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2017年1月11日 (水)

日本ニュース 戦争証言アーカイブス 第121号(1942年9月)〜第140号(1943年2月)

 特に1945年8・15までの映像は、大本営発表で検閲済み国策映像。ただし、これはこれで当時の空気を想像・実感するのに役立つ貴重な資料映像です。すべてリンクと再生テキストを資料保存しておきました。なおリンク先ではすべて映像を見ることができます

 

日本ニュース 戦争証言アーカイブス
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi

日本ニュース一覧
「日本ニュース」は、太平洋戦争を間近に控えた1940年(昭和15年)から終戦をはさみ、1951年(昭和26年)まで制作されたニュース映画です。制作したのは、「日本映画社」(※)で、1940年にそれまで4つに分かれていた新聞社や通信社のニュース映画部門を国策により統合したものです。
戦時中の「日本ニュース」は、日本軍や内務省の検閲を受けた後、毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。テレビがない時代、国民は「日本ニュース」が伝える真珠湾攻撃や特攻隊出撃、学徒出陣の様子を映画館で目にしたのです。
「日本ニュース」は、戦争完遂を目的にした国策映画ですが、太平洋戦争中の映像記録として大変貴重なものです。「戦争証言アーカイブス」では、1940年(昭和15年)の第1号から、戦後も含め、1948年末までのものを公開しています。

※(1941年5月までの会社名は「日本ニュース映画社」)
※日本ニュース戦後編の再生テキストは、国立歴史民俗博物館の協力で作成しています。

 

日本ニュース 第121号(1942年9月)11分18秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300506_00000&seg_number=004

一億の心を軍人援護に    03:44
空の軍神 加藤少将陸軍葬  01:52
遣中三特使 国都南京訪問  01:43
三国同盟 締結二周年を迎う 01:42
第三回中央協力会議     02:10

一億の心を軍人援護に    03:44
「やすらかに ねむれとぞおもふ 君のため
いのちささげし ますらをのとも」
皇后陛下の御歌に拝するありがたき思し召しのほどは、直ちにわたくしども一億の民草の心構えでもあります。10月3日からの軍人援護週間にあたって、前線に銃後に、私どもの益荒男(ますらお)を真ん中に、一分の隙もなく、軍人援護の誠の心が通うとき、いかなる敵をも踏み破る力が沸々(ふつふつ)と湧き出てくるのであります。

《歌唱》 

これはこのほど松本に設けられた傷痍軍人の軍事品工作所であります。
「一、二、三、四、五、六、七、八。二、二、三、四、五、六、七、八。」
不幸、戦線に病を得、帰ってきた名誉の軍人が激しい意欲に燃えて、再び生産の戦いに取り組んでいく。ここには僅かに10人。その10人が、祖国のために、戦友愛に結ばれて立ち働く。しかし、第一線に病を得た身である。十分な注意が望ましい。午前10時、休息が極めて的確に与えられ、怠りなく検診が行われています。
「この頃、風邪を引いたり、肩の凝ったことはありませんか?」
「はい、ありません。最近、非常に好調であります。」
「大分、良さそうですね。大きな息を吸ってください。」
美しい大気を吸い、高い峰を仰いで、再び昔の職場に立ち返らんとする人々に、我々は心からなる感謝を捧(ささ)げ、1日も早く元の体に回復されんことを祈るのであります。

空の軍神 加藤少将陸軍葬  01:52
「構え、捧げ銃(ささげつつ)。」
空の軍神・加藤少将、永久(とこしえ)に神(かん)鎮まりませ。赫々(かくかく)たる勲しに薫る英魂を迎えて、初の陸軍葬は秋雨しとど降る9月22日、東京築地本願寺において、いと厳かに執り行われました。杉山参謀総長、霊前に弔辞を奉読。焼香の儀に移れば、嗣子正明君、大いなる父君の御霊に決別の祈りをささぐ。東條首相をはじめ、陸海の将星、一般の将校、引きも切らず。空行かば、雲染む屍、忠魂永久(とわ)に、御国を守らせ給え。

遣中三特使 国都南京訪問  01:43
陳公博(ちんこうはく)、チョ民誼(ちょみんぎ)氏ら国民政府要人に迎えられて、平沼、有田、永井の三特派大使は、9月22日、無事南京に到着しました。翌23日、米英撃滅と東亜解放に邁進(まいしん)する日華両国の提携親善を強化し、合わせて前(さき)の汪主席、張特派大使の来朝に答礼すべく、三特派大使は国民政府大礼堂において、国書捧呈式に列し、終わって平沼大使は次の如く語りました。
「日華両国は満洲国とともに、大東亜共栄圏の中核でありまして、速やかに東亜の安定を確保すべき、大なる使命を持っておるものであります。これがためには、両国の人士の提携を緊密ならしむることは絶対に必要でありまして、今回の来訪によりまして、この目的に裨益(ひえき)することがあるならば幸いであります。」

三国同盟 締結二周年を迎う 01:42
大東亜で日本が、ヨーロッパでドイツ・イタリアが、燦然(さんぜん)と輝く大戦果に飾られて、日独伊三国同盟締結二周年が、9月27日訪れました。東京の記念式典において、谷新外務大臣は同盟の意義を叫ぶ。
「三国条約を締結したる際に、三国政府が厳粛に誓いましたることは、これを要約しますれば、万邦をして各々(おのおの)そのところをえしむることが、世界恒久平和の先決要件であるとの信念のもとに、日本および独伊は各々(おのおの)、大東亜および欧州の諸地域におきまして、主導国家たるの自覚と責任観念等を持ちまして、相互に密接に協力し、各民族の共存共栄の実をあぐるにたる新秩序を建設。以て、世界平和の確立に寄与しようということであります。」

(オットー駐日ドイツ大使)
「天皇陛下、万歳。万歳。万歳。」
「万歳。万歳。万歳。」

第三回中央協力会議     02:10
民一億の総常会。第三回中央協力会議は、9月26日から4日間東京で開催。顔ぶれも改めて、全国各地、各職域から集まった会議員に、劈頭(へきとう)、東條首相は、戦争目的完遂へ鉄石の団結を要望。
「由来、戦争は意思と意思との戦いであります。頑張り合いの戦いであります。持久力の争いであります。総力戦たる近代戦争において、特に然りであります。従いまして、今後における大東亜戦争の様相は文字通り、各国がその興廃存亡を賭しての戦いであり、最後の五分まで頑張り通した者に勝利の栄光は輝くのであります。」
次いで、大臣議長・安藤中将の鮮やかな統裁を受けながら、会議員は遙々抱いてきた民の声を披瀝、上意下達、下情上達、官民の意気は一つに合して、大東亜戦争下、二度目の意義深い会議を終わりました。


(最後)10分59秒のところで、東南アジアの地図を背景にして。

軍人援護強化運動

兵の家 背負って目指せ 大東亞

十月三日⇔八日
軍事保護院

(日本ニュース 終)

 

1942年10月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=194210

日本ニュース 第122号(1942年10月)10分49秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300507_00000

貯蓄遂に五百億突破     03:11
荒波越えて海洋筏都入り   01:32
昭南島に忠魂碑建立     01:25
そして俘虜は日本の武士道に甦生する 02:44
松花江に豊満ダム建設    01:48

貯蓄遂に五百億突破     03:11
国民貯蓄、遂に500億を突破して、銃後の貯蓄増強功労者並びに優良団体の表彰式が、9月30日首相官邸で行われました。この日、初の総理大臣賞を受けたのは、個人20名、団体11。まさに銃後の殊勲甲であります。
次いで、大蔵大臣賞が賀屋蔵相から贈られました。

「聖戦完遂のため、一致協力、国民貯蓄の増強に努め、その成績誠に顕著なり。よって、500億貯蓄達成を機とし、ここにこれを表彰する。昭和17年9月30日。大蔵大臣正三位勲二等、賀屋興宣。その他同文です。」

表彰の感激を、磯村さんが代表して、次の如く答辞で述べました。

「私どもは一億協力の偉大さを今さらの如く強く感ずるとともに、この国民貯蓄によってこそ、真珠湾攻撃の飛行機も、マレー作戦の戦車もでき上がったことを知って、ひしひし喜びを感ずるものであります。申すまでもなく、国民貯蓄は総力戦下、一億国民の必ず果たさなければならぬ、銃後の責務であります。また、何人でも成し得られるものであります。私どもは、その責務の一端を果たしたるにすぎませぬ。」

日本の兵隊さんは、なぜ強いか。それに立派な答えを与える、広東の前線貯蓄風景です。敵に負けないばかりではない。銃後にさえも負けまいと、南支那にいる兵隊さんが昭和16年度に預けた額は、実に1000万円を突破。作戦が済むと、鉄兜(てつかぶと)の兵隊さんで郵便局はいっぱいになるといいます。前線の勇士に負けるようなことがあったら、銃後は何と言ってお詫びできるでしょう。

荒波越えて海洋筏都入り   01:32
遙けくも荒波越えて、1000海里。北海道から引き船式海洋筏(いかだ)で、松の原木1800本あまり、約2000tが東條首相以下の待ちわびる東京港に、9月29日無事姿を見せました。
船の経済的運営と海上の輸送力増加という一石二鳥の名案は、陸軍省経理局建築課の考え出したもの。見事、長距離輸送に成功して、東條首相はもとより、井野、寺島、鈴木の各大臣関係者の喜びは非常なものでありました。この筏(いかだ)の組み方は、この日到着した籠型のほかに色々考案されていますが、今回の成功によって、来春から本格的実施に乗り出すはずであります。

昭南島に忠魂碑建立     01:25
血と肉弾の激闘をしのぶ昭南島ブキ・テマの高地。即ち今は名を改めた武夷山に、永久(とこしえ)に薫る英魂を称えて、高く天を指す忠魂碑が、ともに戦った戦友の手によって竣工(しゅんこう)した9月10日、その除幕式が行われた。シンガポール攻略戦は、史上希に見る激戦であった。憎むべき敵ではあったが、敵もよく戦った。されば明けて11日、我が軍の手によって竣工(しゅんこう)した十字の慰霊碑除幕式が行われた。イギリス兵の俘虜がこれに詣でた。彼らはしみじみと日本軍の武士道を身に感じたであろう。
記念すべき除幕式の後で、奉納相撲が猛烈果敢に取り組まれた。しかし、日本軍の温情は、同時に俘虜の上にも惜しみなく、拳闘大会を開かせた。この大会こそは、物質文明にのみ生きたイギリス兵が初めて味わう精神の世界であったろう。

そして俘虜は日本の武士道に甦生する 02:44
ここはフィリピン、マニラ市にほど近い、ストッチェンバーグの俘虜教育所。かつてアメリカの手によって容易くも東洋人の心を投げ捨てたフィリピン兵の俘虜が、恩威兼ね備わる日本の武士道に更生の道を見出して、再び東洋人に返ろうと努めている。
努力虚しからず。9月18日、3000名に余る卒業生がバルガス行政府長官の祝辞を受け、熱烈たる更生の意気に燃えて、フィリピンの再建に巣立つことになった。今年6月、全比島の戡定(かんてい)作戦成るまで、恐らくは日本軍の俘虜となる運命以外に、今日の生き甲斐ある日を彼らは予想し得なかったであろう。されば、卒業式を飾る晴れの分列にその足取りは勇ましく、感謝は深く、やがて待ち受けている巡警隊勤務に、大東亜圏建設の熱意を彼らは傾けるであろう。
「イギリスの搾取のもとに、いよいよ貧乏な生活を続けながらも、向上の希望を持つ若い私どもは、戦争のために犠牲に供せられるとも知らず、巧妙なイギリスの誘惑に引っかかって軍隊に入った」。読み上げるビルマ人の俘虜の声に力が入る。これは、先頃ラングーンで行われた、迷えるビルマ兵の俘虜解放式である。彼らの同朋が日本軍に協力しているとき、彼らは誤ってイギリス軍に参加していた。しかし、彼らに罪はない。一日も早く日本に力を合わせたいと願うビルマ兵は、懇ろな訓練を受けて、捲土重来、共栄圏建設の戦士たらんことを誓いながら、あるいは故郷へ、あるいは新しい職場へ、解放されていった。

松花江に豊満ダム建設    01:48
朝鮮と満洲国の境、白頭山に源を発した第二松花江が山岳地帯からまさに大平原に臨まんとする山峡に、世界で一二を争う豊満ダムの建設が、目下着々と進められています。
巨大なタービンを据え付けて、膨大な水力発電を狙うこの工事は、満洲国が国営で行いつつある水力発電計画の第一期工事で、昭和12年11月に工を興したものであります。ここに作られるダムは高さおよそ100m、長さ1000m。水を堰き止めてできる湖は、我が国の霞ヶ浦の約3倍にあたり、完成の暁には、北はハルビンから南は奉天に至る広大な地域に送電することができ、同時に下流地方一帯は例年起こる水害から免れ、16万町歩の開墾が可能となります。


(最後)

進む皇軍 後押す貯蓄

簡易保険
郵便年金

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第123号(1942年10月)11分21秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300508_00000&seg_number=003

シドニー強襲 四柱の英魂還る 02:19
勇士に捧ぐ 銃後の赤誠    03:37
関西学生 連合演習      02:10
鉄道開設 七十周年      03:09

シドニー強襲 四柱の英魂還る 02:19
本年5月31日、帝国海軍第二次特別攻撃隊は、豪州のシドニー港深く突入。体当たりをもって敵軍艦1隻を撃沈した。その特別攻撃隊員中、中馬大尉、松尾大尉、大森一等兵曹、都竹二等兵曹の四柱の英霊が日英交換船鎌倉丸で一路懐かしの故国へ。
その忠烈、駸々(しんしん)と一億民草の心によみがえる、10月9日の朝。遺族一同は横浜港内に碇(いかり)を下ろした鎌倉丸に、四勇士の遺骨を迎えたのでありました。
船内に設けられた祭壇は、あくまで簡素ではありましたが、同船で帰国した河合公使はたぐいなき感銘を物語るのでありました。壮烈な戦死、神の行為には豪州も海軍葬の誠意をもって遇せざるを得なかったと。
七度生まれて、国に報いん。
380余名の引き上げ邦人に守られて、声なき凱旋(がいせん)を遂げた四勇士組は、よしやシドニー港に散華するとも、その国に殉ずるの心は、この日横浜港に集う者、あるいははるかに祈りを凝らすもの。すべての民草の胸に通い、護国の英魂、永久(とわ)に安かれと敬虔なこうべを垂れるのでありました。

勇士に捧ぐ 銃後の赤誠    03:37
≪黒板の文字≫
「慰問文
北洋を護る皇軍の兵隊さんへ」

<女学生>
「遠く太平洋の北の果ての地区を護(まも)っておられる勇士の皆さま、お元気でいらっしゃいますか。北洋と申しましても、私どもにはちょっと想像もできないくらいでございましたが、底知れぬ濃霧と胸をつんざく厳寒のため、ほとんど無人の島であることを知り、零下45度もあるという北満の果てと、地図を見比べては、どのようにかご苦労なさっていらっしゃるかとおしのび申し上げ、私どもの平和な日常を思い、もったいない、と涙ぐまれるのでございます。」

氷と吹雪に閉ざされて、船も通わぬ白夜の季節が、アリューシャンの島々に訪れる。慰めひとつない小さな島で、我等(われら)の勇士たちは今、冬ごもりの支度にかかっています。
その兵隊さんたちを慰めるもの、それはまず慰問袋。2つでも3つでも多いほど喜ばれるのです。優しい心を込めて、ここに見る東京の女学生たちのように精出して送りましょう。

≪本庄軍事保護院総裁≫
「本大会に参加せられましたる、多数の国民学校児童諸君に申し上げます。諸君は本日この会場において、御国を護(まも)った栄誉ある傷痍(しょうい)の勇士の方々とともに、意義ある一日を過ごさるることは、誠に名誉なことと存じます。実戦の体験者たる傷痍(しょうい)の勇士に負けぬよう、元気いっぱいに日ごろの腕前を発揮して、他日、君国奉仕の素地を養われるよう希望いたします。」

(三三七拍子)

本庄大将の教えを守って、女の子も男の子も傷痍(しょうい)の勇士と一緒になって真摯(しんし)敢闘。これは10月8日、東京で行われた、傷痍(しょうい)軍人錬成運動会のほほえましい風景です。

関西学生 連合演習      02:10
秋の気さわやかな10月7日。大阪府下、摂津河内の平野に、文部省主催、大学高等専門学校連合演習が、前線をしのんで意気軒昂(けんこう)たる1万の学徒によって、いとも勇敢に行われました。
やがて学窓を巣立つ日。その日自分は銃をとって皇軍の一員たる誇りに身を委ねたい。一人ひとりの学生が決意に燃え、日ごろの訓練は機械化部隊の活動ぶりも目覚しく、あっぱれ兵隊さんに負けない奮闘を示しました。

(演習の様子)

明けて8日、戦塵(せんじん)収まって南北両軍一場(いちじょう)に会し、統監、橋田文相の前に堂々の分列式を挙行。戦時下の学徒はペンを握り、書物を開くのみならず、武をもまた練って、たゆまざることを明らかにしたのであります。

鉄道開設 七十周年      03:09
明治5年、初めて我が国に鉄道が敷かれてから今年で70年。初めは外国製の小さな機関車でありました。それが今では最新式C59型に見るごとく、長さだけでも約3倍。鉄道日本の誇りは世界に冠たる技術を生み出しているのであります。過去70年間、絶えず続けられていた我が国鉄の研究は、設備においても技術においても、各国をはるかにしのぎ、広く大東亜共栄圏の鉄道建設に雄大な構想を巡らせています。
200トン万能試験機で鉄材の強さを測り、安全性を試験します。
客車の電灯設備改良において、蓄電池の薬品研究や、実際に蓄電池に列車の振動と同じ振動を与えながら、国防重要資源である、鉛の使用量節約を図っています。
列車運転の原動力たる燃料の経済的使用の研究は、銃後産業に必要な石炭に、少しでも余裕を与えるべく、熱心に続けられ、豆炭型に改良された石炭は、直ちに試験台の上に乗せられた新しい機関車に使用され、機関車の性能試験と同時に燃料節約の実験が行われています。
さて鉄道日本の技術の躍進は、近くは関門海底トンネルの掘削に成功したように、遺憾なく示されて直ちに大東亜共栄圏の設立に備え、弾丸列車の運転を計画。戦争下、あらゆる資材難を克服してその建設は着々進められ、丹那トンネルに並んで、新丹那トンネルが昼夜を分かたず掘り進められています。我々は、国鉄のたゆまざる研究と躍進に感謝するとともに、ますます重要性の加わる輸送力の強化に協力することこそ、銃後国民の務めであります。


(最後)11分11秒のところで、戦車を背景にして。

第五囬戰時
貯蓄債券 二十円・十円・五円
報國債券 十円・五円
賣出中
十一月十日マデ

大藏省・逓信省・日本勸業銀行

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第124号(1942年10月)10分15秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300509_00000&seg_number=001

天皇陛下行幸 皇后陛下行啓 靖国神社臨時大祭 03:41
稔りの秋           01:55
南方にあがる 軍陣医学の勝利 02:37
中国国慶日 双十節式典    01:57

天皇陛下行幸 皇后陛下行啓 靖国神社臨時大祭 03:41
かしこくも天皇陛下には、靖国神社秋の臨時大祭第2日の10月16日。森厳いやまし、秋の光さわやかにさえわたる神域に鹵簿(ろぼ)を進め給い、新祭神1万5021柱をはじめ、護国の英霊に親しく御拝(ごはい)あらせられました。
この日、粛然威儀を正して、3万の遺族は陛下を迎え奉れば、陛下には特に鹵簿(ろぼ)を徐行せしめられて、御挙手の礼を給う。竜顔を咫尺(しせき)に拝し奉りて、ありがたさ極まりなく、かたじけなさに胸あふれる遺族は、ただただ感泣いたすのみでありました。
午前10時15分。かしこくも天皇陛下には神霊に御親拝あらせらる。
この日、この時、この限りなく尊い時を期して、一億民草は全国津々浦々に至るまで、敬虔な黙祷(もくとう)を忠霊に捧(ささ)げ、聖業完遂の誠を誓ったのでありました。
かくて陛下には、諸員奉送のうちに、天気ことのほか御麗しく、宮城に還幸あらせられました。
次いで皇后陛下には、同神社に行啓あそばされ、護国の英霊に御直拝あらせられましたが、遺族席の前にては、御やさしき御会釈を給い、重ね重ねのかたじけなさに遺族はひたすら感激、感泣いたしたのであります。
また、10月18日、英魂靖国の社頭に臨み給えと、我が陸軍が鹵獲(ろかく)したアメリカ、イギリス軍の優秀飛行機、翼を連ねて忠霊を慰めました。空の要塞とアメリカが誇ったボーイングB17超重爆を、忠魂莞爾(かんじ)として眺め給いしか。帝都の空に心ゆくばかり慰霊飛行を行ったのち、鹵獲(ろかく)飛行機は羽田に着陸。ダグラス爆撃機。地上に巨大な姿を並べる敵機を眺めては、いまさらの如(ごと)く大いなる戦果に感嘆するとともに、ますます敵軍撃滅の戦いの重大さがしのばれるのであります。

稔りの秋           01:55
肥料と労力の不足を征服して、今ぞ瑞穂の国に訪れた稔りの秋。猫の手も借りたい刈り入れ時に、特に許されて帰った兵隊さんの朗らかな協力の姿。
ここは米の国、新潟県西蒲原郡。老いも若きも男も女もみんな総出で、食糧増産への一筋道に見事あがった勝鬨(かちどき)の稔り。
この西蒲原郡は、支那事変勃発このかた、あらゆる悪条件を抑えて、今年までに平均反当たり4斗6升6合の増収を示し、その率は全国第一の成績を収めた。しかしこの影には不屈の皇国農民魂が脈々と動いていた。脱穀に見るごとく、労力不足は共同経営で補い、肥料の不足は自給肥料の増産を目指し、全耕地に反当たりたい肥400貫以上を施したという。そして若き男女2000余りが「心身農道」と名付ける農民道場に、自らを鍛え、神仏に祈願を込めては働いた。
御国安かれ、と護国の豊じょうを祈る農民の心は皆一つ。さればこそ、この秋はまれにみる増産が訪れた。この心を我等(われら)の心とし、一粒への感謝に満ちた生活を送らねばならない。

南方にあがる 軍陣医学の勝利 02:37
南の熱病、デング熱撲滅へ。我が軍陣医学は前進する。
向かうところ敵なき皇軍の勇士を悩まし続けたデング熱も、今は優れた我が医学人の前にその正体が明らかにされました。
病原菌の培養は卵が最も適当で、半分ふ化された卵に患者の血液を注射する。
約10日の後、この卵を割れば立派に病原菌が養われています。
こうして我が軍陣医学は、ついに世界に先んじて、デング熱菌の培養分離に成功し、今では予防ワクチンの試作にまで進んでいます。
戦いが終わると直ちに開かれたここビルマ研究所で、続々実を結ぶ研究の成果は直ちに街頭に進出、あらゆる伝染病から平和な民衆を救っています。
皇軍の情けある計らいに、ビルマ人、インド人の医者たちも進んで協力。衛生思想の啓蒙に、あるいは予防注射に、尊い汗の奉仕をしています。
衛生設備の行き届かぬ南方の各地も、我が医学の前進によっていよいよ明朗の度を加え、赫々(かくかく)たる皇軍の戦果に並んで、我が軍陣医学も高らかに凱歌(がいか)を挙げていきます。

中国国慶日 双十節式典    01:57
時あたかも大東亜戦争下、ひとしお意義深き双十節を迎えた国民政府では、10月10日、中国革命の父、孫文の像映える大霊堂に盛大な記念式典を挙行しました。
汪主席立って一場の演説を試み、「新中国建設、孫文の偉業達成の道はただ一つ、盟邦日本に協力、大東亜解放の大業完遂あるのみ」と力強く所信を披瀝(ひれき)しました。
続いて新中国国軍の偉容を示す閲兵式は、秋晴れの南京小栄練兵場に堂々と繰り広げられました。
新中国国軍の発展を心から願い、我が国より譲渡された、軽戦車、飛行機は青天白日の印も鮮やかにこの分列式に参加。空陸一体の盛儀は伸びゆく中華民国のたくましい姿を余すところなく示しました。

 

日本ニュース 第125号(1942年10月)11分23秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300510_00000

本土空襲機搭乗員 軍律に照し処分 02:04
学童の一日戦車兵         02:02
朗色マニラ            01:43
ボルネオ奥地開拓         02:47
儼たり南の哨戒陣         02:41

本土空襲機搭乗員 軍律に照し処分 02:04
≪大本営陸軍報道部長、谷萩大佐≫
「去る4月18日、帝国本土を空襲し、我が方にとらえられたる米国機搭乗者中、取り調べの結果、人道を無視したる者は今般軍律に照らし、厳重処分せられたり。」

<字幕>(アナウンス有り)
「布告
大日本帝国領土を空襲し我が権内に入れる敵航空機搭乗員にして暴虐非道の行為ありたる者は軍律会議に付し死又は重罰に処す 満州国又は我が作戦地域を空襲し我が権内に入りたる者亦同じ
昭和17年10月19日
防衛総司令官」

去る4月18日、我が本土を襲い、非戦闘員たるいたいけなき国民学校児童に急降下、掃射の人道無視をあえてし、あるいは病院、学校、民家等、軍事施設にあらざるものを爆撃するなど、暴虐の限りをつくしたアメリカ機搭乗員に対し、今般、軍律に照らして厳重処分がかけられました。
ここに見るのは、その搭乗員の一部でありますが、将来とも非人道的行為をあえてするものは、断じて許すあたわず、今回同様断固処断せられるものであります。

学童の一日戦車兵         02:02
秋空高く晴れ上がる富士を仰いで、東京をはじめその他の各地から選ばれた、国民学校高等科生徒250名余りが、10月24日、少年戦車兵学校に一日入校をいたしました。

(体操の様子)

体操が終われば、作業着に身を固めて、いよいよ待望の戦車搭乗。若獅子の兄さんたちが親切に教えてくれます。
一日入校の生徒たちは、大東亜戦争の前途を双肩に担う少年戦車兵の猛訓練をつぶさに体験。「国民学校を卒業したら僕も必ず少年戦車兵になるんだ」と日ごろの決心をますます固めました。

朗色マニラ            01:43
アメリカの古い殻を脱ぎ捨てて、日一日と新しい建設の歩みを見せているマニラ。スペイン文化をしのばせる、サンマルシェリーノ大学で、10月1日(いちじつ)から日本フィリピン児童の学芸品展覧会が開かれました。
雄々しくも大きな未来を一筆に見せたお習字や、勇ましい模型戦車が仲良く並ぶこの会場には、肩を組み、手を握ってともに進む明るい希望が漲(みなぎ)っています。
その明るい希望を、日本の内地と同じようにラジオ体操で鍛えようではないか。
日本晴れの10月17日、バルガス行政府長官も臨席して、ルネタ公園広場に集まった1万4000人。盛大なラジオ体操の大会です。毎日の熱心な練習は心も一つ、身も一つ。かくも美しく解け合って生まれ変わったフィリピンの楽しさを奏でています。

ボルネオ奥地開拓         02:47
ボルネオの西北に、地味豊かに恵まれた天然の資源数多(あまた)を数えてレジャンの流れが潤している一帯がある。
このレジャン河をさかのぼって、ごく少数の一部隊が今日も奥地開拓、原住民指導の任務についた。
攻囲あまねくイギリス支配の消えうせた今、陸の精鋭は開拓の先兵でもあるのだ。
この先兵の道案内を務め、手を振って歓迎の意を表するもの、それはかつて首狩りで鳴らしたダイヤ族である。
陸の精鋭は自らもまず斧(おの)を握り、千古の密林を切り開いて農民道場を打ちたてた。勤勉な精神がボルネオの奥地に日本人の真の姿を知らしむべく脈打ち、秩序正しくより豊かな生産を目指して立ち働くことをダイヤ族に教え込む事業が始まったのである。
はっしと打ち込む斧(おの)の響きが密林にこだまする。あたかも未開の原住民の生活を打ち開くがごとくに。
一歩一歩、森林伐採の進んでいくこの地方には、すでに開拓先兵の努力が実を結んでいるところもある。水の便を図り、美しく畔(あぜ)を作って、熱帯の太陽を浴びる水田がはるばると広がっているではないか。まさしくこのあたりは雨も多く、この上ない稲の栽培地と言えるであろう。大東亜戦争の聖戦たるありがたさは、このような奥地にまでしみこんでいくのである。

儼たり南の哨戒陣         02:41
相次ぐ皇軍の赫々(かくかく)たる戦果は、南方諸民族の胸中深く、大東亜建設の聖業を刻んで、皇軍あるところ、必ず住民の頼もしい協力の姿が見られます。ここ南方基地の島民も自ら進んで、海の防人(さきもり)を買って出て、海軍教官の指導の下に厳格な訓練が開始されました。陸地でまず見張り員の初歩を修めた彼らには、いよいよ待ちに待った乗船です。常日ごろことのほか視力の優れた島民には、この防人(さきもり)の任務は最も適したもので、ぐんぐん上がる成績に手をとって教える教官の言葉も思わず力が入ります。
「見張り員、配置につけ」命令一下、見張りの部署につく彼らは、皇軍の勇士に劣らぬ活躍ぶりであります。
東亜(音声中断)共同の宿敵、米英。忍び寄る敵逃さじと瞳をこらす彼らの姿は、自ずからの誇りと栄光に輝くかに見えます。
昼となく、夜となく、厳として揺ぎなき、我が南方哨戒の固めは、ここ南の島影にしばし翼を休める海の荒鷲の任務でもあります。
愛機の修理終われば、今日もまた南溟(なんめい)のしじまを破る爆音を後に、一機、また一機、大空遠く米英撃滅のその日まで、忍苦の哨戒飛行は続けられます。


(最後)11分15秒のところで。

第五回戰時
貯蓄債券 二十円・十円・五円
報國債券 十円・五円
賣出中
十一月十日マデ

大藏省・逓信省・日本勸業銀行

(日本ニュース 終)

 

1942年11月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=194211

日本ニュース 第126号(1942年11月)10分31秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300511_00000&seg_number=002

神苑に展く 国民練成大会 01:55
戦果に即応 大東亜省誕生 02:00
学制頒布七十周年式典   02:00
ボルネオ方面 陸軍最高指揮官 前田大将陣歿 01:39
ソロモン海戦       02:50

神苑に展く 国民練成大会 01:55
国民、日ごろ錬成の成果を明治神宮の大前に納め奉る。第13回明治神宮国民錬成大会は、かしこくも総裁、三笠宮両妃両殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ、秋深む10月29日、神宮外苑競技場にその荘重な幕を切って落としました。
開会宣せられるや、かしこくも総裁の宮殿下には優渥(ゆうあく)な令旨(れいし)を下し給い、会長小泉厚相式辞の後、選手代表、モリトヤスユキ君謹んで宣誓を行う。

(大会の様子)

かくしてその気迫、直ちに戦場に通う国民錬成大会は、菊薫る明治節の日まで6日間、華やかに力強く続けられていきます。

戦果に即応 大東亜省誕生 02:00
皇軍の赫々(かくかく)たる大戦果に即応すべく、11月1日(いちじつ)を期して、大東亜省が新たに設けられました。この日親任式を終わった初代大臣、青木一男氏を囲んで、首相官邸に力強い開庁式を開催。職員一同に訓示を行った後、青木大東亜大臣は次の如(ごと)く語りました。

≪青木大東亜大臣≫
「本日大東亜省の設置に当たり、私は図らずも大東亜大臣の重任を拝し、誠に恐懼(きょうく)感激に堪えません。今や大東亜戦争は御稜威の下、必勝不敗の基礎を確立するに至ったのでありますが、この戦争を完遂し、東亜共栄圏を建設いたしまするためには、一、一億国民の団結をますます強固にし、戦時体制を強化いたしまするとともに、こと盟邦との締盟を固くし、特に共栄圏内の各邦とはこの提携をますます緊密にして参らねばならぬと存じます。大東亜省はこの国家の建設なる要請に応ずるがため、大東亜建設の企画運営に当たるべき、一元的中央官庁として設置せられたのでありまして、私はこの使命の極めて重大なるに鑑(かんが)み、死力を尽くして奉公の誠を致し、もって大任を全うせんことを期しておる次第であります。」

学制頒布七十周年式典   02:00
学制頒布70周年記念式典は、教育勅語渙発(かんぱつ)の記念日たる10月30日、東京帝国大学において文部省主催の下に挙行されました。かしこくも天皇陛下には学制頒布70周年に際し、優渥(ゆうあく)なる御沙汰を給い、式場、橋田文部大臣は謹んで御沙汰を奉読いたしました。
次いで東條首相、祝辞を述ぶ。

≪東條首相≫
「帝国が近古未曽有の大東亜戦を戦い抜き、勝ち抜き、しかしてもって肇国(ちょうこく)の大理想に向かって、世界的飛躍を成し遂げんがためには、いよいよこの大方針に基づき、教育の振興を図り、特に次の時代を担うところの青少年の教育に一大刷新を図って、いよいよ真の日本人を作り出すの要があることは、あえて多言を要しないところであります。」

終わって、東京音楽学校生徒の記念式歌斉唱に移り、戦時下教学の刷新、強化の要、極めて切なる時に当たり、意義深き式典を終わりました。

「天皇陛下万歳、万歳、万歳。」

ボルネオ方面 陸軍最高指揮官 前田大将陣歿 01:39
≪字幕≫
「新ボルネオ建設の途上不幸南海に陣没せるボルネオ方面陸軍最高指揮官侯爵前田利為大将に対し今般特旨をもって位一級追陞の御沙汰あらせられる ここに前田侯生前の面影を偲び謹んで哀悼の意を表す」

これは去る6月、ブルネイ王国を訪ねた前田将軍のありし日の姿であります。将軍は本年4月現地赴任以来、陣没の9月5日に至るまで、未開の地にあって東奔西走、半歳にしてよくボルネオ軍政不動の基礎を築き上げた人であります。恩威兼ね備わる将軍の風格に接して、サルタンをはじめ原住民は深く日本軍を信頼し、絶対忠誠を誓ったのでありました。
またそのころ、来島の南方方面陸軍最高指揮官寺内大将と歓談する前田将軍。将軍の温容既になく、我等(われら)国民挙げて哀惜の思いを新たにするものであります。

ソロモン海戦       02:50
帝国海軍ソロモン諸島海域に敵大艦隊を捕捉殲滅(ほそくせんめつ)し、世界海戦史上空前の勝利の記録ここになる。
我進まば退き、戦えば必ず敗れ去った米英も、開戦既に1年に垂(なんな)んとする今、ソロモン諸島の海戦に国の興亡を賭して必至反撃の一戦を挑む。すなわち8月24日、午後3時半。ソロモン諸島の付近一帯を哨戒中の我が偵察機は、濛気(もうき)立ち込めるソロモン群島東方洋上に敵大艦隊の北上するを発見。「敵艦見ゆ」の飛電に接した我が艦隊は、勇躍敵影を求めて一路南下する。
「戦機熟せり」、矢は弦を離れた。一機また一機、艦載機は飛び立っていく。折しも艦隊の頭上を鵬翼(ほうよく)堂々、基地を進発した攻撃機の編隊が、陸続敵艦隊目がけて殺到する。
前方洋上に白線数条。逃げ惑う敵艦隊、眼下にあり。
かくて空に海に、彼我両艦隊の一大遭遇戦は展開され、ソロモン海戦の全期間を通じて、撃沈破せる敵艦船65隻、撃墜破せる敵機は実に800機におよんで、ここに敵米英総反攻の夢はむなしく敗れ去ったのであります。


(最後)

戰時貯蓄と生活安定に

郵便年金
十一月中
郵便年金強調運動

逓信省・大藏省・内務省・大政翼賛會

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第127号(1942年11月)10分39秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300512_00000&seg_number=003

天皇陛下行幸 皇后陛下行啓 光栄の神宮大会 03:12
大東亜文学者大会      01:40
南京を飾る大東亜博覧会   01:25
ビルマ防衛軍 幹部候補生隊 01:12
南太平洋海戦        03:05

天皇陛下行幸 皇后陛下行啓 光栄の神宮大会 03:12
菊薫る11月2日、かしこくも天皇皇后両陛下には、親しく明治天皇の御神霊に御拝(ごはい)あらせられた御後、第13回明治神宮国民錬成大会に臨御あらせられました。
この日、三笠総裁宮殿下をはじめ奉り、光栄に胸震わす5000の役員、選手、10万の観衆、粛然襟を正して奉迎申し上げる中を、両陛下には御機嫌ことのほか御麗しく、正面御座に臨御あそばさる。
小泉会長、恭しく御前に奉迎書を朗読。

≪小泉会長≫
「天皇陛下万歳、万歳、万歳。」

かくて天覧並びに台覧の光栄に浴するこの日の特別演練は、増産戦線にたくましい進軍を続ける産業戦士の集団銃剣道をはじめ、健民の敢闘譜の数々でありました。大東亜戦争完遂の国民の意気を中外に宣揚、もって聖慮に応え奉ったのであります。

大東亜文学者大会      01:40
情報局後援の下に、日満華三国の文学者一堂に会す大東亜文学者大会は、明治節の佳き日を期して東京にその輝ける発会式を挙げました。
中華民国代表銭稲孫、周化人の両氏。満洲国代表バイコフ氏、古丁氏。
皆等しく大東亜戦争下、かくも盛大な大会を開いた日本の国力をたたえ、佐佐木信綱氏は遠来の友を迎えて自作の和歌を朗唱。斎藤瀏氏一堂を代表して宣誓を行う。
引き続いて本会議は4、5の両日にわたって開かれ、参会者一堂は真剣なる討議を続け、八紘一宇の大精神の下、アジア文化の進むべき道を求めて意見を交換。

「われ等(ら)アジアの全文学者、日本を先陣とし、生死を一にして偉大なる日の東洋に来らんがため力を尽さむ。右宣言す。昭和十七年十一月五日 大東亜文学者大会」

南京を飾る大東亜博覧会   01:25
日華提携の契り、いよいよ固き新中国の首都南京に、11月1日(いちじつ)からアジア解放の聖戦を目の当たりしのぶ、大東亜戦争博覧会が開催されました。
汪主席は我が支那派遣軍総司令官、畑大将とともに会場を訪れ、鹵獲(ろかく)兵器に大パノラマに、盟邦皇軍将兵の築いた勝利の記録をたどり、意義深き秋晴れの一日を過ごしました。

(博覧会の様子)

ビルマ防衛軍 幹部候補生隊 01:12
ここビルマ防衛軍幹部候補生隊では、皇軍教官の厳格なる指導の下、全ビルマ民衆の與望(よぼう)を担って訓練に勤しむ凛々(りり)しい候補生の姿が見られます。
一日(いちじつ)、ビルマ方面陸軍最高指揮官、飯田将軍は同隊を訪れ、皇軍将兵に劣らぬ彼らの士気と武器の急速な進歩の跡を満足気に視察の後、あっぱれ歩武堂々の分列行進を閲兵いたしました。

南太平洋海戦        03:05
≪字幕≫
「戦果
第一ソロモン海戦から南太平洋海戦まで
戦艦 撃沈1、大中破3
空母 撃沈5、大中破4
巡洋艦 撃沈16、大中破5
駆逐艦 撃沈14、大中破4
潜水艦 撃沈9、大中破1
掃海艇 撃沈1、大中破1
船型未詳 撃沈1、大中破0
輸送船 撃沈16、大中破3
合計 撃沈63、大中破21」

帝国海軍は、10月26日黎明(れいめい)より夜間にわたり、サンタクルーズ諸島北方洋上において敵有力艦隊と交戦、これに殲滅(せんめつ)的打撃を与えた。
第一次、第二次ソロモン海戦に致命的打撃を受けながら、その豊かなる資力に頼り、常に勝算なき戦いを挑むアメリカ海軍は、自ら放ったソロモン海戦大勝利のデマ宣伝を糊塗(こと)すべく、南太平洋水域に再び三度、蠢動(しゅんどう)を繰り返す。
時はよし、アメリカ海軍記念日を2日の後に控えた10月26日。思い上がったアメリカ国民にこよなき贈り物を与えるべく、将兵の士気まさに天を突く。我が無敵艦隊は舳艫(じくろ)相銜(あいふく)んで不遜(ふそん)なる敵艦隊に襲いかかった。
この海戦の戦果、撃沈せる軍艦6隻、撃破せるもの5隻、飛行機200機以上を喪失せしめ、我が光輝ある海戦史を華飾るとともに、アメリカをして、100の巨艦より1人の大提督なきを嘆(たん)ぜしめたのであります。

 

日本ニュース 第128号(1942年11月)10分36秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300513_00000&seg_number=003

御名代台臨 日婦初の総会       02:25
高松宮殿下台臨 海の精強巣立つ    02:02
サイゴン暁神社の鎮座祭<共栄圏便り> 01:02
ラングーン賑う共同洗濯場<共栄圏便り> 00:50
上海 大東亜親善体育大会<共栄圏便り> 01:17
三士官学校 連合大演習        02:54

御名代台臨 日婦初の総会       02:25
大日本婦人会創立後、初の通常総会は、11月11日、青山憲法記念館にかしこくも皇后陛下御名代、東伏見宮故依仁親王妃殿下をはじめ奉り、総裁、東久邇宮妃殿下並びに名誉会員にあらせられる各宮妃殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ、盛大に挙行されました。
山内会長、厳粛に開会を宣す。

≪山内会長≫
「これより大日本婦人会、第1回の総会を開会いたします。」

次いで同会長より、軍人援護、貯蓄奨励に関する団体、並びに個人の総代、小林ます女に対し表彰状を授与。
午後2時40分。御名代の宮殿下、会場に台臨(たいりん)あらせられ、優渥(ゆうあく)なる令旨を給えば、総裁の宮殿下には謹んで奉答文を御朗読あそばされました。
2000万日婦会員代表粛然襟を正して感激にむせぶ。
東條首相立って、銃後夫人の翼賛挺身(ていしん)を祝す。終わって穂積副会長の発声で聖寿の万歳を奉唱。

<穂積副会長>
「天皇陛下万歳、万歳、万歳。」

高松宮殿下台臨 海の精強巣立つ    02:02
帝国、米英撃滅の聖戦を宣してよりここに1ヵ年。戦時下初の海軍兵学校卒業式は、11月14日、かしこくも高松御差遣宮殿下の台臨(たいりん)を仰いで、いとも荘重に行われました。殿下には大講堂にならせられた御後、白の作業衣も凛々(りり)しい卒業生の演練を御熱心に御覧あそばされました。今回の卒業生中にはかしこくも久邇宮徳彦王殿下を拝すのであります。
11時15分、高松宮殿下台臨(たいりん)の下に荘厳の気漲(みなぎ)る卒業式を終わり、海軍少尉候補生の軍装もひときわ映える海の若武者は、卒業証書を手に手に、今日の日を待ちかねた父兄としばし歓談のひとときを過ごすのであります。
軍艦旗の下、先輩がハワイにソロモンに、高らかに奏した凱歌(がいか)をしのび、午後2時、卒業生は黙々別れの挙手に尽忠の決意を秘めて、及川大将をはじめ、将星、在校生、父兄の歓送の中を戦雲渦巻く海洋へと向かう。海の兵(つわもの)に栄光あれ。

サイゴン暁神社の鎮座祭<共栄圏便り> 01:02
仏印サイゴンの現地部隊では、伊勢皇大神宮並びに住吉神社の御祭神を迎え奉って、暁神社を御造営いたしました。その鎮座祭が11月8日、大詔奉戴日の佳き日を期して厳かに執り行われ、式典に続いて御祭礼には、新しく氏子となった兵隊さんたちが御神輿を繰り出したり、趣向をこらした仮装に、遠く故国の秋祭りをしのんで、楽しい一日を過ごしました。

(祭りの様子)

ラングーン賑う共同洗濯場<共栄圏便り> 00:50
ここはビルマの首都ラングーン。半年にわたる雨の季節も10月に入れば、からりと晴れ上がって、これからは毎日暑い日が続きます。
町外れにある大きな共同洗濯場は、朝早くから、長い雨のために山とたまった洗濯物を洗う住民たちで大にぎわいを呈しています。
ところ変われば品変わるとやら。この荒っぽい洗濯法はいかにも南国ビルマらしい風習ではありませんか。温かい皇軍の庇護(ひご)の下に、大人も子どもも、ここ数日は洗濯物に追いかけられた忙しい毎日です。

上海 大東亜親善体育大会<共栄圏便り> 01:17
日本をはじめ共栄圏の各国、それに独伊の枢軸国民も参加して、大東亜親善体育大会が11月8日、上海競馬場で開かれました。8つの国を代表する、1万7000の出場者は、それぞれお国自慢の妙技を振るって日ごろ錬成の成果を公開しました。

(体育大会の様子)

この日の呼び物、二人三脚競争は、共栄提携の姿もほほえましく、共同の戦いに邁進(まいしん)する各国民が、身も心も一つに溶け合う力強さを示しました。

三士官学校 連合大演習        02:54
日本陸軍の中堅を目指す士官学校、予科士官学校および航空士官学校初の連合演習は、晩秋の武藏、相模の両野を圧して、11月10日、華々しくその火蓋(ひぶた)を切って落としました。参加する部隊は、近く第一線に出で立つ陸士第56期生をはじめ、満洲国、中華民国の留学生をも交えて一万余の陸の新鋭。南北両軍に分かれて、空陸一体攻防の精髄を発揮する。

(演習の様子)

戦況を視察する山田教育総監。

(演習の様子)

かくて11月12日。3日間にわたって両軍が秘術を尽くした作戦は、果敢なる白兵戦にその雄渾なる演習を終わり、続いて両軍は相模原練兵場に集結、諸兵指揮官額田少将の号令一下、教育総監山田大将の馬前に歩武堂々の分列行進を行い、敗戦にあえぐ米英を尻目に、余裕綽々(しゃくしゃく)たる皇軍の力を中外に高らかに示したのであります。

 

日本ニュース 第129号(1942年11月)10分40秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300514_00000&seg_number=001

前田大将以下 陸軍葬    01:50
銃後総進軍翼賛壮年団に団旗 00:31
今日ぞ農民晴れの表彰式   01:00
生産拡充へ全国技術者会議  02:12
岸商工大臣 転業者激励   02:05
建設進む南方の産業     02:53

前田大将以下 陸軍葬    01:50
新生ボルネオ建設の偉業なかばに、惜しくも陣没した前ブルネオ方面陸軍最高指揮官前田利為大将、ならびに副官臼井唯一少佐、陸軍技師阿野勝太郎操縦士の英霊3柱を送る陸軍葬は、11月20日、東京築地本願寺において、いとしめやかに執り行われました。東條陸相、切々の弔辞を奉読。
諸儀終わって、焼香に移れば、3発の弔銃、澄み渡る秋空にこだまする。遺族は大いなる我が父、我が夫、我が子の前に決別の祈りを捧(ささ)ぐ。
生前の面影をしのぶ肖像の前に、赫々(かくかく)たる武勲を物語る勲章も今は悲し。

銃後総進軍翼賛壮年団に団旗 00:31
降りしきる秋雨もなんのその、真白き大旆(たいはい)をかざして一億国民の中堅たる団員実に140万。銃後総進軍の陣頭を飾る晴れの団旗制定なって、一同は宮城前広場に参集。聖寿万歳を奉唱して大政翼賛の誓いを新たにする。

今日ぞ農民晴れの表彰式   01:00
本年度、米の予想収穫高6700余万石。この輝かしい増産に奮闘した農業功労者、同じく団体に対し、新嘗祭(にいなめさい)の佳き日を選び、東條首相は官邸において親しく表彰状を授与し、その労をねぎらい、感謝激励の言葉を述べる。

≪東條首相≫
「この戦争大事変におきまして、ご存じのとおりの豊作をみることができたのであります。これ実に天佑神助のもとに、皆さまがた農民各位が、戦時下のあらゆる悪条件を突破して、一意増産に努められました血と汗との結晶であります。」

生産拡充へ全国技術者会議  02:12
産業報国会では11月19日、東京で第2回全国技術者会議を開催。小泉厚相挨拶の後、各工場より参集した技術指導者は、増産強化に、能率の増進に、こもごも意見を交換。

「戦陣訓その2、第5率先躬行に示されたる。“幹部は熱誠を以て百行の範たるべし。上正しからざれば下必ず紊る。戦陣は実行を尚ぶ。躬を以て衆に先んじ毅然として行ふべし”なる、こういう名言は生産工場においても、そのまま適用せられるのでございます。労務者は指揮者が真に心から国家を思い、また我らのためを思って尽瘁(じんすい)を成しておると、こう心から感激したときにおいて初めて全力をその指揮者のために、すなわち生産に傾注するものでございます。そうでありますからして、生産能率増進のためには、その中心核たる規律点すなわち指揮者の偽らざる率先躬行、これがあらゆる方面に具体的になることが第一歩であると考えます。」

次いで一同は都下模範工場の一たる日立精機工場を訪問。新型工作機械や就業状態を熱心に視察し、多大の成果を胸にそれぞれの職場へ戻りました。

岸商工大臣 転業者激励   02:05
生産力拡充に銃後の勤めを果たすべく、敢然立って転業した中小商工業者更生の姿を視察するため、岸商工大臣は1日(いちじつ)、郡山の日東紡績を訪れ、今はすっかり仕事に慣れきったこれらの人々に心から激励の言葉を贈りました。

《岸商工大臣》
「今回、この工場に参りまして、諸君のこの工場における勤めぶり如何(いかん)と、諸君に立派にやるかどうかということが次に来たるべき何十万の人々の手本になるわけです。私は諸君のご努力と今後の奮闘とを心からお祈りする次第であります。どうかしっかりやってください。元気で。」

(岸商工大臣の演説続くが、音声中断)

建設進む南方の産業     02:53
マラリアの特効薬キニーネを含むキナの木は、東インドの特産物として広く栽培されています。まず、優良種子の選定が行われます。選ばれた種が大地にまかれて、豊かな太陽のもとにすくすくと育っていく。
苗が育つと、接ぎ木をされて品種改良の手が下されます。
オランダの長い圧政から解放された住民たちは、若い苗木のように明るくたくましく、キナの採集に共栄圏建設の誠を捧(ささ)げて働いています。
熱帯期の作戦に、また建設に、なくてはならぬキニーネは、このキナの木の皮に含まれています。はがされた皮は、乾燥の後、製薬工場に送られます。いたずらに豊かな物資保有を誇る米英にも、この貴重なキナの資源は誠に乏しく、世界産出量の9割5分を占める東インドのキナは、南の重要資源のひとつとして、わが軍政下に力強く増産が進められています。

我が同胞、先駆者たちの血と汗の努力が今、立派に実を結んで、マニラ麻は東亜の資源として、その生産加工が旧に倍して拡充されています。
かつてはこの工場も、アメリカの資本主義に支配されて、わが同胞のせっかくの労作もアメリカの商品として彼らに牛耳られていました。今やこのような障害もなくなり、工場はわが手によって経営され、美しく光る麻の繊維がアジア復興の新しい希望に燃えるフィリピン人工員の手によって加工され、強靱(きょうじん)な綱が共栄圏建設の一役を担って続々と作り出されています。
東亜共栄圏は、日本の大きな指導によって、着々と建設されていくのであります。


(最後)10分31秒のところで。

貫け二百丗億

第六回戰時
貯蓄債券 一枚・二十円・十円・五円
報國債券 一枚・十円・五円
賣出迫る
十二月七日より

大藏省・逓信省・日本勸業銀行

(日本ニュース 終)

 

1942年12月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=194212

日本ニュース 第130号(1942年12月)10分54秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300515_00000&seg_number=007

聖戦完遂を訴える東條首相<大東亜戦争一周年記念> 03:40
戦車工場<大東亜戦争一周年記念>     00:57
飛行機工場<大東亜戦争一周年記念>    00:42
造船所<大東亜戦争一周年記念>      00:47
大本営海軍部首脳<大東亜戦争一周年記念> 01:03
北満の守り関東軍<大東亜戦争一周年記念> 01:09
洋上を圧す連合艦隊<大東亜戦争一周年記念> 02:32

聖戦完遂を訴える東條首相<大東亜戦争一周年記念> 03:40
帝国、米英に戦いを宣してよりここに1ヵ年。御稜威の下、外、忠勇たぐいなき将兵の奮戦と、内、銃後一億の鉄の団結は史上未曽有の大戦果を挙げ、絶対必勝の体制に輝く大東亜戦争第2年を迎えた。

≪東條首相≫
「国民諸君、かしこくも米英に対する宣戦の大詔を拝しましたるは、実に1年前の本月本日であります。この間、我々一億同胞はひたすら聖旨を奉戴(ほうたい)して戦って参ったのであります。御稜威の下、忠勇なる皇軍将兵は、海に陸に空に史上かつてなき、赫々(かくかく)たる大戦果を収めたのであります。銃後国民もまた、よく困苦艱難(かんなん)に耐え、立派に務めを果たして参ったのであります。私はここに国民諸君に対し、心から感謝と敬意とを表するものであります。今や帝国は有事の体制のもと、決戦に次ぐに決戦をもち、この一戦を勝ち抜かんとしているのであります。米英屈服の最後の日まで戦い抜いて、大東亜地域の中核たる責務を全うし、大東亜積年の禍根を一掃せんとしておるのであります。国民諸君、我々一億国民の進むべき道は単簡明瞭であります。一億一心、ひたすら戦力増強の一路をまっしぐらに進むばかりであります。第一線将兵が思う存分戦い抜けるよう、一刻を争って、もっぱら戦力の増強に骨身を砕くことであります。ここに感激深き、宣戦一周年を迎こうに当たり、私は国民諸君とともに前線将兵の心を心とし、決意を新たにして戦力増強の一途に邁進(まいしん)せんことを期するものであります。」

戦車工場<大東亜戦争一周年記念>     00:57
戦争第2年は、まさに全国力を賭した生産力の戦いである。近くはソロモン海戦に見るがごとく、敵米英の執拗なる反攻は何を物語るか。彼らはその豊かなる資源と大いなる生産力を頼んで惨憺たる敗戦、第1年の挽回を策している。もとより勝利は必勝の信念と確乎不抜の精神の上に輝く。
だが近代国家総力戦の今日では、質においても量においても、ともに敵に勝る武器を欠くことはできない。我ら銃後国民は武器の生産でもまた敵を圧倒しなければならない。

飛行機工場<大東亜戦争一周年記念>    00:42
戦いは正にこれからである。夜といわず昼といわず、工場に働く産業戦士のふるうハンマーに力がこもる。一台でも多く戦車を作ろう。少しでも多くの弾を、大砲を、飛行機を、軍艦を、船を前線に送ろう。

造船所<大東亜戦争一周年記念>      00:47
音声と映像のみ、ナレーション無し。

大本営海軍部首脳<大東亜戦争一周年記念> 01:03
国家挙げて武器生産の増強に挺身(ていしん)するのとき、大本営陸海軍部の作戦室では、杉山参謀総長、永野軍令部総長、以下幕僚の知能を傾けて雄渾無双の大作戦が次々と生み出されていく。この大いなる作戦は忠勇たる将兵と、優秀なる武器と相まって海陸空に世界をして驚嘆せしめる威力を発揮する。
卓抜する作戦、たくましき将兵。優れたる武器が、過去1年の間に東亜の天地に世界始まって以来の大戦果を樹立した。

北満の守り関東軍<大東亜戦争一周年記念> 01:09
戦線実に2万キロ。南に上がる大戦果に呼応して、北満の護(まも)りにつく我が関東軍は、満目蕭条(まんもくしょうじょう)たる極寒の大陸に厳として揺るがず。刻々変わる世界情勢に対処して、米英撃滅第2年、皇国を万代不壊(ばんだいふえ)の安きに置いている。

(北満の守りにつく関東軍の様子)

洋上を圧す連合艦隊<大東亜戦争一周年記念> 02:32
(艦隊の砲撃・航空隊の様子)

波濤(はとう)万里、帝国無敵海軍、北洋に、インド洋に、はたまた太平洋に、米英撃滅の陣を敷くこと既に1年。皇国の興廃を賭したこの一戦に、全将兵の意気は火と燃える。洋上、波騒がば騒げ、風吹かば吹け、米英の反撃何するものぞ、威なるかな帝国海軍、厳たるかな帝国海軍。

(艦隊が前進している様子)


(最後)10分45秒のところで、行軍する兵士を背景にして。

勝ち抜け 耐え抜け 護り抜け

軍事保護院

(日本ニュース 終)

 

◎YouTubeのがない。
日本ニュース 第131号(1942年12月)10分3秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300516_00000

畏し皇后陛下 陸海軍病院行啓      02:01
昭和十七年十二月八日 今日ぞ決戦第二年 05:26
前線偲ぶ攻防演習            02:32

畏し皇后陛下 陸海軍病院行啓      02:01
かしこくも皇后陛下には、陸海軍傷病傷兵御慰問のありがたきおぼし召しをもって、12月3日横須賀海軍病院、翌4日臨時陸軍第一病院に行啓あそばされました。
前線に立てし赫々(かくかく)の武勲を誇らず、ただひたすらに療養の道を励む傷病勇士は、陛下の御仁義に恐懼(きょうく)感激。ますます奮励努力、再起ご奉公の誓いを新たにしたのであります。

(病院行啓の様子)

昭和十七年十二月八日 今日ぞ決戦第二年 05:26
戦い抜け大東亜戦争。決戦第2年目へ、国民総進発の8日は力強く明けて、肌を刺す寒気もなんのその、凍る玉砂利を踏んで宮城前広場に結集する赤子の波。

「天皇陛下万歳、万歳、万歳。」

(行進の様子)

陸軍戸山学校軍楽隊が吹奏する、勇壮な行進曲の楽の音に、国民の士気はいやが上にも高まり、町々に米英打倒、戦い第2年をも必勝の信念もて勝ち抜かんとする決意漲(みなぎ)って、この日帝都は感激のるつぼと化す。
民一億の思い、必勝の一点に集まる午前11時59分。国民よ想起せよ、昭和16年12月8日。

「黙祷(もくとう)。」

午後2時、護国の英霊神鎮まる靖国の社頭に、大東亜戦争1周年記念国民大会中央大会厳粛に開催され、3万の大衆ここに集いて、東條首相の演説に、宣言決議に、銃後国民の烈々たる意気を示す。

≪東條首相≫
「国民諸君、かしこくも米英に対する宣戦の大詔を拝しましたのは、昨年の実に本月本日であります。帝国の隆替、東亜の興廃、正にこの一戦にありと一億国民が必勝の信念の下、一切を捧(ささ)げて国に報い、国に殉ぜんことを誓ったのは実に本日であったのであります。
今や国民のひとりひとりが各々(おのおの)その持ち場において、振るうひとつの槌(つち)も、ひとつの鍬(くわ)も、直ちにこれ前線の戦力に全に影響しつつあるのであります。
諸君が、毎日毎日の生活における一挙一動が、明日とは言わず、いざ今日ただいま、前線の戦闘力を左右しておると称しましても過言ではないのであります。」

「天皇陛下、万歳、万歳、万歳。」

前線偲ぶ攻防演習            02:32
多摩の清流を押し渡る機動舟艇隊。巡り来る大東亜戦争1周年。あの日のマレー電撃戦もかくやと、日ごろ錬磨の陸軍魂を実戦さながらに展開する、近代立体攻防演習が12月6日、近衛師団によって東京多摩川河畔に行われた。

(攻防演習の様子)

飛び来るは戦利爆撃機、空の要塞(ようさい)。それを迎え撃つ我が隼(はやぶさ)号戦闘機との凄烈(せいれつ)な空中戦。あるいは同じ戦利機バッファロー。P40の配置攻撃が繰り広げられれば、地上には攻防両軍、秘術を尽くして近代戦の妙を余すところなく発揮する。過ぐる1年、南に挙げし皇軍赫々(かくかく)の勇戦奮闘はかくの如(ごと)し。たゆまざる猛訓練に、決戦第2年を迎える帝国陸軍、毅然(きぜん)たり。

(攻防演習の様子)


(最後)9分54秒のところで、行軍する兵士を背景にして。

第六回戰時債券 賣出中

貯蓄債券 二十円・十円・五円
報國債券 十円・五円
一月七日マデ

大藏省・逓信省・日本勸業銀行

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第132号(1942年12月)10分42秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300517_00000&seg_number=003

大御心を奉体 生産翼賛の集い      02:56
滞貨一掃へ奉仕隊<戦時下輸送力増強へ> 02:02
ジャワ沈没船引き上げ<戦時下輸送力増強へ> 00:57
一周年を迎う共栄圏各地(昭南島 広東 新京) 02:07
陸軍航空部隊 緬印国境を制圧      02:34

大御心を奉体 生産翼賛の集い      02:56
かしこくも天皇陛下におかせられては、12月15日、全国産業経済代表者懇談会出席の財界並びに経済関係者一同に対し、前例なき拝謁(はいえつ)を仰せいださる。
聖戦下、一億国民が各職域において総力を挙げ国力を充実。以て時局を克復せんとするのときに当たり、特に生産増強に深き大御心(おおみこころ)を垂れさせ給う聖慮のほど、拝すだにかしこき極みであります。

経済人代表、結城日銀総裁立って宣誓を行う。

≪結城日銀総裁≫
「(聞き取り困難)反抗を企て、戦力の補給に汲々(きゅうきゅう)せん。皇国の経済総力を最高度に発揮し、もって大東亜戦争の完遂を期するは、我ら産業経済界に職を奉ずる者の、重大なる責務にして、日夜その足らざるをおそるるところ、かたじけなくも本日拝謁(はいえつ)の栄誉給う聖慮のほど、ただただ恐懼(きょうく)感激に堪え、ここに相会する者一同、広大なる君恩に報い奉らんため、政府の指導激励の下に、いよいよ聖業を熾烈(しれつ)にして、職域奉公の誠を尽くし、もって戦力を増強し、断固として終局の勝利に邁進(まいしん)せんことを期す。右、宣誓す。昭和17年12月15日、拝謁(はいえつ)の光栄に浴したる、産業経済関係者一同。」

滞貨一掃へ奉仕隊<戦時下輸送力増強へ> 02:02
生産力の増強もさることながら、続々作り出される戦時重要物資や生活必需品は、ひとときも停滞することなく円滑に輸送しなくてはなりません。都下の奉仕隊や学徒報国隊では、一日(いちじつ)、東京汐留駅に出動、従業員に交じってかいがいしく輸送に協力。この日、安藤翼賛会副総裁の陣頭指揮の姿も見られました。

≪安藤副総裁≫
「昨日はここに来たですか。」

<隊員>
「今日初めて参りました。」

≪安藤副総裁≫
「今日初めて。ああ、ご苦労さん。」

視察を終わって、一条の訓辞を述べる安藤副総裁。

≪安藤副総裁≫
「今相互に戦力を増強し、補給し合うところの、前線と国内の関係というものは、あたかもこれは人体に例えますれば、我々大和民族も一瞬たりとも絶えることなく、とどまることなく、我々の身体をかよう動脈と等しきものであります。ことにこの輸送路には、国家のために靖国の英霊と化せられたる、幾多の英霊を国内の戦場に迎え、あるいは前線において傷つき病みたる傷病兵をも送り返すと、誠にこの輸送は戦場内における厳粛なる戦争の勤務であります」

ジャワ沈没船引き上げ<戦時下輸送力増強へ> 00:57
共栄圏内物資の交流に欠くことのできない船舶は、国内において大規模に建造が進められていますが、一方これとともに沈没した敵船舶の利用更生も着々行われています。
ここ前線、ジャワのタンジョンプリオク港にむなしく残骸(ざんがい)をさらしていた敵船も、今は世界に誇る我が引き上げ技術によりどしどし更生し、大東海の白波を蹴(け)って、物資輸送の重任に就く日も間もないことでありましょう。

一周年を迎う共栄圏各地(昭南島 広東 新京) 02:07
12月8日、感激の日を迎えた昭南島に、将士は、はるけくも皇居を遥拝(ようはい)し奉る。

(遥拝(ようはい)の様子)

過ぐる1年、南方諸地域にも御稜威あまねく、アジア解放のよき日を迎えた広東市民は、指導者日本を称えて、軍隊、青少年を繰り出し、市中大行進が行われました。


(大行進の様子)

南に北に、広大なるかな共栄圏。盟邦日本の輝かしい戦勝譜。この日満洲国国民の感慨はまたひとしお。ともに戦いともに進まん決意も固く、新京市民は暁かけて、新京神社に忠霊塔に、参拝の波は続いて、皇軍への尽きざる感謝の祈りを捧(ささ)げました。

(祈りの様子)

陸軍航空部隊 緬印国境を制圧      02:34
長い雨の季節も終わって、ビルマには毎日爆撃日和が続く。整備員たちは朝早くから愛機の点検に余念がない。ネジクギ一本にも必勝の心がこもる。
爆弾も愛機の腹にしっかと備えた。
ここインドに近く、我がビルマ陸軍航空基地に闘志満々の荒鷲。敵撃滅の陣を敷く。
出撃の命下り、勇躍基地を進発。

(陸軍航空部隊進発の様子)

はるか眼下にアラカンの峻険(しゅんけん)を望みつつ、国境の密雲を突いてビルマ奪還を呼号するイギリス軍の蠢動(しゅんどう)を封殺す。


(最後)10分33秒のところで。

全輸送力を戦力増強のために

鐵道省

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第133号(1942年12月)11分3秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300518_00000

大元帥陛下 陸士卒業式行幸      02:04
日華提携強化へ汪首席来訪       03:18
枢軸戦没勇士 慰霊祭         02:07
マレーヤシ油の製造<共栄圏産業建設> 01:14
フィリッピン綿花の栽培<共栄圏産業建設> 02:15

大元帥陛下 陸士卒業式行幸      02:04
かしこくも大元帥陛下には、12月17日、陸軍士官学校に行幸、ご愛馬初雪に召させられ、同校第56期卒業生徒を御親閲あらせられました。
諸兵指揮官、額田少将指揮のもとに卒業生は光栄に感激しつつ、御馬前に士気軒昂(けんこう)たる分列行進を行のう。
午後1時20分、大元帥陛下には同校校庭に設けられた卒業証書授与式場に臨御あそばされました。学校長は各中隊長に卒業証書を授与。次いで16名の優等生に、侍従武官より恩賜の品を下賜あらせられる。大東亜戦争下、初の卒業式はここに滞りなく終わったのであります。

日華提携強化へ汪首席来訪       03:18
中華民国国民政府主席兼行政院院長汪精衛氏は、大東亜戦争第1周年に当たり、我が国の赫々(かくかく)たる戦果に祝意を表するとともに、日華提携をさらに緊密化する目的をもって、我が方要路の人々と懇談のため、12月20日、空より晴れの帝都入りをしました。
入京第3日の22日。かしこきあたりにおかせられては、松平式部長官を宿舎大東亜迎賓館に御差遣。汪主席に対し、大勲位菊花大綬章を御贈進あらせられました。
同日午前10時、汪精衛氏は中華民国政府主席の資格をもって、我が皇室に来訪のご挨拶をなし、敬意を表するため宮中に参入。
宮中を退室した汪精衛氏は宿舎迎賓館において記者団と会見、かしこきあたりの熱きおぼし召しに謹んで御礼の言葉を述べ、さらに日華提携強化の方途について率直明快に所信を披瀝(ひれき)しました。

≪汪精衛氏の言葉翻訳≫
「時局問題に関しましては、既に東條総理大臣をはじめ、谷外務大臣、青木大東亜庁大臣と胸襟を開いて懇談いたしたのでありまするが、その結果、ともに今後両国相提携して、もって大東亜戦争完遂に邁進(まいしん)せんとする方途が闡明(せんめい)せられましたことは、誠に欣快(きんかい)とするところであります。」

枢軸戦没勇士 慰霊祭
         02:07
固き盟約の下、東西相呼応する大戦果の影に、米英撃滅、世界新秩序建設の花と散った枢軸盟邦の勇士が数多(あまた)あります。その将兵の忠魂を弔う慰霊祭が12月19日、東京後楽園運動場で頭山満氏を祭典委員(音声中断)、各国大公使、朝野の名士、一般市民ら約6万人の参列を得て、盛大に執り行われました。
英霊よ安かれと、オットー・ドイツ大使。インデルリ・イタリア大使。

(慰霊祭の様子)

マレーヤシ油の製造<共栄圏産業建設> 01:14
激しかった銃砲声も昨日のこと。今や皇軍の庇護(ひご)の下に、ここマライの住民たちは平和な明け暮れを迎え、子どもたちも元気よく働いています。
この子どもの頭ほどもあるやしの実からは、食用やせっけん、その他化学製品になくてはならぬやしの油が採れます。このやしの油は南方重要資源のひとつなので、いま増産が大々的に進められていますが、その製法はやしの実を砕き中にある胚乳を乾燥、これを蒸して、圧搾機にかけて搾ると原油がたっぷり採れます。この原油を精製すれば、もう立派なやしの油です。

フィリッピン綿花の栽培<共栄圏産業建設> 02:15
フィリピンの農業は、今までアメリカのゆがめられた経済政策の犠牲となって、砂糖の栽培にのみ頼っていましたが、今や我が軍政部の指導により、共栄圏における繊維資源の自給自足を目指して、大規模な綿花の栽培に着手しました。開墾されたサトウキビの畑や荒れ地は、水牛を使って地ならしされます。
次は種まき。この地方色豊かな種まきをご覧ください。
南の強い日ざしを受けて発芽した綿の木は、すぐ除草を必要とするほど、すくすくと伸び、大きく育っていきます。綿を一度も作った経験のない住民たちも、共栄圏の綿はフィリピンで、とばかりに、もう来るべき収穫の日を語り合いながら楽しく働いています。

(綿花畑の様子)


(最後)10分53秒のところで。

戰争資材だ!

銅貨 白銅貨 ニッケル貨
みんなアルミ貨と引換へよう

陸軍省 海軍省
大藏省 内務省
大政翼賛會
戰時物資活用協會

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第134号(1942年12月)10分24秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300519_00000&seg_number=002

神国日本 聖上神宮御親拝      02:22
勅題農村新年            02:59
明朗ジャワ共栄圏の譜        02:08
寺内総司令官ビルマ視察<前線迎春> 01:39
儼たり北洋の海鷲<前線迎春>    01:10

神国日本 聖上神宮御親拝      02:22
《字幕テロップ》
「征戦第二年 畏くも 天皇陛下には、はるばる伊勢路に龍駕を進めさせ給い、親しく皇祖の御神霊に皇軍の赫々(かくかく)たる戦果を御奉告、
御躬ら民一億を率い給い、曠古(こうこ)の時艱(じかん)を克服、聖業達成を御祈念あらせらる」
皇紀2602年12月12日、この日御親拝に先立つ午前9時45分、陛下御献進の幣帛を納めた空櫃に従わせられ、梨本祭祀宮殿下をはじめ奉り、内宮司以下は外宮豊受大神宮に参進。
ついで午前10時35分、田中、ひがき両禰宜、近衛将校二員御先行もうしあぐるなかを、天皇陛下には特別御列にて外宮行在所を発御。御下乗所より、御徒歩の御列にて豊受大神宮に御親拝。うやうやしく御告文を奏させたまい、御拝礼あらせられました。
午後1時6分、天皇陛下には行在所発御、内宮に向かわせらる。御陵車は粛々と進み、水清き五十鈴川にかかる宇治橋を渡御あらせられ、御下乗所より、御徒歩の御列にて皇大神宮に御親拝。御告文を奏せられた御後、御拝礼。大前より御退儀(たいぎ)あらせらる。
まこと肇国(ちょうこく)のはじめより、いまだ聖旨拝せざる御事にして、大東亜戦争下、一億民草挙げて聖慮のほどに、ただただ恐懼(きょうく)感激あるのみであります。

勅題農村新年            02:59
国を挙げて米英打倒の意気に燃えるとき、農村から戦場へ、軍需工場へ、今年もまた新たな若者が蹶然(けつぜん)起って行くことであろう。そしてまさに今、けなげにも戦いの庭に召されて行った。
だが、戦争下、食料の確保、増産は一刻もゆるがせにすることはできない。銃後農村を預かる我々はがっちり組んで、去年よりも今年はもっと多くの米を、麦を作ろう。新たなる年を迎えて皇国農民の決意は固い。

明朗ジャワ共栄圏の譜        02:08
(「荒城の月」を歌う日本語学校の女学生たち)
「春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)
巡る盃(さかづき) 影さして
千代の松が枝(え) 分け出でし
昔の光 今いずこ

秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿いし
昔の光 今いずこ」

寺内総司令官ビルマ視察<前線迎春> 01:39
南方方面陸軍最高指揮官寺内大将は、陽光燦(さん)たるビルマの戦跡に立ち、かくも遥けき地に打ち立てた部下、将兵の勲しを偲ぶ。
温かい皇軍の情けに、イギリスの手から解放された、春立ち返るビルマの歓喜は野に山に満ちあふれています。
首都ラングーンに立ち寄った寺内将軍はビルマ行政府長官バーモ博士を引見、打ち連れて郊外のシェ・ダゴン・パゴダにお参りしました。
ビルマへの大きな愛護と日本への尽きぬ信頼をこめて将軍と博士は、新アジア建設の前途を語り合いました。

儼たり北洋の海鷲<前線迎春>    01:10
北洋は今、極寒のさなかにある。アメリカが対日総反攻を呼号する昭和18年。この年、ここ朔北の海洋に堂々哨戒、索敵の任に就く海の荒鷲を見よ。
征戦第二年、南に北に大東亜の大空翔けて、米英撃滅の布陣、厳として揺るがず。

 

1943年1月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19431

日本ニュース 第135号(1943年1月)10分17秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300520_00000&seg_number=002

日泰攻守同盟一周年祝賀会        02:49
陥落一周年の香港<共栄圏便り>     01:00
南ルソンの鉄道復旧<共栄圏便り>    01:04
日本製雑貨、機械の見本市<共栄圏便り> 00:41
OO基地民族舞踊で日本兵を慰問     00:49
南方海鷲基地              01:36
大空の護り前線高射砲陣地        02:08

日泰攻守同盟一周年祝賀会        02:49
昭和17年12月21日、日泰攻守同盟成ってよりここに1年。この日を迎えて泰国では国を挙げての盛大な祝典を行い、首都バンコックの王室寺院ワット・プラケオにおいて、ピブン首相、坪上大使、その他日泰の高官多数列席のもと、皇軍の赫々(かくかく)たる戦果を祝うとともに、ますます両国提携の誓いを新たにしたのであります。
引き続き、泰国外務省において、先に締結された日泰文化協定の批准書が坪上大使とヴィジット外相との間にとり交わされました。
軍事に経済に、また文化に、着々その共同の実をあげている両国の関係はますます強固となり、新東亜建設の基礎はしっかりと築かれていきます。
終わって、一堂は食卓をともにし、うちくつろいで歓談のひとときを過ごし、盛大な祝賀の式を閉じました。
この重なるよろこびにバンコック全市は沸きかえり、戸々に両国国旗を掲げた町を堂々行進する我が軍楽隊にバンコック市民は歓呼をもって応えたのであります。

陥落一周年の香港<共栄圏便り>     01:00
香港陥落して丸一年。温かい軍政のもとに、硝煙の跡も今は昔。市街は旧に倍して賑わっています。
東昭和通一丁目。古いイギリスの殻は既に脱ぎ捨てて、町々は明るく住民達は楽しく、支那大陸南の門戸、香港は共栄圏物資交流の要地として新しい建設の希望に輝き、力強く発展していきます。

南ルソンの鉄道復旧<共栄圏便り>    01:04
皇軍破竹の進撃の前には、橋という橋は無惨にも落とされていました。アメリカ軍の抵抗は、徹底的な破壊戦術であったのであります。だが住民の幸福のためにも、新しい比島建設のためにも、まず鉄道を復興させなければなりません。大東亜戦争の真意を悟って協力した比島人4万の力もさることながら、皇軍指導者の熱意は立派に実を結んで、南ルソンの鉄道は12月23日、立派に開通しました。マニラを出発した処女列車は共栄圏建設のたくましさを示して、驀進(ばくしん)して行きます。

日本製雑貨、機械の見本市<共栄圏便り> 00:41
仏印はカンボジアの首都プノンペン。王宮の中に日本の雑貨、機械類の見本市が開かれています。安くてしかも良質の日本品は、今まで絶えず米英の不当な経済圧迫を被っていたのでありますが、大東亜戦争のありがたさはここにも見られて、すぐれた日本商品が今や、どしどし共栄圏各地の人々に供給されていきます。

OO基地民族舞踊で日本兵を慰問     00:49
ここは灼熱(しゃくねつ)の南の島。○○基地の住民たちは踊ることが生活のすべてであると言われています。彼等(ら)は日頃お世話になる皇軍勇士の慰問にと、満艦飾でやって来ました。せわしい任務の合間に兵隊さんたちは暑さも忘れて、珍しい踊りを満喫しました。

南方海鷲基地              01:36
果てしなき南の大空を赤々と染めた夕日もいつか薄れて、夜の帳(とばり)ここ第一線基地にたれ込める頃。
鵬翼(ほうよく)連ね、密かに行動の時をうかがう海鷲数十機。戦いようやくたけなわならんとする、戦勝第二の新春。遥か故国の山河をあとに、昼も夜も、新しき年の始めも休みなし。今日もまた、折からの月明(げつめい)を利して、我が海の荒鷲は敵地爆撃の壮途にのぼる。

大空の護り前線高射砲陣地        02:08
真上からじりじりと照りつける熱帯の太陽もなんのその、厳然大空をにらんで立つ監視長。前線高射砲陣地には連日猛烈な訓練が続く。
「今日も敵機はおいでがないのか」と無聊(ぶりょう)をかこつ勇士たちも激しい勤務の余暇には、畑の手入れに童心に立ち返る兵隊さんだ。
「非常呼集だ」「敵機だ」パッと一斉に兵舎を飛び出す勇士たち。敵機よ、来(きた)たらば来(きた)れ。我に鉄壁の備えあり。前線の大空は我々の手で守ろう。米英撃滅のその日まで、敵機監視の忍苦の戦いは続けられていく。

 

日本ニュース 第136号(1943年1月)9分46秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300521_00000&seg_number=002

大元帥陛下親臨 陸軍始観兵式 02:27
中華民国米英に宣戦      02:08
決意新なり前線の元旦     01:39
内地に呼応現地造船進捗    01:37
北洋に儼たり帝国海軍     01:50

大元帥陛下親臨 陸軍始観兵式 02:27
皇紀2603の年頭を飾る陸軍始観兵式は、かしこくも大元帥陛下の親臨を仰ぎ奉って1月8日、代々木練兵場において、いと厳かに執り行われました。
かしこくも大元帥陛下には御閲兵の御後、隊伍(たいご)整然、歩武堂々の分列行進をみそなわせらる。大君の辺にこそ死なめかえりみはせじ、尽忠の至誠、いよいよ固き参加諸部隊は陛下の御馬前に帝国陸軍の偉容(いよう)を展開。そのたぐいなき勇武の誉れは錦旗の下、燦(さん)として代々木原頭を圧したのであります。

中華民国米英に宣戦      02:08
《谷情報局総裁》
「情報局発表。昭和18年1月9日午後0時30分。帝国政府声明。中華民国国民政府は本9日、米英両国に対して戦いを宣せり。こと茲(ここ)に至るゆえんは国民政府の宣戦布告に蕭々(しょうしょう)として明らかにして、等しく米英積年の誹謗に災いせられたる、帝国もよく共感しうるところなり。日華両国政府はただちに厳粛なる共同宣言を発出し、米英に対する共同の戦争を完遂するため、両国は不動の決意と信念とをもって軍事上、政治上、経済上、完全なる協力をなすものなる旨を闡明(せんめい)せり。
ここに日華両国の提携は自然の大道にして、米英は両国共同の宿敵なり。
帝国は挙国一致、新中国とともに信じてその大道を歩み、進んでこの宿敵を撃破し、真に日華一体、対米英戦争を完遂、並びに大東亜新秩序の建設に邁進(まいしん)せんことを期し、ここに帝国政府の所信を中外に声明す。」
《徐駐日中華民国大使》
「対日協力の強化によってのみ中国の発展、東亜の解放ありと確信し、我が国民政府は茲(ここ)に決然起って大東亜戦争に参加した次第であります。」

決意新なり前線の元旦     01:39
満目蕭条(まんもくしょうじょう)、寒風肌を刺す北満の荒野にはるか東天を拝す満洲国軍。いよいよ多難なる決戦第三年の元旦にあたり、日本軍に協力、よく北の護りの重任にあたる将兵の決意は、厳然として年とともに固きものがあります。
南の基地、ここ昭南島に意義深き初の新年を迎えた我が海軍部隊では軍艦旗を掲げて遠く皇居を遥拝。
皇軍に協力する原住民もともども大御稜威のもと、米英撃滅の覚悟を新たにしたのであります。

内地に呼応現地造船進捗    01:37
内地に呼応して、現地の造船も着々進み、ここジャワのタンジョン・プリオクでは木造船や小型艦艇の建造が、巨船に平行して大々的に行われています。
かつては戦火にさらされた香港の造船所も、我が造船界の先遣部隊によりあらゆる悪条件を突破してその再建全くなり、新装の巨船は次々と大東亜の海に送り出されています。このように造船においても内地にまた現地に、我々はアメリカの豪語する大計画に対し一歩も譲ることなく堂々と戦っているのであります。

北洋に儼たり帝国海軍     01:50
北洋の島々は雪に覆われ、深い霧に閉ざされている。寒風が吹きすさぶ、しかも哨戒索敵は一日も揺るがせにできない。ここ数ヶ月、連日の嵐もなんのその、アメリカが呼号する北方新航路を扼(やく)して帝国海軍北の護りいよいよ固く敵海空軍のうかがう隙をいささかたりとも与えず。


(最後)9分37秒のところで。

戰争資材だ!

先ずアルミ貨以外の補助貨を挙って供出しませう

大政翼賛會
戰時物資活用協会

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第137号(1943年1月)10分28秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300522_00000&seg_number=002

燦たり帝国海軍輝く観兵式       01:16
昭南警察学校晴れの卒業式       02:04
マニラ砂糖の生産<建設進む共栄圏産業> 01:56
マライ錫の生産<建設進む共栄圏産業> 01:57
打倒米英! 中国の戦意昂る      03:08

燦たり帝国海軍輝く観兵式       01:16
戦勝第二年の決意も新たに、帝国海軍の堂々たる偉容(いよう)を示す横須賀鎮守府海軍始観兵式は1月15日、古賀司令長官観閲の下、海兵団練兵場においていとも勇壮に挙行されました。
南にまた北に、ゆるぎなき健闘を続ける戦友を偲び、堂々古賀観閲官の前を行進する。海ゆかば水漬く屍(みずくかばね)、大君の醜の御盾(しこのみたて)となりて我行かん。兵(つわもの)たちは来るべき日の覚悟に勇気凛然(りんぜん)、頼もしき限りであります。

昭南警察学校晴れの卒業式       02:04
新生マライの治安を受け持つ原住民のおまわりさんは、我が軍政幹部の指導により次々と養成されていますが、これはその第三期練習生の卒業式です。
軍政官どのの激励に対して優等生のパヴェ君は上手な日本語で答辞を読みました。
《パヴェ君》
「私どもは2ヶ月間、短期間ではありますが、校長先生をはじめ各教官どのの親のごときご指導をいただき、大日本帝国警察官の尊き使命の一端を体得いたすとともに、警察精神の神髄に触れ、誠に私どもの職責、重大なるを痛感いたした次第であります。」

マニラ砂糖の生産<建設進む共栄圏産業> 01:56
一望千里、砂糖キビの畑が続く。内地の秋をしのばせるようなキビの穂が焼け付く太陽に白く光る。アメリカやイギリスの利己的政策によって、砂糖キビは共栄圏には多すぎるほど植え付けられていました。そして、その膨大な生産品は全く彼等(ら)の自由にされていたのでありました。
しかし日本の指導の下に、南の産業は最も合理的に整理され、砂糖も今では共栄圏の自給自足の量を目標にして生産されています。
この新しい生産の使命に応えて、砂糖は東亜十億の人々の手に、すみずみまで行き渡るようにと作り出されているのであります。

マライ錫の生産<建設進む共栄圏産業> 01:57
水の圧力で錫(すず)の山が堀り崩されている。掘り崩された泥が強い水の流れに流されると、水の底に錫(すず)の原鉱が残っています。
世界の産額の大半を占めるといわれるマライの(すず)錫は、半島のすばらしい建設と歩調を合わせて開発がどしどし今、進められています。
この水圧式採掘法とともにドレッジャー式と呼ばれる方法も行われています。3000tもあると言われるこの大きな採掘船は、川を自由に移動しながらほとんど自動的に原鉱を採取しています。
集められた原鉱は製錬所に送られて、美しく光る錫(すず)が作られます。近代科学戦になくてはならない貴重な錫(すず)も、かつてはイギリスの独り占めになっていましたが、今や東亜の資源として、続々共栄圏建設のために旧に倍して増産されています。

打倒米英! 中国の戦意昂る      03:08
中華民国、蹶然(けつぜん)起って、米英に戦いを宣す。記念すべき1月9日、国民政府大礼堂において汪主席と重光大使との間に日華共同宣言並びに、租界の返還および治外法権の撤廃等に関する日華協定の調印式が厳粛に執り行われました。

《汪主席》
「中国は茲(ここ)に敢然、大東亜戦争に参加し、盟邦日本と共に米英打倒に邁進(まいしん)するものである。」


同日午後、汪主席は国民大会堂において、参戦の決意を闡明(せんめい)。

《汪主席》
「人も知るごとく我が国はここ百年来、米英の飽くなき圧迫を被って来たのであるが、今回の参戦こそは正に真の自由獲得の唯一の機会である。」

「国民政府還都以来、既に三年。この間、新中国の建設、東亜の復興を高唱してきたが、その三年の努力、三年の苦心が、今こそ完遂の日に達したのである。」

<中国の人々>
「共に起て! 興せ東亜! 護れ東亜! 汪主席万歳! 東亜民族万歳! 万歳!」

我等(われら)が祖国、中国が遂に立ち上がった。今こそ、我々の進むべき道は定まったのだ。首都南京市民の感激もひとしお、参戦の覚悟も新たに喜びの市中行進が行われました。

この日を期して、長い間、上海に盤踞(ばんきょ)していた租界が、日本の手によって、中国に返還される。「国父孫文の遺志」が初めて、達成されるのだ。上海市民は喜びに胸ふくらませて、新中国の輝かしい前途を祝福したのでありました。

 

日本ニュース 第138号(1943年1月)10分58秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300523_00000&seg_number=002

高松宮殿下御台臨 神宮氷上大会 02:30
歓びの半島青年志願兵検査    00:59
新しきジャワ青年工作学校    01:25
明治の邦人が築いたマニラ~パギオ道路<共栄圏便り 01:15
仏印の正月水泳大会と日本製品見本市<共栄圏便り> 01:17
ジャワで新アジア誕生を祝う興亜祭<共栄圏便り> 01:21
仏印 支那国境重慶府を探る   02:05

高松宮殿下御台臨 神宮氷上大会 02:30
第十三回、明治神宮国民練成大会冬季大会氷上競技は、朝日に照り映える聖恩の旗を仰いで、1月20日群馬県榛名湖に開催されました。

かしこくも高松宮殿下には、大会最終日の24日会場に台臨(たいりん)あそばされ、全国8地区の代表274名の感激もひとしお。

天候に恵まれて氷の状態もすこぶるよく、真摯敢闘(しんしかんとう)、多くの日本新記録が樹立されたのであります。

本大会、初の試みである「団体耐久競争」は5名1組、各々(おのおの)5キロの重量を背負って湖いっぱいに作られた滑走路を6周。

15000メートルの長距離を滑走。

参加者の気迫は、そのまま戦場の気迫となって、多大の成果をおさめたのであります。

歓びの半島青年志願兵検査    00:59
半島に特別志願兵制度発布せられて既に、6年。

いよいよ明年からは半島2400万同胞に対し、待望の徴兵令がしかれます。

この広大無辺の聖恩にこたえ奉るべく、烈々の決意を胸に秘めた半島の若人は、今年も光輝ある志願兵制度最後の選考検査を受けるため、各地からぞくぞく帝都に参集。

こぞって米英撃滅の第一線に挺身(ていしん)することになりました。

《検査官》
「身体検査の結果、甲種合格!」

新しきジャワ青年工作学校    01:25
轟々(ごうごう)たる工作機械の響き。

ここはジャワに新しく開かれた工作学校です。

旧オランダ政府は彼等(ら)の植民政策から、今まで原住民を一切の教育機関から閉め出してきましたが、日本の統治以来、ぞくぞく各種の学校が開設されています。

厳格な先生でもあり、また優しい兄さんでもある兵隊さんから訓練を受ける、このジャワの青年たちは「大東亜の次の時代は僕等(ら)の手で」と、一心不乱の練成のかいがあってか、成績は上々と、指導にあたる兵隊さんをいたく喜ばせています。

《兵隊さん》
「主軸。」「主軸受け、メタル。」「あとはベアリング。次に締め付けボルト。」

明治の邦人が築いたマニラ~パギオ道路<共栄圏便り 01:15
フィリピンの夏の首都と言われる避暑地パギオの町外れに、日本人の眠る地があります。

この同胞たちは明治38年にできあがった、マニラとパギオを結ぶベンゲット道路の工事に従事して、不幸あけゆきや事故でフィリピンの土となったのであります。

この立派な観光道路も当時は有名な難工事で、比島人や支那、クーリーでは少しもはかどらず、はるばる海を越えて招かれた日本人の力を待って初めて、完成されたものであります。

この工事を終えてから、比島永住を希望した人たちがミンダナオ島に渡り、有名なマニラ麻の開拓という偉業をなしとげたのであります。

仏印の正月水泳大会と日本製品見本市<共栄圏便り> 01:17
内地では綿入れの季節というのに、これはまた涼しい風景。

お正月に行われたサイゴン駐屯の各部隊合同水泳大会です。

「さあ、泳ぎ初めだ」とばかりに、兵隊さんたちは灼熱(しゃくねつ)の太陽の下で元気にお正月を迎えました。

同じく、サイゴンからのお便り。

今、サイゴンでは日仏両国共同主催の見本市博覧会が開かれています。

大東亜戦争以前とはうってかわって、両国の物資は豊富に、円滑に交流されています。

会場にところ狭しと並べられた精巧な日本商品を目の当たりに見て、仏印の人々は戦う日本のたくましい底力に、今さらのごとく驚嘆しています。

ジャワで新アジア誕生を祝う興亜祭<共栄圏便り> 01:21
ジャワのジャカルタでは新しいアジアの誕生を喜び、またジャワの希望に満ちた前途を祝して、このほど軍官民うちそろって盛大な興亜祭を行い、共栄の喜びを分かち合いました。

日の丸の旗は町々に氾濫する。この住民たちの明るい、朗らかな顔をご覧下さい。

この日、第一の呼び物は相撲大会。

行司は兵隊さん。ジャカルタの双葉や安藝も飛び出して、楽しい一日を過ごしました。

仏印 支那国境重慶府を探る   02:05
仏印と支那の国境地方は文化から遠く離れ、世界にもほとんど知られていない辺境であります。

世界情勢の変転の波は、こうした奥地にまでも及んできました。

奇岩突兀(とっこつ)たる南支那特有の山々に対峙(たいじ)して、白い仏印の国境監視所が建っています。

ここは仏印の最北部、重慶府と呼ばれる部落で、冬は亜熱帯とは思われぬくらい寒いところであります。

支那奥地の物資欠乏から、住民達は国境を越えて、この部落に生活品を求めて集まって来るのであります。

貨幣の両替所もなかなかせわしく、山と積まれた支那の銅貨が仏印の紙幣に替えられ、これで品物を買う人たちで露天市場は賑わっています。

こうしたなかにも、今は袋のねずみとなった蒋政権が米英の仏領アフリカ侵犯を真似て、北部仏印侵入の宣伝をするなど、この仏印奥地の寒村にも一脈の緊張感が漂っています。

 

1943年2月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19432

日本ニュース 第139号(1943年2月)11分4秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300524_00000&seg_number=005

スターマー新独逸大使入京<決戦第三年建設進む共栄圏> 01:16
比島建設へカリバピ運動<決戦第三年建設進む共栄圏> 01:45
ビルマに独立間近し<決戦第三年建設進む共栄圏> 01:02
同生共死へ中国国軍<決戦第三年建設進む共栄圏> 01:11
輸送陣強化へ現地造船の活況      01:31
レンネル島沖海戦戦果<南太平洋作戦> 01:29
空海に活躍海軍部隊<南太平洋作戦>       02:41

スターマー新独逸大使入京<決戦第三年建設進む共栄圏> 01:16
日独伊軍事同盟締結の影の功労者、前駐支ドイツ大使スターマー氏はエルガ夫人を同伴、今度盟邦ドイツの新駐日大使として官民多数出迎えのうちに1月28日、晴れの帝都入りをいたしました。

この日、東条首相は病苦をおして、再開の第81通常議会壇上に立ち、堂々帝国の真意を中外に闡明(せんめい)。

決戦第三年にあたり、枢軸の契りいよいよ固きを加うる旨、力強く声明の折から、新大使の入京はひとしお意義深きものがあります。

比島建設へカリバピ運動<決戦第三年建設進む共栄圏> 01:45
比島が新しき東亜の理念に目覚めてよりここに1年あまり。

東条首相の比島に対する再度の声明に応えるべく、新行政府では来るべき独立の日を望んで着々建設の歩みを進めていますが、現比島事務総長アキノ氏は去る12月8日の開戦記念日を期して勤労奉仕団を結成。

全島にいわゆる「カリバピ運動」を一斉に展開。

引き続き各地を遊説。盟主日本をたたえて比島民衆を前に熱弁をふるいました。

《アキノ氏》
「比島の青年達は無理矢理米軍に編入された。」

「バタァン、コレヒドールに於て、我々の同胞は日本軍の弾に倒れずして、米英の虐待に倒れたのだ。」

「今や比島人は、東洋精神生活への復帰に依ってのみ共栄圏の一員たり得る。」

「日本が我々に與えてくれた崇高なる約束に応えるため、我々は凡ゆる場合に於て没我協力せねばならぬ。」

「これが我々の生きる唯一の道である。」

ビルマに独立間近し<決戦第三年建設進む共栄圏> 01:02
一代の熱血人、バ・モ博士を指導者として、温かき皇軍庇護の下、英米支の呼応するビルマ反抗を尻目に、ビルマ人のビルマ、新しきアジアの支所を打ち立てんとする彼等(ら)。

かつての義勇軍も今は防衛軍に改編され、見違えるばかりの成長を遂げました。

帝国は遅くとも、本年のうちにビルマに独立を与えんとの、このたびの東条声明は、今日まであらゆる辛苦を耐え忍んで、日本に全幅の協力を惜しまなかったビルマ民衆に対し、歴史にかつて見ざる感動を与えたのであります。

同生共死へ中国国軍<決戦第三年建設進む共栄圏> 01:11
国民政府は還都以来、わずかに3年にして、よく30万にのぼる精鋭なる国軍を養いえたのであります。

この精鋭を引っさげて1月9日、中国は堂々米英に戦いを宣し、大東亜戦争に参加しました。

今や、国民政府の決起により、中国国軍の中堅たる、南京中央軍官学校生徒のともに戦わんかなの決意は眉宇(びう)にあふれております。

中国銃後国民もこの参戦を期して、決戦の覚悟も新たまり、国軍の軍服を縫い上げるひと針、ひと針にも打倒米英の誓いがこもり、中国の国を挙げての戦意いよいよ高く、共栄圏建設の巨歩は力強く踏み出だされていきます。

輸送陣強化へ現地造船の活況      01:31
船を造ろう。鋼鉄船であれ、木造船であれ、戦争の完遂にも共栄圏の建設にも、なくてはならぬ船を造ろう。

マライの密林から大きな船材が、ぞくぞく昭南の造船所に運ばれて来ます。

昭南島が生まれてからわずかに1年。

その復興は真に目覚ましく、今では進んで共栄圏建設の戦いに挺身(ていしん)するマライ人や、インド人の住民たちは、日本の技師の適切な指導を受けて、製材から組み立てまで一貫した造船作業に従っています。

内地はもとより、共栄圏の各地で着々進められている大きな鋼鉄船の建造と並んで、よし、その船体は小さくても、短い建造日数とその数によって、大いにその輸送力の増強を助けるべく技師も工員も懸命に働いています。

レンネル島沖海戦戦果<南太平洋作戦> 01:29
《矢野海軍報道部長》
「帝国海軍航空部隊は1月29日、ソロモン群島レンネル島東方に有力なる敵艦隊を発見、直ちに進発。」

「悪天候をつきて之(これ)を同島北方海面に捕捉し、全力をあげ薄暮奇襲を敢行、敵兵力に大打撃を与えたり。」

「敵は我が猛攻を受くるや、蒼惶(そうこう)として反転。」

「南東方に遁走せんとせしが、翌30日さらに、我が海軍航空部隊は昼間強襲を決行し、之(これ)に大損害を与え、敵の反撃企図を破砕せり。」

「本日までに判明せる戦果、及び、我が方の損害左の如し。」

「戦果。」

「戦艦、2隻、撃沈。」「巡洋艦、3隻、撃沈。」

「戦艦、1隻、中破。」「巡洋艦、1隻、中破。」

「戦闘機、3機、撃墜。」

「損害。」

「自爆、7機。」「未帰還、3機。」

「註、本海戦を『レンネル島沖海戦』と呼称す。」

空海に活躍海軍部隊<南太平洋作戦>       02:41
自爆7機、未帰還3機。

南方各地に明るい建設譜が奏でられている反面、今なお南海の果てには、彼我の間に日夜凄愴(せいそう)な死闘が繰り返されていることを忘れてはならない。

戦力回復に狂奔し、いよいよ死闘の度を加えきたった敵の反抗。これこそまた我の最も乗ずべきところである。

我が海鷲は今日もまた不屈の索敵を続ける。機銃の調子はすこぶる好調。

今日の獲物に胸躍らせ、搭乗員の意気、既に、敵を飲む。

厳然たる空の布陣に呼応して、海底深く爆雷を投じながらいささかたりとも敵潜水艦のうかがう隙を与えず、対空共同護衛の下、我が堂々の輸送船団はひたすらに南海を行く。

休みなき監視の目は、敵の6機編隊を早くも発見。

雨と降る爆弾もものかは、我が対空砲火は時を移さず一斉に咆哮(ほうこう)す。

見よ、我が戦闘機は敵機に肉迫する。

悪魔のごとく、我が輸送船団の上空は遂に沈黙、紅蓮(ぐれん)の炎に包まれながら南海に吸い込まれていく。


(最後)10分55秒のところで。

第七回戰時債券
賣出迫る

貯蓄債券 二十円・十円・五円
報國債券 十円・五円
二月二十日ヨリ

大藏省・逓信省・日本勸業銀行

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第140号(1943年2月)11分28秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300525_00000&seg_number=006

朝香宮殿下台臨 神宮スキー大会     02:43
想い出新た星港攻略一周年        01:55
仏印の学生日本留学へ出発<共栄圏便り> 00:43
テント生活で鍛える中国少年少女<共栄圏便り> 00:45
雪解けに備える満洲国艦隊<共栄圏便り> 00:49
香港の消防隊<共栄圏便り>       00:45
科学戦にも凱歌~黒い太陽~       03:40

朝香宮殿下台臨 神宮スキー大会     02:43
第十三回、明治神宮国民練成大会の掉尾(とうび)を飾る、冬季スキー競技会は2月4日から4日間、奥日光において聖恩の旗の下、全国の精鋭千余名を網羅して盛大に挙行されました。

大会劈頭(へきとう)を飾った現役軍人の斥候(せっこう)競技。

兵士たちは重い装備もなんのその。白皚皚(はくがいがい)たる雪の山野を縦横に活躍。

遥かなる、アリューシャンの戦友を偲んで、豪壮な戦闘絵巻を繰り広げました。

軍国乙女の頼もしい姿を見せる女子の回転競技。

大会第二日には本大会白眉の耐久競争が行われました。

幾多の峻険(しゅんけん)難路を含む36キロの走路は3時間余を要する難関でありますが、戦時下若人の敢闘精神は火と燃えて、堂々の成績をあげました。

スキー術が運動とのみ考えられたのは昔のことで、今は直接国防の線につながっていることを思うとき、これら耐久競技に示されている各選手の熱意は真に力強いものがあります。

大会最終日の7日にはかしこくも朝香宮殿下の台臨(たいりん)を仰ぎ奉り、参加者一同の感激もひとしお。

折からの吹雪をものともせず、勇敢な飛躍競技に火花を散らしました。

想い出新た星港攻略一周年        01:55
シンガポールへ、シンガポールへ。

怒濤(どとう)の進撃を続けた皇軍の行く手を阻みし、ジョホール水道。

今は、激戦の記念碑も思い新たに、歴史の大転換を刻みながら静かに流れています。

昭和17年2月8日、炎の海を強行渡河してシンガポールに第一歩を印しながら敵降伏の日を待たで散華した勇士の墓標は、この水道のかたほとりに建てられています。

開戦とともにインドに拉致され、再び、故郷昭南に帰り得た、昭南国民学校の生徒たちは一周忌近く、勇士の墓に詣でました。

冥せよ、勇士の英霊。

君たちの勲しは大きく、君たちの築いた基礎の上に、新しい昭南が、新しい東亜が、着々と建設されていく。

思いを起こす2月15日、山下将軍の敵将、パーシバル引見場たるフォード自動車工場は、星の印も鮮やかに我が軍工場として更生。

イギリスの没落と東亜の興隆をこの一室に象徴せる、歴史的この会見室は、当時の行き詰まる雰囲気をそのままに保存されています。

仏印の学生日本留学へ出発<共栄圏便り> 00:43
東亜の盟主日本へ。

仏印から、男女合わせて10名の留学生が派遣されることになりました。

まだ見ぬ日本を心に描いて、出発を前に日本語の勉強に勤しんでいる彼等(ら)は将来仏印の中堅として活躍するため1月28日サイゴンを出発。

一路、憧れの日本へと向かいました。

テント生活で鍛える中国少年少女<共栄圏便り> 00:45
米英打倒の意気に燃える中華民国では、次の時代を担う小国民の育成に大いに意を用いています。

その練成のひとつとして、少年少女たちのテント生活が広東の郊外で行われました。

一日、汪精衛夫人、陳璧君女史が国民政府宣伝部長、林柏生氏と共にこのテント村を訪れその生活ぶりを詳細に視察。
大いに激励するところがありました。

雪解けに備える満洲国艦隊<共栄圏便り> 00:49
満ソ国境を流れる黒竜江は冬将軍の訪れと、ともに結氷。

北辺の護りを固める満州国江上艦隊は岸辺に閉じ込められています。

しかし、やがて来るべき春の解氷期の活動に備えて、水兵さんたちは厚い氷の張った船の周囲に、堀を穿(うが)ち、珍しい氷上ドックを急造。

船底の修理や、大砲の手入れに、おおわらわです。

香港の消防隊<共栄圏便り>       00:45
香港の消防隊はイギリスの手で組織されただけに、すっかり英国風でありました。

しかし、我が軍政がしかれてからは、皇軍憲兵隊の指導の下に、我が国同様の統制ある訓練が行われています。

磯貝総督もこの消防訓練に臨席して激励しました。

香港防衛の一役を担って彼等(ら)の意気、軒昂(けんこう)たるものがあります。

科学戦にも凱歌~黒い太陽~       03:40
黒い太陽。

この大宇宙の異変は今、地球を吹きすさぶ激しい革新の嵐をよそに、皮肉にも我が北海道とアメリカのアラスカにその神秘な姿を現し、ここに端無くも彼我の間に、観測科学戦をも巻き起こすことになりました。

我が科学陣はこの観測戦でも打ち勝とうと、戦時下、機械の不足も克服し、ここ北海道東南海岸に位置して世紀の一瞬を完全に捉えるべく、備えたのであります。

数ヶ月の長きにわたり、機械の点検や毎日の天気に一喜一憂しながら、苦しい生活を続けたのであります。今や準備、全く成る。

2月5日、ついにその日は来た。

観測地付近には豆天文家も出動して、今後92年間我が国を訪れぬ黒い太陽を待ち受ける。

《字幕テロップ》
「昭和十八年二月五日 午前六時四十五分」

計算に寸分の狂いもなく、太陽は欠け始めた。

あたりは次第に薄暗く、神秘な色に包まれていく。

胸躍る数刻、7時50分ついに皆既食。2ヵ月あまりに及ぶ労苦は今見事に報いられた。

1分52秒の黒い太陽は完全に我が科学陣によって捉えられた。

貴重なる数多くの記録は我が科学陣の確保するところとなった。

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