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2018年9月30日 (日)

安倍首相、9月25日(現地時間)の国連総会一般討論演説で「背後」を「せいご」と誤読w。

 簡単な漢字もまともに読めない安倍晋三さんには早くやめて欲しいw。

 

https://twitter.com/levinassien/status/1045477909408829440

 

https://twitter.com/product1954/status/1045345833472864256

 

https://twitter.com/masaru_kaneko/status/1045419053550989312

 

 上記ツイートを紹介している↓記事。

安倍晋三首相が国連総会で「背後」を「せいご」と誤読か 星田英利や内田樹氏ら指摘
2018年09月28日 14時15分 J-CASTニュース
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12144-339802/

記事まとめ
 ⇒安倍晋三首相が国連総会の一般討論演説で「背後」を「せいご」と誤読したとみられ話題
 ⇒作家の盛田隆二氏や内田樹氏、経済学者の金子勝氏、お笑い芸人の星田英利なども指摘
 ⇒安倍首相は17年に参議院で、「云云」(うんぬん)を「伝伝」(でんでん)と答弁した

安倍首相、またも誤読?「背後」を「せいご」 「云云」(でんでん)に続き
2018年09月28日 13時03分 J-CASTニュース

安倍晋三首相が2018年9月26日(日本時間)、米ニューヨークで開かれている国連総会の一般討論演説で、「背後」を「せいご」と読み違えたとみられる一幕があった。

安倍首相が公の場で誤読するのは少なくともこれで2度目。識者は「ルビを振るべきだった」と皮肉を込める。

背後には、1980年代以降...

「せいご」発言は、自由貿易の重要性を訴える場面で飛び出した。首相官邸や外務省のウェブサイトに掲載された書き起こし文を引用すると、以下の通り。
「自由貿易体制は、アジア諸国を順次離陸させ、各国に中産階級を育てました。背後には、1980年代以降、日本からこれら諸国に向かった大規模な直接投資がありました。皆、国際経済システムが、ルールに基づき、自由でオープンなものだったおかげです」

アジア諸国の経済発展における日本の貢献を述べたこの部分。だが、首相官邸と国連のサイトにアップロードされた演説動画を確認すると、手元の原稿を見ながら「背後」(はいご)の箇所を「背後」(せいご)と読みあげているように聞こえる
「せいごには、1980年代以降...」

念のため、『広辞苑第7版』で「せいご」のページを繰ると、「?」「正誤」「生後」「成語」「省悟」「勢悟」のみで、「背後」は載っていなかった

「『うんこ漢字ドリル』で漢字テストを課すことをお勧め」
読み間違いはツイッター上で注目を集め、著名人からの指摘が相次いでいる。

「揚げ足取りで申し訳ないが、冒頭から1分、安倍首相は背後を『せいご』と読んでいる。ルビを振るべきだった」(作家・盛田隆二氏)「この人の言い間違いが問題なのはただの無教養ではなく、彼が日常的に犯す言い間違いを『それ違うよ』と指摘してくれる人が周りに一人もいないということです」(思想家・内田樹氏)「自民党総裁選の前に30分『うんこ漢字ドリル』で漢字テストを課すことをお勧めします」(経済学者・金子勝氏)

お笑い芸人の星田英利さんも、「安倍内閣、"『背後』は、国外で使う場合に限り読みは『せいご』である " を閣議決定」と皮肉を飛ばしている。

安倍首相の誤読をめぐっては、17年1月の参院本会議で、「云云」(うんぬん)を「伝伝」(でんでん)と答弁し、耳目を集めた。

 

 下記動画で、「背後には」を「セイゴには」と読んでいるのが確認できます。

安倍晋三[日本語] 国連総会「一般討論演説」9/25/2018現地時間
2021 summer
https://www.youtube.com/watch?v=enoM4bvaivk

2018/09/25 に公開

1分43秒(#t=1m43s)から始まりますw。「自由貿易体制は、アジア諸国を順次離陸させ、各国に中産階級を育てました。セイゴには(“背後には”を誤読していると気付いてないw)、1980年代以降、日本からこれら諸国に向かった大規模な直接投資がありました。」

概要:
安倍晋三[日本語] 国連総会「一般討論演説」9/25/2018現地時間Japan Shinzo Abe Prime Minister:General Debate of the 73rd session: 25 Sept. 2018

 

 外務省のテキスト

国連外交
第73回国連総会における安倍総理大臣一般討論演説
平成30年9月25日

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/unp_a/page3_002562.html

(略)
自由貿易体制は、アジア諸国を順次離陸させ、各国に中産階級を育てました。背後には、1980年代以降、日本からこれら諸国に向かった大規模な直接投資がありました。
(略)

 

英語版
Japan and the United Nations
Address by Prime Minister Abe at the Seventy-Third Session of the United Nations General Assembly
September 25, 2018

https://www.mofa.go.jp/fp/unp_a/page3e_000926.html

(略)
The free trade system enabled the countries of Asia, one after the other, to achieve take-off and fostered the middle class in each of these countries. In the background was the large-scale direct investment Japan has made in these countries since the 1980s.
(略)

 

番外編:ニコニコ動画w。
我らが安倍首相!国連での雄姿をごらんください!
http://www.nicovideo.jp/watch/sm33932411

安倍様が「背後」を「せご」と言うのなら、
私たちもこれから「背後=せご」といいましょうぞ!

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※原発関連で3冊:

知事抹殺 つくられた福島県汚職事件 佐藤 栄佐久

原子炉時限爆弾 広瀬 隆

隠される原子力・核の真実―原子力の専門家が原発に反対するわけ 小出 裕章


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2018年9月29日 (土)

元モーニング娘、吉澤ひとみ(33)の酒気帯び運転、ひき逃げ事件。

 TVなんぞまったく見てないので、吉澤ひとみが誰かも、元モーニング娘が何かも知らなかったのだが、下記ツイートを見て吉澤の酒気帯び運転、ひき逃げ事件を記録しておかなければと思った。

 

https://twitter.com/YACHI0000318/status/1040305215616868352

 

 関連記事。

吉澤ひとみ被告保釈もいばらの道「死者が出る速度のひき逃げ」と専門家解析
秦正理2018.9.28 16:24週刊朝日
https://dot.asahi.com/wa/2018092800057.html?page=1

2018092800057_1 保釈され警視庁原宿署を出る吉澤ひとみ被告(撮影/秦正理)

 飲酒ひき逃げ事故を起こした元モーニング娘。の吉澤ひとみ被告が保釈された。事故当時の映像が公になったが、専門家は「当たりどころが悪ければ死者が出る速度だった」と解析。悪質な交通事故を巡っては、被害者や遺族の要望を受け、厳罰化の傾向にある。今後の法廷で、吉澤被告は何を語るのか。

【写真】かつて一日警察署長も務めた吉澤ひとみ被告 笑顔の制服姿

2018092800057_2 吉澤ひとみ被告はかつて一日警察署長も務めた (c)朝日新聞社

*  *  *
 自動車運転処罰法違反(過失運転致傷)と道路交通法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)の罪で起訴された吉澤ひとみ被告(33)が9月27日に保釈された。勾留されていた警視庁原宿署には100人以上の報道陣がごった返し、午後5時半過ぎに吉澤被告が姿を現すと無数のフラッシュがたかれた。

 1990年代後半に一世を風靡した国民的アイドル「モーニング娘。」の元メンバーだけに、その事件の衝撃は大きかった。

 吉澤被告は6日午前7時ごろ、東京都中野区の交差点で赤信号を無視して突入。女性をはねるなどし、そのまま現場を離れた。呼気からは基準値の約4倍にあたるアルコールが検出され、自動車運転処罰法違反や道交法違反の疑いで警視庁中野署に逮捕された

 当初、吉澤被告は現場を離れた理由として「周囲に車が多く停車できなかった」と供述していたとされる。しかし、ひき逃げの瞬間と見られるドライブレコーダーの映像が、写真週刊誌「FRIDAY」のデジタル配信により公開されたことで衝撃はより一層強まった。

 映像には身の毛がよだつ様子が映し出されていた。自転車に乗った女性と男性歩行者が横断歩道を渡り始めた矢先、吉澤被告が運転する白のミニバンがブレーキランプを点灯させながら交差点に突っ込み、女性をはねる。一度は停止したように見えたが、その後すぐ加速して走り去っていくという映像だ。

 ドライブレコーダーの映像解析によって交通事故を鑑定する「ジェネクスト」の保田亜希・映像解析部部長はこう指摘する。

衝突時には時速45~50キロのスピードが出ていると解析できます。被害に遭われた方が軽傷で済んだのはたまたまで、当たりどころが悪ければ死者が出る速度です。映像にはブレーキを踏んでからの様子しか映し出されていませんが、急ブレーキ音も聞こえます

 その後、警視庁が吉澤被告の車のドライブレコーダーを解析したところ、事故直前には法定速度を26キロも超過する時速86キロのスピードが出ていたという

https://dot.asahi.com/wa/2018092800057.html?page=2
 また、事故後に走り去ったことについて、保田氏はこう指摘した。

「これまで北海道から九州まで全国の事故映像を解析していますが、大きい事故を起こしても通常は停止する方が多いですね」

 それが義務であり、当然のことなのだが、一目散に発進する様子は理解に苦しむ。その映像の恐ろしさから、より刑の重い危険運転致傷罪が適用されるのではとの臆測もあった。石川法律事務所の江口大和弁護士が解説する。

「過失運転致傷罪は必要な注意を怠ったことによって他人にけがをさせる点が特徴です。一方、危険運転致傷罪にはいくつかの類型がありますが、今回のケースで考えると、アルコールの影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、人を負傷させた場合に成立します」

 となると、危険運転致傷罪の適用も考えられそうではあるが……。

「たしかに吉澤被告の呼気からは相当な量のアルコール成分が検出され、また、横断歩道に高スピードで突っ込んでおり、正常な運転が困難な状態だったのではないかとの印象を持たれます。にもかかわらず、危険運転致傷罪が適用されなかった理由は、事故後の吉澤被告の行動にあります」

 吉澤被告は事故を起こして現場から発進した後、次の赤信号で停止するという正常な運転をしている。「このことから考えると、直前に起こした事故はアルコールの影響で正常な運転ができなかったためではなく、前方不注視という過失によるものだったという疑いが残るのです。そのため捜査機関は慎重な選択をせざるを得なかったのだと考えられます」(江口弁護士)

 吉澤被告の量刑はどうなるのか。

「過失の程度が重く、酒気帯び、ひき逃げの罪も加味されることを考えると、1年以上2年未満の懲役に執行猶予3~4年が見込まれます」(江口弁護士)

 被害者との間で示談が成立した場合には、刑が軽くなる可能性もあるという。しかし、仮に被害者から許されたとしても、罪を犯したことに変わりはない。

「吉澤被告は過去に一日警察署長も務めるなど、犯罪の撲滅を訴える活動もしていました。事件に対して、今後どう向き合っていくのか、公判で彼女自身が考えた言葉で語ることが期待されていると思います」(江口弁護士)

(本誌・秦正理)

※週刊朝日オリジナル限定記事

 

吉澤ひとみ被告保釈も芸能界復帰は絶望的 返り咲いた坂上忍にみる3つの境界線
秦正理,金城珠代 2018.9.27 17:39 週刊朝日
https://dot.asahi.com/wa/2018092700046.html?page=1

酒酔い運転・飲酒で不祥事を起こした芸能人
スクロールして見るなら
2018092700046_2

 酒気帯び状態で車を運転してひき逃げしたとして、道交法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)と自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致傷)の罪で起訴された「モーニング娘。」の元メンバー吉澤ひとみ被告(33)が27日午後5時半ごろ、勾留されていた東京・原宿署から保釈された。300万円の保釈金を支払ったという。

【表】吉澤ひとみだけじゃない!酒酔い運転・飲酒で不祥事を起こした芸能人

 原宿署には規制線がはられ100人以上の報道陣が待機した。白いシャツと黒いタイトスカートを着た吉澤被告は事件前よりやつれた印象で、深々と一礼。

 「がんばってー!」とファンと思われる女性の声に応えるように、「誠に申し訳ありませんでした」とつぶやくように謝罪した。その後、一礼し黒いワンボックスカーに乗り込んで署を後にした。

 1994年に飲酒運転でバイク事故を起こしたビートたけしは謹慎後に復帰し、いまや映画監督としても世界に名を馳せる存在となった。また、昼のワイドショーでMCを務める坂上忍も95年に飲酒運転を起こしていることから、吉澤被告に対してどんな発言をするかもネット上では注目されている。

 飲酒運転が厳罰化され、世間の目も厳しくなっているという時代の変化はあるものの、事故後も第一線で活躍する芸能人と引退に追い込まれる人の境界線はどこにあるのか。芸能レポーターの石川敏男さんは、「所属する事務所の大きさと、起こした事件や不祥事の内容、世間の受け止め方という3つの点が関係する」と指摘する。

「吉澤被告の場合、飲酒運転したうえに、通行人にけがをさせ、しかもその場から逃げてしまった。そして彼女の供述と警察が調べあげたことが食い違っていたことから、10日間も勾留延長され、その間にマスコミにはああでもない、こうでもないと書かれてさらにイメージを悪化させました。罪を償った後も、世間は彼女がバラエティー番組などに出てものをしゃべることを許さないでしょう。復帰は非常に難しいと思います」

 昨年、酒気帯び運転で逮捕、略式起訴されたお笑い芸人のガリガリガリクソンは、免許を返納し芸能界に復帰している。前出の石川さんは事故を起こさなかったことに加え、「芸能人としての知名度がそこまで高くなかったから」と分析する。そういう意味では“国民的アイドルグループ”の中心的な存在だった吉澤被告とは影響力が大きく違う。

「結果論ですが、なぜ自分で運転したのか。なぜ逃げたのか。他のタレントも今回の件を肝に銘じて、襟を正すべきだと思います」(前出・石川さん)

(本誌・秦正理、AERA dot.編集部・金城珠代)

 

吉澤ひとみが引退表明【コメント全文】「母として恥ずかしくない行動ができるよう」
9/28(金) 20:06配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180928-00000115-dal-ent

スクロールして見るなら
2018092800000115dal0005view  吉澤ひとみ被告の直筆署名入りファクス

 酒気帯び運転でひき逃げしたとして、自動車運転処罰法違反(過失傷害)と道交法違反の罪で逮捕・起訴されたアイドルグループ「モーニング娘。」の元メンバーでタレントの吉澤ひとみ被告(33)が28日、芸能界からの引退を表明した。報道各社に宛てたファクスで「罪を償い、一社会人として母として恥ずかしくない行動ができるよう、一歩一歩進んで参ります」などのコメントを発表した。以下、吉澤被告のコメント全文。

【写真】吉澤ひとみ被告 顔やつれ表情うつろ…「なぜ逃げた?」に無言

   ◇  ◇

 私、吉澤ひとみは、この21日間独りでこれまでの人生を振り返り、自分自身と向き合う中で、自分の弱さと未熟さを自覚しました。

 今回の私の行動は、決して許されることではありません。なにより、怪我をされた方々に深くお詫びを申し上げます。

 そして、一日も早く回復され、元の生活に戻れることを心から祈っております。

 今後は自分が犯した罪を償い、一社会人として母として恥ずかしくない行動ができるよう、一歩一歩進んで参ります。

 また、今まで18年間お世話になった芸能界からは引退致します。

 今回の件で、ご迷惑をおかけした全ての関係者の皆様にも心よりお詫び申し上げます。今日まで応援し支えてくださったファンの皆様、ご支援いただいた皆様には、裏切るような結果となってしまったこと、本当に、本当に申し訳ございませんでした。

      吉澤ひとみ

 

吉澤ひとみ被告 執行猶予4年程度か 保釈金は「妥当な範囲の中で高めの金額」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/09/27/kiji/20180928s00041000085000c.html

20180928s00041000079000p_view 保釈される吉澤ひとみ被告(撮影・白鳥 佳樹) 
Photo By スポニチ

 酒気帯び状態で車を運転し、ひき逃げをしたとして自動車運転処罰法違反(過失傷害)と道交法違反の罪で起訴された元「モーニング娘。」の吉澤ひとみ被告(33)が27日、勾留先の警視庁原宿署から保釈された。深く頭を下げ、小さな声で「申し訳ありませんでした」と謝罪した。早ければきょう28日にも、所属事務所から無期限謹慎など厳しい処分が下されるとみられる。

 吉澤被告の量刑について、フラクタル法律事務所の田村勇人弁護士は「1年6月から2年の懲役、執行猶予4年程度になるのではないか」と話した。26日に吉澤被告は自動車運転処罰法違反(過失傷害)と道交法違反の罪で起訴された。田村氏は「過失運転致傷、酒気帯び運転、救護義務違反が適用される可能性が高い」と説明した。

 今月6日に逮捕され、16日が勾留期限だったものの、10日間延長。逮捕後の吉澤被告は時間がたつにつれて供述内容が変わっており「曖昧な供述をしたため、裏付け捜査に時間がかかったのだろう」と分析した。保釈金の300万円については「妥当な範囲の中で高めの金額」と指摘した。

 ≪交通事故相場は150万円≫保釈金は、被告人が出頭しない場合には没収されるため、被告人の経済状況や罪の重さなどで決められる。交通事故での相場は150万円ほどとされるが、飲酒やひき逃げなど悪質性が加わればその分、金額が上がる。過去に有名人の支払った保釈金としては、覚せい剤取締法違反の元プロ野球選手の清原和博氏は500万円。同法違反の歌手のASKAは700万円だった。また、著作権詐欺の音楽プロデューサー小室哲哉は3000万円、脱税の野村沙知代さんは5000万円だった。

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2018年9月26日 (水)

2018年9月25日貴乃花親方が協会に「引退」を届け出 記者会見で「真実曲げられない」

 最初に動画で、貴乃花が引退についての理由を読み上げる短縮版。次に記者との一問一答が続く全編版。関連記事は動画の後ろから。

 

貴乃花親方、相撲協会に退職届提出
時事通信映像センター
https://www.youtube.com/watch?v=mJwfmiGt2ec

2018/09/25 に公開

 

【会見全編】相撲協会に退職届 貴乃花親方が記者会見(2018年9月25日)
THE PAGE(ザ・ページ)
https://www.youtube.com/watch?v=OvUmQcuxYds

2018/09/25 にライブ配信

4分26秒(#t=4m26s)から、引退会見開始。
4分38秒(#t=4m38s)から、司会者自己紹介、長坂省(さとる)弁護士。
4分53秒(#t=4m53s)から、会場前方右側に座っている田中克郎(かつろう)顧問弁護士(左)、石原修(おさむ)担当弁護士(右)。
5分15秒(#t=5m15s)から、石原修弁護士からの報告。
6分50秒(#t=6m50s)から、年寄り貴乃花が引退についての理由を読み上げる。読み上げたあと記者との一問一答。

 

 以下、関連記事。

貴乃花親方が協会に退職を届け出 「真実曲げられない」
2018/9/25 23:179/26 10:38updated
https://this.kiji.is/417194635355309153?c=39546741839462401

417324535941235809_origin_1 日本相撲協会に退職の届け出を提出し、記者会見する貴乃花親方=25日夕、東京都港区

 大相撲の貴乃花親方(46)=元横綱、本名花田光司、東京都出身=が25日、東京都内で記者会見を開き、日本相撲協会に退職を届け出たと明らかにした。元横綱日馬富士による弟子の幕内貴ノ岩関への傷害事件で、協会の対応に問題があったとして内閣府に提出した告発状(後に取り下げ)の内容について、協会役員から事実無根と認めるよう言われたことを理由に挙げた。

 「真実を曲げることは私にはできない」と述べた。

 これに対し、相撲協会の芝田山広報部長(元横綱大乃国)は、貴乃花親方から提出されたのは引退届で、親方が辞める場合に必要な退職届ではなかったため、受理していないと説明した。

 

貴乃花親方 日本相撲協会に退職届を提出
2018年9月25日 15時00分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180925/k10011643201000.html
Internet Archive 

大相撲の元横綱の貴乃花親方が25日、日本相撲協会に退職届を提出しました。日本相撲協会は、退職届を受理していないということです。

大相撲の貴乃花親方は、25日、報道機関に対し日本相撲協会に年寄としての退職届を提出したことを明らかにしました。この中で、貴乃花親方は退職の理由については言及していません。また、貴乃花部屋に所属する力士、床山、世話人については所属先を変更する願いを相撲協会に提出したことも明らかにしました。

これについて、相撲協会の幹部は、代理人が届けを持参したことを認めたうえで、退職届を受理するかどうかはこれから話し合うことだとしています。

関係者によりますと、貴乃花親方の退職届とともに別紙も提出され、ここには元横綱 日馬富士の傷害事件をめぐって内閣府に提出した告発状をその後、取り下げたのは、みずからの弟子の関取の支度部屋での暴行の責任を取ったためで、告発状の内容は事実だとしているということです。

そのうえで、貴乃花親方は、こうした主張を取り下げてまで一門に所属することはできないと訴えているということです。

貴乃花親方は、みずからの名前を冠した貴乃花一門を率いてことし1月に解任されるまで相撲協会の理事を務めていましたが、元横綱・日馬富士の傷害事件やことし2月に行われた理事候補選挙の対応など一連の問題の責任を取る形でみずからの一門から離脱し無所属で活動をしていました。

貴乃花親方が離脱した貴乃花一門は名称を変更し、一門としてではなく阿武松グループとして活動を続けていました。

相撲協会がことし7月の理事会で、すべての親方は現在ある5つの一門のいずれかに所属することが義務づけたことで、貴乃花親方の去就が注目されていました。

こうした中、貴乃花親方は、24日、部屋の後援会のホームページで「皆様、長らく貴乃花を応援してくださりありがとうございました。

厚くお礼を申し上げるとともに弟子たちを今後、末永く応援賜りますよう何とぞよろしくお願い申し上げます」と掲載していました。

報道機関への文書の内容は

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貴乃花親方は25日、報道機関に向けて「私、貴乃花光司は、本日、日本相撲協会に対し、年寄を退職させていただく旨の退職届、及び貴乃花部屋に所属する弟子、床山、世話人全員について所属先を変更させていただきたい旨の変更願いを提出いたしました」との文書を送り、退職届と弟子などの所属先変更願いを、日本相撲協会に提出したことを明らかにしました。

兄の花田虎上さん「驚いています」

貴乃花親方が日本相撲協会に退職届を提出したことについて、元横綱 若乃花で兄の花田虎上さんは自身のブログの中で、「正直驚いています。私の推測となりますが、本来だったら協会に受理されてから発表するはずが、協会が受理する前に発表したのは受け取りを拒否されないよう、さらに会見までの段取りを整えたのではないかと思います。現段階ではそれほどの強い意志があるのではないかと考えております。もう少し状況を見守りたいと思います」としています。

川崎麻世さん「体調崩した事もあり心配」

貴乃花親方と親交のある俳優の川崎麻世さんは、自身のツイッターに「貴乃花親方が退職届を提出?知らなかった。貴ちゃんとは9月12日に両国国技館に向かう車の中で、携帯電話で話したきりだった。何かあったのだろうか?体調も崩した事もあったので心配してます」と書き込みました。

川崎さんは、先月、秋田市で行われた大相撲の夏巡業先で倒れ救急搬送された貴乃花親方に連絡をして、返信のメールが届いたことも自身のブログで明らかにしていました。

ネット上にさまざまな反応

大相撲の元横綱、貴乃花親方が日本相撲協会に退職届を提出したことについて、ネット上でもさまざまな反応が広がっています。

このうち、「貴乃花親方が辞職というのは、なかなかショッキングですよね。相撲界の事詳しくないのですが、とても残念な展開です」といった声や、「これからの巻き返しを期待していただけに…腐り切った相撲協会を立て直せるのは貴乃花親方しかいないと思ってたから残念」という声のほか、「貴乃花親方がいない大相撲なんて、ありえない。大相撲から心が離れそう」などと退職届を惜しむ声が相次いでいます。

一方、「いいんじゃないかな。合わないのに、合わせられないのにそんな職場にいたってしかたない。一度しかない人生なんだから思うように生きればよいと思うよ」とか、「仲間からも弟子からも孤立した貴乃花親方は弟子の暴行事件を境に緊張の糸が切れてしまったんだな…」などと貴乃花親方の決断に理解を示す声もありました。

このほか、「相撲協会も時間の問題でこのままではダメになると思う」とか「おかしい、明らかにおかしいって。日本相撲協会。これが相撲道を極めた理事長や理事、役員がやる事か?」などと日本相撲協会への不信感を表す書き込みがあったほか、「ひとり善がりなんだろうな?これから先も険しい人生なんだろう」などという貴乃花親方に対して冷めた見方もありました。

渋谷では

貴乃花親方が日本相撲協会に退職届を提出したことについて、東京 渋谷ではさまざま意見が聞かれました。

都内に住む78歳の女性は「兄弟で相撲を取っていた現役時代から応援してきたので残念です。ずるをしない、まっすぐな人柄が印象的です」と話していました。

近くに住む69歳の男性は「親方になってから相撲協会の中でいろいろあったと思うが、自分を突き通していたと思う。それが受け入れられなかったため、こういう結果になったのではないか。お疲れ様でしたと伝えたい」と話していました。

都内の大学3年生の男性は「弟子たちは貴乃花親方に憧れて入門したと思うので、目標を失うことになる。少し無責任に感じる」と話していました。

貴乃花親方とは

元横綱 貴乃花の貴乃花親方は46歳。
元大関 貴ノ花の次男で、現役時代は兄の元横綱 若乃花とともに「若貴フィーバー」と呼ばれる空前の相撲人気をつくりました。

平成6年の九州場所後に65代の横綱に昇進し、史上6位となる22回の優勝を果たしました。平成15年初場所で引退したあと、大相撲の発展に大きく貢献したとして大鵬、北の湖に続いて現役のしこ名のまま親方になれる一代年寄を贈られました。

平成16年に父の二子山部屋を貴乃花部屋として継いだあと、師匠として貴ノ岩や貴景勝などの関取を育てました。

また平成22年には、それまで一門と呼ばれるグループ内で候補者を調整するのが慣例となっていた日本相撲協会の理事選挙に、貴乃花親方を支持する親方とともに二所ノ関一門を離脱して立候補し、他の一門の一部の親方の支持も受けて37歳で当選しました。

そして理事を4期連続で務め、この間に審判部長や総合企画部長などを歴任しました。おととし3月の理事長を選ぶ互選では八角理事長に敗れ、協会のナンバー3にあたる巡業部長を務めていました。

しかし、去年10月に起きた元横綱 日馬富士の傷害事件をめぐる対応が問題視され、ことし1月に理事を解任されたほか、ことし3月には弟子の貴公俊の暴行問題の責任を問われるなどして、親方として最も下の階級である「年寄」への降格処分を受けました。

3月末からは審判部に配属され、土俵下で審判を務め、ことし7月から全国各地で行われている夏巡業にも帯同していました。

大相撲の「一門」とは

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大相撲の「一門」は親方どうしが師匠と弟子の関係にあるなど、ゆかりの深い相撲部屋でつくるグループの名称です。

現在は出羽海一門、二所ノ関一門、高砂一門、時津風一門、伊勢ヶ濱一門の5つがあります。

日本相撲協会はことし7月の理事会で、すべての親方はいずれかの一門に所属することを義務づけ、かつて貴乃花一門に所属していた阿武松親方などは二所ノ関一門に、立浪親方などは出羽海一門に所属する予定になっていましたが、貴乃花親方は今後について明らかにせず、去就が注目されていました。

 

貴乃花親方、廃業 「引退」届け出て会見
2018年9月26日 紙面から
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sumo/news/CK2018092602000185.html

Pk2018092602100098_size0 厳しい表情で記者会見する貴乃花親方=東京都港区で(七森祐也撮影)

 大相撲の貴乃花親方(46)=元横綱=が25日、東京都内で記者会見し、日本相撲協会に引退届を提出したことを明らかにした。3月に内閣府へ提出した告発状の内容が事実無根であると認めるように、協会から圧力を受けたことが主な理由。新団体の設立を否定するなど、今後も協会と争う姿勢は見せなかった。協会は圧力を否定し、引退届は受理できないとの認識を示した。

 平年寄に降格し、一兵卒として出直しを誓ってからわずか半年。やはり、貴乃花親方は自分の思いを曲げてまで相撲協会に居続けることはできなかった。

 六本木ヒルズで開かれた会見には黒いスーツに身を包んで姿を現した。入門してから31年。なぜ協会を去らなければならなかったのか。貴乃花親方は穏やかな口調ながら、視線をそらすことなく語り始めた。

 「8月7日に日本相撲協会より、協会が依頼された外部の弁護士の見解を踏まえたとする書面が届きました。その書面では、『告発状は事実無根な理由に基づいてなされたもの』と結論付けられておりました。告発状の内容は事実無根でないことを書面で説明してきましたが、その後、告発状の内容が事実無根な理由に基づいてなされたものであることを認めないと親方を廃業せざるを得ないなど、有形無形の要請を受け続けてまいりました。事実を曲げて、告発は事実無根だと認めることは私にはできません」

 昨年10月に弟子の貴ノ岩が元横綱日馬富士から暴行を受け、その後の協会の対応に疑問を感じた。真実の追求を理由に3月9日、内閣府公益認定等委員会へ告発状を提出。協会との対決姿勢が鮮明になった。

 名古屋場所後の理事会では、協会が一丸となっていくため、無所属の親方は5つある一門のいずれかに所属することが義務付けられた。だが、協会を告発した貴乃花親方の意志が変わらないのであれば、いずれの一門も受け入れを保留せざるを得ない。

 ただ、一門に所属できなければ親方業務ができないとは決められていない。「ある役員から場所の後半戦にそのような話を聞いた」という貴乃花親方とは認識のずれもあったようだ。

 結局、この日の早朝、信念を曲げることよりも退職することを決断。弟子らに伝えた後、代理人を通じて相撲協会へ引退届を提出した。協会に最後の物言いをつけた貴乃花親方は「戦う姿勢とかはもうございません」と協会とは一線を引く考え。今後は、力士を目指す子どもたちへの普及活動をしていくという。

 2003年初場所で現役を引退したときの会見では「非常にすがすがしい気持ち」と晴れやかに語ったが、この日は「断腸の思い」「無念」「苦渋の決断」という言葉を何度もくり返した。信念を貫いた末とはいえ、一時代を築いた「平成の大横綱」が不本意な形で協会を去った。 (岸本隆)

 

貴乃花親方、引退届の理由「協会の有形無形の重圧」
[2018年9月25日22時23分]
https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201809250000639.html

201809250000641w500_0 日本相撲協会に退職届を提出した貴乃花親方は経緯を説明した文書を胸に仕舞い表情を引き締める(撮影・小沢裕)

大相撲の貴乃花親方(46=元横綱)が25日夕方、日本相撲協会に引退届を提出後、都内で引退記者会見を開いた。貴乃花親方は「私貴乃花光司は、年寄を引退する旨の届けを提出いたしました」と語った。力士ら部屋の一同は、継承者である千賀ノ浦部屋に所属先を変更することも明らかにした。

貴乃花親方は年寄引退の理由として、元横綱日馬富士の貴ノ岩に対する傷害事件に関する暴行事件について、3月に内閣府公益認定等委員会に提出し、後に貴公俊が付け人を数発殴った暴力問題もあり取り下げた告発状について、日本相撲協会から「告発状は事実無根な理由に基づいてなされたもの」と結論づけられた揚げ句、認めないと親方を廃業せざるを得ないなどの有形・無形の要請を受け続けたことだと告白した。

貴乃花親方は、文書を手に状況を説明した。

「本年3月9日、私は貴ノ岩に対する傷害事件に関する日本相撲協会の対応などについて真実を隠さず追及したいという気持ちで、内閣府公益認定等委員会に告発状を提出いたしました。その後、私の弟子(貴公俊)の不行き届きもあり3月28日付で告発状を取り下げましたが、告発状の内容には何ら事実に反する点はありませんでした。その後、私は、先般受け取りました降格処分を真摯(しんし)に受け止め、一兵卒としてゼロからスタートさせていただき、部屋に所属する力士に対する指導・監督及び審判としての業務に粛々と従事してまいりました」

貴乃花親方は、告発状の内容が正しいと信念を持ちながらも、協会の一員として処分を受け入れたと明かしたが、その後、8月7日に協会から送られてきた、告発状に関する見解が記された文書に納得できなかったこと、協会側の考えを認めない限り、廃業を迫られんばかりの重圧を受けたと告白した。

「しかし、本年8月7日、日本相撲協会より、協会が依頼された外部の弁護士の見解を踏まえたとする書面が届きました。その書面では『告発状は事実無根な理由に基づいてなされたもの』と結論づけられておりました。これに対し、私は書面で、告発状の内容は事実無根ではないことをご説明してまいりましたが。その後、告発状の内容が事実無根な理由に基づいてなされたものであることを認めないと親方を廃業せざるを得ないなどの有形・無形の要請を受け続けてまいりました」

また協会が、全ての親方は一門に属さなければならないと決定したこと、一門にはいるための条件として告発状の内容を事実無根と認めるよう要請を受けたと語った。

「さらに今般日本相撲協会理事会において、全ての親方は一門のいずれかに所属しなければならず、一門に所属しない親方は部屋を持つことが出来ない旨の決定がなされたとのことですが、同時に私はいずれかの一門に入るための条件として、告発の内容は事実無根な理由に基づいてなされたものであると認めるようにとの要請を受け続けております。しかしながら、内閣府公益認定等委員会に告発状を提出した告発状は、事実無根な理由に基づくものではございません。真実を曲げて、告発は事実無根だと認めることは、私にはできません」

貴乃花親方は、自らと協会との対立によって、弟子が相撲を取れなくなると考え、自ら引退に踏み切ったと明らかにした。

「一方でこのままでは、私はどの一門にも属することができません。これでは貴乃花部屋に所属する力士たちは相撲を続けることが困難になり、安心して鍛錬、精進することができません。このような状況において、断腸の思いではございますが、貴乃花部屋に所属しております、力士、床山及び世話人は、全員、継承者である千賀ノ浦部屋に所属先を変更させていただき、私、貴乃花光司は、本日年寄を引退させていただくことが最善の道であると苦渋の決断をするに至った次第です」

会見冒頭で、石原弁護士は「午後1時、日本相撲協会に対し、年寄貴乃花の代理人として、年寄を引退する旨の引退届を出し、力士、床山、世話人の千賀ノ浦部屋への所属先の変更願いも提出しました」と明らかにした。

貴乃花親方は報道陣へのファクスに「退職の理由については、ご説明の場を設けさせていただく所存ですので、ご報告させていただきます」などど記した。前日24日には「貴乃花応援会」のホームページにコメントを投稿。「千秋楽迎え、貴乃花部屋を支えて下さる皆様へ」と題し「皆様長らく貴乃花を応援してくださりありがとうございました。厚く御礼を申し上げるとともに、弟子たちを今後、末永く応援賜りますように何卒宜しくお願い申し上げます」などと記していた。

日本相撲協会は27日の理事会までに、全ての親方が5つある一門のいずれかに所属しなければならない旨を通達。全親方のうち、貴乃花親方だけが、所属先が不透明のままだった。【村上幸将】

 

海老蔵、貴乃花親方の引退嘆く「こんな事があって良いのでしょうか」「ただただ悲しい」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/09/25/kiji/20180925s00041000226000c.html

20180925s00041000225000p_view 歌舞伎俳優の市川海老蔵
Photo By スポニチ

 歌舞伎俳優・市川海老蔵(40)が25日、自身のブログを更新。都内で年寄引退会見を行った大相撲の貴乃花親方(元横綱、46)について「こんな事があって良いのでしょうか」と嘆いた。

 「稽古中で会見見れませんでしたが、こんな事があって良いのでしょうか」と貴乃花親方の引退会見を報じたネットニュースの画像を掲載して「貴乃花親方引退。私は詳しくわかりませんが、こんな事があって良いのでしょうか」とつづった。

 「相撲を愛する一人として ただただ悲しい」と思いを打ち明けた。

 貴乃花親方は25日、都内で年寄引退会見を開き、日本相撲協会に退職届を出した理由について説明。協会側から貴ノ岩への暴行問題についての告発状は事実無根だといわれ「親方を廃業せざるを得ないという有形無形の要請を受けてきた」と圧力があったと主張した。

[ 2018年9月25日 18:56 ]

↑↓記事中言及されている市川海老蔵のブログエントリは下記

稽古中で会見見れませんでしたが、
2018-09-25 18:35:02
https://ameblo.jp/ebizo-ichikawa/entry-12407516903.html

 

貴乃花部屋が賃貸物件?顧問弁護士が一部報道を完全否定「全くそんなことはない」
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2018/09/26/kiji/20180926s00005000329000c.html

20180925s00005000408000p_view 日本相撲協会に退職届を提出し、会見を開いた貴乃花親方
Photo By スポニチ

 日本相撲協会に引退(退職)届を提出した大相撲の貴乃花親方(46=元横綱、本名・花田光司)の顧問弁護士が26日、貴乃花部屋が既に賃貸物件として出されているという一部報道を完全否定した。

 東京都江東区の同部屋で報道陣の取材に応じ、「仲介している不動産業者にもオーナーにも確認しました。全くそんなことはない。想像ですが、親方が借りる前のビラを意図的に悪意を持って使ったとしか考えられない。親方になんら取材もない」と説明。「親方も、この土俵とともに生きていきますとおっしゃっています」と手放していないことを強調した。

 また顧問弁護士は当該の報道機関に警告状を出し、報道各社にはその通知書をFAXで送ったことを報告。「謝罪文の掲載を要求し、その末尾には追って法的手続きを検討していただく旨のことが書いてあります」と語った。

[ 2018年9月26日 20:10 ]

 

参考:↑上記記事関連↓悪意を持って書かれたような記事

貴乃花部屋物件は「即入居可」 東京・江東区東砂
[2018年9月26日22時11分]
https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201809250001024.html

201809250001010w500_0 貴乃花部屋=2018年1月4日

貴乃花親方が、東京・江東区東砂に構える貴乃花部屋をすでに手放していたことが25日、分かった。会見で貴乃花親方は、土俵と共に部屋を残す意向を示した。だが「即入居可」の貸倉庫物件として、不動産業者などが、新たな入居者を募集していた。

現在、貴乃花部屋として構えている物件は、1カ月74万円余りで新たな入居者を募集していた。「即入居可」の貸倉庫として、もちろん相撲部屋だけではなく一般企業なども対象に広く募集。不動産業者は「手続きがスムーズに進めば2週間で入居できる物件です」と説明。2週間後には、企業のオフィスなどとして、利用が開始される可能性が出ていることが判明した。

部屋ではまだ力士らが生活しており、この日の朝には、貴乃花親方が退職の届け出を提出することを弟子に説明していた。何よりも日々の稽古を通じ、師弟ともに汗と思い出の詰まった場所。会見で貴乃花親方は「土俵に鍛えられてきたので(今後も)土俵には携わっていきたい。住まいでもある部屋には土俵もあるので、土俵は存続させたい」と話していた。だが実際には、すでに手放していた。

若い力士が多く、千賀ノ浦部屋への所属先変更を知らされたばかりで、心の整理をつけるのも難しい。その中で、引っ越し作業、さらには11月の九州場所に向けて荷造りを並行して行わなければならない。現在8人在籍する力士のうち、関取衆は3人。若い衆と分け隔てなく、所属先変更の完了に向けた手続き、業務が急務となる。

この日の朝は部屋の前のガレージに、支度部屋で使う座布団などが入った明け荷が無造作に置かれていた。親方から説明を受ける前、明け荷を片付けていた春場所初土俵の貴正樹は「昨日(24日)から結えるようになりました」と、結って2日目のまげを誇らしげに触っていた。明け荷を入れるため開けたシャッターの内側には、引っ越しが迫る部屋とはほど遠い、山ほどの荷物が積まれていた。

 

関連エントリ:
貴乃花引退会見後に出た記事、ほか関連記事。相撲協会の悪評は広がるばかり。

白鵬はインチキ横綱。それが調べた結論。プロレス相撲はいらない、横綱の資格を剥奪すべきだ。

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2018年9月16日 (日)

抱っこで自転車、悲劇生んだ 子ども死亡、母を書類送検

 電動ママチャリ(正確には電動アシスト自転車 以下同じ)が増大の一途。電動は簡単に加速できるからか、歩道を信じられないようなスピードですれ違ったり追い抜いたりするママチャリも多い。幼児用後部座席の後ろに買い物袋の様なのをブラブラさせながら狭い歩道をスピード出して追い抜いていったママチャリにビックリした事もある。電動で簡単に加速できるのと、スピードを出している方がバランスが取りやすいのか、総じて電動ママチャリはスピード過多だ

 歩道があるのに片側一車線の車道を逆走しているママチャリも何度か見てます(東京なので普通に通行量がある道路)。自転車乗りながらのスマホなんてのはもう珍しくもない。2017年12月神奈川県川崎市で、電動アシスト自転車「ながらスマホ」の女子大生が歩行者専用道路を走行し、スマホの操作に気を取られて脇見運転、歩いていた女性に衝突して死亡させた事故があった。※

電動アシスト自転車は免許制にするべきだ。教習内容は電動アシスト自転車の特性(自転車の先入観で乗ると危ない 一般の自転車とは全く違う操作)、安全な乗り方、道路交通法、常識的なマナー(事故防止に役立つ知識と、論評・批判の記事を後ろで採録

 

 以下、今年7月5日午前8時25分ごろ、横浜市都筑区で起きた電動ママチャリの事故記事。

抱っこで自転車、悲劇生んだ 子ども死亡、母を書類送検
2018年9月15日05時00分
https://www.asahi.com/articles/ASL9C5FHHL9CULOB019.html

As20180914005338_comm3人乗り自転車の事故のイメージ


As20180914005560_comm 3人乗りが認められる例(神奈川)

 電動自転車で走行中に転倒し、抱っこしていた当時1歳4カ月の次男を死亡させたとして、神奈川県警は14日、横浜市都筑区の保育士の母親(38)を過失致死の疑いで書類送検した。県警への取材でわかった。専門家や業界団体は、乳幼児との同乗はバランスが不安定になりがちだとして注意を促している。

 県警都筑署によると、母親は7月5日午前8時25分ごろ、同区の市道で、次男を抱っこひもで前に抱え、左手首に傘を提げた状態で電動自転車を運転。過失によって転倒して次男の頭を強く打ち付け、死亡させた疑いがある。雨が降っていて母親はかっぱを着ていたが、提げていた傘が自転車のフレームと前輪の泥よけの間に挟まったことで、ハンドルが動かなくなり、転倒につながったと署はみている。

 母親は前部の幼児用座席に事故当時2歳だった長男を乗せ、次男とともに保育園に送り届ける途中だった。ヘルメットをかぶっていた長男にけがはなかった。自転車は前後に幼児用座席が取り付けられ、幼児2人を乗せる安全基準を満たしていたが、後部席には荷物を置いていたという。(安藤仙一朗)

 

自転車転倒1歳死亡、抱っこ運転の母親書類送検
2018年09月15日 23時12分
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180915-OYT1T50078.html

20180915oyt1i50031l 事故発生時のイメージ

 電動自転車で走行中に転倒し、胸に抱いていた次男(当時1歳4か月)を死亡させたとして、神奈川県警都筑署が14日、母親の保育士(38)(横浜市都筑区)を過失致死の疑いで横浜地検に書類送検していたことが同署への取材で分かった。刑事処分の判断を地検にゆだねる「相当処分」の意見を付けた。

 自転車の乗車を巡っては、神奈川県では、前後の幼児用座席に乗せたり、ひもで背負ったりして運転者を含め計3人の乗車を容認しているが、前に抱いた状態で運転することについては定めがない。同署は、次男を前に抱えた上、傘を手首に掛けたまま自転車を運転した一連の行為を過失ととらえた。

 同署によると、母親は7月5日午前8時25分頃、同区の市道で、次男を抱っこひもで前に抱え、左手首に傘をぶら下げた状態で電動自転車を運転。自転車のフレームと前輪の泥よけの間に傘が引っ掛かってハンドルが動かなくなり、バランスを崩して転倒、次男の頭を地面に強く打ち付けて死亡させた疑い。母親は「子供が前にいると顔が見えて安心だった」と話していたという。

2018年09月15日 23時12分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

 

 下記記事は東京新聞。どう言う訳か「電動」のキーワードが全然出て来ない。事実を伝えない駄目記事。

子と同乗の自転車事故多く 都内1349人搬送 16年までの6年
2018年9月16日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201809/CK2018091602000137.html

Pk2018091602100067_size0 子どもを含め2人以上で乗れるかどうかの例(神奈川県)

 神奈川県警都筑署は十四日、七月に親子三人乗りの自転車で転倒し、胸に抱えていた次男=当時(1つ)=を死なせた疑いで母親(38)を書類送検した。同県では二〇一三年にも川崎市で親子三人乗り自転車の事故が起き、当時五歳の女児が死亡している。

 親子が同乗した自転車の事故は後を絶たない。保育園の送迎などに使いたい親の要請に応え、幼児用座席設置といった条件の下に例外的に認めてきた形だが、二、三人乗りはバランスを失いやすいため転倒と隣り合わせだ。警察などは安全確保にヘルメット使用などを強調。一方で「事故撲滅は至難」(自転車業界関係者)との見方も多い。

 消費者庁によると、一六年までの六年間に東京都内で、幼児用座席に子どもを乗せた自転車の事故で千三百四十九人が搬送された

 七月の事故で死亡した男児は「前抱っこ」されていた。神奈川県警はハンドル操作の支障になりやすいとして抱っこしたままの運転は認めていない。

 ひもで「おんぶ」しての運転や幼児用座席を使った二、三人乗りは許可。だがバランスを崩せば「二輪車である以上、転倒は完全回避できない」(自転車関連NPO法人理事長)のが実情だ。

 警察や自転車協会はヘルメット、幼児用座席のシートベルトの着用を訴える。

 

危険!「抱っこひも」走行 必ずヘルメット着用を
社会|神奈川新聞|公開:2018/07/22 02:00 更新:2018/07/22 17:54
http://www.kanaloco.jp/article/347736

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今回の自転車の状況

 横浜市都筑区で今月、母親が運転する自転車がバランスを崩して転倒し、「抱っこひも」を使って胸の前に抱えていた1歳児が頭部を強く打って、死亡する事故があった。自転車の2人乗り禁止の例外を規定した県道交法施行細則で、ひもなどで幼児を抱っこして乗る行為は禁止されている。県警は、痛ましい事故の再発を防ごうと、細則の周知や順守の徹底を図る。

 事故は5日朝に発生。保育士の母親(38)は、電動アシスト自転車の幼児用座席に長男(2)を乗せ、抱っこひもで次男(1)を胸の前に抱えて運転していた。県警によると、母親はハンドル付近に傘を提げて走行していたといい、何らかの理由で傘が前輪に引っ掛かり、バランスを崩して転倒したとみられる。母親とヘルメットを着用していた長男は無傷だったが、未着用だった次男は頭部を強打して、約6時間後に亡くなった。

 細則では、自転車に幼児を乗せる場合、16歳以上が運転することを条件に、幼児用座席を使うなどして2人までの乗車を認めている。ひもなどを使う場合は、幼児を背負うことは容認する一方、胸の前に抱えることは「ハンドル操作に悪影響を及ぼし、視界を遮るおそれもある」(県警)などとして禁じている。

 県警は今回のケースについて細則に抵触するとみて、母親を過失致死容疑も視野に捜査。これまでも細則に関し、幼児のいる父母らにイラスト入りの啓発資料を配布するなどして周知してきたとしているが、今回の事故を受け「さらに浸透するよう努める」(交通総務課)としている。

必ずヘルメット着用を

 ただ、抱っこひもによる乳幼児の転落などの事故は、自転車の運転時に限らず散見されている。消費者庁は「細則で認められているとしても、背負うことを含め安全ということではない」と戒める。その上で、致命傷になりかねない頭部を防御する大切さを指摘し、「ヘルメット着用で幼児用座席に乗せるのが基本」との見解を示す。

 子どもの安全確保を考えるNPO法人「Safe Kids Japan」は東京工業大と協力し、おんぶや抱っこの状態で、幼児を自転車に乗せる危険性について検証。人形を使った転倒実験では、転倒の弾みで、運転している人が幼児にのし掛かるような体勢になり、子どもを押しつぶしてしまう可能性があることが分かったという。

 小児科医で同法人の山中龍宏理事長=横浜市泉区=は、事故時のリスクが高いことから「背負うことを含め、ひもなどを使って自転車に幼児を乗せることは規制するべき」と主張する。その上で「自転車は手軽で便利な半面、ちょっとしたことで不安定になる。誰もがひやりとした経験があるはずで、その時の教訓を安全運転に生かしてほしい」と話す。

 県警によると、自転車に同乗していた6歳未満の子どもの死傷者数は2017年に144人。けがをした主な部位では頭部が、4割近い52人で最多だった

 

 以下、事故防止に役立つ知識と、論評・批判の記事

乗り方次第で事故に遭う・電動アシスト自転車特有のクセ
http://e-bicycle.me-ta-bo.com/norikata.html

一般の自転車とは全く違う、電動アシスト自転車の操作

電動アシスト自転車は、一般の自転車に比べると、操作法や乗り方が全く異なります。操作方法の知識だけでなく、実際の操作を体に覚え込ませることが、事故を回避する為にも重要です。電動アシスト自転車での事故理由で一番多いのが、交差点で一時停止をしなかった、それによる出会い頭の事故がトップとなっています


記事一覧:
1.電動アシスト自転車の操作法
2.まずはスイッチをONにする
3.スイッチをONにするタイミング
4.すすめられない危険な電動アシスト自転車の乗り方
5.事故に遭わない安全な電動アシスト自転車の乗り方
6.チャイルドシートに子供の乗せる順序、降ろす順序


電動アシスト自転車の操作法

電動アシスト自転車は電気の力を借りて走る乗り物です。City_2

一般の自転車と違い、電動アシスト自転車特有の使い方があります。

その使い方を知っておかないと、思わぬ事故につながることになります。


まずはスイッチをONにする

電動アシスト自転車はスイッチをONにしないと、ただの重い自転車としてしか機能しません。Sw

走れることは走れますが、一般車と比べ重量が重く、上り坂では重い荷物を乗せたように負担になります。

テレビのスイッチをONにしてテレビを見るように、電動アシスト自転車のスイッチをONにしてから使います。

多くの車種が、左側ハンドル上にある操作スイッチでON、OFFを行います


スイッチをONにするタイミング

電動アシスト自転車は、電源スイッチがあることが、一般自転車との大きな違いです。

そしてスイッチONするタイミングを覚えることが一番大事なことです。

スイッチをONにする時は、必ず平らで足場の良い地面を選びます。

まず電動アシスト自転車にまたがり、左右の足は必ず地面に着地した状態でスイッチをONにします。

そのままの状態で1~2秒待つと初期設定(キャリブレーション)が終わり準備完了です。

スイッチをONにするだけでは走りだすことはありません。


すすめられない危険な電動アシスト自転車の乗り方

多くの電動アシスト自転車はペダルを踏み込んだ時、踏んだ力に応じたアシスト力で走るように作られています。Cont_panel

つまり片足だけでもペダルに乗せた状態でスイッチをONにすると、電動アシスト自転車は勝手に走り始めてしまいます。

電動アシスト自転車のスイッチ

1. 片足をペダルに乗せたままスイッチをONにする動作を思い浮かべてください

片足がペダル、反対の足が地面、右手がハンドルを握り、左手で操作スイッチ、 ここでスイッチをONにすると、片足片ハンドルのまま動きだし、思わぬ方向に進みバランスを崩して転倒の危険があります。

2. 片側のペダルに全体重が乗るような乗り方(いわゆるけんけん乗り)をすることを思い浮かべて下さい

先ほど電動アシスト自転車は「踏んだ力に応じたアシスト力」を発生するように作られていると書きましたが、けんけん乗りは正にこの状態になります。

電動アシスト自転車は「強いアシスト力が必要」と解釈し、急発進して振り落とされてしまう危険があります。

3. 交差点で信号待ちの時を思い浮かべてください

ブレーキハンドルを握らず、不用意にペダルに片足を乗せると、急に走りだしてしまいます。

オートマチックの自動車のように、ブレーキを踏まないでいると除々に前に進むのと同じで、交差点でペダルを乗せたまま停まるのは事故につながります。

4. 子供を前後に乗せて走ることを想像してください

電動アシスト自転車の重さは、一般の自転車と比べても2倍以上の平均25kg程度、前後に10kgの子供、お母さんが50kg、合計で95kg程度の重さになりますCycle3

買い物をして荷物がたくさんある時と同じように、同じ速度からブレーキをかけても、止まるまでの距離は想像以上に伸びてしまいます。

登り坂では電動アシストをしてもらえますが、下り坂ではモーターの若干のブレーキ効果と、ブレーキレバーだけが頼りとなります

重量のある電動アシスト自転車で安全に停止するには、安全な場所で止まる練習し、体にしっかりと覚えさせておくことが大事です。


事故に遭わない安全な電動アシスト自転車の乗り方

 ・スイッチをONする時は電動アシスト自転車にまたぎ、必ず両足を地面につける
 ・けんけん乗りなど、急発進につながる乗り方をしない
 ・交差点など停止時は必ず両ブレーキを掛け、両足は必ず地面につける
 ・ブレーキを掛けてから止まるまでの距離を体得しておき、早めに掛けるよう心がける


チャイルドシートに子供の乗せる順序、降ろす順序

チャイルドシートに子供を前後に乗せる場合、降ろす場合、順序を間違えるとバランスを崩し、子供を乗せたまま自転車が転倒するおそれがあります、

この順序だけは確実に覚えて下さい。

■ 子供を乗せる時

後ろに子供を乗せてから前に子供を乗せる

■ 子供を降ろす時

前の子供を降ろしてから後ろの子供を降ろす

後ろのチャイルドシートは、スタンドを掛けた状態だと割と安定していますが、前のチャイルドシートは、ハンドルをしっかりと押さえていないと、少し子供が動いただけで 自転車のバランスを崩します。

この順序をしっかり覚えて、事故に合わないよう注意して下さい。

 

危ない電動アシスト自転車!スピード出過ぎ、重くて転倒・・・
2017/9/21 16:06
https://www.j-cast.com/tv/2017/09/21309106.html

 幼児を乗せるお母さんに人気の電動アシスト自転車に、スピードが出過ぎる、重くて倒れるなどのトラブルが増えている。中村直子さん(主婦)は子どもを後ろにのせたまま駐輪場のラックに入れようとして、自転車ごと向こう側に倒れてしまった。重みを支えきれなかったのだ。

 比留木剛史アナが注意を呼び掛けた。「電動アシスト自転車はモーターと電池で5キロ、チャイルド座席の5キロも加わるので38キロもあります。これに16キロのお子さんを乗せると54キロ。さらに、こぐのが軽いので、買い物などの荷物もたくさん積んでいるのではないでしょうか。降りて押している時にちょっとでも傾いたら、重さを支えきれません

 子どもも大けがをしかねない。ゲストの益若つばさ(タレント)は「わたしも坂を押して下りているときに同じ経験しました。子どもにけがはさせずにすみましたが、怖くてあんまり乗らなくなりました」と話す。

ネットにはこがなくても加速していく違法商品

 道路交通法ではアシスト力は人力の2倍までと定められているが、なかには100~200倍というアシスト過剰のものがある。足でこぐのをサポートするのではなく、ペダルの回転だけでモーターが働く仕組みになっていて、ほとんど電動オートバイ、電動スクーターである。国民生活センターと消費者庁は「基準を越えたアシスト力が不意に加わって、バランスを崩す危ない事故の恐れがある」と注意を喚起している

 比留木アナが試乗してみると、「ああああ~、軽く回しているだけなのにどんどん加速していきます。ペダルから足を離しても、スピードを上げたまま走っていきます。街中で乗るのは怖いです」

 こうした"違法自転車"はネットなどで安く売られていて、警察庁は7車種について注意を呼び掛けた。柳澤秀夫キャスターが憤然としていう。「注意だけじゃなくて、販売そのものをやめさせた方がいいですよ」

 購入する時に安全性を確認する目安はないのか。「自転車協会が基準をクリアした自転車にBAAマークを付けています。専門家はこのマークの付いた自転車を、自転車安全整備士がいるお店で購入することをすすめています」(比留木アナ)

 電動自転車に子どもを乗せたお母さんが、猛スピードで走っているのも街ではよく見かける。こっちもよくよくご注意を。

カズキ

 

2018年9月21日(金) 10時15分
電動アシスト自転車のJISを改正、多様なモデルに対応
https://response.jp/article/2018/09/21/314220.html

経済産業省は、電動アシスト自転車に関するJISを改正したと発表した。電動アシスト自転車は、従来の高齢者向けから、子育て世代向けの幼児2人同乗用自転車、若年層向けへと、用途が広がっている。

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電動アシスト自転車

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駆動補助力の比率検査装置の概観図

経済産業省は、電動アシスト自転車に関するJISを改正したと発表した(20日)。

電動アシスト自転車は、従来の高齢者向けから、子育て世代向けの幼児2人同乗用自転車、若年層向けへと、用途が広がっている。

こうした状況を受けて、今回、電動アシスト自転車のアシスト比率の測定方法について、国家公安委員会が行う型式認定基準に準じて、規定内容の表現方法変更や、曖昧な箇所を明確にし、多種多様な電動アシスト自転車に対応できるように、「JIS D9115」(電動アシスト自転車)を改正した。

JIS D9115は、電動アシスト自転車の安全要求事項や試験方法について規定化して、電動アシスト自転車の普及拡大に寄与する重要な規格。

このうち、附属書B(原動機の基準の細目及び時間応答性の基準)は、道路交通法施行規則をもとに国家公安委員会が行う「駆動補助機付自転車の型式認定基準」と同等のもので、電動アシスト自転車のアシスト比率の測定方法を定めている。

多種多様な機構・機能をもつ電動アシスト自転車のアシスト比率を適正に測定評価するため、2017年10月30日付で型式認定基準が改正された。この改正を受け、同基準を引用している附属書Bを改正した。

《レスポンス編集部》

 

2017年7月3日(月) 13時15分
電動アシスト自転車2機種、公道走行は違法---警察庁が注意喚起
https://response.jp/article/2017/07/03/296908.html

警察庁は、電動アシスト自転車のカイホウジャパンの「KH-DCY700」と日本タイガー電器の「バイシクル-206アシスト」の2機種のアシスト比率が基準に不適合だったとして道路の通行を認めないと発表した。

警察庁は、電動アシスト自転車のカイホウジャパンの「KH-DCY700」と日本タイガー電器の「バイシクル-206アシスト」の2機種のアシスト比率が基準に不適合だったとして道路の通行を認めないと発表した。

国民生活センターが電動アシスト自転車9製品について確認したところ、これら2製品は道路交通法施行規則に定められているアシスト比率の基準を超えていることが判明した。

警察庁では2製品は、道交法上の自転車ではなく、原動機付自転車に該当するが、道路運送車両の保安基準に適合しないため、公道を走行できないとしている。このため、これら製品を製作・販売している事業者に、今回の結果を周知するとともに、消費者からの問い合わせ窓口の設定を要請した

カイホウジャパンは、対象製品の利用者に使用を自粛するよう要請するとともに、問い合わせ先に連絡するよう呼びかけている。

経済産業省は、電動アシスト自転車に関するJISを改正したと発表した。電動アシスト自

《レスポンス編集部》

 

2017.04.05 企業・業界企業・業界
蔓延する「違法」電動アシスト自転車は危険!事故リスク大、違法商品はこう見抜け!
文=OFFICE-SANGA
https://biz-journal.jp/2017/04/post_18590.html

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「Thinkstock」より

 健康のことを考えて、自転車通勤を始める人が年々増えているようだ。特に、電動アシスト自転車は、長距離運転や坂道でも快適に走ることができるとして注目を集め、新製品も続々と登場している。

 インターネット通信販売でも、手ごろな価格の製品を見かけるが、なかには「違法」とされるものがあるので注意が必要だ。

 2016年10月、警察庁は電動アシスト自転車として販売されている商品のうち、道路交通法の基準に適合しない製品を発表した

 ここで問題となったのは、「アシスト比率」だ。道路交通法では、人がペダルを踏む力とモーターの補助力の比を、走行速度時速10km未満では最大で1:2と定めている。時速10km以上では走行速度が上がるほどアシスト比率を徐々に減少させ、時速24km以上のときには補助力が0にならなければならない

 この基準に適合しない製品を公道で使用することは違法であり、ひいては事故につながる可能性もあるという。しかし、実際には違法自転車が市場に出回ってしまっているのだ。

 基準適合外となる電動アシスト自転車を扱っていたとされる企業数社に問い合わせたが、いずれも「担当者不在」などとして回答を得られなかった。そんななかで、丁寧に答えてくれたのが株式会社永山だ。

「基準外と指摘を受けた製品は、ある商社を通して海外から輸入したものです。最初に仕入れたのは5年ほど前で、合計200台弱を販売しています。恥ずかしながら、当時はアシスト比率に対する知識も少なく、製品の検証なども行わずに販売してしまい、多くの方にご迷惑をおかけして申し訳ない気持ちでいっぱいです」(永山広報担当)

 永山では警察庁の発表を受け、購入者から製品を回収して、法定のアシスト比率に収まるようにシステムを書き換えたものを再発送するという対応をとっている。また、その経緯を警察庁にも報告しているという。

「今回の反省を踏まえ、電動アシスト自転車の自社開発を行うことになりました。中国の工場へ出向いて製品をチェックするのはもちろん、国内でもアドバイザーの指導のもとで仕様書を自分たちで作成しています。

 完成した製品は車両検査協会で基準に適合しているかチェックを受けていますし、バッテリーや充電器も、電気用品安全法に適合しているという法的な書類を揃えております。現在、販売している製品は、自信をもってお客様にお勧めできるものばかりです」(同)

 永山は過去の失敗に誠実に向き合うことで自信作を開発することに成功したが、現在でも、ネット上では海外から仕入れたものを日本の基準に適合させずに販売しているサイトが見受けられるという。販売する事業者が道交法を熟知していないために、こうした問題が起きると推測される。

https://biz-journal.jp/2017/04/post_18590_2.html
違法自転車を見分ける方法

 では、違法製品をつかまされないためには、どこをチェックすればいいのだろうか。

「基準外の電動アシスト自転車を取り扱ったことはない」と回答する、サイクルベースあさひを運営する株式会社あさひに話を聞いた。

「国内で電動アシスト自転車を販売するために、一定の基準をクリアした商品に適用される『型式認定』という制度があります。したがって、購入しようと思う商品については、まず型式認定シールをご確認ください。また、自転車協会で定めた基準をクリアした商品には、『BAA』シールも貼付されています」(あさひ広報担当)

 同社が仕入れるメーカー品には、各商品にこの型式認定シールが貼付されている。これは公益財団法人日本交通管理技術協会の審査をクリアしたことを証明するもので、電動アシスト自転車を購入する際は、このシールの有無をチェックすることが大事だ。

 また、さまざまなモデルの電動アシスト自転車が発売されている昨今、利用条件に合わせて走行距離やモデルを選ぶとよいという。

 同社では、電動アシスト自転車のネット通販も行っているが、専門知識を有したスタッフに説明を受けてから乗車できるよう、ネットで注文したものを店舗で受け取れるサービスも行い、ユーザーをフォローしている。

 だが、基準をクリアした自転車であっても、正しく乗りこなせなくては真の安全を手に入れたとはいえない。そこで、乗車する際の注意点についても話を聞いた

電動アシスト自転車は、ペダルを踏み込むとアシスト力が働き前に進む構造になっています。したがって、必ずサドルにまたがった状態で漕ぎ出してください。いわゆる『ケンケン乗り』は危険です。また、信号待ちなどで停車する際は、ペダルから足を下ろしてください

 さらに、どの自転車にもいえることですが、『乗り物』ですので定期的なメンテナンスが必要です。半年に1回は自転車専門店で定期点検を受けていただくことをお勧めします。乗車前には、ブレーキや空気圧など、安全上、必要な点検をされることもお忘れなく」(同)

 電動アシスト自転車の価格は下がってきているとはいえ、まだ通常の自転車と比べれば高価である。そこに安価な製品が登場すれば、つい手を出したくなるが、違法車で公道を走れば違法行為となる。つまり、結果的には高い買いものになってしまう。

 購入時はシールの有無などで自ら適法性をチェックするのはもちろん、車両を熟知したスタッフのいる専門店や、ささいな問い合わせにも誠実に答えてくれる通販サイトを選ぶことが重要だ。
(文=OFFICE-SANGA)

 

警察庁 補助力強すぎる 電動アシスト自転車7製品で要請
毎日新聞2016年10月27日 19時36分(最終更新 10月27日 19時37分)
https://mainichi.jp/articles/20161028/k00/00m/040/030000c

 警察庁は27日、「電動アシスト自転車」として販売されている7製品について、ペダルを踏む力を電動モーターが補助する比率が道路交通法で定められた基準を超えていたと明らかにした。道交法上は最大2倍の補助力が認められているが、600倍を超える製品もあった。いずれも道路を走行することができず、警察庁は所有者に使用しないよう求めるとともに、メーカーなどに回収や問い合わせ窓口設置を要請した

 7製品は、2012年以降、国内で4536台が販売された。今年6月、自転車産業振興協会から「違法の疑いがある」と通報があり、基準に適合しているか確認した。

 電動アシスト自転車は、時速24キロ以下で走行している場合に、速度に応じて最大2倍までの補助力が認められている。サン・リンクルと日本タイガー電器の2製品の補助力は100倍を超え、日本タイガーは最大630倍だった。速度の上昇に応じて補助力は低下するため、スピードが上がり続けることはないが、発進直後の急加速でバランスを崩す危険があるという

 7製品はいずれも中国で生産され、一部メーカーは「中国での製造過程に誤りがあった可能性がある」と説明している。7製品は原付き自転車に該当するが、方向指示器やテールランプなどがないため、道路を走行できない。【川上晃弘】

 

 女子大生 自転車「ながらスマホ」死傷事件の記事です。匿名でしたが、実名が出ました。森野実空(みく)被告、20歳の成人なのに匿名にしていたのが変だったのだ。最初の自転車「ながらスマホ」死傷事件被告として記録された。

2018.8.27 14:20更新
自転車スマホでの死亡事故で有罪 20歳の元女子大生に「自覚欠いた運転」
https://www.sankei.com/affairs/news/180827/afr1808270017-n1.html

 スマートフォンと飲み物を持ちながら電動アシスト自転車に乗り、歩行者にぶつかって死亡させたとして、重過失致死罪で在宅起訴された元大学生、森野実空被告(20)に、横浜地裁川崎支部(江見健一裁判長)は27日、禁錮2年、執行猶予4年(求刑禁錮2年)の判決を言い渡した。

 判決は、被告が右手に飲み物、左手にスマホを持ち、左耳にイヤホンをした状態で、スマホをポケットにしまった直後に事故を起こしたと認定。江見裁判長は「歩行者を死傷させ得るとの自覚を欠いた運転は自己本位で過失は重大」と指摘した。時速約9キロと比較的低速で、被告が反省の弁を述べていることなどから執行猶予付き判決とした。

 判決によると、昨年12月7日午後3時15分ごろ、川崎市麻生区の市道で、自転車を運転中にスマホの操作に気を取られ、前方不注意で歩行者の米沢晶子さん=当時(77)=に衝突し、2日後に死亡させた。

 

自転車「ながらスマホ」で死亡事故 元女子大生に有罪判決
裁判|神奈川新聞|公開:2018/08/27 16:27 更新:2018/08/27 16:45
https://www.kanaloco.jp/article/356594/

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 川崎市麻生区で2017年12月、スマートフォンと飲み物を持ちながら電動自転車に乗り、歩行者に衝突して死亡させたとして、重過失致死罪で在宅起訴された元大学生の女性被告(20)に、横浜地裁川崎支部(江見健一裁判長)は27日、禁錮2年、執行猶予4年(求刑禁錮2年)の判決を言い渡した。

 判決では、被告が右手に飲料容器、左手にスマホを持ち、左耳にイヤホンを付けて音楽を再生した状態で、自転車の通行が禁止されている歩行者専用道路を走行。スマホの操作やポケットにしまう動作に気を取られて、前方を注視しないまま事故を起こしたと認定した。江見裁判長は「人を死傷させ得る自覚を欠き、周囲の安全を顧みない運転は自己本位で、過失は重大。いまだ運転態度への内省も深まっていない」などと指摘した。

 事故時の時速が約9キロと比較的低速だったことや、被告家族が加入する保険で相応の被害弁償が見込まれることなどを考慮し、執行猶予付きの判決とした。

 判決によると、被告は17年12月7日午後3時15分ごろ、川崎市麻生区の歩行者専用道路で電動自転車を運転。スマホの操作などに気を取られて脇見をし、前方不注意で歩行者の女性=当時(77)=に衝突し、2日後に死亡させた。

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2018年9月12日 (水)

「私たち19遺族は本当のことを知りたいだけだ 大川小はなぜ51分間も校庭に留まらせたのか」

 大川小と言うと対比して思い浮かべ考えるのは、教師たちの機転・素早い判断で裏山に逃げ、全児童92人が助かった陸前高田市気仙小のケース。学校の規模も同じなら、学校敷地が川沿いなのも同じで(気仙川)、校庭のすぐ隣に裏山があるのも同じ。違うのは津波が学校の敷地に到達した時間が気仙小の方が遥かに早く条件的には悪かったこと。にもかかわらず気仙小ではなく大川小の方が遥かに多い犠牲者を出してしまった。大川小学校のケースは「人災」と言うしかない。大川小教師達の普段からの意思疎通がどうだったのかも知りたいところです。(なお、陸前高田市気仙小の記事は雑談日記でも採録してます)。

 動画を何本か末尾で採録

 

私たち19遺族は本当のことを知りたいだけだ
大川小はなぜ51分間も校庭に留まらせたのか
https://toyokeizai.net/articles/-/200781
GARDEN編集部 2017/12/12 15:00

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教師の指示に従い校庭にとどまることになったという

さまざまな社会問題と向き合うNPOやNGOなど、公益事業者の現場に焦点を当てた専門メディア「GARDEN」と「東洋経済オンライン」がコラボ。日々のニュースに埋もれてしまいがちな国内外の多様な問題を掘り起こし、草の根的に支援策を実行し続ける公益事業者たちの活動から、社会を前進させるアイデアを探っていく。

大川小学校ルポ
堀潤
https://www.youtube.com/watch?v=VHqttVm3fQE

2017/12/11 に公開

2017年12月4日ルポ

宮城県石巻市の大川小学校。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の大津波。当時校庭にいたとされる78人の児童のうち、70人の児童がここで亡くなり、4人の児童が今も行方不明のままだ。11人いた教職員も10人が命を落とした。

当時6年生だった3男雄樹君を亡くした佐藤和隆さんと、3年生だった長女未捺(みな)さんを亡くした只野英昭さんに現場を案内してもらった。

只野さんの長男で、当時5年生だった哲也君は、津波に飲み込まれながらも奇跡的に助かった1人。覚悟を持って自らの経験を語り続けている。

「俺らの自慢は、ここは自然でないものはないという場所だったので。山あり川あり海あり湖あり。ないものがない場所だったんですけど。あの3.11の津波はすごい津波だったと言われています」(只野さん)

「山さ逃げっぺ」届かなかった子どもの声

Img_2f563f0a0613f0d12a41a6792e8cbfc 本記事はGARDEN Journalism(運営会社:株式会社GARDEN)の提供記事です

あの日。

地震から津波到達までは51分。

子どもたちは教師の指示に従い校庭にとどまることになった。大津波警報は全員に伝わっていた。

「ここにいたら死ぬ」「山さ逃げっぺ」と訴える児童もいた。「津波が来ます、高台へ」。市の広報車や防災無線の呼びかけも聞こえていた。

「当時この校庭には敷地内には防災無線があって。2時46分と3時37分の2回、『大津波警報発令、沿岸や河川に近づかないでください』という放送を連呼してたんですよね」(只野さん)

https://toyokeizai.net/articles/-/200781?page=2
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しかし、校庭ではたき火の準備も始まっていて避難する雰囲気ではなかった。

「昇降口のあたりに焼き芋のドラム缶を当時置いていたと思うんですけど、それを運んでいたという証言がありました。火をおこして暖を取ろうとした。要はここに居続けるという行動になるんですけど。逃げるんだったらそんなことしないで移動を開始していたらいいんですけど」(只野さん)

学校の体育館裏や校庭脇には山がある。かつてシイタケ栽培の体験学習が行われたり、低学年の児童が授業でも登ったことのある裏山だ。

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只野英昭さん 佐藤和隆さん

「(石巻市教育委員会からは)、①地震の揺れで木がバッタバッタと倒れてきて危険なので登れない(※1: 大川小学校事故検証委員会が2013年6月15日および9月27日に行った現地調査では、「地震や津波による倒木ではなく、強風を原因とする倒木である可能性が高い」と結論が出されている)、②子どもの足では急で登れないと説明を受けました。ただ、いろんな人をこの山に連れてきて登ってもらったんですけど、『無理だ』という人は今まで誰一人いませんでした、この勾配を。実際に学校の先生と登っている写真もあるのに、子どもたちは登れないと」(佐藤さん)

校庭での待機は覆らなかった

その山への避難を提案する教師もいたが、1度決まった校庭での待機は覆らなかった。

川からはすでに水があふれていた。大津波がいよいよ迫って、教師と児童は移動を開始した。上級生が先頭となったが、整列する余裕はなかった。

「もう津波が来ているから、急いで」

教師と児童が向かったのは裏山ではなかった。まさに津波が迫る川の方角、「三角地帯」と呼ばれる高台への避難だった。

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津波は川を約4km遡り、堤防を越えて大川小に迫った。

ゴーという、地鳴りのような音が聞こえた。

15時37分、津波到達。幼い命が濁流に飲み込まれた。避難を開始してから1分後のことだった。

https://toyokeizai.net/articles/-/200781?page=3

「津波が来る直前、1分か2分手前の15時35分ごろに、移動開始して向かったのは、あろうことか橋のたもとの堤防に、要は川に向かって移動してしまった。行くなと言われたところに行ってしまった。避難している正面の川からあふれてきて。これは当時、津波をかぶっても助かった息子が全部話してくれました」(只野さん)

本当のことが知りたい、この悲劇を繰り返さないために

あの日から、6年以上の月日が経過した。

なぜ自分たちの大切な息子や娘は命を落とさなくてならなかったのか。親たちは今も真相究明のため声を上げ続けている。

震災後、石巻市教育委員会の説明は二転三転し、矛盾も多かった。遺族たちは証言の改ざんを疑った。文部科学省が立ち上げた第三者委員会も、途中で事実解明を放棄した形で2014年3月に終了した。

関係者の証言を記録したメモが廃棄されていたことも報道機関の取材でのちに明らかになった。

「(貴重な証言を破棄されたり、)証言を捏造されたりっていう扱いを遺族の親だけでなく、生き残った子どもにまでそれをやっている現状、これは絶対に許さないですよ。正しく伝えないとダメなんですよね。物語じゃなくて、美談にしちゃダメなんです。つらいことこそしっかり伝えなければならない。成功事例から学ぶことより失敗事例から学ぶことの方が断然多い。三陸は何度も何度も津波が来て、その都度人的被害を繰り返しているのは、つらいことを忘れろ、喋るなという部分があるんじゃないかな。だったら、繰り返さないように、つらいことこそしっかりと伝えていこうよと思うんですよね。つらいのは同じです。つらくないわけじゃないです。でもそれをやらなければ第2の大川小学校の悲劇が起きてしまう。だったらやらなきゃいけない」(只野さん)

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なぜ、51分もの間、子どもたちを校庭にとどめたのか。

なぜ、すぐ目の前にある裏山への避難がなされなかったのか。

なぜ、「山へ逃げっぺ」と不安げに訴えた子どもの声は教師たちに届かなかったのか。

https://toyokeizai.net/articles/-/200781?page=4

唯一生き残った男性教師は、口をつぐんでいる。子どもたちの証言から、自ら山へ避難していたことがわかった。

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「あの先生が心を病んでいるのは噓を言わされているからだと思っている。あの先生は最初は本当の報告をしているんですよ。ましてや、自分は先に山に登っていっているんですから。それを、助かった4人の子どものうちの1人、3年生の男の子がそう証言しています。『自分が登ろうと思ったら先生はもう山の上にいて“こっちだこっちだ”って言ってた。誰にも助けてもらってないよ、自力で登ったんだ』。俺と哲也の前で、震災後にその子はそう話してくれたので」(只野さん)

真相究明のための訴えを起こした

児童23人の19遺族は、石巻市と宮城県を相手に真相究明のための訴えを起こした。

「金が欲しいのか」と心ない声にさらされることもあった。しかし、現場であの日何が起きていたのかが明らかになるまで自分たちは闘う、親たちの決意は固かった。

仙台地裁は昨年10月、教員らは津波の襲来を約7分前までに予見できたと認定し、学校側の過失を認めた。現在、仙台高裁で控訴審を争っている。

結審は来年1月23日だが、原告団が求めていた唯一生存した教師への尋問は一審に続き行われないことが決まった。

只野さんたちは「語り部」として大川小学校を訪ねる多くの人たちにあの日を伝える活動を続けながら、沈黙する学校側の門を叩き続ける。

佐藤さんは言う。

「宮城県の、特に石巻の学校の先生たちは、大川小学校のことを一切口にしません。震災から間もなく7年ですが、教頭会でも校長会でも、大川小の議題は一切ないんです。おかしいでしょって。学校で起きたことですよ。なのに裁判にまで発展しないと解決できないのかと。そういう組織なのか、教育の現場って。それが一番解せないですよね」

https://toyokeizai.net/articles/-/200781?page=5

只野さんはさらに続ける。

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「これでは子どもたちを守れない。教育の現場にいる大人たちが一番それを伝える立場なのに。なぜ黙っているんですかって。『これじゃダメだ、ちゃんとやろうよ』というのは本当は教育関係者なんですよね。ましてやここで津波をかぶって全部を見ていた哲也に、もう7年になりますけど、『こういう対応とっていいんだ』というのを見せ続けているんですよね、それじゃダメでしょ。『これがダメだったんだ、こうしていかなければいけないんだっていうのを教えてくださいよ、哲也に』って、そう思います」

只野さんや佐藤さんたちの発信は終わらない。

悲劇を繰り返さないために

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本当のことが知りたい。この悲劇を繰り返さないために。

「たくさんの人に見てもらって、津波は怖いってしっかりと学んでいってもらいたい。一番伝えたいのは、ここにいた人と同じ思いはしてほしくないということです。津波って怖いんだということを、ひとかけらでも学んで帰ってもらえれば、未来の命を守るということにつながっていくと思うし、減災にもつながっていくと思うんですよね。防災の教材として利用してもらえればなと」(只野さん)

撮影した映像と証言の約50分の素材は編集することなく公開したいと思う。皆に伝えたい。

「大川伝承の会」については「GARDEN」当該記事へ

 

 以下、関連動画。

震災から6年9か月  生き残った青年〝あの日〟語る
yaakyt
https://www.youtube.com/watch?v=aTiBFDPwYPk

2017/12/11 に公開

大川伝承の会の第10回大川小被災校舎での語り部活動に、当時津波にのまれて助かった青年が語り部の活動を始めて行いました。

取材する側、される側、どちらも大川小学校の卒業生という母校での姿を見ていて、伝える形が異なれど、素晴らしい流れになっているのに嬉しく思いました。 ※カメラマンも大川小卒業生です。

 

東日本大震災シリーズ42 小さな命の意味~震災5年・大川小学校~
SugiyamaUniv
https://www.youtube.com/watch?v=8wylgZeskiM

2016/05/16 に公開

学校管理下の児童73人が津波の犠牲になった石巻市立大川小学校。震災から5年、次女を亡くした佐藤敏郎さんに「小さな命の意味」を伺いました。椙山女学園大学栃窪研究室の制作です。

 

Nスタみやぎ 12月8日 震災特集 (大川小遺族)
yaakyt
https://www.youtube.com/watch?v=MVlsai-zfRk

2015/12/08 に公開

東日本大震災で児童ら84人が犠牲になった石巻市立大川小学校。当時5年生で、津波にのまれながら奇跡的に助かった只野哲也さんは、現在高校1年生になりました。 あの日助かった児童、教職員の中でただ一人、メディアの取材に応じ続けてきた只野さん。発生からまもなく5年が経とうとするなか、先日、名取市で開かれたあるイベントに参加しました。その場で只野さんはこれまで語ってこなかった”本音”を明かそうと考えていました。集まった300人が注目する中、彼が紡ぎだした言葉とは・・・。

 

思いではずっと胸に 『大川小145年の歴史に幕』
yaakyt
https://www.youtube.com/watch?v=jpWfcDyTMfA

2018/02/26 に公開

311以降約7年に渡り仮校舎で学んできた大川小児童たちの学校は今年の3月をもって歴史に幕を閉じる。
卒業生・当時の在校生の思いを伝えます。

 

関連エントリ:
3・11東日本大震災「学校最多の犠牲者、石巻市立大川小」検証のために関連記事採録。

東日本大震災の記録 大津波悲劇の中の救い、防災の備えが命を救った、英字紙記事も。

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2018年9月11日 (火)

今日は9月11日、2011年3・11東日本大震災から7年半で、9月の月命日。なかでも思い浮かぶのは大川小学校のこと。

 大川小と言うと対比して思い浮かべ考えるのは、教師たちの機転・素早い判断で裏山に逃げ、全児童92人が助かった陸前高田市気仙小のケース。学校の規模も同じなら、学校敷地が川沿いなのも同じで(気仙川)、校庭のすぐ隣に裏山があるのも同じ。違うのは津波が学校の敷地に到達した時間が気仙小の方が遥かに早く条件的には悪かったこと。にもかかわらず気仙小ではなく大川小の方が遥かに多い犠牲者を出してしまった。大川小学校のケースは「人災」と言うしかない。大川小教師達の普段からの意思疎通がどうだったのかも知りたいところです。(なお、陸前高田市気仙小の記事は雑談日記でも採録してます)。

 大川小学校のケースは教訓として決して忘れてはならないはず。校舎保存は必ずやるべきです。

 

東日本大震災7年半 旧大川小で「忘れないでいたい」
岡本進
2018年9月11日11時52分
https://www.asahi.com/articles/ASL9C33HML9CUTIL005.html

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今も献花が絶えない大川小の旧校舎前で手を合わせるスタディーツアーで訪れた大学生ら=2018年9月11日午前10時、宮城県石巻市、福留庸友撮影

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今も献花が絶えない大川小の旧校舎前で静かに手を合わせる宮城県石巻市内の男性。近くを通る際には立ち寄るという=2018年9月11日午前9時21分、同市、福留庸友撮影

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大川小の校歌を作詞した富田博さんのひ孫、三島汐里さん(左)。この日は祖父に連れられて同小の旧校舎を初めて訪れ、居合わせた遺族の只野英昭さんに案内してもらった=2018年9月11日午前11時23分、宮城県石巻市、福留庸友撮影

 東日本大震災から7年半となった11日、児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市の旧大川小学校には、犠牲者を悼む人たちが朝から次々と訪れた。

 災害時の要援護者の支援方法を学ぶため、石巻市に来ていた東北公益文科大(山形県酒田市)3年の竹田汐里(しおり)さん(22)は、同じゼミの学生5人と校舎に手を合わせた。震災時は中学2年だった。「校舎を初めて見て悲惨さを実感した。北海道の地震を含め、次々と大きな災害が続いているが、東日本大震災の被害を忘れないでいたい」

 小学3年の長女を同小で亡くした只野英昭さん(47)は「大災害はいつ身近に起きてもおかしくない。身を守る備えの大切さを多くの人に知ってもらいたい」と話した。(岡本進)

 

旧校舎保存 いち早く訴え 大川小生存者の1人、18歳の覚悟
2018年3月12日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201803/CK2018031202000122.html

Pk2018031202100066_size0被災した大川小の校舎前で語り部活動をする只野哲也さん=宮城県石巻市で


 宮城県石巻市の大川小学校では、児童七十四人、教職員十人が津波の犠牲になった。当時小学五年だった只野哲也さん(18)は校庭からの避難中に津波に流され、生き残った四人の児童のうちの一人。大川小の旧校舎を残してほしいと声を上げ、高校卒業を控えた昨年末からは語り部活動を始めた。「死ぬまでずっと伝えていく」。それが生きている自分の責任だと思っている。 (小沢慧一)

 「七十四人って簡単に言うけど、一人一人に未来があった。大切なかけがえのないものを奪われたという気持ちで、自分も生きていかなきゃいけない」。大きな背中を丸め、校舎を見つめる。

 あの日、列になって校庭から避難する途中「ゴーッ」という地鳴りが響いた。津波にのまれた民家が爆発したように砕け散り、土煙が上がった。

 「やばい」。裏山の急斜面に逃げた。指を地面に突き刺し必死で登った。後ろを振り向くと波は見えなかった。「助かる」。再び前を向いた瞬間、背中に何人もがのしかかったような圧力がかかり、気を失った。

 妹の未捺(みな)さん=当時(9つ)、母しろえさん=同(41)、祖父弘さん=同(67)=を津波で失った。みんな家族みたいな地域の中で、友達の葬儀が何十回も続き、泣き崩れる遺族の姿を見た。

 中学二年の時、旧校舎を震災遺構として残すかどうかの議論の場でいち早く保存を訴えた。がれきや松の木、車を巻き込んだ泥の塊が猛烈な勢いで押し寄せ、鉄骨がむき出しになった校舎。目にするのも、思い出すのもつらい。解体を訴える周囲の反応は怖かったが「残さなきゃ。伝えないと」と覚悟を決めていた。

 はじめて語り部活動をしたのは昨年十二月。児童の遺族らでつくる会に誘われた。

 見学に来た高校生から「自分が先生だったら、ちゃんと誘導できたか」と尋ねられた。「判断できなかったと思う」。一瞬たじろいだが、素直に言葉が出た。「災害は避けて通れない。だからこそ、その土地に合った避難方法を考え、訓練することが必要」と今は思える。

 四月からは県内の大学で機械工学を学び、しばらくは語り部を休む。ただ、震災を知らない次の世代につないでいけるのは、若い自分しかいないと思う。

 一輪車や鬼ごっこ、キックベースに夢中な仲間たちが跳ね回った休み時間の校庭。友達とふざけ合って先生によく怒られた。楽しい思い出がよみがえるたびに、強く思う。「何げない瞬間がどれだけ大切か、なくす前に気付いてほしい。そのことを伝えたい」

Pk2018031202100067_size0 <大川小学校の津波被害> 地震で津波が近くの北上川を遡上(そじょう)し、児童と教職員計84人が犠牲になった。大川小は4月から市内の別の小学校と統合。津波で破壊された旧校舎は震災遺構として保存される。地震後、教諭の指示で児童を校庭に待機させたことが適切だったかどうかなどを争った裁判で、仙台地裁は学校側の過失を認め、石巻市と宮城県に賠償を命じたが双方が控訴。高裁判決は4月26日の予定。


 

2014年04月14日 17時45分 JST | 更新 2014年04月15日 12時20分 JST
「大川小学校の校舎を残して」卒業生5人が意見表明【発言全文】
The Huffington Post
https://www.huffingtonpost.jp/2014/04/12/okawa-sho-graduates_n_5140512.html

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加藤順子
子どもたちがいなくなった校舎は、スズメたちの住処になっているのか、たくさんのさえずりが聞こえた(2012年7月10日)

 

東日本大震災の大津波で、多数の友人や恩師を亡くした宮城県石巻市の大川小学校の卒業生達が4月6日、仙台市で「母校の校舎を遺して」と意見表明を行った。子どもたちの学習支援を通じて心のケアを行ってきたNPOが主催した。

石巻市では震災伝承検討委員会を設置し、2013年11月から3回の会議で、震災の記憶を後世に伝える施設を検討しているが、大川小は事故検証が続いていたことから、検討の対象から除外されていた。市の復興政策課によると、今年3月に一部遺族から市や県を訴訟した動きに絡み、引き続き同委員会では扱わず、「状況を見守りながら、別途検討する」としている。

大川地区は被災の程度が大きく、感情が複雑に絡み合い、大川小学校の被災の話題を地域で口にすることは、大人でも難しい。今回意見表明を行った卒業生5人のなかには、初めて公に出て思いを話した子もいる。全文を紹介したい。

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大川小卒業生による意見表明会には、50人あまりの保護者、支援者、メディアが集まった

トップバッターは、津波をかぶり、意識を失いながらも、奇跡的に助かった只野哲也君。当時大川小の3年生だった妹を亡くした。只野君は、震災直後から周囲に校舎保存を訴えてきた。今回の意見表明会の実現は、こうした只野君の思いに、4人が「私も同じ」と応えたことがきっかけとなっている。

<只野哲也君 14才>

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当時5年生だった只野哲也君。被災直後に学校を見た時から、「ここは遺すべき」と思いメディアを通じて伝え続けてきた

震災当時の学年は5年生でした。今は中学校3年生です。当時の住まいは、自然に囲まれた、周りが田んぼでいっぱいの谷地中(やちなか)という所に住んでいました。

震災のことについては、「僕の人生が変わった日」だと思っています。そして、それと同じくらい「たくさんの人との出会いがあった日」というのでもあります。

学校については、これからも校舎を残していって欲しいと思っています。

僕はいままで、新聞やテレビなどを通じて、たくさんの人に自分の体験を伝えてきました。これからのことについては、写真を通じて大川のことを伝えていきたいと思っています。

次に、自分なりに大川地区のことをまとめてみました。

大川地区はとても緑豊かで、大川地区に住んでいると、景色で自然を感じることができるほど、とてもいい所です。すぐ近くには北上川が流れ、そこではハゼやスズキ、サクラマスなどの魚が生息していて、釣りに来る人も多くいました。

僕のおじいさんはシジミ漁をしていました。海水と真水の混じる汽水域で生息するベッコウシジミは、アサリと同じくらい大きくて、とても美味しいシジミです。他にもたくさんの、田んぼで取れた米や地元でとれた野菜などで、自給自足ができるほど恵まれた地域でした。そんな地域にあったのが、大川小学校です。

大川小はいつも地域の中心でした。学校行事があるたびに地域の方々が集まって、地域全体で盛り上げていました。「僕はここに生まれてきて本当に幸せだ」と、いつも思っていました。

しかし2011年3月11日。東日本大震災により、私たちの故郷、友達、先生方、大好きだった地域の方々が、たくさん亡くなってしまいました。

僕はこんな思いを、もう二度と他の人に味わって欲しくない。そう思い、僕は新聞やテレビを通じて多くの人に伝えようと、活動してきました。そして今日、このような場所をお借りして、皆さんに伝えることができています。最後に、私たちの思い出がこれ以上壊されることのないように願っています。

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自宅のあった場所を指し、北上川で遊んだ思い出を語る只野哲也君

司会:どうですか? この場で話をしてみて。

只野哲也:僕が思っているのは、 10年後……ま、もっと経つかもしれないんですけれども、登米市の明治村(「みやぎの明治村」)っていうところがあるんです。明治時代の校舎だったり交番があって、行けば当時のことがそのままわかる、歴史や文化がわかるような、簡単でわかりやすく理解できるように伝えられるような街になっています。そういう風に、大川小も、行けば地域の文化をわかるように、初めて来た人でも「大川はこういう所だ」っていうのを知ってもらえるような所になっていけばいいなと思っています。

参考記事:大川小学校の生還児童、校舎保存を訴える「僕の先輩や後輩が、ここで生きていたという証」(The Huffington Post2013年11月24日)

只野哲也が撮影した大川小の風景(2012年10月1日) 全18枚
https://www.huffingtonpost.jp/2014/04/12/okawa-sho-graduates_n_5140512.html#gallery/326646/1

次の3人は、当時卒業式を控えた6年生だった。進学した中学校が、2012年度で閉校・他校に合併となったことも、辛い事実として語られている。思いの詰まった場面で、言葉が所々途切れそうになりながらも、丁寧に言葉をつないだ姿が印象的だった。

<成田涼花(すずか)さん 15才>

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当時6年生だった成田涼花さん。初めて人前で母校への思いを話した

震災当時の学年は、大川小学校の 6年生でした。現在は、高校1年生になります。当時の住まいは、長面(ながつら)という海のすぐ近くにある地域です。現在は、仮設住宅に住んでいます。

震災で大事な人を失って、つらいなか、大川中学生として入学はできたけれど、校舎は他の中学校の校舎を間借りしての生活でした。大川中学校が閉校になって、河北中に統合して、慣れない生活で、すごくつらい時期もあって……。それでもいろんな人と出会って、前向きに物事を捉えるようになりました。

震災前の大川小学校は、海や川、山などの自然に囲まれた学校でした。春から冬にかけて草木を地域に植えたり、秋の校庭にはヒメユリが揺れていました。

このように、大川小学校があることで みんなと楽しく過ごした場所、思い出が蘇ってきます。

そして、広島の原爆ドームみたいに、見るだけで震災の辛さを伝えられると思います。

また、5年後10年後には、大川小学校の中庭に、元々卒業制作で作る予定だったもの(筆者注:ビオトープと、照明や維持管理のためのソーラーや風力発電の装置)を作りたいです。

司会:5年後、20歳になっていますが、どんな大川小学校をイメージしていますか?

成田涼花:自然が……桜とか、いっぱい戻って、自然があふれる大川小学校になってるといいなと思います。

<三條こころさん 15才>

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三條こころさんも、当時6年生だった。「大川小がなくなったら、みんなと過ごしてきた思い出もなくなってしまう」と話した

震災当時は、大川小学校6年生で、現在は高校1年生になります。当時の住まいは、涼花さんと一緒で、長面に住んでいました。

震災は私にとって、友達、家族を失って、毎日生きることで精一杯で、つらくて毎日泣いている時もあり、生きるのに必死でした。でも、家族や友達と会って喋ることで、生きる実感が湧きました。いろんなボランティアや支援で前に進めました。

大川の同級生と一緒に泣いてつらい時もあったけれど、いっぱい笑って頑張ってこれました。これからは、震災の時、ボランティアや支援されたことをいろいろな形で、恩返しして、いろんなことに感謝していきたいと思っています。

そして、大川小学校を残して欲しいのは、大川中がなくなり、大川小しかないので、大川小がちゃんと残って欲しいからです。大川小はみんなと過ごした母校だし、大川小がなくなったら、みんなと過ごしてきた思い出もなくなってしまうので、残して欲しいです。大川小に行くと、亡くなった友達も思い出します。だから、大川小を残して欲しいです。

<浮津天音さん 15才>

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6年生だった浮津天音さんは、大川小で起きた出来事を「背負っていく」という表現で、覚悟を語った

当時の学年は小学校6年生でした。今は高校1年生になります。当時の住まいは、大川小学校から2キロほど離れた場所にある、谷地というところに住んでいました。

 

震災当時、卒業をあと1週間に控えた最高学年の6年生でした。私を含め、3人(筆者注:成田さんと三條さん、浮津さん)は、学校で被災しました。私は校庭に避難後、母の迎えで学校を後にしました。

一旦家に帰りましたが、堤防を津波が越えてきたので、車で津波に追われながら、大川の針岡という山側の地区で一時避難しました。そこから夜が明けてみると、瓦礫と海水で、家は流されていて、避難することができませんでした。

自力で(北上川の)堤防まで船で地域の人と行って、そこから消防の救助で河北総合センターまで避難しました。そこから避難所生活が始まりました。

ライフラインの寸断があったり、食べ物や飲み物も十分ではなかったんですが、一緒に避難してきた人と協力したり分かち合ったりすることで、なんとかすることができました。

その中で、私はずっと大川小学校と大川のことが気がかりでした。情報が全く入ってこなかったからです。針岡に避難したときに、「大川が全滅だ」と聞いて以来、何も情報が入ってきませんでした。

河北総合センターへ入ってすぐに、友達の両親を見つけました。廊下の角で泣く姿や、掲示板で必死に友達の名前を探す姿、長靴にリュックで子供を探しにいく姿を見て、私は何も言えませんでした。

3、4日経って情報が入ってきましたが、それは全て悲しいお知らせでした。何も言えなくて、遺族の方々の前では素直に泣けない、どうしようもない喪失感のなか、避難所生活をずっとしていました。

1週間が過ぎても、友達や恩師が亡くなったという実感が湧かない日々でした。そんな時に、大川小学校の卒業式を開いてくれました。行ってみると3人で、その時に友達が亡くなった現実を感じました。

1ヵ月が経ちました。いまだに大川だけが気がかりで……避難してからまだ1度も見ていなかったからです。何とかして大川に行けるということなので、大川に行きました。

そこで見たのは灰色の風景でした。瓦礫や海水で、道もない。田んぼもない。ここはどこなんだろう? って、大川はもうないんだ……って、心にぽっかり穴が開きました。

そこから、自分がどこにいるのかわかんなくなっちゃって、いつの間にか中学校に入学して、もう卒業してしまいました。

学校も間借りや統合できつい状態でした。避難所にも、仮設住宅にも、学校にも馴染めることができませんでした。休めないし、みんなギリギリの状態でいました。ですが、そんななか、いろんな人の支えがあって今まで何とかやってこれました。

そんな学校生活の中で、よくみんなと話すのは「if」話でした。「もしもこの場所に○○ちゃんがいたら」「○○くんがいたら、こうなっていたんだろう」っていう話をしました。その話はすっごい楽しくて、でも、友達を思い出すのでつらいこともありました。

いつも思い出すのは、みんなのことだし、大川のこと。海や川、山、田んぼ……いろんな色に囲まれた大川のことずっと思い出していました。

そして、3年が経ちました。今回、大川小学校を「遺すか、遺さないか」という話になりました。私はすぐに「遺したい」と思いました。大川小学校は、大川で残った唯一の形ある場所であって、唯一私たちの心が休まる場所だからです。ちゃんと手を合わせることもできます。いわば、私たちの唯一の「心の居場所」なのです。

大川小学校がなくなったら、どこに行けばいいのかわからないです。私たちは今までそれぞれ、いろんな状況の中を頑張ってきました。これからも背負っていきます。だからせめて、大川小学校という居場所が残っていたらいいなと思いました。卒業制作の話や残したい場所、いろんな思い出がたくさんあるので、私たちの心の居場所としてずっと残っていてくれたらいいなと思いました。

浮津さんは、司会者から、「大川小学校のイメージの色は緑色?」と聞かれると、何度も大きく頷いて、笑顔を見せた。

<佐藤そのみさん 17才>

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当時6年生の妹を大川小で亡くした佐藤そのみさん。意見表明のために、大川小を遺すために伝えたいことを考えていたら止まらなくなり、気がついたら明け方になっていたという

震災当時は、大川中学校の2年生でした。一学年上の先輩たちの卒業式を午前中に終えて、午後から自宅にいました。地震が来た時は、趣味のギターを弾いていた時でした。現在、石巻市内の高校に通っています。今月から3年生になります。

震災では、当時大川小学校の6年生だった2歳下の妹を亡くしました。妹は1週間後に卒業式を控えていました。

震災があってから、本当に実感がわかなくて、何にも向き合う気力がなかったんですけど、たくさんのボランティアの人と出会って、いろんな話をして、次第に勉強とか自分の好きなことに向き合えるようになって。

間借りの中学校の校舎では、勝手にラジオ番組を作って流したりとか、高校に入ってからは、友達を巻き込んで石巻市内で今映画を作ったりとか、好きなことをやって、自分で回復していったなぁ、という感じです。

大川小のこととしっかり向き合えるようになったのはけっこう最近で、私が今回、「大川小学校を遺したい」って思ったのには、2つの理由があります。

ひとつは、「自分たちの大切な居場所である母校を失いたくない」ということからです。もうひとつは、「大川小学校で起きたことをこれからも伝え続けていきたい」から。この2つの理由があります。

まず「自分たちの大切な居場所である母校を残したいから」ということについてなんですけれど、大川小は、私が6年間通った母校で、本当にいい思い出ばかりで、中学生になってからもみんなで放課後に遊びに行ったり、行事に参加したりしていました。

全校児童が少ない分、どの学年のどの子も、名前も顔も分かっていて、本当に仲良しの学校でした。先生方も大好きで、尊敬できる人たちばっかりでした。

今でもあの校舎に入ると、「ここでこんなことがあったなぁ」とか、6年間のことが思い出されます。私のように、校舎に思い入れのある卒業生がたくさんいるはずです。もちろん、犠牲になった子たちを含む当時の在校生のみんなも、この校舎で授業を受けて、たくさん遊んで、笑ったり泣いたり、他の何にも変えられない時間を過ごしてきたと思います。

たくさんの人が大川小に持つイメージカラーは、砂ぼこりの色だったり、空の灰色だったり、決して良い色ではないと思います。だけど、私が持っている大川小のイメージカラーっていうのは、校舎の屋根の赤色と、空の青と、豊かな自然の緑と、子供たちの笑顔と明るい声の黄色。本当にカラフルで、たくさんの色があって素敵な学校でした。

大川地区が大好きで、小学校の頃、友達と遊ぶときはいつもデジカメを持っていたんですけど、ちょっとその写真をいくつか紹介したいと思います。

(小学生の頃に自ら撮りためた、校舎や校庭、学校のあった釜谷地区や自宅近くの写真20枚程を見せて説明:スライドショー参照)

只野哲也が撮影した大川小の風景(2012年10月1日) 全18枚
https://www.huffingtonpost.jp/2014/04/12/okawa-sho-graduates_n_5140512.html#gallery/326646/1

このように大川小学校には桜がいっぱいあって、桜並木が綺麗にあったんですけれども、もし大川小を残せるのなら、このように桜の木を植えて、かつての様子を少しでも取り戻せたらいいなって思っています。

そしてもう一つの理由、「大川小で起きたことを伝えていきたい」っていう思いなんですけれども、震災でたくさんの児童や先生方が犠牲になったからこそ、この学校伝え続けていく意味があると思います。

写真や映像で語り継いでいくことはいくらでも可能なんですけど、それでも校舎があるのとないのとでは、伝わりかたが全然違うと思います。校舎を壊してしまったら、本当にあそこはただの更地になってしまうと思います。

大川は本当に素敵な地区で、震災の1年くらい前、中1の時に、「将来は大川を舞台に映画を撮ろう」って勝手に思ったりしていました。あの校舎は、そんな美しい大川のシンボルでもあり、同時に大川小の子供たちが生きた証でもあると思います。

子供たちの元気な姿や笑顔っていうのは、地域にとって最高の癒しだと思うし、元気をもらっていた人がたくさんいると思います。登校中は笑顔で地域の人に挨拶をして、休みの日には外を駆け回って友達と遊んで……っていう大川小の子どもたちは、大川地区の人たちにとっては宝物のようなものだったと思います。

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佐藤そのみさんは、大川小に在校時、友だちや地域の景色を撮りためていた。「大川小は本当に素敵なところ」と何度も話した

校舎を「見るだけでつらいから壊してほしい」って言う人や、報道関係の人や遠くから来る人がたくさんいて、「校舎が見せ物になっているのが嫌だから壊して欲しい」という人の気持ちもよくわかります。あの場所には悲しい気も記憶がたくさん詰まっているし、大川地区自体、たくさんの人が犠牲になっています。

私自身、震災後大川小に関わるさまざまな出来事に苦しんだこともあります。例えばいろいろな報道や、いろいろな人の声を聞いたり、ネットの掲示板で嫌な書き込みを見ちゃったりとか……すごい苦しいこともあったんですけれど、でも、むしろ校舎がなくなって慰霊碑だけという形になってしまったら、そういう光景を見たら、余計につらくなってしまうのではないかなと思っています。

遠くから来る人の中には、もしかしたら最初遊び感覚で来ている人もいるかもしれません。だとしても、あの校舎を実際に見れば、それまでの考えも意識も変わるのではないかと思います。私はむしろいろいろな場所のいろいろな立場の人に、大川小を知ってもらいたいです。

私はこの3年間、一瞬たりとも大川小の事を思い出したくない、忘れたい、などと感じたことはありません。

どうしても自分自身の気持ちにばかり寄り添った言い方になってしまうけれど、大川小で犠牲になった子供たち先生方のことは、忘れ去られてしまうのは本当に嫌です。

時間が止まらない限り、風化っていうのはどうしても避けることができないんですけれど、それでもその校舎があるだけでも、その風化をちょっとだけ妨げることができると思います。

最後に、“遺す・遺さない”について決定するまでには、長い時間が必要になると思うんですけれども、とりあえず今は、あの校舎を壊さないでそっとしておいて欲しいです。壊してからでは、何もかも手遅れだと思います。

校舎を遺していくにはお金がかかるし、やはり様々な意見は尽きないはずです。それらを承知の上で、私はこれからも、「大川小の校舎を遺したい」と言い続けていきたいと思います。

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当時6年生だった3人は、高校受験の学習会を通じて、自分のやりたいことに取り組む意欲を少しずつ取り戻してきたという

5人が語ったのは、「震災遺構」というよりは、あくまでも「母校」への思いだ。悲しい出来事のあった場所をして記憶していく覚悟を語る子もいた。それぞれの言葉からは、友だちや地域の人たちと過ごしたかけがえのない時間や美しい景色が、鮮やかによみがえった。

(ジャーナリスト・加藤順子)

市教委との説明会を中心としたやり取りや、検証委員会についての動きは、「大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~」 (ジャーナリスト池上正樹との共同連載)で紹介している。

只野哲也が撮影した大川小の風景(2012年10月1日) 全18枚
https://www.huffingtonpost.jp/2014/04/12/okawa-sho-graduates_n_5140512.html#gallery/326646/1

 

2015.3.11
大川小校舎保存を卒業生が強く望む理由
池上正樹:ジャーナリスト
https://diamond.jp/articles/-/68162

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被災した大川小学校の校舎。「保存」か「解体」かを語り合う場が初めて設けられた
Photo by Yoriko Kato

 4年前に起きた東日本大震災で、学校管理下にあった児童・教職員84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。津波で被災した校舎の保存か解体かを巡って、子どもたちや遺族らが、様々なしがらみの絡み合う地域の中で、初めて「賛成」や「反対」といったそれぞれの違いを語り合える場が設けられた。

 また、参加者にアンケートを行ったところ、校舎全体の保存を望む声が多数を占めたことから、今後、地域の中では、保存に向けた議論へと一歩前に踏み出すことになる。

被災校舎は「保存」か「解体」か
初の住民協議会に120人が参加


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地域住民の前で校舎保存のプレゼンテーションを行った卒業生たち
Photo by Y.K.

 むき出しになった無数の梁や捻じ曲がった連絡通路などが、津波による水圧の威力と恐ろしさを、まざまざと訴えかけてくる。

 これまで手を付けてこなかった大川小学校の校舎の問題に対し、4年を迎えるにあたって地域の意見を集約しようと、この3月8日、地域住民でつくる「大川地区復興協議会」(大槻幹夫会長)は、「大川地区復興計画(案)全体説明会」を河北総合センターで開催した。

 この日、地区長を通じて呼びかけられた対象者は、旧大川村エリア内の釜谷、尾崎、長面、針岡、福地の5地区に住んでいた700世帯余り、約2400人。そのうちの120人余りが参加した。

 同協議会は、被災校舎の取り扱い、及び校舎周辺に慰霊公園をつくる「鎮魂の森整備計画(案)」を示したうえ、第1案「解体後、跡地に昔の校舎の写真・映像をスマホ等に映し出す」、第2案「低学年棟や野外音楽堂などの施設を一部残す」、第3案「全施設を残す」の3つの案を提示。これまで「予算を市役所に要望しても、返事が来なかった。早めに言っておかないと不安」だとして、「大川地区復興計画案」策定に至るまでの経緯を説明した。

 復興計画のあり方については、9回にわたって協議会が「オープン方式で」説明会を開いてきたほか、大川小の遺族会、父母教師会、学校が立地していた釜谷地区の住民にも説明会を行い、意見を受け止めてきたという。

 そして、大槻会長を進行役の議長に選出。3つの案についての意見交換を行った。

https://diamond.jp/articles/-/68162?page=2
大川小卒業生6人が意見表明
「原爆ドームのような存在にしたい」


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住民は初めてそれぞれの意見を交わした
Photo by Y.K.

 被災地の中でも、とりわけ被害の大きかった大川地区では、複雑な利害関係が絡み合って、大人でさえ声を上げることや行動することを躊躇し、思いを伝えられずにいる人たちが少なくない。そんな地域の大人たちに向かって、子どもたちが意見を表明することは、外に向かって発表するよりもはるかに勇気のいる行為だったろう。

 それでも、この日は、1年ほど前から定期的に話し合いを続けてきた大川小の卒業生6人が、「違う意見の人たちの話も聞きたい」からと意を決して、マイクを握った。

 その1人、現在高校3年生の佐藤そのみさんは、震災当時小学6年生だった妹のみずほさんを亡くした。彼女は先日、無事大学に合格し、4月から首都圏の大学に通う。

 そのみさんは「大川地区の皆さんの前で直接お話しするのは初めてで、緊張しています」と前置きして、こう口火を切った。

「被災後の置かれた立場はそれぞれ違うのですが、校舎をあのままの形で残してほしいと望む、2つの理由があります。あそこは、私たちの大切な母校であるということです。他の何物にも代えることのできない、すばらしい思い出が詰まっています。子どもたちをいつも見守っていてくれた地域の方も同じだと思います。大川地区のほとんどが被災に遭ってしまったいま、あの校舎を含め、これからの大川地区の復興について考えていくべきだと思います。

 もう1つは、子どもたちの死を無駄にしたくない。子どもたちがあそこで生きた証と、二度とあのような悲劇を繰り返さないために、校舎を通して伝えていくことが大切です。何十年先の未来を考えたときに、あの場所が更地になっていたら、子どもたちや大川地区のことがだんだんと忘れ去られていくような気がしてなりません」

 あの日、学校にいて津波から生還できた児童4人のうちの1人で、当時小学5年生だった只野哲也君は、当時小学3年生だった妹の未捺さんを亡くした。いまは中学3年生になり、先日高校を受験して、合格した。

「震災直後からメディアを通じて校舎を残してほしい思いを伝えてきました。今日は、直接、地域の方々に伝えられると聞き、この会に参加しました。どんな文章や写真や映像よりも、校舎を見ることで、とても強い印象を与えると思います。私も校舎を見ると、たくさんの思い出がよみがえります。どんなときも地域の中心にあった大川小が、いまでは周りに何もありません。校舎がなくなったら、亡くなった多くの地域の方々や子どもたちの生きていたという記憶が薄れていくのではないか。そうなれば、本当の意味で死んでしまうと強く思います。

 いま以上に多くの人々に、校舎を見てほしいと思っています。広島の原爆ドームが原爆や戦争の愚かさを伝えてきたように、あの校舎も地震や津波の恐ろしさや命の大切さを何十年、何百年と後世に伝えることのできるきっかけになればいいと願っています。私は、自分の言葉で伝えていきたい。みんなの生きた証を壊さないでください。またいつの日か、豊かない自然がいっぱいで笑顔の絶えない大川に帰れる日が来るまで、伝え続けます」

https://diamond.jp/articles/-/68162?page=3
 こうして6人の子どもたちが訴えるたびに、会場からは拍手が起こった。涙ぐむ参加者の姿もあった。

 地域の住民からも「犠牲になった74人の子どもたちは“助けて”と叫んだと思う。あの校舎には、そんな子どもたちの思いがぎっしり詰まっているはず。うやむやにしてはならない。校舎をなくしたら、いくら語り部が言っても実感がわかなくなる」などと、校舎の保存を訴える声があった。

解体に賛成する遺族からは
「通るたびつらい」「維持費用は?」の声も

スクロールして見るなら
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校舎を保存した場合の「釜谷地区(鎮魂の森)」計画図
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 一方、校舎の解体に賛成する立場からも、児童の遺族がこう意見を訴えた。

「あそこは亡くなった方々に手を合わせ、心安らかに思い出を語れるような場にしてほしいと思っています。自然豊かな大川を表すような公園にしていただきたい。決して、負の遺産として残してはいけないと、私は思います。現在、大川小の問題では、市も県も国も責任を取れていない状況です。そんなところに保存を依頼して大丈夫なのか。仮にお金を集めたとしても、100年後、200年後を考えたとき、これから大川を背負っていく子どもたちに、そのことを背負わせることはできない。亡くなった子たちが、あの校舎を見て苦しんでいる親の姿を見て喜ぶのかどうか。生きている人間が笑顔でいられるようにやることも大事なことなのではないか」

 また、家族が学校に逃げようとして、壁で命を絶ったという住民からは「いつもあそこを通るたび、家族が亡くなったかと思うと、とてもつらくてたまりません」という発言もあった。

 意見を表明しなかった参加者の中にも、

「校舎を震災遺構として残すにしても、ずっと先まで維持するための費用を寄付だけで賄えるのか?これから誰が遺構を支えていくのか?」

 と、将来を危惧しつつも、「解体を求める意見も聞けて、良かったと思う」といった感想が聞かれた。

https://diamond.jp/articles/-/68162?page=4
「全施設を残す」が多数に
さまざまな意見を聞き一歩前進か


Img_547a4f58d5f31d137445a11215e45e8 アンケートは、事実上の投票となった
Photo by Y.K.

 会の終了後、あらかじめ配布していた三者択一のアンケート用紙を回収。集計した結果、「鎮魂の森」整備計画案の被災校舎の取り扱いについて「解体後、跡地に平面図を復元」37人、「一部を残す」3人、「全施設を残す」57人、「その他」15人、白紙8人で、「全施設を残す」が多数を占めた。

 また、大川小学校移転新築計画についてもアンケートを実施したところ、「小学校を再建する」が66人。「小学校を再建しない(二俣小学校と統合する)が40人、「その他」が5人、白紙が9人だった。


 同協議会では、こうしたアンケートの結果を踏まえ、20日に協議会を開き地元の総意として取りまとめ、市に要望する方針だ。

Img_12e6cbc3a742e3eb18d5c148c77efd6 参加者の6割近くが「保存」「一部保存」の意向を回答
Photo by Y.K.

 学校の問題にとどまらず、地域の大半が被災した課題山積の大川地区の中で、子どもたちはもちろん、様々な状況や立場に置かれた人たちが、自分の感情を言葉にして語っていく作業は、並大抵のことではないだろう。

 アンケートの結果に関わらず、震災から4年を迎えたいま、これまで言葉を封じられてきた子どもたちをはじめ、こうしてそれぞれの人たちの違う意見を初めて聞く場を持てたことは、大きな意義があったといえる。

 被災校舎を残して慰霊公園を整備していくという地域の意向に、解体を望む思いにも配慮しながら、市や国がどのように向き合っていくのか、今後の対応に注目したい。

大川小学校関係者や地域の方、一般の皆さまからのお話をお聞きしたいと思っています。情報をお持ちの方は、下記までお寄せください。
teamikegami@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)


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<お知らせ>

当連載の著者 池上正樹と加藤順子による新刊本『石巻市立大川小学校事故検証委員会を検証する』が、ポプラ社から発売中です。

当連載の内容に加えて、最新の動向や、一般的な学校事件・事故の検証委員会を巡る問題点も取り上げています。同検証委員会が、形作られる前の段階から、最終報告書の提出までを追ったルポ。


 

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