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2017年1月 9日 (月)

日本ニュース 戦争証言アーカイブス 第41号(1941年3月)〜第60号(1941年7月)

 特に1945年8・15までの映像は、大本営発表で検閲済み国策映像。ただし、これはこれで当時の空気を想像・実感するのに役立つ貴重な資料映像です。すべてリンクと再生テキストを資料保存しておきました。なおリンク先ではすべて映像を見ることができます

 

日本ニュース 戦争証言アーカイブス
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi

日本ニュース一覧
「日本ニュース」は、太平洋戦争を間近に控えた1940年(昭和15年)から終戦をはさみ、1951年(昭和26年)まで制作されたニュース映画です。制作したのは、「日本映画社」(※)で、1940年にそれまで4つに分かれていた新聞社や通信社のニュース映画部門を国策により統合したものです。
戦時中の「日本ニュース」は、日本軍や内務省の検閲を受けた後、毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。テレビがない時代、国民は「日本ニュース」が伝える真珠湾攻撃や特攻隊出撃、学徒出陣の様子を映画館で目にしたのです。
「日本ニュース」は、戦争完遂を目的にした国策映画ですが、太平洋戦争中の映像記録として大変貴重なものです。「戦争証言アーカイブス」では、1940年(昭和15年)の第1号から、戦後も含め、1948年末までのものを公開しています。

※(1941年5月までの会社名は「日本ニュース映画社」)
※日本ニュース戦後編の再生テキストは、国立歴史民俗博物館の協力で作成しています。

 

日本ニュース 第41号(1941年3月)9分40秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300426_00000

西尾大将輝く凱旋            03:11
枢軸陣営強化に松岡外相訪欧       01:04
来栖前大使独総統訪問<週間話題>         00:33
バンコック在留邦人の子弟軍艦訪問<週間話題> 00:44
日本音楽の夕べに各国大使<週間話題>  01:14
大政翼賛の歌発表会<週間話題>     01:00
鉄の奔流火花散る陸軍兵器廠       01:46

西尾大将輝く凱旋            03:11
支那派遣軍総司令官として重任を全うすること1年6か月、事変下最初の凱旋(がいせん)の礼をもって迎えられる西尾寿造大将は、3月17日午前10時48分、東京駅頭に武勲赫々(かくかく)、晴れの入京第一歩を記しました。駅頭には、かしこきあたりより御差遣の横山侍従武官、各宮家御使、陸軍三長官、各大臣、外国使臣、そのほか軍官民多数に迎えられ、駅前に整列する儀仗(ぎじょう)隊の敬礼を受けました。
沿道堵列(とれつ)の銃後各団体、一般市民の敬けんなる感謝に送られつつ、宮中差し回しの馬車にて土橋少将らの幕僚を従え、歓呼の内を粛々として二重橋から参内いたしました。
宮中退出後、陸相官邸における西尾大将の挨拶。
≪西尾大将≫
「本日、拝謁を仰せ付けられ、軍情を奏上いたしました。西尾は寸功(すんこう)もなく、単身戦場を去り、帰還いたしましたのに、身に余るご殊勲をかたじけのうし、皇恩の無窮(むきゅう)に感泣致しておる次第でございます。これひとえに、御稜威のもと、将兵の勇戦、奮闘、銃後国民の絶大なるご後援によるものでありまして、あらためて厚く御礼を申し上げます。出征中は、故・永久王殿下をはじめ奉り、多数、陛下の赤子を失いまして、誠に恐懼(きょうく)に耐えざるところであります。ここに謹んで殉没の英霊に対し、衷心、敬弔の意を表しまするとともに、ご遺族に対し、満腔(まんこう)のご同情を申し上げるしだいであります。」

枢軸陣営強化に松岡外相訪欧       01:04
枢軸強化の重大使命を帯びて、ヨーロッパへ渡る松岡外相は、坂本欧亜局長以下随員を従え、3月12日夜、激励の言葉を浴びて東京駅を出発。13日午前9時山田駅着。日本晴れの陽光に照り輝く内宮外宮に参拝。使命達成の祈願を捧(ささ)げたのち、午後0時30分桃山御陵に向かいました。
翌14日、天候不良のため、空路出発の予定を変更した外相の一行は、午前10時45分、軍官民多数の歓送のうちに、大阪駅を出発、陸路訪欧の途にのぼりました。世界新秩序建設に邁進(まいしん)している枢軸陣営への外相の訪問は、まさに我が外交史上、新紀元を画するものとして、世界の注視を浴びております。

来栖前大使独総統訪問<週間話題>         00:33
大島新大使と代わって、近く帰国する来栖前駐独大使は、帰国の挨拶を兼ね、2月3日、ヒトラー総統を訪問、約30分にわたり、両国国交関係の根本問題に関して種々懇談をいたしました。席上、ヒトラー総統は、日独の友好関係は、両国の占める地位、並びに政治的使命からみて、将来300年は絶対に変わりえないと強調したと言われています。

バンコック在留邦人の子弟軍艦訪問<週間話題> 00:44
タイの首都バンコック。祖国を遠く離れて共栄圏の建設に邁進(まいしん)し、日本の真の姿を見せて活躍している日本人の子どもたちは、折から、港外に停泊しているお国の軍艦に、懐かしい水兵さんを訪れて、兵隊さんよ、ありがとう、心をこめて慰問しましょうと、先生に連れられてやってきました。そして、水兵さんと同じお昼ご飯をごちそうになり、お土産をもらったり、銃剣術を見たりして、楽しく一日を艦上に過ごしました。その子どもたちも、日本の強い水兵さんに会って、さぞ心強かったことでしょう。

日本音楽の夕べに各国大使<週間話題>  01:14
事変下、綽々(しゃくしゃく)たる余裕を世界に示す優雅な日本音楽の夕べが、春雨けぶる3月14日、旧帝劇の情報局において催されました。会するもの、各国大公使をはじめ、1200余名、交戦各国の人々も呉越同舟の和やかさのうちに、この日だけは心ゆくまで鑑賞いたしました。

大政翼賛の歌発表会<週間話題>     01:00
高度国防国家建設も文化を無視しては完遂できないと、本土大政翼賛会で募集中であった大政翼賛の歌の発表会が、15日夜、日比谷公会堂において盛大に挙行されました。

鉄の奔流火花散る陸軍兵器廠       01:46
東亜新秩序へ高度国防国家の建設に敢然と邁進(まいしん)するには、どんな困苦も艱難(かんなん)も耐え忍んでゆかなければならない。そして、絶対的に多量の優秀なる兵器と弾薬を用意しておかなくてはならない。ニュース映画によって初めて紹介された我が陸軍兵器廠(へいきしょう)。鉄の奔流、飛び散る火花、轟々(ごうごう)たる騒音のうちに巨大な砲身が、砲車が、力強い迫力をもって組み立てられてゆく。砲身の組み立て、一寸の狂いがあってはならない。工員たちは、これを待つ戦地の兵隊さんに思いを馳せて、腕にも心にも一分のすきもない。この砲口から火を吐くときは、東亜の天地に垂れ込めた暗雲を吹き飛ばすのだ。巨大な弾丸が、爆弾が、多くの工程と厳重な検査を経て、不気味な姿を横たえてできあがってくる。この、ひとつひとつに大和魂がこもって、敵陣に炸裂(さくれつ)する時は、世界新秩序への道が一歩一歩、切り開かれてゆくのだ。

 

日本ニュース 第42号(1941年3月)10分5秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300427_00000

出雲艦上に日華要人歓談        01:13
還都一周年を迎う中国陸海軍の訓練   01:40
大島大使伯林着任<週間話題>     00:28
銃剣道振興会発会式<週間話題>    00:33
少年産業戦士の壮行会<週間話題>   00:40
第18回選抜中等学校野球<週間話題> 00:40
漢口駐屯部隊農園に春<大陸だより>  01:02
広東で陣中早慶野球<大陸だより>   00:35
南京前線慰問軍楽隊<大陸だより>   00:36
幕舎の仏印進駐部隊<大陸だより>   00:32
英護送船団の脅威独新鋭機の猛襲    01:53

出雲艦上に日華要人歓談        01:13
3月17日、嶋田支那方面艦隊司令長官は、旗艦出雲に国民政府主席・汪精衛氏をはじめ、各員、各部長を招待。本多大使らを交えて南京還都一周年の喜びを前にして、心から歓談のひとときを過ごしました。
楽土建設に挺身(ていしん)するこの人々の集いは、新生中国の明るい一場面であります。

還都一周年を迎う中国陸海軍の訓練   01:40
南京に春立ち返ってから、ここに一周年を迎えんとして、新生中国は今着々と更生(こうせい)の歩みを進めておりますが、特に国防の重大任務に当たる陸海軍、日ごろの猛訓練は、誠に力強いものがあります。最近では、新四軍の討伐に我が軍と協力してしばしば殊勲を表した勇敢な兵士たち。銃をとり、剣を握る彼らの面には、たくましい意気があふれています。
一方、海軍はしょうけいしょう少将が鋭意中国海軍の建設に努力し、東亜共栄圏の理想達成には中国に強力な海軍の必要ありと力説し、我が海軍の成果を範としてひたすらこれが建設に邁進(まいしん)しております。彼らの真剣な態度と精神によって、着々、海の精鋭が生まれることでしょう。
打倒重慶、撃滅共産匪族を目指して、和平建国の戦士は、いま高らかに進軍しています。

大島大使伯林着任<週間話題>     00:28
大島駐独大使は、3月17日午後1時半、ベルリンに到着しました。リッベントロップ外相は、特に独ソ国境までスターマー氏を派遣して歓迎の意を表しましたが、駅頭にはワイゼッカー外務次官以下、軍政党各代表と在留邦人多数の出迎えあり。華々しい客人ぶりでありました。

銃剣道振興会発会式<週間話題>    00:33
一戦(いっせん)における皇軍の成果。白兵戦の最も重要な戦技である銃剣術は、剛健な気力、胆力を養成するに最適の武道で、これを国民武道として全国に普及するため、このほど、大日本柔剣道振興会が設立され、その発会式が20日、陸軍戸山学校で行われました。一旦緩急の際は、全国民挙げて直ちに銃剣をもって義勇公に奉ぜしめようと、国防武道の発揚に意義ある肉弾発会式でありました。

少年産業戦士の壮行会<週間話題>   00:40
春とともに懐かしの学窓を巣立って、雄々しくも戦時下の産業戦線につく東京約3万の産業豆戦士の門出を祝う壮行会が、19日、日比谷公園広場で行われました。
≪代表者≫
「宣誓文。現下の重大時局にあたって私ども少国民も銃後産業戦士として重要国策履行の一端を担うこととなりました。社会に出ててからは、いよいよ業務に精励し、一にも早く立派な産業戦士になり、上は聖恩に応え奉り、また、父母や先生方にお応えいたしたいと思います。」

第18回選抜中等学校野球<週間話題> 00:40
春はボールの音から。第18回全国選抜中等学校野球大会は、23日、甲子園球場において選抜16校、200余名の健児による勇壮豪華な入場式を行いました。
かくて前年の覇者、岐阜商業対福岡工業の第一戦によって、6日間にわたる熱球争覇の火蓋(ひぶた)を切りました。

漢口駐屯部隊農園に春<大陸だより>  01:02
雪の進軍、酷寒の闘いがついこの間であったと思ううち、もう大陸の前線にはやわらかい春の息吹が快いそよ風にのって訪れました。もうすっかり春です。ここは、戴家山付近にある兵隊さんの農園。燦々(さんさん)と降る春の陽を浴びて、兵隊さんは耕作に余念がありません。この30町歩からの理想的な農園は、みんな兵隊さんたちの努力の結晶です。一日平均4tからの新鮮な野菜が、漢口駐屯部隊は言うにおよばず、遠く第一線の戦友たちにまで送られています。戦いの合間には、このようにして、銃とる手に鍬(くわ)を握って、自給自足に寸暇もない兵隊さんの姿は、頼もしくもまた、うれしいものがあります。

広東で陣中早慶野球<大陸だより>   00:35
前線に時ならぬボールの音が聞こえてきました。これは、陣中の早慶野球戦。佐久間報道部長の始球式に始まります。往年の名手、早稲田のタセ投手、クボタ選手、慶応の岡、水谷君などが久しぶりに学生時代にかえって鮮やかなプレーに熱戦を展開し、仲良く2対2の引き分けで幕を閉じました。

南京前線慰問軍楽隊<大陸だより>   00:36
大砲の音、鉄砲の響きに明けては暮れる前線に、今日はまた、珍しく美しい音楽が聞こえてきました。前線の兵隊さんの慰問に、支那民衆の宣撫(せんぶ)に、はるばる訪れてきた軍楽隊の演奏です。久しぶりに聞く懐かしのメロディーは、兵隊さんたちを非常に喜ばせています。

幕舎の仏印進駐部隊<大陸だより>   00:32
ヤシの葉陰に日が落ちて、異郷の空、遠い仏印の前線に警備の銃とる兵隊さん。春とはいえ、内地の、真夏以上の暑さ。テント生活の労苦は並大抵ではありません。しかし兵隊さんは、みんな張り切って明日の守りに備え、銃器の手入れに懸命です。やがて鳴り渡る消灯ラッパ。結ぶは戦いか、故郷の夢か。戦地の兵隊さんは、みんな元気です。

英護送船団の脅威独新鋭機の猛襲    01:53
対英総攻撃の刻々と迫りつつあるとき、ドイツ空軍が開戦以来、極秘裏に研究を続けていたホォッケウルフFW200型コンドル旅客機を改装した長距離重爆撃機がついに完成しました。この爆撃機の特長は、英本土はもちろん、遠く大西洋の真ん中に飛び出し、再び基地に帰ることができる航続力を有し、発動機4つを備え、爆撃ばかりでなく、戦闘機と交戦するに十分の速力を持っている点であります。
いま、この重爆撃機は、イギリスの北端、スコットランド地方の軍港を襲撃。逃げ惑う水上機および潜水艦を発見して、荒鷲のごとくこれに襲いかかり、たちまち海底の藻くずと化せしめました。
さらに機首を南に転じて、大西洋の真っただ中に現れ、折から航行中の、イギリス輸送船を爆撃。かくて抗戦にあえぐイギリスにとって、また一つ新しい脅威が加わりました。

 

1941年4月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19414

日本ニュース 第43号(1941年4月)10分19秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300428_00000&seg_number=004

畏くも大元帥陛下陸航士卒業式に行幸 02:13
波荒き洋上に巣立つ海の精鋭     01:44
和平の光明輝き還都一周年の慶び   01:06
米国海軍の新兵大量生産       01:19
海豊縣城奇襲援蒋ルート覆滅     01:23
愈々始まった国民学校        02:27

畏くも大元帥陛下陸航士卒業式に行幸 02:13
陸軍航空士官学校第五十四期生徒卒業式は、かしこくも天皇陛下の行幸を仰ぎ奉り、3月28日埼玉県豊岡の同校において厳粛にとり行われました。この日、狭山原頭燦(さん)たる新葉に映えて、快晴の飛行日和。仰げば一段高き玉座に凜然(りんぜん)たる陛下の御英姿を拝して、寺倉校長の指揮刀一閃(いっせん)、陛下親臨の光栄に勇み立つ卒業生は、晴れの御前に妙技を展開。
終わって、陛下には御少憩の御後、卒業証書授与式場に親臨あらせられました。
かくて陛下には陸の若鷲練武のこの地に、かしこくも「修武台」の御命名を給い、修練に一段の力を注げよとの御叡慮を示させ給う。学校当局、県民を挙げて皇恩の浩大に恐懼(きょうく)感激し、いよいよ銃後の奮闘を固く、固く誓い奉りました。

波荒き洋上に巣立つ海の精鋭     01:44
海軍兵学校第六十九期生、晴れの卒業式は3月25日、かしこきあたりより御差遣の久邇宮朝融王殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ、及川海軍大臣、新見兵学校長、日比野呉鎮守府長以下臨席の下に行われ、感激にむせぶ優等卒業生6名に対して、恩賜品を御下賜あそばされました。
晴れの卒業式を終わった卒業生一同は、ここに憧れの士官服に身を固め、あっぱれ士官候補生となります。
親しく教えを受けた教官に、懐かしの学友に、また父や母、兄、弟に別れの挨拶を交わす。送る者、送られる者、ただ感激のひとときであります。
かくて若き士官候補生は波荒き洋上に颯爽(さっそう)と乗り出し、試練の航海につきました。海国日本を背負って立つ海の精鋭に栄光あれ。

和平の光明輝き還都一周年の慶び   01:06
新生国民政府が和平反共の大旆(たいはい)をかざして、南京に還都して以来、たゆみなき建設、ここに満一年、南京還都一周年記念祝典は春たけなわの3月30日、2億民衆の心からなる歓喜のうちに、盛大に挙行されました。慶びの首都南京では記念典礼をはじめ、数々の慶祝行事が繰り広げられ、式後、汪主席は中央軍官学校における国軍閲兵式に臨み、第一方面軍総司令、任援道(にんえんどう)将軍の指揮する首都警衛旅学生隊と3千の精鋭部隊を閲兵、たくましい建国絵巻を展開しました。
かくて南京の慶祝気分は最高潮に達し、汪主席以下僚下一心、建設第二年への決意を新たにしました。

米国海軍の新兵大量生産       01:19
ここはロードアイランド、ニューポートの水兵訓練所。午前5時半、鳴り渡る起床ラッパとともに、お尻をたたかれてベッドから目を覚まします。軍拡に狂奔するアメリカが今度両洋艦隊の整備のため新しく30万の水兵を養成することになり、これはその第一回の募集兵で、毎月8800人の志願者が集まって来ます。
アメリカで最も古い練習艦コンステレーション号で、デッキの掃除をみっちり仕込まれ、水兵第一課から始まって、2ヶ月たつと一人前の水兵さんとなって卒業するという、超スピードの速成水兵ができあがります。
果たしてこの速成水兵さん、どこまでお役に立つか。ともあれ、アメリカが軍拡へ、参戦へと驀進(ばくしん)する一端を知ることができます。

海豊縣城奇襲援蒋ルート覆滅     01:23
南支沿岸一帯にわたり、大規模な奇襲上陸を敢行した我が軍は3月24日未明、海豊県城をめがけて汕尾西方海岸より無血上陸を行いました。コジマ、コバヤシ、クラバヤシ、モリズミらの精鋭は意気軒昂(けんこう)、電撃的に、海豊汕尾航路を進撃しました。
付近にいた住民は無辜(むこ)の領民を傷つけぬ我が軍を信頼して一人も逃げず、厳然たる皇軍の勇士を見送っています。
海豊はこの地方の政治の中心で抗戦4年、いたずらに抗日気勢を挙げておりました。我が軍の市内掃討によって弾薬1万発、小銃数百、拳銃、機関銃を鹵獲(ろかく)。さらにガソリン、セメントなど抗日拠点成都行きと記されたアメリカ、イギリスからの援蒋物資多数を押収しました。かくてこの地方の援蒋輸血路は完全遮断され、抗日にあえぐ重慶政権に大鉄槌を加えました。

愈々始まった国民学校        02:27
4月1日から全国の小学校が一斉に国民学校となり、国民教育の制度と内容が改善刷新されました。この国民学校の目的は教育勅語の御趣旨を奉体(ほうたい)して、報国の道を修めさせ、忠良な日本国民を育てることです。改善の画期的な点は義務教育年限を8年制とし、国民、理数、体錬、芸能、実業の5課を設けて国体に対する信念を確立し、合理創造の精神を養い、剛健な心身を鍛錬し、情操と技能を醇化(じゅんか)し、産業報国の実践力養成を期した点であります。ではどんな風に勉強しているか、その教室をのぞいて見ましょう。

(先生)「今日は皆さんにきれいな絵を見せてあげましょうね。」
「あ、きれいだなあ。」
「あ、桜が咲いてらあ。」
「体操だ。」
(先生)「これは何をしているところの絵でしょう。」
「体操!」
「ラジオ体操!」
(先生)「そうそう、ラジオ体操ですね。ラジオ体操をやるときには何ていいますか?」
「1、2、3、4、5、6、7、8。」
「そうですね。大変お上手でしたね。今日はその半分、もっとながーく、しっかり『いーち、にー、さーん、しー』。言ってみましょう、はい。」
「いーち、にー、さーん、しー。」
(先生)「そう、お上手ですね。たかあきちゃん言ってごらんなさい。」
「いーち、にー、さーん、しー。」
(先生)「はい、上手ですねえ。じゃあさこだくん言ってごらんなさい。
「えーち、にー、さーん、しー。」
「『えーち』じゃなくて、もっと歯をつけて『いーち』と言ってごらんなさい。」
「いーち、にー、さーん、しー。」
「そう。そう上手ですねえ。」

 

日本ニュース 第44号(1941年4月)9分54秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300429_00000&seg_number=004

天覧の栄に輝く興亜馬事大会       01:54
畏くも皇后陛下白衣の勇士を御慰問    01:01
大陸の街から村へ宣撫班の紙芝居     01:27
山間僻村へ学生診療班の活躍       01:06
空陸の精鋭猛攻南支援蒋路完封      01:37
前線視察の英首相<バルカンに新戦火拡大> 01:01
独、ユーゴ首脳会談<バルカンに新戦火拡大> 00:32
軍隊を閲兵するハンガリー首相<バルカンに新戦火拡大> 00:11
伊軍ギリシャ進攻<バルカンに新戦火拡大> 00:19
トルコ軍の分列行進<バルカンに新戦火拡大> 00:36

天覧の栄に輝く興亜馬事大会       01:54
天皇陛下には4月7日、代々木練兵場に臨ませ給い、陸軍農林両省主催の興亜馬事大会の各種演技を叡覧(えいらん)あらせられました。陛下にはかしこくも御徒歩にて玉歩を進めさせ給い、御道筋に整列する優良種馬、競走馬、模範軍馬、功労馬を天覧あらせられました。
御政務、御軍務ことのほか御多端に渡らせ給う陛下の馬政国策の上にたれさせ給う御叡慮のほど、誠にかしこき極みであります。
陛下にはさらに第一会場の玉座に臨御。陣貝の音につれて絢爛(けんらん)の野馬追が福島県相馬地方の代表によって甲冑(かっちゅう)姿もいかめしく、花火に打ち上げられた白い神旗をおって豪快に開始され、旗指物を打ちたてて怒濤(どとう)のごとく押し寄せる壮烈さはその昔、戦国時代の大合戦をしのばせるものあり。大会はいよいよ最高潮に達しました。
かくて平時を問わず、戦時を問わず、もの言わぬ戦士、馬への国民的認識を高めました。

畏くも皇后陛下白衣の勇士を御慰問    01:01
皇后陛下には春陽うららかな4月1日(いちじつ)、神奈川県高座郡大野村の臨時東京第三陸軍病院へ行啓あそばされました。
陛下には中央運動場に出でさせられ、白衣の勇士の奉拝に応えさせられつつ、正面一段高き御台上につかせ給い、高木軍医少佐指揮による独特の各種医療体操を台覧あらせられ、興亜の聖戦に傷ついた幾多勇士たちが再起奉公の一念に燃えて演ずる溌剌(はつらつ)たる体操を、ことのほかご熱心に御覧あそばされました。

大陸の街から村へ宣撫班の紙芝居     01:27
かげろう燃える丘のかなたから美しい笛と胡弓の調べが春風に乗って聞こえて来ました。これは漢口軍報道部ソノベ部隊特務部、武漢特別市政府班共同の宣撫(せんぶ)班の紙芝居の一行です。慰安と娯楽に乏しい奥地農村にこの歌劇団の訪れは農民達を非常に喜ばせております。
農民の宣撫(せんぶ)と教育を楽しい音楽と笑いのうちに教え込み、特に次の中国を背負って立つ少国民におもしろい紙芝居の実演を通して童心に訴え、新東亜建設の理想をふき込もうというのです。
こうして大陸の町から村へ、野を越え山を越えて宣撫(せんぶ)班の紙芝居は行きます。

山間僻村へ学生診療班の活躍       01:06
時局下、国民体位の向上が叫ばれている折から、日本医科大学では春の休暇を利用して同大学教授中村博士指導の下に、診療班一行20名は、山形県の山村僻地(へきち)に医者のない村を訪れました。一行は保健疾病の実情を調査するとともに、3日間にわたり両村で、300余名に上る村民の診療と1千名に近い小学児童の健康診断に、文字通り不眠不休の活動を行い、患者の口からは賞賛の声が部落から部落へ伝わり、残雪をわらじに踏みしめて駆けつける者相次ぎ、非常な多数に上りました。
厳たる規律のうちに優しい医者としての診療班の活躍は、誠に頼もしいものがありました。

空陸の精鋭猛攻南支援蒋路完封      01:37
最近我が軍の目をかすめ、南支沿岸一帯の援蒋ルートから続々抗戦物資を送り込み、春季攻勢に備えんとして狂奔する重慶軍を一挙に撃滅し、これが輸送路手段を完封すべく、我が荒鷲部隊は堂々南支の空を圧して爆撃に向かいました。
我が荒鷲の行くところ、的確なる爆撃は次々に敵が誇る堅塁を吹き飛ばし、濛々(もうもう)たる黒煙は断末魔の相貌を呈しています。
一方、空軍と呼応して、果敢なる敵前上陸を敢行した我が精鋭は一挙に敵の拠点に雪崩こみ、敵兵団5千を殲滅(せんめつ)。さらに逃げ惑う残敵を急追し、破竹の勢いをもって一気に潮陽県城に入りました。
かくて、南支沿岸一帯にわたる援蒋物資輸送の策源地を徹底的に完封し、応戦にあえぐ蒋政権に一大脅威を加えるに至りました。

前線視察の英首相<バルカンに新戦火拡大> 01:01
バルカン戦線のドイツ兵に告ぐ。ついに、諸君の立ち上がるときは来た。ドイツの前進を阻むイギリスの最後の一兵まで殲滅(せんめつ)せよ。
4月6日早暁、ついにヒトラー総統は布告を発しました。かねて待機中のドイツ軍はバルカン方面司令官リスト元帥の指揮の下に直ちに行動を開始。ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアの三国から一斉にユーゴスラビアとギリシャに侵入。1千キロにおよぶ広大作戦が展開されました。
この情勢を招いたのは言うまでもなく、英本土上陸作戦を極度に恐れるイギリスであり、あるいは地中海に、あるいはバルカンに、独伊枢軸軍の矛先を転じさせ、欧州新秩序建設の妨害に大わらわであります。チャーチル首相はむろんのこと、その影に沿うごとくドゴール将軍あり。バルカン諸邦(しょほう)を飛び回るイーデン外相の活躍も幾多伝えられております。

独、ユーゴ首脳会談<バルカンに新戦火拡大> 00:32
思えば、昨年11月20日、まずハンガリーを皮切りにルーマニア、スロバキアとバルカン三国が相次いで三国同盟に参加し、今年3月1日にはブルガリアが加わり、ついでツベトコヴィッチ・ユーゴ首相はベルヒスガーデンにヒトラー総統を訪ねて枢軸参加の体勢を整え、25日ウイーンで正式調印を終えたのでありましたが、今やイギリスの策動に乗ぜられ、調印直後に事態は急変を見るにいたりました。

軍隊を閲兵するハンガリー首相<バルカンに新戦火拡大> 00:11
この間、和戦の岐路に立ち、自らの生命を絶ったテレキ・ハンガリー首相の悲劇を含めて、ドイツのバルカン無血制覇はその方向を転ずるに至りました。

伊軍ギリシャ進攻<バルカンに新戦火拡大> 00:19
かくて戦火はすでに、イタリアの攻撃を受けて苦しむギリシャから拡大し、欧州の火薬庫バルカンはその名に背かぬ慌ただしさを見せています。されど、雪崩のごとく進撃するドイツ軍の前にはアメリカの援助もソ連ユーゴ不可侵条約も実質的に戦局を左右することはできないでありましょう。

トルコ軍の分列行進<バルカンに新戦火拡大> 00:36
今や、残るところはわずかにトルコの一国。
閲兵に、分列に、軍備の威容を見せんとし、近代的装備に努力しつつも、戦火の真っただ中にいつまでその中立を維持するか。
ともあれ、このバルカンの新戦火は今次大戦の鍵を握るものとして世界の注目を集めています。

 

日本ニュース 第45号(1941年4月)9分33秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300430_00000&seg_number=001

賀陽宮殿下台臨習志野軍馬祭 01:13
新軍令部総長に永野修身大将 00:29
古式床しく聖徳太子御遠忌  00:53
白衣勇士に贈る盟邦の感謝  01:36
再起の日を待つ物言わぬ戦士 01:10
春はボールの音から     02:17
電撃戦の華工兵隊の猛演習  01:48

賀陽宮殿下台臨習志野軍馬祭 01:13
無言の戦士、軍馬の労をねぎらわせ給う。賀陽少将宮殿下のありがたい思し召しにより、殿下をはじめ奉り同妃殿下、若宮様、閑院若宮妃殿下おそろいにて台臨(たいりん)の下に、習志野営地習武台では4月13日壮烈な供覧演習を行いました。統裁官田原大佐の指揮刀閃くや、機械化部隊、歩兵部隊を加えた東西両軍の快速部隊は砂塵(さじん)を上げて突撃戦を展開、実践さながらの攻防ぶりは頼もしき限りでありました。

新軍令部総長に永野修身大将 00:29
伏見軍令部総長宮殿下にはかしこくも金枝玉葉(きんしぎょくよう)の御身をもって満9年2ヶ月余りの長きにわたり軍令帷幄(いあく)の大任に奉仕あそばされましたが、このたび御離任あそばされ、後任として4月9日、軍事参議官永野修身大将が軍令部総長に親補(しんぽ)されました。

古式床しく聖徳太子御遠忌  00:53
大和法隆寺における聖徳太子千三百二十年御遠忌法要は11日厳かに奉修され、まず大修理落慶式、並びに宝蔵殿落成式があり、終わって御遠忌法要に移りました。
東院より太子の御像、並びに御社領法要、延々3町にわたる大行列で大講堂にくりこみました。
かくて国宝舞台では妙なる楽の音につれ、胡蝶、蘇莫者(そまくしゃ)、万歳楽、延喜楽など優雅な舞楽が演ぜられ、ゆかしくも古い我が文化の香りに拝観する者等しく恍惚(こうこつ)境にひたりました。

白衣勇士に贈る盟邦の感謝  01:36
日本の兵隊さん、ご苦労さま。祖国イタリアも今生きるか死ぬかの戦いを続けていますと、思いは同じ盟邦イタリアの大使館で春光燦々(さんさん)と降り注ぐ8日の午後、白衣の勇士250名を招待して慰めの園遊会を開きました。
「本日は我々将兵多数の者を当大使館にご招待くださいまして、またただいまは大使閣下より懇切丁重なるご慰問の言葉をかたじけのういたしまして、私ども、感謝感激に耐えません。」
会場にはインデリ大使をはじめとして館員たちも勇士の中に交じりあるいは踊りにあるいは歌に楽しいひとときを過ごし、合わせて遠くヨーロッパ戦線の盟邦勇士の上に思いをはせました。

再起の日を待つ物言わぬ戦士 01:10
皆さん、黙々と働く無言の戦士、愛すべき軍馬も気候風土の異なる大陸では病気もすれば、また壮烈な戦死も遂げて、祖国への忠誠を尽くしています。
ここは中支那鎮江に設けられた軍馬の療養所。不幸にして病魔に侵され、砲弾に傷ついた多くの軍馬が送られてきます。「あそこが痛い」「ここが苦しい」と物言うによしなき軍馬は優しくいたわってくれる兵隊さんを唯一の頼りに、再起の日を待ちつつ病魔の克服に努めています。人間よりも大きな馬が親に甘えるようになつく姿はなんといじらしくもかわいいものではありませんか。
かくて病癒えた軍馬は再び戦線へ、御奉公のいななきも高々と出動していきます。これら軍馬の武運長久を祈りましょう。

春はボールの音から     02:17
東京大学野球春のリーグ戦は春爛漫(らんまん)の12日、神宮球場に華々しく開幕されました。さて、今シーズン、いずれのチームが好調にあるか。覇権(はけん)を目指して猛練習を続ける各陣営をのぞいてみましょう。
まず前シーズンの優勝校、明大。藤本、林の両投手、依然健在。また攻撃陣の主力を社会に送った今年の明治は、打撃陣の充実に努めています。安井、河西、宮本の粘りと一塁の加藤、三塁を守るアワセの強打に多大の期待がかけられております。さらに伝統を誇る走塁に一段の猛練習を行い、快速明大の神髄を発揮しています。
昨秋惜しくも覇権を逸した慶應は日吉台の新設グラウンドに移転。森田監督の注意深い目が投手団に注がれています。タカツカ、ヤマムラ、シラキ、ナリタ。キャプテンタカギ、この豊富な投手陣と、それをリードする老練井上捕手。内野は三塁宇野、遊撃大館、二塁中田、一塁イワモト。鉄壁の内野陣を誇っています。
他校に比べて早大は、頼みとするは主戦投手石黒君一人という寂しさ。早稲田の安否は実に石黒君の右腕にかかっています。これを助ける精悍な捕手小野君。この投手陣の手不足を補うため、打撃早大の再建に伊丹監督指導の下に真剣な打撃練習が続けられています。フジイ、マツイ、小野くんらが攻撃陣の主力となるでしょう。かくて一投に一打に、熱球争覇を巡って青春の敢闘が展開されています。

電撃戦の華工兵隊の猛演習  01:48
ドイツのバルカン作戦は開始以来、旬日ならずして既にドイツの圧倒的勝利が明らかとなりましたが、この勝利の影にはたゆまぬ努力で固めた猛演習が絶えず繰り返されています。これはドイツ工兵隊の壮烈果敢な演習。場所はフランスの占領地域。山岳地帯に築かれた堅固なトーチカ陣地の爆破作業であります。
石綿でこしらえた特別の服に身を固め、悪魔のごとく火を吐く火炎放射器を携えた一隊は歩兵部隊援護の下に、敵陣深く殺到し、塹壕の一角を奪取。さらに猛烈な火炎でトーチカへ、トーチカへと敵兵を圧迫しつつ進撃するという新戦術。この胸のすくような新戦術が目下バルカン山岳地帯に繰り返されているのであります。

 

日本ニュース 第46号(1941年4月)7分46秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300431_00000&seg_number=004

閑院元帥宮殿下アトリエに御成り 01:09
感激の対面へ遺族列車は走る   01:31
海軍航空部隊浙章線援蒋路粉砕  01:57
松岡外相晴れの伯林着      03:07

閑院元帥宮殿下アトリエに御成り 01:09
閑院元帥宮殿下には4月16日、滝野川の北村西望氏のアトリエにおなりあそばされました。殿下が参謀総長宮として皇軍ご統率の大任にあたらせられた御高徳をしのび奉り、陸軍参謀本部大本営陸軍部に奉職する将校全部が殿下の御銅像献上を願い出たところお許しになり、爾来(じらい)、半歳にわたり北村氏が心血を注いで献作を続け、このほどようやくその原型ができあがりました。御馬上颯爽(さっそう)たる御銅像の原型を御覧あそばされ、殿下には部下の真心をことのほかお喜びあそばされました。

感激の対面へ遺族列車は走る   01:31
興亜の礎と散った護国の英霊よ安かれ。聖戦下七度迎える靖国神社臨時大祭も迫り、遺族を乗せた列車は海山はるか北から南から東京へ、九段へと走り続けている。
じっとつぶったまぶたに浮かぶは、今は亡き父や夫、兄、弟の面影。もうすぐに晴れの対面ができるのだ。この喜び、この感激に遺族達の面は輝いている。心ははや東京へ。思いは靖国の社頭へ。轟々(ごうごう)たる車輪の響きをのせて感激の遺族列車は走る。

海軍航空部隊浙章線援蒋路粉砕  01:57
我が海軍航空部隊は連日の快晴を利して浙江省浙(せっ)かん線援蒋路の徹底的爆撃に縦横の活躍を続けていますが、嶋田支那方面艦隊司令長官は当基地に海の荒鷲を親しく訪問、勇猛果敢なるこれら勇士を激励、その労をねぎらいました。
今日もまた浙(せっ)かん線の要衝へ、鵬翼(ほうよく)を連ねて我が海の荒鷲は出動。目指す開化・江山の上空に迫る。
時はよし、一斉に放つ巨弾の雨。敵軍事施設を次々に爆撃し、濛々(もうもう)たる黒煙とともに援蒋の策源地は徹底的に崩壊。抗日陣営の動揺は日を追って激しさを加えています。

松岡外相晴れの伯林着      03:07
硝煙と狂乱うずまく動乱のうちから、輝かしい明日の世界を建設せんとする重大使命を担った松岡外相一行は3月26日夕刻、歴史的なベルリンへの第一歩を記(しる)した。この日、アンハルター駅は雄渾な大日章旗とハーゲンクロイツの旗にうずめられ、リッペントロップ外相以下政・軍・党首脳、我が大島大使以下各国外交団がキラ星のように居並び、幾度か外国の巨頭を迎えたこのホームとしてもかつてなき大歓迎陣が敷かれている。暮れ行く盟邦春の夕べ、和やかにも印象深き歴史的な一瞬であった。
在留邦人の人群(ひとむれ)が大群衆にもまれている。沿道には十重二十重のベルリン市民が遠来の盟邦外務大臣に歓呼を浴びせんとして押し合っている。この時、市電もバスも運転を中止、商店は店を閉め、歓迎の真心を示している。この熱声は同時にまた、重大な戦局を控えたドイツ国民が運命をともにする日本国民へ呼びかける熱意の表れでもあろうか。
松岡外相はリッペントロップ外相と肩を並べて、自動車は駅前からウィルヘルム街に出て、ウンター・デン・リンデンを勝利の大通りへ回る。市民の歓呼の声は日独外相の車を包んで追いかける。
かくて沿道に渦巻く「松岡万歳」「日本万歳」「三国同盟万歳」の声の中を一行は宿舎ベルヴェ宮へ入った。
明けて27日午前、リッペントロップ外相との第1回会談をもって、全世界注視のうちに活動を開始した松岡外相は同日午後、総統官邸にヒトラー総統を訪問。官邸内庭に整列する親衛隊、儀仗兵の礼を受けて、官邸(ここで映像中断)

 

日本ニュース 第47号(1941年4月)10分16秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300432_00000&seg_number=002

大元帥陛下 親臨天長節観兵式      02:10
畏くも天皇陛下英霊に御親拝       01:30
農村へ吹込む翼賛運動 静岡の巡回映写・宮崎での活躍 02:19
浙東新作戦               04:12

大元帥陛下 親臨天長節観兵式      02:10
皇威八紘に輝く天長の佳節に際し、無窮(むきゅう)の聖寿を寿ぎ奉る大観兵式は4月29日、かしこくも大元帥陛下の行幸を仰ぎ奉り、若葉薫る代々木原頭、いとも厳かに執り行われました。
この日参加各部隊、隊伍(たいご)整然として整列すれば大元帥陛下には御愛馬「白雪」に召させられ、燦然(さんぜん)と輝く天皇旗を御先頭に粛々と皇軍精鋭の威容を見そなわせたまいました。
御閲兵を終えさせ給いし大元帥陛下には颯爽(さっそう)と御庭に立たせ給い、稲葉諸兵指揮官の指揮刀一閃(いっせん)、ここに豪快極まりなき分列式は開始。騎乗部隊の分列行進が終わるや、観兵式初参加の光栄に緊張の色もひとしお濃き少年戦車兵操縦の100余台の戦車隊は熱鉄の流れを成して御馬前を驀進(ばくしん)、その轟(とどろき)は地軸を揺るがす。
これに引き続き、各種機甲部隊も堂々と行進。多彩な軍国絵巻を繰り広げ、厳として揺るがぬ皇軍の偉容を中外に宣揚しました。

畏くも天皇陛下英霊に御親拝       01:30
尽忠の英魂14976柱を祀(まつ)る靖国神社春の臨時大祭は4月24日から執り行われましたが、かしこくも天皇陛下には25日、親しく聖駕(せいが)を同神社に進め給い、神霊に御拝あらせられました。
この日陛下には午前10時宮城を御出門、略式自動車鹵簿(ろぼ)にて行幸あらせられ、遺族席前の参道では特に鹵簿(ろぼ)を徐行せしめられて遺族の奉拝に御会釈を賜り、御仁慈のほどありがたき極みでありました。
午前10時15分、かしこくも天皇陛下には親しく御拝あらせられ、この時刻を期して一億同胞等しく靖国の英霊に対し敬虔なる黙祷(もくとう)を捧(ささ)げました。

農村へ吹込む翼賛運動 静岡の巡回映写・宮崎での活躍 02:19
映画を通じて変転極まりない世界情勢をはじめ、新しい日本の使命を伝え、文化の向上と大政翼賛の真意を徹底させるため、大政翼賛会では巡回映写班を組織。全国各地へそれぞれ派遣していますが、あまり映画を見たことのない僻地(へきち)の人々は競って野天の会場につ詰め寄せ、慰安と娯楽のうちに自分たちの勤めの重大さを自覚、この有意義な催しを心から歓迎しました。
山深きここ高千穂を仰ぐ山村へ、大政翼賛推進隊の一隊が訪れて来ました。現下、農村の重大性を身を以て体験し、多くの農村の人々に近づいて農業報国の誠をいたそうと、全国を巡る推進隊の活躍のひとつです。
美しき共同によって労力不足を補い、打ち振るうひと鍬(くわ)ひと鋤(すき)に愛国の心を込めて男も女もともに働くこの意気、この力。隊員は感激のうちに現下農村の重要性を語りました。
「いろいろ皆さんからご熱心なご質問などを承りまして、私としては甚だども意を強うしておる次第であります。何分、大政翼賛、臣道の実践と申しましても決して難しい、遠い所にあるものではないのでありまして、皆さんの足下にあるわけです。今の日本は非常時であることは申し上げるまでもないことであります。皆さんがたが一粒の米でも穫っていただくことがすなわち臣道の実践であり、大政の翼賛運動なんです。」

浙東新作戦               04:12
明日はいよいよ敵前上陸、援蒋路完封の新作戦だ。その作戦を前にして慌てず騒がず、我が勇士たちの必勝の信念にはいささかの揺るぎもありません。将棋に、碁に、あるいは腕相撲に、旺盛(おうせい)な戦闘意識を高揚する者あり、故郷への便りに明日の勇戦を誓う者あり、いずれも悠々たる戦前の態度です。
この時、船中に幸先よくも子馬が生まれ、敵には強い我が勇士も愛らしい子馬の前では相好を崩して大喜び。和やかな戦前のひとときです。
明くれば4月19日午前3時を期して、我が楠本、大橋の両部隊はじめ、陸の精鋭各部隊は頑強な敵の抵抗を排除しつつ、浙江省沿岸の要衝、鎮海、石浦、海門、温州付近に奇襲上陸を敢行しました。
空からする我が荒鷲の援護に応えながら海軍陸戦隊も上陸を決行。陸海軍の緊密な共同の下にたちまち頑敵を撃破して各部隊一斉に猛進撃。敵はこの奇襲に狼狽(ろうばい)、民家に火を放って潰走(かいそう)しました。
かくて20日正午には大橋部隊が早くも浙江省の中枢部寧波の北東端に到達。揚江の敵前渡河も見事に成功。ついに寧波を陥れ、同日午後には感激の入城式が行われました。
この浙東作戦に呼応した福州攻略のビントウ作戦を加え、今次中南支一帯の遮断作戦は、援蒋輸血路を完封し、重慶政権はもちろん敵側民衆および第三国に対しても対外依存の無意味なることを認識させんとするもので、その反省を促すところ大なるものであります。

 

1941年5月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19415

日本ニュース 第48号(1941年5月)9分46秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300433_00000

広東の孤児院<大陸だより新生中国春の横顔> 01:19
威海衛の中国海軍<大陸だより新生中国春の横顔> 00:32
華中鉄道修理工場<大陸だより新生中国春の横顔> 01:02
南方開拓養成塾開塾式<南北の新天地へ勇む開拓の戦士> 00:36
女子拓務訓練所風景<南北の新天地へ勇む開拓の戦士> 01:02
福州占領                02:33
諸既攻略戦               02:34

広東の孤児院<大陸だより新生中国春の横顔> 01:19
新しい中国が雄々しく出発してから早1年余り。大陸のここかしこには更生と躍進の力強い姿が見られます。これは広東にある孤児院です。身寄りを失った薄幸の児童たちを収容して立派な中国人に育て上げようと、皇軍の優しい慈しみの手が差し伸べられています。今ここに収容されている児童は240名。喜々として勉学にいそしむ彼等(かれら)の真剣な眼差しには「僕たちが一日も早く立派になって、お国のために尽くそう」という固い決心が(音声中断)。
昔から中国は薄運の児童が多く、これら孤児が成長して不良の徒輩になり、社会を毒すと言われていましたが、日本のこうした博愛の手によって不幸と害悪の一掃される日も近いでしょう。

威海衛の中国海軍<大陸だより新生中国春の横顔> 00:32
着々と整備充実を急ぐ中国海軍では鋭意水兵の養成に努めています。これは威海衛にある海軍要港部の訓練の一日です。我が勇敢なる海軍の精神を範として、一路中国海軍の再建を目指して進む真摯(しんし)な態度こそ、やがては中国を背負って立つ海の兵(つわもの)の頼もしい姿と言えましょう。

華中鉄道修理工場<大陸だより新生中国春の横顔> 01:02
華中鉄道常州工場では現地の自給自足を目指して、あらゆる機械を動員し生産力の増強に努めておりますが、これと同時に中国人の工員の養成にも大わらわです。今まで中国人には重工業および精密機械の製作には不適当と言われていましたが、我が国の指導の下に誠心努力のかいがあってか、最近では中国工員があらゆる部門の仕事に携わり、めきめきその腕を上げてきました。
火花散る鉄道報国、ここに見るたくましい日支協力の姿。
教化に、軍備に、工業に、春に見る大陸の横顔です。

南方開拓養成塾開塾式<南北の新天地へ勇む開拓の戦士> 00:36
東京府下北多摩郡小平村にこのほど誕生した拓南塾の開塾式は5月5日盛大に行われ、長田顧問、秋田拓務大臣、宍戸塾長らの激励や訓示があり、全国から選抜された100名の若人は南方を墳墓とし、全力を尽くして挺身(ていしん)せんと南進日本の明日への誓いを固めました。

女子拓務訓練所風景<南北の新天地へ勇む開拓の戦士> 01:02
ここは長野県、その名も優しい桔梗ヶ原に今度初めて全国でも珍しい女子拓務訓練所ができました。拓務訓練所と名はいかめしくてもこれは花嫁学校。大陸に奮闘する土の戦士に嫁ぎ、骨を彼の地にうずめようという健気な人たちが、現地に行っても決してひけを取らないよう日本婦道の体得を目指して懸命の努力を続けています。お勝手仕事はむろんのこと、東亜開拓という大仕事に必要ないろいろの知識と技能を授けるこの訓練所。ここに育つ彼女たちの成功を祈りましょう。

福州占領                02:33
突如として中南支沿岸に怒濤(どとう)のごとく断行された膺懲(ようちょう)聖戦の急襲作戦は、たちまちにして抗日にあえぐ敵兵を撃滅敗走せしめ、事変史上新たなる戦果と武勲を記録いたしました。4月19日未明、風速20メートルの激浪をつき、海軍部隊協力の下に、福建省沿岸に奇襲上陸を敢行した我が精鋭諸部隊は灼熱(しゃくねつ)の太陽の下、悪路に悩まされつつも各所に頑敵を殲滅(せんめつ)、さらに急峻難路を不眠不休の猛進撃を続けました。
俊足を誇る我が鉄脚快速部隊の先遣隊は、上陸後わずか2日にして50余km、そこに横たわる敵拠点を次々に突破。4月20日午後11時30分、早くも要衝福州城頭に輝く日章旗を掲げ、続いて各部隊は城内に殺到し、翌21日午後、完全に福州を占領しました。この地方の住民は早くより長期抗戦の無益を悟り、平和渇望の気分横溢(おういつ)して避難するものもなく、皇軍を心から歓迎しました。
このたびの我が快速進撃に狼狽潰走(ろうばいかいそう)した敵軍の軍需資材多数を鹵獲(ろかく)。かくて我が主力部隊は住民の感謝に迎えられ、堂々福州へ入城いたしました。

諸既攻略戦               02:34
4月16日汕頭港湾岸地区に作戦行動を開始した我が陸軍のオオタ、アカシカ、ハトリ、マツイ、コガの精鋭各部隊は敵第十集団軍の数個師を撃破。南に下って驀進(ばくしん)を続け、4月20日払暁、諸部隊一斉に浙江省の要衝、諸曁(しょき)に迫りました。
諸曁に迫るや、敵もまた頑強に抵抗。本社特派員は敵前数十メートルに接近。敵弾を浴びつつ、決死の撮影を敢行しました。
かくて同日、皇軍はついに諸曁県城を陥れ、ただちに周辺地区の敵の掃蕩(そうとう)を開始。工兵隊の活躍も目覚ましく、敵の重要輸送路たる浙かん線の完全遮断に成功し、赫々(かくかく)たる戦果を挙げました。

 

日本ニュース 第49号(1941年5月)10分23秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300434_00000

泰・仏印調整条約 歴史的調印成る    01:44
澄田少将一行 ホンゲイ炭礦視察     01:11
岡山で国産トラクターの実演<増産への道> 01:17
熊野川の筏師<増産への道>       01:18
海員指導者訓練<週間話題>       00:54
全国防諜週間<週間話題>        00:46
夏場所大相撲<週間話題>        01:28
祝賀に沸き立つ 泰国観兵式<週間話題> 01:31

泰・仏印調整条約 歴史的調印成る    01:44
帝国政府の調停による泰・仏印国境紛争の調整は去る3月11日調停条項の妥結署名後、その条約化を急いでいましたが、今度その全面的合意が成立。松岡外相はじめ松宮大使、アンリ大使、ロバン仏印名誉総督、泰国ワンワイ殿下ら三国全権出席の下に5月9日午前10時から首相官邸で正式調印を行いました。終わって松岡外相の挨拶。
「本条約は昨年以来、約半歳の間、泰・仏印両国の間に漂っていた暗雲を一掃し、両国間の友好親善関係を回復さすものであるのみならず、かつこれを将来にわたり確保するものであります。仏泰両国関係において実に新紀元を画すべき第一ページでありまして、我々は衷心より両国に慶賀の意を表したいと存じます。」
この調印式をもって帝国は大東亜における指導的実力を名実ともに発揮しました。

澄田少将一行 ホンゲイ炭礦視察     01:11
仏印の宝庫といわれるホンゲイ炭坑を5月6日、澄田少将以下我が下士員の一行が熱心に視察しました。この炭坑は埋蔵量実に4億トンと言われ、鉱脈の深さ40メートル、幅3キロメートルにわたるもので、採鉱法は、満洲国の撫順と同様、露天掘り。1日の出炭量2200トンにおよんでいます。

岡山で国産トラクターの実演<増産への道> 01:17
これは岡山県農会主催の下に、このほど岡山市外児島農場で開かれた日本型トラクターの実演展覧会。全国から27種類27台が参加、労力不足を補う機械の威力を目の当たりに示しました。
さてそれではどのくらいの威力があるものか。人力、畜力、機械力の比較を15分間で調べてみましょう。
滑り出しは牛の速度が最も早く機械の威力をちょっと疑わせます。しかしよく見ると掘り方、土の崩し方、耕す力において、人間はもちろん牛もトラクターの敵ではありません。10分後には既に機械の勝利が明らかとなり、小粒ながらも生産拡充の先兵たる力をはっきり表しました。15分後にはこの通り、トラクターの威力を完全に発揮しました。

熊野川の筏師<増産への道>       01:18
人も通わぬ奥熊野。三重、奈良、和歌山三県の県境にあるここ和歌山県北山村で事変下の人手不足を克服して木材の増産に懸命の努力が払われています。ここで切り出された木材は有名な瀞八丁よりさらによりも上流の大沼から筏(いかだ)に組まれて新宮へ送られますが、川幅も狭い激流を流すには子どものときから筏(いかだ)流しの修練を積まなければなりません。そのために時には犠牲者も出るという、命をかけた男の仕事です。
昭和14年度の統計によれば、熊野川流域の産材額は92万9千石、金額にして1581万円。この莫大な産材の功労者たちは筏(いかだ)を流し終わると、4月、5月の初夏の候、朝鮮から満洲にまで大挙して渡り、筏(いかだ)の操縦法を教えるなど木材報国に一身を捧(ささ)げています。

海員指導者訓練<週間話題>       00:54
5月6日から10日間、品川沖停泊中の文部省練習船「日本丸」で普通船員の指導訓練が行われました。参加した人たちはすべて35歳以上の、全国各汽船会社から選抜された水夫長、火夫長ら30名。練習船の生徒とともに講習、操帆操練、短艇操法、技術指導など、やがては若い船員の指導者となる教育を受けました。

全国防諜週間<週間話題>        00:46
スパイの目、スパイの耳。研ぎすまされた目と耳だけでなくあらゆる近代的知識を傾けてスパイは活躍しています。そのスパイを防ぐため、内務省を中心に5月12日から防諜週間が始まりました。昔から「壁に耳あり」と言うではありませんか。漏らすな機密、一家こぞって防諜軍。迫り来る第五列に備えましょう。

夏場所大相撲<週間話題>        01:28
皐月の空に滔々(とうとう)たる櫓(やぐら)太鼓が響き渡り、夏場所大相撲は9日華々しく蓋(ふた)を開けました。
三日目、東 出羽湊、西 玉ノ海の一番。玉ノ海怪力をふるって出し投げの勝ち。
同じく三日目、東 十三錦、西 双葉山。横綱双葉、ますます大剛ぶりを発揮、堂々寄り出し、双葉山の勝ち。
続いて結びの一番。東 男女ノ川、西 青葉山。青葉終始健闘、よく食い下がってついに寄り倒し。横綱男女ノ川に土がつき、早くも黒星二つ。

祝賀に沸き立つ 泰国観兵式<週間話題> 01:31
東京の泰・仏印国境調整条約の調印式を前にして、4月27日午前7時半から泰国の首都バンコックでは祝賀観兵式が盛大に行われました。
世界で一番暑いと言われるバンコック。この日この町は140度の酷熱でありましたが、喜びに沸き立った市民は晴れの観兵式を見んものと、早朝から参集。国防省の前から式場両側で待機すれば凱旋(がいせん)の意気も高らかに戦線の勇敢さ、さながら、まず歩兵部隊は並木通りから後宮前の、有名なワット・プラ・ケオを背景に堂々と行進。これに呼応して空軍や機甲部隊も泰国軍備の威容を高らかに誇示しました。

 

日本ニュース 第50号(1941年5月)10分46秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300435_00000

皇后陛下伊勢神宮 橿原神宮御直拝    01:42
双葉、羽黒敗る白熱波瀾の大相撲     02:12
第36回海軍記念日 難局突破を訴える及川海相<燦たり! 海国日本> 01:28
猛訓練の海軍将兵<燦たり! 海国日本> 02:30
設計から造艦へ新技術<燦たり! 海国日本> 01:12
連合艦隊の訓練<燦たり! 海国日本>  01:34

皇后陛下伊勢神宮 橿原神宮御直拝    01:42
御13年ぶりに関西行啓の御途につかせられた皇后陛下には、5月16日かしこくも鹵簿(ろぼ)を京都より伊勢路に進めさせられ、皇祖鎮まります皇大神宮、並びに豊受大神宮の御前に、輝く2600年の佳き年を御報告。併せて未曽有の時艱(じかん)克服と興亜聖業の完遂を御祈念あそばされました。
翌17日、さらに細雨けぶる大和路に行啓あそばされ、感激の民草の奉拝を受けさせられつつ、橿原神宮に到着。神武天皇鎮まります、神宮の大御前に御拝(ごはい)あらせられました。

双葉、羽黒敗る白熱波瀾の大相撲     02:12
連日の熱戦に沸き立つ夏場所大相撲。大鉄傘下、白熱と波瀾(はらん)のうちに迎えた10日目。西・双葉山、東・綾昇。
東の業師・綾昇。ついに突き出しの勝ち。横綱、双葉に第2の黒星をつけました。
11日目、悠々優勝街道を驀進(ばくしん)する全勝、西の羽黒山に対して東・肥州山の一番。果然、火の出るような熱戦。両者豪放の限りをつくしています。このとき羽黒、顔面出血の模様。土俵上、凄愴の気、漲(みなぎ)る。
肥州山の下手投げが決まって、ついに全勝羽黒、敗れる。

第36回海軍記念日 難局突破を訴える及川海相<燦たり! 海国日本> 01:28
≪字幕≫
「輝く第三十六回 海軍記念日を 迎ふるに當り 我等一億国民は 無敵海軍の威武に 應へんとす」

<海軍大臣 及川古志郎大将>
「日を追って深刻化しつつある世界的重大時局において、帝国は常に毅然(きぜん)として肇国(ちょうこく)の大理想を掲げ、大東亜新秩序の建設に正々堂々の前進を続けております。
帝国海軍は大御稜威のもとに、外、第一線に戦う者も、内、実力の錬成に努むる者も、いわゆる『敵の来たらざるをたのむことなく、我が待つあるをたのむ』を信条とし、全軍一体となり、日夜御奉公の誠を捧(ささ)げておるのであります。
国民諸君におかれましても、いわゆる一億一心、ますます真剣にますます着実に、各々(おのおの)その職域に全力を捧げ、もって国運を万世に開拓すべく努められんことを切望いたす次第であります」

猛訓練の海軍将兵<燦たり! 海国日本> 02:30
「課業始め」

(ラッパの音)

歴史と伝統に輝く、我が海の精鋭は、尽忠報国の決意を胸に、全軍一致、日夜猛訓練を重ねております。

(訓練の様子)

設計から造艦へ新技術<燦たり! 海国日本> 01:12
陸に海に空に、これらのたゆまぬ訓練と並んで、精密なる試験研究が進められ、ここ東京帝大工学部の試験水槽では、各種船体の抵抗、水深、かじの性能などを、模型によって実地に試験し、世界に冠たる我が造船技術の進展と、比類なき帝国艦隊の建設に重要なる役割を果たしつつあります。
理論はやがて実際に移され、灼熱(しゃくねつ)する鋼鉄と飛び散る火花のうちに、科学日本を象徴する、華々しい勝利の凱歌(がいか)を聞くことができます。

(造船の様子)

かくして海の守りにあたる、我が艨艟(もうどう)幾百幾千。

連合艦隊の訓練<燦たり! 海国日本>  01:34
聖戦貫徹に赫々(かくかく)の武勲を示すとともに、世界動乱の嵐に際しても一歩もたじろがず、海国日本の誇りを中外に宣揚して威風堂々、鉄壁の備えについております。
海行かば水漬(みづ)く屍(かばね)。一死奉公の誓いいよいよ固く、太平洋の荒波を蹴(け)って刻々に増大する危機に備え、輝く軍艦旗のもと、帝国海軍の威武、厳として揺るがず、断固四隣を制圧して、我が海の精鋭は進軍する。

(軍艦が洋上を進む様子)

 

日本ニュース 第51号(1941年5月)10分15秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300436_00000

天皇陛下 全国青校生御親閲       02:29
東京港開港<週間話題>         00:35
上海日本人学校児童「出雲」見学<週間話題> 00:38
羽黒山初優勝<週間話題>        02:13
日ソ中立条約 歴史的調印成る      01:10
日ソ中立条約 批准書交換        00:58
陸軍航空部隊 浙カンルート爆撃     02:02

天皇陛下 全国青校生御親閲       02:29
かしこくも天皇陛下には、皐月(さつき)の青葉映える22日午前10時から、宮城二重橋前広場に行幸。青年訓練実施15周年を記念する、青年学校生徒御親閲式に親臨(しんりん)あらせられました。
この日、内外地1万8000余校、320万青年学校生徒から選ばれた、光栄の参列男女代表は3万4000。麗しき龍顔(りゅうがん)を御間近に拝して、一同はただ恐懼(きょうく)感激。
10時5分、総指揮官、ナカシロ少将の軍刀ひらめくや、銃後青少年の意気も高らかに、男子部隊の分列行進は開始。
きらめく天光は大内山の緑に映え、勤労の力を大地に踏みしめ、銃後青年の溌剌(はつらつ)たる軍国絵巻を展開すれば、かしこくも陛下には御挙手の礼を給い、産業戦線に立ち働く若き戦士の上に、垂れさせたもう大御心(おおみこころ)のほど、ありがたき極みであります。

(分列行進の様子)

東京港開港<週間話題>         00:35
躍進する帝都の力。ぐんぐん発展する東亜共栄圏のその力が、5月の20日、東京をも開港して、新たに京浜港を誕生させました。快晴に恵まれたこの日、満船飾(まんせんしょく)もにぎやかな入港第一船は、上海からの妙見丸5000トン。すでに停泊中の船舶は、これまた満船飾で歓呼をもって迎えました。

上海日本人学校児童「出雲」見学<週間話題> 00:38
うららかに晴れた5月の1日。上海日本人小学校の子どもたちが軍艦出雲を訪れ、水兵さんと一緒になって甲板を洗ったり、水を流したりしてお手伝いをしました。そのあとで水兵さんたちは、このかわいらしい珍客部隊にいろいろと軍艦の生活を教えたり、また見せたり、楽しい一日を送りました。

羽黒山初優勝<週間話題>        02:13
大鉄傘下、連日熱戦と興奮のうちに、大相撲夏場所は14日目を迎えました。東、前田山、西、双葉山。
前田山の健闘かいなく、西土俵へ寄り倒され、軍配は双葉山に上がりましたが、検査役、芝田山から物言い。約30分の協議ののち、ついに取り直しと決まりました。
双葉、猛然と突っ張り。突き放して双葉山の勝ち。
さてここにいよいよ千秋楽。14日間1敗の羽黒山に対して、東、前田山の一番。羽黒の優勝をかけた一戦。
ついに寄り倒し、羽黒山の勝ち。
ここに輝く摂政賜杯は敢闘15日。14勝1敗の羽黒山の頭上に燦然(さんぜん)として輝き、初の優勝はなりました。

日ソ中立条約 歴史的調印成る      01:10
盟邦ドイツ、イタリアに遣いして枢軸外交に輝かしい記録を残した松岡外相は、その帰途4月13日、クレムリン宮において、日ソ両国間における中立に関する条約の調印式に参列しました。
日本側、松岡外相、建川駐ソ大使以下、ソビエト連邦側、スターリン書記長、モロトフ外務人民委員が列席。ここに歴史的調印を終わりました。

(調印式の様子)

日ソ中立条約 批准書交換        00:58
モスクワで調印を終えた、日ソ中立条約の批准書交換式は、5月20日午後3時から松岡外相、スメターニン・ソビエト大使が出席のもとに、外相官邸で行われました。両国批准書の交換ののち、日ソ両国語による2通の交換調書に松岡外相、スメターニン大使がそれぞれ署名。
式を終わって官邸の庭に、代表主催の和やかな祝賀レセプションが開かれました。

陸軍航空部隊 浙カンルート爆撃     02:02
空と陸とよりする我が軍数次の猛攻撃によって、ほとんどその命脈を断たれたりとはいえ、いまだなお蠕動(ぜんどう)を続ける敵浙(せっ)かんルートを徹底的に覆滅すべく、5月15日、広中、小川、本村、石川の我が陸の荒鷲小隊は、折からの悪天候を冒して勇躍出動。敵浙江省各地の爆撃に向かいました。

(飛行の様子)

まず浙(せっ)かん線、金華を猛爆、敵の列車群を爆砕。

(爆撃の様子)

さらに義烏を襲撃。軍用倉庫に巨弾を投下、敵援蒋路を微塵(みじん)に粉砕しました。

 

1941年6月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19416

日本ニュース 第52号(1941年6月)9分26秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300437_00000

横須賀海軍陸戦隊<輝く軍艦旗 陸戦隊大行進> 01:25
上海海軍陸戦隊<輝く軍艦旗 陸戦隊大行進> 00:34
大自然に鍛える 小国民体育運動     01:22
八郎潟干拓事業<週間話題>       01:00
産業戦士の囲碁講習会<週間話題>    00:45
お相撲さんの軍事教練<週間話題>    00:51
辺境へ文化の恵み 巡回慰安隊      01:11
疾風快進撃 独軍アテネ入城       02:07

横須賀海軍陸戦隊<輝く軍艦旗 陸戦隊大行進> 01:25
日本海海上高らかに、Z旗翻って36年。雨雲晴れ上がった5月27日。思い出の海軍記念日が訪れました。この慶(よろこ)びの記念日に横須賀鎮守府から東京に派遣された海軍陸戦隊1千名は、宮城を遥拝(ようはい)して、靖国神社に向かいました。

(行進の様子)

参拝を終えて、全部隊整然と鉄(くろがね)の力を踏み締めて、威風堂々市中を行進。沿道を埋めた市民は36年前のこの日をしのんで、熱誠あふれる歓迎をしました。

上海海軍陸戦隊<輝く軍艦旗 陸戦隊大行進> 00:34
一方、上海でも我が海軍陸戦隊は、武勲の軍艦旗を先頭に、本部前から市中を行進。勇姿も颯爽(さっそう)と、上海全市を海軍一色に彩りました。

(行進の様子)

大自然に鍛える 小国民体育運動     01:22
正しい姿、正しい歩調でと、正常歩の採用が今盛んに唱えられていますが、この正常歩の研究からさらに一歩を進めて、すばらしい体育運動をやっている国民学校が四国にあります。それは徳島市の富田国民学校。

(子どもたちが体育運動をしている様子)

律動美を重んじ、山でも岩でも木でもあらゆる自然の条件を巧みに生かして演技に変え、これをどこまでもやるという信念で突き進めていく、肉体と精神の調和を狙った訓練法で、こうした教育方針の下に育てられていく子どもたちは、すくすくと成長し、学校の成績も次第に向上しています。

八郎潟干拓事業<週間話題>       01:00
その周り81里。面積15000方里もある、秋田県の八郎潟は、深さ平均わずかに2メートル半、約8尺。これを一層よく利用して、工場や田畑を新しく作り、北西の良港、船川港を活用しようと、今その水を干し上げる計画が進められています。この計画を視察すべく、平沼内相が5月27日八郎潟を訪れ、国土計画の一部としていかにすべきか、立案者からいろいろと説明を聞きました。さて、この計画が完成した暁には、農耕地は一躍14000町歩を増し、1700万坪の工業地帯が出来上がり、現在漁業だけによって得ている収穫をはるかにしのぐ見込みで、米だけでも30万石の予定です。

産業戦士の囲碁講習会<週間話題>    00:45
暇人の慰みといわれていた囲碁も、産業戦士の中へ持ち込めば、立派な健全娯楽。頭をち密にする科学的なスポーツです。東京の工場街、城東区の真ん中で増産に奮闘する産業戦士のために、5月30日大きなマグネット盤を使用して、珍しい囲碁の講習会が開かれました。集まった人たちから代表者を選び、女ながらも専門家の梶原初段がこれに対局。木谷七段が解説をするという仕組み。

お相撲さんの軍事教練<週間話題>    00:51
真摯敢闘15日。夏場所の張り切りぶりをそのまま、お相撲さんの軍事教練が5月26日行われました。ところは東京本所の国民学校。九州山、鹿嶌洋、肥州山、桜錦らも参加。どしんどしんと地響きを立てて行進します。目方と力の点では文字通り日本一の兵隊さんでありました。

辺境へ文化の恵み 巡回慰安隊      01:11
恵まれない北支那各地の民衆に、福利をもたらして歩く巡回トラック隊が野越え、山越え走っています。これは河北の交通会社が心を込めた地方民衆への贈り物。文化の光から遠ざかっている人々に、とかく不足がちな日用品を安く売ったり、医者を伴って薬を与えたり、普段の労苦に報いる感謝です。その中でも最も喜ばれるのは、芝居や映画や曲芸。私たちも一緒に見物しましょう。

(芝居、曲芸などの様子)

疾風快進撃 独軍アテネ入城       02:07
ギリシャついにドイツの軍門に下る。4月6日、ギリシャ攻撃の火蓋(ひぶた)を切ったドイツ軍は、ギリシャ、イギリス連合軍を蹴(け)散らして、疾風怒涛(どとう)の如(ごと)く快速進撃を続け、たちまちサウニカを収めオリンポスを越え、テッサリア平原をひた押しに南下、一路首都アテネにと迫りました。

(ドイツ軍進行の様子)

かくて、テルモピレの嶮(けん)を突破したドイツ軍は、進撃開始以来わずかに22日目の4月27日、堂々アテネに入城。枢軸軍に好意を示す市民は歓呼してこれを迎えました。

(ドイツ軍進行の様子)

この街こそ紀元前黄金時代を作り上げたギリシャ文明の中心地で、その後スパルタ、マセドニア、ローマ帝国と幾多変遷の歴史を重ね、今からおよそ100年前ようやく愛国の血潮によってトルコから独立し、ギリシャの首都として復活したという有為転変の都であります。
かくて3000年の歴史語るアクロポリスの丘高く、ハーケンクロイツの旗は翻り、ドイツのバルカン征覇はここに全く完了しました。

 

日本ニュース 第53号(1941年6月)10分34秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300438_00000

神宮式年遷宮 御杣始祭         02:05
世界最初の心臓撮影成功         01:30
独シュナイダー夫人 来朝演奏<週間話題> 01:09
神戸にキリン3頭着<週間話題>     00:31
静岡の隣組大運動会<週間話題>     00:43
第15回早慶対抗水上競技会<週間話題> 01:52
援蒋物資の安全地帯拠出         00:42
壮烈! 中原大殱滅戦          01:51

神宮式年遷宮 御杣始祭         02:05
皇大神宮式年御遷宮は昭和24年度に執り行わせられますが、大御神のご神体を奉安すべき、最も貴重なる御樋代木(みひしろぎ)を伐採するにあたり、6月3日木曽の御料林で御杣始祭が関係者他多数参列のもとに、いと厳粛に行われました。

(御杣始祭の様子)

御杣始の祭りとは、御杣の山入りに際し、御料材中から選ばれた最上の美材、樹齢270年といわれる御神木の下で、御杣山におわす神に伐木の安全を祈るため奉仕される、誠に盛大な祭儀であります。

(伐木の様子)

切り出された御神木は、長さ1丈8尺に作って、赤塚事業所付近の奉安所に安置されました。

世界最初の心臓撮影成功         01:30
生きている心臓にメスを入れる。果たしてそんなことは出来るものでしょうか。それこそ命にかかわる大問題を、世界の医学者に先駆けて解決すべく、懸命の努力を続けている人に岡山市の榊原博士があります。先ごろ榊原式心臓鏡を発明した博士は、さらにこの鏡の管の一方から心臓内に生理的食塩水を注ぎ込んで、血を薄めながら心臓を明るくし、鏡を心臓に差し入れて、のぞきながら手術する方法を考え出しました。同時にこの鏡を使って、16ミリ映画による心臓の撮影に成功しました。

(撮影の様子)

さて撮影された16ミリ映画を拡大してみると、その動きとはこんなものです。

(心臓の様子)

ただし皆さん、驚いてはいけません。これは犬を使って行われた実験です。

独シュナイダー夫人 来朝演奏<週間話題> 01:09
ピアノの前身ともいわれる、チェンバロの名手、シュナイダー夫人がこのほど盟邦ドイツから来朝、妙技を見せました。曲はラモウの「舞踏曲」。

(チェンバロの演奏の様子)

神戸にキリン3頭着<週間話題>     00:31
硝煙煙る、英領東アフリカから6月7日、神戸に親子3頭のきりんが運ばれてきました。これは東アフリカ、ナイロビで粒粒辛苦の末、10万円の財産を築いた今枝国太郎さんが、戦時為替管理のために、やむなく汗の結晶をきりん5頭に換えて持ち出したもの。2頭は惜しくもインド洋で倒れましたが、無事日本に着いた3頭は、神戸や大阪の動物園でお目見えすることになりました。

静岡の隣組大運動会<週間話題>     00:43
お茶の葉香る静岡市の草薙で、空も青い6月8日の朝から、隣組大運動会が開かれました。大火の中から雄々しく立ち上がった人たちが、団結と協和はこんなにも力強い、とお互いに日ごろの精進ぶりを競い合いました。中でもやんやの喝采(かっさい)を浴びたのは、これこそ隣組らしい「あんよは上手」の競争。お母さんやお父さんの方が赤ちゃんより一生懸命。7000人がひとつになった愉快な一日でした。

第15回早慶対抗水上競技会<週間話題> 01:52
そろそろ水の恋しいシーズンとなりました。その水の競技の先陣を承って、第15回早慶対抗水上競技会が8日神宮プールで開かれました。まず100m自由形では、早稲田吉田君が61秒2で優勝。

(水上競技会、自由形の様子)

次いで、100m背泳ぎ。早稲田の吉田君と慶應の小島君がそれぞれ第3コース第4コースで、猛烈に競り合っています。

(水上競技会、背泳ぎの様子)

最後に小島君の頑張り功を奏して、1分9秒の好記録で吉田君を抑えました。

援蒋物資の安全地帯拠出         00:42
昨年6月以来、仏印各地に停頓中の援蒋物資は、とかく重慶に好意を寄せる第三国策動の対象となり、密かにこれを持ち出そうと企てられたことさえありましたので、我が方ではこれを安全地帯に移すことになり、5月25日以来その積み出しを開始しました。かくて日本仏印友好関係の障害物だった援蒋物資も、今や刻々とその姿を消し、安南クーリーの掛け声のうちに明朗仏印の姿を見ることができます。

壮烈! 中原大殱滅戦          01:51
大黄河北岸中条山脈の峻険(しゅんけん)を中心に展開された一大殲滅(せんめつ)戦。5月初旬、敵の北支奪還の野望を粉砕すべく、密かに行動を開始した皇軍の精鋭は、天嶮(てんけん)を越え悪路を冒し、東西200km、南北100kmの広大なる中原の山野に壮烈縦横の撃滅戦を展開。

(進軍の様子)

敵は衛立煌の率いる、蒋介石直系の中央軍20万。我が絶妙果敢の包囲作戦に、さしも強軍を誇り必勝を確信する敵軍も算を乱して潰走(かいそう)。敵の損害10数万、しかもその主脳部はほとんど全滅して、徐州大会戦にも比すべき赫々(かくかく)たる大戦果を収めたのであります。

 

◎◎◎◎◎YouTubeのがない。
日本ニュース 第54号(1941年6月)9分38秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300439_00000&seg_number=002

天皇皇后両陛下 多摩陵に行幸啓    01:08
臣道完遂の誓中央協力会議開く     01:51
金光厚相 日立鉱山を視察<週間話題> 01:15
富山の田植え<週間話題>       00:45
貯蓄奨励の移動新聞<週間話題>    00:33
海鷲猛威を発揮 大挙重慶連爆     01:38
汪精衛主席 訪日の途へ        02:19

天皇皇后両陛下 多摩陵に行幸啓    01:08
天皇皇后両陛下には、6月10日、緑色濃き多摩御陵に行幸啓あそばされ、親しく大正天皇の御神霊に御拝あらせられました。両陛下御同列での御参拝は、昭和11年の大正天皇十年式年祭以来の御事と拝します。

臣道完遂の誓中央協力会議開く     01:51
大政翼賛会、第1回中央協力会議は6月16日から東京、丸の内の本部で開かれました。まず今泉定助氏の誓い。

≪今泉定助≫
「誓い。我らはかしこみて大御心を奉戴(ほうたい)し、和衷協力を以て大政翼賛の臣道を全うせんことを誓いまつる。」

近衛総裁の挨拶。

≪近衛総裁≫
「今回、第1回中央協力会議を開催するにあたり、各位のご会同を得ましたることは、私の最も欣幸(きんこう)とするところであります。大政翼賛運動の目的は、未曽有の非常時局に際会し、一億国民各々(おのおの)が皇国民たるの自覚に立ち、全力を挙げて奮起し、万邦無比の臣道実践体制を確立するにあるのでありまして、我が国におきましては、高度国防国家体制は、かかる力強き臣道実践体制の確立によってのみ、初めて実現できるのであります。

金光厚相 日立鉱山を視察<週間話題> 01:15
地下数千尺の坑内で、金属増産に黙々と敢闘する鶴嘴(つるはし)の戦士を励まし慰めるために、6月11日、金光厚生大臣が茨城県の日立鉱山を訪問しました。

(金光厚相鉱山視察の様子)

ヘルメット型安全帽も勇ましい金光厚相は、地下にくぐって鶴嘴(つるはし)の戦士の活躍ぶりを親しく視察。「やあ皆さん、御苦労さま。諸君の職場は第一線の戦場とまったく同じことだ」と激励。優しく慰問すれば、鉱師も感激するという美しい情景を描きだしました。
選鉱場では真っ黒になって働く職場の乙女たちに感心し、心からなる激励の言葉を送りました。

富山の田植え<週間話題>       00:45
富山県白萩村の谷部落で、アワラと呼ばれる田植えが今行われています。ここは昔、噴火口であったと言われ、地上からわずか2尺が泥土。その下には水があり水底には昔倒れた材木が横たわっているという、ちょっと田植えなど想像もできないところですが、部落では女の人ばかりで、水底の材木を足がかりにして毎日1時間の田植えを行っています。尊い増産への姿です。

貯蓄奨励の移動新聞<週間話題>    00:33
聖戦完遂に、銃後一億の心をしっかり固めようと、あれこれプランを練っている翼賛会から、今度街頭の移動新聞と、店先や工場にはりつける壁新聞が発行されました。その第1号は、135億貯蓄への進軍譜。

海鷲猛威を発揮 大挙重慶連爆     01:38
6月の声を聞くとともに、我が海の荒鷲は猛然とその矛先を重慶に向けました。朝もやたなびく空軍基地。出動準備を整えた荒鷲たちは鋭気颯爽(さっそう)。すでに敵首都を呑(の)むの概あり。

(海鷲飛行の様子)

空は晴れたり、絶好の飛行日和。敵の防衛砲火もなんのその。腹が減っては戦はできぬとばかり、我が勇士たちは悠然と爆撃前の腹ごしらえです。
かくて重慶上空に達し、痛爆に次ぐ痛爆、敵首都の心臓部に巨弾の雨を降らせました。今や重慶の政治の重要地帯は我が海陸の荒鷲のため、完膚なきまでにたたきつけられ、ついに恐怖に取りつかれた民衆並びに外人筋では、蒋介石に対して真剣に遷都を促すに至ったと伝えられております。

汪精衛主席 訪日の途へ        02:19
中華民国国民政府主席、王精衛氏は新政府樹立以来、我が朝野から寄せられた好意に応えると共に、日華両国の友好関係をより一層深めるため、6月13日、板垣支那派遣軍総参謀長をはじめ、日華軍官民多数の盛大な見送りの中を、徐外交部長、林宣伝部長、周財政部長らを従え飛行機で南京を出発、上海へ向かいました。
上海へ到着した王精衛氏は堀之内総領事、太田公安委員長官以下、軍官民の出迎えを受け、直ちに上海碼頭に横付けされた郵船八幡丸へ向かいました。
嶋田支那方面艦隊司令長官は、八幡丸に王精衛氏を訪問、親しく歓送の挨拶を述べ、杯を挙げて王氏の健康を祈りました。
かくて14日、午前11時東亜新秩序建設への使命も重く、王精衛氏を乗せた八幡丸は静かに碼頭を離れ、朝もやの中を一路日本へと向かいました。

 

日本ニュース 第55号(1941年6月)10分40秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300440_00000&seg_number=002

汪精衛院長感激の訪日声明      03:13
大陸の湯に療す 勇士の療養所    01:08
山梨の国民体力向上修練<週間話題> 01:19
海州塩田の採塩<週間話題>     00:52
茨城農繁期託児所<週間話題>    01:06
新興の意気高し 中国海軍訓練    01:01
米大統領 爐辺談話         01:49

汪精衛院長感激の訪日声明      03:13
6月18日、晴れの宮中参入を終えて、麻布の中国大使館に入った汪精衛氏は、周外交部常務次長の通訳で、感激の訪日声明を発表しました。まず、わが皇室のありがたき激励のお言葉を賜(たま)わったことに心から感激、一層東亜新秩序建設に邁進(まいしん)せんとする固い決意を披瀝(ひれき)しました。

(汪精衛氏の声明)

≪周外交部常務次長の通訳≫
「貴国政府当局を歴訪いたしまして、十分に意見を交換するとともに、貴国国民に向かって衷情を披瀝(ひれき)したいと存じますが、今や我が国においても朝野等しく固き決意のもとに、近衛総理大臣の先年声明されました、善隣友好、共同防共、および経済提携の三原則のために一貫せる努力を払い、昨年締結されました、中日間基本関係条約および中日満三国共同宣言を完全に実現せしめる、もって全面和平を招来し、かつ東亜新秩序建設のため、その負うべき責任を尽くして東亜永遠の和平を樹立、進んで世界の和平に貢献せんとしつつあるものとは、私の断言してはばからざるところであります。」

19日から行政委員長としての日程に入った汪精衛氏は、同日午後7時から首相官邸に開かれた近衛首相主催の晩さん会に臨みました。
集まる者朝野の名士数十名。近衛首相の歓迎の辞に応えて、汪精衛氏はますます両国親善のため、身を挺して尽くすべきことを誓いました。

(晩さん会の様子)

大陸の湯に療す 勇士の療養所    01:08
南京の近くにある温泉郷、トウスイチンを大陸の空も晴れた6月のある日、我々のカメラが訪れました。ここはその昔、蒋介石が慰安を求めて遊んだといわれるところですが、今では聖戦に傷ついた我が勇士たちが再起の日を待ちわびながら、ひたすらその身を静養するだいじょう(要確認)部隊の分院となっています。
戦地に病み、戦地に傷ついた我が勇士たちの無念さやるせなさを、渾々(こんこん)と沸き出でる温かい泉が癒してくれるのです。
そしてこの勇士たちによって作られた、農場や散歩道が今度はかえって勇士たちを慰めています。

山梨の国民体力向上修練<週間話題> 01:19
6月21日土曜日。富士が今朝は頭を見せ、朝なぎの山中湖は美しく澄んでいる。この爽(さわ)やかな山中湖のほとりで僕はつくづく自分の体をながめてみる。なんとしても立派な体格になってお国にご奉公したい、そう決心した。そして村から選ばれて県主催のこの国民体力向上修練会に参加したのだった。選ばれて、そうだ、これは決して恥ではない。立派な国民になるためには何でもやらなくてはいけない。ここでは毎朝厳密な身体検査がある。身体に適応した栄養食を食べさせてくれる。これで立派にならなければ僕の恥だ。今朝も湖の水は手が切れるように冷たかったが、冷水摩擦が済んだときには体中がぽかぽかしてきた。ここはまだ寒い、だが寒さなどほとんど感じないのだ。ボートもまったく愉快だ。僕のオールを持つ手には次の時代の力があふれている。さあ、明日も頑張ろう。

海州塩田の採塩<週間話題>     00:52
中支・海州を中心とする塩田は、今が採取の真っ盛りです。まず、ろくろを巧みに応用して海の水をくみ上げ塩田に流し入れますが、動力はオランダ式の風車を使っています。この地方は砂の質が非常に良いうえに、強烈な太陽光線は塩田事業のうえに最も適しており、古くから海深塩として有名であります。
塩田の広さおよそ15万平方キロ。その産額は全支総生産額の5分1以上を占め、そのまま大部分が食用に供されています。事変後しばらく製塩業が衰えたこともありましたが、最近では以前にも増して盛んとなり工業用にも使われるようになりました。

茨城農繁期託児所<週間話題>    01:06
猫の手も借りたいという田植え時に、生まれてまもない赤ちゃんから7歳までの子どもさんを遊ばせるという、親切な農繁期託児所が茨城県高松村に開かれました。

(託児所の様子)

朝の6時半から夕方の6時まで遊戯や唱歌はもちろんのこと、ミルクで育てられている赤ちゃんには、生まれてから幾月になるかまで調べて、時間になればミルクを与えます。おかげでお母さんたちも安心して田植えにいそしんでいます。
一方昼寝から起きた子どもたちは、おやつを頂きながら面白い紙芝居を楽しんでいます。

新興の意気高し 中国海軍訓練    01:01
新しい中国海軍の将来を背負って立つ中国海軍学校学生は、このほど日ごろの訓練の腕前を試すべく、上海を出港して練習航海に出かけました。さすが日本海軍の直接指導によって厳しく鍛え上げられただけに見事な腕前を示し、荒波をけたてて航海を続け、その途中各種の艦上訓練を行いました。
選ばれた若人たちは、日本海軍のすばらしい姿に憧れ、明日の中国海軍を建設すべく真剣な勉強を続け、ますますその頼もしさを加えています。
こうして東亜共栄圏の一翼を担う中国は、陸に海に目覚ましい成長ぶりを示しているのであります。

米大統領 爐辺談話         01:49
ルーズベルト・アメリカ大統領は、5月27日、ホワイトハウスに汎米連合理事、カナダ公使らを集めて、全世界注目の内に次の如(ごと)き炉辺談話を発表し、アメリカの戦争参加への道を更に一歩踏み出しました。すなわち「まず今日の世界的危機に当たって、アメリカもいつ果てるともない国家非常時に直面し、国防の強化と国家権力の最大限集中が必要であると宣言し、ドイツは現在、英米両国の造船所が造り出すことのできる船舶と同じだけの商船を撃沈しているが、アメリカはあくまで海洋自由の原則を主張するものである。
アメリカはまた、軍事的要地には軍隊を配置し、外国の攻撃に対しては軍隊を使用するに躊躇(ちゅうちょ)するものではない。而(しこう)して民主主義を守らんとする誓いはあくまでもこれを遂行するであろう。我々は西半球を侵さんとするあらゆる策動を排撃するに足るだけの力を備えなければならない」と述べました。

(ルーズベルト大統領英語でのスピーチ)

 

1941年7月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19417

日本ニュース 第56号(1941年7月)19分26秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300441_00000&seg_number=019

訪日の責任果し 汪首席帰途へ      01:53
軍陣医学の躍進弾片探知器        01:42
12/7 蘆溝橋事件と上海戦闘の回顧<特輯聖戦四年> 00:41
12/8 第一回海軍渡洋爆撃隊<特輯聖戦四年> 01:30
12/11 杭州湾上陸<特輯聖戦四年> 01:00
12/12 南京陥落松井大将の閲兵<特輯聖戦四年> 00:24
13/1 御前会議出席の閑院 伏見宮<特輯聖戦四年> 00:39
13/5 徐州攻撃<特輯聖戦四年>   00:35
13/5 徐州攻略<特輯聖戦四年>   00:21
13/10 広東進撃の陸軍と漢口攻略の海軍<特輯聖戦四年> 00:27
13/10 武漢突入<特輯聖戦四年>  00:43
14/3 南昌進撃<特輯聖戦四年>   01:13
15/3 五原入城<特輯聖戦四年>   00:33
15/6 重慶爆撃<特輯聖戦四年>   00:24
15/3 南京に中央政権樹立<特輯聖戦四年> 00:18
15/6 宜昌攻撃<特輯聖戦四年>   00:36
15/7 第二次近衛内閣成立<特輯聖戦四年> 00:27
15/9 仏印進駐<特輯聖戦四年>   00:30
15/10 ビルマ国境爆撃<特輯聖戦四年> 00:20
15/9 日・独・伊三国同盟<特輯聖戦四年> 00:23
15/11 日・華基本条約締結調印式<特輯聖戦四年> 00:15
16/3 泰・仏印国境紛争調停<特輯聖戦四年> 01:27
16/6 汪精衛首席訪日<特輯聖戦四年> 00:43
支那派遣軍総司令官 畑大将の演説<特輯聖戦四年> 01:56

訪日の責任果し 汪首席帰途へ      01:53
帝都において来朝の重任が終わった、国民政府主席・汪精衛氏は6月25日午後5時大阪駅に到着。李王大阪師団長殿下、御内裏以下、朝野の名士と丁重なる挨拶を交わし、甲子園ホテルに向かい、その夜は産業都市大阪における歓迎晩さん会に臨みました。
かくて10日間にわたる歴史的訪日の旅を終わった汪精衛氏は、翌26日沿道市民の歓送に、尽きぬ名残りを惜しみながら、神戸港に至り、神戸丸に乗船。日本朝野の絶大な歓迎と、国民政府に対する支援に心から感謝しながら、一路帰国の途につきました。

軍陣医学の躍進弾片探知器        01:42
≪日本赤十字社整形外科 蔭山博士≫
「先般、ドイツにおきましてペッソード博士(要確認)により電気装置を利用して、体内の異物を探索する機械が発明されました。これとまったく時を同じくして、我が日本においても、現早稲田大学工科の3年生の大津太郎くんによって同様の機械が発明されました。同君の機械はある電気装置に消息子、ことにその消息子は、消毒できるところのものを電気に接続いたしまして、その消息子を金属に接近いたしまするというと、音を発するのであります。
体内に埋没しておるところの金属でも、この消息子が近づくときは同様に音を発するのであります。したがって体内金属異物を摘出するのには非常に効果のあるものでございます。私は大津君の名誉のために、これを後顧にご紹介せんと欲するものであります」

12/7 蘆溝橋事件と上海戦闘の回顧<特輯聖戦四年> 00:41
(想起せよ昭和十二年七月七日)今にして思えば、盧溝橋畔一発の銃声は、東亜の旧秩序を破壊し、新秩序を建設する第一歩の響きであった。これを静かに回想すれば、最初、局地解決、不拡大方針をもって臨んだ我が国の誠意もむなしく、蒋政権は英米の魔手に操られて日刻々と切迫。

12/8 第一回海軍渡洋爆撃隊<特輯聖戦四年> 01:30
(大山事件突発)8月9日、大山海軍大尉、暴戻支那軍の銃弾に倒る。しかも我はよくしのびがたきをしのび、抑えがたきを抑えて、日を送ること数日。支那側は自ら求めて、上海陸戦隊に戦いを挑むや、帝国政府は防支膺懲(ようちょう)の重大決意を表明。矢はついに弦を放れた。世界列強の注目を集めて、ここに壮烈、上海攻略戦の火蓋(ひぶた)は切って落とされた。
(聞き取り困難)呉淞(ウースン)敵前上陸をはじめ、大場鎮(だいじょうちん)、江湾鎮(こうわんちん)、廟行鎮(びょうこうちん)と、上海外郭の堅塁を次々に突破し、秋10月、閘北(ざほく)の激闘を最後に、外国権益の錯そうする国際都市上海の、困難なる攻略戦を終わる。

これより先、我が海軍航空隊は折からの荒天を冒して、渡洋爆撃の壮途に上る。生還元より期すべからず。将兵等しく決死報国の誓いを胸に、鵬翼を連ねて怒濤(どとう)荒れ狂う支那海を越え、長駆して敵の首都、南京を空襲。

12/11 杭州湾上陸<特輯聖戦四年> 01:00
今だ明けやらぬ東シナ海上。突如として杭州湾頭を圧する、大輸送船団の群れ。これぞ覆面の猛将、柳川将軍の率いる親衛兵団にして前進上(要確認)の敵前上陸に成功。時に昭和12年11月5日。敵は日軍百万襲来の声に怯えて戦わずして敗走。翌6日には早くも黄浦江岸(こうほくこうがん)に進出。
かくて蒋政権の牙城(がじょう)、南京目指して怒濤(どとう)の如(ごと)き進撃を開始した無敵皇軍は、輝く日章旗を先頭に、たちまちに蘇州を抜き無錫を陥れ、常州、広徳を突破して、断末魔の砲火、敵都南京を終点と期するべく、決死の我が部隊は相次いで東華門を破り、中山門を乗り越えて城内に突入。

12/12 南京陥落松井大将の閲兵<特輯聖戦四年> 00:24
敵首都、ついに落ち、戦火大陸に起こってよりわずかに5ヶ月、日章旗は燦(さん)として南京城頭に翻った。
12月17日、堂々の南京入城式を挙行。松井最高指揮官は悠々駒を進めて、忠勇なる将士を閲兵。

13/1 御前会議出席の閑院 伏見宮<特輯聖戦四年> 00:39
首都南京を失い、支那民衆に塗炭(とたん)の責め苦を負わせながら、なおも抗戦の迷夢より覚めざる蒋政権。これに対し、東洋永遠の平和を確立すべく、1月11日歴史的御前会議が開かれ、かしこくも閑院、伏見両幕僚長宮殿下をはじめ奉り、近衛首相以下宮中に参内。かくて不動の最高方針は決定され、反省の色なき蒋政権を極東より追放すべく風見内閣書記官長より内外に声明。
≪風見内閣書記官長≫
「帝国政府は、爾後(じご)国民政府を対手(あいて)とせず。」

13/5 徐州攻撃<特輯聖戦四年>   00:35
徐州へ徐州へ。鋼鉄部隊はいわゆる蒋介石ライン突破作戦を強行して、李宗仁の指揮する40万の大軍が防衛する台児荘(たいじそう)陣地を粉砕。ここに徐州平原を血潮に染めた強烈無双の大会戦の幕は切って落とされた。
世界環視の内に大作戦を終わって、寺内、畑両最高指揮官は5月25日、新戦場(要確認)に劇的会見を行う。

13/5 徐州攻略<特輯聖戦四年>   00:21
聖戦ここに1周年。蘆溝橋に端を発して、早くも北京、大同、大原、上海を収め、全支沿岸の航行手段(要確認)を敢行。南京、青島、芝罘、威海衛、厦門、徐州、安慶と日章旗翻る。

13/10 広東進撃の陸軍と漢口攻略の海軍<特輯聖戦四年> 00:27
昭和13年10月12日未明。我が南支上陸部隊は、突如バイアス湾北岸に奇襲、敵前上陸を決行して敵を茫然たらしめる。たちまち恵州を攻略し、増城を制圧。疾風枯葉を巻くが如(ごと)く21日広東に突入。ここに蒋政権が力と頼む南支輸送路の大動脈は切断されて、気息奄々(きそくえんえん)たるものあり。

13/10 武漢突入<特輯聖戦四年>  00:43
夏8月。縮小勾配の線に隊形を整えた皇軍は、いよいよ武漢攻略の壮途につき、湖口、ケンコウと揚子江を遡るとともに、江北は大別山の天嶮(てんけん)を冒し、江南、ヨウシン、徳安の堅陣をほふり、白崇禧(はくすうき)沈静麾下(きか)75万人の大軍に致命的打撃を与えて、10月27日武漢三鎮も皇軍の威武に屈服。

14/3 南昌進撃<特輯聖戦四年>   01:13
越えて2月10日。南支海南島に軍を進めた我が陸海軍部隊は、同日、海口、瓊山(けいざん)の要衝を攻略して、蒋政権をして顔色なからしめた。
一方3月20日。修水渡河に火蓋(ひぶた)をきった皇軍は、神速(しんそく)たちまちコウシンを陥れ、はんにごじょう(要確認)を蹂躙(じゅうりん)して、27日南昌に突入。
かくて(音声中断)も終わり、敵の4月攻勢を反撃して、占領地区、我が本土の2倍以上に達す。

15/3 五原入城<特輯聖戦四年>   00:33
越えて昭和15年。光栄の2600年を迎え、前線銃後一体となって長期戦に驀進(ばくしん)し、北支軍は1月末、酷寒、肌を刺すオルドスの大平原に大殲滅(せんめつ)戦を展開。
続いて2月3日。敵最後の拠点、五原に寒風をついて堂々と入城。

15/6 重慶爆撃<特輯聖戦四年>   00:24
この頃より敵はついに抗日軍再建を断念。ゲリラ戦術へと転向すれば、我が軍は敵の心臓部を一挙にたたき潰(つぶ)すべく、銀翼を連ねて遠く重慶を空襲。

15/3 南京に中央政権樹立<特輯聖戦四年> 00:18
一方、王精衛氏は南中北支の政権を合体して、ここに新中央政権の樹立を宣言。3月30日、新中国国民政府誕生し、東亜の歴史はここに和平第一歩の輝かしい第1ページを開いた。

15/6 宜昌攻撃<特輯聖戦四年>   00:36
しかも我が国はあくまで蒋政権撃滅の手を緩めず、各地のゲリラ戦術に対抗し、6月堂々敵の要衝、宜昌を攻略。
かくて第3年をかえりみるに、戦線の長さ実に4600キロ。占領地区内は建設進展目覚ましく、全滅(ぜんめつ)蒋政権の苦悩、いよいよ覆い難し。

15/7 第二次近衛内閣成立<特輯聖戦四年> 00:27
このとき、欧州戦乱は拡大の一路をたどり、これに対応する如(ごと)く、7月22日、第2次近衛内閣成立。国内新体制の確立と東亜共栄圏の理想に邁進(まいしん)。挙国一致、総力戦への熱情は大政翼賛運動の展開とともにいよいよその度合いを加え、10月12日全国代表一堂に会し、大政翼賛、臣道実践の具体的実施を協議した。

15/9 仏印進駐<特輯聖戦四年>   00:30
徹底的膺懲(ようちょう)を期して立った皇軍は、重慶への道を次々に粉砕すれば、敵はもっぱら仏印ビルマ等の第三国ルートを利用するに至り。我が軍は9月23日、幾度の炎熱を冒して、陸海空より仏印に進駐。厳重にその輸送路を遮断するに至った。

15/10 ビルマ国境爆撃<特輯聖戦四年> 00:20
秋10月、さらにビルマの輸送路を切断すべく、我が荒鷲は遠くビルマ国境にて、見事高架橋に命中弾を浴びせ、ビルマルートをして半身不随たらしめた。

15/9 日・独・伊三国同盟<特輯聖戦四年> 00:23
かくて支那事変もようやく世界戦乱の拡大とともに、内外ともに多事多端を加え、帝国は大陸作戦と平行して国際外交戦を展開し、着々勝利をおさめ、9月末、日独伊三国同盟を発表して全世界を衝撃。
(万歳三唱)

15/11 日・華基本条約締結調印式<特輯聖戦四年> 00:15
続いて11月30日。新生国民政府との間に、日華基本条約締結され、また日満支協力して東亜の安定平和に相提携して進むべき盟約は交わされた。

16/3 泰・仏印国境紛争調停<特輯聖戦四年> 01:27
また帝国は、泰・仏印国境紛争調停に乗り出し、3月11日東京において平和条約に調印。かくて帝国は東亜圏内における指導的地位を名実ともに確保した。
他方、大陸においては中支の残敵を追い、北支中原に巧妙なる捕捉大殲滅(せんめつ)戦を展開。南支沿岸の輸送路破壊に続いて、福建省に行動して、省城福建を陥れ、海に臨む一切の地域は皇軍の完全なる制圧の下に置かれるに至った。
重慶に最後のとどめをと決起した我が空軍は、あるときは嶋田司令長官の激励を胸に畳み、またあるときは銃後の熱誠を背後に勇躍征途につく、かくて瀕死(ひんし)の重慶は、我が荒鷲のために十数度にわたって連続爆撃を受け、もはやほとんど抗戦都市としての面影を失うに至った。

16/6 汪精衛首席訪日<特輯聖戦四年> 00:43
王精衛氏は、新中国主席として正式に日本を訪問。6月17日帝都に第一歩を印し、日華提携和平促進の上に重要なる足跡を残した。
ここに聖戦第4年を終わって、皇軍の威武支那大陸を覆い、インドシナの半島に及び、世界動乱の最中に処して厳として揺るがず。

支那派遣軍総司令官 畑大将の演説<特輯聖戦四年> 01:56
≪支那派遣軍総司令官、畑俊六大将≫
「現下世界の情勢は、武器を取るか取らざるかに変わらず、いずれも戦争の渦中にあり、一方においては世界の新秩序を建設せんとする国家群と、一方においてはそれを阻止妨害をせんとする国家群とが対立抗争いたしておるのであります。したがって支那事変もまた、必然的に世界戦争の一環を形成し、その事変の帰趨(きすう)はすなわち東亜民族の攻防の偉伝となるのでありまして、自主的にこの事変を戒律すべき任務を持っている皇国の責務は誠に重大であります。したがってこの派遣軍招へいもまた、この責務の重大を痛感を致している次第でございます。」

<字幕>
「海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草むす屍 我等民一億 聖戦完遂に邁進せん」

 

日本ニュース 第57号(1941年7月)9分51秒
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支那事変 四周年記念日       02:51
畑総司令官 前線を視察       00:57
テロに倒れた上海工部局赤木氏の合同葬儀<週間話題> 00:51
台湾特別志願兵制度実施<週間話題> 00:48
島根の農繁期託児所<週間話題>   00:58
上海のプール開き<週間話題>    00:35
大東亜の理想へ 興亜同盟結成    01:16
南海の宝庫 田独大鉄山       01:23

支那事変 四周年記念日       02:51
聖戦ここに4星霜。今日ぞ迎える事変記念日。暁かけて英霊鎮まります靖国の社頭は、民草の参拝引きも切らず、陸海の将兵は銃剣を捧(ささ)げて決死報国を戦友の英霊に誓い、上下一致、尽忠奉公の赤誠は、一億国民の胸に燃えて、聖戦完遂の決意をさらに新たにしたのであります。
今日の記念日を飾る、多彩な行事は全国至るところに繰り広げられ、帝都においては銃後奉公愛国大会が3万の若人を動員し、後楽園球場をうずめ尽くして盛大に挙行。及川海相の挨拶、東條陸相の講演に、銃後青少年の熱意を沸き返らせました。
勇壮な行進曲に帝都を彩る、陸軍軍楽隊120名の音楽行進は、球場前から焼ける歩道を踏み締め、沿道市民の歓呼を浴びながら靖国神社へと向かいました。
また、代々木練兵場においては、聖戦下ひとしお意義深い、全国銃剣道訓練東京大会の軍国絵巻が展開され、在郷軍人、大学、高専、中等学校、青年学校、学生生徒ら数万名を集め、実戦に最も重要な突撃精神を発揮に、力強い訓練と高らかな意気を示しました。

畑総司令官 前線を視察       00:57
畑支那派遣軍総司令官は、事変記念日も間近な6月21日、飛行機で南京を出発。最前線の軍情を親しく巡視しました。
酷暑を控えて今なお蠢動(しゅんどう)する敵軍を制圧し、東亜新秩序建設に邁進(まいしん)する将士を、将軍は心からねぎらいましたが、将軍自らの軍情視察は前線将兵の士気を強く鼓舞するところがありました。

テロに倒れた上海工部局赤木氏の合同葬儀<週間話題> 00:51
6月17日、上海工部局特別副総監・赤木親三氏は重慶側テロ団の凶弾に倒れましたが、24日、その葬儀がいとしめやかに行われました。葬儀は我が在留邦人は元より、赤城氏の仁徳に敬服せる上海全市民哀悼のうちに、我が総領事館工部局の合同をもって行われ、霊柩車を守って悲しみの遺族をはじめ、各国警察隊によって編成された葬列は、えんえん長蛇の列をなし、今さらながら故人の遺徳をしのばせるものがありました。

台湾特別志願兵制度実施<週間話題> 00:48
6月といえば、台湾の台北はすでに真夏。その真っ青な空にこだまするような喜びの声のうちに、27日、台湾特別志願兵制度実施の祝賀分列大行進が、長谷川台湾総督、本間台湾軍司令官ら臨席のもとに、総督府前の広場で盛大に挙行されました。
朝鮮に引き続いて台湾にもこの制度が実施され、ここに内外線一体の国防体制が整ったわけであります。
女学生も旗行列に祝賀の意を表し、万歳の怒涛(どとう)は台湾全島を揺るがしました。

島根の農繁期託児所<週間話題>   00:58
田んぼのそばの細道を子どもを引き連れた坊さんたちが村人の感謝に送られてお寺に帰っていきます。お寺の境内に楽しい笑顔や笑い顔。今様、良寛さまは子どもと一緒になって本当にうれしそうです。これは島根県荒島村の国生寺で開かれている農繁期託児所風景で、松江高女からの応援も加わって、和衷協同。子どもの袖をからげ、国策協力のお寺の新体制です。

(お寺の様子)

上海のプール開き<週間話題>    00:35
100度を超える大陸のこのごろの暑さはまた格別です。上海では6月の末に静安寺路の張園プールで中国映画界のスター陳雲裳を迎えて、華やかなプール開きを行いました。ビーチパラソルまで持ち出してにぎやかな張園プールには、彼女のファンはもとよりのこと、多数の河童連が繰り出して、いともにぎやかな夏の除幕式でありました。

大東亜の理想へ 興亜同盟結成    01:16
東亜の諸団体を打って一案とする、大日本興亜同盟の結成式が、7月6日東京日比谷公会堂に行われました。まず松井石根大将の誓い。

≪松井石根大将≫
「誓い。我等(われら)は大日本興亜同盟の綱領に規律し、国民の総力を結集して、挺身躬行(ていしんきゅうこう)、大東亜積年の禍根を断ち、もって共栄圏確立の天業に翼賛し、奉らんことを誓う。終わり」

次いで東洋文化の交流を促進せんとの宣言。首相代理、陸海軍大臣らの祝辞があり、大業翼賛の熱情に場内は沸き返りました。

(万歳三唱)

南海の宝庫 田独大鉄山       01:23
やしの葉茂る熱帯の島、海南島に我が国の力がおよんでから、次第に近代産業の有望資源の島として、開発と文化の光を浴びてきました。この海南島の三亜口からわずか20kmの地点にある田独に、昨年鉄山が発見され、その優秀性が認められて目下着々と採掘が進められています。
この山は表面の土を少し除くと、すぐ鉄鉱脈に突き当たり、いわゆる露天掘りと同じ条件ですが、このすばらしい条件に加えて、鉄分の含有量が非常に豊富であるという有望さ。土民たちも喜んで採掘事業に従事し、時局がら鉄鋼増産に重要な役割を果たしています。

 

日本ニュース 第58号(1941年7月)10分51秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300443_00000&seg_number=001

明治丸船内<特輯海の記念日>    00:49
岡山の海員養成<特輯海の記念日>  01:50
可愛い慰問隊 白衣勇士訪問     01:42
板垣大将 朝鮮軍司令官に 南京出発<週間話題> 00:54
日蘭会商 芳沢使節帰朝<週間話題> 00:46
岩手の農業実習で収穫<週間話題>  00:53
北京の姑娘巡査<週間話題>     01:00
更生中国に清郷運動<週間話題>   01:24
海鷲 重慶大空襲          01:24

明治丸船内<特輯海の記念日>    00:49
かしこくも明治9年7月。明治天皇、東北御巡幸の際における御召船の光栄に輝く明治丸は、今、東京高等商船学校内に係留。若き海の男(おのこ)の練成場となっておりますが、今回明治天皇横浜港着御の日である7月20日を卜(ぼく)し、海の記念日が制定され、海洋発展に拍車をかけることになりました。

岡山の海員養成<特輯海の記念日>  01:50
四面海を巡らす我が国の興亡は、海軍の発展如何(いかん)にかかっています。そのためには優れた船員を作り上げることが何より必要で、全国各地にその養成所がありますが、これはその一つ、岡山県児島海員養成所の真剣な訓練風景です。ここでは全員厳格な規律の下に共同生活を営み、航海に必要な各種の基礎訓練を行い、帝国海員としての厳しい精神鍛錬を受けます。

(訓練の様子)

大海原は我等(われら)の住みかであるとの信念の下に、常に海に親しみ、海とともに生活し、やがて7つの海へ堂々と乗り出していく日を待っているのです。
そして海軍予備員としての重任を担う彼らは、実戦さながらの壮烈な軍事練習を行って、鍛錬に努めているのです。こうして海国日本は大いなる希望に燃えつつ、海洋制覇へと力強く堂々と驀進(ばくしん)していきます。

可愛い慰問隊 白衣勇士訪問     01:42
暑い真夏の太陽が照りつける現地の海軍病院へ、ある日かわいい慰問隊が訪れました。これは上海第一国民学校の2年生3年生の代表たち。

「集合」
「礼」


≪生徒≫
「私たちの大好きな兵隊さん、ご病気はいかがですか。今日は私たちがお見舞いに参りました」

<海軍兵士>
「本日はお暑いところを、わざわざご慰問くださいまして、ありがとうございました」

(生徒と海軍兵士のふれあいの様子)

板垣大将 朝鮮軍司令官に 南京出発<週間話題> 00:54
板垣支那派遣軍総参謀長は、今回陸軍大将に進級。朝鮮軍司令官に親補(しんぽ)せられ、7月12日、思い出深い南京の官舎を後にしました。板垣大将は昭和14年9月以来、支那派遣軍総参謀長の要職にあって、西尾、畑と2代の総司令官の帷幄(いあく)に参加し、よく大陸作戦を遂行。併せて国民政府確立に力をいたした功績は大きく、南京駅頭には、畑司令官はじめ、軍官民多数の盛大な見送りがありました。

日蘭会商 芳沢使節帰朝<週間話題> 00:46
昨年の暮れ、小林前商工大臣に代わり、日蘭会商の帝国代表として重任に当たった芳沢使節は、得意の粘り強い交渉もむなしく、7月8日、神戸入港の日昌丸で帰朝しました。
越えて10日、芳沢代表は東京駅に到着。松岡、及川、秋田の各大臣をはじめ、朝野の盛んなる歓迎を受けました。同代表は、チャルダ総督との最後の会見以来、蘭印政府の態度は以前とはだいぶん変わって、日本人に対する認識をよほど深めてきたと語っております。

岩手の農業実習で収穫<週間話題>  00:53
岩手県猪川国民学校では、全校児童の手で野菜畑を作っています。食糧増産と農業実習、それに体位向上と一石三鳥の名案です。みんな非常に熱心で、平生の苦労が見事に実を結んで、こんな立派なキャベツや大根やお芋が出来ました。
採れた野菜は車に積んで、高等科児童80名が毎日替わり合って2km離れた栄町に売りに行きます。
青物不足の栄町では大喜びで小さな八百屋さんの来るのを待ちわびているという始末です。

北京の姑娘巡査<週間話題>     01:00
大陸の各地では、更生中国の息吹がいよいよ活発となってきました。これもその一つ、北京の姑娘(くーにゃん)のお巡りさんです。
訓練はなかなか厳重で、まず身体を鍛えることから始まります。
出動。
姑娘(くーにゃん)のお巡さんは命令一下、自転車を引き出し、町の各所へ散っていきます。
ここは北京駅前の検問所で、雑踏する人込みを巧みに整理し、持ち物の検査まで優しく手早くやってのけます。

更生中国に清郷運動<週間話題>   01:24
中国の粛清は中国人の手で、をモットーに、皇軍の力強い指導を得て、今大陸の各地では、目覚ましい清郷工作が続けられております。その中心勢力をなす和平建国軍の兵士たちは、警備、宣伝のかたわら皇軍有志とともに、道路や橋りょうの修理作業に当たったりしています。また我が占領地区内の掃討戦に進んで協力参加し、7月の炎熱を冒してジョウジク付近の新四軍殲滅(せんめつ)戦に出動し、理想郷の実現に邁進(まいしん)。すばらしい成果を上げております。

海鷲 重慶大空襲          01:24
事変満4カ年の記念日に当たる、7月7日を中心に、我が海の荒鷲は四川の乱雲をついて連続重慶爆撃に出動。輝く第20次爆撃の壮挙を達成しました。敵は相次ぐ我が襲撃に狼狽(ろうばい)し、死に物狂いで高角砲を打ち出しましたが、これをものともせず、我が海の荒鷲は敵の参謀本部をはじめ重要地点を徹底的に爆砕、画期的戦果を収めました。

 

日本ニュース 第59号(1941年7月)10分40秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300444_00000&seg_number=003

天皇陛下御親臨 陸軍士官学校卒業式  01:52
汽笛一斉 海の記念日         00:51
科学日本の勝利 関門隧道貫通     01:19
重光駐英大使 帰朝<週間話題>    00:43
豆債券売出に行列<週間話題>     00:37
岡山の朝鮮農業報国青年隊<週間話題> 00:53
蘭印から解放された 独婦女子神戸に<週間話題> 00:56
一千万石の増収へ 稲二期作に成功   01:00
南支部隊の自給自足<大陸だより>   02:18

天皇陛下御親臨 陸軍士官学校卒業式  01:52
陸軍士官学校卒業式は、かしこくも大元帥陛下の親臨(しんりん)を仰ぎ奉り、盛夏とはいえ、爽涼の気(そうりょうのき)漲(みなぎ)る7月18日、神奈川県座間の同校で、いと厳粛に挙行されました。
陛下には御愛馬白雪に召させられ、感激に燃えて整列する卒業生を御親閲あらせられました。
次いで陛下には、卒業式場に臨御あそばされ、卒業証書は篠塚校長から中隊長を経て授与されました。この日の光栄に若き官僚は、ひとしお感奮の思いを新たにし、皇恩の満悦に報い奉らんことを期したのであります。

汽笛一斉 海の記念日         00:51
海を制する者は世界を制す。その一億の海の子が、海国日本を称える第1回海の記念日は、明治丸ゆかりの7月20日午前10時を期して、全国を多彩な海一色の行事で飾りました。東京の月島では、村田逓信大臣も臨席して、海洋少年団員約500名が高速機動艇で海の分列式を展開したのをはじめ、さまざまの海洋競技が行われ、海洋思想鼓吹(こすい)のうちに意義深い一日を過ごしました。

科学日本の勝利 関門隧道貫通     01:19
昭和11年9月。科学日本の威力をかけて、関門トンネルを掘り進める第一の鶴嘴(つるはし)が打ち下ろされてから満5年。国宮下関工事事務所長の苦心はもとより、130万人の労力と2000万円の巨費を投じて待ちに待ったトンネル貫通の日、7月10日がきました。
午前11時。鉄道省大臣室で時の鉄道大臣、小川郷太郎氏が爆破合図のボタンを力強く押すと、帝都から走った感激の電流は関門海峡の下に伝わって、今や本土と九州を遮る最後の壁は爆破され、下関市彦島から海の底に潜り、九州の北端に抜けて本土と九州を握手させるという、この大工事はなりました。まさに世界に誇るべき、鉄鋼の廊下であります。

重光駐英大使 帰朝<週間話題>    00:43
爆撃下のロンドンから重要使命を帯びて、重光駐英大使が7月20日、横浜入港の鎌倉丸で帰ってきました。戦乱と外交戦の渦巻くヨーロッパから6年ぶりの帰朝であります。

≪重光駐英大使≫
「私は重光であります。今帰ってまいりました。」

豆債券売出に行列<週間話題>     00:37
たった1円でできる国民貯蓄、称して豆債券が7月15日から颯爽(さっそう)と登場して、町の人気を集めています。
坊やもお父さんに抱っこして「おもちゃを節約しました」と1枚申し込みました。
売り出しは豆債券にふさわしく、たばこ屋さんの店先やら街頭で行われすこぶる好評です。

岡山の朝鮮農業報国青年隊<週間話題> 00:53
農業経営にかけては全国でも最も進んだ岡山県下に、このほど朝鮮から農業報国青年隊の一行94名が訪れて、鍬(くわ)をふるい汗を流して働いています。この珍しい訪れに、横溝岡山県知事も大いに喜び、これを激励したり、働きぶりを視察したりいろいろ便宜を与えております。
この報国隊は朝鮮総督府から派遣され、内地式農法、いわゆる集約農業の美点を学びながら、銃後の労力不足も補おうというまじめな人々の集まりで、耕作や脱穀に出征軍人の家族の手助けをし、内鮮一体の国民生活を汗と鍬(くわ)の中に実現しております。

蘭印から解放された 独婦女子神戸に<週間話題> 00:56
蘭印で長い間、監禁生活の憂き目を見ていたドイツ人婦女子が、このほどやっと解放されて、続々引き揚げを開始しました。
その中の1部隊、総勢358名が、7月14日、神戸入港の浅間丸で運ばれてきました。
この大部隊はしばらく日本で、戦局の推移を見ることになっていますが、バスケットに入れられた赤ん坊も交じって、子どもばかりでも200名という避難部隊は、何か慌ただしい戦雲の舞台裏をしのばせるものがあります。

一千万石の増収へ 稲二期作に成功   01:00
福岡市街、二日市の県立農事試験場で、去年から今年にかけて米の二期作、すなわち台湾と同じように、年に2回収穫という実験が実を結びました。
7月も半ばともなれば、田の草取りに農家はいそしんでいますが、ここではその草取りを脇に眺めて、もう豊かな瑞穂(みずほ)が波を打つという、今まで内地では見かけなかった風景です。これはここの水内試験場長が、食糧増産の解決策として手をつけた実験で、昨年1年間の収穫高は反当たり、3石5斗。現在の一回作反当たり、2石3斗に比べて、約5割増収という驚異的成果を上げました。これを麦の裏作と加えれば三毛作となり、東海以西の暖かい土地には実施が可能であるとされています。

南支部隊の自給自足<大陸だより>   02:18
みんな元気ですか?お父さんもすこぶる元気ですからご安心ください。今日は南支からおいしいお便りをしましょう。
まずサイダーを作るところ。生水を飲むと伝染病にかかる危険があるので、軍隊ではちゃんとサイダーを作って飲ましてくれます。サイダーの好きなみんなは、さぞかしのどが鳴ることでしょう。支那の娘さんたちも、日本の兵隊さんに協力してサイダー作りに一生懸命です。
次にここではあんこの入ったお菓子も作っています。なかなか上手に作っているので「うまいもんだな」と褒めたら「いや私の本職はおまんじゅう屋なんですよ」と笑っていました。
「作業中喧嘩禁止」、こんな札の掛かった工場があったので、中をのぞいてみたら兵隊さんの指揮に従ってみそを作っている支那人がたくさんいました。喧嘩(けんか)の好きな人間はたいていみそをつけるから、みんなもよく注意しなさい。ところでみんなはおみその作り方を知っているかしら。豆をふかして、麹(こうじ)と塩を入れてかき回していると立派なおみそになってしまうのです。戦地のみそ汁の味はまた格別です。
こうして我々はいろんな生活に必要なものを自分で作り、なるべく銃後の血と汗の結晶である追送品を遠慮して、長期戦下、軍の生活方針を確立しようとしています。みんなも体に注意してよく勉強し、お母さんに心配をかけないようにしなくてはいけません。ではまたさようなら、父より。

 

日本ニュース 第60号(1941年7月)10分45秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300445_00000

豊田新外相各国使臣と会見        02:10
ルーズヴェルト大統領独立祭の演説    00:44
日本医科大学生診療報国隊の活動<週間話題> 00:52
宮城県下に国学院大学生の慰問<週間話題> 00:41
千葉で藻の増産<週間話題>       01:00
北支五省で華北電影巡回映写<週間話題> 00:45
聖地に集う数十万五台山開廟大会     01:16
上海戦跡めぐりその1          03:08

豊田新外相各国使臣と会見        02:10
国際情勢複雑にして微妙な動きを見せている折から、豊田新外務大臣は7月25日、外相官邸に各国使臣を招き、就任の挨拶を述べました。まず現れたクレーギー・イギリス大使は、日英通商条約廃棄通告を翌26日に控えての初会見。駐日以来9年、外交界の長老グルー・アメリカ大使が現れました。アメリカ時間で言って、同じ25日に発表された日本の在米資産凍結令や、26日発表されたフィリピン軍をアメリカ軍に編入するとの報告を、どのような感慨をもって眺めているでありましょうか。次いで、スメターニン・ソ連大使。独ソの開戦以来すでに1ヶ月。この間、あまり表面に姿を現さない大使ではあります。日仏印共同防衛という、東亜共栄圏確立の上に重大な意義をもつ了解が、ついに成立を見るに至ったのは、7月26日であります。アンリー・フランス大使の責務は、蓋(けだ)し大なるものがあります。数日後、誓いも固くドイツと共に戦うイタリーのインデリ大使。最後に戦勝の意気に燃えるオットー・ドイツ大使がおなじみの顔を見せ、豊田新外相と歓談しました。かくて外相は、在京の外国大公使35名に就任の挨拶を終わり、いよいよ困難なる外交戦に乗り出しました。

ルーズヴェルト大統領独立祭の演説    00:44
ルーズヴェルト・アメリカ大統領は、アメリカ独立記念日の7月4日、ハイドパークの同私邸内図書館から全米に向かって放送しました。その放送の中に曰く「我々は国歌と国旗に向かって偉大な誓いを繰り返す時、我々はその義務と意志に忠実であらねばならぬ。必要とあらば我々の生命を捧(ささ)げるべきである」。この演説の直後7月7日には、突如としてアイスランドに進駐を完了しました。かくて今次の対日経済圧迫施策の展開を見るに至り、太平洋に、大西洋に、その動向はきわどい瞬間を目指して進むかのごとくであります。

日本医科大学生診療報国隊の活動<週間話題> 00:52
医者にも薬にも恵まれぬ医者のいない村へ、今、全国の医学校・学生を動員して、無医村診療報国隊が送られています。この診療隊の活躍ぶりを医学博士の肩書きをもつ文部大臣の橋田さんが、親しく視察しようと雨上がりの7月24日、まず東京府下南多摩郡由木村(ゆぎむら)へ出かけて行きました。ここでは日本医大の学生16名が、村人の感謝を浴びながら健康日本の建設に尽していますが、橋田さんは専門の知識を傾けて教えたり激励したりしました。

宮城県下に国学院大学生の慰問<週間話題> 00:41
これは国学院大学学生有志、三人一組の地方慰問隊。診療報国隊に対して、文化面から翼賛の誠を捧(ささ)げようという紙芝居組で、宮城県下に出かけて頭脳的に鍛錬の夏を頑張っています。

千葉で藻の増産<週間話題>       01:00
昆布や天草など、我々の生活に役立つ海草類も、石灰藻類(せっかいそうるい)やトラノオなどという外敵にあうと次第に荒らされてしまいますので、こうした外敵を削り取って有用海草の増殖をはかるために岩面掻破機という、いわば海岸用のほうきが発明され、今、農林省を中心に全国の海岸で雑草の掃除を進めています。これはそのうちの一風景。千葉県江見海岸の清掃作業ですが、こうして滑らかにされた岩の表に昆布や天草を植え付け、水面から5~6ヒロ(尋)のところまで潜水服で潜って、この作業を行います。やがて海の中に立派な海草の林ができるようになれば、アジ、タイ、アワビなどがここに集まり、沿岸漁民にとっては非常な利益となることが期待されています。

北支五省で華北電影巡回映写<週間話題> 00:45
北支五省の町や村。そこにはいまだに文化の流れからほど遠く娯楽と名づけるに足るものを知らないところがたくさんあります。その町や村へ今度、華北電影の手で組織された巡回映写班が、映写機と映写幕をトラックに詰め込んで今、巡回しています。文化の光に恵まれぬ町や村、その中には汽車さえ知らぬところがあるのですから、ましてや映画は驚くべき不可思議です。その不可思議を持ちまわって宣撫(せんぶ)工作を続ける映写班の人たちはそれだけに楽しみもあり、悪天候や悪路にも耐えていかれると張り切っています。

聖地に集う数十万五台山開廟大会     01:16


北支那山西省の東北方、5つの峰よりなる五台の聖地は我が皇軍の心からなる治安確保によって無事に守られていますが、陰暦の6月1日(いちじつ)、全国より集う善男善女、数10万参会のもとに、第2回五台山開廟大会が盛大に催されました。東台、南台、西台、北台、中台(ちゅうだい)よりなるこの五台のうちで、中台は一番高く、海抜3040メートルといわれ、五台内外の寺院の数は300あまり、その僧侶の数は1000余名。全会期1ヶ月、この間、種々の行事が連続的に行われ、そのうちの菩薩頂の長期の行事は、最も異色ある催しであります。実に五台山開廟大会は支那随一の盛大なる廟会(びょうえ)であります。

上海戦跡めぐりその1          03:08
昭和12年8月、盧溝橋一発の銃声が起こってより1ヶ月、暴戻なる支那軍の凶弾に我が大山海軍大尉倒れ、戦禍ついに上海に及ぶ。かくてここに4星霜(せいそう)、今は皇軍の威武(いぶ)の元に大上海は治安を回復したりとはいえ、興亜の宣揚に散った我が勇士たちの思い出は、夏草茂る新鮮場に熱い感謝の念を禁じえないものがあります。

《バスガイド》
「皆さま、大変お待たせいたしました。これからご案内申し上げます上海郊外には、先の上海事変、今度の支那事変に、我が皇軍の勇姿の肉弾あいうち、激しい戦いをいたされた箇所が随所にあるのでございますが、本日はそのうち、特に有名な箇所だけをご案内申し上げます。
皆さま、右手の建物が陸戦隊本部になっております。ご正面には(音声中断)御紋章がございますから、通過の際は御敬礼を願います。シソウハタアのサンカンクン建物の屋上には軍艦旗が翩翻(へんぽん)と翻り、八万在留邦人の守りとしての力強さを示しております。本事変におきましては、敵集中射撃の目標となりましたため、建物には当時をしのぶ無数の弾痕がございますからご注意くださいませ。
皆さま、向こうに見えます煙突が日本人墓地でございます。本事変におきましては、我が陸戦隊の手によって日々、生かされました陣地の一つでございまして、当時陸戦隊の勇士があの煙突の内側をのぼり、煙突から首を出して敵陣を視察したことで有名でございます。この向こう側、閘北(ざほく)一端、最も激戦の展開された地域でございます。商務印書館、上海駅、鉄路管理局、四行倉庫など最も頑強な敵陣地でございました。
皆さま、こちらが八字橋(はちじきょう)でございます。先の上海事変には、我が陸戦隊の激戦地として有名でございます。本事変におきましても、不思議にもまた歴史的戦場となったのでございます。当時、戦いがどんなに激しかったかは、当時○○部隊長は「最後の一兵は、機銃と弾薬をこのクリークに捨てて死ね」という悲痛極まる命令を発せられたことでも、伺われるのでございます。あのいちょうの木は、最初、我が軍が偵察に使っていたのだそうでございます。なお、当時の戦況におきましては、あちらの立て札に詳しく書いてございますから、どうぞご覧下さいませ。」

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