2006年3月20日 (月)

キューバについてちょっと勉強して見ませんか。(WBCキューバ戦を機会に思ったこと。)

 「革命家チェ・ゲバラ ヒロシマ訪問秘話」と、後ろでWBC決勝戦の結果のYouTube動画をはっておきます

 末尾でご紹介している朝日のキューバ国内でのWBC熱気を伝える記事中、キューバ共産党機関紙の「グランマ」※とあります。グランマはご存じのようにおばあちゃんの意味です。なんで「おばあちゃん」が共産党機関紙の名前かと言うと、若き日のカストロたちがフルヘンシオ・バティスタ独裁政権を打倒しようとキューバに向かったときに乗り込んだオンボロクルーザーの名前が「グランマ」号だったからです。

※キューバ共産党機関紙「Granma」のスペイン語版英語版

20060322granmacu_reafirma_fidel_que 「Granma」の
2006年3月22日 空港でのWBCキューバ代表凱旋帰国レポート記事

La Habana, 22 de Marzo de 2006

Reafirma Fidel que Cuba donará premios del Clásico Mundial a las víctimas del Katrina


20060322granmacu_la_habana_les_dio_ 「Granma」の
2006年3月22日 ハバナ市内でのWBCキューバ代表凱旋帰国レポート記事

La Habana, 22 de Marzo de 2006

La Habana les dio la bienvenida a los campeones


 最初から多数派の革命勢力と言うのはなくて、どの革命勢力も最初は少数から始まります。キューバのカストロがキューバ東部の山岳地帯(シェラマエストラ)に近い海岸に上陸したときには、女性二人を含む82人の武装した同志(!)とでした。この人数が"お婆ちゃん号(グランマ号)"と言うなんと定員14人乗りの老朽ボートに乗り込み(まるでボートピープル、よく沈没しなかった)バチスタ独裁政権の5万の兵士に戦いを挑み、最終的には勝利します。

 なお、余談ですが、海岸上陸したのは1956年12月2日ですが、なんとフィデル(カストロ)は、前もって1956年の年内に上陸すると宣言していました。軍事訓練してくれたバヨ元大佐が「作戦は秘密にしておかなければならない」と抗議したのに対してフィデルは「あなたに教わった事は承知しています。けれどもこの場合、私はキューバの人たちに私たちが来ると言うことを知っていて欲しいし、私たちの7月26日運動を信頼して欲しいのです。軍事的には公表することはまずいと言うことは良く知っていますが、(公表は)やむにやまれぬ私自身の癖なのです」と言ったそうです。案の定、上陸と同時に独裁者の空軍に発見され、82名はバラバラになってしまいます。年明けの1月1日フィデルがピコ・トルキノと言うシェラマエストラ山中で最も高い、標高2005メートルの山頂に達したときには、残った同志はたったの12人だったようです。一方、他の無事に山中に紛れ込んだ他の同志たちは武器や志願する者を集めるために密かに都市へ派遣されます。

 山嶺にうちひしがれ飢え傷ついた12人の男がやっとの思いで集まったのですが、その後都市で地下活動をやっていた同志達のうちの一人が連絡に登山して来ます。その時、フィデルは「これで勝った。3週間のうちに、20人の武装した同志を送ってくれ。(これから)勝ち戦に転換だ」と言ったそうです。そしてこう言ってからわずか2年後に、ヒゲ面のゲリラ達が凱旋でハバナ入りすることになります。

※文中、バヨ元大佐とあるのは、アルベルト・バヨ元大佐。キューバ生まれ、独眼竜の元スペイン軍人。スペイン内戦では共和派に属して闘う。ゲリラ戦の専門家。フランコ独裁政権が成立してからは一度キューバに戻り、1942年にメキシコに再亡命し、メキシコ空軍の先生となる。1955年の年末にフィデルと面会したときには既に退役し家具屋をやっていた。そしてフィデルに頼まれて、若きゲリラ戦士を1年間軍事訓練します。時に、フィデル29歳、弟のラウールは24歳でした。

 以上、堀田善衛「キューバ紀行」を参照しました。(僕は「堀田善衛全集 」の11巻で読みましたが、ご紹介した「キューバ紀行」は集英社から出ている単行本です。)

※なお、革命後の生まれたばかりの若いキューバは経済封鎖などで徹底的にアメリカにいじめ抜かれます。その時、唯一近隣諸国で国交があったのはメキシコでした。そのメキシコが今回、ホームランを二塁打にされたりとかインチキ判定を米審判にされながらも米国チームを2-1と打ち負かしました。結果、一度は首の皮一枚になった日本を準決勝に生還させてくれたのです。どちらも親日国であり、なんとも言えない運命の糸を感じてしまいます。

 余談ですが、若きカストロたちが当初はマルクス主義もよく知らなくて、革命10ヵ月後のカストロの演説でも「我々革命政府を共産党だと非難している国がある」と不満をもらしています。若き彼らは、人々に誠実に政権運営する結果として、また隣の巨大国米国にいじめ抜かれる中で社会主義を選ばざるを得なかったことが「キューバ紀行」の中で語られています。また、キューバの人々、またカストロ自身がマルクス主義とどうかかわっていったか、堀田善衛さんのユーモアあふれる筆致で語られてゆきます。

 もう一つ下記朝日のWBCのキューバ国内での熱気を伝える記事中、

『チームは出発前、カストロ議長に呼ばれて直々に激励された。その際、革命家チェ・ゲバラがよく使った「勝利に向かって常に前進せよ」という言葉を贈られた。』

とあります。革命家チェ・ゲバラと言うのはカストロの無二の盟友です。革命と言うのは、独裁政権を打ち倒すことも大事ですが、実際に大変なのはその後に長く続く政権運営で内実のあるものにすることです。一度はキューバ国立銀行総裁、工業相と歴任しながらもゲバラは再度南米の地に戻って行きゲリラ活動に入ります。そして、最後にはボリビアで殺されてしまいます。その情熱を一番理解したのはカストロだろうし、カストロ政権の大変な前途を気遣ったのもゲバラだったと思ってます。

 ゲバラは1959年にアジア・アフリカの親善大使として来日。12日間滞在した。このとき、広島市の原爆資料館を訪問し、「アメリカにこんな目にあわされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか」と案内人に語ったと言われています。(更に詳しくは

20060320chethumbチェ・ゲバラ


チェ・ゲバラ(Che Guevara)、本名エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(Ernesto Rafael Guevara de la Serna, 1928年6月14日 - 1967年10月9日)は、アルゼンチン生まれのマルクス主義革命家で、キューバのゲリラ指導者。「チェ」はアルゼンチンのスペイン語で相手に呼びかけるときに使う言葉に由来するあだ名である。革命家として日本の坂本龍馬を非常に尊敬していたという。

2006-03-20CheChe.jpg  (64KB, MIME type: image/jpeg)


2006-03-20180px-Cheiconチェ・ゲバラ
(アルベルト・コルダ撮影の
1960年3月15日写真[1]より)


200pxguerrilleroheroicoWikipediaチェ・ゲバラより


  

革命家チェ・ゲバラ ヒロシマ訪問秘話20090123housute
再投稿
お散歩
http://www.dailymotion.com/video/x5tn856

革命家チェ・ゲバラ ヒロシマ訪問秘話20090123hou... 投稿者 osanpodeonigiri
公開日: 07/15/2017
期間: 10:48

2分19秒のところ。献花する左端オマール・フェルナンデス氏(Omar Fernández)、後列左チェ・ゲバラ、その右マリオ・アルスガライ(Mario Alzugaray)駐日キューバ大使。
0219

2分37秒のところ。元中國新聞記者林立雄氏。
0237

4分16秒のところ。
0416

4分24秒のところ〜、チェ・ゲバラが「あなたたちはこんなひどい目にあってなぜ腹を立てないのか」「アメリカはひどい事をするな」と

4分30秒のところ、チェ・ゲバラ「“日本国民” “広島市民” はなぜアメリカの原爆投下責任を問わないんだ」と…
0430

 

チェ・ゲバラ世界を変えようとした男 59分
gataro-clone
http://www.dailymotion.com/video/x16xv6a

チェ・ゲバラ世界を変えようとした男 by gataro-clone
Publication date : 11/08/2013
Duration : 59:00

 

日本来訪 [編集]

1959年7月15日、31歳のゲバラはキューバの使節団を引き連れて日本に訪れた。当時の日本での知名度は低く、朝日新聞が“カストロ・ヒゲ[1]”と揶揄同然に報じたのみで、他社には無視された。7月23日には午前中に愛知県のトヨタ自動車工場のトラックやジープ型4輪駆動車の製造ラインを見学、午後には新三菱重工の飛行機製作現場を訪れた。24日には久保田鉄工堺工場で農業機械の製作を見学し実際に農業機械を動かして試した後、丸紅、鐘紡と回って夕方に大阪商工会議所主催のパーティーに出席した。この他にもゲバラは通商のために帝国ホテルで池田勇人通産相に15分間の会談を行い、ソニーのトランジスタ研究所や映画撮影所、肥料工場などを回った。

7月24日の大阪に泊まった際、広島が大阪から遠くない事を知り、翌日、神戸の川崎造船所を視察した後に、予定を変更してオマール・フェルナンデス大尉とマリオ・アルスガライ駐日大使を伴って全日空機で岩国空港に飛んだ。広島県庁職員案内の下、広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆資料館と原爆病院を訪れている。娘のアレイダ・ゲバラも2008年5月に原爆死没者慰霊碑に訪れている[2]。

なお、このゲバラの広島行に関しては、市内のホテルで繊維業者と会う予定だったが、宿を密かに抜け出して夜行列車で広島に向かったという説もある。しかし、この説を裏付ける証拠はオマール・フェルナンデスの主張以外にはなく、当時の通訳であった広島県外事課の見口健蔵が、飛行機での公式の来訪を語っているほか、昭和47年の段階で広島県総務課には当時の記録も残っている。当時の日本の状況で、日本語がまったくわからない3人がこっそり抜け出して夜行列車に乗ることの不自然さ、無断で抜け出した場合の日本側の反応についての言及がないこと、カストロが一時的に首相を辞職するといったキューバ本国の政治的混乱の中で、使節団代表であるゲバラが、受け入れ国である日本政府や商工団体に対してそのような配慮に欠ける行動をとるとは思えない点、また、なによりもこっそり夜行列車で抜け出したにもかかわらず、広島で県庁職員が待っているのは不自然でもあり、フェルナンデスの記憶違いである可能性が高い[3]。

このとき、中国新聞の記者であった林立雄が単独取材した。「なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか」とゲバラは言ったという。ゲバラが広島の状況をキューバに伝えて以来、キューバでは現在でも、初等教育で広島と長崎への原爆投下をとりあげている。

日本各地を視察した後、27日に日本を発ってインドネシア、パキスタン、スーダン、ユーゴスラビア、ガーナ、モロッコを歴訪して9月8日にハバナへ戻った。翌年には日本とキューバの通商協定が締結され、現在も継続中である。

 

ゲバラ:被爆地・広島を夜行列車でゲリラ的訪問 訪日時
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20071009k0000e040018000c.html
Internet Archive 

20071009k0000e030023000p_size5 59年1月の革命後に撮影された写真を見せるオマル・フェルナンデスさん。チェ・ゲバラ(右)と当時ヒゲをはやしていたフェルナンデスさんが一緒に写っている=ハバナ市内で、庭田学撮影

 【サンタクララ(キューバ中部)庭田学】キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが訪日団の団長として59年に来日し、広島をゲリラ的に訪問した際、副団長と2人で大阪から夜行列車に飛び乗ったことが9日、分かった。副団長だったオマル・フェルナンデスさん(76)が明らかにした。フェルナンデスさんは「チェは被爆地・広島訪問を熱望し、私と2人で大阪のホテルをこっそり抜け出し、夜行列車で広島に行ったんだ」と振り返った。

 ゲバラは59年1月の革命後、同年6月から3カ月間、アジア・アフリカを歴訪した。訪日団長が当時31歳のゲバラで、副団長を2歳年下のフェルナンデスさんが務めた。7月中旬に来日、10日間滞在し、自動車工場などを視察した。

 フェルナンデスさんによると、アルゼンチン出身の医師であるゲバラは、予定になかった広島の被爆地訪問を強く希望したが、日本政府の許可が出なかったという。業を煮やしたゲバラは大阪のホテルに滞在中、「ホテルを抜け出して広島に行くぞ」と決断。オリーブグリーンの軍服姿で大阪駅で切符を買い2人で夜行列車に飛び乗った。

 「被爆者が入院する病院など広島のさまざまな場所を案内され、私同様、チェも本当にショックを受けていた」とフェルナンデスさん。帰国報告の際にゲバラは、フィデル・カストロ国家評議会議長(当時は首相)に「日本に行く機会があれば、必ず広島に行くべきだよ」と強く勧めたという。カストロ議長は03年3月に広島を訪問。フェルナンデスさんは「フィデルはチェとの約束を守ってくれた」と感激した。

 フェルナンデスさんがゲバラに初めて会ったのは59年1月の革命直後。「外国人としてキューバ革命に参加したチェを私は知り合う前から尊敬していた」と話す。ゲバラが工業相を務めたときには、フェルナンデスさんが副工業相の一人に任命されるなど信頼を得た。しかし、ゲバラが39歳で命を落としたボリビアでのゲリラ闘争には誘われなかった。「一緒にボリビアに行けなかったのが少し悔しい」。フェルナンデスさんは寂しそうな顔をした。

毎日新聞 2007年10月9日 10時42分 (最終更新時間 10月9日 13時09分)

始めに戻る


 2本はっておきます。前のは決勝戦。後のダイジェストも決勝までの足どりがたどれるのでお勧めです。

2006年3月20日 WBC 決勝 日本VSキューバ ハイライト
再投稿
お散歩
http://www.dailymotion.com/video/x5tl16c

2006年3月20日 WBC 決勝 日本VSキューバ ハイライト 投稿者 osanpodeonigiri
公開日: 07/15/2017
期間: 08:13

 

WBC2006 ダイジェスト
SAMURAIJAPAN88
http://youtu.be/Q9Sn2a75qPU

リクエストによる埋め込み無効

SAMURAIJAPAN88 さんが 2010/02/17 にアップロード

 

関連投稿
今朝のワールド・ベースボール・クラシックの西岡のタッチアップ走塁を見ましたか。アメリカは汚いね。

始めに戻る


 資料として採録。

キューバでも国民的熱気、カストロ議長が激励 WBC
2006年03月20日12時27分
http://www.asahi.com/wbc2006/TKY200603200181.html
Internet Archive 

Apx200603200007_2 米サンディエゴで18日に行われたWBC準決勝キューバ対ドミニカ共和国の試合で、キューバ国旗を掲げて声援を送るファン=AP

 ワールドベースボールクラシック(WBC)決勝で、日本と対戦するキューバでは、共産党機関紙グランマが連日、1面で結果を大きく報じ、国営テレビの政治討論番組でも活躍ぶりが議題になるほど熱が入っている。野球が国技で、五輪でも金メダルを三つ獲得したアマ球界「最強」とされるチームだけに、国民の「世界一」への期待は高い。

 ハバナからの情報によると、キューバの試合の模様はすべて国営テレビで生放送されている。人々の目はテレビにくぎ付けで、寄ると結果が話題になっているという。

 決勝進出を決めた18日には、喜ぶ市民らが道に繰り出して国旗を掲げたり、車がクラクションを鳴らしたりしたと、AP通信は伝えた。

 チームは出発前、カストロ議長に呼ばれて直々に激励された。その際、革命家チェ・ゲバラがよく使った「勝利に向かって常に前進せよ」という言葉を贈られた。

 プエルトリコからの報道によると、同国で行われた1次リーグの対オランダ戦ではバックネット裏で、反カストロ派の男性が議長を中傷する言葉を掲げてテレビ画面にも映ったためキューバ側が態度を硬化させ、試合後の記者会見を拒否する場面もあった。キューバの大会参加には当初、キューバへの経済制裁を仕切る米財務省が反対するなど、国際政治が影を落としてきた。

 これに対し、17日付グランマは「開催国が決勝に進めるようにと(米国に)有利な日程が組まれたにもかかわらず、決勝はアジア対カリブになった」と、米国の敗退を誇らしげに伝えた。米国の対日本、対メキシコ戦で「疑惑」判定を繰り返した米国人審判についても「信じられない」との批判の声が地元メディアで伝えられている。

 ただ、「敵地」米国で大リーグのプロ軍団を下すのが多くのキューバ国民の夢だっただけに、米敗退を残念がる声もあるようだ。

 キューバと日本は、大きな国際大会のたびに相まみえる強豪同士。キューバの野球ファンは、04年のアテネ五輪で松坂投手の好投で日本に黒星を付けられたことを悔しい思いで覚えている。

 EFE通信によると、ベレス監督は日本について「彼らのことはよく知っている。偉大な選手がいるし、野球の心がある。ラテンアメリカの我々とそっくりだ」と話している。

 

※キューバ共産党機関紙「Granma」のスペイン語版英語版。の内、スペイン語版に載ったWBCキューバ代表30人の選手達。

(クリックで拡大します)
Los30 ←The 30 who represented Cuba in the 2006 World Baseball Classic
http://cubajournal.blogspot.com/2009/02/30-who-represented-cuba-in-2006-world.html

Click the photo to read the caption below each baseball player.


Cuba Journal
http://cubajournal.blogspot.com/2008/06/commie-ball.html

Viva_fidel_pickup_game A boy steps up to bat in a pickup game in Havana.
Photo by Claudia Daut/Reuters/Corbis.


Cuban_baseball Fidel Castro with Leslie Anderson
and Cuba’s national team in 2006.
Photograph by Sven Creutzmann
reportage by Getty Images.


 

Japan 10, Cuba 6
Japan, and Its Fans, Embrace New Title of World Champion
http://www.nytimes.com/2006/03/21/sports/baseball/21classic.html
Internet Archive 

21japanxlarge1
Chang W. Lee/The New York Times
Sadaharu Oh, Japan's manager, was thrown into the air by his players after their victory in the first World Baseball Classic.

By JACK CURRY
Published: March 21, 2006

SAN DIEGO, March 20 — The white flags with the solitary red circles were scattered around Petco Park, growing more and more prominent with each inning. Every time Japan scored another run or made another slick play Monday night, the fans raised those cherished flags, shook them and waved them. Then they waited.

Could this drama really become a dream come true? Could Japan really be the class of the World Baseball Classic? The fluttering flags offered the answer. They almost never stopped flying, the Japanese almost never stopped repelling Cuba during a 10-6 victory, and they snatched the championship of this inaugural event.

So Japan, which qualified for the semifinals only after the United States was surprisingly eliminated with a loss to Mexico, ended Cuba's refreshing ride through the tournament. The Cubans were almost not allowed to compete, but they were given permission, and the mysterious men in red performed admirably against some teams loaded with major league players.

But the Cubans could not solve Daisuke Matsuzaka, who stifled them on one run over four innings, and they could not overcome Japan. Matsuzaka, who throws a 94-mile-an-hour fastball and has a slight hesitation in his delivery, surrendered a leadoff home run and then retired 12 of the next 15 batters. He had three of Japan's five victories and was named the tournament's most valuable player.

"Well, it was my first experience to pitch in the game with the world championship on the line," Matsuzaka said. "I was going to feel a lot of pressure, as this is something you wouldn't be able to buy. But I did not feel much of it once I got on the mound."

The Cubans trailed by 4-0 and by 6-1, but they scored two in the sixth and two more in the eighth on Frederich Cepeda's home run to crawl to one run down. As one fan held a "Cuba Campeón" sign, Akinori Otsuka of the Texas Rangers emerged to get two crucial outs in the eighth. Then Japan scored four times in the ninth, and Cuba's chances for a fantastic finish fizzled in front of 42,696 fans.

Otsuka struck out Yulieski Gourriel to end the game, causing the Japanese players to fling their gloves and hug each other between the mound and first base. The players formed a circle, lifted the legendary Sadaharu Oh, their 65-year old manager, off the ground and tossed him in the air — a tradition the Japanese follow after winning a title.

"I thought I would never, never get a chance to manage a team like this," Oh said.

After Manager Higinio Velez decided Ormari Romero was dependable enough to start perhaps the most important game in Cuban baseball history, he inexplicably replaced Romero after only 23 pitches. Romero permitted two infield singles and a walk to the first four batters to fill the bases and, suddenly, he was gone.

The Cubans have had relievers warming up in the first inning in other games, but this seemed like a hasty decision. Romero was clearly irked about being replaced. He walked behind the mound and waved his hand at Jose Elosegui, the pitching coach. Vicyohandry Odelin, who looks and pitches like Tom Gordon's twin, followed Romero.

Odelin could have started, but the Cubans skipped him because he allowed three home runs in a 6-3 loss to Japan in the 2004 Athens Olympics. Odelin did not give up any homers to Japan this time, but he did not come close to getting out of the delicate situation, either.

Odelin plunked Hitoshi Tamura in the elbow with his fourth pitch to force in Japan's first run. After a strikeout, Odelin walked Michihiro Ogasawara on a close 3-2 pitch to push in the second run. Toshiaki Imae followed by slapping a slider for a two-run single that that gave Japan a 4-0 lead.

When Eduardo Paret smashed a leadoff home run for the Cubans, he pumped his fist rounding first. Maybe the Cubans could immediately erase the deficit. Well, maybe not. Matsuzaka allowed three more hits through the fourth.

Japan scored two runs in the fifth for a 6-1 cushion, but Cuba rebounded with two in the sixth. The Cubans had runners on first and third with one out, but Shunsuke Watanabe induced Yoandy Garlobo into a double play.

When organizers first applied for a license for Cuba to participate, the Treasury Department denied the request because the Cubans would have received American money. That would have violated the United States' trade embargo against Cuba.

The organizers applied for a second license that guaranteed Cuba would not receive money. Five weeks after the denial, President Bush ordered his staff to settle the issue, and a license was granted.

Under tournament regulations, every team except Cuba received at least 1 percent of the net profits. Those percentages rose as teams advanced, with Japan receiving 10 percent as the champion. The money that Cuba would have received will be donated to charity.

Despite having only two major leaguers, Japan won the tournament. Despite having no major leaguers, Cuba finished second. The United States feels it has the best players in the world. In this tournament, that was untrue. Japan, as the flying flags showed, was the class of this classic.

INSIDE PITCH

Derek Jeter and Ken Griffey Jr. were the only Americans to make the all-tournament team. ...The attendance for the 39 games was 737,112.

 

 堀田善衛の『キューバ紀行』

 

始めに戻る

| | コメント (3) | トラックバック (11)

そうか、明日の決勝戦日本対キューバ戦はTBSじゃなかったんだ。(笑)

 てっきりTBSかと思っていたら、そうではなくて日テレ系なんですね。明日21日(火)10時45分から2PMまでです。明日は祭日だし、これも僕たちにとっては理想的な展開。(笑)

 それにしても、昨日の試合は絵に描いたようなドラマチックな展開だった。いままで不振だった福留をスタメンから外し、いままで1番を打っていたイチローを3番に持ってきた。

 6回まではゼロ行進の行き詰るような投手戦で、動いたのは7回松中のヘッドスライディングの二塁打からだった。その前に走者を進められず4番の役目を果たせなかった松中は胸中忸怩たるものがあったのだろう。だからこそのヘッドスライディングであり、思わずこぶしで叩いた二塁ベースだったのだろうと思う。

 そして、その後のスタメンを外されていた福留の代打ツーランホームランである。

 その後一気呵成に、イチローの場面に続く。そう、それまで塁に走者をためてから打席に立つことができなかったイチローの5点目安打である。走者を置いた理想的な状態で5点目をもぎ取ることができたのである。今まで胸にたまっていたものが取れただろうと思う。

 その後8回のイライラするような雨での中断も、歓喜の前の一場面に過ぎなかった。むしろ、TVのスポンサーにとっては理想的な展開だったのではないか。突然の雨で待つこと45分、その間試合のハイライトシーンとCMとの交互放映のやり放題。(笑)

 それにしてもてっきり決勝戦もTBS系だと思っていたら、日テレ系だったとは。(笑)

関連投稿
「決勝戦は"アマチュア世界一"のキューバと」って言うの、やめてくれないか、アホアナウンサーよ。
野球の解説者やアナウンサーは馬鹿ばかりなのか。
今朝のワールド・ベースボール・クラシックの西岡のタッチアップ走塁を見ましたか。アメリカは汚いね。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006年3月13日 (月)

今朝のワールド・ベースボール・クラシックの西岡のタッチアップ走塁を見ましたか。アメリカは汚いね。

(クリックすると拡大します)

20060313 ビデオでも何回かやったが、完全に捕球後にタッチアップして走塁している。一番近い所で見ている塁審のOKの判定を米側の抗議で審判が覆すとは恐れ入った。

 王監督も「(判定変更について)一番近いところで見ている審判員(塁審)の判定を変えることは、日本では見たことがない。野球がスタートした米国でこういうことがあってはならない。」(共同)とコメントしていた。あのビデオを見る限りもっともだと思う。

 若い諸君はよく胸に刻んでおいてほしい。アングロサクソンのきたなさを。毛唐の身勝手さを。そう言う観点で見るなら、野球観戦も一つの教訓・勉強である。あのきたない判定がなければ4対3で日本がリード、試合結果が変わっていた可能性が高い。

 

WBC 日本対米国戦での疑惑の判定20060312
再投稿
お散歩
http://www.dailymotion.com/video/x5tp39u

WBC 日本対米国戦での疑惑の判定20060312 投稿者 osanpodeonigiri
公開日: 07/16/2017
期間: 05:13

↑↓キャプチャ画像を見ると一目瞭然。三塁走者の西岡は塁(ベースバッグ)に足を掛け、同時に左翼手(ランディ・ウィン left fielder Randy Winn)の捕球が自身の視野に入るような体勢をとっている。離塁にそなえ捕球より先に上体のみを動かし、その勢いを利用してスタートを切る態勢だ。教科書どおりの走塁である。
参考:
球審:ボブ・デービッドソンBob Davidson 米)
三塁塁審:ネイル・ポールトン(Neil Poulton 豪)
二塁塁審:ブライアン・ナイト(Brian Knight 米)
一塁塁審は不明なるも米国。

上記動画の3分44秒の1 打球がグラブに入る寸前。
0344_1

3分44秒の2 打球がグラブに入る寸前。
0344_2

3分44秒の3 グラブで打球をキャッチ。
0344_3

3分44秒の4 完全に打球が納まっている。
0344_4

3分45秒 三塁走者の西岡はまだ塁から離れていない。リタッチとみなされる完璧なスタートだ。
0344_5


 以下、資料として採録。記事中「(要旨)米紙も誤審を認め」と出ている。ただし、そうとでも書くメディアが全然ないなら、それこそ庶民レベルで米国の汚さが世界中に広まってしまうw。スポーツだと分かりやすいので、特に属国日本人にはおのれ達の汚さを気付かれたくないw。

 

日本サヨナラ負け、米も認めた誤審
https://www.nikkansports.com/baseball/wbc/2009/vtr/vtr05.html

Vtr060314ns 2006年3月14日付けの紙面イメージ

<WBC:日本3−4米国>◇2006年3月12日◇2次リーグ◇エンゼルスタジアム

 【アナハイム(米カリフォルニア州)12日(日本時間13日)】王JAPANが審判の判定変更で「歴史的1勝」を逃した。国別対抗戦「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の2次リーグ初戦で、日本は、優勝候補の米国と対戦。9回サヨナラ負けした。3−3の8回1死満塁、岩村の左飛で、三塁走者西岡がタッチアップし生還した。だが、マルティネス監督が離塁が早いと抗議し、判定が覆った。初回のイチローの先頭打者本塁打などで優位に試合を進めていただけに、後味の悪さが残った。米国内でも判定変更に批判的な報道が出ている。

 「アナハイムの悲劇」が起きた。王監督は何度も首を振り、左手を回しながら球審の元へ向かった。約3分間。通訳を介し、時には自ら「ノー」と連発しながら、猛然と抗議した。「野球がスタートしたと言われる米国で、そういうこと(判定変更)があってはならない」。試合後の記者会見で、王監督は厳然とした口調で言い放った。

 同点の8回だった。1死満塁。岩村が左飛を打ち上げ、三塁走者西岡がタッチアップした。日本が勝ち越した、と誰もが思った。米国は捕手が、三塁のカバーに入ったジーターに送球し、西岡の離塁が早かったことをアピール。確認を求められた二塁塁審は両手を広げた。

 これに米マルティネス監督が抗議した。「判定を下すのは、球審のはずだ」。今大会では三塁走者の離塁は球審が判定する決まりになっている。球審は二塁塁審に事情を説明した上で、「アウト」に覆した。歴史に残る一戦は、思わぬ形で水を差された。

 王監督 いくら抗議があったとはいえ、変えるということは日本で長年、野球をやっているが、見たことがない。一番近いところにいた審判がセーフと言っているのに、遠くにいた審判が変えるのはおかしい。世界中で見ているのに、アメリカのためにもならない。

 野球は明治初期に、米国から日本に伝わったとされる。それから1世紀以上の時を経た。親善試合では日米で何度も戦ってきたが、国の威信をかけた真剣勝負はこの試合が初めてだ。「プロに入ったときから正力さん(松太郎氏=巨人初代オーナー)に『米国に追い付き、追い越せ』と言われていた。念願でもあったし、実現してうれしい」と王監督はこの舞台を待ちわびていた。日本は互角以上に戦った。昨季のナ・リーグ奪三振王、ピービから、イチローが先頭打者本塁打で先制点を奪った。2回には川崎の適時打で2点を追加した。守っては小刻みな継投で必死に防戦し、メジャー軍団を相手に1歩も譲らなかった。9回、A・ロドリゲスのサヨナラ安打に飛び込み、弾いた二塁手の西岡はグラウンドに倒れ、天を見上げて動かなかった。あと1歩で金星を逃した悔しさが、見えた。

 ユニホームを脱いだ王監督は、穏やかな口調に戻った。「初めての真剣勝負でみんなよくやったよ。アメリカも野球発祥国のメンツがあるから必死だった。世界の人に日本の野球をアピールできたと思う。選手たちはいい財産を得たよ」。この1敗を思い出にするつもりはない。「メキシコ、韓国に勝って、もう1度、米国にチャレンジする」。米国とともに2次リーグを勝ち抜けば、18日の準決勝で再戦。新たな歴史を刻むチャンスはある。残り2試合、勝つしかない。【中村泰三】

 球審を務めたボブ・デービッドソン審判員(53)は試合後「満塁でのタッチアップをチェックするのは球審。(二塁塁審の)ナイト審判員はいるべき場所である三塁付近にいたが、タッチアップをチェックする権限はない。それが最初に(問題なしとの)判定を下してしまった。球審の判定すべきところであり、私は離塁が早いと判断した」との声明文を出した。AP通信によると、デービッドソン審判員は99年の労使紛争でメジャーの審判員を辞職し、現在はマイナーリーグに所属している。

 今大会は37人の審判が登録され、22人がアメリカ人。ほとんどがマイナー審判員。米国−日本戦は3人がアメリカ人で、1人がオーストラリア人だった。本来はメジャー審判が務める予定だったが、2月下旬になって大リーグ機構と大リーグ審判組合との話し合いが決裂した。報酬面で折り合わなかったとみられている。東京ドームで行われた1次リーグでは日本の審判も1人参加していたが、2次リーグ以降は参加しない。日本では大会前から、出場チームの1つである米国が審判員を決める方法について疑問の声が出ていた。

 米メディアは判定について、さまざまな反応を見せた。ニューヨーク・タイムズ紙は「日本にとっては、カリフォルニア・スキーミング(陰謀)だ」と、青春映画「カリフォルニア・ドリーミング」に引っ掛けた見出しで「WBCのフィールドで初めて国際問題が起きた」と報じた。また同紙はAP通信の記事を電子版に掲載し「(サヨナラ打の)A・ロッドと疑わしい判定が米国を救った」との見出しをつけた

 USAトゥデー紙は試合展開よりも、事の経緯を詳しく紹介し「テレビのリプレーを見る限り、西岡の判定を変えたのは間違いである」と主張。ロサンゼルス・タイムズ紙は「米国は日本を倒すために、幸運だけでなく、審判の目も必要だった」と批判的だった

 ワシントン・ポスト紙は「三塁ベースから三塁側ベンチまでは、30フィート(約9メートル)もある」と、論争自体に冷ややかな態度を示した。

 大リーグ公式ホームページのマイク・バウマン記者は「日本は勝つ価値があった」という見出しのコラムを掲載。「もし日本が準決勝に進出しなかったら、あの判定が要因の1つになる。それは恥ずかしいし、残念なことだ」と指摘した。

 辻三塁ベースコーチ(西岡のタッチアップについて)球審が二塁塁審に判定を促していたのだから、覆ることはあり得ないはず。おかしい。浅い左飛だったが、左翼手(ウィン)の肩が弱いことは分かっていた。いちかばちかのスタートではなく、十分に間に合うと考えての「GO」だった。

(2006年3月14日付日刊スポーツ)

 

記事をリンク紹介:
WBCで露呈した野球超大国アメリカの品格<前編>
二宮清純 2009年2月27日
http://www.ninomiyasports.com/archives/11597

WBCで露呈した野球超大国アメリカの品格<後編>
二宮清純 2009年3月13日
http://www.ninomiyasports.com/.wptest/archives/11622

 

関連エントリ:
キューバについてちょっと勉強して見ませんか。(WBCキューバ戦を機会に思ったこと。)

 

関連投稿
スキージャンプ原田の失格問題をもう一つ突っ込んで考えて見ないか。
小泉は速やかに輸入済み米肉(1500トン)の回収をしろ。
奪われる日本――「年次改革要望書」米国の日本改造計画 警告レポート、米国に蹂躙される医療と保険制度、関岡英之(前半)
奪われる日本――「年次改革要望書」米国の日本改造計画 警告レポート、米国に蹂躙される医療と保険制度(後半)

始めに戻る

| | コメント (0) | トラックバック (3)

その他のカテゴリー

05ウェブログ・ココログ関連 | 05ニュース | 05パソコン・インターネット | 05日記・コラム・つぶやき | 05経済・政治・国際 | 05言論・表現 | 06ウェブログ・ココログ関連 | 06ニュース | 06パソコン・インターネット | 06日記・コラム・つぶやき | 06経済・政治・国際 | 06言論・表現 | 07ウェブログ・ココログ関連 | 07ニュース | 07パソコン・インターネット | 07日記・コラム・つぶやき | 07経済・政治・国際 | 07言論・表現 | 08ウェブログ・ココログ関連 | 08ニュース | 08パソコン・インターネット | 08日記・コラム・つぶやき | 08経済・政治・国際 | 08言論・表現 | おすすめサイト | アウトドア | アニメバナー紹介 | アフィリエイト | ウェブログ・ココログ関連 | ウォーキング | グルメ・クッキング | サッカー | スポーツ | セキュリティ | ニュース | パソコン・インターネット | ファッション・アクセサリ | ブロガー同盟 | ポドキャスティング | マスコミ批評 | 世相 | 健康 | 共謀罪 | 冤罪 | 心と体 | 携帯・デジカメ | 散歩 | 旅行・地域 | 日記・コラム・つぶやき | 映画・テレビ | 書籍・雑誌 | | 環境問題 | 経済・政治・国際 | 美容・コスメ | 自End用バナー | 言論・表現 | 警察 | 趣味 | 野球 | 防災 | 震災・原発事故 | 音楽