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2017年1月 9日 (月)

日本ニュース 戦争証言アーカイブス 第61号(1941年8月)〜第80号(1941年12月)

 特に1945年8・15までの映像は、大本営発表で検閲済み国策映像。ただし、これはこれで当時の空気を想像・実感するのに役立つ貴重な資料映像です。すべてリンクと再生テキストを資料保存しておきました。なおリンク先ではすべて映像を見ることができます

 

日本ニュース 戦争証言アーカイブス
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi

日本ニュース一覧
「日本ニュース」は、太平洋戦争を間近に控えた1940年(昭和15年)から終戦をはさみ、1951年(昭和26年)まで制作されたニュース映画です。制作したのは、「日本映画社」(※)で、1940年にそれまで4つに分かれていた新聞社や通信社のニュース映画部門を国策により統合したものです。
戦時中の「日本ニュース」は、日本軍や内務省の検閲を受けた後、毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。テレビがない時代、国民は「日本ニュース」が伝える真珠湾攻撃や特攻隊出撃、学徒出陣の様子を映画館で目にしたのです。
「日本ニュース」は、戦争完遂を目的にした国策映画ですが、太平洋戦争中の映像記録として大変貴重なものです。「戦争証言アーカイブス」では、1940年(昭和15年)の第1号から、戦後も含め、1948年末までのものを公開しています。

※(1941年5月までの会社名は「日本ニュース映画社」)
※日本ニュース戦後編の再生テキストは、国立歴史民俗博物館の協力で作成しています。

 

1941年8月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19418

日本ニュース 第61号(1941年8月)9分55秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300446_00000&seg_number=006

大本営で増駐発表<皇軍仏印増駐> 01:07
大輸送船団<皇軍仏印増駐>    00:43
サイゴン河を行く<皇軍仏印増駐> 01:23
西貢入港<皇軍仏印増駐>     01:34
精鋭部隊上陸<皇軍仏印増駐>   00:34
機械化部隊を閲兵する飯田指揮官<皇軍仏印増駐> 02:01
空から荒鷲の進駐<皇軍仏印増駐> 01:13
西貢市街風景<皇軍仏印増駐>   01:06

大本営で増駐発表<皇軍仏印増駐> 01:07
昭和16年7月26日、日本仏領インドシナ共同防衛の取り決めに引き続き、7月29日、我が陸海の精鋭を南仏印に増派の旨、馬渕大佐によって発表。

<<馬渕大佐>>
「大本営陸海軍部発表。7月29日20時。帝国と仏国との間に今般成立せし、仏印仏領インドシナに関する共同防衛の取り決めに基づき、7月29日我が陸海軍部隊をついに増派せられたり。」

大輸送船団<皇軍仏印増駐>    00:43
その日南シナ海の波穏やかに、仏印防衛の重要任務を担ってひたすら進むわが平和の前進、大輸送船団は、午前9時早くもその威容をキャップサンジャック岬の沖合に現す。この大船団を守って、世界の荒波を蹴たてるがごとく進むは、我が厳然たる海の護り(まもり)、舳艫相銜(じくろあいふく)んで鉄壁の陣を進める。

サイゴン河を行く<皇軍仏印増駐> 01:23
右手に最後の防衛の第一線サンジャック砲台を臨みながら、陸海協力の大船団ならびに護送艦隊は、サイゴン河を一路さかのぼって東洋の小パリ、サイゴンへ進む。そのとき、我が海の荒鷲も鵬翼(ほうよく)を連ねて飛来、あるいは高く、あるいは低く、その戦艦の大編隊を空から迎える。突然、南海名物のスコールがやってくる。このスコールをくぐって目指す東洋の小パリは指呼の間(しこのかん)にある。思えば我が国が北部仏印に歴史的平和進駐を行ってよりおよそ1年。今ここに南部仏印の中心地サイゴンを見る。かつて北部において得たると同じ熱烈なる歓迎を、安南人は我らの雄姿に寄せれば、蓑田総領事をはじめ200余名の在留邦人は、手に手に日章旗を打ち振りながら押し寄せる。

西貢入港<皇軍仏印増駐>     01:34
欧米勢力も圧迫に抗してインドシナの一角に毅然として守り続けた帝国臣民の、今ぞ巡り会うこの喜びはいかばかり。邦人の歓呼にこたえて最高指揮官飯田祥二郎陸軍中将は、柔和な微笑を浮かべながらいちいち挨拶をおくる。

かくて歓喜に溢れる在留邦人は、船から船へ民一億に代わって感謝を伝えていく。

精鋭部隊上陸<皇軍仏印増駐>   00:34
7月30日午後4時、仏印側から仏領インドシナ軍司令官代理参謀長アレクサンドリー大佐、コーチシナ総督代理ルヌー氏、極東艦隊司令官代理ビシェラル大尉、コーチシナ地区師団長代理ポルタニエ中尉らが、我が軍指令部船を訪れ、極めて友好的雰囲気のうちに飯田最高指揮官以下との間に挨拶を交換。

機械化部隊を閲兵する飯田指揮官<皇軍仏印増駐> 02:01
ここに我が精鋭の上陸準備は開始され、市民の賛嘆を集めて整然たる秩序と近代機械化部隊の威容を示して埠頭に整列。
かくて英気颯爽(さっそう)。軍旗を先頭に、すでに南海を飲むの慨ある上陸部隊は、陸続と自動車の列を連ね、新鋭銀輪(ぎんりん)部隊これに続き、快足また快足、市中に向かって行進を開始。
緊張のうちに、平和進駐の喜びをたたえて、部隊長の閲兵を受ければ、厳然たる軍律に一糸乱れぬ皇軍の威容を初めて目の当たりに見る安南人の群れは脅威の目をみはりながら、心からなる信頼を寄せて慕いよる。

空から荒鷲の進駐<皇軍仏印増駐> 01:13
陸軍部隊の海からのサイゴン上陸と時を同じうして、海の荒鷲が空から平和進駐。31日朝、基地を離れた航空隊の精鋭は快晴に恵まれた南シナ海を横断。シマザキ隊長機を先頭にサイゴン付近の飛行基地に着陸。堂々たる空軍の陣容を示す。ここにわが陸海軍増派は、在留邦人の感激と安南人の感謝に包まれながら、仏印防衛の第一段階を無事に終了した。いまや英米を中心とする民主主義国家群は、あるいは蘭印、あるいは豪州と結んで、聖戦完遂の理想に邁進(まいしん)する我が国を包囲せんとするがごとき体制を示している。

西貢市街風景<皇軍仏印増駐>   01:06
このときにあたって今回の平和進駐は、あくまで自らを頼む確固たる皇国の決意を世界に物語るものであり、同時に我が国が衷心(ちゅうしん)より世界平和の将来を望むがゆえに行われたものである。人口18万、サイゴン河の流れにヨーロッパの文明を映すサイゴン。灼熱の太陽のもとに明けては暮れていくカンボジアの平原。その平和こそは皇軍の堅き防衛によって守られ続けるでありましょう。

 

日本ニュース 第62号(1941年8月)9分44秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300447_00000

天災に抗して食糧確保へ邁進天災に抗して食糧確保へ邁進 02:32
千葉浦安海岸での貝の増殖<週間話題>  00:59
南京の移動学園<週間話題>       00:55
知多半島の鮫漁<週間話題>       00:48
陸鷲延安大空襲             01:25
快速部隊と渡河部隊<南仏印へ進駐完了> 02:03
陸海最高指揮官西貢総督を訪問<南仏印へ進駐完了> 00:54

天災に抗して食糧確保へ邁進天災に抗して食糧確保へ邁進 02:32
<<井野農林大臣>>
「我が国は今、未曽有の重大な時に向かっています。我々国民は銃後の守りとして、一番大切な食糧の増産を、石にかじりついても成し遂げねばならんのであります。今や農村には増産熱が燃え上がっております。この労力や肥料の十分でない時に、一粒でも多くとるために、老いも若きもみな力を合わせて、田植え、草取り、虫退治をいたしております。」

井野農林大臣の言葉のごとく、今年は雨が多く気候不順であるにも関わらず、農村は増産に向かって懸命の努力を続けていますが、ここに恐るべきものは「稲熱病(いもち)」の発生であります。「稲熱病(いもち)」という稲の病気は、稲に対して非常な災害を与えます。農林省ではこの病気の発生を早く知るために、風に乗って散乱する「稲熱病(いもち)」の胞子を捕らえる胞子採集器を、今度初めて全国各地に設備しました。集められた胞子は農事試験場に送られ、顕微鏡によって「稲熱病(いもち)」の発生状態を早期に発見します。その結果、「稲熱病(いもち)」の被害が予想される地方ではボルドー液を散布し、これが予防に全力をあげて努めます。また、「稲熱病(いもち)」に劣らぬ災害を与えるものに「浮塵子(うんか)」があります。うんかのごとき、という形容詞もあるほど、無数に群がり集まって稲を食い荒らすので、石油を田んぼに撒(ま)いてよくかき回し、恐ろしい被害を防がなければなりません。そして「浮塵子(うんか)」の発生状態は、誘蛾灯を設けてあらかじめ知っておく必要があります。

<<井野農林大臣>>
「また都会の方々も、お米を作るにはこんな苦心のいることをよ-く理解していただいて、一粒でも無駄のないようにご協力をお願いいたす次第であります。」

千葉浦安海岸での貝の増殖<週間話題>  00:59
これはザクザクと船につぎ込まれた無数のあさりの種付け作業。ようやく本格的な夏を迎えた8月6日の朝、農業に用いられる大型トラクターが所もあろうに千葉県浦安の浅い海の中へ下ろされました。東京から流しだされる有害物と地盤の沈降でコチコチになった海底を、引き潮を利用して耕し、きれいな海水を呼び寄せて、ここにあさりやはまぐり、海苔などを植えつけようという計画です。浦安から船橋にかけて約700町歩がその計画地。完成の暁には73万円増産の、名づけて豊国漁場が出現します。

南京の移動学園<週間話題>       00:55
町の通りを流れいく鐘の音を聞きつけて、飛び出しては集まってくる南京の子どもたち。そうして町の角の涼しい木陰にいつのまにか青天井の学校ができました。椅子を小脇に抱えてここに集まってきた子どもたちは いずれも学校に行けない貧しい気の毒な子どもばかりです。この子どもたちのために中国社会事業協会がこの通り移動学園を南京だけで10作りました。二人の先生がひと組になって、学科や唱歌、体操と、一通りの事は教えてくれるのです。この楽しい学校の生徒たちは南京だけで2000人。上海その他6つの都市で、次の支那を担う若い命が一生懸命勉強しています。

知多半島の鮫漁<週間話題>       00:48
真夏の朝風を切ってポンポン漁船の一隊が、愛知県知多半島の突端から太平洋に乗り出しました。この小さな漁船の一隊は、知多半島の近くに遊弋(ゆうよく)する鮫(さめ)の大群を狙っての出動です。このあたりに住む鮫(さめ)のために、今年になってから相当の犠牲者が出ましたので、その弔い合戦を兼ねて、かまぼこ、靴、がま口の原料を得ようというわけ。この日は2間半の大鮫(おおざめ)を入れて30尾(び)あまりを獲りました。

陸鷲延安大空襲             01:25
大陸の空は渦巻く白雲と共に明け渡る、我が陸の荒鷲部隊、英気を蓄えてここに訪れ来たった絶好の飛行日和、8月4日の朝である。莞爾(かんじ)として愛機に乗り込んだ小川部隊長の指揮する空の精鋭、坂口、別府、濱野、石橋の各部隊は、明け渡る空に渦巻く積乱雲をついて勇躍基地を出発。目指すは抗日共産軍の首都延安。まさに一昨年の秋以来、2年ぶりにお見舞いする巨弾の急襲である。
延安上空、正確無比の我が巨弾の雨は、次々に延安場内外の軍事施設、飛行場に命中。いまやこれらを完膚なきまでに粉砕して、全機悠々、鵬翼(ほうよく)を連ねて帰還したのであった。

快速部隊と渡河部隊<南仏印へ進駐完了> 02:03
南仏印に歴史的上陸を完了した我が精鋭部隊の一部は8月2日、焼けつく南国の熱風をついてカンボジアの大平原をまっしぐらに、快速自動車の列を連ねての進駐を開始。

ゆくゆく椰子の葉陰にしばしの休息を求め、昼飯をしたためます。さらに進んでカンボジアの沃野(よくや)を横断するメコンの流れを秩序整然と渡ります。かくしてこの大部隊の渡河(とか)も次々と見事に終了。息つく暇も無く隊列を整えて目的地への行進に移り、南国情緒豊かな大平原をひた走りに、落ちる夕陽のかなたへと、西へ西への進駐が続きます。かくて沿道住民の感激を集めつつ、目指す要衝に到着。ここは古くより絢爛(けんらん)豪華な文明を誇る仏印有数の旧都で、カンボジア人は初めて見る盟主日本の堂々たる威武を目の当たりにし、感激して将兵を迎えます。

陸海最高指揮官西貢総督を訪問<南仏印へ進駐完了> 00:54
一方8月4日、サイゴンにおいて飯田陸軍最高指揮官は仏印側の来訪に応え、スコールをくぐってコーチシナ総督リボアール氏を公式訪問しました。また同じ日、新見海軍最高指揮官は、官邸においてリボアール総督をはじめ、仏印海軍司令官ベランジェ少将、陸軍司令官代理サベテーエ大佐の来訪を受け、皇軍進駐に関する仏印側代表の正式挨拶を受け、友好的会談を遂げました。

 

日本ニュース 第63号(1941年8月)9分37秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300448_00000&seg_number=006

興亜への協同新聞記者大会       01:38
軍旗飜る炎熱の南仏印         01:19
南支陣中野戦料理<週間話題>     00:54
静岡伊東沖で海を学ぶ生徒<週間話題> 01:02
長野万座で熊笹の実を食料に<週間話題> 00:43
残敵を急追掃蕩戦展く         01:16
海鷲重慶連爆             02:35

興亜への協同新聞記者大会       01:38
東亜弁論界の代表が一同に会して、意見を戦わせる歴史的な催し、東亜新聞記者大会は8月4日から1週間、中国革命の発祥地、広東の中山記念堂で開かれました。日本から23名、中国から50名、満洲国から7名、合計80名の代表者が出席。国民政府からは特に汪主席が林宣伝部長らを従えて大会に乗り込みました。林伯生(りんはくせい)氏の開会の辞をもって大会の幕は切って落とされ、汪主席の特別訓示をはじめ、終始真剣なる態度をもって東亜共栄の実践方法を協議し、東亜新秩序を建設のうえに幾多の大きな収穫をあげました。大会第4日には中山記念堂前広場において、新中国建設の意気軒昂(いきけんこう)たる中国童子軍を汪主席自ら閲し、その前途を祝いました。

軍旗飜る炎熱の南仏印         01:19
南国の強烈な太陽に照り映える壮麗の王宮と仏教文化の精髄を誇る寺院の屋根。南仏印に名だたるこの町は幾度か兵火を被り、インドシナ民族と興亡を共にしてきましたが、8月7日、小林部隊の堂々の進駐によって町の姿にも僧侶の足取りにも、何かしら新しい時代が感じられるのでありました。かくて8月8日、先遣部隊に引き続き、燦(さん)として輝く軍旗を迎えて、ここに堂々の入城式が行われました。小林部隊長の閲兵を受けながら、都大路をわが飛行部隊が厳然たる軍律のもとに軍列を開始すれば、住民の皇軍に対する信頼はますます強まっていきます。南仏印の旧都に歴史的進駐を終えた小林部隊長は、9日午前10時、進駐部隊の一部を伴って、フランス無名戦士の碑に詣で、第一次世界大戦のみぎり、祖国に命を捧(ささ)げた人々の冥福を心から祈りました。

南支陣中野戦料理<週間話題>     00:54
(南支)
南支の炎熱はことのほか厳しく、その中にあってわが皇軍の勇士は、警備に掃蕩(そうとう)に休みなき日を送っています。これは悠々たる将兵の陣中風景で、敵陣を眼前にして野戦料理の準備です。もうすっかり料理の手際も板につき、自給自足の素晴(すば)らしい生活ぶり。大地も焼ける8月の炎熱の中に、明日の戦いを控えて、緊張のうちにも頼もしい休息のひとときを過ごす我が精鋭の姿であります。

静岡伊東沖で海を学ぶ生徒<週間話題> 01:02
(静岡)
海国日本の少年は、まず海を科学的に知らねばならぬと、夏休みを利用して海に乗り出した少年の一隊が船の甲板を教室にして、まるで水産試験場の技師のように、水の温度やプランクトンの分布状態を調べています。これは温泉で名高い伊豆伊東の東国民学校の生徒たちで、将来一人前の漁師となったときに漁場を知るための修練です。また、この生徒たちは河童も顔負けするほどの水もぐりの達人ぞろいで、今まで海の雑草として省みられなかったカジメ獲りをやっています。男の子が潜って取ったカジメを、女の子が磯に並べて乾かし、やがて精製して昆布と同じような栄養価をもつ代用食として登場するはずですが、廃品利用の有効な勤労奉仕として好評です。

長野万座で熊笹の実を食料に<週間話題> 00:43
(志賀高原)
海抜2000メートルにもおよぶ志賀高原の万座温泉に、50年に一度咲くという熊笹の花が咲き、その実が結んで小麦とほとんど同じ成分を持っているというので、食糧報国会が中学生を動員して採取に乗り出しました。800町歩の笹山から1坪1升として2万5千石が取れるわけで、ふもとの須坂村ではこれをひいて粉にし、パンやせんべい、さてはだんごまで作っていますが、鈴木長野県知事も視察激励に乗り出して、食糧報国におおわらわです。

残敵を急追掃蕩戦展く         01:16
8月はじめ南支河源付近に討伐の軍を進めたイワサ部隊の精鋭は、焼けつく熱風をくぐり、猛然として頑敵の正面に攻撃の砲火を集中。

さすがの敵も我が猛攻に耐えかねて動揺の色を示せば、我が軍は一斉に立って突撃を敢行。完全にこれを撃滅して大の戦果を収めました。

海鷲重慶連爆             02:35
<<隊長>>
「ここはまだ、相当向こうは重要視しているところであるから、それを今日は潰してしまう。今言われたように、一中隊がこの町の中、これはこの真ん中へ、兵備司令部。それから憲兵司令部、二つちょっと北側に県政府、そういうような重要な政府機関がたくさんある。これを潰す。二中隊は北側のこの碼頭(まとう)、それから桟橋、この河口にいっぱいジャンクがついてるからこれを潰す。」

四川の空晴れて、重慶は絶好の空襲日和。8月8日以来、我が海の荒鷲の連日連夜の爆撃に、抗日の牙城(がじょう)、気息まさに奄々(えんえん)たるものあり。今日もまた重慶は快晴、さればとばかり腕に覚えのある海の荒鷲は、折から航空基地視察に訪れた嶋田支那方面艦隊司令長官の激励を背に受けて勇躍基地を出発。
目指す首都、重慶近し、我が荒鷲は悠然部署につく。(音声中断)

<兵士>
「けいかーい(警戒)」

(音声中断)重慶上空に達するや、巨弾の雨が轟音(ごうおん)をあげて市内の各所に炸裂(さくれつ)。しかも今や敵、防空砲火は全く沈黙。蒋政権没落の前夜を思わせるものあり。

 

日本ニュース 第64号(1941年8月)9分13秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300449_00000&seg_number=007

緊張の米国に野村大使は語る   02:13
南仏印に陸海指揮官会見     00:54
仏印に散華した友を弔う<陣中通信> 00:51
中支海軍飛行基地<陣中通信>  01:19
南支鉄道の復旧作業<陣中通信> 00:46
仏印進駐の永沢部隊<陣中通信> 00:56
江上飛行隊 景徳鎮急襲     02:05

緊張の米国に野村大使は語る   02:13
戦争参加一歩手前のアメリカにあって、一億国民の輿望(よぼう)を双肩に困難なる外交折衝の重任にあたる我が野村大使は、マイクを通して次のごとく最近のアメリカの動向を語り、国民の奮起を要望しました。

<<野村大使>>
「私はこの2月11日紀元節に華府(かふ)へ到着したんであります。到着後のアメリカの状況は、だんだん国防の充実、対英援助という方面に熱が高まってまいりまして、最近ではますますこの国防の方に力を注いでおりまして、あるいは近い将来に参戦するかとも言われております。日本に対しましては私が参った頃はやはりいろいろの懸案もありましたが、だんだん最近の状況は日本が枢軸国の一員たる関係上、アメリカの戦備の向上と共に、日本に対しては相当風当たりが強いのであります。内地においてもいろいろ内外の事情が緊迫しておって、ますます挙国一致、奮闘努力を要する時と思いますから、皆さまがますますご自重ご健康のほどは、ワシントンから切に祈って止まぬ次第でございます。」

南仏印に陸海指揮官会見     00:54
陸上部隊に引き続き我が艦隊は11日、サイゴンに入港。翩翻(へんぽん)と大軍艦旗を南の風になびかせておりますが、12日朝、仏印派遣軍指揮官飯田陸軍中将は、帝国軍艦に海軍最高指揮官を訪問。仏印共同防衛に関する重要協議を行いました。南方問題に関連して、英米のデマ宣伝いよいよ盛んなる折から、大亜細亜共栄圏を守る我が陸海軍は厳然として皇軍の威容を内外に宣揚すると共に、現地両将星のこの会見によって今後の情勢に即応する万全の対策が確立されたものと信ぜられます。

仏印に散華した友を弔う<陣中通信> 00:51
(仏印)
7月30日、爆弾を抱いて北部仏印と支那との国境に自爆散華(さんげ)し、護国の神となった松村大尉、上原曹長の英霊を弔うべく、僚友、スズキ中尉とタニ中尉は心づくしの花束を積んで両勇士自爆の地に向かいました。ここに在りし日の戦友の武勲をしのび、その冥福を祈るとともに、仇敵(きゅうてき)撃滅、聖戦完遂の誓いをいよいよ固くしました。

中支海軍飛行基地<陣中通信>  01:19
(中支)
重慶連続爆撃の歴史的偉業を完成した海の荒鷲、地上部隊の悠々たる陣中風景。さて、何を始めるのでしょう。

南支鉄道の復旧作業<陣中通信> 00:46
(南支)
炎熱実に130度、南支那の前線にも営々として建設の難事業が続けられています。これは暴虐支那軍の破壊した鉄道の復旧作業で、新しく建設するとほとんど同じ苦心が払われております。我が鉄道部隊の勇士は夜に日を継いで工事に従い、今は平和にかえった広東を基点に遠く前線へと鉄路は伸び広がり、南支の住民からも非常に喜ばれております。

仏印進駐の永沢部隊<陣中通信> 00:56
(仏印)
南仏印に進駐して臨時兵舎に入った我が永沢部隊の陣中生活のお便り。お行儀よく並んでいただくのは、お菓子ならぬ苦いマラリアの予防薬です。毎朝の体操もこの通り、そろって元気よくやっています。どんなに暑くても訓練は厳重で、土人たちの目を見張らせています。また自転車の手入れも暇暇(ひまひま)に行われますが、これも命令一下、てきぱきと片付けます。なにぶん猛烈な暑さですから、お洗濯はどっさり。そうしてドラム缶のお風呂に入って、一日の汗を流すのはなかなかよい気持ちです。

江上飛行隊 景徳鎮急襲     02:05
海軍江上飛行隊の精鋭は8月の熱風をついて、連日、湖南及び江西に出動。第9戦区の敵陣を猛爆しつつありますが、地上整備員は大地も焼ける猛烈な暑さにもめげず、整備作業に余念もありません。整備を終われば早くも出動。滔々(とうとう)たる揚子江の濁流に愛機を引き入れ、今日もエンジンの調子はよしと、乗組員の武運を心から祈ります。かくて峨々(がが)たる山岳を眼下に再建途上の敵陣目指して堂々と進撃。ゆくゆく江上の敵ジャンク軍に機銃掃射を浴びせ、これを覆滅。さらに進んで敵の要衝、景徳鎮の上空に迫り、兵器工場、軍需品倉庫に巨弾の雨を降らせ、その抗戦力に致命的大打撃を与えました。

 

1941年9月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19419

日本ニュース 第65号(1941年9月)9分22秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300450_00000&seg_number=001

注目の米国から若松公使帰朝     01:23
泰・仏印国境劃定委員会       00:57
前線へ慰問袋を<週間話題>     00:27
千葉で木炭製造機械化<週間話題>  01:21
安南で鉄舟部隊の猛演習<週間話題> 01:00
中支の猛牛園田部隊<週間話題>   01:22
陸鷲自流井爆撃           01:23
長江船団に見事必中弾        01:20

注目の米国から若松公使帰朝     01:23
8月30日朝、波高き太平洋を越えて問題のアメリカから、若杉特命全権公使が横浜に入港。次のごとく語りました。

<<若杉特命全権公使>> 
「野村大使は非常にお元気で、日夜国情を憂いられて非常な勉強を続けておられます。この2月に着任されましたときよりも、現在ではむしろ健康状態はおよろしいように見受けられるぐらいであります。また、在米の在留同胞は、時局のためにかえって決心を固められまして、みんな元気でよく腰を落ち着けて、落ち着いております。」

泰・仏印国境劃定委員会       00:57
皇軍の進駐によって平和の機、漲るサイゴンの市庁で、8月21日、第一回泰・仏印国境確定委員会が開かれました。この日、日本側からは矢野委員長をはじめ、井上総領事、馬奈木、岩橋、池田の陸海軍各議員、泰側からはルアン・シッド・サヤマカーレ主席以下の各委員、仏印側からはド・ランス主席以下の各委員が出席。帝国矢野委員長が議長席に着いて、ここに東亜安定の重要会議は幕を切って落としました。かつてインドシナ半島をめぐる紛談(?)は、我が帝国の調停によって解決の途につかんとしております。

前線へ慰問袋を<週間話題>     00:27
(東京)
前線の兵隊さんに慰問袋を送れ、と叫び続けて先頃亡くなった長谷川時雨さんの遺志を継ぎ、輝く部隊が総動員、たくさんの慰問袋を作り上げました。これに呼応して全国からも続々集まり、その数5000個にものぼりました。

千葉で木炭製造機械化<週間話題>  01:21
(千葉)
9月1日からガソリンの徹底的な消費節約が行われることになりましたが、これは実験の結果、自動車の代用燃料として一番良いという木炭の製造です。従来の製炭法とは異なって、いわば炭焼きの機械化とも言うべく、熱風を送り込んで木材を乾留、すなわち蒸し焼きにするという仕組み。さらに注目すべき点は、これまでの炭焼き法では得られなかったタールと木搾液(もくさくえき)が取れることであります。しかも、いままで3日ないし1週間かかったものが、わずか36時間でできあがり、労力の点から言っても大助かりです。東大三浦教授の指導の下に、千葉県下の同大学、演習林でのこの実験が素晴(すば)らしい成績を収めましたので、近く工業化されて大量生産に乗り出すことになりました。

安南で鉄舟部隊の猛演習<週間話題> 01:00
(仏印)
ここは南仏印メコンの流れに注ぐ一支流、その要衝に堂々の進駐を完了した我が山田部隊の勇士たちは、休む暇もあらばこそ鉄舟(てっしゅう)を操っての機甲演習を開始します。両岸に 見慣れぬ熱帯植物がうっそうと繁茂する南国の濁流に舟を操ることは、なかなか容易ではありません。我が勇士たちは、まずこの狭い流れで十分に訓練を積んだ後、やがてメコンの大河を征服するんだと張り切っています。この珍しい訓練振りを、岸に立ち、あるいは小船を浮かべてうち眺める安南人は親しみを込めて我が勇壮なる鉄舟部隊の行進を見守っております。

中支の猛牛園田部隊<週間話題>   01:22
(中支)
猛牛園田部隊の精鋭は、絶え間なき戦闘の合間にも灼熱の大地を蹴って、実戦に劣らぬ壮烈なる本格的訓練を重ねております。まこと、我が鉄牛の進むところ、何者もこれを阻むものなく、名実共に無敵部隊の名を欲しいままにしております。

陸鷲自流井爆撃           01:23
空爆日和は訪れたり、8月17日、我が陸の荒鷲、小川、坂口、別府、高橋の各部隊は、はるか四川の空を望んで勇気いよいよ100倍。目指すは蒋政権が重要物資集散地としてたのむ自流井(じりゅうせい)。重慶を去る西南方160キロの地点である。

その自流井(じりゅうせい)は、また四川省最大の塩の産地である。我が荒鷲軍は、ただちに敵施設に対ししらみつぶしの爆撃を敢行。大の戦果を収めました。

長江船団に見事必中弾        01:20
悠揚とせまらぬ揚子江の流れに点々と浮かぶ、我が陸の荒鷲が求めてやまぬ好餌食、蒋政権後方補給の輸送船団である。大坪、是松の奇襲部隊は、ただちに風をきって急降下。一発必中の命中弾を浴びせかける。一隻、また一隻、白煙を上げて敵船はたちまち沈没。かくてわが荒鷲の猛爆下に、長江の敵輸送船団は8月中旬をもってほとんどその影を没し去った。

 

日本ニュース 第66号(1941年9月)9分30秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300451_00000&seg_number=007

故北白川宮殿下の御高徳を偲び奉る 01:36
進駐茲に一ケ月余 南仏印の皇軍  01:32
井野農相東北視察<週間話題>   00:42
産業戦士の陸上大会<週間話題>  00:52
カンボヂア国王の葬儀<週間話題> 00:57
繭も蛹も臨戦態勢へ        02:05
陸鷲同州城急襲          01:40

故北白川宮殿下の御高徳を偲び奉る 01:36
かしこくも蒙彊(もうきょう)の戦野に、北白川宮永久王殿下御戦死あそばされてより早くもここに一周年。御一周年祭の翌日9月5日、東京において故永久王殿下の御作、伊勢神宮にて、駐蒙軍(ちゅうもうぐん)の歌が謹唱(きんしょう)されました。

進駐茲に一ケ月余 南仏印の皇軍  01:32
我が皇軍が、南仏印に厳然たる共同防衛の誓いを固めてよりここに1ヶ月。8月23日、飯田派遣軍最高指揮官は、泰・仏印方面の国境視察を兼ねて、皇軍の進駐状況を空から視察しました。渺(びょう)として広がる地上。はるか地平線の彼方に淡く望まれるのが問題の国境であります。眼下に見晴るかすうっそうたる森林。これこそ千古の姿そのままに、静かに横たわる有名なカンボジアの密林であります。興亡、暇なき民族の盛衰を秘めて、ここに500年。在りし時代の様もしのばれるアンコールワットの遺跡が望まれます。アンコールワットの遺跡、炎熱のもと、遠く祖国を離れて移りゆく世界情勢を背景に、黙々として共同防衛の守りを固める兵隊さんたちは、1日この遺跡を巡って、自転車による鍛錬競争を行いました。折から木の間を駆ける猿もまた嬉々として、我が皇軍を歓迎するがごとく和やかにもほほえましき風景を見せております。

井野農相東北視察<週間話題>   00:42
(青森)
この夏の気遣われた悪いお天気を見事に征服して、今、全国のお百姓さんはお米の増産に向かって、一生懸命努力しています。このお百姓さんの奮闘ぶりを詳しく見るために、井野農林大臣が先ごろ、青森県下をはじめ、東北の各県を訪ねて回りました。稲作状況は予想以上の良い成績で、これから獲り入れまでの最後のひと汗が非常に期待されております。

産業戦士の陸上大会<週間話題>  00:52
(東京)
国家総力戦の大切な職場に働く産業戦士の陸上競技大会が、7日、明治神宮外苑の競技場で行われました。50あまりの工場から選ばれた戦士たちは、スパイク無しの足袋、裸足で、走る、飛ぶと非常時にふさわしい真摯敢闘ぶりを示しました。また、美しいリズムに乗って、緑の芝生に踊る軽やかな律動美を発揮し、満場の拍手を集めました。

カンボヂア国王の葬儀<週間話題> 00:57
(仏印)
南仏印はカンボジア国の王様、シソワス・モニボン王が崩御あらせられて4ヶ月。激しく照りつける太陽のもとに、常夏の国にふさわしいお葬式が行われました。亡くなられた王様の官女の群れが頭を丸めた可憐(れん)な姿を見受けられます。首都プノンペンの大通りを、王様の棺は、日ごろお傍近く仕えた官女たちに守られ、カンボジア、安南、インドネシアなど、いろいろな地方から集まってきた人たちの深い悲しみのうちに、儀仗(ぎじょう)兵やたくさんの象の行列を連ねて、お墓のあるオオドングの丘へと向かっていきました。

繭も蛹も臨戦態勢へ        02:05
アメリカへの輸出も見込みが薄くなった臨戦体制下の絹は、まず第一に羊毛の代用品として更生しました。今までと違って縒(よ)り合わせることなく、一つの繭から一本ずつ糸を繰り出し、絹糸の特徴である長い細い繊維を活用して、羊毛代用品が作られるようになりました。新しい機械の操作もいたって簡単で、羊毛にも負けない丈夫な紡錘原料ができあがります。次は糸を取った後の副産物であるさなぎの利用法です。まず、さなぎを乾燥して機械にかけて、これを粉にします。これに石油ベンジンを注ぎ、熱を加えて分解し、かき混ぜてろ過しますと、オリーブ油によく似たさなぎ油ができあがり、油不足の折から食糧には、もってこいです。また、同じ粉末を高圧釜に入れて熱を与え、分解した後、醗酵室に入れて取り出しますと、大豆から作ったものに劣らぬ味の良いおしょうゆができあがります。これらはいずれも繭の本場、長野県の松本工業試験所で実験に成功。近く工業化するべく努力中のもので、このほか、さなぎからとれる製品は、この通りの多数にのぼっています。

陸鷲同州城急襲          01:40
(飛行風景)

8月26日、我が陸の荒鷲濱野部隊は、抗日蒋政権がひそかに援蒋(えんしょう)物資を蓄えた同州を急襲。急降下に次ぐ急降下をもって敵軍事施設を完膚なきまでに粉砕したのであった。かくていまや蒋政権は、気息奄々(きそくえんえん)、命脈を託するにスキマなくつらなり(?)、我が陸海共同によるしらみつぶしの局地爆撃によって、まさに空前のともし火というべきである。

 

日本ニュース 第67号(1941年9月)10分3秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300452_00000&seg_number=007

武勲輝く嶋田大将帰還          01:06
鉄壁の堅陣防衛総司令部創設       01:22
科学の凱歌水豊ダム完成         01:10
国民学校生徒の模型飛行機製作<輝く航空日本> 01:40
厚木中学のグライダー訓練<輝く航空日本> 01:29
水戸の飛行機操縦実地訓練<輝く航空日本> 01:40
国産優秀機MC20           01:27

武勲輝く嶋田大将帰還          01:06
支那方面艦隊司令長官として在任1年4ヶ月。赫々(かくかく)たる武勲に輝く嶋田繁太郎海軍大将は、今回、横須賀鎮守府司令長官に親補(しんぽ)せられ、9月15日帝都に晴れの帰還をしました。東京駅に到着した大将は、宮中差し回しの馬車に乗り、儀仗隊に前後を守られて直ちに参内。軍状を奏上いたしました。

鉄壁の堅陣防衛総司令部創設       01:22
<<防衛総司令部総参謀長河邊虎四郎中将>>
「先般、防衛総司令部を新設せられ、防衛総司令官は国土の防衛に関し、内地、朝鮮、および台湾の各軍、および所定の航空部隊を統一指揮せしめられることとなりました。しかしながら、国土の防衛は、単に軍のみの力に依存するのでは、その完璧は期し難いのでありまして、なんとしても軍官民が渾然(こんぜん)一体となり、国民の一人ひとりが真剣に国土防衛の戦士であることを自覚し、いたずらに不安焦燥に駆られることなく、流言飛語に惑わされることなく、常に政府並びに軍を信頼し、沈着冷静に時局の推移を注視し、着々適切なる防衛準備を整え、各々(おのおの)捨て身の覚悟をもって持ち場を守り、私のないようにして公に奉仕、挙国一致、真に国家総力戦の実を発揮することが、極めて肝要であると信じます。」

科学の凱歌水豊ダム完成         01:10
悠久の流れを誇る鴨緑江(おうりょくこう)をせきとめて、ここに7つの湖を作る世紀の大発電所、鴨緑江(おうりょくこう)水電の水豊ダムは、科学日本の凱歌(がいか)も高らかに完成しました。昭和12年10月、工事に着手してから4ヵ年。2億の巨費を投じたこの大工事は、支那事変によるあらゆる悪条件と技術的な困難とに打ち勝ったわけであります。芝浦製作所で作った世界的性能の国産発電機の据えつけも終わり、タービンの具合もすこぶる良好。かくて轟々たるうなりをたてて、発電機は回転をはじめました。8月25日、国境を越えて、鞍山(あんざん)、奉天(ほうてん)、撫順(ぶじゅん)の南満洲一帯に、また9月1日からは、新義州(しんぎしゅう)、平壌(へいじょう)、鎮南浦(ちんなんぽ)の西朝鮮一帯に、待望の22万ボルト、東洋一の送電が開始されました。

国民学校生徒の模型飛行機製作<輝く航空日本> 01:40
今、国を挙げて戦時下、意義深き航空日を迎えるにあたり、次の時代を担う若き国民が、大空に寄せる限りない情熱と憧れの頼もしい姿をお伝えいたしましょう。これは東京入新井第一国民学校5年生の模型飛行機の製作実習です。模型飛行機はもはやおもちゃではありません。正確に、厳密に、少年たちは、竹と木と紙とゴムと、そうして針金を使って、航空科学に盛られた理論を実際にうつしていくのです。こうして日本全国の国民学校の教室に、幾百万の幼き科学者たちが、遥かなる空への憧れに小さな胸を躍らせているのです。自分の手で作った模型飛行機が秋空にさまざまな夢を乗せて飛んでゆく。
その少年の夢は、やがて本当に空を飛ぶという喜びとともに実現されていきます。

厚木中学のグライダー訓練<輝く航空日本> 01:29
この神奈川県厚木中学校は、全校を挙げてグライダー訓練にことのほか熱心で、学校の近くの河原には各種のグライダーが引き出され、夏冬を選ばず真っ白な翼が、悠々と大空を飛翔し、溌剌(はつらつ)たる若人たちの頬(ほほ)は興奮に高潮するのです。

大空へ、大空へ、少年の日の夢は留まるところを知らず、新しい時代の息吹に包まれて、育まれていくのです。

水戸の飛行機操縦実地訓練<輝く航空日本> 01:40
<<大学指導者>>
「ただいまから各班に分かれて機体の点検、手入れ。手入れは午前中でやめる。かかれ。」

大学専門学校学生の飛行訓練。模型飛行機から実地飛行へ、少年の夢はついに結ばれて、今年の夏、水戸に合宿練習し、油にまみれてのエンジンの分解、組立てや、手にマメを作っての操縦訓練に素晴(すば)らしい上達ぶりを示し、一人前の飛行士となって立派に飛べるようにさえなりました。すでに彼らの先輩のある者は大陸の空に武勲の誉れをうたわれ、またある者は聖戦の中途に壮烈自爆の最期を飾りました。我らは大空とともに生きる。若き国民の熱情と精神とは、やがて日の丸の翼をもって世界の空を覆うことでありましょう。

国産優秀機MC20           01:27
日に月に航空機の性能は驚くべき速度をもって進歩する。わずか40年足らずの間に成し遂げたこの進歩こそは、まさに20世紀の驚異でありましょう。ここに見るのは三菱重工業の工場において、リベットを打つ音も力強く、不断の研究と精進をもって鋭意続けられている純国産の優秀機MC20の製作過程であります。事変下、ますます重要なる任務の痛感される航空輸送の第一線に立ち、国内にまた大陸に、空の使命を果たして世界にその性能をうたわれているMC20。これこそは長期建設の決意も固く、東亜諸国の空に羽ばたいて、悠々たる我が国の実力を世界に誇っているものであります。

 

日本ニュース 第68号(1941年9月)9分42秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300453_00000

高松宮殿下台臨 満洲事変記念日    01:05
航空日を彩る豪華「空の祭典」     01:04
国民皆労へ総進軍勤労報国隊制度    01:54
児童発明展覧会<週間話題>      00:54
仏極東艦隊旗艦 大阪港へ<週間話題> 00:29
皇軍と仏印軍の親善<週間話題>    00:40
大草原に新標識 満蒙国境確定     01:42
皇軍の威容厳たり 烈火の野砲戦列   01:46

高松宮殿下台臨 満洲事変記念日    01:05
新しい東亜を打ち立てる銃声が柳条湖(りゅうじょうこ)に響き渡ってから早くも10年。9月18日、支那事変下、ひとしお意義深い満洲事変記念日を迎えました。この日東京では、かしこくも高松宮殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ奉り、李満洲国大使主催のもとに、記念晩餐会が帝国ホテルで開かれました。内外朝野(ないがいちょうや)の名士が多数参会して、思い出の午後8時20分には、厳粛に事変を回顧し、敬虔(けいけん)なる黙祷(もくとう)を捧(ささ)げました。

航空日を彩る豪華「空の祭典」     01:04
今ぞ一億大空へ。9月20日、輝かしい第2回航空日は、羽田飛行場の陸海軍機献納式によって絢爛(けんらん)豪華な幕を切って落としました。及川海軍大臣、東條陸軍大臣らがそれぞれ出席して、全国民の熱誠なる愛国の至情(しじょう)にこたえました。やがて美しい花束を受けた献納機部隊は、30万の大観衆の拍手のうちに鮮やかな編隊離陸を成し、大空も狭しとばかり、日ごろの妙技を発揮。大陸の征野をしのばせるものがありました。かくてこの日は東に西に、全日本を挙げて空の祭典の一日を送りました。

国民皆労へ総進軍勤労報国隊制度    01:54
《小泉厚生大臣》
「時局は国民の間に、一人(ひとり)の有閑者、一人(いちにん)の無職者の存在することを許しません。銃前にあるものは銃を取り、銃後にあるものは労力を傾倒して、文字通り国家総力戦に参加しなければなりません。」
小泉厚生大臣の言葉に応えて、今や全国民は勤労報国精神に燃え立ち、国民皆労(かいろう)へと努めておりますが、これはその一つ。東京市杉並区のお豆腐屋さんが勤労報国隊を結成して、あるいは軍需工場に、あるいは平和産業に、一体となって集団的に活躍しています。この工場は注射の針をつくる工場ですが、女子もお豆腐やさんと一緒に、家庭の仕事に差し支えなく働ける新しい制度、家庭班員(かていはんいん)として勤労の第一線に立っております。
《小泉厚生大臣》
「勤労報国隊制度は、実にこの大精神をもっとも明確に表したものでありまして、全国民が勤労を通じて国家総動員に協力する栄誉と義務とをもつものでありまして、我々国民ことごとくが動員令下にあることを自覚し、この国家超非常時打開に邁進(まいしん)せられんことを切望してやみません。」

児童発明展覧会<週間話題>      00:54
(東京)
これは科学する子どもたちの発明展覧会。まず着想の奇抜な空飛ぶ戦車。いかにも女の子らしい布きんや手ぬぐい掛け。次は折りたたみ式野戦病院車。応急の手当てを要する野戦には、ぜひ必要なもの。最後にちりとり。ざっとこの通りの実用向きです。

仏極東艦隊旗艦 大阪港へ<週間話題> 00:29
(大阪)
東亜共栄圏の有力な協力者として登場した仏印は、フランス極東艦隊旗艦ラモット・ピケ号の修理を、盟主日本の造船所で行うことになり、9月15日大阪に入港しました。これは我が造船技術の優秀さを実証すると同時に、日仏印提携を具体的に表現するものであり、艦長コモントリー大佐以下、日本への信頼をいよいよ深めております。

皇軍と仏印軍の親善<週間話題>    00:40
(仏印)
北部仏印国境タールン。わずか12メートルのソンジャン川を隔てて、対岸には支那側陣地があり、付近に見える白壁の家や普通の民家としか見えないものは、すべて偽装された堅固なトーチカです。しかもこの橋は、支那軍の手で徹底的に破壊されています。このような支那軍の狼狽(ろうばい)振りを眺めながら、皇軍は悠揚迫らず、仏印軍と微笑ましい親善風景を随所に繰り広げ、日仏印共同防衛の誓いを新たにしたのであります。

大草原に新標識 満蒙国境確定     01:42
見渡す限り果てしなき満蒙国境ノモンハンの大草原に、我が幾多忠勇なる将士の激闘、敢闘の勲(いさお)しを打ち立てるがごとく、国境確定の現地作業がこのほど終了しました。満洲国側からと外蒙側からと平和の歩みを寄せて、握り合う手と手に力を込め、現地確定委員の努力が開始されました。満洲国の下村外務局政務所長、カインマント公安局参与官、ソ連のスミルノフ赤軍参謀大佐、外蒙のドルージ師団中将ら、各委員によって行われた現地作業は、6月27日から始まって8月15日、無事、友好的に完了したのであります。
思えば昭和14年夏、ワルシャナル、コロンバエルの大平原を血に染めた一大激戦の末、両軍の間に停戦協定が成立してからまさに2年。幾多の技術的困難を除去して、今は、国境標識は満洲帝国の文字も鮮やかに刻まれ、平和の礎石を据えつけました。

皇軍の威容厳たり 烈火の野砲戦列   01:46
聖戦すでに4年。帝国陸軍の威信厳然として支那大陸を覆い、インドシナの半島に広がり、いまだかつて外敵の侮りを受けず。これひとえに一死報国の誓いに生きる帝国軍隊の忠烈(ちゅうれつ)によるものでありますが、この影に日夜、たゆみなき猛訓練が行われていることを忘れることはできません。これは完備した装備を行って、来るべき日に備えつつある野砲学校の実戦をもしのぐ、壮烈無双の訓練ぶりであります。旺盛(おうせい)なる戦闘精神と、近代機械化兵器の威力とは、渾然(こんぜん)一体となって火のごとく、まこと無敵皇軍の名にふさわしいものがあります。

 

日本ニュース 第69号(1941年9月)9分56秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300454_00000

明治神宮大会 水の熱戦展開     01:49
逞しき前進 三国同盟一周年     01:07
見事成功 皆既日食撮影       01:56
在留英人横浜港引揚げ<週間話題>  01:07
仏印での交歓<週間話題>      01:04
仏印カムラン湾での訓練<週間話題> 00:52
岳南殱滅戦             01:56

明治神宮大会 水の熱戦展開     01:49
かしこくも高松宮殿下を総裁に仰ぎ奉り、臨戦体制下に迎えた第12回明治神宮国民体育大会夏季大会は、秋の日も爽(さわ)やかな9月22、23日の両日、明治神宮外苑水泳場で開かれました。昨年までの記録競技から臨戦競技へ。鉄兜(てつかぶと)も勇ましく、実戦さながらの敵前渡河演習は、まさにその意気、熱烈火を吐く若人の戦陣訓精神を発露したものでありました。

また横浜の海洋訓練道場では、かしこくも高松総裁宮殿下台臨(たいりん)のもとに、銃後青年学徒が溌剌(はつらつ)たる海洋競技敢闘の跡を残しました。まず、中等学校生による分列競技。呼びものの大学、高等、専門学校対抗の帆走競技には、東京帝大が優勝。

逞しき前進 三国同盟一周年     01:07
日独伊三国同盟の誓いを固めてここに1周年。9月27日、神田一ツ橋の共立講堂に、内外朝野の名士多数を集めて、盛大なる国民記念大会が開催されました。
<<豊田外務大臣>>
「三国条約の目的は、我が肇国(ちょうこく)の精神に基づきまして、しかも正義に立脚したる世界の新秩序を建設。恒久的平和を誇示せんとする崇高なる理想の達成に存しますることは、あえて私から申すまでもないのであります。」
豊田外相らに続いて、インデリ大使の挨拶があり、最後にオットー大使の主唱によって天皇陛下の万歳を奉唱。意義深き大会の幕を閉じました。
<<オットー大使>>
「天皇陛下万歳。万歳。万歳。」

見事成功 皆既日食撮影       01:56
5年ぶりに訪れた黒い太陽。9月21日、北台湾各地に観測陣をしいた京都帝大の地磁気観測班をはじめ、コロナ探求の天文女性以下、いよいよ太陽攻略の戦いを開始しました。台北の近辺での観測は、お天気、すなわち気象や地磁気の変化を探ることが中心で、この日はだいたいにおいて成功。黒い太陽をいろいろの角度から捉えました。私たちのカメラもこの通り、見事に黒い太陽をつかまえました。

一方、治安いまだ定まらぬ中支賀勝橋の前線には、銃剣に守られた科学挺身隊(ていしんたい)が兵隊さんとの協力陣をしきました。雲よ遮るな、秋空晴れよと、わずか2分16秒に骨身を削るこの遠征は、東京帝大の田中教授、京都帝大の上田教授らの2班。大陸の征野に大きなアインシュタインカメラを据えつけ、プリズム、偏光写真機の操作も鮮やかに、科学戦士の天体への挑戦が始められます。これこそは戦時下、日本の実力を如実に世界に示すものであります。

在留英人横浜港引揚げ<週間話題>  01:07
(横浜)
変転する世界情勢に備えてか、イギリスは在留英国人の引き揚げを行うため、9月26日、英国船安徽(あんき)号を日本に派遣。かくて370名の英国人は、数々の思い出も今は懐かしい日本を後に、横浜港を引き揚げていきました。これらはいずれも、シンガポール、インドなどへ送られていくことになっておりますが、出帆間際に急遽、帰国命令を受けたという豪州公使ベイサム氏が駆けつけて乗船、一同を驚かせました。

仏印での交歓<週間話題>      01:04
(仏印)
我が皇軍の進駐のもと、明るい光が溢れるサイゴンへ、ハノイから乗り込んできたドクー仏印総督を、仏印方面派遣艦隊司令長官が9月10日、その官邸に訪問、親善の握手を交わしました。
また同じ日、飯田陸軍最高指揮官もドクー総督を官邸に訪れましたが、これに応えて総督は飯田中将を訪問。仏印防衛の固い誓いを結び、ここに我が軍と仏印最高首脳との意義深き交歓が行われました。

仏印カムラン湾での訓練<週間話題> 00:52
(仏印)
かつて日露の戦役にバルチック艦隊を入れたという仏印南端のガムラン湾、その思い出の海に今翻る大軍艦旗。共同防衛の重任にあたる我が派遣部隊の勇士たちは、(華氏)130度の炎熱もものかは、日夜たゆまざる猛訓練を続けております。海に生きるも陸(おか)に生きるも、修める道は唯一つ。甲板上を道場に変えて武道大会が開催されます。勇気凛々(りんりん)、南海を圧する海の兵(つわもの)の姿です。

岳南殱滅戦             01:56
湖南の野を席捲して長沙(ちょうさ)へ、長沙(ちょうさ)へ。頑敵、薛岳(せつがく)軍に鉄槌を下すべき、岳南殲滅(せんめつ)戦の火蓋(ひぶた)はきって落とされました。はるかに洞庭湖を望む岳陽南方、いわゆる岳南の地区一帯に渡って、治安の徹底的確立を期する皇軍は、9月18日、陸海空一体となっての緊密なる協力のもとに、捕捉殲滅(せんめつ)作戦を展開。精鋭なる皇軍の一撃するところ、たちまちにして敗退を急ぐ敵軍を蹴(け)散らし、作戦開始の18日、早くも新墻河(しんしょうが)の渡河に成功。かくて洞庭湖畔にひそかに集結した我が平野部隊の精鋭は、部隊長の訓示をひしと胸に刻み、敵前奇襲上陸の壮途に就きました。不意をつかれた敵は、狼狽(ろうばい)なすところを知らず、算を乱して壊走したのであります。一方、陸の荒鷲各部隊は、19日払暁より、勇躍鵬翼(ほうよく)を連ねて敵の堅陣を次々に急襲。熾烈(しれつ)なる地上砲火と密雲を冒して低空爆撃を敢行し、半永久陣地に拠る敵を粉砕して、多大な戦果を収めたのであります。


(最後)

(絵を背景にして)
湧き立つ感謝 燃え立つ援護
軍事保護院

(日本ニュース 終)

 

1941年10月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=194110

日本ニュース 第70号(1941年10月)9分45秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300455_00000

国民防空を説く難波中佐<特輯各種爆弾の威力国民防空の要諦> 01:18
爆弾威力実験<特輯各種爆弾の威力国民防空の要諦> 01:45
東京女子専門学校生の救急訓練<特輯各種爆弾の威力国民防空の要諦> 00:31
飛行機監視<特輯各種爆弾の威力国民防空の要諦> 00:21
出征後の銃後の守り<週間話題>   00:47
航空青少年隊結成<週間話題>    00:53
壮烈 西江猛撃戦<大陸殲滅戦>   01:44
疾風 長沙攻略戦<大陸殲滅戦>   02:18

国民防空を説く難波中佐<特輯各種爆弾の威力国民防空の要諦> 01:18
《防衛総司令部 難波中佐》 
「これからの戦争には、空襲がつきものであるということは、みなさん十分ご承知のとおりであります。しかし、その火事を消し止めさえすれば空襲は決して恐ろしいものではありません。したがって我が国では防空といえばもう、防火第一主義であります。この防火・消火の第一線は、なんと言いましても家庭防空軍であります。みなさんが自分の土地なり、自分の郷土なり、あるいは自分の国土というものを我々の手で守るんだということをしっかり腹に入れられまして、また準備としては、腕に覚えのある準備をやり、訓練をやると。こういうようにしていけば、日本の、これから受ける空襲というものは全く物の数に足らんものであると考えております。」

爆弾威力実験<特輯各種爆弾の威力国民防空の要諦> 01:45
焼夷弾には3つの種類があります。そこでその種類をよく知っておいて消し止める手段を間違えなければ、焼夷弾などなんら恐るるに足りません。
エレクトロンにむしろをかける演習。平地(ひらち)の演習が済めば、2階に移ります。これをよく研究してみますと、いざというときにはどんなにお互いの協力が必要であるか、つまり難波中佐の言われるように、隣組こそがこれからの防火の中心であることがわかります。
爆弾にはこのように、地上に着くか着かぬかに破裂するもの、土の中にもぐって一定の時間を経てから爆発するもの、と大雑把に言って2種類ありますが、その爆弾の破片および爆風の起こす被害を避けるには、できるだけ低い姿勢をとらねばなりません。

東京女子専門学校生の救急訓練<特輯各種爆弾の威力国民防空の要諦> 00:31
けれども、まれにしか当たらぬ爆弾を恐れる人はあまりにも意気地がなさすぎます。消防車は敢然と活動する準備を常に整え、男に代わって防空の第一線に立とうと、東京の女子体育専門学校の生徒達はこの通り救急訓練にいそしんでいるではありませんか。

飛行機監視<特輯各種爆弾の威力国民防空の要諦> 00:21
しかも空には、一機たりとも我が国土に敵機の入るを許さぬ荒鷲があり、地上には空への撃滅陣が待機しています。隣組を主体に一致団結すること、これこそ国家総力戦への第一歩であります。

出征後の銃後の守り<週間話題>   00:47
(東京)
お召しを受けて、勇躍第一線に出征した夫の留守を守る女主人を助けて、東京下谷、谷中三崎町の青物商、田中はるえさんのお店には自由奉公強化運動に最もふさわしい風景が毎日展開されています。はるえさんを助けるのは近所の奥さん方4人。美しい銃後奉公の真心です。

《田中はるえ》
「このたび、主人応召に際し、いったん店を閉めろと言い聞かされて出て参りましたけれど、近所皆々様のおかげでもって、こうやってどうにかお店も繁盛いたし、本当に自分ながら喜んでいる次第でございます。」

航空青少年隊結成<週間話題>    00:53
航空戦士強化の全国運動に先駆けて、東京市航空青少年隊結成式が10月4日、日比谷新音楽堂で挙行されました。国民学校児童、青年学校生徒ら1万名をもってつくられた35の編隊に、今井東京市教育局長から輝く隊旗がそれぞれ授与されました。
《青年1》
「宣誓。我ら大日本航空青少年隊員は、挑戦、実力、航空精神を精励し、口を開き、行を練り、防空報国のまことを致(いた)し、以て日本に報い奉らんことを告ぐ。」
天皇陛下、万歳!万歳!万歳!

壮烈 西江猛撃戦<大陸殲滅戦>   01:44
南支の征野に、膝(ひざ)を没する泥濘(でいねい)と悪路をついて、勇猛果敢な一大殲滅(せんめつ)戦が展開されました。我が南支軍精鋭部隊は9月20日、中支の作戦に呼応して行動を起こし、西江方面より前進を開始。ぬかるみに身をうずめ、濁流を渡って猛進撃を続け、ここに西江下流右岸地区から支那奥地向けの軍需物資の輸送路に一大鉄槌(てっつい)を加えました。
我が快速部隊の挺身(ていしん)するところ、さしもの頑敵も戦意を失って敗走し、援蒋物資はことごとく我が軍の手によって処理され、9月29日、早くも作戦目的を達成したのであります。

疾風 長沙攻略戦<大陸殲滅戦>   02:18
眼下に延々として連なる、一筋の輸送路。これぞ援蒋補給のルート、粤漢(えつかん)鉄道で、敵が重要拠点と頼む、潮洲南方30キロ、東保山の駅であります。
陸の荒鷲、是松部隊はこの粤漢線上に敵の貨車多数を発見。正確無比な急降下爆撃を行って、一両も余さず破壊し、あわせて粤漢線爆破に成功しました。
一方、長沙へ長沙へと猛進を続ける我が地上部隊は長楽街付近において敵を包囲し、ここに壮烈な掃討戦を展開。
従軍中の本社トーキー班は硝煙を浴びつつ、我が将兵の勇敢なる活躍ぶりをとらえました。
「敵は正面の部落。準備よし。撃て。」
かくて、快速と精鋭を誇る皇軍は早くも9月27日、湖南作戦の目的地たる長沙に突入。陸の荒鷲、各部隊も堂々銀翼を連ねて空から入城しました。

 

日本ニュース 第71号(1941年10月)9分33秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300456_00000&seg_number=004

西貢米<沃土に恵まれた東亜南方資源>  01:38
天然ゴム<沃土に恵まれた東亜南方資源> 01:10
慰問人形に喜ぶ中支陸鷲勇士<戦線通信> 00:51
南仏印機甲部隊演習<戦線通信>     00:54
中支自動車野戦修理隊<戦線通信>    00:57
敗敵を急追急降下地上掃射        01:20
陸の荒鷲衡州爆撃            00:54
新黄河渡河 鄭州進攻戦         01:43

西貢米<沃土に恵まれた東亜南方資源>  01:38
ABCD包囲陣のさなかにあって、断固、東亜共栄圏の確立に邁進(まいしん)する日本へ、今最も有力な協力者として、日一日と親善の度を加えつつある仏印。その仏印はまた、豊饒な米の産地。有名な西貢米の国でもあります。メコン川下流のデルタ地帯を中心に、約600万ヘクタールにおよぶ水田には、よし素朴な農法がとられていようとも5月米、10月米の二毛作もあって、6300万トンの生産が約束されています。この豊かな米は、米の町といわれるチョロン(ショロン)に運ばれ、そこで脱穀、精米されて、そのうちの一部ははるばる銘酒の国、日本へ運ばれて来ます。
チョロン(ショロン)の町はまた、華僑の町でもあります。華僑のおさえている精米工場は75もあり、大規模な近代的設備を整えて、およそその生産方法とは対蹠的(たいしょてき)な形を示し、十分考うるべきものをもっているのであります。

天然ゴム<沃土に恵まれた東亜南方資源> 01:10
熱帯の、しかもごく限られた部分にのみ産出するというゴムは、最も貴重な資源のひとつでありましょう。ブラジルゴムが南洋各地への移植に成功してから、わずかに60年。仏領インドシナではここに見るホンキャンのゴム園を営む「テール・ルージュ」、すなわち赤土植林会社が、今ほとんど独占的に事業を行っています。仏印全土ではゴムに適した赤土を中心に、最大面積約13万ヘクタール、約7万トンのゴムが生産されます。
ゴムの液はかき回されて硫黄を加え、弾力が与えられた後、運搬に便利なように切られます。かくて今や日本を最大のお得意として、仏印経済の中枢をなす二大産物は、ウインチの音も高らかに日本への積み出しが急がれているのであります。

慰問人形に喜ぶ中支陸鷲勇士<戦線通信> 00:51
「おーい。みんな、集まれ!」。髭武者が大声で相好を崩しています。「なんだ、なんだ」と集まったのは、奥地爆撃で敵軍をすっかり弱らせている、陸の荒鷲たち。「こいつぁいい」「こりゃあ素敵だ」と大喜びの慰問品を囲んで、折から爆撃から帰って来た戦友も一緒になって、仲良くジャンケンで分配です。

南仏印機甲部隊演習<戦線通信>     00:54
これは南仏印の野に、厳然たる仏印防衛の陣をしく、我が機甲部隊の機動(音声切断)英雄であります。猛進また猛進、炎熱140度もものかは、轟々(ごうごう)たるうなりをたて、戦車、自動車の戦列は進撃する。いかなる敵も粉砕せんとする皇軍の意気はまさに天を衝くの概があります。

中支自動車野戦修理隊<戦線通信>    00:57
「その、機関蓋あけろ。修理急ぐぞ。あと3時間で仕上げ。」
「はい。頑張っております。」

中支最前線の自動車移動修理工場。敵弾雨飛の間をぬって、あらゆる輸送に使われる自動車の故障を手早く直すこの部隊は、1日に30台も修理します。

敗敵を急追急降下地上掃射        01:20
敵情の偵察。それは戦いに勝つために最も大切なことであります。この重大な任務に服して華やかでもなく、しかも常に敵の頭上や地上をすれすれに大胆な飛行をする直接協力偵察機隊こそは、地上部隊の感謝の的でありましょう。
ここに中支の空を縦横に飛び交いながら、地味で危険な仕事を遂行している部隊に田中部隊があります。敵地を写真に撮ったり、通信筒を投げ下ろしたり、友軍との無電連絡や地上部隊の誘導までも行います。
これは湖南殲滅(せんめつ)戦に呼応して、敗走する敵を急追。その頭上に壮烈な急降下、地上掃射を試みる勇士であります。

陸の荒鷲衡州爆撃            00:54
民国30年、総反攻の豪語もむなしく、厳然たる皇軍の一撃に、長沙を放擲(ほうてき)した敵軍は、雪崩れを打って重要拠点、衡州へ敗走しました。陸の荒鷲、北島部隊はクサカリ隊長を先頭に銀翼を連ねて衡州を急襲。巨弾の雨を降らせて敗走する敵を粉砕。徹底的に軍事施設を破壊しました。

新黄河渡河 鄭州進攻戦         01:43
支那事変史に輝かしい1ページを飾る、待望の河南侵攻作戦は、10月2日、濁水うずまく新黄河の敵前渡河をもって、火蓋(ひぶた)を切って落としました。旧黄河鉄橋付近から中牟(ちゅうぼう)まで、延々100キロに渡って濁流を泳いでの決死的渡河は栗須、小林、星野、小池の各精鋭部隊によって一挙に成功。
渡河地点の敵を蹴散らしながら、驚異的速度をもって進撃また進撃。敵将、衛立煌(えいりつこう)麾下(きか)の各軍団を直押し(ひたおし)に押しまくり、作戦開始以来、わずかに3日、10月4日、早くも敵の牙城、鄭州を陥れました。
これより先、有知部隊の精鋭はたちまちにして鄭州北方五里の重要拠点、栄澤を攻略。城頭(じょうとう)高く大日章旗を翻しました。

 

日本ニュース 第72号(1941年10月)9分34秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300457_00000&seg_number=005

天皇陛下御親拝 靖国神社臨時大祭 01:56
畏し軍務御精励の三笠宮殿下    01:07
台湾勧業報国隊<週間話題>    00:59
仏印でコーヒー園経営の日本婦人<週間話題> 00:35
習志野で学徒野外演習<週間話題> 00:43
敵前架橋成功堂々の快進撃     01:09
東條新内閣成立          02:58

天皇陛下御親拝 靖国神社臨時大祭 01:56
かしこくも天皇陛下には靖国神社臨時大祭に行幸仰せ出だされ、10月18日、秋雨にひとしお神恩の気、漲(みなぎ)る、靖国の社頭に鹵簿(ろぼ)を進めさせ賜い、護国の英霊に親しく御拝あらせられました。
御親拝の時刻、午前10時15分には全国津々浦々、民一億の敬虔なる黙祷が捧(ささ)げられました。
かくて10時20分、かしこくも天皇陛下には粛然玉砂利にぬかずく遺族に御会釈を賜いつつ、天気うるわしく還幸あらせられました。
これより先、悲しくも尊く興亜大業の礎と散った、護国の英霊15013柱を、新祭神と仰ぐ秋の大祭第一日、陸海軍将兵は銃剣を捧(ささ)げて戦友の霊に祈り、一死報国の誠を誓いました。
今こそ、神と仰ぐ我が子、我が父、我が夫に対面できるうれしさ、中には半島同朋の忠勇を物語る姿も見受けられ、まこと国をあげての正義でありました。

畏し軍務御精励の三笠宮殿下    01:07
三笠宮崇仁親王殿下には、およろこびのご婚儀を10月22日に控えさえられた16日、かしこくも一学生として陸軍大学校の騎馬演習にご参加、秋草繁る相模野に駒を進めさせられました。
班長としての御指揮ぶりも凛々しく、夜をついて相模野に御愛馬をいたわらせられながら、実に100キロに渡って一睡もあそばされず強行軍を続けさせられ、17日払暁(ふつぎょう)、御帰着あらせられました。
金枝玉葉の御身をもって高等用兵の御就学に加え、かくも武道御修練のほど拝するもかしこき極みであります。

台湾勧業報国隊<週間話題>    00:59
南方情勢が一段と緊張を加えつつある折から、ここ台湾においても志願兵制度実施を目前に控え、日本帝国臣民としての自覚と感激に燃えたつ本島青年達が黙々として鍛錬にいそしんでおります。
この勤行報国隊、台北訓練所を、このほど長谷川台湾総督が親しく訪問。勇壮活発なる分列行進、教練視閲ののち力強き訓示を与えて、一同を激励、多大の感銘を与えました。
ここは霧社から3里余の山奥、海抜4000フィートの高地における隊員の勤労奉仕、山間道路建設作業であります。

仏印でコーヒー園経営の日本婦人<週間話題> 00:35
虎御前(とらごぜん)と呼ばれる日本女性、鮫島キヨミさんが仏印20年の雄々しい働きぶりを誇っています。ここは南仏印、安南とラオスの国境、虎が住むという海抜1000mの深山。
鮫島さんはフランス人ローム氏の未亡人で、未開野蛮のモイ族や安南人を使ってのコーヒー園経営です。
今や皇軍平和進駐のもと、多年の労苦も報いられて南進女性の気を吐いています。

習志野で学徒野外演習<週間話題> 00:43
秋草深き習志野原頭に、10月14日、都下23大学、7000の学徒を動員して迫砲部隊の第一回、野外連合演習が行われました。臨戦体制下、ペンを銃剣に替えて突き進む意気も鋭く、戦車、飛行機を加えての立体的機械化攻防戦に若き学徒の血は沸き立ち、実戦さながらの壮烈さ、見事な成績でありました。

敵前架橋成功堂々の快進撃     01:09
我がカトウ工兵部隊の勇士は敵弾雨飛の間をもろともせず、新墻河(しんしょうが)に敵前架橋を行いました。
かくて湖南の野に、武勲赫々(かくかく)たる我が精鋭は軍歌も高らかに、反撃のとき、撃滅の壮途につき、進撃また進撃、多大の戦果を収めました。

東條新内閣成立          02:58
第三次近衛内閣は複雑重大なる国際政局に対処すべく、鋭意努力を傾けておりましたが、10月16日突如総辞職を決行。同夜この旨、伊藤情報局総裁より発表されました。
こえて17日、拝命は東條陸軍大臣に下りました。大命を拝した東條中将は陸軍大臣官邸に入り、ここを組閣本部として電撃組閣にとりかかり、夜を徹して折衝を続けました。
かくて18日午後、閣員名簿を奉呈。親任式を終わり、午後5時半、首相官邸で初閣議を開催。
星野内閣書記官長、寺島逓信兼鉄道大臣、岸商工大臣、嶋田海軍大臣、賀屋大蔵大臣、東郷外務兼拓務大臣、東條内閣総理大臣兼内務大臣兼陸軍大臣。ここに東條大将を首班とする臨戦協力内閣が成立。初閣議後の記念撮影を終わって、東條新首相は次のごとく、その決意を内外に闡明(せんめい)致しました。
《東條首相》
「今や、未曽有の重大世局に臨む政府は、いよいよ盟邦との交誼を堅うし、内(うち)益々国防国家体制を完備し、御稜威のもと挙国一体、聖業の達成に邁進(まいしん)せんことを期す。終わり。」


(最後)

支那事変

貯蓄債券 報國債券
一枚 五円・十円

目下賣出中

十一月十五日マデ

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第73号(1941年10月)9分32秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300458_00000&seg_number=002

三笠宮殿下御成婚の御盛儀      01:47
戦時経済への協力 賀屋蔵相要望   01:06
海軍将校の乗馬訓練<週間話題>   00:47
北支の捕虜収容所<週間話題>    01:01
芳沢特派大使仏印へ<週間話題>   00:56
南支の石灰岩発掘<大陸各所に資源開発進む> 01:02
中支の綿花収穫<大陸各所に資源開発進む> 00:51
騎兵学校の機械化猛訓練       01:47

三笠宮殿下御成婚の御盛儀      01:47
秋空さわやかに晴れて、菊の香りもいや高き10月22日、かしこくも三笠宮崇仁親王殿下には御めでたく御結婚の礼を挙げさせられました。この日殿下には御束帯姿も神々しく、青山東御殿をご出門、宮城へ向かわせられました。
高木百合子姫には、大垂髪(おすべらかし)のお髪に、お表衣(ひょうい)のお装いもひときわ美しく、ご親族その他のお見送りのうちを、赤坂区青山高樹町のご実家から御順路を宮城へ参入させられました。
かくて賢所大前(かしこどころおおまえ)に、晴れのご盛儀を終えさせ賜うた三笠宮同妃両殿下には、午前10時20分宮城御発、御同乗の自動車鹵簿(ろぼ)にてご機嫌うるわしく、青山東御殿に御帰還あそばされました。民草一億の歓喜は、この日全国津々浦々に満ちあふれ、竹の園生の御栄を寿ぎ奉ったのであります。

戦時経済への協力 賀屋蔵相要望   01:06
《賀屋興宣蔵相》
「険悪極まれるこの国際情勢の元において、高度国防国家建設の要務であることは、いまさら言うまでもありません。そのためには国家としても多額の経費を必要とし、また民間の生産拡充のために巨額の資金が必要であるのであります。その資金を生み出すものは、実に国民貯蓄の増加にあるのであります。この際、一億国民はあらゆる困苦欠乏に耐え、極力消費を節約し、出来うる限り貯蓄に努め、もってこの危難を突破し、万民翼賛の実を挙げられんことを切望してやまざる次第であります。」

海軍将校の乗馬訓練<週間話題>   00:47
これは、海を家とし、海に生きる海軍の将校たちが太平洋の荒波をよそに、悠々として御門違いの手綱を引き締め、心身の鍛錬に余念のない姿です。
東京にあって陸上勤務の将校達は、潮風に鍛える機会に恵まれませんので、こうして暇を割いては「海軍の荒馬乗り」などと言われるほどに馬に親しみ、時局突破の体制をいかんなく整えております。

北支の捕虜収容所<週間話題>    01:01
丸腰の支那兵がのんびりした顔つきで、秋の日差しをいっぱいに受けて、教えられた体操を楽しんでいます。
体操がすめば朝の食事。夫や子どもと一緒に、捕虜となった将校の細君がご飯を運んでいます。そして食事が終われば愉快な遊戯が待っています。
かつて給料の不払いから飢えに苦しんだ悲惨な生活はどこへいったのでしょう。徹底抗日と言い、焦土交戦と絶叫する蒋政権の傀儡(かいらい)となって、わけもわからず闘っていた支那兵が、日本軍の捕虜となって初めて知る喜び。兵隊さんの紙芝居に手を打つ彼らは、もう迷いの夢から覚めています。

芳沢特派大使仏印へ<週間話題>   00:56
《芳沢仏印特派大使》
「私は今回、政府の命によって近く東京を出発して、仏印に赴くこととなりました。
私の使命は本年春できました日本と仏印との間における経済協定、および本年7月締結となりました共同防衛議定書、この2つに基づいて、両国間の政治的および経済的関係をいっそう密接にするというのが私の使命であります。」

南支の石灰岩発掘<大陸各所に資源開発進む> 01:02
ここは広東の西方およそ100キロの地点にある南海県、洞口(どうこう)。石灰岩の岩脈が延々として連なり、岩を打ち砕くダイナマイトの轟音(ごうおん)が大地をゆるがしています。
働く人たちは、一握りの石灰も、文字通り大陸再建の礎と、はるばる乗り出して行った日本人。すすんでこれに力を合わせる中国人ら数百名。掘り出された石灰岩はこの近くのセメント工場で精製され、すべて現地の建設資材として使用されております。

中支の綿花収穫<大陸各所に資源開発進む> 00:51
アメリカ、インド、エジプト、いわゆる英米陣営に綿の大半が産出します。しかしこれらの国の綿に比べて決して劣らないのは、北支、中支の沃野に実を結ぶ綿であります。今、中支では綿の収穫に、老いも若きも懸命な努力を重ねております。中支でとれる綿は品質改良に工夫が加えられて、日本向けには最も有望です。英米の経済圧迫にもかかわらず、大陸各地にはこのように建設と開発が力強く進められております。

騎兵学校の機械化猛訓練       01:47
快速を利して一挙に敵陣突破の華やかさをうたわれた騎兵部隊は、今やその快速に加うるに近代的機械化をもって益々その威力を高めております。これは機甲兵団の一翼を担う騎兵学校の猛演習。
馬をとばして敵陣に迫れば、たちまち地にはって猛射の雨を浴びせ、陸続と続く戦車の援護のもと、雪崩をうって敵陣におどりこむ、きわめて合理的な戦術であります。
この颯爽(さっそう)として近代兵器の集中するところ、いかなる頑敵も歯向かうに術なし。時局の緊迫感いよいよ大なるとき、見よ、精鋭陸軍が全世界に示す厳然たるこの偉容(いよう)。

 

1941年11月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=194111

日本ニュース 第74号(1941年11月)9分21秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300459_00000&seg_number=005

逞しき銃後若人 神宮体育大会   02:39
泰・仏印間に新しき国境線劃定   01:03
全蒙古体育大会<週間話題>    00:57
ハノイで巡回日本画展<週間話題> 00:41
中支前線の騎兵隊<週間話題>   00:55
壮烈! 残敵撃滅戦        01:37
巨弾の猛射に敵陣徹底的に粉砕   01:22

逞しき銃後若人 神宮体育大会   02:39
第12回明治神宮国民体育大会は、全国からの参加人員4万3000余名をもって、秋空さわやかに晴れた10月31日、かしこくも高松総裁宮殿下の台臨(たいりん)を仰いで、外苑の神域を中心に、熱戦敢闘の幕を切って落としました。
かしこくも総裁宮殿下にはありがたき令旨(れいし)を賜(たまわ)り、聖恩旗を迎え祀(まつ)って、若人の意気益々健康、選手代表は感激の宣誓を行のう。
「我ら一同、選ばれて出場し、明治神宮のおお前に平素修練せるところを奉納するの栄を担う。相共に誓って、純正なる運動精神の神髄を発揮し、もって体力奉公の誠を尽くさんことを期す。右、宣誓す。」
かくて一億国民が日頃練り鍛えた銃後日本の意気と力をここに集めて、神宮のおお前に捧(ささ)げ奉る力闘を次々に展開。
若人の熱は火と燃えて、走る、飛ぶと戦時下にふさわしい鍛錬の妙技を発揮。国をあげての体育総進軍の頼もしき姿を示しました。
最後に全大衆、老いも若きも一丸となっての更生体操に、4日間にわたる大会が幕を閉じたのであります。

泰・仏印間に新しき国境線劃定   01:03
熱帯のジャングルをぬって、延々5000キロに及ぶ泰・仏印の新国境確定の現地作業が10月21日から開始されました。遠くアンコールワットの遺跡をのぞんで北緯15度、泰・仏印両国間に激戦の戦わされたスツン、コンポト川を中心として、我が矢野委員長以下、日本側委員立ち会いのもとに、泰・仏印両国の現地作業班はそれぞれ専門的な測定作業にうつりました。
熱帯の焼け付く日差しを浴びながら、泰・仏印両国、永久の平和を打ち立てようとするこの難事業は、帝国の厳然たる決意と指導のもとに東京会談の精神に従って明春3月までに完成される予定であります。

全蒙古体育大会<週間話題>    00:57
ラケットを握った徳王が、金井最高顧問を前衛にすえて奮戦しています。これは先頃蒙疆の張家口に開かれた第1回全蒙古体育大会における珍しい姿。
この大会には昨年の東亜大会で我が国にもおなじみの蒙古相撲をはじめ、数々の体育絵巻が展開され、全蒙古から馳せ参じた若人たちが新蒙疆建設の意気を示しました。

ハノイで巡回日本画展<週間話題> 00:41
フランス領インドシナ総督ドクー氏夫妻らを招待して、10月21日、仏印巡回日本画展覧会が、まずハノイで蓋(ふた)を開けました。押し寄せたフランス人たちは、いずれも毛筆で描かれた美しい日本芸術の神秘に感嘆。本国のパリーで有名な藤田画伯の案内で場内を一巡りしたドクー氏夫妻は巧みな即席品を贈られて大喜びでした。

中支前線の騎兵隊<週間話題>   00:55
軍馬のいななきも溌剌(はつらつ)と、河畔にむすんだ露営の朝があけました。「さあ、今日も元気で労苦をともに」と塩をはませ、飼い葉を与える兵隊さんたち。
馬の腹喰らいが終われば、今度は川へ乗り入れて「やあ、昨日はつらかったろう」と、ブラシでゴシゴシ戦塵を洗い落してやります。
前線弾雨の中に見る、美しくも馬をいたわる兵隊さんの姿の一風景。

壮烈! 残敵撃滅戦        01:37
「番号!」
「1、2、3・・・。」

「命令1。情報によれば、小崗村には約100名の敵陣潜入し、領民を迫害しつつある模様なり。2。陸戦隊はただいまより小崗村南岸より上陸。この敵を掃討殲滅し、本日中に帰還すべし。終わり。」
命令一下、我が海軍陸戦隊の精鋭は揚子江の濁流をついて、安徽省小崗村付近に敵前上陸を敢行。
たちまち付近の敵匪賊(ひぞく)を掃討。大軍艦旗を先頭に敵トーチカ陣地の間をぬって、ことごとくこれを撃滅しました。

巨弾の猛射に敵陣徹底的に粉砕   01:22
南支那の最大都市、広東を攻略して三周年。我が小笠原部隊の精鋭は思い出の10月21日を記念して、広東北方の残敵に対し猛烈果敢なる掃討戦を展開しました。
敵は小癪にも小高い丘に拠って我が方に抵抗すれば、我が砲門は一斉に開いてこれを木っ端みじんに粉砕。立ちどころに敵を潰走(かいそう)せしめて、記念日にふさわしい戦果をあげました。

(掃討戦の様子)


(最後)

まめ債券
賣出迫る
十一月十五日より
貯蓄債券 報國債券
賣出中

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第75号(1941年11月)9分41秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300460_00000&seg_number=007

靖国の英霊に捧ぐ新作能「忠霊」   02:40
総力戦へ急進金属増産と回収     00:57
京都の稲作<全国農村に拡る食糧増産運動> 00:57
静岡の甘藷<全国農村に拡る食糧増産運動> 01:21
山口の国民学校で発動機の勉強<週間話題> 00:55
カンボジア王戴冠式<週間話題>   00:48
壮烈弾雨下に敵前架橋演習      01:53

靖国の英霊に捧ぐ新作能「忠霊」   02:40
(聞き取り困難)

《シテ 観世銕之丞》
《シテツレ 観世之正》
《ワキ 野島信》

(聞き取り困難)

(聞き取り困難)・・・言うことなれども
花と散りにし忠霊の 御心いかにおはすらん

(以下、聞き取り困難)

総力戦へ急進金属増産と回収     00:57
国をあげての非常時に、銅や鉄などの金属増産に奮闘した殊勲工の技術者、労務者に対して、11月6日首相官邸で表彰式が行われ、小泉厚生大臣自ら晴れの記章をひとりひとりの胸に授けました。
《鈴木企劃院總裁》
「各官庁及び公共団体から鉄及び古銅の回収を実施して参ったのでありまするが、それをさらに一般民間にまで及ぼしまして、ますますこの資源の活用に努めんとするのであります。この政府のもとに、こうして日本国民の保有しておりまするところの愛国心に訴え、而して活発にこれに協力せられんことを切望する次第であります。」

京都の稲作<全国農村に拡る食糧増産運動> 00:57
京都府下久世郡のはずれ、大阪府との境に、水を吐かせる大きな機械が据え付けられて淀川へ向かってさかんに流し込まれています。これは万葉の歌にも「巨椋の入り江」とうたわれて有名な小倉池を干しあげ、ここに新たに田畑約700町歩ができました。
昭和8年に工事をおこしてから丸8年。11月9日、井野農林大臣を迎えて待望の竣工式が営まれました。
この新しい田んぼからは肥料を与えなくとも、反あたり3石2、3斗の米があがり、付近の改良田と合わせて約3万石以上の増産です。

静岡の甘藷<全国農村に拡る食糧増産運動> 01:21
これと並んで手軽な食料として歓迎されているお芋も、ちょっとした工夫で反あたり、普通ならば330貫というところを、この静岡県のある村では約3倍の1000貫もあげました。この方法を考えだした丸山さんにお話をうかがうことにいたしましょう。
「1反歩に1000貫以上ものさつまいもをとりますには、第一にかような苗を用います。長さが1尺2寸内外で、目方が8匁から10匁くらいあるところの力の苗を用いたいのであります。
そういたしまして、植える本数は1反歩1500株くらい植えるのであります。かように盛り畝の頭面に、こうして指で溝をこしらえまして、そして苗をば、元のほうを低くいたしまして、ここをちょっと押しまして、そうしてかように土で覆おうて、約1寸くらいの深さにいたします。そういたしまして、こうして先のほうを少し摘んでおくのであります。これで植えつけの仕事は終わるのであります。
かように摘みますというと、この間からも芽を出すようになりますので、これが4株も5株も植えたと同様の芋ができるのであります。」

山口の国民学校で発動機の勉強<週間話題> 00:55
科学する子どもたちは学校の中へ自動車を持ち込んで、先生でも難しいエンジンの勉強を励んでいます。
これは山口県御庄国民学校の生徒たちで、例え豆自動車とはいえ理屈はおんなじだと大いばり。エンジンの勉強が終われば、風を切っていとも巧みな運転です。
しっかりと握りしめるハンドルは、未来の科学戦士として、広い広い大陸を縦横無尽にかけまわる、遥かなる夢が秘められております。

カンボジア王戴冠式<週間話題>   00:48
南仏印カンボジア王国を絢爛(けんらん)たる喜びに塗り込めて、19歳の若い王様ノロドム・シハヌークの戴冠式が10月28日行われました。さっと水を浴びる清めの式も物珍しく、ラオス王や陣羽織の大臣に守られて、無事戴冠の式を終えた王様は、折から照りつける太陽のもと、住民の歓呼に迎えられてプノンペンの街に、古式豊かな行列をつくって初の巡視を行いました。

壮烈弾雨下に敵前架橋演習      01:53
《男》
「気をつけ! ただいまから敵前渡河の演習の実施をする。」
上海に、また白耶士湾(ばいやすわん)に果敢な敵前上陸を敢行した皇軍の武威、燦(さん)として輝き、クリーク敵前渡河の巧妙さ、また世界を驚倒せしめましたが、その陰には一死奉公、文字通り身命を投げ出しての工兵隊が活躍しています。
これは尊い大陸の経験を基礎として、さらに精密に企てられた工兵学校の渡河演習。世界各国の注目の的となっているものであります。
厳寒肌をも刺す真冬にも、莞爾(かんじ)として飛び込む人柱。この意気や壮(そう)、この忠節や尊し。
この壮烈な気がまえのあるところ、行く手を阻むなにものもありません。続いて爆弾三勇士の名をうたわれた壮烈な敵前爆破作業がふりそそぐ弾丸をくぐって見事に成功しました。


(最後)

鉄と銅 捧げて破れ包囲陣!

家庭の鉄銅製品は進んでお國へ捧げませう

戦時物資活用協會

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第76号(1941年11月)9分54秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300461_00000

天皇陛下親臨 臨時議会開く   01:02
東条首相施政演説        03:28
遣米第一船龍田丸帰る      01:42
南仏印朝久野部隊の野砲演習<戦線通信> 00:59
広東青木部隊の演習<戦線通信> 01:09
敵二万を制圧 魯南新作戦    01:25

天皇陛下親臨 臨時議会開く   01:02
かしこくも天皇陛下の親臨を仰ぎ奉り、第77回臨時帝国議会の開院式は11月16日貴族院において挙行されました。内外の時局、緊急にしてかつきわめて重大なるとき、一億国民の緊張さながらに厳粛なる戦時議会は、短期間ながら国策完遂、高度国防国家体制整備のために歴史的使命を遂行するものであります。

東条首相施政演説        03:28
翌17日、衆議院本会議劈頭(へきとう)、しびれるような緊張のうちに壇上に立った東條首相は、日米関係を中心とする南方問題に言及。忍びがたきを忍んで帝国が世界平和確保のため、あらゆる努力を傾けきたった経過を説明。
「然るに英米蘭諸国は、この帝国の当然なる自衛的措置を迎うるに猜疑と危惧の念とをもって、資産凍結を行い、事実上全面的禁輸により、帝国を目標として経済封鎖を実施致しまするとともに、その軍事的脅威を急速度に増加して参ったのであります。かくのごとき行為は帝国の企図(きと)する支那事変の解決を阻害するのみならず、更にまた帝国の存立に重大なる影響を与うるものであります。断じて黙過し得ざるものであります。
政府は肇国(ちょうこく)以来の国是でありまする平和愛好の精神に基づき、帝国の存立と権威とを擁護し、大東亜の新秩序を建設するため、今なお外交に懸命の努力を傾注しておる次第であります。これによって帝国の期するところは、第1、第三国が帝国の企図(きと)する支那事変の完遂を妨害せざること、第2は、帝国を囲繞(いぎょう)する諸国家が帝国に対する直接軍事的脅威を行わざることはもちろん、経済封鎖のごとき敵性行為を解除し、経済的正常関係を回復すること、第3、欧州戦が拡大、禍乱(からん)の東亜に波及することを極力防止することであります。
以上3項にわたる目的が外交交渉によって貫徹されまするならば、ひとり帝国のためのみならず、世界平和のため誠に幸いであると信ずる次第であります。」

遣米第一船龍田丸帰る      01:42
懐かしの故国へ。万里の波涛を越えて11月14日、アメリカから引き揚げ第一船「龍田丸」が横浜へ帰って来ました。この船には相次ぐアメリカの経済攻勢が資産凍結にまでつのって、引き揚げを余儀なくされた同胞が860名も乗っていました。
サンフランシスコで日本字新聞の主筆をやっていた海老名一雄氏が、あちらの模様を次のように語りました。

《海老名一雄氏》
「この龍田丸で帰って参りましたアメリカからの同胞は、主として凍結来のために商売がなくなった大商社の人たちが多いんでありまして、在米同胞の主力である農業者という者は、ほとんどひとりも帰ってきておらないのであります。彼らは今回の龍田丸で帰るというような気持ちをひとつも持たないで現地に踏みとどまって、自分たちの50年、60年と築きあげてきたところの、長い長い間の地盤を守り続ける覚悟でおるんであります。」
急ぎ足にタラップを降りる船客の群れは、今祖国に帰り着いた喜びにあふれ、埠頭には数々の感激的場面が繰り広げられました。

南仏印朝久野部隊の野砲演習<戦線通信> 00:59
南仏印に厳然たる守りを固めている皇軍は前線の部隊に劣らず、日夜猛訓練を続けています。これは激しいスコールをついて行われた、朝久野部隊の実弾射撃演習。見学のフランス砲兵将校も皇軍の正確無比な射撃に感嘆いたしました。

広東青木部隊の演習<戦線通信> 01:09
「ようい、どん!」と大砲をバラバラにして峻険をよじ上る、ものすごい山岳突破競争が開始されました。ここは真夏ほどにも暑い南支、広東の付近で、我が青木部隊の勇士たちの、元気この上なしというはりきり訓練です。頂上の決勝点まで約3キロ。弾薬も何もかも担ぎ上げて、さてどの班が一番早く組み立て終わるか、前線ご自慢の国防競技です。
一人当たりが約13貫目、それでいて一着は33分12秒という快記録。
一等賞にはご褒美にお酒が参上。みんなにこにこ顔で、明日への戦に備えての頼もしい余裕ぶりを見せています。

敵二万を制圧 魯南新作戦    01:25
山東省魯南の山岳地帯を頼みに、北支一帯の治安を乱すべく集結した共産軍2万に対し、11月5日払暁(ふつぎょう)を期して峻烈なる殲滅(せんめつ)戦が展開されました。我が岡田部隊の精鋭は沂水(ぎすい)を渡って堂々の進撃を続け、山腹を利用してつくられた前面の敵トーチカ陣地を片っ端から爆破しました。
かくて作戦開始以来、追撃また追撃。旬日(じゅんじつ)を出でずして、魯南地区の共産施設を徹底的に覆滅。徐向前(じょこうぜん)軍を完全に殲滅(せんめつ)しました。


(最後)

支那事変
貯蓄債券 報國債券
一枚 十円・五円
賣出 迫る
十二月一日より
豆債券只今賣出中

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第77号(1941年11月)9分32秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300462_00000&seg_number=003

高松宮殿下台臨 海軍兵学校卒業式  02:15
近代機械化通信学校訓練       02:05
アルカリ地帯を開発 機械農場の凱歌 01:09
芳沢大使ハイフォン着<大陸通信>  00:50
大相撲上海前線を慰問<大陸通信>  01:05
独ソ戦線              02:01

高松宮殿下台臨 海軍兵学校卒業式  02:15
かしこきあたりより御差遣あらせられた高松宮殿下台臨(たいりん)のもとに、11月15日、海軍兵学校第70期生と、ならびに第20期専修学生の卒業式が、江田島の同校において、いと厳かに行われました。

(卒業式の様子)

この日、御下賜あらせられた短剣を捧げて、感激の色もひとしお深い優等生をはじめ、新少尉候補生たちは、長年身につけた制服を脱ぎ変えて大海へ乗り出す準備を整えました。
かくて巣立ちゆく者、送る者、相ともに長年むつみ合った心をこめて挙手の礼を交わし激励しあえば、大いなる希望に若人の胸は燃え立つ。今ぞ波高し太平洋。海の守りは鉄壁と恩師、学友、父兄らの歓呼に応えつつ、新卒業生は江田島を出港。壮途につきました。

近代機械化通信学校訓練       02:05
これは近代的機械化戦に即応して、その快速において、はたまたその連絡手段の完璧さにおいて、皇軍が世界に誇る通信学校の猛訓練であります。
教室を出て、いよいよ実地訓練へ。ここでは敵弾雨飛の中での、あらゆる障害と困難とを予測して血のにじむような激しい演習が行われます。

「敵はこの方向! 10km付近なり、一団はこの道路を前進中。小隊は軍政部と総師団間の通信連絡に任ぜんとす。」

命令を受けた通信兵部隊は、機械化の威力を発揮してたちまちに電線を引きまわし、最前線と後方との連絡に成功しました。

「もしもし、分かりますか? 連絡兵。よーし、連絡完了!」
「電報!」
「電報!」

そしてある時は、伝書鳩を利用して友軍との連絡任務にあたります。

アルカリ地帯を開発 機械農場の凱歌 01:09
見渡す限り西部アメリカに見るようなアルカリ地帯が連なっています。ここは北支河北省サテイタン(聞き取り困難)付近。このアルカリ地帯にキャタピラの音もたくましく、今、トラクターや土壌粉砕器を用いて、力強い大農法が進められているのです。
これまでは農作には適さないものとして見捨てられていたこの地方一帯約1400町歩をみごと征服しようという計画なのです。この計画の前提として、今年の4月、約150町歩にわたって米の試作をしましたが、ここに見るような大成功を収め、肥料もやらず、草取りもせず、籾(もみ)にして反あたり3石という驚くべき収穫でした。
やがて来年の穫り入れ時には、一望豊かな瑞穂の実りがはっきり約束されることになったのです。

芳沢大使ハイフォン着<大陸通信>  00:50
日仏印共同防衛と提携親善達成の重任を帯びて、仏印に渡った特派大使、芳沢謙吉氏一行は、11月8日、ハイフォンに入港。埠頭には、我が内山公使をはじめ、総督代理、ゴーチェ総務長官ら、両国官民が多数出迎えました。
上陸第1歩を印した芳沢大使は、仏印陸海軍儀仗兵の敬礼を受け、ただちに陸路、ハノイへと急ぎました。

大相撲上海前線を慰問<大陸通信>  01:05
前線慰問のお相撲さん部隊が上海の海軍陸戦隊を訪問しました。さすがの海の兵(つわもの)たちも本職のお相撲さんにあっては、いささか勝手が違うようです。

(お相撲さん、海軍兵による相撲の様子)

独ソ戦線              02:01
初めてもたらされた独ソ戦のニュース。去る6月、突如としてドイツ・ソビエト間に戦端が開かれてよりまさに5ヶ月。ヨーロッパよりの連絡輸送路を完全に遮断され、今日までその戦況ニュースに接することが出来ませんでした。ニュース報道の任にあたる本社は、あらゆる努力を傾けた結果、ようやくここに両国の激戦状況を手に入れることができました。
これはおそらくオデッサ攻略戦の一部と想像されるもので、空陸、相呼応してのドイツ軍の猛攻ものすごく、電撃作戦の壮烈さを遺憾なく示しています。
この戦線に独ソ両国は数100万の大軍を集中。ヨーロッパの2大陸軍国が全力を傾けての死闘を展開。強力なるドイツ機械化部隊は、ソビエト軍の頑強なる抵抗を粉砕して、全線に渡って強行突破作戦を敢行。全世界注目のうちに、刻々首都モスクワの包囲陣を縮小しつつあります。

 

1941年12月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=194112

日本ニュース 第78号(1941年12月)9分22秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300463_00000&seg_number=005

畏し三妃殿下 東京療養所御慰問     01:31
新東亜の輝く足跡 三国締盟一周年    00:55
難局突破を誓う東条総裁の熱弁      01:43
広東前線慰問<逞しき進発女性戦線愈々堅し> 00:46
タイプライター競技会<逞しき進発女性戦線愈々堅し> 01:00
育児実習<逞しき進発女性戦線愈々堅し> 00:54
動く東亜の新情勢 米陸戦隊総引揚    00:40
陸鷲大爆撃行              01:43

畏し三妃殿下 東京療養所御慰問     01:31
秩父宮、高松宮、三笠宮三妃殿下にはお揃いにて11月30日、東京府下清瀬村の傷痍軍人東京療養所を御慰問あそばされました。
三妃殿下には所長のご案内にて各病棟を御慰問あらせられ、一日も早くよくなるようにと、一部屋ごとにお優しいお言葉を賜りました。
また、室外の軽快患者に対してもありがたきお言葉を賜り、傷痍軍人に対する熱き御心には一堂、深く恐懼(きょうく)感激し、再起奉公を誓い奉りました。

新東亜の輝く足跡 三国締盟一周年    00:55
日米交渉をめぐって国際情勢が極度の緊張を示しているとき、東亜新秩序建設に具体的第一歩を印(いん)した日満華共同宣言一周年が訪れました。その記念日の11月30日、大政翼賛会大日本興亜同盟では東京に国民大会を開催。李満洲国大使をはじめはるばる南京から国民政府陳内政部長も参列。結盟一周年の喜びを語り、極東の平和を乱す者は断じて許さずの誓いを堅くしました。
最後に当時の全権大使阿部信行大将が一ヶ年前の苦難を語り、盛大なる国民大会の幕を閉じました。

難局突破を誓う東条総裁の熱弁      01:43
帝国未曽有の難局に際会し東條翼賛会総裁は11月25日、東京日比谷に開かれた翼賛会主催講演会に臨み、その所信を闡明(せんめい)、全国民の奮起を促しました。
「全国民は等しく戦友であります。おのれ一人の安逸(あんいつ)を望み、あるいは尽くすべき仕事に骨を惜しみ、そのために共に立って闘うべき戦友を苦しみに陥れて顧みないというごとき、これらの行動は絶対に許すべからざるところであります。
いかなる困難、またいかなる犠牲も全国民は等しくこれを負担する、このことがあって初めて、一億一千鉄石の団結はもって望むべきであります。
不肖、私も国民諸君の陣頭に立って力の及ぶ限り全力を尽くして事に当たる決心であります。」
東條総裁のほとばしる熱血の弁に、場外にあふれた民衆も歓呼して総裁を迎え、迫り来るいかなる難局も断固退けんの気概を示しました。

広東前線慰問<逞しき進発女性戦線愈々堅し> 00:46
決戦体制下、一億総進軍に歩調を合わせて、日本女性もまた勤労の精神を高々と掲げて、いともたくましく前進を開始しました。ここは祖国(そこく)を遠く離れた南支那、広東。在留邦人をもって結成する大日本国防婦人会支部では、慰問袋を8000個つくって第一線に活躍する陸海軍将兵へ贈りました。
現地の女性の御国につかえる決意のほどを表して、頼もしき限りであります。

タイプライター競技会<逞しき進発女性戦線愈々堅し> 01:00
職場の能率を最大限度に発揮せよと、警視庁と産業報国会主催のタイプライター技能競錬大会が11月の末、東京で開かれました。
「競技は正確、鮮明、そして迅速さを尊びます。おのおの10分間にしてありますが、十分技量を発揮してもらいたい。用意。」
集まった人たちは会社勤続3年以上の、腕に覚えの64名。我もまた、銃後を守る日本女性の頼もしき職域奉公の姿を見せております。

育児実習<逞しき進発女性戦線愈々堅し> 00:54
来るべき日の子宝報国に備えて、女学生たちに赤ん坊の育て方、扱い方を教える育児の実習が、今東京の保育所や産院全部を使って行われています。教室を出て実生活の教科書を求める女学生たちは母となる日の生き甲斐と喜びを胸に、元気いっぱいに立ち働いています。

動く東亜の新情勢 米陸戦隊総引揚    00:40
かねて撤退を噂されていた上海のアメリカ陸戦隊は雨降りこめる11月27日、プレジデント・マディソン号でマニラへと引き揚げて行きました。日本包囲陣の強化を目ざすアメリカは自ら求めて支那大陸にわずかに残る兵力の引き揚げを余儀なくされたわけで、激しく進展する東亜新秩序建設の様相をここにもはっきりとうかがい知ることができます。
これら引き揚げアメリカ兵はフィリピンに送られ、その防備強化にあてられることになっています。

陸鷲大爆撃行              01:43
沈黙を守ることしばし、作戦の機を狙いつつあった我が陸の荒鷲、北島、桜井の諸部隊は11月28日を期して、大挙、南支奥地の封川、南雄を目指し、忠烈果敢な爆撃の壮途に上りました。
敵性国家の包囲陣に極東の危機、刻々として切迫するのとき、堂々たる我が大編隊陣は折から乱れ飛ぶ白雲をついて、南支の悪気流をもろともせず、各所において敵軍事施設に必中弾を浴びせ、赫々(かくかく)たる戦果をあげました。


(最後)

支那事変
貯蓄債券 報國債券
一枚 十円・五円
目下賣出中
十二月丗一日まで

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第79号(1941年12月)17分41秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300464_00000

帝国、米・英に宣戦     08:07
洋上会談のルーズベルトとチャーチル、シンガポールの英国軍<日本包囲へ!米英の策謀> 01:51
隠忍実に8ケ月帝国遂に起つ 05:58
疾風早くも戦果挙る     01:40

帝国、米・英に宣戦     08:07
「昭和十六年十二月八日
畏し 大詔煥発(かんぱつ)」

「蹶起(けっき)せよ 全国民 東條首相決意闡明(せんめい)」

《東條首相》
「ただいま、宣戦の御詔勅が煥発(かんぱつ)されました。精鋭なる帝国陸海軍は今や決死の戦いを行いつつあります。東亜全局の平和は、これを念願する帝国のあらゆる努力にも関わらず、ついに決裂のやむなきに至ったのであります。
過般來(かはんらい)、政府はあらゆる手段を尽くし、対米国交調整の成立に努力して参りましたが、彼は従来の主張を一歩も譲らざるのみならず、かえって英蘭支と連合して、支那より我が陸海軍の無条件全面撤兵、南京政府の否認、日独伊三国条約の破棄を要求し、帝国の一方的譲歩を強要して参りました。これに対し、帝国はあくまで平和的妥結の努力を続けましたが、米国は何ら反省の色を示さず、今日に至りました。もし帝国にして彼らの強要に屈従せんか、帝国の権威を失墜し、支那事変の完遂を期しえざるのみならず、ついには帝国の存立をも危殆に陥らしむる結果となるのであります。
ことここに至りましては、帝国は現下の時局を打開し、自存自衛を全うするため、断固として立ち上がるのやむなきに至ったのであります。
今、宣戦の大詔を拝しまして、恐懼(きょうく)感激に耐えません。私は不肖なりといえども一身を捧(ささ)げて決死報国、ただただ宸襟(しんきん)を安んじ奉らんとの念願のみであります。国民諸君もまた、おのが身を顧みず、醜の御楯たるの光栄を同じうされるものと信ずるものであります。
およそ勝利の要訣は、必勝の信念を堅持することであります。建国2600年、我等(われら)は未だかつて戦いに破れたことを知りません。この史績の回顧こそ、いかなる強敵をも破砕するの確信を生ずるものであります。
我等(われら)は光輝ある祖国の歴史を断じて汚さざるとともに、さらに栄えある帝国の明日を建設せんことを堅く誓うものであります。
顧みれば、我等(われら)は今日まで隠忍、自重との最大限を重ねたのでありまするが、断じて安きを求めたものでなく、また敵の強大を恐れたものでもありません。ひたすら世界平和の維持と人類の惨禍の防止とを顧念したるに他なりません。しかも敵の挑戦を受け、祖国の生存と権威とが危うきに及びましては、決然(けつぜん)起たざるを得ないのであります。
当面の敵は物資の豊富を誇り、これによって世界の制覇を目指しておるのであります。この敵を粉砕し、東亜不動の新秩序を建設せんがためには当然、長期戦たることを予想せねばなりません。これと同時に、絶大の建設的努力を要すること、言を要しません。
かくて我等(われら)はあくまで最後の勝利が祖国日本にあることを確信し、いかなる困難も障害も克服して進まなければなりません。これこそ、昭和の御民我らに課せられたる天与の試練であり、この試練を突破して後にこそ大東亜建設者としての栄誉を後世に担うことができるものであります。
このときにあたり、満洲国及び中華民国との一徳一心の関係、いよいよあつく、独伊両国との盟約、益々堅きを加えつつあるを快欣(かいきん)とするものであります。
帝国の隆替(りゅうたい)、東亜の興廃、正にこの一戦にあり。一億国民が一切を挙げて国に報い、国に殉ずるの時は今であります。八紘を宇(いえ)となす皇謨(こうぼ)の下に、この尽忠報国の大精神ある限り、英米といえども何ら恐るるに足らないのであります。勝利は常に御稜威の下にありと確信致すものであります。
私はここに謹んで微衷を披瀝し、国民とともに大業翼賛の丹心を誓う次第であります。終わり。」

洋上会談のルーズベルトとチャーチル、シンガポールの英国軍<日本包囲へ!米英の策謀> 01:51
本年8月、ヨーロッパの敗戦に苦悩する英国首相チャーチルは、米大陸に強権をふるうルーズベルト、アメリカ大統領と、陸海空の首脳部を従えて大西洋上に会談。世界制覇と東亜攪乱(こうらん)の方策を協議した。
洋上会談は何をもたらしたか。きわめて最近もたらされたこのニュースが示すごとく、見よ、シンガポールの埠頭には陸続として軍用トラック、航空機が運ばれ、ひたすらに対日戦備が急がれ始めた。
東亜のジブラルタルと頼むこの軍事拠点には豪州兵、インド兵が送り込まれ、蒋政権の軍事代表も参加して日本を威嚇するかのごとく、さらにまたを蘭印(らんいん)を使嗾(しそう)して対日包囲陣をつくり上げ、仏印を脅威し、タイ国に迫る。
敵性ここに極まり、米英の謀略、日を追って加わる。

隠忍実に8ケ月帝国遂に起つ 05:58
『大本営陸海軍部発表 十二月八日午前六時』
「大本営陸海軍部発表。12月8日6時。
帝国陸海軍は本8日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。」
『全国直ちに決戦体制へ』
歴史的大発表は新聞通信社を通じて世界のすみずみにまで電撃的に行き渡った。
隠忍自重、実に八ヶ月。かねてこの時あるを期待した民草は東亜解放の聖戦に一致団結、滅私奉公を誓って決起しました。
この朝、イギリス、アメリカ大使館の車は慌ただしく外務省の玄関に乗り付けられ、続いて独伊の枢軸国使臣が吸い込まれて行きました。断固として下る 膺懲(ようちょう)の軍。皇国、不退転の決意を前にして、アメリカ大使館、イギリス大使館いずれも門扉を堅く閉ざして語らず。
折から東京では大政翼賛会中央協力会議開催され、東條総裁は立って鉄石の決意を伝う。

(東條首相)
「帝国の隆替(りゅうたい)は正にこの一戦にかかっておるのであります。今こそ一億の国民が一丸となって立ち上がるべき時期であります。
私は本日、これ以上何も申し上げません。ただ諸君の赤誠に対しまする万幅の信頼の念をここに表明するにとどめたいと存ずるのであります。
どうぞ諸君は速やかに各自の部署にお帰りを願い、各自の職域においてどうぞ国民をご指導に相成り、時艱(じかん)突破のために一路邁進(まいしん)されんことを希望してやまんのであります。」

(奥村情報局次長)
「日本は、我々の祖国日本は、本日実に重大なる運命の中に突入したのであります。真に皇国の興廃をかけて万里の波涛を乗り越えんとする苦難の道へ突進したのであります。昭和16年12月8日は日本国民の永遠に忘るべからざる日となりました。」

(ネオン)
『十二月八日未明ハワイ方面ノ米艦隊並ニ航空兵力ニ対シ奇シフ作戦ニ成功セリ』

「大本営海軍部発表。」
一つ。帝国海軍は本8日未明、ハワイ方面の米国艦隊並びに航空兵力に対し、決死的空襲を敢行せり。
二。帝国海軍は本8日未明、上海においてイギリス砲艦「ぺトレール」を撃沈せり。アメリカ砲艦「ウエーク」は同時刻、我に降伏せり。
三。帝国海軍は本8日未明、シンガポールを爆撃して大なる戦果を収めたり。
四。帝国海軍は本8日早朝、「ダヴァオ」「ウエーク」「グアム」の敵軍事施設を爆撃せり。」
「大本営陸海軍部発表。12月8日11時50分。
我が軍は陸海緊密なる共同のもとに、本8日早朝、マレー半島方面の奇襲上陸作戦を敢行し、着々戦果を拡張中なり。」

疾風早くも戦果挙る     01:40
すなわち8日未明、間髪を入れず行動を開始した我が陸海軍は天津、上海の英米勢力を抑え、香港、マニラ、シンガポール、ウエーク、ミッドウエーの要衝を襲い、ハワイに致命的打撃を与えました。
またこの日に備えて、遠く仏印野に待機中の我が陸の精鋭機械化部隊は、すでに準備は堅くなり、時を移さず堂々の進撃を開始しました。

(奮起せよ 日本国民)
(帝国の興亡 この一戦にあり)

国民諸君、東亜の隆替はこの一戦にあり。我等(われら)民一億、本営の歴史を胸に刻み、仇敵撃滅の征途にのぼる。


(最後)

(機関車の絵を背景に)

鉄道は兵器だ! 無駄な旅行はやめませう

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第80号(1941年12月)11分19秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300465_00000&seg_number=007

大詔奉戴国民大会<仇敵撃滅へ全国民の熱誠> 01:57
塩釜神社の戦勝祈願<仇敵撃滅へ全国民の熱誠> 00:17
大阪産業戦士の市中行進 海軍恤兵部に集る献金<仇敵撃滅へ全国民の熱誠> 00:56
独伊両国対米戦参加        00:59
威武燦たり緒戦の戦果       01:44
米英戦力の基地租界を電撃接収   02:56
香港爆撃             02:24

大詔奉戴国民大会<仇敵撃滅へ全国民の熱誠> 01:57
断じて撃滅せよ。アメリカ、イギリス。
国民熱血の雄叫びは固まって火の玉のごとく、12月13日、東京日比谷原頭に国民大会が開催され、東條首相立って、宣揚完遂を誓う。

《東條首相》
「国民諸君。積年に渡る米英の非道なる圧迫を排除すべく、かしこき大詔(たいしょう)を拝します。皇軍が決起いたしまするや、旬日を出でずして早くも赫々(かくかく)たる大戦果をあげ、彼らが呼称する包囲陣をたちまちにして、現に大動揺をきたしておるのであります。御稜威のもと錦旗の進むところ敵なく、天日ために輝く。誠に東亜民族の希望の躍動するを覚えるのであります。」

塩釜神社の戦勝祈願<仇敵撃滅へ全国民の熱誠> 00:17
民一億、鉄石の誓いは全国津々浦々の社頭に集い、戦勝祈願の頭を垂れる。宮城県塩釜神社の社頭にも銃後の心は頼もしく団結しています。

大阪産業戦士の市中行進 海軍恤兵部に集る献金<仇敵撃滅へ全国民の熱誠> 00:56
そして産業の都、大阪に颯爽(さっそう)と行進する若き産業戦士の群れ。アメリカ、イギリス膺懲(ようちょう)の大旆(たいはい)を掲げて天下に叫ぶ。我らの決意は固し。断じて撃滅せよ。アメリカ、イギリス。

「えー、みなさん、本日は、皇軍将兵のために恤兵(じゅっぺい)献金していただきまして、誠にありがとうございました。速やかに第一線将兵の喜びます慰問品を作りまして、皆さまの赤心を第一線にお伝えいたします。」

民草の心は、身命を投げうつ前線将兵の労苦に通う。陸軍へ、海軍へ、恤兵(じゅっぺい)の赤誠は山を成す。老いも若きも国を思うに変わりなく、今ぞうれしくも、なだれうつ献金部隊の頼もしさ。

独伊両国対米戦参加        00:59
独伊参戦に決す12月11日、オットー・ドイツ駐日大使は対米戦線を呼号するヒトラー総統の声に耳を傾け、最後の勝利を祈願する。

≪オットー・ドイツ駐日大使≫
「本日、我々、諸民族は強力なる連携の下に新段階に突入した。日本の武威が独伊両国と結合して共同戦線を展開するとき、世界の如何なる国といえども、我々の最後の勝利を打ち砕くことはできないであろう。」

ムッソリーニ・イタリー首相の肖像を前にして、思いは同じイタリー大使館でも、インデリ大使以下、新協定成るの報に手を挙げて新しい歴史の創造に歓呼する。

威武燦たり緒戦の戦果       01:44
「大本営陸海軍部発表。12月12日午前6時。帝国陸海軍新鋭部隊は、本12日未明、緊密なる協同のもとにルソン島南部に上陸せり。」

「大本営海軍部発表。帝国海軍は開戦劈頭(へきとう)より英国東洋艦隊、特にその主力艦2隻の動静を注視しありたるところ、昨9日午後、帝国海軍潜水艦は敵主力艦の出動を発見。事後、帝国海軍航空部隊と緊密なる協力のもとに捜索中、本10日午前11時半、マレー半島東岸ファンタン沖において、再び我が潜水艦、これを確認せるをもって帝国海軍航空部隊は、機を逸せずこれに対し、勇猛果敢なる攻撃を加え、午後2時29分、戦艦レパルスは瞬間にして轟沈(ごうちん)し、同時に最新式戦艦プリンス・オブ・ウェールズはたちまち左に大傾斜。暫時遁走せるも、まもなく午後2時50分、大爆発を起こし、ついに沈没せり。」

ありし日のその快速戦艦レパルス。排水量3万2000トンの浮城も一発必中の我が海の荒鷲の巨弾を受けて、瞬時にして轟沈(ごうちん)。南海の藻くずと消え去った。
同じく英国新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ。本年4月完成の3万5000トン主力艦で、4ヶ月前、この甲板にチャーチル・ルーズベルト会談が行われた。海軍国イギリスの誇り、今いずこ。

米英戦力の基地租界を電撃接収   02:56
帝国、矛を取って立つ12月8日、西に東に電撃戦は展開され、天津租界と相並んで北京の下天に盤踞(ばんきょ)するアメリカ海兵隊に対し、時を移さず、武装解除は断行された。続いて英米両国の公館、庁館を接収して北支より敵性権益をまったく排除す。

同じく8日、上海においては、陸海軍部隊協力のもとに共同租界に戦車、トラックを連ねて堂々進駐は開始されました。この共同租界こそは香港とともに純然たる敵性地域を形成し、蒋政権を傀儡(かいらい)に、訪日反日の策源地として知られたところである。しかも皇軍、厳然たる威武を見せて進駐を開始するや、いっさいをあげて、我が国にくだる。
金融機関をはじめ、敵性資産の処理は極めて平穏裏に進捗しました。
この間にあってイギリス砲艦ペトレールのみは、わずかに抵抗を試みて瞬時に撃沈され、その他、上海港にあった敵性船舶は米国砲艦レイクを筆頭に、すべて皇軍の拿捕(だほ)するところとなりました。
大戦第1日にして、米英、中支より退く。

この日、南した広東にあっても、一挙に英国租界シャーメンの接収に着手。わが陸軍警備隊はイギリス境を越え、まずアメリカ領事館に突入。たちまちこの地域の進駐を完了し、高々と日章旗を掲げました。

香港爆撃             02:24
さらば、敵の牙城(がじょう)、香港へ。この日のために骨を裂き、肉を削って鍛えに鍛えた我が腕を見よと、勇み立った我が陸の荒鷲は、密雲をくぐって長駆香港へ。
この島は全島さながら1個の要塞。英国が頼む東亜侵略の前進基地。見よ。眼下には天然の堅陣に守られて、野望をひとつひとつに蓄えたガソリンタンクが立ち並ぶ。
香港を撃たずして東亜に平和なし。獲物を求めて急降下すれば、たちまち逃げまどう砲艦1隻に命中。大東亜戦争完遂の前途を阻(はば)むもの、まさにかくのごとし。


(最後)

支那事変
貯蓄債券 報國債券
一枚 十円・五円
目下賣出中
十二月丗一日まで

(日本ニュース 終)

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