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2017年1月 8日 (日)

日本ニュース 戦争証言アーカイブス 第1号(1940年6月)〜第20号(1940年10月)

 特に1945年8・15までの映像は、大本営発表で検閲済み国策映像。ただし、これはこれで当時の空気を想像・実感するのに役立つ貴重な資料映像です。すべてリンクと再生テキストを資料保存しておきました。なおリンク先ではすべて映像を見ることができます

 

日本ニュース 戦争証言アーカイブス
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi

日本ニュース一覧
「日本ニュース」は、太平洋戦争を間近に控えた1940年(昭和15年)から終戦をはさみ、1951年(昭和26年)まで制作されたニュース映画です。制作したのは、「日本映画社」(※)で、1940年にそれまで4つに分かれていた新聞社や通信社のニュース映画部門を国策により統合したものです。
戦時中の「日本ニュース」は、日本軍や内務省の検閲を受けた後、毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。テレビがない時代、国民は「日本ニュース」が伝える真珠湾攻撃や特攻隊出撃、学徒出陣の様子を映画館で目にしたのです。
「日本ニュース」は、戦争完遂を目的にした国策映画ですが、太平洋戦争中の映像記録として大変貴重なものです。「戦争証言アーカイブス」では、1940年(昭和15年)の第1号から、戦後も含め、1948年末までのものを公開しています。

※(1941年5月までの会社名は「日本ニュース映画社」)
※日本ニュース戦後編の再生テキストは、国立歴史民俗博物館の協力で作成しています。

 

1940年6月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19406

日本ニュース 第1号(1940年6月)9分38秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300386_00000

天皇陛下関西御巡幸     02:00
豪華若人の祭典東亜競技大会 02:15
漢水渡河急追進撃戦     02:25
独強襲成功英艦隊を猛爆   01:02
凄絶空海の大決戦      01:50

天皇陛下関西御巡幸     02:00
かしこくも天皇陛下には、肇国(ちょうこく)の皇謨(こうぼ)、連綿として白光に輝く、紀元2600年にあたり、伊勢神宮および各山陵(さんりょう)に、親しく紀元2600年の皇謨を御報告、時艱(じかん)克服を御祈念あらせられるため、6月9日、宮城(きゅうじょう)御発輦(ごはつれん)。初夏の風薫る京都へ聖駕(せいが)を進め賜いました。
御7年ぶりに京都に行幸あそばされた天皇陛下には、天気ことのほか、御麗しく、沿道民草の奉拝を受けさせられつつ、同じ日、午後5時45分、一億国民、恐懼(きょうく)感激のうちに京都皇宮に着御あらせられました。

豪華若人の祭典東亜競技大会 02:15
緑の風に翻る大会旗。日本、満洲、中華、比律賓(フィリピン)の代表800名が、力を競い、技を争う。紀元2600年、奉祝競技大会は、6月5日から、かしこくも総裁秩父宮殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ奉って、スポーツの聖地、外苑競技場を中心に開催されました。
東亜の希望に燃える若人の意気、いよいよ上がって、連日、白熱戦を繰り広げ、鉄腕に鉄脚に、日頃鍛錬の妙技を遺憾なく発揮しました。

(競技の様子)

かくて選ばれたる東亜民族の大祭典は、友好若人の尽きせぬ交歓の内に、いよいよその最終日を迎え、総裁宮殿下の御前に閉会式を挙行。夕闇、次第に会場を包んで、大会旗は滑り降りる。
選手団を囲む松明(たいまつ)と、濛々(もうもう)たる白煙。場内はたちまち壮麗の炎の祭典と変わり、若人の頬(ほお)は紅に燃えて、今、感激はその絶頂に達し、美しくもまた惜しき最後の幕は降ろされました。

漢水渡河急追進撃戦     02:25
敵が重慶防衛のマジノ線と豪語する漢水西岸の堅陣を一挙に粉砕すべく、地上部隊に呼応して、我が陸の荒鷲は、鵬翼を連ねて、頑敵(がんてき)の頭上に巨弾猛爆の雨を降らせました。
相次ぐ猛攻に逃げ腰の敵は、早くも動揺の色を示し、機を逸せず、我が坪島、高木、蒲浦、藤崎の諸部隊は、6月5日、漢水敵前渡河を決行。
敵は、健気(けなげ)にも、半永久陣地を頼りに必死の防戦に努めましたが、皇軍の精鋭は降り注ぐ敵弾をものともせず、対岸の敵陣めがけて殺到、疾風怒濤(どとう)の奇襲進撃に、敵は狼狽(ろうばい)その極に達し、西岸一帯の堅塁(けんるい)は次々に我が軍の手に帰しました。
全部隊の強行渡河に成功した皇軍は、なおも進撃の手を緩めず、敵一兵も余さじと猛射を浴びせ、ここに壮烈な殲滅(せんめつ)戦を展開。

(進撃の様子)

必死の我が特派員は、弾雨を冒して第一線に進出。ついに丘の中腹を逃げ惑う敵兵の姿をカメラに収めました。

独強襲成功英艦隊を猛爆   01:02
電撃、たちまちノルウェー全土を制圧したドイツ軍は、ナルビック付近のイギリス遠征軍に最後の猛撃を加え、徹底的にこれを粉砕。イギリスはついにノルウェー救援を断念して、続々本国へと引き揚げていきます。これを追撃したドイツ空軍は、ロームスダル海峡においてイギリス軍艦を発見。「よし!敵逃さじ」とばかり、猛然これに巨弾の雨を注げば、イギリス軍艦は右に左にジグザグコースをとって襲撃を避け、ドイツ機はなおも執拗(しつよう)にこれに追いすがって、大爆撃を敢行しました。

凄絶空海の大決戦      01:50
欧州大戦開始以来、初めて撮影された(音声中断・聞き取り困難)空海の決戦録であります。強力なる英・仏艦隊は多数の陸兵を護送して、ベルギー沖合を航行中、突如、ドイツ空軍の襲撃を受けました。航空母艦グロリアス、駆逐艦サホークを中心とする連合艦隊は、敢然(かんぜん)としてこれに応戦。ために海上一帯、爆音と轟音(ごうおん)に覆いつくされ、猛烈なる防御砲火にさすがのドイツ機も、火を吐いて墜落するものあり。英仏軍はひとまず敵襲撃機の撃退に成功しました。
陣容を新たにしたドイツ機は再び英仏艦隊めがけて、荒鷲のごとく襲いかかり、勇敢に弾幕を突いて低空爆撃を敢行。ここに空海入り乱れて一大決戦を展開。血みどろの死闘激戦に海洋上砲煙に煙る。

 

日本ニュース 第2号(1940年6月)10分19秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300387_00000

聖上陛下 神宮山陵御親拝    01:28
日大連覇成る 三大学対抗水上戦 02:30
空閑地利用戦時糧食運動     01:18
疾風怒濤パリへ快進撃      02:18
抗日首都重慶大爆撃       02:44

聖上陛下 神宮山陵御親拝    01:28
京都皇宮に御駐輦(ちゅうれん)、御第二夜を送らせ賜いし天皇陛下には、6月11日、肇国(ちょうこく)の聖地大和に聖駕(せいが)を進めさせ賜い、畝傍(うねび)山稜に御親拝の御後、橿原(かしはら)神宮に着御。紀元2600年の皇謨(こうぼ)を御報告。併せて時艱克服を御祈念(音声中断)あらせられました。
かくて陛下には沿道に堵列(とれつ)する赤子(せきし)の奉迎を受けさせられ、天気ことのほか御麗しく、京都皇宮に還御(かんぎょ)(聞き取り困難)られました。

日大連覇成る 三大学対抗水上戦 02:30
第7回日大・立教・明治、三大学水上対抗競技大会は6月16日、我が水上界の第一線選手を網羅して、神宮プールにて挙行されました。
この日の呼び物、100m背泳ぎ。

(実況)
スタートしました。手前から立教・阪本、日大・幸村、明大・鮫島、立教・ヤマモト、日大・河野、明大・イイダ、立教・門屋、日大・谷口、明大・大野木。
50mのターンにかかります。50mのターン、日大・谷口君トップ。
やがて75m。日大・タニグチ君のラストスパート。
いよいよゴール間近。ゴール。ゴールインしました。谷口君一着、タイム1分10秒8。

次は100m自由形。手前から日大・牧野、立教・新井、日大・佐々木、立教・本田、日大・林田、明大・豊島、立教・大崎。立教・新井君、最初からトップをきっております。続いて日大・佐々木、立教・本田。
各選手並行。50mのターンにかかります。
新井君ターン、続いて日大・佐々木、立教・本田。
いよいよ80m、立教の新井君、猛然ピッチを上げました。あと20m。15m。10m、5m、ゴール、ゴールインしました。立教・新井君一着、タイム59秒8。

空閑地利用戦時糧食運動     01:18
戦時下の食糧問題に対処して、和歌山市の小学生や女学生団は鍬(くわ)や鋤(すき)を手に勇ましく空閑地の耕作に乗り出しました。
今までほとんど顧みられなかった、和歌の浦や紀ノ川付近の荒地200余町歩は、数千名の幼い少年少女達の汗と力で、瞬く間に掘り返され、見事な畑になっていきます。
できあがった畑には、代用食糧のさつまいも、かぼちゃ、その他が植えつけられ、照りつける太陽の下で重い水桶(みずおけ)を肩に、栽培に大わらわです。
こうした耕作の実地教育と糧食運動の結果、和歌山市にはもはや空閑地なしとまで言われるに至りました。
これは楽しい収穫風景。春以来のかわいい努力は立派に報いられて、40町歩から15万貫のじゃがいもが採れました。

疾風怒濤パリへ快進撃      02:18
疾風怒濤(どとう)と寄せるドイツ軍は、鋼鉄部隊の精鋭をもってベルギー領深く侵入し、150万の連合軍必死の抵抗を次々と撃破して、さながら無人の野を行くごとく、フランス国境へと進撃しました。
国境地帯の道路は、ドイツ軍の進撃を阻むべく、無数のバリケードが築かれております。
しかしながら、精鋭機械化部隊の前には何らの効果も示さず、ドイツ軍は一気にこれを突破して、雪崩のごとくフランスへと殺到しました。
この付近のドイツ系市民は、堂々たる祖国軍隊の侵入を狂喜(きょうき)して迎え、戦塵に汚れ、暑熱に悩む将兵に歓迎の雨を注ぎました。
一方、ベルギー・アルバート河方面に向かったドイツ軍は、爆破された大鉄橋をみごとに征服して、快進撃を続けました。
かくて、いよいよフランスが主力防衛にあたる堅塁攻略の火蓋(ひぶた)は切られ、前大戦以来、夢にも忘れなかったパリを目指す各将兵の意気、天に沖して、フランダースの平原を圧する壮烈な大砲撃戦が展開されました。

(砲撃戦の様子)

抗日首都重慶大爆撃       02:44
抗日の迷夢なお覚めやらぬ蒋政権の本拠、重慶を長駆(ちょうく)襲撃して、これを徹底的に爆砕すべく、6月10日、我が陸海の荒鷲は相協力して勇躍(ゆうやく)出陣の準備を整え終わりました。
歴史的大空襲の重任を担うもの、いずれも陸海の空の精鋭、決死報国の誓いを固く胸に畳(たた)んで、必勝の気宇(きう)、すでに敵を呑み、敢然として撃滅の壮途に上る。

(戦闘機出陣の様子)

6月の陽光、燦(さん)として銀翼に映え、脚下に長江の流れを望む。断雲乱れ飛ぶ重畳の山岳を越えれば、すなわち目指す敵首都重慶。
突如30機に近い敵戦闘機が小癪(こしゃく)にも我に戦いを挑んできました。我が荒鷲は、これと壮烈な空中戦を展開。
かくて鎧袖(がいしゅう)一触、敵機約10機を撃墜した我が堂々の大編隊陣は、そのまま重慶の心臓部目がけて一斉に巨弾の雨を注ぎ、重要軍事施設をくまなく爆砕しました。
炎々(えんえん)たる炎と濛々(もうもう)たる黒煙。これこそ事変以来、初めて記録された、敵首都の姿であり、決死撮影の貴重なる第一報であります。
かくて我が荒鷲部隊は、凱歌(がいか)の爆音を高らかに、全機無事帰還の途につきました。

 

日本ニュース 第3号(1940年6月)13分1秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300388_00000

満洲帝国皇帝陛下御訪日の御途へ 01:33
天津問題解決租界隔絶解除    01:05
沙市攻略入城          02:07
ドイツ鋼鉄軍怒濤の大進撃    02:24
砲煙弾雨下に英仏軍死の脱出   01:59
特報 満洲国皇帝陛下輝く御入京 03:45

満洲帝国皇帝陛下御訪日の御途へ 01:33
我が紀元2600年御慶祝のため、日本御訪問の御途(おんと)に就かせられる満洲国皇帝陛下には、蘭花香る6月22日朝、宮廷を御発、御順路、新京駅へと向かわせられました。
駅頭には、日満軍官民多数、粛然と御見送り申し上げるうちを、皇帝陛下には陸軍御軍装も凛々(りり)しく、御召列車後部、展望車に御乗車。軍楽隊の満洲国歌吹奏裡に奉送の所員に対ししばしお別れの挙手の礼を賜いつつ、一路、大連へと向かわせられました。

天津問題解決租界隔絶解除    01:05
全世界の視聴を集めて天津英仏租界隔絶が断行されてより370余日、6月20日を期して旭街(あさひがい)検問所に隔絶解除式が厳粛に行われ、続いて路上に横たわるバリケードは一斉に取り払われました。このとき、数千の民衆の間には、歓呼のどよめきが沸き上がり、天津防衛指令官以下の皇軍将士に心からの感謝を捧(ささ)げ、フランス租界から日本租界へ、日本租界からフランス租界へと、ひしめきあって殺到。更生(こうせい)天津の明朗風景を見せました。思えば頑迷を極めた英仏に隔絶の鉄槌を降(くだ)し、ついに皇軍の威武(いぶ)に屈せしめ、東亜の新情勢に順応せしめた断固たる態度こそ、新秩序建設の重大推進力として永久(とこしえ)に記録されるものでありましょう。

沙市攻略入城          02:07
宜昌防衛の第一陣、沙市を目指す地上部隊の延々たる大行進を脚下に、我が陸の荒鷲は頑敵(がんてき)を求めて快翔(かいしょう)。俄然(がぜん)、敵の有力部隊を発見するや、これに猛烈なる機銃掃射を浴びせました。
好機至る、一斉に砲門を開いた各部隊は、前面無数のトーチカ陣地めがけて天地も砕けよと猛撃を敢行。堅塁による50万の頑敵も我が猛攻に耐えかねて浮き足立てば、藤崎、蒲浦、坪島、高木の諸部隊は突撃に次ぐ突撃を強行。炎熱、実に120度(華氏)。夏草も焼ける暑熱もものかは、雪崩のごとく、城西平原をひた押しに押し進みました。
堅塁沙市、光炎に揺らぐ。時を移さず皇軍の精鋭は、三方より城門に殺到しました。時に6月8日、午後4時25分。城内の残敵は右往左往に逃げ惑い、ことごとく我が軍の手に捕らえられました。
この神速果敢(じんそくかかん)の我が攻撃に狼狽(ろうばい)した敵は、至る所に火を放ち、市中は炎の海と化しましたが、皇軍の将兵は黒煙を潜って残敵を掃討、輝く戦果を収めました。
かくて威風あたりを払う皇軍堂々の入城式は行われ、ここに宜昌防衛の第一陣、沙市は完全に我が手中に帰しました。

ドイツ鋼鉄軍怒濤の大進撃    02:24
叫ぶ巨砲、炸裂(さくれつ)する砲弾、飛行機の轟音(ごうおん)、戦車の咆哮(ほうこう)。西部要塞戦に繰り広げられた凄絶(せいぜつ)悲壮の大攻防戦。これこそフランスが命と頼み、主力防戦にあたるマジノの堅陣。ドイツ鋼鉄部隊は隠忍24年、雪辱復讐はこのひとときにありと、猛然としてこれに襲いかかりました。
かくてセダンついに陥り、ヴェルダンまた壊滅して、フランスは全線に渡って敗退。ドイツ機械化部隊は凱歌(がいか)高らかにパリへパリへと快速進撃を続けました。
マジノ要塞本防御戦の攻防にあたって、独仏両軍は死力を傾け、精根を尽くして相争い、戦史未曽有の大激戦を展開しましたが、さすがのフランス軍もドイツ精鋭の前に敢えなく打ち破られ、無惨敗戦の姿を見せました。
この戦闘にフランス軍の捕虜、約20万を数え、フランス兵士に混じってアフリカ土民あり、インド植民兵あり、いずれも精鋭ならび無きドイツの電撃戦に茫然(ぼうぜん)自失の有様を見せています。

砲煙弾雨下に英仏軍死の脱出   01:59
フランダースの決戦に、一敗地にまみれた英仏連合軍は、ドイツ軍の包囲陣を破って英仏海峡の要衝、ダンケルクに潰走。これを急追するナチスの荒鷲と救援イギリス海軍の間に凄惨目を覆う大激戦を展開。濛々(もうもう)たる爆雲と張り巡らされた煙幕をくぐって、英仏兵は海中を軍艦に辿り着かんと悲壮なる最期の努力を試みています。
猛爆下、死の脱出、ついに成る。救援艦隊は全速力をもって一直線にイギリス本土へと急行しました。
恐怖と戦慄(せんりつ)の幾週間、我々はついに救われた。信ぜられぬほどの奇跡でなくて何であろう。数々の戦火をくぐり、生死を誓った英仏の戦友は、疲労を忘れ、労苦を忘れ、よろめく足を踏みしめて、ただ生還の喜びにひたり、言いしれぬ感激に咽(むせ)びました。

特報 満洲国皇帝陛下輝く御入京 03:45
紺碧(こんぺき)の空、美しく晴れ渡って、初夏の日の慶(よろこ)びに栄える6月26日朝、盟邦・満洲国皇帝陛下には、御召艦日向にて奉礼砲轟(とどろ)く横浜港に御到着。奉迎に沸きかえる我が国土に晴れの第一歩を印せられました。御出迎えの高松宮殿下と御揃いにて、4号岸壁に御上陸の皇帝陛下には、長(なが)の御旅路にも御疲労の御模様無く、御軍装、御英姿も颯爽(さっそう)と御上陸あそばされました。
軍楽隊の満洲国国歌吹奏裡に4号岸壁上屋前に整然と整列する木山大佐指揮の海軍儀仗兵を御閲兵あそばされました。
ついで臨港駅プラットホームより御召列車に御乗車あそばされ、日満両国旗の波と軍官民一同の熱誠こめる奉送のうちに、10時45分御発車。横浜港を後に一路帝都へと向かわせられました。

11時30分、御召列車は米内首相以下、謹んで御迎え申し上げる東京駅第3ホームに到着。満洲国皇帝陛下には、最終部展望車より御下車。かしこくも天皇陛下には聖駕(せいが)を駅頭に進めさせ賜い、盟邦の君主を親しく御出迎えあそばされ、御来訪の皇帝陛下と御5年ぶりに固き御握手を交わさせられました。
新東亜建設の聖業(せいぎょう)に邁進(まいしん)する日満両国民の胸に永久(とこしえ)に記念さるべき、感激の一瞬であります。
次いで皇帝陛下には、各皇族殿下と御懇(ごねんご)ろなる御握手を交わさせられ、また奉迎の所員に挙手の礼を賜りました。
かくて皇帝陛下には、聖上陛下の御見送りのうちに宮中差し回しの自動車に高松宮御殿下と御同乗。沿道市民の奉迎を受けさせられつつ、御滞京6日間の御宿舎たる赤坂離宮へと向かわせられました。


1940年7月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19407

日本ニュース 第4号(1940年7月)8分39秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300389_00000&seg_number=003

満洲国皇帝陛下奉迎在留満洲人の赤誠     01:14
航空界の至宝藤田中佐らの慰霊祭<戦線通信> 00:51
陣中の魚釣り<戦線通信>          00:30
陣中の砂風呂<戦線通信>          00:29
米国超弩級戦艦ワシントン号進水       00:48
皇軍宜昌占領重慶前衛の牙城潰ゆ       01:34
独軍進撃急!パリ寸前に迫る         03:08

満洲国皇帝陛下奉迎在留満洲人の赤誠     01:14
満洲国皇帝陛下には、御入京以来、我が皇室と御交歓の毎日をお過ごしあそばされておりますが、6月30日には在留満洲国人の奉迎会に御臨場あそばされました。
阮大使をはじめ、満洲国人代表、粛然とお待ち申し上げるうち、皇帝陛下には御式壇に御着席、阮大使は謹んで御前に参進、奉迎文を朗読申し上げました。御来朝以来、このよき日を千秋の思いで待ちわびていた満洲国人代表は、今日ぞ間近に陛下の御姿を仰ぎ、感激の万歳に沸き上がりました。

(万歳三唱の声)

航空界の至宝藤田中佐らの慰霊祭<戦線通信> 00:51
我が航空界の至宝、藤田中佐、高橋准尉、および陸軍随一のエキスパートといわれた渡邊少将ほか3名搭乗の藤田機が、昨年2月1日(いちじつ)、湖北省沙洋鎮(さようちん)付近で壮烈な自爆を遂げたことはまだ記憶に新たでありますが、故藤田中佐の親友ヒラタ部隊長は、沙洋鎮付近一帯を捜査中、6月11日、ついに沙洋鎮西南方1kmの川岸に一同の仮埋葬地を発見し、その遺骸を丁重に収容。心から今は亡き空の勇士の冥福(めいふく)を祈りました。

陣中の魚釣り<戦線通信>          00:30
炎熱焼くがごとき大陸の戦線に、幾度か死線をくぐった兵(つわもの)たちにも、このようなのどかなひとときがあります。陣中の楽しい魚釣りです。お手製の釣り竿、ドラム缶のお船に乗って、さあ釣れるわ釣れるわ。ええい面倒、と大ざるを抱えてお池に入る太公望もあります。さあ、大漁だ。おいしそうな塩焼きのにおいがしてきました。

陣中の砂風呂<戦線通信>          00:29
ここは熱風吹きまくる南シナ青龍島付近。清らかな流れに沿って、この一帯は砂を掘ると快い温泉が湧き出ます。兵隊さんたちにとっては、まったく戦場のパラダイスです。戦の合間に戦塵(せんじん)を洗い流す兵士たちの喜びはまるで子どものように無邪気です。戦友の肩を次々に流し合う、そしてまた明日はおおいに頑張ろう、お互いに励まし合い、流し合う。和やかな情景であります。

米国超弩級戦艦ワシントン号進水       00:48
全ヨーロッパがあげて戦乱の渦中にあるとき、軍備拡充に大わらわのアメリカは、ワシントン軍縮会議以来、19年ぶりでその最初の戦艦進水式をこのほどフィラデルフィアにおいて盛大に挙行しました。
この超弩(ど)級戦艦・ワシントン号は、総工費800万ドル、総トン数3万5000t、16インチ砲9門を備える新鋭戦艦で、40億ドル、170億円の海軍大拡張計画の前奏として世界の注目を集めています。

皇軍宜昌占領重慶前衛の牙城潰ゆ       01:34
城西の山野をひた押しに宜昌を目指す皇軍の精鋭は、敗敵(はいてき)を急追して強行、進撃の手を緩めず、山を越え、丘を越え、炎熱、実に(華氏)120度、大陸の暑熱もものかは、困苦を冒し、窮乏に耐え、次々と敵陣営を突破して、宜昌への距離を縮めました。
6月9日、北村、村井、柴田の諸部隊は少寡(しょうか)、敵前渡河を敢行。はるかに銃砲声の轟(とどろ)きを聞きつつ、人馬一体となって濁流を渡る。対岸はすなわち宜昌防衛の第一線。我が精鋭各部隊は、最後の(音声中断)総攻撃を開始しました。
かくて11日午後5時、我が各部隊は江岸(こうがん)ならびに当山山麓より一斉に城内に突入しました。
去る1日(いちじつ)、わが北方兵団が漢水を押し渡ってより、わずかに11日、ここに敵が重慶の防壁と頼む第五戦区最後の牙城(がじょう)はまったく覆滅して、長江1500kmの上流に日章旗燦(さん)として翻り、敵首都重慶は今やわが進撃の脅威の前におののくにいたりました。

独軍進撃急!パリ寸前に迫る         03:08
フランダース戦線に徹底的勝利を収めたドイツ軍は、全線に渡ってパリを目指し、壮烈果敢の総攻撃を開始。フランスが誇る超重戦車もドイツの驚異的戦車砲の威力に屈して破壊され、哀れな残骸を横たえています。
パリへ。パリへ。空陸呼応する怒涛(どとう)の大進撃を阻むべき何者もありません。復讐と勝利を誓うナチスの精鋭は、全軍炎と燃えて、進撃、また進撃。

(砲撃の様子)

ここを先途と頑強に死守するフランス軍も、疾風迅雷のナチスの快速進撃に呆然(ぼうぜん)、なすところを知らず。敗退、また敗退を続け、地方都市は次々にドイツ軍の占領するところとなりました。
ドイツ空軍は休む暇なく、敵陣深く侵入して後方の輸送路を遮断し、飛行場に致命的打撃を与えました。見事な爆撃によって、飛行場は完膚なきまでに破壊され、不意を襲われた戦闘機、爆撃機がドイツ空軍の餌食となって悲惨な姿を見せています。
これはドイツの強力爆弾が開けた大穴で、その威力の一端を伺うことができます。
パリ近し、敵首都を指呼(しこ)の間に臨んで、全軍の意気まさに天に沖し、瞬く間もなく、ウエーガン線を突破。ここに壮烈無比、パリ攻略の一斉総攻撃の火蓋(ひぶた)は切って落とされました。

 

日本ニュース 第5号(1940年7月)5分1秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300390_00000&seg_number=002

満洲国皇帝陛下御帰国の途へ           01:46
事変三周年記念日民一億の決意揺がず       01:53
戦没将兵の未亡人靖国神社社頭の対面<週間話題> 01:15

満洲国皇帝陛下御帰国の途へ           01:46
満洲国皇帝陛下には、紀元2600年御慶祝の御儀の数々を滞りなく終えさせられ、7月6日、御帰国の御途に就かせられました。
この日、陛下には純白の海軍御軍装に、日満両国最高勲章を御佩用(ごはいよう)。日比野呉鎮守府司令長官以下、海軍武官らのお出迎えを受けさせられ、岸壁に御到着。尾関税関長の御先導にて警衛艦朝雲に御乗艦あそばされました。
満艦船飾の在港艦船は晴れの御出航を奉送申し上げる。かくて陛下には、御召艦(おめしかん)日向に御移乗。奉礼砲、殷々(いんいん)と轟(とどろ)き渡るうち、尽きせぬ御名残を惜しまれつつ、八重の潮路を一路、御帰国の途に就かせられました。

事変三周年記念日民一億の決意揺がず       01:53
三度、めぐりきたった事変記念日。悠久2600年の意義深き年を迎えた7月7日。この日、米内首相以下、各閣僚は明治神宮に参拝。奉告祭ならびに武運長久祈願祭を行いました。民一億が赤誠こめて、御国の英霊に感謝の誠を捧げ、大陸の戦野に奮戦する前線将兵の労苦をしのび、聖戦完遂の決意を固く固く誓いました。
この夜、米内首相は日比谷公会堂において全国民に力強く呼びかけました。

<米内首相>
「大陸に興亜の軍を進めてここに3年。本日、三度、聖戦下に支那事変勃発の記念すべき日を迎えたのであります。この機会に所懐の一端を申し述べて、諸君と共に事変の新階段に処する覚悟を新たに致したいと存ずるのであります。諸君、いまや帝国は新古未曽有(しんこみぞう)の一大試練に際会しておるのであります。この試練を乗り越えてこそ、帝国は真に東亜の盟主としての資格を備えうるのであります。我々は今後いかなる困難に直面するとも、ますます伝統的日本精神を奮い起こし、堅忍、不抜の意気と、不退転の勇猛心とをもって東亜再建の大業完遂に邁進(まいしん)せねばなりません。

(拍手)

戦没将兵の未亡人靖国神社社頭の対面<週間話題> 01:15
教壇に雄雄しく更生した戦没将士の未亡人たちが、九段社頭において晴れて靖国の夫に対面できる日が来ました。7月5日、真夏の太陽が新緑に燦燦(さんさん)と降り注ぐ午前9時半、いよいよ待ちに待った瞼(まぶた)の対面であります。
一同は緊張に紅潮した頬を輝かせながら、神前に参進。代表者の玉串奉奠(たまぐしほうてん)に次いで、敬虔な祈りを捧げ、この社に神鎮まります御国の御霊安かれと、更生の決意も固く誓いました。
新しい門出に胸轟(とどろ)かせる未亡人たちにとって今こそ忘れえぬ感激の一瞬でありました。

 

日本ニュース 第6号(1940年7月)4分5秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300391_00000&seg_number=002

山荘に想いを練る近衛文麿公       01:12
満洲学童綴方使節団来朝<週間話題>   00:38
東京音楽学校女生徒総持寺へ<週間話題> 01:03
人間潜水艦小泉さんの魚とり<週間話題> 01:09

山荘に想いを練る近衛文麿公       01:12
近衛文麿公は、去る6月24日、枢相辞任にあたって新政治体制の実現に邁進(まいしん)する決意を表明して以来、外部との連絡を絶って軽井沢の山荘に籠もり、ひたすら政治新体制の全貌につき構想をこらすとともに、新体制の事実上の創立責任者となるべき準備委員の人選につき慎重に考慮を重ねておりました。
しかるに最近、各種の風説が流布されるに鑑(かんが)み、近衛公はこれらの流説を訂正する意味において、新聞記者団と会見、新政治体制に対する所信を披瀝(ひれき)しました。

満洲学童綴方使節団来朝<週間話題>   00:38
我が皇紀2600年を御祝いすると同時に、僕ら私たち日本の学童とつづり方を通じて仲良くしましょうと、はるばる満洲からかわいいつづり方使節が参りました。
7月9日、一行は京都に入り、市内見物をしてから、憧れの日本の小学生と楽しい交歓のひとときを送りました。

東京音楽学校女生徒総持寺へ<週間話題> 01:03
静寂な緑の木立に包まれた鶴見総持寺。墨染め一色のこの禅房に花のような乙女たちが押し寄せました。東京音楽学校生徒さんたちの参禅部隊の奉礼第一課(?)であります。
浄心沐浴場に入り、斎戒沐浴。まず、浮き世の煩悩をそそる脂粉をきれいに洗い落として、禅堂に入ります。
いよいよ座禅台に上がり、薄暗い禅堂に結跏趺坐(けっかふざ)して、無念無想、足の痺(しび)れもものかは、多感な乙女たちが禅の境地に入らんとするその心根は興亜女性の頼もしき姿であります。

人間潜水艦小泉さんの魚とり<週間話題> 01:09
静岡県駿東郡の小泉ヒコサクさんは、人間潜水艦と言われるくらい、手つかみ魚捕りの名人です。この小泉さんの妙技拝見にカメラは富士の裾野近く、衣川(きぬがわ)に出かけました。小泉さんの指先は丸くて石のように固くなっています。この指の動くところ、魚はたちまちすくんでしまうんです、と小泉さんはザンブとばかり身を急流の中に躍らせました。この小泉さんは、20歳から40歳の今日まで20年間、この手つかみで魚を捕っています。
ブクリと浮かび上がった小泉さん、両手、いや口の中まで大きい川魚がピチピチと跳ねています。1時間もすれば、200尾(び)以上も捕れます、と天才魚捕りは語りました。

 

日本ニュース 第7号(1940年7月)8分13秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300392_00000&seg_number=003

沙市攻略入城           02:27
問題の援蒋ルート仏印国境を衝く  02:14
新体制の確立へ第二次近衛内閣成立 03:24

沙市攻略入城           02:27
宜昌防衛の第一陣、沙市を目指す地上部隊の延々たる大行進を脚下に、我が陸の荒鷲は頑敵を求めて快翔(かいしょう)。俄然(がぜん)、敵の有力部隊を発見するや、これに猛烈なる機銃掃射を浴びせました。
好機至る一斉に砲門を開いた各部隊は、前面無数のトーチカ陣地めがけて天地も砕けよと猛撃を敢行。堅塁による50万の頑敵も我が猛攻に耐えかねて浮き足立てば、藤崎、蒲浦、坪島、高木の諸部隊は突撃に次ぐ突撃を強行、炎熱、実に(華氏)120度、夏草も焼ける暑熱もものかは、雪崩のごとく、城西平原をひた押しに押し進みました。
堅塁沙市、光炎に揺らぐ、時を移さず皇軍の精鋭は、三方より城門に殺到しました。時に6月8日、午後4時25分。城内の残敵は右往左往に逃げ惑い、ことごとく我が軍の手に捕らえられました。
この神速果敢の我が攻撃に狼狽(ろうばい)した敵は、いたる所に火を放ち、市中は炎の海と化しましたが、皇軍の将兵は黒煙を潜って残敵を掃討、輝く戦果を収めました。
かくて威風あたりを払う皇軍堂々の入城式は行われ、ここに宜昌防衛の第一陣、沙市は完全にわが手中に帰しました。

問題の援蒋ルート仏印国境を衝く  02:14
重慶政府の輸血最大の動脈である仏領インドシナの援蒋ルート、そのひとつはハノイよりイカスラに至るもの、他のひとつはハイフォン、ハノイより鎮南関(ちんなんかん)をふるもの。この二大ルートによって重慶政府は今日まで抗戦の余命をつないでいたのであります。
この輸血路を遮断し、抗日政府の迷夢を覚まさんと、(華氏)100度を超える猛暑炎熱のもと、断固援蒋ルートの完封を期し、我が精鋭は突如、仏印国境に殺到しました。我が断固たるこの決意にフランスもその非を悟り、イギリスもまた援蒋行為の禁絶を承認するに至りました。
ここ仏印国境、峨峨(がが)たる山嶺に包まれた彼我の国境監視哨は眼下に延々たる白一条(はくいちじょう)の援蒋ルートを眺め、ハノイまで171km、仏印のドンダン、ランソンの町がかすかに見られます。
灼熱(しゃくねつ)の太陽に握る銃身は火と燃えるとも、淋漓(りんり)たる熱汗を払いもせず、各所の我が監視兵たちは脚下の大道をにらんで、微動だにしません。
7月12日、先に仏領インドシナに派遣された西原少将一行の現地監視員の一部は、フランス国旗をもった安南兵を従え、鎮南関(ちんなんかん)において我が前線部隊と大木を切り倒した境界を中心に感激的な会見を行いました。
我が厳重なるルート完封の鉄槌(てっつい)は、各地にその鋭鋒を発揮し、セメントおよび援蒋物資の主要なものを多数押収しました。

新体制の確立へ第二次近衛内閣成立 03:24
7月16日、米内内閣は突如、総辞職を決行。ここに強力新政治体制確立の中心的存在である近衛文麿公は同日午後、軽井沢の山荘を出で、急ぎ帰京、荻窪の私邸に入りました。
翌17日、午後7時20分、宮中よりの御召しの電話に接した近衛公は、直ちに宮中に参内、後継内閣組織の大命を拝しました。
ここに近衛公は、まず陸・海・外の3閣僚を決定し、19日午後3時、荻窪の私邸に4相会議を開きました。まず、外務大臣に内定した松岡洋右氏、続いて陸軍大臣・東條英機中将、最後に海軍大臣に留任した吉田善吾中将。
かくて4大臣一同に会し、約3時間半に渡って、わが国防外交の最高峰、省議、4氏の間に完全なる意見の一致をみました。4相会議において組閣の基礎を固めた近衛公は、直ちにその他閣僚の選考に着手しました。

(記者会見)
《政府広報者》
「星野氏、10時10分来訪。無任所大臣として企画院総裁を兼ねることの交渉をいたしました。」
<記者>(電話で)
「もしもし、星野、無任所相、決定だよ。星野、無任所相、兼任企画院総裁。すぐに出してくれ。」
(電話切る)
《政府広報者》
「河田烈氏は0時50分、辞去いたしました。これは大蔵大臣として入閣を交渉したものであります。承諾を得ました。」

かくて慎重な組閣工作は、22日に至り、ようやく完了。同日夕刻、新閣僚一同は霞山会館に会し、近衛公は宮中の御都合を伺って参内、閣員名簿を奉呈いたしました。
引き続き一同は宮中における親任式を終えて、初の首相(音声中断)官邸入りをしました。
まず、海軍大臣・吉田善吾中将、外務兼拓務大臣・松岡洋右氏、司法大臣・風見章氏、商工大臣・小林一三氏、逓信兼鉄道大臣・村田省蔵氏、無任所大臣兼企画院総裁・星野直樹氏、内務兼厚生大臣・安井英二氏、文部大臣・橋田邦彦氏、陸軍大臣・東条英機中将。かくて難局打開の決意も固く、官邸入りをした一同は記念撮影を行い、ここに第2次近衛内閣は強力新政治体制確立の重責を双肩に、輝かしきその第一歩を踏み出したのであります。

 

日本ニュース 第8号(1940年7月)6分24秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300393_00000

琵琶湖淡水全国国体競泳<週間話題>     02:06
愛国女子団の慰問人形製作<銃後から戦線へ> 02:01
俄然敵機現る成都大空襲           02:16

琵琶湖淡水全国国体競泳<週間話題>     02:06
皇紀2600年記念琵琶湖団体長距離競泳全国大会は、我が国最初の淡水長距離競泳として全国から多大の期待を持って迎えられていましたが、去る7月28日、堅田(かただ)浮御堂(うきみどう)を出発、(大津)柳ヶ崎間10kmコースで華々しく挙行されました。
飛沫(ひまつ)を上げて相争う参加チームは、舞鶴、呉、各鎮守府の水の兵(つわもの)と、女子チームも混じった50チーム、淡水長距離の大記録をここに樹立しようと各チームの意気はものすごく、力泳、また力泳。
接戦の後、ついに呉鎮守府1組は2時間59分25秒9の好記録をもって男子組の優勝となり、女子優勝は約1時間遅れ、3時間57分をもって(京都)踏水会2組の締めるところとなりました。

日本撞球協会の森会長をはじめ、東京代表選手の一行は第一陸軍病院を訪問し、女流選手・桂マサ子さんの先天突っ切りや、松山金嶺選手の妙技をご披露し、心ゆくばかり、白衣の勇士を慰問いたしました。

愛国女子団の慰問人形製作<銃後から戦線へ> 02:01
今日この頃の暑さにつけても、戦地の兵隊さんの労苦が忍ばれてなりません。そこで愛国婦人会全国子女団では兵隊さんの心を少しでもお慰めできたならと、今度優しい慰問のお使いをお送りすることにいたしました。暑い真夏の日中(ひなか)、各家庭や寮に集まった一同は、銃後のかわいい真心をこめて、慰問人形を作りました。

また山形では、銃後の風景で兵隊さんをお慰めしようと、山形第八小学校の生徒さんたちが揃って慰問のスケッチを描くことになりました。先生に連れられて、野に出た子どもたちは銃後故郷の風景をその画面に収めようと、感謝の鉛筆を運んでいます。やがて、我が家に帰った子どもたちが慰問袋の中に入れたこのスケッチは、いつか戦地へ届いて童心に映った故郷の姿が兵隊さんの心を優しく慰めてくれることでしょう。

さらにまた東京・深川の明川(めいせん)小学校の児童たちは、この夏休みを焼けつくアスファルトの校庭に立って、僕たち私たちが少しでも御国のために立てばと、擬装網(ぎそうもう)の製作に一生懸命です。去年、第1回分を戦地にお送りいたしましたが、今年また私たちの手で作ったこの擬装網が戦地の兵隊さんたちのお役に立つのかと思えば、私たちの心は弾み、1日も早く完成したい気持ちでいっぱいです。

俄然敵機現る成都大空襲           02:16
蒋介石政府が、わが重慶連続爆撃に耐えかねて、さらにその敗戦の姿を成都に逃避せんとする企図に、一大痛棒を加えんと、我が陸の荒鷲、小川、鈴木、高橋、松山、竹下、片倉の諸部隊は7月24日、成都初空襲に出動。決死爆撃の壮図にのぼる勇士の面上には必勝の意気、眉宇にみなぎり、灼熱(しゃくねつ)の大地を蹴って勇躍基地を出発。堂々鵬翼(ほうよく)を連ねて、長躯成都空襲を敢行しました。
我が堂々たる空の浮城は山岳峨峨たる四川省の奥深く、雲海上を悠々快翔(かいしょう)を続けています。
断雲乱れ飛ぶ成都上空。突如、小癪(こしゃく)にも敵戦闘機が我が編隊に挑み来たり。ここに壮烈なる空中戦が展開されました。我が小柳、八木、両カメラマンはこの決死的撮影に成功。青天白日旗も鮮やかな敵戦闘機を数メートルの眼前にキャッチしました。これは本事変最初の貴重な記録であります。
百発百中の我が巨弾は、敵軍事施設、その他の重要拠点を爆砕し、数ヶ所より火災を生ぜしめ、赫々たる戦果を収めました。

 

◎第9号、第10号、第11号が抜けている。

 

1940年8月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19408

日本ニュース 第12号(1940年8月)9分35秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300397_00000&seg_number=003

最近の仏領印度支那        03:14
山梨県農園婦人の勤労<週間話題> 00:50
防火設備<週間話題>       00:38
イギリス駐屯軍引揚げ<週間話題> 00:57
特集 ドイツ軍英本土総攻撃開始  03:53

最近の仏領印度支那        03:14
仏領印度支那、援蒋ルートを封鎖した仏印とは、果たしていかなる所か。我が特派員はあらゆる困難を冒して、この一報をもたらしました。さながら支那の都市かと思われるハノイは、政治の中心であり、町の要所要所に見る防空壕はいかにも物々しさを思わせ、商業上、実権を握る華僑をはじめ、安南人(あんなんじん)など、雑多な人種が雑居し、最近まで援蒋ルートの根拠地として、我が対支行動に牽制(けんせい)的態度をとった所です。

汪精衛(おうせいえい)氏の同志として和平運動に奔走した曾仲鳴(そちゅうめい)氏が暗殺された所も、このハノイで、この家屋の3階の最も左の部屋であります。敵性行為の禁絶を協議する政庁もこのハノイにあって、西原少将をはじめ、我が仏印監視隊は、円満解決の道を講ずべく、仏印総督と会見いたしました。

ハノイの駅は、ハイフォンを基点としラオカイを通り、支那国境を越えて昆明に至る援蒋ルートの策源地で、かつて莫大な援蒋物資を重慶に送った、その同じ列車に投じ、我々は国境ラオカイに向かいました。この沿線一帯は一望千里、(摂氏)45度の熱風吹きすさぶ密林で、今もなお猛獣が出没する有名なジャングル地帯であります。

支那国境に近いラオカイから昆明に至るてん越(えつ)線の鉄道線路は、我が援蒋行為禁絶の要求を入れて、早くも仏印側によって切断されていましたが、柵の向こうは支那領で、機関銃の銃口が絶えず我々を威嚇し、危険な撮影を続けました。なお、ここにも我が監視団本部があり、厳重な監視の目を光らせています。

ハイフォンは仏印最大の港で、今もなお、市の内外には海路陸揚げされた援蒋物資が山をなし、輸送するあてもなく、あちらこちらに雨露にさらされています。港には各国の船が錨(いかり)を降ろし、旭日の軍艦旗をかざした我が軍艦も入港し、仏印側武官の訪問を受け、重要な会談が行われ、かくて我が監視隊は聖戦完遂のために、仏印側の誠意を厳重に見守り、援蒋物資禁絶を期しております。

山梨県農園婦人の勤労<週間話題> 00:50
銃後の農村にめざましく働く乙女たちには、早くも忙しい収穫の秋が訪れました。ここは山梨県勝沼郡。甲州ブドウのたわわな房が、晩夏の日を受けて美しく輝いています。
早くも訪れた味覚の秋、実りの秋は、農村の人々にとっては穫り入れに忙しい勤労の秋でもあります。

防火設備<週間話題>       00:38
防火改修家屋の力を試す防火実験が、このほど東京隅田公園運動場で行われ、阿部警視総監、大久保市長、東大内田祥三(うちだしょうぞう)博士をはじめ、関係各方面から多数参列。警防団員、婦人会員ら1万あまりの観衆の前に、モルタル塗りの壁をもつ改修家屋の威力をみごとに発揮いたしました。5000円で新築された実験家屋に焼夷灯によって点火。普通家屋2戸は約15分で焼け落ちましたが、隣接した改修家屋はモルタル塗りの壁を焦がしただけで、びくともせぬ心強さを見せ、一般の防空防火熱を一段と高めたのであります。

イギリス駐屯軍引揚げ<週間話題> 00:57
北支に続いて上海からも引き揚げることに決したイギリス駐屯軍は、カー大使列席のもとに去る8月19日、聖アンジェロ競馬場で名残の閲兵式を行いました。
越えて21日、先発隊300名は在留イギリス人の哀愁のうちにアメリカ海軍軍楽隊の先頭歓奏を受け、まず南京路を通過、沿道に並ぶ見送りの瞳に無言の別れを告げつつ、一路、バンドを経て、ガーデンブリッジを通過、ジュンタイ碼頭(まとう)に向かい、無量の感慨を胸に秘めて引き揚げることになりました。

特集 ドイツ軍英本土総攻撃開始  03:53
ドイツ最後の和平勧告案も、ついにイギリスの容(い)れるところとならず、ヒトラー総統は断固イギリス本土総攻撃を決意し、急遽(きゅうきょ)国会をベルリンのクロールオペラに招集しました。
国会に臨んだヒトラー総統は、ヨーロッパに新秩序を建設せんがために、イタリアと協力、イギリスを総攻撃せんと獅子吼(ししく)すれば、臨場のチアノ・イタリア外相は議席より立ち上がって拍手を送り、全ドイツ国民、また奮い立って決戦の覚悟を新たにしました。
ドイツはいかなる武器と戦略によって攻撃するか、ドーヴァー海峡の最短距離は実に40km。東京・千葉間の距離に相当します。フランス海岸に据え付けられた長距離砲は、その射程距離200km。海峡を越えて対岸を攻撃することができる。かくて海峡一帯にかけて遊弋(ゆうよく)するイギリス艦隊は、この弾雨下にさらされることになりました。
さらに空軍は、いかなる進路を取って英本土を襲うか、トロントハイムからアイスランドまで1520km、アイスランドからクラマティへ1160km。スタヴァンゲルからスカパフローへ450km、スタヴァンゲルからロンドンへ720km。ジルト島からロンドンへ480km。このあたりはパラシュート部隊が活躍する地方と予想されています。
ブレストからコークまで480km。コークからロンドンデリー、ダブリン、ペンフローク、さらにダブリンからイングランド北部、このあたりもパラシュート部隊活躍の地方と予想されています。
前大戦に連合国側に封鎖された苦い経験に鑑(かんが)み、ノルウェーを攻略したドイツの北方よりのイギリス攻撃は、その距離720km。優に爆撃機の行動圏内に入ります。対英攻撃の花形中の花形、ユンカース、メッサー・シュミット、スッカーなど、攻撃機急降下爆撃機は堂々の大編隊を組んでイギリス本土を急襲します。
ついで海軍は英本土封鎖作戦をとり、北海、英仏海峡、セント・ジョージ海峡、ノース海峡を封鎖しました。
キール軍港に潜んでいたドイツ海軍の精鋭は、総攻撃とともに一斉に出動。燦然(さんぜん)の海の隼(はやぶさ)、シュネルボートすなわち快速艇は、時速40ノットの超スピードをもってフランス・カレーから対岸ドーヴァーまでわずか1時間。この快速をもって海上を縦横に疾駆し、魚雷による奇襲攻撃に華々しい活躍をしています。
前大戦にも、また今時大戦にも、海の狼Uボートの活躍はめざましく、北海から英仏海峡にかけて出没。イギリス艦隊の心胆を寒からしめ、前大戦と逆に英本土封鎖の体制を整えました。
10世紀以来、900年の長きに渡り、外敵の侵入を許さず、かのナポレオンの大軍もスペインの無敵艦隊をも撃破した大海軍国が、破竹の勢いで進撃するドイツ軍の攻撃に果たして耐えうるかどうか、世界戦史未曽有の大攻防戦は、初秋の英本土を中心として展開されていきます。

 

1940年9月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19409

日本ニュース 第13号(1940年9月)9分19秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300398_00000

新日本へ挙国的発足新体制準備会開く    02:45
事変処理新段階へ日支国交交渉終了     01:12
伊勢神宮参拝の小林商工大臣<週間話題>  00:30
法隆寺の壁画修理<週間話題>       00:28
福島県の供米報国運動<週間話題>     00:46
アメリカ士官学校生徒の沿岸防備砲射撃演習 00:42
援蒋密輸の基地下川、桂林を奇襲      02:48

新日本へ挙国的発足新体制準備会開く    02:45
我が国政治史上に一大転機を画する新体制確立運動は、8月28日の近衛首相の声明をもって力強く発足。政治経済、学術、言論、各界の代表的革新人物24名より成る準備委員会は同日午後2時より首相官邸において全国民注視のうちに第1回準備会を開催しました。劈頭(へきとう)、近衛首相は現下の内外情勢に鑑(かんが)み、新政治体制確立の必要なる所以(ゆえん)とその基本理念を織り込んだ声明を朗読して挨拶に代え、次いで準備会の議事進行方法を打ち合わせたる後、首相指名によって有馬頼寧(らいねい)伯を座長に推し、ここにいよいよ新体制基本理念を中心として討議に入(い)り、各委員より忌憚なき意見の開陳を求め、新体制の輪郭決定に関する近衛首相の統裁に帰することとなりましたが、この日は組織問題等には触れず、基本理念の一般論につき検討を行い、各委員の質問には近衛首相主としてこれが答弁にあたり、真に歴史的な新体制発足にふさわしい活発真摯な論議が続けられました。席上、有馬座長は各委員の心構えを一般国民に明示する必要ある所以(ゆえん)を述べ、宣誓書を作成。各委員これに署名し、滅私奉公の観念はまず準備会自らが体得、実践すべきことを厳かに誓いました。

「新体制準備委員会第一回会合の席上におきまして、全員起立の下に、次のごとき誓いをいたしました。我等(われら)は大御心を奉戴(ほうたい)し、一切の私心を去り、過去になじまず、個々の立場に捕らわれず、協心戮力(きょうしんりくりょく)、もって新体制確立のため、全力を尽くさんことを誓う。この誓いは我々関係者ばかりでなく、一般の人々も同じ心構えを持たれんことを希望するのであります。」

事変処理新段階へ日支国交交渉終了     01:12
新東亜建設の共同理想を達せんとする日支国交調整交渉の最終会談は、去る8月31日、国民政府寧遠楼に開催。まず、我が阿部大使が随員を従えて到着すれば、次いで汪精衛(おうせいえい)氏も自動車で到着。かくて両代表はここに意義深い最後の会談に臨みました。
日支条約の歴史的外交交渉の幕が切って落とされてから、ここに2ヶ月、両国交渉委員の献身的な努力はついに報いられ、いっさいの現地交渉を完了し、両代表はこもごも立って、条約の現地における正式確認を宣言しました。
かくて会談を終わった両国委員はシャンパンの杯を上げ、交渉の成果を心から祝い、うち解けた談笑のうちに新東亜建設に一段階を画する現地国交交渉は、円満に終了いたしました。

伊勢神宮参拝の小林商工大臣<週間話題>  00:30
大東亜共栄圏の一翼として、我が朝野注視の的となっている蘭印へ、重大使命を帯びて、去る9月2日、故国を離れた特派使節・小林商工大臣は、出発に先立ち、随員らと共に伊勢神宮に参拝。心から重大使命完遂の祈願をこめました。

法隆寺の壁画修理<週間話題>       00:28
大和法隆寺の金堂修理工事は昭和17年から着手することになり、1004年前から燦然(さんぜん)たる芸術をそのままに伝えている12間の大壁画を模写保存するため、和田英作、入江波光、両画伯が一生一代の筆を振るうことになりました。自然の光とまったく同じの影向放電灯に描き出された金堂内の壁画は、さすがに豪華を誇った奈良朝時代の絢爛(けんらん)荘厳さが溢れていました。

福島県の供米報国運動<週間話題>     00:46
お米を政府に供出しようという供米報国運動は、熱誠溢(あふ)るる農村各地に多大の収穫をあげております。ここ福島県耶麻郡月輪村・長瀬村の2ヶ村では、各農家の余剰米の供出はもちろん、去る昭和10年以来、絶えて開かなかった恩賜の郷蔵を一斉に開け放って、過去5カ年に渡る粒々辛苦の結晶を慶(よろこ)んで政府に供出しました。この郷蔵は去る昭和9年、10年の2カ年に渡り、東北一帯を襲った希有の冷害に際して、御下賜金を基金として設けられたもので、今こそこのありがたき聖旨に応え奉ることができると、村民一同は抑えきれぬ慶(よろこ)びの色を、その質朴な面いっぱいにみなぎらせています。

アメリカ士官学校生徒の沿岸防備砲射撃演習 00:42
参戦か中立維持か、物情騒然たるアメリカにおいて、このほど陸軍士官学校の生徒により、アメリカが世界に誇る新しい威力155mmの沿岸防備砲の実弾射撃がニュージャージー州ハンコック要塞において行われました。

援蒋密輸の基地下川、桂林を奇襲      02:48
寧波(にんぽう)、温州(おんしゅう)と息つく間もなく、香港から北の重要港湾を急襲。封鎖作戦を続行しつつあったわが南支那海軍部隊は、重慶輸血路の封鎖完璧を期して15日早朝、南支における重慶密輸ルート下川島に対し、奇襲作戦を開始。航空隊は島内軍事施設その他を猛爆して上陸部隊を援護し、陸戦隊は強風怒涛(どとう)を侵して、珠江(しゅこう)の港口に殺到。デルタ地帯に近き下川島に勇躍敵前上陸を敢行しました。
かくて我が上陸部隊は敵の抵抗を排して進撃、また進撃。島内の残敵を掃討。援蒋密輸の巣窟に大鉄槌を下しました。

西南国際ルートの拠点であり、かつ重慶抗戦勢力の前線基地をなす、広西省桂林を爆撃すべく、我が南支航空隊、濱田、林、山口、長野、鈴木ら各隊長の指揮する陸の荒鷲は、8月24日早朝、大編隊をもって基地を出発いたしました。
我が堂々の大編隊陣は、西南支那の空を圧して桂林に驀進(ばくしん)。
かくて桂林上空に達した荒鷲は、熾烈(しれつ)なる防御砲火を冒し、各隊、緊密なる連絡の元に、付近軍事施設に巨弾の雨を浴びせ、多大の戦果をおさめて、全機、無事悠々、基地に帰還しました。

 

日本ニュース 第14号(1940年9月)9分51秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300399_00000&seg_number=003

聖上陛下陸士行幸光栄に勇む新卒業生    03:02
故北白川殿下哀しき御凱旋         01:50
練習艦隊乗組員上海激戦の跡を偲ぶ     01:03
金や銀と共々に白金も御国の為に      00:44
アメリカで日本の赤ん坊大会        00:46
外貨獲得に一役買って可愛いカナリヤの渡米 01:16
炎熱下宜昌前方の残敵掃蕩戦続く      01:03

聖上陛下陸士行幸光栄に勇む新卒業生    03:02
大元帥陛下には、9月4日、神奈川県高座郡座間の陸軍士官学校に行幸。聖戦下に使命ひとしお重く無敵陸軍の精鋭として、相武台の同校を御卒業あそばされる東久邇宮彰常王殿下をはじめ奉り、第54期生と卒業式に親しく臨御あらせられ、御馬乗、御凛然たる御英姿にて粛々と御閲兵あそばされました。
御閲兵を終えさせられた大元帥陛下には、御愛馬を玉座に進めさせ賜えば、陸軍戸山学校軍楽隊を先頭に、光栄に勇む生徒一同は順次、御馬前に堂々の分列行進を開始。その旺盛なる士気を見そなわせ賜う陛下には、天気ことのほか御麗しく拝し奉りました。
かくて陛下には、観兵式場を発御。相武台の士官学校に行幸あそばされ、優等卒業生の講演を御聴取あらせられた御後、午後1時30分、校庭に設けられた卒業証書授与式場に臨御あらせられ、山室校長より東久邇宮彰常王殿下をはじめ奉り、卒業生と総代に対し、卒業証書を授与。次いで清水侍従武官より優等生に対して恩賜品を伝達し、一同はただ皇恩のありがたさに感泣。一死奉公の誠を固く固く誓いました。

(卒業証書授与の様子)

故北白川殿下哀しき御凱旋         01:50
尊き御身をもって大陸の第一線に御奮戦中、9月4日、蒙疆(もうきょう)方面において御戦死あそばされた陸軍砲兵少佐、故北白川宮永久王殿下には、9月6日午後5時45分、雨雲はらむ初秋の夕空をついて、空路、立川飛行場に哀しき御凱旋(がいせん)をあそばされました。
捧げつつの号令一下、吹きなす笛、悲壮に奏せられるうちに、尊き御遺骸は御学友の奉仕により、御霊車に御移し申し上げられました。厳粛の気は一瞬、広き場内に満ちて寂として声なく、秋草揺する夕風にはらはらと小雨さえ混じる中を6時5分、御霊車は暮色せまる立川より、半旗悲しく垂れる甲州街道を一路、高輪の御殿に向かわせられました。
近衛師団長指揮の一個師団が粛然と堵列。各官衙(かんが)、学生生徒、一般市民、幾重にも沿道を埋め、謹んでお迎え申し上げるうち、御霊車は8時15分、御殿正門に御到着。故殿下の御慈しみ深き御歳4才の若宮・道久王殿下には、日の丸の小旗を御手に、故北白川宮殿下、無言の御凱旋(がいせん)を御出迎えあそばされ、御いじらしき御姿を拝しては、感動にむせばぬ者なく、奉迎の人々は等しく頭を垂れ、故殿下の御冥福を深く深く祈り奉りました。

練習艦隊乗組員上海激戦の跡を偲ぶ     01:03
我が練習艦隊、鹿嶋、香取の両艦は去る9月2日、上海に入港いたしましたが、鹿島乗り組みの士官候補生196名は陸戦隊の案内にて復興なった戦跡を見学。先輩勇戦奮闘の後をしのび、護国の神と化した幾多の英霊に対し、心から成る感謝の念を新たにいたしました。
かくて6日、一同は居留民団、および支政府音楽隊、ならびにタケダ陸戦隊長ら多数の見送りのうちに、万歳斉唱で、上海を出港いたしましたが、艦上と陸上から交歓される別れの風景は時ならぬ和やかな情景を醸し出しました。

金や銀と共々に白金も御国の為に      00:44
金や銀と並んで白金も御国の為に一役。今度、東京市内の百貨店では、金銀と共に白金の買い上げを始め、早朝からわんさと客を呼んで各買い上げ場は超満員の盛況。係員、汗だくの応接のうちに腰の曲がったお婆さんからうら若い娘さんまで、思い思いに思い出の品を運びこみ、金銀の装身具に混じって早くも白金が姿を見せ、清らかな光とともに頼もしい銃後の心意気を示しました。

アメリカで日本の赤ん坊大会        00:46
アメリカに住むわが同胞の間に生まれた優良児の審査会、先ほどロサンゼルスの小東京と言われる一画で行われ、お母さんたちに抱かれた200人のかわいらしい赤ちゃんが華々しく会場にデビューいたしました。
お医者さんが健康と素質の二方面から一人一人、厳重な審査を行った結果、ハタノマサミ君という生後11ヶ月の丸々と太った坊やが泣く子を尻目にめでたく一等に合格。目方2貫900目の堂々たる健康ぶりで優勝カップを手に、ニコニコと椅子に収まりました。

外貨獲得に一役買って可愛いカナリヤの渡米 01:16
さて、こんなところにもかわいい外貨獲得の舞台があります。今度ニューヨークの小鳥屋さんがはるばる日本へカナリヤを買いにやって来ました。大阪のある小鳥屋さんの店先でアメリカの鳥の技師によって選抜をされた1万羽のカナリヤ群がいよいよ外貨獲得の第一線に可愛い勢揃いを終わりました。
小鳥報国の旗印も勇ましく、船積みをされたこのけなげなカナリヤを1羽でも失っては大変と、専門の技師4人に守られ、神戸から鎌倉丸に乗船。遠く、外貨獲得のため、はるばるアメリカへ旅立ちました。

炎熱下宜昌前方の残敵掃蕩戦続く      01:03
中支那奥地における最前線中の最前線、宜昌前面の残敵は、天下に聞こえる奇峡三峡の嶮(けん)に堅陣を張り、小癪(こしゃく)にも多勢を頼み、反撃の姿勢にありましたので、我が軍は秋草乱るる高原にこれが掃蕩戦を展開しました。
かくて少数とはいえ、我が果敢極まる攻撃に敵は次第に浮き足立ち、秋風颯々と吹く戦場に多数の死体を遺棄して山間深く潰走しました。


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(最後)

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(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第15号(1940年9月)9分9秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300400_00000&seg_number=002

国交交渉を了して或日の阿部、汪両氏   02:03
切符制実施を前に大量の木炭待機     01:11
二千六百年式典場上棟式<週間手帳>   00:43
第一回産業体育陸上競技大会<週間手帳> 00:43
ハンググライダー試験飛行<週間手帳>  00:34
我等の娯楽は我等の手で         02:07
初秋の新戦場に山砲隊血の進撃      01:42

国交交渉を了して或日の阿部、汪両氏   02:03
日支国交調整の重大使命を果たした阿部、汪精衛(おうせいえい)両代表委員の、のどかなひとときであります。カメラはまず、南京の帝国大使館に我が阿部全権大使を訪れました。条約の仮調印が終わったとはいえ、大使の身辺はまだいろいろと忙しい。そして仕事の合間に爽(さわ)やかな秋空のもと、庭の芝生に出て、会員らと競技にうち興じ、忙中閑ある我が阿部大使の悠々たるひとときであります。
国民政府行政院内、孫文の面影を日夜仰いで、正しい東亜の建設にわが国と協力、寧日もない汪精衛氏も仮調印の重き責務を果たして安堵の色を浮かべながら、チョ民誼(みんぎ)氏を招いて政務に忙殺されています。
やがて仕事から解放された汪精衛氏は、チョ民誼氏のカメラに収まりながら、林柏生(りんはくせい)らをうち連れ、庭のテーブルを囲んで団らんのひとときを過ごしました。

切符制実施を前に大量の木炭待機     01:11
木炭の切符制は、この11月から東京をはじめ、全国13大都市に実施されることになりましたが、木炭増産の国策に協力をする各産地では、青年団、学生団等の奉仕隊も出動し、寒い冬を控えて目の回るような忙しさをみせています。
全国で1年間に消費する木炭はおよそ6億貫に達しますが、しかしこれは工業が盛大になり、さらにガス用木炭の需要もあって、全体としては木炭の需要は今後ますます増加する傾向にあります。
ところで、全国6億貫のうち、その3分の1足らずが産地から13大都市に出回り、これを政府が買い上げて切符で配給、闇取引を厳重に防止して国民一人一人に寒い思いをさせまいという政府の親心がこの11月から行われる木炭切符制であります。国民としても、この冬は例年より寒いのを覚悟して、政府に協力することが望まれています。

二千六百年式典場上棟式<週間手帳>   00:43
錦秋の秋を飾る政府主催の紀元2600年式典の議場として去る8月7日、起工式を行った宮城外苑の式場建築設備工事は、10月の末までには竣工(しゅんこう)の予定といわれますが、去る9月13日午前10時から関係者参列して、まず上棟祭を挙行。早くも二重橋より緑の松に、神殿風大式殿の概容がくっきりと浮かび上がりました。

第一回産業体育陸上競技大会<週間手帳> 00:43
第1回産業体育陸上競技大会は9月16日、神宮競技場で挙行。都下800工場から選ばれた鉄の戦士ら6800は、紺碧(こんぺき)の秋空の下に集い、壮麗なマスゲームをもって運動の幕を切って落とし、競技場いっぱいに汗と油で鍛えあげた産業日本のたくましくも力強い豪華絵巻を繰り広げました。

ハンググライダー試験飛行<週間手帳>  00:34
40年前、ドイツ航空界の先覚者オットー・リリエンタールが飛んで、尊い犠牲となったグライダーと同じようなハンググライダーが最近、オオクボ滑空士によって考案され、去る9月9日、鳥取市で試験飛行が行われました。補助員の力を借りて、砂丘を助走すること約20mの後、強風に向かって離陸し、上昇3mの高度で約20m、繰り返し繰り返し飛び上がりました。目方はわずか20kg。背負って一人で走れるという軽便なものであります。

我等の娯楽は我等の手で         02:07
工場や農村に汗みどろとなって働く人々の生活向上純化を目指して、彼ら自らの手で娯楽を創り出そうという勤労者演劇研究会では、その第一着手として、9月15日の日曜日、本庄の栗原紡織会社講堂で第1回研究会を行い、イノウエマサオ氏が先生となり、各工場の会員を集め、お得意の「トミオカ先生」を上演。扮装の仕方から台詞の言い回しなど、演出の細部に渡って親切丁寧に指導しました。

(上演、指導の様子)

初秋の新戦場に山砲隊血の進撃      01:42
戦場至る所、赫々たる武勲を立て、幾たびか感状を賜った名誉の部隊、カワグチ隊、オガサワラ隊は、去る9月10日、広東東北郊の高地に蠢動(しゅんどう)を続ける、敵152個師を奇襲すべく、山砲を解体し、汗と埃にまみれつつ、峻険(しゅんけん)な山地を前進。南支灼熱の太陽は赫奕として勇士の五体を直射し、その労苦、筆舌に尽くしがたきものがあります。
かくて前進また前進するうち、突如、前面山上に陣を張る敵と遭遇。わが一部徒歩部隊は山上に展開してひた押しに肉迫。これが殲滅(せんめつ)戦を敢行し、銃砲声は山野を圧して壮絶を極めました。

(銃撃戦の様子)

 

日本ニュース 第16号(1940年9月)10分6秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300401_00000

尊し興亜の御英霊故北白川宮殿下御葬儀 01:31
慶祝紀元二千六百年興亜国民動員大会  01:04
海鷲の偉勲重慶大爆          01:57
新生支那の集団結婚          00:54
郷土の栄誉をかけて神宮水の争覇開く  01:14
英本土攻撃激化独長距離砲の威力    00:56
瀬戸口藤吉翁感激のタクトを揮う    02:23

尊し興亜の御英霊故北白川宮殿下御葬儀 01:31
尊き御身をもって、今次聖戦に御人柱、花と散らせ賜うた故北白川宮永久王殿下の御葬儀には、9月18日、厳かに執り行われ、御霊柩を砲車に移し参らせた御霊車は、午前8時15分、御懐かしの御殿を御発院あらせられ、儀仗兵1個中隊、前後を御守り申し上げ、捧げ奉る民草一億の哀悼のうちに御順路を粛々と御葬場に進ませ賜い、蕭条たる冷雨に打たれて堵列、奉拝する。軍隊、学生生徒、一般市民らの人垣の内からは、ただ嗚咽(おえつ)の声が聞こえました。市民涙の奉拝のうちを御霊柩は、しとど降り注ぐ雨に打ち煙りつつ、殷々(いんいん)と轟(とどろ)く礼砲に送り迎えられて、午前10時15分、豊島が丘御葬場に御到着。かくて陸軍砲兵少佐・大勲位功四級、永久王之墓の御墓標のもとに、御武勲に輝く御英霊は常しなえに神鎮まらせ賜いました。

慶祝紀元二千六百年興亜国民動員大会  01:04
満洲国皇帝陛下の御臨席を仰ぎ、我が日本の紀元2600年を慶祝する興亜国民動員大会は、9月19日、秋晴れの新京、大同広場において、日本・支那・蒙古の各国青年代表を迎えて、華々しく挙行され、十数万の参加者は一斉に陛下に対し、忠誠を誓い、平和創建に殉ぜんとの固き決意を示しました。
晴れの大会式典終了後、各参加部隊は音楽隊を先頭に大分列行進を開始。各団旗をかざして各順路を新京駅前に行進。興亜新秩序建設を担う烈々たる気迫を漲らせました。

海鷲の偉勲重慶大爆          01:57
我が荒鷲の連続爆撃で、重慶はまったくその機能を失い、気息奄奄(きそくえんえん)、最後の足掻きを続けていますが、我が海軍航空隊の爆撃行は一瞬といえども休むことなく、9月15日、爽涼(そうりょう)の秋空を突いて重慶爆撃を敢行しました。命令一下、戦友に送られ、莞爾(かんじ)として基地を離れた荒鷲の大編隊は、戦闘機に守られつつ、長江の流れを脚下に一路、重慶に驀進(ばくしん)しました。
途中発見した敵の軍事施設に巨弾を浴びせて、これを爆撃粉砕。機首を立て直した大編隊は、さらに重畳たる四川の山を越え、谷を越え、漠々たる白雲を突いて重慶目指して快翔。
かくて弾雨の下、揚子江岸に最後の抵抗を続ける敵首都・重慶の上空に達した大編隊は敵が打ち出(いだ)す高射砲を侵し、悠々、軍事施設に巨弾の雨を降らせ、完膚無きまでに爆撃粉砕。轟々(ごうごう)たる爆音は四川の山野を圧して轟きました。

新生支那の集団結婚          00:54
支那の結婚といえば、今になお、昔の風習を伝えて全財産の半分は使い果たすといわれるほど、豪華贅沢の限りを尽くすものと思われていますが、今度、東亜の新体制へ新しい出発をした新興支那の若者たちによって、この古い風習が破られ、去る9月17日、中秋節の吉日を穆(ぼく)して、天津は北寧公園、大礼堂に24組の集団結婚が行われました。
特別市政府・社会局長、媒酌のもとに、この日、神の御前に偕老同穴を契る若き男女の喜びにあふれた顔。新しい支那の希望に満ちた一情景であります。

郷土の栄誉をかけて神宮水の争覇開く  01:14
紀元2600年奉祝・第11回明治神宮国民体育大会水上競技は、秋晴れの9月20日、かしこくも聖恩旗を迎えて神宮プールに開催。
その4日目、23日の呼び物、一般男子選抜200m平泳ぎの決勝。

(決勝の様子)

この日、快晴の祭日にスタンドを埋めた観衆は、銃後青年のはつらつたる熱戦に沸き立ちましたが、第2コース立教の大浦君、首位力泳、よくリードを続け、断然他を離して1着。タイムは2分45秒2。2着、日大の吉村君。3着、茨木中学の藤垣君。

英本土攻撃激化独長距離砲の威力    00:56
イギリスに対するドイツ長距離砲の設置が完了した。かくて英独血みどろの激戦場、英仏海峡を越えてドイツ砲兵部隊はロンドンめざし、一斉にその砲門を開く。ドイツ空軍の連続爆撃におののくイギリス本土は、今またこの長距離砲の猛威の前にさらされるにいたりました。大小幾多の長距離砲は、天地も裂けん咆哮(ほうこう)を続け、フランス海岸一帯を震わせています。

瀬戸口藤吉翁感激のタクトを揮う    02:23
我々国民の血を湧かせてきた瀬戸口藤吉翁の軍艦行進曲40年記念演奏会が、黄海海戦(こうかいかいせん)記念日である9月17日、日比谷公会堂に開かれました。
この夜、翁は病苦を1本の杖に支え、老先生を慰めようという門下生、久しぶりに翁に接しようとする人々に迎えられて出席しました。
シマダ楽長に助けられて、指揮台に上った瀬戸口藤吉翁は、満場の拍手に感謝に胸を震わせ、過ぎし日の教え子を前に思い出多き40年の昔をしのぶ、感激のタクトをとりました。

(翁指揮による軍艦行進曲演奏の様子)

思い出の演奏は終わりました。やがて門下生から記念の花束が翁の手元に送られれば、その目蓋には感謝の涙が光り、あまりにも美しいその師弟愛に満場はただ感激の渦に溶け込みました。


(最後)

十月一日 國勢調査

一億一心 洩れなく正しい申告をしませう

内閣統計局

(日本ニュース 終)

 

1940年10月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=194010

日本ニュース 第17号(1940年10月)10分16秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300402_00000&seg_number=005

世紀の契固く日独伊同盟成る  03:08
航空日本三十年銀翼の祭典   01:51
時局色豊かに美術の秋展く   01:25
街に描く隣組の活躍      01:56
独空軍の猛爆下凄絶のロンドン 01:55

世紀の契固く日独伊同盟成る  03:08
《近衛首相》
「今回、政府は世界歴史の一大転換期に際し、かしこくも天皇陛下の広大無辺なる聖旨を仰ぎ奉り、ドイツおよびイタリー三国条約を締結し、世界恒久の平和と進歩とのため、協力邁進(まいしん)するに決したのであります。」

近衛首相の言葉のように、日独伊三国条約は9月27日、日本時間で午後8時15分、ベルリンにおいて調印を終わり、世界新秩序の旗幟(きし)も高く、がっちりと腕を組んだ三国条約発表の歴史的な夜、麹町外務大臣官邸で意義深い条約成立の祝賀会が盛大に挙行されました。松岡外相、東条陸相、星野無任所相、白鳥顧問、オットー・ドイツ大使、スターマー公使、インデルリ・イタリア大使らが、相次いで颯爽(さっそう)と姿を現れば、官邸の会場にはこの歴史的な夜にふさわしい感激と興奮が、いやがうえにも高まっていきました。

《松岡外相》
「今回のこの条約は世界平和を招来する第一着工として締結せられたのであります。旧秩序の墨守は真の平和を樹立する道では断じてありません。万邦、各々(おのおの)その所を得、万民、各々(おのおの)その途に安んじてこそ、国際社会は初めて安定するのであります。今回の条約は、この大眼目のもとに、まず日独伊三国が大東亜およびヨーロッパにおける新秩序の建設に協力し、さらに進んでは、この三国と志を同じうする国と提携し、もって全世界の国家と人民に永久の平和を協約せしむるために締結されたのであります。」

松岡外相の力強い挨拶に続いて、オットー・ドイツ大使の発声で天皇陛下の万歳を三唱しました。

《オットー・ドイツ大使》
「天皇陛下、万歳」
<一同>
「万歳」
《オットー・ドイツ大使》
「万歳」
<一同>
「万歳」
《オットー・ドイツ大使》
「万歳」
<一同>
「万歳」

航空日本三十年銀翼の祭典   01:51
輝く紀元2600年を祝い、国民航空の歴史的大飛躍を目指す青空の祭典、第1回航空日は9月28日、華々しく挙行。日本全国を航空ひと色に塗りつぶし、代々木練兵場においては、東日・大毎主催の模型航空機競技大会が開かれ、大に国民の空への関心を高めました。
また、街頭においては読売新聞社主催の市内行進が挙行され、日独伊三国同盟に歓喜沸く帝都の町々を、航空報国の旗幟(きし)も高らかに堂々と行進し、京橋、昭和通り、日本橋から九段へ、かくて靖国神社に参拝。護国の英霊に感謝の誠を捧(ささ)げました。
さらに羽田の東京空港を中心とした帝都の空には、朝日新聞社主催の航空ページェントが開催され、精鋭機に混じって悠々と飛ぶ、今は見慣れぬモーリス・ハルマン機を眺めては、航空機発達のめざましさに目を見張らせ、いよいよ待望の飛行演習に入るや、羽田の秋空は轟々(ごうごう)たる爆音に揺り動かされ、支那事変でおなじみのE16型機も上空に乱舞。
かくてこの日、羽田空港は、陸鷲の乱舞と爆弾投下の轟音(ごうおん)のうちに記念すべき1日を終わりました。

時局色豊かに美術の秋展く   01:25
柔らかな日差しをうけて、絵画の、あるいはまた彫刻のアトリエに、真摯(しんし)な制作が続けられています。10月の初めから開かれる2600年奉祝美術展覧会を控えて、美術の秋のひそやかな訪れ。しかしそのうちにも、輝く年の建設の息吹きが、作者の心を通して力強く描き出されていきます。
秋の奉祝展覧会審査の日。石井、有島、正宗氏らの各審査員の厳しい目に選び出された第2部洋画の入選は総数738点でありました。また彫塑においても、山崎、朝倉氏らの各審査員によって搬入された作品の厳しい選抜が行われました。
こうして厳選をされた各力作は、秋の上野を飾る奉祝美術展覧会に陳列を終わり、我が国最高美術の華を咲かせることになりました。

街に描く隣組の活躍      01:56
防空訓練を控えて、隣組の活動が町々に展開され、麹町一番町では今度、一軒でひもを引けば、四町四方に鳴り響くサイレンを取り付けました。
これは中野の野方町。防空壕は私たちの手で、と隣組の奥さんや娘さんを動員して、もんぺ姿もかいがいしく、防空壕を作りました。一朝有事の際は、年寄り子どもを避難させる若い者のうれしい心意気であります。
近代都市に族生をしたたくさんのアパート。そのアパート生活者も隣組に呼応して、活発な活動を始めました。これは麻布の笄(こうがい)荘アパートの特設防護団の活躍です。同宿の婦人、学生、サラリーマンなど130名を動員して初めてのアパート防空訓練が行われました。

(歌)
とんとんとんからりと隣組
地震や雷 火事 泥棒
互いに役立つ 用心棒
助けられたり 助けたり

この非常時に空き地だからといって遊ばせておくのはもったいない話です。そこで空き地を利用して、有益な菜園を作ろうという運動を起こしましたが、川崎の大島町では、その運動に先鞭(せんべん)をつけて隣組共同菜園のつまみ菜がもうこんなに大きくなりました。
今からでも遅くはない。高田町の隣組では、空き地開墾に懸命な活躍を開始。このように生活の新体制は各所に頼もしい発展をみせていきます。

独空軍の猛爆下凄絶のロンドン 01:55
けたたましいサイレンの響き。またしてもロンドン全市に空襲警報が布(し)かれました。イギリスの戦闘機を破り、阻塞気球網(そさいききゅうもう)を突破したドイツ爆撃部隊が、ロンドン上空に姿を現しました。一斉に砲門を開いた防空部隊の高射砲の弾幕をくぐって、ドイツ機は勇敢にも低空爆撃あるいは急降下爆撃を敢行。ロンドン中心地帯に巨弾の雨を降らせ、全市を恐怖と戦慄の渦中に投じ、いまやロンドン最期の日を思わせるに至りました。

(爆撃の様子)

ドイツ軍の爆撃によって市内各所に火を発し、消防隊必死の消火作業も、次々と襲来するドイツ機の爆撃によって進捗せず、ロンドンはまさに廃墟と化さんとしています。
詩人ミルトンの像もこの爆撃を受けて、街路上に転落。かくてドイツの攻撃の前にイギリスの憂色は次第に深まっていきます。


(最後)

(女性三人のイラストを背景にして)

護れ興亞の兵の丘

歌へ 國民進軍歌

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第18号(1940年10月)10分13秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300403_00000&seg_number=004

皇軍精鋭堂々と仏印へ進駐       03:55
築け大空の護り全国防空大演習     02:26
海の荒鷲を目指し大空に錬る学生群   01:18
時の人は語るスターマー独特派公使、大島前駐独大使 03:01

皇軍精鋭堂々と仏印へ進駐       03:55
支那事変完遂に必要な処置として、交渉が続けられた日仏印軍事協定は、9月22日、両国間に意見の一致を見(み)、かくて翌23日、広西省の僻地(へきち)に駐屯をして、援蒋ルート遮断に寧日無かりし我が部隊の精鋭は、この協定に基づき、仏印北部国境、鎮南関を越え、平和的進駐を開始しました。竜州、ドンダン、ランソンを結ぶ線は最も有力な援蒋ルートのひとつでありましたが、今ここに堂々と日章旗をかざす将兵の感激は、はたしていかばかりでありましょうか。
国境を越え、仏印領内に進駐するや、仏印政府の命令のいまだ徹底せざる一部仏印軍は、突如山間に築かれた堅固なトーチカ陣地によって抵抗し、ここに自衛上、武力行使のやむなきに至った我が軍は、これを排除して南進。午後2時ごろ、ドンダン付近にさしかかるや、仏印軍の挑戦はいよいよ激しく、ここにおいて我が軍はこれに応戦。またたく間に付近一帯の陣地を占拠。仏印軍の降伏を入れて堂々ドンダンに進駐しました。

(進駐する様子)

かくて我が軍は降伏せる仏印軍の武装を解除して、一時的に突発した紛争の不拡大に最大の努力を払いつつ、ドンダンを進発してランソンに向け、さらに進駐を続けました。
我が平和的進駐を喜ぶ住民は、行く道々に歓迎の意を表し、9月26日、早くもランソン進駐を終わり、かくてランソン市内に中村部隊感激の閲兵式が行われ、日章旗は燦(さん)として仏印の空に翻りました。

(海軍の様子)

一方、海軍部隊は、この日あるを期して、南シナ海に堂々の陣を張って猛訓練を続けていましたが、命令一下、基地を抜錨(ばつびょう)、航空部隊に守られつつ、舳艫(じくろ)相銜(ふく)んでハイフォンに急行しました。
かくて我が艨艟(もうどう)が、豪胆にもハイフォン沖、ロンソン要塞前面の海上に投錨するや、25日、ハイフォン要塞司令官は随員とともに我が方を訪問。仏印監視団委員長西原少将を交えて懇談し、会議は円満のうちに続けられました。

築け大空の護り全国防空大演習     02:26
全世界を包む戦時体制下にかしこくも東久邇宮殿下を御統監に奉戴(ほうたい)して、10月1日から挙行された防空総合訓練は、全国民ひとり残らず参加のもとに、日一日と熾烈(しれつ)さを加え、帝都の中心に敵機の空襲を受けた市民は、官民一致協力のもとにあらゆる機能を総動員。沈着冷静、各々(おのおの)その職場を死守。被害を最小限度に止むべく、懸命の訓練を続けました。

(訓練の様子)

訓練4日目、東久邇統監宮殿下には、幕僚を従えさせられて東京駅にならせられ、みごとな訓練ぶりを御視察あそばされました。
地上砲火の反撃をくぐって横浜に来襲した敵機は、横浜港に巨弾の雨を降らせ、そのうち1弾は係留中の霧島丸に命中。税関内に待機した特設防護隊は、時を移さず急行して、帝都の玄関、横浜港死守の活躍を続けました。
一方、爆撃数十機の襲撃を受けた大阪市は、無数の焼夷弾、毒ガス弾を投下され、全市は炎の海と化す想定。消防部隊は警報団、家庭防空組合と協力して必死の鎮火作業を開始しましたが、矢継ぎ早(やつぎばや)の空襲に火勢は淀川べりに猛威をふるい、イオウ師団長殿下、御観戦のもとに逃げ遅れた市民200名はあわや絶望とみられましたが、陸軍部隊の奇襲鉄舟(てっしゅう)、10数隻が漕ぎつけ、整然たる統制下に渡河避難訓練を決行。かくて5日間にわたり、全国一斉に行われた防空総合訓練は幾多貴重な教訓を残して10月5日正午、演習を終了いたしました。

海の荒鷲を目指し大空に錬る学生群   01:18
大津市街、四裔(しえい)の翠巒(すいらん)を背景に、琵琶湖の水に臨む近代式格納庫。ここは海軍予備航空団大津支部であります。大空に憧れる若き学生たちは今都塵(とじん)を離れ、学業の余暇をここに合宿して現役将校指導のもとに、ひたすら航空の腕を磨いています。
静かな水面に真っ白な飛沫(ひまつ)を上げてふわりと浮かんだ白銀の機体。山紫水明の湖路を高く、澄み切った秋空を行く彼ら学生は、ここで厳格な訓練を受けること約3年。さらに霞ヶ浦航空隊に入隊した後、予備士官として我が空の守りの重責に就くことになっています。

時の人は語るスターマー独特派公使、大島前駐独大使 03:01
日独伊三国同盟の締結にヒトラー総統の密使として来朝。この世界史上を飾る条約締結に重大なる役割を演じたスターマー特派公使の労をねぎらい、使命の完了を祝福するため、末次大将、松井大将、安達謙蔵氏、望月圭介氏、久原房之助氏、大島中将、中野正剛氏らが、オットー・ドイツ大使も交えて6日の日曜日、麹町の星ヶ岡茶寮に和やかな会合を開きました。
さて、茶寮の庭のひと隅、スターマー公使と大島前駐独大使の話をマイクを通してお聞かせいたしましょう。

(茶寮での会話)
《大島前駐独大使》
「やー スターマーさん!」
<スターマー公使>
「ア閣下ですか 如何です?」
《大島前駐独大使》
「今度はお国へ大きなお土産を持って帰れますね」
<スターマー公使>
「条約締結と云ふお土産があるので嬉しく思ってゐます」
《大島前駐独大使》
「ベルリンにお帰りになりましたら、独乙の勝利を常に確心してゐるとヒットラー總統にお伝え下さい」
<スターマー公使>
「確にお伝えしませう 貴方の気持ちを聞けば總統は非常に悦ぶでしやう」
《大島前駐独大使》
「リツベントロップ外相にも今度の締結を特に悦んでゐるとお伝え下さい」
<スターマー公使>
「承知しました 今まで貴方が色々と御努力下さった事を外相も悦ぶでしやう」
《大島前駐独大使》
「ゲーリング元帥には、独乙空軍の戦績は実に素晴らしいと驚嘆してゐる旨、御伝へ下さい」
<スターマー公使>
「御承知のやうに私自身飛行士ですから閣下のお言葉は悦んでお伝へします」
《大島前駐独大使》
「では庭をもうすこし歩いて見ませう」
<スターマー公使>
「結構ですね」

 

日本ニュース 第19号(1940年10月)7分1秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300404_00000

天皇陛下帝大行幸         01:07
紀元二千六百年特別観艦式     03:20
新日本発足の雄叫び国民大会の盛況 01:15
江南に戦果拡大暁の掃蕩戦     01:20

天皇陛下帝大行幸         01:07
かしこくも天皇陛下には、我が国の最高学府の各学部、各研究機関、そのほか学内諸施設の全般を天覧あらせられる御為、去る10月8日、東京帝国大学に行幸あらせられました。聖戦ここに3年を超ゆるこの軍国の秋、特に学術奨励、科学振興の深きおぼし召しを拝するを得ましたことは、ひとり同大学の光栄たるにとどまらず、誠に国を挙げて恐懼(きょうく)感激に耐えぬところであります。大正7年以来、22年、ここに聖駕(せいが)の親臨を仰ぎ奉った東京帝国大学では、挙げて賢き聖旨に・・・(音声・映像中断)。

紀元二千六百年特別観艦式     03:20
かしこくも大元帥陛下には、紀元2600年祝賀の特別観艦式に御親臨あらせられるため、10月11日、宮城を御発輦(ごはつれん)、鹵簿(ろぼ)を横浜港に進めさせ給う。
伏見軍令部総長宮殿下をはじめ奉り、及川海軍大臣、山本観艦式指揮官、塩沢横須賀鎮守府司令長官らの奉迎を受けさせられ、御召桟橋より御召艇に僑居(ぎょうぎょ)。天皇旗、燦(さん)として輝く。奉礼砲、殷々(いんいん)と轟(とどろ)くうちを先導艇、供奉艇(ぐぶてい)、列外艇(れつがいてい)を従えさせられ、御召艦比叡に向かわせられました。

(君が代演奏)

かくて山本観艦式指揮官は、松平式部長官を従えて、前艦橋(ぜんかんきょう)に出御を奏請すれば、陛下にはかしこくも前艦橋の玉座に出御あそばされ、親しく帝国艦隊の威容をみそなわせ給いました。
波荒き太平洋を守る連合艦隊の旗艦長門をはじめ、海の精鋭100余隻、満艦飾を施し、6つの縦列をしいて水天の彼方まで連なり、瑞光満つる空には海軍機500余機、銀翼を連ねて式場に進む。
かくて戦時下銃後国民が待望の大観艦式は、波静かなる横浜沖に海と空を圧する荘厳華麗な海国絵巻を繰り広げました。

新日本発足の雄叫び国民大会の盛況 01:15
内に大政翼賛会の成立、外に三国同盟の結成と、新日本の門出を祝う国民大会は秋たけなわな10月13日、全国一斉に挙行。わけても帝都の中心、日比谷の大会会場では参列市民の歓呼と万歳の嵐のうちに松岡外相、独伊両大使らこもごも立って熱弁をふるい、一億国民、新発足への固き決意を示しました。

<大使>
「天皇陛下、万歳」

(音声中断)・・・終了後、日比谷をはじめ、市内各会場を出発した参加団体は、音楽隊の行進曲につれ、一億一心の誓いも固く、相次いで宮城前に向かい、宮城を遥拝(ようはい)、恭(うやうや)しく万歳を奉唱した後、日比谷会場、約2万の行進は喜びに沸く帝都の町々を靖国神社に向かいました。

江南に戦果拡大暁の掃蕩戦     01:20
秋深き江南の地に訪れた爽涼(そうりょう)の朝。
暁の薄明をついて、突如我が残敵掃討の砲火が轟(とどろ)きました。揚子江下流、蕪湖・安慶・杭州・上海を結ぶ江南の地に、執拗(しつよう)な蠢動(しゅんどう)を続ける敵第3戦区。約20万の大軍に対し、去る10月3日以来、断固膺懲(ようちょう)の火蓋(ひぶた)を切った我が土橋部隊らの精鋭は、大陸の荒鷲、協力のもとに今日もまた、江南山岳地帯に向け、一斉に進撃を開始しました。


(最後)

紀元二千六百年奉祝記念

貯蓄債券賣出し

十一月一日より十五日まで
一枚 十圓

大藏省 日本勧業銀行

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第20号(1940年10月)10分49秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300405_00000&seg_number=006

天皇皇后両陛下御親拝靖国神社臨時大祭  02:57
紀元二千六百年記念大観兵式       03:25
小林使節蘭印着会商着々進捗       01:10
大日本青年党第四回全国大会<週間手帳> 00:47
電話事業開始記念競技会<週間手帳>   00:39
日独交驩対抗庭球戦<週間手帳>     00:28
民族文化の交驩興亜厚生大会       01:16

天皇皇后両陛下御親拝靖国神社臨時大祭  02:57
雨晴れて秋気澄む九段の神域に、興亜の礎と散った殉国の英霊1万4400柱をとこしなえに神鎮め参らす、靖国神社臨時大祭招魂之議は雲守る満月の光も清らかな10月15日夜、一億同胞の敬慕と敬虔(けいけん)な祈りのうちに、いとも厳かに執り行われました。
天駆けり地に伏して、悲しくも尊く大陸に散華(さんげ)した強者たちが今ぞ靖国の神として帰ります感激のひととき。霊璽(れいじ)を納めた御羽車は、水漬(みづ)く屍(かばね)の奏楽に、12名の神職に奉戴(ほうたい)され、招魂斎庭(しょうこんさいてい)をいでて、粛々と進む。玉砂利をうずめて額(ぬか)ずいた遺族席からは、今ぞ仰ぐ親しき者の神の姿に、ただ拍手(かしわで)の音、嗚咽(おえつ)の声が漏れました。
2日おいて18日、臨時大祭第3日、かしこくも天皇陛下には、親しく御国の英霊に御拝あらせられる御為、午前10時、略式自動車鹵簿(ろぼ)にて宮城を御出門。御順路、靖国神社に行幸あらせられました。
かくて拝殿前に着御あそばされた天皇陛下には、畑臨時大祭委員長の御先導にて玉歩を本殿に進め賜い、百武侍従長の奉る御玉串を御手に、恭(うやうや)しく御拝あらせられました。
天皇陛下、還御の御のち、皇后陛下には、10時35分、宮城を御出門。略式自動車鹵簿(ろぼ)にて靖国神社に行啓。遺族席にお優しき御会釈を賜わりつつ、45分、拝殿着御。御ねんごろに御拝礼あらせられました。

紀元二千六百年記念大観兵式       03:25
東亜の天地に雄渾(ゆうこん)極まりなく、金鵄(きんし)の栄光、燦(さん)として輝く紀元2600年記念観兵式は、秋冷澄み渡る10月21日、かしこくも大元帥陛下の親臨を仰ぎ奉り、代々木練兵場において、いと厳かに挙行され、諸兵指揮官朝香大将宮殿下、御指揮の5万の精鋭、林のごとく整列。大元帥陛下には、御愛馬白雪に召され、燦然(さんぜん)と輝く天皇旗を御先頭に、粛々と皇軍精鋭の威容を見そなわせ賜いました。
御閲兵を終えさせ賜いし大元帥陛下には、御馬上の御英姿も神々しく、玉座に立たせ賜えば、諸兵指揮官浅香大将宮殿下の御指揮刀一閃。ここに豪快なる分列式は開始。参加諸部隊は力強く大地を蹴立て、御馬前を進みに進む。このとき空には菅原部隊長総指揮の陸の荒鷲500余機。青空を切って式場に飛来。隊形整然、空中分列を行い、空陸呼応して立体戦の威容を展開しました。
さらに地軸を揺るがす戦車・砲車、各種機械化部隊、野砲騎兵輜重各部隊の分列と、厳として揺るがぬ皇軍の雄姿は続く。
かくて分列式を終わって11時34分。浅香大将宮殿下をはじめ奉り、東條、杉山、山田3長官ら、玉座の御前、所定の位置に進めば、かしこくも陛下には、玉音朗々と優渥(ゆうあく)なる勅語を賜い、全将兵の感激はここに極まり、聖旨に沿い奉らんことを固く固く誓いました。
たくましき鉄(くろがね)の轟音(ごうおん)、都大路を圧し、我等(われら)が機械化部隊は進む。観兵式終了後、岩仲少将指揮のもとに、式場の感激をそのままに堂々、帝都大行進を開始。豪壮にしてまた絢爛(けんらん)なる軍国絵巻を繰り広げました。

小林使節蘭印着会商着々進捗       01:10
歴史的使命を帯びて、蘭印に遣いした特派使節小林商工大臣は、岩瀬顧問をはじめ、各方面の権威者24名の随員とともに9月12日、無事バタヴィアに到着。出迎えのチャルダ総督代理、ファン・モーク経済相とともに埠頭に整列した蘭印儀仗隊を閲兵した後、直ちに宿舎インリースホテルに向かいました。
今回のこの会商は東亜共栄圏の確立を図るべき特種の意義を持つもので、本格的会商は20日過ぎから開始されましたが、日独伊三国同盟の成立により、多大の影響を受け、実質的討議の段階は着々と進捗いたしました。

大日本青年党第四回全国大会<週間手帳> 00:47
大日本青年党第4回全国大会は、去る10月20日、全国党員代表約6000が参集。日比谷公会堂において盛大に挙行され、橋本統領以下、こもごも立って熱弁をふるいました。会閉じて全党員は、日比谷公園広場に集合。橋本統領の査閲を受けた後、隊伍を組んで宮城前に行進。一同、宮城遥拝(ようはい)ののち、さらに靖国神社に向かいました。

電話事業開始記念競技会<週間手帳>   00:39
電信業務開始70年、電話業務開始50年を記念する数々の催し物のうち、電信電話の競技会は去る10月19、20日の両日、丸の内の東京中央電話局で開催されました。電信の方の競技会はたびたび行われましたが、電話としては初めての試み。全国から96名の選手が参加し、何番、何千何番と間断なき申し込みを選手たちはみごとにさばいていきます。見ていても目がくらむような忙しさ。

日独交驩対抗庭球戦<週間手帳>     00:28
日独交歓対抗庭球戦は、去る17、18、20日の3日間、田園コートにて行われました。その2日目、盟邦ドイツのヘンケル・ギース組対日本鶴田・山形組のダブルスは、戦前の予想、五分と五分、対抗戦中の白眉(はくび)でありましたが、日本軍は第3セットを得たのみで結局3対1。遠征ドイツ軍の勝ちとなりました。

民族文化の交驩興亜厚生大会       01:16
紀元2600年を奉祝して10月16日から5日間、大阪で催された興亜厚生大会は、盟邦満洲国の50余名をはじめとし、支那、蒙疆(もうきょう)からさらに東亜共栄圏に連なる大国フィリピン、蘭印インド、ビルマ、アフガニスタンなどの南方諸国の代表300余名が欣然(きんぜん)と参加。勤労大衆を中核隊とした清心はつらつたる厚生運動を展開いたしました。
第2日目の17日、2万余名の若人を甲子園原頭に動員。友好11か国の旗のもとに、厳粛華麗な厚生大運動会を開催。紀元2600年のよき年を祝い、日独伊三国同盟を慶祝し、大東亜圏の美しい親善譜を繰り広げました。

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