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2017年1月10日 (火)

日本ニュース 戦争証言アーカイブス 第81号(1941年12月)〜第100号(1942年5月)

 特に1945年8・15までの映像は、大本営発表で検閲済み国策映像。ただし、これはこれで当時の空気を想像・実感するのに役立つ貴重な資料映像です。すべてリンクと再生テキストを資料保存しておきました。なおリンク先ではすべて映像を見ることができます

 

日本ニュース 戦争証言アーカイブス
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi

日本ニュース一覧
「日本ニュース」は、太平洋戦争を間近に控えた1940年(昭和15年)から終戦をはさみ、1951年(昭和26年)まで制作されたニュース映画です。制作したのは、「日本映画社」(※)で、1940年にそれまで4つに分かれていた新聞社や通信社のニュース映画部門を国策により統合したものです。
戦時中の「日本ニュース」は、日本軍や内務省の検閲を受けた後、毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。テレビがない時代、国民は「日本ニュース」が伝える真珠湾攻撃や特攻隊出撃、学徒出陣の様子を映画館で目にしたのです。
「日本ニュース」は、戦争完遂を目的にした国策映画ですが、太平洋戦争中の映像記録として大変貴重なものです。「戦争証言アーカイブス」では、1940年(昭和15年)の第1号から、戦後も含め、1948年末までのものを公開しています。

※(1941年5月までの会社名は「日本ニュース映画社」)
※日本ニュース戦後編の再生テキストは、国立歴史民俗博物館の協力で作成しています。

 

日本ニュース 第81号(1941年12月)11分9秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300466_00000&seg_number=002

鉄石一丸の戦時議会 06:08
馬来英陣急襲    01:27
香港大攻略戦    03:31

鉄石一丸の戦時議会 06:08
《東條首相》
「そもそも帝国が今回、南方諸地域に対し新たに行動を起こすの止むを得ざるに至りましたのは、米英の攻勢を排除して大東亜諸地域を明朗なる本然(ほんぜん)の姿に復す、新たなる大建設を行わんとするに他ならないのであります。
大東亜諸国の住民もまた帝国のこの真意を了解し、無益の抵抗を行うことなくむしろ我等(われら)の同士として速やかに帝国の企図する大東亜共栄圏建設の聖業に参加するに至らんことを切望してやまんの次第であります。
なお、この機会におきまして私は開戦以来の国民の熱誠あふるる愛国の至情に対しまして衷心よりの感激を表明するものであります。」
東條首相に次いで東郷外務大臣はアメリカ、イギリス両国政府の不正義が今日の事態を招来した理由を説明し、アメリカ、イギリス屈服するまでは断じて矛を収めず、日独伊三国共同して世界新秩序を建設せんことを強調。
《賀屋大蔵大臣》
さらに賀屋大蔵大臣は、我が経済界は極めて堅実、豊かなる南方資源を控えて洋々たる前途を望むに至ったと必勝の確信を披瀝。

《嶋田海軍大臣》
「12月8日開戦以来の海軍作戦の状況につき大意を説明致します。
申すまでもなく、このたびの戦争こそは誠に帝国有史以来の重大事でありまして、帝国海軍はかねてより今日あるにふまえ、ひたすら頼むべき実力の充実、錬成(れんせい)に万全を期して参った次第でありますが、ここにかしこき御詔勅を拝し奉り、将兵一同は真に皇国興廃の重責を感じ、全軍ただ一死国に奉ずるの決意をもって人智人力の限りを尽くさんとする熱意に燃えておるのであります。」
『陸海軍に対する感謝 並びに戦死者に対する敬弔決議案 田子副議長』

《田子副議長》
「今や皇国の隆替(りゅうたい)、東亜の興廃かかってこの一戦にあり。我が国民たるもの建国2600年の光輝ある歴史と祖先の偉績とに鑑み、敵の恐怖を畏れず決択(けつじゃく)を侮らず、微衷一心鉄丸となり、よく長期の艱苦(かんく)に耐え、東亜一円の平和を確立し、もって大東亜戦争の目的を貫徹するのであります。今後、皇軍将兵諸氏の責務はいよいよ重く、その労苦益々多かるべし。
衆議院は特に品位をもって陸海軍将兵諸氏の意向を感謝し、その勇健を祈り、合わせて(聞き取り困難)の英霊に対し、深甚なる敬弔の誠を表す。右決議す。」
「本決議案は正に国民の熱誠あふるる感激の総意を表したものでありまして、提案の理由は本文に明らかでありますから、特に趣旨弁明を要せざるものと存知ます。
よって直ちに採決致します。本案に賛成の諸君の起立を求めます。」
「起立総員。」
「よって本案は全会一致可決致しました。」

馬来英陣急襲    01:27
南海の空に堂々の鵬翼を連ね、密雲を排してマレーの空をまっしぐら。コタバル、ペナン島を目指す壮烈の爆撃行。イギリスの宝庫インド、ビルマとシンガポールを結ぶ敵の要衝ペナン島は小なりとはいえジョージタウンの港を抱え、東亜侵略発祥の地として過去の栄華を誇っています。すなわち我が陸の荒鷲は敵軍事施設めがけて矢継ぎ早に巨弾の雨をたたきつけました。
続いて敵の大輸送船団を発見。瞬時にして6隻を撃沈。
さらに向かうマレー東岸コタバルの敵空軍基地。遥かに見える滑走路、一条の白線のごとく鮮やかであります。敵飛行隊は我が荒鷲軍の急襲に狼狽なすところを知らず、浮き足立って一機も飛び立つものなし。間髪を入れぬ猛爆は滑走路右側の敵兵舎を格納庫もろとも木っ端微塵に吹き飛ばしました。

香港大攻略戦    03:31
香港の前衛基地、九龍へ。イギリスが支那侵略の本拠を構えて100年。その夢を破って決然立った皇軍は破邪顕正の軍を進める。開戦劈頭(へきとう)我が陸の精鋭諸部隊は神速果敢に国境を突破。
あまりの快速進撃に敵陣はもろくも崩壊。多数の捕虜を残して香港島へ逃走しました。
戦いを交えることわずかに4日あまり。我が軍は12月12日進軍、あたりを払う軍旗を先頭にイギリス覆滅の第一陣、九龍入城式を行いました。
皇軍入城の声に、市街の治安は即座に回復。安眠、いっこく(?)に支那民衆は蘇生の思いで慕い寄る。
香港の運命、既に定まる。あくまで武士道精神と温情に生きる皇軍はその厳然たる威容に接して、自ら案内役を申し出たイギリス婦人を伴って香港総督に大きく勧告の軍使をたてました。しかも英軍頑迷にして100万の支那住民の苦難を顧みず、我が勧告を排す。今は許すべからず。すなわち陸海緊密なる共同のもとに敵前上陸が敢行されました。
我が陸の荒鷲は香港周辺の要塞を強襲、これを全く沈黙せしめています。今や敵船団、すでに我が荒鷲陣の急追にあるいは沈没し、あるいは擱座し、寂(せき)として声なし。
黒煙をあげて燃え続けるガソリンタンクの姿。100年の繁栄をほしいままにし、難攻不落を豪語する大要塞、香港も炎々たる業火に包まれ、陥落前夜の苦悶にあえいでいます。


(最後)

皇軍大勝 感謝貯蓄
第四回 豆債券
一枚 一円
賣出迫る
一月六日ヨリ

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第82号(1941年12月)16分7秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300467_00000

世紀の黎明 東亜全民族に贈る 06:08
盤谷平和進駐         01:43
日泰攻守同盟成立       00:26
ボルネオ奇襲上陸       01:21
香港総攻撃          02:21
特報ハワイ大空襲       04:02

世紀の黎明 東亜全民族に贈る 06:08
≪東條総理大臣≫
「大東亜戦争の真っ直中に輝かしき戦果と相次ぐ捷報(しょうほう)を耳にす。かくも平穏裏に皇紀2602年を迎えましたることは、誠に御稜威のしからしむるところでありまして、恐懼(きょうく)感激に堪えぬ次第であります。ここに私は国民諸君とともに謹んで聖寿(せいじゅ)の万歳を寿奉り、あわせて皇国の隆昌を祈願いたすものであります。この戦争の元旦にあたり、我々は敵の寸前にあって、現に只今の生死を超越、身を砲弾、砲煙弾雨の中にさらし、寸部の油断なく、力戦奮闘したる将兵の上に、常に思いをいたすことを忘れてはなりませぬ。しかして、国内に生活する我々もまたこれら前線将兵の心を心とし、寸部の油断なく、日常の生活を律しなければならないのであります。赫々(かくかく)たる緒戦の戦果を最後の勝利へと押し進めていくためには、勝てば勝つほど、なによりも心に油断が生じないように注意を怠ってはならないのであります。およそ戦争に勝つためには、物質的な武装とともに精神的な武装が大切であります。物には限りがありまするが、ただ、無限にして無尽蔵なるものは、実にこの精神力であります。古来、幾多の戦史に徴しまするも、たとえ物質的には劣っておりましても、精神的に優れている者が、よく最後の勝利者となっておるのであります。
幸いにも我々は建国3000年来、この優れたる精神力を与えられておるのであります。迎春に際し、我々一億同胞ことごとくは、いよいよ決意を新たにし、戦いはむしろ、今後にあることを肝に銘じ、ますます士気を奮い起こして、勝ってしかも驕(おご)らず、兜(かぶと)の緒を引き締め、聖戦目的の完遂に向かって突進していかなければならないと信ずる次第であります。終わり。」

≪満洲帝国 張国務総理≫
「盟邦日本の太平洋上の輝かしき大勝利の中に、我が国は建国10周年を迎え、4千3百万の国民は、無上の喜びと感激を覚える次第である。今、東亜興隆の時期至り、八紘一宇の大精神が東亜全民族の光明に包まれる姿を眼前にして、我々は心から讃歎渇仰(さんたんかつぎょう)を禁じ得ない。」

≪中華民国 汪主席≫
「余は新年を迎ふるにあたり、この新しき年の重大なる意義を痛感するものである。今年こそは百年来の英米の侵略を東亜の天地より駆逐し、以て東亜の新秩序を盟邦日本と共々建設せんとする秋である。新秩序とは共存共栄であり、同甘同苦の精神である。余は盟邦戦勝の元旦に当り、新中国の逞しき成長と東亜新秩序の建設による東亜の自由と解放の万歳を叫ぶものである。」

盤谷平和進駐         01:43
かねて仏印に待機中の我が陸軍精鋭部隊は、大東亜戦争第1日、トラックの列を連ねてタイ国領土へ堂々の平和進駐を行いました。
坦々たる国道を一路まっしぐらに目指すは首都バンコク。東亜共栄圏確立の希望に輝くタイ国民の歓呼に迎えられて、アメリカ、イギリス駆逐の進撃陣であります。
これにひきかえ、皇軍来たるの声に、イギリスをはじめ、アメリカ、オランダの公使館員はいち早く国外へ遁走し、新時代の前に固く門扉は閉じられ、声なき公館のみが残されています。

日泰攻守同盟成立       00:26
盟主日本軍の友好的進駐によって、ここに欧米勢力からまったく解放された首都バンコクは、日泰両国旗を掲げて自由謳歌(おうか)の喜びに浸っています。

かくて、ピプン首相は敢然として従来の中立を一擲(いってき)。日泰両国は攻守同盟に関して意見完全に一致。12月13日、我が坪上大使をはじめ、枢軸側使臣とともに杯を上げて新東亜の黎明(れいめい)を祝いました。

ボルネオ奇襲上陸       01:21
12月16日、皇軍の精鋭は長駆、英領ボルネオのミリーに敵前上陸を敢行しました。はるかに赤道を望んで、イギリスが重要な油田地帯としてその確保を図ったボルネオも、虚(きょ)を突いてなされたわが奇襲上陸に、狼狽(ろうばい)守る術を知らず、卑劣にもミリー一帯の製油設備を破壊して退却しました。
これに反し、我が軍は久しきイギリスの圧迫より住民を解放、市街の治安もただちに回復しました。

香港総攻撃          02:21
落城迫る香港。再度に渡る我が降伏勧告を容れず、さらばと奮起した我が精鋭、攻城部隊の総攻撃に、さしも頑強を誇る敵要塞も次々と崩れ去って、陥落いまや寸前にあり。
鉄牛部隊の進撃、急にして、敵の捕虜は増加の一途をたどる。
敵帆船も転覆沈没して、見る影もなし。我が軍の砲弾を浴びて、逃げまどう敵快速艇。
かくて3ヶ月の死守を豪語した香港大要塞も、最後の堅陣ヴィクトリア・ピークを残して戦火におののき、砲煙に揺らぎ、東亜侵略100年の夢ようやく空しく、イギリス帝国の前途思うべし。

「大本営陸海軍部発表。12月25日、午後9時45分、香港島の一画に余喘(よぜん)を保ちつつありし敵は、我が昼夜を分かたざる猛攻撃により、本25日、17時50分、ついに降伏を申し入れたるをもって、軍は19時30分、停戦を命じたり。」

「万歳!万歳!」

特報ハワイ大空襲       04:02
≪字幕≫
「昭和十六年十二月八日、帝国海軍の精鋭は米国が金城鉄壁を誇稱するハワイ真珠湾軍港を急襲。一瞬にして米太平洋艦隊を全滅し、全世界を驚倒せしめた。
以下は決死的激闘の合間に、我が勇敢なる戦士の手に依って撮影された貴重なる歴史的記録である。」

帝国海軍ついに決起し、見よ、怒涛(どとう)逆巻く西太平洋を圧して、堂々行進する鉄(くろがね)の威容を。目指すはアメリカ最大の太平洋拠点、ハワイ真珠湾軍港である。隠忍雌伏ここに30年、帝国の興廃をかけて仇敵(きゅうてき)に挑む。生還もとより期すべからず、将兵等しく決死奉公の誓いを胸に、決然として敵陣の真っ只中へ。
ホイラー陸軍飛行場は、巨弾の命中を受けて多数の格納庫は瞬時にして爆破、炎上。飛行機もまた、すべて撃滅さる。敵空軍の損害、格納庫炎上・破壊18、飛行機の撃墜・破壊総計464機以上、アメリカが世界に誇る精鋭航空隊ここに壊滅。
真珠軍港の心臓部、フォード島による敵主力艦群を急襲。左に見える戦艦ユタはたちまち撃沈。オクラハマ型1隻には魚雷命中して重油流出、オクラハマ型他の1隻には爆弾命中。メリーランド型は魚雷爆弾により船体切断、カリフォルニア型はこの直後火薬庫に爆弾命中・轟沈(ごうちん)。ペンシルバニア型には魚雷命中・船体切断、このメリーランド型も大破。

 

1942年1月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19421

日本ニュース 第83号(1942年1月)13分55秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300468_00000

蘭貢空襲             01:55
ボルネオ油田占據         01:48
泰国輸送列車<馬来進撃>     00:36
クラ河畔の警備<馬来進撃>    00:32
敵飛行場占領<馬来進撃>     01:01
シンゴラ敵前上陸<馬来進撃>   01:18
アロスター市へ快進撃<馬来進撃> 01:53
特報香港陥落           03:23
特報、香港入城式         01:20

蘭貢空襲             01:55
明けゆく南国の暁の聖夜に、ビルマの空を遥かに睨む陸の荒鷲、昭和16年12月23日ラングーン初空襲の時は来ました。ペナン島既に我が手にありとはいえ、援蒋輸送路として知られたビルマの首都ラングーンこそは、体制を維持するに術なきイギリスがインド防衛の第一線と頼み、盟邦タイ国を脅かさんとする軍事拠点であります。
我が陸軍航空部隊は、大編隊も鮮やかに巨弾を抱いて殺到、地上防空砲火をおかして敵軍事施設に必中弾を浴びせかけました。
たちまち上がる黒煙天に沖(ちゅう)し、埠頭に居並ぶ船舶をはじめ飛行場その他に命中。ここにも、緒戦の凱歌(がいか)を高らかに挙げました。

ボルネオ油田占據         01:48
南太平洋の波濤(はとう)を蹴って、遠く英領ボルネオに奇襲上陸を敢行した皇軍は、旬日を出でずして、ミリ、セリアを中心とする豊富なる油田地帯を確保、早くも建設戦に相応しい石油探査隊の活躍が各所に展開されております。
戦うよりも油田を潰せ、との滑稽(こっけい)な抗戦破壊命令を受けたイギリス軍は、かねて用意のセメントを詰めたり、火を放つなどして、油田の皇軍に帰することを防ごうとし、見る影もない破壊の跡を至る所に留め、戦う暇もなく奥地に向かって退却しました。
しかも、皇軍の優れた技術の前には全て空しく、イギリス軍の計画を見事に覆して、我が軍はたちまち石油、井戸70箇所を復旧、既に年産50万トンを確保するに至りました。
灼熱(しゃくねつ)の太陽の下に、イギリス軍よりも手ごわい油井のやぐらの林に向かって、資源戦争の第一陣は果敢に遂行されているのであります。

泰国輸送列車<馬来進撃>     00:36
南へ南へ、同盟の契りも堅き泰国人の手によって、東亜解放の聖戦列車は驀進(ばくしん)しています。
この辺りは開戦前、マレーから、あるいはビルマから泰国へ、イギリス軍が不法侵入したところで、即ち、開戦劈頭(へきとう)、日本、泰国両軍奇襲の一撃はこれを叩いて急進撃、破竹の勢いをもって南下しました。

クラ河畔の警備<馬来進撃>    00:32
たちまちにしてクラ河、河畔の要衝は陥落。日本、泰国両軍共同警備の陣は敷かれました。急追、また急追の精鋭部隊は更に攻撃の手を緩めず、左右の岸にジャングルを眺めてクラ河を渡河。敵の航空基地ビルマ領ビクトリアを猛襲。

敵飛行場占領<馬来進撃>     01:01
あまりにも快速進撃に狼狽(ろうばい)する敵は、抵抗すらなすあたわず、ガソリンを海に流し、飛行機、自動車の残骸を残して遁走。昭和16年12月14日、完全にこれを占領しました。無線電信台は破壊する余裕さえも無く、完全なる状態で皇軍の確保するところとなりました。

シンゴラ敵前上陸<馬来進撃>   01:18
かくて泰領侵入のイギリス軍をビクトリアポイントその他に迎え撃つと共に、マレー半島東岸に奇襲敵前上陸を敢行。即ち12月8日、夜が明けきらぬ泰国シンゴラの沖合に南海を圧して我が大輸送船団、突如勇姿を現す。舳艫(じくろ)相銜(あいふく)んでマレー攻略の雄図も堅く、波を蹴り豪壮果敢なる敵前上陸は開始されたのであります。

アロスター市へ快進撃<馬来進撃> 01:53
炎熱焼くが如き熱帯に、イギリス軍の抵抗をものともせず上陸を決行した精鋭部隊は、ジャングルと戦い、悪疫に苦しみながらも驚くべき神速ぶりをもって、瞬く間に泰、マレー国境を突破、ジットラ・ラインに迫る。
如何なる猛攻にも3ヶ月を耐え得ると豪語するジットラ・ラインは、一度皇軍機械化部隊の肉薄するや、もろくも崩壊。進撃わずか6日間にしてケダー州の州都アロスターは陥落しました。
昨日までの暴虐不遜のイギリス軍に引き換え、今日迎える日本軍の整然たる偉容(いよう)を目の当たりにした住民の感激の色、殊更深く、これこそ神兵、すなわち神の兵だと賛嘆の声をあげ、解放者遂に至ると心からの協力を申し出ています。
かくてマレー西北辺よりユニオンジャックの旗、彼(か)に消えて、累々と残骸を通ずるは敵戦車、敗敵をもって我が軍はマレー戦線を一気に南下、シンガポールへの道は刻々に縮められていきます。

特報香港陥落           03:23
香港の陥落目睫(もくしょう)にあり。猛然として立った皇軍最後の総攻撃に香港全島はまさに崩れるばかり。
鉄壁を誇る九龍(カメルーン)要塞もあえなく、強固なるぺトン陣地に激戦の跡を留めて我が軍門に下り万歳の声天地を揺るがす、時に12月25日。
一方、海軍部隊もまた陸軍部隊に呼応して、イギリス軍最後の拠点へと肉薄。さながら落城(らくじょう)の運命を物語るかのごとく、アジアタンク軍事倉庫は炎々として燃え上がり、崩れゆく、イギリス帝国の侵略の夢を弔うが如し、香港の運命ここに極まり。12月25日午後5時50分、ついに我に降伏。イギリス帝国の戦意、今何処。
26日、全面的に武装は解除され、夥しい戦利品の山は、対日戦備に狂奔せる様がしのばれるのでありました。
同時に、陸兵とともに海兵もまた捕虜として収容。これら一切の交渉にボクサー参謀があたりましたが、世界制覇の野望空しく孤影悄然(しょうぜん)たるものがあります。
一方、死を決しての香港篭城約20日間、矢野総領事をはじめ在留日本人とその関係者は我が軍の手によって無事救い出され、香港島の要所には高々と日章旗が翻りました。

特報、香港入城式         01:20
昭和16年12月28日、世界の耳目(じもく)をこの一点に集めて感激の入城式を挙行。南支那の空を圧し、香港上空に鵬翼(ほうよく)を連ねて航空部隊がまず空からの入城を行いました。
日本がアジアに投げかける希望の光、この日この時、銀翼は燦(さん)として輝く。地上には正史に刻む栄誉を担って、感激に咽ぶ将兵が立ち並べば、酒井陸軍、新見海軍、両最高指揮官が駒を並べて閲兵を行いました。
この日を見ずして散華した、亡き戦友の英霊よ安(やす)かれ。新しき歴史は今始まる。東洋民族を、足下に踏みにじって築きあげた暴虐米英の仮面、脆くも地に落ちて、アジアはアジア人の手に回復されようとしている。


(最後)

皇軍大勝 感謝貯蓄
豆債券
一枚 一円
只今賣出中
二月五日マデ

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第84号(1942年1月)14分3秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300469_00000

武威燦たり陸軍始観兵式 02:44
オルドス殱滅戦     01:41
北ボルネオ席捲     02:18
ハワイ大空襲 第二報  02:18
特報マニラ陥落     04:57

武威燦たり陸軍始観兵式 02:44
戦勝の春を飾って、無敵皇軍が綽々(しゃくしゃく)の余裕を誇る大東亜戦争下、初の陸軍始観兵式は、1月8日かしこくも大元帥陛下の親臨(しんりん)を仰ぎ奉り、代々木練兵場においていと厳かに挙行されました。
この朝、新春の空は清らかに晴れ渡り、御稜威(みいつ)燦(さん)として輝く紀元2602年、澎湃(ほうはい)たる皇軍怒涛(どとう)の偉容(いよう)大陸を覆い、南方にあまねき今日この日。
ご謁兵を終わり、諸兵指揮官中村孝太郎大将の指揮刀、一閃(いっせん)すれば、在京部隊約2万の精鋭は、歩兵部隊を先頭に雄渾極まりなき行進曲につれて、歩武堂々の分列行進を開始致しました。
御愛馬白雪に召されたる大元帥陛下には、かしこくもいちいち之(これ)に御挙手のご答礼を賜いました。大君の辺にこそ死なめ!かへり見はせじ、尽忠報国の決意も固き我が将兵は感激に頬(ほほ)を濡らし御前を進みに進む。
続いて空には武勲の荒鷲500機、地には鉄(くろがね)部隊の鉄牛が無限軌道の轍(わだち)の音を轟(とど)かせて御前を行進。地に空に、無敵皇軍の偉容(いよう)を示しました。

オルドス殱滅戦     01:41
大東亜戦争勃発とともに、重慶政権は米英に対応して、不遜にも支那戦線の反撃を夢見、卑劣なる後方撹乱を企図しつつありました。
第8戦区オルドス前面の敵は、秘かに兵力の増強に狂奔。早くもこれを察知した我が軍は、昨年来極寒零下25℃、凍る黄河を渡ってオルドスの野に奇襲攻略の火蓋(ひぶた)を切って落としました。
米英が太平洋上の全面的敗戦を立て直すべく重慶を唆(そそのか)したこの苦肉の作戦も、我が猛撃にあってはひとたまりも無く、捕捉・殲滅され、凱歌(がいか)高らかに朔北(さくほく)の雪原に轟(とどろ)き渡りました。

北ボルネオ席捲     02:18
皇軍、英領北ボルネオ・バナム河をさかのぼる。ジャングルの影に置き去られたイギリス石油会社船アンガス号、ブロン号を発見。直ちにこれを拿捕(だほ)し、日章旗はするするっと赤道直下に翻る。
さらに敵兵を求めて船は静かに進む。
限り無き大資源をジャングルの中に秘めること幾千年、皇軍の進撃によって傲慢なるイギリスの圧政と支配から全く解放され、新しき希望の光がしみじみと感じられる。
抗戦を豪語した英軍は、戦う暇も無く奥地へ奥地へと敗走しさって、この辺り敵一兵の影も無く、住民は同じ東洋民族が日章旗を翻して白人を駆逐し、堂々の、軍を(音声中断)追う姿を眼前にし、ただただ驚異の眼をみはって歓迎します。
皇軍の進むここかしこ。住民はその偉容(いよう)に驚き、その神威に服し、雀躍(じゃくやく)してこれを迎え、かつて英国の下にあっての苦衷を訴え、諄々(じゅんじゅん)と説く帝国の大東亜建設の熱意に武器を捨て、感謝に咽(むせ)び、輝かしき大東亜の黎明(れいめい)に心からなる忠誠と協力を誓いました。

ハワイ大空襲 第二報  02:18
新春劈頭(へきとう)、海軍空襲部隊の決死的撮影になるハワイ空襲ニュースを送って、帝国海軍に対する全国民の絶大なる感謝と感激を集めましたが、本社はさらにここに同じ空襲部隊撮影による捷報(勝報)を第2報として国民の前に送ります。
黙々として昼夜を分かたぬ猛訓練を積んだ血の結晶は、12月8日米英宣戦によって爆発。
折から檣頭(しょうとう)高く翻るは、日本海海戦の思い出に生きるZ(ゼット)信号旗。太平洋上日本帝国の興亡浮沈を双肩に担って、米英撃滅の火蓋(ひぶた)を切らんとす。生死もとより省みるところにあらず。大君の御楯となりて我は出で立つ。1機また1機、行く者もまた送る者も、唯一筋に沸き上がる精忠奉公の固き誓いに、遥かなる敵陣に目を凝らし、荒鷲の目指す彼方に胸を躍らせる。
かくて真珠湾頭壮烈無双の一大決戦は展開され、戦史未曽有の大戦果がおさめられました。

特報マニラ陥落     04:57
大東亜戦争突発するや、間髪をいれずフィリピン・ルソン島北岸に奇襲上陸を決行、続いて南北各所の上陸作戦に成功、1月2日首都マニラに日章旗翻る。
すなわち敵が精鋭を誇る、戦車・機械化兵団の頑強なる抵抗を排撃しつつ、ルソン島北部リンガエン湾、南部ラムン湾に続々上陸した皇軍は、南北相呼応して、マニラへ、マニラへとひた押しに進撃。退却にあたって敵が破壊した橋梁も、我が精鋭破竹の進撃を阻むことを得ず、遂に先遣分隊は2日朝、早くも敵首都マニラを指呼の間(しこのかん)に臨む某地点に到達しました。
マニラ市郊外のニコルス飛行場は既にわが荒鷲の猛爆により見る影も無く破壊され、空の要塞(ようさい)を始め新鋭を誇った敵機は、いたずらにその残骸を晒(さら)しております。敵は我が精鋭部隊の神速果敢な進撃に、狼狽(ろうばい)なすところを知らず、卑劣にも自ら撤退にあたって市内各所に放火し、黒煙は天に沖してマニラ市は紅蓮の炎に包まれております。
ここに我が軍は、市内に断固突入を決意。早くも先進部隊はカローカン路の燃え盛る黒煙をくぐって市の中央部に突入。公安施設を始め重要地点を確保し、主力部隊は続々無血入城を開始しました。祖国を後に幾千里、威武燦(さん)たる皇軍の勇姿は激戦奮闘の戦塵を洗う暇も無く、堂々として進駐すれば、アメリカは早くも敗走し去って一兵も留めず、市内は余燼(よじん)いまだおさまらず、アメリカ壊滅の姿にも似て、生々しき戦禍の跡を残し、住民の苦難を踏みにじる偽善者の鬼畜の行為がまざまざと伺われます。
三井物産、領事館その他市内数箇所に監禁されていた邦人3千2百余名は、23日ぶりに皇軍の手によって無事救い出され、よくぞ日本人に生まれきたの感激に浸っております。
敵首都、遂に我が軍の手に帰して、アメリカが東亜侵略の第一拠点と頼み、日本包囲陣の中核を誇った暴戻(ぼうれい)の夢空しく敗れ、今や全ルソン島が皇軍の威武に屈しアメリカ勢力が追放されるの日は刻々と近づきつつあります。

 

日本ニュース 第85号(1942年1月)7分36秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300470_00000

無敵海軍輝く観兵式   01:38
北京の米海兵俘虜収容所<敗残の米俘虜護送> 00:58
ウエーキ島から横浜港へ<敗残の米俘虜護送> 00:46
防衛全し戦時下の西貢  00:59
北ボルネオ完全確保   01:26
マレー快進撃      01:41

無敵海軍輝く観兵式   01:38
帝国海軍が輝く戦勝の春を寿ぐ、横須賀海兵団、海軍始観兵式は、1月15日海兵団練兵場において、厳粛に挙行されました。晴れの親閲官、平田横須賀鎮守府司令長官は、参加部隊の閲兵を行いました。続いて分列式に移り、6千の海の兵(つわもの)は潮風に翩翻(へんぽん)と翻る大軍艦旗を奉持(ほうじ)、歩武堂々の大行進を開始しました。大東亜戦争の戦果益々あがり、東亜の天地に皇国の威武燦(さん)として輝くの時、目の当たりに見るわが無敵海軍の偉容(いよう)は厳として式場を圧し、太平洋の戦雲を睨んで、将兵の眉宇、決然として必勝の確信に溢れ、真に頼もしき限りでありました。

北京の米海兵俘虜収容所<敗残の米俘虜護送> 00:58
大東亜戦争勃発するや、大陸の我が皇軍は間髪をいれず、北支駐屯アメリカ海兵隊の武装解除を行い、支那大陸からアメリカ勢力を完全に一掃。これらをそっくり捕虜として収容しました。アメリカ駐屯軍司令官以下の海兵隊は、我が軍の護送のもとに北京停車場を後に天津に向かいました。

ウエーキ島から横浜港へ<敗残の米俘虜護送> 00:46
一方、アメリカが東洋進攻の前進根拠地として難攻不落を豪語していたウェーキ島も、開戦旬日にして我が猛攻の前に脆くも潰(つい)え、守備隊長以下捕虜1235名が1月18日横浜に到着しました。捕虜たちは我が軍の温情に感謝し、守備隊長カニンガム中佐は、日本軍の勇猛果敢さを賞賛した後、次のように語りました。
「私は米大統領に伝えたい。我々は日本の猛撃にウェーキ島放棄の止むなきに至った。捕虜として我々はよく扱われて居り日本国民に大変感謝している。」

防衛全し戦時下の西貢  00:59
大東亜戦争勃発以来、いわゆるABCD包囲陣の真っ只中に、位する仏印の大都会サイゴンは、敵米英空軍を過大評価し、敵空軍による爆撃を極度に恐れ、市内目抜きの商店街では店頭に爆風除けの張り紙、バリケードを築くという騒ぎですが、それにもお洒落なフランス好みを忘れません。こうしたせっかくの物々しい臨戦準備も、我が無敵荒鷲の前に敵空軍が脆くも慴伏(しょうふく)した今日では、一度の空襲もなく平和な日が続いています。しかし間近に戦場を控えているだけに、彼らは敵の空のゲリラ戦術を警戒して、防空壕を掘るのに余念もありません。

北ボルネオ完全確保   01:26
遠く、英領ボルネオに作戦中の我が皇軍は、昨年12月31日、ブルネイ王国の首都ブルネイに、堂々の進駐を行いました。日本の威武を信じ、日本の真意を了解してこの日を待ちあぐんでいたブルネイ国王夫妻は、親しく皇軍を郊外まで出迎えられました。金色の模様のある黒色の上着、黄色のズボン、頭にはターバンを巻いた王様は、我が軍を心から歓迎し、自ら先に立ってブルネイへと向かいました。王は我が帝国に忠誠を誓い、国民は歓呼して我が軍の進駐を迎えました。ここにもイギリスの支配から逃れた喜びが満ち溢れています。そして、このゴムと石油に恵まれたサルタンの国、ブルネイはこの日から我が日本の指導の下に、希望に輝く更生の第一歩を踏み出しました。絵のようなブルネイの町を後に、皇軍はさらに海を越え、4時間の行程のラブアン島に渡る。ここでも、我が軍は市民の歓呼に迎えられ、かくてこの地方の無血占領は滞りなく完了しました。

マレー快進撃      01:41
敗走に次ぐ敗走のイギリス軍主力を急追して、早くもマレー中部の要衝・イポーを目標に、ペラク河畔に殺到した我が陸の精鋭は、なおも急追の手を緩めず、敵が退却にあたって爆破した橋梁を迅速に修理、一部は鉄舟をもってこれは強行渡河に成功しました。マレーの雨季は既に終わりに近く、熱帯の太陽は、焼き付くように我が将兵を照りつけています。南へ、南へ。一休みする暇もなく次々に部隊は怒涛(どとう)の如(ごと)き大進撃を続けます。ジャングルをぬって延々と続く一様なアスファルトの舗装路を、我が精鋭部隊は一丸火の玉となって驀進(ばくしん)する。突如前方のジャングルに敵敗残部隊を発見。先頭戦車部隊は直ちにジャングルを押し分けて、敵に猛射を浴びせ、一挙にこれを撃滅しました。

 

◎第86号が抜けている。

 

1942年2月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19422

日本ニュース 第87号(1942年2月)13分47秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300472_00000&seg_number=002

カビデ軍港<新生の大マニラ市>    00:57
ニコルス飛行場<新生の大マニラ市>  00:30
サンフェルナンド停車場<新生の大マニラ市> 00:25
在留邦人<新生の大マニラ市>     01:17
比島行政機関成る           00:34
バタアン半島殲滅戦          02:28
タンピンゲマス空爆<マレー戦線>   01:03
クアラルンプール突入<マレー戦線>  00:59
シンガポールへ進撃<マレー戦線>   00:28
ビスマルク諸島へ<濠州領へ奇襲作戦> 03:37
ラバウル敵前上陸<濠州領へ奇襲作戦> 01:14

カビデ軍港<新生の大マニラ市>    00:57
(音声なし)

ニコルス飛行場<新生の大マニラ市>  00:30
(音声なし)

サンフェルナンド停車場<新生の大マニラ市> 00:25
(音声なし)

在留邦人<新生の大マニラ市>     01:17
(音声なし)

比島行政機関成る           00:34
(音声なし)

バタアン半島殲滅戦          02:28
(音声なし)

タンピンゲマス空爆<マレー戦線>   01:03
(音声なし)

クアラルンプール突入<マレー戦線>  00:59
(音声なし)

シンガポールへ進撃<マレー戦線>   00:28
(音声なし)

ビスマルク諸島へ<濠州領へ奇襲作戦> 03:37
皇軍堂々赤道を越えて新作戦を行い、濠州領ビスマルク諸島に初の大日章旗燦(さん)として翻る。即ち帝国陸海軍は、敵が最後と頼むアメリカとオーストラリアを結ぶ南方連絡ルートを一挙に遮断すべく、突如オーストラリア委任統治領、ニューアイルランド島・カビエング、ニューブリテン島・ラバウルに暁の奇襲上陸作戦を敢行しました。遠く故国を後に2500マイル、護送船団の船上には敵前上陸を間近に控えた勇士が白襷(しろたすき)も凛々しく甲板に整列。遥か北の方、皇居を遥拝すれば、一死報国に殉ずる将兵の決意眉宇に溢れて、赤道直下に皇軍の意気は益々上がりました。
越えて1月23日朝まだき。折から上弦の月、淡く暁闇(ぎょうあん)の南の空にかかり、前方の上陸地点には我が爆撃、功を奏して、紅蓮の炎天に沖するを見る。全員枚(ばい)を銜(ふく)んで舟艇に移れば、カビエング海浜の白波を蹴って暁の奇襲上陸は見事に成功。
皇軍来たるの報に、早くも風を食らって遁走(音声中断)や、敵軍を急追して、我が皇軍は大軍艦旗を先頭に、亭々たる椰子の樹海をぬって索敵進軍に移りました。敵は退却にあたって飛行場を爆破。上陸地点一帯は至るところ焦土戦術の跡を見ることができます。かくてカビエング無血占領は滞りなく完了しました。

ラバウル敵前上陸<濠州領へ奇襲作戦> 01:14
一方、ニューブリテン島・ラバウルに向かった皇軍は、陸海緊密なる共同作戦の下に、敵の抵抗を排除しつつこれまた見事敵前上陸に成功しました。この火山の島ニューブリテン島の首都ラバウルは、敵がオーストラリアとニュージーランド防衛の第一線本拠地と頼んだ要衝(ようしょう)で、今後このラバウルを中心として我が空軍部隊が活躍を開始すれば、アメリカ、オーストラリアの連絡路はたちまち死命を制せられ、ためにオーストラリアは孤立無援の窮境に立つことになります。さればこそ、この度の作戦は、その意義の重大なる、その規模の豪壮なる、今次、大東亜戦史上不朽の1頁を画するものと言い得るのであります。


(最後)

大東亜戰争感謝貯蓄
第一回戰時 貯蓄債券 報國債券
一枚 十円・五円
賣出迫る
二月二十一日より

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第88号(1942年2月)16分31秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300473_00000&seg_number=007

国土の護り全し鉄桶防空陣      04:06
ビルマ戦線             03:02
クルアンの敵飛行場急襲<マレー戦線> 00:51
ジャングルの頑敵掃蕩<マレー戦線> 00:56
シンガポールへ、シンガポールへ   00:15
ジョホールバハル突入        00:49
マレー戦線シンガポール大爆撃    00:54
セレベス奇襲作戦 落下傘部隊初活躍 05:32

国土の護り全し鉄桶防空陣      04:06
《字幕テロップ》
「懼れ多くも 先般畏き邊りでは 國土防空從事者に對し 深き大御心を垂れさせ給ふ 一億國民擧げて 聖恩に感涙せる秋 この一篇を 書夜を分たず黙々と その任務を果しつつある 軍官民防空從事者に捧ぐ」

寒風肌を刺す吹雪の高山に、あるいは怒濤(どとう)逆巻く深夜の海辺に、昼夜を分かたず見えざる敵に眼を凝らし、耳をそばだてる一群の人々。かしこくも暴戻米英に対する宣戦の大詔(たいしょう)くだり、東亜の天地に皇軍の威武燦(さん)たる陰に、我が国土防衛の重任を担って、黙々とその任務を果たしつつある空の防人(さきもり)のあることを忘れてはなりません。
「気象報告、訂正、午前2時前より、東北方の風次第に強まりつつあり。その他異常なし。終わり。」
「情報。航空母艦を有する敵の艦隊は、今月1日未明、マーシャル群島方面に現出せり。」
「命令1、航空母艦を有する敵の艦隊は、今月1日未明、マーシャル群島方面に現出せり。2、各部隊は敵の奇襲に対し、自今、払暁時(ふつぎょうじ)における帝都上空の警戒を厳にすべし。終わり。」
「こちらは指令所、指令所。感明共によし、感明共によし。終わり、終わり。」
「現在の位置を聞け。」
「第2編隊、第2編隊。こちらは指令所、指令所。現在の位置を知らせ。」
「指令所、指令所。第2編隊、第2編隊。第2編隊は現在、第2編隊は現在、○○上空、○○上空。」
今、全世界をあげて空爆の惨禍に慄(おのの)く時、ひとりわが光輝ある国土は、未だ外敵の侮りを受けず、毅然として大東亜の天地に光芒(こうぼう)を放つ。外に皇軍の大戦果あり、内に軍官民一体の防空陣あるがためであります。されば戦線と銃後は協力一致、渾然一体となって大空を守る時、我が国土は磐石の安きに置かれるのであります。一度(ひとたび)敵機来たなら、我に鉄壁の備え有り。」
「高度4600。」
「撃て。」

ビルマ戦線             03:02
1月31日、援蒋ルート最後の拠点、ラングーン防衛の第一線モールメンに日章旗翻る。この攻略戦にあたっての皇軍の労苦は言語に絶するものがあり、タイ、ビルマ国境の峩々たる山脈を拠り、焼くが如き炎熱を冒し、人も通わぬ密林地帯に敗敵を急追。数日間にわたって、文字通り不眠不休の強行作戦を敢行しました。
部落に入れば、ビルマ住民の皇軍に示す好意は意外に大きく、彼らは喜んで機銃の手入れに、いたいけな子どもは水筒に水を汲むなど、将兵の疲れを労うという歓待ぶり。中には、自転車のタイヤに空気を入れてくれる住民もあります。
皇軍はなおも急進撃を続けて、霧立ち込めるサルウィン川支流に到達。敵の砲声下に、ひざまで没する水に浸かりながらも、人馬一体となっての敵前渡河に成功しました。
かくて31日午前、モールメン南方の高地を占領した我が精鋭は、市街突入を目睫(もくしょう)にして、敵陣を前に悠々英気を養う。
時機至る。先頭部隊はモールメン市郊外に突入。敵飛行場は既に我が的確なる爆撃を受けて、見る影もありません。我が主力部隊は残敵を蹴(け)散らしながら、歩武堂々軍旗を先頭にモールメンの市街を行進。さらに潰走(かいそう)する敵を急追して、サルウィン河畔に到達。川を渡って逃げ行く敵船めがけて、十字砲火を浴びせれば砲弾は見事命中する。

クルアンの敵飛行場急襲<マレー戦線> 00:51
1月26日、我が陸の荒鷲は、ジョホール州最大の要衝(ようしょう)クルアンの敵飛行場を急襲しました。我が無敵荒鷲の行くところ、敵空軍に立ち上がる隙を与えず、これを地上に捕捉殲滅(せんめつ)すれば、マレー半島上空既に敵影なし。さらに獲物を求めて雲上を飛行することしばし、眼下の樹海を白一筋に貫く敵軍用道路を発見。これに必中の巨弾の雨を降らす。

ジャングルの頑敵掃蕩<マレー戦線> 00:56
かくて強力なる航空部隊支援の下、クルアン付近の頑敵を掃蕩(そうとう)した地上部隊は、敗敵を追ってジャングル地帯の道無き道を一路南下する。我が工兵の迅速な修理に感謝の心を込めて、敵が敗退にあたって破壊した橋を渡り、銀輪部隊を先頭に坦々たるシンガポール街道をまっしぐら。

シンガポールへ、シンガポールへ   00:15
シンガポールへ、シンガポールへ。将兵等しく夢に描き、幻に思う。

ジョホールバハル突入        00:49
ああ遂に、森林の彼方にシンガポールの業火を見る。かくてマレー戦線、皇軍破竹の進撃は、踏破行程実に1000km。開戦以来、わずか55日にして全半島を席巻し、1月31日夕刻、前進部隊はシンガポールの対岸、ジョホールバハルの市街に突入したのであります。敵はいち早く、コーズウェイ橋を爆破してシンガポール要塞(ようさい)に遁入。大シンガポールの死命は、ここに完全に制せられたのであります。

マレー戦線シンガポール大爆撃    00:54
地上部隊の攻撃に先立ち、我が無敵荒鷲は昼夜を分かたず、敵の牙城シンガポールに猛爆を続け、今日もまた陸軍航空部隊の精鋭は堂々銀翼を連ねての爆撃行。
眼下に見える軍港シンガポール。総攻撃の火蓋(ひぶた)まさに切って落とされんとして、重要軍事施設は我が巨弾に相次いで壊滅し、イギリスが世界最大を誇る大要塞(ようさい)も、来るべき日の運命に慄く。

セレベス奇襲作戦 落下傘部隊初活躍 05:32
《字幕テロップ》(アナウンスあり)
「我が無敵海軍が黙々として骨肉を削って鍛えた感激の大成果、又も南海の果てに燦(さん)として輝く、即ちセレベス奇襲作戦に初めて姿を現はした海軍落下傘部隊は、突如として敵陣の眞只中に決死降下を行ひ、日本最初の落下傘奇襲攻撃の名譽と不滅の大戦果とを戦史に刻みつけました。」

1月11日、この日皇軍は蘭印の敵勢を打つべく断固決起し、南太平洋の要衝(ようしょう)セレベスに秘かに行動の軍を起こす。初陣の決意も固き、空の戦士を乗せた我が輸送機の大編隊は、堂々銀翼を連ねて長駆蘭印、セレベス島の敵軍事拠点目指して壮途に上る。本社・本間キャメラマンは海軍報道班員としてこの記録的大作戦に参加し、その歴史的戦果を見事キャメラに収めることに成功しました。我が輸送機の一群が、目指す降下地点の上空低く進入した瞬間、ぱっと一斉に開いた大輪の花、今純白の落下傘は見事に開いて、1体また1体と、相次いで紺碧の空を天下る。これぞ皇軍落下傘部隊が、大東亜戦争の第一線に初めて登場した歴史的感激の一瞬。
武器が、勇士が、続々と降下地点に着陸すれば、奇襲部隊は直ちに付近の敵軍掃蕩(そうとう)に進発。
残敵を慴伏(しょうふく)せしめた奇襲部隊は、隊長の命令一下、更に敗敵を追って奥地へと進撃を開始。ここに大東亜戦争史上、未曽有の豪放なる落下傘作戦は見事成功したのであります。

 

日本ニュース 第89号(1942年2月)9分39秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300474_00000&seg_number=004

陸軍落下傘部隊出動!         02:35
ジャワ沖海戦             01:20
陸軍報道部発表<特輯シンガポール陥落> 01:40
南方陸軍最高指揮官は寺内大将<特輯シンガポール陥落> 00:37
諸部隊の活躍<特輯シンガポール陥落> 01:48
セレター軍港猛爆<特輯シンガポール陥落> 00:43
東条首相演説<特輯シンガポール陥落> 00:50

陸軍落下傘部隊出動!         02:35
「大本営発表。2月15日午後5時10分、強力なる帝国陸軍落下傘部隊は2月14日午前11時26分、蘭印最大の油田地たるスマトラ島パレンバンに対する奇襲降下に成功し、敵を撃破して、飛行場その他の要地を占領確保するとともに、さらに戦果を拡張中なり。」
長駆蘭印スマトラの要衝(ようしょう)パレンバンに敵の意表に出でて空から突入を敢行した陸軍落下傘部隊の赫々(かくかく)たる戦果は、もとより御稜威のしからしむるところでありますが、かねてこの日あるを期して我が忠勇なる将兵が黙々として血の滲む訓練を積んだ賜物であります。我は醜(しこ)の御盾(みたて)となりて大空を行かん、大東亜戦線各地の相次ぐ勝報に血を沸かし、実戦さながらの猛訓練に勤しむ空の兵(つわもの)に栄光あれ。

ジャワ沖海戦             01:20
2月4日帝国海軍航空部隊は、かねて蘭印近海に蠢動(しゅんどう)を続ける敵艦隊主力をジャバ海カンゲアン島南方30海里の洋上に発見、直ちにこれに猛攻を加え、オランダ海軍が誇る新鋭巡洋艦デ・ロイテルの他3隻を撃沈大破。アメリカアジア艦隊旗艦ヒューストンを撃沈。ここに敵艦隊、中にも蘭印艦隊の主力は瞬時にして壊滅し、敵西南太平洋連合艦隊司令長官ハートの戦死も伝えられ、赤道直下の洋上に赫々(かくかく)の戦果をあげました。これは猛烈なる敵が防御の十字砲火を冒して、果敢なる爆撃を敢行するわが海の荒鷲と、敵艦隊の壊滅寸前を示すジャバ沖海戦の生きた記録であります。

特輯
シンガポール陥落

陸軍報道部発表<特輯シンガポール陥落> 01:40
「マレー(馬来)方面、帝国陸軍部隊は、本15日午後7時50分、シンガポール島要塞(ようさい)の敵軍をして無条件降伏せしめたり。」
老英帝国の威信、ついに地に落つ。時に昭和17年2月15日、全国を興奮のるつぼに投じた歴史の夜はほのぼのと明けて、一億の民草あげて感激の奔流と化し、続々宮城前広場に参集、この声天にも届けと母国の弥栄(いやさか)を唱え奉る。靖国神社社頭は夜の明けきらぬ頃より参拝者引きも切らず、大東亜聖戦の華と散った多くの英霊も、この日世紀の朝を寿ぐかのようであります。町々は戦勝祝賀の歓喜に沸き立つ中にも、米英倒れる日まで戦い抜かんとする一億国民の意気は火と燃える。

南方陸軍最高指揮官は寺内大将<特輯シンガポール陥落> 00:37
覆面を脱いだ南方陸軍最高指揮官寺内将軍は、陣中悠揚(ゆうよう)として迫らず、米英撃滅の軍を進める。思い起こせば昨年12月8日、皇軍一度決起するや、敵東亜進攻の拠点は相次いで陥落。開戦2月にして早くも全東亜の天地に日章旗翻る中に、1人老英帝国の威信を賭して頑強なる抗戦を続けたシンガポール島要塞(ようさい)も、マレー半島皇軍破竹の進撃の前にはあえなく、脆くも一敗地にまみえる日は遂に来たのであります。

諸部隊の活躍<特輯シンガポール陥落> 01:48
炎熱焼くがごとき熱帯の太陽の下、あるいは敵が爆破した橋梁を修理し、あるいは猛獣毒蛇の住むジャングル地帯を突破して、ひたすらシンガポール目指して進軍した皇軍将兵の辛苦は、ただ一筋にこの日この時あるがためでありました。皇軍将兵の胸中や思うべし。
見よ、空陸一体となっての皇軍疾風迅雷怒涛の進撃を。眼下に白線一条、敵の城塞に繋がるはこれぞ正しくコーズウェイ橋。

セレター軍港猛爆<特輯シンガポール陥落> 00:43
敵の本陣間近し、我が陸の荒鷲は敵が必死となって打ち出す防空砲火の弾幕をくぐり、敵の頭上低く殺到する。とつ、前方に見るセルター軍港、50万トンの重油タンク火を発し、黒煙もうもう天に沖して陥落寸前の大要塞(ようさい)の空を覆い、天日ために暗く、落日老英帝国の命脈、まさに絶たれんとす。

東条首相演説<特輯シンガポール陥落> 00:50
《東条首相》
「シンガポールの陥落により、米英の豪語する対日包囲陣の一角は、全く崩壊し、しかも皇軍破竹の進撃により、いわゆるビルマルート遮断の日は不可避にあるのであります。かくして重慶政権は、まさに全く孤立無援の苦境(くきょう)に陥らんとしておるのであります。これに対し帝国は、断固として最後の鉄槌を加えんとするものであります。」


(最後)

大東亜戰争感謝貯蓄
第一回戰時 貯蓄債券 報國債券
一枚 十円・五円
只今賣出中
三月二十日まで

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第90号(1942年2月)9分13秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300475_00000

二重橋の天皇皇后<戦捷第一次祝賀>  01:36
日比谷公園の祝賀大会<戦捷第一次祝賀> 01:47
奉祝行進<戦捷第一次祝賀>      02:00
南京の奉祝<戦捷第一次祝賀>     01:02
総攻撃<号外シンガポール遂に陥つ>  00:58
山下最高指揮官<号外シンガポール遂に陥つ 01:43

二重橋の天皇皇后<戦捷第一次祝賀>  01:36
シンガポール落ちて、一億国民のたぎりたつ感激が堰を切った戦捷第一次祝賀の日、2月18日の暁かけて、続々参集した赤子の群れは、宮城前広場を埋め尽くし、聖寿の万歳を唱え奉れば、午後1時55分、かしこくも大元帥陛下には、御軍装も御凛々しく、御愛馬白雪で召させられ二重橋に出御、赤誠捧げ奉る民草の歓呼に応え賜う。御民(みたみ)われ生ける験(しるし)あり、一天万乗の大君を間近に拝し奉る民草の感激ここに極まる。次いで皇后陛下には皇太子殿下、三内親王殿下とお揃いにて二重橋中央に出御。日章旗を御手にご会釈を賜う、皇国弥栄(いやさか)の一瞬であります。

日比谷公園の祝賀大会<戦捷第一次祝賀> 01:47
このよき日を寿ぐ国民大会は、東京日比谷公園広場で開催され、東條首相演壇に立つ。
「本日ここに第1回戦捷祝賀国民大会開催されるにあたりまして、諸君、一億同胞とともに、衷心より皇軍の大なる戦果と、多幸なる大アジアの将来とを祝福するとともに、尊き戦没の英霊、並びに傷病将兵に対し、感謝の誠をささげ、さらに聖戦目的の完遂に向かって、諸君とともに一路邁進(まいしん)せんことを誓うものであります。終わり。」
続いて、盟邦オットー・ドイツ大使、インデルリ・イタリア大使、こもごも国民を代表して祝辞を述べました。
「大日本帝国陸海軍万歳、万歳、万歳。」

奉祝行進<戦捷第一次祝賀>      02:00
この日の帝都は、戦捷祝賀の一色に塗りつぶされ、勇壮な音楽隊は市民の歓呼のうちに市内を行進。
この感激は全国津々浦々に沸き返り、大阪においても市民の行進は大阪警備府を訪問。小林中将の答礼を受けました。

南京の奉祝<戦捷第一次祝賀>     01:02
(南京)
一方、東亜の盟邦中華民国の首都南京においても慶祝大会は盛大に挙行され、折からの旧正月に一般市民の祝賀の波はいやが上にも高まり、日華提携親善の感激風景を見せました。

総攻撃<号外シンガポール遂に陥つ>  00:58
時に2月15日、我が猛攻の前に遂に屈したイギリス軍は、我が軍門に下る。白旗を掲げた敵将パーシバルは、指定せられた会見の場所フォード自動車会社跡に、悄然たる歩みを進める。

山下最高指揮官<号外シンガポール遂に陥つ 01:43
やがて我が山下最高指揮官もこの場に到着。旅順開城の水師営会見にも比すべき、歴史的両将軍の会見は始まったのである。山下将軍は、まず敵側代表の姓名を問いただし、ただちに会見の本題に入る。我が軍の望むところはもちろんイギリス軍の無条件降伏である。敵将パーシバルは即答を嫌って、あるいは明日に、あるいは数時間後にと返答を渋る。山下将軍は語気鋭く、明日とは何か、即刻の返答無くば全軍に命じて猛攻撃を開始する、それでも良いか、と詰め寄る。パーシバルは答えに窮し、暫く躊躇の色を蒼白の面上に漂わす。敵将の返答を待つ山下将軍は、この一瞬の沈黙を破るように無条件降伏か、イエスか、ノーか、と最後の決定を促す。敵将もここに至って、ついに意を決し、日本軍の要求を全面的に受け入れることになった。かくて日本軍に対する抵抗を全線にわたって停止する手筈が取り決められたのである。

 

1942年3月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19423

日本ニュース 第91号(1942年3月)10分30秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300476_00000&seg_number=001

新生香港に磯谷総督着任 02:04
氷雪を蹴って山西討伐戦 02:20
ビルマ快進撃      02:51
バタアン戦線      03:10

新生香港に磯谷総督着任 02:04
2月20日、この日磯谷中将は、初代香港総督として九竜の啓徳(けいとく)飛行場に到着。出迎えの酒井香港方面陸軍最高指揮官を始めとする幕僚と挨拶を交わした後、武勲の香港攻略諸部隊を閲兵、官民有力者の立ち並ぶ中を、香港統治の中枢、総督府に向かいました。これより先18日、香港ではシンガポール陥落の報、至り、興亜の黎明(れいめい)を祝う在住華僑2万の祝賀行列が華々しく挙行されました。かつては抗日の中心地として知られたこの香港も悪夢から全く目覚め、この通り見違えるような更生ぶりを示しています。

氷雪を蹴って山西討伐戦 02:20
(音声中断)を始め、激しい寒地をついて豪快なる掃討戦を展開。酷寒零下30度、凍る大地を踏みしめ踏みしめ、人馬一体となって敵軍を奥地に急追する皇軍将兵の辛苦は、まことに言語に絶するものがあります。今や赤道直下、赫々(かくかく)たる戦果をあげつつある陸海将兵とともに、支那事変勃発以来既に6年、黙々として大陸の戦場に銃を取る皇軍の勇士に対し、我々は心から感謝の念を捧(ささ)げるものであります。突如前方山腹のトーチカにより執拗なる抵抗を続ける敵軍を発見、我はこれに壮烈なる肉弾突撃を敢行。かくて、第2次山西残敵掃討戦は、まさにたけなわであります。

ビルマ快進撃      02:51
ダイナマイトの轟音(ごうおん)が人跡未踏の深山幽谷にこだまする、タイ、ビルマの国境。この山1つ越えれば坦々たるビルマの平原である。打ちふる鶴嘴(つるはし)、打ち込む鑿(のみ)、その1つ1つに聖戦完遂の決意を込めて、峨々(がが)たる峻険(しゅんけん)に一条の進撃路を切り開く工兵隊。部隊は後から後から感謝の心を込めて、工兵辛苦の山道を山麓目指して下って行く。部落に入れば早くも家々には日本、ビルマ親善の布告が張り出され、住民は歓呼して皇軍を迎える。征旅幾百里、馬も疲れただろうと我が身を忘れて無言の勇士を労わる兵隊さん。戦塵にまみれた将兵には、陣中の寸暇をさいてむさぼり読む新聞が、この上も無い楽しみであります。皇軍進駐の真意を諄々と説く僧侶の辻説法が終われば、この辺境の地に期せずして東亜民族共存共栄万歳の声が上がる。やがて部隊は住民の見送りを受け、軍旗を先頭に歩武堂々進発する。目指す敵が軍事拠点ラングーンはまだ遠い。遠く故国を後に幾千里、焼け付く炎熱の下、黙々とビルマの平原を将兵はひたすら前へ前へと進撃する。

バタアン戦線      03:10
敵影既に無き、バランガの街。我が的確なる攻撃にあって壊滅に瀕した敵は、皇軍破竹の進撃に追われて、バタアン半島の奥深く潰走(かいそう)。町という町は空しく敗戦の残骸を留めています。敵が退却にあたって破壊した橋梁も、我が工兵の迅速な修理によってたちまち復旧し、皇軍の進撃を阻むことを得ず、部隊は敗敵を急追して道無き道を進軍する。
「この先当分水なし。」炎熱に焼きつくばかりの喉を、一杯の水に潤した将兵は、敵を寸前に控えゆうゆうとして食事をしたため、やがて来るべき撃滅戦に備える。休止終わればさらに部隊は進発。眼前にみるナチブの連峰。ここにからくも、余喘(よぜん)を保つ敵軍めがけて、砲列を敷いた我が野砲陣は、一斉砲撃の火蓋(ひぶた)を切って落とし、バタアン半島の頑敵粉砕の時、刻々と迫る。

 

日本ニュース 第92号(1942年3月)11分57秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300477_00000

第37回輝く陸軍記念日   01:55
極寒下厳たり北の鎮め    02:09
燦たり皇軍大スンダ列島制壓 02:59
特別攻撃隊         04:46

第37回輝く陸軍記念日   01:55
「3月10日は陸軍記念日であります。(聞き取り困難)皇軍は当時における世界最強の露軍と奉天周辺に会戦を展開いたしまして、見事にこれを撃破したのであります。この輝かしい戦歴を持つ皇軍は、今や全アジア民族を米英の桎梏(しっこく)より解放して世界新秩序建設を究極の目的とする大東亜戦争に従事し、陸海軍ともに世界戦史に未だかつてなかろう大戦果を上げつつあるのであります。明治38年3月10日、奉天大会戦における赫々(かくかく)たる大勝利が、現在の日本、今日の国力を築き上げた一大原動力であることを考え、あわせてもう一度熱烈たる国民の覚悟を省み、それらは今日までの輝かしい大戦果を汚さぬよう、最後まで勝って勝って勝ち抜こうという決意を固めねばならないと考えているのであります。」

極寒下厳たり北の鎮め    02:09
朔北(さくほく)の寒風を突いて、黙々として辺境に鉄壁の陣を敷く皇軍の精鋭、思い起こす30有余年前、我が陸軍はここに輝く大勝利を収め、帝国を磐石の安きに置く。ここに光栄の陸軍記念日を迎えて、その時その血潮に守られた北満をしのび、さらに決死奉公の誓いを新たにする。今や同胞勇士、遠く南方に転進し、千古未曽有の大作戦を敢行しつつある時、厳然北の守りにつく関東軍将兵は、困苦を忍び、窮乏に耐え、国境を侵す者断じて許さずの備えを固くしております。満目蕭条(まんもくしょうじょう)たる雪の原野に昼夜を分かたぬ猛訓練は、空を制し地を圧し、極寒零下極辺の守り厳として堅し。

燦たり皇軍大スンダ列島制壓 02:59
我が海の荒鷲、ジャバ島スラバヤを爆撃す。(音声中断)に先立ち、2月18日帝国海軍航空部隊は、瀕死に喘ぐ敵残存兵力を一挙に爆砕すべく、戦爆連合の精鋭をすぐってスラバヤ空襲の壮途に登る。
海鷲一度(ひとたび)南海の大空に羽ばたけば、大東亜海の制空権既に我が掌中に有り。たたえんかな堂々の鵬翼(ほうよく)陣。
突如前方に無敵荒鷲の襲来を知り、早くも遁走を図る敵戦闘機を発見。逃さじとこれに食い下がり、必中の機銃弾を雨と浴びせれば、敵機は一条の白き煙を引いて脆くも我に慴伏(しょうふく)。
さらに大スンダ列島制圧の鉄槌は、スマトラ島の要衝(ようしょう)パレンバンに下る。去る2月14日、この日に奇襲降下を敢行する陸軍落下傘部隊に呼応して、我が新鋭部隊は海陸緊密なる協同の下に、堂々ムシ川をさか上る。
的確なる荒鷲の猛爆の下、残骸を晒す敵蘭印貨物船や、トーチカを傍らに見ながら遡行することしばし。
前方、天に沖する黒煙を見る。見よ敵軍得意の焦土戦術、我と我が身を焼くこの業火は暴戻300年オランダ勢力の衰亡を示す。
我が奇襲と強襲に全く狼狽(ろうばい)する敵兵は、早くも潰走(かいそう)し、遺棄せる武器は数知れず、いたずらに敵軍の武力弱小を物語る。かくて2月17日、南部スマトラの油田地帯パレンバンの完全占領に成功したのであります。

特別攻撃隊         04:46
《字幕テロップ》
「鬼神も哭け 千古に薫る特別攻撃隊の偉勲 殉忠古今に絶し 一億国民をあげて永えに軍神と仰慕し奉る」
「大本営発表。3月6日午後3時、特別攻撃隊の壮烈無比なる真珠港強襲に関しては、既に公表せられたるところ、この全世界の心胆を寒からしめたる攻撃の企図は、攻撃を実行せる岩佐大尉以下数名の将校の着想に基づくものにして、数ヶ月前いったん緩急あらば、これを以って尽忠報国の本分を尽くしたしと、案を具申し、秘かに各上官を経て、連合艦隊司令長官に出願せるものなり。連合艦隊司令長官は慎重検討の結果、成功の確算あり、収容の方策また講じうるを認め、志願者の熱意を容るることとせり。かくて大御稜威(みいつ)のもと、天佑神助(てんゆうしんじょ)を確心する特別攻撃隊は、某月某日、枚(ばい)を銜(ふく)んで壮途につき、真珠湾目指して突進し、沈着機敏なる操縦により厳重なる敵警戒網並びに複雑なる水路を突破、全艇予定の部所により港内に進入、あるいは白昼強襲、あるいは夜襲を決行、史上空前の壮図(そうと)を敢行し、任務を完遂せるのち、艇と運命をともにせり。」

(音声中断)

 

日本ニュース 第93号(1942年3月)9分38秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300478_00000&seg_number=002

儼たり北洋の護り       02:50
パレンバン油田地帯確保    02:13
海軍落下傘部隊チモール島奇襲 01:32
ニューギニア攻略       02:56

儼たり北洋の護り       02:50
(音声中断)攻防、実に2万キロ、遠く南方、赤道直下の洋上より、遥か北の方。アリューシャン列島の近海に至るまで、我が無敵海軍鉄壁の防衛陣は、厳として敵の蠢動(しゅんどう)を許さず、我が本土に襲い来るものあらば、断固一撃のもとにこれを粉砕すべき備えを固めております。物みな凍る北洋の酷寒に、砲身はさながら巨大な氷柱と化し、ともすれば足を取られる甲板に、元気いっぱい結氷と戦う、我が海の勇士の姿。南に北に、この皇軍将兵ありて、国土の守り、全(まった)し。我ら一億国民、挙げて感謝の誠を捧(ささ)ぐるものであります。

パレンバン油田地帯確保    02:13
帝国陸軍落下傘部隊が、初の奇襲降下を行って一躍、世界の注視を浴びた、蘭印スマトラの要衝パレンバン。このスマトラ第一の都会は、シンガポールと豪州を結ぶ航空路の中継地として知られ、眼前に黒煙をあげて燃え続けている重油タンクは、いわゆるパレンバン油田として米英が巨額の資本を投じて経営にあたったところ、その年産、実に280万トンにおよぶといわれております。敵が得意の焦土戦術も、我が空からの奇襲部隊の活躍により功を奏せず、製油工場のもっとも重要な施設は、我が軍の確保するところとなって、猛火をくぐり早くも復旧作業が雄々しく続けられております。
由来、南方の宝庫と言われるこれら天然資源の開発は、偉大な戦果の発展と平行して進むに従い、東亜の新しき建設はいよいよ快調を加え、逆にこれら重要資源を失った米英の苦悩はますます深まりつつあります。

海軍落下傘部隊チモール島奇襲 01:32
2月20日、突如、海軍落下傘部隊、蘭領チモール島に奇襲降下を敢行す。(音声中断)をついて奇襲部隊、援護の重任を帯び、長駆蘭領チモール島目指して壮途にのぼる。
降下地点間近し。爆撃部隊はまず敵の軍事施設に巨弾の雨を降らせ、これを粉砕。眼下に燃えさかるクーパン市の黒煙を望みつつ、一方奇襲部隊は大空に真白き大輪の花を開かせ天下る。かくてセレベス島、初の降下に武勲を輝かせた海軍落下傘部隊は、再びここに戦史を飾る敵前奇襲降下に成功、敗戦にあえぐ米英蘭をして、顔色なからしめました。

ニューギニア攻略       02:56
(音声中断)ジャバ島蘭印軍の降伏せる後、大東亜海域にあって我が皇軍の占領下に入らざるもの、ひとりニューギニア島を残すのみ。船上では、この威風あたりをはらう皇軍の勇姿を銃後に伝えんものと、懸命に筆を走らす従軍画伯の姿も見られます。(音声中断)早くも我が軍の襲撃を知って浮き足だった残敵を掃討しつつ、奥地へ奥地へと進軍。かくてニューギニアの一角に軍艦旗翻り、全島制圧は目睫(もくしょう)の間に迫っております。
要衝サラモアの敵軍事飛行場は、我が荒鷲の的確なる爆撃により完膚なきまでにたたかれ、むなしく残骸をとどめております。豪州は大東亜戦争勃発以来、一衣帯水の、このニューギニア島をもって、防衛の第一線と頼んでいたものであります。今にしてその態度を改めずんば、豪州は今日の蘭印とまったく同じ運命をたどることとなるのであります。


(最後)

大東亜戰争感謝貯蓄
第二囬戰時 貯蓄債券 報國債券
一枚 十円・五円
賣出迫る
四月一日ヨリ

大藏省・逓信省・日本勸業銀行

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第94号(1942年3月)7分31秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300479_00000

特報ラングーン占領 02:46
特報、蘭印遂に降伏 04:41

特報ラングーン占領 02:46
3月8日、ビルマの首都ラングーン、ついに陥落す。ビルマ方面陸軍部隊の精鋭は、マルタバン占領後、敵軍主力を急追して(音声中断)赫々たる大戦果を挙げました。まこと無敵皇軍の行くところ、山も川も伏し、なびかざるは無し。行く手にビルマ大平原を貫いて走る鉄道線路は、ラングーンを起点とするビルマ援蒋ルートである。今これを見事に中断して、重慶抗戦の陰に糸を引く米英の野望を断ち切った将兵の感激はいかばかりでありましょう。かくて釈迦の寝相で世界に有名なペグーに突入した皇軍は、ただちに鉄道を占領。ここに、抗日重慶政権は致命的大打撃を被るに至ったのであります。目指すラングーンまでは、余すところわずかに80キロ。背後に首都を間近に控えた敵軍は必死のゲリラ戦を展開。橋梁はことごとく破壊され、惨状を呈しております。すでに前方、ラングーンの砲火、炎々として天を焦がす。(音声中断)3月8日、ビルマ作戦以来、わずかに50日。皇軍はあらゆる困難を征服して、英国が生命線と頼むインドの前衛拠点を一挙に屠(ほふ)り、ここにビルマルート遮断、首都ラングーン陥落の、輝く二つの金字塔を大東亜戦史の上に打ち立てたのであります。

特報、蘭印遂に降伏 04:41
シンガポール陥落以来、敵が日本包囲陣最後の重要拠点と頼む徹底的抗戦を豪語する蘭印ジャバ島に対し、断固膺懲(ようちょう)の鉄槌(てっつい)を下す。(音声中断)冷徹無比の猛攻を加え、上陸以来わずか9日にして全島を制圧するに至りました。灼熱(しゃくねつ)の太陽のもと戦車を先頭に、銀輪部隊、歩兵部隊は首都バタビヤ目指して、ひた押しに進撃する。
沿道の住民は列を成して、皇軍、神速果敢の進撃に(音声中断)
帝国領事館をはじめとして、放送局、停車場などの重要施設もことごとく我が手に帰しました。オランダ300年の圧政下に呻吟した住民は狂喜して皇軍を迎え、日本に対する限りなき信頼と情熱を寄せ、その感激を顔(おもて)にあらわしております。
さらに敵総司令部の立てこもるバンドンに向かって決河(けっか)の進軍に移り、我が包囲猛攻は周辺の敵陣地を震撼。退路なきバンドン守備軍はついに白旗を掲げ、(音声中断)
我が蘭印方面陸軍最高指揮官今村中将は、敵総司令官テルポールテン以下と、バンドン市近郊カリジャティ飛行場に会見。蘭印軍約9万3千、米英豪連合軍約5千は武装を解除。全面的無条件降伏に決しました。時に昭和17年3月9日午後3時、ここに本国なきオランダは東亜における広大なる領土をも失い、帝国は絶対不敗の体制をここに確立したのであります。

 

日本ニュース 第95号(1942年3月)10分22秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300480_00000&seg_number=003

大元帥陛下 陸軍航空士官学校行幸 02:03
朝香宮殿下 靖国の遺児を御激励  01:16
両洋を圧する帝国海軍部隊     03:32
ラングーン完全占領        03:26

大元帥陛下 陸軍航空士官学校行幸 02:03
3月27日、かしこくも大元帥陛下には雛鷲練成の聖地、修武台に行幸(ぎょうこう)あらせられ、陸軍航空士官学校第五十五期生徒卒業式に親臨(しんりん)あらせられました。諸員粛然として奉迎申し上げるなかを、大元帥陛下には飛行場正面に設けられた玉座につかせ賜い、大東亜戦争下の大空に武勲、燦(さん)として輝く親鷲を追って、今巣立ち行く若武者の妙技を天覧(てんらん)あらせられました。
次いで、大元帥陛下には卒業証書授与式場に親臨(しんりん)。この日、栄光に一際はえる優等生6名に対し、侍従武官を経て恩賜金(おんしきん)を下賜(かし)あらせられました。聖戦ここに六星霜(ろくせいそう)恩賜の品をおしいただく若鷲の免状、尽忠報国(じんちゅうほうこく)の決意、眉宇(びう)に溢れて、頼もしくもまた厳かなる卒業式は滞りなく終了。全員奉送のうちを大元帥陛下には、天気ことのほか御麗しく還幸あらせられました。

朝香宮殿下 靖国の遺児を御激励  01:16
晴れて嬉しき靖国社頭の対面を明日に控えた3月27日、青山憲法記念館式場において、かしこくも朝香軍人援護会総裁宮殿下には、温情溢るるばかりのありがたきお言葉を賜りました。今日、目の当たり、尊き天子様のお姿を拝し奉り、また恐れ多くも国母陛下より御下賜品(おかしひん)を賜って、重なる光栄に浴した感激の全国遺児を代表してイワナカショウジ君は、殿下の御前に参進。必ずや亡き父の志を継ぎ、天皇陛下の御ために忠義を尽くし、ただいまのありがたきお言葉に沿い奉る雄々しき覚悟を謹んで奉答。この日この時の感激を、小さな胸いっぱいに膨らませて、声を限りに聖寿(せいじゅ)の万歳を奉唱いたしました。

両洋を圧する帝国海軍部隊     03:32
(音声中断)先兵(せんぺい)の一隊。大東亜戦争下、我ら一億国民の前に初めて全貌を現した帝国海軍潜水戦隊の威容であります。艦上、潮風に鍛えた乗組員に対して、いよいよ出動の命下る。ひとたび出陣すれば神出鬼没。南海の果てインド洋は言うにおよばず、遠くアメリカ本土を震撼せしむる無敵潜水艦の勇姿。雲煙万里(うんえんばんり)、波濤(はとう)を蹴って精悍を謳わるる我が海の狼は、洋上遠く敵影を求めて出動する。
(音声中断)空に海にはたまた海底に、向かうところ敵無き帝国海軍の赫々(かくかく)たる戦果の影に、黙々として重任を果たす掃海艇隊(そうかいていたい)の辛苦。前方洋上に機雷原を発見。命令一下、カッターが降ろされる。万に一つの僥倖(ぎょうこう)を頼む敵の機雷は、一発また一発、戦艦ならぬ海水を吹き上げて、海底の藻くずと消える。
突如、作業半ばに敵機我に挑戦す。戦闘数刻、敵は我が熾烈(しれつ)なる対空砲火にもろくも遁走。敵の襲来もものかは、なおも作業は続けられて、航路標識は次から次へと投げ込まれ、無敵艦隊、進撃の水路を開いていく。

ラングーン完全占領        03:26
眼下に横たわるビルマの首都ラングーン。パゴダと緑したたる森林に囲まれた夢の都ラングーンは、イギリスの宝庫インドの前衛拠点として、敵将ウエーベルが必死の防衛を呼号し、重慶政権がわずかに残るビルマ輸送路の基点として、その確保に狂奔したところ、今は抗日包囲陣営の夢むなしく破れ、皇軍すでに敵影無き死の街ラングーンに突入する。
暴虐無残な敵軍の手によって、繁華な市街はさながら廃墟と化し、全市(ぜんし)不気味な沈黙を孕(はら)んで寂(せき)として声なし。敵防空壕も今はむなしく、廃残の名残をとどめております。100万トンにおよぶ援蒋物資は、自ら放った業火に焼けただれ、見る影にトラックの残骸が山と積み重ねられております。
ビルマルートすでに潰(つい)え去って、ラングーン停車場に在りし日の面影もありません。英国権益を象徴する白亜の殿堂、インド銀行。広壮華麗のビルマ総督府。物みな、敗戦米英の野望の跡を示しております。3月8日午前10時、皇軍ついにラングーンを完全に占領す。主力部隊は軍旗を先頭に、威風堂々市内に入場。ここに輝くビルマ方面作戦の主要目的は完了したのであります。


(最後)

大東亜戰争感謝貯蓄
第二囬戰時 貯蓄債券 報國債券
一枚 十円・五円
賣出中
四月末日マデ

大藏省・逓信省・日本勸業銀行

(日本ニュース 終)

 

1942年4月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19424

日本ニュース 第96号(1942年4月)10分2秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300481_00000&seg_number=003

昭南島激戦地を偲ぶ      02:24
新ビルマ建設に起ち上る義勇軍 02:00
南支掃蕩戦          02:15
ポート・ダゥイン爆撃     03:14

昭南島激戦地を偲ぶ      02:24
思い起こすシンガポール大攻略戦。なかにも血潮に彩られたブキテマ高地の戦いは壮烈を極め、硝煙いまだ生臭き新戦場に当時の激戦苦闘のありさまがしのばれるのであります。忠勇無双(ちゅうゆうむそう)の我が将兵の墓標の傍らに、雄々しくも報道戦線に倒れた同盟・鯉江、朝日・正木両君の英霊、永久(とこしえ)に眠る。シンガポール要塞の運命をかけたこの高地争奪戦に、敢然血路をを開き突入した我が将兵の勲(いさお)しを後世に伝えるべく、3月25日ここに牟田口中将以下、幕僚を迎え、厳かに記念碑除幕の式典が挙行されました。陽光燦(さん)たる昭南島の青空に、戦友の手になる皇軍将兵の像はひときわ映えて、仰ぎ見る将兵の胸中、万感こもごもいたって、靖国の花と散った戦友よ安かれと祈る。今は名誉の戦傷(せんしょう)癒えたた牟田口中将は、厳かに玉ぐしを捧(ささ)げ、部下将兵の勇戦奮闘をしのぶ。
「人訪(と)はば我すめらぎのつわものが雄叫び攻めし姿しのばん。」

新ビルマ建設に起ち上る義勇軍 02:00
ビルマの首都ラングーンの陥落は、過去半世紀にわたり圧政と暴虐をもって臨んだイギリス勢力を事実上駆逐し、久しく独立を求めてやまぬビルマ人の、ビルマ建設第一歩を告げる輝かしい合図でありました。すでに皇軍の手により治安の回復を見た市街には、およそ20万の市民が復帰し、郊外の道端には呼び声もにぎやかに露天市場が立って、繁華な雑踏を取り戻しています。これは新しきビルマ建設に雄々しくも立ち上がったビルマ義勇軍の閲兵式であります。東條首相によって声明された帝国のビルマ独立援助の大方針が伝えられるや、50年にわたるイギリスの支配の下に、あえぎ苦しんできた彼らは、敢然銃をとってこれら義勇軍を編成。我がビルマ作戦にあたっては常に皇軍に協力して、涙ぐましい活躍を続けてきたものであります。
首都ラングーンの広場に、初めて銃を持って進むビルマ軍の勇ましさ。ビルマ人の歓喜は絶頂に達し、くじゃくの印も鮮やかな独立旗を先頭に行進する義勇軍兵士の瞳も、民族独立の栄光に輝いて、明け行く東亜の高らかな歩調を示しております。

南支掃蕩戦          02:15
遠く南方各地の赫々(かくかく)たる戦果と並んで、大陸の戦野に蒋政権撃滅の軍を進める我が南支軍精鋭諸部隊は、3月17日、広東省中山県、順徳県(ジュントッケン)を中心とする珠江下流デルタ地帯一帯に渡り、活発なる粛正(しゅくせい)討伐戦を開始。付近一帯の水路を封鎖して、次第に包囲網を縮小しました。この討伐戦の主要目的は、敵第三挺身縦隊の別動隊約3千が、珠江下流地方の治安をかく乱しつつありますので、これを断固覆滅せんとするにあります。
猛撃を加えて、敵部落に突入すれば、さとうきびを利用して巧みに敵が隠した石油缶を発見。傍らに潜んでいた便衣隊(べんいたい)はことごとく我が軍に捕らえられ、兵器多数も鹵獲(ろかく)するところとなりました。

ポート・ダゥイン爆撃     03:14
帝国海軍航空部隊は、豪州北岸の要衝ポート・ダゥインに対し、大爆撃を敢行す。3月16日朝まだき、ここ南方航空基地に初めて姿を現した海軍新鋭攻撃機。翼を連ね、一斉出動の時至る。明け行く南の大空に、一機、また一機、孤立無縁、なおも抗戦のあがきを続ける豪州に対し、長躯、決死爆撃の鵬翼(ほうよく)をのばす。
天駆ける荒鷲、敵あれば必ずこれを撃滅せん、の気をはらみ、積乱雲が低迷する洋上、堂々南下する我が無敵空中艦隊の威容。
敵陣間近し。白雲低く乱れ飛ぶ海原を脚下に、全機いよいよ高度を上げて戦闘態勢に入る。
目指すダゥイン軍港上空に達す。新鋭荒鷲の奇襲よく功を奏し、釣瓶(つるべ)落しの巨弾のもと、敵飛行場、格納庫、滑走路はしらみつぶしに爆砕され、天地も崩れる轟音(ごうおん)に、いまや豪州の運命、まさに決っせんとす。


(最後)

この戦果! この感激を国債へ!

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第97号(1942年4月)11分16秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300482_00000&seg_number=003

特別攻撃隊 合同海軍葬  04:28
杉山参謀総長 昭南島視察 01:35
アンダマン諸島奇襲占領  01:27
バタアン半島総攻撃    03:40

特別攻撃隊 合同海軍葬  04:28
命を捨てて益荒男(ますらお)は、真珠湾頭、敵牙城(がじょう)深く沈んで立てし勲(いさお)しは、永久(とこしえ)に一億国民の胸に刻まれて、特別攻撃隊合同海軍葬は、月こそ変われ日は同じ4月8日、海軍史上絶(た)えて久しい森厳の盛儀をもって、桜咲き匂う日比谷公園葬場に執り行われ、市民哀悼の内を粛々として柩車(きゅうしゃ)は進む。敵地遠く屍(かばね)は帰らずと言えども、九軍神の英霊は天駆けてこの春陽うららかな葬場に至り、大君(おおきみ)の御盾(みたて)、皇国の守りとして永久(とわ)に、神鎮まったのであります。嶋田海軍大臣、立って弔辞を奉読。
「弔辞。之(これ)時、昭和17年4月8日、慎みて特別攻撃隊九勇士の英霊に告ぐ。諸氏、身を軍籍に奉じてより、日夜聖旨(せいし)を奉戴(ほうたい)し、研鑽練武(けんさんれんぶ)、つねに尽忠報国の至誠を捧(ささ)げ、もっていったん緩急あらば、一死奉公の節を致さんことを期せり、昭和16年12月8日、大詔(たいしょう)ひとたび下るや、御稜威(みいつ)のもと、天佑神助(てんゆうしんじょ)を確信せる諸氏は必勝を期し、百難障害を突破して真珠湾内深く突入し、我が航空部隊の攻撃に引き続き、あるいは白昼に、あるいは太陰を待ちて肉迫襲撃を敢行し、よくこの任務を完遂せり。」
「弔銃。用意、打て。用意、打て。用意、打て。」
軍神、岩佐中佐母堂、てる刀自。
東條内閣総理大臣。

杉山参謀総長 昭南島視察 01:35
輝かしい戦果に飾られた南方占領地区を視察中の参謀総長杉山大将は、3月25日、昭南島に到着。折からのスコールに洗われた飛行場に、出迎えの山下最高指揮官以下、軍官民多数と挨拶を交わした後、沿道に堵列(とれつ)する敵軍捕虜を閲兵、チャンギ要塞に向かいました。今は情けある皇軍の扱いに心より服した敵将パーシバル以下首脳部は、粛然として参謀総長の視謁を受けました。杉山大将はさらに彼我激戦の地、ブキテマ高地にたたずんで、第一線部隊長より当時の戦闘状況をつぶさに聴取。終わって我が軍指導の下に、英国打倒の決意に燃えて訓練にいそしむインド兵の実弾射撃の状況を視察しました。

アンダマン諸島奇襲占領  01:27
我が陸海軍部隊は遠くインド洋上、アンダマン列島に軍を進め、東部インド・ベンガル湾の死命を制す。すなわち英国の運命を賭して、インド懐柔に狂奔しつつあるクリックスに対し、無言の回答を与えるべく3月23日、皇軍は陸海の精鋭をすぐって、突如アンダマン島ポートブレアに暁の奇襲上陸を敢行。
ユニオンジャックの威信、すでに地に落ちて、敵主力は皇軍来るの報にいち早くインドに遁走。残敵また我に抗せずして軍門にくだり、ここにアンダマン島、無血占領は滞りなく完了したのであります。人口約2万のこの島は、インド囚人の釈放地で長らく英国の圧政下に苦しんだ独立の志士をはじめ、これら住民は歓呼して皇軍を迎える、かくて南海の果てに日章旗翻るの日は来たのであります。

バタアン半島総攻撃    03:40
(音声中断)敵将マッカーサーすでに逃亡して、浮き足立った米比連合軍をバタアン半島南端に追い詰めた皇軍は、なおも無益な戦いを挑む敵軍に対し、彈丸雨飛(だんがんうひ)の間をものともせず、宣伝部隊は拡声器を進め、皇軍情けの降伏勧告放送を行う。敵、頑迷にしてなおも抗戦をやめず。かくて皇軍は4月3日、神武天皇祭を期して、一斉総攻撃の火蓋を切って落とす。精鋭、世界に並び無き友軍歩兵は、戦車部隊と緊密なる協同のもと、バタアン半島の密林深く敵陣に迫る。
決死の勇士は、彼我、銃砲弾の雨をくぐり、黙々身を挺(てい)して匍匐(ほふく)前進。我が砲兵隊は正確なる砲撃に敵を制圧。見事なる協力、功を奏してここに一条の突撃路を切り開く。これは本社特派員の手になる敵前決死撮影の貴重なる記録であります。

 

日本ニュース 第98号(1942年4月)11分8秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300483_00000&seg_number=003

ポートモレスビー大爆撃 02:42
建設進むグアム島    03:15
ビルマ英蒋軍撃破    03:17
バタアン半島敵軍降伏  01:49

ポートモレスビー大爆撃 02:42
(音声中断)翻る海軍前進航空機に武勲の海鷲、今日もまた翼を連ねて出動の準備を完了。我は今、なおも蠢動(しゅんどう)を続ける豪州方面の敵軍に対し反復攻撃、これを爆砕せんとす。一死報国、もとより生還を期する者なし。行く者、送る者、想いは既にはるか洋上遠く、敵地上空に飛ぶ。
(音声中断)漠々たる雲海をついて新鋭攻撃機、再び南海の大空にはばたけば、我にはむかう敵影なし。敵が打ち出す防空砲火の弾幕をくぐって、悠々巨弾をたたきつければ、敵はもろくも我に慴伏(しょうふく)。かくては荒鷲に凱歌(がいか)高らかにあがる。

建設進むグアム島    03:15
(音声中断)この島は1898年、アメリカ・スペイン戦争の結果、米国の領有に帰し、爾来(じらい)アメリカはその軍略地点たるに着目して、これが経営にあたり、大東亜戦争勃発するや皇軍は間髪を入れずこれを占領し、今日に至ったものであります。政庁前のこの木の香も新しい陸戦隊激戦の地の記念碑付近には、敵敗戦を物語る魚雷、爆雷が皇軍、勇戦奮闘の跡をしのばせております。住民に暖かい手をさしのべた海軍病院では、土地のうら若い看護婦の立ち働く姿もかいがいしく、戦いに強く情けに厚い皇軍に、今更のように感謝の瞳を輝かせております。懐かしい故国の町名を掲げた国民学校では、制服も凛々(りり)しい海軍の兵隊さんに今日から日本語を熱心に学ぶ島の子どもの姿もほほえましく、和やかな風景です。
再び巡り来たった春の陽を浴びて、住民は島の社建立の勤労奉仕に喜々として働き、ここにも新しき東亜の黎明(れいめい)が読み取られます。

ビルマ英蒋軍撃破    03:17
ビルマ方面帝国陸軍部隊はラングーン攻略後、英印蒋連合軍約5万を随所に撃破、なおも果敢なる進撃を続行す。4月1日、プロム地区の敵軍に対し攻撃を開始した我が陸の精鋭は、早くも翌2日、敵虎の子の機械化部隊を包囲殲滅(せんめつ)し、重戦車30台、自動車約150輌におよぶ兵器を鹵獲(ろかく)して、赫々(かくかく)たる戦果をあげました。皇軍ラングーン攻略により、唯一の動脈ビルマルートを切断され、今は抗日総反抗の夢も虚しい敵軍を急追して、我が精鋭は夜を徹し、歩兵部隊援護のもと、架橋作業を推し進める。
工兵辛苦の橋梁を渡りトングーに入った皇軍の諸部隊は、愴惶(そうこう)退却した敵重慶軍の狼狽(ろうばい)の跡を尻目にさらに体制を整え、やけつく炎暑もものかは、燃えさかるトングー市街を通過。ビルマルートの要衝、マンダレーに向かって堂々の進軍を続ける。

バタアン半島敵軍降伏  01:49
(音声中断)暴挙によって、比島1800万民衆信仰の的、マニラ最古を誇るピノンド教会も無残にも焼け落ちた。親を失い、子を傷つけられ(音声中断)惨めに打ち壊されて、フィリピン国民の怒りは頂点に(音声中断)マリベレスの天険により(音声中断)をした米比連合軍も、皇軍空陸一体の総(音声中断)わずか8日にして、士気まったく阻喪。(音声中断)最後の要衝マリベレス空港我が掌中に帰する4月11日、ついに我が軍門にくだる。バタアン軍司令(音声中断)キング以下、比島軍(音声中断)フランシスコ少将ら首脳部10名は、米比の(音声中断)約4万とともに捕虜となり、さしも頑強を極めたバターン半島の(音声中断)ここにまったく壊滅し去ったのであり(音声中断)。かくて彼我の砲声絶えて硝煙おさまった全島に、すでに敵影なく、今や一衣帯水(いちいたいすい)の彼方に我が艨艟(=軍艦)(音声中断)と気息奄々(えんえん)たるコレヒドール島要塞を残すのみとなりました。

 

日本ニュース 第99号(1942年4月)9分21秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300484_00000

畏し両陛下 靖国神社御親拝       02:56
コロンボ上空から爆撃<凱歌高しインド洋> 01:19
セイロン島沖で敵艦を砲撃<凱歌高しインド洋> 01:21
ベンガル湾で敵船撃沈<凱歌高しインド洋> 00:53
トリンコマリ洋上で敵空母を撃沈<凱歌高しインド洋> 02:47

畏し両陛下 靖国神社御親拝       02:56
殉国の英霊、1万5千17柱を大東亜戦争のもと、初めて新たに、祭神と仰ぐ靖国神社春の臨時大祭、第2日の4月25日、かしこくも天皇陛下には鹵簿(ろぼ)を靖国の社頭に進め賜い、護国の英魂に親しく御拝あらせられました。この日陛下には、かしこき御聖慮(ごせいりょ)から遺族席前では、特に鹵簿(ろぼ)を徐行せしめられ、遺族にありがたき御会釈を賜れば、3万の遺族は尊き御姿を目の当たりに拝し奉り、皇恩(こうおん)のほどに感泣いたしました。午前10時15分、御親拝の時刻を期して民一億は、全国津々浦々に至るまで等しく敬けんなる黙祷(もくとう)を捧(ささ)げ、陸に海に空に醜(しこ)の御盾(みたて)として、尊くも散華(さんげ)した英魂の勲しは永久(とわ)に燦(さん)として輝きました。同じ日、皇后陛下には、春の日うららかな九段の神域に行啓あらせられ、永久(とこしえ)に神(かん)鎮まった、新祭神(しんさいしん)に親しく御拝あらせられました。御優しき御姿を目の当たり奉拝した遺族の感激は、そのまま民一億の胸に打ち返し、ありがたき極みでありました。

コロンボ上空から爆撃<凱歌高しインド洋> 01:19
遠くインド洋に作戦を開始した帝国海軍は、4月初めコロンボ、その他の要衝を爆撃。さらに、ベンガル湾上にインド洋艦隊、主力を覆滅(ふくめつ)、輝く戦果をおさめました。重くうねる波を蹴(け)立て、インド洋の上に4月5日の暁(あかつき)が訪れた。帝国海軍航空部隊は舳艫相銜(じくろあいふく)み、またも一大急襲作戦を展開すべく、堂々の艦列を推し進めている。時はよし、イギリス特使クリップスが、インド懐柔に狂奔の最中、目指すはセイロン島コロンボ。ペナン、シンガポールを失い、アンダマン諸島、もろくも我が海軍部隊の手に帰して、今はインド防衛、すなわちイギリス防衛の第一線となったセイロン島へ。インド洋完全制圧の希望も高く、一機また一機、母艦を離れて飛び立っていく。

セイロン島沖で敵艦を砲撃<凱歌高しインド洋> 01:21
コロンボ上空に達するや、我が一大編隊の群れは、あわてて応戦の敵機57機をたちまちにして撃墜したのを手始めに、軍事施設、武装商船を徹底的に爆砕、大戦果を挙げました。このコロンボ爆撃に呼応して、ベンガル湾に進んだ部隊は、同方面航行中のイギリス武装商船を多数発見。逃げ惑う暇も与えず、これを仕留めました。

ベンガル湾で敵船撃沈<凱歌高しインド洋> 00:53
続いてまた1隻、この日ベンガル湾の収穫、実に21隻、約14万tを撃沈。7隻、約4万tを大破。さらにまたセイロン島南方約三百数十海里の洋上において、我が強襲におびえ高速をもって遁走中のイギリス甲巡ロンドン型1隻、コンウォール型1隻を発見。この貴重なる記録の示すごとく瞬時にして葬り去りました。

トリンコマリ洋上で敵空母を撃沈<凱歌高しインド洋> 02:47
勝って驕らず余裕綽々(しゃくしゃく)たる海軍航空部隊は、超えて4月9日、再び海空一体、立体作戦の妙を極度に発揮しました。すなわちセイロン島の軍事的価値を一挙に粉砕し、残存するイギリスインド洋艦隊に留めの一撃を与うべく、セイロン島東岸の軍港トリンコマリに海の荒鷲、大挙殺到。
重ねての不意打ちに敵はなす術を知らず、彼我戦力の相違はまざまざと表れ、この日トリンコマリは軍事拠点としての能力を完全に喪失するに至りました。折から敵航空母艦ハーミス号1万8百50トンは、トリンコマリ東南方洋上を、駆逐艦1隻を従えて南に下る。願ってもない良い獲物。我が航空部隊は勇躍(ゆうやく)戦いを挑めば、必中の機弾は瞬時にしてこれをインド洋深く沈め去りました。ハーミス号護衛の駆逐艦も、また、あえなく撃沈。

 

1942年5月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19425

日本ニュース 第100号(1942年5月)10分25秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300485_00000&seg_number=005

泰国使節来朝     01:26
孫将軍、和平陣営参加 01:16
護送収容の前蘭印総督 01:16
セブ島攻略      02:56
マンダレー進撃    03:25

泰国使節来朝     01:26
大東亜圏への誓いも固く、誕生した日泰同盟を祝って来朝した泰国慶祝使節。ピア・パホン中将の一行は、4月27日宮中に参内、天皇陛下に謁見仰せ付けられました。宮中を退下した使節団一行は、それより首相官邸に東條首相を訪問。喜びの挨拶を交わしました。

孫将軍、和平陣営参加 01:16
抗日蒋介石軍の有力な武将として、山東省に隠然たる勢力を張っていた孫良誠(そんりょうせい)将軍が、部下2万5千の私兵を率いて敢然和平陣営に参加。4月27日、チョ民誼氏をはじめ、喜びの国民政府要人に迎えられて、南京を訪れました。大東亜戦争始まって以来、重慶側将領の和平陣参加はこれが初めてで、イギリス重慶連合軍が、ビルマ戦線にもろくも敗退を続けているとき、けだし敵抗戦陣営に与える影響は大なるものがありましょう。公館で汪兆銘(おうちょうめい)主席に謁見した孫将軍は、力強く決意を披瀝(ひれき)。今後、第2方面軍総司令として活躍することになりました。

護送収容の前蘭印総督 01:16
敗残の身をバンドンに幽閉中であった前蘭印総督スタルケンボルグ、陸軍長官テルポールテン中将ら、オランダ、イギリス、豪州、アメリカ連合軍の幹部44名が、4月16日、軍用列車でバタビヤに送られてきました。かつての首都の地を、今は捕虜として踏む前総督には、さすがに憔悴(しょうすい)の色、蔽(おお)いがたく、小脇に抱えた3冊の探偵小説に抗戦の夢を洗おうとする。これは土着民の降伏を犠牲にして、王侯貴族もおよばぬ権勢を誇った蘭印総督が自ら選んだ道である。降伏の当時、傲然(ごうぜん)と構えて反省の色も薄かった彼らも、敗戦1ヶ月余りの今日となっては、帝国の揺るがざる正義の前に、極めて従順に捕虜収容所へ送り込まれました。

セブ島攻略      02:56
(音声中断)いまだ明けやらぬ海から、我が艦船に取り囲まれたセブ島の首府、セブの町は、約400年前、マゼランがフィリッピン群島中、初めて第1歩を印(いん)した歴史の町で、いわばここにスペインからアメリカへ、欧米侵略史の第1ページが開かれたところである。我が陸海の将兵、この事実を思い、士気天をつき、戦わずしてすでに敵を飲めば、猛攻を恐れた敵は我が軍の突入を待たずして、憎むべき焦土戦術に出ました。セブ市郊外に達するや、比島人小学校に監禁されていた日本人男女280余名を無事救い出しました。開戦以来まる4ヶ月、今、目の当たり見る祖国日本の強者(つわもの)どものたくましい姿に、打ち振る日章旗もちぎれんばかり。迎える者、迎えられる者、一瞬労苦が消し飛んで感激的場面を展開。
同日午前中、我が部隊は早くも市街に突入。人口14万、フィリピン第2を誇る同市を完全に占領しました。敵がしかけたダイナマイト、および徹底的な焦土戦術によって、市街は見る影もなく破壊し尽くされ、壊滅米比軍の狼狽(ろうばい)と哀れな心情を物語っているのであります。

マンダレー進撃    03:25
ビルマ方面帝国陸軍部隊は3月下旬以降、英印蒋連合軍を随所で撃破。北部ビルマ最大の要衝マンダレーを指呼の間(しこのかん)に快進撃を続行す。4月1日、ビルマ中部の要衝プロム地区に盤踞(ばんきょ)する敵軍の攻略を開始した我が陸の精鋭は、翌2日早くも市街に突入、敵虎の子の機械化兵団を一挙に包囲殲滅し、戦車、装甲車をはじめ、多数の兵器を鹵獲(ろかく)、赫々(かくかく)たる戦果を挙げました。ラングーンすでに陥落して、重慶政権唯一の大動脈ビルマルートの切断なった今、英印蒋連合軍、抗日総反抗の夢虚しく破れ、皇軍は潰走(かいそう)する敵をなおも急追、歩兵部隊援護のもと、夜を徹して架橋作業を推し進める。
工兵辛苦の橋梁を感謝の心を込めて渡れば、道は一筋、目指すマンダレーはもうすぐだ。敗走に継ぐ敗走を続ける重慶軍の狼狽(ろうばい)の後を尻目に、向かうところ敵なき皇軍は、さらに体制を整え業火燃えさかるトングー市内を一気に屠(ほふ)り、一路マンダレーさして疾風枯葉を巻く快進撃を続ける。


(最後)

大東亜戰争感謝貯蓄

第三囬戰時
貯蓄債券
一枚 二十円・十円・五円
報國債券
一枚 十円・五円
賣出迫る
六月一日ヨリ 七月十日マデ

大藏省・逓信省・日本勸業銀行

(日本ニュース 終)

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