« 日本ニュース 戦争証言アーカイブス 第221号(1944年8月)〜第240号(1945年1月) | トップページ | 日本ニュース 戦争証言アーカイブス 戦後編 第1号(1946年1月)〜第20号(1946年5月) »

2017年1月14日 (土)

日本ニュース 戦争証言アーカイブス 第241号(1945年1月)〜第264号(1945年12月)

 特に戦前の日本ニュースは、大本営発表で検閲済み国策映像。ただし、それはそれで当時の空気を想像・実感するのに役立つ貴重な資料映像です。すべてリンクと再生テキストを資料保存しておきました。なおリンク先ではすべて映像を見ることができます

 

日本ニュース 戦争証言アーカイブス
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi

日本ニュース一覧
「日本ニュース」は、太平洋戦争を間近に控えた1940年(昭和15年)から終戦をはさみ、1951年(昭和26年)まで制作されたニュース映画です。制作したのは、「日本映画社」(※)で、1940年にそれまで4つに分かれていた新聞社や通信社のニュース映画部門を国策により統合したものです。
戦時中の「日本ニュース」は、日本軍や内務省の検閲を受けた後、毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。テレビがない時代、国民は「日本ニュース」が伝える真珠湾攻撃や特攻隊出撃、学徒出陣の様子を映画館で目にしたのです。
「日本ニュース」は、戦争完遂を目的にした国策映画ですが、太平洋戦争中の映像記録として大変貴重なものです。「戦争証言アーカイブス」では、1940年(昭和15年)の第1号から、戦後も含め、1948年末までのものを公開しています。

※(1941年5月までの会社名は「日本ニュース映画社」)
※日本ニュース戦後編の再生テキストは、国立歴史民俗博物館の協力で作成しています。

 

日本ニュース 第241号(1945年1月)7分2秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300369_00000

大元帥陛下親臨 陸軍始観兵式     02:10
撃て 驕米 ~米艦載機 台湾を空襲~ 01:26
神風特別攻撃隊「金剛」隊       02:01
陸軍特別攻撃隊を見送る富永司令官   01:22

大元帥陛下親臨 陸軍始観兵式     02:10
 昭和20年の新春を飾る、陸軍始観兵式は、かしこくも大元帥陛下の親臨(しんりん)を仰ぎ奉り、1月8日、宮城前広場において、いと厳かに執り行われました。武勲輝く軍旗を先頭に、皇軍の精鋭は陛下の御馬前に堂々の分列行進を行う。比島決戦、いよいよ危急を告げる時、防衛の参加諸部隊は戦闘帽、鉄兜(てつかぶと)姿もりりしく、将兵の士気ますます奮い、ただただ一死奉公、米英撃滅を固く誓い奉ったのであります。

撃て 驕米 ~米艦載機 台湾を空襲~ 01:26
 1月3日、敵艦載機、約500機。再び台湾各地を襲う。我が砲火にグラマン編隊、たちまち蜘蛛(くも)の子を散らすごとく、算を乱して遁走(とんそう)。
戦果は撃墜破25機に上る。しかし、銘記せよ、敵機動部隊、先の台湾来襲の直後、敵はレイテ島の一角に取りついた。今またここに、第2次空襲を敢(あ)えて行い、我が比島への戦力補給を遮断して、ルソン島への上陸を強行せんとす。この驕(おご)れる敵、アメリカの不遜(ふそん)なる企図を微塵(みじん)に打ち砕け。ここに残骸(ざんがい)をさらす敵機と同じ末路を覚らしめよ。

神風特別攻撃隊「金剛」隊       02:01
 福留比島方面海軍航空部隊指揮官、神風特別攻撃隊金剛隊の命名式に臨む。福留長官は、金剛隊と力強く命名。国家の運命を双肩に担う諸君の壮挙は、軍人として至高のものであると、壮途を祝する。
ついで長官は、隊員の1人1人を抱くがごとく激励。大西比島方面海軍航空部隊指揮官また、心から交わす握手。
量を頼んで強引なる比島作戦の展開を図る敵、アメリカ。この敵を厳然と迎えて、我に特別攻撃隊あり。
 時は来た。進発。今、金剛隊は行く。敵船団目指して。

陸軍特別攻撃隊を見送る富永司令官   01:22
 陸軍特別攻撃隊も相次いで基地を出発する。レイテ、ミンドロ上陸に続いて、敵は今またルソン島をも窺(うかが)い、リンガエン湾には機動部隊100隻内外の一大船団、虎視眈々(こしたんたん)と上陸の機を狙う。今やルソン島をめぐる戦況は、俄然(がぜん)活発化するに至った。この敵、撃たざるべからず。1機、また1機、飛び立つ特別攻撃隊。頭を上げて送るは富永比島方面陸軍航空部隊指揮官。今、一線の若き陸海軍の将兵は尽忠の二字を抱いて、敵陣のまっただ中へ。強敵、撃つべし。比島方面にアメリカ軍殲滅(せんめつ)の心機至るの時、我等(われら)一億、今こそ特別攻撃隊の精神を体し、戦力の増強、航空機増産にただただ死力を尽くして、挺身(ていしん)あるのみ。

 

日本ニュース 第242号(1945年1月)7分17秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300370_00000&seg_number=003

新台湾総督 安藤大将 01:10
醜翼撃墜       02:09
偉勲 體当たり震天隊 03:57

新台湾総督 安藤大将 01:10
 台湾軍司令官、安藤利吉陸軍大将は、12月30日、台湾総督に就任。翌31日、初登庁。長谷川前総督と事務引き継ぎを行いました。バイアス湾敵前上陸に勇名を馳(は)せた将軍を総督に迎え、我が第一線補給基地台湾の決戦態勢は、いよいよ完ぺきとなったのであります。

 明けて昭和20年元旦。将軍は台湾神宮に新任報告を行い、大東亜戦争必勝を祈りました。ここに我が南方要塞(ようさい)台湾は、この将軍総督の下、一致団結、さらに必勝への誓いを固めたのであります。

醜翼撃墜       02:09
 1月9日午後、敵アメリカ空軍、マリアナ基地よりB-29約60機をもって、関東、東海道、近畿の諸地方に分散来襲。その一隊は帝都上空に侵入した。友軍機、必殺の体当たり。この体当たりを受けて、B-29、白煙とともに高度を落とす。この日の撃墜破、実に29機。そのうちの1機は空中分解して、北多摩郡小平町に激突。残骸(ざんがい)をさらした。巨大な翼もほとんどその原型をとどめぬまでに打ち砕かれ、敵は来襲するたびごとに、大きな損耗を加えていく。
機関砲、無数の弾丸。酸素吸入装置。補助タンク。
これより先1月3日、名古屋でも我が必殺の攻撃に、敵の1機は山腹に墜落。我が制空陣に凱歌(がいか)上がる。見上げるほどの大きな尾翼。アメのように曲がったプロペラ。醜い死体となったアメリカ兵。関東、東海道、近畿。いずれの地域に襲い来たるとも、我が制空部隊、必墜の態勢は断固たる膺懲の一撃を加えるであろう。

偉勲 體当たり震天隊 03:57
(特別攻撃隊員の会話)

<幸軍曹: 自分は幸軍曹であります。大君の御馬前に敵とともに差し違えて散っていくことを無上の光栄と感じておる次第であります。>

(特別攻撃隊員の会話)

<無線機: 命令。震天隊出動。皇土上空高々度。終わり。>

<隊 員: 特攻隊、出動。特攻隊、出動。 敬礼>


(最後)7分13秒のところで。

銀を新鋭機に!

(日本ニュース 終)

 

日本ニュース 第243号(1945年1月)7分1秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300371_00000

一月廿一日議会再開          02:25
原住民のダイヤモンド採掘(ボルネオ) 00:50
密林開拓道路建設(ボルネオ)     00:39
生産に励む船舶機械工場(ジャワ)   00:52
海軍水上航空基地           02:12

一月廿一日議会再開          02:25
<小磯首相: 最近、敵は帝都を初め本土の要部に對(たい)し頻々として空襲を加へて參りました。殊に過日畏(かしこ)くも伊勢神域を冒し奉るの暴舉(ぼうきょ)を見るに至りましたことは、一億同胞の眞に痛憤措(お)く能(あた)はざる所であります。併(しか)しながら空襲の被害は極めて輕徴(けいび)であり、國民の志氣亦(また)却(かえっ)て益々(ますます)昂揚(こうよう)し、防空に生産に目覺しき敢鬪(かんとう)振りを示して居りますことは、心強き限りであります。次に軍需生産の増強に付て考察致しまするに、前線に敢鬪しつヽある將兵の齎しく銃後に熱望しつヽあるものは、優秀なる航空兵器の一大増産であります。特別攻撃隊の必死必中に依る敵艦船の撃滅も、航空兵器の一大増産あつてこそ可能であります。尚ほ政府は航空兵器の外、鐵鋼(てっこう)、輕金屬、液體燃料等の生産の増強を圖(はかり)り、戰力の基礎を確立すると共に、大陸方面の生産増強を支援促進し、又各種決戰兵器の創成と性能向上を期すべき科學技術力の動員強化に關し凡(あら)ゆる努力を傾注する決意であります。>

原住民のダイヤモンド採掘(ボルネオ) 00:50
 泥の中から、ダイヤモンド。電波兵器増産になくてはならぬダイヤモンド。ここ、南ボルネオバリト川の採取場では、原住民、汗と泥にまみれての敢闘風景。
ザルいっぱいの砂をより分ける手元も一心不乱。貴重な収穫。

密林開拓道路建設(ボルネオ)     00:39
 密林を切り開いて、道路の建設。軍隊の迅速なる機動、資源の開発、決戦への道路。
南ボルネオ、バンジェルマシンからプレハリへ。ダイヤ族経営(けいえい)の工事は、今輝かしい実を結ぶ。

生産に励む船舶機械工場(ジャワ)   00:52
 生産戦にも勝ち抜くぞ。轟々(ごうごう)と決戦のうなりを上げる(音声中断)。
ジャワの船舶用機械製造工場(音声中断)
宿敵撃滅へ、ぐっと機械を見つめて(音声中断)
大東亜の全民族が各々(おのおの)の(音声中断)

海軍水上航空基地           02:12
 フィリピン方面、海軍水上航空基地。生か死か。皇国護持の決戦はルソン島をめぐって激化した。爆弾を抱いてその決戦場へ。我が海の荒鷲は飛び込んでいく。
巨大な物量を頼む敵に、我は全機特別攻撃隊となって応える。
 そうだ、戦うのだ。精根を尽くして戦うのだ。眼中、生もなく死もなく、ただ皇国護持の大義に生きて、きょうも海鷲は決戦場へ突っ込んでいく。

 

1945年2月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19452

日本ニュース 第244号(1945年2月)6分52秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300372_00000&seg_number=003

高松宮殿下台臨 大化改新千三百年祭 01:50
B-29邀撃戦           02:59
米機サイゴン盲爆          02:02

高松宮殿下台臨 大化改新千三百年祭 01:50
 官幣大社近江神宮、大化の改新千三百年祭は、改新の大詔渙発(かんぱつ)記念日に当たる1月25日、かしこくも奉賛会総裁高松宮殿下の台臨を仰ぎ奉り、名誉会長近衛公爵をはじめ、朝野の名士多数参列の下に、いと厳かに執り行われました。我が国史に大いなる紀元を画し、皇国の大道を明らかにしたまいし大化の新制よりここに千三百年。意義深くも今日のいやさかを捧(ささ)げ祀(まつ)って、拝殿前庭の舞台にゆかり深き神楽を奉納。
 終わって奉賛式に移れば、かしこくも総裁宮殿下より令史(れいし)を賜(たま)う。参列者一同、ここに必勝の誓いを新たにいたしたのであります。

B-29邀撃戦           02:59
<通信隊: 御前上空、敵らしき爆音聞こゆ。1345、1345。御前上空、敵らしき爆音聞こゆ。1345。>

 1月27日、マリアナ基地を発したB-29約70機、本土へ近づく。制空基地に待機する勇士はただちに愛機の傍らへ。
必ず撃たん、B-29。闘志凛々(りんりん)新鋭戦闘機、相次いで大空へ。敵撃墜へ。各機、B-29を捕捉して大邀撃(ようげき)戦、まさに開かれんとす。

<通信隊: 北緯上空、北緯上空、 敵16機、敵16機。高度8000。高度8000。進行方向北東、進行方向北東。1345。>

 B-29、機首をそろえて帝都を目指す。
我が戦闘機、側面より敵に肉迫。眼前800メートル、我がよき餌食今は間近。熾烈(しれつ)の弾幕。友軍機、敵に殺到。また1機、頭上へ突っ込む。体当たりの勢い鋭い我が攻撃に、B-29、編隊を乱して遁走す。この日の戦果、撃墜22機。

米機サイゴン盲爆          02:02
 南支那海に蠢動(しゅんどう)、我が南西諸島、大陸の補給交通線攪乱(かくらん)を図る敵アメリカ機動部隊。1月12日、艦載機約100機を飛ばして仏印サイゴンを襲う。市民は敵の盲爆を避けて退避。我が制空陣、厳然空をにらんで待つ。
敵機、頭上へ。満を持した我が砲火開く。見事、グラマンに命中だ。
敵の盲爆に市内各所に火災。この日撃墜された敵機、20数機。太平洋を横切って大陸へと焦る敵アメリカ狂騒の姿を、サイゴン市民の前にさらして横たわる。

 

日本ニュース 第245号(1945年2月)8分4秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300373_00000&seg_number=001

南方戦線 リンガエン湾攻撃戦   01:51
英機動部隊 バレンバン空襲    01:21
B-29ラングーン空襲(ビルマ) 02:27
台湾青年入営の第一陣       02:24

南方戦線 リンガエン湾攻撃戦   01:51
 本年1月9日、ルソン島リンガエン湾に上陸作戦を開始せる敵は、その後スビック湾よりさらに南、ナスグブにも上陸。2月3日にはマニラ南方に落下傘部隊を下ろし、各方面からマニラを目指す。決戦、決闘を繰り返されるリンガエン湾を臨む。ここは敵が陸海の兵力を傾けて、上陸作戦敢行当時のリンガエン戦場。敵の大軍を迎えて、彼我の砲撃、爆撃は熾烈(しれつ)を極む。
敵は絶え間なく艦砲射撃と爆撃を行い来たる。これに対して我が方は相次いで斬込(きりこみ)挺身(ていしん)隊を送って、縦横に敵陣を撹乱(こうらん)し、敵の進撃を阻んでいる。今日も、夜を迎えんとして、須藤斬込挺身隊の勇士は爆薬を抱き、敵陣のさなか目指して進発していく。壮絶なるリンガエン戦場。ここに、ルソン攻防戦の火蓋(ひぶた)は切られた。

英機動部隊 バレンバン空襲    01:21
 アメリカの太平洋作戦に呼応して、イギリスもまた蠢動(しゅんどう)を続け、1月24日、スマトラ・パレンバンに艦載機を飛ばして空襲を加え来たった。イギリスはビルマ戦線においても北部、並びにアキャブ方面に逐次兵力を増強して、ビルマ国内への侵入を図る。我が陸海の精鋭は、よくそのとぼしきに耐え、果敢なる戦いを続けている。

航空母艦3隻を中心とするイギリス機動部隊。スマトラ島の西南海面に姿を現し、1月24日、艦載機約120機をもってパレンバン地区を襲う。我が方、これを邀撃(ようげき)して激戦を展開。次々に敵機撃墜。敵は山林に投弾。住宅の一部に盲爆を加えて遁走(とんそう)した。しかも我が邀撃部隊、よく戦って、艦載機、コルセアその他の撃墜、78機以上を数え、敵に大損害を与えた。

B-29ラングーン空襲(ビルマ) 02:27
空と海へ、ビルマ人も監視に立つベンガル湾沿岸。敵イギリスは、ベンガル湾を南東に下って島づたいにビルマ中心部への侵入を狙う。空と海、敵の侵入を断固押さえて、帝国海軍部隊の警戒は厳重を極めている。警戒。将兵の対空配置は迅速の一語に尽きる。ここ、ベンガル湾沿岸。
敵機、来襲。邀撃(ようげき)戦闘隊出発。高射砲、発射。インドを基地とするB-29の編隊、ラングーンを襲う。敵機、空中分解。
我が制空部隊の戦果。ラングーンの市街にB-29の残骸は炎々と燃え上がり、皇軍将兵の烈々たる敢闘精神を物語っている。北から海から、あるいは空から、あらゆる手段を尽くして迫り来る敵軍に対し、皇軍の備え厳として、将兵の士気天を衝(つ)く。

台湾青年入営の第一陣       02:24
万歳の声、日の丸の旗に送られて、本島人の壮丁出で立つ日、2月1日。台湾全土に若々しい決戦の意気はみなぎる。征台以来50年、聖恩あまねく徴兵制の施行を見て、この日入営の第一陣。営門をくぐる若人に、バシー海峡を隔てて、決戦場フィリピンは近く、送る人、送られる人、もろともに赴く勝利の道。
元気な初点呼の声、営庭に響き渡るとき、台湾軍司令官安藤大将が、にこやかな笑いとともに点呼に勇む若人たちを親しく訪れた。
点呼を終わり、軍服姿も凛々(りり)しく、入隊式は始められた。きょうよりは醜の御楯として、忠勇なる先輩に続かんとする、本島壮丁入営第一陣。

 

日本ニュース 第246号(1945年2月)8分28秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300374_00000&seg_number=002

敵機本土来襲 米艦載機 関東地方の航空基地を襲う 01:59
B-29 東京とその周辺を襲う 01:43
戦雲迫る硫黄島         02:39
大陸作戦 韶州攻略       02:05

敵機本土来襲 米艦載機 関東地方の航空基地を襲う 01:59
 敵機、グラマン。
2月16日午前7時。敵艦載機の編隊、本土へ侵入。
カーチスSB-2C。撃墜。我が新鋭戦闘機、見事、敵機撃墜。
 神奈川県某地区に撃墜されたグラマン。敵機動部隊はかの硫黄島作戦を支援せんと、16、17の両日、主として我が東部地区の飛行場に来襲したが、撃墜破353機以上の手痛き損害を受けた。
千葉県某地に投弾の暇もなく撃墜され、ほとんどその原型をとどめぬまでに、自らの爆弾で打ち砕かれた敵機の残骸(ざんがい)。また、別の撃墜された敵機の補助タンクに撃ち込まれた、無数の弾痕は、我が必殺攻撃のものすごさを物語って余りあるものがあります。

B-29 東京とその周辺を襲う 01:43
 中1日おいて19日、B-29約100機、数梯団に分かれ、その主力をもって帝都、及びその周辺地区に来襲。
白煙を吐くB-29。
その1機は帝都の住宅街に墜落して、火を発つ。この時、都民防空陣の活躍めざましく、被害を僅少(きんしょう)に食い止め、戦う都民の意気を示したのであります。
 また1機、東京近郊へ。来襲の都度(つど)、大損害を被りながらも、なお物量をかさに本土侵攻を繰り返すアメリカの野望。ことに2月15日以来、とみにその頻度を増した戦局を直視し、一億いよいよ不退転の決意を固めるものであります。

戦雲迫る硫黄島         02:39
 2月16日、艦載機の本土来襲と時を同じくして、機動部隊また硫黄島を伺う。サイパン~東京、2280キロ。硫黄島~東京、1200キロ。敵はこの島に航空基地を前進せしめ、強引に我が本土を突き、太平洋作戦の主導権を握らんと焦る。風雲しきりに動く硫黄島。その島に、帝国本土防衛の第一線に立つ我が陸海軍部隊は、相協力してあらゆる欠乏と困苦に打ち克(か)ち、必勝の闘魂、断固として揺るがず。そのたくましき戦闘の明け暮れ。
敵機、来る。我が戦闘機、進発。
(警報~)
全員、戦闘配置へ。
雲間を縫うB-24の編隊。

大陸作戦 韶州攻略       02:05
 我が南支派遣軍は、粤漢線に沿って北上。1月27日、韶州を攻略。同地北方において南下せる友軍と握手。粤漢線打通に成功した。
1月中旬、広東北側地区に待機中の我が有力部隊は、突如北進を開始。その一隊は縦隊となって韶州への道を急ぐ。頑強な敵の抵抗を各所に撃破。破竹の進撃を続ける我が陸の精鋭は、英徳北方40キロの地点において、北江を渡河。韶州へ。我が必殺の砲火。
先遣隊、市街へ殺到。1月27日、韶州、ここに陥落。粤漢線打通、ついに成って、南支米空軍の最前線基地群は奥地との連絡を両断され、アメリカの野望、大陸接岸作戦に一大痛打を与えたのであります。

 

1945年3月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19453

日本ニュース 第247号(1945年3月)11分4秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300375_00000&seg_number=003

航技学生の操縦訓練 02:03
ルソン戦線     02:17
硫黄島       03:14

航技学生の操縦訓練 02:03
<陸軍航空本部飯島大佐: 諸氏は既によく知っておるとおり、現在の飛行機というものは、例えば速度とか上昇限度とかいうような、数字的の性能が良いばかりでは決して優秀な飛行機とは言えないのであって、性能が簡単で、取扱整備が非常に容易で、その上に操縦が容易な飛行機であって、初めて優秀な飛行機ということができるのである。この見地から言ったならば、単に高遠な学理理論を知っておるだけの技術者では到底こういう飛行機は造れないのであって、航空技術者は理想を言ったなれば、優秀な職工の腕前を持ち、さらに優秀な操縦者の技量を持っておって初めて、一流の設計技術者ということができる。>

<教 官> 「自ら飛行機を操縦してみて、技術的に一体どんなことを感じたか。ムラセ」

≪ムラセ≫ 『はい。重要なる計器類、例えば速度計、回転計、高度計などはひと目で見えるようにまとめたほうがいいと思います。』

<教 官> 「よし。ほかにないか。はい訓練生」

≪訓練生≫ 『はい。ボルト及びナットの規格をさらに簡単に統一すべきであると思いました。』

<教 官> 「よし。みんな、いろいろ感じたと思うが、要はこの操縦の体験を技術の上に生かして、将来、技術将校としての識量、技能の養成に一段と努力してもらいたい。そして敵の後についてくれ。終わり。」

≪***≫ 『敬礼。(一同)』

ルソン戦線     02:17
 眼下に見下ろすタルラック平野。リンガエンからマニラへ、敵を懐深く誘い入れて、これを随所に撃破する、我が山下作戦。いわく挺身(ていしん)斬込(きりこみ)隊。
勇猛無類の我が陸の荒武者に、現地の義勇軍もはせ参ずる。宿敵アメリカの野望覆滅へ、灼熱(しゃくねつ)の太陽の下、今ルソンの平野を血に染める、我が出血作戦。
 敵軍、皆殺し。山陰に静かに出撃の時を待つ、我が将兵。
伝家の宝刀に最後の磨きをかける。隊長は地図をにらんで作戦にふける。敵戦車爆砕の準備も成った。整列。出発に当たって隊長の訓辞。今こそかけん、必殺の斬込、殴り込み。物量のみに頼る敵に、全員殺戮(さつりく)の痛打を与えんと、斬込隊は敵陣深く進んでいく。

硫黄島       03:14
 東京を南へ1200キロ。太平洋の孤島、硫黄島。島の北部に険阻なる高地を有するとはいえ、周囲わずか18キロ。今、この島は本土防衛の最前線である。敵がマリアナに進出して以来、激しさを加えたこの島への攻撃。そして2月19日、ついにこの島もアメリカ兵鏖殺(おうさつ)の戦場と化す。この島を守らせたまえ。死してもたじろがじの決意を込めて、簡素な社に祈念せし、陸海の勇士たち。
その名のごとく、硫黄を噴く火山灰地。飲む水さえ事欠く困苦欠乏。しかし、我が陸海将兵は、よくこの辛酸に打ち克(か)った。木の枝からしたたる水をためては、飲料水に代えた。地熱が原。温泉を利用しての飯ごう炊さん。味気なき陣中生活に耐えて、将兵の士気はいよいよ高まった。
 前線指揮所に、敵必殺の策を練る我が最高指揮官、栗林陸軍中将。海軍航空部隊指揮官、市丸海軍少将。島の南端に位する摺鉢山の下、陸海の精鋭は打って一丸、日夜訓練に訓練を重ねた。
我に烈々の闘魂あり。肉迫攻撃。戦車へ必殺の体当たり。さらに斬込(きりこみ)挺身(ていしん)。膨大な出血作戦へ、来るべき敵に備えての激しい演練。
今、この島に4万に余る敵軍を迎え、意気まさに天を衝く勇士の決意を歌にしのぶ。
「君が代を 永久に安けき御戦へ 硫黄の島に屍(かばね)さらさむ」。

 

日本ニュース 第248号(1945年3月)6分33秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300376_00000&seg_number=003

天皇陛下 戦災地を御巡幸 01:31
B-29帝都夜間爆撃   02:06
噫 遠藤撃墜王      01:09
陸鷲 リンガエン急襲   01:45

天皇陛下 戦災地を御巡幸 01:31
 かしこくも天皇陛下におかせられましては、3月18日、帝都戦災地に聖駕(せいが)を進めさせたまい、敵機夜間盲爆による災害の模様を親しくみそなわせられました。陛下におかせられましては、御順路を深川方面に向かわせ賜(たま)い、いまだ被害生々しき、冨岡八幡神社境内にお立ちあそばされ、大達内務大臣より、罹災(りさい)地のご説明をつぶさに御聴取あそばされました。敵の暴虐にうちさいなまれた数多くの民草救済の状況。また工場の被害状況に寄せさせ賜いし大御心のほどを拝し奉り、我等(われら)一億、等しく暴戻アメリカ撃滅の決意をいよいよ固め、広大無辺の御仁慈に応え奉らんことを期するものであります。

B-29帝都夜間爆撃   02:06
 3月10日未明、B-29約130機、帝都に波状攻撃を行い、市街地の無差別盲爆を加え来たった。この日、我が制空部隊の邀撃(ようげき)戦果、撃墜15機。約50機に損害を与えた。
その1機、空中分解して、荒川区尾久に墜落。憎みてもなお余りある悪魔の翼。焼夷弾との戦いの一夜は明けた。無念にも帝都の一部は、満目荒涼たる焦土と化した。もとより覚悟した、悪逆無道のアメリカの暴挙。これしきの痛手に屈するものか。家を焼かれ、家族を失った罹災(りさい)者は、胸のうち深く大いなる怒りに燃えつつ、静かにしかも力強く立ち上がった。能(あた)うる限りの救護の手段が取られ、助ける人も、助けられる人も、不思議なほど明るい顔を輝かせていた。温かく心の底に流れる戦友愛。
特に災害地整備に軍隊の働きはめざましく、焼け跡の整備が極めて秩序整然と行われた。
 工場。焼け残った工場。しかし工員の半ばは罹災者である。敵を前にして、しかも敵に焼け出された工員の、敵に報復する道はただ一つ。ただちに生産の戦陣へ。敵が企図する大都市市街地焼夷戦法。この試練、これが戦争の現実だ。我々はこの現実を直視し、勇気百倍、戦力増強に突進するあるのみである。

噫 遠藤撃墜王      01:09
 B-29を迎えて、単機よく16機を撃墜破した。撃墜王、遠藤海軍中佐在りし日の姿。1月14日、名古屋来襲のB-29邀撃(ようげき)に飛び立って、ついに還らず。
生前、心魂を砕いて研究し、ついに実用の域に達せしめた月光戦闘機によって、中佐の遺骨は西尾上等飛行兵曹の遺骨とともに、なつかしの基地に帰りました。なき中佐の敢闘精神は、我が海軍制空部隊に脈々と流れ、本土防衛の備えはいよいよ固きものがあります。中佐は、初の海軍予科練出身として、各戦線に活躍。ことにB-29邀撃に対する偉功により、2階級進級を発令せられ、功三級金鵄(きんし)勲章を賜ったのであります。

陸鷲 リンガエン急襲   01:45
 出撃。整備員は一斉に愛機の下へ。夜を迎えんとして、我が比島陸軍最前線航空基地に出撃の命、下る。リンガエン敵飛行場夜襲。ルソン制圧を焦る敵が、早くも設定したリンガエン飛行基地の覆滅。
懸命の整備作業。願うはただ仇敵(きゅうてき)撃滅のみ。燃料はたっぷりとタンクへ。隊長は細々(こまごま)と部下に注意を与えた。満々たる殺気をはらみ、我が隼は夕日に銀翼をひらめかせて飛び立つ。彼我の陣、入り乱れるルソン戦線。その敵陣のまっただ中へ。

 

1945年4月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19454

日本ニュース 第249号(1945年4月)6分28秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300377_00000&seg_number=001

ルソン戦線 ~米機 バギオの教会も爆撃~ 01:26
ルソン戦線 ~「斬込隊」敵陣へ進発~ 01:50
B-24台湾来襲           01:12
南西諸島 陸の特攻隊出動       01:59

ルソン戦線 ~米機 バギオの教会も爆撃~ 01:26
 米機の無差別爆撃。ルソン島の避暑地、バギオの教会内に、戦火を避けて集団避難していた第三国人の頭上に、明らかにそれと知りつつアメリカは、残虐なる殺戮(さつりく)の爆弾を投下した。
いよいよその正体を曝露(ばくろ)したアメリカの野獣性。父母を奪われた幼子。彼らの神に仕える牧師の幾人かも血を流し、教会の床に倒された。この暴挙を敢(あ)えて行うアメリカ。我々の敵アメリカは、まさに人類の敵、神の敵である。

ルソン戦線 ~「斬込隊」敵陣へ進発~ 01:50
 ルソン戦線。暑熱厳しいルソン島の山間にも、清く冷たい渓流が流れる。さる正月、敵の上陸を迎えて、我が主力は山脈の堅陣に拠る。山に起きつつ幾月。しかしその間、我が卓越せる作戦は、あるいは大部隊の強襲となり、あるいは斬込(きりこみ)隊の奇襲となって、アメリカ兵を覆った。就中(なかんずく)、挺身(ていしん)斬込戦法、殴り込み戦法は、飛行機と鉄量の絶対優勢な敵軍の弱点、出血を強要する。粗末な部隊本部に綿密な作戦が練られていく。
野戦電話がかけられる。伝令が飛ぶ。命令が伝達され、斬込隊、進発。精鋭部隊は密林を分けて、一筋に敵陣深く山を下る。比島における我が出血作戦はいよいよ激しさを加えていく。

B-24台湾来襲           01:12
 戦爆連合による敵B-24の数編隊、台湾を襲う。戦闘機、グラマン。
(上空 銃撃戦)
我が防御砲火に白煙を吐いて落ちるB-24。また1機、青空を切って真っ逆さま。敵アメリカは、我が比島への補給を遮断し、あるいは空の包囲圏を圧縮。我が本土に迫らんと、ほとんど連日にわたって台湾に来襲。我が邀撃(ようげき)に多大の損害を重ねつつありとはいえ、敵の戦意にはあなどりがたきものがある。

南西諸島 陸の特攻隊出動       01:59
 硫黄島を侵した敵アメリカは、3月23日以来、海上勢力の全力を挙げて、我が要衝、南西諸島に迫り、3月25日、ついに一部は慶良間列島へ。さらに主力は4月1日、沖縄本島に上陸するに至った。
敵機動部隊、発見。ここ、我が陸軍最前線航空基地に、必殺の気、みなぎる。この快報を受けて、我が特攻隊はただちに進発。九州南端を隔たるわずか600キロ。我が戦略基地、南西諸島。ここを敵に委ねんか。海陸及び南方への補給路は全く脅かされるに至るであろう。されば、敵の企図、断じて許すべからず。戦友の手をしっかと握って、明るく笑う若武者たち。
1機、また1機。見事な離陸を開始。祖国へ永久の別れを告げる翼を振って。

 

日本ニュース 第250号(1945年4月)5分6秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300378_00000

鈴木内閣発足 02:16
沖縄決戦   02:49

鈴木内閣発足 02:16
さらに強力なる内閣の出現を望んで、小磯内閣は4月5日、総辞職、大命は鈴木海軍大将に降下。米内海軍大臣、松阪司法大臣の留任あって、7日、鈴木内閣は成立しました。安倍内務大臣。廣瀬大蔵大臣。阿南陸軍大臣。太田文部大臣。岡田厚生大臣。石黒農商大臣。左近司国務大臣。(音声中断)豊田軍需兼運通大臣。桜井国務大臣。下村国務大臣兼情報局総裁。鈴木内閣総理大臣兼外務大臣兼大東亜大臣。鈴木内閣は7日夜半、親任式を終えて、ここに力強く発足したのであります。

4月9日、外務大臣兼大東亜大臣に東郷茂徳氏、11日、運通大臣に小日山直登氏。国務大臣に安井藤治氏が、それぞれ任ぜられました。

<鈴木首相:
 今日、私に大命が降下いたしました以上、私は私の最後のご奉公と考えますると同時に、まず私が一億国民諸君の真っ先に立って、死に花を咲かす。国民諸君は、私の屍(しかばね)を踏み越えて、国運の打開に邁進(まいしん)されることを確信いたしまして、慎んで拝受いたしたのであります。>

沖縄決戦   02:49
 敵艦載機、沖縄島に来襲。3月中旬、有力なる敵機動部隊、南西海域に遊弋して、沖縄上陸の企図はいよいよ明らか。
カーチス・ヘルダイバー、はるか慶良間列島を臨む我が飛行場施設を攻撃。

俄然(がぜん)、アメリカはその全艦隊を挙げて、まず慶良間列島に来襲。4月1日、沖縄本島南部地区に、また7日、北部に上陸。1400の敵艦船蝟集(いしゅう)する沖縄の戦局。沖縄こそ、決戦場。ここに全力を傾倒する敵兵力を一挙にたたく神機は来た。南西海域へ、敵機動部隊の撃滅。陸軍特別攻撃隊の若武者たちは、軍神加藤少将の像の前に、敵撃滅を誓って陸続、南海へ進発。
真(まこと)、沖縄こそ決戦場。我が特攻隊の怒りは敵艦隊の頭上に炸裂(さくれつ)する。敵艦船轟沈(ごうちん)破、既に数百隻。しかも敵の戦意はなお熾烈(しれつ)。国運を懸ける沖縄決戦に、我が精鋭は敵殲滅(せんめつ)の大攻防戦を展開しつつあり。

 

1945年5月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19455

日本ニュース 第251号(1945年5月)6分59秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300379_00000&seg_number=001

天皇陛下 靖国神社御親拝 01:28
満州国 張総理来訪    01:07
大東亜大使会議      02:59
日比戮力 ルソンに戦ふ  01:24

天皇陛下 靖国神社御親拝 01:28
 かしこくも天皇陛下におかせられましては、4月28日、鹵簿(ろぼ)を靖国神社に進めさせ賜(たま)い、新祭神4万1318柱をはじめ、靖国の杜深く神鎮まります護国の忠霊に御親拝あらせられました。
軍務、最も御多感の上にもかかわらせられず、英霊の上に垂れさせ賜う大御心のほど、拝察するだにかしこき極みであります。我等(われら)一億、誓って聖戦の完遂に邁進(まいしん)、もって聖旨に沿い奉らんことを期する次第であります。

満州国 張総理来訪    01:07
 満州国皇帝陛下第1回ご訪日10周年記念に当たり、満州国国務総理張景恵氏は、特派大使として、満州国皇帝陛下のご親書を奉じ、4月23日、羽田に到着いたしました。梅津参謀総長はじめ、軍官民多数の出迎えを受け、ここに大東亜戦争完遂へ、日満両国相携えて戦い抜く不動の決意はますます固められたのであります。

大東亜大使会議      02:59
 大東亜諸国家の大使、一堂に会す大東亜大使会議は、4月23日、帝国(音声中断)議事堂において開催されました。

日・満・華・泰・比島・ビルマ、6カ国の代表が参加し、自由インド仮政府代表も陪席。議事は極めて円滑に、また活発に進められました。同日午後、午前中の会議で練られた大東亜戦争完遂の方途、及び共同戦争目的に基づく世界秩序建設への共同声明案を東郷外相より上程。

<東郷外相:
 本会議において、闡明(せんめい)せられましたる各国の諸氏の、人として(音声中断)せられましたる声明案、本会議におきまして審議採択の上、これを本会議の共同声明として発表することと致してはいかがかと存ずる次第であります。>

<**:
 今や米英の暴力により、国際正義と人類の(音声中断)が全く蹂躙せられんとしつつあるを得ず、ここに大東亜各国は、その抱懐する共同の戦争目的に基づき、真の世界秩序建設のための指導原則を、重ねて中外に明らかならしめ、一方これを阻止、破壊せんとする米英の非望に対しては、あくまでその総力を結集して、戦争を完遂せんとする牢固(ろうこ)たる決意を新たに表明せんとす。>

<議長:
 これより共同声明案の採決を行いたいと思います。本案に賛成の各代表の起立をお願いいたします。>

 本声明は、満場一致で採択され、またインドシナ独立支援決議、東印度独立支援決議等、4つの決議もとどこおりなく可決されました。かくて道義に結ばれた大東亜各国の決意は、中外に闡明されたのであります。

日比戮力 ルソンに戦ふ  01:24
 アメリカの野望に抗して、敢然と独立擁護の戦いを続けるホセ・P・ラウレル比島共和国大統領。
ここに(音声中断)いって辛酸を分かち、勝利の日を誓う我が村田大使とアキノ国会議長。
 陸に戦う海軍部隊を率いて、その縦横の秘策と勇戦をうたわれる大河内最高指揮官。名将の下に弱卒なしの誇りを如実に示して、敵アメリカに、今や莫大(ばくだい)なる出血を続けしめ、我が陸海軍部隊は戦っている。その陸軍部隊を指揮する人、山下大将のひとにらみはアメリカの戦慄(せんりつ)である。ルソンの戦野に敵の出血は果てしなく続くことであろう。

 

1945年6月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19456

日本ニュース 第252号(1945年6月)7分59秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300380_00000&seg_number=002

豊田海軍総司令長官 01:39
義烈 空挺部隊   06:20

豊田海軍総司令長官 01:39
 全軍は無敵、必死の勇戦を続ける海軍部隊を率いて、豊田海軍総司令長官は陣頭に立つ。来る日も来る日も、沖縄戦線に、海の荒鷲は必殺突入の出陣を続け、そしてまた来る日も来る日も、来襲敵機を迎える我が最前線基地である。丹心報国の4つの文字に、豊田長官がその決意を託して、最前線の基地、あるいは神風、あるいは神雷特別攻撃隊の将兵とともに戦ったのである。
今も特別攻撃隊の神鷲は飛び立っている。これを見送る豊田大将こそは、帝国海軍の信頼を一身に集めて、弾雨の下に奮戦しているのである。大将はこのほど、軍令部総長に親補(しんぽ)せられ、全軍一致の奮戦は続けられているのである。

義烈 空挺部隊   06:20
<**:
 隊は爆撃隊主力の制圧爆撃に接合して、22時を期して強行着陸後、一途該地敵地を爆砕。以後、海岸方向に戦闘縮小。その地区の軍事(聞き取り困難)本部長。>

<**:
 まず飛行機はこの滑走路の南端に着く。そうしたらば、敵はこの辺にうようよしている。これをただちに突っ殺して、この北、この滑走路の森林内について自分の行動に移る。>

 沖縄本島の北及び中両飛行場に強行着陸。敵陣並びに敵飛行機を爆砕せんとする、義烈空挺(くうてい)部隊員は、出発に先立って衣服に色を付けて迷彩を施した。この日、昭和20年5月24日のことである。奥山道郎大尉の統率の下に、壮烈なる作戦の開始を待つ義烈空挺部隊員は、部隊長の綿密なる軍装検査を受けるのであった。
破甲(はこう)爆雷をはじめ、新兵器を全身に取り付けた隊員に、部隊長は訓示した。今や沖縄の死闘、まさにたけなわにして、諸氏のこの一挙は、全軍の刮目(かつもく)して期待するところである。これに対し、奥山隊長は答えた。

<奥山隊長: ……変わりません。我々一同、最後の一兵となるも、任務に向かって邁進(まいしん)、もって重大責務をはたす覚悟であります。全員、喜び勇んで行きます。>

(万歳三唱)

杯を上げて必成を誓う奥山隊長。諏訪部編隊長。

<奥山隊長: 出撃に当たり、隊長として最後の訓辞を与える。待望の出撃の日は、ついに到来をした。平生、訓練の成果を発揮をして、敵アメリカの心胆を震駭(しんがい)し、全軍決勝の先駆けとなるはまさに今日である。>

 目的地を中飛行場に持つワタナベ大尉は、演習と同じ気持ちで放胆なれと諭したが、まさに子供のような朗らかさで、全隊員が搭乗機へ向かった。奥山隊長と諏訪部編隊長とはしっかりと手を握り合った。気合いはぴったりと合った。
奥山、諏訪部両大尉の隊長機を先頭に、重ね来たった猛訓練を生かすはこの日。しかも敵陣のまっただ中。全機、進発の令下る。打ち振る日章旗の波に送られて、義烈空挺部隊は沖縄めがけて離陸を開始した。1機、2機、3機。沖縄に戦う(飛行爆音・音声遮断)はもとより、全軍の神かけて祈るは大業成就である。勇士たちは満々たる自信に満ちて進発した。
月光、煌々(こうこう)として海面を照らす5月24日の夜、義烈隊の編隊は堂々と、しかも隠密に超低空で敵飛行場に迫っていった。

 

日本ニュース 第253号(1945年6月)7分2秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300381_00000&seg_number=003

故閑院宮殿下 国葬之御儀 01:34
沖縄戦線 雷撃隊出動   02:08
敵・潜水艦撃沈      03:18

故閑院宮殿下 国葬之御儀 01:34
 故元帥、陸軍大将閑院宮載仁親王殿下の御霊を送り祀(まつ)る国葬の御儀は、6月18日、帝都豊島が丘御墓所において厳かに執り行わせられました。祭官長多田陸軍大将、祭祀(さいし)を申す。勅使拝礼。
喪主春仁王、御悲しみのご拝礼あらせらる。石渡宮内大臣拝礼。誄(るい)を申す。
続いて、鈴木内閣総理大臣。平沼枢密院議長以下、文武諸員の拝礼あって、奏上の御儀をとどこおりなく終えさせられました。

沖縄戦線 雷撃隊出動   02:08
 沖縄周辺の敵艦船群に対し、我が海軍雷撃隊出動。敵もまた、苦しい補給の戦いを続けている。この敵艦船をたたき潰(つぶ)し、補給の腰をへし折らんと、巨大な魚雷を抱いて、我が雷撃隊は出撃する。神風特攻、神雷特攻に相呼応して、各基地から敵船団の頭上へ。必殺の魚雷は、新鋭雷撃機、天山の腹へしっかと抱え込まれた。

 攻撃は、決して一度で終わるのではない。再び、三度、敵艦船の絶ゆるまで、愛機天山を駆って、我が雷撃隊の精鋭は連続攻撃をかけるであろう。南西諸島の海域に、ようやく雨雲垂れ込めて、雨期来る。しかも我が荒鷲は、雨雲を突き破って敵艦に肉迫する。一発轟沈(ごうちん)の戦果を挙げるまで。

敵・潜水艦撃沈      03:18
 本州近海に出没する、敵潜水艦制圧の任に当たる、海軍水上機基地。
哨戒、索敵の海域が慎重に決定される。沖縄をめぐる戦いはまさに補給の戦いである。我が補給を阻む敵潜水艦を、必ずたたく。すなわち、補給戦に勝つ、それが我々の任務だ。隊長の訓辞終わって、出撃。

(空・海 出撃風景)

 青き一色の大洋に、粟粒ほどの潜水艦の影を求める、その労苦。急速潜航する、敵潜水艦を発見。この忍苦の戦いに参加している、もう1つの戦隊、海防艦。敵潜水艦の所在海域へ急行。電探が位置を確認。爆雷攻撃を加える。
空海協力、見事、敵潜水艦を撃沈。

 

1945年7月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19457

日本ニュース 第254号(1945年7月)8分4秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300382_00000

陸の猛鷲「疾風」戦闘機隊 03:01
海の荒鷲「雷電」戦闘機隊 05:03

陸の猛鷲「疾風」戦闘機隊 03:01
(疾風戦闘機隊の歌 斉唱)

海の荒鷲「雷電」戦闘機隊 05:03
(雷電戦闘機隊の歌 斉唱)

<我々の航空戦闘機隊の任務は極めて重大であって、これら航空機、兵器、弾薬、こういうものを造る工場地帯、あるいはこれを送る輸送機関、こういうものをいろいろ格納しておく倉庫、こういったようなところを、敵の爆撃から防御しなければいけない。これが我々の今、任務である。であるから、みんなはなお一層奮励努力して、この雷電の優秀機をもって、敵を全部たたき伏せなければならないのである。>

隊員: 「はい。」
上官: 『はい。』
隊員: 「敵の戦闘機に追従に入られた場合、この機体操作はどうしたらいいでしょうか。」
上官: 『まず、敵が自分から、右からなら右、来たならば敵の角度が深くなるように、手と足を、引っ張る操作をしてグッというと、飛行機はこういう格好になる。これでハーフロールで下へ下がったんじゃまずい。だからここで、こっちからグッと来たならば、これで、こういうふうになるように逃げていく。』
(雷電戦闘機隊の歌 斉唱)

 

1945年9月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=19459

日本ニュース 第255号(1945年9月)8分6秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300383_00000

聖断拝す 大東亜戦争終結 昭和二十年八月十四日 02:56
東久迩宮内閣成立     00:45
大命を拝して 内閣総理大臣東久迩宮稔彦王殿下 04:24

聖断拝す 大東亜戦争終結 昭和二十年八月十四日 02:56
 聖断、下る。昭和20年8月14日。米英を敵として、渾身(こんしん)戦うこと、ここに4年。ああ、我等(われら)の力至らずして、この日、大東亜戦争終結の大詔を拝す。畏(おそ)れ多くも天皇陛下におかせられましては、15日正午、ラジオを通じさせられて詔書を御放送。皇国の向かうべき大本を御自ら国民にお示したもうたのであります。
一億、等しく頭を垂れて玉音を拝し奉る。事、ここに至る。靖国の神と鎮まる忠霊、前線の将兵、また民草の上に垂れさせたまいし大いなる御仁慈に、御聖慮(せいりょ)のほどを拝察して、ただ我等、万斛(ばんこく)の涙を飲む。
 ああ、力至らずして、この悲壮なる歴史の日を迎う。靖国の社頭に、また二重橋前広場にひれ伏して、自らの罪の許しを乞(こ)う都民の列は後を絶たず。
我等は今、静かに思う。この大罪を償うただ1つの道は、将来の新日本建設にある。いかに茨(いばら)の道遠くとも、物量も圧し得ず、劫火(ごうか)も焼き得ぬものは、神御一人に帰一し奉る忠誠心。この真をもて、我等の力尽くす時、国体を護持し、新しき日本の方途は力強く開かれていくのであります。

東久迩宮内閣成立     00:45
 大東亜戦争終結の聖断下った、翌8月15日、鈴木内閣は補弼(ほひつ)の大任果たし得ぬ責めをもって総辞職し、後継内閣組織の大命は、8月16日、東久邇宮稔彦王殿下に降下。越えて17日、戦後処理新日本建設第一歩の重任を担う東久邇宮内閣は成立しました。

大命を拝して 内閣総理大臣東久迩宮稔彦王殿下 04:24
 私は昨日、かしこくも組閣の大命を拝しました。ただちに組閣に着手し、本日、閣員名簿を奉呈いたしましたところ、陛下にはこれを御嘉納(ごかのう)の上、親任式を執り行わせられました。よって、ただ今より私は、新内閣の首班として、この難局の処理に当たることとなりましたが、ここにいささか所信を述べて、同胞各位とともに、時艱克服の勇気を大いに奮い起こしたいと思うのであります。昨日大命降下とともに、仰せ出されたる御言葉は「特に、憲法を尊重し、詔書を基とし、軍の統制、秩序の維持に努め、時局の収拾に努力せよ」との啓示を拝せられました。真に恐懼(きょうく)感激のほかなく、私の組閣の方針も、今後における施政の基調も一に全くこの大御心に副い奉る以外にはないのであります。思うに、大東亜戦争は世界の大勢と我が国の現状とに鑑(かんが)み、非常の措置をもって収拾せられました。事、ここに至ったことは、陛下に対し奉り、真に申し訳なき次第でありますが、同時に、国体のありがたさがこれほどひしひしと胸に迫ったことなく、ただただ感激の涙のあふるるを禁じ得ないものがあります。

聖断、一度下らば、我等(われら)臣民、己を捨て翕然(きゅうぜん)とこれにきき奉る事実こそは、我が国体の精華と言うべきであります。顧みれば、戦局が不利になった以来、特に国体の護持ということが国民全体によって唱えられるに至りましたが、国体の真の姿を顕現することこそ、国体護持の第一歩であり、すべてであることを、今日この際、特に銘記しなければならないのであります。陛下は、汝(なんじ)臣民の衷情はこれをよく知っている。気持ちはよくわかっている。しかし感情に走ってみだりに事端を滋くしてはならぬとお諭しあそばされているのであります。私はここに、我が同胞、軍・官・民、各位の全体に向かって、厳粛に申し上げます。今回の大詔の御精神、御諫(いさ)め、御諭しは、臣民たる者、一人残らずよくこれを体し、いやしくもこれに背くがごとき言動の許されないのは申すまでもないことでありまして、たとえひとりたりとも、これより逸脱する者のないことは、私の深く信じて疑わないところであります。挙国一家、大詔にお示しあそばされたる陛下の思し召しを奉戴(ほうたい)し、一致乱れざる足並みをもって、難局の打開に進むとき、全世界は必ずや勝敗を超えて、我が国体の力の偉大さに、驚嘆の眼を見張るでありましょう。

艱難(かんなん)非運の大義においてこそ、ますます国体の真価は発揮せられるべきものであります。私もまた、大詔の御精神、御諫め、邦家の将来に対する御諭しを十分奉戴して、ひたすら聖旨に副い奉るべきことを、施政の根本方針といたし、この未曽有の困難なる時代を処理せんとするものであります。

 

日本ニュース 第256号(1945年9月)10分57秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300384_00000

厚木飛行場に先遣隊到着 (8月28日) 02:20
マ元帥 主力部隊と厚木へ (8月30日) 01:15
連合国艦隊相模湾へ (8月27日)  01:08
横須賀に海兵隊進駐 (8月30日)  00:37
横浜に進駐軍総司令部 (8月30日) 00:31
帝国全権 降伏文書に調印       01:13
首相宮殿下御演説 第88臨時議会   03:50

厚木飛行場に先遣隊到着 (8月28日) 02:20
 先の我がポツダム宣言受諾の通告により、連合軍は逐次東京湾周辺地域に進駐することになりましたが、8月28日、アメリカ軍先遣部隊150名が、輸送機により沖縄基地から神奈川県厚木飛行場に到着しました。
先遣部隊はテンチ大佐指揮の下に、ここに日本本土への第一歩を印したわけですが、進駐は円満に行われました。
 明けて29日より、アメリカ軍は大型四発輸送機をもって進駐を継続。アメリカ軍の行動は、時間的にきわめて正確であるばかりでなく、ただちにジープ、つまり小型軍用車を飛行機より降ろして、活発に行動。その能率的一面を示しました。

マ元帥 主力部隊と厚木へ (8月30日) 01:15
連合軍最高司令官マッカーサー元帥は、8月30日、輸送機バターン号により飛行場に到着。出迎えのアメリカ第8軍司令官、バーカー中将と握手を交わす。マッカーサー元帥はただちに声明を発表。日本の誠意により、摩擦も流血もなく、戦争終結は円満に成就するであろうと述べました。

連合国艦隊相模湾へ (8月27日)  01:08
 これより先27日、連合軍の艦船による進駐部隊は、相模湾逗子沖に停泊。
1万3000のアメリカ海兵隊は30日、百数十隻の上陸用舟艇をもって、横須賀地区に上陸を開始しました。

横須賀に海兵隊進駐 (8月30日)  00:37
戸塚横鎮長官とアメリカ軍指揮官バッジャー少将との間に、同地区進駐の事務手続きが行われました。

横浜に進駐軍総司令部 (8月30日) 00:31
アメリカ軍は、引き続き横浜地区にも進駐しました。

帝国全権 降伏文書に調印       01:13
 ポツダム宣言受諾降伏調印は、9月2日、東京湾上アメリカ戦闘艦ミズリー号甲板において行われました。連合軍最高司令官マッカーサー元帥をはじめ、各国代表入場の後、我が全権委員重光外務大臣、梅津参謀総長並びに随員が入場。
午前9時4分、我が全権は、それぞれ降伏文書に調印を行いました。
続いて連合国各代表の署名を終わりました。

首相宮殿下御演説 第88臨時議会   03:50
 第88臨時議会第2日の9月5日、東久邇総理大臣宮殿下には、施政方針を御演説あそばされました。

<東久邇総理大臣:
先に畏(かしこ)くも大詔を拝し、帝国は米英ソ支四国の共同宣言を受諾し、大東亜戦争は茲(ここ)に非常の措置を以(もっ)て其の局を結ぶこととなりました。連合国軍は既に我が本土に進駐して居ります。事態は有史以来のことであります。三千年の歴史に於(おい)て、最も重大局面と申さねばなりません。
今日に於て尚、現実の前に眼を覆い、当面を糊塗(こと)して自ら慰めんとすること、又(また)激情に駆られて事端を滋くするが如きことは、到底国運の恢弘(かいこう)を期する所以(ゆえん)ではありません。一言一行悉(ことごと)く、天皇に絶対帰一し奉り、苟(いやし)くも過たざることこそ、臣子の本分であります。我々臣民は大詔の御誡(いまし)めを畏み、堪え難きを堪え、忍び難きを忍んで、今日の敗戦の事実を甘受し、断乎(だんこ)たる大国民の矜持(きょうじ)を以て、潔く自ら誓約せる ポツダム宣言を誠実に履行し、誓って信義を世界に示さんとするものであります。
今や歴史の転機に当り、国歩艱難(かんなん)、各方面に亙(わた)る戦後の再建は極めて多難なるものがあります。戦いは終りました。併(しか)しながら我々の前途は益々(ますます)多難であります。詔書にも拝しまする如く、今後帝国の受くべき苦難は蓋(けだ)し尋常一様のものではありません。
固より政府と致しましては衣食住、各方面に亙り、戦後に於ける国民生活の安定に特に意を注ぎ、凡(あら)ゆる部面に於いて急速に萬全の施策を講じて参る考えであります。併し戦争の終結に依(よ)って直ちに過去の安易なる生活への復帰を夢見るが如き者ありと致しますならば、思はざるも甚だしきもので、将来の建設の如きは到底期し得ないのであります。
 我々の前途は遠く且(か)つ苦難に満ちて居ります。併しながら 御詔書にも御諭しを拝する如く、我々国民は固く神州不滅を信じ、如何(いか)なる事態に於きましても、飽(あ)くまでも帝国の前途に希望を失うことなく、何処(どこ)までも努力を盡(つく)さねばならぬのであります。> 

 

日本ニュース 第257号(1945年9月)6分34秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300385_00000

原子爆弾 広島市の惨害 02:51
米軍帝都進駐      03:42

原子爆弾 広島市の惨害 02:51
 昭和20年8月6日、B-29より投下された原子爆弾は、一瞬にして広島市を壊滅せしめた。市民の受けた被害は想像を絶して大きく、これこそはまさに敗れんとする日本に与えられた、最後の一撃であった。
9月3日、かしこくも天皇陛下には、永積侍従を惨禍の町、広島に御差遣(ごさけん)。実情を踏査せしめらる。鉄筋コンクリートの建築物をわずかに残して、灰と化した広島の町は、一望、目を遮るものもなく、原子爆弾の強烈な威力を、ただ一目に物語っている。原子爆弾の恐ろしさは、爆死、もしくは熱線のやけどによって一挙に莫大(ばくだい)な死傷を出すばかりでなく、放射能の作用により、白血球、赤血球の減少によって、生命を奪われるということである。

 爆心、相生橋。敵の投下した爆弾は、地上およそ550メートル、相生橋上空付近で炸裂(さくれつ)したと言われる。
木造家屋はすべて押しつぶされ、火を発して跡をとどめず、アメのように曲げられた鉄筋の建物だけが残っている。
大木もへし折られた、鯉の城、鯉城として知られた広島城も、石垣を残して天守閣をはじめ、一切姿を消した。爆心から1キロ以内では直径50センチメートルの大木も耐えられないのである。

米軍帝都進駐      03:42
 先に東京周辺地区に進駐したアメリカ軍は、9月8日を期し、帝都に進駐することとなり、同じ日、マッカーサー元帥は横浜から初の東京入りをし、アメリカ大使館における国旗掲揚式に臨みました。

 アメリカ軍騎兵第1師団は、代々木練兵場に進駐。砂埃(すなぼこり)の吹きさらす草原の中に、わずか1日で大幅の街路が縦横に走る大テント村を建設し、そこに入りました。
同師団は騎兵とは名ばかり、お得意の自動車を100%に利用した機械化部隊であります。宿営建設には、能率本位で機材も機械力も惜しみなく活用し、宿営地はテント村とはいえ、衛生そのほかいろいろの設備を整えております。

 また兵士たちはニューギニア、レイテ、マニラ等、歴戦の誇りも高く、軍紀の厳正で知られている部隊でもあります。
またアメリカ軍は、丸の内の第一ホテルにも入りました。
兵士たちもようやく自由外出が許され、ジープを飛ばし、銀座、日本橋方面には、3人、5人とものめずらしげに散歩する姿が見られます。兵士たちの市民に対する態度ももの静かで、一部懸念された不祥事も極めて少なく、アメリカ軍の東京入りは、明るく平穏に行われています。

 

1945年11月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=194511

日本ニュース 第258号(1945年11月)10分8秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300573_00000&seg_number=001

幣原内閣成立         02:49
政治犯釈放          01:47
電球生産開始<今日の話題>  00:38
焼け跡にヤミ市<今日の話題> 00:56
野球も復活<今日の話題>   00:21
進駐軍風景          03:31

幣原内閣成立         02:49
東久邇宮内閣は10月4日連合国軍最高司令部より政治犯人の即時釈放、内務大臣・警察首脳の罷免、皇室制への自由討議制限撤廃の三大要求を受けいれるにおよび、同5日同総辞職を決行。同6日、組閣の拝命は元外相・幣原喜重郎男爵に降下。かつて国際政界に活躍せる同男爵の組閣は極めて慎重に行われ、9日全閣僚の顔ぶれを決定。吉田外務大臣、前田文部大臣、岩田司法大臣、堀切内務大臣、松本国務大臣、渋沢大蔵大臣、小笠原商工大臣、芦田厚生大臣、松村農林大臣、田中運輸大臣、楢橋法制局長官。親任式を終えて幣原新首相は施政方針を明示しました。

≪幣原首相≫
「我が国、我が国民が当面いたしておりまする現下の事態は、誠に歴史上未曽有の国難であります。食糧その他民生問題の対策、財政問題の処理、行政制度の改革、教育の刷新等、国民の心配しておる問題は山積しておるのであります。新内閣は迅速果敢にこれらの問題に対処せんとする決意を有するものでありますが、政府といたしましては常に国民の声に聞いて社会における正義を重んじ、民主主義政治確立のため、最善の努力を尽くす覚悟であります。」

*258号と259号は制作当時の事情により公開順が逆になっています。

政治犯釈放          01:47
東京都豊多摩刑務所。外見は白い建物ながら、中はただ暗黒の桎梏(しっこく)。国を憂え、民族の幸福を図って、かえって不当なる封建中世史的官憲の暴圧により、聞くに堪えざる虐待を受けつつ、重い鉄鎖につながれていた社会主義、自由主義の党首たちは連合国軍司令部よりの命により、10月10日までに全国刑務所より解放されました。

≪徳田球一氏≫
(Q:…いろんなつらい思いもされましたんでしょうな。)
「つらい思いも何も、死の牢獄ですから。だから、ぶたれる、けるはもちろんのこと、栄養失調で死んでいくのもたくさんあります。三木くんの死んだのも、そのひとつです。今度は連合軍と、人民大衆の同情と絶大なる援助のもとに、解放されるようになったんです。それで私たちは非常にその人たちに対して感謝をしているわけです。」

<日本ホーリネス教会 小原十三司氏>
「私もこの戦時下にあって信仰弾圧の憂き目にあい、2か年の間、苦難を経て来た者のひとりでありますが、この苦難においてキリストに学ぶことのできたことは大いなる感謝です。そして、信仰のありがたさを苦しみの内において深く学び、感謝しておるものであります。」

*258号と259号は制作当時の事情により公開順が逆になっています。

電球生産開始<今日の話題>  00:38
明るい生活に明るい光を。マツダランプ川崎工場では今、電球の増産に全力を挙げております。軍閥官僚の思い上がった暴挙は、我々国民をかつて無意味な戦争の矢面に立て、日常生活を窮乏のどん底に陥れてきました。しかし戦争が終了し、私たちの日常生活には今や希望の曙光(しょこう)が訪れて来たのです。

*258号と259号は制作当時の事情により公開順が逆になっています。

焼け跡にヤミ市<今日の話題> 00:56
ヤミの氾濫(はんらん)する東京に安い品物を豊富に。これはまた明朗な新宿のマーケットが開店いたしました。仕入れ値段から利益、売値まで一目でわかるように掲示されています。開店当時、例えば大鍋30円、フライパン17円、クリーム10円、ズックの靴65円等の高値であったものが1日ごとに値下がりし、品数も増し、中にはマル公以下の物さえあります。

*258号と259号は制作当時の事情により公開順が逆になっています。

野球も復活<今日の話題>   00:21
明るい新しい日本再建はスポーツから。秋晴れの一日、浦和対大宮チームの熱戦のひとコマ。

*258号と259号は制作当時の事情により公開順が逆になっています。

進駐軍風景          03:31
アメリカ軍進駐すでに1か月。見るもの聞くもの、私たち日本人は驚きの眼(まなこ)を見張りました。ハトンボに似た米海軍の愛嬌者ヘリコプター。輸送船の甲板からやおら秋晴れの空に舞い上がりました。おどけた姿で飛び続け、横浜伊勢佐木町の上空に達します。あれよあれよと驚く人々を尻目に、狭い焼け跡に舞い降り、涼しい顔です。
横浜アメリカ軍の焼け跡計画。ここにもアメリカ軍の能率がいかんなく発揮されております。累々(るいるい)たる残骸(ざんがい)の片づけから地ならしにいたるまで、全てが機械力で進行します。わずか短時日できちんと整備された広場ができあがりました。
アメリカ軍憲兵のラジオジープ。細いアンテナ1本で絶えず本部と連絡しながら、町の治安を守ってかけまわっております。東京は銀座。ひょっこり現れたおなじみのスター、タイロン・パワーの軍服姿。帝都の町は昔の雑踏に返って、交通整理にアメリカ兵も一役、進駐軍でにぎわう今日このごろの銀座風景です。

(銀座を歩く米兵の様子)

*258号と259号は制作当時の事情により公開順が逆になっています。

 

日本ニュース 第259号(1945年11月)9分25秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300574_00000&seg_number=003

新党結成準備進む      02:47
学園の粛清と学問の自由を! 03:18
南鳥島より復員船帰る    01:44
食料応急対策 冠水芋販売  01:32

新党結成準備進む      02:47
≪新日本自由党準備委員 鳩山一郎氏≫
「新日本自由党は、まず政治上の自由と経済上の自由とを国民の手に取り戻すことを主たる目的といたしております。言論、出版、集会、結社等の自由を認め、財産権を尊重し、営業の自由を認め、統制を排除いたしたいと考えております。」

<日本社会党準備委員 片山哲氏>
「我が国全勤労大衆の要望によりまして、11月2日をもって日本社会党が結成されることになりました。今までの日本の政治は暗黒、陰惨にして幾多の束縛をもって国民を縛っておったのであります。今やその鎖を断ち切って、立ち上がるべきときが来ったのであります。我が日本社会党はこのときにあたりまして、天皇の袖に隠れ、わがまま勝手をしておりまして、日本を今日の敗戦に導きました軍閥官僚を打倒し、利欲あって国家国民なき資本主義を排撃し、社会主義を断行し、もって日本国民全般の生活の安定を図ることを最大の目標といたしておるのであります。」

先に府中刑務所を釈放された共産主義者、志賀義雄氏は10月20日共産主義者グループを代表して東京蔵前工業会館の日本社会党準備事務所を訪問。社会党代表水谷長三郎、鈴木茂三郎、平野力三の三氏と会見し、両者共同戦線結成の申し入れを行いました。これに対し社会党側より両党が結党を終わり、綱領、政策を発表の上、改めて協議を行いたき旨、回答いたしました。

*258号と259号は制作当時の事情により公開順が逆になっています。

学園の粛清と学問の自由を! 03:18
東京物理学校学生八百余名は戦時中の圧政教育を不当とし、学問の自由を叫び、10月10日一斉に同盟休校に入りました。そして1週間目の16日、学徒の自治制、朋友会の創設等12項目の要求に対する学校側の誠意ある確答を得て、解決いたしました。

≪学生≫
「それに携わる教育者というものを我々が考えたときに、目を覆い、また耳を塞がざるを得ないようなことが多々あったのであります。翻って学校当局というものを考えたときに、白川先生の独裁的、独善的な、いわゆる圧政教育をもって我々を指導せんとしたこの工作を徹頭徹尾我々は反対するものであります。学生の自治と自由を獲得し、明るい学生生活を得るために、断固として立ったのであります。」

東京上野高等女学校の4年生による10月8日よりの同盟休校は、父兄および同窓会有志のあっせんにより一応登校の運びに至りましたが、これら若人たちの訴えは私たちを考えさせる大きな問題を含んでおります。

<学生>
「社会を担う(?)生徒に押しつけて、先生とても人間ですとすましている先生、校長のために生徒を放り出して授業をつぶす先生。これらのことを黙認して『生徒が悪い。女らしくない』と言う先生。これだけでも教育者とは言えません。このような先生方の下で立派な人間を生み出すことができるでしょうか。学校が加担しているなら、私たちは学校を辞めて本当の勉強をいたします。しかし、この前にこのような教育者を教育界から追い払うのです。」

≪女学生≫
「教壇における教師の態度には、私たちには不満です。」
「文部省当局の態度に飽き足りません。私たちは一般の世論に訴えます。断固として最後まで戦います。」

<文部省学校教育局長 田中耕太郎氏>
「最近ところどころの学校で紛擾(ふんじょう)が起こりましたことは、大変遺憾なことでございます。そもそも学校は家族的の共同社会でございまして、この社会の基調といたしますところは、愛と敬でございます。ところで、この愛と敬による関係、すなわち子弟の道は我が国でもまた外国でも同じものであり、またいかなる時代にも行われなければならない教育上の原理でございます。」

*258号と259号は制作当時の事情により公開順が逆になっています。

南鳥島より復員船帰る    01:44
復員船「大海丸」帰る。遠く故国を離れ、波濤(はとう)洗う大洋の孤島、南鳥島より2400名の復員軍人を乗せて、10月16日浦賀港に帰る。今日の日まで飢餓に耐え、病魔と戦い、一筋に戦い続けて来た我等(われら)の同胞(はらから)、今こそ帰る。夢にだに忘れ得ぬ故山を今目の当たりに見て、これら兵士の胸を去来するものは何か。軍閥官僚の犠牲となり、戦うべからざる戦いを強いられ、不当なる軍律に縛られてきた憤りと悔恨が惻々(そくそく)と迫って来る。

*258号と259号は制作当時の事情により公開順が逆になっています。

食料応急対策 冠水芋販売  01:32
10月初旬、季節外れの豪雨はさなきだに暗澹(あんたん)たる食糧の危機をさらに窮地に追いつめました。埼玉県下の甘藷の冠水被害は実に5千町歩、約一千万貫におよぶと言われます。県は非常措置として、冠水芋に限り自由販売を許可することとなりました。飢餓線上をさまよう人々はこの冠水芋にどっと押し寄せ、誰も彼もが大きな重い包みを背負って行きます。この買い出し部隊の姿こそ、私たちが今直面している食糧危機の姿です。

*258号と259号は制作当時の事情により公開順が逆になっています。

 

日本ニュース 第260号(1945年11月)7分49秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300575_00000&seg_number=004

初代戦災復興院総裁 小林一三氏 00:40
空から視た戦災の京浜地区    01:20
苦悩する都市 浮浪者の群れ   01:14
疎開地から東京へ        01:33
冠水稲             01:18
婦人に革命 参政権獲得     01:39

初代戦災復興院総裁 小林一三氏 00:40
元商相小林一三氏は、このほど国務相兼戦災復興院総裁として新たに就任いたしました。終戦そして急速なる復興へ、初代戦災復興院総裁に座った小林一三氏は国民の強い期待に沿って、大きくその第一歩を踏み出したのであります。

空から視た戦災の京浜地区    01:20
このたびの戦争は多くの人々の生命と財産と生活を灰燼(かいじん)に帰してしまいました。京浜地区の焼け跡を空から見て、私たちは今さらながら無意味な戦争に駆り立てられた痛恨を覚えます。隅田川の流れのみは、昨日に変わらぬ姿です。
銀座です。外形のみ止めたこれらのビルディングも、中は使用不可能なほどに破壊されています。帝都心臓部の惨憺(さんたん)たる姿。
これは横浜の埠頭。

苦悩する都市 浮浪者の群れ   01:14
寒気ようやく迫る東京や大阪。その街角に飢餓が日ごと多くの人々の上に忍び寄りつつあります。家を焼かれ、職を失った人々。親兄弟を失った寄る辺なき孤児たち。これら戦争の生んだ絶望の人々こそ、苦悩する都会の姿です。この深刻な浮浪者を救済することこそ、再建日本の重要問題のひとつであります。

疎開地から東京へ        01:33
お別れの日が参りました。疎開学童たちがいよいよ東京へ帰ります。

≪学童≫
「長い間お世話になりました。この懐かしい福島の山や川、皆さんの温かいお心はいつまでも忘れることはできません。僕たちは次の日本を建設するために、一身を捧(ささ)げてやり抜く覚悟です。ではさようなら。」

さびしい気持ちをじっと抑えつけて我慢した幾月。それは幼い子どもたちにとって、あまりに過酷な生活でありました。いたいけない戦争の犠牲者たち。しかし、今では全てが遠い夢となりました。
かつて恐怖のどん底にたたき込まれた東京を後にして、不自由な疎開生活を続けていた人々が、再び東京へ。わずかに再起の希望を胸に描きながら帰って参りました。

冠水稲             01:18
10月初旬、表日本を襲った豪雨は折から収穫期の稲に大きな被害を与えました。深刻な食糧事情は、そのために倍加されました。これは茨城県新治郡関川村の冠水稲の惨状です。
腰におよぶ浸水のため、特殊な下駄を履いて作業をしますが、肌を刺す冷水は作業を1時間と続けることができません。農民の必死の水中刈り取りにも関わらず、稲は芽を出し、見るも無惨な姿であります。

婦人に革命 参政権獲得     01:39
心ある人々の間に叫ばれて来た婦人の政治参与は、終戦に伴う世論の解放と民権の拡張により、ここに実現を見ることとなりました。この革命的な喜びについて、婦人たちの感想を聞きましょう。

≪婦人≫
「かねがね私たちは政治というものを、もっともっと身近に考えなければいけないと思っておりました。ついにその待望のときが参りました。誠に喜ばしいことでございますが、それだけに慎重を期したいと思っております。それは、一喜劇女優としてではなく、主婦としての偽らぬ感想でございます。」

<婦人たち>
「婦人参政権も結構ですが、ひとつだけ、この食糧の苦慮がなくなると、ほんとにいいと思いますよ。」
「でもこの問題を解決いたしますために、よい方に勝っていただかなきゃならないんでございますから、大いに協力いたさなきゃなりませんわねえ。」

≪新日本婦人同盟 市川房枝女史≫
「婦人参政権は戦争という大きな犠牲を払ってもらったことになりますから、大事にしなきゃいけないと思います。参政権をうまく使えば食糧の配給もよくなりますし、婦人の地位も必ず高くなります。うまく使うことは、そんなに難しいことではありませんから、安心をして結構です。しかし、新聞や雑誌、その他を通して政治の勉強をみんなで一生懸命しようではございませんか。」

 

日本ニュース 第261号(1945年11月)11分26秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300576_00000&seg_number=009

天皇陛下 皇大神宮御親拝     01:00
敗戦陸海軍の地下作戦室      01:38
松村農相農村視察<時の話題>   00:42
農民組合結成 準備委<時の話題> 00:32
四大財閥解体<時の話題>     00:24
全国戦災者大会<時の話題>    00:46
解放運動の犠牲者を悼む      02:22
超満員の買い出し列車<悩みの種> 01:05
食物求めてヤミ市へ<悩みの種>  01:32
進駐軍ロデオ大会         01:16

天皇陛下 皇大神宮御親拝     01:00
かしこくも天皇陛下には、終戦のご報告ならびに新生日本再建の前途御祈念のため、伊勢の両神宮をはじめ畝傍、桃山の両御陵に親しく御参拝あそばさるべく、11月12日東京を御発輦(はつれん)、関西御巡幸の途につかせられました。13日御潔斎の御後、内宮行在所御発、皇祖の御前に御参進、御親拝あらせられました。

敗戦陸海軍の地下作戦室      01:38
長野県埴科郡屋代町の郊外。ここに昨年10月ごろから総工費6千万円を投じて膨大な地下工事が始められました。これは戦争の終局まで閉められていた大本営の地下作戦指揮所であります。この工事は皮肉にも終戦直前に完成を見ました。トンネルの総延長10キロ、壕の広さ約600坪。厚さ8寸のペトンで固められ、毎日7千人の朝鮮人労務者、および付近村民が動員されたと言われております。
既に昭和14年に立案され、昭和16年大東亜戦争勃発前にほぼ完成していたと言われる海軍軍令部の地下壕。この地下壕は海軍省を基点としてその延長1キロ、地下3階からなっております。本年初め、補強工作の結果、250キロから500キロ爆弾に耐えられると言われます。国民が不完全な待避壕の中で空襲におののいているとき、軍首脳は公費と資材と労力を惜しまず、かかる膨大な作戦室を作っていたのでした。

松村農相農村視察<時の話題>   00:42
食糧危機打開の鍵である供出の促進を図るため、松村農林大臣は11月7日千葉県に赴き、取り入れに忙殺される農民とひざを交えて懇談いたしました。

農民組合結成 準備委<時の話題> 00:32
11月3日、東京蔵前工業会館に全国の農民組合指導者約5百余名が集まり、日本農民組合全国懇談会を開催。急速に全農民を結集し、組合結成の活動にうつるべき取り決めを行いました。

四大財閥解体<時の話題>     00:24
三井、三菱、安田、住友の四大財閥がマッカーサー司令部の指令により、11月6日解体を命ぜられました。70年に渡り日本経済界を独占壟断(ろうだん)しきたった四大財閥はここに姿を消し、経済民主化の第一歩が踏み出されたのであります。

全国戦災者大会<時の話題>    00:46
全国戦災者同盟では11月4日上野公園広場に第1回大会を開催いたしました。終わって、戦災者総決起の歌を高唱しつつ、マッカーサー司令部ならびに首相官邸に向かい、デモ行進を行いました。

解放運動の犠牲者を悼む      02:22
日本共産党他11団体共同主催のもとに、11月7日東京神田の共立講堂において人民解放運動犠牲者の追悼会が催されました。獄死または運動半ばにして倒れた、これら多数の犠牲者が同志によってその偉業をたたえられたのであります。

≪登壇者≫
「…イマイ、ソネ、ヨシムラ、キタジマ。甘粕事件、大杉栄、伊藤野枝、橘宗一…」

同大会において共産党代表徳田球一氏は、次のごとき演説を行いました。

<共産党代表 徳田球一氏>
「天皇の倉には米がうなっている。また軍国主義者、将校の倉にも米はうなっているのだ。我々は平時に食わすべきものを、終戦のときに彼等(かれら)の倉に運び込んでおることは諸君の知る通りである。また資本家の倉にも米および日常必需品はうなっておる。彼等(かれら)は戦争終結のときに労働者を阿呆ばらいして、労働者の使うべき日常必需品はもちろんのこと、米その他の資材を彼等(かれら)の懐に3か月もしくは6か月分を持っていることは、よく知られているところである。また、大地主の倉にも米はうなっているのだ。我々はこの米を即時自分の手に管理しなければならない。かくすることによってのみ、初めて我々は飢えをしのぐことができるのである。我々の手に米が管理されることによって初めて我々は自分自身で自分の飢えをしのぐ道を発見するであろう。」

超満員の買い出し列車<悩みの種> 01:05
足の悩み、いつ解決されるでしょう。このごろの汽車や電車に乗ることは、それこそ決死の難行苦行。電車や汽車に乗るだけで大きな労働だと、通勤者のひとりがぼやいていました。

食物求めてヤミ市へ<悩みの種>  01:32
何か食い物はないか。食糧から食糧へとあさり歩いて、一日を終わる人々がどこの街角にも増えていきます。食糧のヤミ市に行けば小さな握り飯2個で5円、ふかし芋が5、6切れ5円、パンが1個7円と、とにかく今日一日の飢えだけはしのげますが。

進駐軍ロデオ大会         01:16
進駐軍事業部主催のロデオ大会が11月11日の日曜日、秋晴れの明治神宮野球場で開催されました。会場を埋め尽くした5万余のアメリカ軍将兵は、入場式に盛んな拍手を送ります。心から一日を楽しむアメリカ軍将兵の生活は、軍閥が全ての自由を奪ってきた日本兵士の軍隊生活と、何という違いでありましょう。

 

日本ニュース 第262号(1945年11月)11分4秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300577_00000&seg_number=006

国民は注視する 第八十九臨時議会 02:42
幣原首相施政演説 批判座談会   02:38
天皇制を論ず           02:05
新たに指名された 戦争犯罪人   01:19
東京交通労組結成<時の話題>   00:32
大内教授ら 東大に復帰<時の話題> 00:44
野球早慶戦復活<時の話題>    00:55

国民は注視する 第八十九臨時議会 02:42
第89臨時議会開院式は天皇陛下の親臨を仰ぎ、11月27日貴族院においてとり行われました。天皇陛下におかせられましては優渥(ゆうあく)なる勅語を給い、和衷協賛の誠を尽くせよとの聖訓をたれさせられたのであります。
続いて28日幣原首相は施政演説を行い、新日本建設への決意を表明いたしました。

≪幣原首相≫
「議会が民意反映の機能を確保せんがためには、まず厳然自由公正なる選挙に待つのほかないのであります。現行の衆議院議員選挙法はこの見地より検討して、時局の要求に適しないところがあると認められますから、同法改正案の準備を急ぎ、これを本議会に提出してご審議をわずらわさんとするものであります。従来久しきにわたって農業停滞の義務をなしたる現在の農地制度に根本的の改革を加え、健全なる農家を育成して、農業生産力の倍増を図るとともに、大規模の開墾および干拓を急速に遂行する考えであります。今後における我が国の産業は、主として中小商工業に依存をするものと考えられますので、国家としても積極的なる指導、援助は極めて重要であると考えます。これに対応して民主主義的に勤労問題を解決するためには、労働組合の健全なる結成、活動は極めて望ましいところでありまして、これに必要なる法令の立案に努めておる次第であります。」

幣原首相施政演説 批判座談会   02:38
≪司会者 室伏高信氏≫
「幣原首相の施政方針演説はどうも、非常時局を担当する総理大臣の演説としては迫力も魅力もない、非常にこんな情熱尽きるというような感じを私は深くしたのですが、安藤さんいかがでしょうか。どうお考えでしょう。」

<自由党 安藤正純氏>
「そうですねえ。まったくご同感です。魅力に乏しく、迫力に欠けてます。そしてその上に、内容が清新に乏しいという感じを覚えましたね。ま、つまり事務的で正直で慎重すぎるということが濃厚だと聞いていて感じました。しかしながら、あの老体で民主政治の確立に努力をしておられることには敬意を表します。」

≪司会者 室伏高信氏≫
「河相情報局総裁のお考えは。」

<情報局総裁 河相達夫氏>
「今次の敗戦は二千六百年の我が歴史の受けました大震災であり、我が政治、経済、社会等あらゆる民族生活に与えました大地滑りだとも言えるだろうと思うんであります。この地滑りの中から新しい生命を生み出そうと、容易な事業じゃないんであります。もっこで土を担ぎ上げるといったようなことでできあがるような、やさしい仕事じゃないんであります。勇敢に、果敢に、大掛かりでスピードをかけて、そうしてやらなきゃならない仕事であります。しかしながらそれだけに用意も十分でなきゃならんです。急がば回れであります。これが私はおそらく幣原総理大臣の心構えであろうと思います。」

≪司会者 室伏高信氏≫
「鈴木君のご意見は。」

<読売新聞論説委員 鈴木東民氏>
「幣原内閣は全面的にサボタージュしていると、私は思います。そしてこのサボタージュは民主主義の発展を拒否し、妨害しようとする意図から出ているものと思うのです。憲法の問題にせよ、住宅、国道の問題にせよ、できることをわざと政府はサボタージュしている。」

天皇制を論ず           02:05
≪進歩党 清瀬一郎氏≫
「私は天皇制は絶対にこれを護持すべきとの固き信念を持っておるものであります。我が国の天皇は他国の君主というものとは異なって、単一民族である我が日本人の総本家にましますという事実から発生しておるものであります。それにより、天皇制下における政治は、ちょうど一家の家長が子女に対する関係と同じく、仁愛と徳義の政治であります。天皇制反対論者の話を聞くと、天皇制ではなく官僚政治、軍閥政治の弊害をとらえて天皇制の弊害であるかのごとくはき違えておられます。天皇制は我が民族の生存と不可分の関係にあるものでありまして、絶対に我々はこれを護持しなければなりません。」

<共産党 徳田球一氏>
「私は天皇制の打倒を主張するものであります。戦時中、戦後のこの悲惨な状態は、天皇の名において、天皇制のからくりで起こしたものであります。天皇制と言っても天皇ばかりではなしに、軍閥も官僚も警察も村役場も全てくるめたからくりであります。天皇のあの莫大な財産は天皇が働いてもうかったのではなくして、あれは人民の懐から奪い取ったものであります。この戦後の悲惨から立ち上がり、我々の幸福を増進するためには、ぜひこれを使わなければならないのであります。そのためには天皇制を打倒し、人民共和政府を樹立しなければならないのであります。」

新たに指名された 戦争犯罪人   01:19
連合軍最高司令部は11月19日、戦争犯罪人として荒木大将はじめ11名を指名。巣鴨刑務所に拘置方を命じました。11月22日陸軍大将荒木貞夫氏出頭、続いて同日前黒龍会主幹葛生能久氏も出頭。翌23日元総理大臣陸軍大将小磯国昭氏出頭。11月26日前駐伊大使白鳥敏夫氏、次々と拘置所に収容されました。

東京交通労組結成<時の話題>   00:32
東京都交通局関係現業員からなる東京交通労働組合の結成大会は11月20日神田共立講堂で挙行されました。待遇改善、その他当面の運動方針を決定。かくて往年の労働運動の先駆者、東京交通労働組合はここに再び活発な活動を展開することとなりました。

大内教授ら 東大に復帰<時の話題> 00:44
長い間教壇を追われていた教授たちが、終戦とともに続々学園に帰ります。全国大学教授の復職のさきがけ、東大の経済学部。統計学担当の有沢広巳教授、農業政策担当の山田盛太郎教授、日本経済史の土屋喬雄教授、7年ぶりで登校した財政学の大内兵衛教授。久しくゆがめられてきた学園にも自由の息吹と学徒の喜びがあふれます。

野球早慶戦復活<時の話題>    00:55
終戦後初めてファン待望の早慶戦が11月18日明治神宮野球場で行われました。早稲田は若原、慶應は白木の両投手にかつての名選手を繰り出して熱戦の火蓋(ひぶた)を切る。都の西北、陸の王者、両校応援団の声援。飯田アナウンサーの実況放送。熱戦の末、6対3で慶應に凱歌(がいか)が上がりました。

 

1945年12月
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/list.cgi?value=194512

日本ニュース 第263号(1945年12月)9分43秒
http://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300578_00000&seg_number=001

国家神道 禁止さる※         01:00
改正選挙法成る            00:47
街へ民衆へ呼びかける共産党      02:46
焼け跡の青空教室<時の話題>     00:49
石炭危機に移動芸能団も一役<時の話題> 00:41
兵舎利用の戦災者住宅<時の話題>   00:51
ビル街夜景<時の話題>        00:25
物資豊富な米軍<進駐軍風景>     01:30
服部時計店PXに<進駐軍風景>    00:47

国家神道 禁止さる          01:00
去る12月15日マッカーサー司令部は日本政府に対し、今後政府が強権をもって神道を支持、管理することを禁止する旨、指令を発しました。これに関してダイク准将は日本ニュースを通じ、次のごとく語りました。

≪ダイク准将≫
「宗教の目的は、人間に霊感を与えて思想と行動を完成の域に達せしめ、同時に他の人々に対して尊敬の念を起こさせることであります。マッカーサー元帥のこの度の指令によって、日本国民は平和と民主主義の理想に基づいた新日本建設のために再び協力奮闘することが重要でありましょう。」

改正選挙法成る            00:47
我が国民主化の基礎を成すもののひとつとして注目されていた選挙法中改正法律案は、8日間による審議を経て12月11日ついに衆議院において可決されました。

≪議長≫
「…可決されました。第五、委員長の報告にかかる修正中。第九十二条、第九十五条の二、第百二十四条および第百二十五条を除きたる、その他の(音声中断)修正に賛成の諸君の起立を求めます。
起立多数。よって上記の部分を除きたる委員長の報告にかかる修正は可決されました。」

街へ民衆へ呼びかける共産党      02:46
人民共和政府樹立を標榜して天皇制打倒を叫ぶ日本共産党は、いよいよ本格的活動を展開。そのさきがけとして12月6日、党員を市街へ繰り出して果敢な街頭デモを行いました。この中には若い女の党員も見受けられ、町行く人々の目をひきました。
続いて8日、日本共産党他5団体主催の戦争犯罪人追及人民大会が東京神田の共立講堂で行われ、犯罪人追及の論議が展開されるとともに、千余名におよぶ犯罪人の膨大なリストが発表されました。婦人代表のイワモトアキコさん。

≪イワモトアキコさん≫
「『特殊潜航艇を思え』『特別攻撃隊を思え』、そう言って彼等(かれら)は私たちを工場労働にむち打ったのであります。しかしながら特別攻撃隊の本質は何であったか。それは私たちの最も愛する肉親の生命を一片の砲弾、一隻の軍艦に易々と交換した天皇制政府の罪悪の集中的表現だったのであります。」

続いて志賀義雄氏立つ。

<志賀義雄氏>
「我々は満州事変以来のあらゆる戦争犯罪人を、この人民大会に参集したもの全てがこれほどの人数であるから、一人では到底わからないことも、皆の情報を集めるならばすこぶる正確にして緻密なものができる。故に諸君も常に耳を澄まし、目を鋭くしてあらゆるところにおける隠れた戦争犯罪人をどしどし摘発してもらいたい。」

≪男≫
「まず皇族関係。裕仁、現職天皇。良子、現職皇后。節子、現皇太后。雍仁、秩父憲仁、高松崇仁、三笠宮…」

焼け跡の青空教室<時の話題>     00:49
東京品川の立会国民学校では、疎開地から帰って来た児童たちのために、校庭に青空学校を開きました。男の子も女の子も、1年生も6年生も一緒に仲良く机を並べての勉強ぶりです。燦々(さんさん)たる太陽の光を浴びて、子どもたちの表情は明るく、青空学校の誕生です。

石炭危機に移動芸能団も一役<時の話題> 00:41
日本移動芸能連盟では12月5日から1週間、炭坑労務者の募集に乗り出しました。漫才、歌謡曲、軽音楽等多彩なプログラムをトラック2台に満載して、一人でも多く炭坑にはせ参ずるようにと大衆に呼びかけました。

兵舎利用の戦災者住宅<時の話題>   00:51
戦災者に住宅を。極寒を前に住宅難に悩む戦災者たちに兵舎を解放。ここ東京世田谷の兵舎跡では、戦災者たちが寄り集まって助けられたり助けたりの共同生活を始めました。狭い部屋ながらも楽しい我が家。全国初めての兵営アパートです。

ビル街夜景<時の話題>        00:25
東京の町の灯火。復興はまず町の灯から。万事乏しいうちに電力だけは豊富なおかげで、ちょっぴり昔の面影が忍ばれます。

物資豊富な米軍<進駐軍風景>     01:30
これはまた近頃珍しい景気のよい風景。おびただしい荷物が横浜の港に陸揚げされます。肉、野菜、菓子をはじめ衣類、燃料など、はるばる海を越えて故国から進駐軍への補給です。

服部時計店PXに<進駐軍風景>    00:47
ここは銀座の尾張町。焼け残った服部時計店に進駐軍の酒保が開かれました。楽しい買い物のひとときです。

  

※SOBA:ここのところはいわゆる1945年(昭和20年)12月15日の神道指令。 国家神道(こっかしんとう)はこの指令により、神社と行政機関の接点が全て廃止された。その後、教育勅語も1948年(昭和23年)6月19日に国会の各議院による決議により廃止されている

 

日本ニュース 第264号(1945年12月)8分5秒
archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300579_00000&seg_number=004

戦争犯罪人 裁判開く    02:03
衆議院解散         00:25
X’mas風景<時の話題> 01:11
働く二世娘<時の話題>   00:39
簡易住宅<時の話題>    00:57
新煙草ピース<時の話題>  00:39
スピード籤<時の話題>   00:59
戦災孤児慰問<時の話題>  01:05

戦争犯罪人 裁判開く    02:03
戦争犯罪人に対する初めての軍事裁判は、12月17日から横浜の地方裁判所において開かれ、翌18日より具体的審議に移りました。この日裁かれる俘虜(ふりょ)虐待のツチヤ警備兵は、MPに守られて到着。公判はフォレスター判事長の入廷を待って、厳かに始められました。この日は被告による俘虜(ふりょ)虐待の詳細な事実が検事から述べられ、死刑を求刑されました。

(裁判の様子)

引き続きこの軍事裁判は、正義と自由のために極めて公正に続けられ、かくて12月27日、ツチヤ警備兵に対し終身刑の判決が下されたのであります。

衆議院解散         00:25
第89臨時議会会期満了の12月18日、衆議院解散。ここに非民主主義的旧議会は、全く解消することとなりました。

≪議長≫
「朕(ちん)、帝国憲法第7条により、衆議院の解散を命ず。」

X’mas風景<時の話題> 01:11
(「きよしこの夜(英語)」合唱)

クリスマス。進駐軍将兵が待ち望んでいた楽しいクリスマスの日が訪れました。進駐軍にとっては4年ぶりで平和のうちに迎えるクリスマスでもあり、その喜びはまた格別に深いものがありましょう。母国を遠く、異郷にこの日を迎えた進駐軍将兵の思いは、懐かしいクリスマスのメロディーに乗って、最愛の妻と子どもたちのもとに通います。平和と喜びのうちに過ぎ行く、楽しいクリスマス。

働く二世娘<時の話題>   00:39
東京中央郵便局に働く、ハワイ生まれの二世の娘さんたちです。朝はきちんと8時から、今日も颯爽(さっそう)と通勤バスでご出勤。平和日本の建設に、健気な協力ぶりを見せております。

(出勤風景)

簡易住宅<時の話題>    00:57
家を失って、焼け跡の仮小屋に震える人々のために、一時も早く、そして少しでも安く、二間造りの簡易住宅が現れて、はや幾日。厳しい冬は容赦なく戦災の東京を訪れました。ここ椎名町付近に建築を急ぐ簡易住宅の一群れ。しかし、わずか4、5人の大工さんの打ち振る金づちの音のみが、初冬の川面(かわづら)に響いておりました。この調子では、東京都の20年度年内目標、1万5千戸の半分はおろか、4分の1も危ぶまれる鈍い足取りであります。

新煙草ピース<時の話題>  00:39
新しいたばこ、ピース。品質上々の高級たばこピースがいよいよ紫色の美しい箱に収まって売り出されることになりました。自由販売ですが、お値段も相当高め。大蔵省が頭をひねったインフレ防止の一策。

(ピースの製造風景)

スピード籤<時の話題>   00:59
これはまた景気のよいスピードくじ。銀座松坂屋での第一回売り出し風景。スピードというその名の示す通り、買ったらすぐその場で当たりくじが分かるというしくみが人気を呼んでか、押すな押すなの活況ぶりです。12月17日から京浜地区の百貨店で始められた高額宝くじ、売り出しの一コマです。

(宝くじを買う人々の風景)

戦災孤児慰問<時の話題>  01:05
戦災によって両親を奪われ、頼りとする愛情の支柱を失ったよるべなき戦争孤児たちの集い。このいたいけない子どもたちに思いがけない幸福が訪れました。暮れの25日、東京都生活相談所の人々は、クリスマスの贈り物を持って板橋の戦災孤児収容所を訪れ、心からこの気の毒な子どもたちを慰めたのであります。

始めに戻る

|

« 日本ニュース 戦争証言アーカイブス 第221号(1944年8月)〜第240号(1945年1月) | トップページ | 日本ニュース 戦争証言アーカイブス 戦後編 第1号(1946年1月)〜第20号(1946年5月) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/91038/64908829

この記事へのトラックバック一覧です: 日本ニュース 戦争証言アーカイブス 第241号(1945年1月)〜第264号(1945年12月):

« 日本ニュース 戦争証言アーカイブス 第221号(1944年8月)〜第240号(1945年1月) | トップページ | 日本ニュース 戦争証言アーカイブス 戦後編 第1号(1946年1月)〜第20号(1946年5月) »