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2017年1月13日 (金)

日本ニュース 戦争証言アーカイブス 第201号(1944年4月)〜第220号(1944年8月)

 特に戦前の日本ニュースは、大本営発表で検閲済み国策映像。ただし、それはそれで当時の空気を想像・実感するのに役立つ貴重な資料映像です。すべてリンクと再生テキストを資料保存しておきました。なおリンク先ではすべて映像を見ることができます

 

日本ニュース 戦争証言アーカイブス
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi

日本ニュース一覧
「日本ニュース」は、太平洋戦争を間近に控えた1940年(昭和15年)から終戦をはさみ、1951年(昭和26年)まで制作されたニュース映画です。制作したのは、「日本映画社」(※)で、1940年にそれまで4つに分かれていた新聞社や通信社のニュース映画部門を国策により統合したものです。
戦時中の「日本ニュース」は、日本軍や内務省の検閲を受けた後、毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。テレビがない時代、国民は「日本ニュース」が伝える真珠湾攻撃や特攻隊出撃、学徒出陣の様子を映画館で目にしたのです。
「日本ニュース」は、戦争完遂を目的にした国策映画ですが、太平洋戦争中の映像記録として大変貴重なものです。「戦争証言アーカイブス」では、1940年(昭和15年)の第1号から、戦後も含め、1948年末までのものを公開しています。

※(1941年5月までの会社名は「日本ニュース映画社」)
※日本ニュース戦後編の再生テキストは、国立歴史民俗博物館の協力で作成しています。

 

1944年4月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19444

日本ニュース 第201号(1944年4月)9分8秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300329_00000&seg_number=003

少尉候補生の大臣伺候式(東京) 02:52
北辺の守り 海軍部隊      02:34
英印第七師包囲殲滅戦      03:41

少尉候補生の大臣伺候式(東京) 02:52
 3月22日、海軍兵学校、機関学校、経理学校を一斉に巣立った各科少尉候補生一同は、輝かしい出陣を前にして、4月1日、海軍省を訪れ、大臣に対する伺侯式に臨みました。嶋田大将は、海軍大臣として、重大戦局に対し、全海軍の候補生に期待するところ大なる所以(ゆえん)を伝えて、激励しました。

<嶋田大臣:
 諸氏は諸先輩の偉業を継承し、常に必勝の信念を堅持し、規矩(きく)や御聖訓を奉体(ほうたい)し、旺盛(おうせい)なる気力と不撓不屈(ふとうふくつ)の心身を錬成するとともに、技能の研鑽(けんさん)練磨に努め、各々(おのおの)、その本務に精進し、もって民、皇恩に応え奉り、光輝ある帝国海軍の伝統をいよいよ陸離(りくり)たらしめんことを期すべし。ここに諸氏の光栄ある門出を祝するとともに、切に武運の長久を祈る。昭和19年4月1日。海軍大臣、嶋田繁太郎。>

 終わって、嶋田大将は、軍令部総長として式場に臨み、候補生一同の敬礼を受けました。南に北に、戦雲急を告げる時、いざ、決戦の大海原へ、今鋭気はつらつたる候補生を送る。帝国海軍はここに一段の威力を加えたのであります。
大元帥陛下には4月2日、これら海軍各科少尉候補生に対し、かしこくも御激励の思し召しをもって拝謁(はいえつ)を仰せつけられました。一同はこの御親閲に感激、一死もって君国に応え奉らん決意をいよいよ固くしたのであります。

北辺の守り 海軍部隊      02:34
 春、4月とはいえ、いまだまだ北方基地は固く冬に閉ざされている。白雪は山を覆い、暗雲は低く垂れて北海特有の気象のうちに、黙々と戦う海軍将兵の労苦。しかもアメリカは、この気象悪しきアリューシャンよりの新航路を日本への最短路としてのみ執着し、あるいは暗夜を利し、あるいは濃霧の陰に隠れて、ゲリラ的蠢動(しゅんどう)を繰り返す。これを封じて厳たる我が海上部隊。

北方のこの地にもやがて春が訪れるであろう。天候の回復とともに、敵の動きも活発になってくる。ことに中部太平洋突破作戦、意のごとくならず、対日決戦を焦る敵の企図は(音声中断)を許さず。これに鋭い眼を見張る、我が海軍航空隊。暁の哨戒に滑走路の雪を除く除雪車が、暗いうちから活躍する。航空隊の勇士にとっては、アメリカ兵より、飛行機の発動機を凍らせる雪と寒さがより強敵ではある。
やがて滑走路が開かれる。哨戒機は雪を蹴(け)散らし、寒さを吹き飛ばして、きょうも、あすも、厳しい監視の任に就いている。

英印第七師包囲殲滅戦      03:41
 ビルマを奪還し、大陸よりの対日攻撃を企図する米英は、相図って緬印国境に大軍を集結。マウントバッテンの号令一下、北部、中部、南部より一挙にビルマになだれ込まんとの企図と意地を示す。我がビルマ派遣軍はこの出鼻(ではな)をたたいて2月4日、アキャブ西北において果敢なる攻撃の火蓋(ひぶた)を切った。敵が唯一の防塞(ぼうさい)と頼むマユ山系のジャングル地帯に、道なき道を押し分けて、神速(しんそく)、果敢なる挺身(ていしん)隊は、迂回(うかい)作戦を行い、敵の退路を遮断する。敗走を続ける敵は、空軍の反撃を唯一の頼みとする。その頼みの飛行機も、我が戦闘機隊に遭えば、蒼惶(そうこう)として翼を翻して遁走(とんそう)する。
友軍との連絡が絶えず無電によって緊密に取られ、包囲網は着々引き締められていく。踏み破る数百キロの山岳。ただ2本の足によって、この驚異的作戦を遂行したのだ。英印軍第7師の包囲も近い。山中にしばし疲れを癒す。食糧も今はとぼしく、ただ塩のみをなめて食事を取る。絶望も困苦も、敵軍殲滅(せんめつ)の希望の前に、ひたすら忍ぶ。祖国を汚すイギリス兵、撃つべし。インド国民軍も随所に皇軍に協力。まさに一心同体となって赫々(かくかく)たる戦果を挙げる。

 マユ山系中の盆地シンゼイワに、英印軍第7師を追い込んだ皇軍、インド国民軍は、四方の山々を占領。2月9日以降、これに頂上よりつるべ打ちの痛打を与える。眼下に見下ろすシンゼイワ盆地。その中に兵7000、自動車500、戦車100両。下方、無数の敵が袋のネズミとなって蠢(うごめ)いている。
逃げ道を失って右往左往する敵戦車。敵の狼狽(ろうばい)はその極に達す。我が包囲網は刻一刻と圧縮される。今や敵に残された道は、降伏か全滅あるのみ。
窮余の一策、敵の落下傘をもってする補給もむなしく、英印軍第7師全滅寸前の姿は、我が報道班員の手によって記録されたのであります。

 

日本ニュース 第202号(1944年4月)6分28秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300330_00000&seg_number=001

航空機用材伐出       02:42
ビルマ戦線へ歩兵部隊を空輸 02:26
英貨物船を撃沈       01:19

航空機用材伐出       02:42
 エゾマツ、ナラ、カバ、ホウ、カツラ。春4月とはいえ、雪まだ降りしきる北海道の深山に亭々こだまする斧(おの)の響き。
木造船、木製飛行機。戦争は木材を一躍軍需物資の花形として登場させました。ことに日増しに進む科学の力は、金属に勝る強度を木材に与えることに成功。ここに木製飛行機は大量生産の容易な点、電波探知機に捕捉されぬ利点と相まって、その前途は洋々たるものがあります。1機、もう1機の声に応えて、1木、また1木、伐(き)り倒された大木には、次々に航空用材の印が付けられる。山から伐り出されて製材所へ。ついで、工場へと運ばれていく木材は(音声中断)日の丸も鮮やかな軍用機として、南海に、大陸に、我が航空戦史上、新しい1ページを画してはばたく日も近いでありましょう。

ビルマ戦線へ歩兵部隊を空輸 02:26
 戦雲、日増しに急を告げるビルマ、インド国境最前線の我が航空基地。皇軍の精鋭を乗せた陸軍輸送機が1機、また1機、鮮やかに着陸する。

アラカン、マユ等の峻険(しゅんけん)連なる緬印国境の作戦は、軍隊の迅速なる機動が著しく困難である。されば期せずして、ここに国境をはさんで、彼我相ともに空輸部隊の活用が行われた。輸送機からは満々たる闘魂を面に、勇士らが続々と降り立つ。
等しく輸送機で送られた武器、弾薬を身に帯びれば、今はただ敵イギリス軍の撃滅あるのみ。

ハーパ付近の敵空輸挺身(ていしん)隊が、ただ殲滅(せんめつ)を待つ運命にある時、我が軍隊の空輸は見事に成功。勇士らは隊伍(たいご)堂々、前線へ、インド国内へ、敗敵を追いまくって、ここに進撃を開始する。

英貨物船を撃沈       01:19
 武器、弾薬を満載する、敵イギリスの1万トン級貨物船。はるかなる南方の洋上、遠く敵の補給路に出撃する我が艦隊に、またも素晴らしい獲物。轟然(ごうぜん)、停船を命じて我が砲門開く。敵船は直ちに停船。あわてふためく船員らは、救命ボートによって身ひとつの脱出を図る。我が砲火、再び咆吼。敵船は瞬時にして真っ逆さまに転覆。
1万トンの巨体は見苦しい船腹を見せて、軍需品もろとも海底の藻くずへ。かくて我が無敵艦隊の行くところ、敵の頼む補給の道は随所に崩れ、破れていく。

 

日本ニュース 第203号(1944年4月)7分48秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300331_00000&seg_number=003

音羽侯英霊凱旋     01:06
比島答禮特派大使来朝  00:51
印度国民軍 陸續前線へ 01:47
ニューギニア戦線    04:01

音羽侯英霊凱旋     01:06
 去る2月、クェゼリン環礁守備部隊6500名の勇士とともに、尊き御身をもって南海の果てに散華させたもうた侯爵、音羽正彦少佐のご英霊は、4月12日、御父君朝香宮鳩彦王殿下、御兄君孚彦王殿下をはじめ奉り、軍代表参列して御迎え申し上げるうちを、○○空港に無言の凱旋(がいせん)を遊ばされました。ご英霊は同期生ショウジ隊員に奉持(ほうじ)され、国民挙げて哀悼のうちに一路横須賀へと向かわせられました。

比島答禮特派大使来朝  00:51
 フィリピン共和国特派大使、アキノ国会議長一行は、4月17日、青木大東亜相、バルガス駐日大使ら、関係者多数の出迎えを受け、羽田飛行場に到着しました。同特派大使一行は、フィリピン共和国独立に対する謝恩と、日比同盟条約締結に対する答礼のため、来朝したものです。これを期として、両国の緊密不可分なる関係は、ますます固きを加えるものと信じられます。

印度国民軍 陸續前線へ 01:47
 インド国民軍、ついに宿望の祖国の土を踏む。その感激も生々しい3月22日、前線においてボース最高指揮官は、アラカン作戦初の殊勲者、ミスラー少佐に対して、国民軍最高の栄誉、サンダー・E・ジャンの勲章を授与。ついで、ボース首班は歴戦の勇士の一人一人に握手。心からその労をねぎらう。翻る三色旗。生死を誓ったこの旗の下、歩武堂々の分列に移るインド国民軍の精鋭。式場には日・緬・印同盟軍の誓いも固く、それぞれの代表参列して、その武勲を祈る。

 インド国民軍は進軍する。ボース首班の像、独立旗を押し立てて、新鋭部隊は続々前線への嶮路(けんろ)を進む。既に印度国内に奮戦する同志の勝報は相次いで伝えられた。戦場は近い。足並みも軽く、新鋭部隊は一路祖国へ、インド国内へ。

ニューギニア戦線    04:01
 白雲をついて、突兀(とっこつ)と連なる西部ニューギニアの連山。1万尺をはるかに超える峰々は、千古の雪をいただいて人跡未踏の静けさを守る。
だが、この山々をひとたび下れば、ジャングルが果てしなく続いて、瘴癘(しょうれい)の暗黒地帯を繰り広げる。そしてこの山岳とこの密林。これが日米決戦の地、ニューギニアの戦場を形づくる。このジャングルの中にあって、とぼしさに耐え、困苦に打ち克ち、戦いの日々を送り迎える皇軍の勇士。
敵機の爆撃は、日ごとその熾烈(しれつ)の度を加え来たる。しかし頑敵に対す我が将兵は、悠々迫らず。
敵軍、蠢動(しゅんどう)の報至る。直ちに兵舎の前に集合。部隊は命令一下、ジャングルのまっただ中へ飛び込んでいく。泥沼に生い茂るマングローブが進軍を著しく阻む。この瘴癘の地に戦う皇軍勇士にとって、最大の敵はまさにこのジャングルであった。
敵部隊、今は間近。木の葉で全く擬装(ぎそう)した勇士は、泥沼に伏して進軍の機を窺(うかが)う。南方第一線に奮闘を続ける皇軍将兵の尊い姿である。

 

日本ニュース 第204号(1944年4月)11分4秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300332_00000&seg_number=004

大元帥陛下親臨陸軍士官学校卒業式 02:21
台湾青年 高雄海兵団へ初入団   02:21
海軍予備学生の飛行訓練      02:13
タイ空軍 「隼」戦闘機で訓練   01:54
自由を我らに インド国民軍婦人部隊の猛訓練 02:12

大元帥陛下親臨陸軍士官学校卒業式 02:21
 かしこくも大元帥陛下には、4月20日、神奈川県相模原町の陸軍士官学校に行幸。決戦の野に巣立つ、新卒業生と親しく御閲兵あそばされました。
午後1時20分、大元帥陛下には卒業証書授与式場に臨御あそばさる。栄えある卒業証書は牛島校長より、各中隊長に授与されました。
ついで、誉れの優等卒業生徒15名は、御前近く参進。侍従武官坪島少将より、恩賜の品を拝受いたしました。苛烈極むる決戦の戦列へ、今、相武台を出で立つ若き陸の精鋭は、ここに陛下の臨校を仰ぎ奉って、ただただ、一死もって君国に応えまつらんことを誓い奉ったのであります。

台湾青年 高雄海兵団へ初入団   02:21
 皇土防衛の栄えある戦列に加わることを得た、台湾初の海軍兵志願者、訓練所を巣立つ。帝国海軍の精神を体得せんものと、日夜精進の一年を送ってきた志願者一同は、3月31日、訓練修了式場において、福田(良三)高雄警備司令長官、本田(親民)高雄海兵団長臨場の下に、晴れの修了証書を授与されました。水兵服姿もりりしい、我が子、我が弟。修了証書に本島人父兄も喜びでいっぱい。早く立派な帝国軍人になって、第一線でご奉公してくれと激励する。翌4月1日、志願者は直ちに宿望の高雄海兵団に入団。4月2日、晴れの入団式場において、二等水兵を命ぜられ、高雄警備司令長官より、懇篤なる訓辞を受けました。
<警備司令長官:
 諸氏は昨日をもって当海兵団に入団し、光輝ある帝国海軍の一員となったのである。本島における第1回の志願兵として、諸氏の責務は極めて重大である。よく軍人に賜(たま)わりたる御勅諭を奉体(ほうたい)し、忠君愛国、米英撃滅を瞬時も忘れず、立派なる一人前の軍人たらんことを切望してやまん。終わり。>

海軍予備学生の飛行訓練      02:13
ペンを捨て、学窓より決然立ってここに半歳。海の学鷲はその技術の進歩もめざましく、このようにたくましく成長した。

<上官:
 本日の飛行訓練を始める。編隊飛行並びに特殊飛行同乗。操作は思い切りよく、パッとやる。離着陸の単独は始めて間もないから、十分慎重にやるように。今までいろいろ受けた注意の1つ1つをよく守って、最小の飛行時数で、最大の訓練効果を挙げるように、最大の努力を払って飛行作業に従事せよ。注意、終わり。>

 単独飛行、編隊飛行に進めば、今は敵機にまみえる日も間近。かくて大空に鍛える海軍予備学生、月月火水木金金の猛訓練は続く。

タイ空軍 「隼」戦闘機で訓練   01:54
 尾翼に描く白象の旗印。タイ国に来襲する敵機を迎え撃ち、我等(われら)の空は我等で守ろう。我が国と手を組んで、大東亜戦争をともに戦うタイ国の空軍将士は、皇軍勇士の指導の下に、隼(はやぶさ)戦闘機と特訓で、鋭意、飛行技術の向上に努める。

 敵機よ、来たらば来たれ。熱烈な訓練相次ぐうちに、タイ国防衛の陣営は着々固められていく。

自由を我らに インド国民軍婦人部隊の猛訓練 02:12
 祖国の解放へ、女子も銃を取って立て。ボース首班の声に応えて、昨年10月結成を見たインド国民軍婦人部隊。ジャンシー女王連隊は、女性とはいえ、前線に参加できる日に備えて、男子に劣らぬ激しい訓練を重ねる。

 自由か、死か。自由インド婦人軍は、大東亜全女性の輿望(よぼう)と激励に応えつつ、堂々の歩武(ほぶ)を進める。

 

1944年5月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19445

日本ニュース 第205号(1944年5月)8分35秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300333_00000&seg_number=001

天皇陛下靖国神社御親拝    01:31
皇后陛下英霊に御拝      01:04
大元帥陛下親臨 天長節観兵式 03:29
緬印(ビルマ・インド)戦線  02:29

天皇陛下靖国神社御親拝    01:31
 2万5柱の英霊、永久(とわ)に神鎮まる靖国神社、春の臨時大祭。第2日の4月25日、かしこくも天皇陛下には聖駕(せいが)を九段の神域に進めさせたまい、新祭神、並びに護国の英霊に親しく御拝(ごはい)あらせられました。竜顔を咫尺の間に仰ぎ奉る無上の光栄に胸震わせて、ろ簿御順路に粛然襟を正す遺族、3万2000。畏(おそ)れ多くも陛下には、御料車を徐行せしめたもう。大東亜全域の海陸に大君のため、命を捧(ささ)げ奉りし股肱の英霊に寄せさせたもう大御心のかしこさ。さらにまた遺族民草を御間近にねぎらわせたもう深き御仁慈のほど、参列の遺族はもとより、一億こぞりて、敵撃滅の決意をいよいよ固く御誓い申し上げたのであります。

皇后陛下英霊に御拝      01:04
 臨時大祭の儀、とどこおりなく終了した翌4月28日、かしこくも皇后陛下には春雨煙る靖国神社に行啓。護国の英霊に親しく御拝(ごはい)あそばされました。かしこくも陛下には、雨の中に御車を迎え奉る遺族に対し、遠路はるばる参列の身を御気遣いあそばされ、この日特に雨傘を許されたもう。申すもありがたき御仁慈のほどに、誉れの遺族は感激にむせびながら、御姿を拝し奉りました。25日、行幸を拝し、さらにこの日、行啓を拝し、皇恩の広大無辺なる、誠にありがたき極みであります。

大元帥陛下親臨 天長節観兵式 03:29
 決戦の様相、いよいよ苛烈(かれつ)を極めるの時、大東亜戦争下、三度迎える天長の佳節を寿(ことほ)ぎまつる観兵式は、かしこくも大元帥陛下の親臨(しんりん)を仰ぎ奉り、4月29日、新緑萌(も)える代々木原頭(げんとう)において、いとも厳かに執り行われました。
陛下には各宮殿下をはじめ奉り、陸の将星、外国武官の列を従いさせたまい、陸上精鋭諸部隊を御閲兵あそばさる。
御閲兵の御後、陛下には玉座に進ませたまえば、号令一下、歩武堂々の分列行進は御馬前近く繰り広げられました。
うららかな春光に、剣の光りもひとしお映えて、威風堂々。その光栄に参列の将兵一同、我こそは大君の辺にこそ死なめ。ただただ一死もって君恩に報い奉らん決意を固めたのであります。

緬印(ビルマ・インド)戦線  02:29
 ビルマを窺(うかが)うイギリス重爆の末路。皇軍怒濤(どとう)の進撃の前に、敵は国境の要衝を相次いで失い、わずかにその航空兵力を挙げて、補給に、陣地防衛に狂奔するのみ。ビルマ後方地区に来襲する敵機は、3月より4月、4月より5月と、日に日にその数を減ずる。あえて出撃すれば、今はただ我がよき餌食となって、醜い残骸(ざんがい)をジャングルに横たえるのみであります。

ビルマ、インド国境のジャングルに戦う皇軍にとって、小川は時にはその進撃を早める得難い道である。北部のインパール攻略戦に呼応して、4月、ビルマ南部において一斉に行動を開始した皇軍は、敗敵を西北に追いつめて、待望の国境線もあとわずか。水流を蹴(け)って、ジャングル内破竹の進撃は続く。
はるかに望むはビルマ、インドの南部を境して流れるラーフ川。山頂に進出した我が巨砲は、国境の備えにあがく敵陣にとどめの火蓋(ひぶた)を切る。
一発、また一発。見事命中の白煙、立ち上る。かくて我が砲門の咆吼のうちに、ベンガルへの大道は、まさに豁然(かつぜん)、開かれんとする。

 

日本ニュース 第206号(1944年5月)15分16秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300334_00000&seg_number=004

皇太子殿下 香取鹿島両神宮御参拝 02:28
航空機増産に大御心        01:35
緬印(ビルマ・インド)戦線    05:59
あゝ古賀元帥           05:12

皇太子殿下 香取鹿島両神宮御参拝 02:28
 学習院初等科第5学年に御在学の皇太子殿下には、山梨学習院院長引率の御学友と御一緒に、5月3日より2日間の御日程にて、千葉、茨城、両県下に行啓。菖蒲(しょうぶ)の風さわやかな水郷地方御見学旅行をあそばされた。3日、伊波比主命(いわいぬしのみこと)を祀(まつ)る香取神宮に御参拝あらせられました。
桜も美しく散りしく参道を進ませられ、やがて拝殿前に御到着。御学友と御ともに御拝礼あそばされました。
殿下には、海軍航空隊に御1泊。翌4日、武甕槌命(たけみかづちのみこと)を祀る鹿島神宮に御参拝あそばされました。
神苑(しんえん)は5月の陽光に映えて緑したたるばかり。ひとしお、荘厳さを加えるかのごとくであります。かしこくもこのたびの御旅行は、学生の御資格をもって殿下初の御1泊旅行と拝察されるのでありますが、遠き肇国(ちょうこく)の戦の神に御参拝あそばされる殿下の、御英邁(えいまい)なるお姿を拝しますことは、誠にありがたき極みで、大東亜戦争下、国民等しく感激申し上げるところであります。

航空機増産に大御心        01:35
 決戦下、航空機増産激励のありがたき思し召しをもって、天皇陛下におかせられましては、4月以来、全国各地の航空機関係工場に侍従武官を御差遣あそばされ、生産陣第一線の模様を視察せしめられつつありますが、先に侍従武官山県陸軍大佐を、三菱化成工業某工場に御差遣になり、米英撃滅に燃え立つ工場の増産状況を巡視せしめられたのであります。
また5月3日には侍従武官坪島陸軍中将を、立川飛行機○○工場に御差遣。つぶさに産業戦士の活躍ぶりを視察せしめられました。このありがたき思し召しを拝し、工場関係者一同は恐懼(きょうく)感激、いよいよ飛行機増産の実を挙げ、もって大御心に沿い奉らん決意を固くしたのであります。

緬印(ビルマ・インド)戦線    05:59
 アラカンの南、カラダン川をさかのぼって、きょうも前線への補給に急ぐ、我が陸軍舟艇隊。ジャングルに覆われるインド、ビルマ国境南部戦線は、わずかに河川の網の目が基地と前線をつなぐ。舟艇隊の任務は重い。夕闇は次第に迫る。しかし我が補給路攪乱(こうらん)にいつ襲来するかもしれぬ敵機に対して寸分の油断も許されない。
敵機。直ちに煙幕を張って対空戦闘に移る。敵機、スピットファイヤー。こしゃくにも超低空で我に肉薄。我が熾烈(しれつ)な砲火に敵機は遁走(とんそう)した。陣容を整えた舟艇隊は再び前進に移る。川は既に上流に近く、水底はようやく浅い。定かならぬ水路。船が浅瀬に乗り上げた。我が破竹の進撃を追って、補給はいささかも遅れてはならぬ。さらば、ザンブと水に飛び込んで、船を押す。補給隊の勇士にとっては、まさに真剣な川との戦いである。勇士の力限りの奮闘の前には、浅瀬もついに障害とはなり得ず。整然、舳艫相銜んだ舟艇隊はぐっと船足を速めて、今は間近い前線へ。東部インド、ベンガルを目指す友軍の下へ。

 ビルマ、インド国境南部、カラダン地区作戦の進展に呼応して、中部国境突破を目指す皇軍の進撃、また急を告げ、3月下旬、インパール前衛の拠点、英印軍第17師団司令部、ティディム、またトンザン、我が手に落つ。
急ごしらえのトーチカ。塹壕(ざんごう)。焼け崩れた軍用トラック。遺棄された軍需物資の山。この地に大軍を擁して、不敵にもビルマ侵入を夢見た敵イギリスの、今はあえなく潰(つい)え去った野望を物語る。ティディム、トンザン前面、既に敵影なし。しかし敵は敗走に当たって、道路の要所一面に地雷を敷設。我が進撃を食い止めんとする。工兵隊は深甚の注意を払って、これが除去に努める。
障害はすべて除かれた。インパールへの道は開かれた。ハトカイの山々を縫って、九千尺の高みに坦々(たんたん)として続く国境の道。皇軍重砲隊は日没をついて、一路インド国内へと怒濤(どとう)の進撃を開始する。九千尺の峰々を走る、この街道。この道こそ、敵イギリス軍がビルマ奪回の侵攻路として、惨憺(さんたん)たる努力のうちに切り開いた軍用路であった。そして今、皇軍疾風の進撃をさらに速めて、自らの末路を急ぐイギリス・インド帝国崩壊の道と化し去ったのである。インパール近し。暗黒の国境につるべ打ちの砲火。今ぞ敗敵、殲滅(せんめつ)へ咆吼する。

あゝ古賀元帥           05:12
<栗原大本営海軍報道部長:
 大本営発表。昭和19年5月5日15時。
1、連合艦隊司令長官、古賀峯一大将は、本年3月、前線において飛行機に搭乗。全般作戦指導中、殉職せり。
2、後任には豊田副武大将、親補(しんぽ)せられ、既に連合艦隊の指揮を執りつつあり。
3、横須賀鎮守府司令長官後任には吉田善吾大将、親補(しんぽ)せられたり。終わり。>

 昭和19年5月7日。その忠烈永久に大東亜戦史を彩る、連合艦隊司令長官古賀元帥の英魂(えいこん)、祖国に帰りたもう。
午前11時13分、かしこき辺りより御差遣の勅使、各宮家御使いをはじめ、遺族、高位顕官、陸海の将星、粛然襟を正して出迎える中を、元帥の英霊は東京へ帰着。帝都に無言の凱旋(がいせん)をしました。恩賜の元帥刀、元帥徽章(きしょう)。功一級金鵄(きんし)勲章。勲一等旭日桐花大綬章(だいじゅしょう)。燦(さん)として元帥の偉勲を伝う。武人としてまさに無上の賞栄。また死して至高の御賜号を忝(かたじけ)のうす。武人の本懐、これに勝るものはないでありましょう。
御霊、今帰る。在職中の隆々たる辛苦艱難(かんなん)を忍んでは、ただ感謝賛仰に頭を垂れる国民に迎えられ、英霊は海軍省前を通過。麻布の自邸に入りました。
昨年4月、山本元帥の後を受け、古賀元帥は常に陣頭にあって作戦の指揮に当たり、また病院船が作戦基地へ寄港した際には、寸暇を割いて傷ついた勇士を見舞い、親しく一人一人の病状を聞いて、ねんごろに激励の言葉を贈りました。恩威兼ね備えたこの長官の下、我死なん。凄絶(せいぜつ)なる決戦の間にあって、闘志いや燃える元帥麾下(きか)の連合艦隊は、よく敵の鋭鋒(えいほう)をくじき、我が戦略態勢の優位を確保し来たったのであります。

<ただ今、古賀連合艦隊司令長官閣下の悲報に、我等(われら)戦場人は、否、大日本一億国民は、すべて断腸の思いであります。しかし諸君、我等産業戦士は、いたずらに驚き、悲しんでいる時ではありません。増産に増産をもって、職場も戦場、倒れるまで一人残らず戦士の数をいよいよ強く、新たにやって、やって、やり抜き、御霊に応えようではありませんか。黙祷(もくとう)。>
 あゝ古賀元帥、決戦の姿、今熾烈(しれつ)を極め、皇国まさに興廃の関頭にある時、ここに古賀元帥、指揮官先頭の範を示して、我等一億を導く。我等、故元帥の御霊にぬかずき、決意を新たにして大東亜戦争を戦い抜かんことを誓います。

 

日本ニュース 第207号(1944年5月)9分42秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300335_00000&seg_number=002

古賀元帥海軍葬          03:37
必勝へ一億総蹶起         02:16
ビルマ前線司令部訪問のボース首班 01:13
船団護衛に活躍の飛行艇      02:31

古賀元帥海軍葬          03:37
 響くは葬送の調べ。命を捨てて全国津々浦々一億の胸に、すべて悲しみの半旗翻る、昭和19年5月12日。古賀元帥の英魂(えいこん)、永久に神と鎮まりたもう海軍葬は、帝都築地の西本願寺において、いとも厳かに執り行われました。
かしこき辺りより御差遣の勅使、徳大寺侍従の御拝。嶋田海軍大臣は、切々弔辞を捧(ささ)げました。

<嶋田大臣:
 慎みて元帥海軍大将、正三位勲一等功一級、古賀峯一閣下の英霊に告ぐ。我等(われら)海軍将兵は、御稜威(みいつ)の下、滅敵必勝の信念いよいよ固く、閣下の心を心とし、勇戦、敢闘誓って敵米英の非望を粉砕し、もって宸襟(しんきん)を安んじ奉らんことを期す。>

 ついで、喪主八重子未亡人、霊前に進んで焼香。
参列の儀仗(ぎじょう)兵の放つ3発の弔銃は、五月の空に悲しくこだまする。
(3発の弔銃)
午後1時45分、東条首相は一億国民の敬弔を代表して焼香。ついで一般の焼香に入りました。元帥、今ぞ神と鎮まりたもう。我等一億、御霊に応えまつるの道は、ただただ総決起、総力を挙げて、大東亜戦争完遂へ戦い抜くことあるのみ。

必勝へ一億総蹶起         02:16
4日、東京日比谷公会堂に、官民代表3500名を集めて、国民総蹶起(けっき)運動中央総会が開かれました。小林中央協力会議長、宣誓文を朗読。

小林議長: 宣誓。
全  員: 宣誓。
小林議長: 今や必勝の道は。
全  員: 今や必勝の道は。
小林議長: 前線に対応する国民総蹶起あるのみ。
全  員: 前線に対応する国民総蹶起あるのみ。
小林議長: ここに我等(われら)は。
全  員: ここに我等は。
小林議長: 米英を撃退して。
全  員: 米英を撃退して。
小林議長: 勝って誓願に答えまつらん。
全  員: 勝って誓願に答えまつらん。

 ついで東条首相は、勝敗の決は気迫にありと、全国民の蹶起を要望しました。

<東条首相:
 この蹶起運動の要諦は、我が国民は生まれながらにして持つところの忠誠心を盛り上がらせ、これを常に推進することであります。官民ともに1本のたばこも分け合う温かき戦友愛を持って、お互いが裸になり、また許し合い、また信じ合い、また助け合うことが肝心であります。戦いに勝つということは、戦場にのみあるのではないのであります。国民諸君の足下にも、日常生活の上に、身近く存することを忘れてはならんのであります。>

ビルマ前線司令部訪問のボース首班 01:13
 インド国民軍、ついに祖国に入る。喜びに面も明るい、ボース最高指揮官は、前線の我が軍司令部を訪問。インド国民軍に寄せる皇軍の絶大なる援助を感謝するとともに、今後の作戦について協議を重ねました。無敵皇軍と精鋭インド国民軍の固い協力の前には、敵イギリス軍のあがきもむなしく、インド戦線、我が必勝の作戦は着々進められていく。
皇軍を食い止めんと焦るイギリス軍は、航空機を総動員。前線へ落下傘で軍事品補給に狂奔している。しかもこの物量は、しばしば我が陣地内に投下される。けだし、皇軍の進撃が神速を極める結果、敵機は我が陣地を味方と誤ること多いがためでありましょう。

船団護衛に活躍の飛行艇      02:31
 明け染める南海の我が基地。暁の闇を突いてきょうもまた、海軍新鋭飛行艇は巨体を現す。命令が下される。南方第一線へ軍需物資の補給に急ぐ、我が船団を護送するのだ。船団との会合地点、護送上の諸注意が与えられる。虎視眈々(たんたん)、我が補給路攪乱(こうらん)に出没する敵潜水艦に、いささかたりとも船団襲撃の機会を許すことがあってはならぬ。船団護送、華々しさを欠くとはいえ、誠に重大な任務を帯びて、飛行艇は鮮やかに離水する。
○時○分、眼下に船団見ゆ。直ちに護衛に移る。船団に満載された武器、弾薬こそ、第一線の我が将兵が待望甚だしきもの。この船団が無事航海を終えた時、敵の反攻を払う我が厳然の体制は、さらに一段その固さを増すのである。敵潜水艦、あえて出撃するか。搭乗員は困難なる索敵に寸時の注意もゆるめず。整然、舳艫(じくろ)相銜(あいふく)む船団。堂々、鵬翼を連ねる飛行艇。必勝への重責を担い、相携えて一路、南下する。

 

日本ニュース 第208号(1944年5月)8分28秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300336_00000&seg_number=001

威風堂々 聯合艦隊      05:06
河南戦線 大陸打通作戦始まる 03:22

威風堂々 聯合艦隊      05:06
 太平洋の波濤(はとう)を蹴って疾駆する、我が水雷戦隊。続くはその威力、世界の建艦技術を圧倒し去った巡洋戦隊。あるいはまた、旧来の海戦常識を革新せしめた海軍航空戦隊。また悠揚迫らざる主力艦隊。我が連合艦隊は、ひたすら敵艦隊撃滅の日に備えて、訓練に励む。訓練は実戦のごとく、実戦は訓練のごとし。思い起こす明治38年、我等(われら)の父祖が発揮せる、不退転なる闘魂。卓抜せる戦術は、帝国海軍の伝統として今なお脈々、海軍将兵の血潮の中に流れている。
「○○艦」上、連合艦隊を率いて立つ、豊田司令長官、最近の英姿。空母50隻以上と誇称するアメリカ艦隊を迎えて、帝国海軍はいささかもたじろがず、新長官の下、戦意いよいよ高く、ただ撃滅の機、来るを待つのみ。
静かに海図を案ずる司令長官。脳裏にひらめくはいかなる戦略であろうか。

ただ生産力を頼んで、多数の艦艇を擁するアメリカ艦隊は、有力なる機動部隊をもって帝国海軍の消耗を企図。再び、三度、中部太平洋水域に出没し、あまつさえ不遜(ふそん)にも比島を奪還し、南支那(シナ)大陸に達せんと呼号する。大東亜を巡る大浪高し。されど我々はいたずらにこれを恐るるにはあらず。決戦の様相、いよいよ急なる太平洋の現勢は、あたかもバルチック艦隊を近海に迎え撃った日本海海戦のその前夜にも彷彿(ほうふつ)としているではないか。
舳艫(じくろ)相銜(あいふく)んで、悠揚迫らず、威風堂々、太平洋を圧して進む、我が主力艦隊の偉容(いよう)。時、来らんか。その巨砲は咆吼し、敵を懐近く引きつけて、これに必殺の強打を与えるであろう。我等一億、豊田司令長官の下、連合艦隊将兵の善謀勇戦に期待し、ただただ全力を挙げて、戦力増強に邁進(まいしん)し、1機、1艦でも多く第一線に送り、忠勇なる将兵の労苦に応えようではないか。

河南戦線 大陸打通作戦始まる 03:22
 我が北支軍の精鋭諸部隊は、4月18日、河南省に行動を開始。早くも2日にて、鄭州を占領。また航空部隊は中原の古都、洛陽を爆撃。着々戦果を拡大。重慶直系第1戦区40万の敵軍を包囲、京漢線の打通に成功した。我が工兵隊は、大黄河の流れの中に敵前架橋を敢行。陸の精鋭はこの橋を渡って、一路南下。鄭州へ、鄭州へと進撃する。
 最近の世界情勢を反枢軸側に有利なりと盲断し、皇軍が大陸より兵を南方戦線に転出せると誤信した重慶は、大陸総反攻を呼号して河北奪還を企図。蒋介石の信任厚い蒋鼎文、湯恩伯指揮の第1戦区軍の装備拡充に狂奔していた。この機先を制して、黄河を渡河。河南の黄土地帯に黄塵(こうじん)を巻(ま)いて、皇軍、快進撃は続く。

 地上軍疾風の作戦展開に呼応して、陸軍航空部隊は24日、敵第1戦区の中枢、洛陽を急襲。我が荒鷲は堂々鵬翼(ほうよく)を連ねて、洛陽上空に進入。敵の重要軍事施設を爆砕しました。また1隊は、洛陽西方40キロの地点に、前線補給に焦る軍用列車を発見。これに急降下、壊滅的打撃を与え、早くも敵の野望を粉砕し去ったのであります。

 

1944年6月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19446

日本ニュース 第209号(1944年6月)9分18秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300337_00000&seg_number=002

緬印戦線で活躍するインド国民軍 03:30
ニューギニア          05:47

緬印戦線で活躍するインド国民軍 03:30
河ひとつ、カラダン河のかなたに、救いを求めてインドの民がいる。その民を足の下に踏みにじり、敵軍はいかなる配置についているか。既に壊滅に瀕(ひん)せる征亜第81師団は、いかにして我に対せんと焦っているか。地図を睨(にら)んで、我が軍とインド国民軍の秘密作戦が練られていく。
ここはインド、ビルマの国境、西南に位するカラダンの谷、タレタの第一線。敵はいかにもして、カラダンよりアキャブへの道をつかみ、中部インパール、北部スーポン、東部雲南、3戦線の退勢挽回(ばんかい)に努めているのである。笑うべし、はかなき野望。我は今、一挙にしてこれを殲滅(せんめつ)せんとす。さればまず、敵軍の十分な偵察を必要とする。よってここに、重大な任務が国民軍の4勇士に与えられた。姿を変えて敵地に入れ、敵情を探れ。自らの言葉を武器とし、日印同盟軍を待ちわびる人々と連絡を取れ。

「隊長殿、我々は死力を尽くして任務の完遂に努めるでありましょう。」
隊長はこれを励まして言った。
「成功を祈る。」

進撃を前にして、静かな気合いが満ちわたった。断固として行く、その決意を今は真っ白な包帯に包むのである。そして大方の勇士は、落ち着いた眠りに決意を包むのである。

皇軍もまた、得意の夜襲に備えてしばしの憩いを楽しんでいる。大東亜戦争開始以来、2つの言葉が前線将兵を喜ばした。いわく、チャーチル給与。いわく、ルーズベルト給与。征亜軍がカラダン河のかなたに潰走(かいそう)したあとには、おびただしいチャーチル給与が転がっていた。その敵の未練の品々を、我が軍はそっくりちょうだいした。しかしチャーチル給与にも増してパレトワの第一線に思いがけぬ、天国のようなひとときが許された。すなわち、水浴である。1人の兵隊が実感を込めて感懐を歌った。

「水浴するも親しと思う 枝にかけし千人針もあかづきにける」

ニューギニア          05:47
 道なき山に道を開き、橋なき川に橋を架け、ジャングルと戦い、悪疫にも負けず、しかもなお、ニューギニアの皇軍は、神速果敢な行動を取らねばならぬ。

敵はホーランディア、並びにアイタベに上陸し、フィリピンから支那(シナ)大陸へ、我が南方補給線の遮断を目指すと豪語している。この敵の夢物語を、あくまでも夢に終わらしむるもの、すなわち我がニューギニアの精鋭である。しかし、重ねて思え、いかにニューギニアの地形は、戦うに困難を極めることかと。日夜を分かたず、ジャングルを開き、爆破をかけて岩石をこぼち、懸崖を削り、一にも二にも道路、道路を通すべく、ひたすらなる努力の積み重ねのみがものを言う。
支那(シナ)大陸とも異なる、緬印戦線にも等しからず。まさにニューギニアの特殊なる条件を克服して、初めて大部隊の活動が許されるのである。蠢動(しゅんどう)する敵に対し、作戦はあるいは後方補給を考慮せず、ただ命令のままに意気と頑張りの苦しい進撃を要求する。道路建設、トラック路の完成を待っているわけにはいかぬ。忠の一字があらゆる辛苦を耐え忍ばせる。
ある日、沛然(はいぜん)たる大雨が襲った後に、恐るべきぬかるみが残された。かろうじて道となすべきところに、一筋の川が流れ、水の引いた後にはひざを没する泥のみが連なっていた。しかし、進撃は寸刻も休んではならぬ。一足、また一足の前進。馬が倒れた。支那(シナ)大陸の戦場にも劣らぬぬかるみを、将兵は渡っていった。大陸と異なるところ、ここは実に平地にあらずして、けだし険しい山の中であったのだ。ニューギニアの大自然の中であった。
もはや、道とも名付くべきものはない。馬を引き、杖を引き、足探り、手探り、ただ歯を食いしばって歩くのである。肩にめりこむ装具。坂道を登れば、命をつなぐ食糧さえも重荷となる。よし食糧を失うとも、砲車、砲身、弾薬、敵を砕く兵器を放してはならぬ。ニューギニアに居を占める敵将マッカーサーは、ルーズベルトに兵員、兵器の増援をしばしば要請した。ホーランディア、アイタベの上陸は、その1つの結果であったか。いずれにしても、その膨大なる兵員とともに、敵航空機の活躍も加わった。既に敵は地上のみにあるのではない。我が軍の対空戦闘も増加した。
ノースアメリカンB-25。敵は山間僻地(へきち)とすらも言えぬジャングルの中に、堅固なトーチカを築いて、我が軍の鋭鋒(えいほう)を食い止めんと、心を砕いている。トーチカ、何するものぞ。爆破をもって答うるのみ。息詰まる工兵隊の作業が始まった。
我、爆破に成功せり。

 

日本ニュース 第210号(1944年6月)10分15秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300338_00000&seg_number=005

戦時食料増産 満州でも食糧増産(満州) 01:07
青森県五本木町の荒れ地200町歩を開墾する小中学生 02:37
食糧増産に空閑地を利用         02:06
増産に成功した広幅薄播式麦作      01:46
ニューギニア戦線            02:37

戦時食料増産 満州でも食糧増産(満州) 01:07
 見渡す限りの豊かな平原。満州国の沃野(よくや)にトラクターが走る。馬スキが土を掘り返す。長い、厳しい冬も明けて、さてもあわただしく過ぎんとする春の時を惜しむ。すべてこれ、一粒でも多くの穂に至る、土への戦いの姿である。
急げ、種まき。日満相携えて戦うこの大いなる戦いに、食糧も相ともに戦い取ろうではないか。戦力をいや増すために。

青森県五本木町の荒れ地200町歩を開墾する小中学生 02:37
 満州国の民が雄大な平原を耕すなら、我は尺寸の荒れ地をも許すまじ。クワを打ち込もう。ここは青森県五本木の町近く、学童も、その親も、勤労奉仕に一つとなって、200町歩開墾(かいこん)への水田事業。かつてこの土地へクワを入れた人は、事業の困難さゆえに、いずれも力尽きて、むなしく荒れ地を眺めるのみであったという。しかし今や、一粒でも多く、そして一坪でも多く耕さねばならぬ。けだし、兵器の絶対的増産が、前線の戦いに伝わるとすれば、食糧の増産と確保こそは、その戦う力の基ではないか。五本木の町を中心に、人々は力を合わせ、豊かな十和田湖に目を付けて、石を掘り、溝をつけ、水枯れ知らぬ水田への懸命な作業が続けられてきた。
目に青葉。初夏の陽を楽しく受けて、5月27日、待ち望んだ(音声中断)式の日は訪れた。「よし、開け」。水門からとうとうとあふれ出る十和田湖の水は、流れ、流れて汗の奉仕の水田に道を取った。期待に満ちた人々の顔に見送られながら。
やがて植え付けも終わり、秋の気配の満つる時、戦力増強の稲の穂波が、ふさふさと200町歩の開墾地を埋めることであろう。

食糧増産に空閑地を利用         02:06
内田農商大臣

<内田農商大臣:
 今や戦いを続くること、ここに数年。食糧問題はますます重大化してきたのであります。すなわち、国民一同の活動が増せば増すだけ、そこに食糧を多量に供給しなければならないのであります。あえて食糧が欠乏をいたさなくても、国民の活動力が増せば増すだけ、食糧は多量に供給しなければならないのである。そこに私は、職務上、なんとかしてうんと国民に食べさせて、うんと働いていただきたいのであります。而(しこう)して、主要食糧の補給となり、蔬菜(そさい)の補充となるものはいろいろありますが、なかんづくカボチャのごときは最も面積を要せず、素人の手にかかりやすく、而して栄養に富み、最も実際に適応するのであります。>

 内田農商大臣の声に応えて、空閑地利用は都会と言わず、山村と言わず、あらゆるところで行われねばならぬ。必ずしも米や麦に限ったことはない。カボチャで結構。野菜の一束でも自ら作ればよいのだ。世に、一坪園芸、公園農場と言われるものも、全国合わせてみれば18万5000町歩はまだ造れるという。誠に偉大なものではないか。

増産に成功した広幅薄播式麦作      01:46
 田畑を増やすとともに、質の改良も大切である。190万町歩の麦畑から、今年は2700万石突破を予想される穫(と)り入れを前にして、一反歩から20数俵。従来の4、5倍は確実という新しい栽培法の考案者、イトウ氏に聞く。

<イトウ:
 これまでのように、播(ま)き幅を狭くいたしますると、利用できる耕地面積は極めてわずかなものになります。

従来の方式
土地を無駄なく使うためには、播き幅を広くするのであります。

廣幅薄播式
丈夫に育てるためには、種を薄播きにするのであります。このようにいたしますと、やがて一粒の麦は20本にも、30本にも分けつするのであります。この分けつこそ、増収の元でありまして、これが麦の本来の姿なんであります。種を薄播きにいたしましたことによりまして、麦は窮屈な思いをせずに、十分に日光を浴びて育つのであります。決して、今まで以上に肥料を施す必要はないのであります。また、素入れをしっかりやりまして、今までのような手の込んだ中打ちを必要としませんし、草取りも行わなくてもよいのでありますから、人手はむしろ少なくて済むのであります。>

ニューギニア戦線            02:37
 アドミラルチーに航空基地を設定して、アイタベ、ホーランディア、サテバ、トルガー河口、ビアク島へ、ニューギニア北岸を西に進むアメリカの野望、いよいよ急なるものがある。しかし、稀代の皇軍は、この敵を迎えて、よくこれを水際に圧迫し、まさに撃滅の態勢を敷く。ジャングルに覆われたニューギニアの未開地に、戦闘を続ける皇軍将兵。原住民も心から将兵になついて協力を惜しまず、地図もない奥地の偵察には、伝家の弓矢を取って道案内に一役かって出る。これは来るべき攻勢作戦になくてはならない、地形の的確な把握となって、大きな効果をもたらすでありましょう。
勇士たちは丸木橋を渡り、道なき道を分け入って、ただ反撃の準備のために、地味な忍苦の進撃を続ける。
西南太平洋方面に戦う勇士たちを最も悩ませたものは、数にものを言わせて跳梁(ちょうりょう)する敵の飛行機であった。敵機に対する勇士たちの憎しみは、どんなにも大きいものであったことか。この敵に、目にものを見せる高射砲が到着した。
ジャングルの悪路もものかは、ただ敵機撃墜の喜びにいっぱいで、この精巧な高射砲を備え付ける。不円滑な補給に加えて、ここは名にし負う悪疫瘴癘(しょうれい)の蛮地。不利な条件と、少ない兵力。しかし、ひたすらこの困苦欠乏に耐え忍んで、勇士たちは戦い続けた。今やまさに好機を捕らえ、皇軍の断固攻勢に転ずる時は近きにある。勇士たちはその日に備えて、黙々、任務に励んでいる。

 

日本ニュース 第211号(1944年6月)7分35秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300339_00000&seg_number=002

洛陽攻略    04:34
敵軍北佛に侵入 03:01

洛陽攻略    04:34
 洛河に臨み、黄河の懐に抱かれて、興亡4000年の歴史を閲した洛陽に、重慶第1戦区軍は本拠を構えていた。我が軍はこの由緒ある都の破壊さるるを惜しみ、これを包囲監視の上、敵軍に降伏を勧告するも、敵、これを容れず。よって進撃、攻撃の命下る。時に5月24日。既に河南の沃野に精鋭とうたわれた重慶第1戦区、湯恩伯軍の主力は鎧袖(がいしゅう)一触、皇軍の前に壊滅し去っている。しかしなおとどめを刺すために戦車を先頭に我が機甲部隊は目標の洛陽にひたひたと押し進む。戦いのおもむくところ既に明らかにして、皇軍の苦心はいかにして洛陽を無傷に攻略するかであった。しかしこの古い都は、重慶軍が天然の要害に加えるに、あらゆる知能を傾けてものにした堅固な要塞(ようさい)として立っている。さればこそ難攻不落を信じて、敵は降伏を拒むのである。蟷螂(とうろう)の斧にも等しき抵抗に痛棒の下るときは刻々迫った。

各部隊、一斉に洛陽奪取の態勢は整え終わった。一隊は北方高地に取りついた。猛烈な突っ込み戦が始まった。一隊は停車場に突入。敵の輸送機関を我が手に収め、なおも敗敵を急追。5月25日早朝、最後の市街戦。戦いはわずか20時間。しかも戦果は莫大(ばくだい)であった。捕虜8300。我が方にて収容せる死体と合すれば実に1万3000。鹵獲(ろかく)兵器、各種火砲74。重軽機約300。小銃類は3000を数え、高らかな凱歌(がいか)を上げた。

敵軍北佛に侵入 03:01
 昨年の11月末、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの三者がテヘランに会談。その結果、欧州の東、西、南より行わるべき作戦に関し、意見の一致を見たと発表した。その後ドイツは、期するところあってか、東部戦線においてしきりと戦線短縮を行い、ソ連はついにルーマニアに侵入。本年6月を迎えた。夏の攻防戦近しと思われた6月5日、ドイツ軍はイタリア、ローマを撤収した。しかるに、まさにその翌日、6月6日未明、米英軍上陸部隊は北フランスセーヌ河口、ルアーブル、およびポタンタン半島シェルブール地区にかけての沿岸一帯に来襲。同時に空挺(くうてい)部隊が空より侵入した。果然、第2戦線は展開されたのである。目下、河岸地区を中心に激戦展開中である。

6月7日、ドイツ軍はロメル(ロンメル)元帥麾下(きか)の虎戦車を始めとする機甲軍団を増援せしめた。先にはリビアに猛威をふるい、ついでイタリア戦線にいかんなき機動力を発揮した、快速を誇る機甲軍団の一面をここにうかがうこととす。ロメル(ロンメル)快速部隊は、このたびは第7、第15戦車師団を主力とすると伝えられているが、同部隊の参戦により、一大決戦が行われつつあるのである。麾下部隊を率いて、自ら前線に出動したと言われるロメル元帥。再び敵将、モントゴメリーと相まみえる同元帥は、いかなる奇策を練るや。第2戦線の展開に先立ち、ドイツ軍の新兵器、ロケット砲の威力がしばしば報ぜられている。これはそのロケット砲である。もって第2戦線の激戦をしのぶ。

 

日本ニュース 第212号(1944年6月)9分7秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300340_00000&seg_number=004

米機撃墜             02:36
生産挺身 兵器工場の動員学徒   02:32
自動車修理工場の勤労学徒(大阪) 00:55
海軍衣糧廠で軍服を縫う女学生   03:02

米機撃墜             02:36
6月16日未明、支那(シナ)方面よりB-29、およびB-24、20機内外、本土北九州に来襲。我が制空部隊は直ちにこれを邀撃。たちまちその半ばを撃墜破。敵の企図を微塵(みじん)に粉砕した。敵機の残骸(ざんがい)を確認せるもの、7機。これはそのうちのB-29。敵が科学の粋を集めたと誇り、かつは日本本土空襲に用いると呼号した、超空の要塞(ようさい)も、我が制空部隊の鋭鋒の前には、初見参にして見事に砕け散った。
我が戦闘機の的確なる弾痕数多とどめる敵機の標識。
かくのごとき最期を遂げて、なおかつB-29の完ぺきを信ずるや、アメリカ兵。インド、および重慶政府紙幣。防弾チョッキ。豪華なる釣り道具も、三途の川でいかほどの役に立つや。無電機。こうした我が方の大戦果にもかかわらず、敵の我が本土空襲の企図は執拗(しつよう)に続くことであろう。我等(われら)はますます警戒を厳にし、瞬時も怠ることなき覚悟を固めなければならぬ。

生産挺身 兵器工場の動員学徒   02:32
 現下の情勢は、我々兵器の増産に当たる者として、一刻の偸安(とうあん)も許さない状態にあることは、言うまでもないところである。きょうも、きのうに増して、一層増産に励むべく、諸君の健闘を望みます。

 宣誓。1、忠節をつくし、勤務を励むこと。2、規律を守り、長上を敬うこと。3、信義を重んじ、礼儀を正しゅうすること。4、言行を慎み、質素を旨とすること。5、学徒勤労報国隊員たるの本分を自覚し、班の機密を厳守すること。右の諸法を確守し、海軍の勤務に服することを誓う。

 きょうも元気に、真剣に。旋盤に取りついて学徒は働く。そしてそれはあすも、あさっても、戦いに勝つ日まで。ペンを旋盤に、あるいはボール盤に代えて、さらに教室を工場に代えて、数年勤労の覚悟のほどは、一日、一日と生産高を高めていく、前線の威力を生み出していく。今日この時、この現実のさなかから、敵をたたきつぶし、打ちのめす、鉄のごとき若者の意思が鍛えられ、作り出されていくのだ。額に汗し、油にまみれて学ぶ学徒諸君、君たちはまさに新しい姿で立ち現れた学徒だ。しかも新しき日本の頭脳たるに疑いはない。その未来の頭脳が、腕に筋金を入れ、精密機械の技術を修め、やがて社会の第一線に立つときの頼もしさに、国家は深い期待をかけているのだ。

自動車修理工場の勤労学徒(大阪) 00:55
学徒の通年勤労は、大阪の自動車修理工場にも速やかな理解を示して、能率を上げている。早くも複雑なエンジンの分解組み立てをものにした。成果は直ちに輸送力の増強をもたらした。学徒の捧(ささ)げる勤労の力が、国運の発展と組み合って、あらゆるところに脈々と波打っている。

海軍衣糧廠で軍服を縫う女学生   03:02
 敵機、既に本土西端を猛爆し、帝都空襲の機を窺(うかが)う。有力なる敵機動部隊、また我が内南洋の守り、サイパンの一角を襲うあり。この異常なる緊迫裏にあって、あえて無用の恐怖にとらわれることなかれと言う。既に総力戦の体制全くなって、国内戦場の気、神州にみなぎる。ここに見るうら若き海軍衣糧廠(しょう)、女子勤務員の面から、我々は何を学ぶ。裁断機を握り、ミシンに取りつき、精魂の限りを尽くす、日出ずる国の乙女たち。立たずんばやまぬこの気迫。この闘魂に表裏してたゆむことなき技術、科学の進歩改善が、生産能率の向上へと正しく付与される時、敵米英の野望を、物量を、真っ向から打ちひしぐ栄えある勝利がもたらされるのだ。米英に時を貸すな。増産は今だ。

 

日本ニュース 第213号(1944年6月)12分14秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300341_00000&seg_number=002

安藤防空総本部長官 国民に協力要請 04:13
学童の集団疎開はじまる(東京)   01:07
防空演習              06:53

安藤防空総本部長官 国民に協力要請 04:13
安藤防空総本部長官

<記者>
 「6月16日に、九州にアメリカの飛行機が飛んでまいりました。さまざまな教訓を我々は得たと思うんですが、何を我々はあれから学んだのかというような点について、言わば防空の要諦(ようてい)策というような点について、閣下からお話し願えますか。」

≪安藤長官≫
 『先般の北九州に対する敵の空襲は、飛行機の機数も少ないですし、それから焼夷弾等、全く使用しておりませんから、全くこれはひとつの特異の例と見なきゃならん。従って、あの1回の体験をもって、全般的にこれを卜(ぼく)すると、あるいは全教訓にするということは慎まなきゃならんと思います。ただ、一貫して我々は要諦として考えるところは、平素当局の指針に基づいた準備を周到に。それから訓練を正当に繰り返しておかなきゃなりません。』

<記者>
 「第2に、空襲に対しまして、その被害を最も少なくしますために、政府としてもいろいろと機関なり設けになっておいでになると思います。それらについてお話し願いたいと思います。」

≪安藤長官≫
 『主としてこの被害軽減の目的から申せば、工場とかあるいは停車場とか、人の蝟集(いしゅう)するようなところの建物の除却、あるいは人口疎開。あるいは消防活動のための道具を広げるとか空地、貯水槽を造るとか、各般のことをやっております。あげて、最近全国にわたりまして、防空監視哨の網を強化しまして、いち早く敵の行動をとらえるということをやっております。なお、重要な地区に特別な警備体系の組織がある。これは巡査の精鋭を選って結集します。軍隊的な編成をもって、何時でもこれが重要な方面に活動ができる。』

<記者>
 「第3に、空襲、非常事態におきまして、食糧を中心といたします配給機構というものにつきまして、かなり国民の間に関心があるようでございます。これにつきましてお伺いしたいと思います。」

≪安藤長官≫
 『政府としましては、米とか味噌とか、主要な食料品につきましては、十分の量を整えまして、これを重要地区の各方面に分置して貯蔵しております。従って現在におきましては、国民にこの食べるほうの問題で、非常時間に空襲を受けて、すぐ迷惑をかけるというようなことはないと思っております。』

<記者>
「誠にどうも、いろいろとありがとうございました。お話を伺いまして、国民はますます一致団結、最後の勝利に向かって驀進(ばくしん)すると思います。」

≪安藤長官≫
 『(音声中断)私もお礼を申します。敵が空襲にやってくる以上は、軍も官も民も、差別なく、無差別に来ると思います。従って、普段と言わず、空襲下と言わず、だれ一人、傍観者あるを許しませんから、どうぞ国民諸君におかれましても、普段から積極的にご協力、ご支援のほどを深くお願いいたします。』

<記者>
「はい。どうも失礼いたします。」

学童の集団疎開はじまる(東京)   01:07
 安藤長官の言葉は、いかに国内戦場に生かされているか。疎開。疎開もまた戦力である。敵、アメリカは北九州の空を襲った。サイパンには日夜激闘が繰り返され、硫黄島の空も激しい戦闘の場となった。その時、何のためらう必要がある。能う限り、親や子を戦時疎開学園に送ろうではないか。防空戦力を増すために。
(疎開 見送り風景)
 6月26日、東京都中野区の児童たちが山梨県へと出発することになった。お父さん、お母さん、元気いっぱいに勉強してきます。みんな、悲しくはない。うんと勉強しよう。それがお国に尽くす道であり、親には孝の道となる。さあ、行こう。

防空演習              06:53
 明けても暮れても、我が国土の津々浦々に、真剣な、無数の眼が空を見張っている。あらゆる地域に細かい緊張の網の目を張れ。警報は警戒だ。帝都は言うまでもなく最も大切な地域である。これを守る警備隊の一大隊。

<中央大隊>
「防衛本部ですか。こちらは中央大隊。ただ今、警備司令室の配備完了。終わり。」
 警戒警報、すなわち参集。あらゆるものを投げ捨てて、警防団員の果敢迅速な活動の時が始まった。医師、産婆の帝都における非常参集だ。いつ、いかなるところに災害が起こるとも、貴重な人命はしっかと預かる。まさに第一線への挺身(ていしん)部隊だ。

(訓練の会話)
 警備隊は待機している。命令を待っている。
**:連絡終わり
**:よし

敵機、現る。吹き流しはするすると入れ替わった。いよいよ空襲。備えはよいか。
大切な坊やの防空服装は。さあ、よろしい。落ち着いて沈着に。警防団員の指揮により、横穴防空壕へ退避せよ。目、鼻、口、忘れずに耳には栓を詰めてください。
(空襲警報)
 敵も命がけだ。許す限りの爆弾を抱えている。若干の被害は避けがたい。出動命令は下った。消防隊。
伝令。警備隊。水上でも時を移さぬ消防活動。
安藤長官はなんと述べたか。平素の訓練を確実に生かせ。これである。
ここは横浜、神奈川の災害地区。警防団が応援に来た。隣組は直ちにその指揮下に入れ。再び安藤長官の言葉に省みる。いわく、食糧に関しては心配なし。例えば東京野方の配給挺身隊を見よ。大八車、リヤカー、自転車、なんでもよい。いかにすみやかに、かねての用意を見せるか。ここにもまた、決死の人々が、非常食糧を守って揺るがぬ態勢を示している。警備隊、警防団の負傷者救護、救出。
医師は適切な救護作業に脇目も振らず頑張っている。

建物の強制疎開、間引き等を行ったにもかかわらず、なおかつその間隙(かんげき)を縫って空襲火災は避けがたい。猛烈な火の手の先手を打って、破壊消防で食い止める。
散乱せるものを取り除き、警防団も道路を開く。道をつけて活動を容易にする。
(本部長へ 報告)
非常の時には非常の形で、一切の対策が決定される。炊さん隊の炊き出しは、遅滞なく行われた。これもまた、大切な戦力である。
おにぎりをほおばる人々の心に、安らぎと落ち着きが戻ってきた。無心に満足し、そして自信に満ちている子どもたち。この自信をもって我々もまた、国家の緊急対策に信頼する。幼児たちのように笑みをたたえて、必勝の気迫を貫こうではないか。

 

1944年7月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19447

日本ニュース 第214号(1944年7月)7分52秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300342_00000&seg_number=004

長沙攻略          02:32
緬印(ビルマ・インド)戦線 05:19

長沙攻略          02:32
 先の河南作戦によって、重慶第1戦区を壊滅せしめ、第8戦区を強圧せる我が精鋭に呼応して、中支那(シナ)方面の我が部隊は、重慶第6戦区、第9戦区に対し、一斉に行動を開始。6月18日、敵重慶の正面玄関、長沙、陥落。必要とあらば皇軍の進撃はあらゆる困難をおかしてたゆむことなく、あたかも引き綱をたぐって敵前に渡河するごとく、長沙へ、長沙へ。6月18日、精鋭部隊陸続と長沙に集まる。
この時、我が航空部隊は在支アメリカ空軍の蠢動(しゅんどう)を抑えて許さず、暁の大陸に制空の陣を張る。かくて、同地域に点在する敵航空基地を一挙に後退せしめ、敵反攻、本土空襲の死命を制す。
眼下に見える長沙陥落して、敵軍の戦力は計り知るべく、湖南の沃野(よくや)を失って、重慶の食糧難は、まさに飢餓の名に値するであろう。

緬印(ビルマ・インド)戦線 05:19
 敵イギリス第4軍主力をインパール盆地へ追い込み、じりじりとその包囲環を締め上げている皇軍。この鉄環(てっかん)から、敵は第4軍を救出せんものと、補給路の血路打開に、最も力を注いでいるのが、このコヒマ周辺地区である。戦闘指揮所も、はや最前線に移動した。敵、蠢動(しゅんどう)すとの報を得て、全軍進発の命令が隷下の各部隊に下される。
急追撃にもとより迅速なる補給は期しがたい。されば、肩に食い入る武器、食糧を背に、山、また山。延々と連なる山脈との戦いが、印緬戦線の将兵に課せられた第一の試練である。
しかもまた、これらの峻険(しゅんけん)には優勢なる航空兵力の下、戦車、重火器等、高度に機械化された敵部隊が蟠踞(ばんきょ)しているのだ。この敵、抜かずんば。
英人将校の率いる、敵斥候部隊。戦意さらになく、我に投降す。直ちにこれを捕捉して、敵主力の所在を尋問する。
戦友インド国民軍、敵陣は近い。路傍に遺棄されたる軍用トラック、数多(あまた)。物量を頼む敵軍敗走の姿である。
ついに敵主力の拠点、山間の部落を前方に臨んで、一斉に砲門を開く。
敵機。きょうもまた頭上低く、執拗(しつよう)な攻撃を加え来たる、ノースアメリカンB-25。砲撃、近し。早くも敵部落に紅蓮(ぐれん)の炎上るを見ゆ。
部落に入る。友軍はさらに追撃の手をゆるめず。
酋長は敵軍の暴虐を伝え、進んで一族の協力を申し出る。
山、また山が続く。敵機の跳梁(ちょうりょう)下、言語に絶する辛苦のうちに、かくて敵の包囲網は刻々、引き絞られていくのだ。

 

日本ニュース 第215号(1944年7月)6分28秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300343_00000&seg_number=001

長沙陥落 06:28

長沙陥落 06:28
 敵、重慶軍に迷いの夢深くして、いまだ醒めず。されば、皇軍の一隊は暁をついて長江を押し渡り、長沙前面にその夢を破る。すなわち総攻撃の命は下った。時に6月16日。
長沙。長沙は長江をもってその外堀となし、長江左岸、岳麓山の天嶮(てんけん)によって第9戦区本拠の要塞(ようさい)(音声中断)しかも6月17日朝、敵が天嶮と頼む岳麓山、既に我が手に帰し、長沙を眼下に睨んで、巨弾を打ち込む態勢は整った。
突入援護の一弾、また一弾。
18日、長沙市街に突入。白兵をもって残敵に迫る。
蒋介石は同じ18日、敵第4軍に長沙の死守を命じたと伝えられる。その命を受けてよりわずかに数時間、同日午後、その敵の重要拠点はあえなくも潰えて、我が手に帰した。総攻撃開始以来、わずかに三日。昭和16年9月、18年1月、そして今回をもって、陥落は三度を数え、我が堂々の歩武を長沙に印した。同市飛行場もまた友軍の収むるところとなり、湖南の沃野(よくや)に重慶の命脈は細りゆく。

第1戦区から第9戦区まで、重慶は抗戦の網を張り得たと信じるか。あるいはまた、網の要にアメリカ空軍の進出を許し、我が本土爆撃にその希望をつなぐか。抗戦の夢を貫いて明らかに走る一筋の道は、東亜共栄圏の破壊を目指す米英の野望にほかならぬ。それらすべても、長沙落ちてむなし。時、あたかも帝国政府は中外に声明を発していわく。支那(シナ)民衆は、もとより我が朋にして、いやしくも米英との協力を廃するものは、重慶側軍隊といえども我が敵にあらず。岳麓山を中心に、残骸をさらす敵軍兵器のおびただしさは、目覚めざる重慶の敗北たるにとどまらず、実に米英のアジア侵攻を打ち砕く我が勇士の敢闘を物語って余りがあった。
見よ、長沙城外にあっぱれな姿を横たえた敵機。しかし、あなどってはならぬ。この敵機こそは、第9戦区のみでも、長沙、衡陽、遂川(すいせん)、吉安、幾多の飛行場を抱えて、日本本土爆撃の機を窺(うかが)うアメリカの姿を示している。
町には数多のトーチカが抵抗せんとする敵の企図と戦意を告げていた。司令長官薛岳は、誤れる抗戦意識をあおっていた。この実情こそは一刻も早く、そしてますます頻繁に、彼らの迷夢を覚ますべき手だての必要さを痛感せしめた。
この戦いにおいて、およそ5000の敵兵が我に投降した。その俘虜(ふりょ)に真心を込めて語り聞かす精神を、我々は再び帝国政府声明に見ることができる。すなわち、帝国の希求するところは、偏に日華同盟条約並びに大東亜共同宣言に則り、その自主独立を尊重し、日華永遠の善隣友好関係を完成するにあり。
皇軍占領とともに帰り来たった難民の数は莫大であった。彼らに説き聞かせるもの、それは日華友好の心である。この心に美しく咲き入れた睦の花から、やがて大東亜共栄の実りが大きく生まれ出ることであろう。

 

日本ニュース 第216号(1944年7月)7分31秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300344_00000

国土戦場 サイパン島守備隊玉砕 05:47
傷痍軍人も弾丸作り       01:43

国土戦場 サイパン島守備隊玉砕 05:47
栗原海軍報道部長

<栗原海軍報道部長:
 大本営発表。昭和19年7月18日17時。
1、サイパン島の我が部隊は、7月7日早暁より、全力を挙げて最後の攻撃を敢行。所在の敵を蹂躙(じゅうりん)し、その一部はタポーチョ山付近まで突進し、勇戦力闘、敵に多大の損害を与え、16日までに全員、壮烈なる戦死を遂げたるものと認む。同島の陸軍部隊指揮官は、陸軍中将齋藤義次。海軍部隊指揮官は海軍少将辻村武久にして、同方面の最高指揮官、海軍中将南雲忠一、また同島において戦死せり。
2、サイパン島の在留邦人は終始軍に協力し、およそ戦い得る者は敢然、戦闘に参加し、概(おおむ)ね将兵と運命をともにせるものの如(ごと)し。終わり。>

 この島、我が土サイパンに屍を埋め、血を流し、限りなき勇武の勲しは香る。この島、我が土サイパンは、南に進んだ同胞の、流れ落ちる汗を拭いもせず、苦闘を重ねた実りであった。血と汗と屍(しかばね)と、そしてはさらに魂と、だれかこれを侵せしアメリカを許し得ようぞ。今もなお、恐らくはサイパンの天地に、英魂屹然(きつぜん)と立って、護国の戦いを続けていよう。その誓いは、我が身をもって太平洋の防波堤たらん。

<男性1>
 「皆さん、サイパンの将兵は全員、壮烈なる戦死を遂げられました。大本営発表によりますれば、在留邦人も全員、軍に協力し、そうして運命をともにし、婦女子までも弾丸や糧食を運んで協力いたしました。我が校におきましては、かつてサイパンの国民学校に在学しておりました、和田ヨシロウ君、和田エイジ君が転校してまいりましたので、なおさらサイパンの現状を考えてみましたときに、本当に胸が湧き、本当に血がたぎるようであります。皆さん、我等(われら)、おごれる米英を撃滅して、本当に復讐しなければなりません。私たちは、この誓いを八幡様のおお前に、本当に心からお祈りを捧(ささ)げてお誓いをいたしたいと思います。」

<先生>

 

「敬礼。直れ。」
「ぼくたちの組で、サイパン島から和田君が入ってきましたね。和田君、サイパン島に君の仲の良い友だちがまだ残ってたの。」
≪和田≫
 『まさちゃんや、隣のまーちゃんが(音声中断)ってます。まさちゃんやまーちゃんたちは、最後まで兵隊さんを助けて働いたと思います。』
≪生徒1≫
 君のお母さん、サイパン島にいるとき、飛行場を造るお手伝いをしたんだって?
≪和田≫ 『うん。ぼくもお母さんも。』
≪生徒2≫ お父さんは?
≪和田≫ 『お父さんは今も南方で働いているよ。』
<先生>

 

「今、和田君から聞いたように、和田君のお父さんも、お母さんも、それからまさちゃんも、まーちゃんも、一生懸命になってお国のために働いたんです。みんなもこれから、しっかりやりましょう。」
≪和田≫ 『はい、先生。ぼくたちはきっと米英をやっつけます。』
<先生> 「じゃ、みんなもしっかりやろう。」
≪全員≫ 『はい。』

<先生>
 「敵、アメリカの島伝い戦法(アイランド・ホッピング)は、ついに我が本土からわずか二千余キロのサイパンまで迫りました。サイパンと言いますと、東京からでも、北九州からでも、四国からでも、台湾からでもわずか二千余キロで、爆撃の航空距離にしますと、5時間です。今、サイパンを中心としまして、東京までの距離、2280キロを半径として円を描きますと、近畿、四国、九州、琉球、台湾、盟邦フィリピンもその圏内に入ります。」

 我が国土に戦場は広がり、帝国まさに重大関頭に立つ。一針、一針に命を込めて、この関頭に学校教室もまた、戦場の気組みさながら。

傷痍軍人も弾丸作り       01:43
いまだ白衣を身にまとい、東京臨時第一陸軍病院に気合いに生きる病院工場さえも生まれた。一弾、一弾がアメリカ兵、イギリス兵の胸板を狙って飛び出していくのだ。ここは既に病院工場ではない。前線に傷つき、銃後に帰って、しかもなお撃ちてし止まん気迫に満ちて、増産と取り組み真剣勝負の傷兵工場だ。この姿を見て、恥ずるところなきや。サイパンの訃報(ふほう)に歯ぎしりし、職場では決戦増産の叫びが挙がっている。あるいはこの傷兵工場に、あるいは片倉航空機工場に。

≪女性≫
『目がくらむような暑さ。汗の出た体に、ジュラルミンの粉がいっぱいまみれたり、長時間の作業のために、足も体も棒のように疲れてしまったり、お互いの労苦は十分によくわかります。けれども、前線将兵のあの日夜のご奮闘に比ぶれば、まだまだそれでは足らないと思います。私たちは今ここに、皇軍勇士の武運長久を祈願し、どんな困苦に耐えても、航空機の増産に邁進(まいしん)することを、天地神明にお誓いいたし、皇国臣民の本分を全(まっと)ういたしましょう。』(拍手)

 

日本ニュース 第217号(1944年7月)8分39秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300345_00000&seg_number=002

小磯・米内協力内閣成立     05:41
緬印(ビルマ・インド)航空基地 02:58

小磯・米内協力内閣成立     05:41
 7月18日、東条内閣は総辞職を決行。後継内閣組織の大命は(音声中断…)大将とともに組閣に着手。
<大将>
 「組閣本部発表。7月20日、20時50分。本日、小磯陸軍大将と、米内海軍大将とに対し、協力して内閣を組織すべしとの大命、降下せり。」
 現下、非常の時局に直面し、強力なる決戦閣僚の選考を終わった、小磯、米内両大将は、22日午後1時30分、うちそろって参内。
両大将は天皇陛下に拝謁(はいえつ)仰せつけられ、謹みて大命拝受の旨を奏上し、うやうやしく閣員名簿を奉呈。ついで同日午後2時30分、宮中において親任式を執り行わせられる。ここに有史以来の重大難局を担当すべき新内閣は成立したのであります。
 親任式を終わって、各閣僚は首相官邸に参集。
小磯内閣総理大臣。米内海軍大臣。杉山陸軍大臣。重光外務大臣兼大東亜大臣。大達内務大臣。石渡大蔵大臣。松阪司法大臣。二宮文部大臣。廣瀬厚生大臣。前田運輸通信大臣。藤原軍需大臣。島田農商大臣。町田国務大臣。児玉国務大臣。緒方国務大臣兼情報局総裁の(音声中断)記者会見。
<小磯総理大臣>
 「不肖、今回はからずも米内海軍大将とともに組閣の大命を拝しましたが、誠に恐懼(きょうく)感激の至りに堪えません。今や戦局は極めて重大であります。この未曽有の国難を突破するの道は、ただただ、国民が大和一致、敵米英の反抗を撃砕するに存します。政府は、内に政戦両略の緊密化を図り、いよいよ国政運営の諸方策を強化し、戦争完遂のための施策は余すところなくこれを実行して、断じて必勝を期し、ほかはあくまでも従来の外交方針を堅持し、大東亜共同宣言を徹底具現。聖戦を完遂してもって聖慮を安んじ奉らんことを期しております。国民各位は、政府の決意に信頼協力せられ、よく戦局の重大性を認識し、焦燥に陥らず、沈着冷静、各々そのことに処し、その持ち場において一瞬の油断することなく、あらゆる困苦を克服して、その全力を国家奉仕に貢献せられんことを切望してやみません。」
 翌23日早朝、小磯新首相をはじめ、杉山陸相、米内大将、緒方国務相らは、相前後して明治神宮に参拝。神前にうやうやしく親任報告を行い、合わせて皇国必勝を祈願したのであります。

緬印(ビルマ・インド)航空基地 02:58
戦いに明け、戦いに暮れる緬印最前線航空基地。わずかな戦闘の合間に、愛機の陰に取るささやかな食事。敵機跳梁(ちょうりょう)下、荒鷲の労苦こそ真に言語に絶するものがある。
出撃の命、ひとたび下れば、敵を求めて飛び立っていく。今や雨期たけなわの緬印の空に、彼我の激闘はますます激しさを加えている。すなわちビルマ所在の我が航空部隊は、さる7月7日、北ビルマのミートキーナ敵飛行場を急襲。P-40、23機。輸送機16機。計39機を撃破炎上する輝く大戦果を挙げたのであった。

一隊が飛び立てば、激闘終わった他の一隊が入れ替わるように入ってくる。
しかし大空の兵(つわもの)の顔は、あくまで明るい。
たった今戦った激しい戦闘の模様を、なんのわだかまりもなく淡々と語る荒鷲の姿。
今日(こんにち)、既に空の戦いにも雨期と乾期の区別はなくなった。執拗(しつよう)なる敵の反攻もまた、漸次熾烈となっていく。されば我が荒鷲たちは、寸刻の休みもなく、まさしく不眠不休の態勢の下、悪天候をついて、敵撃滅の鵬翼(ほうよく)を緬印上空狭しと張っているのだ。

 

1944年8月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19448

日本ニュース 第218号(1944年8月)7分5秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300346_00000

戦勢熾烈 中部太平洋戦線 03:31
衡陽攻略戦        03:34

戦勢熾烈 中部太平洋戦線 03:31
 護国の血潮にサイパンの島を紅に染め、7月16日、我が軍は全員壮烈な戦死を遂げた。敵軍は有力なる艦隊を中部太平洋に浮かべ、7月21日早朝、大宮島に上陸。さらに7月23日、テニヤン島にも上陸した。戦いは敵地にあらず。まさに皇土において戦われている。敵はその機動部隊を駆使し、敵はその優勢なる空軍力に頼り、太平洋に点在する我が島嶼(とうしょ)に間断なき攻撃を加えつつある。この時、常在戦場の一語を思う。しかし、この一語はいたずらに口にすべきではない。あらゆる困苦を忍び、身に一物を余さずとも、あくまで戦い抜くのだ。あたかもここに見る、中部太平洋基地の我が将兵のごとく。
戦いに休みはない。敵の攻撃たるや間断なし。これを迎えて、我が勇士にも休みなし。緊張から緊張へ。張り詰めた時の連続。整備員から搭乗員へ。翼を守って将兵は戦い、その翼を駆って(かって)敵にぶつかり、激しい戦闘にきのうもきょうも明け暮れる。これが現代の戦いである。この激しく困難な戦いに打ち克(か)ってこそ、聖戦の大目的は達成され、アジア十億の民の真の幸福は生まれるのだ。

 敵の量を頼む侵攻は一日一日と、急速に熾烈(しれつ)となってきた。敵の意図は明らかだ。鉄量で一切を解決せんとしているのだ。鉄量には我もまた鉄量をもって当たるべし。生産を持って当たるべし。必勝の気迫、既に我にあり。戦いに勝つの気は、自ずからここに定まる。しかし、さればとて戦いを安易に考えてはならぬ。落としても、落としても敵は来る。ここに見る実況に、基地将兵の苦闘をしのぶ。敵の空よりする攻撃がいかに苛烈(かれつ)なるものか。敵編隊群の爆撃がいかに猛烈なるものか。

衡陽攻略戦        03:34
 太平洋に、インド洋に、米英のアジア侵略を我が必死に撃滅する時、重慶はひたすら支那(シナ)大陸をアメリカの植民地と化すために、盲目的な抗戦を続けている。これこそアジアの苦々しき悲劇である。その悲劇の1つの焦点、衡陽。蒋介石は衡陽の死守を命じたと伝えられる。重慶軍が衡陽を死守することはアジアの不幸である。この不幸を救うべく、我が戦車部隊は進撃した。敵の破壊した悪路の修復も成って、進撃した。

 衡陽攻略の我が地上部隊は、既にその攻略態勢成り、敵軍は袋のネズミと化した。この袋のネズミに我が航空部隊は必中弾を浴びせ、壊滅、殲滅(せんめつ)の時は刻々に迫る。今次大陸作戦により、敵航空基地はやむなく後退した。しかもなお、その蠢動(しゅんどう)は続く。太平洋に、大陸に、空の決戦。

 

日本ニュース 第219号(1944年8月)11分22秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300347_00000&seg_number=001

出陣準備 雛鷲目指す 01:50
多量生産       03:59
電探訓練       02:36
驅潜訓練       02:55

出陣準備 雛鷲目指す 01:50
 ぼくたちは、荒鷲志願の学童部隊。憧れの雛(ひな)鷲となる日に備え、猛訓練のたゆまぬ日々の繰り返し。

(訓練上の会話)

希望は、もう大空の戦いを夢にまで見て駆けめぐる。空だ、決戦は空だ。大陸の空、太平洋の大空だ。米機をやっつけろ。さあ、そのためにもうひとふんばりの訓練だ。

(訓練上の会話)

 体もうんと鍛えよ。そして陸軍へ、海軍へ、晴れの志願兵だから。ところで、この大戦争には、いろんなことが大切だ。例えば今の海軍についても、できるだけの知識を頭に蓄えておかねばならぬ。まず、飛行機の生産から。

多量生産       03:59
 飛行機をたくさん造るやり方に、タクト・システムというのがある。その海軍の航空廠(しょう)でやっているように、製作をいくつかの工程に分けて、時間を限って、それを一斉に前進させるやり方だ。これでいけば毎日、毎日、決まっただけのものが間違いなく、能率を上げてできあがる。10時40分、一斉前進の時が来た。規則正しいタクト・システムは、一人でも怠けるとたちまち全体の運びを無駄にする。だから一人一人が国民としての自覚をしっかり心に構え、責任を重んじて機械を働かさねばならぬ。これが日本的タクト・システムだ。
しかし、飛行機は量の生産を図るだけではまだ十分ではない。質の上でも、アメリカの飛行機をしのぐのだ。日本的タクト・システムは量と質の双方で、敵、米英を撃滅するのだ。部品から仕上がりまで、一斉の前進が狂いのない成果を見せる。
洋上はるかに、武勲を飾る日は近く、観測機、整列。

電探訓練       02:36
 午前8時。作業始め。きょうも数え切れぬほどの海の精鋭が、電波探信儀と取り組むのだ。空と海、そこではまず電波が戦う。
<講師>
 「きょうは電波探信儀の概論の話をする。現在の戦闘において、電波兵器が非常に戦局の左右をしつつあるところであるが、この電波探信儀の原理は、結局山彦(やまびこ)における、音波が山にぶつかって返ってくると同様に、電波探信儀の電波が、電気の導体であるところの飛行機とか、艦船とか、そういうものにぶつかると反射してくるという原理を使ったのである。」
 すなわち、送信機から送られた発射電波は、敵機や敵艦にぶつかると、反射波となって跳ね返る。この反射波を機械自らの直接波とともにブラウン管に映し出し、映像間の距離を求めれば、相手の所在がたちどころに示される。
(急速設置訓練 風景)
 電探の理論をこなすにも増して、辛苦に満ちたことがある。ここに見る急速設置訓練のように、速やかな移動と、計器の設置には、いつでもむしろ一番不便な土地が選ばれる。すなわち、島や岬の突端、しかも電波を遮るもののない丘や山頂。送信、開始。ブラウン管の反射波が敵機の動きを刻々報告する。
ひとたび地の利を得れば、科学兵器のこの先兵は、星一つない暗夜にも、雨風すさまじい嵐の日にも、四方八方、敵の隠密飛行を封鎖する。さればこの兵器の操作に携わる科学戦の先兵に、国民の期待はいや増しに大きくなっていく。

驅潜訓練       02:55
 水に潜った潜水艦を水中音で聞き分けるため、特別に行われている海の兵の音感教育。

(訓練上の会話 ~合唱♪)
(海上訓練上の会話)

 アメリカも必死だ。太平洋の波の前に出没するゲリラ戦的潜水艦が、我が南方輸送路の破壊を目指して蠢動(しゅんどう)する。しかし、彼らは知るであろう。一撃、二撃、我が駆潜部隊爆雷の、必中のこの威力を。

 

日本ニュース 第220号(1944年8月)9分42秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300348_00000&seg_number=002

学童疎開生活 05:47
決戰 満州国 03:55

学童疎開生活 05:47
 勝つために、今帝都の学童たちは、北へ、西へと旅立っていく。次の日本を背負って立つ君ら学童は、一日もこの危険な大都市にとどまっていてはならない。万が一敵のめくら弾に当たって犬死にするようなことがあったら、だれが一体あすの日本を背負って立つのだ。だからこそ君たちの荷物は重要な戦争物資と同じように、急速に送られることになり、皆が力を合わせて君たちの疎開が一刻も早く完了するよう、このとおり一生懸命なのである。

 山梨県の、東京中野区戦時疎開学園。ここは武田信玄の菩提寺、恵林寺である。
みんなで食べるご飯の、なんとおいしいこと。勉強も、東京と少しも変わりなく続けられています。

(授業上の会話)

 午後の一時、私たちは涼しい日陰で、お手玉やお人形を相手に、みんなで仲良く遊びます。降るようなセミの声や小鳥のさえずりを聞きながら、みんなそろって楽しいお昼寝。先生や寮母さんは、私たちのよいお父さま、やさしいお母さまです。
 青い海。きらめく太陽。この恵まれた環境の中に、ぼくたち疎開学童の生活がある。
疎開生活の間に、自ずと教え込まれるものは、規律と自活への訓練である。戦争に勝つまでは、みんな強く、仲良く、自分で自分を鍛えるのだ。
 また、時々東京のお父さんやお母さん、あるいはお友だちに手紙を書く。
ぼくたちはここで、次の日本を担う第二の国民としての、心とからだを鍛え上げよう。

決戰 満州国 03:55
内地の学徒、既に戦闘配置に付く。大東亜の興亡を双肩に担い、一途に前線の勇戦敢闘に応えんと、若き満州の学徒もまた、よくその重任を悟り、つるはしの一振り、一振りに熱き祈りを込める。
今、立たずして、いつの日にか勝利はある。握りしめるハンドルに、見つめる鉄路のかなたに、大いなる希望は輝いている。生きた学問を勤労の中に我々は見出す。勝つために、大東亜十億の民族のために。我々は満州国をアジアの兵器廠たらしめよう。

事実、兵站(へいたん)基地満州は、素晴らしい発展を続けている。塩の製造にしても、わずか数年にして、原始的生産法から、近代的大量生産へと急転換した。海岸に設けられた一大ため池から導かれる海水は、この排水溝を経て一望千里の塩田に流し込まれる。この東洋第一を誇る海水施設こそ、膨大な化学工業塩の生産を約束するものであり、近代戦の運命は、その生産量によって左右されるとさえ言われている。
見渡す限り、塩、また塩。この塩の山こそ、戦う我が共栄圏の戦力である。兵站基地、満州。建国わずか十有余年にして、早くも若き満州は、課せられた重き責務を着々と果たしつつある。その豊かな天然資源と、五族協和の建国精神、近代的な生産施設をもって。

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