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2017年1月11日 (水)

日本ニュース 戦争証言アーカイブス 第141号(1943年2月)〜第160号(1943年6月)

 特に1945年8・15までの映像は、大本営発表で検閲済み国策映像。ただし、これはこれで当時の空気を想像・実感するのに役立つ貴重な資料映像です。すべてリンクと再生テキストを資料保存しておきました。なおリンク先ではすべて映像を見ることができます

 

日本ニュース 戦争証言アーカイブス
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi

日本ニュース一覧
「日本ニュース」は、太平洋戦争を間近に控えた1940年(昭和15年)から終戦をはさみ、1951年(昭和26年)まで制作されたニュース映画です。制作したのは、「日本映画社」(※)で、1940年にそれまで4つに分かれていた新聞社や通信社のニュース映画部門を国策により統合したものです。
戦時中の「日本ニュース」は、日本軍や内務省の検閲を受けた後、毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。テレビがない時代、国民は「日本ニュース」が伝える真珠湾攻撃や特攻隊出撃、学徒出陣の様子を映画館で目にしたのです。
「日本ニュース」は、戦争完遂を目的にした国策映画ですが、太平洋戦争中の映像記録として大変貴重なものです。「戦争証言アーカイブス」では、1940年(昭和15年)の第1号から、戦後も含め、1948年末までのものを公開しています。

※(1941年5月までの会社名は「日本ニュース映画社」)
※日本ニュース戦後編の再生テキストは、国立歴史民俗博物館の協力で作成しています。

 

日本ニュース 第141号(1943年2月)11分3秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300526_00000&seg_number=004

産業戦士に 輝く勤労顕功章    02:54
航空決戦の秋 学童一日 空の入営 02:48
敗残の敵国俘虜          02:12
米英の盲爆下 ビルマの憤激昂まる 03:05

産業戦士に 輝く勤労顕功章    02:54
≪東條英機≫
「表彰状、内閣印刷局、イシワラヤクロウ。右の者、平素その職務に精励し、勤労報国の実を挙げ他の模範とするに足る。よってここに勤労顕功章を授与して之(これ)を表彰す。昭和18年2月11日、内閣総理大臣正三位勲1等功2級、東條英機。」

「大東亜戦争の真っただ中におきまして、先般、勤労顕功章令が制定せられ、勤労者の功労を国家的に顕揚するの、顕賞するの道をひらかれたのであります。之(これ)実に勤労者が一切を挙げて聖業翼賛の大道に帰一する、皇国本来の勤労像を宣揚し、しかして以って戦力の増強に大いに貢献せんことを目標として定められたるものであります。」

決戦下、固き信念に燃え、ひたすら生産能率の向上に努めた後衛の産業戦士80名を代表して、関田禮治君は職場から次の如(ごと)き決意を語りました。

<関田禮治君>
「今回、私たちは産業人の最高名誉たる勤労顕功章を拝授いたしましたことは、誠に肝胆忸怩(?)たるものがあります。この光栄を心肝に銘じ、存在にむち打ち、産業戦を必ず必ず我々の手に確保し、増産以って米英を撃滅、大東亜命運の兵は堅実に邁進(まいしん)することを誓います。」

航空決戦の秋 学童一日 空の入営 02:48
荒鷲となる日を待ちかねた僕たち180名は、東日本の各地から選ばれて、2月13日所沢の陸軍航空整備学校へ1日入営をしました。

≪校長≫
「今や皇国日本は食うか食われるかの大戦争中であります。この戦争には石にかじりついても勝ち抜かなくてはなりません。忠誠勇武なる日本男子、特に諸君若人は、踵(きびす)を接して挙げて大空へ大空へと進軍をして、かのにっくき敵米英空軍を撃滅をなし、この大戦争を立派に勝ち抜いてください。」

校長閣下の訓示の後、雛鷲(ひなわし)の兄さんたちの懇ろな案内で1日の学校生活を体験しました。
今年は航空決戦の年であります。国内でも敵に負けずに飛行機の生産が行われている今、少年航空兵を志願する僕たちも、一生懸命勉強して、憎い敵を打ち破る覚悟を固く心に誓いました。

(飛行機に乗り空から見学している様子)

敗残の敵国俘虜          02:12
御稜威の下、皇軍将士の勇戦奮闘は、各地に敵米英両軍を撃砕し、わずか半年の戦闘においてその俘虜(ふりょ)の数は実に35万の多きに達したのであります。この俘虜(ふりょ)たちの一部は我が国内や中国の収容所に送られています。
マライ英軍総指揮官パーシバル中将、米比軍指揮官ウエーンライト中将、同じくキング少将、マクミリン・グァム島総督、スピッツ・蘭印スマトラ総督。これらの指揮官の命を受けてこの俘虜(ふりょ)たちは、忠勇なる皇軍に歯向かい、そのめくら打ちの玉は、あるいは我が父を傷つけ、あるいは我が子、我が夫の命を奪ったのであります。
しかるに、一度戦い利あらずと見るや、我先に我が軍門に投降して何ら恥じる色無きは誠に我々の考え及ばざるところ。しかも我が武士道は、彼らを戦時俘虜(ふりょ)として扱い、適当な仕事を与えているのであります。
翻って米英に残された我が在留同胞は如何(いか)に。鬼畜の如(ごと)き米英は非戦闘員たる我々の同胞を、俘虜(ふりょ)以下の待遇をもって虐待しているのであります。誠、米英こそは人類、正義の敵であります。

米英の盲爆下 ビルマの憤激昂まる 03:05
敗勢の挽回(ばんかい)に焦る東部インド残存のイギリス兵は、笑止にもビルマ奪還を呼号してこのところ挑戦しきりで、ラングーンをはじめ各地の病院、パゴダ等の非武装地帯に盲爆を加え、今独立の希望に燃えるビルマの民心攪乱(こうらん)に躍起となっています。
かくの如(ごと)き人道を無視する米英の暴挙は、彼らの意図に反しビルマ人を極度に憤激させ、かえって敵がい心を煽(あお)る結果となり、ついにビルマ女性も看護婦として立ち、住民たちは日本軍への変わらぬ信頼とともに、米英何するものぞ、の固い決意を持って堂々と戦っているのであります。
ビルマ派遣軍当局では、このビルマ人のけなげなる決意に応えて悪逆非道の盲爆による犠牲者に対し弔意見舞い金を送ることになり、飯田最高指揮官からバーモ長官にその目録が送られました。
度々の盲爆にもひるむことなく、ラングーンの防空隊は現地軍の指導により敵機の侵入に備えて日夜猛訓練を重ねています。
これとともに現地軍の防空体制は微動だにせず、敵必死の反攻を封殺し、かくて共栄圏の西部は厳然と守り続けられているのであります。

 

日本ニュース 第142号(1943年2月)7分57秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300527_00000&seg_number=002

軍需生産へ 大御心    01:20
昭南神社 鎮座祭    02:41
独立へビルマ 比島突進 02:27
焼夷弾の威力      01:26

軍需生産へ 大御心    01:20
かしこくも天皇陛下には、決戦下軍需品の増産増強をご進言あそばされ、全国の各重要工場に侍従武官を御差遣の旨、御沙汰あらせられました。
この光栄に浴した工場は数多いのでありますが、2月21日には侍従武官、清家陸軍大佐を神奈川県下の一工場に御差遣。つぶさに工業第一線の模様を視察せしめられました。
この手緩めば戦力鈍る、工員らはかしこき聖慮の程を拝して感激もひとしお。いよいよ生産戦に奮励努力、ご奉公の誠をいたし、大御心を安んじ奉らんことを誓ったのであります。

昭南神社 鎮座祭    02:41
硝煙ようやく収まった昨年の4月、我が国南の門戸、昭南の地を守り鎮めたまえと昭南神社ご造営が企てられました。
その偉業は、現地軍官民の不休の努力によりこの程立派に完成し、2月15日シンガポール陥落1周年の意義深き日を卜(ぼく)して、鎮座祭の御儀がいと厳かに執り行われました。
昭南随一の風光を謳(うた)われる旧マクリッチ貯水池の傍ら、広大な神域はゴム林に囲まれてあくまで神々しく、陸海の将兵、一般邦人ら、神前に額(ぬか)ずいて皇国の弥栄(いやさか)を祈りました。

≪少女≫
「1昨年の12月8日、大東亜戦争が始まると私たちはインドのニューデリーの収容所に抑留され、英国人にいろいろ侮辱を受けましたが、皇軍進むところ必ず勝利あり、兵隊さんたちの尊い血によって占領された名も新たな昭南の地へ、今度交換船で無事帰国できましたことを心からありがたく思っています。今日はシンガポール陥落の1周年記念日です。私たちは今神様の前で、これから一生懸命勉強して強い立派な日本人になりますとお誓いいたします。」

この盛儀に、現地邦人の喜びは大きく、原住民ともども神国の御光遍(あまね)きありがたさを分かち合い、昭南市は慶祝一色に塗りつぶされたのであります。

独立へビルマ 比島突進 02:27
フィリピンに行政府が成立してからここに1年。この間、我が現地軍官民の指導の下に比島は更生への道を進んできましたが、彼らの努力は報いられて、輝かしい独立の希望は将来に約束されるに至りました。
全比島人はこの高潔な日本の志に尽きぬ感謝の民衆大会を開きましたが、この比島人の決意に応え、田中比島方面陸軍最高指揮官は激励の言葉を与え、なお一層の努力を要望しました。

≪田中静壱中将≫
「思うに、日本を盟主とする日比の親善提携こそは自然の大道であって、論理的帰結なるに関わらず、従来その真旨(しんし)を宣言し、古代史以前のものは実に米英の非道義的劣悪に存するのである。」

この1年に独立を許すとの歴史的東條声明に感激したビルマ人は、去る2月5日からビルマ全土にわたりこの声明を記念し、いよいよ共栄圏建設に協力せんとの感謝の民衆運動を一斉に展開。この日首都ラングーンにあって指導者バーモ長官は、熱弁をふるってビルマ人の一層の奮起を促したのであります。
右か左か、攻防浮沈の瀬戸際にある隣国インドに比べ、東亜建設の理想に目覚めたビルマには早くも独立建国の黎明(れいめい)が輝かしくも訪れようとしているのであります。

焼夷弾の威力      01:26
大型焼夷弾とはどんなものか、その威力を広く知らせるため2月14日大阪において焼夷弾の実験演習が行われました。
ここに使われた焼夷弾は支那(シナ)前線で押収したアメリカ軍のもので、それぞれ20キロ、50キロの油脂弾および黄燐弾であります。
一見ものすごい威力を発揮すると思われるこの大型焼夷弾も、訓練ある隣組防護団員の消火の前には常備の砂、むしろ、防火用水で立派に消し止められ、尊い実験の結果が得られたのであります。
備えあれば憂いなし、敗戦の面目挽回(ばんかい)策にアメリカが唱える日本本土空襲もたゆまざる防空訓練と必勝の信念の前には全く恐るるに足らないのであります。


(最後)7分48秒のところ。

第七回戰時債券
賣出中

貯蓄債券 二十円・十円・五円
報國債券 十円・五円
三月二十日マデ

大藏省・逓信省・日本勸業銀行

(日本ニュース 終)

 

1943年3月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19433

日本ニュース 第143号(1943年3月)8分44秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300528_00000&seg_number=003

印度独立 国民救援大会<蹶起せよ印度> 02:43
独立宣言民衆大会<蹶起せよ印度>    01:07
軒昂たり前線重砲隊           01:33
大陸作戦(蘇淮戦線)          03:16

印度独立 国民救援大会<蹶起せよ印度> 02:43
苦闘する東亜の友インドを救え、暴虐イギリスに対して今や立ち上がらんとするインド民衆に、力強い援助と激励の決意を伝えるインド救援国民大会が2月27日東京に開かれ、3千の参会者を前に烈々たる決議文が朗読されました。

≪代表者≫
「我らはマハトマ・ガンジー執政の念願成就を熱祷(ねっとう)し、インド独立に協力して凶暴米英の撃滅を期す。昭和18年2月27日、インド救援国民大会。」

<奥村情報局次長>
「70有余年の全生涯を捧(ささ)げて悲壮なる反英抗争に終始した、偉大なる世紀の英雄にしてまたインド永遠の魂とも言うべきガンジーは、彼に残されたる最期の武器、唯一の武器、断食の行をもって暴戻なる英国の弾圧に抗し、それは今や死をもって、自らの死をもって最後の抗争を遂げることを宣言したのは去る2月10日のことであります。この実行に入りましてより既に17日の期日を経過いたしたのであります。イギリスの総理大臣チャーチルはこれまた一昨日、ガンジーの断食に関する議会の質問に答えて、ガンジーの断食は自らだったのであってイギリス政府の許可を得たものでないからしてその責任を負わん、というようなたわけたことを言っているのであります。」

独立宣言民衆大会<蹶起せよ印度>    01:07
帝国政府はインドの完全なる独立に援助を惜しまぬことを闡明(せんめい)。2月26日にはインド人を敵国人としての取り扱いから除外することを明らかにしました。
これより先1月26日、昭南インド独立連盟では独立宣言民衆大会を開催。昭南支部長ゴーホ氏は独立のため挺身(ていしん)する決意を披瀝(ひれき)して、次のように誓いました。

≪ゴーホ氏(字幕テロップ)≫
「吾々は印度及印度人の統一結合を誓ふ、吾々は祖国印度が他の独立国と同様なる自由と独立とを獲得せんが為吾々の最善を盡す事を誓ふ、吾々は他の制圧を脱して印度人の印度政府樹立を誓ふ、神よ守り給へ」

軒昂たり前線重砲隊           01:33
インドに支那(シナ)に隣する国、ビルマ。対日反攻のあがきをここビルマ奪還に傾倒して蠢動(しゅんどう)を続ける米英蒋共同作戦を迎え撃つ我がビルマ方面派遣軍は、一斉進撃の時ようやく切迫して将兵の意気正に天を衝(つ)く。焼き付く炎熱もものかは、火の出るような猛演習を行っています。

(弾を込め砲弾演習をする様子)

大陸作戦(蘇淮戦線)          03:16
沙市、南昌両地区の作戦とともに、蘇淮(そわい)地区に孤立、残存する重慶直轄第89軍に対して皇軍は2月13日一斉に行動を開始、我が春季進攻の一大掃討戦の火蓋(ひぶた)を切って落としました。
この作戦には友邦日本と同生共死の意気に燃える国府軍新鋭部隊も参加して、皇軍と密接な協力の下に堂々の進撃を行いました。
蘇淮(そわい)地区特有の網の目の如(ごと)きクリークや沼沢(しょうたく)に包まれた敵第一線陣地を一気に突破。潰走(かいそう)する敵を急追して車橋鎮に拠る敵主力に対し南北より猛攻を加えました。

(猛攻の様子)

かくて2月16日の朝まだき、ついに車橋鎮を完全に占領。大東亜戦参戦後初の光明に輝く国府軍とともに、我が精鋭部隊は感激の入城を行いました。

 

日本ニュース 第144号(1943年3月)7分59秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300529_00000&seg_number=002

海軍スキー演習             01:59
スマトラ陸軍落下傘部隊 慰霊祭<共栄圏だより> 00:45
フィリピン兵士の温泉療法<共栄圏だより> 00:36
タイ海軍の訓練<共栄圏だより>     00:55
大陸の宣撫進む             01:11
広州湾進駐               02:28

海軍スキー演習             01:59
北満の警備に、アリューシャンの戦線に、スキーは重要な兵器として国防の重任を果たしています。青森県大湊警備府では早くからこの必要を認め、猛訓練をもって精鋭スキー部隊の名を知られています。近代的装備の将兵は白雪をけだて丘から丘へ森から森へと縦横に駆け巡り、冬季作戦の妙技を遺憾なく発揮。

(スキーで移動しながらの訓練の様子)

この猛訓練あってこそ北辺の守りはいよいよ堅く、南はソロモンから北はアリューシャンへ幾千キロにわたる世界驚異の大作戦が見事に遂行されていくのであります。

スマトラ陸軍落下傘部隊 慰霊祭<共栄圏だより> 00:45
南の大空に真白き大輪の花を咲かせて我が陸軍落下傘部隊がスマトラ・パレンバンに天下って油田地帯を占領し、世界の耳目を驚嘆せしめてからちょうど1年。赫々(かくかく)たる武勲を立てここに散華した勇士の慰霊祭は、2月14日の1周年記念日にここ思い出の奮戦の地で厳かに執り行われました。

フィリピン兵士の温泉療法<共栄圏だより> 00:36
マニラ市郊外のラグナ湖付近はフィリピンでも名のある温泉地です。バターンやコレヒドールに勇ましく戦った白衣の兵隊さんたちは再起奉公の鍛錬所としてこの温泉を利用し、住民の子どもたちと一緒に温泉プールに浸りながら1日も早く丈夫になるようにと暇をみてはじゃぶじゃぶやっています。

タイ海軍の訓練<共栄圏だより>     00:55
盟邦タイ国海軍の砲艦シーアユター号、タイ国最大を誇るこの軍艦は我が国で建造されたもので、艦上では国家、名誉、勇敢、訓練をその基本綱領としてタイ国海軍の精鋭は日本海軍とともに大東亜海鎮守の重任を果たすべく日夜猛訓練を行っています。

(訓練の様子)

大陸の宣撫進む             01:11
大東亜建設の大業に参加せよ。力強い標語を部落部落にまき散らす大陸宣撫(せんぶ)班。中支一帯に始められた春季進攻の武力戦と並んで、重慶軍掃討の終わった地区にすぐさま宣撫(せんぶ)班は突進して民衆の啓蒙に挺身(ていしん)する。
中国の参戦により中国民衆の進むべき道がはっきりと決まった今日では、和平地区の宣撫(せんぶ)はもちろん、対敵放送さえもこの大陸宣撫(せんぶ)班が積極的に行っています。
最近大陸戦線において非常に目立つ投降帰順の増加の現象にも、宣撫(せんぶ)班は貴重な一役を買っています。

広州湾進駐               02:28
南支那広州湾フランス租借地周辺に盤踞(ばんきょ)、蠢動(しゅんどう)する重慶軍に鉄槌(てっつい)下る。帝国陸海軍部隊の精鋭は2月16日未明、緊密なる協同の下、南支那雷州半島に奇襲上陸を敢行しました。無血上陸に見事成功した皇軍はただちに快速進撃を続け、同日早くも雷州県城を抜き、各所に敗敵を蹴(け)散らし、フランス側の完全なる了解の下に2月21日、広州湾フランス租借地に進駐を終わりました。
2月25日、ドメック広州湾租借地長官は、しかるに我が南支方面陸海軍最高指揮官を訪問。先に円満締結された共同防衛を祝し、更に我が軍への全面的協力を惜しまず日仏協定の完全な実を上げんことを誓ったのであります。

 

日本ニュース 第145号(1943年3月)10分31秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300530_00000&seg_number=003

東條首相 南京訪問 02:15
ビルマ奥地開拓   02:54
現地にも海員の養成 01:04
前線へ女子挺身隊  01:31
海鷲南海の索敵   02:41

東條首相 南京訪問 02:15
東條首相は3月12日東京を出発、翌13日汪主席をはじめ日華両国軍官民多数の出迎えを受けて南京に到着、直ちに支那派遣軍総司令部に向かい、畑大将に会見、種々懇談を遂げました。
同日午後5時半、首相は汪主席を公館に訪問。先の主席の我が国来訪の答礼の挨拶を述べるとともに、中華民国の参戦による協同戦争完遂の方策に関し、両者ひざを交えて隔意なき意見の交換を行い、なごやかながらも誠に意義深き会談を終わりました。
この首相今回の南京訪問こそは、日華国交に新紀元を画するもので、同生共死の盟約はここに一段と深められ、米英の走狗、重慶に与えた打撃はけだし甚大なものがあったと言えましょう。
翌14日首相は上海に向かい、港口に浮かぶ帝国軍艦出雲に吉田支那方面艦隊司令長官を訪問、大東亜戦争勃発当時の戦況をしのんで歓談するところがありました。

ビルマ奥地開拓   02:54
鬱蒼(うっそう)たるビルマの密林をついて、今未開地の開拓が力強く押し進められています。象の大きな力が体力の代わりを果たしているのも南の国らしく、またこの開拓の難工事を物語っています。いまだかつて斧(おの)の入れられたことのない深山にきこりの音がたくましくこだまする。輝かしい独立を近く控えたビルマに与える我が援助は惜しみなく、米英蒋の反攻を粉砕する作戦と並んで皇軍の奥地開拓部隊は進んで行く。

(大きな木を倒す様子)

橋1つ架けるのにも大変な労力のいるこの地味な任務に、心から協力する原住民の顔も明るく、新しいビルマの建設は1日ごとに進んで行きます。

(橋を架ける様子)

現地にも海員の養成 01:04
共栄圏物資輸送の一翼を担うべく現れた木造船の建造は、今南方でも盛んに行われていますが、これとともに海員の養成計画も着々進められ、先頃昭南では現地人の立派な船員を作りあげるべく、我が軍政府の骨折りで現地海員養成所が開かれました。多くの志願者の中から選抜されたこれら第1期生200名は、我が方指導者の日本語の号令にもすっかり慣れて、基本訓練やマスト登りなどに忙しい毎日を送っています。やがて4ヶ月の訓練が終われば、これら現地人海員の颯爽(さっそう)たる姿が大東亜海の至るところで見られることでありましょう。

前線へ女子挺身隊  01:31
建設部隊を乗せた輸送船が、ニューギニアの基地を目指して進んでいます。この中には固い決意を胸に、懐かしい内地を後にした健気な日本女性の一団も加わっています。我が制圧下にあるとはいえ、今なお硝煙低く垂れ込め激戦続く南太平洋、油断は絶対禁物です。彼女たちは毎日避難の訓練を怠りません。
長い航海を終えて無事基地へ到着した一行を、たくさんのパプア人が出迎えています。すがすがしい南国の朝、力強い初の訓示に、彼女たちの南の建設への第一歩が踏み出されました。

海鷲南海の索敵   02:41
南太平洋水域、そこでは日米の膨大なる航空部隊がわずかの海面を隔てて相対峙(たいじ)し、悽愴(せいそう)なる航空撃滅戦が展開されている。先の挺身(ていしん)作戦において、我が方は強力なる前進航空基地の設定に成功し、この根拠地から不屈の索敵が連日繰り返し続けられている。南海の水はあくまでも青く、砂地のように見える水中の珊瑚(さんご)礁に包まれたソロモンの島々、敵が強靱(きょうじん)なる補給路を頼んで猛烈な反攻に出てくるこのソロモン上空では、アメリカ空軍を殲滅(せんめつ)する戦いが日1日と激しさを加えている。
南の海に朝が訪れる。航空母艦の活動は夜明けとともに激しさを加える。帝国海軍の訓練はそのまま実戦に通じ、戦闘は猛訓練の延長に他ならない。燦(さん)たる敵航空兵力撃滅の陰に、将兵不屈の精進と、燃える闘魂のあることを忘れることはできない。

(航空母艦から航空機が発進する様子)

 

日本ニュース 第146号(1943年3月)7分25秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300531_00000&seg_number=005

バーモ長官一行 来朝        02:21
租界還付実現へ           00:50
産業少戦士 壮行会<少年進軍譜>  00:59
天津海洋少年団の訓練<少年進軍譜> 00:44
昭南ゴム工場            02:26

バーモ長官一行 来朝        02:21
大東亜共栄圏の建設に一意挺身(ていしん)する新興ビルマの行政府長官バーモ氏は、モンミヤ内務長官、テーモン財務長官、オンサン・ビルマ防衛軍司令官とともに帝国政府の招きに応じて来朝の途次、寺内南方方面陸軍最高指揮官を訪問、歓談いたしました。
バーモ長官の一行は3月18日、星野内閣書記官長、関係各省次官らの出迎えを受けて、東京羽田飛行場に到着しました。
かしこきあたりにおかせられては、バーモ長官一行のビルマにおける皇軍への協力を思し召され、22日勲章贈与の御沙汰あらせられました。
バーモ長官はじめ一行はこの光栄に感激、栄えある勲章を胸に、同日午後官邸に東條首相を訪問、来朝の挨拶を述べました。
バーモ長官一行のこの度の来朝こそは、大東亜建設の大業が着々進ちょくしつつあることを如実に物語るもので、特にいまだイギリスの圧政にあえぐビルマの隣国インドに与えた影響は計り知れないものがあると言えましょう。

(バーモ長官一行が東條首相と談笑している様子)

租界還付実現へ           00:50
帝国政府は日華提携の根本精神にのっとり、去る1月9日、世界に先んじて中国の解放を約したのでありますが、3月初めから日華両国委員の間に租界還付実施の具体的協議が進められ、わずか10日間で双方の意見は完全に一致し、3月14日我が方よりは重光大使以下、中国側よりはチョ民誼(ちょみんぎ)外交部長以下が国民政府外交部に参集、専管租界還付実施に関する細目取り決めの歴史的調印式が行われました。かくて新中国の基礎は、いよいよ固きを加えつつあります。

産業少戦士 壮行会<少年進軍譜>  00:59
この春国民学校卒業とともに、雄々しくも産業戦士として立ち上がる東京市3万5千少年少女の壮行会が、3月19日東京日比谷公園広場で行われました。この日特に東條首相も出席、親しく激励の言葉を送れば、戦士代表トクモト君立って力強く宣誓を行う。

≪トクモト君≫
「本日私ども産業少戦士の門出にあたり、ここに盛大なる壮行の会をお催し下され、数々の御訓示、御祝辞を頂き、誠に感謝に耐えません。今日のこの感激と喜びとは、生涯私どもの胸の底に残って、熱となり力となって私どもを導くことと信じます。」

天津海洋少年団の訓練<少年進軍譜> 00:44
内地の友達に負けるものかと、天津の海洋少年団も元気で訓練にいそしんでいます。格好も水平さんそっくりなら、船の操縦や手旗信号も堂に入ったものです。僕らは海の子、米英艦隊何するものぞと、ここにも銃後少国民の意気軒昂(けんこう)たるものがあります。

(訓練の様子)

昭南ゴム工場            02:26
ゴムといえばすぐマライを連想するくらい、ゴムはマライの大きな産物であります。かつてはイギリスが経営したこのゴム工場も、我が軍政幹部の管理工場として更生し、原住民の工員たちも、まず作業の始めに日の丸の旗に敬礼、新しい意気込みで生産に励んでいます。原料を最も手近に求められる工場でありながら、イギリスの植民地搾取の政策から規模も小さく、技術もあまり進んでいませんでした。しかし今では南方には誠に数少ない製品工場の1つとして、生活必需品を生産し共栄圏を潤しています。最近では我が優れた技術指導により、その生産量も飛躍的に増加し、共栄圏建設の将来に大きな希望を約束しております。

(ゴムを生産する工程、靴底部分にゴムをあて靴を製造する様子)

 

日本ニュース 第147号(1943年3月)8分1秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300532_00000&seg_number=002

ビルマ独立 大綱成る         02:38
ビルマ防衛軍志願者身体検査<力強し共栄圏> 01:14
社会復帰する比島捕虜<力強し共栄圏> 00:45
ネグロス島の木材生産<力強し共栄圏> 01:31
日中両国の演習<力強し共栄圏>    01:49

ビルマ独立 大綱成る         02:38
先にかしこきあたりより勲章拝受の光栄に浴したビルマ行政府長官バーモ氏一行は、入京第6日の3月23日、我が皇室に敬意を表し奉るため宮中に参内、天皇陛下に謁見(えっけん)仰せ付けられ聖恩のほどに感泣、新ビルマの建設に邁進(まいしん)せんとの決意を更に固めたのであります。
本議会の最終日たる25日、東條首相立って大東亜建設の現段階につき実情報告を行い、特にビルマの独立に関しては帝国政府の所信を次の如(ごと)く中外に宣明。

≪東條首相≫
「ビルマの独立に関し、帝国の祈念いたしまするところは、新ビルマ国がその総意と責任とにおいて速やかに完全なる独立国の実を備えまするとともに、大東亜共栄圏の一貫たる道義に基づく新国家として、帝国と密に提携協力、もって世界新秩序の創造に寄与することであります。特に帝国はビルマが速やかに戦争完遂に即応するの体制を整備せんことを期待してやまないものであります。」

道義に基づく帝国不動の信念を表明した東條首相の演説を傾聴して、感激いまだ冷めやらぬバーモ長官は、同日午後から宿舎たる大東亜迎賓館において記者団と会見。ビルマ1700万民衆の独立への歓喜の声を代表して、本次の来朝により受けたる多大の感銘は必ずや新ビルマの建設促進に大なる効果あることを信じ、我らは血の最後の一滴までも大東亜新秩序の建設に資せんとの烈々たる決意を声明したのであります。

ビルマ防衛軍志願者身体検査<力強し共栄圏> 01:14
ビルマの若人よ、防衛軍に志願せよ。募兵のビラがビルマの町々にはられています。この度のバーモ長官の来朝により新ビルマ国建設の大綱はいよいよ定まり、ビルマは輝かしき独立を目指して国内体制の整備に着々邁進(まいしん)していますが、まず名実ともに実力ある軍隊を作り、大東亜の建設戦に寄与しようと防衛軍の募兵が既に各地で開始されています。この募兵に応じて新国家建設の意気に燃える志願者は続々集まり、体格検査が厳重に行われています。
甲種合格となったビルマ青年の眉宇には、やがて防衛軍の一員となって共栄圏の建設に挺身(ていしん)する決意が漲(みなぎ)っています。

社会復帰する比島捕虜<力強し共栄圏> 00:45
バターンやコレヒドールで皇軍への抵抗を強いられた数多くのフィリピン人俘虜(ふりょ)たちに、再起更生の練成を与えた我が軍の指導は暖かく、心身ともに鍛え直された俘虜(ふりょ)たちは、次々に同じく生まれ変わったフィリピンの社会へと送り出されています。右手を差し上げて再出発を誓う彼らの行く手には、新比島の建設、そして大東亜の建設という大きな希望が待っています。

ネグロス島の木材生産<力強し共栄圏> 01:31
木材に恵まれた南の国々の中でも、比島はその産出量が特に豊かであります。戦火鎮まってわずかの月日の間に新しく生まれ変わろうとするフィリピンの意欲はここにも見られて、着々共栄圏産業の開発は進められています。このネグロス島にある大規模な製材工場も、我が軍政部の管理の下に造船や建築になくてはならぬ材木を供出しています。古きアメリカの殻を脱ぎ捨てて、今やアジア本来の剛健な姿に立ち返らんとするフィリピン。ビルマに続いて将来の独立を約束されたその栄誉に応えるべく、大東亜建設の大業に協力する新比島のたくましい姿を田中比島方面陸軍最高指揮官は親しく視察、激励しました。

日中両国の演習<力強し共栄圏>    01:49
鼓舞堂々、南京の市街を行進する日華両国陸軍の精鋭。宿敵米英に戦いを宣して我が国と同生共死の盟約にあくまで生きぬく道を求める中国では、汪主席以下一体となって国軍の整備強化に奮闘し、日華共同の演習を行っては皇軍の優れた戦闘技術の中から近代戦の妙を体得しようとしているのであります。汪主席も陣頭に立って、畑大将とともに熱心に観戦する。
中国国軍は組織なお日浅しとはいえ、既に蘇淮(そわい)作戦において皇軍に協力、赫々(かくかく)たる戦果を収めたのでありますが、日夜重なる猛訓練にいよいよその実力を養い、米英打倒の一翼を担わんとする意気は誠に頼もしき限りであります。

(演習の様子)

 

1943年4月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19434

日本ニュース 第148号(1943年4月)9分30秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300533_00000&seg_number=002

東条首相 満洲国訪問  02:06
靖国神社 臨時大祭近し 01:15
合同海軍葬       01:22
木造船建造進捗     01:34
ポートダーウイン爆撃  03:09

東条首相 満洲国訪問  02:06
東條首相は今回満洲国皇帝陛下のご機嫌奉伺と、大東亜戦争下同国の我が国に対する全面的協力に感謝するため、また併せて現地書記官の視察を行うため満洲国を訪問。4月1日(いちじつ)、梅津関東軍司令官、張国務総理以下、日満両国軍官民多数の出迎えを受けて新京に到着しました。
翌2日、首相は帝宮に進宮。皇帝陛下に接見を賜り、陛下のご機嫌を奉伺いたしました。先に南京を訪問した東條首相は、中国国民政府首脳部と日華協同戦線に関する懇談を遂げましたが、2日後も更に首相は国務院に張国務総理を訪れ、大東亜建設の中核たる日満華三国関係の強化および東亜の団結に関する重要な会談を遂げたのであります。

靖国神社 臨時大祭近し 01:15
≪大祭委員長・豊田海軍大将≫
「今回、合祀を奏請されます祭神は約2万柱でありまして、いずれも満洲事変、支那事変において赫々(かくかく)たる武勲を立て、御国に殉ぜられた方々であります。大祭参列のため上京せられるこれら祭神のご遺族は約4万人に達し、今までにない多数に上るのでありまして、しかもその大部分は童幼(どうよう)婦女子であります。時局がら交通その他各方面で一般の方々の不自由は重々承知いたしておるところでありますが、これらご遺族の心情を察せられまして、在京間は申すにおよばず、旅行中も皆様のご協力、ご援助により何かとご便宜をはかられまして、滞りなく参拝を終えることができますことをお願いいたします。かくして一億一心、聖戦目的完遂に邁進(まいしん)することこそ、大御心(おおみこころ)に沿い奉り、英霊に応えるゆえんであると信ずるのであります。」

合同海軍葬       01:22
豪州の重要拠点シドニー港の奥深く進入、あるいはまたインド洋の彼方、はるけきマダガスカルのディエゴスアレス湾に奇襲を敢行。大君の醜(しこ)の御盾となって散華した第2特別攻撃隊中の10勇士をはじめ、大東亜戦争に護国の神となられた海の勇士を送る合同海軍葬は、春雨けぶる3月31日、呉鎮守府においていと厳かに執り行われました。
尽忠壮烈の武勲燦(さん)たり。仰げば尊し、両陛下御下賜の祭祀料に、純朴の血を分かちし、その父、その母、妻、同胞(はらから)は、栄光にあふれてただ伏し拝む。諸士が勲しは千歳不朽にして、その忠烈は我ら一億等しく受け継ぎて、大東亜戦争をあくまで完遂せんと固く誓い奉る。

木造船建造進捗     01:34
ここ伊豆、天城の御料林に丁々たる斧(おの)の響きがこだまする。1日(いちじつ)、井野農林大臣は船の増産に敢闘する山の人々、海の人々を激励すべく、陣頭指揮に乗り出しました。亭々たる巨木は次々と切り倒され、愛国の熱情はひたすら船へ海へ。
一方、全国の海辺に設けられた造船所では、あの山の人々が精魂込めて切り出した木材によって、大東亜の海洋に活躍する木造船の建造が着々進められ、今日も一隻また一隻と、船を作る人々の喜びを乗せて進水していきます。

(船が進水する様子)

かくて国を挙げての造船進軍譜は今や最高潮に達し、海国日本の真価は遺憾なく発揮されております。

ポートダーウイン爆撃  03:09
南の空に跳梁(ちょうりょう)する敵機の巣窟(そうくつ)、ポートダーウィン。敵の活発なる反撃態勢の兆しを察知せる我が海鷲の精鋭は、白昼堂々これに鉄槌(てっつい)を下さんとす。澄み渡る朝の大気を切って、力強い隊長の命令が下された。兵士の眉宇には、たたいても、たたいても、数を頼んであくなき反抗を示す敵兵力撲滅の決意漲(みなぎ)り、兵士を(音声中断)

 

日本ニュース 第149号(1943年4月)8分32秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300534_00000&seg_number=005

北ビルマ国境 蠢敵掃蕩戦        02:31
パゴダ爆撃の英機を撃墜<共栄圏だより> 00:52
ダイナマイトで魚捕り<共栄圏だより>  00:47
柔道習うフィリピン警官<共栄圏だより> 00:58
タイで71組の集団結婚式<共栄圏だより> 00:45
比島産業の動脈完成           02:31

北ビルマ国境 蠢敵掃蕩戦        02:31
ビルマ周辺に蠢動(しゅんどう)を続け、ビルマ奪還を呼号する敗残の英蒋の両軍に対し、皇軍は遂に一大掃討戦の火蓋(ひぶた)を切って落とした。士気天を衝(つ)く我が精鋭は、雲南省怒江地区の援蒋路にわずかに余喘(よぜん)を保つ重慶軍を一挙に粉砕せんと、2月15日一斉に行動を開始した。炎熱焼くが如(ごと)き南方戦線とはいえ、ここ雲南の最前線は峻険(しゅんけん)ヒマラヤに連なる高黎貢山脈重畳し、その頂は積雪1メートルにも達するという。重慶政府が怒江、昆明防衛の天然の障壁と頼むこの人跡未踏の難路もものかは、我が精鋭はひた押しに敵に迫っていく。

(雪山の銃撃戦の様子)

「万歳、万歳。」

パゴダ爆撃の英機を撃墜<共栄圏だより> 00:52
敗戦挽回(ばんかい)に躍起となっているイギリスは、しばしばビルマ上空に侵入し、ビルマの攪乱(こうらん)を図っていますが、我が完璧の対空防備を恐れて苦しまぎれに無防備のパゴダを猛爆しました。この不埒(ふらち)なイギリス機は、たちまち我が軍の手によって撃墜されました。パゴダはビルマ人にとって無上の神聖なるもの、さらばイギリスの企図する攪乱(こうらん)計画は、かえってビルマ人の憤激を買い、敵がい心を高めています。

ダイナマイトで魚捕り<共栄圏だより>  00:47
ダイナマイトを海の中へ投げると、付近の魚たちは皆、目を回して浮き上がります。この電撃的方法で南の基地の兵隊さんは、作戦の余暇に食料の自給自足の魚捕りをやっています。中にはこんな大きなやつも混じっています。兵隊さんたちは大漁、大漁と住民たちの即製のかごに獲物を入れて意気揚々と引き上げました。皆さん、前線の勇士はこのように元気です。どうぞご安心下さい。

柔道習うフィリピン警官<共栄圏だより> 00:58
新しい息吹でよみがえるマニラ市の治安の大任に当たるマニラ警察では、比島人警官に精神的訓練を与えるため、日本古来の柔道によって武士道を体得させ、日本的精神の涵養(かんよう)を図っています。焼け付くような炎天下で汗を流して彼らは一生懸命に基本訓練を受けています。

タイで71組の集団結婚式<共栄圏だより> 00:45
人口4千万を目指す盟邦タイ国では、産めよ増やせよと人口増加に大わらわでありますが、この度タイ国政府では結婚奨励のためピブン首相官邸において、首相夫妻媒酌の下に第1回の集団結婚式が挙げられました。この日新しい人生に出発する新郎新婦は、全部で71組。従来タイでは冠婚葬祭に非常な金をかけていたのでありますが、まずこの婚礼が先頭をきって新しい形式で行われたところに、戦時下タイの頼もしい姿が伺われます。

比島産業の動脈完成           02:31
比島1千8百万民衆待望の、ルソン島を南北に結ぶ縦貫鉄道はついに完成した。ここにも挙がる鉄道日本の凱歌(がいか)。日本が比島に上陸作戦を敢行してより1年有半、日比関係当事者の不撓不屈(ふとうふくつ)の闘魂は今実を結んで、早くも3月21日、マニラ、レガスピー間南部本線開通の喜びの日が訪れた。その前日、マニラ全市は比島の大動脈完成を祝う歓喜に沸き立った。輝く顔、東亜の盟主日本への感謝は、同じくレガスピーの町々にもあふれて、日本万歳、比島万歳の叫びは、新生フィリピン全島を揺るがせた。

「万歳、万歳、万歳。」

21日、晴れの処女列車は今新しき軌道の上を滑りに滑る。アメリカ兵の手によって爆破されたる橋梁は実に16か所、全線復旧に要した延べ人員は9万8千人に上るといわれる。開通なって窓に見るマヨン富士は、皇軍レガスピー上陸の折にも爆発を起こしたという。山麓(さんろく)に立つこの古風な教会は、今から150年前の大噴火によって廃虚となったもので、この牧歌的なレガスピー地方にも今や着々と新生比島の息吹は通い、木材、コプラ、なかんずく麻の産地として、この港から日の丸の旗をなびかせた商船が続々物資を共栄圏各地に積み出して行く。闘いと並んで大東亜の経済圏は、もう着々と建設されているのだ。

 

日本ニュース 第150号(1943年4月)6分50秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300535_00000&seg_number=002

戦う最前線 オロ湾襲撃 03:11
雲南作戦        01:53
アリューシャン戦線   01:40

戦う最前線 オロ湾襲撃 03:11
南太平洋に米英必死の反攻が開始せられて既に9か月。戦局はとみに悽愴(せいそう)の度を加え、日米航空決戦場と化す。重慶軍、またイギリス軍と呼応してビルマ国境に蠢動(しゅんどう)す。アリューシャンに我が本土空襲の機をうかがうアメリカ軍の動き、日を追うてしきりなり。

日米ともに超大なる航空兵力を擁して相対峙(たいじ)する南太平洋最前線航空基地に、帝国海軍空襲部隊が世界に誇る新鋭戦闘機、翼を連ねて今し増強整備を終わる。時はよし、ニューギニア方面海上輸送路確保を巡る彼我の防空戦は最高潮に達し、新たなる機材、生気あふるる兵員の補充なって、将兵の意気既に敵軍をのむ。3月28日、折しもニューギニア南東のオロ湾に敵輸送船団多数集結の報至り、戦爆連合の大編隊は時を移さず一斉に大地を蹴(け)って南に下る。

(戦闘機が離陸していく様子)

ソロモンに、ニューギニア海域に、次々に上がる勝利の記録は、南太平洋作戦の現段階を如実に物語るものである。

≪字幕テロップ≫
「艦船撃沈 輸送船2隻 駆逐艦1隻 哨戒艇1隻 航空機撃墜 19機」

雲南作戦        01:53
マユ、アキャブ等、ビルマ西境に盤踞(ばんきょ)した残存イギリス軍に対する大包囲作戦と呼応して、先にビルマ北辺を狙う怒江地区重慶軍の蠢動(しゅんどう)を封殺した皇軍は、更に残敵を追ってイラワジ川上流の大渓谷に沿い、ひた押しに進撃する。この渓谷の南岸を埋める隘路(あいろ)はその昔マルコポーロが黄金の夢を抱いて歩んだ東洋への道である。重慶政権はかつての補給路たりしビルマルートの喪失に替えんとして、この道路の補強に狂奔していた。

(銃撃戦の様子)

かくて快進撃を続けた皇軍は、雲南地区最前線の敵拠点を陥れれば、村の指導者は自警団を率いて心から皇軍の進駐を出迎えた。

アリューシャン戦線   01:40
朔風吹きすさぶ鳴神島、ここは今我が北辺の最前線である。この北の果てでは春の訪れとともに白夜の季節が近づいて来るのだ。島全体はツンドラに覆われ、食料といえば米一粒も生み出ぬこの島では、満目荒涼として目を楽しますものとてもない。ただ子犬を飼うことが戦いの合間のわずかな慰めであった。しかしあらゆる困難と戦う将兵の士気は、かえって上がった。上陸以来10か月、この闘志の塊とも言うべき勇士の労苦に対して、我々はひたすら感謝の祈りを捧(ささ)げねばならない。対空監視の眼(まなこ)は一瞬の休みもあってはならぬ。皇軍がこの島を占領して以来、アメリカはその本土に重大な脅威を感じ、死に物狂いの反攻に出てきた。彼らが得意とするめくらめっぽうな爆撃を受けない日は、ほとんどなかった。それ、また敵機だ。小癪(こしゃく)なる二つ胴のロッキードP38は見事撃墜された。

 

日本ニュース 第151号(1943年4月)8分39秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300536_00000&seg_number=002

天皇陛下 皇后陛下靖国神社御親拝 04:23
侍従武官 前線視察        01:08
印緬国境戦            01:29
東条内閣強化           01:36

天皇陛下 皇后陛下靖国神社御親拝 04:23
大君に命捧(ささ)げた尽忠興亜の英霊19987柱を、新祭神として斎(いつき)参らせる招魂の儀は4月22日靖国の神域においていと厳かに執り行われました。
神苑に夜の帳(とばり)深くたれこめる定刻、庭燎(ていりょう)既に消えて聖域を包むぬばたまの浄闇のうちに、神々しい警蹕(けいひつ)の声、柏手の嵐、あふるる涙ぬぐいもあえず、瞳をこらす遺族4万。今ぞ御羽車は粛々と進む。
招魂式の感激今だ覚めやらぬ、臨時大祭第2日の24日、かしこくも天皇陛下には聖域に行幸あそばされ、今は靖国の神として神鎮まる新祭神の前に親しく御拝あらせらる。
至尊の竜顔を咫尺(しせき)の間に拝する遺族はただただ感泣、寂として声なく感激の涙をのむ。
次いで皇后陛下には新緑の若葉萌え競う大路の下、父を、夫を、子を大君の醜(しこ)の御盾と捧(ささ)げまつった誉れの民草奉拝のうちを神苑に行啓あそばされ、親しく尽忠護国の英霊に御直拝あらせらる。
この光栄の前日23日帝国陸海軍部隊は戦友の神前に勇戦奮闘を誓う。大祭の花火青空にこだまして、一億の真心はひたすら九段へ、靖国の森へとひきもきらず、英霊よ安かれと祈り奉る。

侍従武官 前線視察        01:08
南方第一線の各勇士に対し、かしこきあたりより御差遣の坪島侍従武官は○○基地に到着。ありがたき聖旨、令旨を伝達。次いで兵站病院に傷病の勇士を慰問。また前線将兵の生活ぶりをつぶさに巡視、激励いたしました。
また、ニューギニア民政府の軍状視察のため、かしこきあたりより御差遣の佐藤侍従武官は前線に到着。現地開発の状況を視察いたしました。この日パプア人代表は特に許されて出迎えに堵列(とれつ)、限りなき皇恩のありがたさに浴したのであります。

印緬国境戦            01:29
かねて、雲南地区に盤踞(ばんきょ)する重慶軍と呼応して、密かにビルマ奪還の機を狙う印緬国境アキャブ方面のイギリス軍に対し、皇軍は3月初旬、一斉に攻撃の火蓋(ひぶた)を切った。
我がビルマ方面陸軍部隊はマユ河を渡河、大密林デルタ地帯を突破し、峻険(しゅんけん)を越え、マユ半島に敵軍を捕捉。ベンガル湾岸の狭隘(きょうあい)なる地区に敵主力を追いつめてここに殲滅(せんめつ)、赫々(かくかく)たる戦果を挙げたのであります。
ビルマ方面陸軍最高指揮官として、数々の武勲をたてた飯田中将に代わって今回新たに就任した河辺正三(まさかず)中将は最前線に勇姿を現し、つぶさに戦況を視察しました。
かくて、敵の反撃はもろくも潰(つい)え去り、敵陣営に与えた影響はけだし、甚大なものがあります。

東条内閣強化           01:36
大東亜戦争勃発以来、戦時内閣として必勝の体制を確立しきたった東條内閣は、さらにその強化を期するため4月20日大改造を断行。東條首相は文相を兼摂。内相に安藤紀三郎氏、農相に山崎達之輔氏、外相に重光葵氏、国務相には大麻唯男氏がそれぞれ就任。
こえて23日、首相は文相の兼摂を離れ、岡部長景氏が文相に就任しました。
情報局総裁に就任した天羽英二氏。

≪天羽情報局総裁≫
「私は今回図らずも、情報局総裁の重任を拝しましたが、申すまでもなく私どもは帝国のためにも、アジアのためにも、また世界のためにも、どうしても立ち向かわなければならないのであります。開戦以来、我が忠勇無比なる皇軍将兵は御稜威の下、赫々(かくかく)たる戦果を挙げられ、宇内(うだい)に国威を宣揚しておりますことは誠に感激に耐えないところであります。」

 

1943年5月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19435

日本ニュース 第152号(1943年5月)8分31秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300537_00000&seg_number=004

大元帥陛下親臨 天長節観兵式 03:03
戦力増強に大御心       01:10
ビルマ幹候隊卒業式      01:51
比島マンカヤン銅山      02:22

大元帥陛下親臨 天長節観兵式 03:03
かしこくも大元帥陛下の親臨を仰ぎ奉り、聖寿無窮(せいじゅむきゅう)を寿ぎ奉る天長節観兵式は、新緑香る4月29日、代々木練兵場において、いと厳粛に執り行われました。
御閲兵の御後、陛下には御英姿も神々しく、玉座前に立たせ給えば、中村諸兵指揮官の軍刀一閃(いっせん)、武勲燦(さん)たる軍旗を先頭に光栄に輝く各部隊の精鋭は歩武堂々大地を蹴って御馬前を進みに進む。
精強の威武燦(さん)として代々木原頭を圧し、神国日本のかげりなき興隆を示す勇壮の絵巻は余す所なく繰り広げられたのであります。

(観兵式の様子)

戦力増強に大御心       01:10
かしこくも天皇陛下には4月28日、侍従武官城海軍大佐を神奈川県下の一工場に御差遣あそばされました。これは決戦下、戦争資材の増産増強を御軫念あそばされ、全国の各重要工場の模様を視察せしめられる大御心と、拝察し奉るのであります。
工場員一同はこのかしこき聖慮のほどを拝して、感激もひとしお。いよいよ生産戦に奮励努力。もって御奉公の誠をいたし、大御心を安んじ奉らんことを誓ったのであります。

ビルマ幹候隊卒業式      01:51
「右の者、ビルマ幹部候補生隊の課程を卒業せしことを証す。」
米英撃滅の戦いが開かれてより、既に3年。緒戦において皇軍とともに決起したビルマ独立義勇軍もその後皇軍指導の下、今日見るごとき颯爽(さっそう)たる防衛軍に成長を遂げ、その栄えある第1回卒業生を送り出すまでになりました。
峻厳(しゅんげん)なる軍律の下、皇国日本の軍人精神を体得した、これら凛々(りり)しいビルマ若人の姿をご覧下さい。
受賞に輝く日本刀をしっかと握って立つ優等生8名。誠に頼もしき限りではありませんか。

≪ビルマ人≫
「私達は東亜新秩序建設の戦士たるべく日本軍隊の御指導の下、このビルマ防衛軍幹部候補生訓練所において厳格なる教えを受けました。今日晴れの卒業式にあたり、盟主日本に心からの感謝を捧げると共に今後一層の奮励努力を誓うものであります。」

比島マンカヤン銅山      02:22
轟々(ごうごう)たる機械のうなりがあたりの山々にこだまする。比島最高の産出量を誇る、ここルソン島北部のマンカヤン銅山では今、増産に大わらわである。資源開発の技術者達は、当時破壊し尽くされていたこの銅山に立って、血のにじむ努力を続けた。だが、その辛苦は遂に報いられるときがきた。今ではその産出量も旧に倍するほどに増加した。
削岩機を手に、比島人の労働者はアメリカの搾取に呻吟(しんぎん)した思い出も遠く、新しい希望に燃えて東亜の資源確保に尊い汗を流している。
炭坑労働者の罷業(ひぎょう)に悩むアメリカを顧みるとき、ここにも我が共栄圏のたくましい底力をひしひしと感じるのである。

(銅山開発の様子)

 

日本ニュース 第153号(1943年5月)8分45秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300538_00000&seg_number=001

満洲国皇帝陛下 水豊ダム御視察 01:55
東条首相比島訪問        02:39
冀西作戦            01:52
ミルン湾爆撃          02:13

満洲国皇帝陛下 水豊ダム御視察 01:55
満洲国皇帝陛下にはこの度、安東地方巡視の御機会をもって、我が朝鮮平安北道の地に御臨。5月5日鴨緑江水豊発電所にならせられ、決戦下、鮮満工業の原動力たる水力発電の実況をつぶさに御視察あらせられました。
日満一体の契り、いよいよ固きを加うるのとき、皇帝陛下このたびの御臨はひとしお意義深きものがあるのであります。
この光栄に輝く、水豊ダムはその工を興してより、既に6年。従業のべ人員3千万、総工費は実に2億4千万円におよぶと言われています。貯水池は琵琶湖の約半分、霞ヶ浦の2倍にあたる水を満々とたたえ、鴨緑江の流れをせき止めて立つその威容は、本年完成の暁は敵米国が誇るボルダーダムもその容量において、はるかにおよばず。近代科学の戦いにおいても、堂々敵国を圧して世界に冠たる技術日本の貫禄を示すに、けだし、十分なものがあるでありましょう。

東条首相比島訪問        02:39
東條首相兼陸相は比島の軍状、およびいよいよ建設的段階に入った軍政状況を視察し、合わせてバルガス行政長官ら比島要人と隔意なき懇談を遂げるため、5月5日マニラを訪問しました。首相はフィリピンの正装で出迎えたバルガス長官以下と固き握手を交わしました。
今回、首相のマニラ訪問は、南方占領地初の訪問として未曽有の壮挙というべく、先の中国および満洲国の訪問とともに大東亜戦争の必勝体制の強化に寄与するところ、多大なものがあります。
翌5月6日、この日あたかもコレヒドール陥落1周年にあたり、首相はルネタ公園に開催された皇軍感謝民衆大会に臨席しました。
バルガス長官は1800万の比島民衆を代表して、感謝の辞を述ぶ。続いて首相は、親しく30万観衆を前に、烈々たる激励の演説を行いました。

≪東條首相≫
「比島民衆奮起の時機は、今やまさに到来をしたのであります。今日諸君はあやまれる米国主義を速やかに一掃して、民族興隆の泉源である剛健進取の気風を養い、大東亜民族の真の姿に立ち返られんとしておるのであります。」

(皇軍感謝民衆大会の様子)

冀西作戦            01:52
山西河南の省境、大行山脈に盤踞(ばんきょ)する蒋介石系、第二十四集団軍撃滅の大包囲作戦は4月20日、その第一次包囲網を完成。我が現地軍は空陸相呼応し、四方より一斉に進発。8万2千の敵兵に殲滅(せんめつ)的打撃を与えた。
山西特有の峨々(がが)たる峻険(しゅんけん)、道なき道を切り開き、皇軍は大敵を追って鉄の包囲をいよいよ縮める。

(攻撃の様子)

かくて、華北に残存する、唯一の重慶軍殲滅(せんめつ)戦は見事に成功。新編第五軍長孫殿英、以下7600に上る捕虜の増加は、重慶抗勢力の低下を如実に示すものであります。

ミルン湾爆撃          02:13
我が航空撃滅戦の凱歌(がいか)、次々に挙がる南太平洋戦線。4月14日、我が海鷲はニューギニア島ミルン湾およびラビを急襲。敵輸送船11隻を撃沈。敵機50機以上を撃墜破。今や、敵米英の反抗の拠点は我が無敵荒鷲部隊の制圧下にあり。
乗員の面には見敵必殺の決意あふれ、高度をとって長駆南海の空をつく。
敵陣間近し。敵陣間近し。眼下に逃げ惑う敵輸送船団。

 

日本ニュース 第154号(1943年5月)9分2秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300539_00000&seg_number=004

鈴木査察使 軍需工場視察     01:04
農村婦人の牛耕競技会<戦う女性> 01:38
航空機生産に励む女性<戦う女性> 00:48
活躍する女子通信隊員<戦う女性> 01:29
マニラの科学研究所<共栄圏だより> 00:47
独立を目指す インド青少年訓練所<共栄圏だより> 00:46
ビルマの水祭<共栄圏だより>   00:38
夏季進攻戦            01:43

鈴木査察使 軍需工場視察     01:04
5月16日行政査察使、鈴木国務大臣一行は川崎市の日本鋼管を訪問。戦時下日本の重工業の実際をつぶさに視察いたしました。これは先に政府において戦時行政の円滑なる運営を期し、軍需重要物資の飛躍的増強を計るため創設した行政査察制度の第1回の実施によるものであります。

農村婦人の牛耕競技会<戦う女性> 01:38
都に虚栄の衣を飾る同性の群れを尻目に、いかに数多くの興亜の女性があらゆる地域のあらゆる職場に前線の将士に劣らず戦っていることか。戦う女性の姿、ここに国家の総力を挙げて大東亜戦争を戦い抜く日本の厳しい現実がある。
新潟県農会主催の農村婦女子の牛耕競技会。今までその激しい労働のゆえに男の仕事とされていた牛耕へ女性の進軍が全国の農村に一斉に展開する。労力不足を克服して、食料の確保増産に戦時下農村は今真剣である。

(女性の牛耕競技の様子)

航空機生産に励む女性<戦う女性> 00:48
農業に工業に、戦う女性はどしどし男の職場を肩代わりして、しっかと銃後の生産の努めを受け止める。
振るハンマーのひとつひとつに、撃ちてし止まんの闘志がこもる。

(工場の様子)

活躍する女子通信隊員<戦う女性> 01:29
≪女子通信隊員≫
「誓文。
一つ。誠心を基とし、忠純職務に勉励すべきこと。
一つ。長上に敬礼をつくし、同僚に親行いたし、下僚に対して懇切を旨とすべきこと。
一つ。官の機密もしくは秘密を厳守し、未発の文書を他人に漏示すべからざること。」

「敬礼。」

国防色の制服も凛々(りり)しい女子通信隊員。決戦下、軍防空に挺身(ていしん)する彼女らもまた大東亜戦争下のたくましい女防人(さきもり)である。

(女子通信隊員の作業の様子)

新しき世界を作り織りなす、この激しい戦いのさなかに生きる銃後乙女らにこの戦う女性の姿を贈る。

マニラの科学研究所<共栄圏だより> 00:47
東條首相の訪問を受けて、いよいよ建設に突進するフィリピン。その首都マニラには南方としては珍しく整った科学局が設けられています。かつてはアメリカの利益のためにつくられたこの設備も、我が優れた科学陣の指導を受けて着々資源の開発、比島風土の研究が進められています。

独立を目指す インド青少年訓練所<共栄圏だより> 00:46
独立を間近に控えて雄々しく立ち上がるビルマ。そこに住む若いインド人達はこのビルマの喜びにひきかえて、イギリスに縛り付けられた祖国の惨めな姿を誰よりも悔しく感じていることでしょう。憎いイギリスを打ち倒せ。長い間すべての武器を取り上げられて来た彼等(かれら)も、心はすごい敵愾心に燃えて毎日訓練を重ねています。

ビルマの水祭<共栄圏だより>   00:38
4月17日はビルマのお正月。その大みそかまでの四日間、毎年水祭りが行われています。道を通る誰彼の区別なく、幹部候補生たちも祝福の水をかけられています。強い日本の兵隊さんもこれにはすっかり降参。さあ新しい年には輝かしい独立が待っています。

夏季進攻戦            01:43
我が軍は5月上旬、中支湖南地区に突如行動を起こし、洞庭湖畔に敵二十九軍団の4個師を包囲。引き続き敵5個師を捕捉。ここに完なる一大覆滅戦を繰り広げた。陸軍部隊に呼応して、我が海軍陸戦隊は岳州対岸の地点へ一斉に進撃を開始。敵が所狭しとばらまいた機雷が次々に処理されていく。
我が怒濤(どとう)のごとき精鋭の前には、敵断末魔のゲリラ作戦も効なく、さながら無人の境を行くがごとし。まっしぐらに、対岸目指して進む舟艇の響きは水面を圧し、対空共同作戦の妙を遺憾なく発揮。戦わずして将兵の意気すでに敵をのむ。敵前上陸に成功した我が軍はただちに追撃に移り、各所に敵を撃破。かくて、雄渾なる我が夏季進攻作戦は早くも絶対有利な体勢のうちに展開したのである。

 

日本ニュース 第155号(1943年5月)10分3秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300540_00000&seg_number=002

皇后陛下 陸軍造兵廠行啓     01:44
噫山本元帥            02:06
最前線に偲ぶ在りし日の面影    01:42
アリューシャン戦線        01:31
大陸戦線             01:43
第二十四集団軍 軍長等国民政府へ 01:10

皇后陛下 陸軍造兵廠行啓     01:44
5月19日、かしこくも皇后陛下には決戦下銃後国民の生活、特に生産増強に邁進(まいしん)する戦う女性に対し、親しく御激励を給うありがたき思し召しをもって、東京市第一陸軍造兵廠(しょう)その他数カ所に行啓あそばされました。
陸軍造兵廠(しょう)にならせられた皇后陛下には、廠長(しょうちょう)の御先導にて、工場諸施設を順次御視察あそばされました。特に、保育所ではいたいけな幼児の姿にしばし御歩みを止めさせられ、御慈愛深き御微笑を給い、一同はこのお優しき御心にひとしお感激申し上げたのであります。
次いで、女性工員の手になる弾丸の前に立たせられ、これら女性の前線勇士に劣らぬ努力をつぶさに御視察あそばされました。
まこと仰ぐも尊き御姿を各民草の職場にまで拝し奉り、我等(われら)一億は恐懼(きょうく)感激、なお一層の御奉公をお誓い申し上げるのであります。

噫山本元帥            02:06
≪字幕≫
「連合艦隊司令長官 山本五十六大将は 本年四月前線に於て 全般作戦指導中敵と交戦、飛行機上にて 壮烈なる戦死を遂げらる 吾等一億国民挙げて哀悼の誠を捧げ奉る」

元帥山本五十六大将の英霊、今ぞ帝都に帰りませり。時に、昭和18年5月23日午後2時43分。聖恩かしこき元帥と大勲位菊花大綬章燦(さん)として、帝国不滅の武勲を語るも今は悲し。元帥山本五十六大将の英霊、今ぞ帝都に帰りませり。
この日、帝都の弔旗低く垂れて、今更に迫る切々の哀悼のうち、報復必勝の誓いを新たにする軍民、粛然として立ち並ぶ中を英霊は一路懐かしの水交社へ。巨星ひとたび墜ちて再び還ることなし。されど山本元帥は生きてあり。まこと元帥の忠魂は米英撃ちてし止まん一億国民の胸深くよみがえりて、永久(とわ)に消ゆることなし。

最前線に偲ぶ在りし日の面影    01:42
去る4月。常勝の武勲燦(さん)たる帝国海軍、連合艦隊司令長官の身をもって、南海の果て最前線に敢然、陣頭指揮を執りつつ散華した山本元帥在りし日の姿をここに偲ばん。

アリューシャン戦線        01:31
吹雪に明け、吹雪に暮れるアリューシャン。大東亜をめぐるすべての戦線、そのどのひとつもが御稜威の下、皇軍将兵の勇戦奮闘によって戦われている。
だが、ここ朔北の最前線に不断の敵の脅威と風土に戦いを挑む、同胞(はらから)の辛苦は誠に例える言葉を知らぬと言わなければならない。けれども海の益荒男(ますらお)は、皇軍将兵は敵を眼前に、なお余裕綽々(しゃくしゃく)。天をつく意気もて戦っている。
はるかなる北第一線に思いを馳せ、銃後国民等しく、将兵の健闘を祈る。


大陸戦線             01:43
極寒零下のアリューシャンに、炎熱焼くがごとき南方戦線に、またここ揚子江をさかのぼる幾千キロ湖北戦線に、黙々と戦う海の勇士たち。
5月上旬、陸軍部隊に呼応して我が海の精鋭は、揚子江岸石首付近において敵拠点を発見。海陸空一体となって、これに猛攻を浴びせれば、敵主力はあえなくも潰(つい)え去り、皇軍は直ちに敗敵を追って猛進撃を続行す。
かくて、既に湖南戦線に多大の戦果を収めた皇軍は、湖北平原においても着々戦果を拡大。残敵掃討の日は目睫(もくしょう)に迫っています。

第二十四集団軍 軍長等国民政府へ 01:10
重慶軍第二十四集団軍、軍長、ホウ炳勲上将は第五軍、軍長孫殿英と相携えて5月6日、部下7万を率い、完全国民政府に合体を申し入れました。
ホウ炳勲上将は和平陣営によるにあらざれば、東亜安定の道なし、とこの挙に出でたものであります。
ホウ炳勲上将が蒋政権下有数の人物であり、ことにその軍隊が北支における唯一の蒋直系軍であるだけに、蒋介石陣営に与えた影響はけだし甚大なものがあると言えましょう。

 

1943年6月
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19436

日本ニュース 第156号(1943年6月)9分25秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300541_00000&seg_number=004

予科練母校を訪問<Z旗と共に進め> 01:16
予科連の市中行進<Z旗と共に進め> 00:55
台湾青年海軍志願兵の行進<Z旗と共に進め> 00:38
空の要塞撃墜            01:50
海軍設営隊             02:04
安郷縣城占領            02:35

予科練母校を訪問<Z旗と共に進め> 01:16
我が海軍の伝統燦(さん)たる第三十八回海軍記念日。この日、海の若鷲は懐かしの母校を訪問。同じ空に志す児童に囲まれて、真剣な一問一答を行いました。

≪少年1≫
「初めて飛行機に乗ったときの感じはどうでしょうか?」

≪兵隊さん≫
「見る間に飛行機は水上を走って上空に上がります。上空に上がると、下を見ると、まるで絵に描いたようで非常におもしろいです。また非常に気持ちのいいものです。」

≪少年2≫
「隊内で手紙をもらったときのうれしさ、またどんな内容が一番うれしいですか?」

≪兵隊さん≫
「学校の生徒とか、また故郷の近所の様子を書いた手紙が一番うれしいと思いますねえ。
みなさんも体を丈夫にして、私どもの後継者として一日も早く、御国のために立派な海鷲となられんことを切に希望します。」

≪少年たち≫
「はいっ!」

予科連の市中行進<Z旗と共に進め> 00:55
決戦下、再び巡り来った意義ある海軍記念日を迎えて、東郷魂、山本精神を受け継ぎ決意凛然(りんぜん)、海の若鷲の隊列が行く。
大阪では三重航空隊の若鷲が市民の歓呼に応え、堂々の行進を行い、必勝の誓いを固めた。
アリューシャンの、はたまたソロモンの大空を紅に染めて、天駆ける無敵海軍航空隊の勇姿は、これら若鷲の成長の姿であることをここに想起しよう。

台湾青年海軍志願兵の行進<Z旗と共に進め> 00:38
台湾においても「米英撃ちてし止まん」の闘魂は火と燃えて、本島人の若者たちは海軍特別志願兵制度の恩典に浴し、海国男児の一員として、雄々しくも立ち上がった。
かくして、帝国海軍の伝統、ここにゆるぎなく。米英完全屈服の日まで怒濤(どとう)の進撃は断じて続くのである。

空の要塞撃墜            01:50
5月8日、支那駐屯アメリカ空軍はその残存部隊をもって、不遜(ふそん)にも広東上空に来襲し、無辜の市民を猛爆しましたが、我が陸鷲の一撃により、見事撃墜されました。最近、しばしば我が占領地に侵入する敵機は一機残らず、このような運命をたどっています。
5月7日、南太平洋方面の我が基地攻撃を企てた、敵アメリカ空軍ご自慢の空の要塞がこれまた、海鷲の前にひとたまりもなく撃墜されました。防御に重点を置いた、さながら砲塔のごとき銃座にも、彼等(かれら)の国民性がうかがわれるではありませんか。かつては米英物質文明の前には、脅威と羨望の眼をもって眺めていた住民たちも、今、目の当たりに見る日本の強さに、大喜びで皇軍に心から協力しています。

海軍設営隊             02:04
千古の密林が切り開かれてゆく。日本では見ることもできない巨木ばかりだ。じりじり照りつける太陽に背中が焦げるように熱い。
○月○日、南方前線に上陸以来、我が海軍設営隊は飛行場建設に血のにじむ努力を続けている。早く任務を果たして存分に荒鷲の活躍をと、心ははやる。
原住民も総がかりで助けてくれる。働くことを知らなかった彼等(かれら)も今は勤労の喜びに弾み、すごい馬力のかけようだ。
不とう不屈の努力のかいあって工事はどんどんはかどり、もうローラーが地ならしを始めた。今ひと息だ。
遂に我等(われら)の飛行場は完成した。一番機の快い爆音が、今までの労苦を解きほぐすように五体にしびれわたる。何とも言えない喜びが込み上げて来る。原住民も大喜びで、歓声を挙げて迎えている。さあ、明日からは飛行基地に、米英の頭上へ、爆弾の雨を降らせてやるのだ。

安郷縣城占領            02:35
去る4月以来、洞庭湖周辺に執拗(しつよう)なるゲリラ戦を繰り返していた重慶軍に対し、我が陸の精鋭は5月5日未明、一斉に行動を起こす。
敵が天然の要害と頼んだ無数のクリークは逆に、皇軍の利用するところとなり。水陸両方面より進撃すれば、逃げ場を失った敵は随所に包囲殲滅(せんめつ)せられ、我が軍は重慶軍の穀物村と言われる湖南平原を、破竹の勢いで追撃を続ける。

(爆撃の様子)

敵陣寸前。
5月8日、早くも敵重要拠点、安郷縣城(あんきょうけんじょう)を占領。洞庭湖北岸における水陸交通の要所、湖南平原の農産物の主要産地である安郷縣城の占領が、敵抗戦力に与えた影響は深刻なものがあります。

 

◎YouTubeのがない。
日本ニュース 第157号(1943年6月)11分42秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300542_00000&seg_number=002

大元帥陛下海軍大学校 大本営海軍部行幸 01:07
山本元帥国葬              04:52
予備学生志願者一日入隊<元帥に続け>  03:11
産業人総決起運動<元帥に続け>     02:24

大元帥陛下海軍大学校 大本営海軍部行幸 01:07
かしこくも大元帥陛下には6月2日。海軍大学校に行幸あそばされ、決戦下ひとしお意義深き同校、本年度卒業式に親臨あらせられました。
次いで、陛下には大本営海軍部に聖駕(せいが)を進め給い、作戦の帷幄(いあく)に参画する諸員の労苦を親しく、ねぎらわせられました。各将兵の上に注がせ給う大御心の数々を拝し奉り、一同はさらに一層の御奉公をお誓い申し上げたのであります。

山本元帥国葬              04:52
昭和18年6月5日。元帥海軍大将、正三位大勲位功一級、山本五十六提督の英霊今日ぞ永久(とわ)に神鎮まる。限りなき憤りと敵撃滅の決意をこめて、一億国民深き哀悼のうちに、漆黒の砲車に移された霊柩(れいきゅう)は午前9時、芝水交社を進発、軍楽隊の奏する「命を捨てて」の調べも悲しく、延々たる葬列はしずしずと日比谷の葬場へ。轍(わだち)のきしみ、身にしみながれて、ああ我等(われら)同胞(はらから)のはらわたをえぐる。

(葬列の様子)

9時50分、葬列はしずしずと葬場総門に入る。かしこくも葬場には勅使ならびに皇后皇太后両陛下御使の御差遣を仰ぎ、武人の誉(ほまれ)、これに優るものなし。海軍大将塩澤司宰長重々しく祭詞をまうす。
勅使徳大寺侍従、伏見元帥宮殿下、喪主義正氏。
10時50分、一億国民とともに祈る東條首相。
思い起こす9年前のこの日6月5日、多麿墓地に神鎮まりませる東郷元帥の墓所に並んで、ああ我等(われら)の山本元帥、永久(とわ)にこの国護らせ給え。

予備学生志願者一日入隊<元帥に続け>  03:11
≪上官≫
「今や太平洋の第一線にあっては、彼我両軍の間において、しのぎを削る激烈なる航空決戦が日ごとに繰り返されつつあるのであるが、ここに見逃しがたき事実がひとつある。それは現在、敵飛行機搭乗員の約80%がアメリカ学生出身なること、これである。アメリカ学生どもはルーズベルトに駆り立てられ、小癪(こしゃく)にも、ここを、とつ、我が日本軍に向かってきたのである。言葉を変えてこれを極言するならば、アメリカ学生どもは今や日本学生諸君に向かって挑戦しに来ったのである。
今こそ、諸君学生たちの奮起すべきときがきたのである。こいねがわくは諸君、山本元帥の精神を受け継ぎ、決然起って海の荒鷲を志願し、報国国防のために尽力せられんことを熱望する次第である。」

学生よ、荒鷲を志願せよ。元帥国葬のその日から帝都1万5千の学徒は山本魂を即日生かすべく一斉に決起。勇躍海軍航空隊へ一日入隊。

(航空隊一日入隊の様子)

産業人総決起運動<元帥に続け>     02:24
我等(われら)の職場は米英撃滅の戦場である。誓って山本元帥に続かん。所長の陣頭指揮の下、全国津々浦々の工場に全産業人総決起運動が強力に展開された。

≪所長≫
「本日、故山本元帥の国葬が行われるにあたりまして、特に当工場の従業員諸氏に一言します。
山本元帥は自ら文字通り陣頭指揮を実行せられ、南太平洋の空において散華せられました。誠に惜しみても余りある、遺憾なることであります。
しかしながら諸君、山本元帥の英魂は永久に我々日本国民の精神のうちに、なお生きておるんである。我々は如何(いか)にして敬弔の意を表すべきか、また何を元帥の霊に捧(ささ)ぐべきか。
敵国降伏の日まで、増産の実を挙げることの他に、元帥の霊に捧(ささ)げまつるものは我々は何も持たないのである。
我々は諸君とともに、この大増産の鉄石の決意を霊に捧(ささ)げます。そうして謹んで我々の敬弔の意を表したいと思います。以上。」

「我は大日本臣民なり。(復唱)
我等(われら)は天業翼賛のために生まれ、(復唱)
我等(われら)は天業翼賛のために働き、(復唱)
我等(われら)は天業翼賛ために死せん。(復唱)」

 

日本ニュース 第158号(1943年6月)9分34秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300543_00000&seg_number=007

隼戦闘機隊 湖南省米基地を攻撃<大陸戦線> 02:36
中支で船舶3万2千トンを捕獲<大陸戦線> 00:54
日本留学へ訓練の比島青年<大東亜建設譜> 00:48
ビルマ訪日団 東條首相を訪問<大東亜建設譜> 00:31
石炭増産の坑夫ら表彰<大東亜建設譜>   00:45
学生航空隊入所式<戦わん哉青少年も蹶起> 01:33
日入校の靖国の遺児<戦わん哉青少年も蹶起> 02:16

隼戦闘機隊 湖南省米基地を攻撃<大陸戦線> 02:36
中支那前線に敢闘を続ける、我が陸鷲。分けても、隼戦闘隊は空の軍神加藤少将の魂を受け継いで、アメリカが我が本土空襲をうかがう在支前線航空基地に対し、果敢なる連続攻撃を続行。近くは敵基地のひとつ、零陵を急襲。不遜(ふそん)なる敵アメリカの計画を完膚なきまでに粉砕しました。

(零陵攻撃の様子)

零陵間近し。戦闘隊の壮途を見送った後、地上整備兵たちは部隊本部の無電機を囲んで、愛機の手柄如何(いかん)とかたずを飲む。敵地上空に侵入。やったぞ、早くも敵機4機撃墜。かくて、アメリカの敗戦挽回策はひとつひとつ打ち破られていきます。

中支で船舶3万2千トンを捕獲<大陸戦線> 00:54
5月上旬を期して行われた、洞庭湖畔より宜昌対岸地区に渡る中支那侵攻作戦は所期の成果を収め、同方面において米英を含む敵船舶、2千トン級以下約3万2千トンをそっくり鹵獲(ろかく)。陸軍部隊はこの大船団を揚子江下流に運ぶことを企て、浮遊する機雷の脅威を見事突破して、宜昌よりの回送に成功しました。

日本留学へ訓練の比島青年<大東亜建設譜> 00:48
日本へ留学する比島青少年たちのため、マニラに訓練所が開設され、バルガス長官の三男も入所いたしました。これら元気溌剌(はつらつ)たる若人は訪日の日を待ちわびながら、熱心に訓練を受けております。

(訓練の様子)

ビルマ訪日団 東條首相を訪問<大東亜建設譜> 00:31
ビルマ訪日視察団フ・ニ団長以下25名は6月14日、東條首相を官邸に訪問、来朝の挨拶を述べました。先のバーモ長官に続くこの視察団の来朝は、新興ビルマの前途に多大の貢献をもたらすことでありましょう。

石炭増産の坑夫ら表彰<大東亜建設譜>   00:45
6月10日、首相官邸において石炭増産に挺身(ていしん)した、優良炭坑および増産戦士の表彰式が行われました。岸商工大臣、小泉厚生大臣よりそれぞれ表彰状が授与せられ、石炭増産に邁進した戦士たちの労をねぎらったのであります。

学生航空隊入所式<戦わん哉青少年も蹶起> 01:33
学生荒鷲の勇壮なる門出。ここ羽田学生航空隊入所式の13日、朔北アッツ島に玉砕した山崎部隊長の次男保之君は新訓練生を代表して宣誓文を朗読。

≪山崎保之≫
「宣誓。現下、制空決戦の様相日を追って熾烈(しれつ)を極むるのとき、今や我等(われら)選ばれて学生航空隊の一員となり晴好の大空に勇飛せんとす。我等(われら)この課せられたる責務の重大さを痛感し、国家の要請に応えてますます感奮興起、教官のご教導、並びに先輩諸生の御指導により一意専心訓練に邁進(まいしん)し、もって在天の英霊に続き、断じて仇敵(きゅうてき)米英を我等(われら)の翼にて撃滅せんことを期す。右宣誓す。
昭和18年6月13日、新訓練生総代、山崎保之」

在天の英霊もみませ、大空狭しと展開される高等飛行に、学徒の心は早や日米決戦場裡(り)の南太平洋へ。

一日入校の靖国の遺児<戦わん哉青少年も蹶起> 02:16
6月10日、岡山県下、誉れの戦死者遺児たちは健気にも、父の志を継がんと元気いっぱい広島陸軍幼年学校へ一日入校。

≪教官≫
「諸氏は本校において得たる精神をもって、今後いよいよ健康に留意し、自奮自励各々(おのおの)その志すところに進み、忠誠無比なる神霊の意思を継承し、卓越有為の人物となり、もって誉れの家の栄光をいよいよ輝かさんことを切望して止まず。」

兄さんの生徒たちに混じって、終日厳格なる軍律の下、屋外に教室におおらかにしかも凛々(りり)しく軍務に励む靖国の子等(こら)はかくて他日、御奉公への決意を新たにしたのであります。

(授業の様子、行進風景)

 

日本ニュース 第159号(1943年6月)8分34秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300544_00000&seg_number=004

皇后陛下行啓 光栄の銃後農村 01:46
秩父宮妃殿下 地方状況御視察 00:54
印度の志士ボース氏来朝    01:15
第八十二臨時議会       04:33

皇后陛下行啓 光栄の銃後農村 01:46
皇后陛下には6月21日多摩御陵に御参拝の御後、東京府南多摩郡七生村に行啓あそばされ、銃後食料の増産に挺身(ていしん)する農村の姿を親しく御巡覧あそばされました。
一億総力を挙げて決戦のときにあたり、農民の責務はいよいよ重大を加えつつあり、今ありがたき御心を拝して一同は恐懼(きょうく)感激、一層の御奉公をお誓い申し上げたのであります。

次いで陛下には東京府拓務訓練所にならせられ男女訓練生の作業を親しくご視察あらせられました。

秩父宮妃殿下 地方状況御視察 00:54
かしこくも銃後勤労女性の上に深き御仁慈をたれさせ給う皇后陛下のありがたき思し召しを奉じさせられ、秩父宮妃殿下には6月14日から3日間神奈川県下を御視察。16日富士フィルム足柄工場にお成り。写真材料の生産状況をつぶさに御視察あそばされました。
次いで妃殿下には足柄上郡吉田島村にお成りあそばされ、同村女子青年団の託児所を御巡視あそばされました。

印度の志士ボース氏来朝    01:15
≪字幕≫
「印度独立に二十余年 血の抗争を続け 昭和十六年一月独逸に 亡命した 前印度国民会議派議長 チャンドラ・ボース氏は 祖国独立の機到る今日 日本の強力なる支援の下 活発なる独立運動を 展開すべく来朝しました」

≪チャンドラ・ボース氏≫
「印度と日本とは古代から文化の絆によって結ばれていましたが、英国の印度支配はこれを断ち切りました。然し、印度が独立した暁には日印関係は再び復活強化されるで
りませう。東條首相の再度の声明は印度民衆に深い印象を与え、印度独立運動に大きな支援を与えた事を私は固く信じます。」

第八十二臨時議会       04:33
6月16日第八十二臨時議会の劈頭(へきとう)、東條首相立って施政演説に入る。傍聴席に比島・ビルマの訪日視察団、印度の志士チャンドラ・ボース氏の姿も見える、大東亜建設議会であります。

≪東條首相≫
「比島独立に対する帝国の態度は、累次の声明により既に明らかなるところでありまするが、帝国はこの際さらに一歩を進めて本年中に比島に独立の栄誉を与えんとするものなることをここに中外に闡明(せんめい)するものであります。
大東亜の諸国家、諸民族がたくましき発展を成しつつあるに比較いたしまして、印度がなお英国の過酷なる弾圧の下に独立完成のため大なる苦しみをなめつつありますることに対しましては、私は衷心より同情の意を表するとともに、憤りを感ずるものであります。
帝国は印度民衆の敵たる米英の勢力を印度より駆逐し、真に独立印度の完成のためあらゆる手段を尽くすべき牢固(ろうこ)たる決意を持っておるのであります。
今や内外の情勢、誠に重大であります。この重大なる情勢下において一億国民は挙げて皇民たるの本分を全うすべく、戦意を新たにしておるのであります。戦場の将兵の心を心とし、全力を尽くして一路聖戦完遂に突進するの誓いを新たにしておるのであります。
このときにあたり政府は一億国民の陣頭に挺身(ていしん)し、この新たにせる誓いを必ず実践にうつさんことを期するものであります。
政府が今回臨時に帝国議会の開会を奏請いたしました。企業整備、食料緊急増産等に関する予算案および法律案を提出いたしましたのも、実に以上の趣旨に出でたのであります。今次の企業整備は決戦下さらに直接戦力の急速増強のため、従来の企業整備の趣旨を拡充、産業の各分野にわたり徹底的なる整備を行い、国民のことごとくをして戦力増強に寄与せしめんとするのであります。
しかして、これが円滑なる遂行を期するためには国民全般の協力を絶対必要とするのであります。国民諸君は十分政府の意のあるところ諒(りょう)とせられ、一日も早く整備を完了し、適材適所、各自の能力を遺憾なく発揮しうるごとく、積極的に協力せられんことを願って止まない次第であります。」

 

日本ニュース 第160号(1943年6月)7分38秒
http://www2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300545_00000&seg_number=001

東条声明に比島の歓呼        03:03
初代都長官に大達氏<大東亜建設譜> 00:35
大型海洋筏東京港へ<大東亜建設譜> 00:47
小磯朝鮮総督 田植式に出席<大東亜建設譜> 00:26
前線に果す陸海軍蔭の重圧      02:40

東条声明に比島の歓呼        03:03
第八十二臨時議会における東條首相の歴史的声明によって、年内に独立を約束された比島に、その独立準備委員が任命されました。
6月20日、比島方面軍、最高指揮官官邸において黒田最高指揮官より委員長ホセ・ピー・ラウレル氏以下20名の委員任命式が挙行されました。
これと並んで各地方の代表、マニラ市に参集。全比島民衆の熱意を反映してカリバビの大会が開かれ、盟主日本に対する限りなき感謝と独立への感激を深くしました。
スペインの支配300年、アメリカの圧政下43年の苦難に呻吟(しんぎん)した比島も大東亜の一員として真の独立を与えられることになり、その大いなる喜びに沸くここマニラ市は歓呼のるつぼと化しております。
バルガス氏はじめ市民は比島独立に生涯を捧(ささ)げた先覚者リサールの像に花輪を捧(ささ)げ、幾度か血潮をもってしても勝ち得なかった独立の栄誉が与えられた喜びを報告しました。

初代都長官に大達氏<大東亜建設譜> 00:35
新しい東亜の中心、東京に7月1日から都政がしかれ、その初代長官として登場した大達茂雄氏は松村東京府知事と会見、種々懇談いたしました。
昭南特別市市長として南方建設の第一線に挺身(ていしん)した大達長官の手腕には今後、大いに期待されております。

大型海洋筏東京港へ<大東亜建設譜> 00:47
6月20日、長の潮路つつがなく2万石の大筏(おおいかだ)が東京芝浦に到着いたしました。敵アメリカを撞着たらしめる、画期的なこの筏(いかだ)が決戦下輸送力強化に果たす役割は甚大なものがあります。
東條首相も親しく視察、関係者の労をねぎらいました。

小磯朝鮮総督 田植式に出席<大東亜建設譜> 00:26
6月14日、小磯朝鮮総督は第十六回、農産奨励記念日にあたり朝鮮水原農事試験場の田植え式に臨席。勤労奉仕の女学生たちに混じって水田に下り立ち、食料増産に挺身(ていしん)する農民とともに五穀豊穣を祈念いたしました。

前線に果す陸海軍蔭の重圧      02:40
敵潜水艦のゲリラ作戦に備えて、南海狭しと我が海軍の掃討作業が続く。無謀にも漁船を襲う敵潜水艦発見の知らせに、一隻たりとも生還許すべからずと全速力で敵の頭上に迫る。
爆雷が次々と投げ込まれていく。手応えある爆音。遂に断末魔の敵潜水艦の重油が漂い始めた。今や敵は全く葬り去られたのだ。
南方に活躍する我が陸の将兵は、機動力を利用して常に快速を誇り、怒濤(どとう)の進撃を続けている。だが、その陰には野戦自動車修理班の知られざる労苦が秘められている。昼の進撃に次いで休むいとまもなく、夜を徹しての作業だ。乏しい明かりを頼りに、しかも機材の不足と戦いながら敵前に懸命の努力が続く。
やがて、修理なった自動車は清々しい朝風を切って次の戦場へと驀進(ばくしん)する。

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