結束し、最後の勝利を得るだろうということを確信して疑わんのであります。」

イタリア国民はこぞって大使を歓迎。熱狂的な親善の誠意を示しました。

第三回ボブスレー大会<週間話題>   00:38
2月11日、神宮競技冬季大会の後を受けて行われた、奉祝ボブスレー大会。日本で3回目の競技会とはいえ、体育の振興と国防用具としての期待に、出場18チーム選手の敢闘ぶりものすごく、400mのコースに白熱戦を展開。
結局、北海道帝大、サトウ・カワカミ組が36秒3の好記録をもって優勝しました。

八戸で日本氷上剣道大会<週間話題>  00:42
戦時下にふさわしい冬季鍛錬の新しい試み、日本氷上剣道会支部発会式を兼ねて、11日、青森県八戸の長根リンクに演武大会を挙行。中等学生の戦闘教練においては、武装の若人数百名が銀盤上に壮烈なる一大白兵戦を展開。
また氷上の試合には、剣道とスケート技術とが渾然(こんぜん)一体をなす鍛錬の妙技を発揮。満場の喝采(かっさい)を浴びました。

ヒトラー総統 第一線視察激励     01:37
戦線、春いまだ浅く、隠忍よく、最後のイギリス粉砕の時を窺うドイツ戦線にヒトラー総統は突如、颯爽(さっそう)たる姿を現しました。総統自らの出陣に前線将兵は祖国攻防の時は近くにあり、と決死仇敵に当たらんとする決意いよいよ固く、長大列車砲をはじめ、新鋭兵器をフランス国内に進めて、撃滅の日を窺っています。
総統は精鋭ドイツ軍の最前線を子細に視察し、胸中期するものあるかのごとく、悠々として各部署の将兵を激励。
ドイツが誇る長距離海岸砲は、フランス海岸に砲門を連ねて、間断なく敵を砲撃。イギリスが怯える上陸作戦の切迫を思わしめるものがあります。


(日本ニュース 終と出たあと)

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日本ニュース 第38号(1941年2月)9分13秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300423_00000&seg_number=005

凱歌高し新黄河殱滅戦       01:50
大角大将等 合同海軍葬      01:57
戦時下農村の冬季生産生活     01:47
台北の産米視察<週間話題>    00:29
福岡鉱山で坑夫表彰式<週間話題> 00:28
生駒山で耐寒マラソン<週間話題> 00:31
国鉄科学の勝利凍炭輸送新対策   02:02

凱歌高し新黄河殱滅戦       01:50
新黄河本流、沙河(さか)沿岸の殲滅(せんめつ)戦はいよいよ、その包囲陣を圧縮。我が軍は太和攻略の余勢をかって、敗走の何柱国軍に壮烈なる最後の総攻撃を開始。我が猛撃にさすがの敵の堅陣もみるみる潰(つい)え始め、皇軍はたちまち大胆不敵の敵前渡河を敢行。

(戦闘の様子)

逃ぐるを追って進撃急追数時間、ついに敵の本城に殺到して、城塔高く日章旗を翻し、輝く大殲滅(せんめつ)戦の幕を閉じました。

(戦闘の様子)

大角大将等 合同海軍葬      01:57
去る5日、南支・黄揚山に壮烈な殉職(じゅんしょく)を遂げた我が海の至宝(しほう)、大角海軍大将ら10柱の合同海軍葬儀は、2月20日東京築地本願寺において、悲しくもまた厳かに執り行われました。式場、かしこきあたりより御下賜の幣帛(へいはく)御供物にひとしおの余栄を加え、勅使御遣いの御差遣(ごさけん)に故人の光栄ここに極まる。
及川海軍大臣は帝国海軍を代表する切々胸に迫る弔辞を朗読して、痛恨の私情を披瀝(ひれき)。ついで海軍軍楽隊の哀切の奏楽の内に、故大角大将長女、紀子さんはじめ、遺族そのほか次々に悲しみの歩みを霊前に運ぶ。
折から、本堂前に整列の海軍儀仗(ぎじょう)隊は、英霊永久(とこしえ)に安かれと3発の弔銃を発射。
最後に内外の顕官、数百名の焼香あり。故人の遺訓をしのぶにふさわしき悲しみの盛儀でありました。

戦時下農村の冬季生産生活     01:47
国家総力戦に協力して雪の東北農村もまた涙ぐましい生産活動に精進しております。ここは秋田県西滝沢、農民は肥料不足を補うため、馬そりを利用して堆肥(たいひ)をそれぞれの田畑に運び出し、雪をかき分けて積み上げ、春とともに一斉にこれを配分する用意を終わりました。
一方、飯塚の共同作業場では農閑期を利用して、むしろ織り、縄ない等に女子部隊も総動員です。500戸の農家から生産される総額は、かます、むしろだけで80万枚、10余万円に上っています。
また、花館の農事試験場では農作物の改良増殖と凶作防止の試験研究に、真剣な努力を続け、その大温室では冬の間も休まず稲の品種改良の人工栽培が行われ、東北特有の冷害に耐える新しい稲を生み出すことに成功。優良品種は遠く朝鮮、九州方面にも普及しております。
成熟した稲穂は実験室で、詳細に科学的検討を加え、米の増産に目覚ましい功績を収めつつあります。

台北の産米視察<週間話題>    00:29
長谷川総督自ら出馬しての台湾の産米報国運動。2月20日、すでに第1期米の耕作が始まろうとする台北郊外において、総督は親しくその状況を視察して、本島人を激励。一同は感激して蓬莱米(ほうらいまい)の増産に拍車を加えることを誓いました。

福岡鉱山で坑夫表彰式<週間話題> 00:28
石炭増産に邁進(まいしん)する鶴嘴(つるはし)部隊の名誉をたたえる、福岡鉱山監督局管内の労務者表彰式は2月21日、福岡商工会議所で挙行。管内20数万人のうちから選ばれた誉れの戦士350名は、今日を晴れと面を輝かし、66鉱山各代表にそれぞれ表彰状、記念品が授与されました。

生駒山で耐寒マラソン<週間話題> 00:31
大阪産業報国協会主催の耐寒競歩大会は、23日まず壮青少年組が、大阪大手前をスタート。女子組は布施高井田をスタート。1組10名53組530名の素人戦士は銃後厚生運動の息も高く、生駒山頂目指して走る歩くの白熱戦を演じました。この結果17kmの難路を見事征服。岸和田組が132点で優勝しました。

国鉄科学の勝利凍炭輸送新対策   02:02
春なお遠き、北海道の寒さはことのほか厳しく、列車もこの通り凍りついて、鉄道運輸に毎年非常な困難を重ねております。特に貨車に積んだ石炭がすっかり凍りついてしまい、その積み替えに貴重な労力を費やさねばなりません。これが対策を研究中であった鉄道当局では見事にこれを解決。貨車をまずそのまま引き入れて覆いをかけ、蒸気で車両もろとも蒸し焼きにする、我が国独特の方法を完成、すばらしい成績を上げております。
300度近くの高熱で温められた貨車は、さらに次の作業場に送られてゆきます。
ここではガーダンバーという大きな転覆機に入れられ、貨車のまま回転して積み込みの石炭を空けます。
空けられた石炭はコンベアーでどんどんと運ばれ、最後に波止場の輸送船へ自動的に積み込まれます。

 

1941年3月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19413

日本ニュース 第39号(1941年3月)9分38秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300424_00000&seg_number=002

支那派遣軍総司令官更迭         01:14
極寒の黄海に封鎖隊の活躍        01:38
米共和党大統領候補、英首相と会見<週間話題> 00:32
大阪府警察部の伝書鳩訓練<週間話題>  00:42
米ダグラス重爆機の組立作業<週間話題> 00:30
岡崎市の児童運動器具自作<週間話題>  00:55
荒天泥濘を征く鉄の快速部隊       01:39
新四軍の牙城東台攻略戦         02:18

支那派遣軍総司令官更迭         01:14
時局の新段階に即応して、軍体制の強化を目指す陸軍の3月定期異動は、1日付けで発令。西尾大将に代わって支那派遣軍総司令官となった畑俊六大将は事変処理の決意も固く、同日晴れの親補(しんぽ)式に参内いたしました。
大陸にあること1年6か月、赫々(かくかく)たる武勲を後に、今回軍事参議官に親補された西尾寿造大将はこれより先、軍状視察の為、空路・北支那に飛び、2月21日、北京の陸軍病院を訪問。親しく白衣の勇士を慰問、激励いたしました。

極寒の黄海に封鎖隊の活躍        01:38
広漠たる支那大陸の海岸線を封鎖し、援蒋ルート遮断に昼夜をわかたず活躍する海軍部隊の労苦はその仕事が地味であればあるだけ、誠に涙ぐましいものがあります。これは寒風肌(はだえ)をつんざく、北支那黄海の荒波を蹴(け)って、大陸封鎖に寧日(ねいじつ)無き我が艦艇の活躍。
怒濤(どとう)はさすがの艦艇を木の葉のごとく弄(もてあそ)び、海の強者(つわもの)は波濤(はとう)を浴びて、水平線の彼方を凝視して密輸船を監視。
ひと度、眼鏡にあやしきジャンクを捕らえれば、直ちにこれに停戦を命じ、船内くまなく検索、黙々として重大任務遂行に邁進(まいしん)しているのであります。

米共和党大統領候補、英首相と会見<週間話題> 00:32
アメリカ大統領選挙戦に敗れたウイルキー氏はこの程、空路大西洋を翔破(しょうは)。全英帝国の運命を双肩に苦闘を続けるチャーチル首相を官邸に訪問。ルーズベルト大統領の親書を手渡して、対英援助強化について懇談。まさに崩れんとする旧秩序を守るべく、英米の交渉、頻々(ひんぴん)たるものがあります。

大阪府警察部の伝書鳩訓練<週間話題>  00:42
平和のシンボル・鳩(はと)も時局に一役買って、去る2月25日、大阪府警察部主催の伝書鳩訓練に出動。阪神地方を襲った台風は通信機関を破壊して、その被害状況を知らせるに術無しとの想定、この時自転車を飛ばせた警官はあらかじめ配備した鳩に託してその被害状況を報告しました。
鳩は1分1kmの速度を完全に突破して、立派に任務を果たし本部に到着しました。
待機中の神選組は時を移さず出動して各部署に就き、見事な成績を収めました。

米ダグラス重爆機の組立作業<週間話題> 00:30
イギリス援助に狂奔しつつあるアメリカは、自国の国防強化にも積極的に乗り出し、空軍の充実に大わらわであります。これは、陸軍当局が先ごろから、カリフォルニア州サンタモニカの飛行機工場で、極秘裏に製造中のダグラス型。総重量70トンの長距離超重爆撃機で馬力8千馬力、翼の全長212フィート、航続距離7000マイルといわれ、アメリカからヨーロッパへ優に往復できるわけであります。

岡崎市の児童運動器具自作<週間話題>  00:55
世の中に自給自足のできるくらい、嬉しくも力強いことはないでしょう。愛知県岡崎市の郊外、山中村小学校の児童たちは先生の指導の下に村有林へ出かけ、のこぎり、おのを振りかざして、木を切り倒し、幼き協力によって、大きな威力を発揮しています。切り倒した木の運搬も一切大人の手を借りず、自らの尊い汗を流します。
校庭に運ばれた木材は彼らの手によって、製材はもちろん、組み立てまで力を合わせて、登木(とうぼく)、肋木(ろくぼく)、流動円木(りゅうどうえんぼく)等の運動器具をこしらえ、本職の大工さんも顔負けの立派な設備を完成。自分で作った頑丈な運動具に安心して存分に次代の体力を鍛えています。このほほえましい自給自足は、一面集団的訓練にも役立ち、注目されています。

荒天泥濘を征く鉄の快速部隊       01:39
南昌東方約24km、ハ陽湖付近に蠢動(しゅんどう)する敵3000を殲滅(せんめつ)すべく、突如行動を開始した皇軍の精鋭は、2月18日未明、敢然湖水を渡って進撃。折から待機中のタナカ、タガワ、トリス、オサムラの各部隊は奇襲、敵の正面より鉄牛快速部隊を先頭に追撃戦を展開。この時、夜来(やらい)の雨は上がったとはいえ、辺りはただ泥濘(でいねい)、ひざを没する悪路。無限軌道は半ば泥の中に食い込み、労苦の進撃を続けました。

(進軍の様子)

これに呼応して我が砲兵部隊もまた、一面泥海と化した新戦場を前進また前進して、敵を東方に圧迫し、人馬泥まみれの追撃。ここに各部隊緊密な協力の元に爽快(そうかい)なる殲滅(せんめつ)戦の火蓋(ひぶた)が切られました。

(砲撃の様子)

(進軍の様子)(砲撃の様子)

新四軍の牙城東台攻略戦         02:18
江蘇省北部に盤踞(ばんきょ)する敵3万の撃滅戦を展開した我が精鋭部隊は、諸在の敵を蹴(け)散らしつつ三方面より敵本陣に侵攻。すでに興化を陥れたムラタ、キド、ノダ、シバタ、イシイの各部隊は興化北方の湖水を敵前渡河、東台県城を目指して、怒濤(どとう)のごとく殺到しました。
敵の猛射を冒して我が工兵隊は敢然クリークに挺身(ていしん)、応急の橋を作ってこれを支えれば、歩兵部隊また決死。銃をかざして続々と対岸に殺到。
かくて対岸に強行渡河した勇士たちは地に伏し小山を盾に、じりじりと敵陣に肉迫。援護の砲声は、殷々(いんいん)として山野にこだまして、壮絶無比。敵弾雨飛の中を勇躍敵陣に迫った各部隊はひとまず塹壕(ざんごう)に身を避けて、突撃の命令を待つ。機いよいよ熟すと見れば、各部隊一斉に塹壕(ざんごう)を飛び出し、壮烈なる突撃戦を展開。
かくて2月22日朝まだき、蘇北新四軍の巣窟(そうくつ)たる東台県城に日章旗は翩翻(へんぽん)と翻りました。

 

日本ニュース 第40号(1941年3月)9分15秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300425_00000&seg_number=004

畑支那派遣軍総司令官着任        01:17
石炭増産へ! 闘う採炭戦士       01:36
山下中将独軍総司令官と会見<週間話題> 00:29
駐支英大使上海へ<週間話題>      00:38
国防自転車隊行進<週間話題>      00:31
長野で綿羊増殖へ<週間話題>      00:45
李長江軍三万和平陣営に参加       01:25
対英決戦迫る独伊共同大攻勢       02:25

畑支那派遣軍総司令官着任        01:17
新任支那派遣軍総司令官、畑俊六大将は、3月8日特別飛行機穂高号で南京城内飛行場に到着しました。前総司令官西尾大将、本多大使、国民政府徐外交部長ら、官民多数の出迎えあり。中支方面最高指揮官として、武漢攻略戦を行ってからあしかけ4年ぶりに、再び大陸の土を踏みました。
明けて着任2日目の9日午前11時、畑大将は総軍司令部に初登庁。板垣総参謀長以下、全幕僚の出迎えを受けて総司令官室に入りました。午後からは西尾大将との間に新旧総司令官の軍務引き継ぎを完了しました。

石炭増産へ! 闘う採炭戦士       01:36
未曽有の非常時局において、あらゆる産業の原動力として、石炭がいかに重要であるかはいまさら言うを待ちません。政府では今春1月から3月をもって石炭増産強調期間と決め、その期間中、石炭採掘に従事している優秀なる全国炭鉱労務者の表彰を行いましたが、彼らまた、これに応えるべく、懸命の活動を続けています。
国家的表彰の栄誉に輝く黒十字章を胸に、採炭の戦士たちは増産報国を目指して粉砕機をかたく握りしめ、つるはしをふるい、たくましき息と力を打ち込んでいます。職場も戦場と、職域奉公の一念に燃え、日夜、地底深い暗黒の世界に闘う彼らの真摯(しんし)なる姿は、誠に力強きものがあります。

山下中将独軍総司令官と会見<週間話題> 00:29
盟邦ドイツの軍事視察に赴いた山下中将を団長とする一行は、このほどベルリンに到着して、ドイツ国軍総司令ブラフウィツチ元帥を訪問し、日本軍人の魂であるひとふりの日本刀を贈呈いたしました。元帥は、水もしたたるような氷の刃に、しばし賛嘆の眼を見張りました。

駐支英大使上海へ<週間話題>      00:38
2月25日以来、香港に滞在中であったカー駐支イギリス大使は、3月4日午後3時半、上海入港のジャーデンマジソン・ユ・セン号にて夫人同伴フランス碼頭(まとう)に到着しました。最近、イギリス側が躍起となって太平洋キセツを宣伝している折から、カー大使の上海、着はすこぶる注目されております。

国防自転車隊行進<週間話題>      00:31
聖戦下、4度迎える第36回陸軍記念日には、意義深い数々の催しが行われました。その一つ、約2000台からなる国防自転車隊の市中大行進は、天候麗らか(てんこううららか)な街頭に颯爽(さっそう)として繰り広げられ、実用自転車の国防国民的訓練促進の実をあげました。

長野で綿羊増殖へ<週間話題>      00:45
左に八ヶ岳、右に噴煙煙る浅間を眺める。ここは長野県畜産試験場の綿羊牧場。生めよ、増やせよの春を謳歌(おうか)して、ここでは、綿羊の双子がたくさん生まれました。燦々(さんさん)と降り注ぐ春の陽をいっぱいに浴びて、綿羊の赤ん坊は喜々としています。国策資源の獲得と増産に、双子どころか三つ子、四つ子まで生ませてみせると、試験場の技師さんたちは科学的な研究に大わらわです。

李長江軍三万和平陣営に参加       01:25
江北地区沛県・徐州(とうほくちく はいけん じょしゅう)一帯にかけて、和平建国運動に反攻し、治安かく乱に狂奔していた、重慶直系の遊撃隊副司令・李長江は、重慶政府の傀儡におどるおろかさを悟り、敢然、重慶より脱却して、汪精衛主席傘下の和平陣営に投ずることになり、部下三万余を率いて2月13日午後1時を期して、翻然(ほんぜん)、和平陣営に参加いたしました。南京軍事委員会では、直ちに同軍の改編、陣容(じんよう)の立て直しを命じた結果、全軍いっせいに矛先を重慶軍に逆転するに至り、同軍の誠意を確認したので、李長江を第一集団軍総司令に任命しました。
李将軍は五尺六寸の巨躯を茶色の便衣に包んで陽焼けのした顔。だが、優しい眼差しのうちにも三軍を叱咤(しった)した破鐘(われがね)の錆声(さびごえ)を上げ、窮乏遁走(?)の道は和平擁護にあるのみと、烈々火を吐く新郷土決意(?)を披瀝(ひれき)しました。かくて応戦の悪夢から覚めた遊撃軍の大部隊は、和平陣営擁護の第一線に、力強く進軍しました。

対英決戦迫る独伊共同大攻勢       02:25
いまや刻々として近づきつつある独伊両軍の春季大攻勢を前にして、敢然、地中海よりアフリカ一帯のイギリス勢力を一掃すべく、ドイツイタリア空軍共同作戦のもとに、イギリスの海軍根拠地マルタ島へ向け、南イタリアの基地を勇躍出動しました。ドイツ側からは、ユンカース爆撃機、シュトゥーカ急降下爆撃機、メッサーシュミット戦闘機、イタリア側からは、アプローニ重爆撃機と、両国が世界に誇る新鋭機を網羅し、堂々密雲をついてマルタ島ラバレッタ港上空に現れました。かくて、独伊空軍は、いっせいに巨弾を雨と注ぎ、港内停泊中のイギリス艦船多数を爆撃しました。
一方、海上においては、潜水艦の活躍、ますます猛烈を極め、ヒトラー総統はいまや我が潜水艦の戦力は質量ともに極めて充実されており、世界の何処(いずこ)の地を問わず、およそイギリス艦船の現れるところに我が潜水艦の攻撃は果敢に展開されるであろうと叫び、大規模な潜水艦戦術によってイギリス本国に徹底的鉄槌(てっつい)を下すべき、決意と自信を明らかにしました。今、ドイツ海の狼、Uボートは、故国をはるか幾千海里、赤道直下の真っ只中に進出。軍需品を満載した敵商船の姿を発見、ここに大西洋上、凄愴(せいそう)な海の死闘が展開されました。大戦開始以来、海底の藻くずと消えたイギリス商船は、約600隻、250万トンと言われ、最近、ドイツ潜水艦、拍車をかけての活躍は、いよいよイギリス本土総攻撃の緊迫さを思わせるものがあります。

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